社会の構成員として、いろいろ考えを巡らせれば、それはしかたのないことだ、よしんば、いや十中八九自分が弱者で死んでいく社会だったとしても、それはしかたのないことだとして受け入れられると思う。
例えば、店のクレームを引き起こしたやつを雇い続けることは企業にとってリスクでしかない。雇うとしても減給は必至だし、業務を満たす水準に達していないなら、クビにするのが穏当なはずだ。お互い様だ。高度な知識だろうと低級な知識だろうと同じだ。力量不足ならでしゃばるべきではないし出してはいけない。
弱者から死んでいく社会で誰が困るといえば、弱者だ。しかし、弱者は存在からして他人に迷惑をかける存在である。人も老いれば弱者になる。知能も低くなる。小銭の計算もできなくなるくせに恥を忘れ尊大になる。そういうごみになって死んでいく。
低能な市民が死んでいくのはそれ自身が社会構成員として適格ではないのだから、社会に参与する資格がないのは当然であり、ならば排除されるべきだ。
なぜ無能を生かす。無能を生かしたところで鉄砲避けにも使えないというのに。