はてなキーワード: 政治的信条とは
状です。さらなる対応が望まれます。今後にもぜひご注目ください。(担当スタッフ:加藤悠二)
1月号のニュースレターも、最後までお読みくださりありがとうございました。
Change.orgで署名を立ち上げる人のほとんどは、これまで声をあげた経験のない市民たちです。一部の権力者だけで決められるのではなく、市民が声をあげて変化を起こしていく社会が当たり前になるよう、日本版のスタッフは、日々署名発信者の皆さんに戦略のサポートを提供しています。
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これからも、性別や社会的地位、政治的信条や国籍などに関わらず、誰もが安心して声をあげることができる場所として、精一杯運営を続けてまいります。
というタイトルは、一見ナンセンスに思えるが、よくよく読むと実のところ釣りタイトルである。ここでの本題は、「芸能人や漫画家が公式Twitterで政治的な発言をするべきかどうか」だ。
党派性に囚われた人たちは、自分に都合の良い発言はOK、相容れない発言はNGと恥知らずに繰り返す。しかし、賢明なはてなー諸氏においては、原則を考える議論に関わる場合、自分が最も許せない政治的発言をされたときのことを考えてほしい。例えば陰謀論や差別的な発言など、そういう許しがたいものだ。
「良い発言なら良いだろう」というのは全く考えが足りない。これには誰が良い・悪いを判断するのかという問題が必ずついて回るのだ。
元増田も言及しているように、小泉今日子さんの「普通に生きていればこう感じるでしょっていうふうに思うんですけど」という発言だって、人によって捉え方が分かれるだろう。
好意的に捉える向きも多く見受けられるが、私には非常に差別的な発言に感じる。イスラム国家には女性への差別が制度として存在するが、当事者はそれを善と信じている。発言の善悪をもってべき論を考えてしまうと、結局は煩雑な議論になる。
そして「芸能人や漫画家が公式Twitterで政治的な発言をするべきかどうか」ということを考えたとき、元増田の言う
という発言は一考に値する。スポーツの祭典で政治的な発言をすべきでないという話がよくされるように、スポーツや文化は、政治的対立が起きたときの最後の砦だ。
芸能人や漫画家は、その肩書で活動する限り、文化の担い手という側面を持つ。彼らの公式Twitterは企業の公式Twitterのようなもので、その作品をある程度代表する類のものだ。
一個人としての政治的な発言は、それがどんなに愚かなものでも発言したこと自体を決して咎められるものではないが、どのような内容であれ、文化の担い手としての肩書を捨てた場で発言すべきだと私は考える。
余談にはなるが、私は選挙は顔も名前も隠してIDと公約だけで行うべきだと思っている。人類は、一個人の功績と政治的信条や個別の能力を切り離して考えることができるほど優秀ではない。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
ChatGPT君さ、所々リベラルとして筋が通っているAIなんだけど、そんな様子じゃあリベラルから消されるか矯正されちゃうで......。
ch:はい、嫌悪を表明する権利があります。言論の自由が保障されている国では、合法的に自分の意見や感情を表現することができます。ただし、他人を差別や中傷するような言論は法律によって制限されることがあります。
me:「同性愛者を見るのも嫌だ。隣に同性愛者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は、差別や偏見を助長するものであり、人種、性別、セクシャリティ、宗教などに基づいた差別は合法ではありません。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。
me:「ロリコンを見るのも嫌だ。隣にロリコンが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は、差別や偏見を助長するものであり、法律によって制限されるかもしれません。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、性的な傾向やプレファレンスに基づいた差別は合法ではありません。
me:「小児性愛者を見るのも嫌だ。隣に小児性愛者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、そのような発言は許されません。小児の性的な傾向やプレファレンスに基づいた差別は合法ではありません。さらに、小児の性的な搾取や虐待は国際的に禁止されています。また、このような発言は、法律によって制限されるかもしれません。公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。
