「頽廃」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 頽廃とは

2018-09-17

anond:20180917092437

元増田です。

わたしが思いつくフェミニズムに対する反論は、「フェミニズムが拘泥する、あるジェンダー表象(性規範が強化された身体)に対する批判は、その表象イメージ)をタブー化する危険性がある」ですかね。

女性身体男性欲望から解放するのだ、というスローガンへの拘泥が行きすぎると、はじめのほうは示唆的でも、途中から頽廃主義」を嫌った全体主義ナチスドイツ的になる。

まあ、これスゴい飛躍していて、わたし自身もまだ纏めていないんですが(消された別の増田によるとあなたわたしらしいので、自問自答的な放言だと思ってください)。

ラノベの側からは、ラノベに対する批評を強化するのが一番だと思いますよ。わたしラノベ詳しくないので、示唆しかできませんが。

2018-09-15

銀河英雄伝説 Die Neue Theseレビュー

適当な書き場所が見つからなかったのでここで

様々な酷評ネットを覆っているが、致命的だと感じた部分を何点か。

(多くの方が酷評してるキャラデザはアリだと思っている。キャラクター社会歴史を描くただの駒なのだ。それでも石黒版ではキャラ描写が秀逸で魅力的だったことは確か)

艦隊戦の描写不足

メカCGになり、数万隻の艦隊を描く作画上のハードルはかなり下がったはずだと期待していた。実際に描かれたのは普通SFありがちな芯の感じられないデザイン戦艦重厚感、巨大感をまったく見せずに軽快に動き回り、戦術深淵を感じさせない異常なハイテンポ戦闘であった。雰囲気が軽薄すぎる。

数万隻がダイナミックに関わる作品上の見せ場のはずが艦隊の遠景描写も近景描写も全く石黒版に及ばない。

クラシック音楽による重厚BGMも、耳に残らないありがちなものに置き換えられてしまった。虚空に伸びる無数のビーム描写も消え失せ、もはや苦痛しかなかった。

根本的にスケール感、質量感、雰囲気を描くことに失敗している。そのうえでSFとしてよりリアル、あるいは盛り上げるにはどうするべきかという改善を試みた形跡がまったく無い。

②背景美術の軽薄さ

前述の戦闘雰囲気にも通底した問題だが、社会文明文化生活、どのような世界キャラクターたちが生きていてどんな雰囲気が漂っているのか、セリフに出さずとも背景1枚で多くを語ることが出来る。石黒版はそのあたりも実に巧みで、数百年続いたゴールデンバウム王朝頽廃や、戦争疲弊制度社会麻痺していく同盟を実によく描いていた。

残念ながら、新作では帝国同盟ともに最近アニメSFありがちなものとなってしまった。同盟側は比較現代社会に近いので新作の方向性としてこうしますよ、というのであれば受け入れられなくもないが、帝国側の描写悲惨のもの西洋建築文化に詳しいスタッフがいなかったのか?というくらい軽薄な、なんちゃってヨーロッパミスマッチSF、安っぽい貴族趣味的豪華さが同居した地獄となっている。貴族近世的な文化と高度な星間社会との落差を石黒版では見栄え上は完全に近代文明を感じさせない方法で乗り切ったが、新作ではどっちつかずの半端な描写となっている。

③単純に尺が足りてない

これは多くの方が言及しているが削りに削って再構成した石黒版でさえアムリッツァまで15話かけている。新作は12話かけて直前まで到達。尺が足りない。全く足りない。足りてないのを何かで補うわけでもなく、必要描写をばっさりカットしていき、①や②で述べたようにそもそもすべてが軽薄。もちろん①や②が改善されないまま15話かけても駄作扱いだっただろう。(多くのひとが言うように世間的な評価にはキャラデザも当然影響している。私はあまり気にしないだけである)

大事な順に書いたので、①さえまともなら、他がグダグダだったとしても楽しんでみていたと思う。せっかくCGいくらでも艦隊戦出来るのに活かせてないのは本当にツライ。そういう意味ではガンダムジオリジンはかなりうまくやっていると思う。艦隊戦やメカ描写に並々ならぬこだわりを注いでいることがよく伝わってくるし、アニメ版のガンダムを良い方向でリメイクしている。(オリジンオリジンアニメ化であって厳密にはリメイクではないという意見ももちろん承知している)

