はてなキーワード: 大阪府知事とは
あまり女性ばかり政治家に向かないといっているとミソジニーとか怒られが生じるので、男性にもバカがいるってことは紹介しよう。ジェンダー平等。
ただ、いずれも自分がエリートで神様かなにかと勘違いしている日本共産党ばかりになってしまった。他もあると思うのでちょっと待ってな。
@tagawa_yutaka
ぜひ、お読みください!
https://twitter.com/tagawa_yutaka/status/1611571498480979970
⛄雪だるウーマン🐨🎀
@secret38360
今までの実績が吹き飛ぶ駄記事。
バス付近に無言で男性が立ってたからのが攻撃?今回の問題との関連の証明は?写真もない。本当にいたかどうかも分からない。完全に印象操作。
本件騒動の経緯も関連する住民監査請求で理由ありの判断が出たことも一度も報じてない。
もはや赤旗ではない。恥を知れ。
史上最大のバカ。
Watts
https://twitter.com/Watts_D8/status/1611706178383536128
@Watts_D8
たつみコータロー氏も脇が甘いというか、北原みのりの、よりによって税金の使い方に疑問を持つ多くの人々を「フェミサイド」呼ばわりしている暴言ツィートをRTするとか、頭悪すぎでは?
愚民・サタン・Artane.🦀調教されぬ反表現規制左派@Fランωツイッタラー/コロナは風邪じゃない
@Artanejp
18時間
返信先: @Watts_D8さん
Watts
@Watts_D8
18時間
返信先: @Artanejpさん
虹色アイコンをつけているのでまたしてもLGBTは詐欺に加担している集団。
まともなLGBTは虹色アイコン嫌いだから。森奈津子さんとかね。
いうなれば在特会と一緒。
馬の眼🐴
@ishtarist
2021年10月、衆院選が終わったあと、「日本共産党は嫌悪を政治に動員するな」という緊急noteを書きかけたんだよね。
仁藤夢乃の名前は出さなかったけど、池内さおりの選挙応援に行きながら、他党の人間や支持者のことをキモいと連呼してたから。
これは本当にマズイと思った。
馬の眼🐴
@ishtarist
5時間
返信先: @ishtaristさん
だってさ、キモいって属性でまとめて言われる側も人間だからね。言う方はそう思ってなくても。
嫌悪感を政治的に動員するのは悪い意味でのポピュリズムだよ。言う方は一体感を味わってれば気持ちいいかもしれないけど、自分たちが蒔いた嫌悪は憎悪となって必ず返ってくるんだよ。
馬の眼🐴
@ishtarist
5時間
日本共産党の立場でそれをやったら、いったい何が起きるのか、それすらわからなかったのかな?
のりこえねっとで「キモいおじさん」とかやってる時点で選挙応援からは遠慮いただかないといけないし、選挙応援に絡んでそう公言したら1発で出禁にしなきゃいけなかった。
そうしないと党が滅ぶから。
馬の眼🐴
@ishtarist
5時間
まあ、でも何度も考えたけどnoteに書かなかったのは、「やっぱ言っても無駄だな、僕は党員じゃないし」という諦念のほうが上回ったから。
Twitterには書いたけどさ。
馬の眼🐴
@ishtarist
5時間
でも、流石に「フェミサイド」を府知事候補自身が拡散するのはありえないよ。
「〇〇人が井戸に毒を入れた!」ってデマを拡散しているのと同じ行動をしたという自覚がないところが、救いがなさすぎる。
もっとマシな人だと思ってた。本当に悲しい。
ttps://anond.hatelabo.jp/20221214221620
大阪府知事のうがい薬騒動から2年も経過しており大きく旬を逃したが、それでも「うがい」を巡ってトラバやブクマ欄で議論が交わされるだろうと思った。
しかしながら、トラバは0件でブクマは数日後になぜか非公開で1件ついただけだった。
せっかく議論の余地のある良いテーマだと思うのでここに再掲して、ブクマカ諸君から「うがい」について意見を募りたい。
ttps://anond.hatelabo.jp/20221217151704
最近はデリヘル増田もいないし風俗ネタも少ないので、自分から風俗ネタを発信しようと思って書いたが反応は芳しくなかった。
ブクマカはデリヘル増田やクンニ増田など下ネタをギャグとして消費したり、水商売女のお気持ち長文を感動ポルノにしたりするのが好きなはずなのに、リアリティのある風俗嬢の相談に関心はないのだろうか。
最近の増田では駅のポスターとか表自界隈とか、性的行為ではなくその表現(もっとも性描写とはあまりにもかけ離れてると思うが)で盛り上がっているが、私にとってはあまり関心がない。
ヘルスで本番行為とどのように向き合っていくのかは永遠のテーマなので、議論の余地のある良いテーマだと思う。
ttps://anond.hatelabo.jp/20221221222649
五円玉はすっかり見なくなったし、財布の中にも入ってない。
支払いのほとんどがキャッシュレス決済であり、現金を使う場合でも最小単位が10円の自動販売機くらいしかないからだ。
先日、数か月ぶりにお釣りとして五円玉を受け取りその五円玉がきれいで金色に光り輝いていたのを見て、自分が五円玉のデザインが好きだったことを思い出してコラムを書いた。
