はてなキーワード: 彫像とは
美術史家のハインリヒ・ヴェルフリンは、イタリアのルネサンスの絵画と建築に具体化された古典的な美の概念について考察している。
イタリア ルネッサンスの中心的な考え方は、完璧なバランスです。この時代は、建物と同様に人間の姿においても、それ自体の中に静止している完璧なイメージを達成しようと努めました。あらゆる形態は自己存在する存在へと発展し、全体が自由に調整され、独立して生きている部分にすぎません…。古典的な作曲のシステムでは、個々の部分は、たとえ全体にしっかりと根付いていても、一定の独立性を維持します。それは原始芸術の無政府状態ではありません。部分は全体によって条件づけられていますが、それでもそれ自身の命を持つことをやめません。観客にとって、それは分節、つまり部分から部分への進行を前提としており、それは全体としての知覚とは非常に異なる操作です。
古典的な概念では、美しさは、比例、調和、対称性、および同様の概念に従って、統合された部分を配置して一貫した全体を形成することで構成される。
これは西洋の原始的な美の概念であり、古典および新古典の建築、彫刻、文学、音楽のどこにでも体現されている。
アリストテレスは『詩学』の中で、「生き物、そして部分から構成されるすべての全体が美しくあるためには、部分の配置に一定の秩序がなければなりません」(アリストテレス、第 2 巻)と述べている。
そして形而上学では、「美の主な形式は秩序、対称性、明確性であり、数学科学は特別な程度でそれを実証しています。」(アリストテレス、第 2 巻)
アリストテレスが示唆しているように、この見方は黄金分割などの数式に要約されることもあるが、それほど厳密に考える必要はない。
この概念は、とりわけユークリッド原論などの文書やパルテノン神殿などの建築作品に例示されており、また彫刻家ポリクレイトス (紀元前 5 世紀後半から 4 世紀初頭) の正典によって例示されている。
カノンは、完璧なプロポーションを示すように設計された彫像であるだけでなく、今では失われた美に関する論文でもあった。
医師ガレノスは、この文章の特徴として、たとえば、「指と指、すべての指と中手骨、手首、そしてこれらすべてと前腕、および前腕と腕」の比率を指定していると説明している。
その論文で身体のすべての対称性を私たちに教えてくれたポリュクレイトスは、その論文に従って人間の像を作り、論文と同様にその像自体を正典と呼んだ作品でその論文を裏付けた。
古典的なテキストにおける「対称性」の概念は、双方向の鏡像関係を示すために現在使用されているものとは異なり、より豊かであることに注意することが重要。
それはまた、古典的な意味で美しい、物体の特徴である部分間の調和の取れた測定可能な比率の一種にも正確に言及しており、道徳的な重みも担っている。
たとえば、『ソフィスト』 では、プラトンは高潔な魂を対称的であると説明している。
古代ローマの建築家ウィトルウィウスは、その複雑さと、適切であるがその根底にある統一性の両方において、中心的かつ非常に影響力のある定式化における古典的な概念を体現している。
建築は、ギリシャ語でタクシーと呼ばれる秩序と、ギリシャ人がディアテシスと呼ぶ配置、そしてギリシャ人がエコノミアと呼ぶ比例と対称、装飾と配分から構成されます。
秩序とは、作品の細部を個別にバランスよく調整し、全体としては対称的な結果を目指して比率を配置することです。
プロポーションは、優雅な外観、つまり文脈の中で詳細が適切に表示されることを意味します。これは、作品の細部がその幅に適した高さ、その長さに適した幅である場合に達成されます。一言で言えば、すべてが対称的な対応関係を持っているときです。
シンメトリーは、作品自体の細部から生じる適切な調和でもあります。つまり、与えられた各細部が全体としてのデザインの形に対応することです。人間の身体と同様に、キュービット、足、手のひら、インチ、その他の小さな部分から、リトミーの対称的な性質が生まれます。
アクィナスは、典型的なアリストテレスの多元主義的な定式化で次のように述べている。「第一に、誠実さ、あるいは完璧さです。何かが損なわれていると、それは醜いからです。次に、適切な比例または調和があります。そして明晰さもあります。明るい色のものが美しいと呼ばれるのは、このためです。」(『神学教典I』)
18 世紀のフランシス・ハッチソンは、この見解を最も明確に表現していると思われることを次のように述べている。
「したがって、体の均一性が等しい場合、美しさは多様性と同じです。そして多様性が等しい場合、美しさは均一性と同じです。」 (Hutcheson)。
ハッチソンは続けて、最も美しい対象として数式、特にユークリッドの命題を挙げる一方で、次のような普遍的な物理法則によってその根底にある巨大な複雑性を持つ自然を熱狂的に賞賛している。
「美しさはある、と彼は言います。アイザック・ニュートン卿の計画における重力がそれである」(Hutcheson)
美とは部分間の特定の比率の問題であり、したがって古典的な概念に対する一連の非常に説得力のある反論と反例が、エドマンド・バークの著書「私たちのアイデアの起源についての哲学的調査」で与えられている。
植物界に目を向けると、そこには花ほど美しいものはありません。しかし、花にはあらゆる種類の形とあらゆる種類の性質があります。それらは無限に多様な形に加工されます。 …バラは大きな花ですが、小さな低木の上に生えています。リンゴの花はとても小さいですが、大きな木の上に生えています。しかし、バラもリンゴの花もどちらも美しいです。 … 白鳥は、自白すると美しい鳥で、首は体の他の部分よりも長く、尾は非常に短いです。これは美しいプロポーションですか?私たちはそれが事実であることを認めなければなりません。しかし、首が比較的短く、尾が首と体の残りの部分よりも長いクジャクについてはどう言うでしょうか。 …人間の身体には、相互に一定の比率を保っていることが観察される部分がいくつかあります。しかし、美しさの効果的な原因がこれらにあることを証明する前に、これらが正確に見出されればどこでも、それらが属する人は美しいということを示さなければなりません。 …私としては、これらの比率の多くを非常に注意深く検討したことが何度かあり、多くの主題においてそれらが非常に近い、あるいはまったく同じに保たれていることがわかりました。それらは互いに大きく異なるだけでなく、一方が非常に美しい場合には、 、そしてもう1つは美しさから非常に遠いです。 …人体のあらゆる部分に好きな比率を割り当てることができます。そして私は、画家がそれらすべてを観察し、それにもかかわらず、もし望むなら、非常に醜い人物を描くことを約束します。
ここらへんか?
https://dic.pixiv.net/a/%E7%95%B0%E5%B8%B8%E6%80%A7%E7%99%96
大きな男性器や、持続時間、持続回数などの性機能の高い男性器対象。
屍体・死体が対象。死姦・死体嗜好症とも。ピグマリオニズム(彫像愛)やヴァンピリズム(吸血性愛)に等しい場合がある。
ヴァンピリズム(ヴァンパィャリズム) 【吸血性愛】 (Vampirism)
吸血鬼信仰・吸血鬼実在論、吸血行為・吸血鬼の所業(仕業)・吸血鬼であること・吸血病・吸血症、苦労して得た利益や財産を奪うこと・搾取・略取・他人(男)を食い物にすること、男たらし、死姦・死体愛・死体性愛とも。ネクロフィリア(死体性愛)に等しい場合がある。
捕食、特に口内や胃袋に丸呑みされる行為対象。実在の人や動物に限らず、空想上の生物であっても対象である。
エンドソーマフィリア 【体内進入性愛】 (Endosomaphilia)
体内に入り込む、または体存在する状況が対象。人や動物に限らず、空想上の生物も対象。出入口は性器ではない場合も対象となる。異種姦のうち触手姦や蟲姦はこれに分類できる。
オートネピオフィリア 【幼児行動性愛】 (Autonepiophilia)
赤子や幼児のように振る舞う状況が対象。おむつやおしゃぶりを好む場合も対象である。
ディスモーフォフィリア 【奇形性愛】 (Dysmorphophilia)
ズーセクシャリティ(または、ズー・セクシャリズム) 【動物性愛】 (Zoosexuality,Zoosexualism)
ズー・セクシャリズム(動物性愛)とは異なり、"動物との性交"が対象。
有名な編み込みヘアといえば「ドレッド」「コーンロウ」になると思うが、
コーンロウや三つ編みと思われるヘアスタイルの最古の描写は、現代のフランスとオーストリアで発見された2万5000~3万年前のブラッセンプーイのヴィーナスやウィレンドルフのヴィーナスと呼ばれる彫像が知られている。
との表記があるように、大昔からヨーロッパの彫像にて表現されている。
またドレッドに関しても
ドレッドヘアの最古の描写は、クレタ島(現在のギリシャ)を中心としたヨーロッパ最古の文明のひとつであるミノア文明の紀元前1600~1500年にまでさかのぼることができるとされている。エーゲ海のテラ島(現在のギリシャのサントリーニ島)で発見されたフレスコ画には、長い編み込み髪や長いドレッドヘアの人が描かれている。
と、やはり記録上、最古の描写はヨーロッパルーツになっている。
もろちん、ヨーロッパのが過去の文化の保存状態が優れていたため、
そもそもそういった遺物が残っている率が高い可能性は考慮できる。
アステカ文明の壁画等からもにたような編み込みヘアを見ることができる。
つまり、太古の昔から世界のあらゆる場所で発生してきた単なる「髪型」の一種でしかないということだ。
ニグロが奴隷として働かされたり差別されたりしてきたことはかわいそうだと思うけど、
だからってなんでもかんでも許されると思うなよ。
ある程度のレベルに達した人達がオーディエンス、客を求めてマネタイズしにいくところ
世界一級のパトロンが金に飽かして世界最高のものを集めるっていうほど文化的に目が肥えている訳でも太っ腹な訳でもないし。
そういう意味では福岡とか生活コストが安くてコミュニティの維持コストが安くて文化のインキュベーションに向いている。
「材料費たくさん使える家賃払っていない味」レストランベーカリーパティスリーが沢山あるだけで作る側食べる側の文化度両方上がる
生クリームでもブルーベリーでも東京よりむしろ産地のある地方の方がふんだんに安く使える。サフランでもバニラでも家賃が安いので
必要ならコスト掛けられる。800円のショートケーキで原価率3割だと240円の材料のケーキを東京の人たちは食べている。
700円のショートケーキで原価率4割だと280円の材料のケーキを東京より安い値段で福岡の人たちは食べている。
しかも苺やブルーベリーは近所で朝獲れたやつで東京の半額で仕入れられる。東京で同じ材料でつくると360円かかる。
こういう理由で、食べる方(客)と提供する方(店)の良いものに対する平均レベルが東京より地方の方が高くなる。
審美眼のあるお客さんの層も広がって生産側に回る人達も出てくる。
「しかかり中の作品に家賃あんまり払わなくていいアトリエ」だと大型の彫像に十分な製作期間がかけられる。
近所に変なおっさんが住んでて溶接したり鑿を振るったりレーザー加工機を使ってたりする現場があると、
1000円が1万円になっても、次は1万円を10万円にしたいと思うだけで、もうここで終わり、というゴールがない。
逆に1万円が1000円になっても、次やれば取り返せるかもしれないから、負けても終われないし、ひどい時は使ってはいけないお金まで使ってしまう。
ガチャはどうかと言えば、もちろん全キャラ集めて最大まで強化するまで止まれないガチャ中毒も中にはいるだろう。
しかしほとんどの人はイベントごとに好きなキャラ、強いキャラを一体手に入れられれば満足だろう。
適正な金額かまでは知らんがある程度のゲームは大抵天井もあるから、それには非現実的な金額はかからない。
例え全キャラカンスト目指す中毒者であってもいつかは終わりが来る。
また、ガチャに勝ったからといってお金が戻ってくるわけではない以上、ないお金を使う心理的抵抗はギャンブルのそれより多少は高い。
ギャンブルは「勝てば取り返せる」という誘惑があるが、ガチャは勝っても1円も返ってこない。
「勝てる可能性があるだけギャンブルのほうが有意義だ」とのたまう人間がいるが、むしろその可能性こそがギャンブルが人を破滅させる要因になっている。
ゴールが無いわけでは無いが、現実的にはゴールできる可能性は極めて低い。
乱暴に言ってしまえば、彼や彼女が自分とだけプライベートに付き合ってくれることだろう。
しかしホストやキャバ嬢は仕事でやってるし、金で自分を買うような人間、あるいは養分としか思ってないような人間を本気で好きになるようなケースは早々ないだろう。
あったとしてもホストやキャバクラに狂って破滅するような人間はまず対象外だろう。
だからホスト狂いやキャバ狂いはほとんど0%の可能性のためにお金を注ぎ込むことになる。
そもそもガチャなどというと最近生まれたモノのように感じるが、言ってしまえばくじ引きやスクラッチ、カードゲームのパック、ガシャポンなど、類似の遊戯はいくらでもある。
もちろん、それらとガチャとでは注ぎ込む金額、スマホによる課金のしやすさなど無視できない違いもあるが。
また、本来言うまでもない事な気もするが、たかがデータにお金を、という人もたまにいるのだが、
買い切りのゲームだろうがクリエイターの書いた漫画だろうがパソコン上のコンテンツは全部データだ。
現実の絵画もただの絵の具のパターンだし、彫像はただの石だし、人間はただのタンパク質の塊だし、思考は電気信号の集まりだし、地球はただの岩石である。
データであることが何かの否定材料になることはありえず、それでもそのように主張するなら、その人は自分をただの肉塊であると宣言するのと大差がない。
最後に、ガチャになんの咎も無いかというと、別にそんなことはないだろう。
上に書いたように、くじ引きだのガシャポンだのと違って金額や中毒性は問題になりやすいのは否定できない。
ギャンブルそのものではなくともギャンブルに共通する要素はある。
共通点があればそれは同じものであるというのは乱暴すぎるというだけで。
あとはガチャの責任と言っていいのか微妙だが、買い切りのコンテンツの開発をそっちのけて課金させるためのノウハウばかり生産者に注力されるのも困る。
じゃあ何が言いたいのかというと、ガチャはクソだということを主張するためにギャンブルだの水商売だのを適当にイコールで結ぶのは問題の所在を曖昧にしてしまうからやめろ。
あとあれもこれも全部一緒くたにするの、頭の固いお年寄りみたいだよ。
■はじめに
気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。
ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、
知恵袋とかで自分と同様の状況にある方からの質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。
若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして
検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。
増田の作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。
■宗教団体Sを知る
遠方に住んでいる友人から連絡があった。
私が転職したことを友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。
近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。
電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、
その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。
■友人と会う
しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。
たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ。
友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、
ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。
■集会に参加する
久しぶりに対面した友人と施設に向かう。
清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物や教祖一家の写真、彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。
集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間にスクリーンがかかっている。……スクリーン?
結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。
複数(ドローン含め10台はあるか)のカメラが効果的に切り替わって飽きさせない。
世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒の名前のテロップが即座に入る。
離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラの生演奏も映る。
厳かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去の映像が重なる。始祖の生前のスピーチも流れる。
大きなスクリーンに投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。
中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれた映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、
音楽隊はどんなメンバーで構成されているのか(職員?一般の信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、
厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂の千鳥の気持ちで見守っていた。
■お浄めを受ける
Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、
短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。
お浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、
お賽銭や社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。
友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。
寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。
友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。
カウンターで用紙を渡し、お浄め、商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。
ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。
対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。
施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホームな雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。
■帰宅する
帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。
「精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。
え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。
友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことであなたは信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。
本人確認もなく、押印もなく、教団の教義やルールの説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒にカウントされる存在になっていたらしい。
私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分のスタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、
友人からの返事は要約すると「あなたの気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。
……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。
自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族に顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。
しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要な手続きを教えてくれた。
■退会する
先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。
施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。
平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。
前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID、部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。
望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、
職員は退会届に受領印を押し、「はい、大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。
こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。
■あとがき
結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。
信徒や職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。
新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教的バックボーンを否定しない(他宗教の行事参加OKなど)教義で
信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。
それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?
入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて
「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、
時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。
施設に行く前に「こんな田舎で護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に
「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、
「私の運転で観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。
友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、
「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。
今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。
入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話、集会への参加呼びかけなど)が
一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。
ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、
導き親(今回のケースでは友人)が自分の費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。
もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。
ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。
でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。
なぜ中世の人々はこんな破廉恥な彫刻を作ったのか。主に2つの説がある。1つはやはり子授祈願だ。日本でも「子宝の石」やら「子授け岩」なんてものが各地にあるように、触れることで子宝を授かると期待する。これの根拠としては、彫像の陰部が特にすり減っているものが多いためだ。長い間、多くの人々が撫でてきたせいである。
もう1つの説が人魚に通じるものであり、こちらは「魔除け」を期待したものだという。その根拠は2つ。まずはシーラ・ナ・ギグの設置場所である。教会ではアーチの中央最上部、すなわち要石にあることが多い。これは魔除けとして一般的な位置であり、上で紹介したハドリアヌス神殿のメデューサもそうである。もう1つの根拠は、古来より女性が陰部を見せつける行為には、魔を払う効果があるとされているからだ。
Charles Dominique Joseph Eisen, Public domain, via Wikimedia Commons, Link
例えば古代エジプトでは、女性が陰部を畑に対して晒す風習があった。これによって畑から悪霊を追い出し、収穫が増えることを期待してのことだ。また、エジプト人はブバスティス祭では、舟が街に近づくと、女性たちは服を頭の上までまくりあげて陰部を晒したという。これを見たヘロドトスはカルチャーショックを受け、その行為に「アナ・スロマイ」と名付けた。
ヘロドトスは知らなかったようだが、アナ・スロマイがあるのはエジプトに限った話ではない。例えばカタルーニャには「女陰を見せれば海が鎮まる」ということわざがあり、漁師の妻が夫を海に送り出す際に陰部を海に見せるという習慣がある。ロシアの伝承では、若い女性がスカートをまくりあげることで、クマを追い払えるという。
今にして思うと、「アレってカルトだったのかも…」となったから当時の思い出を書くことにする。
当時の俺は、就職に失敗して、なんとか契約社員としてゴミみたいな工場に潜り込んだ男だった。
とにかく最悪の人生を過ごしていたと言っていい。
まあ偏差値は50後半くらいで、イキってそこそこの大学に行ったけど、コミュ力なくて落ちぶれたパターンのやつな。
大体エスポワール号に乗る前のカイジをイメージしてくれればいい。髪型とかマジであんな感じだった。
そんで、ある日、工場の同僚が「たまには遊びに行きませんか?」と言ってきたので、友達もいなかった俺は嬉しくなって夜勤明けの日に街に繰り出した。
で、一緒に飯食ってる時に、夢の話になった。「やりたいことないんですか」的なアレだ。
俺は嘘をついた。「実は輸入業とかやってみたいと思っている」と。
実際は輸入とかには全く興味はなかったが、フェアトレードがどうたらこうたら、それっぽいことを言うと同僚は何だか、色んな言葉を駆使して俺の事を褒めてくれたのを覚えている。
「今度、そういうの応援してくれる集まりがあって、友達に誘われてるんだけど、独りじゃ心細いから一緒に行きません?」と誘われた。
実のところ全く俺は他人を応援する気はなかったが、褒められてうれしくなっていたので、二つ返事で「行く」と答えて、連絡先を交換した。
その週の終わりには、俺は近所の市営の集会所に呼び出されていた。同僚と、その友人を名乗る色黒、細見の眼鏡がいた。
大体10人くらい?の人が集まっていて、まず、名前と住所、仕事を書くことになっていた。
俺は嘘をついた。安アパートに住んでいるのが恥ずかしかったので、実在する地名に、適当なマンション名を書いたのだ。
ということで、会はスタートした。優しそうなおじさんとおばさんが主催する会で、「普段は地域でクリスマスパーティとかお楽しみ会をやってるんだよ」的なことを言って、チラシを見せてくれた。
「実のところ、履歴書に書くこと目当ての大学生の人も多いと思うけどさ」とおじさんが言うと、笑いが起きたので、学生もいたのだと思う。
話は大体、みんながどういう人間になりたいか、的なことだった。最初はみんな、シャイな感じだったのだが、おじさん達は優しく合いの手を入れてくれた。
俺も気持ちよく輸入業を目指す青年という大嘘を突き通すことができた。言いながら(輸入ってなんだよ)とか考えながら、なんかよくわからんがマレーシアから絹を仕入れるんです!的なことを言っていた覚えがある。
そもそもマレーシアって絹取れるんだろうかとか、まあ、わかりゃしねえよって気持ちだった。
同僚は不安げで、「なんか怪しい宗教みたいじゃないですか?」的なことをそれとなくツッコんだら、周りの人間も笑った。
「まあ、お寺とかは正直付き合いあるよ」とおばさんが微笑んだ。
まあ、俺も幼少のころ、近所のキリスト教会の集まりに呼ばれて、大福などを作って食った覚えがあるので、そんなもんだろうと思ったが、
同僚は「うーん」とか言いながら、こちらをチラチラと見てきた。俺は「まあ、宗教って根ざしてるからね。地域に」と言って知見を示すと、同僚は笑顔になった。
夢をキラキラした目で語っていたガリ褐色眼鏡は、、同僚に対して、「俺さんもこう言ってるし、怪しいところじゃないでしょ」とかなんとか笑っていた。
そんな感じで、一回目の集会ではやはり大福が出てきて、茶を飲んで終わった。同僚は、不安げに「来週も着いてきてもらっていい?」と聞いて来たので、
頼られていると感じた俺はやはり二つ返事で「いいよ」と答えた。
2回目の集会では、親子関係というか、家族とは何か、的な話をしたと思う。それで、親の仕事について話す機会もあった。
俺は嘘をついた。
「親が丸紅に勤めてて、三人兄弟の末っ子の俺は落ちこぼれたんですけど、やっぱり海外と取引したくて」と。
親父はゴミみたいな中小企業で働くサラリーマンである。丸紅ってそもそも輸出とか輸入とかしてんのか?まあバレやしねえよという気持ちで俺は親の職業を偽ったのだ。
ちなみに兄弟も余裕でいない。純粋に一人っ子だ。兄弟がいた方がなんかカッコいいかな、と思って嘘をついたのである。
で、3回目の集会にも俺は参加する、と言っておいて、当日になってなんかめんどくさくなったので約束を破った。
そしたら、職場で同僚は「ガリ眼鏡とおじさんが会いたがっている」的なことを言ってきたので、しょうがねえなあ、という気持ちで4回目の集会に参加することにして、
それからもちょくちょく、集会に参加した。お菓子が段々グレードアップしていたし、おじさんとおばさんは俺達をよく褒めてくれていたから、まあ悪い気分ではなかったからだ。
結論から言うと、6回だか7回目の集会で、俺達は仏の彫像と変な健康食品セットを買う事になった。
値段は合わせて5万くらいだったと思う。なんというか、どういう売り文句で買う事になったのか、全く覚えていなくて恐ろしい。
ガリ眼鏡はともかく、宗教に否定的だった同僚も、何やら買っていたので、俺も流されて買ったのだと思う。支払いは現金とローン、どちらでもよかった。
俺は嘘をついた。
「このくらいの値段なら余裕ですね」と。ちなみに当時の俺は貯金ゼロ。だが、まあ別に払えなくてもいいだろ、という気持ちで12回払いのローンを組んだ。
普通に頭金の何千円かはその場で払ったのだが、その後のローンは余裕で無視した。
その次の次くらいの集会で、「あの、ローンってどうなっとる?」と聞かれたが、「すみません、すぐ払います」と言いながら誤魔化していたと思う。
10回めだかそこらの集会で、俺達はビジネスとして健康食品や仏教グッズを売る流れに参加させられることになった。
まあ、読んでる人はわかると思うから言っちゃうが、端的に言ってマルチだった。
「これって絶対もうかるじゃん」的なことを同僚は言っていたのを覚えている。俺も当時は「これって絶対もうかるじゃん」と思っていたので、頑張るぞ、という気持ちになった。
その時、マニュアルを渡された。要約すると、『プロ3人~4人で囲めば、絶対にモノは売れます』的なことが書いてあって、台詞だとかも全部用意されていた。
「サクラを忍ばせて、疑問を投げかけさせます、そしてその人間を説得、納得させると周りも流されます」的なことも書いてあって、これはぜってー売れるな!と俺も安心したものだ。
次の集会で、俺は嘘をついた。
「もう3個契約取っちゃいました」と。正直、契約書の提出とかその辺がガバいのを俺は見抜いていたので、余裕で嘘をつけるなと思ったので嘘をついたのだ。
おじさんはものすごく褒めてくれて、集会が終わった後、こっそり俺にお茶を手渡しながら、言った。
「実は、この集会やるのも高齢化でさ、子供会とかもあんまり回らなくなってきたんだよね」と。かいつまんで言うと、俺になんとかという教団に入って欲しい、的な誘いだった。
俺は嘘をついた。
「ええ、勿論入りますよ」と。なんか当時はすでに俺に嘘をつかせまくるおじさん達に対してイライラする気持ちもあったので、「入るわけねーだろバーカ」と思いながらも、その場しのぎで嘘をついたのである。
おじさんは嬉しそうで、「最近、新興宗教とかみんな不安だと思うから、ご両親に挨拶させてくれ」と言ってきたので、
俺は嘘をついた。
普通に知らない適当な番号を書いて渡した。そもそも実家の家電とか、両親の番号とか、携帯には入っていたが暗記はしてなかったのだが、それを言うのが恥ずかしかったからだ。
その次の集会。
俺はおじさんとおばさん、それにガリ眼鏡と同僚に激ギレされた。
「なんで嘘ばっかつくの!?」と。
なんのことだ、と俺は心の底からビックリした。おばさんはヒステリックにキレていた。
「電話番号も、住所も、全部嘘やん!!!」と。俺は本当に何のことだかわからなくて、興奮しながら置いてあった煎餅を齧った。
「あとさ、ローンも滞納してるし、もしかして前に健康食品売れたってのも嘘だと不安になっちゃうじゃん」と、おじさんは優しいながらもキレてきた。
まあ健康食品が売れたというのは嘘なので不安もクソもないのだが、俺は気が付くと涙を流していた。
「嘘をついたつもりはないんです。言い方が悪かったならごめんなさい」と。
煎餅をひたすら齧りながら、俺はひたすら泣いていた。同僚とガリ眼鏡は、やはりキレてきた。
「いや、伝え方悪いとかじゃなくてさ、お金の話だからさ、そういうの、全部自分に跳ね返って来るぞ」だとか、「自分が輸入業始めた時に嘘つかれたらどう思う?」だとかだ。
ロジハラをかましてきやがった2人に対して、俺はやはり泣くしかなかった。
おじさんは、「まあ、本当、お金だけね。お金の話だから、払うところだけ払ってもらって。そしたら、全部忘れるからさ」と言って、話は決着した。
普通にその後、集会に行くことはなかったし、職場の同僚は会うたびに「金払った?」と聞いて来てうざかったので、1年間俺はそいつとまともに会話をせず、工場を辞めてしまった。
金はないので払わなかった。仕方ないね。
当時こそ、「俺が悪い」という気持ちだったのだが、今回の統一教会の話とかを見ていて、「ああ、俺って騙されかけてたんだな」とようやく感情の整理をすることができた。
冷静に考えると、同僚はその団体と元からグルだったのだと思う。
ガリ眼鏡も、同僚も初めから俺をハメるつもりだったのだ。「団体に疑問を投げかけるサクラ」そのものだったのだ。
俺は、運よくカルト、ないしはマルチだろうか。深みにハマる前に、先方がボロを出してきたので入らずに済んだ。
でも、アレはいかん。本当に騙される。人格や教養に関係なく、人と人が正しくコミュニケーションをしよう、と考える限り、絶対にハマる。
俺の経験がもし教訓になるとしたら、カルトにハマらない方法とは、
金を持たないこと、他人の話を聞かないこと、他人の話に真剣に答えないこと。相手に気を遣ったり、本当のことを言わない事だ。
みんなも気を付けて欲しい。
https://togetter.com/li/1798597
あと芸術なら許容って言い分も 嘘を以て芸術とする、なら解るけど 芸術なら嘘でも許される、はまた違うのではないかと思う。個人的には。 [..] 少なくともこの場所まで単車を走らせてこの写真を撮って加工した身としては、2枚目の写真には現地の紅葉から感じた暖かみも寂寞も感じないから芸術としてもクソだと思ったな。
ツイート主への批判ではなく、主が批判している対象が思っているだろう事「加工するのが芸術」という考えについて。
前提として、写真自体が芸術のアウラ論からすると既に破綻しているのだけど、ベンヤミンはそれでも、写真を通して大衆が芸術に参加する可能性を見いだしていた。「加工するのが芸術」という考えは、写真が大衆化した80年代以降、様式や歴史といった各要素の編集や再構成がおこなわれるようなったリミックス文化が背景にあると思うのだが、ただ加工するから芸術とかそういうものではなく、芸術にはその時々の文脈、近代以前の彫像作品で言うところの台座がそれたらしめているのだということは知っておいた方が良く、この場合は「何が台座で何が表現されているのか」考えた方が良い。
スマホが普及しさらに加工技術自体もすでに自動化されている世界にいる私たちとしては、リミックス文化の時にもてはやされた表現としての加工はもはや価値を持たなくなり、さらに写真の表現自体にもそれほどの価値は持たなくなった。写真の価値は事実そのもので、その時その場所にそれがあるという証跡に価値を見いだすようになっており、加工は邪魔なものに過ぎないという考えが根底にできはじめているのだと思う。ただ、表現としての気持ちよさみたいなのはあるのでその折り合いをどうつけるのか判断に揺れている時期でもある。
スマホ間の写真加工技術の競争が落ち着いたらベンヤミンが見いだした大衆芸術としての写真は終焉を迎えるだろうし、その時、写真をつかった芸術がでたとしても「加工するのが芸術」という評価とは別の次元になるのだろう。というか、今までに加工で評価された写真家がいたかというと疑問ではあるけれど...
著名な写真家
2秒ほど待ってから【進む】選択。ゲーム画面上部中央にタイマーが表示されるのでそれが00:00になったらOK。
2秒以内に動くと逃走イベント発生
【戻る】一択。部屋の角から煙が云々というテキストが表示される。そのまま進むとティンダロスの猟犬というモンスターが出現し、逃走に成功するまでひたすら強ダメージを受ける。
逃走コマンドに成功すると逃げられるが、成功率は高くないので3回位しないと逃げられない。
【14以外】の数字を選択する。【14】を選ぶと即死ゲームオーバー。ゲームブックが元ネタとかなんとか。特にヒントや説明はないので知らない人にとっては理不尽極まりない。
【逃走】一択。即死イベ。【後ろ】を選ぶとNice boat.する。令和になってNice boatの文字を見るとは思わなかった。
【進む】【戻る】を何回か選択することで脱け出せる。ダミー【進ぬ】【戻ろ】等を選択するとSAN値が減少しイベントから抜け出せない。【進む】【戻る】を選んでもSAN値が減るようになった。
【走る】を何回か十何回か選択することで脱け出せるが、【走る】度にSAN値が1減少する。ダミー【走ろ】を選択するとイベントから抜け出せない。
【戻る】一択。以前は無駄にクリックさせられるだけの無害なイベントだったが、蜘蛛のモンスターが出現するようになった。
蜘蛛出現後、時間制限内(6秒だったけど4秒になってた。画面上部中央に表示)に【捩る】を選択し、逃げ切り成功するまで連打しないと即死(HPが画面上残っててもゲームオーバー)。
他のイベントよりテキスト長めで時間制限+SAN値減少+失敗すれば即死な上、連打することによって次のイベントの誤クリックも誘発される。成功しても進行度がマイナスになったりする。このイベント思いついて実装できるのはすごい。
小さいフォントで(」・ω・)」うー!(/・ω・)/にゃー!とあったら【進む】を選び(【戻る】でも同じ)、次に【逃走】コマンドが出現するのでそれを選択。逃げないと逃走イベント発生もしくは即死発狂によりゲームオーバー。
【進む】一択。「窓に窓に!」と書かれたメモがある。【見る】とおぞましい気配イベが発生する。
【進む】一択。【保護】するとSAN値減少および逃走イベント発生。類似に普通の犬(ワンワン)がいる。
【逃走】することで数マスの移動(戻る場合も進む場合もあり)+転んでダメージ判定。一度で抜け出せずひたすら【走る】場合もある。【恐怖】を選ぶとその場でSAN値がひたすら減る。
おぞましい気配イベントほか、何かしらの恐怖体験イベント後に発生する。
基本的に【走る】【逃走】系のコマンドを選択し、【後ろ】を振り返ってはならない(SAN値減少)。
逃げ切りに成功するまでこのイベントは続くが、正解のコマンドは都度位置が変わるので連打注意。逃げ切り成功してもダメージ判定、進行度の増減あり。
【抵抗】一択。しないとSAN値減少の上場合によっては逃走イベ発生(した気がする)。
守備力50の岩を判定で破壊する。主人公ヴァイオレットのステータスが上がっていくと成功確定イベントになる。出来ないとHP減少ダメージの上1マス戻る
守備力100の岩を判定で破壊する。主人公ヴァイオレットのステータスが上がっていくと成功確定イベントになる。出来ないとHP減少ダメージの上1マス戻る
回転する岩が迫ってくるので【回避】する(1マス戻る)。逃げ切れないと【回避】し続ける必要があるので、場合によっては5マスは戻る。もっと戻る。ダンジョンから出ている状態でもなお追いかけられている。
【戻る】一択。【進む】とネズミの死骸等を見ることになりSAN値減。
クリックミスなのがバグなのか、戻ってから進んでもネズミとご対面する場合もある。
罠の種類は豊富だが【回避】一択。孔明の罠はいつもの右上に【回避】がなく位置がランダムなので気をつける。
対応するレベルのトラップツールによる解除を行わないと大幅なHP減少となる。
成功率75%で大体成功するが、確率の収束が云々と言わんばかりに壊れるときは5回連続で壊れる。トラップツールは充分に予備を用意したほうが良い。
のこぎりで伐採することで進める。諦める場合は4マス戻る。のこぎりは確率で刃こぼれを起こし使えなくなる。
【進む】一択。【押す】とHP減少ダメージ。(押すなよ)とあるがフリではないので押してはいけない。
【祈る】ことでSAN値が減少する。類似に女神の像(SAN値回復)
無理して【進む】とHP減少ダメージ。【戻る】場合SAN値は減らず1マス戻る。
無理して進むとSAN値が5減少する。以前は4減少だったが、無理して進んでもそれほど差異がないことに気づいたのか減少幅が増えた。
SAN値が回復する代わりにHP減少が発生する。SAN値回復量は1~20、ダメージは30~70%。
【進む】一択。【泣く】とダメージ。作者のセンスに泣けてくる。
ロープが無い時に発生すると、崖によじ登れないというメッセージになるが、ロープあっても崖は登れない気がする。
【加護】を受けると数マス進む
最大20マス分進むか戻るかする。前使ったときは深度-17になった。どこだよ。
ダンジョンを脱出できる。ここだけ確認が入念で、脱出する場合は【帰る】→【脱出】を選択しないと脱出しない。
偶然にも触れた石のパワーによってHPとSAN値が大幅?回復する。
【挨拶】するとゾンビのような人間、脳内に直接語りかける人間などから挨拶を返されるが、SAN値は回復する。
【見る】を選択すると、しもべが転んだり掃除したりドラミング、猫の餌やり、雑草取り、歌っている様子を見ることができ、SAN値が回復する。
魔王のしもべが何人いるのか不明だが、魔王のセリフによるとそのうちの一人は作者である。
【祈る】ことでSAN値が回復する。類似に邪神の像(SAN値減少)
【保護】するとSAN値回復。類似にテケリ・リ(SAN値減少)
【加護】を受けるとTP回復。TPは戦闘でスキル使う時に消費するポイント。
【飲む】とHP回復、HPとSAN値回復、HP減少の3パターン。
気のせいでない場合、魔王からの応援の声、誰かからの応援の声でHPやSAN値が回復する。お前を見ているぞの声ではSAN値が減少する。
成功するといいことがあることもある。
・抜け道(数マス進む)
・星の涙
・隠し扉発見(先に進むには専用鍵が必須)これは押していいボタンイベントだったかもしれない。でも覚えてない。このイベに出会わなくなったから。。。
少額のGが減る。理不尽とテキストにあるが、これで理不尽だと怒る人は既にこのゲームをプレイしていない。
SAN値が回復する女神像と減少する邪神像、増減なしのただの像の3パターン。
通常ダンジョンだとエリンイベント、深淵ダンジョンだとケイオスイベントが極稀に発生するらしいが、遭遇したことがないのでわからない。よく表記が間違っている。
どちらかを選ぶとなにかしらのイベントがある可能性がある。通常移動の【進む】と大差ないことに気づいたのか、最近みない。
【右折】【左折】【直進】のコマンドに対し、(こっち)(ぬま)(いばら)との説明がある(どの方向に何が宛てられるかはランダム)。
案内通りになっている可能性は100%ではないが、とりあえず(こっち)になっているのを選ぶのが安牌。
【先に】を選ぶと感動的な歌のようなテキストが読める。作者のセンスが光る。
【進む】とモンスターがいるのかはランダム(つまり通常の移動と同じ)。
・火・水・風・土の加護が一度に得られる。
・闘神の祝福(TP増加)
最近追加されたのでよくしらない。
勝手に分類・命名したイベントなので数え方間違ってるとは思うけどイベントの種類70以上あるんですね。
宝箱系のレベルあるやつを別にカウントしたら100超えるのではないか。すごい!
これは隠し部屋イベントも埋もれますわ。結局鍵も見つかる気配なかったし。
最初にクソとか書いちゃったけど、好きな人は好きなタイプのゲームだと思う!!!
セーブデータも消したのでこれでスッキリしました。お疲れさまでした。
追記( 2021/01/27 03:36)
正解より正解な絵を出されて驚いた。なにこれ完璧じゃん
銅版画の鳥
短歌良いね。検索したときに「三羽の小鳥来ぬ」絵よりも先に「孤独な鳥」の銅版画を見てしまい、なんかこれを見ているうちに、靄の先に一緒に行ってくれる伴侶を得たような気がした。
1 つ目の引用も 2 つ目も、夢を描いたものらしい。これを書いたときは夢をさまよう気持ちだったような気がして、これを書いていくつか反応をもらったことで、同じような気持ちになって表現した人が歴史上には居たのだなと思った。独りで歩む孤独で無い道。
なんだっけ…一瞬浮かんだ鮮明な絵が思い出そうとする度に朧気になってくる。小鳥だっけ…?
追記( 2021/01/27 03:36)
正解より正解な絵を出されて驚いた。なにこれ完璧じゃん
銅版画の鳥
短歌良いね。検索したときに「三羽の小鳥来ぬ」絵よりも先に「孤独な鳥」の銅版画を見てしまい、なんかこれを見ているうちに、靄の先に一緒に行ってくれる伴侶を得たような気がした。
1 つ目の引用も 2 つ目も、夢を描いたものらしい。これを書いたときは夢をさまよう気持ちだったような気がして、これを書いていくつか反応をもらったことで、同じような気持ちになって表現した人が歴史上には居たのだなと思った。独りで歩む孤独で無い道。
何故人間が包茎なのか?簡単だ。その方が生き残りやすかったのだ。理由はシンプルで、むき出しじゃない方が病気や負傷を回避できるから。包茎を恥じるという概念は一部地域の特集な風習でしか無い。世界一美しい理想的な体型とされる古代ローマの彫像達も、包茎チンコを恥ずかしげもなく晒している。
白い歯が美しいという価値観は間違っていない。しかし、白い歯を手にするために差し歯にまでするのはいかがなものか。ハッキリ言って、差し歯は臭い。なぜ臭いのか?雑菌が繁殖しやすいからだ。雑菌が繁殖するということは、歯周病にかかりやすいということである。歯周病菌はアルツハイマーの原因ともされている。美観のために差し歯を入れることは、自分の脳の寿命を捨てることに他ならない。
ごめん。秋田。
本日起床時、ベッドから起き上がろうと布団を避けて、足をひょいとあげて腹筋の要領で上体を起こそうとした瞬間、体の中心部から枯れた枝をひねるような、割り箸をまとめて踏んづけたような、なんともいい難い音というか感触が響きました。
声も出ないほどの激痛が腰にあり、身体が動きません。正確に言えば動くのですが、身体を動かそうとすると、それが例えばスマホを取り出す程度の動きであれ、腰に響いて激痛がぶり返すので動けないのです。
ははは。これが世間でいうところのギックリってやつかしら。ほんとに動けないでやんの。ははは。
半分上体を起こしたギャグみたいなポーズで、彫像のように固まりながら、そんなことを考えていました。忍者の使う影縛りの術の原理は、意図的にぎっくり腰を誘発させることだと思います。笑いに逃避するしかないわたしを許してください。
30分ほど身体を静止したあと、息を詰めるようにトイレに行きました。優先度がクライマックスだったので。便器に座るのに5分とかかかるんですね。脂汗が出てくるのでびっくりです。
時間を掛けてベッドに戻り、あちこちに電話をしてしばらくの休養をもぎ取りました。今は仰向けのトドのような体制でねています。この角度以外に身体をひねると痛いので。角度を変えることができないのです。
ベッドに寝てるのに平均台の上で横になってるようなスリルがあります。その一本線から外れることは腰の死を意味するからですね。