2018-07-20

anond:20180720152405

そもそもGoogleじたい気に食わんので個人的には検索DuckDuckGoしか使ってない。

自由じゃないソフトウェアを便利だなんだと持て囃すのは、中国共産党独裁体制で発展する経済を羨ましがるようなもんで西側人間にあるまじき政治的頽廃だ。

2018-05-30

[]フランシスダッシュウッド

1708年イギリス貴族の家に生まれる。

早くに両親を亡くしたことから、若くして莫大な遺産を受け継ぐ。

放蕩生活を送る一方、サロン主催するなどして文化人交流し、政界にも人脈を作っていく。

その集大成が1753年につくられた「ヘル・ファイア・クラブ」と呼ばれる秘密結社で、

修道院を豪奢に改装した会場に、貴族政治家聖職者芸術家などが夜な夜な集まり

悪魔崇拝儀式を模して乱交に耽るなど、淫蕩頽廃の限りを尽くしていた。

皇太子の頃のジョージ三世、後のイギリス首相ジョン・ステュアートロンドン市長を務めたジョン・ウィルクス、

サンドイッチの由来ともなったサンドウィッチ伯爵や、かのベンジャミン・フランクリン参加者とされ、

政界の一大スキャンダルとしてバッシングを受けることとなった。

しかし、実際には酒を飲んで騒ぎながら政治を語りあうサロンであったともいう。

1762年にダッシュウッドが大蔵大臣指名されたことでクラブ解散となった。

晩年領地隠棲し、1781年に亡くなった。

2016-03-11

檄文

われわれ働く増田の会は、日本保育園によって育てられ、いわば日本保育園はわれわれの父でもあり兄でもあり、母でもあり姉でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的発言に出たのは何故であるか。

かえりみれば、幼きわれら増田は3年、あるいは保留児となったかも知れぬ過去を父母の加護により隠蔽し、入り得た保育園で一片の打算もない教育を受け、またわれわれも保育園を愛し、もはや園の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに先達の知らなかった豊かさを知った。ここで流したわれわれの涙は山川純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に園の庭におしっこした。このことには一点の疑いもない。われわれにとって保育園故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。保育士諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、保育園を愛するが故であると私は断言する。

われわれは失われた二十五年の日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、保育の大本を忘れ、保育園精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は森元らに転がされ、五輪紋章の汚辱は払拭されずにただごまかされ、保育園卒園者すなわち日本人自ら日本の歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。

われわれは今や保育園にのみ、真の保育、真の保育士、真の保育再興の魂が残されているのを夢みた。しか法理論的には、待機児童の現状は自治体および日本国行政不作為が問われる状況にあり、国の根本問題たるべき待機児童が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、待機の語義を永遠の諦めにすり替えることによって、親となった増田たちの魂の疲弊道義頽廃根本原因を、なしてきているのを見た。もっと名誉を重んずべき保育が、早期解決すべき待機が、実質を重んずべき一億総活躍美名が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである保育園元号平成に変えてから国家不名誉十字架を負いつづけて来た。待機は待機の本義を与えられず、女性活用一億総活躍もその対象も明確にされなかった。われわれは失われた二十五年のあまりに永い保育園の眠りに憤った。保育園が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。保育園が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、保育園福祉の本義に立ち、真の男女均等となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。しかるに、誤って目覚めたのは宮崎であった。

われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。地方行政は自らは何もできぬという。しか行政に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には増田らの民意からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的保育園の本姿である、という。しか英米シヴィリアン・コントロールは、保育園行政に関する財政上のコントロールである日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩もうとする保育園は魂が腐ったのか。ゆりかごから墓場まで理想はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な遊戯所になって、どこかへ行こうとするのか。

われわれは二十五年待った。最後一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。保育園を真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。次世代生命以上の価値なくして何の保育園であり一億総活躍だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。保育だ。われわれの愛する歴史伝統の保育だ。これを骨抜きにしてしまったこの国に体をぶつけて死ぬはいないのか。もしいれば、今からでも共に勃ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の増田として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである

増田 公威

聞けい。聞かぬか。そうか。

http://anond.hatelabo.jp/20160215171759

2014-09-11

[]断種

谷口弥三郎君 私は問題が余程違いますが、人口政策確立をこの際特に希望したいと存じておるのでございます。(「自由討議はそういうことを言うて貰わねばならん」と呼ぶ者あり)

