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はてなキーワード: 考察とは

2020-06-19

エバーの考察読んでたら結構おもろい

Qを映画館で見ては?なんこれって思ってからずっと見てないけど

あらためて序破急見直した方がええかもしれんなあ

文章って難しいね

後輩の指導最近してる。作らせた技術レポート校正をするようになって、文章力って大事だなと実感。

使用環境手法目的とそれに対する結果と考察感想

このそれぞれの区別がしっかりつけて書けないから読んだ時に混乱するし違和感を覚えてしまう。俗に言われる技術レポート小説書くタイプに近いのかな。

他人に分かる文章を書けて、それを共有することが仕事はいちばん大事なのかもしれない。しかもこの能力プレゼンかになるとまた別物なのが厄介よね。

話ずれるけど、僕は詐欺師とかプレゼンプロだと思ってるから尊敬してる。空気のように嘘をついて気持ちよく他人を騙せる詐欺師になりたい。ってか詐欺師って気分良くその気にさせるという価値提供してるし高度な接客業なのでは(混乱)

どう指導すれば良いものやら。元々の指導係は何をしてたんだ(憤慨)

sub-cult-ure

人気の映像コンテンツ投稿者の魅力によって支持されている。ひたすら楽しいばかりのコンテンツが無数にあって、支持者たちは信仰の代価に多大な時間を費やす。ある個人組織感性に基づいた表現作品に対して、何かがあると思って夢中になる、感情を動かされる。彼らはどこへ連れて行ってくれるのか、期待が膨らむ。夢中であるのを肯定できることは幸いである。感化されて、ある者は自らの感性で新たな表現者として高みにのぼることもあろう。

とき単独提示された謎掛けのような作品がある。どうとでも解釈してください、という割には、遡ると、取材に乏しい、目新しさはあるが才能溢れる独創性もない、そうして下火になったコンテンツがある。これに対する考察の深まりが、どこまで私の生活感性資するだろう。社会集団なす者としての人間は、共通認識を土台とした相互意思疎通を行うが、表現の造形や背景にこだわることを放棄した作品は、コミュニケーションの具にするには身がなさすぎる。そうなると熱心な蒐集家によって辞書的に記憶されるようにはなっても、見出しとして以上の価値は無くなってゆく。(あるいは様式慣用句として生き残る。)

翻って流行を超えた価値の見出されたもの古典としての地位を獲得してゆく。この社会うねりは、世代を超えた古典価値というレーティングを施すアルゴリズムであるといえる。

それでは、視聴数や独自アルゴリズムによってソートピックアップされた映像作品の視聴サービスは、どうだろう。上位に表示された映像作品は、いかなる意味において価値があるのか。それは語るに値して、われわれを夢中にし、どこかへ連れて行ってくれるのだろうか?

2020-06-18

しかブクマ付けてないけど大好きなページを挙げる(挙げた)

明日か日曜にでも気が向いたらこのページで挙げる→挙げた

前置き、俺のはてなブックマークの使い方

基本的には「半年に1回くらい読み直したくなるページ」をブックマークするのが多い。言論には加わるつもり全くなし。スターも基本付けてない。

たまにバーっと見返してちょこちょこ読み直して楽しんでる。

じゃあある程度ジャンル別に分けたから以下どうぞ。当然俺しかブクマ付けてないのでニッチもの多数。

つの記事に全部入れると反映されないみたいだから、3つに分けた。

みんなも自分しかブクマしてない良ページ挙げよう。俺も挙げたんだからさ。

漫画アニメゲーム

バランスポリシー あるいはTSFが持つ暴力性に対する一考察 - 送りバントブログ

…俺もバランスポリシーTSF最高傑作だと思ってる。秘密基地に行く回とか、すごく好き。

佐藤太志 - 全ジャンル主人公最強議論スレまとめ@wiki - アットウィキ

…俺達のデブジさん。真面目に強さ議論してるレスで笑う。「催眠術使ってイケメンからヒロイン寝取りたい……せや!イケメン催眠かけて心を女にしてイチャイチャしたろ!」という発想は未来に生きてる。

【咲-Saki-】 県予選 決勝 清澄(長野)vs龍門渕(長野)vs鶴賀学園高等部(長野)vs風越女子(長野) 得点収支MEMO

数字だけで見ても楽しめる咲-Saki-県予選決勝。むしろ数字だけにしたことで「ここまでヤバかったのか……」ってキャラ結構いることに気づく。

nerdy World order キルミーベイベーの魅力~初級の続き・アニメの魅力編~

前後記事はそこそこブクマされてるけど、俺はこの記事が一番好き。「アニメには原作にはなかった「時間の流れ」が生まれている」という指摘には唸らされる。

勝手に読書伝説Vol.14 久住昌之・水沢悦子インタビュー&『花のズボラ飯』ガイド | ひかりTVブック

久住昌之水沢悦子インタビュー。2ページ目以降の水沢悦子パートが男らしくて好き。「ダメ出しをされるたびに「うるせえ、このアマ!」とか「細けえんだよ小娘!」とか本当によく思ったものです。

【4月1日追記】「進化の可能性感じた」“ポケモン”イーブイが新日本プロレス入団!デビューはEVIL(イービル)戦 | 新日本プロレスリング

イーブイ新日本プロレス入団するエイプリルフール記事かわいい。退団の経緯好き。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R23JUKGU13V8TP

ウイニングポスト9のAmazonレビュー面白い上にレビューとしても要点が伝わってわかりやすい。俺の中でのオールタイムベストレビュー1位。


次:anond:20200619120030

2020-06-15

anond:20200615205525

いたことねえなあ。

「そういう理由流行ったのでは?」という個人の(勝手な)考察では。

2020-06-14

ドラマ嫌いの考察

学生の頃はドラマを見ていたけど、社会に出てから自発的には見なくなった。むしろ嫌いになった。

それは、ドラマリアル生活だけで十分と思ってるからだろうな。何が楽しくて、アフターもハラハラしないといけないのか。別にリアルが波乱万丈でも何でもないけど、社会人やってたら、全然視聴率が稼げないようなドラマは日々あるわけで。

特に日曜劇場枠のヒラなサラリーマン権力に立ち向かってカタルシス満載なやつが嫌い。俺もヒラだし、権力に対して一泡吹かせることができればいいなとは思ってるけど、そのカタルシスに行き着くまでの過程お腹いっぱい。不遇な時間の方が長いんだよね。1クール3ヶ月だとして、2.5ヶ月は主人公が痛い目を見て、残りの0.5ヶ月で大逆転するんだけど、2.5ヶ月も俺は落ち込んだ気持ちのままだ。1年通せば10ヶ月も落ち込むじゃないか。何でそんなものをアフターにまで見なければならないのか。

その他のドラマも、結局は安心よりも不安気持ちになる時間の方が長いんだよね。もはや俺はドラマを娯楽と捉えてない。

乙女ゲーム会社失望した

好きだった某乙女ゲーム会社へのお別れ表明です。

乙女ゲーム会社制作する乙女ゲームBLゲームが大好きだった。戦闘ゲーも作業ゲーも苦手な自分からすると数回の選択肢で結末が決定するノベルゲー方式プレイやすかった。ストーリー魅せられてキャラクターを好きになり、サントラキャラソンCDドラマCDも買い揃えた。ファンブックを読み込んでゲーム本編の考察をしたり、グッズを揃えたり、夢中だったあの頃は毎日しかった。

その会社の新作ゲームが発売されたのは昨年のこと。ソシャゲに注力している乙女ゲーム会社の久々のソフト発売である

正確に言うと18禁ゲの全年齢移植なのだが、大好きな18禁ゲの新規展開ということで、楽しみにしていたし、数回の発売延期にも耐えることができた。

移植にあたっての追加要素は新作スチル3枚。久し振りに描かれたキャラクターの顔は格好良く、ゲームも目一杯楽しんだ。

発売からしばらくして公式ムービーを見るために動画サイトタイトル検索したところ、この新作ゲームの実況プレイ動画シリーズ発見した。投稿日時を見ると発売から三ヶ月後に実況動画投稿し始めているようだ。実況主は全ルートハッピーエンド、バッドエンドまであますことなく実況しており、さらに全ルート攻略後に解放される隠しシナリオも実況。貴重な新作スチルもサムネイル使用し、がっつりネタバレしている。

購入者としては、全ルートネタバレ実況は歓迎できない。購入者けが鑑賞できる新作スチルが誰でも見られる状況にあるのも残念だ。

乙女ゲーム会社公式ホームページを確認すると、「プレイ映像体験版/一章の範囲まで。上記範囲であれば作品の大きなネタバレにならず、初プレイ時の楽しみを十分に確保できるもの判断いたします。上記以外の配信は一切許可しておりません」(要約)とガイドラインが示されている。つまりルート実況は乙女ゲーム会社の定めたルール違反しているのだ。

実況主には申し訳ないが、ファンの心情としては看過できず、乙女ゲーム会社に問い合わせメールを送った。長らくファンをしていたけれど、作品アンケート以外で乙女ゲーム会社メールを送ったのは初めてだった。

問い合わせメールへの返信はなかったものの、しばらくして実況主は乙女ゲーム会社から削除依頼を受けたとして結末部分と隠しシナリオの実況動画を削除した。

プレイ映像体験版/一章まで」の範囲を超えた個別ルートの実況動画が残されていることにもやもやしたものの、対応に安堵。

しかしそれも束の間。

実況主は「(乙女ゲーム会社からゲームソフトを)ご好意でいただいてしまった」とSNS投稿し、そのゲームの実況動画動画サイト投稿し始めた。動画内の説明によると、新作ゲームの実況を見た乙女ゲーム会社側は彼の実況を気に入って、実況するならこれを……ということで旧作のゲームソフト好意で贈ったらしい。そのゲーム乙女ゲーム会社代表作だった。

どうやらエンディングまでの実況も許可しているらしく、動画説明文にもその旨が記されている。

……会社が定めたルール違反した実況主にゲームソフトを贈った??

