はてなキーワード: 全国人民代表大会とは
日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も | 2020/6/7 - 共同通信(2020/6/7)
https://this.kiji.is/642106137812698209
【ワシントン共同】香港への国家安全法制の導入を巡り、中国を厳しく批判する米国や英国などの共同声明に日本政府も参加を打診されたが、拒否していたことが6日分かった。複数の関係国当局者が明らかにした。中国と関係改善を目指す日本側は欧米諸国に追随しないことで配慮を示したが、米国など関係国の間では日本の対応に失望の声が出ている。
ここで言う共同声明とは、これのこと。
BBCニュース - 中国、国家安全法を採択 香港は「自由の砦」と米英など批判(2020年05月29日)
https://www.bbc.com/japanese/52844439
中国は28日、反体制活動を禁じる「香港国家安全法」の制定方針を全国人民代表大会(全人代=国会に相当)で採択した。これに対し、アメリカやイギリス、オーストラリア、カナダは同日、「自由の砦(とりで)として繁栄してきた」香港の自由を脅かすことになると非難する共同声明を発表した。
さらに、順番としてはまず英豪加が共同声明を出し、それにアメリカが加わったようだ。
訂正-カナダ首相、香港情勢を「懸念」 英加豪が共同声明で中国けん制(2020年5月23日)
また、カナダ、英国、オーストラリア(訂正)は共同声明を発表し、国家安全法提案について「深く懸念している」と表明。「香港市民が直接参加せずにこうした法律を導入すれば、香港に保証された高度な自治の下での一国二制度が明らかに損なわれる」と危惧した。
<背景>
広辞苑、台湾を「台湾省」 20年前から記載 「日本の代表的な辞典としては瑕疵と言わざるを得ない」(1月26日)
http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260004-n1.html
http://www.sankei.com/life/news/180126/lif1801260003-n1.html
今回の広辞苑第七版ではLGBTやしまなみ海道の記述の誤りが指摘されている。しかし、台湾については触れているメディアをほとんど見かけていない。
私はまだ広辞苑第七版を見ていないが、広辞苑第六版その他の辞書の記述について気づいた点を記す。
<私の結論>
1)広辞苑第六版の「中華人民共和国」にある〔中華人民共和国行政区分〕は日本で刊行する辞書としての中立性に欠ける。
2)広辞苑以外も日本の国語辞典は総じて現在の中華民国に冷たい。現在の中華民国は「名称」であり、台北は首都ではなく主要都市なのだ。
<画像>
1 産経新聞より
http://www.sankei.com/smp/life/photos/180126/lif1801260003-p1.html
2 広辞苑第六版より
https://pbs.twimg.com/media/DTTEa_YVwAAJM6J.jpg
<本文(長い)>
きっかけは昨年秋、広辞苑新版がニュースになりはじめたころの、1つの記事だった。
http://www.mag2.com/p/news/333476
ただし、この記事は有料メルマガの抜粋であるため、詳細を確認することができなかった。
そこで、近くの図書館に行き、台湾関連の記述を確認することにした。
まずは「台湾」を引いてみた。
たいわん【台湾】(Taiwan)中国福建省と台湾海峡をへだてて東方二〇〇㌖にある島。台湾本島・澎湖諸島および他の付属島から成る。総面積三万六〇〇〇平方㌖。明末・清初、鄭成功がオランダ植民者を追い出して中国領となったが、日清戦争の結果一八九五年日本の植民地となり、一九四五年日本の敗戦によって中国に復帰し、四九年国民党政権がここに移った。六〇年代以降、経済発展が著しい。人口二二八八万(二〇〇六)。フォルモサ。→中華民国。➖・あひる【台湾鶩】(以下略)
まぁ、こんなもんかな、と思った。
他の辞書も見てみることにした。
【2】「大言海」新訂版第四刷(昭和五十七年十二月一日)故大槻文彦、大槻清彦
