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はてなキーワード: チャタレー事件とは

2024-01-24

anond:20240123220611

実際に、ロリコンカルチャーはそうやって広がることになった。

刑法197条、つまりわいせつ」の罪は、チャタレー事件から松文館裁判に至るまで、肉感的で写実的で淫らな感じを摘発するものだった。

その結果、昭和末期には、成人の外性器及び陰毛が厳しく規制され、成人女性ヌードエロ劇画ポルノとして扱われていた。

対して、児童ヌード成熟していない外性器(いわゆるワレメ)はわいせつと考えられず、地上波などでも普通にそのまま流されていた。(深夜の大人向け番組ではなく)

このため、女性器を含むポルノを見たいが規制は避けたいという中で、ロリコン写真集ロリコン漫画のような表現形態が普及した。

そして、これらが普及した結果、消費者がそれに馴致される形で、嗜好ないし指向として定着したわけです。

2023-06-13

表現の自由戦士から見た刑法175条とゾーニング

https://anond.hatelabo.jp/20230613103158

刑法175条

俺は表現の自由戦士として、刑法175条は廃止するべきであると考えている。理由は次の2つだ

A.チャタレー裁判への疑問

チャタレー裁判最高裁判決が出たのは1957年でまだ戦前から司法が色濃く残っている頃であり、その判決現代まで続けることに疑問がある。とりわけ、チャタレー事件ではわいせつ図画を規制する理由として『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない』としているが、私は少なくともこの点について十分に疑問があると考える。

B.保護法益に対する手段の疑問

もしくはチャタレー裁判で示された『性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること』が守るべき利益保護法益)だとして、『それを守るため、男性器と女性器にはモザイク等の修正をしなければならない』が保護法益を守ることに繋がるのか疑問だからだ。インターネット海外無修正性器画像動画いくらでも見られる時代に合った規制であるとは同意し難い。

ゾーニング

まず前提として、表現の自由に限らず自由権本質には『他者我慢させる権利』が含まれる。ユダヤ人居住移転の自由は『ネオナチ我慢させる権利』が含まれ、街中でロックを流す権利は『KKK我慢させる権利』が含まれ地上波テレビで『弟の夫』などの同性愛コンテンツを流す権利は『“同性愛は神の作った自然に反する罪である”と考えるアブラハム一神教徒に我慢させる権利』が当然に含まれる。

その上で、ある程度人権制限されているのは未成年だ。参政権などは代表的だが、ポルノを見る権利ポルノに出演する権利、性行為をする権利などの性に関する自己決定権もある程度制限されている。

その意味で言うならば、ゾーニングは表現の方法そのものに制限を加えるド直球の表現規制であると同時に、表現を見たい側の権利侵害する。だから俺は『未成年に見せないため』の最低限のゾーニングについては支持する。一方で『見たくない人のためのゾーニング』は表現する側が行うのは自由であるが、行うことを義務にすることには一切賛成しない。見ると不快になるものからは目を逸らせばいいだけだ。

というかさ

もちろんある程度は制限されるが、未成年にも性に関する自己決定権はある。『中学三年生の息子の自慰行為を止めさせたいです。未成年性的自己決定権は無いのだから、親の監督権として止めさせても問題ないはずです。私が統一教会信者であることは無関係です』という主張には元増田もそれ以外の読者も同意しないだろう。

その意味で、未成年が『性器·肛門·胸などを出すポルノに出演する性的自己決定権』は制約されてもやむを得ないだろう。だが『水着撮影会ダメ』という制約も妥当だろうか。あるいは、今回の性交同意年齢の引き上げはつまるところ13〜15歳から行為をする自己決定権を奪うことになるが、本当にそれが妥当なのか。パターナリズム的に“保護”するということは自己決定権を奪うことだ。そのことをもっと自覚して慎重になるべきではないか

2023-06-12

anond:20230612115318

埼玉県案件についてチャタレー事件を持ち出すのはあんまり筋が良くないな

チャタレー事件出版の自由問題なのに対して今回の案件集会の自由からね同じ表現の自由でも少し枠組みが違う

これについて真面目に論じるなら出すべきは泉佐野市民会館事件呉市学校施設使用許可事件あたりじゃないか

2022-08-05

ツイフェミアンチフェミ

Twitterフェミ論壇史、誰かまとめてほしいけど死ぬほど難しそう

https://togetter.com/li/1925825

↑あたりを見ながら事例を思い起こしてみたんだが


やっぱ転機は「人工知能学会誌表紙問題」だよね

あそこで、「公共」と「性差別」を前面に出して「謝罪」を引き出せた結果

完全にそこが「女性活動家が売名するための戦場」にされちゃった

強気差別を掲げた踏み絵を続けるんだけど、さすがに2021年あたりから、減速しちゃって

ちょっと前に火をつけようとした「ららぽーと」の件も不完全燃焼よね

(1951) チャタレー事件


 ~


(2002) 松文館裁判

(2009) レイプレイ事件

(2014) 人工知能学会誌表紙問題

(2015) のうりんポスター

(2015) 碧志摩メグ

(2016) 駅乃みちか

(2018) ラノベ表紙 「お父さん、これ気持ち悪い」

(2018) NHKキズナアイ

(2019) ストライクウィッチーズ自衛隊ポスター

(2019) 秋葉原表通りエロゲ看板

(2019) 宇崎ちゃん献血ポスター ⇒ overE

(2020) 萌えイラスト中央展で入選

(2020) 「君野イマ」「君野ミライ

(2020) 京都市営地下鉄利用促進プロジェクト地下鉄に乗るっ

(2020) アツギタイツ広告 ⇒ (2021) 透けにくい白トップス

(2020) 「西浦みかん寿太郎ラブライブPOP

(2021) セーラー服の絵(人体無)

(2021) 梅田ロフトのrurudoの個展

(2021) 千葉県警&松戸警察×ご当地VTuber戸定梨香 コラボ

(2021) 温泉むすめ

(2022) 月曜日のたわわ全面広告 ⇒ ハートクローゼット


(通年) 有害図書指定問題

(通年) 少年漫画スケベ要素(いちご100%To LOVEるゆらぎ荘の幽奈さん、etcetc)

もっといっぱいあったと思ったんだけど、あんまし覚えてないもんだなぁ・・・



2022-07-03

じゃあ大真面目に公共の福祉表現の自由の話をするよ

公共の福祉とは

公共の福祉とは、原則として権利利益同士が対立した時にそれを調整するためのものだ。

ここで問題になるのは『権利利益同士』であることだ。決して権利を超えた❝公共の福祉❞があるわけではない。それでは結局、『権利を超えたもの理由にすればいくらでも人権を制約できる』ということになり、「日本臣民法律範囲内ニ於テ」権利を有していた大日本帝国憲法と何ら変わらないことになってしまう。

具体例~公共の福祉表現の自由

表現出版の自由公共の福祉によって制約された例としては、『ジャニーズ追っかけマップ裁判』というのがある。

かつて出版社が『ジャニーズ追っかけマップ』という書籍を出しており、そこにはジャニーズメンバーに会える場所としてスタジオなどの場所の他に自宅の最寄り駅、自宅の住所、電話番号といった個人情報掲載されていた。