 我が國の人口の状況は、皆さん御承知の通りに、実に飽和状態になつておるのでございます。即ち國土の関係からしましても、この戰争のために、敗戰の結果、四割三分強の國土をなくしておるのでございます。從つて只今のところでは、國土におきまして耕地面積が僅かに六百万町しかないのでありますから、これに生存するのには六千万ぐらいの人口でなければ、なかなか食糧問題その他に困難をいたして來るのでございます。それに拘わらず、昨年度のごときは、出生におきましては二百七十一万、死亡におきましては百七十五万というのでありますから自然増加が百五十六万余になつておるのでございます。從つて現在におきましては、八千万人目を超えておるのでございますが、この状況で参りますというと、八千万どころか、昭和二十七年頃には、すでに八千七八百万というような状況になつて來るのでございます。これをこのままにして置きますというと、今後食糧問題その他について非常な困難がやつて参ると思いますが、これに対しまして、第二國会におきまして優生保護法というのができました。あれのお蔭によりまして、不良な分子の出生の断種手術によつて或る程度少くすることができると思いますが、これは余程うまく行きました場合に、僅か一年に五万人ぐらいの出産を防ぐ程度にしかならんのでございます。尚不良な分子に対しまして、又母性保護という立場からいたしまして、合法的に或る程度人工妊娠中絶を許すことになりましたが、これにおきましても実際の人口調節は我々の思うように多数には上つて参らんのであります。それで是非今後受胎の調節をやらなければならんと存じておるのであります。受胎の調節は併しこれは、やり方によりますと、現在方々で行われておるようなことをやりましたら、優秀な階級のみに行われて不良な階級には全然顧みられぬ。言い換えれば国民素質の低下がずんずん起つて來ると存じますのでございます。それで今後の人口対策といたしましては、或る程度のいわゆる不良な分子とか、経済的無能力な者とかいうような方面に……この方面の者をよく調べて見ますというと、日本に約六百万人ぐらいの人々がおられるように思うのでございます。六百万人と申しますと、それは特にそれに適合する者でございまして、年齢からしますと十七八歳以後五十歳ぐらいの婦人でございます。而もその方々はいわゆる生活能力に非常に困つておる、貧困で多産な者でありますとか、病弱な者でありますとか、或いは子供を持ちましてから間もない方々であるかいうような方々をずつと調べて見ると、約六百万人ぐらいの人口になるのでございます。その六百万人の方々に受胎調節をいたしますというと、一年に約八十万人ぐらいの出生を低下することができるのであります。それには方法特に必要でありまして、これに対しましては、例えば現在助産婦一定度の講習をいたしまして、そうしてそういう方々をずつと訪問いたしまして、勧告いたしまして、そうして受胎調節をやるように勧めるのでございます。そうしますと、助産婦現在六万人ぐらいおりますけれども、そういう講習をしてから後の助産婦と申しますのは約四万人ぐらいになるのでございます。言い換えれば一人が百五十人ぐらいづつを担当いたしまして、そうして十分な受胎調節をいたしますというと、そうすると不良の或いは困つた家庭の出生を低下することができますので、即ち現在の八千万人口を先ずそのままに喰い止めることができると存じておるのであります。尤もこの方法は、或いは未婚者とか未亡人の方には、これは道徳的頽廃防止の関係上、絶対に行わないようにいたしたいと思います。又精神病患者とか癩の患者とか申しますのは、これはいわゆる断種手術を行なつて、この方面の方には入つて來ないのであります。この方面に入る階級は前にも申しましたように、六百万人の或る程度の人のみに行なつて見たい。又この方法によりまして人口の急激な増加を防ぎますと共に、國民素質の低下を防ぐのが目的でございますが、その方法については新聞雑誌ラジオなどではこれは到底……そういうものを使うと却つて或る優秀な階級特に子供を持つて貰いたいと思われるような階級の者に惡用される危險がございますので、これは是非とも或る一種の特別指導者を作つて行わせたならば、必ず目的を達し得るだろうと思うのでございます。即ち今後の我が國の人口対策は量よりも質に重きを置かんければならんと思つておるのでございます現在各地におきまして、或る方面から頻りとバースコントロールをやるようにという示唆があるとかいうような話も聞きますが、これは非常に私共の考えでは危險であると思つておるのでございます。即ち前に述べましたような優秀な階級に行われる危險がございますので、不良の階級にこの方法を採ること、即ち国家は一日も早くこの対策をやつて頂きたい、政府は是非これを採用して、大いに速かにこの方面に十分な施策を行なつて頂きたいと思いまして、実はここに自由討議の時間を拜借いたしまして、私の平素考えておることを申上げ、皆さんの御賛同を得て、大いにこれが実施を一目も早く進めたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(拍手

