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はてなキーワード: セクシュアルマイノリティとは

2017-10-18

部室芸と平和

時代遅れの笑い」という批判もあるけど、たけしに「こんなネタは他の国なら、ただ事じゃないんだぞ」と言わせたこから企画側がポリティカリコレクトネス自覚的であることは伺われる。自覚の上で放映したという文脈から企画側はポリティカリコレクトネスに(挑戦しながらも)反する意図がないことを読み取らなければならない。

スポンサー降板もあったから局側は問答無用で、おそらく反射神経で謝罪したんだろう。しか企画意図説明を完全に封殺してなんの掘り下げもなく、謝罪して片付けてしまったのはちょっと放っておき難い。

そもそも保毛尾田保毛男というキャラクターの強烈さは、彼がセクシュアルマイノリティであるからではない。30 年経っても忘れられない強烈さの本体は、彼の「得体の知れなさ」である

当時ですら時代錯誤の、ポマードで塗り固められた髪。石橋貴明無駄に良いガタイで派手なスーツをちゃっかり着こなすところから経済力のある人物であることが仄めかされる(御曹司みたいな設定のようだ)。そして青ヒゲ男性であることを強調しつつ、話し始めるとこれが歯を見せずに上品お姉様言葉。あらゆる特徴がちぐはぐで、掴みどころがない。

さら言動から同性愛であることは明白なのに本人に問いただせば「それはただの噂ですから」と言って否定する、(視聴者は心の中で「そんな訳あるかいな」と毎度ツッコミを入れる、)というのがこのコントのヤマである

少なくとも視聴者には彼が男色であることが明示されているから、この「ただの噂」という台詞は嘘。つまり素性を明かすつもりのない人物なのだという印象を与えられるため、ますます正体不明の不気味な存在となっていく。

わたしたちはその不気味さと、しかしどうにも悪者には見えないそのチャーミングさとのギャップに可笑しさを覚えていた。この笑いの構造自体はほかのキャラクターにも代替可能もので、同性愛者の揶揄がこのコントの主旨ではなかった。

主旨ではなかったはずだが、30 年前当時にはポリコレなんて概念はなくて、制作者および視聴者の「同性愛者への無理解」がツカミとして機能していたことも確かである

偏見差別はあってならないが、一方で多様なセクシュアリティーの存在認識し、共存できることを確認する視点公共電波に課せられた同等に重要な使命ではなかろうか。その視点に座すれば 30 年前には異形扱いだった保毛尾田が、時を経て鬼瓦権蔵(←しかも他ならぬ、こんな昔気質オヤジ権化である…)に扮した業界ドン:たけしとふざけ合いながら銀座を飲み歩くなんて、むしろそれこそ現代差別のない世界に近づいていることを確認する幸福な画面だった。

ところが今回の説明のない謝罪は、あの銀座の一夜を否定し「今後、セクシュアルマイノリティには特殊配慮します。安易に画面に映しません」=転じて、テレビ局が頭を下げて「ホモを映したのはダメだった。これからはちゃんと差別します」と宣言するみたいなおかしなことになってしまっている。チャンチャン、まさにお笑いである。30 年を費やした、巨大なコントオチが局の謝罪で完成してしまった。これでよいのか。

「部室芸」という表現もあるが、芸もなく、技巧もなく、思想もない。ただ笑わせて、笑った方が強い。それがとんねるず世界観であるフジテレビ謝罪した日は、ポリコレが部室芸に殴られて「お笑い」になった日として大衆記憶に留まる。

2017-08-29

Call Me By Your Name@miffレビュー

8月29日、思ったより拡散したため追記。自分ではネタバレなしのつもりで書いて、ツイートにもそう明記してしまったが、ネタバレという言葉には個人差があることをすっかり忘れていた。ネタバレ見たら死ぬタイプの風上にも置けない。地雷を踏んでしまったら申し訳ない。配慮したつもりですが、どうぞご注意ください。太ももの話以外もします。

なにせ太ももがすごいらしいのである

俳優アーミー・ハマーの太ももである

サンダンス映画祭直後、賞賛と祝福の声とともに、あまりの刺激のために悩殺されてしまったという感想ツイート散見されて、映画祭参加の幸運に預かれなかったファンはもどかしさに身悶えしたのであった。

Call Me By Your Name1983年北イタリアとある町のひと夏を舞台にした、二人の青年あいだの恋を描いた映画である。くわしくはimdbを参考にされたい。

http://m.imdb.com/title/tt5726616/

この映画2016年5月世界中の一部界隈にて話題になった。言わずもがなアーミー・ハマーファン界隈である。そのあまりに蠱惑的なあらすじにつられて手に取ったのが原作小説である

そんなごく軽くかつ不純な動機で読み始めたAndré AcimanによるCall Me By Your Nameだが、回顧体で描かれた物語に一瞬で虜になった。

冒頭のシーンからして心憎いのである

まりにも印象的な出会い、一生を変えてしまうたった一言から語り始められるその物語は、意識の流れを実に巧みに取り込んだ、プルースト研究者でもある著者ならではの文体で読者を陶酔させる。やがて語り手であるエリオと一体化した読者はオリバーの冷淡さに苦しみ、意外な素顔を見せられはっと息を呑み、ただ呆然と結末を迎えることになる。

ツルゲーネフの「はつ恋」やらナボコフの「ロリータ」やらをこよなく愛するわたしにとっては好み直撃ど直球であり、そのうえアーミー・ハマーの太ももやばいとあってはなにがなんでも映画を見なくてはという気持ちになった。