このことについてジャニーズメンバーが『プライバシー権利侵害』として訴えたことに対し、出版社は『表現出版の自由』を主張した。

そして最終的に『ジャニーズメンバーのような社会的影響力のある芸能人プライバシー権利は著しく制約されるが、それでも自宅で静穏に過ごす権利は認められるから自宅の住所と電話番号は削除するべき。それ以外については出版社表現出版権利を認め、出版自体は認められる』という判決が出た。

公共の福祉刑法175条

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

わいせつ文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。

刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。

では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、増田おかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)

わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校公民教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。

フェミニズムに基づく創作物規制正当化されるか

当然ながら、『私はこの創作物を見て不快になりました』を主張する権利は当然にある。

あるいは、「萌え絵性犯罪と地続き」と主張するのは自由だ。現在法律上、誰かの権利侵害しているという扱いにはならない。

同様に、「日本画は戦争と地続き」だろうが「彫刻殺人と地続き」だろうが「洋画差別と地続き」だろうが”萌え絵日本画、彫刻洋画”といった抽象的なジャンルならば誰かの権利侵害しているという扱いにはならない。

ただし当然ながら、『その主張はおかしい』と批判する自由もある。

一方で、業務(※なお、刑法における”業務”とは「社会生活上、何度も繰り返して行われる事項」のことをいう。だから自動車で人を轢き殺してしまった場合プライベート運転していた場合でも業務上過失致死罪になっていた。そういえば変わったんだった)

制作している特定作品について「この絵は性犯罪と地続き」や「このvtuber性犯罪を誘発する」のような発言ならば、その明確な根拠が示されない限りは偽計業務妨害罪が成立し得る。(実際に起訴されて有罪判決が出るかは分からない)

さて、フェミニストが主張するような創作物規制広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利利益が無いといけない。

なのでひとまず増田が思いつくものを挙げてみよう。

1.公共の場所で不快になる広告を見たくない権利

似たような『市営地下鉄不快になる広告放送を聞きたくない権利』を主張したとらわれの聴衆裁判で、『聞きたくない音によって心の静穏を害されることは、プライバシー利益と考えられるが、本来プライバシー公共の場所においてはその保護希薄とならざるをえず、受忍すべき範囲が広くなることを免れない。一般公共の場所にあっては、本件のような放送プライバシー侵害問題を生ずるものとは考えられない』という裁判官の補足意見がついている。

見たくない権利も同様だ。公共の場所ではむしろ受忍すべき範囲が広くなる。

2.女性尊厳

女性』には人権はない。これは何も「女性は二等市民からフルスペック人権は認められない」という意味ではない。人権があるのは個々の人物であって、『女性』という抽象的な存在の集団的人権は認められないという話だ。同様に「日本人は殺人狂だ」だろうが「在日朝鮮人人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない。

3.そもそも不快にされない幸福追求権

そもそも表現に限らず自由権の本質は『他者不快にして我慢させる権利』なのであり、「近所にユダヤ人が住んでいて不快です幸福追求権の侵害ですbyネオナチ」や「聞きたくもない韓国音楽を聞かされて不快ですby在特会員」や「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書不快ですby同性愛者」は配慮されないし、配慮されるべきではない。

将来、脳波脳内物質から人の現在感情を読み取る技術さらに発達し、「黒人を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyKKKメンバー」を同意の上で検査した結果、脳波脳内物質うつと同様のパターンになっていて主張が事実であることが判明したとしても同様に配慮されないし、配慮されるべきではない。増田はそれを自明のことである確信する。

4.『男性中心社会』を脱却するための平等権

萌え絵やそれを含めた女性アイキャッチャーにする広告公共の場所にあることで現在男性中心社会を拡大再生産する」というモデルのもの小宮友根氏や牟田和恵氏によっていくつか提唱されている。だが、それだけだ。

現実には男性中心社会を拡大再生産するもの候補萌え絵広告以外にも『周囲の保守的な親戚・教員・友人などから意見』『私企業採用活動実態』『女性向け創作物刷り込み』など無数にある。

その中から広告効果無視できないほど大きい」こと、および「それを打ち消す手段が他に存在せず、禁止以外の手段がない」ことが証明されない限りは規制されるべきではない。

なぜならば経済的自由権金銭補償可能であるが、表現や内心といった精神的自由権規制しようという動き自体が萎縮効果を生むため、より慎重になるべきだからだ。

以上のように、今フェミニストが主張しているような創作物規制は『公共の福祉』の観点からは成立しないと考える。

2022/07/04/10:10追記

ブコメなどへのレス

全然納得できないんだけど。"最低限の性道徳"が保護法益になるなら何だって保護法益にできそうだし175は良いけどフェミニズムに基づく立法ダメ理由ってあるの?

からこれについては多数の異論が出ているし俺も問題だと思っている。

ただ、これの合憲論を採用しても、創作物規制は「ジェンダー平等を実現するための最低限」しか認められないだろう。

"「在日朝鮮人人間のクズだ」だろうが「同性愛者は生産性がない」だろうが、現在のところ法律には触れない"。こいつ意図的に「ヘイトスピーチ規制法」スルーしてるよな。

ヘイトスピーチ規制法など存在しないのでスルーのしようがないですね。

ブコメが言いたいのは通称ヘイトスピーチ対策法」でしょうけれど、これはあくまで国や地方公共団体努力義務を課しているだけです。

フェミニストが主張するような創作物規制広告規制” 既にコメントがあるとおり私も法規制求めないしろ法規制させないために「違法じゃないから何してもOK」を控えてほしい 職場水着ポスター問題のように

会社従業員パフォーマンスを低下させ利益に反する行為排除できますが、公共の場所は他者危害でない行為排除できないし、排除するべきではない。そういう話です。

そもそも不快にされない幸福追求権」そんなものはない。ではなく、その権利を求めてるんだよ。だってその方がいいじゃん。そのための対話必要

そもそも不快にされない幸福追求権」を認めた社会では

同性愛者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですbyムスリム」「『女と寝るように男と寝る者は殺されるべき』と書いてある旧約聖書聖典とする宗教信者を見ると気分が著しく落ち込み半日動けなくなるのですby同性愛者」が両方存在したり、

2つ以上の宗教が「我々の宗教は全ての人が我々の宗教信者になるべきと考えているため、異教徒不快です」を言い出した場合には

戦争しかならないと思いますがその点はどう考えますか?

2022/07/04/21:40頃追記

20220704214552のレス増田によるものです。

anond:20220702142927

2020-09-01

anond:20200901184533

違うぞ。性的秩序、性道徳の維持も公共の福祉とする判例があるぞ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%83%BC%E4%BA%8B%E4%BB%B6

チャタレー事件

性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版公共の福祉違反するものとなした原判決は正当である

2020-02-21

anond:20200221164505

有害だというのなら、刑法175条(わいせつ文書に対する規制違反容疑で告発してください。

わいせつの条件として、1957年チャタレー事件判決では、

1.徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、

2.且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し

3.善良な性的道義観念に反するものをいう

という3条件を示しています

性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない」とまで言及されているので、きっと勝てるはずです。

社会正義のために行動するべきです。

2019-11-04

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

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1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2019-10-31