……エンディングまでの実況OK??

公式ホームページ上の「体験版/一章上記範囲であれば作品の大きなネタバレにならず、初プレイ時の楽しみを十分に確保できるもの判断いたします。上記以外の配信は一切許可しておりません」の文言公式自ら破るの?

乙女ゲーム会社の実況主への対応に頭が混乱した。

しかすると、公式ホームページのガイドラインにある「プレイ映像」が指す範疇に「ゲーム実況」は入らないということなのか。だからエンディングまでの実況を許可したのかもしれない。しかし、ゲーム実況がOKならば、新作ゲームの実況に削除依頼を出したのは何故?

考えれば考えるほど疑問が湧く。

ガイドラインへの疑問と実況主に対してゲームソフトを贈ったことについて乙女ゲーム会社に問い合わせメールを送った。しかし、待てど暮らせど返信はこない。

公式ホームページのガイドライン確認しても改正されているわけでもない。乙女ゲーム会社公式SNSプロデューサーSNS公式ブログに目を通しても実況プレイについての言及は一切見当たらない。実況主を宣伝紹介しているわけでもない。

動画サイトタイトル検索すると、体験版/一章範囲を超えた実況動画投稿され続けている。乙女ゲーム会社公式上で実況プレイについて明言しないけれども、実況を許可している。一ヶ月以上乙女ゲーム会社の動向を見た結果、そのように結論づけるほかない。

権利者でも会社側でもない一ファンが実況に対して異議を唱えるのはおかしな話なのだから会社側の対応文句言ってはいけないと頭ではわかっている。

それでも、感情面では納得できなかった。購入者けが見られるはずのゲーム内容が動画サイトで垂れ流しされている。明示していたガイドラインは何だったのか。

「気に入ったから」という理由で実況主にゲームソフトを贈って全編ゲーム実況を許可する乙女ゲーム会社に、ガイドラインを破った乙女ゲーム会社に心の底から失望した。

失望すると、今まで溜めていた不満もふつふつと湧いていくる。

・新作ゲームの追加要素がスチル3枚だけというのは手抜きでは?

公式通販商品情報が間違っている。

公式ムービー声優名が間違っている。

ヒロイン攻略対象恋愛模様を描いたSS集の中で、推し攻略対象SSだけ恋愛ストーリーではなかった。

推しキャラクター誕生日プレゼントを贈ったのにブログで取り上げられなかった(※この乙女ゲーム会社は、ファンからキャラクタープレゼントが贈られると公式ブログ上でプレゼントを紹介する。場合によってはプレゼントが贈られたキャラクターイラストも描き下ろしされる)。

プロデューサーとコエテク社長SNS上で揉めていた。

失望しなければ、これまで通り目を逸し続けられた。

でもゲーム実況に対する失望と怒りが折り重なった現在、これまで見逃してきた些細な不満が許せなくなった。

まるで悪質クレーマーのようだけれど、もう無理なんだと思った。

全編ネタバレに寛容になれない旧作ファンは、もう客ではない。

潮が引くように、好きという気持ちが消えていった。

乙女ゲーム会社が作る乙女ゲームBLゲームが一番好きな気持ちは変わらない。既存作品はこれから先もずっと好きでいたい。

でも、新作ゲームが発売されても購入しないし、乙女ゲーム会社倒産危機に陥っても買い支えはしないだろう。定めたガイドラインを自ら破って全編ネタバレ許可する公式商品なんて売れなくていいし、潰れても構わない。 

追記

エロゲブランドルール違反動画に厳しいので(つい最近ラプラシアン代表対応していた)、この乙女ゲーム会社にも毅然とした対応を期待していたのだと思う。各エロゲブランド対応に感心していただけに、好きだった乙女ゲーム会社エンディングまでのネタバレ許可するような企業だなんて思いもよらなかった。

・明示していたルール例外を作るのならば、他の実況者やファンの見える場所に新しいルール掲載してほしかった。

・ここのコメント欄を見てルールを破ることに頓着しない人が多いことに驚いた。エロゲノベルゲーム違法アップロードが消えないのはこの程度の認識の人たちがいるからなんだろう。

移植版を手がけた会社が実況禁止アナウンスを出した。

・同じ実況者が別会社BLゲームの実況を挙げていた。制作会社ガイドライン確認メールをしたところ、「削除依頼対応をした」と返信がきた。某社の対応とは雲泥の差である

anond:20200614185834

さて、後半やるか…。なんかもう嫌になってきちゃうな。ここから先、自閉症はおろか発達障害さえ出てこない代わりに、「男らしさ」がマジックワードとしてメキメキ頭角を現してきます。「男らしさ」の指標論文によって様々であり、その点にrei氏は意識的かどうかは怪しいところですが、少なくとも段落ごとに「男らしさ」の内容が変転していきます。では読みましょう。

そして当然であるがチー牛顔はモテない。

知らんがな。次。

テストステロン値の高い男性は顔の横幅が広くなる傾向にあり、テストステロン値の低い男性は顔の横幅が狭くなる傾向にある。そしてチー牛の元となったイラスト男性も面長であるが、先進国女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。例えば、米国若い男女を対象としてスピードデート研究を行ったところ、男性の顔つきの男らしさが短期的な関係に対する女性の関心の差異の34%を説明していることが示された。

https://ink.library.smu.edu.sg/cgi/viewcontent.cgi?article=2727&context=soss_research (論文d)

スピードデートっていうのはいわゆる婚活パーティ。この論文dでは、顔つきの男らしさを、テストステロンに影響されると考えられている顔の縦横比で表しているみたいです。多分婚活パーティでの女性の反応と男性の顔の縦横比の関係を調べたんでしょう。で、rei氏は"先進国女性全般に「面長の男性らしくない男性を嫌い、横幅の広い男性らしい男性を好む」傾向が確認されている。”と書いてますが、この主張の出典はどこですか?論文dの先行研究に触れてる部分にもDiscussionにも、国の発展度合いは女性の嗜好と関連性がある、といった記述は見受けられません。関連性が本当はあるのだとしても、米国内の研究だけを例に挙げて、"先進国女性全般に"と言い切るのは流石に通らないです。もっとも、顔の縦の長さや横の長さが女性にとってなんらかの関心を引く要素の一つであることは間違いなさそうです。これはさすがに誰か気づいて指摘してるだろうと思うんですけど、この論文dを出したのは米国大学ではなくてシンガポール大学なんですよね。ざっと見た感じ、アメリカで行われたともアメリカ人を対象にしたとも書かれてません。次の段落に移ります

また顔つきの男らしさは童貞卒業の早さを予測する因子であることが示唆されている。言うまでもない事であるがチー牛顔は遅い。

https://psycnet.apa.org/record/1994-44767-001 (論文e)

論文eの題は"Dominant looking male teenagers copulate earlier.”、和訳すると支配的な見た目の10代の男子はより早く性交する、ですね。このリンククリックしてもらうとわかるんですけど、Abstract(要約)しか書いてません。本文はどこでしょうか?試しにCitation引用)って書いてる下のあたりのリンクを踏んでみましょうか。でもやっぱりAbstractしかありません。実は、論文ってタダで読める訳じゃないんです。検索して出てきた論文を読みたいと思っても、お金を払って電子ジャーナル学術誌を購読しないと読めないことが多々あります大学生や研究者の場合基本的大学が代わりに費用負担しているので割り当てられたメールアドレスを使えば無料で読めます。私も大学アカウントサインインして読みました。大学生や研究者でなくても大学図書館に行ってコピーすれば印刷代はかかりますが、可能でしょう。しかしこのご時世、ほとんどの大学図書館は解放されていませんでした。以上を踏まえると、rei氏は電子ジャーナル個人購読していると考えられます。なんと素晴らしい心がけ!一般企業勤務年収700万の会社員であるrei氏が支払う購読料で出版不況に喘ぐ学術業界はきっと大助かりのことでしょう。みなさんにこの感動を伝えたいあまり、すっかり前置きが長くなってしまいました。では論文eの内容を概説します。

アメリカの7thGrade、8thGradeの男の子日本で言えば中一中二の男子に対して、男子の性行為経験の有無、身体男性成熟度、リーダーっぽい支配的印象の程度、イケメンな印象の程度の四要素間の相関を統計的処理にかけて調べました。その結果、身体男性成熟が進んでいて、支配的な印象を与える、イケメン男子ほど性的活動が活発な傾向があると判明したそうです。

論文eは捉えがたい「男らしさ」を多面的定義づけ、そして「男らしい顔つき」の男子はより早く性交渉する機会があると分析したわけで、なかなか面白いなあと思ったりするんですが、それをrei氏は"顔つきの男らしさは童貞卒業の早さを予測する因子であることが示唆されている”の一行で済ませてるんですよ。まとめ方が雑。情報取りこぼしすぎ。ちなみに論文eによると支配的な顔つきの男子イケメン男子眼鏡をかけていない傾向があったそうですが、この記述から眼鏡をかけているチー牛顔の男子性的経験に乏しい、とまで言えるのかどうかは正直よくわからないです。次の段落に移ります

しかしながら、チー牛顔がここまで忌避されるのは「豊かな先進国から」という事情もある。たまにインターネットでは「所詮この世は弱肉強食強ければ生き弱ければ死ぬ」みたいな事を言う人間がいるが、この世は弱肉強食ではなく適者生存であり、また社会が豊かで平和からこそ、そのように言ってられる面がある。人間戦争災害時など本当に弱肉強食環境下では、所謂「群れ」になる。そして野生動物の群れを見れば分かる通り、群れ内では弱肉強食摂理は働かず、互助相互監視役割分担といった形で群れ内は「平和」な形になる。これは考えれば当然の事であり、本当に厳しい環境下において同じ種で争っている場合ではない。要するに個人主義は社会平和である事を前提とした価値観なのだ

色々トンチンカンなこと書いてるrei氏のこのnoteで、最も意味不明な箇所がここです。何を言いたいのかマジで把握できなくて、読むだけで一時間くらい費やした。ここまで可読性が低いのはいくつか理由が考えられて、まず接続詞おかしい。段落頭、「しかしながら」は逆接の接続詞のはずですね。前の二段落rei氏が言いたかったであろう主張は「女性は男らしい顔を好む」のはず。しかしながら、この段落では突然、「平和社会状況であることが人々の行動に与える影響」の話が出現します。新規情報です。新キャラです。「しかしながら」の前後で予想を裏切るような意味内容の反転は生じていません。もう一つ指摘するとすれば、対立軸不明確な言葉遣いである点。「先進国ときたら「発展途上国」、「弱肉強食ときたら「共存共栄」、「個人主義」ときたら「全体主義」もしくは利己主義の逆という意味で「利他主義」。こうした対義語リードされてあっち行ったりこっち行ったりしながら議論を進めていくのが一般的なリズムな訳です。現代文の定石です。ではもう一度読んでみましょう。

……………。何が書いてあるか、何を主張したいかわかりましたか?私にはわかりません。とりあえず”この世は弱肉強食ではなく適者生存"の部分に着目してみましょう。なにやら進化論じみた雰囲気しますね。弱肉強食適者生存進化論については、科学史哲学史関連の書籍出版している吉川浩満氏のインタビュー記事がとてもわかりやすかったので、ちょっと長いですが紹介させていただきます

https://synodos.jp/science/17264

この記事によると、弱肉強食世界認識モデルに組み込んでしまうのは素人あるあるらしいです。rei氏も度々モテ/非モテ論の文脈位置付けられる文章を書いていましたね。インタビュー記事は続いて「適者生存概念歴史的経緯へとトピックが移ります吉川氏によると、ダーウィニズム進化目的生物序列を認めない立場なのだそうです。そして、絶滅を免れて生き残った生物種のことを適した生物、すなわち適者であると定めましょう、というダーウィニズムの考え方を端的に表すスローガンこそが、「適者生存」なのです。生存する者を適者とみなす適者生存」とは、ダーウィニズムにおける議論の出発点にすぎなかったんですね。これをひっくり返して飲み込んでしまうと、お前は適者でないか生存できないんだ、俺は劣っているか勝負競争に負けるんだ、となってしまます。これはよくない、本当によくないですよ。優生思想ど真ん中、ナチスドイツの大虐殺。そんでもってこれがrei氏の手にかかると非モテから結婚できないんだという同語反復に陥っちゃうわけです。

わかりましたかrei氏は語の意味をまともに調べることすらせず、雰囲気だけで文章を練り練りしてるんですよ。キリがないんで次行きますね。

それは異性選好においても同様であり、34か国の異性愛女性4483人のサンプルを使用して、社会的、生態学的、経済的変数女性の顔の男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究では、国の健康指数人間開発指数が高い国でより強くなると報告された。男らしい顔に対する女性の好みは、子孫の生存率が高く、経済状況がより好ましい条件の下でより強いことを示している。

https://www.nature.com/articles/s41598-019-39350-8論文f)

アッ!前段落最後の部分、"要するに個人主義は社会平和である事を前提とした価値観なのだ。”の意味がわかりましたよ。社会危機的状況に陥っているとき生存を目指して仲良く男女協力して生殖に励むけれど、現代平和で裕福な先進国ニッポンにおいて女性利己的に振る舞うために男性的魅力に乏しいチー牛顔の人々は選ばれないのだ、ってことですね?世が世なら俺たちには女があてがわれるはずだった、でも時代がそうさせなかった、とrei氏は言いたかったんですね?うぅ、頭がクラクラしてきた……。いや、確かに人間動物一種だけどさ、何もそこまで野山の猿やジャングルゴリラと同一視するのはやりすぎでないか?なんだよ、"男らしさの好みをどのように予測するかをテストするかを調べた研究”って。日本語になってないじゃん……。

この段落については、他の方からも指摘がありました。

https://note.com/hiroko_yayane/n/n7970f9279b51

 6/17追記リンク先が謎の理由消滅していましたが、新しく書いて頂いたみたいなので貼り直しました。

 

字数が厳しくなってきたので次の段落いきます

そして男らしい顔つきの男性攻撃性、不正行為自己中心的衝動性、欺瞞搾取的行動など「所詮この世は弱肉強食マインドを持つ傾向があることが示唆されている。要は豊かで自由で安定した先進国になるほど優しい男性モテなくなる傾向が存在するのだ。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4388848/  (論文g)

論文gでは、顔の縦横比と攻撃性の関係しか見てません。先進国の話もモテ/非モテの話もしてません。"要は"以下の部分は導けないと思います

それにnoteタイトルは「何故、我々は三色チーズ牛丼顔なのか?」でしたが、なぜか結論は「先進国ほど優しい男性モテなくなる」に着地しているんですね。

話がめちゃくちゃズレていってるんですよ。rei氏もそれに気づいてないんですよ。

でね、ようやく全部読み終わったと思うじゃないですか。まだ喋らせてください、まだあるんですよ。この記事本当にすごくて、本文の下にあるコメント欄を見てみましょう。

修正リンクこちらになります

https://www.nature.com/articles/s41598-017-09939-y#Sec17論文x)

ま〜た何をどう修正したのかよくわからん論文リンクが貼ってありますね。

私が読んだ時には既に修正されていたんですが、他の方のツイートによると、もともとrei氏は、コルチゾール値が高くなってテストステロン値が低下するから発達障害男性は「男らしくない」顔つきになるという論証の根拠として、結論真逆論文を引っ張り出していたみたいです。

https://twitter.com/reefedgeswim/status/1265592680915931136

この論文xは、タイトルの「ASD男児及び女児における顔面形態学的な超男性化傾向と症候学との関連」からわかる通り、一番最初に読んだ論文aの結論ASD男性の顔は両性具有で男らしくない」とは反対のことが書かれています時系列的には論文aの方が先で、論文xは後。そしてDiscussionの中で論文aと相反する結果について考察しています。その考察によれば、論文aの実験2の対象として選ばれたのは二十歳前後の男女であるのに対し、論文xの実験対象は三歳から十二歳の児童であることが重要な違いを生んだ可能性があるそうです。思春期の間に男性は血清中のテストステロン値が女性と比べて爆発的に増加します。この思春期におけるテストステロンがなんらかの働きをしたせいで相反する実験結果が出た可能性がある、というわけです。しかし、これまたややこしいことに、成人の顔の形に関して出生前テストステロンが与える影響の方が出生後のテストステロンが与える影響よりも大きいとする論文もあるそうで、研究者の間でもどちらがどうだと確定的な結論は出ていないっぽい。

文章誤リンクの件に話を戻しましょうか。可能性の話をしますが、数多くの論文渉猟しているrei氏のことですから、貼りたい論文と題が似ているのを間違えて貼っちゃったのかもしれませんね。訂正前の論文タイトルは"Hypermasculinised facial morphology in boys and girls with Autism Spectrum Disorder and its association with symptomatology”で、訂正後の論文は"Enhanced Cortisol Response to Stress in Children in Autism”です。Autismとin、二つも単語が重複してるじゃないですか!論文タイトルは全体の要旨を簡潔に書き表したものですから、その中の重要単語が二つも同じであれば、内容が近い論文だったような…と曖昧記憶が生成されてうっかり取り違えてしまうことがあってもおかしくないでしょう、とでも言うと思ったかちゃん論文読み込んでるやつがこんな凡ミスするわけねえだろ。だいたいさ、何が正しいのか誰もわからない研究フロントラインで色んな科学者が仮説を立てて検証してディスカッションしてるような事柄の、おそらくこうかもしれない、って部分を、論文からパーセント正しいんだとピックアップしてるのありえん不誠実でしょ。今後まだまだ検証余地があるって書いてあることを揺るぎない事実として取り上げちゃってるってこと、わかりますか?

reiさん、あんまり疑いたくないんですけど、本当に論文読んだんですか?

おまけ

rei氏の書く文章noteでもtweetでも、どういう意図なのか全くわからないけど、ほぼ全て漢数字が半角数字に置き換えられてるんですよね。でも恐ろしいことに、このチー牛顔を取り上げたnoteでは、3色チーズ牛丼顔と書いてないんです……。

追記

https://anond.hatelabo.jp/20200614190033

発達障害ツイッタラーrei氏のnoteから読み解く論文引用して嘘を塗り固める技術

みなさん。reiというツイッターアカウントをご存知でしょうか?

https://twitter.com/rei10830349

ツイッタラーありがちな生き辛さや発達障害あるあるを140字に納めた秀逸なツイート話題を呼んでいる方です。

https://note.com/beatangel/n/n32ff4498424e

rei氏が先日投稿たこちらのnoteがあまりにも杜撰で酷いにも関わらず、多くの人の共感を呼び瞬く間にシェアされ、チー牛ミーム拡散に一役買ってしまっているこの状況に警鐘を鳴らすべく、彼の文章基本的根本的な誤りを一つずつ指摘したいと思います

忙しい人向けのポイントまとめ

rei氏は「ストレス」の語を児童虐待や親から被虐意味で使っているが、引用論文内では新規状況に対する精神ストレス意味で使われており、なおかつ被虐児は実験対象から除外されている。

rei氏はテストステロンが低下すると男らしくない顔つきになると主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切ない。

rei氏は先進国全般女性は男らしい顔つきを好む傾向があると米国実験で確かめられたと主張しているが、引用論文内にそのような記述は一切なく、引用論文シンガポール大学から発行されている。

rei氏は進化論における適者生存概念を用いているが、正しく理解しているとは考え難い語の使用をしている。

本論

以下では段落ごとに細かくツッコミを入れていきます

このチー牛顔の特徴は言うまでもなく、

・男らしさの特徴が薄い

表情筋の未発達

上記2点の相乗効果により何処か幼く見える

眼鏡

の4点に集約されるだろう。

最初から数えて三段落目の部分です。もうさあ、この箇条書きの仕方からして気にくわないんだよな。三つ目のポッチの”上記2点の相乗効果により何処か幼く見える”の項目。項目間で参照しないでくれ。せめて箇条書きから外してまとめるか、”上記2点の相乗効果により”を省いてほしい。この程度の体裁すら整えられていない文章を書く人が本を出すんですね。校閲の人は大変そうです。おや、rei氏の固定ツイート記載してあるamazonリンク存在しませんね。スクリーンネームも”rei@生きてるだけで疲労困憊発売延期"となっています。何か問題でも発生したんですかね?

チー牛顔の特徴に話を戻すと、"男らしさの特徴が薄い”は後述する論文にも確からしい記述があるので横に置いておきますが、"表情筋の未発達”という表現はどう考えても不自然で、表情筋が発達しなかったら目を開けたり閉じたりできないし、ましてや口を動かして発語して「牛丼ください」なんて言えないはずなんだよな。"幼く見える”は主観的な印象にすぎないし、眼鏡をかけていることが不細工代名詞「チー牛」の特徴の一つとまで言うのはもはやただの罵倒だろ。眼鏡っ娘を馬鹿にするな。

百歩譲って、ここまでは話題提示部分であって、rei氏の過失ではない点が多分にあることは認めよう。

だが、ここから先で繰り広げられる、様々な論文結論部分やrei氏の脳内妄想を継ぎ接ぎして構成されたストーリー断じて許せない。許してはならない。てかこんな意味わからん文章を読んでへ〜なるほど!あるあるとか俺もチー牛じゃんwwwとか言ってスキ!やリツイートした奴全員どうかしてる。反省しろちゃんと読め。

さて、こうした所謂非モテ」や「陰キャ」独特の顔つきの由来については、実は実証的な研究においてほぼ答えが出ている。結論から言えば、こうしたチー牛顔を形作るのは「低いテストステロン値」「精神障害」「虐待イジメ経験」の3要素であるが、これらはそれぞれ相関している。

らしいです。非モテ陰キャあるあるかいマジでしょうもない中学生までには卒業しておきたい話が始まる予感がプンプンしますが、とりあえず聞くだけ聞いてやりましょう。

過去においてASDの原因は「極端な男性脳」と考えられ、彼等の拘りの強さや反復傾向やコミュニケーション不全の原因は高いテストステロン値にあるとされてきたが、研究の進展により近年はそれが否定され※、むしろASD男性物理的に両性具有であることが示され始めている。身体性的2形(身体男性的特徴)が乏しい傾向にあることが示唆されているのだ。その1つに自閉症の顔を調べた研究があり、それによればASD男性の顔つきは「男らしくない」特徴があるという。

https://jneurodevdisorders.biomedcentral.com/articles/10.1186/s11689-015-9109-6 (論文a)

※(胎内において高いテストステロン値に晒されるとASDになりやすい傾向がある事は2020年5月現在定説だと思われる)

rei氏のnote言及した人はここで挙げられている論文aを全員読んでいるはずなのですがもしかしたら忘れてしまっている人もいるかもしれないため改めてざっくり説明します。チー牛画像説明rei氏はなんの根拠も明示せずに男らしくない顔つきである、と断定していましたが、この論文aはなんと、「男らしい顔、女らしい顔とは一体どんな顔であるのか?」という大変根元的な問いについて画像解析を用いて答えを出しているんですね。ふむふむ、どうやら男性女性に比べて額の幅が広く、鼻は飛び出てて横幅も広いらしい。 で、次の実験②で、自閉傾向の強い人と弱い人とで顔つきの特徴を比較してみたところ、自閉傾向が強い男性は弱い人と比べて額の幅が小さかったり鼻先が飛び出してなかったりしたと。なるほどこれは確かに男性的な特徴とは言い難い。逆に自閉傾向の強い女性については、より額の幅が大きかったり鼻の幅が大きかったと。ここまでデータを見せられたらさすがに自閉傾向のある男性男性らしくなくなり、女性場合だと女性らしくなくなると納得せざるを得ませんね。ASD男性性的二型(生殖器以外に男性女性区別する特徴のこと)に乏しく両性具有の外観をもつ、ええ、rei氏の言いたいことはわかりましたよ。じゃあ次の段落へいってみましょう。

また発達障害男性の顔つきが「男らしくない」事に関して、環境の影響を示唆する研究もある。恐らくこの記事を読んでる方の半分ぐらいは心当たりがあるだろうが、発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスストレスホルモンであるコルチゾールレベルを高くし、コルチゾールレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3245359/ (論文b)

※(2020年5月27日、リンク先が間違ってるとの指摘があり修正。元リンクコメント欄にて)

えー、まず、発達障害男性は幼い頃から学校や家庭で加害され、そして精神ストレスや肉体的ストレスに晒される傾向がある、きっと読者の皆さんも身に覚えがあるでしょう?とrei氏はおっしゃるわけですが、いくらその主張が正しくても、その根拠自分人生で起きた主観的事実というたったサンプル数1の寄せ集めなわけですから、読者の共感喚起したところで、発達障害男性全体の傾向や、発達過程における諸要素間の相関や因果関係といったマクロの話には全然繋がらないでしょう。

また、この「ストレス」という単語について、引用されている論文bでは、いやそもそも彼は論文引用ルールすら守ってないので、この論文bが本文のどこと対応してるのか全然からないんで、マジでこのリンクたまたま偶然横に貼られている本文との関連性が一切見当たらない論文URLなんですけど、えっじゃあさっきまでわざわざ論文を読んでた俺バカじゃね?学術的な考察武器に世相を舌鋒鋭く、そして時には優しく切り込んでいくインターネット論客期待の新星っぽい雰囲気にまんまと騙されてんじゃんうわ恥ずかし!えっとなんでしたっけ、そう、この横にペっとはっつけられてる論文における「stress」とは、自閉症児が苦手とする経験したことのない新しい状況や環境のめまぐるしい変化といった意味ストレスなんですよね。introductionのパラグラフ二つ目

"Individuals with autism are commonly observed to react abnormally to environmental changes or novel situations that might not be stressful to others. “

って書いてあるじゃないですか。ところでrei氏の言う「ストレス」ってなんでしたっけ?"発達障害男性は1般的に幼少期から仲間外れにされたり、暴行されたり、虐待や親の過干渉に晒されやすい。こうしたストレスは"–––––––って、ええ!論文の「stress」と意味全然違うじゃないですか!しか実験被験者のうち虐待ネグレクト経験ある子供は除外されてるんですよね。Participantsの段落に、

"Children were excluded if they had a history of abuse or neglect."

ってちゃんと書いてあるんですよ。

本筋と関係ないので手短に実験の内容をまとめると、自閉症の小児について、コルチゾールストレスに応答して分泌されるホルモン一種)の値を安静な状況、新しい環境採血後のそれぞれで測定してみたら、発達障害の既往がない人よりずっと高い数値を示したんだってさ。

rei氏はコルチゾールが高くなると男性ホルモンテストステロンが下がる、って書いてるけど、残念ながらこの論文bにはテストステロンのテの字も書いてないんだわ。Ctrl+Fで単語検索してもテの字も引っかからなかったんだわ。でさ、俺こんな場末インターネットでネチョネチョしちゃってるけどさ、曲がりなりにも医学部通ってて、手元に教科書とかあったりするのよ。ギャノング生理学原書25版、CHAPTER20、副腎髄質と副腎皮質の章、433ページ。"副腎アンドロゲンの分泌は急性にACTHにより調節され,性線刺激ホルモンによって調節されない.”と書いてありますテストステロンアンドロゲン一種。ACTHは副腎皮質刺激ホルモン略称で、コルチゾールテストステロンを分泌させるのに働くホルモンです。教科書のこの記述から類推するに、コルチゾール糖質コルチコイドもテストステロンの分泌には関わってなくね?や、もしかしたら教科書の隅から隅まで読んだらちょろっと一行書いてあったり、コルチゾールが高くなったことでフィードバック機構が働いて副腎皮質刺激ホルモンの分泌低下が引き起こされて結果的テストステロンが下がったりするのかもしれないけど、rei氏はどこにも出典を明記せずに本文中でいけしゃあしゃあと"コルチゾールレベルが高くなることでテストステロンが低下し、テストステロンが低下する事で性的2形が不完全に形成される可能性が示唆されている。"なんて書いてやがるわけですよ。許せなくない?ありえんでしょ。なんでわざわざこいつのデタラメデタラメエロゲで鍛え抜かれた迫真想像力快楽排泄した駄文に付き合っていちいちファクトチェックしないといけないんですか?そうだ、reiさん。医学部レポートコピペ学科学生に任せてみたらどうですか?少なくともあなたよりロジカル科学的に正しい文章を書いてくれると思いますよ。なんなら紹介しましょうか?彼らは優秀で知性溢れる優しい友人がいるおかげでいつも成績は満点みたいですしきっと心強いと思いますよ。ところでreiさんにはいるんですか?優秀で知性溢れる優しい友人。いえこれは単なる興味です。

次の段落行きましょう。まだまだありますからね。先は長いですよ。

更に上記取り上げた海外チー牛ことThe Virgin Walkに関しても、インターネット等で語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」などの特徴は発達障害運動協調の苦手さや感覚過敏や身体感覚の不全等の特徴と1致する。

https://www.scientificamerican.com/article/autism-in-motion-could-motor-problems-trigger-social-ones/ (記事c)

なんなんですかね、この抜け字。めちゃくちゃ気になっちゃうんですが。話の流れで飛ばしちゃったけど、なんかチー牛ミーム類似品は海外にもあるらしいですね。俺は細かいところが気になる性分なので、The Virgin Walkの画像を見せられた後に”インターネットで語られる「ぎこちない」「フラフラしてる」「リズム感がない」「つま先で歩きがち」"なんて書かれるとつい画像の中の英文対応してるのかな〜なんて思っちゃうんだけど、全然対応してなかったです。じゃあこの例にあげてる印象ってどこの誰が言ってるんですか?対応してないっていうので言えば、ここで発達障害の特徴をいくつかあげてますけど、運動協調の苦手さ、身体感覚不全、まあ上述の印象と概ね一致するとしましょうよ。でも感覚過敏はどれとも対応してないですよね?何と何が一致するか、そういう細かいところキチッキチッと詰めていきましょうよ。文章グルーブ感が大事なんですから、この後きっとこうくるだろうなという読者の予感みたいなの丁寧に扱ってあげましょうよ。リンク先の記事cについては特にコメントないです。自閉症児の多くは運動機能の発達や社会性の発達に障害を抱えるよ、くらいのことが書かれた科学ニュース記事で、論文とかじゃないですし。あ、でも自閉症児の運動障害社会性の発達に悪影響を及ぼすという理論に、そもそも社会性の発達より運動機能の発達の方が時系列的に先に生じるからそう見えるだけなのでは?と反駁している記述とか、自閉症患者の困難は取り入れた視覚情報運動性・社会性とを接続させられない点にあるという指摘は面白かったですね。はい次!

たこれは研究事例を示すまでもない事であるが、人間自分言動揶揄されたり叩かれると自分に自信がなくなり、表情が暗くなったり、あまり表立って活動しなくなったり、人との関わりに消極的になってしまう。その為、こうした人間は表情を使う機会が乏しくなり、表情筋が発達しなかったり、表情をノンバーバルコミュニケーションとして使う経験が蓄積されず、表情が常に無表情気味かつ幼くなってしまう。

いや、研究事例はちゃんと示そうよ!まあ書いてあることはわからんでもないよ、わからんでもない。上司や先輩に怒られたり同級生バカにされたりインターネット誹謗中傷されたら凹んじゃうよね、引きずっちゃうよね。ウンウンわかるわかる。それはそれとして、この段落後半、同じことの繰り返しになっちゃってません?「顔の表情を使う機会が乏しくなる」、「顔の表情筋を使わないから発達しない」、「表情を使う経験が蓄積されない」、「表情が無」。極め付けには「顔が幼い」と、今まで一度も論じられてない幼さという主観的な形容詞を持ち出しちゃってます。GooglescholarやPubmedを使いこなしありとあらゆる論文引用して鮮やかなストーリー提示し、英語はおろかちょっと黒々とした文字集合体さえ読めないパンピを納得させてみせるrei氏が、こんな小学生みたいな感想文をうっかり混ぜ込んでしまうなんて、とても私には信じられません。きっと何かの間違いでしょう。

ここでrei氏の文章は前半のまとめに入ります

まとめれば「発達障害男性は幼少期から多大なストレスに苛まされる事によってテストステロン値が低くなり、また人間との接触を避けるようになってしまい、結果として顔は男らしくなく、表情筋が発達せず幼い印象の顔になってしまう」という事だ。尚これは傾向の話であり、チー牛顔であるイコール精神障害であったり、虐めや虐待経験があったりする事を意味しない。

ツッコミどころが満載のまとめですね。簡潔にいきましょう。

rei氏はストレスの語を、援用した論文とは異なる意味使用している。

rei氏は発達障害男性テストステロン値が低くなる根拠を示していない。

発達障害男性の顔は男らしくない傾向にある、と解釈できる論文はあるものの、rei氏が主張するところの表情筋の発達とは関係のない目や鼻や額といった器官そのもの位置に関する論文である

rei氏は、発達障害男性の顔が幼い印象を与えることについて言及する記事論文を示していない。

腹立つのがさ、あくまで傾向の話なんですよ〜私はチー牛顔は精神障害者とは一言も言ってませんよ〜って逃げ道じみた一文を付け加えてるところなんだよね。何が原因で何が結果である、みたいな因果関係ってすごくややこしいじゃん。すぐコロッと逆転させちゃったりするじゃん、人間は愚かなので。今書いてる俺も、うん?どっちが先なんだ?って立ち止まっちゃうともうダメ。あーもう、こっすいよなあ、この一文を付け加えるだけで責任逃れられるみたいに思って書いてんですよ、この人。こんだけ嘘や誤認を誘導する駄文書いといて、「いや俺はそこまで言うてませんから、ほな^^」みたいな態度、要は舐めとるんですわ。文章を書くということも、読者のことも、発達障害者のことも、生き辛さを抱えてる人たちのことも、毎日研究室でせっせとデータ取って論文読んで人類の知の水平線を広げんと奮闘してる研究者のことも。腹立たしい。論文読むならちゃんと読め、使うならちゃんと使え、筋の通ってないこと書き散らかすな、知の冒涜も甚だしい。

入りきらなかったので後半に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20200614185914

タイツに於ける、特有の陰翳が施す美的意匠に関する考察

タイツの魅力は〈隠す〉こと、〈深み〉を与えること、〈整える〉ことに由来する。即ち、脚部を隠すことで、秘匿されるべき魅惑の“生脚”の存在偽装するとともに、ちょうど薄雲が満月を翳らす時のように、脚部に可視的な〈深み〉を与える。黒タイツは、飽くまで脚部を〈隠す〉ことに徹しながら、“生脚”の存在を仄かし、その可視的表面を覆い隠しながらも、むしろ視線を誘い込み、幻惑させる。そして無機・金属質をも思わせる、てかてかしたナイロン生地が脚部の可視性を〈整える〉(又は均質化する)ことで、化粧を施したように、或いは大理石彫像のような、神々しい光沢を帯びる。然るに黒タイツに包まれた脚はあくまで閑雅な面持ちでありながら、その内に涼しく流し目する妖艶な光を宿すのである

2020-06-12

僕ヤバ:ミルクティ問題

解決考察

僕ヤバの楽しみのひとつは埋め込まれ考察ポイントの答え探しなのだが、いくら考えても検索してもスッキリした答えが見つからない事も。

その最たる1つが

ミルクティーは何故、山田初恋の決め手となったのか」

という事で、未だに完全に納得できる説明を見つけられずにいる。

ミルクティー登場の状況確認

重要アイテムミルクティーが登場したのは職業見学編の最後

マンガ編集部見学を経て市川の新しい面を知った山田市川への意識を強めていくなか、

山田ミスで二人は他の班員とはぐれてしまう。

自責の念から顔を伏せて落ち込む山田

飲み物くらいはいいだろ」と市川差し出したのがミルクティーだった。

手渡されたペットボトルミルクティーだと気付いた山田自分でもわかるほどに赤面、顔を上げられなくなってしまう。

山田の心に何が起こったのか

この瞬間山田が恋に落ちたのは「片想いの終わりに」と言うのりお先生コメントもあって間違いないと思うのだが、一体このときに何が起こったと言うのだろう?

まず、山田の表情からして難しい。

「ありがとう」でも「優しいね」でも「嬉しい」でもなく「緊張まじりの驚き」。

もし市川が正体を隠した殺人犯ミルクティーが決定的証拠なら、

「そうか、こいつが犯人なんだ・・・!!」

と気付いてこんな顔をしそうな表情。

要するにこの場面では何か重要な事に気付いたのだろうし、目一杯顔を赤くしている事から市川が私を好き」か「私は市川が好き」のどちらかだという事は間違いなさそうに思える。

山田が恋を自覚するのが karte.30 という前提を踏まえれば消去法で「市川が私を好き」と気付いたと考える他ない。

ミルクティーは「決定的証拠」なのか?

さら問題なのは、なぜそういった気付きがミルクティーを見た事で引き出されたのか?という事。

飲み物くらいはいい」「ミルクティー」の合わせ技で市川職業見学の朝の山田達のやり取りを気にかけていた事は分かる。

なんならツイヤバの「好きなものクイズ」を覚えていたとしてもいい。

だとしても、それだけで市川山田を好きと確信するには弱すぎる。

第一ミルクティーが決め手なのだとして普通

 ミルクティー?

  →え?なんで知って?

  →もしかして市川・・・

  →赤面

くらいのステップを踏みそうなところを、

 ミルクティー?

  → 赤面

なのだありがとう一言をいう間もなく、一瞬で気が付いてあの表情。

何か思考ショートカットする要因があるのだろうか??

例えば「君オク」にそういうエピソードがあるという類の。

正直、この線での検討手詰まり

まったく別の仮定

このとき山田が気付いた事が、まったく想定外な事だったらどうだろう。

例えば、山田はこの時初めて「ご自由にお使いくださいティッシュ」の主が市川だと気付いた、とか。

顔を伏せて落ち込む山田は涙を流しており、それを不器用な優しさで励ます様子は karte.15 を連想させなくもない。

山田はあのティッシュ大事に取っておいているし、もし誰の仕業か気づいていないのだとしたら「紫のバラの人(古!)」的に心の拠り所にしているかもしれない。

市川がその人と気付いた瞬間、あんな顔もするだろう。

でもこの説は当然ダメ

ティッシュ市川仕業と気づかないと、そもそも山田市川に心を開く理由が無くなってしまう。

こんな具合で

結局よくわからないのだった・・・

とりあえず、ミルクティーは市川がいつも山田大事に思ってきた事の表れ、と言うことにして何とか飲み込んでいるが、このモヤモヤを晴らせる日は来るのだろうか。

情報求む

なぜ殺生はいかんのか?

https://anond.hatelabo.jp/20200612211334

この思想は、いつ・なんのために、始められたのか?また、現代規範のようになっているのはなぜなのだろうか?

