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はてなキーワード: 所与とは

2021-12-29

anond:20211229180106

所与えることは支援団体で出来る

それで10万円給付貰ったホームレスたくさんいるしな

ちょっとボランティアについて学びな

2020-11-21

anond:20201121181708

文化美術界隈で発言力がある人、政治経済分野に疎すぎて、そもそも予算分配が少なすぎることが問題なのに、

それは所与としてどう分配するのが最適か?という考えるだけ無駄問題を延々と解こうとしてる印象

問題の設定が間違っていることに早く気づけばいいのに

2020-08-28

anond:20200828092623

羽生さんは羽生さんだからまれつきのCPU所与として筐体とかの条件はどう設定するの

あんだけ頭良かったらさすがに無収入は無いんじゃないの

仮に歴史上最高の五体満足のヒヨコ鑑定士とかならとかそういう話?

2020-08-09

anond:20200809005143

俺も大きい感情あるし自分でもその感覚はとても大事だと思うんだけど、一方で他の人もきっと等しいくらいに感情があるのだろう。

から自分だけ大きく揺り動かされたことについて滔々と語ってもいいのだろうかと思うわけだ。これは卑下なんだろうか。卑下といえば卑下かなぁ?

あと言及増田でも所与というか与件なっちゃってるんだけど、感情の強さや大きさを比べる流れになるのは生産性が少ないと思う。

大きな個人的感情を語る弊害一種と感じている。

2020-07-31

前は女叩きをするネット民に対して「うわあ」って思う程度だったし

たまに巻き込まれそうになっても

一貫しておかしなこと言ってるってわかるから

立ち去ることができたけど

最近になって女性側も男性に対して偏見から発言する一派があると知って

そういう人たちをまた男性とかが一段上の立場を取って

本気で一日中バカにしてるみたいな界隈があると知った

でもみんな本当は原因は恋愛が思い通りにできないからってことは

心の奥底では分かってる人が多いと思う

それって庶民が貧しくなったからだし、

スマホさえあればいつでも2次元や2.5、配信者等々

寂しさや人恋しさを手軽に解消できるから

煩わしい事を所与としつつ異性と一緒にいる良さがなくなったからだよね

そして戦後じわじわ破壊されて来た地域社会の繋がり

これで誰かの息子に娘をあてがう的なものがなくなった

根本原因(社会とか)が直らないことをわかってるから

から画面越しの異性を悪く言ったり見下したり、

人を愛したり慈しんだりするためにあった心と膨大な時間

人を蔑むために使って紛らわしてるんだよね

悲しい

でも自分にはどうすることもできない

そういう政策を掲げてる人に政治献金すればいいのか?

でも生まれから今まで公約って守られないものだと身についてしまってる

これも敗戦よく訓練された結果だよな

生活保護叩きとか、地域叩きとか

老人叩きに若者叩き

から分断工作は本当に酷いと思ってきたし

あと人間は目に見えないものや内的なもの

実際に悪く言える相手転嫁して叩くのが性質だっていうのもわかるんだけど

男性女性で争わせるって

もうこれ以上分割できないことなのに

(LGBTQ+の人は一旦ごめん)

絶対だめだと思うんだ

でも、たぶん誰にも止めることはできない

私も結婚しました報告とか子どもの話とかは辛くて見られない

そういう生理的な、根源的なことで異性叩きをしてるんだろうから

って、日本全体でみたら男女で争ってる人なんかごく一部なんだろうけど

心が痛む

2020-07-19

コロワイド株主が考える大戸屋TOBのこと

タイトルにそれほどの意味は有りません。一応中立的に書いているつもりですが、念のため立場を明確にしておいた方が良いかと)

(この手のニュースを見聞きする度に、考えをまとめておきたいなと思いつつ放置していましたが、ようやく行動に移すことができました。)

一向に正される気配のない、TOBに関する誤解

背中を押してくれたのは、こちらの記事

コロワイド「お騒がせ会長」が32億円の詐欺被害に 大戸屋買収に暗雲 | デイリー新潮

コロワイド会長が癖のある人物であることについては今更どうこう言う話ではないし、M資金詐欺に引っかかったという話も、真偽のほどを判断するほどの知見は私にはないが、「本当でも不思議ではない」と、私は思ってしまう。

私が気になっているのは、後半の有識者?によるコメント

 企業法務に詳しい高橋弘泰弁護士は、この被害による大戸屋買収への影響をこう分析する。

経営トップ詐欺に引っかかったと公にすれば、会社イメージにとって決してプラスにはなりませんし、株価が上がる要素も全くない。となれば、大戸屋HD株主が、コロワイドが呼び掛けているTOB賛同するのでは難しくなるのでは」

である

この手の話について最初に私が考えをまとめたいと思ったのは、ライブドアによるニッポン放送買収のゴタゴタがあったころなので、随分と昔のことになる。

が、今回上記記事コメントを見る限り、TOBに関する誤解(と私の考えていること)は、10年以上前から全く変わっていないと言わざるを得ない。

端的に言うと、大戸屋の(大株主ではない)一般株主立場で考えると、「株価が上がる要素も全くない」ことが真実であるなら、株主は「株式市場で売却する」か「TOBに応じる」以外の選択肢は考えにくいという事である

企業価値が向上するからTOBに賛成する」はあり得ない

言うまでもなく、TOBは「対価を出すので、株式を売ってください」と宣言する行為であり、「TOBに応じた株主株主ではなくなる」事が前提となる。

その前提で考えると、仮に大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の向上が見込まれる」とするならば、これはステークホルダーの多くにとって大変喜ばしいことである。では、一般株主TOBに応じるべきであろうか。当然ながら答えは「NO」。TOBに応じた株主は、当然「元株主」となり、その後のTOB価格を大幅に上回って上昇を続ける大戸屋株価を、指をくわえながら見しかいかである

多くの株主がそう考えるのであれば、TOBは成立しないことが予想される。だからと言って、TOBに応じれば企業価値の向上を享受することはできない。ましてや一般株主立場では、自身TOBに応じるか否かでTOBの成否が左右されるようなものではない。自身TOBに応じず、他の株主の応募に期待をする、あるいはTOB価格が引き上げられるのを期待するのが自然対応となる。

では逆に、大戸屋コロワイドの子会社となり、「とてつもない企業価値の低下が見込まれる」とするならば、これは大戸屋経営陣、コロワイド大戸屋及びコロワイド株主等にとって極めて望ましくないことである

説明必要はないと思うが、株主にとってそのような状況は避けたいところである。が、TOBに応じて「元株主」となるのであれば、話は全く変わってくる。

企業価値を大幅に落とすであろう大戸屋の姿を残念だと思いながらも、懐が痛むわけではなく、というかむしろ懐は温まったという事で、ちょっとおいしいものでも食べようかという気分にでもなってしまうのではないだろうか。

株主ががっしりスクラムを組んでTOBを阻止できれば良い、が、失敗した場合悲惨である。ましてや一般株主立場では、自分一人の行動がTOBの成否にさしたる影響も与えないというのであれば、とりあえずTOBに応じておいて、脱出の道を確保しておくことを、道義的立場から非難できるものではないと私は考える。

TOBの成否の本質は、「買収された会社の将来が悲惨であればあるほど、TOBには応じざるを得ない」に集約されるといっても過言ではない。

まり経営権を巡って「プロキシー・ファイト」をするのであれば、双方で経営ビジョンと将来性を大いに語り合って戦いを交わせばよいのであるが、一度TOBとなれば、「TOBの対価」と「買収後の将来性」を天秤に掛ける以外に、一般株主にとって判断材料となるものなどなく、「TOBの対価」を所与とすると、「買収後の将来性」が低いほど、TOBは成立しやすく、将来のビジョンなど語っている場合ではないのである

企業法務に詳しい弁護士」の方は、別に株主へのアドバイスを求められているわけではないので上記のようなコメントでも良いのかもしれないが、私は大変的外れものだと思うし、株主の方にアドバイスするのなら、「そんなやヴぁそうな人がトップ会社に狙われているのなら、悪くない価格TOBを出してくれている間に逃げたほうがいいんじゃないの」と言うべきである

からこそ、「企業価値の向上」がM&Aお題目であり、産業政策的にも実際に求められる成果であるのに対して、TOBに関してはその本質企業価値破壊する要素を併せ持つため、産業政策としてTOB企業価値の向上に資するための適切なルールを構築することが求めらる。

(ご参考)

マイケル・ミルケン - Wikipedia

ジャンクボンドの帝王1980年代アメリカを吹き荒れたLBOの嵐の立役者の一人。

TOB破壊的な側面を最も忠実に具現化し、大金持ちになった人。一度大金持ちになれば、一時収監されようと屁でもない。そんなアメリカンドリームの体現者。

一旦おしまい

随分長くなってしまったので、一旦この辺で。タイトルを「コロワイド株主が考える大戸屋TOB顛末」としていたものの、顛末までたどり着けなかったので修正

他に書きたかたこととしては

TOBが成立してもTOBに応じた株主全ての株式が買い取ってもらえるわけではないというルールはすごくまずいという話

大戸屋経営陣がホワイトナイトを連れてくるのは難しそうだという話

・仮に大戸屋ホワイトナイトを連れてくることに成功した場合コロワイドは急転直下ホワイトナイトに株を押し付け可能性があるという話

・今後、大戸屋株価TOB価格を下回って推移し、TOBが成立する可能性が高い(と私が考えている)という話

大戸屋経営陣や、従業員有志が「TOB反対」を株主アピールするのであれば、MBO、EBO、MEBOを目指すのが筋であるという話

大戸屋経営陣の最後抵抗としては、「株主優待の異常な拡充」という禁じ手が、実現可能性は別として存在するという話

・「株主優待の異常な拡充」作戦は、コロワイドが先達であるという話(但し、守りではなく攻めに活用したという話)

・FC比率を考えると、TOBが成立してもコロワイド株主優待で大戸屋食事をすることはできないだろうという話

など。ここまで書いて何となく満足してしまったので、結局書かないことになりそう。

2020-06-20

anond:20200620124434

気持ちはわかるよ。所与条件が違うからな。増田にとってはギャンブル、偶然性により結果がもたらせるゲームなんだけど、別の人間関係が得意な人にとってはRPGシミュレーションゲームのように、ある結果を引き出すために特定行動を取る、攻略方法理解できるゲームになる。

anond:20200619104939

日本になぜGAFAが生まれなかったかとか、

あのときホリエを、あのとき金子勇氏を逮捕しなかったらとか、

なぜ家電会社が没落したのかとか、

過ぎたことなんてどうでもいいねん。過去なんて変えれないし。そのへんのレイヤー勝負付いたんだから無視だよ。所与条件なんだよ。

でもなんで今の今このときTikTokも生み出せないのかSpotifyに並び立つものが無いのかXRでも負けそうなのかは真剣反省しないとヤバイ

このままだと時代局面ごとに下のレイヤーに段階が進んでいっても新規レイヤーが産まれ局面でもこれから先もずっとずっとずーーーっと負け戦の撤退戦領土が小さくなって実りが減ってビンボーになって飢えていく方向にしかならないが、それでいいのだろうか

これは経営者がわるいとか、誰がわるいとかカネがないとか環境が―教育が―とかデータ量がとかずっと何かしらの理由を見つけて人のせいにして何もしない日本国民全体の問題だと思われる。

anond:20200619104939

日本になぜGAFAが生まれなかったかとか、

あのときホリエを、あのとき金子勇氏を逮捕しなかったらとか、

なぜ家電会社が没落したのかとか、

過ぎたことなんてどうでもいいねん。過去なんて変えれないし。そのへんのレイヤー勝負付いたんだから無視だよ。所与条件なんだよ。

でもなんで今の今このときTikTokも生み出せないのかSpotifyに並び立つものが無いのかXRでも負けそうなのかは真剣反省しないとヤバイ

このままだと時代局面ごとに下のレイヤーに段階が進んでいっても新規レイヤーが産まれ局面でもこれから先もずっとずっとずーーーっと負け戦の撤退戦領土が小さくなって実りが減ってビンボーになって飢えていく方向にしかならないが、それでいいのだろうか

これは経営者がわるいとか、誰がわるいとかカネがないとか環境が―教育が―とかデータ量がとかずっと何かしらの理由を見つけて人のせいにして何もしない日本国民全体の問題だと思われる。

2020-02-15

ポリコレフェミが暴れるほど野党は勝てなくなる

リベラル野党ポリコレフェミに加担する→ポリコレフェミが大暴れをする→オタク層が離れる→ポリコレフェミが大暴れする→一般層や浮動層、主力であった女性票野党離れを起こす→ポリコレフェミが大暴れをする→穏健派支持層が離れる→ポリコレフェミが大暴れをする→まだまともな思考であったフェミ層が離れる→そして野党支持層の先鋭化がより進む