第003回国会 本会議 第11号

昭和二十三年十一月十五日(月曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/003/0512/00311150512011c.html

2013-04-12

有楽町TSUTAYA漫画コーナーが気持ち悪い。

魔法少女なんたらとか、なんとかぷんぷんとか、厨二的な破滅自虐頽廃あんだけ押し出すのってどうなん。

あそこのマルイ、あんまり中高生みないよ?

2012-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20121219151953

ハイハイ良く頑張りました

でもそれ以上やっても教養の乏しさがバレるだけだからその辺でやめとけ

事は企画の大小の話じゃないし

侘び茶人つーたら無一物の貧乏茶人のことだし

寂ってのは苔むした石のように歳を経て内側からにじみ出てくる美のことだよ

頽廃(笑)

http://anond.hatelabo.jp/20121219144424

お金が無くても物資が乏しくても人間宗教芸術をやる」けど、やっぱり先立つものがないと生きていけないし、大きな企画もできない、ということだろ。

侘び寂びだとかいうのも、基本的には大名たちの道楽だ。

名物一つが国一つと引き換えにされるような文化頽廃的でなくて何だと言うのか。

金持ちがあえて侘びた風情を求めるのが「侘び寂び」なんだよ。

庶民はそんなもの気にしない。

http://anond.hatelabo.jp/20121219143109

お金が無くても物資が乏しくても人間宗教芸術をやるから

だったら「芸術頽廃の中で花開く」なんて言えないじゃんw

だいたい侘び寂びの美が生き残ってる時点で頽廃は無関係だよね

派手で目立つだけであって決して一貫してメインストリームってわけではないでしょ

http://anond.hatelabo.jp/20121219141617

そして平和はともかく頽廃の中で芸術が咲くだろうか

つーかそういうことにすると宗教芸術殆ど芸術範疇でないってことになるのでは

宗教芸術には困難も窮乏も必要条件じゃないよ

後世に残るような宗教芸術はだいたい豊かな寄進によってる

奥州藤原氏なんて当時最高の財力で極楽を具現化して平泉文化金色堂が残ってる

お金が無くても物資が乏しくても人間宗教芸術をやるから

高地でも岩山削って寺を作ったりするけど、

基本的に社会に余剰があるほうが発展・爛熟する

http://anond.hatelabo.jp/20121219141059

プレッシャーや困難が芸術発展に寄与するなんて誰も言ってないっしょ

芸術平和頽廃の中で咲きほこる」か「人間創造性は困難の中で発揮される」かだよ

そして平和はともかく頽廃の中で芸術が咲くだろうか

つーかそういうことにすると宗教芸術殆ど芸術範疇でないってことになるのでは

頽廃の世で芸術が爆発するのってルネサンスのころくらいじゃね?

http://anond.hatelabo.jp/20121219132824

横だが

そんなんは怪談の類であって

王侯貴族文化の発展に寄与する例って言ったら

芸術家職人パトロンになってすんげー予算仕事依頼しまくる」

に尽きるよ

技術戦争と恐怖の下で伸びるけど芸術平和頽廃の中で花開くんだ

2012-02-19

知識の蓄積と創造性の頽廃社会の隆盛と

「覚えないといけない」知識は、社会で必要だと思われているほど多くはない。いや、多くはなかった、と言うべきだろうか。

社会が進展するにつれ、文化資本文明資本が蓄積してきた。一方、その裏で抱えきれないものは手から零れ落ちていった。

文化文明を維持するには何にもまして人こそが肝である。人ひとりがすべてを支えることは不可能だが、多くの人が寄り集まって支え合えば、可能な限り多くの資本を守ることができる。

