はてなキーワード: 草履とは
①翻訳文
初めに彼はさっそく、二つの寺院を破壊させて四町四方の地所を得たが、日本の諸王候と貴人がことごとくこの工事に奉仕するために来たので、通常二万五千名が従事した。
彼らは皆、カルサン(丈の短いズボン)と皮製の短いカバイア(上衣)を身に着け、彼は筆頭の現場監督として鍬を携え、大半の時間は手に竹を持って工事を指図した。
既述の通り、いっさいの工事はかつて日本で見たこともない石造りとしたが、そのための石がなかったので、石の偶像を多数破壊するように命じ、それらの偶像は首に縄をかけられ、引きずって工事現場に運び込まれた。
都の人々は偶像を大いに崇敬していたので、このことは彼らに非常な驚きと恐怖をもたらした。
然して領主の一人と兵とともに毎日、各僧院より或る数量の石を彼のもとに運び、諸人は何事であれ、ひたすら彼を喜ばせ、少しもその意志に反しないようにしたので、石造りの祭壇を引き出し、仏、すなわち偶像を地に倒して破壊し、これを荷車で運んだ。
また、他の者は堀を造り、土を車で運んだり、山中の木を切ったりしたが、これは正しくエルサレムの殿堂の建築か、或いはカルタゴにおけるディドの工事の絵図を見るかのようであった。
(城の)外に水を満たした非常に大きな堀を造り、ここに多数の家鴨や種々の鳥を入れ、幾つかはね橋を架けた。
壁の高さは六、七ブラサあり、幅は場所により建築上の必要に応じて六、七、八ブラサであった。
そこにたいそう大きな門を三つと石造りの防塁を設け、その内側に別の狭い堀と日本で能う限りの趣に富んだ遊歩場を造った。
彼は工事が続く間、市の内外の僧院が鐘を鳴らすことを禁じ、城中の鐘のみは人々を参集し、帰らせるために鳴らすよう命じた。
この鐘が鳴ると貴人や大身は皆一様に、各自の手勢を率い、鍬や(運搬用の)担架を手に工事に入る。
信長は常に座るための虎の皮を腰に吊るし、はなはだ粗末な衣服をまとっており、諸人は彼に倣って同様の皮を携えていたが、何ぴとも宮廷の装束で彼の前に現れる者はいなかった。
作業が続いている間、(工事を)見ようと欲する者は男女とも、尻切(しりきれ)と称する藁の草履を履き、頭に帽子を被って彼の前を通った。
或る時、工事に従事していた一人の兵士が一婦人の顔を見ようとしてその被り物を少し上げるのを、偶然、国主が目撃し、彼は即座に自らの手で彼の首を斬った。
この工事に関してもっとも驚嘆すべきは、彼がこれを信じ難いほどの短期間で行なったことである。
すなわち、少なくとも四、五年を要すると思われるものを七十日間で完了したのである。
以上は石材工事に関することである。https://ameblo.jp/ukitarumi/entry-12046841406.html
最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く
夕暮れごろの神社の境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと
参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい
世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋の場所借りした仕掛けから、狛犬の首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで
太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱に赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った
その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う
火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道に喧騒を連れてくる
人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく
どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ
しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく
夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望が通りすがりに声をかけてくる
ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた
そろそろ潮時かと片付けの準備をしかけたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた
年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている
坊ちゃん、迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした
ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける
ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日の釣果を胸に抱く
小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた
空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車のサイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う
遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだんと路地裏へと近づいてくる
面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした
童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい
バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし、路地の隅に童を返して、その場を去った
兄弟に空のバケツを見られ、神社にボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので
ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した
画鋲踏んじゃって足痛ステータスがやっとこさ解消したところで、
なんでこんなところに画鋲が落ちてんのよ!ガビョーンとかは言ってないけど、
とにかく画鋲を踏んで落ち込んでいるところよ。
なんか足もチクチク痛くて、
そのチクチクさ加減がやっとなくなった感じかしら?
月替わりのカレンダーなんだけど
私の必殺技の真空月替わりカレンダーめくりのワザを大胆に披露した際にカレンダーごと画鋲で壁に貼ってあったカレンダーがそれごと落ちちゃったのよね。
そんで、
そして私の足で自ら踏んで回収という、
あれ以来月替わりカレンダーは月が変わるごとに真空月替わりカレンダーめくりのワザを披露することなく、
ヘリの部分の固いところを手で押さえて
慎重にそう!超慎重にカレンダー月替わりのカレンダーめくりをめくるめく繰り広げたのよ。
でも逆に言えば、
私は静かに月替わりカレンダーめくりの技を習得したと言っても過言ではないのよ。
だからみんなにも大にした声で言いたい大きな声でカレンダーをめくるときは静かにめくりましょう山脈に向かってヤッホー!って叫びたいの。
派手に大技を繰り広げたあの私の月替わりカレンダーめくりのワザで派手に飛んで行った
それこそライトフェンスにライナーでスタンドに入ったようなそれなんて大谷翔平選手?って言うぐらい、
なんかさ
二足のわらじじゃないの?って
棒状のものを持って何か複数のことを成し遂げるそれなんて大谷翔平選手ってのは分かるけど、
棒状のものを持っていないのに
何か二つのことを同時に成し遂げて素晴らしい功績を挙げている人に対しても二刀流!って言いがちじゃない?ガチで。
二刀流と言っても、
棒状のものを持っていない素晴らしい功績を挙げている人には二足のわらじで賞!を受賞させるに匹敵すると思うのよ。
あれの門っていうの?その入って後ろ側振り返ったら、
デカい草鞋飾ってあるじゃない!あれ見てないの?ってそれに気付かないぐらい
デカい草鞋には見向きもしないというか、
気付いていないぐらい
あの草鞋のことをもっとフィーチャーしても良いと思うの!
なので
東京の浅草のあのお寺の門的なものをくぐって商店街のところに行く前にぜひ振り返って、
それと同時に
棒状のものを持っていない人で何か二つのことを輝かしい功績を挙げた人にもれなく二刀流!って言うんじゃなくって二足のわらじで賞!をブルボンのお菓子が全部モンドセレクションを受賞しているのと同時に街のテイクアウト専用のから揚げ屋さんが何かしらの金賞を受賞しているのと同時名ぐらいに二足のわらじで賞!を受賞しても良いと思うの。
なので、
だって棒状のものを持っていない人が輝かしい二つの功績をほぼ同時に成し遂げた時にも二刀流!って言うのはって思うの。
なので
もっと二足のわらじで賞!をモンドセレクションとかから揚げのテイクアウト専用のお店全てにおいて何かしらの金賞を受賞しているぐらいのレヴェルで
二足のわらじで賞!を与えたら良いと思うわ。
もう一回言うけど、
棒状のものを持っていない人が輝かしい功績をほぼ同時に成し遂げた時には二足のわらじで賞!を与えるべきべきよね!って2の16乗のべき乗のレヴェルで思うのよ。
そんでさ、
もし本当に草鞋職人の人が、
草鞋作りも凄いのと同時に何か他の事もすごいこと成し遂げているときには二刀流ですね!って言われると絶対違和感を覚えるはずよ。
だからせめてもの本職の草鞋職人の人がなにか草鞋作りの本職の腕前の他に
何か凄い功績を一つでもあげたら、
二足のわらじで賞!をあげて欲しいものよ。
でもさ、
その凄い腕前の草鞋職人が棒状のものを持って何かすごいことを成し遂げた時には、
その時は二足のわらじで賞!を受賞するのか二刀流!ですね!って言うのか、
それはその時に考えるようにするわ。
あ!
二刀流の草鞋ですね!言えばいいのよ。
そうなるってーと
二刀流の草鞋ですね賞を受賞するのは
草鞋職人専門でその人がなにか棒状のものを持って輝かしい功績を挙げたときに限る特別な賞として輝かしいこと間違いないことは間違いないわ!
うふふ。
売り場を三度見してもなかったので
こっちもこっちで美味しいけど、
人気なんだわ!
最近がんがんそう言う水分を摂る補給が量が多くなってきたので、
たくさん飲むので生産が追いつかないところよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
殿の草履を懐で温めておく
下人雨待ち、羅生門下。広門、男と蟋蟀のみ。市女笠、揉烏帽子も訪れる可能性あり。地震、辻風、火事、饑饉で洛中荒れ、羅生門修理されず。狐狸、盗人、死人捨てる。門近く通らず。
鴉、門の上死人肉啄む。崩れた石段上鴉糞点々。下人、紺襖背に七段石段、雨眺め。元主人暇出し、衰微余波。雨途方にくれ、Sentimentalismeに影響。雨音聞き考える。
雨羅生門に ざあっと音、夕闇に門屋根の先に重たい雲。選ばぬ手段、築土下か道ばたに餓死。門上に犬のように捨てられるばかり。選ばずとも下人の考えは「すれば」しかなく、盗人になる以外の仕方を肯定できず、勇気が出ない。
下人、嚔して立上った。京都は夕冷えで寒く、風は柱の間を吹き抜ける。下人は肩に汗袗を重ね、門周りを見渡した。楽に寝られる場所を探し、門の上の丹塗りの幅広い梯子を見つけた。上に人がいても死人ばかりだろうと思い、下人は太刀に気をつけつつ藁草履を履き、梯子を登り始めた。
何分か後、羅生門の楼の中段に男が身を縮め、上を窺う。上からの火の光が右頬を照らし、下人は上にいる者は死人ばかりだと思っていたが、上では火をともしている人物がいた。雨の夜に、火をともしているからただの者ではない。
下人、守宮に足音ぬすんで急な梯子這って楼の内を恐る恐る覗く。楼内に幾つかの死骸が無造作に棄ててあり、裸の死骸と着物を着た死骸が混じっている。死骸は人形のようにごろごろ床にころがっていて、火の光が及ぶ範囲が狭いため数はわからない。肩や胸など高くなっている部分に火の光が当たり、低くなっている部分は暗いままで永久に黙り込んでいる。
下人、死骸の臭気に鼻を掩うが、強い感情で嗅覚奪われる。初めての眼の前には痩せた、背の低い、猿のような老婆。着物は檜皮色、白髪頭で右手に火のついた松の木片を持ち、女の死骸を覗き込む。
下人、恐怖六分、好奇心四分、呼吸すら忘れ、老婆、死骸の首、手により、髪一本ずつ抜き、恐怖消え、憎悪増、饑死 vs 盗人、悪を憎む心老婆床に挿した松の木片のよう、燃え上がる。
下人は老婆が死人の髪を抜く理由が分からず、悪事であると感じた。そして、両足で力を入れて梯子から飛び上がり、聖柄の太刀を手に老婆の前に大股で歩んだ。老婆は驚いた。
老婆見下人、弩弾かれたよう飛び上がる。「おのれ、どこへ」。老婆死骸につまずきながら、慌てて逃げようとした所、下人行手を塞いで罵う。老婆押しもどすが、下人腕をつかんで※そこへじ倒す。
「何してた。言え。黙ればダメ。」下人は老婆を放すと、太刀を抜いて白い鋼を見せつけた。老婆は動かず黙り込んでいる。下人は老婆の命が自分の手で決められることを悟り、怒りは冷めた。後に残ったのは満足感だけだ。そして、老婆を見下しながら、声を柔らげてこう言った。
「検非違使の役人じゃない。旅の者。縄をかける必要はない。今何してたか話せばいい。」老婆は怖い目をして、唇を噛んで髪を鬘にするための抜け毛を持っていた。そして、憎悪と冷やかな侮蔑の気色が下人に通じたのか、老婆は蟇のような声で話した。
「髪抜き悪くて、死人も優しい。私は髪抜いた女の話、蛇を切って干した干魚売ってた。味よくて、太刀帯買ってた。女悪くない。餓死するなら、私のことも悪くない。女は私を知ってるから、私も大目に見てくれるでしょう。老婆がこんな事を言った。」
下人、太刀鞘に、柄を左で抑え、冷静に聞く。右手は赤面鬼で悩む。それでも、勇気生まれる。門で欠けた勇気と反対勇気。餓死か盗賊か迷う。老婆話終え、下人嘲り、右手解放し、老婆襟つかむ、噛みつく。
貧乏なころは、なるべく草履やサンダルなどを裸足で履いて、そもそも臭いが出づらくしていたし、
各社のデオドラントスプレー(フットスプレー)や「ピロエース石鹸」などのグッズ類を試したり。
もちろん靴のローテーションを工夫したり、出社したらサンダルに履き替えたりしていたし、
グランズレメディなどの「白い粉」や銅製の効果を靴に入れたり酸性の液体に足をつけたり、いろいろやったなぁ。
消臭グッズの類はだいたいの場合それなりに効果があって、たしかに臭いは減る。
とはいえ、所詮は生き物の一部。ちょっと油断をすると臭いはすぐに復活する。
フットスプレーを吹き、靴には粉を振り撒き、靴をローテさせたり日に当てたり買い替えたりし、、、、
そこまでやっても人前で靴を脱ぐときにはちょっと緊張してしまう(今思えばメンタル的なものもあったのかもしれない)。
反面、万が一人前で足が臭かったら死にますね、という気持ちは高まった。
身体の臭いにも慣性の法則みたいなものはあって、1回念入りに洗っても臭いは取れない。
試したことはないけれども、たとえば1ヶ月足クサ対策を怠った場合、
その後リカバリしようとしても、1週間くらいは臭いんだと思う。
なので、出かける機会は減ったのに消臭は油断ができない。
フットスプレーや薬用石鹸。お金的にも手間的にもランニングコストが高くて、少しアホらしくなってしまった。
そんなとき、日本皮膚科学会のページを見ていたときに、下記のページをみつけた。
Q25足白癬にならないようにするためにはどうしたらよいですか?
https://www.dermatol.or.jp/qa/qa10/q25.html
引用させていただくと「一番確実なのは、水虫の塗り薬を指の間から足の裏全体に1日1回つけていれば、足白癬になることはありません」とある。
えっ、アリなの?
となって、水虫の薬をネット通販で手に入れ、足に塗り始めてみた。
足クサの原因はなんらかの細菌的なものなので、これが歴然と効いた。
水虫に悩むおじさんたちの足は臭くなかったんだな。変なところで感心した。
というところだが、それは水虫薬のタイプによって大きく異なることもわかった。
・軟膏は硬くて塗りづらい(おそらく薬効は強いのだろう)。
・スプレーは手を洗う手間もなく楽だが割高(コントロールしづらく、付けすぎてしまう)。
という感想をもった。
現在は、足クサ対策には液状の水虫薬が一番良さそうと落ち着いている。
ジュクジュクの白癬菌を退治したいわけでもないので、安い薬で十分なようだ。
言うなれば最新型の自動小銃ではなくリボルバー型の拳銃で治安は守れるよね、という気持ち。
ひと昔前にはカウンタ越しにしか受け取れなかったような、製薬会社のエース級な水虫薬である必要はない。
在庫処分と思しき枯れた製品をポチるようにしているのだが、おそらくフットスプレーを買い続けるよりも安価である。
そして液体であれば足の指の間にチュチュっと垂らすだけなので手間もかからない。
製薬メーカーがもし、薬効薄め(副作用少なめ)、値段控えめ、使いやすさマシマシの水虫・足クサ予防製品を出したら、売れるんじゃないかな。
もし足クサにお悩みであれば、水虫薬をお試しいただけるとよいのではと思う。
草履にすれば楽なのにね
「ほうれん草偉大すぎて草」
「いや、他にもあるだろ」
「たとえば?」
「老害乙」
「根性論をやめろ。ヒューマンエラーをなくすにはコミュ力じゃなくてフールプルーフ設計が必要」
「柏の葉食べてて草」
「え?食べるが?え?」
「ガチで食べてて草」
「ほうれん草を讃えよ」
「そんなにほうれん草が好きなら一生ほうれん草だけ食って生きてろ」
「草でも食ってろ」
「ポパイかな?」
「ポパイとは?」
「ポパイだが?」
「なんだポパイか……」
「ローリエ食べてて草」
「パセリなどもある」
「葉じゃん。草」
「茶葉は普通食べないしね」
「茶葉をモリモリ食べてる姿を想像して草」
「人類などと主語の大きいことを言っているが貴殿は古今東西のあらゆる食生活を熟知しているとでも?」
「そもそも草とは一体なんだ?」
「草を見たことがない?」
「草の定義の話をしている」
「定義など知らん。ペンペン草のように草と明言されているものだけが草だ」
「マジレスすると野草とか食べる専門家とかいるしペンペン草とかも食べる人もいるかもしれない」
「だとしても、ほうれん草のように日常的に食べられているわけではあるまい」
「ベジタリアンだったら何か知ってそう」
「それじゃ日本語だけじゃん」
「一方パンダは笹を食ってた」
「みんな海草を忘れてる」
「改めて考えてみるとほうれん草の「ほうれん」ってなんだよ」
「知らんのか?ほうれんとは報告と連絡を意味する」
「巫山戯るな。真面目に議論する気がないなら帰れ」
「ギ、ギロン?」
「今丁度ほうれん草を食べてるとこ」
もちろん正確には人間だったんだけど、なにせガタイがよく、振る舞いもゴリラのようだったので、生徒たちには「北ゴリ」と呼ばれて親しまれていた。
北ゴリは草履を履いて生活し、機嫌がいいといつのものか分からない昭和歌謡を歌い、毎日マウンテンバイクで隣県の家から学校に訪れては、日が暮れるまで体当たりで子どもの相手をした。すべてが風変わりなゴリラだった。
北ゴリの授業は自由だった。彼はゴリラらしく、われわれ小ザルにもわかる作法で勉強を教えてくれた。
算数で体積を習った日の宿題は、いっぱいに張った風呂に頭まで浸かって、減った湯の深さから自分の体積を計算するというものだった。
比率の授業には、醤油と酢と油を持ってきて、一番おいしいドレッシングの比率を計らされた。
円周率を初めて知る日には、コンパスで引いた円に沿って糸をなるべく正確に張りつける遊びをして、その糸の長さがほとんど円周の計算通りだったことにびっくりした。
音の伝わる速さをはかる実験をやったこともある。その時は学校を出て近くのでっかい原っぱに行って、各班が豆粒に見えるぐらい離れてから、端っこの班が大声を出し、それが聞こえたタイミングでそれぞれの班が手にした箒を振り上げる、という遊びをした。端の班から少しずつタイミングがズレて箒が上がっていくのが不思議で面白かった。
雪が降るのが珍しい地域だったので、大雪の日には授業がなくなってぜんぶ雪合戦になった。
朝刊で「近くの原っぱで珍しいフンコロガシが見つかった」と報道された日も、やっぱり授業がなくなって、みんなでフンコロガシ探しの旅に出た。(誰もフンコロガシを見つけることはできなかったが、変な動物の骨は見つかった)
あとは、「もしも日記」っていう遊びもあった。一度「何でもいいから”もしも”で始まる日記を書いてみろ」と言われて、その日はみんな自由にケーキ屋さんになったり魔法使いになったりした日記を書いたが、そのあと社会の授業で「もしもこの時代に生きていたら、で日記を書いてみろ」と言われた時にはずいぶん頭を悩ませた。その時代に生きていた人や暮らしを知らなければ書きようのないものなので、がんばって想像したり調べたりしないといけなかった。
北ゴリが突飛な授業を始めた時、小ザルだった私は得てしてやれやれ顔でそれに付き合った。でも、今にして思えば結構わくわくしていた向きもあったのかもしれない。20年近く経った今も、こうして授業の内容を詳細に覚えていることがその証拠だ。
北ゴリの授業は学力に直結するものじゃなかったかもしれないが、学ぶことの根源が好奇心にあることを教えてくれた。そのおかげで、大学を出て社会人として生きる今も、面倒なインプットの前にはまず好奇心をくすぐろうとする習慣がついている。
今の時代は、北ゴリのような教師には少し生きづらいものになっているかもしれない。北ゴリのような授業を今やれば方々から懸念の声が来るだろうし、なんなら当時ですらゴリラは度々怒られていた。それでも、この愛すべきゴリラ教師が、ゴリラの志が、絶滅せずにどこかで生き延びていることを願わずにはいられない。