ポリコレフェミが暴れる毎に票が減るまさに悪循環の構図。

それに伴い支持層ポリコレフェミ被れに純化していく悪夢しか言えない状況を招いているのが今。

それと今の野党やその支持者に対して切れて嫌悪しているのって実の所与党支持者よりも嫌がらせを食らった元野党支持者や浮動票の方が多いんだよね。

普通に裏切り嫌がらせ受けている分単なる与党支持者よりも恨みが深いからね。

何もオタクだけじゃないよ、リベラル嫌悪しているのは。

寧ろ与党支持者からすれば、勝手に自滅している分万々歳と言った感じでしょ。

投票率が落ちて与党の得票率も良いわけではないのに勝てないのはそういう事。

フェミポリコレを称したリベラル支持者とやらが暴れ続ける限り野党に勝ち目はないのは事実

れいわなら勝てるとかあいつら夢見過ぎだよ。

そもそも消費税選挙でも勝てないのは前回でとっくに証明したわけ。

それに一般人はおろか元支持層すら界隈そのもの自体毛嫌いしているのだから

そりゃ反差別平等と称して、実際は何でも気に入らないモノを規制しにかかり、逆差別を行っているのだから一般から嫌われるのも必然だよ。

2019-02-23

ちんこ幸運を願う

ちんこが好きだ。

あいや、お前の股にぶら下がっているそれじゃない。すまないが、汚いからさっさとしまってくれ。

東京ちんこ倶楽部というTwitterアカウントがある。

ちんことはそのアカウントを指す通称だ。

性的意図微塵もない。

僕はそのアカウントが好きで、随分前からフォローして、遠くから眺めてコンテンツとして消費させていただいている。

しかし、彼がコンテンツとして面白いのは、その裏に、人間としての苦しみ、それも、他の人間よりも苦しみ、悩み、不条理な苦さを感じ尽くした、そういう苦しみがあるからだ。

僕のような、ふらふらと生きている人間よりも、彼のコンテンツの方が面白いのは、彼のそういった経験的背景があるからに他ならない。

ただ、痛みは共有できないものだ。アーレントもそう言っているだろう。

彼の、表に現れた痛みは、イロニーとなって、まさにこのグローバル資本主義社会日本的経営の融合物としてのブラック企業におけるスローガン「圧倒的成長」というフレーズを通して、表象再現前化された。

しかし、それは彼の痛みではない。彼の痛みを表象再現前化することによってコンテンツ化され、一般化されたものであって、彼の痛みそのものではない。

「圧倒的成長」

彼の生み出すコンテンツ楽しいしかしそれは、それをコンテンツとして享受することが許される限りのことである

彼は、その痛みの中で、しかしなお苦しみ続けている。

僕はそれを、コンテンツとして楽しんでいる、いるがしかし、苦しい。

これはルソーの「憐憫」であろうか?

これはスミスの「共感」であろうか?

繰り返すが、「痛み」は個人的ものであり、共有できないものだ。

憐憫」も「共感」も、それを人々の社会、こう言って良ければ「類的存在」としての我々を、所与としてではなく、帰納的に成立せしめるところの作用ではあるけれども、

しかしながら、それが個人のものの、内的な連関にまで届くわけではない。

ならば、僕の苦しさは、むしろ他人の不幸をコンテンツとして楽しんでいるという現実にあり、(しか芸術というのは、ゴッホにせよ金子みすゞにせよ、やはり不幸を源泉にしている場合が多いのだが、)人の不幸を享楽する自分というものが受け入れられなくて苦しいのだろう、この偽善者め。

と、言ってしまえばそれまでかもしれないが、やはり僕は、単にそうはいえない。

僕は、案じている。

あるコンテンツとしてのイロニーという、一つの優れた作品を通じて知った、その先にいる人を、僕は案じている。

彼は、外から見て、明らかに容易ならざる状況にあると思われる。

そして、そういった状況に陥った多くの知り合いは、その、最後には、(最後にはというのは寿命でということではなくて、)究極の選択をすることが多かった。

それこそ、「ツバメのように」。

いや、しかしこうやって、僕がここに書くことすら、単に僕の享楽であり、それは彼には関係のないことだ。

「放っておいても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。」

いや、そうなんだけれども。

じゃあお前は何ができるんだ、金か、体か、法か、などと言われたとしても、僕は何もできない。

から、単に案じている。

案じていることを、ここに念の為あくま念の為、書き記しておく。

それだけのことだ。

僕にできることは、何もない。

いずれにしても、風は吹くのだから

2018-12-20

anond:20181220160614

たとえばさ、不動産を購入するとき不動産サイトで「近くに公園ある」とか「コンビニ2分」とか、病院だの駅から距離だの書いてあるわけだけど、その「書いてあるという現実」とは別に不動産価格には「近くに公園がある権利」やら「駅から5分である権利」ってのは、べつに含まれてないんだよな。公園はなくなるかもしれないし、駅だって別の場所移設されるかもしれない。それは別に不動産所有者の所与ではないわけよ。

であるからして、この話の未来方向の敷衍として、今現在付近児童相談所介護施設刑務所や核廃棄施設がなかったとして、その不動産所有権に、それらの施設未来永劫付近に作られない作らせないという権利付属してない。

希望は述べることができるかもしれないが、本質的には自身権利はない」ってあたりが線の引きどころなんじゃねえかな。好悪の問題として発言はできる(好悪なので、複数条件や施設ダブスタでもかまわない)けれど、それがあたか住民権利だなんて思い上がらないようにする――くらいの線引。

2018-10-22

竹村訳も含めて読んだことがなく、ジェンダー論などの知識もない素人が単に該当部分の前後英語として読んだ感じでは以下のように思った:

章のまとめ的な段落であることも踏まえると、この部分の those attributes は直前の true / false / real ... ではなくて前段落gender attributes と解する方が自然と思う。

gender attributes は acts とともに前段落で the various ways in which a body shows or produces its cultural signification と言い換えられている。これは たとえば「逞しさ」「優しさ」など、特定ジェンダーと結びつくとされる属性のことを指している、と素人には思われる(この議論文脈での常識的解釈については知らない)。バトラーはそれは expressive ではなく performative なのだという。表現的なものではなく行為遂行的なものだ、くらいに思われる。

まり、含意としては

ジェンダー自体は真とか偽とか(略)にはなり得ない。それどころか、「逞しさ」や「優しさ」のような行為遂行的な属性を確かに帯びているジェンダーは、まさにそれ故に、徹底して根本的に不確かなものともいえる」

と読める。

これを踏まえると、この段落の訳はほぼ竹村訳でよいが、those attribute を「そのような属性」と訳すと直前の「真実」などと解する誤解を呼ぶので、前段落を踏まえた理解を促す語を補った方が素人には親切な気もする。

加えて、incredible にポジティブ意味での「すばらしい」のような informal な意味も重ねて込められていると読むのはこの文脈では合わないし、そんな安っぽい言葉遊びをする理由がないように感じる。ここで斜体になっているのは単純に credible / incredible の対比と、確かな所与と思われているジェンダーが実は根本的に不確かなものといえるのだ、ということを強調したものと考えた方がいいと思う。その上で、それって incredible なことだよね、という読みを促すという意味では文彩の一種だと言えなくはないと思うが、解釈ファンシー過ぎる気もする。


【補足 2018.10.23

1.