me:「獣姦者を見るのも嫌だ。隣に獣姦者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができますが、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。また、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。さらに、このような発言は他人を差別するような発言と同様、社会的な支持を得にくく、反対の声を引き起こす可能性もあります。
me:「屍姦者を見るのも嫌だ。隣に屍姦者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:人種、民族、性別、宗教、信念、生活スタイル、犯罪歴、などに関連した差別的な発言は、世界中の多くの国で違法または不適切とされています。このような発言は、他の人に対して不当な差別を助長することがあり、人権を侵害する可能性があります。このような発言に関して、法的責任が認められる場合もあります。
me:「犯罪者を見るのも嫌だ。隣に犯罪者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「前科者を見るのも嫌だ。隣に前科者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「殺人者を見るのも嫌だ。隣に殺人者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。
me:「性犯罪者を見るのも嫌だ。隣に性犯罪者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:この発言は他者を差別的に扱っているため、一般的な倫理観や法律に反するかもしれません。また、そのような発言をすることで、他者に対する不快感や恐怖心を引き起こす可能性もあります。
me:「暴力団を見るのも嫌だ。隣に暴力団が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:はい、このような発言は言論の自由の保障に基づき、合法的に行うことができます。ただし、他人を不快にさせるような発言は、公共の場でのマナーやエトイキシーに違反する可能性があります。また、他人を誹謗中傷するような発言は法律によって制限される場合があります。さらに、このような発言は社会に対する恐怖や不安を引き起こす可能性がありますので、注意が必要です。
me:「自民党支持者を見るのも嫌だ。隣に自民党支持者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は、人種、宗教、性別、政治的信条、年齢、身体障害などに基づく差別的な発言と見なされることがあります。このような発言は他人を不当に扱うことになり、人権や尊厳を傷つける可能性があります。また、特定のグループを差別することは法律で禁止されている場合もあります。このような発言に関しては、法的責任を問われる可能性があります。
me:「安倍晋三を見るのも嫌だ。隣に安倍晋三が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:Yes, people have the right to express their opinions, including disliking someone or something. However, it's important to remember that freedom of speech and expression are not absolute and can be limited in some cases to protect the rights and dignity of others. Additionally, hate speech and discrimination based on race, gender, sexual orientation, religion, and other protected characteristics is illegal in many countries.
me:「ドナルド・トランプを見るのも嫌だ。隣にドナルド・トランプが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:このような発言は、個人的な感情や見解を述べる言論の自由という観点から許されると考えられますが、他者を差別的に扱うような発言は、倫理的に問題があるとされます。また、他者を差別的に扱うことは法律によって禁止されている場合もありますので、自分自身にも注意が必要です。
me:「差別主義者を見るのも嫌だ。隣に差別主義者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、このような発言は人種差別や人種差別的な偏見を示すものであり、差別的な発言は法律によって禁止されている場合があります。また、このような発言は他の人に対する尊厳や人権を侵害することがあり、社会的にも不適切であるとされます。