しかネタバレ見ると死ぬタイプオタクにつき、どうしても世界公開より先に見たいという気持ちを抑えられない。はたしてMIFF(メルボルン国際映画祭8月3〜20日、CMBYNは4日と6日上映)に飛んだのである

笑ってほしい。

かなり早い段階でチケットも売り切れ(一度キャンセルが出たが、最終的に上映日までには両日完売!)ていたため、予想はしていたが、当日は冬のメルボルンにて1時間から長蛇の列である

席は早い者勝ちなのでみんな普通に必死だ。特に二度目の上映での、劇場をぐるり半周する列は写真に撮らなかったのが悔やまれる。みんなが手の端末にQRコードを表示させ、南半球ならではの冷たい南風に身を縮めながら待機している。

2度のCMBYN上映の他は同じくアーミー・ハマー出演のFinal Portraitに参加したばかりだが、それに比べるとやや平均年齢が下がるかなという感じ。

それでも、老若男女ということばがふさわしい、実に幅広い客層。

そんなことより映画だ。ここからネタバレはなるべく避けて進める。なにせネタバレ見ると死ぬタイプなので安心してほしい。後日一部シーンバレ感想もあげるつもりでいる。万全の態勢です。

さて、本編はピアノ音楽によって始まる。

劇中曲について、MIFFのQ&Aにてルカ・グァダニーノ監督が語っていたことだが、基本的には登場人物が耳にした音楽……エリオの弾くピアノ曲ギターオリバーが身を委ねて踊るダンスミュージック家族が耳を傾けるラジオレコード……に限った、とのことである。それを知らされるまでもなく、最初楽曲から没入感があり、一息に世界に引き込まれる。

そしてオリバーが現れる。イタリア太陽である。明るい陽光主人公エリオのいる部屋の暗がりを際立たせる。

エリオを演じる当時弱冠20歳ティモシー・シャラメは終始少年健全さと病的な魅力をひとしくたずさえて美しいが、とりわけ夜、ベッドでのシーンでの肌は内部から光を放つようだった。

アーミー・ハマーが、その見せ場においてはつねにイタリア太陽に照らされて灼けたなめらかな肌とあかるい金色に見える髪を輝かせているのと好対照で、一場一場面が絵画を見るようだった。あるいは、冒頭でわれわれを一息に映画世界に引き込む、連続的な彫刻群のショットのようだ。

この対照関係意識されたものだと思う。

エリオオリバーに魅了されるのはかならず真昼の屋外だし、エリオオリバーを室内に引き込むと、オリバーは初めて(ようやく、と言ってもいい)エリオに見とれるのだ。

野外と屋内、昼のシーンと夜のシーンが交互にさしはさまれて、われわれ観客はふたりうつくしい青年に2時間超の間目まぐるしくも目移りしてしまうのだった。

そしてくだんの、アーミー・ハマーの太ももである

ももに殺されたひとびとのツイートがいまならよくわかる。

しかしいざ太もも談議をするとなると血で血を洗う戦争になるにちがいない。

短いショーツか、あるいは水着でのシーンが大半で、太ももは終始晒されているので各人のフェイバリットももがあることだろう。

マイフェイバリットももとある場面にてエリオとともに床にぺったりと座るオリバーの太ももである。だが自分多数派である自信はない。これについてはまたあとで。

オリバー原作よりもなお複雑で謎めいたキャラクターになっていると感じる。

原作では物語がすすむにつれ、読者はエリオとともにオリバーの知らなかった一面に驚かされるのだが、映画ではむしろ序盤からオリバー大人の男としての魅力と奔放な子どものような無垢さが入れ替わり立ち替わり現れてエリオないし観客を翻弄するのである

(シーンバレありの記事にでも書くつもりだが)序盤からオリバーエリオよりも幼い子どものようないとけない振る舞いを見せ、グァダニーノ監督言葉を借りるなら、エリオより「なおイノセント」だった。

アーミーハマーファンの同志は心してかかってほしい。奇声を発するか原作エリオ言葉を借りるならswoonに至らないよう上映中握りしめるなり揉みしだくなりできる柔らかい布など持っていくことをおすすめする手ぬぐいとか)

そのような差異こそあれ、アーミー・ハマーオリバー原作を読みながら夢想していたオリバーほとんど完璧に一致していた。

この結論にはアーミーハマーのじつに感情たかな目の表現が大いに寄与しているのだと思う。たとえば「J・エドガー」でのクライドトルソン役において彼が見せたような目つきだ。沈黙の場面で熱っぽく目が話す。このものを言う目がとくに生きるのは、逆説的だが目の映らない場面で、たとえば映画の中でもひとつクライマックスにあたる戦争慰霊碑のシーンがその一例だ(トレーラーにも引用されていた)。

もうひとつ、結末に近い重要な場面でピントを外したカメラオリバーをとらえる。オリバーの顔が長く映されるのだけれど、けして鮮明な像を結ばない。観客は食い入るようにスクリーンを見つめてはじめて、自分エリオと同じようにオリバーの目に浮かぶ表情を読み取りたいと熱望していることに気づかされる。

目について語るならばティモシー・シャラメにも言及しなくてはならない。

ティモシー・シャラメは今後少なからず目にする機会が増える役者だとつくづく思いしった。身体の使い方が素晴らしく、手足の隅々まで神経を張り詰め、あるいは意図的脱力し、髪の先まで演技していると感じさせる。(この先エリオ面影を振り払うのが難しいのではとも感じるが、むしろその印象を己に利するものとして使ってほしいしこの期待は報われるにちがいない)

だがなによりも、その目つきである! トレーラーにも含まれていた、踊るオリバーをじっとりと見つめるあの目が全てではない。映画から小説通底する一人称の語りが省かれているものの(あれば安っぽくなり得たと個人的には思う)それを補って余りあるティモシー・シャラメの目つき。

