はてなキーワード: 風と共に去りぬとは
その時代にそれなりに評価されたものを、現代の感覚でもって歴史から消去してしまうことに危機感を覚える人がいることは理解できない?
歴史を歴史として残さなければ、後世の人はその何が評価され、何が批判されたのかも知らないまま、その時の文化は打ち捨てられることになる。
批判はあっていい。
確かに風と共に去りぬの、黒人奴隷はよくて白人奴隷には忌避感を示すレットバトラーの発言には、はて?と思ったりもした。(あの時代はそういう雰囲気だったんだろうなっていうのもわかるけど。)
でも一般市民が情報にアクセスできなくなるような烈しい禁止までは決していかないことを願うよ。
一応書いておくけど、女性の私でもね。
はい、大ヒット作を一つだけ書いた作家は何人かいます。以下にいくつかの例を挙げます。
南北戦争を背景にした壮大なロマンスと戦争の物語。この作品は出版された直後からベストセラーとなり、1939年には映画化もされました。
南部の小さな町での人種差別と正義を描いたこの小説は、ピューリッツァー賞を受賞し、後に映画化もされました。なお、後に『Go Set a Watchman』という続編が発表されましたが、これは『アラバマ物語』の草稿であり、厳密には二作目とは言えないかもしれません。
激しい愛憎劇を描いたこの小説は、ブロンテの唯一の作品です。エミリー・ブロンテは1848年に若くして亡くなりましたが、この作品は今なお多くの読者に愛されています。
この風刺小説は、トゥールの死後に出版され、1981年にはピューリッツァー賞を受賞しました。トゥール自身は生前に出版を果たすことができませんでしたが、母親の尽力により世に出ることとなりました。
ある人の徒然なる、日記。
最近はちょっと走ることを大切にしている、元々陸上部だったからかな、あんまり嫌じゃない。
家の近くに1kmを周回できる場所があって、そこをちょうど何周か走っていた時の話。
帰国する前にちょっと話したSHEとの会話。SHEは彼氏がいて、それは僕もい”た”から別に問題ではなかった。
帰国してからというと、この地でSHEの姿ばっかり探していた。元々人の顔を見る癖があったけど、SHEっぽい人がいたらちょっと追いかけちゃうくらいに。悲しいな、
周回する僕のちょっと前を水色の自転車と、ダサいT -shirtsの女性が向かってきた。見たことのある黒シャツ、マジで気にしてない時の格好だ。
僕は一瞬諦め、その後すぐにやっぱり話したい、と思った。
風を切る、差が詰まらない。あの時練習していた僕は、もうどっかに消えていたってことに走りながら気づいた。
風というのは二パターンある、自然現象のパターンと自分が走ることで生まれるパターンだ。
昔の僕はきっと君という風に追いつくくらい風を切れたはずだ。でも今の僕にはそれができない、SHEは風を切って角を曲がって消えた。
風と共に去りぬという話がある。
きっと最初聞いた時は、風とともに去ら”ない”と誰もが思うはずだ。僕もそう思ってた。
でもそれは本当は”去った”という意味ってことを後から知る事になる。英語で見ればわかりやすい、"-Gone With The Wind-"である。
僕もSHEは風とともに”去りぬ”と思っていた、どっかでもう一回交わるんじゃないかって。でも本当は風とともに去りぬ、なのかもしれない。君の思いをアンビバレントに捉えたい、そんな僕の気持ちが裏返しになって。
彼女は風とともに去りぬ
>>『風と共に去りぬ』以外にも、すでに番組の放送・配信中止が起きている。
>>パラマウント・ネットワークは人種差別的表現を問題視してリアリティ番組『COPS』の放送を取りやめた。まだまだ余波は広がりそうだ。
https://www.news-postseven.com/archives/20200626_1573160.html/2
私は「風と共に去りぬ」のファンですが、ルックバックと比較するのはやりすぎだと思います。あなたは風と共に去りぬを読んだことがあるのでしょうか?
作者であるマーガレット・ミッチェルは南北戦争時代の南部の思想に強く影響を受けています。
この作品では奴隷制を肯定し、黒人達は奴隷として幸せに暮らしていたと主張しています。4人の主人公のうち2人はKKKのメンバーで、黒人村の焼き討ちをおこないます。 当然KKK側が正義として描写されています。
表題の「風と共に去りぬ」とは、風のように去った美しい南部時代のことです。作品の多くのページが「美しき良き南部時代」「南部人から見た南北戦争」に割かれています。世間のイメージとは違って恋愛の部分はそれほど多くはないです。
例えばルックバックが「ロボトミー手術はただしかった」と主張する作品ならば風と共に去りぬと同様の問題を抱えているといえますが、そのような作品ではありませんよね。
それに私は「風と共に去りぬ」も規制しないでほしいと考えています。個人的には、当時の南部人やKKKメンバーの思想が垣間見えて興味深く感じています。
この作品を読んで「奴隷制は正しかった」と考える人はまずいないでしょうし、もしそのような人が存在するとするならばそれは教育で解決すべきではないかと考えています。
百合漫画・小説が好きな方に「風と共に去りぬ」をお勧めします。
主人公スカーレットは、思い人であるアシュレの妻メラニーをずっと憎んでいるんですが、中盤あたりからメラニーと力を合わせて苦境を乗り越えていく場面が出てきます。
スカーレットは相変わらずメラニーのことを疎ましくは思うんですが、その一方で彼女の好ましい面を見つけていき、普段は大人しいけど頼れる時は頼れるメラニーに精神的にどんどん依存していきます。
メラニーは最初からスカーレットに好意を示していますが、義理の姉妹として助け合っていく中でそれも強まっていきます。
スカーレットの内面描写としてメラニーへの憎しみが頻繁に描かれているので、読者視点だとややわかりにくいですが、スカーレットはたしかにメラニーを幾度となく助けていて、メラニーのスカーレットに対する愛情と信頼に違和感はないと思います。
最終的にスカーレットは夫であるレットを失って物語が終わるのですが、その少し前にメラニーを失います。このあたりでもメラニーは明らかにレットと同等以上にスカーレットにとって大事な存在として描かれています。
近年のヒトラー・ナチスものの映画なんて大体そんな感じじゃん。あと古いとこだと、「風と共に去りぬ」なんてヒロインの家族とか周りの人間は全員KKKだよね。悪漢小説(ピカレスク・ロマン)というのも歴史的に見れば流行ったことあるし、あと、「元敵だった主人公のサポート役」なんかにはそういう存在もいるよね。
まあマジレスすっと、要するに差別主義者って「当たり前にその辺にいすぎる」から主人公属性を持ちにくいんだよね。「その辺にいる普通の人」になってしまう。増田が「差別主義者の主人公見てえなあ」って思うんだとしたら、きっと身の回りに差別主義者がいないんだよね。人ってフィクションには日常と異なるものを求めるから。まあそれは幸福なことだと思うよ。ただ、なかなか人類社会そこまで進んでねーから、そういう作品がまだなかなかメジャーになりにくいんだと思うよ。うん。世界人類に博愛・平等・平和が実現したら、たぶんそういうフィクションが地に満ちるんじゃないかな。
■対抗手段