しかし、このように理想的な状態が保たれるのは現実的な話ではない。どこかに集中し、資本と同じくして零れ落ちる人の存在がある。社会が――人と文化文明との集合が――それを放置するのは散財以前の問題であり、これはなかば使命として、より最適な配分状態を志向されるべきだろう。

さて、その蓄積した資本を維持するためには知識の蓄積が重要である創造性とは異なる、維持するための知識である。これを日常的には『精通する』などという。

維持される資本が高度化、複雑化するに従い、求められる知識も高度化、複雑化する。当然、高度化された知識に精通できる人間は限られている。それは概ね科学に通ずることと等しい。

そして、文化文明の蓄積それ自体を促すものとして、創造性が挙げられよう。既存資本の組み替えから、それらを利用した独創的な発明まで、創造性が欠かせない。

勘違いされやすいのだが、創造性とは偏在するものである。人の数だけ創造可能性がある。高度化された資本を組み合わせるためには高度な維持知識が必要だが、高度な創造性が備わっているわけではない。また、単純な資本同士でありながら驚くべき創造性で新たな地平を切り開くこともできる。何よりオリジナルな文章を著すには創造性が大事である。頭を良くするためには本を読めなどという人がいるが、本を読むだけではなく、何らかの形にまとめたり、自己の考えを付随させてみたりすることも、併せて重要だろう。

すなわち、表題に挙げた『創造性の頽廃』とは誤りである創造性の頽廃を掲げる人は、自身にとって興味がないか不快にさせる創造性をそれと見做さないか、あるいは己の意見社会の代表として振舞わせているか、あるいはこれから起こるだろう、私が懸念しているような衰退の結果のいずれかである

我が国では少子化が叫ばれて久しい。先に述べたように、創造性とは人頭で決まる。少子化が進めば併せて創造可能性も衰える。少数精鋭などというが、少数精鋭では、少数精鋭限りの創造と維持しかできない。このような発言の裏には、文化文明への理解と、それらや他者への尊敬とが不足している。

社会が隆盛するためには人の繁栄が大事である子供を産みたくないと思わせるような社会では先が知れるというものだ。このような事態において、我らが知識を結集し、次の代に遺すのは借金だけではないことを示さねばならない。

2011-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20110905123746

意図的に偏った言い方をしてるので

はぁ。偏った言い方っていうのは「文章では「殴りたい」とか厳しいことを言ったけど」とかいうことですか。

言い方っていうか内容も大概偏ってるっていう話なんスけど。

論語感ってなに?

孔子論語」(上から目線で)感。カッコのつけどころ間違ったなw

あなたは人を助けるときにどういう姿勢なのかな?

坂口安吾エゴイズム小論でも引いとこうか。青空文庫だし多分大丈夫だろう…と思いたい。

 人は道義頽廃といふ。だが、彼等の良しとする秩序とはいつたい何物であるのか。行きくれた旅人を泊めてもてなしてやつたか美談だといふ。この旅人小平のやうな男で、親切に泊めたばかりに締め殺されたらどうするつもりなのだ。フランス童話にあるではないか赤頭巾といふ可愛いゝ親切な少女は森のお婆さんを見舞ひに行つて、お婆さんに化けてゐた狼に食べられてしまふ話が。だから親切にするなといふのではなく、親切にするなら小平や狼に殺される覚悟でやれ、といふことだ。親切にしてやつたのに裏切られたからもう親切はやらぬといふ。そんな親切は始めからやらぬことだ。親切には裏切り報酬もない。小平や狼の存在が予定せられ、親切のおかげで殺されても仕方がないといふ自覚の上に成立つてゐる絶対の世界なのである

基本的には、人を助けるというのはこの「親切」に準ずる行為なのではないですかね。というスタンス

自分の身に傷が及んでも(たとえ助けた相手その人に傷つけられても)そのことで相手を恨まない。助けて「あげる」とか極力思わない。まあむずいけどね。

から「上(優位)に立ってモノ言うのを助けと称するって実際どうなの」と思っちゃう。

縋られたという立場につけこんどるだけやん。身内でやられたら余計かなわんわww

「ありがたいアドバイス」にはケチつけづらいしwww「その話三回目ですよ」とか絶対云えねえwww

あ、「別にありがたがれとか言うつもりはない」とかはやめてね。上からモノ言う限りそこんとこは全然説得力ない。

感覚的に具体例側に近い人が反論したくてたまらんみたいだけど。

玄関の例でいこうか。

ブログ記事では宅急便が来たときに、「玄関で靴をきちっとしとく」という具体的行動を取らされたって例をあげているけど、筆者自身としては靴が多少散らばっててもいいから早く対応したい派。その方が宅急便の人にとってもありがたいんではなかろうか、と。

