「引き起こし」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 引き起こしとは

2015-06-18

自分キャラクターが定まらない

当方女。

まらないというより、相手のキャラクターに合わせて自分キャラクターを変えてしまっているような気がする。

自分より高くかわいらしい声で話す女性には、声低めでガサツそうなキャラクター

逆に落ち着いた雰囲気の人(男女問わず)と話すときには、こちらの声を高めにして、多少抜けているところがある風に喋る。

周りが自分より軒並み駄目そうなとき(めったにないが)は、できる限り自信があるような素振りをする。

男性と話すときは声のトーンが2段階ぐらい上がる。なんだかんだで愛嬌は大切だ。

あと、関西弁を喋る人には訛りを徐々に寄せていっている。出身地がそっち側なのでそうなる。他の方言は無理。

相手に応じてふるまい方を変えている、というよりは、“変わってしまって”いる。制御ができない。

おそらく、こうふるまえば相手からの好感を得やすいであろうと自分判断したキャラクターになっているのだろうと思う。

困るのがガサツキャラで対応している相手と声のトーンを上げて喋るタイプの相手が同時に話し相手として存在するようなときだ。

自分の中でつじつまが合わなくなると、今まで自動的に表出していたキャラクター機能しなくなる。こうなると手動で両方のキャラクターを調整し、なんとか軟着陸させなければならなくなる。超苦しい。

この場所ではこのキャラクター、と決めていれば、上記の謎の矛盾に苦しめられることがないと思うのだけれど。

私の場合、例えば人間関係限定された職場ブース内でも冒頭の5種のキャラクターを使い分けようとしてしまう。正確には5種と言わず、相手ひとりひとりに合わせて微調整しがちだ。

もちろんこれを全開でやってしまうと非常に痛い人物になってしまうのはわかっていて、できる限り暴走を抑えて無難にふるまおうと心がけている。でも、そのとき自分が演じたいキャラクターはにじみ出てしまっていると思う。

パートナーから相手によってキャラクター全然違うよね、と指摘されて、やっぱり他人からもわかるのねと気落ちし同時に恥じた。

相手によってキャラクターを演じ分けるような賢しいことをしているのを看破されたのが恥ずかしい。でも自動的にやっちゃうものだしなあ。誰に対しても常に同じトーンでいられる人をうらやましく思う。

中二病のようなことをつらつら書いてしまって、自分でもなんじゃこれはと思う。けど目下の悩みである

ぼっち歴が長く他人を観察する能力に欠ける私には、これが異常なことなのかがよくわからない。

6/19追記

トラバブコメでいろいろご意見いただきありがとうございました。共感してくださる方がいて嬉しかったです。

レスポンス用に文体をですます調に変えるのもキャラの切り替えに当たるんだろうか。ううむ。

自分の中で答えはまだ出ませんが、「キャラが定まらないキャラ」で行く、ってのは思いつきもしなかったので窮したときはそれで行こうかと思ってます

八方美人であることに罪悪感を多少なりと感じていたと思うので、ある種開き直った方法は思いつかなかったんだろうなー。

平野啓一郎さんの「分人」に関する著書を今のところ読んだことがないのですが、どういう内容の言説なのかを調べてみました。

この方の論って、あんまいい例えじゃないかもしれないけど、多重人格の人を扱った創作物とかで見る「つらい思いをしているのは私じゃなくて別の子」みたいな話に着陸するんでしょうか。

自分の中にたくさんキャラがあり各々が分離していれば、対人関係ダメージを受けるのはそのとき表出していたキャラのみで、自分をまるきり否定しなくて済むみたいな。

「芯になる性格」を用意できないことに不都合があるのでは、と考えていたんですが、メリットがあるのであればこのままでもいいのかもしれませんね。

ただ現状キャラをそこまで分離させられるほどの器用さはありませんです。要旨を全く読み違えてたらごめんなさい。

給湯室でブリッコよねー!と陰口を叩かれるのに近いことは正直あります。まずいなと感じた場合、とにかく相手に恩を売っていく方向でカバーしようとします。

全方位に八方美人してますが、同性には(群れの権力者には特に)入念になります。あと、私の持ちキャラ基本的に全てが、下手・いじられキャラであることが奏功しているようです。

表面上は波風を立てていない、と思うのですが裏でどう思われているか怖いです。

個人的にはこの状態はコミュ障の一類型で、サービス精神の過剰な発露というか、話し相手への過剰適応引き起こしているものと考えています

2015-06-11

うまい

うまい飯には二種類あります

うまい飯その1

「お、うまい、もぐもぐ、もぐもぐ、あ、もうお腹いっぱいです。もういいです。」

うまい飯その2

「お、うまい、なにこれ、うまいうまい、うわぁ、うまぃぃぃ、ぴぎぃぃぃぃぃ、もっともっとぉぉぉぉ、もっとちょうだぁぁぁい、ぴぎぃぃぃぃぃ。」


うまい飯その1は昔ながらの日本郷土料理世界各国の郷土料理欧米エリートビジネスマン日常料理です。

食べても特に問題はなく、程よいところで腹が膨れます


うまい飯その2はアングロサクソンの開発した人間豚用の中毒麻薬です。

主成分は主に油です。食料の形をしたプラスチックといわれるトランス脂肪酸がたくさん含まれます

食べれば食べるほどおなかがすきます人間から豚に形態変化しても食べ続けます

心臓病等様々な病気引き起こしタバコ、酒、に劣らず危険ですがあまり危険性は知られていません。


欧米には米、稲、ご飯を分ける単語はありません。文化的必要なかったためrice一文字ですませてきたのでしょう。

我々もうまいと言う言葉ひとつ単語ですませてきました。文化的必要なかったからです。

しかしこれからは違います。我々は前者のうまい後者うまいを分ける必要があります

さあ、ブクマーの皆さん。うまいうまいを分ける新しい言葉を考えてください。

マスダーのみんなは今回はタバコでも吸って待っていてください。

2015-06-08

君の大好きな神様とやらは、人類の大虐殺すら止められず

http://anond.hatelabo.jp/20150608090424

逆に人々を先導して戦争や大虐殺引き起こしてるんだよね

いやー神様ってのは、実は人類における最大の敵なんじゃないのかね(笑)

政教分離が徹底された日本治安の良さは特筆もんだ

すばらしいね政教分離

神様なんぞより政教分離の徹底を世界中でやったほうが戦争もなくなり治安もよくなることは確実だねえ

神だのなんちゃらだの言い始めるからこじれるってことに賢い人は気づいてきていたってことだわ

2015-06-06

ニートしてると何のために生きてるのか分からなくなる

毎日適当時間を潰して貯金を潰して将来真っ暗で本当になんのために日々があるのか分からなくなる。

虚無しか無い。

やることと言えば2chはてなオナニー無料ゲーム

ご飯は袋麺ばかりで身体には着実に毒が溜まっていってる。

筋トレも始めたけど精神は向上しないし根性なしですぐ自分を甘やかすから筋肉もついてない。

そうして日々が過ぎていく。

午後ローアニメネトゲデイリーボーナスぐらいしか生きる楽しみがないので時間無駄に過ごすのがうまくなった。

教養」のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていないなんていうが、俺は下戸なので酒も飲めない。

素面のはずなのに社会から離れすぎて少しおかしくなりだした頭でネット掲示板ツイッターに張り付いてテレビの実況なんかして寿命を減らしている。

夜更かしもよくするし、将来の不安で時折頭がジンジンするし、身体にもあまり気を使ってないから普通の人の1.5倍の早さで寿命を減らしている。何の価値もない日々を過ごしながら。

毎日空虚すぎるので1日の長さと1年の長さのバランスはもう完全に壊れていて、寿命が減っていく体感速度はもはや測定不能だ。

そうこうして俺は生きているのだが、何故生きているのか全くわからない。

社会の役には立っていない。

自分の役にも立っていない。

ただ日々を漠然と過ごし、漠然と過ごしてしまった時間価値を皮算用しては陰鬱気持ちが脳に立ち込め気を利かせた脳神経が頭痛引き起こしてクソのような人生を彩ってくれる。

クソである

何のために俺は生きているのか。

とりあえず来週のアイカツが楽しみだ。

2015-05-26

弱者男性を作り上げたのってフェミニズムじゃなくて新自由主義だろ。

 もちろんフェミニズム新自由主義という思想は非常に親和性が高く、互いが互いの考えに片足ずつ突っ込んでるという感じで切っても切り離せないのは周知の事実ではある。

しかし、決定的に相容れない部分があるのもまた事実新自由主義というのを単純化して少々乱暴にいえば弱肉強食理論なわけで、性差別撤廃や男女同権をかかげるフェミニズムとは目指すべき世界観理想郷根本で違っている。

 新自由主義者たちが推し進めた既得権益の打破、抜本的改革岩盤規制破壊構造改革民営化規制緩和国家戦略特区道州制小泉フィーバー自民党をぶっ壊す、これらの政策フェミニズムは利用された。女性社会進出、男性社会破壊。確かにフェミニストの掲げる目標の一部分は達成したのかもしれない。

でも結局、蓋を開ければ正社員非正規にしただけである

みんなで貧乏になれば平等という話だ。世の中のイケメンを全員抹殺すれば相対的顔面偏差値が上がってハーレムなのにと、妄言を吐くもてない男の与太話と大差ないが、それがまかり通るのが平成である

あの竹中先生もおっしゃっていた。日本の最大の既得権益正規労働者だと。彼ら正社員非正規から搾取している悪人だと、だから全員非正規にすればみんなハッピーで世の中うまくいくとかなんとか。

真の狙いは不明だが、もしかしたら1%の金持ち批判がいかないように正社員非正規の対立を煽っているのかもしれない? もしそうだとしたらとんでもない策士であり。陰謀であるパソナ陰謀しかない。

そんな巨悪があるかないか知ったことではないが、俺としては日本中の俺より幸せ人間が不幸になることを止める理由がないので、構造改革規制緩和もどんどんすすめてくれてかまわない。みんなで不幸になろう。この日本という泥舟にのって、夜の国道を無灯火で爆走し、赤信号をわたりまくるのだ。

 

 しかし、弱者男性とか言うゾンビよりも厄介で醜い死んでるのか生きてるのかわからない、燃えるゴミ燃えないゴミの間に生まれたような人間たちがフェミニスト連中を攻撃しているのは喜劇しかいえない。

しかフェミニストと聞くと三角めがねをかけて語尾がざます田島なんたらみたいなのを想像しまいがちではあり、あのような人間なら傷口に塩を練りこんで、永眠する呪いのをかけたくなる気持ち理解できなくもない。

が、それは罠だ。だれが仕掛けたかはしらん。しかし間違いなく弱者男性フェミニストが対立しているのを見て爆笑しているやつがいる。弱者を生み出した黒幕が囁いているのだ。女を叩けと公務員を叩けと正社員を叩けと若者年寄りを、地方を叩けと。

そんな黒幕が本当にいるのかは知らん。しか弱者を生み出したのはフェミニズムなんていう軟弱で被害者面した奴らの思想ではない。弱者を追い詰めるのはいだって強者理論に決まっている。

 

 そもそもこの新自由主義政策を行ってきた政党保守政党を名乗る自民党だということを考えてくれ。

ネオリベ保守と手を組みフェミニズムとも手を組み、巧みに姿かたちを変え、鵺のような立ち振る舞いであらゆる人間あらゆるす思想を取り込み吸収していく、よく乾いたスポンジのように。どんな考えを取り入れても新自由主義は歪まない、曲がらない、へこまない。矛盾を起こさない。きっちり辻褄を合わせてみせる、合わせたように振舞える。どんな角度から批判されても、するりとかわしてみせる、それはしなやかな柳をを連想させる。柔軟である。どんな相容れない存在も許容し、あるいはこちら側の色に染めるのだ。

そんな詐欺師のような理論世界中であらゆる政治的な場面で大活躍だ。八面六臂とはこのことか。

 

 まさに最強の理論弱肉強食理論こそが、この複雑な世界もっとシンプルで、なんの矛盾も間違いもなく見渡せるのだ。誰だって弱肉強食否定できない。

多面的なあらゆる関係性のなかに生きている俺らが一番最初に気づく真理がこれだ。

これに一枚かまない理由はない。俺もこの理不尽ゼロサムゲームに勝ちのころるために、弱者どもを言葉巧みに操り、被害者のふりをしながら一人ひとり地獄へ突き落としてやろう、そうしよう。

強者に媚びへつらい寄生弱者から搾取する。現実をとことんネガティブに捉えれば所詮こんなもんなのだ。開き直って詐欺師にでもなったほうが美味しい飯を食いながら人の不幸でおかわり三杯はいけるだろう。

右翼左翼も利用して、男と女を対立させ、若者年寄りを対立させ、日本人外国人を対立させ、不毛な殴り合いを遥か高みから見下ろすのだ。膝に猫を抱えながら。

そしてどの勢力にも関わり、裏から扇動し、洗脳する。しかしどいつも俺らを批判できない。なぜならどいつもこいつも新自由主義に片足、いや両足つっこんでいるのだから

 

 フェミニスト新自由主義者が目指す理想郷はまったくの別世界であるが、これからフェミニズムは利用され。新自由主義ピエロ、もしくはパンダとして消費されるだろう。

安部首相のいう女性活用かい政策はまさにフェミニスト新自由主義者ねじれが引き起こした暗黒面だ。女も男も幸せにならないのだろう。いい気味である

2015-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20150516083612

人の長所短所は表裏一体

自分に厳しい←→他人にも厳しい

優しい←→押しが弱い

集中力がある←→マルチタスク苦手

それは国民性も同じで、日本人一般的協調性が高いと言われている。

災害がおきても暴動を起こさず助け合い空気を読み合って、整然と列を作る。

そして、それを乱す異物については協力して排除する。

これがイジメ引き起こしている原因なわけだが

元々持ってる長所まで潰してしまうのは短絡的すぎる。

国は国で持っている個性は大切にするべきだ。

どの国も違っていていい。

問題は深刻化しないよう、どうコントロールするか。

2015-05-14

マクドナルドで死にかけた話の編集履歴

先頭行に+が付いている箇所は追加された行、-が付いている行は削除された行です。

変更箇所については二重の引用ブロックで括っています

初稿 2015年5月13日 10:09 記録

マクドナルドで死にかけた話

5/10(日)13時頃

仕事の休憩中にマクドナルドチキンフィレオのセットを食べに行きました。

ポテトを食べていたあたりは何ともなく、チキンフィレオを食べて少ししてから腕が痒くなって見てみると、両腕が真っ赤になっていてじんましんが出ていました。

休憩中だったので、休みの日にアレルギー検査に行こうかなと思って、店員さんに「すみません、これ食べてたら腕が真っ赤になってしまったんですけどアレルギー何が含まれてるか教えていただけますか?」と腕を見せながら聞きました。

「少々お待ちください。」と言ってどこかに行ってしまい、レジ前に放置され、5分経っても10分経っても戻って来ず、段々腕が痛くなってきて足も腰も首も同じようになってきて、喉が焼けるように痛くなって、近くにいたポテトをあげていた店員さんに「すみませんアレルギーが出てしまったみたいで今他の人に確認してもらってるんですけど、喉が痛くなってきたのでお水いただけますか?」と言ってお水をいただきました。

そのままレジ前に20分程放置されて、その間何度か他の人に「さっきアレルギーが出て今苦しくて、確認してもらってるはずなんですけど全然戻ってこないんですけどどうなってますか?」と聞きましたが、チラッと奥を覗いただけで私のところに戻ってくることもなく、他のスタッフと笑いながらおしゃべりをしていました。

私の頭はもうパニックで、

段々痛痒くなる全身と、

喉の痛みと呼吸の苦しさ、

声が擦れていく不安に駆られていて、何故おしゃべりしているのか、何故私はここに立ったまま20分以上経っているのか、仕事に戻らねば、連絡しなければ…

色々なことで頭がいっぱいでしたが、一つ大きく不安だったのが、

(苦しい、痛い、アレルギーって私もしかしたら死ぬのかな…)

ということでした。

私は元々アレルギーが多い体質でしたが、食べ物で全身にじんましんが出たのは初めてでした。

徐々に身体を埋め尽くしていく赤いじんましんが目に見えて私を不安にさせました。

その後最初スタッフが問い合わせから30分程してから戻ってきて、「今本社電話確認しているのでかけてお待ちください。」と言われました。

座って水を飲んでいた私は徐々に咳が出てきて、周りのお客さんの視線が辛くて、申し訳なくなって、このまま店を出ようかとも思いましたが、身体が上手く動きませんでした。

会社に連絡すると、上司マクドナルドまで迎えに来てくれて、今どういう状況かと自分の身体の状態を説明し、病院に行こうと、日曜日にやっている近くの病院を探してくれました。

そしてその後ようやくスタッフがやってきて、アレルギーは何が入っているのか教えてくれました。

材料としては使っていなくても他の食材が混入したり、共同の油で調理しているため他の食材と接触があるかもしれないのでどの食材が今回のじんましんを引き起こしたかからないことを説明され謝られました。

「今回の料理代と病院の診察代はそちらで負担してくれるんですか?」と私と上司が聞いたら、

はい病院領収書をお持ちいただいて、本社電話してください。」と言われました。

しかし書かれていた番号は日曜日には繋がらないフリーダイヤルお客様窓口の番号でした。

苦しくて頭もぼーっとしていた私にはもう既にあまり判断力がなくなっていて、後半は上司が話してくれていました。

その後上司に連れられ病院までなんとか歩いて行きました。

幸いすぐ近くにアレルギー科のある病院があったのでそこに行きました。

診察を始めるや否や先生達は私が呼吸が浅かったのを見て喘息かどうか聞いてくれて、運動性の喘息があった私は「運動性の喘息があります。」と答えました。

すると先生達は大慌てで点滴を作ってくれて、「苦しいねちょっとベッド行こうか。すぐ点滴するからね。採血も一緒にやっちゃうからね。」と言ってベッドに連れて行ってくれました。

入れ替わり立ち替わりに看護婦さんや先生が来て、私の症状を聞いたり採血したり点滴したり、そんな風にしてる間にいつの間にか意識を失って気付いたら点滴が終わって、全身を覆っていたじんましんがだいぶ引いていました。

でも喉の痛みと咳はまだ出て、苦しさが残っていました。

その後改めて診察や検査を受けると、正真正喘息であることが診断され、重い喘息がある患者アレルギーのじんましんが全身に広がると、アレルギーアナフィラキシーショックに誘発されて喘息の発作も起きるらしく、それに気付いた先生達は大慌てで点滴を打ってくれたようでした。

あと30分程遅かったらどっちの発作が起きていてもおかしくなかったこと、どちらの発作も死が伴うことを聞かされ、やはり私は死に近いところにいたことを実感しました。

そしてこれから今回の件が引き金となり喘息が今までよりずっと酷くなることや、喘息は死なない病気と広く言われているが実際はそうではないことが説明されました。

帰り際看護婦さんや先生

「間に合って本当に良かったね。もう大丈夫からね。一緒にこれから頑張ろうね。」と言われました。

私の両親がその夜マクドナルドに診察結果を連絡すると渡された番号はフリーダイヤルで繋がらず、近くに別のマクドナルドがあったので両親が事情を説明するため話にいくと、マネージャー本社の人と電話が出来て、対応の悪さを謝られました。

15日に謝罪に来ると言われました。

しかし昨夜(12日の夜)になっていきなり手のひらを返してきて、

「こちらに責任はありません。」

「何を謝らなければいけないんですか?」

と言ってきました。

目の前でアレルギーが出てどんどん具合の悪くなっていく客がいるのにも関わらず、店長も出てこない、聞いても返事もなく、スタッフ同士笑顔でおしゃべりして何十分も放置されていたのに

何を謝らなければいけないのか?

人としてどうなのかと思いました。

会社弁護士に何か言われたのか。

一度謝罪して、後日謝罪に伺います自分から言っておいて、突然の態度の急変。

皆さんはどう思いますか?

私は今年の4月から大手アパレル会社に勤め始めて、GWも乗り越え入社1ヶ月必死に働いてきました。

しかアパレル喘息患者にとってはよくない職業の中でも上位です。

夜中に咳が止まらなくなり、ここ数日ほとんど寝れていません。

接客業なので、咳が出始めるとお客様にもスタッフにも申し訳なくなって、身体のためにも仕事を辞めるかという話にまでなっています

もう少し処置が遅れていたら死んでいたかもしれない。

もう少し早ければ喘息悪化しなかったかもしれない。

なのに、何故「何を謝らなければいけないのか?」と言えるのでしょうか?

マクドナルドには、昨夜「アレルギーがあるかどうか自分で把握せずに食べたあなたが悪い」と言われました。

元々食べ物アレルギーがあったわけではないのに、何故そんな風に言われなければいけないのでしょうか?

私は何か間違っていますか?

ただ謝ってくれたらそれで良かったのに。

家族全員とても悲しんでいます

と同時にマクドナルド対応に大きな憤りを感じています

皆さんの意見が聞きたいです。

そして皆さんの力が借りたいです。

少しでも多くの人がこのノートを見てマクドナルド危険性と接客の悪さ、非人道的対応を知っていただけたらと思います

2稿 2015年5月13日 13:03 記録

@@ -30,7 +30,7 @@

すると先生達は大慌てで点滴を作ってくれて、「苦しいねちょっとベッド行こうか。すぐ点滴するからね。採血も一緒にやっちゃうからね。」と言ってベッドに連れて行ってくれました。

入れ替わり立ち替わりに看護婦さんや先生が来て、私の症状を聞いたり採血したり点滴したり、そんな風にしてる間にいつの間にか意識を失って気付いたら点滴が終わって、全身を覆っていたじんましんがだいぶ引いていました。

でも喉の痛みと咳はまだ出て、苦しさが残っていました。

-その後改めて診察や検査を受けると、正真正喘息であることが診断され、重い喘息がある患者アレルギーのじんましんが全身に広がると、アレルギーアナフィラキシーショックに誘発されて喘息の発作も起きるらしく、それに気付いた先生達は大慌てで点滴を打ってくれたようでした 。

+その後改めて診察や検査を受けると、正真正喘息であることが診断され、重い喘息がある患者アレルギーのじんましんが全身に広がると、それに誘発されて喘息の発作も起きるらしく、それに気付いた先生達は大慌てで点滴を打ってくれたようでした。

あと30分程遅かったらどっちの発作が起きていてもおかしくなかったこと、どちらの発作も死が伴うことを聞かされ、やはり私は死に近いところにいたことを実感しました。

そしてこれから今回の件が引き金となり喘息が今までよりずっと酷くなることや、喘息は死なない病気と広く言われているが実際はそうではないことが説明されました。

帰り際看護婦さんや先生

@@ -47,8 +47,6 @@

会社弁護士に何か言われたのか。

一度謝罪して、後日謝罪に伺います自分から言っておいて、突然の態度の急変。

皆さんはどう思いますか?

-私は今年の4月から大手アパレル会社に勤め始めて、GWも乗り越え入社1ヶ月必死に働いてきました。

-しかアパレル喘息患者にとってはよくない職業の中でも上位です。

夜中に咳が止まらなくなり、ここ数日ほとんど寝れていません。

接客業なので、咳が出始めるとお客様にもスタッフにも申し訳なくなって、身体のためにも仕事を辞めるかという話にまでなっています

もう少し処置が遅れていたら死んでいたかもしれない。

@@ -56,10 +54,13 @@

なのに、何故「何を謝らなければいけないのか?」と言えるのでしょうか?

マクドナルドには、昨夜「アレルギーがあるかどうか自分で把握せずに食べたあなたが悪い」と言われました。

元々食べ物アレルギーがあったわけではないのに、何故そんな風に言われなければいけないのでしょうか?

-私は何か間違っていますか?

ただ謝ってくれたらそれで良かったのに。

-家族全員とても悲しんでいます

-と同時にマクドナルド対応に大きな憤りを感じています

+マクドナルド対応に大きな憤りを感じています

皆さんの意見が聞きたいです。

そして皆さんの力が借りたいです。

少しでも多くの人がこのノートを見てマクドナルド危険性と接客の悪さ、非人道的対応を知っていただけたらと思います

+-追記-

+お問い合わせが多いので追記します。アレルギーに関しては現在検査結果待ちです。

+皆さんの意見読ませていただきました。

+私も悪いところがあったのは分かっています

+すぐに救急車自分で呼ばなかったのは判断ミスだったと思います

3稿 2015年5月13日 16:22 記録

@@ -11,17 +11,15 @@

喉の痛みと呼吸の苦しさ、

声が擦れていく不安に駆られていて、何故おしゃべりしているのか、何故私はここに立ったまま20分以上経っているのか、仕事に戻らねば、連絡しなければ…

色々なことで頭がいっぱいでしたが、一つ大きく不安だったのが、

-(苦しい、痛い、アレルギーって私もしかしたら死ぬのかな…)

+(苦しい、痛い)

ということでした。

-私は元々アレルギーが多い体質でしたが、食べ物で全身にじんましんが出たのは初めてでした。

-徐々に身体を埋め尽くしていく赤いじんましんが目に見えて私を不安にさせました。

+私は元々アレルギー体質でしたが、ハウスダストネコなどで、食べ物で全身にじんましんが出たのは初めてでした。

その後最初スタッフが問い合わせから30分程してから戻ってきて、「今本社電話確認しているのでかけてお待ちください。」と言われました。

座って水を飲んでいた私は徐々に咳が出てきて、周りのお客さんの視線が辛くて、申し訳なくなって、このまま店を出ようかとも思いましたが、身体が上手く動きませんでした。

会社に連絡すると、上司マクドナルドまで迎えに来てくれて、今どういう状況かと自分の身体の状態を説明し、病院に行こうと、日曜日にやっている近くの病院を探してくれました。

そしてその後ようやくスタッフがやってきて、アレルギーは何が入っているのか教えてくれました。

材料としては使っていなくても他の食材が混入したり、共同の油で調理しているため他の食材と接触があるかもしれないのでどの食材が今回のじんましんを引き起こしたかからないことを説明され謝られました。

-「今回の料理代と病院の診察代はそちらで負担してくれるんですか?」と私と上司が聞いたら、

-「はい病院領収書をお持ちいただいて、本社電話してください。」と言われました。

+「病院に行かれて、本社電話してください。」と言われました。

しかし書かれていた番号は日曜日には繋がらないフリーダイヤルお客様窓口の番号でした。

苦しくて頭もぼーっとしていた私にはもう既にあまり判断力がなくなっていて、後半は上司が話してくれていました。

その後上司に連れられ病院までなんとか歩いて行きました。

@@ -46,21 +44,21 @@

人としてどうなのかと思いました。

会社弁護士に何か言われたのか。

一度謝罪して、後日謝罪に伺います自分から言っておいて、突然の態度の急変。

-皆さんはどう思いますか?

夜中に咳が止まらなくなり、ここ数日ほとんど寝れていません。

接客業なので、咳が出始めるとお客様にもスタッフにも申し訳なくなって、身体のためにも仕事を辞めるかという話にまでなっています

もう少し処置が遅れていたら死んでいたかもしれない。

もう少し早ければ喘息悪化しなかったかもしれない。

なのに、何故「何を謝らなければいけないのか?」と言えるのでしょうか?

-マクドナルドには、昨夜「アレルギーがあるかどうか自分で把握せずに食べたあなたが悪い」と言われました。

-元々食べ物アレルギーがあったわけではないのに、何故そんな風に言われなければいけないのでしょうか?

+マクドナルドには、昨夜「アレルギーがあるかどうか自分で把握せずに食べたあなたが悪いです」と言われました。

+元々検査はしてあって、食べ物アレルギーがあったわけではないのに、何故そんな風に言われなければいけないのでしょうか?

ただ謝ってくれたらそれで良かったのに。

マクドナルド対応に大きな憤りを感じています

-皆さんの意見が聞きたいです。

-そして皆さんの力が借りたいです。

少しでも多くの人がこのノートを見てマクドナルド危険性と接客の悪さ、非人道的対応を知っていただけたらと思います

-追記-

お問い合わせが多いので追記します。アレルギーに関しては現在検査結果待ちです。

+また、アレルギー確認していたスタッフ時間帯責任者で、店長は不在だったそうです。

皆さんの意見読ませていただきました。

私も悪いところがあったのは分かっています

-すぐに救急車自分で呼ばなかったのは判断ミスだったと思います

+アレルギーに驚いてすぐに救急車自分で呼ばなかったのは判断ミスだったと思います

+また、今後はアレルギーが起きた時の為に注射を持ち歩くというアドバイスありがとうございました。

+今後の治療対策については日曜日病院検査結果を聞きに行った時に相談したいと思っています

4稿 2015年5月13日 20:49 記録

@@ -57,7 +57,15 @@

-追記-

お問い合わせが多いので追記します。アレルギーに関しては現在検査結果待ちです。

また、アレルギー確認していたスタッフ時間帯責任者で、店長は不在だったそうです。

-皆さんの意見読ませていただきました。

+私の言いたいことが伝わらないのは文章の書き方の問題だというコメントいただきましたので、ご指摘いただいた部分は編集させていただきました。

+今回の件で、金銭のくだりが発生したのは、

+今回記載されたもの以外の物が混入していてそれが原因だった場合マクドナルド責任ですよね…?

+そういう話で、もしというお話でした。

+お金を払ってください。

+という話ではなく、

+あの時の対応と、謝りに行くと自分達が言ったのにやっぱり私達悪くないのでいきません。何が悪かったんですか?

+という掌返しの酷さを伝えたかったのです。

+皆さんの意見ひとつひとつ読ませていただきました。

私も悪いところがあったのは分かっています

アレルギーに驚いてすぐに救急車自分で呼ばなかったのは判断ミスだったと思います

また、今後はアレルギーが起きた時の為に注射を持ち歩くというアドバイスありがとうございました。

履歴についてはhttps://archive.is/https://note.mu/hal_800/n/n8ae61b030390を使用しました。ありがとうございます

2015-05-08

10年間悩まされてきた耳鳴りがどっかいった

数年間悩まされてきた顎関節症がどっかいった

http://anond.hatelabo.jp/20150508123350

を読んで、そういえば俺も10年近く悩まされた耳鳴りがどっかいったことがあったなと思い出したので残しておく。

7,8年前、半年ほど診療内科に通っていた。引越しのため半年でやめてしまって、欝に対しては効果を出せるほどの時間を取れなかったんだけど、

最後の方のある日の深夜、郊外で車を停め、しんとした状態のときに気づいた「あれ、耳鳴りが止まってる」。

俺の耳鳴りは高音のピーという音で「気にしなければ気にならないけど、気にすると気になる」程度ではあったが、なんせ10年近く鳴っていてそれが普通になっていたので、

「音の無い静寂」がもう一度やってきたのはものすごいことだった。

医師にも報告したけど特に何も言われなかったので関係ないのかねと忘れてたんだけど、これを書くにあたって検索してみたら「鬱」と「耳鳴り」は関係性が強いみたい。鬱が耳鳴り引き起こしたり、耳鳴りが鬱を引き起こしたり。

から鬱の治療耳鳴りを治すことは思ってたほどは目新しいことじゃないっぽい。

【耳鳴に対する SSRI選択的セロトニン再取り込み阻害薬)の治療効果に関する検討

https://www.jstage.jst.go.jp/article/audiology/54/5/54_327/_pdf

俺もジェイゾロフトっていうSSRI系の薬だった(あともう一つ何か飲んでたけど忘れた。それから逆にSSRI副作用によって耳鳴りが起こることもあるみたい)

ちなみにその後特に治療はしていないので欝っぽい状態はそのままで耳鳴りも少し復活してる。

ここで伝えるまでもなく耳鼻科とか行ったらSSRIも含め各種治療法を伝えてはもらえるんだろうけど、「耳鳴りは不治の病」と諦めてて耳鼻科等へかから放置してた人の目に留まれば嬉しい。

2015-05-02

千葉雅也のアンチエビデンス論について」について

10+1 web site|アンチ・エビデンス──90年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い|テンプラスワン・ウェブサイト

千葉雅也のアンチ・エビデンス論について(最終版) | しんかい37(山川賢一) | note

 最初リンクを「アンチエビデンス論」、二つめを「アンチアンチエビデンス論」と呼ぶことにする。もちろん、この文章アンチアンチアンチエビデンス論と呼ぶ必要はない。

 千葉雅也の「アンチエビデンス論」が出たとき個人的にはそれなりに楽しく読んだけれどその評価別にして、まあ批判は出るところでは出るだろうなとは思っていた。と思っていたらしんかい37氏が「怪文書」なんて比喩まで出してけなし始め、氏がまとめた批判が二つめの「アンチアンチエビデンス論」。(最終版)となっているのは、この文章はいくつかのバージョンが発表されたらしく、(完全版)を読んだつもりがまた新しいのに更新されたということのようだ。この調子で(究極版)とか(最終版・改)とか(帰ってきた完全版)とか出してみてはどうか。そんな正論はともかく、これから取り上げるのは後者の「アンチアンチエビデンス論」についての感想、とりわけその文体についての雑感である

 しんかい氏は、まず千葉の主張をこのように要約する。

千葉は論考の冒頭で、些末なことや自明なことにも過剰なまでに論拠や説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、こうした態度が現代には蔓延している、と述べました。さらに、インターネットの普及した現代では、人はさまざまな行動の痕跡ネット上に残してしまます。そのため、人はエビデンシャリズムによる際限のないあら捜しにさらされてしまう。千葉によると、このエビデンシャリズムは、現代社会を窒息させるものなのです。

 そして、その上で読者にこう問いかける――

まずこの主張、みなさんはどう思われますか。率直に言って、最近になってそんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしないのですが。

 不思議なのは、ここで「そんな気がするかどうか」という「実感」についての話からこの論を始められる図太さ、というか、ふてぶてしさだ。過剰に説明責任を求める態度をエビデンシャリズムと呼び、それを批判する千葉の態度をアンチエビデンスと呼ぶなら、さらにそれを批判するしんかい氏の態度は、普通に連想すれば、説明責任擁護エビデンシャリズムの擁護となるだろう――そういう予感を持って、読者は、というか私は、読みはじめた。どのような根拠でもって(説明責任果たして)氏が主張を正当化していくか、それが私がいちばん期待していたことだ。もちろん「アンチアンチエビデンス論」の議論の射程は鋭く、こうした「実感」に訴える論法を手厳しく批判している。この論の最後

エビデンスを求めようとしなければ、人の思考個人的な実感のまわりをくるくると回るだけですし、明晰さが求められないなら、言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論がいくらでも可能になってしまます

という風にして終わるのだ。仮に、しんかい氏の主張が〈個人的な実感のまわりをくるくると回る〉だけに留まらないと仮定すれば、〈そんな過剰にエビデンスを求められる息苦しい社会に移行した、という気もしない〉と主張するに値するほどの、根拠が示されるはずである――そう期待して読む私は、またすぐに裏切られる

しかに、インターネット上の失言が多くの人に拡散され批判される、ウェブ炎上という現象は近年目立つようになって来ました。エビデンシャリズムという概念は、そうした事柄をさしてもいるらしい。

実感に則さなくても、当てはまる事例があることはすぐに認めている。いったい、しんかい氏の「実感」を裏づけする根拠は、いつになったら出てくるのだろう? (「落ち着いてください!」と隣にいた貴婦人が言う。「まだほんの初めの方の十数行を読んだばかりじゃありませんか。議論は始まったばかりです。これから先も慎重に読み進めていけば、きっと〈個人的な実感〉なんかとは無縁の、素晴らしきエビデンスとやらに出逢えるはずですよ! さあ、続きを読んでください!」)

 さらに読み進めていくと、千葉文章引用したあと、しんかい氏はこのように述べている。

このくだりを読むと、今の企業ではどんどんマニュアル化(「機械的、事務的処理を行き渡らせることで、非定型的な判断の機会を限りなく排除」)が進んでいて、ロボットのようにふるまうだけで給料がもらえる状況になってきている、といっているように思えます。えっ、世の中そんな風になってますかね。フリーターならともかく、現在でも正社員ともなればみなさんいろいろな判断要求されていると思いますけど。むしろ日本では長い不況のせいで、高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている気さえします。

 「思えます」! 「思います」! 「気さえします」! 実感に訴える主張のオンパレード! 「フリーターならともかく」――どのような根拠でこの要素を除外したのか? 「長い不況のせいで」――いったいいつからいつまでのことなのか? こんなにも曖昧表現で何が指し示せるというのか? 「高度な「ケース・バイ・ケースの判断」の判断要求される仕事が、しばしばアルバイト待遇になっている」――さっき例から排除されたフリーターはこの例には含まれないのだろうか? 確かに最初の例のフリーターが、元からアルバイトなんかしていなかったのなら辻褄は通るけれど……ところで、引用されている千葉文章は〈企業で、行政で、大学で。社会のいたるところで〉といった範囲の広いものであるのに、しんかい氏は勝手企業だけの話にすり替えているし、しか千葉文章に〈給料〉という言葉はひとことも出ていない。

マニュアル化が仮に進んでいるとしても、それは効率化のためであって「個人の責任回避」するためじゃないでしょう。企業に、各社員責任をいちいち回避させてあげるインセンティヴなんてありませんから

 なぜ「効率化のため」という目的だけに話を限定できたのだろう? もし仮に、企業(そもそもなぜ企業だけの話になったのか? しんかい氏がそうすり替えたからの話でしかないのではないか?)が、しんかい氏の思いつきによる目的で動いているとしても、そうすれば、そもそも前段のマニュアル化が進んでいることを否定するような数々の圧倒的「実感」とはいったい何のために書かれたというのか? これらは全てただの思いつきで、論旨を整えずにただ手当たり次第に条件反射的に反発してみただけのことで、最初から根拠なんかなかったのだろうか? 〈千葉はその不明瞭な文体のせいで不評を浴びたわけですが〉と、その次の「不明瞭な文体について」の章で氏は書いているが、確かにしんかい氏の文体千葉に比べればまったくもって明瞭ではある。場面ごとに言いたいことは分かる。ただ、自身の主張に対する根拠ほとんど書かれていなくて、全体を繋げると辻褄が合わないというだけのことだ。しかし、最初から言葉をつき混ぜて一貫性があるかに錯覚させるような議論〉がしたいのならともかく、アンチアンチエビデンス論としては、これは致命的なことではないのだろうか?

 この後も、しんかい氏は「アンチエビデンス」的な、説明責任を果たさず、ただの思いつきで主張を言いっぱなしにするだけの批評を展開している。

ぼくもひどい評論ハンターとしていろいろひどい評論を読んできたわけですが、この手の文章を書く人って粘土細工作るみたいな思考回路評論というものを考えてるんですよね。思考論理によってつなげようとするのではなく、とにかくぐちゃぐちゃつき混ぜてれば一体になるにちがいない、という信念に導かれている。

この手の人は、どうやら混ざっている粘土の種類が多ければ多いほど強い、と錯覚している節もあって、批判されるとすぐ、もっと勉強してくださいとか文脈を読んでくださいと言い出す。見ろ!こんなに多くの粘土を混ぜているんだぞ!このすごさがわからないのは、お前が粘土の種類にくわしくないからだ!というわけ。一般社会には通じない理屈ですが、文壇アカデミズムには粘土細工愛好家が一定数いて、ほう見事なマーブル模様ですのうと褒め称えたりするので、彼らの自信はますます高まっていくのです。

 対象になる文章に「粘土細工」という比喩を与えて、その粘土細工のイメージ攻撃する。ありがちな比喩の乱用だが、このあとソーカルによって批判される「科学数学」の乱用に比べれば、反証のしようがないために、確かに優れた方法ではある。

ただし、いまや世界的に、ドゥルーズ的な文体にたいする風当たりはかつてより強くなりました。

 これなどはまだいい方で、一冊の参考文献が提示されている。そのピーターバリーによる教科書引用部分だけで、どうして「世界的」な思潮についてここまで断定的なことが言い切れるのかはさっぱり分からない。

バリーが述べていたように、いまや世界的に「詩的に書く自由」は認められなくなってきたわけですが、じつは、そうした変化を引き起こしたのは、一冊の本でした。二人の物理学者アラン・ソーカルとジャン・ブリクモンの共著『知の欺瞞』。そしてこの本が刊行されたのは、九七年のことなのです。

 また「世界的」なことを一冊の本だけで理解している。しんかい氏は〈千葉が、九〇年代エビデンシャリズムからいまだ自由時代だったと称えている〉ことと、ソーカルの影響によってポストモダニスト難解な記述スタイルに〈致命傷を与えた〉話を、そのまま繋げている。〈それを踏まえると、〇〇年代以降エビデンシャリズムが強まっていったという千葉の主張と、見事に合致します〉。……。時系列ごとに並べると、受験生に嬉しい真っ白な年表ができそうだ。これも千葉世代論に比べると、中身をスカスカに抜いたからとはいえ(ほとんど粘土は混ざっていない)、確かに言いたいことは分かりやす世代論ではある。そこにエビデンスがあるかはともかく。

 だいたい、千葉ポストモダニスト的なよく分からない文体を使っている(これもしんかい氏の主観であり、論の後半にはある部分の引用について〈率直に言ってぼくにはほとんど意味が取れません。おそらく全人類にとってそうなのではないかという気がします〉などと豪快なことを言う。論の冒頭で〈発表直後はネット賞賛の声に包まれました〉という例示と「批判の声」を対比させたのは何だったのか、賞賛の声を上げた人たちは最初からしんかい氏にとっての人類には含まれていなかったのだろうか?)ことと、過去に著名なポストモダニスト問題と論争を巻き起こしたことには、いったい何の関わりがあるのか? ただの連想ゲームしかないのではないか? こうしたカテゴリー混同した主張と、「ジャック・ラカンは、虚数無理数混同している」といった事実に、どのような違いがあるのだろう? 

 しんかい氏はなぜ、ソーカル事件千葉雅也を結びつけて論じようと思ったのだろうか。「おそらく……」などと仮定を挙げてエビデンスのない主張をする気は今のところない。それよりも、根本的な疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において、しんかい氏は、アンチエビデンス批判するどころか、むしろそれに則った、説明責任なんてお構いなしの自由闊達批評をしている。それはそれでいいことじゃないかと思うし、それとは逆にエビデンシャリズムを徹底させた批評の道もあるのではないかと思う。しかし、今回のように、ある種の世代論や、ある人物をどのように評価するかなど、すでにある程度の文脈が与えられた人文学的なテーマ場合科学数学におけるような厳密な方法論などないし、徹底して証拠を走査することは(この私の文章のように)不毛ものになりがちなのではないだろうか。そもそも戦う土俵を間違えているんじゃないか、という疑問がある。「アンチアンチエビデンス論」において批判されている(かのように見えるが、どういう理屈でかははっきりしない)「実感の正当化だって、たとえば何らかの世代論であれば、いくつかの本から有益そうなところを引用して、それなりに理解が深まれば、反事実的条件と現実世界関係に関する考察などといった面倒そうなところから論を始めなくても、それで充分なのではないか、という気はする。これは純然たる思いつきである

 貴婦人はとっくに寝てしまったので無駄話を続けると、だいたい意味が分からないかどうかで評価するのなら、数学科学プログラミングなどの高度な専門書だって(〈一般社会には通じない理屈〉とまで表現するかはともかく)私個人にはまったく意味不明ものだし、別に大陸哲学だけの話ではなく分析哲学の本でさえ、少し高度になるといまの私にはさっぱり分からない。意味不明なことを言っているのと意味がないのは(いわゆる「説明と理解」といった哲学的テーマになるのだろうか)まったく異なるはずだし、ここを突き詰めて考えると分析哲学的にも絶対にややこしい問題に直面すると思うのだが、しんかい氏はその辺りをどうも曖昧に片づけている気がする。

 ところで、「形骸化したエビデンシャリズム」それ自体は、いつから・どの程度顕在化したかはともかく、いかにもありそうな話ではあると思っている。最近某所で話題になっている広島大学モニタリングの話とか分かりやすいんじゃないだろうか。

徹底した大学のモニタリング | 広島大学

2015-04-18

タバコよりどう考えてもデブの方が有害だよな?

最近タバコへの風当たりが強い。税金も高くなって完全に分煙されている。

しかしながら対策が進んでいるタバコに比べてデブ対策が進んでいない。個人的意見を言えばタバコよりデブの方が有害だと思う。以下に理由をのべる。

1.煙草でも言われているが様々な病気引き起こし社会保険負担になる。

2.電車飛行機などの席で脂肪がはみ出て回りの迷惑になる。

3.デブが街を歩いていると景観問題が出る。

4.パートナー対象が少なくなり少子化が進む。

5.やたらと空調の温度を下げたがる。

6.油ギトギトの豚の餌屋を増やして食堂経営を妨げる。

デブの少ない日本が羨ましいわ。デブ制裁を!

2015-04-05

テロリストになってみた


これはひどく狭い世界の話だ。
要するに、
創作関係コミュニティで内輪揉めを引き起こして、
結局なにひとつ現状は変わらなかった、というだけの愚痴だ。

数年前からそのコミュニティに参加し始めた。
コミュニティの一生」というコピペがあるが、
あれでいえば俺はちょうど面白い人とつまらない人が入れ替わる、
その一番最初に来たつまらない人、という位置だろう。

当時はにぎわっていた。
最初にその場を耕し、育てあげた人々はみな何らかのノウハウがあった。
意外にも、本来いるべきその道の専門家は少なかった。
しろ優れた部外者たちの試行錯誤やぶつかり合いが場を育てた。
たとえるなら、
トランペット小学生の頃から続けてきたベテランが、
その経験を活かしてセンスある創作料理を次々と生み出すようなものだ。
それほどに無関係な分野の人たちが、
「その道の専門家」を圧倒する勢いで傑作を生みだしていった。

自分は以前“その道”に近い場所にいた。
からはじめ、彼ら先駆者よりも自分の方が優れたものを生み出せると、
そんな驕った考えでその場に近づいていった。
そして打ちのめされた。
最初半年一年くらいは、彼らの生み出した言語習得に追われる日々だった。
夢のように充実していた。

彼らは小手先作法などでなく、本質を素手で掴まえようとしていた。
最盛期は「いかによりよいものが作れるか」と夜な夜な語り合い、
酒を片手に垂れ流すようなバカ話も交えつつ、
時には場を凍らせるような尖った言い争いを起こしつつも、
全体としては実りある技術論をしていた。僕にはそう映っていた。
みんな、過去の話だ。

やがてある時から、人の気配が減り始める。
そのコミュニティがどこまでも膨張していったが、
筋違い非難関係者への人格攻撃も増えていった。
先駆者たちの多くは、そこらで別の居心地良い場所を探し始めた。
自分も彼らの後を追ったり、まだ元の場所に居着いていたり、
あるいは全く別の場所に触れてみたりしつつも、
心まではコミュニティから離れられずにいた。

衰退以前からコミュニティ関係者の間ではSNSが普及していた。
SNSは確かにコミュニティ活性化の起爆剤ではあったが、
同時に終焉へと向かう引導でもあった。
当初の目的を外れた雑談日常生活での愚痴などが空間を占め、
居心地の良い場所となっていった。
そこは創作行為をしなくてもぬくぬくと過ごせる場所に変わっていった。

世代交代はゆるやかに進んでいった。
かつての先駆者たちが作り上げた傑作に魅了された、新しい作り手もやってきた。
だがすでにそこは見えないルールでがんじがらめとなっていた。
尖った作品、極端な作品は叩かれ、無難ものけが場を占めるようになった。
それどころか、作品評価と作者の評価混同されはじめ、
SNSで良い顔をしている作者は叩かれない」という
まりにも本末転倒した状況が生まれつつあった。

コミュニティからまれ作品を保管するサイト運営もまた、世代交代した。
以前の運営コミュニティ参加者とは一定の距離を保っていた。
必要最低限のことしか話さず、任務遂行していた。
運営引退すると、別の参加者が次期運営に名乗り出た。
それから運営が交代し、ついにSNS参加者の手に運営が移った。

その運営作品への非難を許さず、すべてに全肯定で返した。
作者の人格キャラ化してSNS上での人形遊びにかまけては、
作者と作品安易な結び付けを積極的に促した。
作品非難に対しては、その質を問わず断固たる態度で臨み、
場合によってはアクセス禁止を断行した。
ユートピアによく似せたディストピアがゆるやかに形作られた。

以前はどうだっただろう。
かつてはつまらないものはつまらないと叩かれ、
時には手ひどい長文バッシングアンチストーキングさえも起きていた。
だが、それは間違いなく健全場所だった。

飛び抜けて優れたものが絶賛を超えた絶賛を受け、
見るに堪えないものはこっぴどく叩かれる。
だが、そうした歯に衣着せぬやり取りこそが、
本当の意味作品に触れることでもあったのだ。

現在、そのコミュニティには酷評も絶賛もない。
悪いものには反応がなく、
よいものにも「お疲れ」「よかった」程度の寒い拍手が並ぶ。
中身を見てなどいないのだ。
現在でも本当に飛び抜けて優れた作品が生まれるが、
参加者にそれを賛じるだけの語彙がない。
この語彙というのは単なる辞書的な意味ではなく、
作品を底の底まで見抜く目と、それを素直に口にする心意気だ。

今は作品ではなく、生身の人間としての作者との馴れ合いが優先される。
彼らは何を作り上げるかではなく、儀礼で作った愛着にしがみついているのだ。

私はコミュニティにとって老害だ。
本当はすでに別の場に片足どころか重心まで移しておきながら、
さらに当時のコミュニティで腕を奮っていた作者たちをそこに呼び寄せながら、
こうして元居た場所を憂う資格など、本当はないはずだ。

けれども、もし、と考えてしまう。
もしこの場で、
かつてのように良いものを良いと、悪いものを悪いと言えたら。
言える人物がいたら。
まっとうな評価があれば、少しは何かが変わるだろうか。
風を起こせるだろうか。・・・そんな夢物語を考えてしまう。
ディスコミニケーションが極右思想をそそのかしてしまう。

そこで、修羅仮面を被ってみた。
最盛期よりも過剰に、気に入った作品を絶賛し、
逆に気にくわない作品を立ち直らせぬほど叩き潰した。
実作評価コミュニティ評価乖離した作品は許さなかった。
借りてきた怨念を込めて、身体に空く穴もいとわず
保管庫とその運営に向けて呪いをぶちまけた。
耳に入る同志たちが影でささやいた恨み辛みを糧に、
自分が真っ先に身をなげうって、
健全精神」の持ち主が後に続く道を切り開こうとした。

もちろん、そんなことで現状は何一つ変わらなかった。
今でも参加者はいちゃいちゃと馴れ合い続け、
自分酷評に対しては見当違いな人格非難憂さ晴らししてやり過ごし、
彼ら参加者は己の手で愛すべき土地を汚して踏みにじっていることに気づかず、
ぬくぬくと余生を過ごしている。
恥知らずにも、その手は未だに僕や出て行った人々にまで向いている。
突き返して叩き落としても、彼らに言葉は通じなかった。
反吐が出る思いだ。
だが、祖国に泥を擦り付けたという点では、自分もまた同罪かそれ以上なのだ

先駆者たちは正しかった。
何もせず、すっと離れる方が殉教などより遙かに賢い選択だった。
中でも先陣を切った人は、コミュニティ樹立どころか、
人が集まる気配すらも避け続けているように見える。
根無し草というより、難民のような様相だが、
己の創造性や価値観を守るには賢明な選択なのだろう。

作品の質云々も、手前の好みにすぎないと言われても反論しきれない。
運営理想主義者の皮をかぶった独裁者であるのと同様に、
自分もまた、ある種の独裁思考の持ち主にすぎない。
ユートピアを語るものは、そのユートピアでの独裁者である
そんな言葉を何度となく噛みしめる。

ちょうど一連の出来事は、例のISIL事件と同時期に起こっていた。
比べるのもばからしいほど規模の違う話だが、
テロリストになるとはこういうことなのか、と共感してしま自分がいる。

僕はもう諦めてしまった。
例のコミュニティから距離をとりつつも、へらへらと生きていくのだろう。
死んでいく老兵の遺言として、この文章をのこす。

さあ、四月から新生活だ。
がんばるぞ

2015-03-27

エルティーンとかのティーン女子向けエロ雑誌

覚えてる人いる?パステルティーンとか。

表紙が売れないモデルで(エロ雑誌だし仕方ないんだけど)一見普通雑誌なんだけど

中身は週刊誌エロコーナー、ただしティーン向けなのでリスカとかの記事もある

覚えてるのはエロ用語辞典読者投稿の(妄想の)セックス体験談

あれで私は中学生ながらどぎつい下ネタ会話を理解できるようになったし

わかめ酒」に謎の憧れを抱くようになった

おかげで後にできた彼氏にわかめ酒をせがんでしまドン引かれる事案を引き起こし

AV紹介とかあって、浜崎りおさんの超高級ソープが紹介されてたのを覚えてる

その号では浜崎さんがエロスの神がごとく扱われており、やはりのちの彼氏に(中略)ドン引かれた

インターネットはあったが、家族共用で、携帯中学生は持っていないそんな時代

湧き上がるエロスへの好奇心を、エルティーンやパステルティーンは受け止めてくれたが

長くに渡って被虐エロスを結びつけるきっかけになった感は否めない

求められてめちゃくちゃにされること=エロスだと思い込んでいたんだよね。それで後の彼氏に(以下略)

ちなみに私は平成生まれである

もうえろ本を買うにも関係ない本で挟む手法を取らなくていいので、便利な世の中だなあと思う

2015-03-25

島田暁さんが踏み込んだことを仰っているのでメモ

バックラッシュ引き起こした点でも相当に罪深い」強いお言葉ですね。

同種の疑問を感じている方々も島田先生ツイートを頼もしく、心強く思っていることでしょう。

それにしても言うに事欠いてバックラッシュ引き起こした」とはね。しかも「罪深い」とはね。

2015-03-13

僕は正しいことを言っている

父に殴られた。癌で胃を摘出した父の拳は羽のように軽かった。

僕には勇気がない。正しいことを言う勇気が。怒鳴られたくない、叱られたくない、殴られたくない。怖い思いをしたくない。

理不尽に母を怒鳴り、殴る父を見て育った。鼻血を流す母を何度も見た。鼓膜を破られたこともあるそうだ。

父は酒を飲み、暴力暴言が増える典型的アルコール依存症だった。

そんな父は僕には驚くほど優しかった。海や公園に連れて行ってもらった行ったり、一緒にゲームをしたり、充実した日々を送っていた。

だが、父は僕のことを怒鳴ったり、殴ったことがないわけではなかった。それは母に対するそれと異なり、決して理不尽なことばかりではなかった。

僕は父の逆鱗に触れぬよう、ニコニコニコニコ笑顔を作り、楽しい楽しいと口走っていた。

さな僕の瞳の奥にあったのは暴力に対する憎悪と恐怖、そして父からの溢れんばかりの僕への愛情との葛藤だった。

僕が立派な体格だと人に言われる頃になると、父と母の怒鳴り合いは日課と化していた。怒鳴り声が交差する食卓に並べられた食事の味は怒号に掻き消された。

その頃、僕は猫を拾ってきた。野良猫赤ん坊で、死にかけていたところを保護したのだ。

猫が好きな母と僕は猫をひどく可愛がるようになった。父も、以前犬を飼っていたことがあり僕の願いでもあり承諾をしてくれた。

半年程が過ぎると、父は猫に対し度々暴力を振るうようになった。猫が気持ち悪い、部屋に入るなと怒鳴りつけるようになった。

僕は父を殺してやろうかと思った。ここまで、クズだとは思わなかった。心底見下した。

僕は猫を父の部屋やリビングに入らないようにしつけ、保護した。てか、保護するっていうなら他の人に預けりゃいいのに、って書いてて思った

このまま数年が過ぎるが、父の猫への暴力は無くなったが嫌悪感は消えることなく、怒鳴りつける習慣は変わらなかった。

そんな中、父が胃ガンになった。胃を全摘することとなった。転移はなかったが、食事は大きく制限されることとなった。

まあみろ。そうは思わなかった。ここまで酷い父なのに、何故だか、ざまあみろという思いが出ない。むしろ、生きていてよかったと思った。

父が僕にくれた愛情は本物なのだ。本当に可愛がってくれていた。憎いはずなのに、僕の心が邪魔をする。ざまあみろ。だなんて口が裂けても言えない。僕を愛してくれている人に、そんなことは言えない。生きていて良かった。だが憎い。なんなんだこれは

胃を全摘した後の父の態度は増して傲慢になった。自分障害者なのだからいたわれ、気が使えないやつだと母に当たり散らすようになった。

食事を満足にとれなくなった父のアルコールの量は日に日に増えて行き、母に対する暴言アルコールに比例して増えていった。

このまま数年が過ぎる。

ある日、僕は父が猫を殴りつけるところを目撃した。

幼少期の記憶が僕を引き止めるのを振り払ってやめろ、と言うと殴られた。蹴られた。父の拳にはもう力はなかった。殺してやろうかと思った。しかし、小さなから今まで、遊んでもらったり、話をすることも楽しくなかったわけではなかった。父が今まで僕にくれた愛情は本物だ。

殴り返せなかった。父から愛情が、僕を蹴飛ばした際に裂けた父の足を心配させる。殴られ、蹴られたが父の傷を心配してしまった。なんてダメなやつなんだろう。大好きな猫を守るではなく、矛盾した行動をとる自分自分理解が出来なかった。

翌日僕は家を飛び出した。20歳を過ぎたいい大人が家出だ。父を許せないから、ではなく父が怖かったからだ。死ね、と言われたのはさすがに初めてだったからだ。

知り合いの家を転々とし、数週間が過ぎると父から電話があった。謝りたい。と泣きながらの電話だった。

僕は父を殴り飛ばす気で帰宅した。この数週間で気持ちの整理がついたのだ。父は間違っている。僕は正しい。何もいっても僕が正しい。

家のリビングがいた父は、涙を流して謝罪をしてきた。なんて虫のいいやつ、このままぶん殴

ることは出来なかった。父からの涙ながらの謝罪が、僕への愛情を思い出させる。父から愛情笑顔、それは本物だ。この人は僕を愛してくれていて、ほんの気の迷いなのだ

僕は笑顔さらっと父と和解してしまった。殴れない。こんなクズ。と思うはずなのに殴れない。どうしてだ

父の猫への嫌悪感は消えなかったが、暴力はなくなった。

しかし、母への暴力暴言は減ることがなかった。

家出騒動の数ヶ月後、母がついに逃げた。父の暴力に耐えきれず逃げた。僕は心底父を軽蔑した。が、父から愛情邪魔をする

僕も母のようにまた家出し、孤独にさせるという復讐も出来たはずだ。しかし、父は父なのだ愛情をくれたかけがえのない父を見捨てることは出来ない。

父は連日浴びるように酒を飲むようになった。母は一ヶ月が過ぎても連絡がつかなかった。

僕はこの問題に関して一切関与しなかった。家族のゴタゴタに巻き込まれるのはもうゴメンだと、体に染み付いてしまっているのだ。

そんな中、父が倒れた。医学に関する知識は乏しいので詳しいことは割愛するが、多量のアルコール摂取が影響して肝硬変引き起こししまったらしい。

病院に運ばれた父は生死を彷徨った。手術室の前で医者から最善は尽くしますが、覚悟はしておいて下さい。と言われた。こんなセリフドラマ以外で聞いたことがない。

このクズ、母に暴力を振るい、酒に溺れ死にかけるなど、自業自得じゃないか。と軽蔑するも、僕は父の容態を本気で心配していた。このまま死んでしまえ、なんて思えない。こんなクズ、死んで欲しくない。この気持ちは自分でも意味がわからない。なんだこれは

深夜と朝の境目頃になると、母の実家に一報が入ったのか、神妙な面持ちで母がやってきた。一ヶ月ぶりの対面だった。

母と僕は無言で手術室の前のソファで待っていた。

大手術だった。日が登り昼になるか、といった頃に医者が出てきた。

なんとか、容態は安定しています。このまま回復するでしょうとのことだった。

涙が止まらなかった。客観的に見ると僕は手術室に乗り込んでメスを奪い止めを刺しても良いぐらいなのだろう。

だが、涙が止まらなかった。生きていてよかった。母の神妙な面持ちは消えることがなかった。

その後、僕は久しぶりに声を交わした母から離婚検討しているとの旨を聞いた。

しばらく考えた。こんなクズと一緒にいてやることはない。自由になって欲しかった。

答えがでた。僕は母に懇願した。

父を、見捨てないで欲しい。最後のチャンスを与えて欲しい。可哀想な人なんだ。ただ、弱い人なんだ

なんて俺は身勝手人間なんだろう、母の人生をなんだと思っているんだ。

だが、父は父なのだ。こんな人間クズだとも思うし、本気で底辺人間だと思う、ただ、弱いんだ。弱い人なだけなのだ

愛がない人間ではないのだ。愛を持った人間なのだ

母は離婚を取りやめることにした。退院した父は胃に加え肝臓までもが機能しなくなってしまった。

父はそれ以来アルコール摂取することは無くなった。母とは比較的良好な関係を築けているようだ。

父の傲慢な態度は完全になくなったわけではないが、暴力暴言は完全に無くなった。

なんか書いてて美談チックになってて気持ちわりい。正直今でも僕は父を軽蔑している。だが、心から憎いわけではないこの複雑な感情はまだ続いている。








(追記、手術の内容について)

まり医学に詳しく無いので間違っているかもしれないんだけど、肝臓機能が悪くなったことが影響して静脈瘤というのが破裂して血が止まらなくなったのよ。

父は心臓も悪く血液の流れを良くする?薬を服用しててその副作用として血が全く止まらなくなるみたいで、その血を止めるための手術をしてたわけで肝硬変治療のための手術じゃないっす。出血っていうと大したこと無さそうだけど比喩じゃなく体の血全部入れ替わったらしい。輸血パックの量見て引いたわ。説明すると見ての通りにくどすぎるんで適当肝硬変とか書いちゃったゴメンネ

2015-03-07

企業内での「メンタル系」という烙印について

精神の不調を抱えながら企業で働き続けることの息苦しさが感じられる記事http://anond.hatelabo.jp/20150307033114)を読んで、考えさせられることが多かったので書いておきたい。

会社病気がばれた」という記事の筆者は、パニック障害か何かと思われるメンタルの「支障」を、会社の同僚に知られることを強く恐れているように見える。

自分精神の不調について他人に知られることが、会社内での処遇に大きな影響を与える、と認識しているのだろうと思われる。究極のところ、実質的解雇失業につながりうると考えているので、「会社病気がばれ」ることを恐れているのだろうか。

もし元増田がイボ痔で、机の上にボラギノールを置き忘れたことによって持病がばれたとしても、ちょっと恥ずかしいと思うかもしれないが、これほどまでに恐れることはなかったのではないだろうか。


元増田は、企業内で精神疾患を持つ人に対する偏見が強いことを知っている。

[…] 心の病にかかったことのない“正常”な人達の中には、これら〔=症状〕のことが信じられず、なまけている、自分だって嫌なことがあっても頑張っているのに、なんでこの人達自分勝手に休むんだ、と思っている人も少なくないかと思います

現に、会社の人との会話でも、メンタル系の病気休職した人や復職してきた人達に対して、「あの人は休めていいよね」「俺だって休んでみたい」「復職しても定時に上がれていいよね、こっちは残業なのに…」「なんであの人達の面倒を見なきゃいけないんだ」という無神経な発言をしてしまう人もいます



精神の不調は、病気として認められないわけだ。

しかし、精神の不調を訴えた人は、おかしな人、自分勝手な人として、烙印を押され、集団から排除しようとする圧力をかけられる。

この認知のパワーゲーム本質は何だろうか。それはいつまで日本企業で続けられるのだろうか。



日本人ならみなが知っているが、自分から引き離して眺めることのできないひとつのことが、精神疾患と「自分勝手」の同一視を引き起こしているだろう。

この国では、みんな同じように感じて、同じように行動することがあたりまえとされている。

そこから少し外れた行動は、「迷惑」、「自分勝手」なこととして、怒りを引き起こす。

しかしその前の段階には「不安」があるだろう。

自分が普段さほど意識せずに感じていることと違うことは、怖い。怖いものに直面させられた後には怒りが生まれる。

学校でのいじめ企業でのパワハラ精神障害者差別外国人差別に通底した精神感性構造



国全体が没落しつつあることへの処方箋として、「グローバル化」を叫び、それは英語をしゃべれるようになることだとみなす向きがある。

しかし、TOEICの点数がどうのこうのいう前に、そもそもこの国の大部分の人たちは、「外国人」と人として付き合えるのだろうか。

日本に来る人々は、日本人以外にとっては、全員たんに「自分勝手」に自己を主張する人になりはしないか。

自分他人は違っている。しかし、そのことにいらだって相手を攻撃した途端に、社会全体から攻撃されて死ぬのは自分のほうなので、共通の原理をどうにかこうにか見出して、やっていかなければならない。

そういったことを、生きるか死ぬかのぎりぎりのところで何世代か繰り返して、子供のうちから身体化していかなければ、日本人の同質性幻想と異質性嫌悪は変わらないのではないだろうかという気がする。




完全に話が脱線して、結論特にないのだけれども、元増田安息の時と場所を見出せることを祈るばかりだ。

http://anond.hatelabo.jp/20150307033114

2015-02-24

ハッキング極意5】エディタを極める者がプログラミングを極める

やあ、今日は二回目だよ。

さっき書いた奴はどちらかというと実践的すぎて、つまらなかったかも知れないよね。

からちょっと為になる話をしておこうとおもってね

前回の記事

http://anond.hatelabo.jp/20150224002209

エディタ

神のOS LinuxにはWindows界では理解されないエディタについての戦争がある。

vimEmacs民主党共和党みたいな感じで戦っている。

それは少し生易しい表現だったかも知れない。

実際に戦って死人も出ているんだ。

2003年には武力闘争にまで発展し、PKOが介入することになったけれども

今はグローバル化して国境なき紛争として、様々な場所問題引き起こしている。

なぜこれまでに戦うのか?

それはプログラミング

プログラミングハッカーにとっては魔法なのだ

武器なのだ

なのだ

すべてなのだ

魔法思想であり、思想は戦い方のスタイルにつながっている。

よって、どのエディタを使うのかはどのようなイデオロギーを持ってそしてどのように戦うか、ハッカーにとってはアイデンティティに関わる重要なこと。

さて、僕はどの立場人間なのかということを明らかにする時が来たようだね。

僕のハッキングスタイルコーディングスタイル、そして思想がいま明らかになる。

最も実践的なエディタ

僕が使っているエディタジャポニカ学習帳だ。

かなり異端ジャポニカ派だ。

しかしこれはかなり実践的なデザインで、僕の攻撃スタイルにとてもあっている。

まず、コーディングシートを塗るときに素晴らしい下敷きになる。

2Bの鉛筆で力強く塗っても全く穴があかない下敷き。

かといって硬すぎずクッションのように包んでくれる。

強い武器でいて優しさにあふれている。

デバッグ

やばい攻撃の途中だがコーディングが間違っていたかも知れない!!

そういう時は素早くジャポニカ学習帳を開く。

ジャポニカ学習帳【じゆうちょう】を開くとそこには真っ白い無地のページが広がっている。

そこに一心不乱に0と1を書く。

0と1を書いて、自分コーディングシートに示していたアドレスメモして、どの値を入れていたのかを確認し、順次立ててメモリ空間の二進数がどう変化していくのか書いていくのだ。

機械語日本語と同じ、九九のように二進数計算を進めていく。

IBM研修でもらったフローチャート用定規もつかったりする。

すべてが分かった時に再びコーディングシートに移る。

実行

すべてが終わった。

すぐパンチャーに渡すんだ!

その時に役に立つのジャポニカ学習帳だ。

何枚ものコーディングシートをジャポニカ学習帳に挟む!ページを間違えないようにね。

そしてそれをフリスビーのようにパンチャーに投げるんだ。

ネイティブに直接効く摩訶不思議コードは即座に実行され、

現代っ子のハッカーにはわからない謎の攻撃で相手は完全に沈黙

そして今日秘密機関から報酬が貰える。。

2015-02-23

http://anond.hatelabo.jp/20150223174729

環境の大きな変化は、それが一般的に良いとされてるものでも、抑うつ状態を引き起こし得るよ

いわゆる5月病なんてのもそういう面があると思われる

とりあえず新しい環境に慣れるまで、あまり深く物事考えないようにしてやり過ごした方がいいんじゃないかな

気分が下がってるときは何を考えても悪い方に行っちゃうから

自分経験では、環境に馴染むのにかかる時間半年くらいかなあ

排除されない程度に駄目な奴を演じつつ、半年やり過ごして、その先どうするかはそこで考えたらどうかな

2015-02-18

言葉の力って怖いものです。

口にして、声に出してしまうと本当に

その通りになるものだなと思いました。

何で生きてるんだろう

早く死にたい

何をやってもどうしてダメなのだろうか

頭で思うだけではついに耐えきれなくなって、それを毎日口にしてしまうようになってしまいました。

声に出してしまった日からだんだん思考ダメになっているのを感じています

そしてもうこの暗い気持ちと思考からは抜け出せなくなりました。

毎日不安感ばかりの靄がかかったような日々を生きています

ああそういえば、引き寄せの法則って聞いたことあるなあと思い出しました。

まりこれって言霊の力のことだと思うのです。

どんな結果も、自分が望んで引き起こしているんだなとあいうことに気づくとともに、

自分はもうこのままダメになっていくしかないのだなあと、思いました。

2015-02-10

艦これイベントの大破バグの話

何があったのか

艦これイベントE-4の夜戦マスを抜けボスに到達したところ、被弾していなかったはずの艦が大破状態になっているという現象が発生しました。これはニコ生放送中に発生していて、少なくともプレイ中に別の動画を流して件のバグが発生したように見せかけるような釣りではなさそうだ、と言われています

その放送の様子はまだタイムシフト確認でき、問題のシーンを抜粋した動画も上がっています

ニコ生タイムシフト

【艦これ】雑談とか - 2015/02/08 01:01開始 - ニコニコ生放送

問題のシーンが抜粋された動画

【艦これ】トラック泊地イベントE-4 大破バグ ‐ ニコニコ動画:GINZA

運営コメント

今朝方運営から件の現象について以下のようにコメントが有りました。

リンガ泊地サーバ】で現在大破バグがあるのでは?という事例報告を複数頂きました。事例は全てある1名のユーザーのものです。同事例のログ解析を行いました。ご心配提督も多いと思いますのでご報告します。『不正ツール使用者以外で、そのような症状の発生は確認できません』でした。#艦これ

https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/564944697055903745

ここでいう不正ツール使用者とは、BOT/マクロなどを使い不正ツールを使い、「艦これ」に不正規かつ仕様/ルール外の規約違反方法接続を試みるユーザーです。仕様/ルール内のみで動作する専用ブラウザは(厳密には規約違反にあたりますが)今回の説明上の不正ツールには含みません。

#艦これ

https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/564945193296601089

不正ツール使用は、規約違反です。ご使用はお辞めください。今回ご説明したような不正ツール使用者に対しては、あらゆるサポートは停止されます。また、任意タイミングアカウント停止その他の比較的厳しい処置をとらせて頂く場合があります

#艦これ

https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/564945644427546624

要約すると

  1. この現象について報告されて確認されているのは1件のみである
  2. その1件は不正ツール使用者である
  3. ログ解析を行ったところ正規の利用者にはその現象確認されなかった
  4. 不正ツール使用者へのサポートは行わない

ということになると思います

この発表について「こんな発表じゃ安心してプレイできないじゃないか!」と言う人が結構いるようです。確かに「バグ存在しないので安心してプレイしていいよ!」って言ってくれないと不安になる気持ちもわかります

が、結論から言っちゃう不正ツールを使用してない人は普通にプレイしてて大丈夫だと思います。3つのツイートに渡る運営の発表で、一番重要なのは3つ目のツイート不正ツール使用者へのサポートは行わない、という内容です。裏を返せば「正規の利用者ならバグがあってもちゃんと対応してあげるよ」ということです。

おそらく件の現象について運営側もはっきりした原因が分からなかったのではないでしょうか。はっきりわかっているのは要約1、2、3の内容だけで、これだけを見れば「不正ツール引き起こしバグである確率が高い」としか言えません。「STAP細胞存在する可能性は極めて低い」みたいな。確率的に0とは言い切れないと歯切れの悪い言い方になってしまものです。

しかしどんなゲームにもバグは付き物です。一番の問題バグが起きたときにどう対応してくれるかです。不正ツールを使用していなければサポートはされるようです。バグが起きちゃったら起きちゃったで連絡すれば対応してくれるようですし、(不正ツールを使ってない人は)安心して艦これを楽しみましょう。

余談

しかしまあこの運営の発表は歯切れ悪すぎですね。「バグっても正規利用者対応するよ!」とか言うと「やっぱりバグがあるのか」とか言われちゃいそうだし難しいところとは思うけど・・・

艦これ運営ツイートは要領を得ない事が多いです。まだ鎮守府サーバしかなかった頃はそれも込みで愛されてた節はありますが、これだけ人が増えた現状、そろそろプロ広報担当を雇ったほうが・・・

余談2

E-5クリアしました^^ダブルダイソンでもヒーヒー言ってたのに慣れは恐ろしいものです・・・

追記

twitter記法niconico記法使えないから書き直した・・・

2015-02-07

http://anond.hatelabo.jp/20150206224049

大学で聴講した時の偉い先生が言っていたが、あの二人を叩く空気こそが憲法護持の精神体現なのだそうな。

今の憲法限界を知っているからこそ、その限界突破してしま事態引き起こしたあの人質達を嫌悪する。

憲法を変えざるを得なくする要因そのもの抹殺しようとする。平和憲法のために命を諦めろと言わざるを得ない状況から目を背けようとする。

その結果生まれたのが「自己責任論」なんだと。

2015-01-07

[]5分で分かる旧約アナル聖書

天地創造

神は7日間かけて天地を創造し、6日目に可愛い女の子を創られた。


禁断の果実

最初人間アナルさらにもう一人創られたインブは楽園でつつましく暮らしていた。

インブは蛇にそそのかされ、うっかり禁断の果実うんこ)を食べてしまった。

神の怒りに触れ、蛇は手足を失いチンコになり、インブはうんこをしなければならなくなった。


息子たち

アナルとインブの罪はその子供たちにも受け継がれ、アナルのある人間と無い人間が現れた。

長男であるケツカインアナルがあるという劣等感から、弟アナベルを殺し、楽園を追放されることになった。

ケツカインは神から逃れ、やがて息子エイノゥができた。


ケツノアナの箱舟

そして人間は増え続けた。

神はアナルのある可愛い女の子アナルのない可愛い女の子をふるいにかけるため洪水引き起こした。

神はアナルのある可愛い女の子を生き残らせるためにケツノアナに箱舟を作るように命じた。

大雨が降り、四十昼夜降り続いた。

その結果、アナルのない可愛い女の子は全て絶え、アナルのある可愛い女の子けが生き残った。


アナルイブの塔

時は流れ、人間たちはバイブマニアという地に集まってきた。

当時の人間たちは長くて太いものに憧れを抱くようになっていた。

イブマニアの人たちは、天まで届くほどに巨大なアナルイブの塔を作ろうと躍起になっていた。

それは神の怒りをかうことになった。

「見よ、民はエロいことしか考えぬゆえに このようなくだらない事を始めてしまった。

彼らのする事は、もはや何をもっても 止める事はできない。

彼らのアナル観を混乱させ互いの性癖理解できない様にしよう。」

ここで神が行ったことは、アナル観を分けたことである


アナルハム

アナルハムという人もいた。彼は包茎であったため、包茎手術をうけた。


モラセ

フェラチオはどこかの国の王であった。

モラセは小さい頃、フェラチオアナル川に投げ捨てられ殺されそうになったことがある。


フェラチオの追手が迫り、モラセ一向は逃げていた。突然モラセはうんこがしたくなった。しかし、当時一部の人間のケツには割れ目がなくアナルは体内に埋まっていた。

「う、うんこができない!!」

モラセはチンコを思いっ切り振り下ろした。すると、ケツが真っ二つに割れたではないか。

モラセは存分に漏らすことができた。


モラセの十戒

モラセは十戒を得るため、アナニーシナイ山を登っていた。

モラセは山の頂上につくと、神から十戒を与えられた。

一方で、いつまで経っても山から下りてこないモラセに民は苛立っていた。

民は金をかき集め、黄金のアナルを作った。

民はそれを祭壇に飾り、アナルオナホールオナニーをし始めた。

十戒を手にして喜んで帰ってきたモラセが目にしたものは、アナルオナホールオナニーして喜ぶ民たちであり、偶像崇拝であったのだ。

怒ったモラセは民からオナホを奪い取り、家に持って帰ってしまった。


十戒

1. アナルの崇拝

2. 偶像崇拝の禁止(アナルオナホールの使用禁止)

3. 肛門という言葉をみだりに唱えてはならない

4. アナル日の規定

5. アナルを敬うこと

6. アナルを犯してもよい

7. 姦淫の禁止

8. 便所のぞきの禁止

9. アナニーの推奨

10. アナルに対する妬みの禁止


アナル増田

2014-12-31

権力に囲い込まれ大学研究崩壊」に寄せて(揚げ足取り

島村英紀先生が長周新聞元旦号に「権力に囲い込まれ大学研究崩壊」というコラムを書かれたとのことで、同じ内容がインターネットにも掲載されている。

http://shima3.fc2web.com/kakoikomarerudaigaku201501.htm

このコラム自体は昨今の国立大学事情を憂う含蓄深いものであるが、ちらほらと事実誤認思い込みホラ吹き寸前の誇張が含まれている。不思議なことだが、偉い学者先生教育大学のことを語らせると普段の科学的で論理的思考が吹き飛んでしまうことがあるのだ。もちろん、これは科学的な論文などではなく単なるコラムであるから、一種のアジテーションとして書かれたのかもしれない。

このコラムを元にして社会有益議論が起こるには、アジテーションを真に受けるだけでなく、頭を冷やして考えることも必要だろう。ということで、本稿では島村先生コラムに対して揚げ足取りのような指摘を行うものである。ただし、この揚げ足取り島村先生に敬意を込めて行うものであり、決して人格攻撃ではないことをお断りしておきたい。

まず冒頭。

 大学崩壊している。

このコラム全体の論旨からすれば、崩壊しているのは国立大学である国立大学勝手崩壊しているのである。不確かな理由をつけて多数派である私立大学を巻き込み、大学全体の問題として論じるのは不誠実である

そして国立大学話題が続く。

 他方、国から予算を少しでも多く獲得するために文部科学省から天下り官僚国立大学に迎えることも一般的になっている。大学経営にあたる理事天下り官僚が入っていない国立大学ほとんどない。

国立大学法人化以前から経営幹部である事務局長ポスト文部科学)省人事だったことをお忘れなのだろうか。法人化後は理事という扱いになったが、実態は何ら変わっていない。国立大学が因循姑息として変わっていないことを批判することもできようが、変わっていないのにも関わらず変わったような印象を作って批判するのはゴシップ誌の手法である定義不明な「天下り」はなんと便利な言葉か。

 また学内教官たちによって選ばれた学長候補をさしおいて天下り官僚学長になったところもある。そのひとつ山形大学では学長が替わって以来、窃盗など学内者による刑事事件が頻発するようになっただけではなく、それまで医師国家試験合格者数で上位だった順位が大きく下落してしまった。大学モラルが落ちてしまっているのである

天下り官僚学長になったことで大学モラルが落ち、刑事事件国家試験合格率低下を引き起こした」のだそうである。これは一体何を言っているのか。因果関係に相当な飛躍があることが明らかであることを考慮すれば、その意図するところは「俺ら学者の島を荒らす奴は気に食わぬ。悪いことは全部あいつのせいにしろ」ということである。同じ理屈によって山形大学学生教職員による窃盗などの不祥事が相次いで地元紙に「報じられた」ことは想像に難くない。

モラルの指標に国家試験合格率を引き出すのもまず失当だが、この医師国家試験合格率は合格率が約9割と高く、各大学医学部医学科の定員数の規模に大差がないことから、その順位は大きく変動するものであることに留意しなければならない。なお、事実としては昨年度の医師国家試験新卒合格率は97.9%で全国80大学中19位と上位に返り咲いているが、これをあえて昨年度末に退任した「天下り学長」の薫陶と言う者はいないだろう。

そして、コラム研究資金話題に移る。

 じつは研究の面から言えば、このように「明日のゼニになる」研究はたやすい。研究資金さえ豊富で多くの研究員を雇えるならば、研究目的がすぐ近くにあって明確なものゆえに、材料手法を替えながら大量の実験を繰り返すことによって「研究」が進むからだ。つまり研究にとっての革命的な進歩である研究質的な向上をしなくてもできる研究からである

なんと、金を生み出す研究は「たやすい」のだと言う。「そんな順列組み合わせ作業なら大学ではなく工場でやればよい」と言っているようにも受け取れる。工学研究者は怒って立ち上がってもいい。が、しかし、

現在研究全体のありようは、過去にはあった研究質的革命を生み出すことを止めてしまって「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題なのである

ということだ。「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題。その通りであり、島村先生も基礎研究が応用研究よりえらいと論じているものではない。工学研究者の皆様はご着席ください。「明日のゼニになる」研究にも「研究質的な向上」が必要ものであり、読者は注意が必要である

 もうひとつ、この種の外部資金頼みの研究には危険がある。それは防衛省が進める大学や各研究機関との共同研究が、近年急増していることだ。

 防衛省防衛産業にとってみれば研究者頭脳のどから手が出るほどほしいものに違いない。だが研究者には戦後ずっと軍事研究防衛省への協力に抵抗感があった。しかし、その「歯止め」も年々弱くなって、旧制帝大7国立軍事研究実質的に禁止しているのは東京大大阪大だけになってしまっている。

軍事研究が是か非かについては意見がわかれるだろうが、ここは島村先生立場に則り「非」として考えてみよう。現状、軍事研究実質的に禁止している大学がどういう状況にあるか。軍事研究推進派である右派団体産経新聞は、大学のこの方針を徹底的に非難する。では、軍事研究否定派は大学擁護をするかというと、そうではない。否定派の左派団体労働組合は「この方針は我々の闘争によって勝ち取ったものであり、大学当局弱腰を許さない!」と、なぜか大学非難する側に回るのだ。軍事研究を禁止している大学は、賛否両派から攻撃を受ける状況にある。面倒極まりない。それではいっそのこと「歯止め」を外したくもなるというものである否定派は、党派的な対立構造を作った上での主義主張という古風なスタイル目的に対して逆効果となっていないか十分に内省すべきだろう。さて、この段落島村先生の主張とあまり関係なかった。

最後に、大学業界の「神話」が持ち出される。

 大学は、井上ひさしの『ボローニャ紀行』にあるヨーロッパ最古の大学イタリアボローニャ大学のように、もともと権力とは独立したものとして生まれて育ち、それゆえ文化的独自価値を生み出してきた。しかし、いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである

あらゆる権力から独立した存在としてのボローニャ大学大学関係者が好んで取り上げる事例であるが、これも留意すべき点がある。そこには自治はあったかもしれないが、今日で言うアカデミックフリーダム学問の自由)、すなわち、教育研究の内容に対する自由がなかったことはあまり言及されない事実であるアカデミックフリーダム特に研究を行う自由国家権力庇護下においてその権力に囲い込まれることによって成立した背景を忘れてはならない。「いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである」。然り。ただし、それは今に始まったことではないかもしれない。

大学は、権力との不可分な関係とどのように付き合っていくか。あるいは、不都合があるならばどのように新たな関係を構築するか。検討すべきはそこであり、この島村先生コラムはその議論有益ものであろう。しかし、頭に血をのぼらせるようなアジテーションでは「権力の介入を許すな!」という小学生並みの感想にもなりかねないと思い、誰に届くかわからない増田にいろいろ書いた次第である

2014-12-25

ワナビに向けたラノベ創作技術論の整理と俯瞰1

2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。

はじめに

ラノベ作家になりたいワナビは二種類存在する。

才能のあるワナビと才能の無いワナビである

才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。

これが意味するところは、才能のあるワナビ他人の書いた創作技術本を読んで必死トレースしたりなどしなかった、という非情現実であるノウハウ本を欲するのはいだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビ今日選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。

ラノベ創作技術本は本当に役に立つのだろうか。

スティーブン・キングプロットなど不要だと言う一方でディーンクーンツプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方世界から作らないようでは話にならないと言う。

ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。

しかし、本当に彼らの主張はバラバなのだろうか。

実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。

手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。

もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。

大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。

Hard work beats talent when talent doesn't work hard.

Tim Notke

本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点ラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的努力を実現する上での一助となれば幸いである。

ラノベ定義

本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベル新人賞に向けてワナビ執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的ラノベ定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題このラノベの本質的定義限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。

参考文献

本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。

作家名で適当に並べたに過ぎず、記載の順に意味は無い。

まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。

ラノベの読者

ラノベ作家商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田キャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビ承認欲求を満たすためにあるわけではない。

新城ラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生であるとする。飯田さらラノベの読者はアニメ漫画ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本西谷水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。

ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。

新人賞の下読みの多くは大学生バイトであり(あるいは主婦新人編集者)、選考するのはプロ作家であり、プロ編集者である。いずれにせよ選考過程中高生存在しない。

読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロ作家ワナビでは立場が違う。ワナビラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本現実中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実中高生には圧倒的にウケる20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである

行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。

ラノベ創作の段階に関する整理と比較

最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディアプロット原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。

本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家存在する。

一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。

以下、それぞれの段階についての各論に入る。

アイディア

アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語キーワードフレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである

冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディア連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。

しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。

この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方主題世界、人物、物語文体の5種であるとするし、榎本キャラクター世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体意味を持つものではないが、それぞれが独自用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。

主題

本稿では主題テーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである冲方大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。

主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚作成した主人公像の要素を深化させそこから主題抽出するとしている。榎本プロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。

このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。

繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。

この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。

設定資料集が好きな人存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語設定資料集など誰も目を通してくれはしない。

このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本主題台詞地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツ主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。

世界登場人物

本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報名前性格容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。

一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界である

いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方水島世界が先だとするし、大塚西谷登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。

しかしながら冲方大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。

冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界時代に左右されたもの」と言い、このような世界からこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性要求する。

大塚もまた登場人物個性については「キャラクター所属する「世界」の物の見方価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。

世界登場人物リアリティ

ワナビの「世界」について「リアリティ自分身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校コンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。

冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。

その一方で登場人物については、冲方はそれが主題関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島登場人物プロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初長大キャラ表を作るというワナビありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物存在していない」と断じる。

だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。

登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。

これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャート作成するのが良いとして、さらには性格趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。

ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。

最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである Permalink | 記事への反応(5) | 20:41

2014-12-13

弱者から死んでいく社会でなんで困るんだろう。

社会構成員として、いろいろ考えを巡らせれば、それはしかたのないことだ、よしんば、いや十中八九自分弱者で死んでいく社会だったとしても、それはしかたのないことだとして受け入れられると思う。

例えば、店のクレーム引き起こしたやつを雇い続けることは企業にとってリスクしかない。雇うとしても減給は必至だし、業務を満たす水準に達していないなら、クビにするのが穏当なはずだ。お互い様だ。高度な知識だろうと低級な知識だろうと同じだ。力量不足ならでしゃばるべきではないし出してはいけない。

弱者から死んでいく社会で誰が困るといえば、弱者だ。しかし、弱者存在からして他人迷惑をかける存在である。人も老いれば弱者になる。知能も低くなる。小銭の計算もできなくなるくせに恥を忘れ尊大になる。そういうごみになって死んでいく。

低能な市民が死んでいくのはそれ自身社会構成員として適格ではないのだから社会参与する資格がないのは当然であり、ならば排除されるべきだ。

なぜ無能を生かす。無能を生かしたところで鉄砲避けにも使えないというのに。

これは国内の話ではなく、世界的な話だ。

バカもっと殺し、秀才を生かし続ける社会にすべきだ。

女は生む機械だ。サイコロが六の目を引くまで産み続けろ。

男は孕ませる機械だ。サイコロが六の目を引くまで孕ませ続けろ。

お前らに人権はない。選挙でどこに投票しようが、所詮クズクズなのだ

2014-11-24

有権者が望まない解散総選挙に至らしめた政官関係

Yahoo!ニュース - 産経・FNN世論調査 解散、7割が「適切でない」 内閣支持率下落 (産経新聞)

首相衆院の解散を決断したことについては「適切だと思わない」が72・2%に達し、「適切だと思う」の22・8%を大幅に上回った。首相が解散の理由に関し、消費税の10%への引き上げ先送りを挙げ、「重い決断をする以上に速やかに国民に信を問うべき」としたことについては、「納得できない」が71・7%を占めた。(中略) 首相消費税の引き上げを先送りする考えを表明したことに対しては「評価する」が60・6%で、「評価しない」の34・7%を大きく上回った。

(強調引用者)

現代政治学者の先生方は現代日本政治問題点として、

強い参議院だとか選挙サイクルの短さがもたらしうる選挙制度問題視されていますが、

今般の衆院解散総選挙でも分かるように、おかしな歪みを政治引き起こしてる要因として政官関係大事でしょう。

えっ? この解散総選挙の何が歪みなんだって

そりゃあなた議会選挙いうたら政党同士が政権を目指して競争し、

それを本人としての有権者が、代理である代議士だとか政権政党を選択するのが本筋じゃありませんか。

ところがどっこい、いま繰り広げられているのはそんな政党同士の争い事じゃないでしょうに。

何が悲しくて、首相官邸VS財務省という構図を選挙でやり合わなきゃならんのですか。

もし現在議席状況において、消費増税の先送りという議題で与野党で分かれていたとしても解散する必要はないですよ。

それが解散に至ってしまうのは、財務省自民党はおろか首相の周辺にまで切り崩しにかかっているからですよ。

いや、そらこんな風になった政治過程ぐらいようわかりますよ。

私が疑問なのはそういう起きた事実分析じゃなくて、

財政をめぐる政官関係議会選挙に持ち込まざるを得ない状況というのは、

議会制民主主義理念に照らしてみてどうなのかということなのですよ。

消費増税の先送りをめぐり首相側は財務省に対抗するため、

民意という正統性を動員すべく解散権という政治資源を使わざるを得なかったわけですが、

そこまで首相を追い込む政官関係ってどうなんだ? ってことを問いたいわけですよ。

ちなみにこれ、別に安倍首相固有の問題ではなく、財務省政策選好を異にする政党すべてにとって重要問題ですよ。

この政官関係所与にして、解散した首相けしからんいうのはお門違いというものでしょう。

政治無謬官僚しばけ、いうてるのとは違いますよ。

例えば、政治肝いり市民に損失くらわすような政策が、官僚によって抑制ないし修正されるのは望ましいこっです。

もちろんその逆もまた然りです。

でも、そういう決定過程議会選挙を巻き込むのはどうなのかと。

ええ、ええ、そういう政官関係のドロドロが議会選挙に持ち込まれてきた例があるのは承知です。

その上で、青臭い雑文便所の落書き2.0にてだらだら書きなぐっているのでございます

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん