「京本」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 京本とは

2024-04-19

ルックバックがわからない

感動ポイントがわからない。誰か説明してほしい。

現実世界では、二人は出会って友達になった。京本美大に行き、死んだ。

二人が出会わなかった世界線では、京本はやはり美大に行っているが、死なない。二人は友達になる。

卒業式の時点で出会っていなかったら、京本は死なないで済んだし、二人は大人になってから友達になる。じゃあ、二人は出会わなかったらよかったんじゃないの?

出会えてよかったね、友達になれてよかったねって話じゃないよね? だって出会わなければ京本は死ななかったし二人は結局友達になるんでしょ? 出会わなければよかったんじゃないの?

要するに、藤野売れっ子漫画家になるには京本の死が必要だったって話なの? 京本死ぬ世界線じゃなかったら売れっ子漫画家にはなってなかった。これって感動する話じゃなくて不気味な、後味悪い話じゃないの?

本当にわからないのでだれか説明してほしい。

2022-04-29

ルックバックでわからなかったとこ

さらルックバックの話なんだけど、ファンの人が感動しているポイント自分はまったく感動できなくて、逆になんで感動するの?と思ったので、教えてほしい

 

藤野京本小学校卒業式出会い一緒に漫画を描くことになった世界世界A)では、二人は数年一緒に活動したのち道を違えることになり、美大に進学した京本キャンパス侵入してきた通り魔に襲われて死ぬ

藤野は、京本自分出会っていなければ美大に進学することもなく、ひいては通り魔によって命を落とすこともなかったと思って自分を責める

一方卒業式出会わなかったほうの世界世界B)でも京本世界Aと同じ美大に進学し、同じように通り魔に襲われるが、たまたま藤野に助けられる

藤野小学校ぶりに漫画を描くのを再開したと京本に話し、雑誌に連載することができたらアシスタントになってくれと彼女に頼む 二人の友情がここから始まることを示唆して世界Bのほうのエピソードは終わる

 

藤野京本卒業式出会っていようといまいと、いずれ京本引きこもり自発的にやめて美大に進学して通り魔に襲われていたのだから藤野自責の念を抱く必要はない、という結論はわかる

しかし、それと同時に、卒業式出会っていようといまいといずれ藤野漫画を描いていたし、二人は出会って友情を育んでいた

藤野漫画を描くことになった」「二人は友達になった」はどっちも藤野人生にとってトップクラス重要出来事

世界Aと世界Bのどちらでもその二つの出来事は起こる ただし世界Aでは京本死ぬ

だったら世界Bの方がよくない?

卒業式の時点で二人は出会ってなければよかったんじゃないの?

なので「じゃあ藤野ちゃんはなんで(漫画を)描いてるの?」という京本の問いかから始まる一連のエモいシークエンス(はっきりと言葉にされるわけではないが、「京本に読んでほしかたから」という藤野気持ち表現されている)も萎えしかなくない?

世界Bでは「京本に読んでほしい」というモチベーションがなくとも漫画を描いているのだから世界Bの話を挿入することは、世界Aにおける「京本に読んでほしかたか漫画を描いてきたし、これからもそうする」という決意を感動的なものにするどころか「え、じゃあ出会ってなくてもいずれは漫画描いてたし、京本通り魔に襲われた時点で藤野漫画家になってなかったら京本は死んでなかったんじゃん、後味悪〜」と思わせるだけなのでは

少なくとも自分はそうだった

みんなあれの何に感動したの?

2021-08-03

anond:20210803132548

>同じちから作用した結果人を殺すに至る

 

京本嫉妬した美大生を殺人犯にしたら済む話ではあるな

タツキは京アニ大量殺人事件に寄せたくて寄せたくてたまらんのだよ

キャラ修正しない、セリフだけ変えて通り魔殺人犯に仕立て直したのは手抜きかつ皮肉のつもりだろう

anond:20210803124050

俺が本歌取りって安直な発想するのはまあしゃあないと思って大目に見てくれや。

こちとらド素人だ。

そのド素人から見てさえ今回の修正は雑だって話だからよ。

実際、本歌取りの方がマシだったんじゃねえか?

創作藤野調子こかせ、京本の目を輝かせ、京本に絵を描かせ、藤野に絵を練習させ、

なんやかんやで引きこもりを部屋から出して美大に行かせるくらいになった、

その過程感情移入できるほどの密度で描いてきたくせに、

京本を殺すやつは「絵から罵倒が聞こえたと宣うあたまのおかしい男」ってのはなんかこう、フェアじゃない。

それまでずっと「創作のちから」「表現のちから」が作用して人の人生変える様子を描いておいて、同じちから作用した結果人を殺すに至る方、そっちは病的な言動象徴させてブラックボックス化すべきじゃなかった。

そうしなくたって「理不尽な死」と「それは「創作のちから」がもたらした」って状況は描けるはずだ。

修正後はもちろん雑だが、そういう意味では修正だって雑というかご都合主義だった。

要するに、

藤本タツキは下ッ手くそだっつう話だな。

>親が訪ねてきて喧嘩になって結果的殺人事件が起こる

同級生の男の告白あいまいな返事をして切れた男に刺殺される

トラックに轢かれる

違法建築で足場が崩れる

皮肉で書いてんのか知らんがマジレスしとく。

全然だめ。わかってない。

創作物もつから京本を部屋から出し、また(事件被害者というかたちで)死に至らしめた」という因果描写大事なんだ。

なぜならそのあと、膝から崩れた藤野がちぎった4コマの一コマパラレル京本の元に届いて「部屋から出るな」と叫ぶ描写があり、そこから空手家藤野京本を救う未来分岐していく描写があるから