でも「自分ならその具体例の行動の方がいい、靴はつねにきちんとが正しい」派が、「靴きちっとしとくの悪くない!言い過ぎ!宅配便に対してみっともない!だらしない!」と反論したくてたまらないみたいだけど。という話。

だらしないとか云うなら自分で出なさい。子に任せたからには子のやり方を許容・尊重すべき。とか思わんのかしら。思わんのだろうな。

子は道具で私有物ならば、自分の思い通りに子が動かないのは誤作動なわけだから、しつけと称した修理を要するって思考に転がる。尊重って発想が「大げさ」になる。

宅急便にはよ出ようというのはそれ自体間違ってるわけじゃないのにね。

特に婉曲的にモノ言ってるつもりはないです。というか文章くりぬいて引用していちいちあれこれ言ってみてるのに、どこか婉曲的でしたかね。

しゃべり方がバカっぽいのは私がバカだからだよ。

言わせんな恥ずかしいwwworz

2011-08-29

ゴルゴム幹部のありがたいお言葉

笑わせおってw

なにがファッション若者の街だw

あれこそ、人間どもが腐れ切った文明の果てにつくりあげた、堕落頽廃の象徴ではないか

2008-06-08

裁判員制度で幸か不幸か選ばれちゃった人に読んで欲しいなぁ

と思える文章を(再)発見したんで引用してみる

原文は非常に読み辛いので適宜改行してるよ

ちなみに原文はチャタレー事件最高裁法廷判決の真野毅意見(結論には賛成だけど過程が異なる場合に書く文)の一部

ちなみに真野毅さんの簡単な紹介は

http://ja.wikipedia.org/wiki/真野毅

 一般的にいつて、猥褻法律上の意義内容を明らかにする正確な解釈を打ち立てることは、はなはだ困難な仕事であるが、それをいかように定義を定めてみたところで、さて問題となつた具体的の描写が、その定義として解釈された事柄に該当するかどうかの第二次の判断は、裁判官に負わされた一層困難な仕事である。

 というのは、裁判官が個人としての純主観によつて判断すべきものではなくして、正常の健全社会人の良識という立場にたつ社会通念によつて客観性をもつて裁判官が判断すべきものである。純主観性でもなく、純客観性事実認定におけるがごとく)でもなく、裁判官のいわば主観客観性によつて判断さるべき事柄である。

 多数意見は、「相当多数の国民層の倫理感覚麻痺しており、真に猥褻なものを猥褻と認めないとしても裁判所は良識をそなえた健全人間の観念である社会通念の規範に従つて、社会道徳頽廃から守らなければならない。けだし法と裁判とは社会現実を必ずしも常に肯定するものではなく、病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬのである。」といつている。これは一つの本事件に関するばかりでなく、すべての事件に通ずる裁判の使命ないし裁判官の心構えに触れている点においてすこぶる重要な意義がある。

 法律上真に猥褻と認められるものに対し、裁判猥褻なものとして処理することは当然すぎるほど当然な事柄であるが、それ以外の「社会道徳頽廃から守らなければならない」とか、「病弊堕落に対して批判的態度を以て臨み、臨床医的役割を演じなければならぬ」とかいつた物の考え方は、裁判の道としては邪道である、とわたくしは常日頃思い巡らしている。

 裁判官は、ただ法を忠実に、冷静に、公正に解釈・適用することを使命とする。これが裁判官として採るべき最も重要な本格的の態度である。憲法で、裁判官法律に拘束されるといつているのはこのことである。

 しかるに、前記のごとく道徳ないし良風美俗の守護者をもつて任ずるような妙に気負つた心組で裁判をすることになれば、本来裁判のような客観性を尊重すべき多くの場合に法以外の目的観からする個人的の偏つた独断や安易の直観により、個人差の多い純主観性ないし強度の主観性をもつて、事件を処理する結果に陥り易い弊害を伴うに至るであろう。思想道徳風俗に関連をもつ事件においてことに然りであることを痛感することがある。

 またこの邪道は、被告人基本的人権の擁護に万全の配慮をしなければならぬ刑事事件において、却つて取締の必要を強調して法を運用しようとし、時に罪刑法定主義の原則を無視ないし軽視するに至る他の邪道にも通ずることを篤と留意しなければならぬ。

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/29781F7F9B5D2FA449256A850030AFC6.pdf

2007-11-30

http://anond.hatelabo.jp/20071130105348

学問的なトレーニングを受けていない人にはちゃんとした教科書は too philosophical/statistical/mathematical であって読めない、という問題がある。

新書はそこらへんをうまくごまかしているものが多いけど、根本的には、ちゃんと科学をやる必要に迫られた人でないと philosophical/statistical/mathematical になる理由が実感できない。そもそも新書を読む人のどれくらいの割合が、本当にちゃんと科学をやる必要に迫られているか?

質の低い新書の蔓延は知的頽廃の原因というより結果だし(書く人は、的外れかもしれないが、たいてい知的頽廃を少しでも食い止めようと思っているが、残念、本人もけっこう頽廃しているので、バカがバカを導く図になっている)、社会が安定して(技術進歩が停滞して)科学的思考を必要とされる人が減ってるという全体的な傾向には抜本的な対策がない。

ニセ科学リストに人が集まる動機が一種の権威主義で、科学的思考とは何の関係もないのは事実だけれど、たとえば高校教科書に書いてあることのどのへんが本質的に重要で、どのへんがカリキュラム関係で筆を抑えているか、というのを面白く(つまり聞き手の利益に関連づけて)語るのは、ペーパーを書いて refereed journal に載る能力とは違う想像力が要る。いちばんまずいのは、その想像力の持ち主が yet another 新書を書いてごみを増やしてしまうことで、むしろ塾でも開いて授業をしたほうがいいんだが。

2007-08-28

anond:20070828021900

千年後か2千年後の人類から見たら、俺たちはなんて野蛮で儚くて尊い奴らだろうと思われるだろう。

案外、強大な神か悪魔のように思われることになるかもしれないよ。

2X世紀、地球地獄と化した。

増大する人口、食糧難、エネルギー枯渇……次々に発生する問題は、一時には、富める国には停滞を、貧しき国には更なる窮乏をもたらしたのみであったが、やがては先進国によるエネルギー争奪戦争の様相を帯びていく。貧しき国々は既に国家としての機能を失い、先進国は、自らの生き残りを掛けて残り少ないエネルギーを奪い合い、蹂躙し、そして消費し、困窮はますます加速する。肥大化した文明は、地熱、風力、太陽光その他無数のクリーンエネルギーによっては賄いきれず、新たなエネルギーの開発は挫折し、唯一の頼みである原子力は空と大地とを蝕み続け、海は小島を飲み込み、不毛の砂漠が五大陸を覆った。期待された宇宙開発は、しかし状況を打開するほどの成果を挙げることは出来ず、あらゆるものが地球上から失われつつあった。

人々は、いつしか文明を放棄した。もはや、人類エネルギー無くしてその高度な文明を維持することは出来なくなっていたのだ。飢餓頽廃が世界を覆い、あらゆる倫理が世界から失われた。

それから数百年、世界は再び平穏を取り戻した。

しかし、その世界には、もはや莫大な資源は存在しない。人類文明を支えたエネルギーは、もはや尽きてしまった。微かに再生しつつある自然ともう動くことのない過去の遺物に囲まれて、猛毒が蔓延る世界で人々は終わることのない中世生きることを余儀なくされてしまったのだ。

そんな世界に、一人の少女がいた。朱色がかった白い肌と薄汚れた白髪の中に、血の色の瞳が強い印象を与えている。アルビノ――この世界ではさして珍しいというわけではない。汚染された世界は未だ癒されるにはほど遠く、空と大地の猛毒ははあらゆる異形を産み出し続けた――の少女は、かさかさにひび割れた大地に半ば埋もれた、かつて飛行機と呼ばれていた遺物の破片に腰掛けて、かつての世界を今に伝える歌を歌う……。

なんてことになっちゃうかもしれないよ。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん