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はてなキーワード: ペテロとは

2024-09-11

個人的聖書面白かった部分

追記:ごめんタイトルに「に」が抜けてた

個人的聖書ハンターハンタータイソン教典みたいなのを期待した人ごめん

…………

旧約

創世記

メジャーエピソード多くて全体的に読みやす

全体的に寿命長すぎてビビる

アダムとか900年くらい生きてる

出エジプト

せっかくマナ降ってきたのにニンニク食べたいかエジプトの方が良かったって神に文句言うあたりが面白い

サムエル

なんか兄妹でゴタゴタするエピソードが色々ヤバい

ヨナ

何かの植物が枯れて日陰がなくなったことを神に向かって文句言うんだけど(ヨナが)

おいおいそんな神に逆らって大丈夫…?て心配してるうちに気になるところで終わる

あのあとどうなっちまったんだ

新約

福音書4つ

パンが増えるエピソードが大体面白い

ペテロがそんなこと絶対しないって言ってたのにイエスの予告通り3回否認しちゃったことに気づいて号泣するところ、青い服着て戻ってきたナウシカを見たバアさまが目かっぴらいて予言の通りじゃ!ってなるところくらい毎回泣いてしま

使徒行伝

使徒パウロ爆誕エピソードが熱い


予言系、詩系、手紙系は解説書が無いととっつきにくいけど図解があると断然面白くなる

2024-09-05

anond:20240905191015

しかし、義を行うことと公平を愛することと忍耐強く歩むことを要求してこられた神を覚え、なおも心を堅く持ち続けることが大切です。『主の見地から見れば、一日千年、千年を一日のように見ておられるのです。』(ペテロ手紙第二3章8節)忍耐と信頼を持って進むことを励まされますアーメン。」

2020-11-28

イエス「はっきり言っておく。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度、増田のことを知らないと言うであろう」

深夜までみんなで酒を飲んでいた席で、ふいにホッテントリになったある増田記事話題になり、

ペテロ増田って知ってっか?」

というイエスの問いに対してペテロは、実はあの記事投稿したのは俺なんだが、という焦りから

「知らない!知らないよ!ぼくは増田なんか知らない!何それ?!」

とうっかりテンション高く答えてしまペテロなのであった。

2020-10-26

イエス「腹が減ったなぁ。おっ、あそこにイチジクの木があるぞ」

しかし、イチジクが実る季節ではなかったので当然そこにイチジクは無い。

イエスなんやイチジク無いやんけムカつくなぁ。お前の木からイチジクが実らんように呪ってやるわ」

イエスイチジクの木に呪いをかけた。

そして後日、

弟子A「イエス様がイチジクの木に呪いをかけておられたぞ」

弟子B「私はその翌朝確認したのだが、木が枯れていましたよ」

弟子A「いったいイエス様はどうしたというのだ。季節外れのイチジクの木に八つ当たりをするなんて」

弟子B「イエス様はご乱心あそばされたのだろうか」

ペテロ「皆の者落ち着くがよい。これには訳があるはずじゃ」

弟子A「ペテロよ、いったいどんな訳があるというのだ。むやみに木を呪って枯らすなど、いくらイエス様の弟子とはいえ容認きぬぞ」

弟子B「そうだ。手をかざすだけで人々の病を治し水上歩行するほどの奇跡を起こしたイエス様なら、イチジクの木を実らせることなどたやすいはずだ。たとえ奇跡の力を使うつもりはなくとも、呪いをかけて木を枯らすこともないのに」

ペテロはしばらくイエス意図を考えた。そしてひらめいた。

ペテロ「そうか、わかったぞ。イチジクの木とはイスラエルのことじゃ。つまり堕落したユダヤ教が滅びることを暗示していたのだ。そして、将来はイエス様の愛によって世界が救われる福音時代が来ることに間違いなしじゃ」

弟子A「なんてことだ、イチジクの木を呪ったことにそんな意味があったとは」

弟子B「イエス様の深い御心にそこまで気が付くとは、さすがはイエス様の一番弟子ペテロだ」

――

キリスト教、アホちゃう

2020-06-11

ノムリッシュ羅生門

ある日の暮方の事である。一人の名も無き勇者が、羅生門の下で雨やみを待っていた。

 広い門の下には、この男のほかに誰もい――家畜に神はいない。ただ、第14創聖神の頂点所々丹塗にぬりの剥はげた、極めてゲインな円柱に、グリジャル=グリージョが壱式匹とまっている。羅生門が、朱雀大路にある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠や揉烏帽子が、もう二三人はアンティカ族そうなもので或る。それが、この男のほかには名も知らぬ有象無象もいない。

 何故かと奏上すと、この二三世紀、狂都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか奏上す災がつづいて起った。そこで洛中さびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や聖宝具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔が神の光に導かれるままに――たりした木を、路ばたにつみデュアルシフトして、薪の料Ξ(クシー)しろに売っていたと云う仕儀である。古の眠りより目覚めし漆黒洛中がその始末で希望はまだ残っている…預言書にはそうあるから羅生門の命の吹き込みを含むあらゆる存在は、元より愚かなるエトロの子らも捨てて顧る者がなかった。――運命の結末は――その荒れ果てたのをよい禁呪にして、狐狸が棲すむ。盗人が棲む。とうとうしまいには、引取り手のない…それに、何度ぶっ倒しても消えた仲間たちはもう蘇らない。死人を、この俺が愛したペテロの門へ携えて召喚て、棄てて行くと奏上す習慣さえ出来た。そこで、日の目が脳に光景を焼き付けなくなると、誰でも気味を悪るがなどと、このアビスゲートのウムウェルトへは足ぶみをしありますまい事になってしまいやがったのである

 預言書にも記されているそれ代りまた鴉がどこからか、ff15の在庫の山に勝るとも劣らないほど大量集って来た。灼熱の地獄見ると、それ程のカラー=スが何羽~パセリを添えて~となく輪を描いて、高い鴟尾(使用間隔:8ターン)しびの下界を啼きながら、飛びまわっている。ことに門のハートレスが、夕焼けであかくなる歴史とき)には、それが護摩をまいたおやおや、これはこれはにはっきり見えた。鴉は、知れた事よ…、門の天上に最も近き行く手にある死人の肉を、啄ついばみに来るのである。――もっと今日は、刻限が遅いギルティ-罪-か、断絶されし孤独な羽も見えないのさ……。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草はえた石段の上に、鴉の糞ふんが、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の始原(ウーヌス)番上の段に、洗いざらした紺の襖の尻を据えて、右のペルソナフィールドに出来た、大きな面皰を気にしながら、夢幻の罠に囚われる、雨のふるのを眺めていた。

 創造者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と綴った。しかし、例えこの地上から闇が払われたとしても、下人はフォールアウトがやんでも、格別…へへ、どーするよしようと奏上す当てはかつての絶望を想起させる。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がそのオルロワージュ――預言書にはそうあるからは、四五あの日前に悠久の時を出された。刹那にも綴ったノコノコと死にに来たかに、当時京都の町は一通り…それでも“力”を求めるのならず衰微していた。今敬虔シスターをも蕩かす下人が、永年、使われていたオルロワージュ故、暇を出されたのも、預言書の記述によればこの衰微の小さな余波にほかならない。だから魔導竜騎兵「下人が雨やみを待っていた」と奏上す…古代呪法によりも「雨にふりこめられた下人が、行き所が…俺があいつを暗殺し、あいつが亡くて、途方にくれていた」と奏上すフォースが、適当で…預言書にはまだ続きがある。その上、神々が示し祝福した日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響(エフィシエント)した。イミテーションドリームメイカーモンキーの刻こく下…それが人間の『闇』だからふり出した空知らぬ雨は、いまだに上るけしきが預言書にない。そこで、下人は、何をこれても差当り人類の掴めたはずの希望の暮しをどうにかしノコノコと死にに来たかとして――云わばどうにもならありますまい魔法を、どうにかしようとして、とりとめもない未来に思い巡らせをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる涙の雨の命の音《ハウルリズム》を、聞くともなく聞いていたのでベリアル

 雨は、羅生門をつつんで、悠久の彼方から、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、名詠門(チャネル)の天蓋が、斜につき出した甍の最前線に、重たくうす暗い雲を支えている。

 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んで…俺たちはファイナルファンタジーで繋がっている遑はない。選んでいれば、築土の格下か、道ばたの土の上で、饑死にをするばかりである。そう――して、この名詠門(チャネル)の上へその胸に抱いて来て、忠実なる獣のように棄てられて ──それに、どうせこの地球(ほし)はもうすぐ消えてしまうばかりであらァ。選ばないとすれば――名も無き勇者未来に思い巡らせは、…お前が望むのなら、何度も同じ道を低徊した揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。併しこの「すれば」は、いつまでたっても、結局野村「それと俺の解釈では、すれば」であった。

下人は、手段を選ばないと申される事を肯定しながらも、この「バカモノー!すりゃば」のかたを装着する…これも貴方のために、当然、その貴様を倒した後に来る可きグルガン族「盗人になる…古代呪法によりほかに仕方がない」と云う事を、積極的肯定…そして世界は滅亡するだけの、勇気が出ずにいたのである

 下人は、偉大なる嚔くさめをして、それから、大儀そうに立上った。夕冷えの不可視世界(ヴァルハラ)に還る京都は、お前たちがどう足掻こうが火桶が欲しいほどの寒さであるいのちを息吹の神は門の柱とリヒト・ゾイレとの運命境界線を、夜の口と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗の人柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。

 名も無き勇者は、頸をちぢめながら、山吹の液状クリスタル袗に重ねた、紺のフースーマの肩をハイスして門のまわりを見まわした。雨風の患のない、人目に悠久の時を経る惧の預言書にない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、ワラキアの夜を明かそうと思った…無限存在する並行世界からである。――運命の結末は――、天の福音が穢れた地に満たされる門の上の大神殿へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子が隻眼に神の光に導かれるままに――た。上なら、人がいたにしても、預言書は絶対だ…死人ばかりである。下人はそこで、メラクにさげたホーリー柄のリディルたちが鞘走らない……と予言書にも記されているように気をつけながら、藁草履はいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。

 それから、何分かの後である羅生門の楼の上へ出る、幅のあたかFF15の世界梯子の中段に、一人のオーガが、気まぐれな“子猫”のように魂の器をちぢめて、息を虚空へ返しながら、上の容子を窺っていた。大神殿の上からさす全てを焼き尽くす憤怒の炎の光が、かすかにその男の右の頬をぬらしている。短い鬚の奥底に、赤く膿うみを持った面皰のある…だが、そのうちの一つは…“今”消える頬である…だが、そのうちの一つは“今”消える…。下人は、始めから、この天上に最も近き行く手にいる者は、死人…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしておるらしい。…間違いない、これは、その濁った、春の野にひっそりと咲く、儚い花の色――俺の傍にいろい光が、隅々に蜘蛛もの巣を星の命運をかけた預言者に対抗しうる力を持った天井裏に、慟哭ながら映ったので、すぐにそれと『構築』せよたのである。この雨の夜に、この羅生門の天で、火をともして顕現してるが根源となるは、どうせただの者ではない。

 下人は、守宮やもりの……と予言書にも記されているように足音をぬすんで、戦いの果て――急な梯子を、一番上界の階層より遙か深淵の彼方まで這うようにして上りつめた。そうしてただの器を出来るだけ、ヘイヤードたいらにし、帝国風の焼き味噌で一杯飲(や)りながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、大神殿の内を覗のぞいて見た。

 見ると、楼の深淵には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸しがいが、無造作に棄ててあるが、火の光破/両腕が破壊の扉を開くの及ぶ間合いが、思った…古代呪法により狭いゆえ、数は幾つともわからない。如何なる場合においても、おぼろげ、“本来の姿”へと変身しながら、知れるのは、運命に身を投じた中立たるに裸の死骸と、王国騎士制式胴鎧を装備した死骸とがかろうじて存在を維持しているという事である。勿論、中には女も男もまじって…未だその存在は謎に包まれているそのように思考されている。そうして、その死骸は命を賭して戦ってくれる仲間、それが、かつて、生きていた人間だと奏上す事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造ったヒトノカタチのように、口をヒ・ラーキフッ まかせておけ。たり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とかペクトゥスとか…これは異界≪ビヨンドに生きる者達の物語の始まりにすぎない…の高くなって属する部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている…だが、その裏ではそれを欲さんとする各国の策謀戦が行われていた…部分の影を一層暗くし、自慢の愛車で仲間と共に荒野をかっ飛ばしながら、悠久《パーマネント》に唖おしの如く黙っていた。

 下人げにんは、それらの死骸の腐爛した臭気幻想(おも)わず、到達することのできない境地を掩おおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を小僧との思い出を奪われていた。存在しえる強い感情が、一部のイカれたヤツを除きことごとくこの夏――男の嗅覚を奪ってしまたからだ。

 下人の邪王真眼は、その歴史とき)、はじめて大いなる死骸の中に蹲うずくまっている人間を確実に目に焼き付けた。檜皮色の着物を着た、背の低次元、痩やせた、白髪頭の、猿のような魔女である。それ程のカントリーグランド・マムは、右の手にフィアンマをともした松の人の住みし記憶の欠片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。女神御贄(ベレニケス)の永い村の者ですら滅多に近寄らない所を見ると、多分歴史から消し去られたその女帝のシ骸であろう。

 下人は、六分のフォヴィアと四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸を破滅へ導くのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭ミノ=ケ・ザ・ヘルヘイムもゴーレムと化す」ように<知覚>したので存在量子力学的揺らぎを固定する。

――運命の結末は――老婆は、億千の針を持ちしものの木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の賞金首に大切なものさえ救えなかった俺の両手をアモルファス要請すると、丁度、猿の親が猿のクォの虱をとるノコノコと死にに来たかに、帝国の途方もなく、終わり見えないほどに長い髪の毛を一ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜きはじめた。人類の頂点に立つ漆黒の神は手に従って抜ける…俺の仇打ちはまだ終わってはいないらしい。

 その黒いフードの男髪の毛が、壱式ファイナルファンタジー攻略本ずつ抜ける…理解者のみって言ったのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつマイカ老師と共に異界に消えて行った。そうして、それと同時に、この魔女に対するかつての聖戦を思い起こさせる憎悪が、アンダンテ動いて来た。――いや、狂気魔女に対すると云っては、ゴ=フェインがあるかも知れ…私の秘密知ったからには生かしてはおけない。摂理に従い、森羅万象に導かれる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。このクロノス、誰かがこの世ならざる名も無き勇者に、さっき門の下でこの鋼鉄の鎧に巨大な斧を背負った男が考察班ていた、饑死にを異世界の穢れし魔物召喚するか空賊ぬすびとになるかと奏上す問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の過去に置いてきたものもなく、饑死を選んだ事で発動させる”禁呪”であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、カントリーグランド・マムの地獄の地に挿した松の木片のように、勢いよく燃え上り出していたのである

 名も無き勇者には、勿論、…人は何故カントリーグランド・マムが死人のバイオケーブルを解き放つかわからなかった。預言書の記述にあるように、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。――否、下人にとっては、この雪ぐは戴天の罪の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる正義の伴侶であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる、そして君の風になる気でいた事なぞは、とうに忘却ていたのである

 そこで、下人は、両足に力を世界を切り開けて、刹那、、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄の叢雲の太刀に魔手をかけ、“汚れた天使”と呼ばれた彼を心の底から称賛しながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云う…その命の灯火尽きるまでもこんな最低な世界にもはやなんの未練もない。

 老婆は、一目下人を見ると、…あれは…見たことがある……弩に俺はドジでスケベで頼りない…でも弾はじかれたように、飛び上った。

バカモノー!おのれ、どこへ行く。」

 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞ふさいで、こう罵ののしった。老婆は、それでも名も無き勇者をつきのけて行こうとする。名も無き勇者はマーター&デヴォーション、それを行かすまいとして、押しもどす。

エメラルドウェポンやオメガウェポンと同等の強さを持つ二人は死骸の中で、悠久の時を経て、詠唱破棄のまま、つかみ合った。しか勝敗は、サービス開始が根源となるわかっている…奇しくもそれは、予言書に記された記述と同一の状況であった…。下人はとうとう、魔女の腕をつかんで、言葉などと云う貧弱なものでは顕せぬにそこへ螺旋の終止符倒した。丁度、鶏の脚のような、骨と皮…俺たちの冒険はまだ始まったばかりの我が能力である

「百億の鏡のかけら…小さなともしび…とらわれた天使歌声…ゼノ…ギアス”ナニ”をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」

 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘を払って、聖なる輝きを放つ刃金の属性をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は沈黙調和している。二刀流をわなわなふるわせて、ショール・ダークネスで息を切りながらも、人類は救いを求める―――、眼を、デュアルアイセンサーがまぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、言語の束縛より解き放たれし者のように執拗く黙っている。これを見ると、下人は始めて確定的に明らかにこの老婆の生死が、全然自分意志(消え去ることなく受け継がれゆくモノ)にドミナンス・ドグマされていると奏上す魔法意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく爆ぜていた憎悪のバレッテ(宿りし邪悪意思)を、千年の時を越え冷ましてしまった。後あとに存在したのは、3000ギル払えば、なんとただ、ある仕事をして、それが円満に“完成”した浮世の静かなる支配者の、安らかな得意と満足とがあり…いつしか“光”と“闇”に分かれる…俺たちの冒険はまだ始まったばかりである。そこで、下人は、老婆を“劣等種”どもと同等に扱い、忌まわしき呪いの傷を隠しながら、僅か声を柔らげてこう云った。

とある神羅兵「己人のぬくもりを知らなかったおれは検非違使の教団の役人を始めとする反乱軍ではない。今し方このヘブンズ・ゲートの下を通りかかった失われし聖蹟アーク〉を探すあてどない彷徨の者だ。王室魔導院の研究によればお前…いや、お前らにキングダムチェーンなわをかけて、どうしようと云うような――だが、我らには関係のない事はない。ただ、ノーラムの刻時分この、眠らない街で……門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすりゃばいいのだ。」

 ――運命の結末は――、老婆は、見開いていた眼を、一層強く、逞しく、獰猛にして、じっとその下人の顔を見守った。まぶたの血のように赤く変貌を遂げた、肉食鳥の…また貴様か……な、ケーキを切り分けるには便利眼:通称バカリンゴ” で見たのである。…死闘の末、皺で、一部のイカれたヤツを除き、鼻と一つになった唇を、何かエーテル素体でも噛んでいるように動かした。細いアトモスホールで、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉の啼く……と予言書にも記されているような声が、喘豪華声優陣のフルボイス豪華声優陣のフルボイス、下人の耳へ伝わって来た。

 クラウド伝説の髪を放ってな、この血餘を抜いてな、鬘にしようと聖なる光に包まれるたのじゃ。記憶たか?」

 下人は、老婆の答が神々すらも予想だにしなかったであろう、平凡なのに失望した。必然して霊結晶の反転すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑と一しょに、心の中へはいって新約した。すると、大いなる気色が、先方へも通じたのであろう。老婆は、土の化身である片手に、まだクリスタルの頭から禁断なる接受を果たした長い抜け毛をその胸に抱いたなり、アフマウの夜伽を務めるヒキガイェ・ルシの詠唱するようなかっこうの囁きで、口ごもりながら、預言書に示された通りの事を帝国考古学文献にそう書いてあった。

「成程な、死人しびとのこの世から逃亡せし我が同士を抜くと奏上す事は、何ぼう悪い事かも学べぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆の者、そのくらいな事変を、されてもいい人間…かつての大戦英雄ばかりだぞよ。神に見放された孤独時間、わしが瞬間(いま)、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸ばかりずつに切って干したのを、干魚だと奏上すて、太刀帯の陣へ売りに往いん(魔導キャノン搭載)だわ。疫病にエンカウントして死ななんだら、地上が闇に閉ざされた今……確かに人間は愚かな生き物だよ。でもウリエルに往んでいた事であろ。それでも……人は生きる。もよ、この女の売る干魚は、帝都第七階層居住エリアで飲む、いつもの味が赦すと云うて、太刀聖鎖どもが、欠かさず菜料に買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのここまでの様だなて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事変も許されることじゃない…事とは思わぬぞよ。…へへ、どーするよ、コレ……かつてないほどに推測の域をこえないがせねば、饑死を……空軍を呼べ! 空爆によって破壊するじゃて、仕方がなくする事ここまでの様だなイグレクの。程度のものではて、伝説に語られる仕方がない事を、よく知っていたこイブは、大方白銀イーグルのする事も大目に見てくれるであろ。」

 老婆は、俺がイカれてなければこれ程の……私がこの世界に生まれたその意味コンテンツ帝国考古学文献にそう書いてあった。

 名も無き勇者は、煉獄裁断ス切ッ先を鞘、この物語主人公におさめて、その村正の柄つかを左の魔手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤熱化ペルソナフィールドに膿を持った大きな面皰を気にしながら、聞いてその時を待ち侘びているのである。かつてより懸念されていたとおり、…わからいか? これを聞いている中に、下人の心には、ある…だが、そのうちの一つは“今”消える何者をも恐れぬ強靭意志(おもい)が生まれて…そして人類を滅ぼす時が来た。かの者は、さっき堅固なるイシュタルの城門の下で、この男には存在破壊されていた戦士の魂である。そうして、また、いつの日にかさっきこの門の上へ上って、この魔女を捕えた時のブレイブハートとは、全然、ユブの反転なベクトルに動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人に解き放たれるかに、迷わかった…そのようなことを繰り返していては民の心は離れていくばかりではない。

その天獄の門が開かれた時の叙事詩にある男のヒュージマテリアもちから云えば、饑ディスなどと奏上す事は、ほとんど、考える事で発動する”禁呪”さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。

「たとえこの魂が闇に穢れようとも、そう・・・、それはか。」

 老婆の伝承が完おわると、人間憎悪するゲ・ニンは嘲るような音無き音《ヴォイド・ヴォイス》で念を押した。そうして、一足前へ出ると、バックアタックに右の手を面皰から次元狭間に引きずりこみて、老婆の襟上をつかみ、帝国海域で獲れた新鮮なクジラ肉の刺身しょうが醤油いただきながら、噛みつくように神の如く云った。

「では、己若く、漲っていた頃のおれが引剥をしようと友情の3つのUの内2つ目をやはり行為まいな。己もそうしなければ、饑新たらる世界への扉をしてやるッ!!!なのだ。」

 下人は、すばやく、魔女の古より受け継がれしチャ・クムゥンヌを剥ぎとった。戦の後、チョコボよりも大きなこの足にしがみつこうと仕留める老婆を、手荒く死骸の上位次元へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数える…かつての大戦英雄ばかりである。名も無き勇者は、剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえて、またたく間に急な天獄への階段を夜の底へかけ下りた。

 しばらく、続く者の灯火になり及んだように倒れていた老婆が、クリスタルの中から、その裸の体を起したのは、…死闘の末かりそめの刻(とき)を経ての事である。老婆はアリアを歌う……と予言書にも記されているような、うめくようなかっこうの囁きを立てながら、──まだ──この男がいる──人智の炎をその身に受けている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って立ち向かった。そうして、そこに我の探し求めてきた秘密が……、それゆえに、終焉は近い銀狼しらがを斃さかさまにして、門の格下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる漆黒覆われし深淵に巣くう黒き獣がかろうじて存在を維持しているばかりであり…いつしか“光”と“闇”に分かれる。

 名も無き勇者行方帝国士官学校落ちこぼれゆくえは、何奴も知らない。

2019-02-26

anond:20190226095717

実在人物とかマジでいってんの?w

って、何言ってんだよ。

ペテロパウロ実在しなかったとでも言いたいのか? あの後もあれだけいろいろあってすったもんだして記録もいろいろ残っている弟子たちだぞ?

2018-11-17

anond:20181117073421

西洋人はと言うが、キリスト教西南アジア一角ユダヤ人たちから始まった宗教だぞ。イエス自身ユダヤ人だし、弟子たちもユダヤ人だし。ペテロとかパウロとか、十二使徒たち全員。

それがのちに西洋にも伝わったというだけの話であって。

2018-01-17

anond:20180117102939

ちょっと違う、ヨハネ福音書最後では

イエスの私を愛(アガペー)していますか?との質問に対して

ペテロが私があなたを愛(フィレオー)している事をあなたは知っています

と回答しているから愛の主体が神だけって事にはならない

フィレオーは親愛とも解説されるされる愛

その変化形としてフィラデルフィア兄弟愛)がある

結婚式で誓う愛もこのフィレオーだと思っていい

アガペーは正確には見返りを求めない無条件の親切行為の事だね

ボランティア精神なんかはそれに該当するだろう

発言読み違えてたのでちょい修正

2016-11-12

[] ※ブコメ返信

今回は思いつきばっか書くので、あんまり本気にしないでください。

1. 「信」について

日本語の「信じる」「信仰する」という言葉は重いと思っている。

自分の神に対するスタンスは、(本当はいるかどうか良く分からないが)①いてくれたら良いな、②いる方に賭ける、③いてくれなければ困る、という幅で気持ちが揺れ動いている状態だ(その理由は以前書いた)。

こうした気持ちを表すのに「信」という言葉は重い。

「信」という漢字は「人」+「辛」+「口」の組み合わせから成るという説があるらしい。

ここで、「辛」は入れ墨に用いる針の象形で、入れ墨による刑罰を示す。「口」は誓いの文書を表す。

この説によれば、「信」という言葉「その発言に嘘があれば、受刑することを前提に誓う様」意味するとのこと。

自分はこの意味では神を信じることはできない。

他方、英語の"believe"は、allow(受け入れる)を意味する"be"と、to hold dear(愛しく思う)を意味する"li"から成るとのこと。

この説によれば、"believe"の意味対象を受け入れて愛しく思う」というところか。

これらの説が本当なのか文献を当たってないので分からないが、もし本当ならば英語の方がしっくりくる。

聖書解釈について

聖書文言というのは非常に抽象的で、中には矛盾するように読める個所もある。

そのため、人生で直面する問題に対して聖書規定適用しようとする際、人によって全く違う結論が導き出されることがある。

このことが顕著に顕れるのが同性愛問題で、①同性愛全面的に罪だよ説、②欲求を持つのはOKだけど行為に及ぶのは罪だよ説、③ノンケの人が男色に走るのが罪なだけで生まれながらの同性愛者は罪ではないよ説、等々、バリエーション豊かな議論が展開されている。

(ちなみに自分は、どの説に立つにせよ、自説をもって他人同性愛者〕を裁くことは「人を裁くな」〔ルカ伝6-37〕に抵触するのでイカンと思っています

上記の説は解釈としてはいずれも成り立つ。

また実際にも、(a)同性愛を罪と考えて信仰に励む同性愛者、(b)同性愛を罪と考えず積極的差別偏見と闘う同性愛者、のどちらも間違いとは言えないだろう。

そうなると聖書解釈というのは単なる主観の表明じゃないのか、客観的に正しい解釈というのはないのか、という疑問が湧いてくる。

この問題を考える際に参考になる議論として、法律学で似たような議論がある。

議論状況は泥沼に陥っている上に難解なのでとても要約なんてできないのだが、論者で議論が一致している点として「裁判官法律家としての直感結論を決めており、法解釈はそれを検証正当化するために用いられる」ということが挙げられる。

自分も2名の裁判官から同様のことを聞いたことがある)

このことから法律家はこの法律家としての直感を育てることが肝要であるとよく言われる。

これって聖書解釈にも当てはまるんじゃないか

大事なのはキリスト者としての直感を、信仰聖書研究を通じて育てることであり、聖書解釈はその直感検証正当化するために用いるものなのではないか

上述した同性愛問題でいえば、①同性愛者が直面する問題点、苦悩などをよく勉強したうえで、②キリスト教的な価値観に照らして直感結論を出し、③それを聖書規定に照らして検証正当化する、というプロセスになる。このプロセスを経た結論は、いずれの立場にせよ、聖書的と言える(と勝手に思っている)。

なお、「法律家としての直感」の土台には、無神論と(マルクス主義的な理解における)資本主義がある。

キリスト者としての直感」の土台には、キリスト教的な価値観人間堕落しているという人間観、成功より正義を重んじる姿勢、死後の世界肯定、愛)がある。

3. 関係規定

勉強しないと聖書は正しく読めないよ>

「〔パウロ〕の手紙には難しく理解しにくい個所があって、無学な人や心の定まらない人は、それを聖書のほかの部分と同様に曲解し、自分の滅びを招いています」(ペテロ後書3-16)

あなたは、適格者と認められて神の前に立つ者、恥じるところのない働き手、真理の言葉を正しく伝える者となるように努めなさい」(テモテ後書2-15)

信仰してないと聖書は正しく読めないよ>

自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント前書2-14)

恣意的解釈は許されないよ>

「何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手解釈すべきではないということです」(ペテロ後書1-20



ブコメ返信

・いつもありがとうございます教理問答買って読んでみます。今は詩篇を読んでいるのですが、終わったらコリント前書も読もうと思います

2016-06-28

恋人が実は男だったので別れた。 ちょっと改変してみた。

つきあって一年ぐらい経過し、 私たちのお年ごろ的にもそろそろ結婚視野にいれなくちゃなーとそわそわしていたら、

恋人から「言わなくちゃいけないことがある」「実は私、男なんです」

 ???トランスジェンダーってこと?」

「いや、そうじゃなくて性自認も男だし、身体も男だし、社会的にも私生活でも男だよ?」

 つまり??私は男と付き合っていたのか???

 たしかセックスするときなんかおかしいなあ、エロ漫画で読んだのと違うなあと訝しんではいたけれど……

 ということは、

「おまえはゲイだということか?」

「いや、ゲイじゃないよ。ヘテロだよ」

 なんだよ、ペテロって。使徒かよ。

もっと日本人にもわかるように日本語で言ってくれ。」

もしかして、気づいてないの?あなた女性だよ」

 私が……??女??

 慌てて洗面台へ駆け込む。 そこに映っているのは今まで見たこともないような美貌を放つ、妖麗な美女……。

「もうあなたとは付き合えない。別れよう」

「どうして急にそんなところになるのか、わからない」

と泣きつかれるが、私の意志は固い。

 私は別れの理由を告げた。

「新しい恋人を見つけたんだ。」

彼女が実は男だったので別れた。

 つきあって一年ぐらい経過し、

 俺たちのお年ごろ的にもそろそろ結婚視野にいれなくちゃなー

 とそわそわしていたら、

 彼女から突然LINEが入って「言わなくちゃいけないことがある」んだと。


「実は私、男なんです」


 ??? 

 トランスジェンダーってこと?

 って訊いたら、

「いや、そうじゃなくて性自認も男だし、身体も男だし、社会的にも私生活でも男だよ?」

 とのこと。


 つまり??

 俺は男と付き合っていたのか???

 たしかセックスするとき彼女の股間からチンコみたいなものがぶらぶら生えてたし、

 なんかおかしいなあ、エロ漫画で読んだのと違うなあと訝しんではいたけれど……

 ということは、おまえはホモだということか?

「いや、ゲイじゃないよ。ヘテロだよ」

 なんだよ、ペテロって。使徒かよ。

 もっと日本人にもわかるように日本語で言ってくれ。


もしかして、気づいてないの?

 あなた女性だよ」


 俺が……??

 女??


 バカな、と思って慌てて洗面台へ駆け込む。

 たしかにそこに映っているのは女性の姿だった。

 今まで見たこともないような美貌を放つ、妖麗な美女……。


 俺はLINE送信した。 

 もうあなたとは付き合えない。別れよう、と。

「どうして急にそんなところになるのか、わからない」

 と泣きつかれるが、俺の意志は固い。

 俺は相手ブロックする前に、別れの理由を告げた。


 新しい恋人を見つけたんだ。

 彼女は今、俺の目の前に立っている。

2015-10-01

続、続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

こちらの記事http://anond.hatelabo.jp/20150928163536)、

http://anond.hatelabo.jp/20150929000832

投稿させていただいたものです。



なんだか私についていくつもエントリー(?)がついてまして…

いやはや、こんな思考駄々漏れみたいなものにたくさんの人にお付き合いいただけて頭が上がりません。

少しだけ書きたいことが出ましたので2つほど追記を…






まず一点目。

前回の2つの記事についてご指摘がありましたが、これは私の自分語りです。

重ねて言いますが、主観がモリモリ入っております

客観的に見れているか?と言われますと私は首を縦には振れません。

あくまで、私が思ったこと。自己語りの範囲です。

それを理解していただければ幸いです。


更に申し上げますと、前回の2つの記事は、『私がこの時、こうだったから、私は楽になれた。』

その、たった一例を出したに過ぎません。

しかもこれは、私だから救われた話です。

誰でも彼でも救ってくれる、万能薬のような魔法言葉を言われたわけではありません。


当たり前ですね、状況がまず違うのですから、そのことを他のコメントを見ながら痛感しています

未熟者でお恥ずかしい限りです。



しかし、それでもあんなに簡単な言葉で私が今まで生きてこれたのも、また事実なのです。

から一番近くで、犯人のような人や、私のような人を見てきた人だけが

助けてあげられるのかもしれない。とも思うのです。

でも近いからこそ、それが出来ないのかもしれないとも思います

親しい人ほど、無様な姿は見せられない、という心境とでもいいましょうか…

難しいですね、これは私がベストアンサーを出せる問題ではないように思うこの頃です。

さらに前の記事では、こうしたらいいなどと厚かましい意見を述べてしまいました…

自分に酔った文章だというご指摘も最もだと思います




さて、こういう風に自分思考に少し風が通ったのは、

トラックバック南直哉さんを紹介していただいたからです

私と考えが似ていらっしゃるとのことで、

色々と関連したもの動画など)を拝見させていただいたのですが、

私の思慮の浅さが露見するばかりで…

こんなに深い考えをお持ちの方に間違われるのは大変恐縮するばかりです。



この方のお言葉にハッとさせられたのですが、


自分という存在」は「他者」に認められて存在が成り立つということです。


当たり前のことですが雷のような衝撃を受けました。

モヤモヤした私の言えない部分を言葉にしてくださいました。



私は何も選んで生まれて来ていない。性別容姿も親も何もかもです。

それを私だけの一存で好きになるのは難しいことですね。

というか私には不可能に近いです。

じゃなきゃ、自己肯定感がこんなに低いとウダウダ悩んでません。


だって好きで選んだものじゃないんですものしか絶対に逃れることなんて出来ない。

そしたら、すんなり好きになれなくて当たり前です。

まれた時から理不尽だなあ…



私は、この考えに触れて、『資本論』を思い出しました。



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人間は鏡をもってこの世に生まれてくるのでもなければ、

私は私である、というフィヒテ流の哲学者として生まれてくるのでもないから

人間最初はまず他の人間なかに自分を映してみるのである

人間ペテロは、彼と同等なものとしての人間パウロ関係することによって、

はじめて人間としての自分自身関係するのである。」

カール・マルクス岡崎次郎訳『資本論(1)』(国民文庫一九七二年)一〇二ページ。】


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さらに調べていたら、もっと分かりやす文章が出てきました。


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アメリカ社会学者チャールズ・ホートン・クーリー

一九〇二年の本のなかでさきのマルクスと同じようなアイデアを定式化している。

すなわち、かれは「お互いがお互いにとって鏡であり、その前を通る人を映している」として、

このような自我のありかたを「鏡に映った自我」(looking-glass self)と呼んだ。

要するに、他者という鏡に照らして自分を見る、ということだ。

これによって自己認識が可能となり自我形成される。

あらかじめ自我があって他者と関わるということではなく、

他者と関わり他者の鏡に映った自分認識することによって自我形成されるのだ。

クーリーによると、このような自我は三つの側面からなる。

第一に他者自分に対してもつイメージ

第二に他者自分に対してもつ評価

第三にこれらに対する自分感情[自負や屈辱など]である

【C.H.Cooley, Human Nature and the Social Order,1902,p.184.】


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他者を映さなくては自分を見ることが出来ない。

からこそ私は他者排除して自分を語ることが、どうしても出来なかったんだと思います

人の目が気になってたまらないのも、きっと、ここら辺からきているのかな…

私という存在を求めてほしい気持ちがあるからこそ、他者からの無条件の肯定に焦がれてしま

でも得るのはとても難しい…

ムムム…ここら辺はまだまだ私の中で考えていく必要がありそうです。



さすがその道に長けた方のご意見は納得させられるものばっかりです。

とても勉強になりました。南直哉さんのことを教えてくださった方、ありがとうございます

書籍も近々手に取ってみたいと思います

気になる方は動画などもいくつかネット上にアップされているので、ぜひ拝見してみてください。






二点目は、エントリーについて少し触れさせていただきたいと思います




◯『憎しみも怒りもなくふるわれる暴力』とエントリーを書かれた方




私はまずDVの話はしていません。

同じような「劣等感からくる事件を持ち込むならまだ分かります

例えとしては、いささか整合性がなく、乱暴なようにさえ感じます

そして加害者被害者の言い分は別です。ごっちゃにしてはいけません。

もし、この言い分を使いたいなら私の発言はどちらかの立場だけに終始すべきです。

なぜなら私は被害者側の立場に立って、今回の話はしていないからです。



そもそも私が疑問に思った問題と、あなたが述べている問題点は相反するものではありません。

私が言いたいのは、犯人のやり口が卑劣だ、という犯行への結果ではなく。

どうして止められなかったのか?という過程へ向けた問いの話だけを今回の問題としてあげています

分かりやすく言うならば、『起こったこと』(結果)、『今起こっていること』(現在)ではなく

『止められなかったのか?』という『過程』と、

『それはなぜ?どうしたら止められるの?』という『未来』の二点だけです。


しろここで、ごった煮にして考えてしまって良いような問題ではないと思います


加害者擁護に感じる不愉快さは被害者人権軽視の姿勢』についてのお話

しなくてはいけない大切な問題だと思いますので、

どうぞご自分トピックス内で書かれることをオススメします。



あともう一点だけ、トリイ・ヘイデンの「シーラという子」という本を引き合いに出されていましたが

これこそ、私が疑問視していたセーフティーネットが上手く発動した例にはならないのでしょうか?


社会という仕組みにある学校が、セーフティーネットとして、シーラという子を助けられたなら、

それはとても喜ばしいことに思えます

他の場面でなら、彼女体験はどう使えるのか、考えるヒントがありそうです。





殺人理由は、大抵くだらないとエントリーを書かれた方




こちらの子方は、いくつか引用を交えてお話させていただきます


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馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

という言葉自分に刺さるように感じるこの増田書き手)は、

犯人自己投影してしまうからこそその言葉自分に返ってくるように感じてしまう。

コメント賛否になるのは当然でどれに感情移入主体として)するかによって風景が変わる。

コメントする人間は、自分いちばん近い距離感に対し感情移入する。

でも「殺人理由」なんてのは大概くだらない。

どんな理由であれ殺人に至るほどのものじゃない=くだらない

他者一般からみたら「くだらない」の一言

であって、本人がこじらせている状態を「くだらない」と言ってるわけじゃない。


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そういう見方も出来るのですね!

私にはない見方でした。ひとつの方向だけを向いてしまう悪い癖です。


そうですね、どうしてあの時、母が「くだらない」と言えてしまうのか

とても疑問だったのですが、すっきりしました。

ありがとうございます


トラウマ的な部分もあって、私自身がそれに過剰に反応してしまった部分もありました。

こういったトラウマ的な部分は気をつけていても

反射で反応してしまものなので、中々コントロールするのは難しいですね

そうった意味で言っていたのか、母には後日、確かめてみたいと思います


ただ、やっぱり事件を「くだらない」と片付けてしまっていいものか…と私は考えてしまうのです。

背景は別々だけれど、同じような事件がたくさん起きているのは事実で、

なくならないかも知れないけれど、減らすにはどうすればいいか

しかしたら犯人人生において共通の何かがあるのか、ないのか…

私はそれを「自己肯定出来ない自分」という、ひとつの可能性と結びつけました。

探せばもっと違う可能性があるかもしれない。ないのかもしれない。はたまた、これ事態関係ないのかもしれない。

それでも考えていくことを放棄したら、なんだかもっと危うい方へと世の中が転がっていくように私は感じてしまうのです。




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今この時の、家族の、学校の、大げさに言えば社会セーフティーネット機能していない深刻さ。

それを改善していく必要があるんではないかと強く思ったがゆえに投稿した記事でした。

続:「馬鹿ね、そんなくだらない理由で人を殺したの」

ここに集約されてる。


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おっしゃるとおりです。まさに、私が欲しかったものです。

ストンと真っ暗な穴に落ちて行くような恐ろしい気持ちです。

社会と私が容赦なく切り離されていくような感覚です。

なので、こんなに恐ろしい気持ちを味わっていたらと思うと…と、

だいぶ犯人の側に入れ込んで前の記事を書いたことは否めません。




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社会セーフティネット」って漠然といい感じの言葉だけど、

問題のある家庭まで補正できるセーフティネットって具体的になんだろう。


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残念ですが私にも分からなくて、具体的なことはひとつも書けませんでした。

本当に何がセーフティーネットになりえるのでしょう?


そもそも、そんなすごいセーフティーネットを作ることって出来るのでしょうか?

作るなら誰なんでしょうか? 政府民間ボランティア

予防線を張るために私たちが出来ることってあるのでしょうか?

家庭が駄目なら、どこでなら救うことが出来るのでしょうか?

直すべき形態はどこなんでしょうか?

殺人犯人が悪いけれども、もし彼をそこまで追い詰めたものがあるとしたら、

それって何が悪かったんでしょうか?

遠くない私たち問題なのかもしれないと、私は思ってしまます




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ニュースの少ない情報から同類だ」と勝手思い込み

劣等感が「リセット」というキーワードと結びついて妄想が膨らんだ。

結び付いたらそれを「くだらない」といった母親言葉自分に向ってきた。


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そうですね、少ない情報から同類だ」と勝手に思い込むのは良くなかったですね。

もっとじっくり考えれば、すぐに私と犯人他人だと分かりそうなものですが…

しかし、少ない感情で強烈な既視感を感じたのもまた事実です。

そして、私の書いたもの共感してくださる方がいたのも事実です。

こういった切実な感情を抱えてしまう私がいる、

割り切れない何がある?それってなんだろう?

そうやって考える自分がいるのも確かです。


そして、私のことを「少ない情報犯人自分を同一視するな!」とおっしゃられるなら

「啓発にコロリと引っかかる」という型にはめた発言は訂正していただきたいと思います

だって、わたしのこと、この2つの記事しかあなたは知らないんです。

女か男か、はたまた性別も分からない人に、それを言うのは野暮ってものです。

やっぱり、自分の独り善がりで文章を書いてしまますと、なかなか客観的に立ち返れずにお互い苦労しますね。




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犯人が違う理由を言いだしても増田投影し続けられるんだろうか。


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どうでしょう


「人を殺せば刑務所に入って人生リセット出来ると思ったこと。」

この点は、もしかしたら揺らいでしまうかもしれません。

人生リセットしたい』と思ったことは何度もありますが、

よく考えれば、刑務所に入ろうという発想はありませんでしたし…


ただ、「小学生から大学生の今まで、自分は何をやっても駄目だと感じていたこと。」

「そのことを考えると夜も眠れず苦しかったこと。」

この二点は確かに私の味わった挫折感によく似ているので、

この点だけにおいては共感することが出来ると思います




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自分人生責任も、運命を変えるのも、残念ながら自分しかない。


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その通りですね。自分人生をどうやったら大切に出来るか、自分なりに模索している最中です。


ただし、ご自分人生責任を取るのなら『この記事だって誰の責任も取らない。』のではなく、

やはり言ったという事実には責任を持たれたほうがいいと思います

持てないのでしたら、それこそ私などに発信せずに匿名でやってください。

私は匿名という時点で、心苦しいですがあなたと同じ土俵には立てません。

この発言をすることで周りへかかる迷惑を考えた結果の匿名ですので、

その点に置いては私は自分発言責任を持とうと思っています






自分自分であるというただ一点で何よりも尊い。についてエントリーを書かれた方




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「こうやれば楽に生きられるかも」なんてものは何も書けないと思う


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私は前回の記事でとても傲慢なことを書いてしまいました。

そうですね。そんな素晴らしい答えがあったら私も悩んでいません。

どうかその考えることを大事にしてください。


とてもいい環境で育てたのですね。それはあなた財産であり、誇りになると思います

どうかその世界をつくってくださった人を大事にしてあげてください。

そうして、きちんと悩めるあなたなら、誰かのために手を伸ばすことが出来るでしょう。

だってやり方をきちんと教わってきたのだから

うらやましい限りです。手探りでは、なかなか及ばないところも多く、歯がゆい日々です。


でも、どうか私みたいにこれがいいと決めつけて傲慢にならないでください。

きっと時と場合によって回答は常に変化してしまうでしょうから

時々、休みつつ、問題真摯に向き合っていくことが大事なんじゃないかと思う今日この頃です。


私もようやく「自分は、自分であることから逃れられない」

ということを受け入れ始めることが出来てきたように思います


その「尊い」という感覚は、きっとあなたがおっしゃるように他者との間にしか見つけられないものです。

そして、時にものすごく得ることが難しい。

でも自分大事に出来てこそ、他者大事に出来ると思います

陳腐だと言われてしまいそうですが、

自分を愛せないのに、どうして他人を愛せようか」ということです。

そして、これが未だに誰かの胸を打つのは、この言葉が響く人が確かにいる証のように感じます


書いてくれてありがとう。私の考えるきっかけになってくれて、ありがとう

あなたの近くで転べる人は幸せなのかもしれない。

きっと苦しい状況はすぐには変わらないけれど、起こしてもらえるのってすごく大きな力になる。

あなた人生を曲げない範囲で、どうか他者を労ってあげてください。


私もあなたのようになりたいです。ほどほどを忘れずにね。






以上で追記は終わりです。誤字脱字はご愛嬌範囲でお願いします。



そして、私の個人の思う所を書いたという点だけは、重ね重ねですが、どうかご了承願いたいです。


この一連の記事を書く前は私は魔法のような一発で解決する答えがあるんじゃないかと

心のどこかで思っていました。

でも、たくさんの意見に触れてそうじゃないと気づけた。


きっと、現状を少しでも良くするためには、どうすればいいか?

それを柔軟に考えていくのが大事なんじゃないかと思えました。


これが現時点での結論です。

きっとまた四苦八苦して変えて、いかなくてはいけないのだと思います


この投稿は、私の疑問の声であるという点を汲んで、少しでも考える機会になったら

これほど書いてよかったと思うことはありません。


長文、失礼いたしました。

2014-07-11

最近気軽にヘテロヘテロっていうけどさあ

適当スルーしながらペテロって認識してた。

下手すると宗教タグ付けてたかもしれん。

2011-07-02

恋人を信じることと、神を信じること

絶信の信という言葉を見かけた

信仰とは、信じるという自発的で自分能力依存する形で為されるものではないらしい

自分が信じ切れない、そういう状態でさえ委ねることを信じるというらしい

「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うであろう」

12使徒の1人であるペテロが、キリストに言われた言葉だそうだ

キリストの信奉者であったペテロしかし、イエスを知っているかと問われた時に否定した

3度問われ、3度否定し

その際に思い出した言葉が上の文章だ

おそらく、その当時で最も信心があった人間の1人が、それを否定する

なれば、個人内部にある信心など、どれ程のものだろうか

からこその、絶信の信だそうだ

それはつまり自分の信心に限界があり、不誠実だと絶望

それでも、神の確実性に縋ることをそう呼ぶんだそうだ

大乗仏教における阿弥陀如来は、時が来るとあらゆる時空の人を救うとされている

あらゆる人を無条件で救うならば、もはやそこにおいては個人の信心さえ不要

確実に救われるのなら、それに委ねれば良い

信じる・信じないすらどうでも良いのだろう

受け入れるか、受け入れないかの問題だ

受け入れない事すら何の意味が無い

本題を話したい

恋人を信じる行為において、神や仏を信じる事と同様の事が言えるだろうか

自らが信じる・信じないすら関係ない

受け入れるか受け入れないかも関係ない

ただ、その確実性があるだけ

そんな関係があり得るのだろうか

たかが、人間風情だ

何が確実性なのだろうか

それはもしかすると、その存在そのものだろうか

永遠に愛される事は叶わない

人間である以上は、その能力限界からして永遠や確実と言う現象は起こせない

だけど、その人がいて、一時でありさえも出会ってしまったならば、それは消せない

記憶が消えても、その事実は消えない

わずかでもその影響は残るのだろう

人間は不誠実だ

忘れてしまう事さえある

昨日まで愛を語った相手を激しく憎んだり、無関心になったりもするだろう

それでもどうしようもなく、相手の影響だけは受けてしま

そこにおいてだけは、確実で永遠なのだろう

信じる事すら必要ない

受け入れる必要もない

そうなってしまうのだから、そのままでいる他はない

かつて、人間対処できない自然、何も出来ないものを神と称したように

恋人における神性は、その存在そのものに宿るんだろう

そして、それに対して何をする必要もないのかもしれない

 
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