はてなキーワード: 草履とは
三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
「今のは何のお話なんですか」
「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。
それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
「追っかけるのはいや」
「なぜ」
「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。
よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」
眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
「そう。私心持ちが悪くって……」
三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」
一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
「ありがとう。これでたくさん」
「やっぱり心持ちが悪いですか」
三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
そしたら「じゃあ近所のレンタル着物屋に行こう」って言い出すんだわ。
私はセパレートでワンピとしても着られる浴衣が良かったし、高い値段出さなくてもしまむらにもあるよって言ったら
でも「見るからに安っぽいポリエステル生地の浴衣なんて娘ちゃんに着せられないから!」って気圧されて渋々承諾。
案の定サイズ合うものは全部借りられてて両親と帰りながらしまむらでも良いから着たかったな〜と思ってたら
でも出てきたのが私の好みじゃない、真っ赤な総柄でレトロといえば聞こえはいいけど江戸の町娘みたいな感じ。
私はパステルの淡い色が良かったからお店の人に「もっと淡い色の浴衣無いですか?」って聞いたら「淡い色は下着が透けるので無いです」って。
親は涙ぐみながら良かった良かった言ってるしもう最悪な気分だったけど、まあうち貧乏だし?仕方ないやって我慢した。
でもその夜に「ささやかなお祝い」とかやってて「そのお金で浴衣買えたんじゃないの?!」ってちょっと思った。
でさ、翌日浴衣を着せてもらったんだけどさ、あれすごい苦しいんだね。
お腹圧迫されるし、普通に歩くだけでどんどん裾がはだけていくし、草履は歩きづらくて靴擦れなるし。
数十年前、子供向けの伝記でコロンブス読んでたけど、伝記読んだからといって憧れるもんではなかった気がする
そもそも、子供向け伝記って、徳川家康だったら幼少時代に子供たちの石投げ合戦を見てどちらが勝つか予言したとか、豊臣秀吉が信長の草履を温めておいたとか、野口英世はお母さんが息子のために頑張ったとか、毛利元就は子供たちに三本の矢で教訓を教え諭したとか、「大人になって何やったか」とは関係ないとこが盛り上がりポイントだし
そこが史実であるかどうかすら、あまり関係ない。毛利元就に実は三本の矢エピソードなんてなかったかはどうでもいい。コロンブスにしても、なんなら最大の盛り上がりポイントはコロンブスの卵エピソードで、アメリカ大陸発見はエピソードの重要度からいうと3番目か4番目ぐらいの位置づけだろう
いや、なんなら大人ですら、偉人なるものが何やったか、どういう理由で評価されてるかなんて知らない(大河ドラマ見て歴史上の業績評価ポイントがどう描かれてるか気にするやつなんて他人に知識披露してマウント取りたいイキリ歴オタだけ)し
たとえば秀吉だって、数十年前の概説書の時点で普通に批判的な書かれ方されてたりするけど、その後に出版され売られてる秀吉の子供向け伝記がダメって話にはならないよね。伝記の売りポイントは草履あたためや一夜城建設で、言いたいことは「「若いころ頑張ったので偉くなりました」だし
なので「昔と今では歴史的評価が変わったからコロンブスは今はもうアカン」という題の立て方は、まったくピンとこないし、今、起きてるMVの受け取られかたや批判とも、そこまで関わる話にはならんと思う
①翻訳文
初めに彼はさっそく、二つの寺院を破壊させて四町四方の地所を得たが、日本の諸王候と貴人がことごとくこの工事に奉仕するために来たので、通常二万五千名が従事した。
彼らは皆、カルサン(丈の短いズボン)と皮製の短いカバイア(上衣)を身に着け、彼は筆頭の現場監督として鍬を携え、大半の時間は手に竹を持って工事を指図した。
既述の通り、いっさいの工事はかつて日本で見たこともない石造りとしたが、そのための石がなかったので、石の偶像を多数破壊するように命じ、それらの偶像は首に縄をかけられ、引きずって工事現場に運び込まれた。
都の人々は偶像を大いに崇敬していたので、このことは彼らに非常な驚きと恐怖をもたらした。
然して領主の一人と兵とともに毎日、各僧院より或る数量の石を彼のもとに運び、諸人は何事であれ、ひたすら彼を喜ばせ、少しもその意志に反しないようにしたので、石造りの祭壇を引き出し、仏、すなわち偶像を地に倒して破壊し、これを荷車で運んだ。
また、他の者は堀を造り、土を車で運んだり、山中の木を切ったりしたが、これは正しくエルサレムの殿堂の建築か、或いはカルタゴにおけるディドの工事の絵図を見るかのようであった。
(城の)外に水を満たした非常に大きな堀を造り、ここに多数の家鴨や種々の鳥を入れ、幾つかはね橋を架けた。
壁の高さは六、七ブラサあり、幅は場所により建築上の必要に応じて六、七、八ブラサであった。
そこにたいそう大きな門を三つと石造りの防塁を設け、その内側に別の狭い堀と日本で能う限りの趣に富んだ遊歩場を造った。
彼は工事が続く間、市の内外の僧院が鐘を鳴らすことを禁じ、城中の鐘のみは人々を参集し、帰らせるために鳴らすよう命じた。
この鐘が鳴ると貴人や大身は皆一様に、各自の手勢を率い、鍬や(運搬用の)担架を手に工事に入る。
信長は常に座るための虎の皮を腰に吊るし、はなはだ粗末な衣服をまとっており、諸人は彼に倣って同様の皮を携えていたが、何ぴとも宮廷の装束で彼の前に現れる者はいなかった。
作業が続いている間、(工事を)見ようと欲する者は男女とも、尻切(しりきれ)と称する藁の草履を履き、頭に帽子を被って彼の前を通った。
或る時、工事に従事していた一人の兵士が一婦人の顔を見ようとしてその被り物を少し上げるのを、偶然、国主が目撃し、彼は即座に自らの手で彼の首を斬った。
この工事に関してもっとも驚嘆すべきは、彼がこれを信じ難いほどの短期間で行なったことである。
すなわち、少なくとも四、五年を要すると思われるものを七十日間で完了したのである。
以上は石材工事に関することである。https://ameblo.jp/ukitarumi/entry-12046841406.html
最近、天敵が少なくなったからよく釣れるようになったよと釣具屋の親父から聞く
夕暮れごろの神社の境内に、赤い提灯を仕掛けておくのが狙い目だとのこと
参道には姿は見えないが先客がちらほらいるらしい
世代の古いお面やら、角のつぶれた玩具の箱やら、尾びれの股が分かれすぎた出目金やら、的屋の場所借りした仕掛けから、狛犬の首に巻いた赤い布や、灯篭の根元に置かれたきんちゃく袋みたいな古典的な仕掛けまで
太公望気取りを刺激するのも、糸が絡むのも嫌なので、目立たぬ方に歩みを進めて、自然とついた路地裏に陣取って、電柱に赤ちょうちんを仕掛けて、日が沈むのを待った
その辺の店の神棚からかっぱらってきたお神酒と、地べたに盛られた塩を肴にしょうもない時間を過ごし、時折寄ってくる野良猫を追っ払う
火に脂のはじける音がして、草履や法被が参道に喧騒を連れてくる
人込みは屋台に気をとられたかと思うと、鳥居をくぐって、音頭のなる方へと流れていく
どうも本通りを外れた提灯には見向きもされず、私の仕掛けは間抜けな明かりで地べたを照らすのみだ
しばらくするとひゅうんと音がして、人々の視線が空へと浮かび、的屋は客の視線を戻そうと声と身振りを大げさにしていく
夜の帳が降りたころが釣りの幕開けなのが粋で、空に火薬の花が開いたら帰る合図だと諦めの早い太公望が通りすがりに声をかけてくる
ますます見向きもされない仕掛けを前に、空からの破裂音がむなしく響いた
そろそろ潮時かと片付けの準備をしかけたころ、赤提灯の下に小さな影が丸い眼をしてやってきた
年の頃は5、6歳の童が水色の甚平を着て、綿菓子の袋を大事そうに抱えている
坊ちゃん、迷子か、こっちだよと優しい声音で引き寄せて、童の腰のあたりまで提灯を垂らした
ゆらゆら揺れて降りてきた灯りを不思議そうに触る甚平の袖に針をひっかける
ほれきたと当たりを喜び、竿をひき、糸を手繰り寄せ、本日の釣果を胸に抱く
小柄だが朝餉くらいにはなるかとバケツに放り込むと、童は体に見合ぬ大声で泣きさけび始めた
空に打ち出される火薬玉よりも、音頭を鳴らし続ける太鼓の音よりも、酔っぱらいを運ぶ救急車のサイレンなんかよりも、一等大きな声が母を求め、窮地を嘆き、バケツの中で暴れ狂う
遠くから童を呼ぶ女の声がして、共鳴しあうように童が声を張り上げると、女の声もさらに大きくなり、だんだんと路地裏へと近づいてくる
面倒だからさっさと帰ろうとしたところ、バケツから生臭の匂いがした
童が勢い余って小便を垂れた上に、懐に入れていた金魚袋を振り回したすえ、紐の握りを緩めて手放したらしい
バケツの底のたたきつけられた金魚とお小水とで、興ざめし、路地の隅に童を返して、その場を去った
兄弟に空のバケツを見られ、神社にボウズになりに行ったのかい?とからかわれたので
ちげえよ、ナツマを釣りに行ったんだと返した
画鋲踏んじゃって足痛ステータスがやっとこさ解消したところで、
なんでこんなところに画鋲が落ちてんのよ!ガビョーンとかは言ってないけど、
とにかく画鋲を踏んで落ち込んでいるところよ。
なんか足もチクチク痛くて、
そのチクチクさ加減がやっとなくなった感じかしら?
月替わりのカレンダーなんだけど
私の必殺技の真空月替わりカレンダーめくりのワザを大胆に披露した際にカレンダーごと画鋲で壁に貼ってあったカレンダーがそれごと落ちちゃったのよね。
そんで、
そして私の足で自ら踏んで回収という、
あれ以来月替わりカレンダーは月が変わるごとに真空月替わりカレンダーめくりのワザを披露することなく、
ヘリの部分の固いところを手で押さえて
慎重にそう!超慎重にカレンダー月替わりのカレンダーめくりをめくるめく繰り広げたのよ。
でも逆に言えば、
私は静かに月替わりカレンダーめくりの技を習得したと言っても過言ではないのよ。
だからみんなにも大にした声で言いたい大きな声でカレンダーをめくるときは静かにめくりましょう山脈に向かってヤッホー!って叫びたいの。
派手に大技を繰り広げたあの私の月替わりカレンダーめくりのワザで派手に飛んで行った
それこそライトフェンスにライナーでスタンドに入ったようなそれなんて大谷翔平選手?って言うぐらい、
なんかさ
二足のわらじじゃないの?って
棒状のものを持って何か複数のことを成し遂げるそれなんて大谷翔平選手ってのは分かるけど、
棒状のものを持っていないのに
何か二つのことを同時に成し遂げて素晴らしい功績を挙げている人に対しても二刀流!って言いがちじゃない?ガチで。
二刀流と言っても、
棒状のものを持っていない素晴らしい功績を挙げている人には二足のわらじで賞!を受賞させるに匹敵すると思うのよ。
あれの門っていうの?その入って後ろ側振り返ったら、
デカい草鞋飾ってあるじゃない!あれ見てないの?ってそれに気付かないぐらい
デカい草鞋には見向きもしないというか、
気付いていないぐらい
あの草鞋のことをもっとフィーチャーしても良いと思うの!
なので
東京の浅草のあのお寺の門的なものをくぐって商店街のところに行く前にぜひ振り返って、
それと同時に
棒状のものを持っていない人で何か二つのことを輝かしい功績を挙げた人にもれなく二刀流!って言うんじゃなくって二足のわらじで賞!をブルボンのお菓子が全部モンドセレクションを受賞しているのと同時に街のテイクアウト専用のから揚げ屋さんが何かしらの金賞を受賞しているのと同時名ぐらいに二足のわらじで賞!を受賞しても良いと思うの。
なので、
だって棒状のものを持っていない人が輝かしい二つの功績をほぼ同時に成し遂げた時にも二刀流!って言うのはって思うの。
なので
もっと二足のわらじで賞!をモンドセレクションとかから揚げのテイクアウト専用のお店全てにおいて何かしらの金賞を受賞しているぐらいのレヴェルで
二足のわらじで賞!を与えたら良いと思うわ。
もう一回言うけど、
棒状のものを持っていない人が輝かしい功績をほぼ同時に成し遂げた時には二足のわらじで賞!を与えるべきべきよね!って2の16乗のべき乗のレヴェルで思うのよ。
そんでさ、
もし本当に草鞋職人の人が、
草鞋作りも凄いのと同時に何か他の事もすごいこと成し遂げているときには二刀流ですね!って言われると絶対違和感を覚えるはずよ。
だからせめてもの本職の草鞋職人の人がなにか草鞋作りの本職の腕前の他に
何か凄い功績を一つでもあげたら、
二足のわらじで賞!をあげて欲しいものよ。
でもさ、
その凄い腕前の草鞋職人が棒状のものを持って何かすごいことを成し遂げた時には、
その時は二足のわらじで賞!を受賞するのか二刀流!ですね!って言うのか、
それはその時に考えるようにするわ。
あ!
二刀流の草鞋ですね!言えばいいのよ。
そうなるってーと
二刀流の草鞋ですね賞を受賞するのは
草鞋職人専門でその人がなにか棒状のものを持って輝かしい功績を挙げたときに限る特別な賞として輝かしいこと間違いないことは間違いないわ!
うふふ。
売り場を三度見してもなかったので
こっちもこっちで美味しいけど、
人気なんだわ!
最近がんがんそう言う水分を摂る補給が量が多くなってきたので、
たくさん飲むので生産が追いつかないところよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
下人雨待ち、羅生門下。広門、男と蟋蟀のみ。市女笠、揉烏帽子も訪れる可能性あり。地震、辻風、火事、饑饉で洛中荒れ、羅生門修理されず。狐狸、盗人、死人捨てる。門近く通らず。
鴉、門の上死人肉啄む。崩れた石段上鴉糞点々。下人、紺襖背に七段石段、雨眺め。元主人暇出し、衰微余波。雨途方にくれ、Sentimentalismeに影響。雨音聞き考える。
雨羅生門に ざあっと音、夕闇に門屋根の先に重たい雲。選ばぬ手段、築土下か道ばたに餓死。門上に犬のように捨てられるばかり。選ばずとも下人の考えは「すれば」しかなく、盗人になる以外の仕方を肯定できず、勇気が出ない。
下人、嚔して立上った。京都は夕冷えで寒く、風は柱の間を吹き抜ける。下人は肩に汗袗を重ね、門周りを見渡した。楽に寝られる場所を探し、門の上の丹塗りの幅広い梯子を見つけた。上に人がいても死人ばかりだろうと思い、下人は太刀に気をつけつつ藁草履を履き、梯子を登り始めた。
何分か後、羅生門の楼の中段に男が身を縮め、上を窺う。上からの火の光が右頬を照らし、下人は上にいる者は死人ばかりだと思っていたが、上では火をともしている人物がいた。雨の夜に、火をともしているからただの者ではない。
下人、守宮に足音ぬすんで急な梯子這って楼の内を恐る恐る覗く。楼内に幾つかの死骸が無造作に棄ててあり、裸の死骸と着物を着た死骸が混じっている。死骸は人形のようにごろごろ床にころがっていて、火の光が及ぶ範囲が狭いため数はわからない。肩や胸など高くなっている部分に火の光が当たり、低くなっている部分は暗いままで永久に黙り込んでいる。
下人、死骸の臭気に鼻を掩うが、強い感情で嗅覚奪われる。初めての眼の前には痩せた、背の低い、猿のような老婆。着物は檜皮色、白髪頭で右手に火のついた松の木片を持ち、女の死骸を覗き込む。
下人、恐怖六分、好奇心四分、呼吸すら忘れ、老婆、死骸の首、手により、髪一本ずつ抜き、恐怖消え、憎悪増、饑死 vs 盗人、悪を憎む心老婆床に挿した松の木片のよう、燃え上がる。
下人は老婆が死人の髪を抜く理由が分からず、悪事であると感じた。そして、両足で力を入れて梯子から飛び上がり、聖柄の太刀を手に老婆の前に大股で歩んだ。老婆は驚いた。
老婆見下人、弩弾かれたよう飛び上がる。「おのれ、どこへ」。老婆死骸につまずきながら、慌てて逃げようとした所、下人行手を塞いで罵う。老婆押しもどすが、下人腕をつかんで※そこへじ倒す。
「何してた。言え。黙ればダメ。」下人は老婆を放すと、太刀を抜いて白い鋼を見せつけた。老婆は動かず黙り込んでいる。下人は老婆の命が自分の手で決められることを悟り、怒りは冷めた。後に残ったのは満足感だけだ。そして、老婆を見下しながら、声を柔らげてこう言った。
「検非違使の役人じゃない。旅の者。縄をかける必要はない。今何してたか話せばいい。」老婆は怖い目をして、唇を噛んで髪を鬘にするための抜け毛を持っていた。そして、憎悪と冷やかな侮蔑の気色が下人に通じたのか、老婆は蟇のような声で話した。
「髪抜き悪くて、死人も優しい。私は髪抜いた女の話、蛇を切って干した干魚売ってた。味よくて、太刀帯買ってた。女悪くない。餓死するなら、私のことも悪くない。女は私を知ってるから、私も大目に見てくれるでしょう。老婆がこんな事を言った。」
下人、太刀鞘に、柄を左で抑え、冷静に聞く。右手は赤面鬼で悩む。それでも、勇気生まれる。門で欠けた勇気と反対勇気。餓死か盗賊か迷う。老婆話終え、下人嘲り、右手解放し、老婆襟つかむ、噛みつく。
貧乏なころは、なるべく草履やサンダルなどを裸足で履いて、そもそも臭いが出づらくしていたし、
各社のデオドラントスプレー(フットスプレー)や「ピロエース石鹸」などのグッズ類を試したり。
もちろん靴のローテーションを工夫したり、出社したらサンダルに履き替えたりしていたし、
グランズレメディなどの「白い粉」や銅製の効果を靴に入れたり酸性の液体に足をつけたり、いろいろやったなぁ。
消臭グッズの類はだいたいの場合それなりに効果があって、たしかに臭いは減る。
とはいえ、所詮は生き物の一部。ちょっと油断をすると臭いはすぐに復活する。
フットスプレーを吹き、靴には粉を振り撒き、靴をローテさせたり日に当てたり買い替えたりし、、、、
そこまでやっても人前で靴を脱ぐときにはちょっと緊張してしまう(今思えばメンタル的なものもあったのかもしれない)。
反面、万が一人前で足が臭かったら死にますね、という気持ちは高まった。
身体の臭いにも慣性の法則みたいなものはあって、1回念入りに洗っても臭いは取れない。
試したことはないけれども、たとえば1ヶ月足クサ対策を怠った場合、
その後リカバリしようとしても、1週間くらいは臭いんだと思う。
なので、出かける機会は減ったのに消臭は油断ができない。
フットスプレーや薬用石鹸。お金的にも手間的にもランニングコストが高くて、少しアホらしくなってしまった。
そんなとき、日本皮膚科学会のページを見ていたときに、下記のページをみつけた。
Q25足白癬にならないようにするためにはどうしたらよいですか?
https://www.dermatol.or.jp/qa/qa10/q25.html
引用させていただくと「一番確実なのは、水虫の塗り薬を指の間から足の裏全体に1日1回つけていれば、足白癬になることはありません」とある。
えっ、アリなの?
となって、水虫の薬をネット通販で手に入れ、足に塗り始めてみた。
足クサの原因はなんらかの細菌的なものなので、これが歴然と効いた。
水虫に悩むおじさんたちの足は臭くなかったんだな。変なところで感心した。
というところだが、それは水虫薬のタイプによって大きく異なることもわかった。
・軟膏は硬くて塗りづらい(おそらく薬効は強いのだろう)。
・スプレーは手を洗う手間もなく楽だが割高(コントロールしづらく、付けすぎてしまう)。
という感想をもった。
現在は、足クサ対策には液状の水虫薬が一番良さそうと落ち着いている。
ジュクジュクの白癬菌を退治したいわけでもないので、安い薬で十分なようだ。
言うなれば最新型の自動小銃ではなくリボルバー型の拳銃で治安は守れるよね、という気持ち。
ひと昔前にはカウンタ越しにしか受け取れなかったような、製薬会社のエース級な水虫薬である必要はない。
在庫処分と思しき枯れた製品をポチるようにしているのだが、おそらくフットスプレーを買い続けるよりも安価である。
そして液体であれば足の指の間にチュチュっと垂らすだけなので手間もかからない。
製薬メーカーがもし、薬効薄め(副作用少なめ)、値段控えめ、使いやすさマシマシの水虫・足クサ予防製品を出したら、売れるんじゃないかな。
もし足クサにお悩みであれば、水虫薬をお試しいただけるとよいのではと思う。
草履にすれば楽なのにね