竹村訳は誤訳範疇かという気がしてきた:

竹村As credible bearers of those attributes . . . を「そのような属性の確かな担い手とみなされているジェンダー」と訳しているが、As credible bearers を単純に読めば「信頼に足る担い手であるジェンダー」とか「確かな担い手であるジェンダー」であり、「とみなされている」というニュアンスを補う必要はない。ここはバトラージェンダーが「そのような属性の確かな担い手である」と考えており、それを前提に結論を述べるところとして読むのが素直だと思う。

竹村が「とみなされている」としたのは、おそらく竹村も those attributes が直前の true / false / . . . を指すもの誤読しており、「ジェンダーは真なるもの(略)にはなり得ない」と「真なるもの(略)という属性の確かな担い手である」という相反する命題接続する必要ができたためだと思う。そのため credible を「人びとがそう信じている」という雰囲気で読んで留保ニュアンスを加えたのではないか

those attributes を gender attributes ととれば「(「男らしさ」等の)属性の確かな担い手であるジェンダー」でそのまま意味が通じる。

ただし、竹村訳の前段落を読んでいないので、ひょっとしたら竹村訳のままでも正確な理解ができるのかもしれない。

2.

段落の expressive / performative:

performative を行為遂行的と訳すのはわりと一般的と思うが、適切な訳語は知らない。前段落でいわれていることは、一般的な語彙の延長で読めば、 gender attributes / acts は予め備わっている gender identity を基準として(たとえば)「男らしさ」と評価されるものではなく、反復して演じつづけることで事後的に特定ジェンダーが帯びる「男らしさ」なのだ、くらいの意味に思えた。

2018-10-18

anond:20181018164418

本人に責任のない親の罪で殴るのって近代法国家の行いでしたっけ?

現代俺らが近代法国家に生きているのは先祖がそれを獲得したからなわけね。つまり現代俺らが近代法国家に生きている」ってのは先祖遺産なわけよ。増田はその先祖遺産をあたか所与の権利のように振り回しているけれど、所与でも権利でもないのよ。遺産なだけ。そして遺産を受け取った以上、望むと望まざるとにかかわらずその歴史的経緯という連鎖継承せざるを得ないわけ。「近代法国家の行いでしたっけ?」なんて都合よく遺産を利用しておいて、負の側面を拒否しようというのは卑劣行為よ。

増田個人オタクでありもしかしたら弱者男性で、遺産から大きな利益を受け取ってないというのは事実かもしれないけれど、そんなの何の関係もないのよ。「現代人(遺産継承者)だ」というだけでもうすでに「関係者」なのよ。その歴史連鎖否定することも逃げることも誰にもできないっていうだけ。

オタクは「男性ゆえのメリット」も受けてないんだから殴られるのは間違ってる。

反撃するのみ。

そもそも増田という個人メリットを受けてるから叩かれてる」なんて妄想は誰から挿入されたの?

何度も言うように公平性原理から、男女お互いに殴り合えばいいし、それは歴史的経緯があるってだけの話だよ。そして殴り合うときに、戦術的に見て、相手のチームの弱いところを攻撃するのは合理的でしょ? それだけのことになにか正当性とか倫理性をもちこもうとする増田おかしいよ。

2018-10-15

anond:20181015202501

比較優位という言葉を調べれば、それが強迫観念じみた妄想であることがわかるだろ

日本場合経済が縮小してるから誰かの利益は誰かの不利益というマイナスサム状態になっているが、

経済成長状態では誰かの富を奪わなくても誰が豊かになることは可能

平成以降の日本人は、頭が悪くマクロ経済センスがないので、

このゼロサム、もしくはマイナスサム状態所与として思考してる人間があまりにも多い

2018-04-09

文系でも理系でもいいけど定義が人によって違ったり範囲が広そうな言葉を使うときはその文章に置ける定義を明確に示して欲しい。

どんなにむちゃくちゃな定義の仕方であろうとその定義所与であるとすれば結論同意できるのであれば論理的であると言えると思う。その定義おかしいというのはまた別の批判(例えば印象操作であるとか)である

理系論理的と感じるのはこの定義個人によるブレが少ないからだ。1は1だし2は2である。ここに争いがないから話がスムーズだ。

しか言葉は難しい。自分はいまだに右翼左翼保守リベラルがよくわからない。

自分にとって当たり前の定義も人によってはわからなかったり違ったりする。

時と場合によって定義を使い分けられると訳が分からなくなる。

から曖昧言葉を使うときはその場におけるものでいいか定義を示してほしいし、対話であれば定義を問うといいだろう。

定義が異なれば結論が異なるのは当然である定義を共有しているのに人によって結論が異なる場合はどこに違いがあるのかを探せばよい。そういう話は面白い

2018-02-17

はてブ女性専用車両に対する知見に頭がクラクラした

ふだん差別人権にうるさいはてブ民が、女性専用車両には賛成一辺倒で頭がクラクラした。

かに乗り込んでくる運動家はマトモじゃない。なんせ一刻一秒を争うサラリーマン様の通勤車両を12分も遅延させたんだ。よりによってなんで俺らがこんな目に……殺意を覚えるのも無理はない。

しかし、彼ら運動家否定できる倫理的根拠を、はたして我々は持っているのだろうか?