まさに小説が羨む技法で、文字で書かれたフィクションを贔屓しがちな身としては、こういった映画化を見せられるとただひたすらに喜びを感じてしまう。

さてトレーラーといえば、あの実に夢見心地で幻惑的で、緊張感とせつない予感に満ちた映像を、わたしだってリリース直後には再生する手が止まらなかったほど熱愛しているが、 本編とは少しトーンが違っているとも思える。

トレーラーから、そして原作から想像していたものにくらべると、より明るく、ユーモアがあり、笑いだしてしまう瞬間がある。

かなりの頻度で笑いが起こっていたが、これは映画祭だったのと、おそらく英語圏中心とおもわれる観客層も関係してくるのかもしれない。

ただ、エリオ食卓でのとあるシーンについては国内映画館でも笑いが起きると予想できる。そしてその直後におとずれるエリオオリバー官能的な接触に息をのむことになることも。(さてくだんのマイフェイバリット太腿はこの場面で登場する。すくなくとも個人的にはこの場面はお祭りだった。細いのに肉感的な大腿部に釘付けになるあまり台詞をごっそり聞き逃したのだ……)

こういった感覚の急激な転換は映画全体を通して言えることで、一瞬たりとも気を抜けないと感じた。ほほえましく口元を緩めた直後に、心臓が指でひっつかまれるように締め付けられる。

ところどころに埋め込まれた、笑える箇所について、今ふと思ったが、これは原作にて重要役割果たしているが本来映画だと表現しにくい「時間性」をどうにか持ち込もうとした結果なのかもしれない。

10代のころの恋愛とか、恋愛でなくてもエモーショナルなやりとりは当時は必死真剣なんだけれど、そのときの行動を大人になって振り返ってみると、わがことながらおかしくて笑ってしまう、あの感じがよみがえるみたいだ。

そのようなノスタルジーを引き起こす展開に身を委ねるうち、二度の上映は割れんばかりの拍手でしめくくられた。自分も同じように手を叩きながらLater、と軽やかな別れの言葉脳内で繰り返していた。原作で読んで想像していたよりもなおあっさりと、冷淡で、なのに奇妙に耳に残るオリバーの声。

一夏の客人のその挨拶を、エリオが、母が、父が真似たように、自分もつい口にしたくなるはずだ。

じつは原作を読んだ時から自分は最適な読者じゃないと思っていた。

小説として心から好んではいものの、「この物語自分物語だ」「この物語によって救われた」「こういう物語が描かれるのをずっと待っていた」と感じる人がいることを、一行読むごとに、確信し続けたからだ。

この映画現代を生きるごく若いセクシュアルマイノリティに届くことを願っている。

キャロル』がそうであったように、相手性別特別なのではなく、ただその相手特別だっただけ、ということを描いた映画。だが一方で、両親という存在の描かれ方において、この作品はこれまでのクィア作品と一線を画している。

そして、『ムーンライト』があまりにも普通恋愛映画であるという事実特別だったのと同様に、Call Me By Your Nameエリオの一夏の恋愛は美しいと同時に「ごく普通青少年悶々とする」という部分が色濃くて、その事実をとにかく祝福したい。

自分はこの映画クィア映画だとは思っていないのだとグァダニーノ監督がQ&Aで語っていたが、この言葉がすべてだと思う。

10代の頃に出会ってたら人生が変わっていたなと確信を持つ映画はいくつかあるけれどCMBYNはそのトップに躍り出た。

現在のところレーティングはR18のようだけれど、そこまで直接的なショットはなかったように思う。

何かが起こったこと、そして何が起こったかから目をそらすという悪い意味での曖昧さは無いが、物語破綻させないように、そして必要以上にセンセーショナルに煽らないと努めての結果なのかもしれない。

からこそ、PG12かR15バージョンが作られるといいなと思っている。エリオと同年代の、この映画肯定感を本当に必要としているひとたちに見てもらいたい。

キャストきっかけに興味を持ったCMBYNだが、自分の中にそびえる金字塔を打ち立てた。日本に来た時にも従来の俳優物語ファンに愛されるのはもちろん、新しい映画として多くの観客に愛してほしい。そして本当に必要としているひとにぜひとも届いてほしいと思う。

ちょうどこのレビューを書いている最中8月23日)にMIFFの観客賞が発表され、Call Me By Your Nameが晴れて1位を獲得した。http://miff.com.au/about/film-awards/audience#

もちろん自分も最高点の星5つで投票したし、あの盛り上がりを考えると納得の結果だ。

アジア内では台湾映画祭での上映が決まっているCMBYN。東京国際映画祭に来ないはずがない、と信じている。

お願いします。

邦訳本もどうぞよしなに。

2017-08-02

腐女子はどうすればいいのか

BLファンタジーと言えば「搾取側の言い逃れだ!」と叩かれBLリアルだと言えば「女に同性愛者の何がわかる!」と叩かれる。


腐女子差別されて当然の存在」などと自らを蔑めば(ホモォ騒動が良い例)同性愛から同性愛差別されて当然なのか?」と反発がくる。今回のように「腐女子だってヘテロ好きと同じように扱われるべき」と権利を主張すれば幅広い層から「すっこんでろ。腐女子キモイ」と言われる。腐女子以外の女オタからは「あんなやつらと一緒にしないで」と叩かれる。

BLといえばR18と思われエロ嫌いな人から攻撃を受け、さら腐女子二次創作イメージも強く著作権に敏感な人から見ても非常に叩きやす存在腐女子は見る側にとって最も都合のいいスケープゴートなのだ