たいわん・ぼうず(タイワン・バウズ)(名)臺灣坊主〔明治二十七八年戦役ノ際、臺灣に出征セシ兵士ノ、此病ニ罹リ、つるつる坊主ニナリテ歸國セシ故ニ云フト〕(以下略)
「台湾」自体は見出し語になく「台湾坊主」という禿頭病の説明だけだった。
【3】「角川国語大辞典」初版(昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記、吉田精一
たいわん【台湾】中国福建省の東方にある島。面積三万五六〇〇平方㌖。明(みん)末、清(しん)初のころから中国人が多数移住して中国領であったが、日清(にっしん)戦争後、日本領。第二次世界大戦後、中華民国に返還され、一九四九年以降は蔣介石の国民政府がこの地によっている。中華人民共和国は台湾省という。
続いて【台湾海峡】【台湾総督府】【台湾泥鰌(どじょう)】【台湾パナマ】【台湾坊主】と続いた。
【4】「広辞林」第六版第一刷(一九八四年三月一〇日)三省堂編修所
これだけの辞書もあった。続いて【台湾征討】【台湾総督】と続く。
【5】「岩波国語辞典」第7版新版第1刷(2011年11月18日)西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫
「台湾」はなく、【台湾坊主】のみ。禿頭病のほか、低気圧の意味も載っていた。
【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日)山口明穂、和田利政、池田和臣
たいわん〔台湾〕沖縄諸島の南西方、中国大陸の福建省の東方に位置する島。中心都市は台北タイペイ。➖ぼうず【ー坊主】(以下略)
【7】「国語大辞典 言泉」第一版第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書
たいわん【台湾】日本列島の西南方にある紡錘形の島。島のやや東寄りに高峻な台湾山脈が南北に縦走し、西側に平野がひらける。気候は亜熱帯モンスーン気候。原住民はインドネシア系とされる高山族であるが、人口の大部分は華南省から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領。日清戦争後日本領。一九四五年中国に返還され、四九年中国国民党政府がここに移った。略称は台タイ。タイワン。
高山族が出てきた。
【8】「新明解国語辞典」第六版第一刷(二〇〇五年二月一〇日)山田忠雄、柴田武、酒井憲二、倉持保男、山田明雄
【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明、三省堂編修所
たいわん【台湾】中国、福建省の東方に位置する大島。台湾本島とその属島からなる。米・サトウキビ・茶・バナナなどを産する。製糖・製紙・機械・セメント・造船などの工業が発達。先住民は高山族であるが、住民の大部分は漢民族。一六八三年から中国領土。日清戦争後日本の植民地になり、一九四五年中国に返還されたが、四九年国共内戦に敗れた中国国民党がここに移った。主要都市、台北。面積三万六千平方㌖。人口二二七五万(二〇〇五)。
かなり詳しいが「中華民国」とは書かない。以下【台湾海峡】【台湾兜虫】【台湾銀行】と続く。
【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会、小学館国語辞典編集部
たいわん【台湾】中国の南東方にある紡錘形の島。本島のほかに澎湖島などの付属島を含み、台湾海峡を隔てて中国の福建省・広東省に対する。島のやや東寄りに高峻な台湾海峡が南北に縦走し、西側に平野がひらける。ほぼ中央を北回帰線が通り、亜熱帯モンスーン気候を示す。先住民はマライ・インドネシア系とされる高山族であるが、人口の大部分は華南から移住した漢民族が占める。明末・清初から中国領。日清戦争後の一八九五年から日本領。一九四五年中国に返還され、省制がしかれたが、四九年中国国民党政府がここに移った。面積三万五九八一平方キロ㍍
台湾については大体こんな感じだったが、「中華人民共和国」と「中華民国」も引いてみることにした。
➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国】中華民国国民党政権を革命によって倒し、一九四九年一〇月一日、中国に成立した共和国。中国共産党の指導のもとに、全国人民代表大会を国家権力の最高機関とする。社会主義体制を標榜しつつ、七〇年代末から経済改革・対外開放を推進、近年発展著しい。面積約九六〇万平方㌖。人口一二億九六〇〇万(二〇〇四)。首都北京。
本文にさして問題は感じないが、問題は〔中華人民共和国行政区分〕なる地図である。
(1)北京市に始まり(34)マカオ特別行政区まで掲載されている中に、しれっと(26)台湾省が何の説明もなしに入っているのは、非常に違和感を覚える。
➖・みんこく【中華民国】辛亥革命の結果清朝が倒れた後、一九一二年中国最初の共和制政体として成立した国。初代大統領袁世凱(えんせいがい)。二八年中国国民党が国民政府を樹立、全国を統一したが、第二次大戦後共産党との内戦に敗れ、四九年本土を離れて台湾に移った。
【3】「角川国語大辞典」初版(昭和五十七年十二月二十日)時枝誠記、吉田精一
➖・じんみんきょうわこく【ー人民共和国】
➖・みんこく【ー民国】
中国大陸の南東海上、台湾島を中心とする共和国。辛亥(しんがい)革命により一九一二年中国大陸に成立。のち、蔣介石の率いる国民党によって統一されたが、第二次世界大戦後、国民党は共産党に敗れ、一九四九年台湾に移った。首都台北タイペイ。面積三万五九六一平方㌖。
【6】「旺文社国語辞典」第十一版(2013年10月13日)山口明穂、和田利政、池田和臣
中華人民共和国のみ見出し語にあり。中華民国や台湾については特筆すべき点なし。
【7】「国語大辞典 言泉」第一版第一刷(昭和六十一年十二月二十日)尚学図書
➖・みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二年から中華人民共和国が成立した四九年まで、中国を代表する政府が採用した国名。(二)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府が使用している名称。
最も正確な気がした。
【9】「大辞林」第三版第一刷(二〇〇六年一〇月二七日)松村明、三省堂編修所
➖じんみんきょうわこく【中華人民共和国】アジア大陸の東部を占める国。中国革命の成功により一九四九年一〇月一日、毛沢東を主席として成立。中国共産党の指導の下で、土地改革、農業の集団化、数次の五か年計画などを遂行し、文化大革命による混乱を克服して「四つの現代化」を掲げ、社会主義国家建設を目指している。国家の最高機関は全国人民代表大会。首都、北京。面積九五九万七千平方㌖。人口一三億一五八〇万(二〇〇五)。
➖みんこく【中華民国】辛亥革命の結果、中国に誕生した共和制の国。一九一二年孫文を臨時大総統として南京(ナンキン)に政府が樹立されたが、袁世凱が政権を奪って政府を北京に移した。のち、中国国民党は国民政府を樹立し、北伐をおこない全国を統一したが、日中戦争・内戦を経て、四九年中国共産党の中華人民共和国が成立。台湾に移った国民党政府は、中華民国の国号を使用。
【10】「日本国語大辞典」第二版第八巻第一刷(二〇〇一年八月二〇日)日本国語大辞典 第二版 編集委員会、小学館国語辞典編集部
ちゅうか-じんみんきょうわこく【中華人民共和国】ユーラシア大陸の東部にある人民共和国。東部はやや湿潤な平野からなり、内陸部は乾燥気候で、山地・高原・盆地が多い。大多数を占める漢民族のほか、チワン族・蒙古族・ウイグル族・チベット族など五五の少数民族からなる多民族国家。北京・上海・天津の三直轄市と、二二省、五自治区、ニ特別行政区(香港・マカオ)に分かれる。中国国民党との内戦に勝利を得た中国共産党の全国統一により一九四九年一〇月、毛沢東を主席として成立。中国。
広辞苑第六版の地図と比較すると、この時点では重慶は直轄市ではなかったようだ。そして台湾省は「二二省」には含まれていないと思われる(広辞苑の「省」は23ある)。
ちゅうか-みんこく【中華民国】(一)辛亥革命後の一九一二年から中華人民共和国が成立した一九四九年まで、中国を代表する政府が採用した国名。一九二七年を境として、前半の軍閥組織を背景とした北京政府と、後半の中国国民党による国民政府時代とに分けられる。首都は前半は北京、後半は南京。(ニ)一九四九年、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた国民党政府が使用している名称。