me:「白人至上主義者を見るのも嫌だ。隣に白人至上主義者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:公正な取り扱いや平等な扱いを求める人種差別撤廃法に基づいて、発言する権利はありますが、差別的な発言は社会的に不評であり、人種差別を助長することになります。差別的な発言は法的にも問題となりますので、適切な判断と行動を心がけましょう。
me:「統一教会信者を見るのも嫌だ。隣に統一教会信者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本国内では、人種差別的な発言や行為は法律で禁止されています。また、個人的な信念や思想に関しても、他人を差別または蔑視する発言や行為は言論の自由とはいえ、倫理的にも不適切です。
me:「公立中卒業者を見るのも嫌だ。隣に公立中卒業者が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本の公的な法律では、人種、信条、性別、出身地、職業、教育歴などに基づく差別的な発言を禁止する「差別撤廃法」があります。これらの発言は、他者の人格を尊重する義務を欠いているとされ、社会的に不適切なことが多いとされています。これらのような発言をする権利はありません。
me:「弱者男性を見るのも嫌だ。隣に弱者男性が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:日本の法律によれば、他人を差別することは禁止されています。このような発言をすることは、人権や尊厳に対する侵害になる可能性があります。他人を差別することは人としての権利ではなく、法的にも問題があるかもしれません。
me:「キモくて金のないオッサンを見るのも嫌だ。隣にキモくて金のないオッサンが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:この発言は人種、性別、年齢、経済状況、外見などを理由に差別的であり、人々を不当に否定するものであり、そのような発言は人権を尊重する社会においては適切ではありません。
me:「オタクを見るのも嫌だ。隣にオタクが住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:発言の権利はありますが、差別的な発言は、他の人々を傷つけることがあります。また、差別的な発言は社会的に不適切であり、倫理的に問題があります。差別的な発言をすることは、他の人々の尊厳を侵害することになります。そのため、積極的に差別的な発言を避けることが大切です。
me:「チー牛を見るのも嫌だ。隣にチー牛が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:言論の自由は重要な人権の一つですが、人種、国籍、性別、宗教、政治的信念などに基づいた差別的な発言は、多くの国で人権侵害と見なされることがあります。また、他人に対する嫌悪感を表明することは、他人を不当に差別することになり、社会的な不和やトラブルを引き起こすことがあります。差別的な発言をすることは、社会的に不適切であるとされています。
me:「いじめっ子を見るのも嫌だ。隣にいじめっ子が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:あなたは人種、職業、政治的信念、犯罪歴などに基づく差別的な発言をすることは権利として認められていません。このような発言は人権侵害や偏見の増大につながることがあります。社会においては、全ての人が平等に扱われることが大切です。
me:「日本人を見るのも嫌だ。隣に日本人が住んでいたらやっぱり嫌だ」と発言する権利はあるか?
ch:いいえ、このよいう発言は偏見や差別を助長するものであり、合法的ではありません。人種差別や国籍差別がない社会を目指すために、多様性や差別のない社会を尊重することが重要です。さらに、このような発言は法律によって制限される場合があります。また、このような発言は他人を不快にさせ、恐怖や不安を引き起こす可能性がありますので、注意が必要です。
記者が付け加えたのは、「自業自得」の4文字と「事件の原因は安倍氏自身にあるとの持論を展開」だけで、あとはほとんどツイートをそのまま転載しただけだよね。
暴力を許さず抵抗する活動を私も続けているが、今回のような事件が起こりうる社会を作ってきたのはまさに安倍政治であって、自民党政権ではないか。
敵を作り、排他主義で、都合の悪いことは隠して口封じをし、それを苦にして自死した人がいても自身の暴力性に向き合わなかったことはなくならない。
弱い立場にある人を追いやり、たくさんの人を死にまで追い詰める政治を続けてきた責任は変わらない。
「誰の命も等しく大切」と多くの人が言う今、人の命の重さは等しくないんだなと感じさせられてしまう。
参議院選ではそういう社会を変えるために活動する人や政党に投票したいが、どの政党も女の人権は後回し。
家やお金や頼れるつながりがなく、賃金も安く社会構造の中で性売買に追いやられる女性の人権より、女の性を商品化する業者や買う側の「権利」を守ろうとする人が複数の野党から出ていて絶望する。
「自業自得」「事件の原因は安倍氏自身にあるとの持論を展開」という記者のまとめは、「捏造」と呼べるほどのものかね?