[] メイプルソープ事件

ロバートメイプルソープ日本版写真集が、税関にて「わいせつ図画」に当たると判断されて輸入禁止に。

その是非について、出版社社長日本国政府裁判で争った出来事のこと。

最高裁にまでもつれこみ、結果は日本国政府の敗訴となっている。

日本における表現の自由猥褻の是非を語る上で、この事件判例は「四畳半襖の下張事件」や「チャタレー事件」などと並び有名らしい。

あくま自分今日知ったってことを投稿しているだけなので、詳細は各々で調べて。

2019-10-19

裁判所は『絵だからよりダメ』という立場ではない

1.わいせつ図画頒布罪が保護するのは『健全な性道徳である

 わいせつ図画頒布罪という犯罪刑法175条で定められている。現在日本には、たとえゾーニングされた場所大人相手しか売っていなくとも罪になる物がある。裏ビデオはその代表的存在だ。

この法律は何を保護しているかと言うと、そのような性的作品を見て不快になる人の見たくない権利…ではなく、最低限の性道徳である増田はこの解釈に激しく異論があるのだがとりあえず現時点ではそうなっている)

必ずしも件のポスターをめぐる問題と同一視することはできないが、『作品社会的影響力』を問題にしている点は共通している。

そして、チャタレー事件最高裁判決で『平均ではなく、あくまで最低限』の性道徳基準とすること、四畳半の襖の下張事件判決で『その時代健全社会通念に照らして』つまり、その最低限は時代に応じて変化し得るという判決が出ている。

これらの判決を覆すような判例2019年10月現時点では出ておらず、現在有効である

なお、ここで言うわいせつ図画のわいせつ性の基準は(※1.いたずらに性欲を興奮又は刺激し、2.かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、3.善良な性的道義観念に反するものをいう)というのが大枠としてチャタレー事件で示された。(増田漢字・かな遣いを現代に合わせ修正した部分あり)

(余談)

そして、現在の『最低限』の基準性器修正しているかであるAV写真集エロマンガエロゲーその他の18禁コンテンツ共通して、男性器と女性器は修正しなければならない。

いっぽうで、乳房肛門などはモザイクが無くとも18禁コンテンツとしては流通できる。

『どの程度修正しなければならないか』の線引き上でAV自主規制団体出版社はしばしば攻防を行っているが、古典芸術ダビデ像などの古典彫刻春画など)や医学書(言うまでもない)を除けばこの原則ヘアヌード以降共通している。

さらに余談だが、AV女性器内を内視鏡で見るシーンなどではある程度中に進むとモザイクが外れているのでどうやら基準は外性器らしい。

2.絵の影響力

実写の写真文章理論上は取り締まられる可能性がある)ならともかく、エロマンガはそこに含まれるのか、を巡って2002年松文館という出版社幹部エロマンガ家が逮捕された。

その事件に対して高等裁判所は『(エロ)マンガであっても(上述したような)健全な性道徳保護するためにはわいせつ図画頒布罪は適用される』とした上で『しかしながら、マンガわいせつ性(上述の要件)は実写に比べ相当に低いので量刑は減らす』という判決(意訳)が出され、2007年最高裁判決でも高裁判決が支持された。

まり、少なくとも性道徳に与える影響に関する限り、裁判所は『実写>(越えられない壁)>漫画』という認識である

2019-09-29

anond:20190929151546

また表現の自由エロ本自由しか思ってないのが出てるー

ってかエロ本自由にしてもチャタレー事件とか知らんのかね

2019-06-17

anond:20190617100645

君は何十年前の話をしてるんだい?

チャタレー事件が昨今のコンテンツ抹殺要求関係ないのは明らか。

anond:20190617100508

なんか本当に視野狭いし知識もないんだよなあ…

チャタレー事件とか知らないんだろうな

2019-01-06

anond:20190106112026

チャタレー事件エロゲブームの頃とは時代が全く違うやんけ

その頃関わってた人なんてもう存命かどうかも怪しいだろ

増田でも書いたけど、エロゲピンク映画エロよりストーリーが語られるような作家性強い作品もあるんだよ

官能小説成年コミックにそういうものがないのは

小説漫画無名作家修行の場としては同人があるから、じゃないか

でもゲーム映画個人で作るのは難しいから、商業エロ市場エロ言い訳にしつつエロ目的じゃないものを出すという形が流行ったのではないか

ゲームはその後月姫ひぐらしなんかの同人ゲームブームもあったけど。だからエロゲが衰退したってのもありそう)

アニメは……作るのにゲーム映画より更に予算かかるから流石にエロ業界予算では低クオリティ過ぎるものしか出せなかったんだろうか

エロアニメって酷いもんな…

2018-12-11

表現の自由

ザッシュ2号(@zassyu2_ero)が漫画家協会相手取り民事調停を行うという。

彼の主張はnoteにまとめられている。 → https://note.mu/tutakazura/n/n7d7d48a377d3 https://note.mu/tutakazura/n/n162e8bb5c9eb?creator_urlname=tutakazura

言いたいことは山程あるが、今回は表現の自由について少し検討したい。

いくつか彼の言葉抜粋する。

無修正エロ漫画を描き、出版し、販売し、所持できる。

・それが表現の自由出版自由

憲法に記されているし、文化芸術基本法にも記されていし、独占禁止法からみた商売としてそれが公平で公正な状態。。」

「②正常な状態の発表、法的根拠

エロ無修正で書くのが当然、憲法にも記されている。憲法違反の法律判例判決無視するべきだと憲法に記されていることを主張。」

果たして本当だろうか。

エロ無修正で書くのが当然、憲法にも記されている」おい、されてないだろ。

好意的解釈原則からいくと、表現の自由があるからエロ表現保障され、修正強制されることはない。だから無修正で書けるのが当然だ、ということだろうか。

では表現の自由とは、一体どういう自由なのだろうか。


表現の自由とその制限

日本国憲法第21条1項「集会結社及び言論出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

ありとあらゆるすべての表現が許されるのだろうか?

もちろんそんなことはない。

ある芸術家が殺人こそ至高の芸術であり、表現である。そう主張し、殺人おかし場合、その殺人表現の自由として許されるかと問われたら当然否である

しかし、憲法は明確に表現の自由保障すると言う。

これを解く鍵の一つが憲法12条に規定されている。

この憲法国民保障する自由及び権利は、国民不断努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

いわゆる「公共の福祉である

最高裁判所のH5.3.16.の判決は以下のように言う。

表現の自由といえども無制限保障されているものではなく、公共の福祉よる合理的でやむを得ない程度の制限をうけることがあ(る)

端的に表現の自由絶対無制限ものではなく制限を受けるものだと喝破する。さら引用を続けると、

その制限容認されるかどうかは、制限必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限態様及び程度等を較量して決せられるべきである

まとめると、表現の自由から、当然にエロ漫画表現が許される、という解釈にはならないのである

では性表現制限されるのだろうか。すなわち、刑法175条に規定する「わいせつ物」に当たる場合刑法犯となってしまうが、そうならないように表現の自由保障が発揮されるのか、それとも制限されるのか。

最高裁はS32.3.13(チャタレー事件)にて以下のような判示をしている。

性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することは公共の福祉の内容をなす


最判S44.10.15(悪徳の栄え事件)では

わいせつ性をもつ場合には、性生活に関する秩序及び健全風俗を維持するため、これを処罰対象とすることが国民生活全体の利益合致するものと認められる

としている。すなわち、わいせつ表現表現の自由による保障制限される類型であるとしているのである

これに対しザッシュ2号は

裁判所表現の自由重要性をわかっていない

・だから正す必要があり、それには世論の声が必要

という。

この主張は(ある意味で)ただしい

(ある意味というのは、わいせつかどうか(制限されるかどうか)の判断は「わいせつ性の判断は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念を基準とし、当該作品自体からして純客観的に行うべきもの」(チャタレー事件とあるため、社会通念は重要である。また「作品等の芸術性・思想性等との関連において評価するなど、わいせつ概念相対性承認して総合的に判断しなければならない」という悪徳の栄え事件での田中二郎裁判官の反対意見があるほか、「性表現による害悪の程度と作品社会価値との利益衡量が不可欠である最判S58.3.8での伊藤正巳裁判官の補足意見などがあるため、世論一定程度必要であるが、一部の人間がモザイク反対! を叫んでも社会通念とは言えないだろう)。