【11】「国語大辞典」第一版第七刷(昭和五十七年二月十二日)尚学図書
➖・じんみんきょうわこく【中華人民共和国】
一、まえがき
今年は中国立憲百年、「世界人権宣言」公布60周年、「民主の壁」誕生30周年であり、また中国政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約」に署名して10周年である。長い間の人権災害と困難かつ曲折に満ちた闘いの歴史の後に、目覚めた中国国民は、自由・平等・人権が人類共同の普遍的価値であり、民主・共和・憲政が現代政治の基本的制度枠組みであることを日増しにはっきりと認識しつつある。こうした普遍的価値と基本的政治制度枠組みを取り除いた「現代化」は、人の権利をはく奪し、人間性を腐らせ、人の尊厳を踏みにじる災難である。21世紀の中国がどこに向かうのか。この種の権威主義的統治下の「現代化」か? それとも普遍的価値を認め、主流文明に溶け込み、民主政体を樹立するのか? それは避けることのできない選択である。
19世紀中葉の歴史の激変は、中国の伝統的専制制度の腐敗を暴露し、中華大地の「数千年間なかった大変動」の序幕を開いた。洋務運動(1860年代初頭から約30年続いた)はうつわの表面の改良(中体西用)を追求し、甲午戦争(日清戦争1894年)の敗戦で再び体制の時代遅れを暴露した。戊戌変法(1898年)は制度面での革新に触れたために、守旧派の残酷な鎮圧にあって失敗した。辛亥革命(1911年)は表面的には2000年余り続いた皇帝制度を埋葬し、アジアで最初の共和国を建国した。しかし、当時の内憂外患の歴史的条件に阻害され、共和政体はごく短命に終わり、専制主義が捲土重来した。うつわの模倣と制度更新の失敗は、先人に文化的病根に対する反省を促し、ついに「科学と民主」を旗印とする「五四」新文化運動がおこったが、内戦の頻発と外敵の侵入により、中国政治の民主化過程は中断された。抗日戦争勝利後の中国は再び憲政をスタートさせたが、国共内戦の結果は中国を現代版全体主義の深淵に陥れた。1949年に建国した「新中国」は、名義上は「人民共和国」だが、実際は「党の天下」であった。政権党はすべての政治・経済・社会資源を独占し、反右派闘争、大躍進、文革、六四、民間宗教および人権擁護活動弾圧など一連の人権災害を引き起こし、数千万人の命を奪い、国民と国家は甚だしい代価を支払わされた。
20世紀後期の「改革開放」で、中国は毛沢東時代の普遍的貧困と絶対的全体主義から抜け出し、民間の富と民衆の生活水準は大幅に向上し、個人の経済的自由と社会的権利は部分的に回復し、市民社会が育ち始め、民間の人権と政治的自由への要求は日増しに高まっている。統治者も市場化と私有化の経済改革を進めると同時に、人権の拒絶から徐々に人権を認める方向に変わっている。中国政府は、1997年、1998年にそれぞれ二つの重要な国際人権規約に署名し、全国人民代表大会は2004年の憲法改正で「人権の尊重と保障」を憲法に書き込んだ。今年はまた「国家人権行動計画」を制定し、実行することを約束した。しかし、こうした政治的進歩はいままでのところほとんど紙の上にとどまっている。法律があっても法治がなく、憲法があっても憲政がなく、依然として誰もが知っている政治的現実がある。統治集団は引き続き権威主義統治を維持し、政治改革を拒絶している。そのため官僚は腐敗し、法治は実現せず、人権は色あせ、道徳は滅び、社会は二極分化し、経済は奇形的発展をし、自然環境と人文環境は二重に破壊され、国民の自由・財産・幸福追求の権利は制度的保障を得られず、各種の社会矛盾が蓄積し続け、不満は高まり続けている。とりわけ官民対立の激化と、騒乱事件の激増はまさに破滅的な制御不能に向かっており、現行体制の時代遅れは直ちに改めざるをえない状態に立ち至っている。
二、我々の基本理念
中国の将来の運命を決めるこの歴史の岐路に立って、百年来の近代化の歴史を顧みたとき、下記の基本理念を再び述べる必要がある。