創作物もつから京本いのちを落とさな世界線さえ生じ得たというクソ理不尽な救いを描いていて、その救われた世界線からメッセージ京本の死んだ世界線創作物のかたちで届く、という描写があるからだ。

これは創作すること表現することの業の深さ、それが何を生むか(人を生かしも傷つけも殺しも再生させもし得る)ということが描かれている作品からだ。

死因が現実的かどうかはまったく本質的問題じゃない。

しろその死因が「創作のちから」「表現のちからから離れていくほどテーマボケて駄作になっていく。今回の修正みたいな「誰でもよかった」とかな。

から「雑な仕事」なんだよ。


https://anond.hatelabo.jp/20210803113051

https://anond.hatelabo.jp/20210803113609

https://anond.hatelabo.jp/20210803113748

anond:20210803083227

発達障害じゃないだろ。発達っぽいのはむしろ京本だろ。お前は半年ROMれ

2021-08-02

絵画から自分罵倒する声が聞こえた」→絵画の持つパワー

「誰でもよかった」→場当たり的なテンプレ台詞

に改変し、

「元々俺のをパクったんだろ!?」「ほらな!お前じゃん!」→犯人自身も絵を描いていた事が窺われる台詞、それゆえに京アニ事件連想させるとして批判されたが、犯人人間性付与する台詞でもある

「絵描いて馬鹿じゃねえのか」「社会の役に立てないくせしてさあ」→社会の役に立つかどうかという短絡的な視点、底が浅い

に改変する


もうこれ全然別物に思えるし、犯人動機には主人公藤野から京本への嫉妬や複雑な感情とも共通するものがあったと思うから

そこを削っちゃ作品テーマがブレるし駄目じゃないかと思うんだよなあ

2021-07-27

藤野「嘘」から読み解くルックバック

ルックバックの藤野発言はかなりの部分が「嘘」です。

嘘といっても人をだまそうという大げさなものではなく、普通の人が誰でもするような虚勢、虚栄のようなものですが。

ですがほとんどの会話が京本との間であり、京本に対しては「京本の憧れの藤野先生」であろうとするばかりにことさらに虚勢を張っていて、発話のほとんどが本心と裏腹なことを言っています。なので本編にある藤野セリフほとんどが「嘘」です。

藤野「嘘」をいうところの裏腹な本心が何かを追っていくことで分かりやすくなることもあるので、藤野の「噓」をたどって本編を追っていきたいと思います

この記事内のセリフジャンプ+に掲載された藤本タツキルックバック」より、研究/批評目的引用していますセリフ著作権藤本タツキおよび集英社に属します。文としての自然さのために一部本編にはない句読点を補っています

京本との出会いまで
京本との出会い以降

事件以降



  • 「だいたい漫画ってさ。私、描くのはまったく好きじゃないんだよね。」
  • 「楽しくないしメンドくさいだけだし。超地味だし。」
  • 「読むだけにしといたほうがいいよね。描くもんじゃないよ。」

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」

この問答の後にセリフはなく、二人で楽しく漫画を描いていた日々の回想が入ります。あえて問いに対する答えを文にするとしたら「あなたと一緒に漫画を描けるからあなた漫画を読んでくれるから。」とかでしょうか。でもそれだけなのでしょうか?それだけであれば、京本とは袂を分かち、しかももう読んでくれることもありません。

ここまで見てきた藤野「嘘」本心に着目するならばこうではないでしょうか:

  • 「だいたい漫画ってさ。私、描くのはまったく好きじゃないんだよね。(私は漫画を描くのが好き)」
  • 「楽しくないしメンドくさいだけだし。超地味だし。(漫画を描くのが楽しい
  • 「読むだけにしといたほうがいいよね。描くもんじゃないよ。(漫画を描くのが楽しい!)」

「じゃあ藤野ちゃんはなんで描いてるの?」

無粋かもしれませんがあえて文にするならば「あなたと一緒に漫画を描けるからあなた漫画を読んでくれるから。そして、私は漫画を描くのが好きだから漫画を描くのが楽しいから。」

あなたは失われてしまったけれども、漫画が好きだという気持ちを思い出したから、もう一度立ち上がって、漫画を描くことにした。そういう話だという風に読みました。

最初に読んだときは「5000円しか使わなかった」は文字通りの意味だと思いましたし、雪のシーンが事件直後にある意味もよくわかりませんでしたし、「なんで描いてるの?」の答は上で書いたようなことと思っていました。藤野の嘘とその本心に着目して読んだところ、ここまで書いたような解釈に変わりました。幾分解像度高く読めたのではないかと思います

2021-07-24

ルックバックの殺人犯

ステレオタイプっていう話があるみたいだけど、漫画を読んだら当然そうなるよねという感想しかない。

殺人犯が出てくるあのシーンが想像であれ平行世界であれ、藤野の作った世界というのは明らか(なぜなら4コマを描かず京本を部屋からさないという世界藤野しか作りようがないから)で、じゃあ藤野の作り得る「犯人」はどういう人物になるかというと、犯人と直接の接点がない以上テレビネットなどの外部から知る情報で作られることになる。

それはニュース記事のような記述と共に犯人が登場することから結構分かりやす表現されていると思うし、犯人情報をさして知り得ない藤野の状況を考えればここでの犯人が「フィクションなどによく出てくるステレオタイプ殺人犯」となるのはごく自然でありそう描くのが誠実であろうとさえ思う。

当然藤野犯人の顔をよく知らないので犯人の顔もぼんやりしている。

もちろん犯人側にも事情があり犯行に至った経緯があるのかもしれないが、このとき藤野はそれを知りようがなく結果としてそれらを加味した「解像度の高い犯人」は作りようがないだろう。

