はてなキーワード: 梶浦由記とは
「死んだらどうなるんだろう」みたいなところがよかった
時代を無視して比較すれば、SAOも類似してるんだけど、キリトが強すぎるためホラーにはならなかった
どちらかというとデスゲームに近いよね
ゲームに閉じ込められるんだけど、そのお陰で「ずっとそこにいる存在」として他人の支えになるっていうのも良かった
あと真下耕一監督+梶浦由記音楽っていう、あのBGMの主張が激しい感じ賛否あるけど俺は好きだった
展開と展開の間を同じ音楽でつないで、盛り上がりどころをあわせる感じ?ああいうの今でも滅多にないんだよね
脳汁が出る
最後の「突然ログアウトできなくなる」みたいなのもよかったなー
鬼滅もるろ剣もジャンプアニメでかつソニー(アニプレックス、るろ剣放映当時はSPE・ビジュアルワークス)が制作に関わっているという点で、実は似たような系譜にあるアニメ作品なのよね。
それはさておき、当時(あるいは今も?)のアニメタイアップ枠(の特にOP曲)というのは「レコード会社系列の制作が入ったアニメでタイアップできるらしいからとにかく作って」という雑な発注でアーティストサイドに話が来るケース(「そばかす」はその典型例)や、既に制作済みの楽曲を当て込むことが結構な割合であり、いざ曲が上がってくると世界観もクソもなく、OPを作る班が試行錯誤してなんとか形にするというケースが多発していたように思われる。
その違和感が逆に良い評判になるパターン(ソニーではないがマサルさんのOPなんかがその好例)もあるし、「曲は良いけど、うーん…」となるパターンもあり、「そばかす」はどちらかというと後者なのでは?というお話。
これは「そのアニメがどういう座組で作られたか?」というのも大きく関係していて、旧るろ剣はゴールデンタイムのアニメ枠で放映されたこともあり、そのへんの大人の事情がOPの選曲に大きく絡んでいることがその人選からもなんとなく推測できる。
なので、2期(無限列車編)以降の鬼滅の主題歌が1期に比べてマッチング度合いが下がったのでは?と感じる気持ちも多分そういう事情(ヒント:2期以降はフジテレビ系列フルネット)から来ているのではないだろうか。
(個人的にはマンウィズが作った3期のOP曲も割とその世界観に配慮されているし、ED曲は一貫して梶浦由記が作ってるので、まあいいんじゃね?という気持ち)
最初に言っておくけど俺は音楽的センス0で音楽は完全に「情報を食う派」だからな。
以下目次。順番は思いついた順なので特に意味はない。食える情報の系統が違いすぎて順位はつけられねえや。
・硝子ドール
・アカシア
・Constan Moderato
・群青
・CROSSING
・夏の記憶
・Gの閃光
・硝子ドール
データカードダス・アニメ『アイカツ!』より藤堂ユリカ様(ヴァンパイア設定アイドル)の持ち歌。女児向けでまさかのプログレッシブメタルを!更にはピロピロギターソロを完備。個人的に特筆すべきは「永遠の時を生きる吸血鬼少女」という設定から産まれた『超・少女趣味・耽美的・モラトリアム語り』な歌詞である。「ビロードの重い空」、「鍵が壊れた鳥籠」、「自分だけに見える鎖」などなどの歌詞によって浮かび上がる永遠の暗闇の中に自ら引き籠もりその悲観的な世界に酔いしれる姿。それを「いつまでも少年時代のトラウマに引き込もったまま人間関係を構築しなくて良い趣味やフィクションの世界に籠もり続ける」オタクが勝手に自分に重ねてガン刺さりである。人目を恐れて締め切った暗い部屋の中で人生に絶望しながら聴きたい曲。
・アカシア
ポケモンのMV『GOTCHA!』テーマソング。MVを見ればそこにはポケモンの20年分の歩みが。目を閉じればBUMP OF CHICKENの25年の歩みが。
バンドってのはときに「メンバーAがメンバーBに音楽をやらせ続けるために存在し続けている」なんて表現されることがあるが、BUMPもそういうタイプのバンドだと思ってる。最高の仲間と出会い仲間を輝かせる中で自分も輝く道がある。ウッチャンとナッチャン、ピカチュウとサトシ、オタクとオタク趣味。まあ俺みたいな消費オンリーオタクは一方的に貰うだけでは誰かに何かを与えたことはないが、心の中で出しもしないラブレターはいくらでも綴ってきたから輝きを見出してきた回数じゃ負けてねえぜって気持ちで聞いてるぜ。
歌:fripSide
TVアニメ『とある科学の超電磁砲S』の後期OP。でももっとずっと重要なのはfripSideが小室哲哉の作曲した歌を歌ってるってこと!オタクソングの中には一定割合でコレもろに小室の影響を受けているなって曲が存在する。I'Veが一時期量産したエロゲソングに代表されるように!それが、今、遂に、交差する!伝説との共闘。始祖との共演。夢のクロスオーバー。内容それ自体よりなんかもうそこが凄い!fripsideのクロスオーバーだと『escape -crossroads version-』という白詰草話(大槍葦人のガンスリンガーガールっぽいやつ)のOP(元はresetの曲)をfripsideが歌ったバージョンが個人的には激推しなんだが、だが、eternal realityは……小室とのクロスオーバーは圧倒的すぎる……俺たちがずっと心のなかで思ったことが具現化してんだぞ……。
歌:堀江由衣