しかし、裁判所がわかっていないという「表現の自由重要性」とは一体なんなのか。

これを本来は腰を据えて考えなければならない。そしてその自由重要性との関連で初めて、「エロ漫画」の表現への自由制限されないこと)が語れるはずである


表現の自由重要


ザッシュ2号は弁護士会声明 https://www.nichibenren.or.jp/activity/document/civil_liberties/year/2009/2009_2.html を引用し、表現の自由重要性を主張している。

それを参照しながら、なぜ表現の自由重要であるか一度見直したい。

ザッシュ2号も引用する冒頭部は非常にわかやすい。

憲法21条1項が保障する表現の自由は、民主主義社会の死命を制する重要人権である自由民主的社会自由な討論と民主的合意形成によって成立するのであり、自由意見表明が真に保障されていることが必要である

これを受けてザッシュ2号は

ようするに表現の自由って超大事!って言ってる

と言う。コレ自体は誤りではない。しかしなぜ重要だと言っているについて注意深く読むべきである

この声明では「表現の自由は」「民主主義社会の死命を制する重要人権である」と言う。すなわち表現の自由重要性の一つとして「民主主義社会の死命を制する」という点をまず強調するのである

なぜ制するのか。これが次の文である

前提として「自由民主的社会」(=民主主義社会)は「自由な討論と民主的合意形成によって成立する」という。そしてそのためには「自由意見表明が真に保障されていることが必要である。」

まり表現の自由重要であるのは、「民主主義社会」という重要存在があり、その成立のためには「自由意見表明が真に保障されていること」が必要からだ、というのだ。((本当に民主主義社会重要であるのか、という点についての検討はここでは省略する。しかしこれを考えなければ、民主主義社会の成立のために表現の自由重要だという論理が成り立たなくなるため、本当は超重要である))

表現の自由大事だ! と単に言うのではなく、「民主主義社会」の成立のために必要から重要だ、と言っているのである

ザッシュ2号がさらに続けて引いた声明文を見ればわかりやすい。

民主主義社会における市民表現行為重要性に鑑み、市民表現の自由及び知る権利を最大限保障するため、

(1) 国、地方公共団体特に警察及び検察は、市民表現行為、とりわけ、市民政治的表現行為に対する干渉妨害を行わないこと。

(2) 裁判所は、「憲法の番人」として市民表現の自由に対する規制必要最小限であるかにつき厳格に審査すること。

(3) 政府及び国会は、市民政治的表現自由を確保するため、早急に公職選挙法及び国家公務員法などを改正すること。

「とりわけ、市民政治的表現行為に対する干渉妨害を行わないこと。」

という一説からも分かる通り、この民主主義社会の成立のための表現の自由というのは、もっぱら政治的表現自由のために用いられる論理なのである


勘の良い方はすぐに気づくだろうが、性描写わいせつ表現を「表現の自由から保護するべき、という論理を展開するときには、民主主義社会のために必要だという論理はあまりうまく嵌らないのである

もちろん、性描写わいせつ表現政治表現が一体化することはあるし、風刺的な表現にはわいせつ政治が混在することは多々ある。(トランプ安倍金正恩らの風刺エロ漫画があった)

また表現の選別を行うことは、結局政治的表現保護につながらないんだ、と主張することで、「民主主義社会のための表現の自由」論からも性描写わいせつ表現を要保護だと言うことはできる。

しかし、それでは弱い。

では何を重要性の理由として据えるべきなのか。

これは上記声明に、ちらり、と書かれている。

表現の自由は、人間本質的属性である精神活動を充足するものとしての重要

これである

表現の自由は「人間本質的属性である精神活動を充足するものであるから重要だ。これは性表現との親和性が非常に高い。

エロ漫画表現擁護するならば、どちらの論理の方が優れているか。明白だろう。

性的活動人間の根幹に存在し、有史以来、それを表現したものーー性的表現は幾度とない弾圧規制の中でも確かに存在してきた。その表現は人の精神活動の大きな一翼を担っているのである

そして表現活動において、自己表現に対し一部モザイクを付さねばならないことは、十全な精神活動を阻害することになる。

このような主張になるだろうか。

そして、こうして表現の自由がなぜ重要ざっと見た(あまりに表面的というのはそのとおりである)だけで気づくことはいくつもある。

少なくとも、表現の自由から直ちに無修正が当然」となるわけではない、ということ。

表現の自由から無修正であるべき」という主張を通すのならば、それなりの論理必要だということ。

そして、重要権利でありそれの保護必要だということだけではまだ足りないのであるさらに、より具体的になぜ現在制限が駄目なのかを主張しなければならない。

ザッシュ2号は、行動するのがまず大事だと言って、このあたりをあまりにおろそかにしているように見える。

行動は確かに最も重要ではあるだろうが、一度立ち止まって理由を考えるのも大事だと思う。

2018-11-06

anond:20181106082329

いや、コンビニの成人向けコーナーに並べてあるやつくらいまでは全年齢でいけるんだぞ。

それに比べたらラノベ挿絵は「消し」が必要ものもないし乳首すら珍しい。

チャタレー事件とかあるから小説がまったく猥褻物に該当しないわけではないだろうが、

比喩を用いたり和姦に徹したり、やはり「18禁」よりは直接的な描写は少ないはずだぞ。

2018-10-08

キズナアイポルノ論争によせて

少し前ラノベ性的な表紙は規制すべきか、という話が盛り上がったが、このキズナアイポルノ論争も同じ線上にある問題だと考えている。

まり性的表現公共の場所に出すことの是非」という論点

他の論点もあるのかもしれないが、本稿ではこの論点についてのみ語らせていただきたい。



まず、その表現性的であるという理由規制されることは正当であろうか?

答えはイエスである

ここで刑法175条や青少年保護育成条例などについて引いておくべきだろうが、ここでは割愛する。

そういった法理とは無関係に、性的表現規制されるべきという想いが先験的に私の中にある。つまりこの場合規制自主規制のことを言っていると思っていただきたい。

中には表現の自由を錦の御旗に、「どのような表現でも規制されるべきではない」という意見の持ち主もいるかもしれないが、

そのような論者も、例えば性行為のものを誰もが見える場所公共交通機関内など)で実行している人間を目の当たりにすれば、

子供への悪影響、女性性的な消費、公共秩序の擾乱などが認められなかったとしても許しはしないだろう。

それは理屈に先行している問題である

性的な営みというのは、日常日中に属する類のものではない。非日常の閨房に属するものなのである

性交は閨房で実行する分には非難されるいわれのないものだが、衆人のなかで行うようなものではない。それは子供が見ている見ていないなどとは無関係にそうだ。

この点については異論もないものと思う。(それとも性交をおおっぴらに見せびらかしてもなんの問題もないという考えの人もいるだろうか?)



さてそれでは、どこからが一線を越えた性的表現で、どこで表現することが公共の場或いは閨房だと考えるべきだろうか?