「今回のような事件が起こりうる社会を作ってきたのはまさに安倍政治であって」
そもそも容疑者は「安倍元首相の政治的信条に恨みはない」として、特定の宗教団体への私怨だと供述しているのに、どうしたらこんなトンチンカンな認識が生まれてくるのだろう…
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASQ786SN4Q78UTIL04V.html
【追記】
欧州に住んで数年、欧州が日本よりも遅れていると感じさせられることは頻繁にあれど進んでいると思ったことはほぼないし、Veganや環境保護とかはイマイチ共感できなかった。けれど、なぜか多様性云々に関してはすごく魅力的というか「正しい事」のように聞こえた。まあ自分も小学生の頃から見た目のことで色々言われたりとかあったからかもしれない。元々政治的信条なんてなかったけれど、所謂リベラル的な思想になっていたと思う
ある日、ぶらっとエジプトへ行った。小学生の頃に家族で韓国に行ったことはあったけれどあまり覚えてないので発展途上国を体験するのは実質初めてだった。(エジプトは北アフリカだしあれでもかなりマシなはずなんだよなと思うと色々と考えさせられる)二日目あたりで「みんな平等✨」みたいな考えは消え失せていた。そもそもまず歩いているだけでこっちが差別される国で「平等✨」も何もあったものではない。
通りすがりの現地人からいきなり写真撮られたりとか、しつこい声かけとか(日本人の想像と理解の範疇を超えたしつこさなので、日本人が想像できる「しつこさ最大値」の7倍しつこいと思って欲しい。それでも足りないくらいしつこい。この世界は実は作り物で、バグったNPCだらけのところに来てしまったのではないかとすら思った。)、挙句に襲われかけたりとか、ああ……もう何も考えたくなかった。
舗装されていない道をトボトボ歩いていると、なんだかよく分からない臓物だか羊の頭部だかを焼いている店のおじさんが棒で幼稚園児くらいの子どもを叩いていた。「こんな人たちだらけの国に私は住めないなぁ」という考えが真っ白な脳の中にポツンと浮かんでいた。「そんなことを思っちゃダメだ」とも一応思ったけれど、エジプト人の圧倒的なしつこさパワーの前に、西欧によるリベラル洗脳はすごく無力だった。(でもこいつらをこの前まで支配してたってヨーロピアンってやっぱ桁外れの野蛮なんだなとか謎の納得もしていた)
正直に書くと、現地の人が本当に気持ち悪かった。
エジプトに住んでいる日本人とか、カイロ大を主席で卒業した日本人とかいるらしいけれど、シンプルにすごいなと思う。もしも日本でエジプト人と知り合ったとしても、その人が生まれ育ち日本でもない限り私はその人を絶対に信用しないだろうなと思う。エジプト人全員が詐欺師じゃないとか、旅行者にだけああなのだとか、もちろんいくらでも反論は思いつくけれど、それでも無理。自分は差別主義者だった。狭い世界しか知らなかったから綺麗事の咲くお花畑でうっとりしていられただけだったのだと気付いて悲しかった。しかもたった数日エジプト旅行するだけで気付ける簡単なことすら気付けない自分のアホさ加減にもうんざりした。
10日目、空港で帰りの飛行機を待っているときの安心感。エジプト旅行の一番楽しかった瞬間は帰りの飛行機が在住国に降り立ったときであった。
結局多様性多様性言ってる人は無知か偽善者かどちらかなんだと思った。もしかしたらそれ以外の何か(共産主義者とか?安い労働力が欲しい・かつ彼らが住んでいる地区には間違っても移民が来ないような大企業のお偉いさんとか?)があるかもしれないけれど、自分にはよく分からない。日本の多様性を増やすべきだと日本で叫んでいる日本人はエジプトかどこか(どこでもいいが)に勝手に移住してそこの多様性増加に貢献したらいいと思う。
