はてなキーワード: 考察とは
話題のツイステに関する話。割と暴論な自覚はありますごめんね。
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私の立場としてDは金ロでやってる〜って見る程度、ツイステはちょっとお布施する程度にははまっています。
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まずお気持ち表明として愚痴を吐くことはいいことだと思う。自分の思い入れあるジャンルだもんな、嫌なこともあるだろう。
ただそれって現段階でそんなへこむ話なのかなと思ったのね。
なんでかというと、まずランドなりシーなり現実(?)への影響は今のところない。ゲーム内に出てくるキャラもモチーフはいてもそのものではない。(プライヤーキャラの夢って形でモチーフは出てくるけどその程度)
ヴィランズが好き、手下組が好きって方からすれば物足りないだろう、乙女ゲーにした意味ある?ディズニーから出す意味ある?って意見もよくわかる。
ただ公式が雑食ジャンルからきた民としてはいや、それだけで汚された〜って泣くのは早いぜ…と思ってしまうのね。
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とんちんかんな例えで申し訳ないんだけど、お寿司屋さんで苦手なネタがあるとしてお寿司そのものは好きだったら行くでしょ?でも苦手なネタは食べない。はい終わりって話に何でできないんだろうか。
私は軽い甲殻類アレルギーなんだけど、蟹フェアしてたら行かないかフェア以外の物を食べるようにする。
地雷だ!って言う前に自衛の努力はしてね、苦手な物を呟く人は自分のためにどうかお別れしてねと思ってしまう。
ここまではDオタへの気持ち。
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ここからはツイステオタへの気持ちなんだけど、さっきの例えでいうなら今は蟹フェアの告知がないまま通りすがりの人の口にまで蟹を突っ込んでるようなもんだと思う。
創作してくれる神たちとっっってもありがたい、考察班もゲーム内小ネタを呟いてくれる人も本当に心からありがたい。でもアレルギーの人間にはテロみたいになることだってあるのね。
そこのところの棲み分けができずにDだって童話をめちゃくちゃに云々文句を言うのはよくない。まず目に入らないよう自衛させてあげれば文句言う人、内心悪く思う人も格段に減ると思うんだけど、そこんとこどう?
自衛するにもタグがあまりにも多すぎるから避けようがないと思うんだ。最低限何を呟くにも統一で#twstって語尾につけるだけでも全然避けようがあると思うんだけどそれは難しいことだろうか?
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頭ん中ハッピーセット野郎の意見で申し訳ないんだけど、Dオタもツイステオタもどっちも好きなオタも皆平和に推しと戯れられたらいいな。
そのためにはDオタは自衛、ツイステオタは自衛できるように配慮する、それで解決ではダメなんだろうか。
原著があってのディズニー、ディズニーがあってのツイステであって、好きなジャンルの元ジャンルくらいには敬意を払うべきだし、元ジャンルの民にちょっと気を使うくらいでバチは当たらないと思う。
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ところで全然関係ないジャンルの話なんだけど最近の腐女子公式ちゃんのツイートに腐発言リプしてて古の腐女子は悲しいです。もっと潜もうぜ、その世界はわかるモンだけで楽しむディープな世界であって周知していいものじゃないんだぞ。LGBTがどうたらとBLは全く別問題だからね。
ツイステくんそのあたりちょっと今後大丈夫かなって不安もある。
新興ジャンルめちゃくちゃ楽しいけど声が大きくなりすぎると嫌な人もいるから気をつけようね。
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それは文句言う側が悪いんで喧嘩でもなんでもすればいいと思う。沼仲間のためにもぜひ勝ってくれよな!
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感情のままに書いたからよくわからん文になってしまって申し訳ないです。男女関係なく皆が今日も明日も推しと健やかに過ごせると嬉しいよ。最後まで読んでくれてありがとう。
ディズニーってそんな立派なものだったっけ…?ディズニーはお金を稼ぐことを揺るぎなく大事にしてきたイメージ。
時代に合わせて稼げるコンテンツを作るのはさすが。それこそがディズニーらしさだと思いますけどね。
ディズニーがこのジャンルに手を出してきてるってことは既存だけではもう無理と思ってるんじゃないの?既存のDオタの課金が不甲斐ないから別ジャンルのオタまで頼り出してるんでしょう?
自分は女性向けやったことなかったしツイステの広告見たときは無理と思ったけど、考察読んたりしながらやってみたら楽しいので、見かけだけで批判されるのは本当に嫌だな。
入ってこないでくれってそんなのこちらのファンの勝手ですし、このゲーム作ることにしたディズニーが望んだことでしょう。寧ろ入ってきてくれなかったらディズニー困ると思いますよ?
https://not-miso-inside.netlify.app/blog/better-stop-watching-vtuber/
これとか、
https://note.com/wasasula/n/n569e015f6f81
これとか、それぞれのブコメとか、
で、Vtuberはリアリティーショーだと言ってみたり、それに反論したり、Vtuberなんてキャバ嬢だと言ったり、馬鹿な女をおもちゃにして楽しむコンテンツと言ったり、それに反論したり、してるわけだけど、、、
えっと、まともに考えると、「Vtuberもリアリティーショーと同じだ」という危惧は、Vtuberで木村花さんみたいなことが起こってほしくない、ということのはず、だよね?
つまりVtuberが傷付いたり、それによって自殺を選んだりすることを危惧している訳だ(でなければリアリティショーと同じ構造を持っていることは悪い意味を持ちえないし、それを危惧することも論理的にできない)
しかし、一方で、そう言う危惧を伝えるための文章やそれへの反応で、「キャバ嬢」や、「馬鹿な女」という言葉選びをする。
えっと、、、、良く分からないんだけど、君らは彼ら彼女らに傷付いて欲しいの?傷付いて欲しくないの?死んでほしいの?死んでほしくないの?
いやもちろん人それぞれだと思う、傷付いて欲しい人もいれば傷付いて欲しくない人も居るだろう、
ただ、傷付いて欲しくないと言い(リアリティーショー化を危惧し)ながら、傷付ける為の言葉をわざわざ選んでいる人は、一体何がしたいんだ?
俺がアホだから、またはVtuberに詳しくないから分からんのだと思うんだけど、
例えば、あなたの言葉を見てVtuberが傷付く事はあり得ない事なんだろうか?そういった傷付きが蓄積して(勿論同じような事を言ってるのはあなただけではない)最終的に死を選ぶことは本当にあり得ない事だろうか?
俺は、全然あり得ない事ではないと思うよ。
木村花さんの件の様な事が起こることを危惧しながら、それが起こることに加担する行動を取る、というのは俺には理解ができん。
あなたの言葉でVtuberが傷付かないとあなたが思ってるとしたら、それはどういう理由からだろうか?
Vtuberの中の人は心が強いから?(5000人以上いるらしいけど全員が?)
心が強くないVtuberはVtuberで居るべきでないから自分の言動は正当化される?(マジで言ってる?例えそうでも傷付けることは正当化されないのでは?)
自分の批判対象は悪いVtuberだから問題無い?(悪いVtuberとは?どういう行為が、傷付けられることも正当化されるような悪なんだろうか?)
自分は事実を言ってるだけ?(事実かどうかと傷付くかどうかは別問題では?また、事実なら傷付けてもいいという前提の中で木村花さんの件を十分に批判し得るだろうか?)
事実を言われて傷付く方が悪い?(同上)
自分の批判対象は自分の嫌いなVtuberだけだから大丈夫?(嫌いだからって傷付けてはいけないのでは?また、そのような前提で木村花さんの件を十分に批判し得る?)
自分は現在のVtuber業界の構造を危惧している?(で、その為にその過程でVtuberを傷付けることは正当化される?またわざわざ傷付ける言葉を選ぶ意味は?)
お前はVtuberを人質にして言論を封殺してるだけ?(俺がそうだとして、そう言う理由であなたがVtuberを傷付ける行為を正当化できるの?俺の行為の倫理的評価とあなたの行為の倫理的評価は別個に下されるべきでは?)
全ての回答を事前に予想する事は出来ないけど、俺の根本的な疑問はこうだ。「あなたはどのような条件を満たせば、誰かを傷付ける行為を正当化できると思っているの?」
最初に挙げた2つ目のリンク先では、1つ目のリンク先は「自傷行為」だと言われてた訳だけど、
恐らく「自傷行為」だけには還元できない、他にもいろんな動機があると思う、そこは見逃されるべきじゃない、ただ、
それが自傷行為という要素を一切持たないかどうかは考えてみて欲しい、それで、あなたは傷付いたにせよ、その自傷行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか、考えてみて欲しい。
(または1つ目のリンク先のタイトルが「オタクも」と、オタクを批判しあるいは傷付ける事を目的としているように見える点も気になる、その場合も同じ、その行為にVtuberを巻き込んで一緒に傷付けてしまう事をあなたはあなた自身に対して許すのか)
上の?の連続を書いていて思ったのは、あなた達はもしかしたら、Vtuberを考える上で自分自身を透明化していないか?という事だ。
あなたは他者の行動や業界の構造の是非を問う事が出来る、でも、その是非を問う言動やその為の文章それ自体が倫理的な是非を問われる側にもいる、という事を忘れてしまっていないか?
あなたは透明ではない。従って、あなたの言葉は誰かを(つまりVtuberを)傷つけ得るし、その事の倫理的な是非を問われる立場にもいる。その事を忘れるべきじゃない。
あなたはあなたの行為をあなた自身に対して許すのかを考えるべきだ。
自分の数少ないVtuber視聴体験だけでも、例えばVtuber達がFPSや麻雀で素人の俺では到底敵わないプレイスキルを見せていることを知っている。分かりやすい授業をネット上に公開し、プロ顔負けのオリジナルのラップ楽曲をリリースし、視聴者のセクハラに声を挙げ、男性が女性になり、リアルに嘔吐し、大喜利をし、動画を編集し、膨大な悪意に直面し、虫を食べ、彼氏バレを越え、世界観を考察させ、常人ではちょっと発想も出来ないサイコな映像で海外にもバズった事を知っている。そう言う全てを「キャバ嬢」「ガワを被った生主」「馬鹿な女」という言葉に還元して「無かったこと」にしてしまう、無に帰すことをあなたは自分自身に許すのか、それが倫理的に問題が無いのか、考えてみるべきだ。
(勿論、自分はVtuberを追えていると言えるほど追えていないので、そう言う言葉に還元して無かったことにするべきでない事は他にも恐らく一杯ある)
かなり長くなってしまったが、他にも拾えていない論点は一杯有る。例えば、あなたが木村花さんの件の再発を危惧しているのだとして(でなければリアリティーショー的であるとの指摘は論理的に批判たりえないのだが)、それがリアリティーショー的である物へ危惧に繋がるのだとしても、同じく根本的な原因であろう「特定の人物を傷付けてもいい」理由の作出という問題については存続することを許容しているのではないか(でなければ、あなたがVtuberを傷つけ得る言葉選びをしていることを正当化できないのではないか)という点はかなり根本的な問題であるように思う。
あなたがVtuberを傷付ける事をあなた自身に許す以上、そこには「特定の人物を傷付けてもいい」理由が無ければならない、しかしそのような理由の作出こそが木村花さんの件を招いたのだとしたら、木村花さんの件の再発を危惧しつつその発生に寄与した現象を自分で再演することには大きな矛盾が有るのではないか?
また、全然別の論点として、そもそもこのような、キャラクター(と、ここでは敢えて表現するが)に対する言動の倫理的な是非をここまで切迫して問われる、という経験自体、生の人間がキャラクターを突き破って来るというVtuber体験に特有の物ではないか、というのもある。
確かにフェミニズム的な観点からこれまでも問題化されることは有ったにせよ、比較的自由にキャラクターに対して接していたオタク達が、同じやり方でVtuberに接したとき、セクハラだとして声を挙げられたり、苦言を呈されることがある(正直に言って、十分に起こっているとは言えないし、セクハラに対してはもっと同じ反応が有るべきだが)。
それもまた「生の人間」の発現である訳だが、それに対し、Vtuberの生が出る事を忌避し、キャラクターやロールを演じることを称揚する方向が、セクハラの糾弾(という「生」の発現)への抑圧にならないか、という論点はもっと語られるべきだろう。
果たして、一人の人間を、非人間的な役またはキャラクターのままでいる事を要求する態度と、その者の役やキャラクターから逸脱する人間の側面の現出を許容する態度と、どちらがリアリティーショーや、木村花さんに誹謗を浴びせた人達に近いだろうか?
その他様々な論点が置き去りになっては居るが、それはともかく、
最後に問わねばならないのは、この文章を書く俺自身もまた透明では無いし、従ってこの文章やそれをここに書く行為そのものも、俺が自分自身に許すか問わなければならないという事だ。
今一度読み直してみて、俺は許す。
あなた達を過剰に馬鹿にする言葉選びはしなかったつもりだ。そもそも俺はあなた達を馬鹿だとも根本的に悪だとも思っていない。自分の行為を透明化せずに自分に許すかどうか問う、という事をしさえすれば、他人を不当に傷つけないように振舞う事が出来る人達だと信じているし、だからこそこれを書く。
長いタイトルの通りだ。随分時が経って、気持ちの整理がついたのでここに書くだけ。この手の話はここではよく長いと言われるので、最初に言いたいことを言ってしまうと、
「実在する人の事実ではない「妄想」はたとえBLなどではなくても、本人の目の届かない場所でしてくれ」
私はとある芸能人が好きだった。どういったジャンルの人なのかはここでは伏せるが、漫画やアニメのキャラクターではなく、れっきとした芸能事務所に所属する現実に存在する人で、テレビにも出ている。昨日もテレビに出ているのを見かけた。
私はその人(以降Aとする)が今のように有名になる少し前から好きで、実際に生の姿を見に行くことが多々あった。今思えば図々しいこともしてしまったかもしれないが、お話したことも何度かある。絶対に近い未来、Aは売れると思っていたし、その頃には徐々に軌道には乗り始めていた。
そして、結論から言えばAは売れた。私が想像していた以上に世間から認知されている芸能人になった。それはとても喜ばしいことだ。本音を言えば生で見ることができる機会が格段に減って寂しくは思ったが、決してそれが嫌だとは思っていない。Aの魅力が多くの人に伝わったのであれば嬉しい。
しかし、人気が出始めた頃、あまり詳しく言うとわかってしまう人がいるかもしれないが、「Aの性格やエピソードからAの過去などを勝手に想像し、それをTwitterに書く人」が現れた。それも1人じゃなく、そこそこな人数がそういった「妄想」を全世界に発信していた。それが私には衝撃であり、恐ろしく嫌悪感を覚えた。あまりに酷い人はブロックしたりもした。
そのツイートたちを私は「妄想」と言っているし、言い方を変えるつもりは一切ないが、彼女たち(アカウントを見る限り皆女性だった)はその「想像しただけの実際にAからそうだとは明言されていないこと」を「考察」と言っていた。言い換えって便利ですね。「考察」って言うと突然高尚な感じに聞こえる。結局は「妄想」と大して変わらないのに。
でも根本的に嫌だったのは「妄想」を「考察」としていることではなく、Aが明言しない限りは事実でないことを誰もが閲覧可能な場で発信しているということだった。
もちろんA本人もTwitterをやっているし、そのツイートを見ることが可能だ。それが嫌で嫌で仕方なかった。実際のところ、Aがそういったツイートを目にしたことがあるかは知らない。私が懸念しているのだって、所詮は妄想にすぎない。それでも、あくまでも一般的に考えれば、いい気分になるものではないと思う。少なくとも、私は他人に自分の過去を勝手に妄想されたくはない。気持ち悪いとすら思う。
ただ、何もそういう妄想をするなとは言わない。非公開アカウントでひっそりと話していればいい。A本人が目にする可能性が限りなく低い場所でやってくれればどうも思わない。
とにかく、Aの目に入るかもしれないのに勝手に妄想した話を嬉々としてツイートしている彼女たちが理解できなかった。
ちなみに言うと、Aと同じジャンルに属する別の芸能人たちはそういうツイートをされてるのをあまり見たことない。Aだけやたらされている理由は、多分Aの家庭事情や性格にあると思うが、これもわかる人が見たらわかりそうなので割愛。
想定外の事態にもやもやしつつも、まだAへの想いは相変わらずだった私がAのファンを続けていたある日、Aが上記のような「Aの過去などについての妄想」よりもさらに本人のところには届いて欲しくなかった「妄想の産物」(わかる人は察してください)の存在を耳にしたという衝撃的な事件が起こった。最悪のことが起きてしまったが、この1件により私が嫌悪していた「妄想」たちが誰でも見ることが可能な範囲からは消えると思ったし、そう願った。
だが、残念なことに結果はAのことを頭文字や絵文字で表記して、少しわかりにくくしただけで依然として彼女らはAが見るかもしれないところで同様のツイートをしている。今もです。
その状況を目の当たりにし、私はAのことを追うのはやめた。どんなにAのことが好きでも、Aのファンというくくりでは彼女たちと一緒なのがどうしても耐えられない。
それと同時に私は思った。ナマモノという言葉は主に実在する人物のBLなどを指して使われているようだが、彼女たちがしている「妄想」もそうなんじゃないかと。好き勝手妄想していることには変わりはないのに、何故前者は本人には見えない場所でして、後者は見える場所でしているのか。後者も本人が不快な思いをする可能性があるのは同じなはず。
アイドルでも、俳優でも、芸人でも、スポーツ選手でも…実在する人の事実ではない「妄想」はたとえBLなどではなくても、本人の目の届かない場所でして欲しい。
ここに書いたところで、あの時の彼女たちに届くとは思っていませんが、これが私の切なる願いです。
二次創作オタクの道に迷いこんでから、人生の1/3くらいになる。インターネットでは小説らしきものを書き散らかしていたが、同人誌は買うものでしかなかった。
「同人作家には感想を送るといい」という言葉を素直に受け取って、ありがたく読んでは神々に感想を送っていた。全員ではなかったが、買う時点でセレクションをかけていたのもあって半分以上の本には少なくとも原稿用紙1枚相当以上の何かしらをお送りしていた。
それからしばらくして、はまり込んだとある界隈、ある推しカプの威力があまりにも凄まじかった。私はとうとう読み専を卒業し、同人誌を印刷することでサークル参加デビューを果たした。それが、1年程前のことだった。
初めてではあったが、本自体はなんだかんだ出せた。だが、同人活動はそこから先こそが試練だったということを、知らなかった。
最初の本を刊行するのにかかった時間は4ヶ月程。平日は仕事の後、休日は日中の半分程度、原稿に時間をコツコツと割いてきた。そのおかげで、人生で初めて出した本は文庫だが200pを越えたし、まあまあ満足するものができた。そんな本が印刷され、世に出たことによって、自分の想定程度には売れた。だが、感想はほとんど来なかった。
正確には、界隈の中で本当に仲がよい友人ふたり程、それに地方在住のおそらく主婦業をやられているフォロワーさんからは来た。この方々がいなかったらこんなもの書く前にさっさと同人誌のことは黒歴史にして畳んでいただろう。しかし、それ以外の、いわゆる同人仲間やフォロワーからは来なかった。
自分が同人誌を読み捨てるタイプのオタクだったら、まあそんなもんだろうと納得が行ったのかもしれない。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
私一人が書いていた量よりも、自分で本を出版してもらった感想の方が少ないなんてことがあるのか。自分が良かれと思ってしていた経験に復讐されるなんて、そんなのひどくないか。その思いに苛まれつつ、今日もイベント中止にも負けず本を出してくださった方に感想を書いている。
ただ、この増田で書きたかったことの主題は、むしろ同人活動をしていると表明している人間が実際には「同人誌を描いてくれた方に感想を送る」という責務を果たしていないことにあるかもしれない。
このジャンルを仕切るいわゆる同人ガチ勢がいかにも「わたしら誇り高き同人サークル、インターネットの木っ端とは違うんですよ」みたいな面を下げていながら、同人誌に対する感想についてはサボりまくっていることを臆面もなく表明しているのが、ここ最近の精神的苦痛に拍車をかけている。
この界隈には、いわゆる「ボス」的な立場にいる人間がいる。よくオンリーイベントやアンソロジーなどの色々な企画を取り仕切ったり、学級委員として何かを回したりする立場の人間と言えば、ほどほどの規模の界隈なら心当たりがあるのではないか。オフライン活動がメインだと公言しており、インターネットで描いてた頃は反応すらなかったのに、サークル参加を表明してからは急に「あなたの書くものいいですよね〜ファンでした〜〜」と接近してきた。
「ネットで送るよりも生の感想を即売会で本人に伝えるのが醍醐味だから」を言い訳に、この人が感想を書いているのは見たことはない。そして結局当日打ち上げで伝えてくる感想も「こないだのあの本めちゃくちゃ良かったですよ! やっぱり〇〇はかわいいですよね〜」くらい。
ボス程ではないが、同人活動「ガチ勢」の中にはちょくちょくそのような人間がいる。Twitterでは自分の原稿や界隈の中で行儀が悪い人への愚痴がほとんど。それなのに自分がインターネットに適当なイラストを上げる時は「RTうれしいな」と言っている。もちろん他人のイラスト・小説はほとんどRTしない。
「作者の解釈をきちんと言語化して感想として送れるの、本当すごいですよね」と言いながら、この間まではポケモン(自作の刊行直後、TLはこれ一色だった。わたしのような木っ端な作家よりも世界的タイトルが話題になるのは当たり前だが、それが辛くてミュートした)、最近はあつ森の進捗をTwitterにせっせと上げている。
「同人文化を支えていこう」などとお題目を唱えている割に自身の……率直に言って絵柄やストーリーが大して練られているわけでもない原稿に時間を割いて、お友達以外の他者にはほぼ無関心なのは、彼らの言う「同人文化」もたかが知れているのではないか。
界隈にとある方がいる。フォロワーは私の30倍以上、ボスの10倍以上いる、いわゆる神絵師だ。でも、物腰は柔らかだし、私がインターネットに投稿していた頃からちょくちょくお褒めの言葉を頂いていた。上で述べた友人……と、本当に今でも言っていいのか分からないが、恐れ多くも自分が出した同人誌に感想をくださった方のひとりでもある。
その方がかつて、原作について非常に深い考察を繰り広げたものをまとめた、商業の単行本並の厚さ・クオリティの同人誌を出したことがあった。ジャンルバレが惜しくなければ所構わず宣伝したいくらい、本当にすごい本だった。当時読み専だった私は、どうしたらいいのか分からずとりあえず長文の感想を送りつけた。その方はいたく感激してくれた……のが、少しずつ仲良くなることができたきっかけだったような気がする。
それから私は初めてイベントにサークル参加し、Twitterで繋がっていた人たち中心に打ち上げに参加した。ボスが企画してくれたもので、カラオケの一室を貸し切って(何故ならオタク女は人目を憚る話を大声でする必要があるため)わいわいと推しについて語りあっていた。
中盤に入ったあたりだった。ボスが思い出したかのように言った。
「〇〇(神)さん、こないだの本読みましたよ! あんなに(原作)をきちんと捉えてこれが出せるの、本当すごいですよね〜私の本でもそういうの大事にしてて〜」
それで終わりだった。後は自分の本語り。その本が出たのは数ヶ月も前のことだったのに。数人が神の本に話を戻したことで、とりあえずしばらくの間はその本について盛り上がることができた。
その方は、それでも微笑みながら受け止めていた。ただ、それ以降あまりボスのイラストをRTすることはなくなった気がする。
最近、神が主催する推しCP(コンビ)アンソロジーへの寄稿を打診されたので喜び勇んで引き受けた。執筆者にはグループDMで連絡が来たが、同じCPがメインのはずのボスは参加していなかった。それを確認した時、私は暗い喜びを内心に感じながらも素敵なメンバーの皆様に挨拶をお送りした。
……と、まとめてみたら「これ、感想を書いて得してるのでは?」と気づいた。どちらかというと、感想書きのシンデレラストーリーとして自慢できることの方が多いかもしれない。それでも界隈でのさばっている奴らへの心象は悪いままなので、記念として増田に投稿しておこうと思う。
猿山のボスへの愚痴が大半を占めてしまったが、逆に言えば感想をコンスタントに書いている人はどれだけ書き手から感謝されているのか、忘れないでほしい。
この間の新刊にも原稿用紙5.5枚の熱い感想をくれた人のおかげで、今も生きている。ご家庭の都合でイベントには来られなくても感想をくれるあなたのために、次の新刊も頑張ろうと思う。
(20200618追記)
放置していたらはてぶに上がっていた。おかえりなさいという気分です。見てくれた人、ありがとう。色々言われているけど、反応してくれた時点で今日もあつ森をやってるフォロワーの100倍マシです。
@pikopikopan 文字書きってなんでこういうタイプ多いんだろ。/私は描く側だけど壁打ち上等だし、読むけど身悶えするほど好きで何度も読み返した本ほど感想送れないし送らない。/感想送ったら活動止まった人が居てな後悔したわ
私は性格悪いとは思いますけど性格のいい文字書きの方も多いので、主語でかくするのやめた方がいいんじゃないですか。私もやりますが。
あと、感想送る→活動止まるは見えるけど、感想送らない→活動止まるはすぐには見えないから気づいていないだけじゃないですか。何もしなければ責任を取る必要はないけど、真面目に考えるなら見殺しにしてきた同人作家の数でも数えた方がいいんじゃないですか。感想を送らないことを正当化する人間が一番腹立つんですよ。
「いろんな観点持ってるアピールおじさん」って会社の中にたまにいるじゃん
俺は人生で何度か出くわしたことがあって大体において何故か会社の中でそこそこ偉いポジションの人だったんだよね
「Aで進めようと思いますけど〜」って言うと「Bについては検討してないって理解でいい?」って返すのが一番の鉄板コース。
別にそれは良くね?って思うじゃん?
俺もいいとは思うんだよね。いろんな観点があることは大事だし選択肢を多く検討するのは悪いことじゃないからさ。
でも問題は、いかアピおじさんは「それが良い議論を生む」と思ってやってるわけじゃなくて「カッコいい」と思ってやってるんだよね。
人生において「いろんな観点があることが一番かっこいい」っていう謎の価値観を強固に持ってる。
小学生だったらオオクワガタがかっこいいし、中学生だったらビジュアル系バンドがかっこいい、高校生だったら洋楽を聞くのがかっこいいっていう、
ああいう感じでそう思っているんだよね。観点の広さにおける中二病だとおもう。
だから、いついかなるときも「Bについては検討してないって理解でいい?」「GAFAがCをやってるけどそれは検討した?」「そのやり方以外は検討しなくていいって確信してるってこと?」って言ってくる。
繰り返すけど、必要だからそう言ってるんじゃない。毎回必要ないだろ、ってときにも必ず言ってくる。
しかもアピールが目的だから、微妙に絶妙な嫌味差を含んだ言い方になる。嫌味のインコース高めギリボールくらいの感じ。
GAFAとかいう必要なくね?最近はリファレンスがGAFAから中国の巨大ITのなんちゃらとかかんちゃらに移ってる。
だからまともに仕事の仕方を覚えてほしい。アピールのためじゃなくて、いい結論を導くためにその観点を利用してほしい。
あるところで見かけた観点おじさんは、現時点のリードプランに必ず「でも〇〇の観点もあると思うんだよな。」と言うかたで99.9999%の確率で真逆の意見をぶつけてくる。
くどいけど、逆の観点を出すのは悪いことじゃない、問題は毎回必ず、しかも「自分のアピールが目的で」言っている点だ。
このいかアピおじさんの挙動については、近くで働いていた人が鋭い考察をしていた。
逆の観点をぶつければ、大体の場合は煙たがられたり無視されたり間違っていたりしても、ずっとやっていればいつかは勝つ、つまりその観点の方が正しかったという状況が巡ってくる。
そのときは他の10人が賛成していた案のカウンターアイディアで勝ったことになるから、記憶に残りやすいしアドレナリンが出る。
競馬で3連単を当てた時の記憶だけが脳にこびりついて、その快感が忘れられなくて、ずっと大振りしている遠い目をしたおっさんに近い。
鋭い考察だ。
どちらのおじさんも、炎呪文を覚えて氷のステージで大活躍した魔術師みたいなものだ。
炎魔法かっこいい。その中二的な幼稚な優越感が脳にこびりついて、炎系呪文ばかりを見につけて、砂漠のステージでも闇のステージでも炎魔法だけを使っている。
大抵は全く効果がなく、仲間からも疎まれているが、氷系の敵とエンカウントする日を待って、今日も新しい炎魔法をせっせと覚えている。ほのおまほうは、かっこいい!
いろんな観点持ってるアピールおじさんは、意外に勉強家じゃないとできないし、何故か偉い人に多いからきっと能力は高いんだと思う。
ただ、頭はいいんだろうけど価値観が幼稚で社会の中で取り残されていて、単純に仕事が出来ない人が多いイメージがある。
ただ、たしかにたまに氷のステージで活躍するからその残存イメージが王様(社長)の印象に残って重用されていい役職にいるんだろう。
きっと組織の中にはそういう人も一部必要かもしれないが、その人がほのおまほうを張り切って撃ちまくるせいで迷惑している他の人もたくさんいると思う。
系全体で見たらシンプルにマイナス影響しかないんじゃないだろうかと思っているが、俺が間違っているんだろうか。きっとそうだよな。
コロナの影響で外に出る用事が無さすぎるのでツイッターとピクシブを往復して生きてる。
でさ、ツイッターで「考察」とか言って妄想垂れ流してるヲタク多いじゃん。自分が見ないジャンルでもそうかどうかは知らないけど、観測できる範囲では多いわけ。
でね、最近ハマったジャンルで気になってるキャラが なんかちょっと常識欠けてるタイプの人間なんですよ。
厨二病寛解してない自分が好きになるキャラは、大抵そうなんだけど。
そのキャラを含むCPのひとつを検索すると、どうしても目につく考察BBAがツイッターに存在するわけです。
私はヲタクだし二次創作も見る腐女子だけど、ツイッターにおいてはいわゆるジャンル垢みたいなのを作らず、同カプのアカウントもフォローせず、リストに入れて監視する。自分で二次創作もしない。しても出さない。
なので、界隈のノリについていけず、ドン引きするみたいなのがよくあるんだけど、考察BBAってだいたいドン引き案件なのである。
考察ってか妄想なんだけどさ、まぁひとつのテキストからよくそんな重い過去想像できるよね笑 みたいなのは腐女子(ってかヲタク)全般に言えることだから、論う気もないけど、テキストの読み込みが浅いんだよね。
これがゼミなら「そこはそうは読まないですよ笑」って指摘してたわ。日本語が母語であらせられない?
ヲタク、国語しかできないくせに国語能力低いからね。しかたがないね。国語のできない日文が3割占めてるでしょ。
閑話休題。
でもさ、考察BBAってそんな妄想ばかり語ってるくせに自分の「考察」に合わない妄想見ると癇癪起こしだすんだよな。キモッ!
「○○くんのこと変態って言ってる人見て腸煮えくり返っちゃった(鍵垢ツイートスクショ)(キャラの倫理観薄々発言に対する擁護)(根拠は全部その人が考えたキャラの養育環境)(原作にそのような描写は一切ありません)」
ツイッターの140字に納まる(だいたいツリーになってるから納まらないけどね!)、アート性もなにもない短文だから逆に「創作」って意識が低いのかもしれないけど、オバサンがやってる「考察」って「二次創作」なんだよ。
絵師や文字書きが他人の二次創作に「私がかいた絵(小説)と解釈が合わない!」って言い出したら燃えるかフォロワー減るかでしょ。違う?
別に私も他人の考察読むし自分でも考察遊びはするけど、少なくともそれは妄想で、文字に起こしたら二次創作だという意識を手放したくないな。
そんなんだから「公式と解釈違い」とかいう妄言が生まれるんだ。キモい。自分の幻想を他人(の創作物)に押し付けるな。動かす権利があるのは運営だ。
この人は、このキャラがなんでもない両親に愛を持って育てられてたら幻滅するのかなと思うと、気持ち悪くてダメだ。でもヲタクそういうとこあるよな。
「私はこの問題を解くのに105分かかりました」100枚のコインを使った問題、あなたは解ける?
https://togetter.com/li/1527323
(これで検索したらそういう人多いのな。
調べたり考察したりするべきなのかもしれん)
新型コロナウィルスの流行で家で過ごす時間が長くなったので、暇を持て余して学生の時以来15年ぶりくらいに長時間はてなに入り浸っている。相変わらず、リアルの職場や友人とは話さないであろうネタが多くていい気分転換になるのだが、気になったのが、「全体的に話題が浅く内向きになった?」感だ。あまり上手く説明できないので箇条書きにするとこんな感じ。
・海外情勢の記事減ったよね?2000年代半ばだとシリコンバレーの文化や流行みたいなの記事が結構あったような。梅田望夫氏とか人気だったよね?今だと中国のIT企業の裏側とかのネタもっとあってもいいと思うけど、俺の観測範囲では見ていない。
・経済の話題が出なくなったよな?経済だと昔はリフレ派の主義主張を結構見た記憶が。最近だとMMTの話題や各国の中央銀行のコロナの経済対策とかの話題がありそうでない。
・科学技術もそうで、惑星探査機はやぶさに、地球シミュレータ、PS3のハード構成とかの考察記事や、IntelとAMDのアーキテクチャ比較とか技術オタク的な視点でわちゃわちゃ盛り上がっていた気が。
・新型コロナウィルスの流行でSNSの医療クラスタの発言は結構取り上げられているけど深さが物足りない。昔のノリなら通りすがりの研究者が海外でのワクチンの開発やレムデシビル、アビガンといった治療薬の治験データとかの論文解説記事を上げてただろうし、「僕の考えたコロナ封じ込めプラン」的な、青臭いけど熱のこもった医学部生の考察記事なんかがホットエントリに上がってた気がする。
・教養主義の衰退。昔はDankogai氏やfinalvent氏のような教養を感じさせるブロガーが目立っていたが、そういうノリがいつの間にかなくなっている。
・ライフハック。昔から若干うざいと思っていたから記事が減ってすっきり。
・自分語りというか、非モテ系のくねくねした自分語りのネタが昔は多かった気が。かつての自分語りが15年前は試験サービスだった増田にシフトした感だが、ブログでの自分語りは他人の人生をトレースしてる感があって増田よりもエモかったんだよな。なんだかんだで当時から生き残っているシロクマ先生の存在感。
・党派性が強くなった?昔から”はてサ”という言葉があったくらい、左派色の強いブコメが多かったが話題の幅が減ってる。なんていうかジェンダー論と政府批判に集中しすぎというか。ここ数日話題になっていた香港の国家安全法の話題が全然出てないのはリベラルとして感度が鈍くないか?
全体的な傾向を無理やりまとめると、昔は技術に強いインテリタイプが主なユーザーだったのが、すそ野が広がって良くも悪くも大衆化したという感じだろうか?大衆化したといっても芸能人のアメブロ読んでる層とは全然人種が違う感あるけども。例えば、会社や学校の同僚の8割方が知らないであろうジェンダーバイアスとかトーンポリシングとかの単語が普通に通じる空間はなんやかんやで異質。
結論欧米各国の政府が無能でアジア地域の政府が優秀だっただけじゃん
文化だとかBCGだとか遺伝子だとかマスク(笑)だとかなんで見当違いな理由が出てくるんだよ
ってことはそういう政府の政策が一番大きな因子だってのが明らかじゃないか
だからアジア地域の政府が優秀だったっていう結論になるのが当たり前じゃないの
そもそも2月後半時点から欧米は確認できてなかっただけでかなりの数の感染者がいたと思う
例えばイタリアを例に挙げると3/1から3/22(緊急事態宣言が出た3/7から約2週間後)まで4日で感染者数が倍になるスピードで増えてた
このスピードで増えてるのって市中感染者を検知できてなくて普通の生活してた場合なんだよね
一番身近な例だと韓国の宗教団体の集団感染がそれ。そのときの韓国も途中までイタリアと変わらないぐらいのスピードで増えてた
でも韓国の場合はイタリアより早くクラスタ検知ができていてを2,3週間で抑えこみができていた。すげー
一方イタリア、感染者数が5000人超えてからやっと移動制限。遅すぎ無能。2週間はペースが変わらないので、この時点で6万近い感染者数が実質的に確定する。無能
同じようにヨーロッパ各国(特に国家間の移動が多い西欧諸国)も国内調べてみると都市部を中心に感染が広がってることに同じぐらいの時期に気づき始める。無能
結局この初動の遅さが原因でアホみたいに感染広がる結果になった。これが政府の無能さじゃなかったら何なんだ。日本政府見てる目で欧米の政府見てみろよ
それで欧米以外で大きな煽りを受けたのが日本含む主要な国際空港を持つ国
アジア・中東で言えば日本、シンガポール、インドネシア、インド、カタール、UAE、トルコあたり
どの国もヨーロッパの感染拡大が発覚した後に大きな波が来ている点で共通している
3月初旬時点では「お前のとこコロナ全然いないみたいだし移動してきてもおk」ってなってるから飛行機もがんがん飛ばして感染者ががんがん入国してきてた。
日本は主要なヨーロッパの国からの入国を拒否し始めたのが3/27と遅かったのでこれがかなりの失点になった。
ちなみに中国・韓国も大きい空港があるけど3月時点ではトップクラスに感染してる国だったので海外居住者は国に帰らないし、外国人もそんなところ近づかないのでこの煽りを受けなかった。
アジア諸国が欧米と決定的に違ったのは各国政府が早い段階で市中感染を検知できていて、移動制限などの対策ができたことに尽きる
おかげでヨーロッパみたいに「市中感染ないと思ったらめっちゃいましたー」みたいな人たちを国家間・都市間であまり移動させずに済んだ。これは有能
結局このことから分かる通り感染防止に一番役立つのっていかに早く感染者を野放しにして普通の生活をさせないかがすべてで、
その顔真っ赤とか必死みたいな茶化すレスというのは、横からきた第三者が言うのならまだ分かるが、1:1の対話をしているような流れの中でその茶化しで話を止めるのは「人格攻撃でしかもう返す弾がありません」というみっともない宣言なんだが、それは分かってるんだろうか?
ある程度タイピングできる環境で入力している人からすれば多少の長文は別に顔真っ赤を示す証拠にはならないし、ネットに向かって顔真っ赤で書き込む人が実在するとしたらきっとその人は罵詈雑言の短文やら絵文字やらAAやらを駆使して粘着投稿しているようなちょっと精神に異常がある人くらいだろう。実際見たことがないから想像の域をでないが2ch歴20年ほどの中での経験則的イメージはそんな感じだ。長い文章を書いていれば論理的な構造を考える必要があるわけで、頭に血が上り続けることはありえないし、長文を書く人はほとんどの場合長文を書くのが好きなだけで、その時の感情やテンションとは無関係なことが多いのではないかと思う。この文章も反論したいから書いているというよりはせっかく「顔真っ赤煽り」的な話題を投げてもらったからそれを考察してみたい欲につき動かされて書いているわけだ。
というわけで、長文煽りをする人をプロファイリングしてみると、長文を書く経験や習慣が一切なく、そもそも長文が書けるだけのタイピング能力やタイピング環境もあるかどうか怪しいレベルなのだが、律儀に自分が最後に言い返しておきたいという負けん気根性だけは人一倍つよい、情報系に疎いヤンキー気質の人ということになる。
広さ1のマップで全ての建物の内部が作り込まれNPCが生活している。
広さ1のマップで経済がシミュレートされていて、全ての建造物や(場所によっては)地形を破壊できる。NPCが建設したり修復したりする。
広さ100のマップで政治と経済と技術の進化がシミュレートされ、歴史も進み、建物も時代に沿って進化したりする。
広さ10000のマップで上記を達成。戦争もシミュレートされる。
——追記
ブコメで進化が遅いって言われてるけど、GTA5がいつのゲームか考えると、あながち遅くもないと思う。
GTA5が2013年9月発売だから、2023年で10周年だけど、あと3年でそこまで進化したゲームが果たして出るだろうか?
たぶんグラフィックが少し綺麗になって、広さが1.5ぐらいにはなるかもしれないけど、その程度で終わると思う。
本質的には何も進化してない。それを踏まえての上記予想なんだよね。
俺ももっと早く進化して欲しいけど、それは無理だと考えている。
ウォッチドックス3が全てのNPCを仲間にできるという画期的な仕組みを導入するので、それがどの程度のクオリティになるか、今から楽しみだけど、マップの広さは0.5ぐらい(WDは密度で勝負と製作者が言ってるけど、それを考慮してもせいぜい0.7ぐらいが限界じゃない?)だろうし、自動生成のせいで調整しきれてない部分も沢山あるだろうなと予想してる。
でも2030年頃には、そろそろ血の通ったものをある程度自動生成できるようになってるんじゃないかな。
—-更に追記
id: hazardprofile NPCが勝手に行動するのはゲームにならんというのはSTALKERでやったでしょ
chernobyliteというa-lifeが搭載されたゲームが2019年秋に出てて、好評みたいだけど。。。
—-更に追記
広ければいいのか?みたいな意見もあるけど、ここでは密度も含めてるからね。
それを踏まえて、広ければいいのか、という問いにはYesでもありNoでもある。
なおGTA5の面積は資料によって78㎢から125㎢ぐらいなので、間をとってここでは100㎢とすると、
東京都が2188㎢なので面積だけなら約22倍だけど、高層ビルの中や駅の構内なんかを考慮するとGTA5の1000倍ぐらいの情報量はあるんじゃなかろうか?(雑ですまんな。もっと精密な考察は俺も聞きたい)
上記2030年の予想で言ってる、全ての建物の中が作られてるってのは、超高層ビルなら1階に入れたらOK程度のなんちゃってレベルを想定してる。おそらく超高層ビルや新宿レベルの駅なんかが再現されるのは2040年頃でやっとじゃないかな。
で、それは面白いのか?という問いへの答えだけど、もちろんゲームとしての面白さはゲームバランスが重要。
それがダメなら答えはNoになる。でも、ここではそれをクリアした上での話だから、答えは「面白くなるに決まってる」だ。
俺は上記予想のものが実現したら、面白さの次元が変わると思っていて、逆に言うとこれが実現できなければ(グラップリングアクションなどの別の進化?を考慮に入れても)面白さの次元は変わらないと考えている。
なぜここで東京都の情報量について触れたのかというと、俺の言語能力では、上記予想で述べた要素が面白さのパラダイムシフトに貢献するという事をうまく伝えられないからだ。そこを補足すれば、それぞれ各人で少しは想像しやすくなるかなと思い書いてみた。
もう少し言うと、あそぶつり、という物理シミュレーションを題材にしたフリーゲームがある。
9年の付き合いがある分、普段のアカウントで発言すると敵だらけになる内容なので増田で失礼。
まずは軽く自己紹介。
アイドルゲームではなく、ネズミ講で20人招待したり、ガチャを回して数値の高い電子データを手に入れ、
そのスペックで他ユーザーを殴り倒して所持衣装を奪い、殴り返されても課金パワーで奪い返されず、殴り返されたので執拗に殴り返して相手の衣装を空にして悦に浸る。
そういった今のアイドルゲームとは程遠い、課金イキリゲーだったころからのユーザーだ。
以下、周りの物言いに対し、それは違うだろと感じたお気持ちを表明していく
殴り書きで飛躍して書いている部分があるが、足りないところはやる気があれば指摘に応じ加筆修正をしていきたい。
筆者はブルーナポレオンやフリルドスクエアについてはよく知っている。
9年触っている分、その分の人付き合いも増え、TL構成はだいぶデレマス寄りになっている。
そして、ブルーナポレオンやフリルドスクエアは当確のような勢いのTLを連日眺めていた。
ただのポチポチゲーに楽しみを見いだせなくなっていたので、デレマスに関しては総選挙中に最低限だけ触った。
連日のラウンド報酬投票券を取り切り、最終結果は2万5千位だった。
これだけしか触ってないし、投票券を貰える総選挙期間なのに2万5千人しかいないのかと驚愕した。
イベントを多少走った人数と、1ポイント以上走ったアクティブ数で比較するのは詭弁だが、
デレステの方は投票券最低限じゃなくそれ以上に走っていたので、投票券最低限だけの人数がどれくらいになるのか分からないのだ、すまない。
古参は勘違いしてしまうが、ブルーナポレオンやフリルドスクエアは人気ユニットではない。人気ユニットはデレステやアニメのユニットだ。
そこに投票しうる票田は、数十万人に膨れ上がったデレステユーザーの中の2万5千人しか残っていないのだ。
その時の初心者ユーザーからの質問は「ツイッターでの連携はした方がいいのでしょうか?」だった。
複数担当の中から勝ち馬を支援したい心理の説明とかは省くが、結論は、出口調査用のアピールはした方がいい。
「勇気を出して1回だけ投稿しました。アイマス以外の付き合いが多いのでそれ以上はTL汚せないです、ごめんなさい。」
「デレステやってる事は知られたくないので投稿できないです、ごめんなさい。」
TLがデレの話に強く染まっている古参ユーザー視点からは思いもしない内容だったが、よくよく考えてみればそうなのだ。
デレステ歴の浅い人はTLのデレステの構成比率が少なく、好きなことを呟けばいいツイッターと言っても、スレ違いのデレステの話を連投はし辛いのだ。
アメリカではトランプに投票したとは言い辛い空気があったので、出口調査ではトランプは負けていたが、トランプ支持者の多数が答えなかっただけで、トランプは勝った。
出口調査ではあかり1位、七海2位、あきらは3番手集団の争いだった。
しかし、あかり、あきらはトランプだったのだ。あかり、あきらの支持層は周りの目を気にしてあかり、あきらを支持していると大っぴらに答えられないユーザーが多かった。
新しいユーザーに加えて、最古参である自分もあかり、あきらが好きだとは公言しづらい。
ボイス総選挙の応援をしているPにあきあかりあむ、ちとちよ、はーなーを敵視しているアンチが多いのだ、その気持ちはわかる、同意はしないが。
9年の付き合いで、そのような新アイドルを応援するとやっかまれるTL構成になっているから、選挙期間中ツイッターではあかり、あきらの応援の話は一切しなかった。
攻撃的なユーザーがいなければこの話をツイッターやnoteで書くのだが、長年の付き合いが邪魔をし、このクソデカ感情を増田で書いているのだ。
新アイドルというだけで勝てるのだったら全員去年の総選挙で勝っていた。
あかり実装、あきら実装、りあむ実装の時は周囲は勢いよく盛り上がっていて、筆者にも強く刺さったので、次の総選挙では活躍するだろうと思っていた。
そして数か月後に行われた総選挙、中間3位になるりあむ、実装時は大きな騒ぎとなっていたのに影も形もないあかり、あきら。
実装時はあれだけ騒がれていたけど騒がれていただけだったのだ、大多数は既に担当がいて、あの騒ぎをもってしても乗り換える、追加するまでは至っていなかったのだ。
既存アイドル達による大きな壁、新人アイドルの厳しさを痛感した1年目だった。
そして月日は流れた。
たべるんごのうたがニコニコでちょっと流行ったので、今年は50位に入ると来年ではなんとかなるかもなって話していた冬だった。
既存アイドル陣営達は強く高い壁なのだ。圏外からいきなりのボイス実装なんて誰も夢見てなかった。
春になった、今年の総選挙とボイスオーディションの告知がされた。
その頃はたべるんごのうたの関連動画も増えて冬より流行っていて、ボイスとは言わないけど今年はいいとこいけるかもなくらいの空気だった、まだ。
そこからまさかのたべるんごのうたの大ブームが来た、去年のナターリアを考えると今年はあかりんごの時代が来たのじゃないかと思えるようになってきた。
・大多数はボイスに興味ない
選挙は最初に表示される方が有利である。これは世界中で立証されている話で、興味あったら各自でググってくれ。
だから選挙によっては立看板ごとに貼るポスターの位置がランダムにされている。1番の位置に貼った人が有利だからだ。
最高裁判所裁判官国民審査では、白紙で出さない人が一定数居る。何もわからない人もどこか1か所には×をつけたがる。
そしてそういう行動をとる人たちによって、最初に書かれている人がだいたい×をつけられる。
どんな裁判をしていても関係なく、名簿に書かれている順で信任率が変わるのだ、毎回。かわいそうな話である。
ポケモン総選挙があった、「あ」から50音順で何百もの投票先が表示された。
アーボなどの序盤に表示されるポケモンは、あまり人気のないポケモンでも多少の票は入っていて中の下や下の上くらいの位置にいて、
ワンリキーなど、ページの最後の最後までみないと表示されずあまり人気のないポケモンが下位の下位を占めていた。
興味がないと全部の投票先なんて見ないのだ、最初に表示されている候補がガン有利なのだ。
本当にボイスに興味のない層が多いというなら一番最初に表示される福山舞、今井加奈に票が集まっているだろう。
だが違う、結果は、多くの人が名前検索をし、又は最後までページをめくり、
最初に表示されない辻野あかり、砂塚あきら、桐生つかさにわざわざ投票したのだ。
これをボイスには興味ないという声に対する一反論としたい。
誰が書いたか分からない、はてな匿名で検索しないとでてこない、そんなネットの海にすぐ埋もれそうな雑記が意外に読まれていてびっくりです。
最後の段落において、投票画面の最初に誰が表示されるか正確に覚えてないけど五十音順だった気がするって、総選挙後の日曜の朝におぼろげな記憶で書いたのですが、
五十音順ではなくキャラ固有ID順なので、福山舞、今井加奈が正しい表示順でした。誤記訂正させていただいた事をここに記しておきます。
ページの最後までわざわざめくらないといけない子が勝ったっていう、知ってる理論との組み合わせの部分は一緒だから許して。
あと、最後の段落は違和感あるというご意見が多めな感じですね、すみません。
知識として知ってる理論と組み合わせた文を書こうとしたらこうなって、ズレてるって感じる人が多い文になってしまったんだけど、
うだうだ書かずにサッと書くと、
もし大多数はボイスに興味ないなら、今までの総選挙があんな歪んだ結果にならずに、毎回今回みたいな結果になってるよ。
だから大多数はボイスに興味ないというのはきっと誤り。
こんな感じでお願いします。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
こっから始まってちょっと言及したくなったことが出たけどその前に
https://tkrtht.hatenadiary.com/entry/2019/06/04/195908
このへんとかを合わせて読んでポルノとしてのR18BLと性的消費が主題でないBLは分けて考えた方がいいんじゃないかと思った話をします。
(不可分って言ったのに分けて考えるというのもなんか変な話なんですが)
そもそもBLになぜハマるかについては人それぞれ理由があるので全部ひとまとめにはできないわけですが、それでもやっぱり大まかな傾向っていうのはあります。
ありますが、その大まかな傾向も当然ながら一つにまとまるようなものではなくて何種類かに分かれるはずです。
そういう中でBL=ポルノとかBL=性的消費とか言い出すと、いや確かにそういう部分があることは否定しませんけどそれ言い出したら恋愛小説は全部性的消費かっつったらんなことねぇだルルォ?ってなるじゃないですか。
ポルノとしてのBLについての考察は個人的にはかなり当たってるところはあるんじゃないかとは思いますし、そのあたりを否定するつもりはないんですけど。(受けが女体化したりするのはまさにそういうとこだと思ってるしなんなら自分も受けに投影してポルノ的な消費の仕方をするBLもある)
普通に男女の恋愛ものとかも少女漫画もガンガン読むし、少年漫画とかで主人公×ヒロインを推しまくって恋愛フラグのないサブキャラをくっつけてキャッキャしたり主人公攻め、主人公受けの場合も主人公に明確な恋愛フラグが立ってないからこそ男とくっつける時もあるので「それだけじゃないよ!」っていうのは声を大にして言いたいわけです。
例えば自分はマジモンの「性癖」として悪堕ちモノとか洗脳モノとか催眠モノとか好きでして、リアルの世界でそういうことをされたいかと言えば絶対にノゥ!なんですけど、安全が保障された妄想の世界であれば征服される側になってみたいというM志向があって、かと言って自分自身の容姿やら何やらには割とコンプレックスがあって自分がそういう目にあってもまあ興奮するどころか萎えるので、美形同士のMC系コンテンツはガチでポルノ消費してます。(キモオタとかモブおじがかわいい子をあれこれしちゃうのは好みでない)
「犯される」ことがかなりウェイトが高いみたいで、レズものでもふたなりだったり触手とか使ってまあつまりインする類のものであればとてもにっこりして読めます。増田じゃないとこんなこと書けねぇわ。
じゃあBLは全部ポルノとして消費しているかと言えばそうでもなくて、そもそもR18じゃないBLとかも普通に読むし好きなCPでもそこまで積極的にエロ妄想しないCPとかもあるんですよね。
あとこれは本題とは無関係ですが「必ずしもポルノ消費するのが目的ではないけどポルノ消費もできるCP」についてはABの場合BAもCBもNGですがBC(恋愛感情はないけどいわゆる連鎖堕ち、快楽堕ち要員としての攻めのBと落とされるC)はアリです。ポルノ消費しない場合のBCはやっぱり無理です。おまけにポルノ消費を目的としていない部分の自分がたとえポルノ消費であろうとAとBの間に必ず愛情を求めてきます。(歪んだ愛情は可)
何かの参考になるかと思って書いたけど業が深いなこれ。
それで「じゃあポルノ消費を求めないBL」について何を求めているのかという話ですが、多分突き詰めると本当は愛や情ではあっても恋愛である必要はない、互いに求めあう心だとか、こころのふれあいって奴を求めているんだろうなあとは思っています。
それは別に恋愛でなくとも家族や親友といった間柄でももちろん表現できるものではあるんですが、そこでなぜ恋愛関係にもっていくのかについては自分の中の固定観念として「結婚とかは基本的に面倒臭いことだし誰かと一緒に生活するのって何かとしんどいけどそのしんどさを許容してでも一緒にいたいと思える相手は本当に想っている相手だ」みたいな感覚があるんですね。
それが必ずしも正しいものではないことも理解はしていますし、常に一緒にいることだけが愛ではありません。
ですが一つのモデルケースとしてとても分かりやすく、「いいことばっかりじゃないけどそれでも一緒にいたい相手と一緒にいることを選ぶ二人の話」はあれこれ考えずにするっと頭の中に入れられるので気楽に人と人との心の触れ合いを楽しみたい時は恋愛に行くのだろうなあと思います。
それ以外でも家族の絆とか友情とかももちろん好きですが、なんだかんだ恋愛ものってやっぱりコンテンツとして大きいしその分洗練されてて安定した品質を確保しやすいのはあるよなあと。
だから自分は別にBLに限らず男女でも百合でもなんでも自分の感覚に会えば見ます。その時に必要としているのはSEXではなくて心のふれあいなので。
そのような背景を前提に、二次創作で同性CPを妄想する時になぜそこをくっつけたのかという自分の思考の流れを追います。
まず最初に既存のコンテンツや公式CPではなくて二次創作による捏造CPを生み出す理由として、自分が考察厨で妄想癖があることが原因かと思います。
受け取ったコンテンツを消費する時に、そのまま受け取っておしまい、ではなくてなぜそうなったのかの裏を考えたり、間の空白をそれっぽい何かで埋める遊びが大好きなんですね。だから二次創作CPも無から有を生み出すのではなく作中の描写を元にそれを拡大解釈して捏造するのが好きです。これは好みの問題ですのでもちろんそれが正しいとか言うつもりはないです。二次創作なんて全部捏造。
この、考察厨亜種としてのBL好きの存在は実は結構いると思っています。特に二次創作をやってる人は考察勢と言うか、CPとして成立する根拠を持ち出す人が多く、顔カプと言われるような原作で接点のないキャラをくっつけるのを嫌う傾向にある人が多いと思うので。
そしてそれが男同士になる場合、一つは「恋愛が主題ではない作品の場合、主人公とヒロインのフラグが薄い、あるいは明確なヒロインが存在しない場合がある」ことにあります。
先程も言いましたが、自分は恋愛要素があるコンテンツは(複数ヒロインの際にどのヒロインを推すか問題を抱えることはあれど)ファイナルファンタジー(最終回発情期)やら連載途中で後付けでフラグが立ったりとか作品に入る順番を間違えた(うっかり終盤のネタバレを踏んでそこから入ったとか二次創作から入った場合)といった事故を除けばそもそも主人公×ヒロイン推しの人間です。FFシリーズ(PS以降)とかテイルズシリーズなんかは主人公の同性CPは考えたことないです。
ところがそういった関係性が明示されていない場合、「この作品好きだけど心のふれあい要素が少ないんだよなあ。あれ、そういえばこの主人公このキャラと仲がいいよなあ、ふむふむ…」といったあたりから始まって妄想が始まっていきます。
もう一つは「恋愛フラグが立っていないメインキャラ同士のCP」であるケースです。
この場合、性的思考は割と異性寄りなので男女で見ることの方が多いですが、最終的にときめいた関係性のキャラをCP視するので、メインキャラに男性が多い作品だったりすると軽率にBLに走ります。
また、主人公が無個性であり主人公と自信を同一視するようなタイプのゲームだと自分とキャラの恋愛は「そもそもこのキャラが自分を好きになるはずがない」と解釈違いを起こすので主人公とのCPは除外されます。
とは言えCPの女性側や受け側に自己投影をしていないとは思いません。(二次含めて創作する場合)登場人物全てある意味では自分のペルソナだと思っているので自己投影を全くしていないキャラなどいないという意味で。
ですが「そのCPが互いに心惹かれるに至った動機」だとか「相手のどういった部分を好きなのか」といったこころのふれあい部分に自分のパーソナリティなんぞが入ってきたら邪魔というか異物でしかないので、キャラに自分の一部を重ねることはあっても自分のパーソナリティを重ねることはないです。
そういう意味では攻め視点・モブおじ視点は自分のようなタイプの腐女子とは相容れないですね。(もちろんそれが悪いとは言ってません。分類が違うということです)
ところで書いていて思ったのですが、腐女子が受けに対しての「自己投影」を否定するのは、人によりけりですが「私は受けと自分のパーソナリティを同一視したりはしていない」の意味が強い思ってます。
単に共感するかどうかではなくてそれこそ自分自身が作中に入り込んだのかのような、それこそ同一視というやつになるんでしょうか。それはやってないよという意味だと思ってます。
昔からアイドルに対しての「ガチ恋勢」とかキモイってよく言われるじゃないですか。住む世界が違う相手に本気で恋い焦がれる、まではまだしも彼女かなにかのように振舞うとかキモイ、ってやつです。
それと似たような感じで、住む世界どころか実在しない相手に対して本気で恋い焦がれて彼女面するとかキモイ、妄想乙、って話だと思うんですね。
つまり「ヒロインに自己投影=ヒロインと自分のパーソナリティを同一視するような奴」は「架空のキャラに対して本気で恋愛感情を抱いており」「架空のキャラをまるで現実の人間であるかのように扱い、恋愛感情を抱くなんてキモイ」というという三段論法なんじゃないかと。
誤解されないように言っておきますが、私個人がガチ恋勢をキモイと言ってるのではないし、ヒロインとパーソナリティを同一視することが必ずしもキャラとの恋愛にイコールで繋がるわけでもないし、夢女子がガチ恋勢とイコールで繋がるわけでもないし、自己投影を理由に相手をバカにするような行為は本来許されてはいけないものです。
物語が誰の視点で語られるか、の問題ではないと思われます。受け視点のBL二次なんて腐るほどありますが、なら受け視点の物語であれば自己投影を疑われるかと言ったらそんなことないです。
なぜ架空のキャラに対して恋愛感情を抱くことをキモイと感じるのか、あるいはキモイと言われてバカにされるのかについての根源的な部分についえは残念ながらよく分からないのですが(現実と架空の世界を混同していると思われているのかな)、実際に夢女子に対して「キャラと恋愛する妄想とかキッモww」というたぐいの罵倒は見たことがありますし、自分にもバカにするとまでは言わずとも昔になんとなくガチ恋勢を下に見ていた時期はあったなあという黒歴史があるので。
で、二次で受けのキャラ崩壊が激しいと、もうそれこそポルノ目的で快楽に弱いえっちな子にされるのは逆にそういうものだと納得?できるのですが(キャラ崩壊そのものが嫌な人もいるが、それはそれとして理由が明確である)、明らかな性的消費というわけでもなさそうなのにこのキャラがこんなことやるかよみたいなことをしたりすると、キャラの性格を改変した理由に自分の中で何かしら説明をつけるために「この人は受けに自分のパーソナリティを反映させているのでは?」という仮定が出てくる、と。
更に他ジャンルの二次創作でもどんなキャラであろうとも常に受けの性格が一定のテンプレに押し込まれていて原型がなかったりすると倍率ドンですね。
そして原作と性格がかけ離れてしまった(と読者が感じた)キャラが優遇されていると、そのキャラが好きで優遇したと言うより改変後のキャラが好きで優遇されたと判断され、改変されたキャラは作者のパーソナリティ的な分身だと認識される、と。
当然ながらその仮定は仮定でしかないし(単純に二次作者の力量の問題であるパターン、実はむしろ原作に忠実であり読者の方がむしろ受けを美化しているパターン、性癖ではあるがパーソナリティを反映しているわけではないパターンなど色々あり)、仮に事実であったとしてもそれを理由に相手をバカにしたりするのは言語道断なのですが、思考の流れとしてはそう特別なものではない気がしています。
要は「飛影はそんなこと言わない」なんですよ。もはやそのキャラはそのキャラではなくニセモノとみられているのです。
壁になりたい、空気になりたい腐女子については単なる第三者というだけではなくて第三者かつ彼らを至近距離からのぞき見したい現れなのではないかと思っています。
というか物語を楽しむ視点の話ではなくて「そのCPの私生活やら何やらをあますところなく全部至近距離でじっくり拝見したい」んですよ。
だから「空気になって24時間推しCPに密着したい」になるんですね。空気視点で作品を楽しみたい、とはちょっと違う気がします。
やっとバビロン見終わった。
終わり数話で「またあくびが出る展開に…」と思ったが、ラストに向けての演出だった。
あくびが出るまま軟着陸したらどうしようかと思ったわ。
しかし緩急があり過ぎるので見ている者がついていけない。というかつまらなくて途中で離脱しそうになる。
この話の中の合衆国大統領ほど悩むまでもなく(普通に生きていれば考えるまでもなく)社会的に「善」と言えば「持続可能であること」に他ならない
(個人のそれは議論しても仕方ない。100人居れば100人分の善悪がある)
それをここまでグダグダと…。
「自殺法」なんてゲスな名称を使っている時点で、見ている者に嫌悪感をわざと与えている辺りも。
そして「これを見て嫌悪感を感じるなら、そういうことだ(お前は「自殺は忌むべきもの」と考えているんだ)」と思わせるのも。
見ている者に対し考えさせる風を装って、その実全く考えさせる余地を与えない。
それと気付かない内に導かれるなら作り手の手腕は素晴らしいと言えるんだけど。
予定調和を逆手に取ってる積りなのかもしれないけど、こちらとしてはただ胸糞を煽り続けられただけって感じだ。
フィクションの中での「死」や「自死」については、否定ばかりが先行するなんてこと無い。
見ている者はそこに哀しさや虚しさ、又はその反対といった感情を惹起されるので、「死」や「自死」が軽んじられたりはしない。
しかしこの作品の中ではそれらが「駄目、絶対」「忌避されるもの」として全面に押し出されて、
「よく考えろ。本当に自殺は悪なのか」と物語の中で語っていながら、見ている者には全く考えさせない。
主人公が最後に取った行動についての衝撃も「あーあ」という気持ちに塗り潰される。
結局心のどこかで「フィクションの中では悪は滅びる」という予定調和を期待している部分があるので
それを裏切られて胸糞ってのもあるだろう。
ずっと胸糞。それが狙いなのか。
余韻のあるモヤモヤじゃなくて、最初から最後までモヤモヤしっぱなしで終わってしまう。
完全悪はあるんだよ。そして人間はそれに負けるんだよ。そう言いたいのかもしれないが。
女も齋もバックボーンが殆ど語られないせいか。それぞれエピソードがあっても、全くピンとこない。
女の叔父の精神科医が言う「悪い子」というのが端的に表してるんだろうけど。
悪い子というよりも「悪魔」と言うべきなんだろう。
話の救いとしては、ラスト、バス停でのシーンで主人公の息子と女が会うところ。
これから女がこの子を殺すのか、それとも女の様な怪物に仕立て上げるのか…
物語として「今後」を想起させる部分が、せめてもの面白さを与えたことだ。
原作はどんななのかな?と思うが、到底読む気にはならん。
ジャンルに凄い字書きがいる。
書きたいものがたくさんあるようで、手広く色んなカプを書いてる。
その字書きが私が好きなカプの小説を書きたいとツイートしてた。
読み手だったら素直に喜べたと思うけど、私は底辺字書きで正直全く嬉しくない。私の興味がないカプを書いててくれって思ってしまう。
よく分からない縄張り意識なのか、その字書きが私の推しや推しカプのツイートをしてる度に自分でも驚くくらいイライラする。
"イライラ"って書いたけど、"狼狽する"って表現のほうがしっくりくる。イライラもするけど占めてる感情の比率はそこまででもない。
その字書きが推しの話をしてるだけで狼狽えるし、やめてくれって思う。
別に同坦拒否とかではない。萌えるシチュや考察ツイートはよく読むし、推しが同じ人をフォローしたりする。作品だって読む。
その字書きに対して私は嫉妬してる。上手くて、人気で、速筆で。羨ましくてしょうがない。
私は手広く色んなカプをって字書きじゃない。どんなにジャンルが好きで、全てのキャラを良いと思ってたとしても、書きたくなるキャラやカプは少なかった。
私にとっては唯一の推しが、その字書きにとっては選択肢の一つでしかないっていう意味不明な独占欲と被害妄想を拗らせてこんなどす黒い感情になってるんじゃないかって思ってる。
私が必死に書いた小説を素通りして、みんなその字書きの小説に飛びつくことに狼狽し、焦る。きっと面白いのだろう、私の小説の評価なんて一日で追い越すはずだと嫉妬する。これがその字書きに対するどす黒い感情の内訳だ。
頭おかしい。理不尽。馬鹿馬鹿しい。結局のところ承認欲求を拗らせてるだけ。自分が一番理解してる。
なのでここに吐き出した。自分でも持て余してる、どれだけ馬鹿馬鹿しいことか分かっててもどうしようもない憎悪に似た感情を、整理したかった。