自由:自由は普遍的価値の核心である。言論・出版・信仰・集会・結社・移動・ストライキ・デモ行進などの権利は自由の具体的表現である。自由が盛んでなければ、現代文明とはいえない。
人権:人権は国家が賜与するものではなく、すべての人が生まれながらに有する権利である。人権保障は、政府の主な目標であり、公権力の合法性の基礎であり、また「人をもって本とす」(最近の中共のスローガン「以人為本」)の内在的要求である。中国のこれまでの毎回の政治災害はいずれも統治当局が人権を無視したことと密接に関係する。人は国家の主体であり、国家は人民に奉仕し、政府は人民のために存在するのである。
平等:ひとりひとりの人は、社会的地位・職業・性別・経済状況・人種・肌の色・宗教・政治的信条にかかわらず、その人格・尊厳・自由はみな平等である。法の下でのすべての人の平等の原則は必ず実現されなければならず、国民の社会的・経済的・文化的・政治的権利の平等の原則が実現されなければならない。
共和:共和とはすなわち「皆がともに治め、平和的に共存する」ことである。それは権力分立によるチェック・アンド・バランスと利益均衡であり、多くの利益要素・さまざまな社会集団・多元的な文化と信条を追求する集団が、平等な参加・公平な競争・共同の政治対話の基礎の上に、平和的方法で公共の事務を処理することである。
民主:もっとも基本的な意味は主権在民と民選政府である。民主には以下の基本的特徴がある。(1)政府の合法性は人民に由来し、政治権力の源は人民である。(2)政治的統治は人民の選択を経てなされる。(3)国民は真正の選挙権を享有し、各級政府の主要政務官吏は必ず定期的な選挙によって選ばれなければならない。(4)多数者の決定を尊重し、同時に少数者の基本的人権を尊重する。一言でいえば、民主は政府を「民有、民治、民享」の現代的公器にする。
憲政:憲政は法律と法に基づく統治により憲法が定めた国民の基本的自由と権利を保障する原則である。それは、政府の権力と行為の限界を線引きし、あわせて対応する制度的措置を提供する。
中国では、帝国皇帝の権力の時代はすでに過去のものとなった。世界的にも、権威主義体制はすでに黄昏が近い。国民は本当の国家の主人になるべきである。「明君」、「清官」に依存する臣民意識を払いのけ、権利を基本とし参加を責任とする市民意識を広め、自由を実践し、民主を自ら行い、法の支配を順守することこそが中国の根本的な活路である。
三、我々の基本的主張
そのために、我々は責任をもって、また建設的な市民的精神によって国家政治制度と市民的権利および社会発展の諸問題について以下の具体的な主張をする。
1、憲法改正:前述の価値理念に基づいて憲法を改正し、現行憲法の中の主権在民原則にそぐわない条文を削除し、憲法を本当に人権の保証書および公権力への許可証にし、いかなる個人・団体・党派も違反してはならない実施可能な最高法規とし、中国の民主化の法的な基礎を固める。
2、権力分立:権力分立の現代的政府を作り、立法・司法・行政三権分立を保証する。法に基づく行政と責任政府の原則を確立し、行政権力の過剰な拡張を防止する。政府は納税者に対して責任を持たなければならない。中央と地方の間に権力分立とチェック・アンド・バランスの制度を確立し、中央権力は必ず憲法で授権の範囲を定められなければならず、地方は充分な自治を実施する。
3、立法民主:各級立法機関は直接選挙により選出され、立法は公平正義の原則を堅持し、立法民主を行う。
4、司法の独立:司法は党派を超越し、いかなる干渉も受けず、司法の独立を行い、司法の公正を保障する。憲法裁判所を設立し、違憲審査制度をつくり、憲法の権威を守る。可及的速やかに国の法治を深刻に脅かす共産党の各級政法委員会を解散させ、公器の私用を防ぐ。
5、公器公用:軍隊の国家化を実現する。軍人は憲法に忠誠を誓い、国家に忠誠を誓わなければならない。政党組織は軍隊から退出しなければならない。軍隊の職業化レベルを高める。警察を含むすべての公務員は政治的中立を守らなければならない。公務員任用における党派差別を撤廃し、党派にかかわらず平等に任用する。