実のところ、今回の運動家に対して寄せられた批判を見るにつけ、賛成派は大した説得力を持っていないのではないかと改めて確信させられた。

以下は、ハフィントンポスト記事に対してスターを集めていた上位2つ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.huffingtonpost.jp/2018/02/15/woc-chiyoda_a_23363098/

1.これが女性専用車でなくプロレスラー専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ。

そりゃ、プロレスラー専用車なら今回の事件が起きる確率は低いだろう。なぜならば、有無を言わさず力で排除される可能性が目に見えているからだ。しかし、これは明らかな論点のすり替えである。具体的には、運動家の主張の是非ではなく、「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っているのでないか」という行為道徳性が疑問とされている。

そもそも、この運動代替の効かない公共機関における、特定属性を押しやる「専用車」それ自体問題になっているのであって、なにも「女性専用であることが問題となっているわけではない。今回のような示威行動が起きる確率は低くなるとはいえ、プロレスラー専用車でもやはり大きく問題になり、運動家は出てくるだろう。その場合、どのようにケチをつけるのだろう。今度は「殺人犯専用車だったら絶対やらないだろう。所詮その程度の連中だよ」とでも言うのだろうか?

また、仮に「力の強弱にアタリをつけ、威圧行動を取っている」としても、それは運動価値毀損するものではない。声を通せる場で声を通すことが重要からだ。

2.女性専用車必要性裏付けられる悲しい話。

この言説は本当に悪質で、「Aを利用している人間不安に駆られる状況こそ、Aが必要証拠である」と言っているに過ぎない。つまり、利用している人間不安に駆られていなければ(満足していれば)、Aの必要性証明されているし、不安に駆られていれば(満足していなければ)、なおさらAの必要性証明されている、というわけ。一切の批判を許さないので、イデオロギーに近い。これは「共産主義に異議が唱えられ、圧力を受けている。同志の生活が脅かされている。これこそまさに共産主義必要であることの証拠なのだ」という議論を考えてみれば分かる。どう思いますか?

賢いリベラルの集うはてブですら、こんなブコメスターを集めてるのだから、まったくもって酷い有様だ。

ただ、浅薄ロジックはさておき、問題意識理解できる。以上の2つはともに、女性専用車両とは「弱い者のための暴力からの隠れ家」であるとの認識に立っているからだ。ここでは、関係性は暴力の関係として解釈されている。ゆえに「より強い暴力を誇示できるプロレスラー」に、“ただの暴力”は萎縮するだろうし、「異邦者の闖入」という暴力が起きることこそが、暴力からの隠れ家の必要性裏付けている、というわけだ。

この「弱い者にとって『暴力からの隠れ家』が必要なのではないか」という問題意識自体は真っ当だと思う。3つ目にスターを集めていた「痴漢被害によるPTSD抱えてる人でも乗れる交通機関必要」というのは、優先席と同じで傾聴されていい。しかし、これを認めると、1つの帰結にたどり着く。

なぜ、女性けが「暴力からの隠れ家」の恩恵あやかるのだろうか?暴力に怯える人間なら、誰であろうと招かれてしかるべきだ。

まり女性は「暴力に支配された弱い者」なのか?そして、一般成人男性排除することは、一般成人男性それ自体潜在的な暴力の行使であることを前提としているのではないか

なお、女性専用車両に対し、「女性が『暴力に支配された弱い者』であることを認めるのか」というフェミニズム的な指摘は、欧米でも盛んに巻き起こっている。

例えば、英メディア紙The GuardianTelegraphでは、女性記者が率直に「女性専用車両は負けを認めることだ」と述べている。彼女によれば、「女性専用車両の導入は、性的暴行所与とする(normalise)ものであり、あたかも原因が私達にあるかのように、状況平等志向から女性を取り除く(remove from the equation)ことが解決策だ、と世界に向けて言っているようなものだ」とのこと。そこでは日本が、メキシコタイイランインドブラジルと同格の“人権後進国”として引き合いに出され、イギリスは導入することでそんな国、つまり欧米流行りのディストピアドラマ「The Handmaid's Tale」の世界のような、女性をモノのように扱う国と同じ方向には向かうべきではない、といったようなことが語られている。

  • Women-only train carriages: Keeping women 'safe' by separating them from men is Handmaid's Tale territory

http://www.telegraph.co.uk/women/life/women-only-train-carriages-keeping-women-safe-separating-men

女性トイレレディースデイはどうなのか」という賛成派の反論についても、女性専用車両正当化には繋がらないことを提示したいがキリがないのでヤメておく。とりあえず、リソースの適切な配分(特定属性けが特定の扱いを受け、それ以外の属性が不平等負担を強いられるべきではない)、代替選択肢存在(「イヤならそこを使わなければいい」が可能か)、その施策が成り立つ前提の倫理的妥当性(女性専用車両なら「女性潜在的な暴力被害者であり、男性潜在的な暴力行使である」という前提)において、質が異なる問題ですよ、とだけ。ちなみに、スウェーデンでは、属性によって分けるトイレから「個室トイレ」に向かっていっているらしい。

はてブの皆さん、差別人権にうるさい皆さん、本当にこれでいいんですか?皆さんの大好きな世界標準から馬鹿にされてますけどいいんですか?「日本人男性世界標準以下の性欲アニマルから仕方ない」で開き直っていいんですか?

余談だがロケットニュースでは、ニュースタイトルが「【キモイ】今朝の東京メトロ千代田線の遅延理由が「頭おかしすぎる」と話題 / 男性複数人があえて女性車両に乗り込み……」となっている。この記事にも「然り!」のブコメが沢山ついていた。

https://rocketnews24.com/2018/02/16/1021546/

キモイ」「イケテナイ」「ダサイ」「カッコワルイ」。こんな調子で、本当にいいんですか?ネット最後良心だと思っていたはてブがこんな調子では、私は一体どこへ行けばいいんだ。


追記:

はてブにも良心があって安心しました。捨てたもんじゃないですね。ひとまず、Twitterブコメで寄せられた、いくつかの重要質問に答えます。

  

手段が低コストであることが、その手段正統性付与するわけではありません。あくまでもその手段で影響を受ける人間利害関係によって調整されるべきです。これは極端な例ですが、麻薬犯罪を無くすために犯罪者中毒者はその場で殺害、あるいは火事を鎮火させるために周囲の家を片っ端から打ち壊し。ともに「ラク解決手段」ですが、 適切ではないのは明らかですね。

マシなものがないのではなく、マシなもの鉄道会社選択されないから、そう思うだけです。これは上の「低コストで予防できるんだからいいじゃん」とも関係しています。ただ、監視カメラ警備員の配置、満員電車の解消、あるいはより良いシステムの構築に向けた過度的なものなら悪くはないですね。

これは確かに一理あるのですが、この話をしだすと論点がズレるか、あるいは論点先取になっています(女性専用車両痴漢対策だ。痴漢こそが対策されるべき問題である。よって女性専用車両必要である)。かつて、盗聴法の成立時に「法の是非を問うより、盗聴されるような行為をするヤツをまずは問題しろよ」という議論があったのにも似ています。もちろん、諸悪の根源痴漢です。しかし、ここでは対策方法がもたらす帰結(あるいは、そもそもその対策方法妥当か)が問題になっているのです。

また、「痴漢を撲滅することの難しさが女性専用車両を生んだ」というのは「犯罪者を撲滅することの難しさが、(犯罪者の多くはAという属性を持つので)Aという属性お断りの○○を生んだ」と言っているのと同じですが、これに何も疑問を覚えないのでしょうか?それでも特定属性を「潜在的犯罪者」として括りたいのであれば、もう私からは何も言えません。入れ墨外人温泉入浴問題と同じですね。どうぞ、ファシズムに突き進んでください。

その存在を「暴力からの隠れ家」として否定していないことには注意してください。

もちろん、特定の状況下における「合理的区別」は合法でしょうし、鉄道会社営業自由一定度は認められてしかるべきでしょう。すでに社会的認知されていることをもって、女性専用車両存在を「公知の事実」とする判例も出ています。しかし、ここで私が問題にしているのは、法律ではなく、倫理です(「まず痴漢倫理問題しろよ」という方は、上記の3を参照してください。「いや、それでも合法から正しいんだ」という方に対しては、これ以上私からは何も言えません)。

ちなみに、「障害者専用車両みたいなもの」という意見は、はてブ民が大好きな欧米リベラルフェミニズムから相当な反発を食らいそうですね。深くは立ち入りませんが、この例えを安易に使うならせめて「骨折患者専用の障害者専用車両」に限定した方がいいかと思います。

アファーマティブアクションがいい例ですね。非対称性権力勾配の是正措置自体は、それが段階的な解消を狙いとした施策であればアリでしょう。

ただし、代替手段のない公共サービス鉄道、それも日本通勤電車で、はたして導入されるべきなのか。また、そもそも車内における男性女性関係において、暴力的非対称性一般的存在しているのかにも注目する必要があります。この存在を認めると「女性庇護されるべき対象」となりますが、ここから先はカトリーヌ・ドヌーヴ議論にも通じるものがあるかも知れませんね。

それから、私が「逆差別だ」とは一言も言っていないことには注意してください。あくまでも、ここで私が問題にしたいのは、賛成派とされるはてブ民のくだらなさ、何よりも“潜在的な何か”を理由にした排除の論理は、新たな権力構造を生むだけではないか、ということです(女子トイレなどとの比較は、別のホテントリにお任せします)。

しっかりと読んでいただければ分かるかと思いますが、私は「暴力からの隠れ家」として特別枠が設けられることには、否定的ではありませんし、優先席も公正な資源配分観点から注目すべきだとは思っています(廃止すべきだ、という議論を完全に否定ではできませんが)。

これはシンプルな代案ですが、「ケア車両」はどうでしょう。暴力に怯える人は誰でも入ればいいじゃないですか。その代わりその車両には、監視員監視カメラガンガンに配置する(もちろん通常車両なおざりにして良いワケではありません)。監視の目が行き届くよう、乗車の人数制限も設ける。

これである程度は、無関係人間による車両乗車への抑止力が働くでしょう。それでも「傍若無人なオッサン」が闖入してくる可能性はありますが、実のところ彼を排除する合理的理由はどこにもないでしょう。

女性専用車両よりもコストがかかる」というツッコミがあるかもしれませんし、「じゃあ早速オマエが鉄道会社に直訴してこいよ(笑)」という揶揄もあるかもしれません。しかし、コストがかる&直訴されて突っ返される可能性が高いからといって、この歪な構造、そして痴漢犯罪が「女性専用車両(あるいはケア車両)」を免罪符にして放置されていいことにはならないのです。

いろんな意見があるかと思いますが、これについては私のスタンス勘違いされるのも野暮なので、ハッキリ言っておきます。対抗して男性専用車両を作るのは、個人的にはトラブルを増やすだけだと思っています(総量を男女比に応じて適切配分するのはアリかもしれませんが、はたしてそんな前近代的ディストピアの到来を望みますか?それで賛成派の皆さんがいうところの「非対称性」は解消されますか?)。そもそもトイレ風呂と違って、ジェンダープライバシーが密接に関わり合うようなものでもありません。

しか男性専用車両を望む男性の皆さん、男性専用車両があるなかで一般車両に乗ってしまい、冤罪に遭った時のことを想像してみてください。もう、どうなるか分かりますよね。ちなみに、同じことが女性にもすでに起きています。こういうの、警察(「なんで一般車両に乗ったの?」)と鉄道会社(「専用車両を用意したじゃないですか」)が笑うだけなんですよ。男や女に対する排除の論理ではなく、上で挙げた「ケア車両」のような“包摂”の論理対策を考えませんか、と私は思うんです。そもそも鉄道会社が誰かをケアする義務を負うのか、という根本的な問題はありますが。

これは、以前Twitter流行った「『告発を無力化する話法』として無力化する話法」ですね。特定集団が抱えている痛み・苦しみが、特定属性排除を許すわけではありません。もちろん、何度も述べているように被害者の痛みに寄り添うことは大切だと思います。ただ、そうであるならば「痛み・苦しみを抱える人」は、男女関係なく包摂されるべきではないですか?もしかして、その有無・大小を性差しかも外見上の特徴)で見分けるのですか?

2017-09-17

anond:20170917175559

ボキャブラリーの多さは言葉知識の多さの尺度しかならないよ。

例えば極めて多くのことを感覚でのみ理解記憶している人がいたとして、その人の言語的な知識が少なかったとしたら100種類の綺麗を1つの表し方しかできないが、一方でこのひとは100通りちゃんと区別して認識できている。

そして、知性ということばは

物事を知り、考え、判断する能力人間の、知的作用を営む能力。「知性にあふれる話」「知性豊かな人物

比較抽象概念化・判断推理などの機能によって、感覚所与認識にまでつくりあげる精神能力

のように定義されているので、”物事を知り、考え、判断”した内容を表現できなかったとしても、それは知性が(少)ないことにはならない。

2016-10-04

子供育てるのにこんだけ金かかりますよという記事とそのコメント対して感じた違和感

なんかおもったよりもいっぱい読んでもらえてありがとうございます

こんなに星貰ったの初めてなのでお前ら愛してる。というのを話の枕にしつつ、コメント読んでもなんだか方向性錯綜しまくっているので(それはもちろんむしゃくしゃしてわかりにくい文章を書いたこちらに責任がある)、話を整理する意味で、もう一度同じことを書き直すよ。

1)子育てにかかるお金見積もり、『だから子供を産めないのだ、という言論違和感をおぼえる。

2)見積もった金額は『常識』を強調している。『常識的に』これくらい金額がかかる。『世間並みは』としてこういう教育ライフスタイル必要だ、という発想。そしてそれは不可避であると主張する。

2b)また日本現在を憂うという態度で「この国ではいまそうなんだから理解しろ」「それぞれの家庭において合理的判断をすれば子供は無理だとわかる」などという形で2の追認、補強が行われる。

3)しかし、世間にはその金額を下回る教育投資環境に家庭は存在する。2の主張は、そういった環境の家への無意識な抑圧として機能していないだろうか? また結果として2の主張する金額を満たせない全ての家庭に対する攻撃として機能していないだろうか?

4)2の主張をする人は、自らの判断を守るために(というか判断が正しかったという自意識を守るため)、その判断に従わない人たち(すなわち、2の判断よりも低所得であるにも関わらず子供を生むという判断をしたひとたち)を「子供に対する虐待である」と叩くような主張を行うことがある。

4b)テレビにおける「子沢山家族」系のコンテンツに対する嘲笑混じりのスタイル精神的には4の系譜だと思える。

5)2の主張における『常識』『世間並みは』という感覚は、いまの日本の文化を前提にしている(たとえば、大学まで行かせるのは常識だろ、など)。しかし、その『いまの日本の文化』そのものは、全く所与ではない。意識的にせよ無意識的にせよ、日本人がそういう判断をしていまのような文化を作っただけであって、他の文化であってはいけない理由特にない。たとえば大学を高度化しつつ卒業を難しくする、大学を諦めて就労訓練を志せるような機関を設ける、といった文化制度づくりは可能だし、そういう国もある。いずれにせよ、いまこの瞬間の日本の文化価値観というのは、精々が前後10年程度のもので永続していたわけではないという点について留意するべきだ。

6)5における日本の文化というのはなにも上から与えられたものではなく、常識ですらなく風潮で、その風潮を作った責任は、議論に参加している人々すべて(=この場合世間に参加、つまり国民すべて)にある。

7)6を前置すれば、いまの日本の文化を無批判に全肯定した上で『常識』『世間並みは』と言い放つことによって3のようなプレッシャーを外部に振りまくのは、非情無責任かつ無思慮な態度ではないか? そういう文化を作った上で、文化からそれる人間を叩くのは魔女狩り的態度なのでは?

8)もちろん個人あるいは各家庭が自分事情(例えば経済的なこと)を考慮して子供を作る作らないというのは全く自由である。その自由は最大限保護されるべきだ。

9)しかし、その自由、つまり「各々の判断子供を作るか作らないか自由に決める」ということと、「今の日本の状況で子供を作らないのは合理的なのだ、俺達は間違っていないと周囲に喧伝して回る事によって、その方向に文化を醸成する」というのは、全く違うことだ【この部分が記事の中心論旨】。

9b)自分判断(この場合経済的事情子供を産まないなんて当たり前だ、という態度)を自己弁護するために、このような主張(2b)を無意識にするのだと思うが、結局下流叩きエンタテイメント(4b)と合流している状況に見て取れる。

9c)こうして説明しても「だからといって俺たち個人にはなにも出来ない。だから子供を産まない。それは間違ってない!」というコメントがあふれると思うけれど、「そういう判断をする」というのと「その判断コメント(周知)すること」は違う、というのがこの記事の内容だ。つまり、件のブログ記事というのは、「こんだけお金がかかるので私は産まない!(という自己弁護)」あるいは「こんだけお金がかかるのに私は産む!(という自虐風自慢)」のどちらかなのではないのか? というか、そうとしかあれないのではないか

10)もちろん少子化の背景として、先進国の宿痾的な問題や、経済的問題事実としてあるだろうけれど、それ以上にみんなが「子供を作って育てるハードルをどんどん上げる監視社会」をつくってるのじゃないのか? 「完璧母親でないと失格である」というような幻想に苛まれノイローゼになる女性と一緒で、自分たち自分たち自身社会を追い詰めてるんじゃないのか?

10b)その縮図としてはてブリスト地獄になってないか

11)――という状況を圧縮して「違和感がある」と前回の記事を書きました。対比すれば今回のは整理されてるけれどおおよそ同じ論旨なのがわかると思います昼ごはん牛丼でした。

まりなにがいいたいかって言うと、もうなんだか自分でも混乱してきたけど、みんな地獄に住むの大好きだな、と。

2016-08-06

アウティングしたZ君は悪くない

100%悪くないとは言わないが、この件に関してZ君はA君を酷い振り方をした、以上のものではないと僕は考える。

ただ、こっぴどく振られたあとフォローする人がいなかったことが問題ではないだろうか。

記事はA君はZ君と顔を合わせられなくなったという書き方をしており、

アウティングによって他の人にゲイであることがバレたことよりも、

Z君が友人のいるLINEグループアウティングしたことにショックを受けている。

かと言ってZ君を責める気に僕はなれない。

好きでない相手から好意を抱かれることを不快に感じることは少なからずあり、

友人にその恋愛話をネタとして話すことで自己防衛するというのはよく聞く話である

そのような話を他の人に黙っているかどうかは本人の判断に委ねられるものだ。

気持ちを伝えるのは自由だが、その後のことも考えなければいけない。

A君はZ君という人物のことを見誤っていた。

LINEグループ軽率アウティングしてしまうような人物であることを友達付き合いの中で見極めなければならなかった。

から、ここまでのことは所与であり、

A君がZ君という黙ってられないマンのことを好きになってしまった以上、仕方のないことであるように感じる。

問題はその後である

ヘテロセクシャル恋愛においては、こっぴどく振られた多くの場合において、同性の友人が慰めてくれる。

しかし、本件の場合本来慰めてくれる立場にある友人がZ君同様、一歩引いてしまったように見受けられる。

友人には柔軟な対応をお願いしたいところではあるが、慣れていない以上仕方ないこととも言える。

そんなとき本来頼りになるべき存在である大学ハラスメント対応室が、あまりに酷い対応をしている。

個人的に本件で責められるべきはここに尽きると考えている。

マイノリティに適切な対応がとれなくて何がハラスメント対応室か。

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大学対応をみていると、まるでAくんが『同性愛であることを気に病んで』自殺たかのようです。

しかし、Aくんは、自分同性愛者だということは受け入れていました。

同性愛秘密にしていたのは、同性愛者への差別偏見がある社会を冷静に見つめていたからです」

「Aくんは、『男が男を好きになるのがおかしいんだからしかたない』といわんばかりの対応に、苦しめられていたのです」

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今回の問題で、はてブにおいてZ君の対応がきつく叩かれている。しかし、ネット総動員で彼を叩くのは本当に正しいのだろうか。

少なくとも僕は彼を責める気にはなれない。

2015-07-09

http://anond.hatelabo.jp/20150709042119

こういう現実無視した理念先行型のアドバイスは本当にクソ

今の社会所与とした場合高卒と同時に大学に行くのと

何年か働いて大学に入るのとで意味が違うことくらいお前だって普通に知ってるはず

理想社会はどうあるべきか?という議論でその答えを言うなら分かる

しか人生真剣に悩んでいるであろう一人の元増田に対する答えがそれならお前は想像力のないカス

2015-06-27

http://anond.hatelabo.jp/20150627112556

横だが。

たぶん「言論の自由」の法的位置づけを誤解している。

同じ「自由」という言葉で括られるので誤解されがちだが、「言論の自由」というのは「生命財産自由」みたいな「所与・無条件の権利」と法的位置づけが違う。

日本法体系で「言論の自由」が保証されているのは「公権力規制からの」言論の自由のみ。

乱暴に言えば「私人言論では脅迫名誉毀損といった犯罪行為でなければ、統制も弾圧も好きにやれ」というのが法的スタンス

確かに一般的実態的には(それこそ報道機関が「社会の公器」を自認wするように)影響力の大きな企業団体は公的性格をおびてる訳だが、

法的位置づけでは企業あくまで私。「言論の自由に手出しするな」と定められた公権力じゃ無い。

現行法体系の「言論の自由」が、法的位置づけ上の「公私」のみを前提として定められているがゆえに実態乖離していて上手く機能していないんじゃないか、

という問題意識なら真っ当だと思うが。

2015-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20150328120047

こういう手合いは説得は無理だろw

何か「人間として正しい価値普遍的価値所与で一つに決まっている」という信念の持ち主だw

価値というのは複数の(時に互いに矛盾する)物差しの間で妥協して決める落としどころでしかない」

という近代以降の社会観を理解していない純朴な人だw

子孫繁栄を最大の価値と看做すなら確かに「子無し婚姻は認めない」とする方が論理的矛盾は無いなw

同性婚も基本ダメだが、現代婚姻制度NGだ。

2015-02-26

http://anond.hatelabo.jp/20150226112420

結婚して子供作る段階になったけど別に欲しいとは思わない、とか?

そう。

子育てめんどくさすぎるしできれば欲しくないので、作るには採算度外視するくらいの強烈な興味が必要なんだよね。

「作って育ててるうちに~」というのは、そりゃ作ってしまったらもう元には戻せないから、状況を所与として考えるしかないってことなんじゃないかなーと思う。比較不可能からね。

よく聞く「家に帰ってパパ~とか言ってよってくると幸せ」みたいなのも興味全然湧かないんだよねえ。

10年くらい経って人間になってきたら興味湧くような気もするんだけど、そのために10年捨てるのか…と思ってしまうな。

2015-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20150211022348

なるほど、大体納得したぜ。

で、増田はなんで「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別したいの?差別問題を考えるときでも、「性差」を基準差別するのも「ジェンダーバイアス」を基準差別するのもどっちにしろ駄目なんだから、「性差」と「ジェンダーバイアス」を区別する実益は薄いよ。

社会集団への性別の影響(あなたの言う通り本来性差ジェンダーバイアス含めてだね)とか、性別による行動の傾向を取りあげて、それに対する適切な対策みたいなのを考える……

というのを、自分でもやるし他の人がやってるのも見る。

男性が嫌う女の子仕草は?」とか「女にはマカロン食わせとけ」式のクソみたいな話から

「このジャンル女性人気が高いが、その理由女性は○○したがるからではないか。××要素をつければ更に人気が出るだろう」みたいなのも。

でも大体どんなのにも「男性/女性が○○したがるというのはジェンダーバイアスにすぎない」っていうツッコミがきて、

それは大抵「ジェンダーバイアスはただの偏見から○○したがるなんて傾向はない。この分析無意味」だとか、それか

「○○したがるという傾向はジェンダーバイアスからその存在をなくすべき、そんなものに基づいて対策を考えるのはよくない」などと続く。

んで、ネットではそっから性差別云々に議論脱線していくし、俺もそっちに意識が向いちゃう

このパターンを見すぎたので、何とかここから抜けて、本筋の社会集団効率的な扱い方についての話を回す方法が欲しいなと思ったの。

まり、「ジェンダーバイアスからそんな影響は存在しない」「ジェンダーバイアスの影響を所与として考えるのはよくない」で話が止められるのを回避したいわけだが、

俺が考えた解決策が「じゃあバイアスじゃなくてちゃんと性差と言えるものに基づけばいいのだな」だったから、性差ジェンダーバイアス区別たかった。

そっから更に思考を回したら、「社会集団を論じる対象にする時は何に基づけば差別でなく、何に基づけば差別なのか」辺りでグルグルすることになって、

差別問題について考える時つっかかる」という、元々欲していた「集団の扱い方をスムーズに論じる方法が欲しい」からずれた書き方をしてしまった。

からあなたの「社会集団には元々の性差ジェンダーバイアスが混ざって影響を与えてる」というのはかなりハッとしました。

集団の行動を論じるにおいて、バイアスを除去した部分だけについて清く正しく語るのはほぼ不可能というわけだ。


踏まえて私の今の感想を書くと、

ジェンダーバイアスがよいものだとは思わないのだけど、それが集団の振舞いに影響を与えてるのであれば、

集団について即物的に論じるときバイアスの要素を入れるなというのは話が進まなくなる、という感じ。

犯罪はよくないのだけれども、それが存在すべきでない要素だからって、

犯罪存在を前提とした社会論を止めるのはよろしくないよね、というのに似てる。

もちろんこれは即物的な話に限るので、もうちょっと階層のあがった話をする場なら、

ジェンダーバイアスをなくすには、犯罪を減らすには、という議論をすべきだと思う。

あともしかしたら、ジェンダーバイアスについてのツッコミを入れる人たちは、

即物的な話=バイアス存在犯罪存在を前提とした話、がそこら中でされると、

人々がバイアス犯罪をあまり問題視しなくなりそうっていう危機感があるのかもしれないなあと思いました。

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