世の中の大多数の意見におもねり「普通人間なら異性愛主義者。まったくその通りですわ。同性愛特殊性癖です」と腐女子が自認した場合、当然NL表記するし「ワンクッション」「同性愛注意!」など身内での自重ルールが厳しくなる。

しかしそうなると今度はセクシュアルマイノリティからこうお達しがくる。

同性愛アブノーマルでも隠すべきものでもない!腐女子は我々を搾取した上差別に加担している!」



今度は腐女子セクシュアルマイノリティにおもねる。「同性愛特殊扱いされるのは差別。まったくその通りですわ。差別に加担するなんていけないわ。」

すると「性的搾取加害者の分際で理解ヅラするな!」とまた叩かれる。

この場合身内での自重ルールはゆるくなる。注意書き、ゾーニング基準個人判断に任せられ任意となる。結果世間の目にさらされることは多くなり、再びマジョリティを自認する層に叩かれる状態に戻るわけだ。

腐女子はこのように常に両手を逆方向に引っ張られているのが現状。

中世の八つ裂き刑さながらどちらに行こうとも安寧はない

2016-01-17

増田でイチイチ表明するな別でやってくれな属性


発達障害表明 ADHD などなど 他の専門の掲示板行け、医者にいけ

セクシュアルマイノリティ 他の専門の掲示板に行け 増田では正直お前らの議論についていけん ほとんどストレートか、ファッションマイノリティサポート自称している餓鬼ばっかりだ。アンタ達がハッピーになれる場所は他にある

ジェンダーイシュー 他の専門の掲示板に行け 男ばっかの所で話をしても無駄だ、アホしか居ない。別でやってくれ

レイシズム関連 リベラル自称ブロガーコメント欄行くか、保守速報コメント欄で暴れてくれ。誰も気にしちゃいねーよ。

個人的にはそれらの議論は全て割と首突っ込んで見てる方だが、正直、増田ブコメ理解力レベルではあんたらを助けられない。繰り返す。あんたらを助けられない。

2015-05-27

本来勢いで語らないほうがいいに決まっている同性結婚

書き殴るぞ!!!論理へったくれもない!!知るかそんなもん!!感情論じゃ!!!

私!レズビアン!!!同性結婚したい!!!!できれば巨乳美人黒髪の、ポニーテールが似合う処女女性結婚したい!!!!無理だ!!!!!処女は難しい!!!!!!おっぱいもBぐらいが関の山!!!!!よくよく考えたら日本同性婚できないしな!!!!よっしゃ!!!フランスいくか!!!!!!フランス語難しいなおい!!!フランスはともかく、できれば日本結婚したい!!!!!コミケアニメ漫画もある!!!!!素晴らしい!!

でも、結婚できない!!ああああああ!!!ナンナン!?!? 今、はてなでは弱者男性が人気だよね!!!!!深くは言わん!!高齢者、独り身が弱いことはみんな知っている!!!! そこだ!!まず、そこを伝えたい!!!自分の老後を思い浮かべた時、一人でひっそり死ぬか、彼女と親子になって死ぬか、渋谷のアレを使って彼女パートナーになって死ぬか、そんくらいだろう!!!結構選択肢が多いな!!!しか!!!!!!!!!結婚という選択肢はナァイ!!!!!ああああ、法律婚メリットは?とか!!!渋谷のアレじゃダメなの?とか!!!!!もう他のセクシュアルマイノリティの方が語ってくださっているだろうから書かないぞ!!!!!!!!!私が言いたいのは、選べないと、選んでやめたとではかなり違うってことだ!!!!!!感情でいくぞ!!!ぶっちゃけ異性愛者は選べるのに、なんで私は選べないんだああああああああ!!!人の性指向女性が好きか男性が好きか大体生まれつき決まっているそうじゃないか!!!!!ホモセクシュアルはなんだ!!!!!人生ハードモード!!!言っておく!!!彼女結婚できないからとか、愛する二人が結ばれないからかい恋愛至上主義的な理由は3割あるけど!!!!!!!!どっちかっていうと、人生問題!!!!!結婚してーあーだーこーだっていう人生設計が立てられない!!!!!!同性愛者として生まれた瞬間、自分人生は狭くなる!!!!!結婚そんないいもんじゃない辛い!!!!!!ということも分かるぞ!!!!!!じゃあ尚更、辛さを下さい!!!!!!辛くなる選択を下さい!!!!!!!不幸になる選択を下さい!!!!!!!!!

どんなに気持ち悪いと言われたっていい!!!!!!権利がほしい!!それだけなんだ!!異性愛者が同性愛者を気持ち悪いと思う感情否定するつもりはない!!!!!!!それも多様性!!!!!少なくても私はその声は大切だと思っている!!!!!!ヘイトスピーチと片付けられない!!私はレズビアン!!!同性愛者はキモイと何度もなんどもなんどもなんども言われた!!!!!自分感情は脳はおかしいと思い続けてきた!!でも違う!!!!正常だ!!!異性愛者と同じだ!!!!!分かって嬉しかった!!とてもとても嬉しかった。

今は同性愛者を気持ち悪いというと炎上する世の中だ!!!!!殴られたから殴り返す!!!!!!奴らはマジョリティ。奴らを叩いても弱者である私は何も悪くない!!!!!!!!と思っていた時期もあった!!!!でも!!!!!結局その方法は解決に至らない!!!!!!!どっちも不幸になるだけだ!!!!!!それに性の多様性を望んでいるのに、意見ひとつしか認めないってのも腑に落ちない!!!!そんな不幸の連鎖の先にあるのは、更なる嫌悪!!!!!!!!そんなの誰も望んでない!!!!!!!!!!!!