要するにあの犯人ステレオタイプステレオタイプとして描いているわけだから、それに対して「ステレオタイプを描くな」というのはかなり的外れだと思う。

「こういったステレオタイプ現実とは全然違う」という議論きっかけにするのは構わないと思うし、それによって5年後10年後にこの表現が通じない世の中になっているかもしれないが現時点での表現としては適切であろう。

https://note.com/tamakisaito/n/nbeac7a25626b

「ただし1点だけ。やむを得ないとは思うけれど通り魔描写だけネガティブステレオタイプ、つまりスティグマ的になっている。単行本化に際してはご配慮いただければ。」

って、本当に漫画を読んだのかって感想なんだよなあ…

他の登場人物が端役に至るまでイキイキと内面を描かれていて、その上で通り魔「だけ」がネガティブステレオタイプに描かれているのなら

こういう批判も分からないではないけれど。

クラスメイト藤野の描く漫画を持ち上げていたくせに年頃になるとオタクキモがる底の浅いミーハーバカだし

藤野家族漫画への反対をやめて彼女高卒漫画家をやるのを認めるに至った過程だって描かれていない。

京本家族に至っては登場すらしない。

この漫画一人称の、それも決して性格が良いとは言えない一人の人間の目を通した、主観的漫画という構成になっているでしょ。

ステレオタイプなのはメインの二人以外みんなそう。

それなのに主人公と深く関わりも無い通り魔けがそこから免れるとしたら却って自然でしょ。

2021-07-23

[]京本さんの手記

有名漫画家藤野キョウ」さんと私は小学校同級生でした。


同級生といっても、私はひきこもりで、ずっと部屋で漫画を書いていました。

彼女は学級新聞4コマ漫画を連載していて、私は彼女の大ファンでした。

彼女天才でした。

人気者で陽キャ彼女と、ひきこもり陰キャの私は、小学校卒業式の日に初めて出会い、そして、ふたり漫画を書くことになりました。

ひきこもりから救い出してくれたのは彼女でしたが、彼女は私を離しませんでした。

彼女学校に行っている間も、私は彼女の部屋で漫画を書いていました。

親は心配していましたが、私は絵を描くのは苦痛ではなかったので平気でした。

彼女が、私の絵を褒めてくれる事はなかったし、いつも命令口調だったけれど、ふたり名前から藤野キョウ」のペンネームを作ってくれただけで満足していました。

一年かかった読み切り作品入賞した時、ふたりで大喜びしました。

彼女が言いました。

「連載ができたら、すっごい超作画でやりたい」

彼女は話を作るのは得意でしたが、絵を描くのは面倒で、好きではないと言っていました。

客観的に見ても、作画に関しては、私の方が上手に描けていました。

そんな彼女が「藤野キョウの超作画」を目標に掲げてくれたのが本当にうれしかったです。

それから何本も読み切り作品作りました

彼女が出すアイデアからストーリーを膨らませたり、

作画表現試行錯誤したり、ふたりの共同作業は、楽しい時間でした。

作品の質もどんどん上がっていきました。

でも、連載が決まったとき、私はうれしくありませんでした。

だって、「藤野キョウの超作画」は、まだ完成していなかったから。

しかし、彼女は言いました。

あなたは背景だけだから別のアシスタントでも替わりになる。


藤野キョウ」はふたり名前だと思っていたのに、彼女から見たら私はアシスタントにすぎませんでした。

私は今、美術大学作品を作っています

ようやく満足のできる絵が完成間近です。

私の抜けた藤野キョウの連載作品大人気で単行本11巻も出ています

アニメ化も決まりました。

彼女はやっぱり天才です。



でも、その連載作品はあの頃にふたりが目指した「藤野キョウの超作画」ではありません。

過去の私の絵の模倣レベルです。


ずっと、彼女背中を見ながら絵を描いてきました。

でも、もう彼女背中は見ません。

自分と向き合うようになって、やっと「藤野キョウの超作画」が完成します。

もうひとりの「藤野キョウ」の作品

彼女には、この作品の声が届くはずです。

2021-07-22

まあ、ルックバックで藤野京本の手を引いて街を駆けるシーンはたしかにエノスミがTwitterにあげてた猫になる漫画最後のシーンに似てた

お互いちょっと似てるとこはあるよね

映画っぽい漫画技法というので収斂してるだけかもしれないが

ルックバック』は犯人統合失調症として描いているか

二番煎じ・三番煎じだろうけど書いておく。

結論から言えば、描いていると考えられる。

何故なら、作中のニュース記事等で「薬物中毒による犯行」と明言されていないから。

被害妄想幻覚幻聴統合失調症典型的症状である

と同時に、覚醒剤アンフェタミン系の精神刺激薬)の中毒症状における典型的な症状でもある。

発生メカニズム的にこの両者の症状はかなり近い(Wikipediaで「ほぼ同じ」と書かれているくらい https://ja.m.wikipedia.org/wiki/覚醒剤)ので、単純な症状の描写だけでは両者が区別できないのは当然と言える。

ところで、作中の犯人の男は明らかに理不尽に命を奪う」というイベントの引き金的に描かれている。

用意された悪役というか、憎まれるための舞台装置に近いポジションである

であれば、メカニズム的にも矛盾はないので、ヤク中だったとするのが最も角は立たない。

「ヤクやるような奴だから人を殺すのだ」は一般的に受け入れやすストーリーで、犯人が薬物中毒だったとしたら新聞記事ニュースでそこに言及がないのはほぼあり得ない。「薬物中毒者〇人殺人事件」という事件名がついたケースすらある。

逆に言えば、そういった描写をしないことで、明らかに作中では「精神を病んだ患者犯行」の可能性を匂わせている。

「いわゆる『頭のおかしい奴』との断絶」を強烈なかたちで描くことで、犯行現場へ駆けつけて京本を救うヒーローとしての「ありえたかもしれない藤野」のカタルシスを描いている。

「僕はきれいな部分とか、優しいものを描くなら残酷な部分を描かないといけないと思っていて。そのほうが優しい部分に触れたときに、映えるじゃないですか」と語る藤本氏がいかにも好みそうな「残酷な部分」の象徴として、精神疾患の犯人を描いているのである

これがヤク中の犯人では「残酷な部分」にはならない。ヤク中では掘り下げて描写しないと「クソ迷惑阿呆がヤクやって人を殺す」という、「避けられたであろう理不尽さ」が拭えない。

精神病はそうじゃない。ヤクはヤク打ちたくて打って転げ落ちるイメージがあるが、統合失調症患者はなりたくてなるようなもんじゃない。

なりたくてなったわけじゃないのに「そう」なって人を殺してしまう、というのは残酷な話だ。

からアクセントに使われた。

そう読む読み手がいるのは自然な話であり、精神病の当事者から抗議が行くのも自然な話だ。

普通に精神病への偏見助長するような、配慮の足らない描写であるからだ。

個人的にはかわいそうなやつだ、と思う。『ルックバック』の犯人の話である

ヤクか病かは知らないが、登場時点で明らかに被害妄想に苦しめられている。

正史というか京本ヒッキー世界線では、この後人を殺すという大罪を犯してしまい、世間からクソボッコにされるのだ。

ただでさえ日常意味もなく四面楚歌なのに、一線超えてしまったせいで本当に世界の敵になってしまうのだ。かわいそうに。

かわいそうと言えば藤野もかわいそうだ。「京本を部屋からさなければ死ぬことはなかった」が完全に正となってしまった。部屋からさなくてもいずれ漫画家とアシとして組めたというウルトラハッピー世界線描写が逆に後味悪い。あれを藤野が直接認識することがないのは救いだ。あんなん見てもうたら残りの人生ずっと「京本を部屋からさなければ良かった」に呪われて、再び歩き出せるようになるまでにえらい時間を食ったことだろう。

なお、『ルックバック』が京アニ放火殺人事件モデルにしているという言及があるが、京アニ犯人精神疾患があり過去に投薬治療も受けている。

京アニ犯人犯行当時責任能力があった」という言を以って『ルックバック』を擁護する向きがあるようだが、擁護になっていない雑な話と言わざるを得ない。

https://anond.hatelabo.jp/20210721205442

ルックバックに「正解」はあるんじゃないかな。

いろいろな読み方ができるのはい作品だ派なので、特に推す気はないけれど。

普通に読めば、後半のあれは藤野妄想でしょ。

追記:あの場面以外は、はっきり藤野経験にあることしか書いてない徹底的に1人称?の漫画。とするとあの場面も…)

葬式の後に藤野の部屋に行ったとき、ふと、自分が書いて、京本を脱引きこもりさせた漫画を見つけて

こんなものを書かなければ、京本を脱引きこもりさせなければ京本は助かったかもと思った件。

でも、例えそうであったとしても、自分の知っている京本なら、結局美大に進学しただろう。

それを助けられるとしたら、自分空手修行を続けていればいけるんじゃないかと。

藤野ちょっと美化されているのはご愛敬

画面は京本けが解像度が高くて、犯人輪郭すらあやふやで。

犯人言動は、作中週刊誌の紙面から適当構成されたもので。

自分編集だったら犯人セリフは空白にすることを提案たかも)

そして、今も京本はこの部屋で漫画を描いていたかもしれない。

益体もない妄想

益体もない妄想であることは死んだ目で座り込んでる藤野もわかっていて。

ただそこで、そよ風のいたずらで、生前京本が書いていた4コマ漫画が舞い込んでくる。窓あけっぱだよ。

それが藤野妄想クリティカルヒット

よくある「すごい偶然で〇〇したのは、天国の△△が背中を押してくれたのかなって」ていう偶然物語

そして背中を押された藤本チェーンソーマンの続きを書く気になったと。

余談だけど、作中に沙村藤本対談で藤本氏が語った内容がそのまま出てたりするんだけど

対談中で藤本氏は美大時代のことを

>周りに上手い人が何人かいたので、「四年間でこいつらより上手くならなければ、俺はもうこいつらを殺す」って覚悟で、絵が上手いまま野放しにしてたまるかって思って描いていました。

と語っていて、この対談は京アニ事件の前の話なんだけど、藤本氏は犯人の中にも自分投影したんじゃないかと思うのは自分妄想

2021-07-21

表現には正しい解釈と間違った解釈があるだろ?

muchonov 大枠の主張は同意できるけど、解釈感想多様性を認めつつ「作品京アニ事件関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ」と突然正誤の裁定・採点者になっちゃうのはなぜだ

なぜって、正誤はあるからだよ。

あらゆる作品のあらゆる解釈が正しいとすると、そもそも文章漫画による表現自体意味を持たないだろ。

解釈にある程度の揺らぎがあるのは事実だが、切り捨てられる解釈はあるだろ。あるだろ?「京本を殺したのは実は作中に登場しなかった藤野の兄だ」とか、あり得るかもしれないが「ない」だろ。いやあんのかな。あんのかもしれないね

俺には明らかに間違った解釈に思えるものが、はてなでは正しい解釈であるなら、間違ってるのは俺の方だ。

おはよう」を夜の挨拶だと思うのも正しい解釈だし、「障害者うんこ食わせた」はバレンタインチョコレートをあげたことの比喩解釈するのが正しいか小山田が受けた裁きは不当だよな。

本来は多様な解釈が認めれるはずの文章解釈に正解を求める国語みたいな教科は滅んだほうがいい。国語辞典は、言葉意味自由解釈を奪う最低の本だからやすべきだ。

 

この文章うちの猫キーボードを叩いて生成した意味を持たない文字列だ。ちなみに猫というのはお前らが思っている猫じゃなくて、俺が火星から連れてきた宇宙生物可能性があるからな。

京本がもうひとりのタツだって未だに認めない層はなんなの?