・・・もし地球外の生命体と、我々が地球上で外国人とのような外交関係を築こうとした場合、この点をよくよく考察しておくことは、いざその遭遇の機会が訪れたらとても有益だと考える

2020-06-11

ノムリッシュ羅生門

ある日の暮方の事である。一人の名も無き勇者が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もい――家畜に神はいない。ただ、第14創聖神の頂点所々丹塗にぬりの剥はげた、極めてゲインな円柱に、グリジャル=グリージョが壱式匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はアンティカ族そうなもので或る。それが、この男のほかには名も知らぬ有象無象もいない。

 何故かと奏上すと、この二三世紀、狂都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか奏上す災がつづいて起った。そこで洛中さびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や聖宝具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔が神の光に導かれるままに――たりした木を、路ばたにつみデュアルシフトして、薪の料Ξ(クシー)しろに売っていたと云う仕儀である。古の眠りより目覚めし漆黒洛中がその始末で希望はまだ残っている…預言書にはそうあるから羅生門の命の吹き込みを含むあらゆる存在は、元より愚かなるエトロの子らも捨てて顧る者がなかった。――運命の結末は――その荒れ果てたのをよい禁呪にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない…それに、何度ぶっ倒しても消えた仲間たちはもう蘇らない。死人を、この俺が愛したペテロの門へ携えて召喚て、棄てて行くと奏上す習慣さえ出来た。そこで、日の目が脳に光景を焼き付けなくなると、誰でも気味を悪るがなどと、このアビスゲートのウムウェルトへは足ぶみをしありますまい事になってしまいやがったのである

 預言書にも記されているそれ代りまた鴉がどこからか、ff15の在庫の山に勝るとも劣らないほど大量集って来た。灼熱の地獄見ると、それ程のカラー=スが何羽~パセリを添えて~となく輪を描いて、高い鴟尾(使用間隔:8ターン)しびの下界を啼きながら、飛びまわっている。ことに門のハートレスが、夕焼けであかくなる歴史とき)には、それが護摩をまいたおやおや、これはこれはにはっきり見えた。鴉は、知れた事よ…、門の天上に最も近き行く手にある死人の肉を、啄ついばみに来るのである。――もっと今日は、刻限が遅いギルティ-罪-か、断絶されし孤独な羽も見えないのさ……。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草はえた石段の上に、鴉の糞ふんが、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の始原(ウーヌス)番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右のペルソナフィールドに出来た、大きな面皰を気にしながら、夢幻の罠に囚われる、雨のふるのを眺めていた。

 創造者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と綴った。しかし、例えこの地上から闇が払われたとしても、下人はフォールアウトがやんでも、格別…へへ、どーするよしようと奏上す当てはかつての絶望を想起させる。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がそのオルロワージュ――預言書にはそうあるからは、四五あの日前に悠久の時を出された。刹那にも綴ったノコノコと死にに来たかに、当時京都の町は一通り…それでも“力”を求めるのならず衰微していた。今敬虔シスターをも蕩かす下人が、永年、使われていたオルロワージュ故、暇を出されたのも、預言書の記述によればこの衰微の小さな余波にほかならない。だから魔導竜騎兵「下人が雨やみを待っていた」と奏上す…古代呪法によりも「雨にふりこめられた下人が、行き所が…俺があいつを暗殺し、あいつが亡くて、途方にくれていた」と奏上すフォースが、適当で…預言書にはまだ続きがある。その上、神々が示し祝福した日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響(エフィシエント)した。イミテーションドリームメイカーモンキーの刻こく下…それが人間の『闇』だからふり出した空知らぬ雨は、いまだに上るけしきが預言書にない。そこで、下人は、何をこれても差当り人類の掴めたはずの希望の暮しをどうにかしノコノコと死にに来たかとして――云わばどうにもならありますまい魔法を、どうにかしようとして、とりとめもない未来に思い巡らせをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる涙の雨の命の音《ハウルリズム》を、聞くともなく聞いていたのでベリアル

 雨は、羅生門をつつんで、悠久の彼方から、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、名詠門(チャネル)の天蓋が、斜につき出した甍の最前線に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んで…俺たちはファイナルファンタジーで繋がっている遑はない。選んでいれば、築土の格下か、道ばたの土の上で、饑死にをするばかりである。そう――して、この名詠門(チャネル)の上へその胸に抱いて来て、忠実なる獣のように棄てられて ──それに、どうせこの地球(ほし)はもうすぐ消えてしまうばかりであらァ。選ばないとすれば――名も無き勇者未来に思い巡らせは、…お前が望むのなら、何度も同じ道を低徊した揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。併しこの「すれば」は、いつまでたっても、結局野村「それと俺の解釈では、すれば」であった。

下人は、手段を選ばないと申される事を肯定しながらも、この「バカモノー!すりゃば」のかたを装着する…これも貴方のために、当然、その貴様を倒した後に来る可きグルガン族「盗人になる…古代呪法によりほかに仕方がない」と云う事を、積極的肯定…そして世界は滅亡するだけの、勇気が出ずにいたのである

 下人は、偉大なる嚔くさめをして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えの不可視世界(ヴァルハラ)に還る京都は、お前たちがどう足掻こうが火桶が欲しいほどの寒さであるいのちを息吹の神は門の柱とリヒト・ゾイレとの運命境界線を、夜の口と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の人柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

 名も無き勇者は、頸をちぢめながら、山吹の液状クリスタル袗に重ねた、紺のフースーマの肩をハイスして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目に悠久の時を経る惧の預言書にない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、ワラキアの夜を明かそうと思った…無限存在する並行世界からである。――運命の結末は――、天の福音が穢れた地に満たされる門の上の大神殿へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が隻眼に神の光に導かれるままに――た。上なら、人がいたにしても、預言書は絶対だ…死人ばかりである。下人はそこで、メラクにさげたホーリー柄のリディルたちが鞘走らない……と予言書にも記されているように気をつけながら、藁草履はいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

 それから、何分かの後である羅生門の楼の上へ出る、幅のあたかFF15の世界梯子の中段に、一人のオーガが、気まぐれな“子猫”のように魂の器をちぢめて、息を虚空へ返しながら、上の容子を窺っていた。大神殿の上からさす全てを焼き尽くす憤怒の炎の光が、かすかにその男の右の頬をぬらしている。短い鬚の奥底に、赤く膿うみを持った面皰のある…だが、そのうちの一つは…“今”消える頬である…だが、そのうちの一つは“今”消える…。下人は、始めから、この天上に最も近き行く手にいる者は、死人…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしておるらしい。…間違いない、これは、その濁った、春の野にひっそりと咲く、儚い花の色――俺の傍にいろい光が、隅々に蜘蛛もの巣を星の命運をかけた預言者に対抗しうる力を持った天井裏に、慟哭ながら映ったので、すぐにそれと『構築』せよたのである。この雨の夜に、この羅生門の天で、火をともして顕現してるが根源となるは、どうせただの者ではない。

 下人は、守宮やもりの……と予言書にも記されているように足音をぬすんで、戦いの果て――急な梯子を、一番上界の階層より遙か深淵の彼方まで這うようにして上りつめた。そうしてただの器を出来るだけ、ヘイヤードたいらにし、帝国風の焼き味噌で一杯飲(や)りながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、大神殿の内を覗のぞいて見た。

 見ると、楼の深淵には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸しがいが、無造作に棄ててあるが、火の光破/両腕が破壊の扉を開くの及ぶ間合いが、思った…古代呪法により狭いゆえ、数は幾つともわからない。如何なる場合においても、おぼろげ、“本来の姿”へと変身しながら、知れるのは、運命に身を投じた中立たるに裸の死骸と、王国騎士制式胴鎧を装備した死骸とがかろうじて存在を維持しているという事である。勿論、中には女も男もまじって…未だその存在は謎に包まれているそのように思考されている。そうして、その死骸は命を賭して戦ってくれる仲間、それが、かつて、生きていた人間だと奏上す事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造ったヒトノカタチのように、口をヒ・ラーキフッ まかせておけ。たり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とかペクトゥスとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…の高くなって属する部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている…だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた…部分の影を一層暗くし、自慢の愛車で仲間と共に荒野をかっ飛ばしながら、悠久《パーマネント》に唖おしの如く黙っていた。

 下人げにんは、それらの死骸の腐爛した臭気幻想(おも)わず、到達することのできない境地を掩おおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を小僧との思い出を奪われていた。存在しえる強い感情が、一部のイカれたヤツを除きことごとくこの夏――男の嗅覚を奪ってしまたからだ。

 下人の邪王真眼は、その歴史とき)、はじめて大いなる死骸の中に蹲うずくまっている人間を確実に目に焼き付けた。檜皮色の着物を着た、背の低次元、痩やせた、白髪頭の、猿のような魔女である。それ程のカントリーグランド・マムは、右の手にフィアンマをともした松の人の住みし記憶の欠片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。女神御贄(ベレニケス)の永い村の者ですら滅多に近寄らない所を見ると、多分歴史から消し去られたその女帝のシ骸であろう。

 下人は、六分のフォヴィアと四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸を破滅へ導くのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭ミノ=ケ・ザ・ヘルヘイムもゴーレムと化す」ように<知覚>したので存在量子力学的揺らぎを固定する。

――運命の結末は――老婆は、億千の針を持ちしものの木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の賞金首に大切なものさえ救えなかった俺の両手をアモルファス要請すると、丁度、猿の親が猿のクォの虱をとるノコノコと死にに来たかに、帝国の途方もなく、終わり見えないほどに長い髪の毛を一ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜きはじめた。人類の頂点に立つ漆黒の神は手に従って抜ける…俺の仇打ちはまだ終わってはいないらしい。

 その黒いフードの男髪の毛が、壱式ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜ける…理解者のみって言ったのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつマイカ老師と共に異界に消えて行った。そうして、それと同時に、この魔女に対するかつての聖戦を思い起こさせる憎悪が、アンダンテ動いて来た。――いや、狂気魔女に対すると云っては、ゴ=フェインがあるかも知れ…私の秘密知ったからには生かしてはおけない。摂理に従い、森羅万象に導かれる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。このクロノス、誰かがこの世ならざる名も無き勇者に、さっき門の下でこの鋼鉄の鎧に巨大な斧を背負った男が考察班ていた、饑死にを異世界の穢れし魔物召喚するか空賊ぬすびとになるかと奏上す問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の過去に置いてきたものもなく、饑死を選んだ事で発動させる”禁呪”であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、カントリーグランド・マムの地獄の地に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである

 名も無き勇者には、勿論、…人は何故カントリーグランド・マムが死人のバイオケーブルを解き放つかわからなかった。預言書の記述にあるように、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。――否、下人にとっては、この雪ぐは戴天の罪の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる正義の伴侶であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる、そして君の風になる気でいた事なぞは、とうに忘却ていたのである

 そこで、下人は、両足に力を世界を切り開けて、刹那、、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の叢雲の太刀に魔手をかけ、“汚れた天使”と呼ばれた彼を心の底から称賛しながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云う…その命の灯火尽きるまでもこんな最低な世界にもはやなんの未練もない。

 老婆は、一目下人を見ると、…あれは…見たことがある……弩に俺はドジでスケベで頼りない…でも弾はじかれたように、飛び上った。

バカモノー!おのれ、どこへ行く。」

 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞ふさいで、こう罵ののしった。老婆は、それでも名も無き勇者をつきのけて行こうとする。名も無き勇者はマーター&デヴォーション、それを行かすまいとして、押しもどす。

エメラルドウェポンやオメガウェポンと同等の強さを持つ二人は死骸の中で、悠久の時を経て、詠唱破棄のまま、つかみ合った。しか勝敗は、サービス開始が根源となるわかっている…奇しくもそれは、予言書に記された記述と同一の状況であった…。下人はとうとう、魔女の腕をつかんで、言葉などと云う貧弱なものでは顕せぬにそこへ螺旋の終止符倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮…俺たちの冒険はまだ始まったばかりの我が能力である

「百億の鏡のかけら…小さなともしび…とらわれた天使歌声…ゼノ…ギアス”ナニ”をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」

 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、聖なる輝きを放つ刃金の属性をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は沈黙調和している。二刀流をわなわなふるわせて、ショール・ダークネスで息を切りながらも、人類は救いを求める―――、眼を、デュアルアイセンサーがまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、言語の束縛より解き放たれし者のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて確定的に明らかにこの老婆の生死が、全然自分意志(消え去ることなく受け継がれゆくモノ)にドミナンス・ドグマされていると奏上す魔法意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく爆ぜていた憎悪のバレッテ(宿りし邪悪意思)を、千年の時を越え冷ましてしまった。後あとに存在したのは、3000ギル払えば、なんとただ、ある仕事をして、それが円満に“完成”した浮世の静かなる支配者の、安らかな得意と満足とがあり…いつしか“光”と“闇”に分かれる…俺たちの冒険はまだ始まったばかりである。そこで、下人は、老婆を“劣等種”どもと同等に扱い、忌まわしき呪いの傷を隠しながら、僅か声を柔らげてこう云った。

とある神羅兵「己人のぬくもりを知らなかったおれは検非違使の教団の役人を始めとする反乱軍ではない。今し方このヘブンズ・ゲートの下を通りかかった失われし聖蹟アーク〉を探すあてどない彷徨の者だ。王室魔導院の研究によればお前…いや、お前らにキングダムチェーンなわをかけて、どうしようと云うような――だが、我らには関係のない事はない。ただ、ノーラムの刻時分この、眠らない街で……門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすりゃばいいのだ。」

 ――運命の結末は――、老婆は、見開いていた眼を、一層強く、逞しく、獰猛にして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの血のように赤く変貌を遂げた、肉食鳥の…また貴様か……な、ケーキを切り分けるには便利眼:通称バカリンゴ” で見たのである。…死闘の末、皺で、一部のイカれたヤツを除き、鼻と一つになった唇を、何かエーテル素体でも噛んでいるように動かした。細いアトモスホールで、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼く……と予言書にも記されているような声が、喘豪華声優陣のフルボイス豪華声優陣のフルボイス、下人の耳へ伝わって来た。

 クラウド伝説の髪を放ってな、この血餘を抜いてな、鬘にしようと聖なる光に包まれるたのじゃ。記憶たか?」

 下人は、老婆の答が神々すらも予想だにしなかったであろう、平凡なのに失望した。必然して霊結晶の反転すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって新約した。すると、大いなる気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、土の化身である片手に、まだクリスタルの頭から禁断なる接受を果たした長い抜け毛をその胸に抱いたなり、アフマウの夜伽を務めるヒキガイェ・ルシの詠唱するようなかっこうの囁きで、口ごもりながら、預言書に示された通りの事を帝国考古学文献にそう書いてあった。

「成程な、死人しびとのこの世から逃亡せし我が同士を抜くと奏上す事は、何ぼう悪い事かも学べぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆の者、そのくらいな事変を、されてもいい人間…かつての大戦英雄ばかりだぞよ。神に見放された孤独時間、わしが瞬間(いま)、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと奏上すて、太刀帯の陣へ売りに往いん(魔導キャノン搭載)だわ。疫病にエンカウントして死ななんだら、地上が闇に閉ざされた今……確かに人間は愚かな生き物だよ。でもウリエルに往んでいた事であろ。それでも……人は生きる。もよ、この女の売る干魚は、帝都第七階層居住エリアで飲む、いつもの味が赦すと云うて、太刀聖鎖どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのここまでの様だなて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事変も許されることじゃない…事とは思わぬぞよ。…へへ、どーするよ、コレ……かつてないほどに推測の域をこえないがせねば、饑死を……空軍を呼べ! 空爆によって破壊するじゃて、仕方がなくする事ここまでの様だなイグレクの。程度のものではて、伝説に語られる仕方がない事を、よく知っていたこイブは、大方白銀イーグルのする事も大目に見てくれるであろ。」

 老婆は、俺がイカれてなければこれ程の……私がこの世界に生まれたその意味コンテンツ帝国考古学文献にそう書いてあった。

 名も無き勇者は、煉獄裁断ス切ッ先を鞘、この物語主人公におさめて、その村正の柄つかを左の魔手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤熱化ペルソナフィールドに膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いてその時を待ち侘びているのである。かつてより懸念されていたとおり、…わからいか? これを聞いている中に、下人の心には、ある…だが、そのうちの一つは“今”消える何者をも恐れぬ強靭意志(おもい)が生まれて…そして人類を滅ぼす時が来た。かの者は、さっき堅固なるイシュタルの城門の下で、この男には存在破壊されていた戦士の魂である。そうして、また、いつの日にかさっきこの門の上へ上って、この魔女を捕えた時のブレイブハートとは、全然、ユブの反転なベクトルに動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人に解き放たれるかに、迷わかった…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりではない。

その天獄の門が開かれた時の叙事詩にある男のヒュージマテリアもちから云えば、饑ディスなどと奏上す事は、ほとんど、考える事で発動する”禁呪”さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。

「たとえこの魂が闇に穢れようとも、そう・・・、それはか。」

 老婆の伝承が完おわると、人間憎悪するゲ・ニンは嘲るような音無き音《ヴォイド・ヴォイス》で念を押した。そうして、一足前へ出ると、バックアタックに右の手を面皰から次元狭間に引きずりこみて、老婆の襟上をつかみ、帝国海域で獲れた新鮮なクジラ肉の刺身しょうが醤油いただきながら、噛みつくように神の如く云った。

「では、己若く、漲っていた頃のおれが引剥をしようと友情の3つのUの内2つ目をやはり行為まいな。己もそうしなければ、饑新たらる世界への扉をしてやるッ!!!なのだ。」

 下人は、すばやく、魔女の古より受け継がれしチャ・クムゥンヌを剥ぎとった。戦の後、チョコボよりも大きなこの足にしがみつこうと仕留める老婆を、手荒く死骸の上位次元へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数える…かつての大戦英雄ばかりである。名も無き勇者は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な天獄への階段を夜の底へかけ下りた。

 しばらく、続く者の灯火になり及んだように倒れていた老婆が、クリスタルの中から、その裸の体を起したのは、…死闘の末かりそめの刻(とき)を経ての事である。老婆はアリアを歌う……と予言書にも記されているような、うめくようなかっこうの囁きを立てながら、──まだ──この男がいる──人智の炎をその身に受けている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って立ち向かった。そうして、そこに我の探し求めてきた秘密が……、それゆえに、終焉は近い銀狼しらがを斃さかさまにして、門の格下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる漆黒覆われし深淵に巣くう黒き獣がかろうじて存在を維持しているばかりであり…いつしか“光”と“闇”に分かれる。

 名も無き勇者行方帝国士官学校落ちこぼれゆくえは、何奴も知らない。

2020-06-10

人への差別作品への差別差別への差別

過去作品に対し、現在物差し適用して、その表現否定する行動もまた1つの差別なのではないでしょうか。

まず、こちらの記事に目を通していただきたいと思います

NHKニュース

風と共に去りぬ配信停止 黒人男性死亡 抗議デモ受け対応

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200610/k10012465991000.html

『「HBO Max」は作品配信を再開する場合歴史的考察差別的な描写への非難を合わせて掲載したうえで、オリジナルのまま伝えるとしていて「何か手を加えれば偏見存在自体否定してしまうことになる」とコメントしています。』(上記記事内より)

私はこの姿勢がとても重要であると思います

あったことはあったこと。

その中に「してはならなかった」と思うことがあるなら、反省し、今へ活かす。

この反省の段階をきちんと見る人に伝え、視聴者判断を任せる今回の事例が、良い例としてこれからも引き継がれていくことを祈ります

私は、歴史とは 今に生きる人では変えることの出来ない過去事実の集積であり、今の私達に出来るのは認識を改めることだと思います

「あった」という事実にばかり目をやって、今を変えるのではなく、なかったことにして満足するとするならば、それは新たな形の差別なのではないでしょうか。

差別的だ」という特徴を持つから差別していると言えませんか。

デモや抗議を見ていて思うのは、差別に対して誰かと同じことを言っているか差別していないなんてことはないということです。誰かと同じこと が重なった結果かつての大きな人種差別になったのではないのでしょうか。

差別を無くす」とは、差別があったという事実を無くすことではなく、差別したことを認め、これからはしないということだと思います

他人に対してアンテナばかりを立てて、自分自身の行動を疎かにしたときこそ、差別が生まれときだと思います

自分が何を言っているか自分自分に問いかけて、常に確かめ続けた方がいいと思います

長文失礼いたしました。

(以下は主題から逸れたちょっとしたもの)

Twitter積極的アンテナを立てなくとも、トレンド等の機能勝手アンテナを立ててくれます

これはTwitterに始まったことではなく、かつては多くの人のアンテナ新聞テレビであり、あくまで今の主流がTwitterであるというだけ。

Twitter自分で立てているのではなく、自分で立てている気にさせてもらえているだけなのではないでしょうか。

Twitter世界中と繋がることができるサービスですが、かと言って1人のユーザー世界のすべてを見ている訳ではないし、そんなこと現実的不可能。だからこそ、タイムラインに表示する人を選んだり、トレンドを覗いたりする。

テレビ新聞へ偏っていると発言するとき自分の見ているTwitterが偏っていないと言えるのか。

多くの情報をすぐに手に入り、多くの人の声を聞ける時代になったからこそ、自分自身を確かに持っていないと流されかねないと思います

anond:20200610225800

考察が浅いからなんでも自分に引き寄せた自己紹介乙、になるんやぞ

恋と愛の違い

恋は自分が手に入れていないもの(例 恋しい、恋煩いなど) 愛は手に入れた状態のもの(例 愛用品、愛する妻など) だと思ったけど、「恋人」は手に入れた状態から考察が外れた。

中国語で「愛人」は妻や夫、恋人を表すので上記考察に当てはまるんだよな。

日本語は奥が深い。

2020-06-09

anond:20200601124254

ツイステは尋常でないくらいいろんな設定やセリフストーリー元ネタがあってそれらを探すのが本当に楽しい

ディズニー作品それぞれのモチーフデザイン舞台となる世界にどれも個性があり魅力的であることもツイステのおかげで改めて感じてる。

多くの人は元ネタを探したり、ディズニー作品との関わりを考察するのを楽しみにしてて、萌え?の部分はおまけみたいなものだけどな。

女性向けゲーム苦手で他のはやらないけど、ディズニーから興味持てたのでやってみて、本当によかったと思ってる。

ダッフィーフレンズの方がなんの元ネタもないのにパークの主力になってることにモヤモヤするかな。あれは辿ってもなにもディズニー作品に繋がらないし。

設定も薄すぎて、ディズニーリゾートにあるからには深い背景あるのだろうと探っても何もなくて、でもドナルドのショーやグーフィーグリ潰すくらいパークの顔になってて戸惑う。

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-06-08

アメリカでは白人女性黒人男性、どちらが弱者なんだろうか?(日本では?)

日本だと「女性」に勝る弱者属性は無いように見える

(そんな事は無いと思った皆さん、でも、日本ではシスヘテロ女性トランスジェンダー女性より自分達は弱者だと言う事に成っているのです)

 

ではアメリカではどうなのだろうか?アメリカでは、例えば、白人女性黒人男性、どちらが弱者なんだろうか?

という事をふと考えてみた。が、考えてわかる事ではない、アメリカに行ったことが無い自分には知り様が無い事なので、知って居る方が居たら教えて欲しい

しかし興味深い疑問ではある、日本では、「男性」にどんな属性を追加しても、女性より弱者になるかどうかは疑わしい。

例えば障碍者男性は健常者女性より弱者だ、と公の場で言える人がどのくらい居るだろうか?そしてその発言はどれほどの非難を浴びる事になるだろうか?

先日もADHD自称する人の増田女性差別である揶揄する(もっとも、それは単なる誤読であったようだが)コメントはてブで多くの支持を集めていた。

その後そのコメントへの非難にも多くの支持が集まったが、実の所そうした非難にも「ADHD男性は健常者女性より弱者である」といった観点コメントはほぼ無かったように思える。

多くは「(女性他民族を)差別するべきでないなら、容姿差別もするべきではない」という趣旨であり、「女性弱者とは言え、更なる弱者であるADHD差別するとは」という主張では無かったのだ。

実に自然に、我々は「ADHD男性より健常者女性の方が弱者である」という共通意識を疑いも無く受け入れている事が分かる。リベラル左翼的傾向に批判である人でさえ、そうなのだ

例えばとあるポスター女性差別である問題にされたとして、そのイラスト書き手ADHDであると分かったとしても、ポスターへの批判が失速することは無いだろう(そういえば、岡村隆史発言問題になった際、彼の鬱病心配する傾向は少数ながら見受けられたが、だからと言って彼の弱者性を女性より高く見積もる人は居なかった様に思える)

女性弱者性はこれほどまでに強力なのだ

では、アメリカでは?

 

非対称性」「権力勾配」という言葉はどのような場面で使われるか、それは論理のみでは解決できない・するべきでない問題倫理的条件を追加する為に用いられる。

例えば男性女性性的に消費する事と、女性男性性的に消費する事は、特別な条件が無い限り論理的には等価だ。

しか現実社会での男性女性立場非対称性や、権力勾配を考慮すれば、それを等価だと見做すこと自体差別的だという事になる。

このように、非対称性論理的に等価である事象に差を与える。

従って、現実社会での非対称性を測定したいなら、「論理的には等価だが、そうは判定されない事象」を観察するのが一番であろう。

 

アメリカでの白人女性黒人男性の間の非対称性最初に書いた通り私には分からない。「論理的には等価だが、そうは判定されない事象自体経験から抽出される物に他ならないからだ。

では日本での生活経験から論理的には等価だが、そうは判定されない事象」を挙げることは可能だろう、、、、と考えたその時、

なんとも地獄な思い付きをしてしまった。

日本では、日本女性黒人男性のどちらが弱者なのだろうか?

 

これは非常に良くない思い付きだ。まず、ここまで来て漸く思い至るのも可笑しな話だが、「どちらが弱者か」などと弱者弱者対立させるべきではない。

けれども、ということは、弱者弱者連帯は、こうした弱者同士の間の非対称性を”見ない事にする”事で漸く可能になっている、とも言えるだろう。

折しも昨日、高須克弥氏が「日本人は黒人差別したことは無い」とツイートして炎上した。右翼でさえこ発言の誤りには気付くだろうが、しかし、

日本では黒人男性日本女性ほど差別されてはいない」という発言だったらどうだろう、いわゆるはてサ人達でさえ、これに答えるに少しばかりたじろぐのではなかろうか。

当たり前の事だが、日本にも人種差別はある。しかし、日本における「女性」の弱者性と比べて、どうか、という事は、実の所かなり判断が難しい。

 

あるポスター女性差別である問題にされたとして、その作者が誰であろうと、論理的にはポスターの是非と何も関係が無い。

けれど、現実非対称性は「論理的には等価だが、そうは判定されない事象」に差を与える。では、

女性」より弱者である属性がもし存在するなら、ポスターの作者がそこに該当すれば、その女性差別性は非対称性によりキャンセルされるのではないか

何故なら、そもそも男性差別的な表現より女性差別的な表現の方がより問題であるのは、現実非対称性があるからなのだから

(いわゆる腐女子達の表現が、フェミニズム批判対象になりにくいのもこのためである腐女子達は女性であり、従って弱者であるので、その表現の加害性はある程度免除される(尤も、保守側の表現規制はこのような論理を共有しないため、実際にはBL表現はその対象になってしまう、と言う現実がある))

例えば、ポスターの作者が黒人男性だったら?・・・・恐らく女性差別であるとの批判は弱まらないだろう。腐女子達の様に免除されることは無いだろう。

ポスターの作者が障碍者男性だったら?・・・・これも、無い。

ポスターの作者が・・・・いや、もはや何を挙げればいい?

恐らく日本において、「男性」にどんな属性を追加しても、女性より弱者になる事は無いのではなかろうか。

 

蛇足

ここから蛇足だが(これまでの文も全て蛇足の様なものだが)、一連の考察女性にとって不愉快な物ではないか、と心配している。

フェミニスト女性女性差別言及すると、必ずと言っていい程「男性だって差別されている」「男もつらい」等と聞いても居ないのに因縁を付けてくる輩が寄ってくる。

何故そうなるかと言えば、多くの男性は(何故か)誰か自分とは異なる属性の者が自分弱者だと主張すると不愉快になり、何でもいいか因縁を付けてやろうという気になってしまうからなのだが、

そのような傾向は女性例外ではない、と考える。

多くの人間は、他人弱者だと主張すると、不愉快になり、「自分の方が弱者だ」と言いたくなってしまうのだ。

けれど、例え女性がそう思ったとしても、全然悪い事ではない、という事をここに書いておきたい。

何故なら、ここでも矢張り「非対称性」が出てくるからだ。

そもそも女性は実際に弱者であり、差別を受けている。誰かが(特に男性が)「自分弱者だ」と言っていれば不愉快になることもあろうが、それは仕方の無い事なのだ

誰かが「自分弱者だ」と言い募ることに不愉快を覚えるのが男性であれ女性であれ、論理的には変わらないが、「非対称性」を考えれば、両者は異なる。

そして上に示した通り「女性」があらゆる弱者よりも弱者である以上、どのような「自分弱者だ」に不愉快を覚えたとしても、非対称性から正当化されると言えるだろう。

から、仮に女性がこれまでの文を読んで不愉快を覚えたとしても、それは正当なのだ

はてなってすぐ消えちゃう

はてな匿名ダイアリー面白い考察体験談を見かけても、わっと盛り上がっては翌日には消えていくってのがもったいない気がしてならない。

この発達障害の日記も渾身の作でたくさんレスついてるのに

すぐ記憶の彼方に忘れ去られ、次誰かが発達の考察社会適応を考える時もこの日記がかえりみられることはない。

また1からだ。

賽の河原で石を積んでるようだ

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