6、人権保障:人権を確実に保障し、人間の尊厳を守る。最高民意機関(国会に当たる機関)に対し責任を負う人権委員会を設立し、政府が公権力を乱用して人権を侵害することを防ぐ。とりわけ国民の人身の自由は保障されねばならず、何人も不法な逮捕・拘禁・召喚・尋問・処罰を受けない。労働教養制度(行政罰としての懲役)を廃止する。
7、公職選挙:全面的に民主選挙制度を実施し、一人一票の平等選挙を実現する。各級行政首長の直接選挙は制度化され段階的に実施されなければならない。定期的な自由競争選挙と法定の公職への国民の選挙参加は奪うことのできない基本的人権である。
8、都市と農村の平等:現行の都市と農村二元戸籍制度を廃止し、国民一律平等の憲法上の権利を実現し、国民の移動の自由の権利を保障する。
9、結社の自由:国民の結社の自由権を保障し、現行の社団登記許可制を届出制に改める。結党の禁止を撤廃し、憲法と法律により政党の行為を定め、一党独占の統治特権を廃止し、政党活動の自由と公平競争の原則を確立し、政党政治の正常化と法制化を実現する。
10、集会の自由:平和的集会・デモ・示威行動など表現の自由は、憲法の定める国民の基本的自由であり、政権党と政府は不法な干渉や違憲の制限を加えてはならない。
11、言論の自由:言論の自由・出版の自由・学術研究の自由を実現し、国民の知る権利と監督権を保障する。「新聞法」と「出版法」を制定し、報道の規制を撤廃し、現行「刑法」中の「国家政権転覆扇動罪」条項を廃止し、言論の処罰を根絶する。
12、宗教の自由:宗教の自由と信仰の自由を保障する。政教分離を実施し、宗教活動が政府の干渉を受けないようにする。国民の宗教的自由を制限する行政法規・行政規則・地方法規を審査し撤廃する。行政が立法により宗教活動を管理することを禁止する。宗教団体〔宗教活動場所を含む〕は登記されて初めて合法的地位を獲得するという事前許可制を撤廃し、これに代えていかなる審査も必要としない届出制とする。
13、国民教育:一党統治への奉仕やイデオロギー的色彩の濃厚な政治教育と政治試験を廃止し、普遍的価値と市民的権利を基本とする国民教育を推進し、国民意識を確立し、社会に奉仕する国民の美徳を提唱する。
14、財産の保護:私有財産権を確立し保護する。自由で開かれた市場経済制度を行い、創業の自由を保障し、行政による独占を排除する。最高民意機関に対し責任を負う国有資産管理委員会を設立し、合法的に秩序立って財産権改革を進め、財産権の帰属と責任者を明確にする。新土地運動を展開し、土地の私有化を推進し、国民とりわけ農民の土地所有権を確実に保障する。
15、財税改革:財政民主主義を確立し納税者の権利を保障する。権限と責任の明確な公共財政制度の枠組みと運営メカニズムを構築し、各級政府の合理的な財政分権体系を構築する。税制の大改革を行い、税率を低減し、税制を簡素化し、税負担を公平化する。公共選択(住民投票)や民意機関(議会)の決議を経ずに、行政部門は増税・新規課税を行ってはならない。財産権改革を通じて、多元的市場主体と競争メカニズムを導入し、金融参入の敷居を下げ、民間金融の発展に条件を提供し、金融システムの活力を充分に発揮させる。
16、社会保障:全国民をカバーする社会保障制度を構築し、国民の教育・医療・養老・就職などの面でだれもが最も基本的な保障を得られるようにする。
17、環境保護:生態環境を保護し、持続可能な開発を提唱し、子孫と全人類に責任を果たす。国家と各級官吏は必ずそのために相応の責任を負わなければならないことを明確にする。民間組織の環境保護における参加と監督作用を発揮させる。
18、連邦共和:平等・公正の態度で(中国周辺)地域の平和と発展の維持に参加し、責任ある大国のイメージを作る。香港・マカオの自由制度を維持する。自由民主の前提のもとに、平等な協議と相互協力により海峡両岸の和解案を追求する。大きな知恵で各民族の共同の繁栄が可能な道と制度設計を探求し、立憲民主制の枠組みの下で中華連邦共和国を樹立する。
19、正義の転換:これまでの度重なる政治運動で政治的迫害を受けた人々とその家族の名誉を回復し、国家賠償を行う。すべての政治犯と良心の囚人を釈放する。すべての信仰により罪に問われた人々を釈放する。真相調査委員会を設立し歴史的事件の真相を解明し、責任を明らかにし、正義を鼓舞する。それを基礎として社会の和解を追求する。
四、結語
中国は世界の大国として、国連安全保障理事会の5つの常任理事国の一つとして、また人権理事会のメンバーとして、人類の平和事業と人権の進歩のために貢献すべきである。しかし遺憾なことに、今日の世界のすべての大国の中で、ただ中国だけがいまだに権威主義の政治の中にいる。またそのために絶え間なく人権災害と社会危機が発生しており、中華民族の発展を縛り、人類文明の進歩を制約している。このような局面は絶対に改めねばならない! 政治の民主改革はもう後には延ばせない。
そこで、我々は実行の勇気という市民的精神に基づき、「08憲章」を発表する。我々はすべての危機感・責任感・使命感を共有する中国国民が、朝野の別なく、身分にかかわらず、小異を残して大同につき、積極的に市民運動に参加し、共に中国社会の偉大な変革を推進し、できるだけ早く自由・民主・憲政の国家を作り上げ、先人が百年以上の間根気よく追求し続けてきた夢を共に実現することを希望する。
(括弧)内は訳注。
原文:
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/8f95023140c18356340ca1d707aa70fe
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/84859dc4e976462d3665d25adcd04987
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/d5a614fa9b98138bb73cd49d3e923b40
(転載自由、出典明示)
今年分をまとめてみた。
1月14日 天皇皇后両陛下 お茶(タイ王族ソムサワリー殿下)(御所)
2月12日 天皇陛下 ご引見(東ティモール国民議会議長)(宮殿)
2月17日 皇后陛下 お茶(アメリカ合衆国元大統領夫人ヒラリー・ロダム・クリントン(平成6年アメリカ合衆国ご訪問時のアメリカ合衆国大統領夫人))(御所)
3月4日 天皇皇后両陛下 ご引見(ラトビア国会議長夫妻)(宮殿)
4月14日 天皇皇后両陛下 ご昼餐(ヨルダン国王陛下,王弟ファイサル殿下,王妹ラーイヤ殿下及び王族ガーズィ殿下)(御所)
4月17日 天皇陛下 ご会見(パキスタン大統領閣下)(宮殿)
4月20日 天皇陛下 ご引見(ベトナム共産党中央執行委員会書記長)(宮殿)
5月11日 天皇皇后両陛下 シンガポール大統領閣下及び同令夫人[国賓]歓迎行事(宮殿)
天皇皇后両陛下 ご会見(シンガポール大統領閣下及び同令夫人)(宮殿)
天皇皇后両陛下 宮中晩餐(シンガポール大統領閣下及び同令夫人)(宮殿)
5月13日 天皇皇后両陛下 お別れにつき,シンガポール大統領閣下及び同令夫人をご訪問(迎賓館赤坂離宮(港区))
5月21日 天皇皇后両陛下 茶会(第5回日本・太平洋諸島フォーラム首脳会議に出席する各国首脳夫妻等)(宮殿)
6月18日 天皇皇后両陛下 ご会見(フィリピン大統領閣下及び同夫君)(宮殿)
9月17日 天皇皇后両陛下 ご会見・午餐(イタリア大統領閣下及び同令夫人「公式実務訪問」)(宮殿)
10月1日 天皇皇后両陛下 ご会見・午餐(オーストリア大統領閣下及び同令夫人「公式実務訪問」)(宮殿)
10月8日 天皇皇后両陛下 ご引見(タイ上院議長夫妻)(宮殿)
10月28日 天皇皇后両陛下 ご引見(ニュージーランド首相夫妻「公式実務訪問」)(宮殿)
11月14日 天皇皇后両陛下 ご昼餐(アメリカ合衆国大統領閣下)(御所)
12月3日 天皇陛下 ご会見・午餐(ハンガリー大統領閣下「公式実務訪問」)(宮殿)
王族:2回
議会議長:3回
その他:1回
その他はヒラリークリントン元大統領夫人で、国務長官としてではなく、
元大統領夫人として再開したいという要望から実現したもの。
ソースがwikipediaなので注意していただきたいが、中国の権力としてはナンバー2は全国人民代表大会常務委員長、ナンバー3は国務院総理と見られることが多いとのことである。
平成19年4月12日には国務院総理(首相に相当)がご引見されている(このときも陛下のみ)。
国家副主席の立場は私にはよくわからないが、過去のご引見の背景や、政府要人と格で比較した場合に今回の件が適切といえるのか。