京本藤野の両方の道を選べた時期が確かにあったけど藤野として生きることを選んだタツキによる、もしかしたらアソコに居たかも知れないしもうひとりの自分である京本との別れの物語だろ。

なんで露骨京本藤野藤本タツキになることが分かりきっているのに、それを認めないんだ?

kuzumimizuku 「正解」というと「ひとつだけ」「それ以外は間違い」感も出てしまうけど、ルックバックが受け手によって様々な正解がある作品であることは既に話題性から明らかで、正解がひとつなら万人には刺さらないとは思う。

ちょっとだけ疑問に思ったので。

正解がある話の場合基本的に作者の神経が行き渡っていて、それを読ませる伏線と読者の文脈一般的国語能力があれば誰でも答えにたどり着けると考えている。さらに言えば作中に正解があるからこそ一定の答えにたどり着けもする。

この人が言うところの万人受けについて考えてみたいが、いわゆる一つの要素につき多義解釈可能からルックバックは正解の多様性を生んだと考えているのだろうか? はたまた、クエスチョンがいくつも用意されていて平たく面として序列的に解析可能と考えるだろうか? いずれでも実は正しく、そしてもしかすれば間違っているように思えてならない。

第一に、ルックバックは一つのシチュエーションから多義解釈可能で、例えば殺人事件一つとっても藤野心証をただ単に害した事件という表層的なもののみかたから、藤野の旅立ちの一歩への断絶とも読めるし、京本との断絶から藤野未来マンガへとつながったという一つのシュチュエーションにも読める。そして、京都アニメーション放火事件ともかけてある。平行世界の二人が橋渡しされて、今に帰ると読んでいる人もいる。少なくともこのどれもが作者の意図範疇内にあるように個人的には感じている。したがって一要素が多義であるがゆえに万人受けする作品である、という言い方は正しい。一方でこうした出来事網羅的に表記して見比べることで全体像を浮き彫りにすることも可能で、それぞれの要素をすべてカバーしているから万人に受けたと言いかえることもできる。例えば先程の皮相的な悲しみがそれに当たるし、単純に京本藤野ライバル作家メタといった、表面上のわかりやすいところだけをさらう層にも刺さったという見方可能だ。この作り方は宮崎駿で言うところのポニョ千と千尋に等しい。表面的なところだけ見てもファンタジック作品として通用するが、反面深堀りすればいくらでも見えてくる、という重層的な作品ととなっている。この重層的という一言を前述では「多義」と「箇条書き・ベタ面」として表現した。

箇条書きにできる能力があれば多義性も特定できるし、表層面も見ることができる。そしてそれは紛れもない「正解」だ。分解すれば誰にでもわかる二面の正解が用意されているがゆえに、物語には正解がある、という立場を取りたい。

ルックバックに「正解」はあるのか?