何がいいたいのかよくわからないな!!!!!!!!

まとめると、結婚してえ……。だけど、誰かの思考まで変えるつもりはない。制度を使えるようにしてほしい。

それだけだ!!!アデュー!!!!!!!またねまたね!!!!!

2015-03-25

島田暁さんが踏み込んだことを仰っているのでメモ

バックラッシュ引き起こした点でも相当に罪深い」強いお言葉ですね。

同種の疑問を感じている方々も島田先生ツイートを頼もしく、心強く思っていることでしょう。

それにしても言うに事欠いてバックラッシュ引き起こした」とはね。しかも「罪深い」とはね。

2014-07-16

とある本の内容について

最近話題になっている本の中に、気になる記述があった。

その本は、ある人(以降、Zさんとする)の幼少期のトラウマテーマとしていて、そのトラウマ記憶は長らく忘却されていたが、催眠療法によって蘇ったのだという。

Zさんは、あることがきっかけで催眠療法士と知り合うことになり、その催眠療法士の「カウンセリング」を受けることになった。(もともとZさんには、精神的に不安定なところがあったという。)

その「カウンセリング」において、Zさんの語りをしばらく聞いた後、その催眠療法士は、Zさんに小さいころに家で性的いたずらを受けたことがないかどうか尋ねたという。

そして、Zさんは「お父さんにそんなことをされるわけがないじゃないですか」と返すと、催眠療法士は「誰がお父さんのことだと言いましたか?」と言い、それによってZさんは「お父さんに性的いたずらをされていたかもしれない」という疑惑を持つことになった。

ここに書かれているのは、非常に単純な、そして単純であるがゆえに悪質な心理操作だ。

男の兄弟がいない環境において、Zさんにとって身近な異性は父親となる。

性的いたずら」という言葉から想起されるのは、大抵の場合は異性からのいたずらであろうから、家での性的いたずらという言葉から父親のことを連想するのは、ごく当たり前のことだろう。

しかし、催眠療法士はここで心理操作テクニックを使う。

「誰がお父さんのことだと言いましたか?」と返すことによって、父親の他にも性的いたずらを家庭内で行いうる主体があたか存在するかのようにほのめかすのだ。(本当はそんな主体がいる可能性はごくわずであるにもかかわらず。)

そして、このような言葉を言うことで、Zさんは「他にもあり得たかもしれない選択肢の中から私は父親と答えたのだから性的いたずらを行ったのは父親に違いない」と思うようになる。

でもこれは勘違いにすぎない。

状況的にいって「父親」を想起して当然であるにもかかわらず、この催眠療法士は、他の選択肢があるかのように見せかけることで、Zさんの言質を「無意識的な」選択なのだと誘導している。

その結果、行き着くところが虚偽記憶の形成だ。

その本は、性的虐待というテーマセンセーショナルさもあって話題になっているが、その催眠療法士が現れて以降の下りは相当に怪しい。

セクシュアルマイノリティコミュニティが、怪しげな心理療法士・催眠療法士の食い物にされないことを祈る。

2013-07-06

ミキティの件で、案の定表層のフェミニスト(みたいなものセクシュアルマイノリティに理解があります!的な態度を附帯している場合が多い)がそこいらで何らかの発言をしておる。

まるで発言せねば自分自分でなくなるかのごとくだ。思想は保持しているだけでも思想としてあるものだ。なのに、有意な斬新なことも言えないのに、敢えて発言する。

おお!おお!いったい何だというのだ!

2013-06-01

児童ポルノ小児性愛者に、社会はどう対峙していけばいいのかを考えてる

児童ポルノ規制が「架空表現」にまで及ぶことは明らかに「児童権利保護」の観点から見て無意味だし

何より表現の自由を守れなくなるので、そこはもう議論の余地がないと思ってる。

でも、じゃあ実際、性被害に遭う児童現実的にどう守ればいいのか。

児童性愛者について社会は、法は、道徳はどう対峙、対話していけばいいのか。

そんなことを数日考えてる。

以前ある集まりで知り合ったアスペルガー症候群男性

自分ペドフィリアで、いつか現実子供に害を加えるかもしれない不安を抱えている」

と私に言っていた。

私は「自覚症状があって、自身が悩んでいるなら、カウンセリングなりすれば良いのでは」

と言ったが、実際、現実的にそういったセラピーは無いらしく、相談する相手はおろか

打ち明ける場所や機会がそもそも無いという。

自分も「児童性愛者」に対して道徳的にも社会的にも、どうスタンスを取ればいいのかわからない。

からアドバイスも、自分価値基準も持てず、言葉に詰まってしまった。

ちなみに、その集まりセクシュアルマイノリティ家族が集まれるイベントだったのだが

彼は児童福祉司参加者にもこの話をしたらしく、その人いわく

ジェンダーLGBTという枠とは(小児性愛は)違うし、児童福祉の観点から言えば治療の対象だ」と

まり望ましい対話ができなかったらしい。


話を戻すと、アニメ同人などで現在ふつう流通している「ロリショタ」的コンテンツを消費している人らと

実在する児童ポルノを消費する(あるいは性嗜好障害としての)ペドフィリアとは、もう根本的に違うということ。

それは概ね同意が得られそうだけど、じゃあペドフィリアの人は、その性嗜好自体が社会的憎悪されるべきものなのかと言えば

それは思想の自由から権利が守られるべきで、実際に加害者がいなければ現状、法的には問題がない。

だけど、社会規範的、道徳的に「ペドフィリアである事実」の人をどう扱えばいいのかというコンセンサス日本にはないと思ったのね。

声高に児童ポルノをすべて禁止すべき!と叫ぶ人たちは、そういった実在する「児童の性被害」や虐待に対して、主体的に問題に取り合っているのか。

タブー視や軽視せずに、犯罪の原因や事実ケーススタディについて議論しようと取り組もうとしてきたのか、と疑問に思うわけ。

実際、上述した彼のように、その性嗜好が社会的に許されないと認知した人は、どこへ行けばいいのか、それを用意しようとした人がいるのか。

ただ、そういう人間や「似たような因子」をタブー視して「すべて禁止!」しようとしているだけじゃないのかって思う。

そういう浅知恵じゃ、「加害者になる可能性」も「被害の予防」もできないと思う。


けれど、「ペドフィリアは危ない因子だから、こちらへどうぞ!」とは簡単にいかないような気がしている。

もちろん性衝動が抑えられない精神医学的な意味での「異常行動」の問題はしかるべき治療をすればいいけど

そうではない様々なケースに、社会はどう捉えればいいのか…とも考えていて…

まずはカウンセリングを自主的にしたい人の為のリソースがあるべきとは思うけど、「社会的同意」としてのコンセンサスや整備が

バランスよく整ったモデルがあるといいなとは思う。

まり被害者がいない場合ペドフィリア糾弾せず冷静に「異常性」だけを判断し分別できるシステムとか。

やっぱり、ペドフィリア本人のモデルケースが聞けると一番いいかなーとも思いました。

私自身、まだ勉強不足な所があるから非常に主観的な物言いから、ぜひほかの意見も聞きたい。

2012-11-27

Aセクが話題らしい

何かテレビで無性愛者の人が紹介されたらしい。

見てないし、Togetterトップページにまとめがあったくらいで話題と言えるかは分からないけど、

まあ誰かしかは話題にしているらしい。

このAセクっての、ずっと疑問だったんだよね。

ずっとというのは、セクマイというものリアル存在するものだと知った高校生の時から

疑問というのは、Aセクという枠が何のためにあるのか。

恋愛しない、できない人は普通にいてもおかしくないと思うんだけど、

恋愛感情がないから困ることって所謂精神的なやりとりとしての「恋愛」そのものができないだけなんじゃないかと。

セックス結婚も、友達の恋バナに付きあうことすら、恋愛感情抜きでできるじゃない?

マジョリティであるが故に理解とか認知とかされる必要のない異性愛者でも、

特に恋愛感情を持っていない相手とお見合いして結婚して子供を設けることはある。

昔は「普通」だったとか聞くし、今でも得意ってほどのことじゃない。

恋愛対象はセクシーな人だけど結婚するなら家庭的で堅実な人、とか普通

結婚の動機も家族とか経済だったりとか普通

逆に好きな人結婚出来ないから一生結婚しないとかも理解できるよね。

結婚する理由もしない理由も、セックスする理由もしない理由も、特に理解の必要などなく当たり前に山ほどある。

いかわるいかは別としてね。

隣人が異常にこだわっている感情がさっぱり理解できなくても他の所で付き合うとか、

その感情についても話聞くとか、

そう思わない?って聞かれてお、おう。ってなるのも普通だよね。

乗り気じゃない趣味に誘われたりとか面倒くさいけど普通だよね。

同性愛の人が異性の代わりに同性を愛するように、Aセクけがすることが

あるならわかるけど、思いつかない。


性愛を否定する気は全くないし、そういう人はいていいと思うんだけど、

理解とか認知とか偏見とか言われると、

何を理解とか認知とかされたくて、何の偏見に苦しんでいるのかさっぱり検討もつかない。


セクシュアルマイノリティの枠とか作らずに普通の人として生きたらどうだろう。

や、テレビで何言ってたのか知らないんだけどさ。

ズレてるんかな?

2008-12-23

ロリコンセクシュアリティとしての特殊性と、その措置の妥当性

http://anond.hatelabo.jp/20081223010218

まとめると、前提として、「幼児性愛者と、幼児性愛行為による加害者は全く別物」というごく当然の常識を置いた上で、

a.合意形成した場合の、合意主体間の非対称性の問題と、

b.一般的な規範システムとの齟齬:「法律上」「社会通念上」

c.他のセクシュアリティよりも、性犯罪に至る実質的な危険性が高い

の問題の3つの要因から、ロリコンは他のセクシュアリティとは区別されるべきである。という話な。

[a].合意主体間の非対称性の問題について:非対称性があるというのはホントか。

性行為そのものに同性愛全般や、異性愛全般よりも、当事者間に非対称性が発生する可能性が高く、それが問題となりうる可能性が高い、というのはその通りだと思う。

ただまあ、ロリコン一般ってもけっこう含意がひろいからある程度、グラデーションなのよね、そこは。

性行為については「被害者」「加害者」のくっきりとした色分けが難しい場合があるからなぁ

a1.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持ち、かつ行為を行った相手に対して一定以上の性的欲望を抱いていており、合意した子の場合。(これはOKではないか、と)

a2.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持つが、行為を行った相手に対して合意をしていない相手の場合。(これは大人のレイプと同じ扱い)

a3.相手が性行為がどういうことであるのか、理解が中途半端な場合。(いちばん微妙

a4.相手が性行為の意味を理解していない場合。ただし、被性行為に対して被害者感情を抱かず、実質的な被害(妊娠など)がまったく起こらない子の場合。(これも扱いが微妙

a5.相手が性行為の意味を理解しておらず、かつ、被性行為に対して被害者感情を抱く、あるいは実質的な被害(妊娠など)が起こる子の場合(これはわかりやすくアウト)

現行の社会通念や、法律との衝突さえなければ、「a1」に関してはOKだと思うけどね。

a3」「a4」はめんどくさいけど、まあ、グレーだから、黒ということにしたほうがラクなので、1と2の間で、白と黒の境界線を引くのがいいかなぁ。

[b].合意形成の非対称性を認定する規範システムについて:法秩序に反するとまずい、という説明はどこまで妥当か

「現行の法秩序に反する」からダメ、という議論については以下のような反論がありうる。

「現行の社会通念にはまったく反しない(むしろ推奨される)が、現行の法秩序には残念ながら反する」行為があった場合、それは法秩序のほうの変更が要請されると思われ。「法的にまずいから、まずいんだ」式の議論は、個人の利得を考えた上での行動基準としては妥当だと思う。だが、一般論としてそれを言ってしまうと、いかなる悪法もそれが法である以上、それに背く全ての議論がだめだと言うことになってしまうのできまずい。よって、「法に反するから」はそれ単体では責めを追うべき十分な理由とは言えない。

同様に「社会通念に反する」からダメという議論については以下のような反論がありうる。

現行の社会通念に反するとしても、様々なことを鑑みると、社会通念からするとよくないことになってしまうが、社会通念から外れた考え方をしたほうが、意外とみんながみんな幸せになれる解決法に近いもの、というのがある。よって、社会通念に反するから、ということだけでは十分な理由とは言えない。

ただ、もちろん。「十分な理由」ではないだけで、「一定程度、説得的な理由」だとは認められるべきではある。考慮されるべき指摘ではあるが、それで議論をすべて終了させてしまえるほどに強い理由ではない。

まあ、そのことを確認した上で

 [a]で確認したグラデーションは、どうやって認定するのか、という問題がある。たとえば、

b1.年齢

b2自己申告

b3.周囲の大人10名程度

b4.性知識にかんする常識チェックテスト

b5.精神科医等によるチェックシステム

b6.一般的な知能検定

 などが考えられる。いずれか一つかの認定基準だけでは、不完全だと考えられる場合が多い。

 (例えば、IQ160で性知識豊富な15歳の女の子が、1年以上悩む期間を与えられた上、あきらかな自発的合意の上で行為に至ったと認められる場合に、子の親が被害届けを出したとき)

 現行は、「1:年齢」の基準が適用されているが、

 あたりまえだが、年齢という基準だけでは、「a1」「a2」に類する事例も含んでしまうので、現在の法システムはかなり不完全ではある。なので、「ほんとにまずいロリコン」と「別に実質的にたいして問題がないと考えられるロリコン」とがかなりおおざっぱに放り込まれている。よって、「ロリコンは悪いのか」といったとき「ロリコン全般」の問題が迷路に迷い込んでしまう。「現行の法的基準上、問題になってしまう」ということではおそらく、議論が難しい。

c.ロリコンが他のセクシュアリティの持ち主よりも、強硬手段に及ぶ可能性は本当に高いのか

 わからん。

c1. じゅうぶんに妥当と認められる程度において小児への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の小児性愛志向を有する者の全て

c2.じゅうぶんに妥当と認められる程度において同性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の同性愛志向を有する者の全て

c3.じゅうぶんに妥当と認められる程度において異性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の異性愛志向を有する者の全て

c4.じゅうぶんに妥当と認められる程度において両性愛への性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の両性愛志向を有する者の全て

c5....じゅうぶんに妥当と認められる程度においてその他の性的犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定のその他の性的志向を有する者の全て

 の割合を比べた場合に、c1が、c2,c3,c4,c5...と比べて有意に高いと言えるのかどうかを調査した研究があればそれに従う。

 しかし、グーグルスカラーでさらっと論文検索してみても、この問題をきちんと正面から調べてるっぽい研究みつからず。

 確かに、理屈的に言えば、13歳以下のロリコンの人とかは、13歳以下と行為に直接に及ぶというのが最大の性欲求達成行動にはなる。

 しかし、チャイルドポルノロリコン向けエロマンガ等による代理的機能がどの程度でかいかも、わからず。結論:わからない。

 よって、たぶん、現在までのところ、「ロリコンが異常で犯罪に及ぶ率が明らかに高いセクシュアリティである」は出ていないと思われる。

 あるいは、たとえ、ロリコンが他のセクシュアリティよりも、多少危険だったとしても、

 「酔っぱらって、レイプしちゃうオヤジ」とかの危険率を上回るかどうかとかいう議論に応じて、議論にはかなりグラデーションが出るはず。

ということで全体の結論:

 改めて議論をまとめると次のようになる、

1.深刻な小児性愛者の一部が、他のセクシュアリティの持ち主よりも、当事者の合意を得ない性行為を行ってしまう可能性はある。だが、そうでない可能性ももちろんある。

2.現在小児性愛犯罪を認定する法的基準がじゅうぶんに妥当であるとは言えない可能性がある。

3.小児性愛者は、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険であると推測される理由は存在するが、実証的に示しうる根拠はない。

 つまり、

 小児性愛者が、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険である可能性はありうる。

 だが、ほんとうに危険かどうかはさっぱりわからないので、それは可能性の議論にすぎない。

 小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのに十分妥当と言いうるだけの根拠はない。

 よって、

 小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのは早計であるばかりでなく、セクシュアルマイノリティへの妥当ではない社会的差別や抑圧として働く可能性がある。

 少なくとも現時点では、小児性愛者全般を、深刻な犯罪を犯す可能性が高い人々だと考えるのは積極的には認められるべきではない。

補:新たな論点・性犯罪から子供を守ろう運動の妥当性

 はあると思う。

 ロリコンの人全体が非難されるべきではないけれども、

1.レイプセクハラが防止されるべきなのと同じ理由で、その運動は妥当な運動である

2.しかも、レイプセクハラよりも、被害を受ける側がより一方的に無力な被害者となりうる可能性は高い。

 なので、レイプセクハラよりも重点的に行われるに足る理由がある

 しかし、

3.子供性犯罪から守る運動が、小児性愛者を抑圧する形で展開された場合、それは過剰な社会的差別や抑圧として働く可能性がある。

 子供性犯罪から守る運動が、小児性愛者への攻撃として行われているのはなんともなぁ。

補2:

この記事では、ロリコンペドフィリア小児性愛者といった用語をあまり厳密に区分して使っていません。すみません。

補3:

fromはてブ

「家庭内DVみたいなものとして、ロリコンが問題になりやすい」点も要考慮とのことです。

これは、統計とかで出してくるのが難しいからなぁ…

被害者がだまってしまうだろうし。でも、たいへん重要な指摘。

 ただ、これも「ロリコンセクシュアリティとして禁止すること」によって積極的に解決ができるタイプの問題というよりは、「非公共圏(親密圏)における暴力の解決」という枠組みで処理したほうがいいように思われる。セクシュアリティそのものを抑圧しても、問題が目に見えなくなるだけで被害は増えると思うので。

 非公共的な空間における暴力発生メカニズムについては、最近まで積ん読して放置しておいた内藤朝雄の『いじめ社会理論:その生態学的秩序の生成と解体』は評判通りけっこうおもしろかった。でも、どういった介入が効果的か云々って話はむずかしいよなぁ。そこから先は専門家の領域になるんだろうなあ。ただ、「専門家」においても、ロリコンを、セクシュアルマイノリティとして認めるよりも先に、「犯罪者予備軍」的な先入観から入る人が多いから、なんかあんま会話にならない場合とか多いよね。この領域こそ、まさしくフーコー的な話の出番っつーか、いや、まあ専門でやってる人たちはおそらくそこのディスコミュニケーション状況とかにとっくにげんなりしたままはや数年とかっていうような世界なのだろうけれど。漏れも、知り合いの福祉関係仕事やってる人にロリコン擁護的と受け取られる発言するたびに、白い目で見られるものなぁ。

 あと、人に教えてもらったがこのページも問題提起的ですた

 http://www7.plala.or.jp/vitamin/p/sub01.htm (昔懐かしの、トップページでいきなり音楽がながれるページなので要注意)

補4

→続き的なエントリを書いたよ。

ロリコン」の論点整理2

http://anond.hatelabo.jp/20081224223749

2008-06-22

http://anond.hatelabo.jp/20080621194229

カテゴライズっていうのは、言いかえれば

「名前を付けて、対象言葉に落とし込む」

ことだと思う。

目の前にある対象を何らかの言葉に落とし込むことで、

その後の取扱も容易になるし、

そもそも名前の付いていない対象というのはなんだか

言及しにくい。

もちろん、名前を付けることは、対象を限定する行為でもある。

だから、その限定と対象とがミスマッチを起こしているように感じられれば、

言葉による限定は苦痛に感じられるだろう。

デリダはこのような命名の行為を「原-暴力」と呼んだ。

 相手を強制的にある言葉の枠の中に押し込めることで、

 取り扱い可能な種類の対象として限定づける=相手を「対象」として誕生させる、

 「一番最初の暴力」というわけだ)

でも、もし言葉による限定を取っ払って、名前のない状態のままで自分を提示したら、

そもそも相手に自分を理解してもらうことすらできないかもしれない。

相手もまた、名前=言葉によって世界を理解している人間であれば、

理解する手掛かりすらまったくないということにもなる。

例えばセクシュアルマイノリティな人たちは、知ってもらうために自分をカテゴライズしているのだろうし。

と言っている通りに。

2008-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20080621194229

コメントありがとうございます。

カテゴライズすることで、生きやすくなるのかもって感じました。

例えばセクシュアルマイノリティな人たちは、知ってもらうために自分をカテゴライズしているのだろうし。

2008-01-07

ノンケでいられるなら、うつ病じゃない

ノンケ恋愛の悲劇的な話は一切読まない事にしている。お前らノンケなだけ幸せじゃねえかよ。

男女の恋に破れて、うつ病になっただの苦しいだの死にたいだの… お前らは子供を作ろうと思えば作れる体があるのに何を絶望するというのだ。

あいつがひどい男だの何だの、お子様みたいな事ばかり抜かしやがって。

お前らは、俺が大人になってもやらないことを大人になってやってるだけだろが。

ノンケセックスについて文章にした時点で、それはセクシュアルマイノリティへの冒涜行為だ。

ノンケセックスに愛なんて無いだろうが、お前は暴力振るわれてるのに自分の脳内でそれは暴力じゃないと都合良くすり替えてるだけだろうが。男に簡単に騙されるなよ、お前は子供産めるだろうが。

うつ病恋愛したいとかセックスしたいとか言ってる奴なんか論外だな、そんな余分な精神力あるなら鬱じゃねえだろって話。うつ病無気力だからうつ病なんだろーが。

病名聞いて安心するなんてのも馬鹿の典型だな。ガンです!って告知されて安心するのか?誰が病名聞いて安心するんだ。どう考えても胡散臭いだろうが。僕はうつ病に違いないって、ほいほい病院に行って薬もらって安心するなんて、そんなの病気でもなんでもねえよ。お前らは医者を儲けさせて、自分が悲劇ぶりたいだけだろが。

参考:

http://heartbreaking.web.fc2.com/funamushi2/sick/2007/0308.html

 
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