上述の2つのコラムと違って誰も傷つくことのないコラムだと自負しているし、五円玉という着眼点も良いと思う。
『酒粕で作った偽物の甘酒を飲まされた思い出』の本文は、上記3つの増田のそれぞれに転載する予定なので興味のある人はリンクをたどって読んでほしい。
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。
下記のエントリー(anond:20220701074807)で色々と書いてある点について。目下話題になっている「表現の自由」について。自分用の整理として。
目下話題の「表現の自由」は、いかなる意味で表現の自由なのだろうか。それは憲法21条1項に見られるような法的なそれだろうか。それとも、憲法21条1項のようなものとは異なった何かなのだろうか。たとえば、JAなんすんが制作した『ラブライブ! サンシャイン!!』のキャラクターを利用したポスターについて、絵の内容がが性的である※1という批判があった(なお、これや宇崎ちゃん欠缺ポスター事件の余波で、赤木氏らツイッター凍結騒動があったりした。覚えているだろうか?)。
ここで、抗議をJAなんすんが考慮して、ポスターを撤回したとする。すると、「誰の」自由が「誰によって」侵害されているのだろうか。侵害者をざっくりと抗議する者として捉え(本来、ツイッターで批判的な言葉を言っている者、電話をかけて意見を伝える者、付和雷同していたずら電話をする者、大量の手紙を送りつける等のいやがらせをする者等を十把一絡げに全部抗議者として捉えるのは適切ではあるまいが)、被侵害者をさしあたってJAなんすんとして、JAなんすんが抗議者に対して抗議をやめる(たとえば、ツイッターで「ポスターを撤回すべし」等の意見をつぶやくのをやめさせる)ように請求する法的資格を有する、というのが表現の自由主張の趣旨か。
はっきりいえば、そのような主張は法的には認められない。私人間効力の論点を見直すべきであるとしか言い様がない。ここで、抗議をやめるように要求する資格があると裁判所が肯定すれば、抗議者の表現に裁判所(=国家機関!)が介入することになり、それこそが表現の自由の侵害である。この構図において、憲法21条1項が保障する表現の自由の恩恵に浴するのは抗議者の側となるだろう。目下話題の「表現の自由」は、憲法21条1項とは異なる問題であると解するのが相当である・・・のだろう。
元々のエントリーでは次のような言明がある。
言いたかったのは、フェミニストはあくまで「女性の実質的な表現・言論の自由を高めるための環境づくり」を目指しているのであって、「表現規制派」というレッテル貼りは間違いだということ。フェミニストやリベラル派が目指すのは、あらゆる階級や属性の人が等しく表現の自由を行使できる社会だ。
これに対するブコメはこう言っている。
preciar おまえ等がぶっ叩いてきた作品のほとんどが女性の手になる物である時点で、ただの妄想というか開き直りでしかない/そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ?恥に加えて知恵も無い
後段の「そもそも平等のために表現を規制しろと言う主張が「規制派」でなくてなんだ」という部分に注目したい。再びポスターを題材とする。「規制」という言葉を使うのは公権力ではないから不適切のように思うけれども、例のポスターに対する抗議は、ポスターを掲示することを抑制しようとする意図を有し、ある一つの表現を抑圧する行動である、という部分を問題として切り出すことにしよう。ここで想起するべきなのは、表現すべてがまったく自由(というより、放縦のまま)とされることなどあり得ないということである。たとえば名誉毀損的な言動は認められない。名誉毀損的言動をしている者を叱りつければ、それは一つの表現の抑圧には違いない。しかし、名誉毀損をされないというのも重要な利益であり、自己表現の利益と考量される対象となる(そうならないという人はいないだろう)。プライバシーも同様である。ノンフィクション『逆転』事件を想起すれば良い。前科を実名で暴露されない利益を重視する見地から、『逆転』における表現が抑制されている(この事件では、慰謝料の請求を裁判所が認めているから、公権力による「規制」ですらある!)。プライバシーの保護のために表現を抑制するべきであるという主張は「規制派」であろうか。
名誉毀損やプライバシーは具体的な個人の利益が問題となっているが、女性蔑視の問題はそうではないと思うかもしれない。しかし、番組準則のように、社会に薄く広く広がる利益保護(たとえば、放送番組の政治的公平性)を保護するために、表現を抑制する(番組編集準則であれば、放送局の自由)ということは、そうおかしな話ではない(なお、憲法学では、番組準則は、それへの違反が総務大臣による放送免許の取消原因になり得る等の効果をもつ限りで違憲であるとしている。)。たとえば、大阪府知事・大阪市長・橋下徹のトーク番組に対して、政治的に公平ではないという批判は、無論番組作りを抑制する可能性がある。実際、激しい批判を浴びて、大阪毎日放送は社内調査を行って検証したのである。これも「平等のために表現を規制しろと言う主張」だから「規制派」となるのだろうか?それはそれで一貫した立場ではある。それこそ「知恵も無い」と思うが。
なお、念のためにいえば、プライバシーも名誉権も日本国憲法は明文で保障していない。そのような利益であっても、憲法21条が保障する表現の自由にとっての対抗利益となることができる。憲法の明文で保障されていない権利は表現の自由の対抗利益になり得ないという考え方は、畢竟独自の見解に過ぎない。
選挙において「表現の自由」を掲げる政治家がいる。彼らの問題意識は極めて偏頗ではないか。日本の表現の自由をめぐる問題状況は深刻なものがある。ところが、こと選挙で「表現の自由」を旗印にする者の言動を見ていると、選挙運動の規制、公務員の政治的意見表明やストの広範な禁止、放送資源の分配問題、政府情報の保全・公開等々、様々な形で存在しているはずの問題状況が捨象されて、取り上げられているのは「マンガ・アニメ」の自由ということになっている。また、「アニメ・マンガ」だけを対象にしても、取り組む分野が偏っているのではないか。たとえば、これ(https://twitter.com/KenAkamatsu/status/1542366137979400193)には『国が燃える』事件が入っていないが、右翼の抗議は免罪されているのか。あるいは、最近の『「神様」のいる家で育ちました』も入っていないが、宗教団体からの抗議は免罪されているのか。上記は、批判としてはマージナルかもしれない(忘れていただけかもしれない)が、刑法175条の廃止等(ポルノの合法化;「有害図書」販売規制の廃止ないし合理化)を公約に入れていないのはどうしたことか。
「表現の自由」を掲げる政治家の言動を観察していると、一つ気づくことがある。彼らは、表現の自由を抑制している制定法を改廃するのではなく、規制の対象外となるように関係機関に働きかけを行って「免除」(制定法の外部で活動しているのだから、お目こぼしに近い)するという活動に主眼を置いているようである。念のためにいえば、そういった活動を政治家が行うこと自体は奇妙なことではない。問題は、「表現の自由」といった一般的・普遍的権利を掲げながら、規制の廃止を唱えるよりも、特定の表現に限って規制を免除するように(制定法の改廃ではなく)法執行機関に働きかけをしていることである※4。取締当局に働きかけをして有利な方針を引き出すという方向性は、自由にとって脅威であることに変わりはない。結局、働きかけをする人物の意向によって「自由」の内実が左右されることになるからである。「免除」の仕組みを動かす人物が特定の出版社や特定の作品群を代表している場合、その他の出版社・表現には「免除」を拒否するという形で脅威となる可能性が存在し続ける。政治家の言動をナイーブに受け止めてはいけない。
なお、私は実は「アニメ・マンガ」の中の特定の作品群のみを対象とした偏頗な政治運動自体がけしからんというつもりはない※5。しかし、「表現の自由」という看板は下ろしてもらいたい。
「表現の自由」を掲げる政治家ないしツイッターアカウントを見ていると、「エロ(・グロ・ナンセンス)」の自由を重視しているような印象がある。こういった表現一般について、公権力の介入を排除する防御権があるのは当然だ、という前提があるような気がする。しかし、「わいせつ(obscenity)」にあたる言論は憲法上の権利として保護されないはずである。憲法上の権利として保護されないということは、内容規制をしても合憲であるということになる。日本の最高裁の考え方もそうであろう:
なお性一般に関する社会通念が時と所とによつて同一でなく、同一の社会においても変遷があることである。現代社会においては例えば以前には展覧が許されなかつたような絵画や彫刻のごときものも陳列され、また出版が認められなかつたような小説も公刊されて一般に異とされないのである。また現在男女の交際や男女共学について広く自由が認められるようになり、その結果両性に関する伝統的観念の修正が要求されるにいたつた。つまり往昔存在していたタブーが漸次姿を消しつつあることは事実である。しかし性に関するかような社会通念の変化が存在しまた現在かような変化が行われつつあるにかかわらず、超ゆべからざる限界としていずれの社会においても認められまた一般的に守られている規範が存在することも否定できない。それは前に述べた性行為の非公然性の原則である。この点に関する限り、以前に猥褻とされていたものが今日ではもはや一般に猥褻と認められなくなつたといえるほど著るしい社会通念の変化は認められないのである。かりに一歩譲つて相当多数の国民層の倫理的感覚が麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても、裁判所は良識をそなえた健全な人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会を道徳的頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会的現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。
「エロ」の自由を擁護していくとなると、「保護されない言論」の判例法理の桎梏をいかに除去していくかを考えるべきであろう。スウェーデンではポルノも出版の自由の対象とされていることに注意する必要がある。スウェーデンの憲法典の一部を構成する出版の自由に関する法律は、出版の自由を制限できる場合を限定列挙する。児童ポルノは出版の自由を制限できる場合に挙げられている※6が、ポルノ一般は挙げられていない。他方で日本の状況を考えてみよう。もはや何の修正もなく『チャタレイ夫人の恋人』は出版されているが、刑法175条自体は生きている。最高裁は判例を変更していない。捜査機関が取締りの方針を変更すれば、刑法175条でもって再び刑事罰が科されるであろう。他の成人向けのアダルト・ビデオにしても、マンガにしてもアニメにしても同様である。一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである。しかし、この最大の桎梏の存在を認識していない者も少なくないように思う。もしかすると、このような規制状況はもはや動かしがたいので、所与としなければならないと考え、より低い脅威度のものを優先しているのかもしれない。あるいは、彼らが取り組んでいる「マンガ・アニメ」は実は「わいせつ」にあたらない物件のみで、ハード・コア・ポルノ的な「マンガ・アニメ」は眼中にないのかもしれない。しかし、それでは『チャタレイ夫人の恋人』や『悪徳の栄え』、あるいは『蜜室』に取り組んだ人々と比べてあまりにチャチな取り組みだと思う。
丸山眞男を引き合いに出すまでもなく、日本人は既成事実に弱いと指摘される。いったん規制されると大変だから、規制される前に対処する政治家が必要であるという言い分を聞くが、既成事実に屈服して「一端規制されると大変」な状況を強化しているのは誰なのだろうか。
※1 ここで「性的」として批判されているのは、単に裸体だとか性器が描写されているという意味ではなく、ほぼ女性蔑視的という意味に等しいことに注意するべきである。
※2 書いているうちに思ったが、リュート判決の構図に似ている。
※3 スウェーデンなどの欧州諸国ではポルノが合法化されている。スウェーデン等で購入したヌード写真集を日本に輸入して税関検閲に引っかかる、というのが税関検閲諸事件の流れだ。
※4 なお、児童ポルノ禁止から創作物を除去せよとの主張は、一般的な規制の問題として評価できよう。
※5 むしろ、出版社の利益を守るためと考えれば、個別の出版について規制をお目こぼししてもらう活動も大事だろう。だが、あくまで出版社の権益であり、表現の自由という共通財の問題ではない。
※6 日本で出版されている成人向けマンガ・イラストが児童ポルノにあたるかと言った事件があったのだが、スウェーデン最高裁はマンガの表現形態に十分配慮した判断を行っている(NJA 2012 s. 400. 翻訳もある。外国の立法255号[2013年]223頁)。このような判断を日本の最高裁がするかというと、全然しないだろう。
「大阪府知事はようやっとる」よりはマシ
https://mainichi.jp/articles/20190912/k00/00m/040/120000c
ツイッターで他人の投稿を引用する「リツイート」で名誉を傷つけられたとして、橋下徹・元大阪府知事がジャーナリストの岩上安身氏に慰謝料など110万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は12日、33万円の支払いを命じた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f937908b356f4a648c19939b462c678ddc05b81b
自らを中傷する複数のツイッター投稿に「いいね」を押され、名誉を傷つけられたとして、ジャーナリスト伊藤詩織さん(32)が自民党の杉田水脈衆院議員に220万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は25日、請求を棄却した。
武藤貴明裁判長は、「いいね」には幅広い感情が含まれ、ブックマークや備忘目的でも用いられると指摘。
他人への中傷投稿に対していいねを押してフォロワーに中傷を拡散させる行為はセーフだと東京地裁がお墨付きを与えたので、平熱パニックへの中傷投稿をRTするのはアウトだが、いいねならセーフだってよ。
https://news.livedoor.com/article/detail/21769780/
橋下徹氏「どんどん国外退避させたらいい」発言にウクライナ人国際政治学者が反論しバトル
3日放送の『めざまし8』(フジテレビ系)で、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻について特集。侵攻への対応を巡り、元大阪府知事、元大阪市長で弁護士の橋下徹氏と、ウクライナ出身の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏が議論を繰り広げる場面があった。
この日、ともにリモート出演していた橋下氏とアンドリー氏。橋下氏は今後のウクライナの対応について、「祖国防衛のために命を落とすということが、一択になるということは僕は違うと思う」と主張。「プーチン大統領はどこまで生きられるんですか。(10月で)70歳ですよ。あと30年も生きられませんよ」と言い、若者には国外退避を勧めるべきだとした。
>>橋下徹氏「米大統領とプーチンの協議を促す決議も必要」と主張も物議 ウクライナ侵攻の長期化を懸念<<
一方、アンドリー氏は「もしここで降伏して、ロシアに全土を占領されたら結局、犠牲者が増える」と言い、「ロシアは必ず粛清を始めます」「制圧されたら、殺戮が始まります」と断言。逃げて制圧されるよりも、戦ってロシアの侵攻を止める方が犠牲者は少なくなると指摘した。
しかし、橋下氏はアンドリー氏の言葉に耳を貸さず、「あと10年20年頑張りましょうよ。もう一回そこからウクライナを立て直しても良いじゃないですか。プーチンだっていつか死ぬんですから」と主張。アンドリー氏が「その20年後、ウクライナ人は残りますかという話です。ロシアの支配を受けて」と反論するも、橋下氏は「だからどんどん国外退避させたらいいんですよ」とアンドリー氏の意を汲むことはなかった。
放送後、橋下氏はツイッターでも「ここは祖国防衛の名の下に命を落とす一択にならないようにするのが政治の力」とツイート。さらに「ウクライナ以外の国、特に日本で暮らしているウクライナ人は、他国の暮らしも悪くはないこと、状況が変わるまで待つ方法もあることをウクライナの知人に伝え、祖国防衛で命を落とす一択でなないことを示すべき」(原文ママ)と綴った。
一方、アンドリー氏もツイッターを更新し、「ロシアの目的は、ウクライナを完全に支配する事です」と指摘。「支配したら、抵抗する人はみんな殺されます。残った人から、占領統治の教育やプロパガンダで、アイデンティティを奪おうとします。ウクライナ人に『貴方達は実はロシア人だ』と思わせる洗脳工作を実施します。つまり、民族浄化です」と自身の発言を改めて説明していた。
この一連の議論に、ネット上からは「橋下の理解力がなさすぎる」「プーチンいなくなっただけで全て解決できない」「原爆落とされても立ち上がればいいじゃないですか、と言われて平気なの?」「橋下は個々の歴史的等の事情を全く考慮してない」といった、橋下氏への苦言が集まることに。ツイッターにも多くの批判が寄せられていた。
ネットにいる人間には信じられないかもしれないが、石原慎太郎の世間一般での評価は「欠点もあったが、一本芯の通った昔ながらの剛毅な政治家」だ。
だからテレビでの石原慎太郎の取り上げられ方は一般的な視点に近い。
「賛否あるが一本気な政治家」が、「有象無象の文句しか言わない奴ら」に妨害されている、というストーリーが一般的な見方である。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の日本人」に聞いてみればわかる。
これは別に不思議な事でもなんでもなく、単純に年を取るとわかりやすいストーリーしか受け付けなくなるということだ。これはごく自然なことだ。
はてなのメインユーザーは40代だろうが、最近本を読むのがきつくなってきたのは実感しているだろう。単純に老眼になってきているというのもある。若者のトレンドが理解できなくなってきているだろう。
60代となればそれがもっと加速する。新聞も、物理的に見出ししか読めない。物理的に政治家の話を聞けない。だから政治家はイメージと顔で選ぶようになる。
大阪府知事の吉村氏が支持されているのは、老眼と難聴と思考力の低下が主な理由だろう。若くて一本気な政治家が頑張っている、それが理解できることの7割を占めてしまい、それ以上の具体的な政策だとかは物理的に理解できない。
ゆえにこれからも維新は躍進を続ける。難しいことを理解できない国になるからだ。
オタク層には、クジラックス氏の話が参考になるだろう。年を取るごとに、純愛を描けなくなってきた、という話だ。
年を取ると、以前のようにうまく体を動かせなくなる。だから若者が恨めしくなる。「健康という財産に感謝しない不届き者ども」とみるようになるわけだ。
年を取ると、若者の多様な価値観に「うんうん」とうなずく脳を持つことが物理的に難しくなる。
けしからん若者に思い知らせてやる、という意識が非常に強くなる。
適当にその辺の(自分の親を含む)60代以上の「大多数の人」に聞いてみればわかる。
複雑な話は理解されない。
そしてそれははてなの40代メインユーザーにも同じことが起こる。
あと10年すると、はてなは「他人に思い知らせてやりたい老人の巣」となり果てる。もちろんTwitterもfacebookもインスタグラムもticktokもそうなる。
平均年齢が45歳の国だから、脳の平均年齢も45歳になる。認知機能も45歳になるのだ。
フェミニズム界隈を見てみるとわかりやすい。自分の気に入らないものにレッテルを張って延々と叩き続ける脳機能がそこら中にある。あれが一般的になると思っておいていいだろう。
細かく分析し、是々非々で考えることができる人間は、もはやメインストリームではない。
知性は驚くほど劣化する。多様性を受け入れる器にはとんどんヒビが入っていく。
大阪でコロナ感染者数が大台に乗ったときと東京で大台に乗ったときのトップブコメの差がひどくて、はてブの気持ち悪さがよくわかる。
さすがにその気持ち悪さを指摘しているブコメもトップに上がってきているが、なんとかして維新を叩きたくてしょうがないやつがブコメつけまくっていてすごい。
東京のブコメとの差を指摘されると「東京を敵対視してて草」とかいいはじめる始末。
shikiarai 勝手に東京を敵対視してて草 関東圏の方が人口が多い分変な奴も多いだけという普通のことを曲解する必要あるか?
このブコメの差のひどさを、どういう神経で目を塞いでコメントしてるんだろうな。
quick_past ?コロナ行政の失敗を批判する人間は、大阪差別を行ってる。とでも言いたいので?えらい意図的な抜き出しですね。
ご意見ありがとうございます。「えらい意図的な抜き出しですね」とのことですが、どの部分でしょうか。
この日記で意図的に抜き出しているのは上記二箇所のみで、下記の「トップブコメ」の抜き出しは、2022-01-22 投稿時にはてなブックマークで「トップブコメ」として抽出されたものを全件記載しております。
上記の方法での抽出が不本意となり大変申し訳ございませんが、 quick_past 様の考える、意図的でない抽出の方法がございましたら、ご教示ください。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220118/k10013436341000.html
mame_3 ほんとなんで維新が支持されてるんだろうな。後世、戦前から敗戦までのナチスドイツや日帝が支持されてた理由と同レベルに研究されそう。あと安倍自民の10年間も。
haruyatoharuyato トップブコメとそれに対するブコメが端的に表していて、「他県民特に東京もんに言われたくない」心情が、大阪での維新の人気の秘密なんだろうな。
defffffdefffff 維新の政治はどうかと思うけど最近の反維新は一昔前のネトウヨみたいな大阪差別してて末期的
Tmr1984Tmr1984 東京も負けていられないな。そういえば、東京の方には頭がかわいそうな人たちが毎日欠かさずブコメしにくるけど大阪のコメは維新がらみ除けば平和(というより真っ当)だな。東京砂漠は人を狂わせるのか。
GkaGka 維新でなければコロナが収束したとでも言いたげな※が毎度トップに上がるけど根拠が何もないんだよね。パンデミックを終息させる方法があるなら示せよ…野党もその支持者も政局に利用し批判するだけのクズだよな。
yas-malyas-mal 第6波の重症化率は第5波の1/5程度らしいので、それで換算すると第6波の6000人は第5波の1200人相当。時期としては、8/3頃で五輪の後半ぐらい(もう、そこそこヤバい時期)。
shatomorishatomori 東京より少ない人口でこれだけ悪い数字が出続けているのに大阪府知事や大阪市長が責任を問われないのは外から見ていると不思議
kappa_yckappa_yc 身内にハイリスク者がいるので不安はあるけど、今以上にできることもないので嵐が過ぎ去るのを静観するしかない。
muchonovmuchonov 1/17の軽症中等症病床運用率が43.4%なので https://www.pref.osaka.lg.jp/default.html 今週中にキャパ超えちゃいそう。重症病床運用率も5.3%とじわり上昇してて、ヤな感じ。重症化率が多少低くても感染者数が増えたら相殺されちゃう
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220122/k10013444541000.html
korilog オリンピックだけで3万件/日の検査してたからその分を回せるだけで前回とは検査リソースが違う
hennohenno ο株にはロックダウンや行動制限の費用対効果が悪すぎる。早めにやっておくべきだったのはブースター接種だが、どうしてこうも遅れているのか?
by-kingby-king id:hitac 欧米の様子を参考にしたからこそでしょ。欧米でオミクロン株に対して大規模な封鎖を実施した国はほとんど無く、それでも、デルタ株の時ほどひっ迫せず、やがて感染者は減少した。それを見習ったんでしょ。
ImamuraImamura 79(1/1)1,224(1/8)4,561(1/15)→11,227/7日平均7,145.3(7日前比【294.4%】昨日は6,193.0/317.5%)重症者12(+1)昨日時点:感染者48,039(+7,718)陽性率24.8%(+1.4)病床使用率31.5%(+2.5) https://f.hatena.ne.jp/Imamura/20220122165423 健康 災害 COVID-19
LuckyBagManLuckyBagMan 時間の問題ではあったとはいえ、やはり1万超えはインパクトでかいな… / 医療関係者のつぶやき見てると、肺炎症状出てる中等症患者が増えてるっぽいので、この先入院必要な人が入院できなくなるケースが心配…
yhaniwayhaniwa 1万1千人の陽性を検出できるくらいの体制はあるのか。今の検査能力の限界はどのへんなんだろ。
lenorelenore 東京都はECMO使ってる人だけ重症者という独自基準だから、国基準だと重症者は398人(21日。都基準だと11人)。紛らわしいね。https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp
hitachitac 早めに緊急事態まで出しておけばこうはならずに済んだのに。常に欧米の様子を参考に出来るにも関わらずこれなのは何故なのか。
泉田裕彦というと十年以上前になるが北陸新幹線延伸費用分担でゴネたことを覚えている方もいるだろう
泉田裕彦が新潟県知事の時に北陸新幹線の工事費用が当初の見積もりより随分と高くなったのに国交省は明細も出さないことに文句を言った事件?だ
あの時、橋下大阪府知事(当時)が国の直轄事業はぼったくりバーの請求書と言って乗っかったのでぼったくりバーの請求書の方を記憶している方もいるだろう
泉田裕彦は費用負担がどうして高くなったのかを最初から知っていた、知っていて発言をしたふしがある
北陸新幹線の長野から金沢延伸費用負担は線路の距離に応じて負担するというもので、新潟の費用は新潟、石川の分は石川というような負担ではない
で、石川の費用が当初の見積もりよりも高くなっていたことをどうやら知っていたらしい
増加分のざっくりとした理由はオフレコで聞かされていて、公開出来る文面にしろと迫ったのだと思われる
要するに新潟の工事費用の増加分よりも石川の工事費用増加分の方がずっと大きく、割り勘負けしたような状態だった
どうして高くなったのか泉田裕彦は会見で暴露しているのだけど、暴露したことで北國新聞や石川県知事がめちゃくちゃ叩いた
当時の新聞記事を調べられる方は北國新聞と新潟日報とを読み比べると少しわかると思う
新自由主義160キロストレートを投げ続ける維新がなぜこんなに強いのか、ネットの言説で自分の肌感覚と合うものがなかったので言語化してみたい。
①今回なぜ維新が強かったか? →答え:吉村知事(「吉村はようやっとる」)
③維新の今後は?
この順に書いてみる。
大阪では、演説をすれば満員の聴衆。兵庫県ですら、三宮にくれば鈴なりの人だかりで老若男女スマホを片手に見物をした。そして吉村知事が去ると、大方みんな解散。これは選挙特番でも取り上げられた事象だ。
なぜこんなに人気かというと、答えは簡単でテレビにたくさん出ていたからだ。
コロナ禍において、とにかく関西では彼を目にする機会が多かった。中でも10チャンネルの「かんさい情報ネットten」という夕方のニュース番組の影響は大きいという肌感覚がある。中谷しのぶさんという女性キャスターがメインで、関西では人気がある。中谷さん自身は非常に聡明で、物腰柔らかくスマートに番組をまわすので、見ていて安心感がある。各コーナーも吉本の芸人などが関西の情報を取り上げていて名物化しているものも多く、関西では夕方はとりあえずこれという家庭も多いはずだ。
この番組に吉村知事はたびたび登場した。そうでなくても、吉村知事の記者会見は毎日取り上げられた。関西の番組なのでこれは当然である。番組に登場したときも、吉村知事はマスクや手洗い、外出自粛など、ごくごく常識的な内容を一生懸命発信していた。そう、彼は発信力が高いのである。
他の地域の方からすると、全国最悪の事態を招いたのは、他ならぬ維新ではないかと思われるに違いない。実際、維新の新自由主義的切り捨てによって弱体化した医療体制等々により事態が悪化したり、吉村・松井両氏による無計画な雨合羽集めで現場が疲弊したり、あの有名な吉村イソジン発言など、どう考えても頭がイッたとしか思えない場面が多々あった。
しかし、多くの大阪府民、関西圏の吉村知事に対するイメージは、上記とは少し異なる。吉村知事は、ずっと前線で必死に情報発信し、今できることをやり続け、分からない中でとにかく行動をし続けた、そういうイメージのほうが強いだろうと思う。
それは、東日本大震災のときの枝野官房長官に似ている。あの時の枝野氏は、明らかに寝不足状態の目で脂汗を浮かべながら必死に情報発信し、わからない中で誰よりも必死にやっている様子が伝わってきた。一時「#吉村寝ろ」がネットで話題になったように、そのへんの府民、関西人を捕まえて話を聞けば、吉村知事は何かよくわからないがとにかく頑張っていた、それはもう菅首相や西村さんやあんなのよりずっと必死に動いて頑張っていた、という感じのイメージを語る人がマジョリティだろう。
いや、その事態の悪化はかなりの部分、維新が招いたものだろう、とあなたは言うかもしれない。しかし、東日本大震災のとき、政府や菅首相の対応にまずさがあっても、誰よりも必死にやっている枝野官房長官の誠については多くの人が信じたように、吉村知事の誠についても多くの府民が共感を覚えたのだ。実際、イソジン発言など明らかに頭がイッた、さすがの多くの関西人も「ワオゥ…」と思う場面はあったにせよ、確かに、吉村知事が本気で府民に訴え、情報発信し、駆け回っていたことは間違いない。その多くは少なくとも菅首相の死んだようなメッセージよりは多くの人に届いていた。むしろ政府との対比で吉村知事が頑張っているように見えた。忽那賢志が阪大教授にやってきてからは、ブレーンとなった部分もあったのか、かなり適切に発言していたし、無理を承知でもとにかくやれることをということで野戦病院みたいなことをやると表明したり、アレな部分はあっても実際頑張っていた部分も大きい。
維新が勝ったというより、吉村さん=維新のほうがずっと政府、自民より頑張ってくれてるやん、という感覚の人が多かったのだと思う。
その昔横山ノックが勝ってしまったように、橋下徹が圧倒的に強かったように、タレント的知名度、人気があれば、一気に波に乗る。これは別に大阪以外でもそうだとは思うが、今回の吉村さんにはそうした強さがあった。それがもう、今回の圧勝の最大にして唯一の理由だ。
この背景には、お上が嫌いという大阪の気質もあるように思う。まずはやはり、東京は好かんという、わしらはわしらで大阪やという意識は、陰に陽にいろんなことに作用しているように思う。しかしそれに留まらず、何もせんと偉そうにだけしているお上は気に食わんというのは、多くの一般府民のもつ感覚で、それは大阪府や大阪市の役所にも長く向けられてきていたものだった。大してなんもしてないくせに、金ばっかり無駄遣いして、偉そうにして、なんもわしらのこと考えてくれへんやんか、あの役人どもは、というわけだ。そして実際、確かにその通りである部分は多かったのだ。
そこへ維新、橋下徹がやってきた。大阪府、大阪市の役人は無駄遣いばっかりして何もしてくれへん、徹底的にそれを叩き直そう、無駄をなくそう、偉そうにしてるだけの時代はもう終わりや、そういうメッセージを発した。これは強かった。確かにそれは新自由主義になる。しかし、そのへんの大阪府民をつかまえて、新自由主義について説いたところで理解されるだろうか? 橋下さんはやりすぎなとこもあるけどな、ほんまによう頑張って戦ってくれよるで、今まで役人は偉そうにしすぎたんや、そういう答えが返ってくるのが関の山ではないか。維新はようやっとる。
そこへ、数日前に維新がツイッターであげたような画像がくると、それは府民にウケる。確かに10年前の大阪城公園なんか、閑散としていた。今はカフェなどもたくさんでて、とても賑わって楽しい場所になった。こういう目に見える、ウケる政策を打っている。それは確かにポピュリズムだ。しかし、古い政治や自民はそういう草の根レベルで、確かに自分達のために動いてくれている、と多くの一般人が感じることをしてこなかった。維新になってようなった。
松井代表、吉村知事、維新にはみんな、上記のようなイメージが重なっている。それが今回の圧勝の背景にある。
では最後に、③維新の今後について、つらつらとできるだけ短く書いてみたい。
ここまで維新の人気ぶりを書いてきたが、しかし、だからといって大阪府民が諸手を挙げて全肯定しているかというと、そうではない。ここは大事なポイントだ。大阪都構想は、二度までも住民投票で否決されているのだ。
あれは、「ようわからんけど、大阪全部かえてまうのは、いくらなんでもやりすぎやで。そんなん、意味あんのかいな。やりすぎちゃうのん、知らんけど」と多くの人が感じたからで、維新のやることを何でもかんでも大阪府民が肯定しているわけではない。
自民以外に入れたくない保守層が、維新に流れた面もかなりあるだろう。自民にお灸を据えたいと思ったときに、維新は外交政策などがわりとしっかり保守なので安心して入れられるのである。
あるいは無党派層の中のリベラル寄りの人たち。立憲民主は共産と組んでてどうんだろう、しかしれいわとかは行き過ぎやしなぁ、とぼんやりと思っていっる層も、上記の①のような印象があると、まあ維新頑張ってるし自民に入れるのはありえないし、今回はいっぺん維新伸ばしとくか、となるパターンもわりとあるように思う。
では、自民や立憲民主などが、維新をおさえようと思ったらどうすればいいのだろうか。
兵庫県知事は、長らく井戸敏三というお爺さんが20年に渡り務めていた。この人は、ずっと与野党相乗りで、知事選なんてあってないようなもので、兵庫県民からすると選択の余地がなかった。まあ特に大きな失政や反感もなかったので、長らくまあいいやという感じだった。
端的にいうと、この井戸さん、菅首相や政府と同じだったのである。何も対応しない。何もせず偉そうにして、やることといえば吉村知事の悪口ばかりだ。多くの関西人からはそういうふうに見えた。実際、行動は遅かった。挙句、任期終了が迫っているのに公用車にセンチュリーの購入を決めたりして、お前が最後にええクルマに乗りたいだけちゃうんか、という多くの反感を買った。
そして知事選。
井戸さんの後継者が自民公認となった。しかし地元の自民党市議会議員、県議会議員や後援者たちは、井戸さんの後継者では勝てないと肌感覚で実感していた。だから別の候補者をおそうとした。しかし自民党本部に潰されて、遺恨が残った。ちなみにその遺恨から、今回兵庫1区ではその地元自民の人たちが無所属で候補をたてて、地元の支持団体などがそちらに流れた結果、毎回接戦だった自民・盛山さんが大きく負けて、盛山さんと勝ったり負けたりりだった立憲民主・いさかさんが余裕勝ちしている(これには立憲・共産の選挙協力もあるが)。
とにかく、兵庫県知事選では、もう井戸さんの後継者(自民)に入れようという県民は多くなかった。井戸の後継者なんかが出るくらいなら、維新の斎藤さんのほうがマシや、ということである。若いから色々腐った部分もやる気をもって正してくれそうやし、どうせ井戸の後継者にしてもコロナ対策はぼんやりして動きも遅いままやろう、維新には若干の不安もあるがこの際仕方ない、やっぱ20年もやったら驕りもでるし一般人の感覚も忘れるし腐敗もするんやな、ここは変えなしゃあないな、ということである。
これをみて、兵庫県知事選でまで維新がかった。兵庫県民、お前らもかよ。アホちゃうか。関西はみんなアホなんちゃうか。愚民なんじゃないか。
と言われても、そうとばかり単純に言って終わりにはできない背景があるのである。
下あたりをみて触発されてかいた。