昭和の「チャタレー事件」では、「チャタレイ夫人の恋人」という小説最高裁わいせつである判断され発禁を受けたが、

今の時代あの程度の内容は公開されている個人SNSなどでいくらでも溢れかえっている、いやもっと過激な内容だって

逆に白昼堂々テレビ女性の裸を晒すことが許容された時代も、深夜番組アダルトビデオの紹介をする番組などもあったが、これはいまや批判さらされてテレビという場からは消えた。

まりどこで線引きされるかは社会通念の問題であり、時代場所によって今までも大きく移り変わってきたし、当然これからも移り変わっていくものだ。

書店の棚というのは公共の場だろうか?そうかもしれないし違うかもしれない。

ライトノベルの表紙の萌えキャラは過剰に性的だろうか?そうかもしれないし違うかもしれない。

女性アイドルは過剰に性的だろういかそうかもしれないし違うかもしれない。




ことほど左様に線引きは曖昧で、その時代その場所人間たちがなんとなく合意していくしかないというのが実情であり、

性的であれば規制しろ!orするな!」「この表現性的だ!or性的じゃない!」と、罵り合うのは全く無益だと思う。

問題なのは、どこで線を引くのかということなのだから



キズナアイは過剰に性的だろうか?

個人的には、現在巷間に於いて許容されている程度の他の表現性的な度合いを過剰に逸脱しているとは思えず、

キズナアイ性的だという理由排斥することに正当性があるとは考えられない。

言えることは、この程度だと思う。

2018-04-13

anond:20180413003857

詳しそうだから教えて

なんでおちんちんイラストカリ部分に刻み海苔乗っけてればセーフみたいな風潮になってるの?

いかなる根拠基準で「おちんちんプライバシー配慮」みたいな表現がまかり通ってるの?

直接的には、わいせつ図画頒布罪の関係

わいせつ図画頒布罪は『最低限の性道徳』を守るものという判例があり(チャタレー事件四畳半の襖事件。この判例について時代錯誤その他の理由批判する意見は多数あるし、俺も疑問に思っているがとりあえず今現在もそういうことになっている)、最低限の性道徳マンガや絵であっても含まれる(松文館事件)。ちなみに刑法のこの条文に触れると、R-18などではなく根本的に出版したり売ったりすることそのもの犯罪になる。

じゃあその『最低限の性道徳侵害する、わいせつな図画』とは何かというと、現在は実写でも絵でも、『例外医学書とか)を除き、性器を直接的に描いているもの』が事実上基準になっている。

AVを見れば分かりやすい。男性器&女性器はモザイクがかけられているが、肛門おっぱい等はセーフになっている。

(余談だが、女性器の中を内視鏡で見るシチュエーションでは、一定より奥になるとモザイクが外されている。どうやら外性器問題らしい)

そういうわけで、エロマンガでも男性器&女性器でも修正必要になっている。

どの程度修正するか、については警察がどこまで取り締まる&取り締まらいか裁量との兼ね合いでやっているとは思うがどのように決めているのか詳しくは知らない。

それとは別に、今でもカリ部分だけの修正大丈夫なのか。この辺はコアマガジン家宅捜索(2013年)で多少厳しくなったとされていて、俺の手元にある2014年以降に出たエロマンガでは竿部分まで修正が入っているのばかりだが。(※サンプルは一桁)

なお、ダビデ像春画などの古典芸術基本的に最低限の性道徳には触れないようだ。もっとも、ダビデ像モザイクかけたらそちらの方がよほど猥褻だとは思うがw

2017-12-11

熊谷千葉市長の主張する、表現規制についての正当性について

 熊谷千葉市長は千葉市が行った、コンビニにおける成人向けコーナーについて、これの表紙にカバーをかけることを要請するという行政上の行いに対し、民主主義プロセスによって決定されたものであり、この要請は正当なものであると主張している。

 また、その要請を端緒として決定されたイオングループにおける成人誌等に関する流通規制について、これは民間独自に行ったものであり、表現規制という批判は当たらないと主張している。

 以上のことについて反論すべくつらつら書いたのが、書いたら満足してしまった部分があるので、増田にて放流することとした。 

 五千文字以上の乱文を読むことは骨が折れると思うので、主たる主張を始めに書く。

 

 まず、民主的プロセスのみを根拠として表現規制を行うことは肯定することには大きな問題がある。

 表現規制を行うのであれば、表現の自由の重大さから鑑みて、単に民主的プロセス正当性のみではなくそれ相応の慎重さが求められると考えるが、千葉市が成人向けコーナーの雑誌に対しカバーをかけることについて民間要請するにあたり、慎重に取り扱ったという証拠は今のところ提示されていない。

 またイオングループ自主規制は、その前提となった千葉市要請に基づくものであり、これと一体として論じるのが適当である

 このことは、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たこからも明らかなように、千葉市要請イオングループ規制政治的にもセットで語るべき問題であることは明らかである

 よって、イオングループの決定についての政治的責任を、熊谷千葉市長は一定程度負わなければならない。

---------

・表紙の隠ぺいにしろ流通経路からの締め出しにしろ、それは表現規制である

 ある表現物に対し、役所などの行政規制を設けることは、これはすべて表現規制である。これは表現規制という単語を見れば明らかである

 よって、千葉市によって行われたコンビニに対する表紙の隠ぺいなどの要請表現規制要請である

 また、イオングループによる撤去について、これの端緒となったのは千葉市要請であり、その因果関係があることは熊谷千葉市長も認めるところであり、また共同記者会見を行いイオンの発表として千葉市要請を端緒としていることを明記しているのだから千葉市要請した表現規制の延長として捉えることは自然なことである

 このようなイオンの動きは「自主規制」と呼ぶべきものでもあるが、日本表現規制歴史においては行政による規制自主規制は両輪の関係で不可分であり、特に本件はイオングループによる自主規制行政による規制要請とそれを受けての自主規制であることから、これを一体として論じることが適当である

 一度ここで確認したいことは、あらゆる表現が許容されるわけではないということだ。これは、一部の表現が法などによって規制されていることからも明らかであろう。例えば他者人権侵害するようなもの名誉棄損の罪などによって規制されているし、性器露骨描写についてはわいせつ物として規制が行われている。

 すなわち、あらゆる表現のなかから他者人権などと比較し、規制されなければならないものについてこれを行っているのである

 したがって、今回の千葉市についてもその表現規制妥当であるかどうかが検討されたかどうか、またそれが客観的に見て妥当であるのかどうかを見なければならない。

 しかし、熊谷千葉市長のツイートを読む限り、民主的手続き正当性を主張するのみであり、そのような妥当性の検討を行った形跡は確認できない。

 また、表紙の隠ぺいについては自由競争市場に対する規制であることもここで指摘しておきたい。

熊谷千葉市長の主張の危うさ

 熊谷千葉市長の本件に関わるツイッター上での主張は

民意があり、議会承認しそれを行政が実行したものであるから、この表現規制は正当なものだ」

とまとめることができるだろう。

 しかし、これを以ってして表現規制を行うことの危うさについてここで指摘しなければならない。

 なぜならば、民主主義は必ずしも正しさを担保するわけではないかである

 例えば、以下に例示したもの民意に基づき、民主的手続きに基づき行われたものだが、果たして正当化しうる政策だろうか。

ナチスドイツによるユダヤ人政策

 ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働党NSDAP)は一応は民主的選挙によって議席を獲得し、一応の手続きを経てユダヤ人に対する迫害を行った。

アメリカにおける日系アメリカ人強制収容

 日本アメリカとの戦争状態に入ったときアメリカ世論の後押しを受けて日系人強制的収容した。またこときその財産事実上簒奪された。これらの名誉回復1980年以降にようやく行われた。

アメリカ特に南部において行われていた人種隔離政策

 「黒人専用」「白人専用」といった人種差別政策が行われていた。これらは民意によって支持されていた。

オーストラリアにおける白豪主義

 オーストラリア政府によって行われていた一連の非白人への差別政策

 また、熊谷千葉市長の主張を言い換え、このようなものも導くことができるだろう。

外国人性的少数者への排斥などは

民意代表たる議員議会質問をもって提案し、関連予算議会承認され、並行して市民意見聴取して改善を求める意見が多数と確認

されたならば外国人性的少数者に対する排斥などを行うことは正当である」と。

 これらは不当に差別的ものであり、人権侵害であることは論を待たないと思うが、熊谷千葉市長はこの理屈表現規制は行えるものとしているとしているのだから、これについても是であるとこれまでのツイートからでは判断せざるを得ない。

 そうではないのであれば、熊谷千葉市長はある特定物事については単に民意議会における手続きだけではなく、より広範な正義に基づいて判断するべきだと考えているのであり、そしてその特定物事には、表現に対する規制は入っていない、ということになるだろう。

 だが、表現の自由とはそういうものであろうか。

 表現の自由も、単に手続き上満たしているからといって、これに制限を加えることを正当化することができるのだろうか。

 私はそうは思わない。表現の自由は大切なものであり、表現規制はこれを慎重にしなければならないと考える。

 そしてそうであるならば、それは単に手続きを満たしているからと言ってそれを実行することを正当化することはできない。

表現の自由とはなにか

 表現の自由基本的人権の一つであり、すべての見解検閲されたり規制されることもなく表明する権利をいう。

 また、ここには報道出版の自由なども含まれる。民主主義において自由な討論は欠くべからものである政府などによって恣意的表現規制することは原則としてあってはならない。

 よって、行政による表現規制は慎重でなければならない。

・これまで日本で行われた表現規制

 戦後日本における表現規制の概略をここに示す。

わいせつ表現規制

 日本における性的表現物に対して規制している法律刑法175条で定義しているわいせつ頒布等の罪である

 サンデー娯楽事件により、わいせつ物を構成する三要件定義された。

 すなわち、

.通常人羞恥心を害すること

.性欲の興奮、刺激を来すこと

.善良な性的道義観念に反すること

わいせつ物の構成要件となる。

 その後チャタレー事件悪徳の栄え事件などで判例を積み重ねている。

 刑法175条の運用として、警察局部が映っているかどうかで取り締まりを行った。このとき陰毛性器の一部として取り締まり対象としていたが、1980年から徐々に変化し始め、陰毛が映っていても直ちにそれをわいせつ物とされなくなっていき、1990年に入ると事実上陰毛については刑法175条の規制対象ではなくなった。「ヘアヌード解禁」とも呼ばれる。

 このように、判例に拠らず行政側の恣意性によってわいせつ物の判断が変動していくのが我が国におけるわいせつ規制の特徴の一つである

悪書追放運動

 1950年チャタレー事件きっかけとして各地の地方自治体青少年健全育成条例が制定されていき、それと同時に民間PTAなどで悪書追放運動が起きる。特にマンガが標的とされ、各地で燃やされるなど過激化した。

 1989年東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件が発生、宮崎勤逮捕され、大量のアダルトビデオを所持していたと報道されたことで、これらのメディア人間に悪影響を及ぼすとしてメディア効果論が起こた。また、それに関連して朝日新聞漫画本が子供に悪影響を与えると社説で論じたことをきっかけとして再びコミック追放運動が起きた。これらを受け、成年向けコミックでも激しい自主規制が行われた。

有害図書指定

 各地で制定されている青少年健全育成条例で定められており、過激暴力や性表現のもの包括的、あるいは個別的指定する。指定された書籍は18歳未満への販売禁止され、区分陳列をしなければならないほか、業界団体自主規制として指定を受けた図書流通制限している。

-成人コミックマーク

 業界団体出版倫理協議会が制定した、性描写過激な成人向けコミックにつけられるマーク

 コンビニで定めている成人誌とは区分が異なる。これらはコンビニには原則として流通しない

コンビニ向け成人誌

 コンビニエンスストア側が成人向けとして区分し、成人向けコーナーなどに陳列する雑誌

春画の展示

 春画江戸時代に版画で刷られた性的表現物で、今日ではその美術性が評価されている。

 しかし、日本国内でこれを自由に展示することはできない。なぜならば、性器修正が施されておらず、わいせつ図画にあたるからである。数年前に実現した春画展も、主催者警察など関係先がなんども折衝を重ねて半ば例外的に開催にこぎつけたと理解している。

 その春画展に合わせて春画掲載した週刊誌のいくつかがわいせつ図画を掲載したとして警察から指導を受けている。

 このように、日本性的表現物については行政側の規制要請民間団体自主規制とが複雑に折り重なっており、民間側の自主規制についても含めて表現規制として論じられる。特に今回は熊谷千葉市長並びにイオングループ千葉市要請きっかけとしていることを認めており、千葉市要請イオングループ自主規制については一体として論じるのが適当である

 政治的にも、ミニストップ熊谷千葉市長が共同して記者会見たことなどから、この自主規制とそれによってもたらされる表現規制に対し、一定政治上責任を負っている判断される。

コンビニに置かれている成人誌の表紙は隠されなければならないほど卑猥なのか

 熊谷千葉市長はコンビニ成人誌に対して自主規制を行っていないかのように批判したが、コンビニ向け成人誌はコンビニ流通できるよう自主規制がすでに行われているし、その内容は青少年健全育成条例などによって規制を受けている。

 表紙についても水着を着用するなどわいせつ性を抑えており、青年誌などと比較して規制しなければならないほど突出して過激であるとは言えない。言えるのであればその根拠規制する側である行政提示しなければならない。

 また、表紙の卑猥さについて基準を設けての規制ではなく、区分陳列されていることによって一律で規制しようとしたことは、表紙の卑猥さとは無関係規制である。これは当初の規制目的ひとつである、成人向けコーナーの雑誌過激さによってもたらされる不快さを低減するための措置としては不適当である

 以上より、私はコンビニにおいて成人誌と区分される雑誌に対して表紙をカバーするなど表現規制を行うことについては正当性を見出すことはできない。

 また熊谷千葉市長のツイートを読む限り、これら比較検討を行い、それでもなお成人向けと区分される雑誌の表紙を隠さなければならないことの正当性検討した過程が見えず、よって表現規制に対する慎重さを読み取ることはできない。

不快理由排除は正当なのか

 本件は成人誌に対する不快感を一部根拠としている。

 しかし、これを根拠とすることは危険である

 不快に思わされないことは人権の一部と言えるが、その人権擁護するために他者権利侵害する場合、これを比較検討して結論を出さなければ公平ではない。

 例えば、性的少数者に対する不快感はどうであろうか。近年、性的少数者についての認識が変化し、これを受容する方向に世論形成されているが、これまでの歴史において性的少数者迫害されてきた。性的少数者迫害された理由はいろいろ考えられるが、そのうちのひとつは個々人が思う同性愛者に対する不快感によって、同性愛者を迫害することへの肯定的世論構成されていたからだろう。

 多数が不快に思っているのだから性的少数者迫害してもいいのだろうか。

 もちろん、これは否である性的少数者不快に思う気持ち内心の自由ではあるが、内心の不快によって性的少数者人権侵害していいわけではない。

 表現の自由も同様である。単に不快であるというだけではそれを規制することは他者表現の自由に対する侵害である

 また、個々人の趣味嗜好は多様であることから、単に不快さを理由としたとき、その範囲は無制限に拡大していき、実質的にすべてが不快であるから規制する、ということにもなりかねない。

 よって、不快さを根拠として表現規制することは適当ではない。

結論

 以上すべてより、千葉市が当初求めた成人向け雑誌カバーをかける要請について、これ表現規制であり、またこ規制適当ではない。

 イオングループが発表した流通規制千葉市要請した表現規制と一体として論じられるべきものである。また、イオングループが実行した自主規制に対し、熊谷千葉市長は一定政治的責任を負う。

 また、イオングループ千葉市<

2017-10-23

マジレスする

1.春画わいせつではない、とされている

まあ一点だけだし、日本美術西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど(中略)。

芸術性が高くて展示することに価値があれば猥褻であってもOK」とか、そういうことになってんの?

法的な意味で”わいせつ物”だった場合、『子どもに』見せる云々ではなく、人に見せることそのもの違法となる。刑法175条案件だ。

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

この条文に該当する。条文そのものはともかくとして、大人相手限定して売るのも違法になるもの(例:裏ビデオ)が存在することは多くの人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。

刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。よって、「国立施設わいせつものを見せるな! 不快だ!」のような訴えは法律上権利裏付けあってのものではない。

では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)

わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校公民教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。

春画はこの条文には該当しない。仮に該当しているのならば仮に未成年に見せていなくとも当該春画を展示している主催者逮捕されるし、過去に開催された春画展も開催自体違法ということになったはずだ(が、そうはならなかった)

なお、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠都道府県の定める『青少年健全な育成に関する条例』にある(後述)。

1-2.『わいせつな図画』の基準

今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器をはっきりと描写しているか”これだけである

法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。

これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。

警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」

警察性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」

警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器のものが見えたらアウト」 →写真家ヘアヌードOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」

ということで、現在では成人を撮影した物については性器のものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である

からAVエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、

逆に性器が写っていないヘアヌード写真集わいせつな図画には該当しない(から書店普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)

保護するものあくまで『最低限の性道徳であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガエロゲでもモザイク必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである

初期のドラゴンボール悟空チンコを一応描いているが、それが理由わいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。

余談だが、上で例に挙げたドラゴンボール場合ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである

女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である

BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。

これは無論、”性器リアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反から作成販売自体違法”ということを意味しない。

当たり前の話だが、医学書は実写で性器掲載してもわいせつ図画にはならない。

芸術性が高くて展示することに価値があれば猥褻であってもOK」とか、そういうことになってんの?

まり元増田のこの文は微妙に違う。”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難であり、悪徳の栄え事件最高裁判決でも

文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。

1-3.「わいせつな図画」を巡る具体例

Q1:エロ同人は?

A1:性器無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会警察とほぼ同様の基準に従って修正させています無修正修正が甘いと見本誌を提出したとき販売停止になるはずです。

Q2:普通アダルトビデオは?

A2:性器修正しておく必要があります

Q3:裏ビデオは?

A3:作成販売したら違法です。だからこそ裏なんです。

Q4:無修正性器違法でない国からの、インターネットを介した配信は?

Q4:サーバー所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。

Q5:ろくでなし子さんは?

A5:3Dプリンターデータはセーフで『でこまん』はアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、女性器がある程度はっきり見えているのがアウトだったんでしょうねえ。

Q6:ダビデ像など、古典芸術は?

A6:流石にアレは性道徳に触れないという扱いなのでしょう。

2.”見たくない権利

だれか頓珍漢な人が「国立施設わいせつものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。

実は法律上、見たくない権利保護する規定ほとんど存在しない。というと「公然わいせつ罪は?!」と思うかもしれないが、実は違う。

[刑法 第百七十四条]

公然わいせつ行為をした者は、六月以下の懲役若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。

公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪露出狂青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。

だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのも、上述したわいせつ頒布と同じく、最低限の性道徳である

から公然わいせつ罪になる行為露出狂青姦だけではない。『乱交パーティー参加者不特定多数相手募集した』『ストリップ劇場性器が見えた』『キャンプ場でAV撮影をした』などが取り締まられた事例がある。

今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。私は真剣に疑問に思う。

もっとも、公然わいせつ罪が保護するものを『見たくない権利』にすることは別の問題があるが、今回は省略する。

3."18禁”の法的根拠18禁基準を定めているのは誰か

学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。

でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。

今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。

あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。

元増田も含め、ある程度エロいもの18禁として売られていることも99%の人が知っている。

だが、18禁として販売することの法的根拠や、18禁指定をしているのが誰かというのはまず知られていない。

結論から言うと、18禁表示をしているのは出版社自身、もしくは自主規制団体である

1.で書いたわいせつ文書図画頒布罪をよくよく見てもらえば分かるのだが、わいせつ文書・図画(や、児童ポルノに関する罪)を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、(たとえ大人相手であっても)販売した者も罪に問われる場合がある。

が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である

そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、

ビデオ映像関係の年齢表示や、成年向けコミックマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。

からこそ、過去に何度か『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があったが、そのAVを置いていたツタヤ店員経営者が全て逮捕されるわけではないし、

以前薄消しが流行ってビデ倫関係者逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫作品を扱っていた販売店の関係者逮捕されていない。

逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員逮捕される可能性もあるはずだ。

そして「18歳未満には販売できません」で書店アマゾンで売っている商品はどのような法的根拠年齢制限をかけた上で売っているか。実はその法的根拠は国の法律ではなく条例にある。

[東京都青少年の健全な育成に関する条例]

(表示図書類の販売等の制限)

第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。

この手の条例がほぼ全ての都道府県にある。まどろっこしいが、要は『一定倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである

"18禁"などに関する(映像作品ゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっと重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。

この条文があるからリアルでもネットでも、18禁作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント

4.でも増田も納得できない春画判断

Q:春画わいせつなんですか?

A:春画わいせつではないし、(性器が見えていなければ)ヌードわいせつではないけど、春画とヌードを同時に掲載したら取り締まりの対象になるらしいよ。意味わかんない(マジで)。

https://anond.hatelabo.jp/20171022175706

2016-06-30

AVわいせつ物にならないが着エロわいせつ物になる理由

「内容がわいせつ」DVD販売容疑で3人逮捕に関連して。基本的には、過去に書いたことのまとめ。

1.わいせつ図画頒布罪とは何か。

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

わいせつ文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。

刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。

では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)

わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校公民教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。

ついでに言うと、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠都道府県の定める『青少年健全な育成に関する条例』にある。

ところで、百歩譲ってわいせつ文書図画頒布罪が”最低限の性道徳”を保護するものであるというのは良しとしたとしても、だ。

公然わいせつ罪も同様に”最低限の性道徳”を保護するものであるから露出狂青姦だけではなく、ストリップ劇場性器が見えた場合乱交パーティー不特定多数を参加させた場合も成立するというのはいかがなものか?

2.『わいせつな図画』の基準

今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器をはっきりと描写しているか”これだけである

法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。

これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。

警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」

警察性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」

警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器のものが見えたらアウト」 →写真家ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」

ということで、現在では成人を撮影した物については性器のものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である

からAVエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、

逆に性器が写っていないヘアヌード写真集わいせつな図画には該当しない(から書店普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)

保護するものあくまで『最低限の性道徳であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガエロゲでもモザイク必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである

初期のドラゴンボール悟空チンコを一応描いているが、それが理由わいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。

余談だが、上で例に挙げたドラゴンボール場合ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである

女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である

BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。

これは無論、”性器リアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反から作成販売自体違法”ということを意味しない。

当たり前の話だが、医学書は実写で性器掲載してもわいせつ図画にはならない。

と、まあ医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。

悪徳の栄え事件最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。

3.『わいせつであるかを巡る具体例

Q1:エロ同人は?

A1:性器無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会警察とほぼ同様の基準に従って修正させています無修正修正が甘いと見本誌を提出したとき販売停止になるはずです。

Q2:普通アダルトビデオは?

A2:性器修正しておく必要があります

Q3:裏ビデオは?

A3:作成販売したら違法です。だからこそ裏なんです。

Q4:無修正性器違法でない国からの、インターネットを介した配信は?

Q4:サーバー所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。

Q5:ろくでなし子さんは?

A5:3Dプリンターデータはセーフで『でこまん』はアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、女性器がある程度はっきり見えているのがアウトだったんでしょうねえ。

Q6:ダビデ像など、古典芸術は?

A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょう。

4.AVの”審査済み”マークは誰がつけているのか。

結論から言うと、つけているのは自主規制団体である

1.で書いたわいせつ文書図画頒布罪をよくよく見てもらえば分かるのだが、わいせつ文書・図画(や、児童ポルノに関する罪)を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、(たとえ大人相手であっても)販売した者も罪に問われる場合がある。

が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である

そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、

ビデオ映像関係の年齢表示や、成年向けコミックマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。

からこそ、過去に何度か『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があったが、そのAVを置いていたツタヤ店員経営者が全て逮捕されるわけではないし、

以前薄消しが流行ってビデ倫関係者逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫作品を扱っていた販売店の関係者逮捕されていない。

逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員逮捕される可能性もあるはずだ。

そして─実は増田も驚いたのだが─イメージビデオ場合、どうもこの手の自主規制団体を通していないものもあるようだ。

増田は実際に所持しているわけではないのだが、DMM(R-18でない)通販パッケージを拡大してみたところ、どこにもその手の団体による審査済みマークが無いDVDが多数あった。ちなみにAVならば間違いなくある。

性器描写していない』ならば大丈夫だろうという判断なのか。その辺はよく分からない。

ともかく、このような場合にまず製作者の罪を問うのはある意味正しいし、逆にイメージビデオを売っていたからという理由書店経営者を罪に問うのは良くないとは思うが。

5.ちなみに、18禁にはどういう法的根拠があるのか

では、一般的に「18歳未満には販売できません」で書店アマゾンで売っている商品はどのような法的根拠年齢制限をかけた上で売っているか。実はその法的根拠は国の法律ではなく条例にある。

[東京都青少年の健全な育成に関する条例]

(表示図書類の販売等の制限)

第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。

この手の条例がほぼ全ての都道府県にある。まどろっこしいが、要は『一定倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである

"18禁"などに関する(映像作品ゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっと重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。

この条文があるからリアルでもネットでも、18禁作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント


6.それで、今回の事件は?

問題ビデオは見ていないですが、罪状わいせつ頒布であるところからしておそらくは性器が(服の上からでも)はっきりと見えている場面があったのだと思われます。それ以上のことは言えません。

7.おまけ

Q1.そもそも、女性性的に消費するその手のDVD存在が良くない。

A1.ツイフェミ乙。

Q2:ややこしいので、国が基準を定めてあらかじめわいせつ図画でないか18禁であるかどうかチェックするようにしてはどうか。

A2:それは憲法禁止する検閲ではないか

2015-10-20

ダビデ像は良くて春画ダメなのか

春画掲載週刊誌4誌に警視庁指導

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151019/k10010275101000.html

0.何が問題なのか。

Q1:わいせつな図画を掲載するのが罪になるというのは当然では?

A1:刑法175条に定める『わいせつ文書・図画』であるならばたとえ大人相手しか売っていなくとも罪になります春画わいせつ物だというなら、春画展の開催自体違法です。

Q2:18禁ではなく一般週刊誌がやったから良くないのではないか

A2:そもそも18禁の物を未成年に売ってはならない』と定めているのは、『青少年健全な育成に関する条例』であり、刑法上の『わいせつ頒布罪』とは別の罪です。

Q3:そもそも女性性的に消費する週刊誌存在が良くない。

A3:ネトフェミ乙。

1.わいせつ図画頒布罪とは何か。

[刑法 第百七十五条]

わいせつ文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。

電気通信送信によりわいせつな電磁的記録その他の記録を頒布した者も、同様とする。

わいせつ文書、図画を作ったり売ったりすると罪になるということは大抵の人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。

刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。

では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)

わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校公民教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。

ついでに言うと、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠都道府県の定める『青少年健全な育成に関する条例』にある。

2.『わいせつな図画』の基準

今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器無修正描写しているか”これだけである

法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。

からAVエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、

逆に性器が写っていないヘアヌード写真集わいせつな図画には該当しない(から書店普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)

保護するものあくまで『最低限の性道徳であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガエロゲでもモザイク必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである

初期のドラゴンボール悟空チンコを一応描いているが、アレがわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。

余談だが、上で例に挙げたドラゴンボール場合ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである

女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である

BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。

これは無論、”性器リアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反から作成販売自体違法”ということを意味しない。

当たり前の話だが、医学書は実写で性器掲載してもわいせつ図画にはならない。

と、まあ医学書ならば流石に目的ははっきりしているが、”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難だ。

悪徳の栄え事件最高裁判決でも「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)であってもわいせつ性があることはあり得る(意訳)」としている。

3.『わいせつであるかを巡る具体例

Q1:エロ同人は?

A1:性器無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会警察とほぼ同様の基準に従って修正させています無修正だと見本誌を提出したとき販売停止になるはずです。

Q2:普通アダルトビデオは?

A2:性器修正しておく必要があります

Q3:裏ビデオは?

A3:作成販売したら違法です。だからこそ裏なんです。

Q4:無修正性器違法でない国からの、インターネットを介した配信は?

Q4:サーバー所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。

Q5:ろくでなし子さんは?

A5:裁判の結果として芸術性や政治的メッセージがどの程度認められるかは分かりませんが、3Dプリンター向けデータはい無修正女性であることには違いないので警察逮捕したのでしょうね。

Q6:ダビデ像など、古典彫刻は?

A6:流石にアレは性欲を刺激しないという扱いなんでしょうねぇ

4.それで、春画わいせつなんですか?

法的にはわいせつではない、はずです。春画わいせつであるなら、掲載した週刊誌以前に、春画展の主催者わいせつ図画頒布の罪になるはずです。

ヘアヌードも、わいせつではありません。これが違法になったら出版書店業界を巻き込んだ大騒動になるはずです。

春画ヌードを組み合わせたらわいせつである、というのが警察指導内容なのですが、正直なところ首を傾げます

 
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