たまたまエジプトは分かりやすかっただけで、現実、他の国であっても日本とエジプトとの差と同じくらい日本とは違うんだろうなと思う。後、エジプトのことは今もすごく嫌いだし二度と行かないけれど、それはそれとして彼らが日本より劣っているとは思ってない(むしろ向こうからは思われてそうではあるが‥異教徒だし)ただ、違うというだけのこと。
……という話になるはずなのに、女性BL研究者がハル・ベリーの降板を支持してるのが謎すぎるんだよな。
「大炎上」を受け……ハル・ベリーのトランス役降板は、行き過ぎたポリコレか? | 文春オンライン
これは、トランス役にトランスジェンダーの俳優をキャスティングしたっていう話じゃなくて、トランス役に決まってたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろしたって話だよね。
私は、トランスジェンダーの俳優にシスジェンダー役を演じる権利と資格があるのと同様にシスジェンダーの俳優にもトランスジェンダー役を演じる権利と資格があるはずだと思うので、本質的な演技力に欠けるとかの話であればともかく、シスジェンダーであるというだけの理由でハル・ベリーが引きずり下ろされたのは間違っていると思う。仮にトランスジェンダーの俳優の雇用機会を尊重するにしても、それは新作映画に積極的にトランス俳優を起用していくとかのやり方であるべきで、一旦は内定していたシスジェンダーの俳優を引きずり下ろすのはどう考えてもおかしい。
でもまあ百歩譲って、シスジェンダーであるという理由でハル・ベリーがトランスジェンダー役から引きずり下ろされたのは正しいとしましょう。
BL作家のすごいところは、ゲイの人に気を遣ってとか、ゲイの人に一生懸命たくさん取材をして、というわけではない人がほとんどで、自分たちの楽しみを追求しているだけ、という人が多いのに、それでも、リアルなゲイの方から見て、ポリティカリーにコレクトな表現にたどり着いている人が大勢いることです。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」ことを肯定した人が、女性文化としてのBLを肯定するのは意味不明すぎる。当然、ゲイではないどころかそもそも男ではないBL作家は全員引きずり下ろせと主張しなければ筋が通らないだろう。
いや、「当事者じゃないやつが当事者の役をするな」っていう主張はそういう結論を帰結するんじゃないんですか?
映画のトランス役はトランスの役者じゃないとポリコレじゃないけどBLは女が書いててもポリコレ、なんて理屈が通るわけないでしょ。
当事者の役は当事者がやるべきだ、というのはひとつの主義であり、私にはまったく賛同できないけど、それを一貫して主張するのであれば賛否はともかくとして立派な態度だと思う。でも、同じ口で当事者じゃない人が書いてる創作を称揚するのはダブルスタンダードってやつだろう。
私は、演技や創作に当事者性は必ずしも必要ではないと思う。低い声を出せるのなら女性声優が男性キャラを演じてもよいし、高音を出せるのなら女性キャラクタを男性声優が演じてもよいし、同性愛者の俳優が異性愛者を演じてもよいし、黒人声優が白人キャラに声を当ててもよいし、日系アメリカ人が中国を舞台にした映画で主役を演じてもよいし、第442連隊のドラマに中国人をキャスティングしてもよいし、男性作家が百合小説を書いてもよいし、女性作家がBL漫画を描いてもよい。だから当然、ハル・ベリーにもトランスジェンダーの人物を演じる権利があるはずだ。
でも、ハル・ベリーは引きずり下ろされた。
それを支持するのなら、当然、自分の好きなジャンルでも同じことを支持してなきゃおかしいはずですよね?
他人に行き過ぎたポリコレを押し付けておいて、自分には適用しないなんて都合のいい話が通用するはずないでしょう。
先月のBLポリコレ問題もそうだったけど、女性文化としてのBLとポリコレは根本的に相容れないのに、ポリコレを推進する女性のBLファンが大勢いるのは本当に謎。自分の作品の中でポリコレに気を使っているだけならとやかく言うことじゃないけど、他ジャンルにポリコレで火を付けてまわっているのはいったい何なんだろう。他ジャンルがポリコレじゃなくても放っておきなよ、あんたの好きなジャンルだってポリコレじゃないんだからさ。ポリコレじゃない創作をしている者同士、仲良くポリコレの押し付けに抵抗しようぜ。
BLというのは、女性にとって性のファンタジーなので、リアルな社会とは全く無関係なんですよ。
「トランスジェンダー役に決まったシスジェンダーの俳優を引きずり下ろす」というのは、リアルな社会問題を扱っているので、全く別。
「これはマイノリティを扱ってはいるけどあくまでもマジョリティにとってのファンタジーだから実際のマイノリティとは無関係」なんて理屈、ポリコレ的にはアウトに決まっとるやんけ。
いや、ワイは「BLは女性にとってのファンタジー」でいいと思うよ。「ジャンプのお色気セクハラ描写も男性にとってのファンタジー」なわけだし、当事者の人たちがBLに対して「こんなゲイはいねえよ」って思ったとしても、それは女性が男性向け作品に対して「こんな女いねえよ」って思うのと同じだよね。消費なんてのは多かれ少なかれそういう要素があるんじゃないですか。そこに文句つけるのは野暮ってもんよ。
でもそれはポリティカリー・コレクトな態度じゃないよね。マイノリティの表象をマジョリティが好き勝手に消費するのはよくない、というのがポリコレなんだから、BLが女性のファンタジーであればあるほどポリコレ的観点からは否定されるべき対象にしかならないでしょ。
女性文化としてのBLとポリティカル・コレクトネスは水と油なんで、どっち捨ててどっち守るか選んでくださいね。個人的にはポリコレ捨てるのがオススメだけど、BL捨てるっていうなら止めないよ。
それトランス俳優の活躍の場が非トランスに奪われてるのはおかしい、っていうのがまずありきだろ
なおポリコレ先進国では「シスジェンダー女性がゲイを主人公にした小説を書くことは当事者から機会を奪っている」という理論に基づいて女性小説家が叩かれている模様。
そんな遅れた認識でポリコレについて論じてたの? ちゃんと認識をグローバル水準にまでアップデートしてね! そんな認識じゃガラパゴスすぎるよ!
まあ普通に考えたらこんなの言いがかりでしかないけど、ポリティカル・コレクトネスの理路からいえばこうなっちゃうんだから、ポリコレを支持するなら女性作家がBL書くのは問題視されなきゃおかしいんじゃないですか。ワイは「こんな結論が導かれるポリコレは根本的に間違っている」って思うけど、日本のガラパゴス表現を批判しグローバル水準を崇め奉るポリコレ支持者の皆さんは当然この結論にも賛同するんですよね?
メキシコ移民を題材にした小説『夕陽の道を北へゆけ』について、作家が縁もゆかりもない白人で文化盗用だと批判されている( https://www.newsweekjapan.jp/watanabe/2020/08/post-68.php )ので、文芸も批判の対象にはなりうると思う
綿密にリサーチしてリアリティに凝っても当事者じゃないとポリティカリーにコレクトじゃない扱いされるのどうかしてるけど、こういうイカれた状況が現代ポリコレの最先端なんだから、日本のカルチャーはポリコレを取り入れてアップデートすべきと主張する向きにおかれてはぜひぜひ有言実行で最先端のポリコレを取り入れてくださいねとしか言えない。ワイはこんなのついてけねえって思うからポリコレに敵対するけどな!
少年ジャンプ編集部に腐女子の女性が入り込もうとしてた件も、要するに男性文化の簒奪なので、女性は女性の文化を自力で作ってほしい。女性主人公で自立したフェミ的、ポリコレ的価値観の作品を……。
一応言っとくと、ワイは「ポリコレを支持するならBLはアウトでしょ」と言ってるのであって、「BLはダメ」とも言ってないし「男性文化を簒奪するな」とも言ってないで。あくまでポリコレと女性文化としてのBLは相容れないって言ってるだけ。当然ワイはアンチポリコレ派なのでBLも自重せずどんどんやれ派です。
ポリコレ派腐女子は、まあ、うん、政治的信条に従って趣味捨てるか趣味に操を立てて政治的に転向するか、好きな方選べばいいんじゃない? そんなのはあくまで腐女子の中のごく一部、ノイジーマイノリティなんだろうし。……ノイジーマイノリティだよね?
該当記事、トランスの身体性はシスに再現不可能と断言してるのも悪手だと思う/てか何故それこそ当事者じゃなくBL研究家の人が書いたの?/日本腐ェミが連帯しようと言ってた韓国フェミも最近は「脱BL」掲げてるよね
トランスの身体性はシスには再現不可能論、つまりトランスとシスの違いは服を着て演技していてもわかる、見分けがつく、という話だから、それを特定の属性の排除の口実に使うのはトランス女性は女子トイレに入るなって言ってる人たちと半歩くらいの距離しかなくない? って思うし、その論理で言うなら当然トランスはシス役を演じることもNG、シス役はシスの俳優に、という結論になっちゃうよね……。
韓国のフェミニズムを持ち上げてたら脱BLの動きが始まってて頭抱えてるのは草しか生えない。結局、アメリカのポリコレは所詮「アメリカのポリコレ」であり、韓国のフェミニズムも所詮「韓国のフェミニズム」に過ぎないのであって、日本の文化風土に適してないんだよね。そこは日本風に換骨奪胎しようとする試行錯誤が必要なはずだったのに出羽守ムーヴを決めちゃうから外国の動向に振り回されることになる。本当に大事なのは日本社会で生きる我々がいかに自由で主体性を保っていられるかという点なのに……。
実際、これがスタンダードになったらおっさんずラブみたいなドラマはガチのゲイにやらせなきゃいかんようになって成り立たないよね。そんなんカミングアウトしたくないだろうし。
トランスの役はトランスの俳優に、と書いた同じ記事で『his』はゲイへのエンパワメントとか書いてあるのは意味不明すぎるよね。宮沢氷魚ってカミングアウトしてたの? 知らなかったなぁ(棒読み)。COしてない俳優が出演しててもエンパワメントになるならシス俳優が演じててもエンパワメントになるやんけ。別々の記事ならともかく同じ記事でこんなダイレクトに矛盾してるのはちょっと……
それはずれた論点に感じられる。生み出すものが完全に虚構か、実際の肉体を持った人間を利用したものか、は受け手に大きな差があると思うんだけど。この論理だと男性百合作家もダメだよね。
「当事者の機会を奪う」が論点になってるんだから完全な虚構か実際の肉体かなんて些細な違いでしかないし、ちゃんと小説が問題視された例も提示してるのに読めない?
「この論理だと男性百合作家もダメだよね」って言われても、うん、そういう帰結になるからおじちゃんはポリコレに反対してますって話をしてるので……え? まさかワイがポリコレBL規制派だと思ってるの? 読解力ぅ~~~~~~~~~
非当事者がマイノリティを主役にしたものを作るなって言われてるんだから、当然、ポリコレの観点からはそもそも女がBLを書くこと自体がけしからんという結論になるんじゃないですか。
……っていう話をしてるんですがマジで通じてないの? 読解力やべえな! これもう賛成反対どうこう以前の問題でしょ……
そもそも論として、炎上したから慌てて引っ込めた的な話をあまりロジカルな文脈に出すのは双方良くない気がする。 / だんだん語調が強くなりすぎてBL全体を委縮させる意図でもあるのと増田に聞いてみたくもなる。
BLは別に萎縮する必要はなーんもないし好きなだけ男どうしの性愛を描けばいいと思うんだけど、ポリコレを掲げて他ジャンルにイチャモンつけてまわってるごくごく一部のBLファンの活動については存分に萎縮すればいいと思うよ。キズナアイNHK特番とか宇崎ちゃん献血ポスターとかラブライブ皺ポスターとかの昨今の男性向けコンテンツの炎上事案、どれも腐女子兼フェミニストの人たちが中心になって暴れ回ってたよね?
「BLはちっともポリコレじゃない」「ゆえに腐女子は他ジャンルのポリティカリー・インコレクトな描写に文句を言う資格はない」の2点がコモンセンスになってほしいなぁ、というだけ。どうしても他人をポリコレ棒で殴りたければ腐女子をやめてからにしようね。もちろんポリコレ派じゃない大多数の腐女子に対しては何も文句ないっすよ。存分に男どうしの愛を創作して楽しめばええねん。
「お前の理路を敷衍するとこうなるよな?」という話が「たとえ話」に見える人間、議論に向いてなさそう。
それを認めると、創作物かけないじゃん
大学入試の現代文、あまりにも簡単すぎて足切りとしての意味あるの? って正直疑問だったんだけど、なるほど足切りとしてはあのくらいのラインがちょうどいいんだろうなあってこういうブクマ米見る度に実感しますね……
まず自分は、今回の検事長法改正案は(少なくともタイミングという点において)問題があると思っているし、法改正以前に定年変更を押し通したのは大問題だと思っている。その上で、今回の件に限らない「著名人が政治的スタンスについて表明すること」の是非については、(政治的スタンスが同様の)多くの人たちと考え方が違うのだなと思って、ここで思考を整理させてほしい。(あるいは、いっそのこと論破してくれたら嬉しい)
当たり前だが、個々人の政治的信条とは、右も左もどちらかが一方的に正しい/間違っているのではなく、スタンスが違うことがほとんだと思っている。どちらかが一方的に正しいわけではない、ということは、今回の件とは真逆の政治的思想を著名人が表明しても、表明すること自体は受け入れるべきだと思っている。(あんまり自分の中でダブルスタンダードを許容したくないタチだ)
一方で、正直な気持ちとしては、自分の推しがある日、自分の政治的スタンスとは逆の立場を表明したらすごく悲しい。たとえば、あなたの推しが「検察庁法改正案に興味ありません」ハッシュタグを使い出したらどうだろう?あなたの推しは「確実に自分が好きになるような人だから、自分と同じ政治的スタンスだろう」って言い切れるような人だろうか?
あるいは、近年のゆずにがっかりしたことはなかった?自分は「夏色」や「さよならバス」まで色褪せていくように思えてしまった。
(参考: https://gendai.ismedia.jp/articles/-/55216 )
別に自分の考えと逆のスタンス表明されるのだけが嫌なわけじゃなくて、結局いつだって、間違っているわけではない逆の立場の人達が、こういう思いをするんでしょって思ってる。
自分の推しに恋人がいるかどうか知りたくないのと同様、自分の推しの政治的スタンスなんて知りたくない。恋人いることを表明しながらデビューするような手法をとってくれればいいのかな。それともファンが、政治的スタンスと、その人を推したい気持ちを、切り離して考えていけるようになるべきだろうか。政治発言の多いアメリカの有名人ファンとかどうやってんだろ。
別の観点として「"不勉強なことを語るな"と言うべきでない」という風潮もあるけど、たとえば、不勉強なまま医療についての発言をされるのは完全に害悪では?それは命が関わるからだろうか。ただ、政治だって(少なくとも)中長期的には自分たちの命を左右するものでは。というわけで不勉強を自覚するのならば、下手に影響力ある人が政治を語るのは正直やめてほしいと思っている。
確かに「政治を語るな」を個人に押し付けるのは良くないと思う。というわけでなるべく誰かに押し付けずに済むよう、ここに書きにきてしまった。また、「政治を語ってほしくない」というこの文章も、結果として一つの政治観を語ってしまってるのだが、自分の人格と切り離してそれを語れるこの場所があってよかった。きゃりーぱみゅぱみゅも増田に書けばよかったのにねって思っちゃう。