アニメ版『シスター・プリンセス』のOP。ある日突然12人の妹ができることで知られるあのシスプリを代表する曲。「lovelovelove」に「アイアイアイ」とルビをふる歌詞は一度見聞きすれば忘れられない。内容自体は「ほ、ほーっ、ホアアーッ!! ホアーッ!!」で長年愛される堀江由衣が歌うバリバリの純愛ソング。とにかくシスプリは凄かった。いま流行りのラブライブと設定を考えたのが同じ人(公野櫻子)だと言えば、その凄さの片鱗が少しは想像できるかも?一時期インターネットの個人日記でどこもRO(ラグナロクオンライン)とシスプリの話をしてる時代が確かにあったんだ。KANONかROかシスプリの話を皆してたんだ。最近だとシスプリのキャラが20周年を記念してVtuberをやっていてまたちょっと話題になった。そのVのバーチャルライブの最中でこの曲のイントロが流れた時、どこからか「きょええ~~~~~~」という叫びが聞こえた。その時「わかる。」と思ったもんよ。だって本当に心拍数が凄い上がって、まるで初恋の人に夢で再開したみたいになって、さすがは運命の恋を歌う超名曲だなって。美化された思い出の完成形なんだよ。
歌:KOTOKO
OVA『マリア様がみてる』ED。オタク的にマーティと言えばももクロかコレ!本当にきれいな旋律なんだなコレが。その綺麗さがマリみてのイメージと最高に噛み合って神々しい清涼感がある。聞いている間だけはどんな汚いオタクも静謐な気持ちになってしまうのだ。この曲を聞いてるときに必要な語彙力は「きれい」の3文字だけで十分だ。
oblivious
歌:Kalafina
劇場版『空の境界』第1章OP。あの頃の日本に漂ういよいよ駄目なのではという閉塞感、自分の価値を高めて生き残るしか無いという焦燥感、そうはいっても俺には無理だろという絶望感、そこから逃げるために広がる妄想膨らむ悲観の非現実感。そういったロクでもないものが心のなかで混ざり合ううちに、都会の暗黒へと魂が霧散していくような浮遊感。青く光る闇が広がりがちなビジュアルイメージとの噛み合いが最高だぜ。梶浦由記は名曲まみれな中でコゼットの肖像から始まり.hackやまどマギやら脳内で次々トーナメントで戦わせていった結果最後にはコレが残った。研ぎ澄ましてもしょうがないオタクのペラペラな感受性が尖らされた挙げ句にセンサーが無限の虚無の中に落ちていく感じが好き。
作曲:mozell
フリーゲーム『遺跡島と7つのまほう』等で使われているフリー楽曲。数多くのアレンジが存在し、その中でも『バンバード ~Piano Version~』が特に有名。ノリノリでテンポのいい民族風の音が非常に軽快で楽しい。とにかく「音」が「楽」しい。うわーい「音楽」だ―。鼓膜に気持ちの良い周波数が次々叩き込まれて脳が快感に揺られる気持ちを味わいたい欲求を満たす能力が非常に高い。
Constan Moderato
作曲:ミツキヨ
スマホゲーム『ブルーアーカイブ』タイトルBGM。タイトル画面にふさわしい柔らかさをベースとして軽快にピッコピッコと音を叩いていくエレクトロな曲調に妙な安心感がある。これは……GBCとかGBAのゲームでありがちだったアノ感じや……なんちゅうもんを食わせてくれたんや……。強めの味付けでスパイス聴かせて音を立たせていくレトロさは健在。そこにGB時代と比べ物にならないスマホゲーの豊富な容量が実現する当時にはなかった柔らかさを追加。古臭さは感じさせずに圧倒的に懐かしい全方面にあったっけえ音。これぞまさに実家のような安心感。デジタルの羊水よ。
アーケードゲーム(家庭用もあるけど)『電脳戦機バーチャロン』の主人公ステージBGM。知ってる人なら一発で分るレベルの自己主張抜群のイントロを聞けば魂が当時のゲーセンへと帰っていく。対人ゲーというストレス憎しみ発生装置から産まれたとは思えない爽やかさと前向きさ。それでいてピリピリきてる神経とのくっつきの良さ。いつしか意識は画面の中へとシンクロし機体と痛覚がリンクするのだ「痛っ」「食らったのお前じゃないだろ」
群青
歌:YOASOBI
ブルボン『アルフォート』のCMソングらしいが、オタクからすると漫画『ブルーピリオド』イメージソング。八虎の「好き」が受け入れられた感覚を手拍子やコーラスで表現する発想が天才すぎる。コーラスパートの明るさによって今度は1人で歌っている時の孤独さが加速する。芸術というコミュニケーションを通して不安を抱えながら恐る恐る胸襟を開く怖さ、伝わることの喜び、ブルーピリオドの世界観がよく表現されてるぜ。そんな姿に漫画家と音楽家の間でもグッドコミュニケーション成立してるなと俯瞰視点で古参面だ。ブルーピリオドが本当に面白いって皆が知ってくれて俺も鼻が高いよ。
CROSSING
作曲:Funczion
歌:Marica
18禁ノベルゲーム『CROSS†CHANNEL』ED。「絶望でよかった」から始まる歌詞が自己や社会への失望感を語りながらも、それでも結局は人と関わる道を選ぶことを歌う。聞き手の社会不適合度が高いほどに何度も何度も頷いてしまう。同じように社会への不適合を嘆く歌詞の歌は世の中に数あれど多くはメタルなオッサンがヘドバンしながら聞き手を責めるがこちらはゆったりとその懺悔を復唱するかのように歌ってくれるので非常にメンタルにいい。社会が怖くて仕方ない夜でも何度も聞いているうちになんとか社会に戻ろうと思わせてくれるので助かっている。このゲームにインスパイアされたらしい岸田教団の『84』もオススメ。
夏の記憶
TVアニメ『スケッチブック』の最終話前回の限定OP。どこまでも広がる夏草の真横でママチャリ漕いでるような光景が浮かぶ曲。シットリとしていながらも爽やかな夏限定の青いノスタルジー。まったりしたいときに聞くとちょうどいい。
歌:ハセガワダイスケ
TVアニメ『ガンダム Gのレコンギスタ』ED。散々鬱っぽいことを繰り返してきたガンダムシリーズながらもまさかの超前向きソング。と思わせて2番では「リアルは地獄」と言い出し、3番にいたっては「出来ると思ってない」なんて語ってしまう躁鬱の激しさ。富野監督が今までの人生の中から『やらないと始まらないからやるしかない』という答えを導きそれを若者へと伝えようとするある種の説教ソング。でも富野がそこまでいうならまあ地獄の中であがくしかねえなって気持ちになれる。
歌:SHIHO
18禁ノベルゲーム『未来にキスを-Kiss the Future-』テーマソング。歌詞で叙述トリックかけてくる歌でこれ超えてるの俺はまだ知らない。OPでネタバレしてたアニメやゲームは知ってる。叙述トリック仕込んでる恋愛ソングも知ってる。でも曲単体で叙述トリック成立させつつゲームの設定とも絡めてきててやってることのスケールが作品世界の根底全部ひっくり返してくるようなのは自分が知る限りこれだけ。それ以上にやってることのテーマが好き。気持ちのいいリリックで気の狂ったトリックしかけてくるし作曲は高瀬一矢で全部好き。なにより今の世界だと「まあ人類って結局何度もピンチを乗り越えられてるからそうそう滅びなくね?」が蔓延してるけど、その直前の「本当にピンチになったとき人類は遂に滅びるのでは?」に神経をとがらせることがまだ出来た時代の名残とかデジタル技術の指数関数的進歩への盲信とかが加わってこの曲の展開に対してコレマジであり得るんじゃねみたいなノリがまだ可能でさ……つまりは失われた技術、オーパーツだよ。
久しぶりにアニメが見たくなったのでオリジナルで短めのものを探し、宇宙よりも遠い場所と迷って現代舞台じゃないこちらを選択。
総評としては、ビジュアルもアニメーションもすごくいい。ただし雰囲気は良いがところどころ肌に合わないところがある残念作。続編が映画で作られてるそうだが、たぶん触れないと思う……。
19世紀末。アルビオン国は強大な軍事力である王立航空軍・通称「空中艦隊」により世界の勢力図を一変させ、アルビオンから産出される新時代の動力源であり、特定範囲を無重力化することのできる「ケイバーライト」を独占することにより、ローマ帝国の再来と謳われる覇権国家を樹立していた。
しかし、議会共和派である「アイアンサイド党」が主導する革命の結果「王国」と「共和国」に分裂し、アルビオン王国とアルビオン共和国の両勢力により東西を隔てる「ロンドンの壁」で分割され、以来10年、各国のスパイが暗躍する「影の戦争」の最前線となった首都ロンドン。その王国領域にある名門校クイーンズ・メイフェア校に通う「博物倶楽部」の5人の少女には、王国に潜伏する共和国側のスパイ組織「コントロール」に所属するスパイという裏の顔があった。
共和国とて一枚岩ではなく、政府は穏健共和派だが、軍の一部で強硬な革命推進派が策動する中、5人は各々の能力や立場を活かし、時には悩み傷つきながらもスパイとしてロンドンを駆け巡る。
Wikiより。
OPはあまり気に入る部分はなし。ひとつ挙げるとちせ殿の横顔がイイ!曲は唸るような?歌い方がそんなに合っている風には思えなかった。
ED曲は結構好きで、一聴してリンゴ日和っぽいなと思った。今調べたらアマゾンレビューでも似たようなこと書かれてて、吉良さんを思い出し少し悲しく。映像はモンハン3rdみたいな紙質感で好き。
EDのような球体を歩く感じの演出が好きなのだが脳内がヨシヒコに完全に乗っ取られていつも山田孝之がちらついてきて非常にウザい。ヨシピコ見たくなるから出てくんな。閑話休題。
特に印象はなし。梶浦由記氏?へー。まどかも劇半はマミさんのテーマ以外グッと来なかったしBGMの相性は自分と悪いやも。
スタッフもストーリーも調べずに見始めたので女の子かわいいなー程度に見ていたら2話ぐらいで黒星紅白?と思い出し3話でちせのマロ眉を眺めて確信した。
氏は好きなのでラッキーと思いつつも、氏がキャラデザ?原案か。した作品のアニメはあまり評判が良くない印象があるので一抹の不安を覚えた。
シゴフミはまあまあ好きだったよ。
キャラとは直接関係ないですが王族や上流階級設定ならドレスは毎回変えてほしかったかな。いいデザインだったのでもっと見たかったという意味で同じドレスで出たときはすこし残念。現実でどうだったかは知らんけど。
非常に良かった。キャラクターの顔見せや世界のビジュアルなどの雰囲気も良好。期待が持てる1話だった。
特に主人公が発砲したシーン。天邪鬼なので撃たないんだろうなと思いつつ撃てよ撃てよ撃てよ~と願っているので撃ったときはヤッター!となりました。
この感動は鉄血のオルフェンズ以来で、すごく期待してしまった。まあオルフェンズはほぼ右肩下がりでそれに倣わないことも願いましたけど。
割とかっきり直線のストーリーがある、オムニバス系でないアニメ作品だとハルヒ以来かな?ハルヒは原作読了済みだったので新鮮に楽しめたと思う。
主人公。
わかりやすい嘘つき、低感情と個人的好きな要素が多くて好きだったキャラ。声も一番好きかな。引退したけど。
能力は万能と無重力化によるアクションだけど、超人的動きはちせが(特に理由なく)できるので被ってる気がしないでもない。非常に高い跳躍や高高度降下や運搬が見せ場か。
できればもっと動きの嘘を利かせてスパイダーマン的ワイヤーアクションがあれば映えたかも。
無重力化装置が回光通信機としても使えるのは良いアイテムギミックでした。
チームリーダーの20歳。能力は「お色気」。後述すると思うが「お色気」要素はいらなかったと思う。年長者としてのお姉さん役、組織との連絡役とキャラを引き立てられる要素はしっかりあるのでそっちに割り切ったほうがよかった。
おそらく一番感情移入しやすいキャラに作られているので素直に好感度が高い。ギャルゲー化して無目的にプレイすると自分ならドロシールートに入るはず。
プリンセス命で巻き込まれなんかスパイの一員になっていた人。能力は「声だけコナン君」。ダイアルを回すだけで即座に声を似せられるのはインチキくさいがコナン君で慣れすぎて受け入れている自分が居た。
立ち位置がよく飲み込めなかったけどあまり葛藤など描く暇もなく素人がスパイ活動してる。
4話で二手に分かれる場面、5人なので必然2・3になるのだが残ったベアトが悩んだ末「プリンセスが居ない二人組み」のほうに参加してしまう。ベアトが参加できてないアンジェとドロシーの会話でなんとなく「その他3人」に入れられた流れだけど2話や3話からもわかる強い過保護のプリンセス第一主義者なら無理にでもプリンセス側について行くかなと強く解釈違いを感じた。時系列シャッフルなのでちせ参加後から見て強い信頼感ができている時期ともとれるし、一応迷う動きも描いたしとも受け取れる。
3話の和解後は楽しそうにやってるが彼女がスパイになる彼女なりのメリットがなにかひとつ提示されていればなおよかった。
プリンセス。能力は「プリンセス」。優越的地位を濫用してフリーパスしていく。アンジェとのバックボーンは良かったがいかんせん人当たりが良すぎて影が薄い。学校や仲間内でももう少し諧謔的にプリンセスを使い引っ張っていく強引さを見せれば7、9話でキャラが立ったかなと。
強固な思想はあるものの実現への行動を描く暇がなく、そういうのは劇場版でやっていくのだと思う。
なんだかんだで2話と8話好き。
個人的問題児。わたくしファンタジーにおける東の島国やKATANAが非常にアレルギーなのですが真正面にぶっこんできたキャラ。
こういう日本人キャラを日本人が作ること自体が少し寒気を覚えるのですが逆に他国人をこんな風に描くのも時代的に難しいかなぁ。
異なるカルチャー同士の交流は好きなのですがそこに漬物や相撲や土下座などを入れられると…9話は良さ1/3苦手さ1/3、この作品の悪さ1/3で出来ております。
彼女の一番の問題点は話し方。「~じゃ」や「~しておる」と古風な話し方だが、当然舞台はロンドン。英語でコミュニケーションしているはずじゃ。
舞台が外国や異世界のものを日本語で見るときは、特に説明がなければ翻訳・吹き替えを見ていると解釈しているのですが、そうすると彼女(に限らず日本人)の正解は「カタコトの英語」を翻訳した「カタコトの日本語」になるのかなぁ、と。外交官は免除でいいけど。作中、日本人同士でしゃべるときとそれ以外に差異がないのが気になる。それだけだとギリギリのギリギリ受け入れられるラインなのですが、主人公が学生として振舞うときに田舎物設定として「だべ」口調でしゃべるのですよ……普通に考えると「英語の地方訛り」で田舎物を演出していて、それを翻訳して「だべ」口調になってると見るのですが、じゃあちせの「~じゃ」口調などはどう考えればいいのやら……
滞在は最終的に4ヶ月以上。しかし初期から話し方は変わっていない。辞書を引くシーンもある。と非常に解釈に悩みました。超人的体術と日本語の固有表現も堪能に訳せられる超人的語学力を併せ持っている超人説は採りません。
詳しくないのでどうよかったかは書けないのですけどね。ロンドンの街中もよかったし学校や草原と空のような明るい絵もきれいだった。街は1話の霧たっぷりなのも良いけれど日中や雪中など変化に富んでるし下層市民も焦点になるので下町感もあってよかった。話数があれば偽装としての博物倶楽部の活動で学校の中と5人の楽しそうなショットがあればよかったな。
アクションも最近のアニメで悪いと感じるほどの質は出会いにくいので比較するものでもないでしょうけどよかったんじゃないでしょうか。1話と5話は文句なしに見入りますしメリハリというかタメが効いたような動きだったような気がします。あとはぼんやりですが車の加速がとんでもなくすごかったような記憶があります。
今作の感想のひとつとして傑作百合アニメと評しているものがあります。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886711486/episodes/1177354054890392693
これを見て逆に私は、この作品は「百合も恋愛もない良いアニメ」だと思いましたな。男性とのロマンスはなく、仲間内でも過剰な身体的接触すらない。それらが苦手な自分はストレスフリーで見れていたことがわかったわけで。アンジェとプリンセスの関係性は非常に感情を揺さぶるものでありましたが、これを百合と称されてしまうとうん?となる。自分の百合アンテナは低いですし「尊い」という言葉自体にはなんとなくそうだねと言えそうなものの同性愛とまでは絶対いかないよな?と。百合も広くなりけりで友愛も含められるとむにゃむにゃ…マリみては百合かむにゃむにゃ…とかくメインキャラ内でドストレートな性愛はないです。自分センスで百合作品判定ではなし。百合として見れるは何でも見れる!どう見えるかだ!捕まってあれこれしてやるぜゲヘヘ未遂もなし!たしか!ハニトラは除く!ごめん軽い女衒未遂はあった!
最初の数話は国の分裂と
"各国のスパイが暗躍する「影の戦争」の最前線となった首都ロンドン"
が繰り返し説明されるのでスパイが入り乱れる話かと思ったのだが、主に描かれるのは主人公たち共和国スパイと敵役のノルマンディー公のスパイ・公安の王国側とあとほぼちせしか居ないが日本ぐらいしか登場しない。終始アルビオン国で完結していて肩透かしを食らった感は否めない。12話でこれ以上の複雑さは望めないか。
シナリオもだいたい王国側の暗躍を検知して先回り…といったもので、もちろん知らないものは知れないのでしかたないがほぼしかける側であまり緊張感がない。逆に2話終盤は緊張感があってよかった。
共和国スパイの司令部「コントロール」。その描写がにんともかんとも。電信室と併設の狭い部屋に大人が4・5人テーブルを囲んで詰まってる。机上に紙はあるがその数は少なく、ないことも多い。壁には何の物もない。
全員がほぼ手ぶらに近しい状態で話し合い意思決定してるのだが…みんな頭の中にすべて入っている超人なんか?移転や隠滅の容易性のために質素なんか?彼らは意思決定機関として描かれているが、「高度な意思決定」がされているようには見えない。これがスパイのリアルな描写なのかもしれない。私はリアルな描写も好きだ。でもここはもっとケレン味を効かせてほしかった。ほかの部分でははったりたっぷりなのだから。
舞台は19世紀末ごろから無重力を引き起こす「ケイバーライト」を契機に異なる歴史を歩んだ地球のロンドン。スチームパンクに類するSF要素を含んだ作品である。
である、のだが。ぶっちゃけSF要素はほぼ無い。(前面に押し出されてはいない)
肝心のケイバーライトを使い覇権を取った「空中艦隊」はほぼ作中に絡まない。出ても大きな飛行機以上の役割は無い。では国内がケイバーライトを活用して発展しているかといわれればそのような描写もない。ところどころで蒸気が噴出する機械仕掛けがあるがビジュアルや目くらまし以上の意味もない。ケイバーライトを使っているかも不明。1話でケイバーライト障害が軽く触れられたがその後はなし。扱いも公害病程度か。そもそも王国側ではケイバーライト装置の小型化が実現できておらず、公式HPではもう少し詳しく書かれているが作中でわかる範囲では携帯用まで小型化できている、そのことを知っているのは共和国内のスパイ組織内のごく一部、即ち使うのはほぼ主人公のみである。
その主人公の装置を使った常人をはるかに超えるアクションも常人以上の動きを理由無く生身でこなす仲間が隙間を埋めてしまっている。携帯用小型ケイバーライト装置も物語のカギというわけではなくて…TVシリーズの範疇では別にSF要素を入れることなく分断が起きた19世紀末でも成立しそうで、主人公にはほかの得能を持たせてみてもよかったんじゃないかなとも感じた。
古いアニメの曲にももちろん素晴らしいものはたくさんあるけれど、自分が青春時代にリアルタイムで聴いて好きになった曲だけ3曲選んだ。
・こどものおもちゃ「パニック!/Still Small Voice」
当時好きだった女の子に「1話はだまされたと思って我慢して見て。3話まで見たらきっとはまるから」とビデオテープを貸してしてもらったのが「こどものおもちゃ」だった。
確かに1話はピンとこなかったのだけど、2話か3話か、羽山の弱みか何かを紗南が握り、
探偵の衣装に扮した紗南が羽山に迫るときにこの曲が流れてきてきたところで、「あ、これは間違いなく面白い」となぜか確信したことを今でもよく覚えている。
Bパートの最後からシームレスにエンディング曲がかかるのって、アニメではおしゃれだと感じたんだよね。
アニメのエンディング曲はいわゆるBパートが終わりきった後に始まるものだと思っていたから。
どこまで狙ったていたのかは分からないが、自分にとってこの曲のイントロは「この後どうなるの?どうなるの??」という期待感を高める、最高のイントロだ。
ちなみに、好きだった女の子とこの後どうなったかというと……言わぬが花というものだろう。
アニソン史的な位置づけとしては、NOIRで梶浦由記は「発見」され、その後の活躍につながるわけで、
そのきっかけとなったのは「salva nos」と「canta per me」で間違いないだろう。
そんなごたくはともかく、
salva nosは霧香やミレイユが手を汚して斃した者たちの魂を救済する歌だとしたら、
canta per meは、その汚れた手をもってなお、お互いを求めずにはいられず、そして手を汚して斃していく二人の魂の歌(その象徴が25話でこの曲が使われたシーン)であり、
自分はただ好きと言うほかない。
この曲は誰が歌っても名曲になるのだけど、おすすめはEmilyのカバー。聴く機会があったら圧倒されてほしい。
・フルーツバスケット「For フルーツバスケット/岡崎律子」
どれだけこの曲が好きかということを、言葉で表そうとしたけれど、どうにもまとまらない。言葉では言い尽くせない。それほど好き。
もともとLiSAが歌う予定ではなかったのでは
※鬼滅ブームでTVなどでいたるところで流れていたものの、曲の乗っかり具合に関しては指摘しない
ひと昔前のアニソンでよく使われているクソダサロックに聞こえる
アニメ放映前にはそこそこ人気作だった鬼滅だったから流行ったものの、この曲調だと違うアニメだったらここまで持ち上げられなかっただろう
緩急はあるが、平坦すぎる曲調はそんなに歌ってこなかったし、好んで歌いそうな感じではない
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何らかの事情で歌えなくなった
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LiSAが歌うにあたり歌詞はLiSA自身が変えたものの、何らかの事情で曲は変えられないままクソダサ曲調でリリース
誰向けでもない。ヘビロテした曲たち
2010年代が終わるわけだが、2010年代のアニメベスト10を独断と偏見で決めてみたくなった。ので増田に放流。
見てない作品は語れないので見た作品だけ挙げる。見た作品の数が少なくラインナップが偏っている結果チョイスが偏った点については先に謝っておく。また、順番は順位ではなく放映順である。
長いゼロ年代の終わりを飾るというか10年代の始まりを告げるというか、とにかくエポックメイキングな作品だった。紛れもなく一時代を画すアニメであり、こんなに議論が盛り上がって人々の印象に残ったのってマジでエヴァ以来なのではという衝撃があった。
2010年代には『Fate/stay night [Unlimited Blade Works]』(2014/2015年)と『Fate/stay night [Heaven's Feel]』(2017, 2019年)がアニメ化され、さらにはFGOや『Fate/Apocrypha』に『ロード・エルメロイII世の事件簿』もアニメになり、いずれも素晴らしい出来だっただけにどれを入れようかすごい迷ったのだけれど、Fateシリーズに新しい客層を開拓したという点でZeroの存在感がなんだかんだで大きいかなと。切嗣の重要な台詞が微妙に原作改変でそれはどうなのかと思わなくもなかったがラストの桜ちゃんを原作ではなくボツになった原案通りに作ってくれて素晴らしかったですね。人間オルガンちゃんが再現されなかったのは残念だけど仕方ない。Heaven's Feelも本当に素晴らしかった……。何も言うことはない。俺たちの見たかった最高の桜ルートだ……。2010年代はFateアニメ化で盛り上がった10年だったと回顧できるだろう。セイバールートも作り直して。
一作くらいは細田守を入れておいてもいいんじゃないかと思って挙げてみた。細田守、はてなでは評判が微妙だが普通に『おおかみこども』は良い作品だと思うんだ。純粋に家族愛の物語として見ると違和感とかも出るのかもしれないけど、歪められた関係性も理想化された田舎も、すべては花の回想をもとにして雪が語ったことであって、花というある意味信頼できない語り手を通して見た世界なんだよね。加えて言うなら、花が雪より雨を構っていることに批判的な意見も多々見られ、それは雪から見ればそうなのだろうし実際にきょうだいより構われなかった思い出を持つ人にとっては良い気持ちはしないのだろうけれど、でも完璧な人間でないと母親になってはならないか、といったら違うわけでしょう。母親も欠点を持つひとりの人間だし、それでも母親なのだ、という話だと思いますよあれは。それらの偏愛や歪んだ世界像を卓越した映像美でくるんで提示してくるところに、細田守が色んなひとの神経をざわつかせる理由みたいなものがあるんじゃないのかな。
アニメ映画を1つだけ挙げろ、と言われたらこれを推す。名作名作アンド名作。何を語ってもネタバレになりそうなので最高のSFアニメ映画だという当たり障りのないことしか言えない。ボーイミーツガールSFの傑作。いいから何も言わずに見やがれください。
単純なアニメ業界の楽屋ネタに留まらず人間ドラマとしてしっかり作り込んでいてくれて良い作品だった。23話はみゃーもりにつられて泣いちゃうでしょ……。5人の歩く道は凸凹していて、正解はわからずに手探りで進んでいくしかなく、それでもアニメに関わりたいという意志を持って進んでいけば夢に手が届く。そういう話の筋としてはありふれた成長譚を細やかな人物造形と堅実な脚本で良いアニメにしてくれていた。「万策尽きたー!」「どんどんドーナツどーんといこう!」などのフレーズも印象に残る。ただアニメというフィルターを通してもなおアニメ業界のブラックさが滲み出ており「これは美談にしてはいけないやつでは」みたいな感もあって、アニメの放映スケジュールが狂うことがあちこちで頻発しているのを放映予定の変更とかで視聴者目線でも感じ取れるだけに複雑な気分である。
紛れもないジュヴナイルSFアニメの傑作。可愛らしい格好をした魔法少女たちが土星の輪に突入するとか太陽系外縁部を探査するとかブラックホールを反転させるとかのハードSFな冒険を繰り広げるギャップがすごいし、荒唐無稽なファンタジイとリアルな宇宙描写を融合させた映像美はアニメだからこそ実現できるものだろう。ちょっと宇宙が出てくる魔法少女ものだと思って見始めたわけだけど土星の輪に穴を開けてエンジンを探し始めた辺りでガチのSFをやろうとしてるんだと理解したし実際かなりSFだった。降着円盤の温度まで考察されてるのすごくない……? そして根底には傷つきやすい繊細な心と他者を思いやる優しさが流れていて、映像の美しさと相まってリリカルさに心が洗われるような気持ちになる。放映終了後の喪失感は半端なかった。『サカサマのパテマ』と並ぶ2010年代SFアニメの金字塔ですわ。これが星雲賞を獲るべきだったのでは。
アクションのキレの良さ、百合描写の濃密さ、黒星紅白キャラの可愛さ、音楽のテンポの良さ、細部の丁寧さ、どこをとっても娯楽アニメとして超一級の出来だったと言うほかない。特に5話の剣戟シーンはここ十年で一番の殺陣だと思う。梶浦由記のオサレ音楽をBGMに美少女たちが流れるような作画でチャンバラするの控えめに言って最高としか言えない。また「神は細部に宿る」を地で行くような作品であり、アンジェとプリンセスの手紙の遣り取りとか、脱出用の荷物に書かれた文字とか、さり気ない描写のひとつひとつに込められた情報量が半端なく、それによって世界観と百合に奥行きを持たせることに成功していた。アンプリ、いいよね……。劇場版むっちゃ楽しみ。
素晴らしい作品だった。2018年はTVアニメ豊作の年であり『ゾンビランドサガ』『SSSS.GRIDMAN』などオリジナルの良作が次々と放映されたわけだが、なかでも別格だと思うのが『よりもい』。毎話毎話が最終回のごとき余韻を残し話ごとのメリハリも利いていて軽くシネマっすねという感じだったし、「先に行けって言われて先に行く薄情にはなりたくない!」「友達ってたぶんひらがな1文字だ!」などの印象に残る名台詞の数々は記憶に焼き付いて離れない。花田! 神回しか作れずに恥ずかしくないのか? 視聴者を泣かせて食うメシは美味いか? なかでも特筆すべきは12話で、まさか受信メールフォルダを映し出した画面に泣かされるなんて思ってもみなかった。アニメ史に刻まれる名シーンですわ。
岡田麿里が本気を出してファンタジイをやったらなんかすごいのが出力されてきた。失ったものにいつまでも抱いてしまう妄執とか、恋と愛の区別があやふやになって煮えたぎる思いとか、無理やり連れ出されて見せられた世界の美しさとか、そういったドロドロした感情を叩き込んだ闇鍋から人は互いに織り上げあう物語であるというテーマを掬い上げて観客の前にどーんと呈示してくる素晴らしい映画作品。ただただ名作と言うほかない。15歳しか離れていない不老の種族の美少女なお母さんに育てられたいだけの人生だった……
『君の名は。』(2016年)で俺たちの新海が一気に一般人にも知られるアニメ監督にのし上がってしまい、遠くに行っちゃったんだな……とゼロ年代に魂を囚われたオタクたちが訳知り顔でホロリとしていたところに投げ込まれた傑作。いや~原作PC版のクライマックスを忠実に再現してくれてましたね! 私は原作だと夏美ルートが好きで、彼女が晴れ渡った青空を見て浮かべる笑顔の爽やかさと、その青空の意味を後続のルートで種明かしされて味わうことになる切なさがめちゃくちゃ印象に残ってるんですよね。でもやっぱりあの長編エロゲから1ルートを取り出して劇場アニメにするとなったら陽菜ルートになるのも納得がいくわけで(甲高い早口)
……という感想を諸人こぞりて口にしはじめる辺り、完全にゼロ年代のエロゲだった。テン年代最後の年にゼロ年代を煮詰めたような要素てんこ盛りの作品を公開してしかもそこにセカイ系を力強く肯定するオチをつけるわけですよ。ゼロ年代の亡霊が昇華された感があり、なんというか新海誠すげえわ、一生ついてくわ。
「傷跡」を初めて聴いてKalafinaを知り、黒執事の「Lacrimosa」で再会し、NHKのアニソン特集でその姿を初めて見て、Magiaツアーからライブに参加するようになったそこそこ年期入ったKalafinaのファンでした。
「空の境界」のファンに「Kalafinaファンなら空の境界見なきゃ~」とかくそ鬱陶しいことも言われながら、うるせえ私はあの人たちの歌唱力と表現力が好きなんだよ黙ってろと返すこともできず、結局今日に至るまで空の境界は見ていません。多分もう一生見ることはないと思う。曲を聞きたくないので。
昨日母親から「Kalafinaって解散してなかったの?」と言われ、解散が正式に発表されたことを知ったのですが、もうね、所属事務所が極悪なのはこの一年でわかりきってた。
発表コメントも「プロデューサーの梶浦由記が退所して、メンバー二人も退所して、こっちはね!どうにかKalafina続けたいな~って話し合いしてたんだけど!無理っぽいわ!ってことで解散です!」というバカみたいなコメント発表して、なおかつ「KalafinaのFCはWakanaのFCにそのまま置き換わるよ!今いるメンバーはスライドでWakanaのFC会員だよ!応援してね!」っていうまるで誰もFC辞めないよね!っていうこれまたバカみたいな文章に辟易しました。
でも事務所がバカなのは約一年前からわかっていて、メンバーの一人が退所するって報道が出たときに「退所希望者が一名います」ってま~やめる人間は悪!って空気をぷんぷん匂わせてた。もうね、デパコスの売り場かってぐらい臭かった。最悪なことにこの一人が私の最推しだったこともあって、当時は怒り通り越して呆れてました。退所した二人の写真平気でHPに置いてたし。
だってここのFCのスタッフあれですよ、Twitterで「こんにちわ!」って言ってたんですよ。もうそんなのバカでしょ。
そんな事務所に対してはなーんにも期待してなかった。
一年前から口では「もうKalafinaは終わった」って言ってたけど、それでも梶浦さんの個人事務所に三人とも移籍して新しくスタートを切る日が来るかもと淡すぎる期待を心の隅で持って一年生きてきたんだと思います。
もう本当にこれが衝撃的で、二人残ってたうちのもう一人のほうがソロデビューするんじゃない??みたいな雰囲気あったけど、逆、違う、そっちかい、そんな雰囲気なかったじゃん。
ただこれは逆に言うとソロデビューの話がない状態でそのもう一人が退所してたら、「これは来年中に全員退所になって梶浦さんのとこにいけるのでは!?」ってめちゃくちゃ期待してしまっていたと思うから、良かったのかもしれない。精神面は。
この時点であ~はいはい終わった終わった、もうこれダメ、って状態になり、件のソロデビューシングルも聞いてみたけどアレルギー出るかと思いました。圧倒的なこれじゃない感で。
Kalafinaって歌が上手いのは当たり前なんですけど、梶浦由記が作ってたからより神々しさ増してたと思うんですよね。実際、一回他のアーティストが作った曲で一緒にコラボしてたけど全然ダメすぎてそれもアレルギー出た。それが今回も出た。
歌は圧倒的にやっぱり上手いんだけど、なんせ歌詞が薄っぺらすぎる。
今まで「君に残せる言葉もなくて だけど寂しくはなかったよ」とか「自由になれば 道を失くした」とか「春を待つ花のように 風の中震えていた」って歌ってた人間の口から「さよならは言わないよ また逢えるよね?この場所で」ってもうやめて本当に。
梶浦由記の作る詞に及ばないのはわかってるけど、なんかもうめちゃくちゃJ-POP。そもそもJ-POP歌う声じゃないんですよ、彼女。上手すぎて。そんで昔から悲劇的な歌声って言われてたけど、悲劇の内容が軽い。今まで歌ってた悲劇はこんなもんではなかったはずでしょ。
ただそれでも一曲目は事務所を去っていった二人へのメッセージでもあるのかな、って思ってたけど二曲目で「構うものなどないと 何もかも壊しながら」「運命など怖くないと ただ独り叫んでた」って踏ん切りつけるのが早い。あと地味にインタビューで「みんな歌詞を額面通りに受け取らない」って言ってたのも正直腹立って仕方がなかった。梶浦詞はいろいろ考えながら聴く曲が多かったので、それを十年間やってきたはずの彼女からこんな言葉がでたことがショックだった。
この時点で、もしかしてこの人ファンのことあまり考えていないな……?って思ってしまった。これは不信感です。
昨日の発表で事務所側は「協議してきたよ!」って言ってたけど、Kalafinaを続けるための協議の最中にソロデビューさせるのはまずおかしいし、するほうもどうなの。
実際協議なんて一切してないと思ってるんですよ。だってメンバーのうち二人いないんだから。
でも本当に協議を重ねてたのならソロデビューなんてファンを混乱させることする?できる?
「Kalafina守ってやるから、ソロデビューしろ!」って言われてたならまだしもそんなこと億が一ないでしょ。単純に絶対本人もソロでやりたかったんじゃん。事務所残るならソロデビューさせてあげる、って言われててもおかしくないよ。
それと二人目に退所したメンバーはTwitter始めちゃったりして、まあファンが沸いた。私も沸いたから。普通にうれしかったから。
そのあとTwitterで質問企画みたいなの始めて、これいよいよ事の真相話す覚悟ができたのかなって思ってたら「Kalafinaに関しては私一人のものではないので答えられません」って注意してて?????????????????頭の中はてなだらけ。
Kalafinaが彼女だけのものではないことは理解できる、けど、Kalafinaは彼女のものであるしファンのものでもあるんじゃないの。
こんな言い方は良くないけど、今まで応援してきたファンが払ったお金で生活している人間がそのファンを不安にさせたままでのうのうと自分の日常を発信していることにも嫌気がしていた。箝口令でも敷かれてんのかよ。
最初に退所した最推しは「Kalafina」という名前を守るためかどうかはわかりませんが、特許出願したものの却下され、その後はどうしているのか姿も見せないままでした。
そして今日、FictionJunctionで梶浦さんと退所した二人からのコメントが掲載され、(退所組のコメントが連名なのが納得いかなかったけど)梶浦さんのコメントに衝撃を受けました。それが記事のタイトルです。
「Kalafinaが大好きでした。」
過去形なんですよね。解散発表あってからいろいろTwitterとか見てたら「これからもKalafinaが大好きです」って言葉を目にしたんですけどその人たちは未来を見ているのに、プロデューサーはKalafinaを過去のものにした。もうKalafinaのことは好きじゃないのか、って思われても仕方ないんですよ、これ。
加えて説明文書の中にあった「旧Kalafinaメンバーとなる……」という文言も衝撃でした。もう退所した二人はKalafinaのメンバーではない、と。過去なんですよ、全部。表現が。歌姫が四人の時期もあったけど、間違いなくKalafinaのメンバーはプロデューサー+歌姫三人で四人です。
『旧』の対比って『新』じゃないですか、そんな意図がなかったにしてもその言葉を選んだことがつらかった。Kalafinaがこの四人以外で構成されるかもしれない可能性を感じさせる文章がつらかった。まかり間違って新体制でKalafinaってグループ作られたらたまったもんじゃない。
そんな感じで今日、Kalafinaを作った人間が、Kalafinaの終わりを宣告しました。
ここまでくるのに約一年かかりました。
Kalafinaの名前はあるのに、Kalafinaとしての活動が一切ない一年。
いろいろ言ったんですけど、別に誰か一人を責めているわけではありません。
仮に最推しが事務所に残ってソロデビューしていても、私は不信感を抱いていたと思います。
でも私は一人に裏切られたのではなく、Kalafinaだった四人全員に裏切られたと思っています。
本人たちはコメントを出したことで禊は終わったとでも思っているかもしれませんが、この一年なにかに期待していたファンの心はずっと置き去りでした。
退所、特許出願、ソロツアー、ソロデビュー。今までお金や時間をかけてきたファンを一年間混乱させ、不安を煽り続けていました。
認知度が違いすぎるので比較対象にするのはおかしいけど、あれだけ言われたSMAPも一人一人コメントを出してテレビでの五人の最後を決めたし、嵐も全員で記者会見をして休止の宣言とファンへの猶予を設けた。
いろんなバンドやアイドルが解散するけど、彼らだってラストライブでファンへの別れを告げている。いろんな形があるけれど、どんなアーティストもファンのことを考えていると思います。
Kalafinaはどうしてそうならなかったんでしょう。できなかったんでしょう。
事務所が一番悪いのはもちろんわかっています。箝口令を敷かれていた可能性だって十分あると思います。だけど、それでも、という気持ちがわかないわけがないんですよ。
彼女たちのコメントを読んだ人たちが、「十年間ありがとうございました」とか「これからも大好きです」とか「いつか再結成して皆さんの歌声を聞けたら……」ってまっすぐに思えることがひどく羨ましくて仕方がないです。
梶浦由記(Kalafinaの作曲家)に肩入れするファン。アニソンライブ好き。アニソンライブに沢山(年20回以上)行くようになったのは2013年から。Kalafinaの単独ライブに行き始めたのは、2013年12月のクリスマスコンサート。梶浦プロデューサーの公式ファンクラブに入ってなかったため、チケットを取るのに苦労した。
前述の経験から、チケットを得るには公式ファンクラブ(FC)への加入が必要だと感じた。そのFCは「梶浦さんに関係する案件すべて」のファンクラブで、梶浦さんがプロデュースする歌手のチケット先行が多数あった。
その関係で、梶浦さん主催のコンサートにも何度か足を運び、「俺が好きなのはKalafinaという3人組というよりむしろ、梶浦さんの曲だ」と確信した。
箇条書きマジックを使わせてもらう。
一連のこの動きをリアルタイムで体験したので、「Kalafinaのメンバーを芸能人として売りたいのだろうな」とは感じていた。
俺の目には迷走の末の分裂と感じた。残念ながら当然。俺は梶浦さんの曲が好き。その次にKalafinaの現行メンバーが好き。梶浦さんはこの夏に単独コンサートを開く予定だけど、俺はそれを観に行きたい。Kalafinaのメンバーが居なくても観に行きたい。そこにKalafinaのメンバー(その時点では元メンバーなのかな?)が出るならもっとうれしい。
梶浦さんにはボーカル曲をKalafina以外でもっと書いてほしい。FictionJunctionやSawanoHiroyuki[nZk], Sound Horizon みたいに作曲家を全面に出して。ボーカルを固定せずに。ボーカルを固定すると、ボーカルのカリスマ性が突出して、また分裂してしまう。
事務所に残るメンバーに関しては「色々事情があるからね。俺は余裕があったら応援します。幸福を祈ります」程度。申し訳ないけど、その程度。