正解はあるよ派

タツキに決める権利があるよ」

多数派正義だよ」

批評家が決めるよ」

IQが110以上ある人たちにとっては答えなんてそもそも1つしかないよ」

物語テーマが最も濃厚に伝わるにはどうすればいいか考えれば分かるよ」

「もしも妄想じゃなかったと言うなら4コマの貼ってある窓が映る漫画的な意味がないよ」

「もしも平行世界じゃなかったと言うならふさぎ込んでたやつがいあんなふざけた4コマを描いたんだよ」

京本存在しないよ」

存在しなかったのは藤野の方だよ」

「起こった悲劇は変えられないよ」

作品リアリティが突然下がることはないよ」

「都合が良すぎると疑問に思わない人はメンタルを病んでるよ」

エロゲをやりすぎてるから漫画普通に読めなくなるんだよ」

「正解がないと延々と不毛な議論が続くから正解があるべきだよ」

「正解がないと考察した俺が馬鹿みたいだから正解があるべきだよ」

正解はないよ派

タツキにさえ決める権利はないよ」

物語感想考察は読者の所有物だよ」

多数派が選んだのが正解の不在だよ」

「正解がないことが正解だよ」

漫画クイズじゃないよ」

「劇中の描写だけで一つに絞るのは不可能だよ」

タツキが答えを一つだと言っても出された作品がそうじゃないならそうじゃないよ」

物語意味必須だと思う人は現代アートとか大嫌いだろうね」

創作意味必須だと思う人は現代アートとか大好きだろうね」

可能性のゆらぎを描写している作品に一つの解があると思うのが間違いだよ」

「正解があると延々と話し合えないから正解はないべきだよ」

「正解があると他の考察してたら俺が馬鹿みたいだから正解がないべきだよ」

愛だよ派

「とにかく愛の力だよ」

「愛は平行世界を超えるよ」

「愛は現実を超えるよ」

LGBTだよ」

友情だよ」

京本の一生洗ってないちゃんちゃんこはい匂いがしそう」

「間に挟まりて~~~」

統合失調症差別だよ派

病気の人をだすのはよくないよ」

「俺は傷ついたよ」

唐突すぎるよ」

地震で殺したら災害に絡められるから安易殺人鬼を出したのが逃げだよ」

「完全にあの事件モチーフだよ」

「異常者が起こした事件をダシにしてステレオタイプみたいに扱うなよ」

「俺がでてたよ」

百合の間に挟まれた~~~」

なんでこんな流れになってるの派

普通に楽しめばいいよ」

「正解があってもなくても名作だよ」

キャラ可愛いよ」

「背景が綺麗だよ」

マウントの道具に使ってるやつが多くてウンザリだよ」

「お前ら漫画読むの下手すぎるよ」

話題になりすぎだよ派

「正直大したこと無いよ」

京アニ事件と絡めて無ければ凡作だよ」

「あの映画パクリだよアレアレ

「俺が描いてた作品パクリだよ」

「この程度で騒げるやつが羨ましいよ」

所詮漫画だよ」

「俺はつまらなかったよ」

「こんなのより俺の作品もっと評価されるべきだよ」

作品は描いてないけど俺がもっと評価されるべきだよ」

ルックバックって統合失調症批判してなくね

そもそも藤野犯人悪者とは言っていないし、京本が死んだのは自分責任だと思っている。

そして、実際に復讐するのではなく、空想世界事件を予防(≠復讐)するだけ。

そもそも蹴りを入れたのも統合失調症患者を悪としているわけではなく、自分京本美大入学させた責任を果たすにはどうすべきか考えた結果。(懲悪ではない)

藤野犯人の素性を知らないので、犯人人生をどうにかする、という解決法はなく、藤野個人で考えられる予防方法としては直前の蹴りしかない。

正直そこまで統合失調症患者批判する文脈が無かった気がする。交通事故と同じ扱い。

普通に統失もっとやばい奴として扱っている作品はたくさんあるし、京アニ事件報道の方がよほど統合失調症患者を悪として扱ってたと思う。

その京アニ事件引用しているのが悪いと言われたらその通りだが、ルックバックの主題はどう京アニ事件を乗り越えるかってところにあったと思うから仕方ない。

その乗り越え方としても、統合失調症を悪とする方法勧善懲悪ではなく、あり得た世界でも京本漫画を描き続けて欲しいと言われたから、と非常に前向き。

ルックバック自体統合失調症ヘイトを加速させる要素は無く、あくま京アニ事件という事実引用しただけに過ぎないと思う。

anond:20210719195613

[]ルックバックの本当のネタバレ犯人タツ

マンガが得意な小4女子藤野

ひきこもり京本マンガの絵が自分より上手なのにショックを受けるが、そこから本格的に絵の勉強を始める。

努力をして画力も上がるが、小6の途中で京本との才能の差を感じて筆を折る。

先生卒業証書を渡してくるように頼まれ藤野

この先生のやる気のなさから京本不登校の原因はいじめで、それを放置する学校姿勢が透けて見える。

京本から藤野マンガ作品へのリスペクトを熱く語られる。

自分より上だと思っていた相手からの意外な言葉有頂天になる藤野

ここで藤野漫画の賞をとる話を考えていると嘘をついて京本を騙し、支配関係を作る。

自分学校に行っている間に、京本作画をさせて読み切り作品作成。共同名義で漫画の賞に当選読み切りも7本掲載。連載も決まる。

しかし、京本藤野に「無理 ぜったいムリ!」と反対されながらも藤野から離れて美大へ進学。

その後、京本学校事件に巻き込まれる。

藤野事件の後で思い出すエピソード

「だからもしさ もしウチら漫画を連載できたらさ すっごい超作画でやりたいよね」

中略

「じゃあ私ももっと絵をウマくなるね!藤野ちゃんみたいに!」

京本藤野よりも作画が劣っていると思い込んでいる。

「おー 京本も私の背中みて成長するんだなー」

と強がる藤野

一旦はあきらめた漫画を、入賞することができたのは、

京本読み手として、藤野の良い所を引き出す力があってこそ。

そして圧倒的な画力

京本がいなければ漫画家で成功することはなかった。

藤野自身が一番知っている。

しかし、編集者にも京本にも「京本は背景だけ」と話す藤野

別れる時も京本の才能、人格を認めずに支配関係を崩そうとしなかった。

いままでは自分支配していたが、離れてしまっては、京野は自分の才能に気がつき、利用されていたことを知る時が来る。

藤野犯人キックで倒すハッピーエンドでも藤野京本

最近また描き始めたよ!連載できたらアシスタントになってね!」

京本を再度、支配下に置こうとする。

ここでの犯人の言説に注目したい。

犯行動機は、京都アニメーション事件のように、自分作品盗作されたと盲信、というのとは少し違う。

男は

大学内に飾られている絵画から自分罵倒する声が聞こえた」

と話す。

男が犯行の時の台詞

「ちげーよ!!俺のだろ!?元々オレのをパクったんだっただろ!?ほらな!!お前じゃんやっぱなあ!?」

男の聞いた罵倒する言葉

「お前の作品はパクりだ」

という内容であったろう。

作品盗作していると批判されるのは、無名人間に向けられるものではない、作品が世に出ている人に対してである

では男は誰か?

成功した作家

そこには藤本タツキ自身の姿が現れる。

天才と称される藤本タツキの苦悩。

作品の中での人殺しは止まらない。

anond:20210722115509 タグ追加

ルックバックは別に創作賛歌ではないのでは

京本が死んでひたすら悲しい、その悲しみを消化しきれていない、ラスト以降藤野は悲しみから立ち直れるかわからない、強い喪失感が描かれている、という風に読める。というか私はそうとしか読めなかった(ただ後述するように、創作賛歌とも読めるのでタイトルは言い過ぎなんだが)。よくできたマンガだとは思うけど、これを読んで心を折られたりやる気をだしたりするのは違和感が強い。人生を共にした友は理不尽に失われたけど主人公は立ち直って自分の好きなマンガ描いていくんだ!とだけ読むのはポジティブシンキング過ぎるんだよな。

そもそも作者は私の読みも可能なように描いているとは思うが、強いてその根拠を挙げるなら、

1.京本の部屋で泣いて以降藤野の表情は描かれていない(ので、ラストでもどんな顔で机に向かっているかからない。漫画を描けているかすら不明)。

2.ラストコマ藤野のうなだれ方が他の同じ構図のコマと比べて大きい。悲しみに沈んでいるように見える

3.ラストコマは同じ構図の最も近いページのコマに比べて大して景色が変化していない(なので、事件後の藤野未来が描かかれていない)

といったところ。

作者は創作賛歌とも読めるようにこのマンガを描いている(例えば、2.はより深くマンガに集中しているともとれるし、3.は明確にどれくらい時間がたったか描写されていないので、立ち直ってしばらくたった後、ともとれる。1.は立ち直ってマンガ描きの日常に戻ったことを意味している、ととることは可能)というのはわかるんだが。まあ、解釈の幅を残すように描いているとは言えるだろう。悲しみを乗り越えて生きていくんだ!よりも悲しみとともに生きていくしかないんだ、人生は決定的に変わってしまったんだ、の方が私は好みなんだよ。

2021-07-20

キチガイだと思ったらキチガイだったときどうすればいい?

[B! 創作] 『ルックバック』で並行世界とか言ってるのはアホです - esbee's diary

これを読んだ僕は

「うわーやべー!キチガイだ!念の為ブコメ確認してキチガイだったら非表示にしなきゃ!」

と慌てて彼のブコメページへと飛んだ。

まず注目したのが彼の自分ブログへのセルクマである

esbee 2021/07/20

書きました。タイトルの通りです。『ルックバック』で安易に「並行世界」とか言ってる人はあほなので、無視しましょう/さっそくあほが見つかったな…… 藤本タツキ 創作 マンガ sf セルクマ

おお……自慢気にセルクマ。そして「俺と違う意見のやつはアホ」を釣りではなく本気でいっている証拠追記まで……。

ショッキングだ。

釣りなら良かったがどうやら本当にキチガイらしい。

その前後ルックバックの感想に対するコメントが続く。

やたらと上から目線である

ちなみにコイツルックバック自体へのブコメがこれ

esbee 2021/07/19

チェンソーマンアニメ発表会の質疑応答で、「タツキは絶対ニートになるからどうするか」を家族が話し合っていて凹んだというエピソードを思い出してフフっとなった マンガ 人生 創作

これだけで性格と頭の悪さが伝わってくる。

ダニングクルーガー効果の好例であることはもはや疑いようもないだろう。

「俺、藤本タツキめっちゃ詳しいぜ?」マウントが実に気持ち悪い。

駄目なオタク典型である

まだ中学生であることを願うばかりだ。

これで30を超えていたらもはや人格全てが再起不能というほかない。

そして、遂に恐ろしいブコメが見つかる。

彼のクソブログ記事についたコメントへの返答ブクマである

ブクマで返答という文化IDコールじみていてとても気味が悪い。

コイツ自身ツルハシを持って暴れ出さないか不安すぎる……。

まあそれは置いといて。

並行世界によって作中の現実や我々の現実が変化するなどの影響を受けていない”救われた世界4コマが返ってきたでしょ。藤野京本の思いが引き寄せた4コマでそれぞれの世界と繋いだって読むと楽しい"

に対して

esbee 2021/07/20

あー確かに!すいません、そこは思いこんでました。死んだ京本事件の前に偶然描いた四コマかもしれないですけど、はっきり描写してないですね。並行世界にもとれる風にしている。さすがタツ先生は巧いな

オー……ノー……だズラ……。

散々「平行世界というやつはあほ!おっ!あほが見つかった!またアホだ!」と騒いでおきながら突然の手のひら返しである

というかこの発想がまったくなかったのに平行世界否定したというのが凄い。

それは単に「他の人は3つぐらい仮説を持ったうえで作品に挑んでいたので色々言っていたが、自分けが1つしか仮説を思いつかないまま得意げにそれを絶対視していた」という自白しかない。

それでもまだ自慢気に語っている。

ダニングクルーガー効果が凄い。

いやむしろ、こういう状況を一言で表せるダニングクルーガー効果という概念が凄いのだろう。

凄い。

小山田ですら顔を赤らめて自分ブログを消しにかかるようなシチュエーションながら、彼は「またあほが見つかったぞ」の追記さえいまだ消していない。

どうやら脳みそが30年ほど時代に追いつけていないようだ。

こんな哀れな男が見れるのははてなブックマークだけ!

こういうアホが見れるのが魅力なのだから非表示にするのは勿体ないな!

とういわけで私の非表示数は未だゼロである

非表示チュートリアルと称される例のキチガイ達も未だに表示しっぱなしだ。

健康には良くないと思う。

追記 統合失調症という舞台装置

masakinihirota まず最初に薬物や他も疑うでしょ、そもそも医者最初にこれだと決めつけはしない、あらゆる可能性を考える、この人はもう最初から総合失調症だと決めつけている、これがプロ素人の差。

他も疑うことと統合失調症を疑うことは背反しないんだが。まあ、お前は犯人は薬中だと思うわけね。

医学的な精神鑑定の話ではなく、作中でどう描かれているのかという話なんだけどわかる?漫画が載ってるのは精神鑑定教科書じゃなくてジャンプ+だからな?作者も読者も素人であるという前提の上で、作中で犯人がどういう意図をもって描かれているか?って話よ?

nanamino 京アニ事件犯人精神鑑定の結果完全責任能力が認められてるんでしょ。統合失調症に対する偏見を持っているのは増田の方だよ。

京アニ事件の班員の精神鑑定結果がどうであれ、被害妄想統合失調症典型的症状なのは科学統計的事実だ。作中の犯人について統合失調症として描かれていると考察するのが偏見なら、医者が青葉の統合失調症を疑うのも偏見か?

misomico 統合失調症に対する世間イメージ実態乖離がある。精神疾患への興味がなく、理解解像度が低いためにいつまでもステレオタイプな疾患像から離れない。

ステレオタイプな疾患像もまた事実で(現に「如何にも」な患者はいるわけで)、その共有は一応進歩と認めてよいと思う。ただ、ステレオタイプイメージが先行すると、早期発見早期治療の妨げになる懸念はあるね。

JackP そもそもルックバックに描かれている通り魔京アニ犯人像とかけ離れてるのに、どうして京アニ犯人と結び付けられているのかが謎。犯人のおかれている状況、動機も実行方法も違うでしょ……

hedgehogx あの犯人創作者の誰もが持っている闇の具現化であって、そこに病名を結びつけようとするのが違和感作品内で開示されてる情報は「住所不定」「男性」のみなのだからむしろホームレス男性が危ないことになる

そうだね。

camellow 純粋事故ではなくかつ理不尽な殺され方描くためにヤク中が銃を乱射しても「ヤク中がみんな乱射するわけではない。更生してる人もいるのに偏見だ」とか言うのかな。どう描けば納得できたのだろう。

勘違いしているようだから言っておくが、描き方について何も不満は持っていない。ただ不満を持つ人がいるのは当然のことだと思うと述べたまでだ。

siglite ブコメを読んで、薬物による幻覚症状というのは確かにあり得るなあと。だとすると「被害妄想精神疾患」という偏見を強化してるのはいったい誰なんでしょうね…。

被害妄想精神疾患と結び付けているのはアメリカ精神医学会という悪の組織。奴らは日常生活に支障をきたすレベルの強い被害妄想病気ととらえ、治療しようとうする。患者を薬漬けにして金を稼ぐために違いない。ちなみに、奴らは薬物中毒精神疾患扱いしている。これが何を意味しているのか・・・

とでも書けばいいの?無知で心の底から精神疾患差別してなきゃこういうコメントは書けない。強い妄想精神疾患と関連付けるのは、高熱をインフルエンザと関連付けるのと同じことなんだが。ほんと腹が立つぐらいバカ

 

俺の主張は

不快に思う人もいるだろう。

という点だけ。俺自身不快に思っていない。不快に思ったっていいし、作品不快に思われたっていいだろ。万人受けするものなんかないんだから

どうしてそんなにも「不快に思う人もいる」ことを認めたくないんだよ?

①作中の犯人はいかに統合失調症っぽいってのは、統合失調症を知ってれば誰でもわかることだろ。②京アニ犯人統合失調症を疑われていたのも周知の事実だろ。③作者だってそれぐらい意識して書いてるだろ。④で、作者が統合失調症にまったく寄り添って描いていないのも事実だ。

それで嫌な気持になる人がいるのは理解できる。作者や作品が悪いといってるわけじゃない。理解できると述べているんだ。どうしてたか漫画に違う感想を持つ奴に、そうも無理解を突きつけなきゃならないんだか。

解釈の仕方はそれぞれで、感想もそれぞれだ。

でも作品京アニ事件関係ないといってみたり、薬物中毒かもしれないといってみるのは間違いなんだよ。わかるか?国語テストと同じだ。

日本語の読めない奴に、日本語でそれを説明できる気がしないから、はてなー理解の欠如に無力感しかない、残念だ・・・

どうすれば話が通じるようになるんだ?教えてほしい。主張を最低限にとどめ、事実と俺の考えは切り分け、簡潔にわかやすく書いたつもりだったんだが・・・。どうすればはてなーに通じる文章になるんだ・・・ホッテントリ入りするたびに悩まされる。

 

本文

幻覚と強い被害妄想ときたら、医者はまず統合失調症を疑う。京本を殺した犯人が作中で統合失調症として描かれていたことはほぼ間違いがないだろう。たとえ統合失調症でなかったとしても、絵から声が聞こえると言うのが精神疾患であることは確かだ。

anond:20210719195613 の言う通り、フィクション差別助長することはあり得る。その可能性を差し置いて、なぜ、犯人統合失調症でなければならなかったのか?

それは統合失調症による殺人が、想定外・突然で、理不尽事故であるからだ。殺人統合失調症によって引き起こされたものであり、犯人によるものではない。事故のようなものである

から主人公親友が殺されたのにも関わらず、憎しみを抱かない。物語テーマは「描くことで前を向く」というものであり、犯人への憎しみは、短い読み切り作品にとって邪魔しかない。

統合失調症は便利な舞台装置だったのだ。

また、犯人統合失調症であることは、物語京アニ事件テーマにしていることも示している。

 

統合失調症患者による殺人は、健常者のそれよりもずっとずっと少ない。しかし、京アニ事件世間の「精神異常者は人を殺す」というスティグマを強化した。そして、ルックバック作者は、京アニ事件に似た事件を作中で起こすことで、僅かかもしれないが確実に、再びスティグマを強めた。

もし、作者にとっての京本のような人物、つまり親友統合失調症当事者であったのならば、彼は統合失調症を単なる装置として利用したりはしなかったろう。

現実には、作者にとって統合失調症は青葉の象徴しかなく、作中で救済する必要も、現実での差別を憂慮して単なる災害差し替える必要もなかった。

他の多くの人同様、作者にとって統合失調症はその程度のものである作品は伝えているのである

不快に思う人もいるだろう。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん