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2019-01-31

やらかす人間

この世には2種類の人間がいる。やらかす人間とやらかさな人間である。私は後者人間だ。やらかす人間とは、目があてられないほどに不器用で要領が悪く、他人からはどうすればそうなるの?と首をひねられ、挙げ句の果てには、ほとほとあきれられしまう状況にまでもっていくことのできる、悪い意味ですごい人間のことである。実際、私がやらかしたことに対して「逆にすごい」と評されたことが少なくない。

私がやらかす側の人間だという兆候はかなり前から現れていたように思える。学校生活では肝心な時に忘れ物が多かったり、時間割をよく間違えたりとか今思うと瑣末なやからしにすぎないのだが、たしかに他の人々と比較するとその分野では頭一つ抜けていた印象はあった。しかし、友達同士だったりクラスメイトといった内輪では笑って済まされるような場面が多かったので、そこまで私のやらかしは前景化しなかった。

その時からやらかして笑いをとるスタイル自分のものにしていた。図らずとも、私の最も得意とする笑いの取り方のひとつになってしまっていた。やらかしを笑いに昇華するという、ある種の荒業をやってのけるのは容易なことではない。今思うと、私がやらかしても、クラスメイトからはまぁあいつならそれくらいするよね、みたいな私なら許容される雰囲気が漂っていたし、それによってクスクス笑いが起きて場が和むという悪くない効果を上げていた気がしないでもない。私のやらかしは、周囲の諦観とも呼ぶべき雰囲気嘲笑によって覆い隠されていたのだ。そういう状況だったもんだからいじられキャラとしてのポジションを欲しいがままにしていた当時の私にとって、『やらかすこと=おいしい』という笑いの方程式が構築され、頭の片隅にあったことは間違いない。情けないことに、失敗で笑いを誘いその失敗をごまかすというなんとも残念な芸風を図らずとも確立してしまっていたのだ。今思えば、それは私なりの生存戦略だった気がする。やらかす側の人間だった私が生き延びる唯一の方法、それはやらかしによって笑いをとることだった。当時はまだ前景化していなかった私のやらかし指数の高さは自覚こそなかったが、自分無意識においては既に把握済みだったのかもしれない。私がやらかしても事なきを得る環境でっちあげようがために、私が大なり小なり失敗を犯しても笑ってもらえるような人間になるように、私の無意識普段言動や立ち回りを決定していた気がしてならない。

私がやらかす側の人間なんだと、いよいよ本格的に意識するようになったのは、大学生になってアルバイトを始めた時からだった。バイト先では、数々のやらかしをしてしまった。恥ずかしくて惨めな気持ちになるのでここではあんまり書きたくないのだが、例えばコンビニバイトしているときは、釣り銭間違いなんか日常茶飯事だったし、作業のやり方は、5-6回教えてもらわないと絶対覚えられなかった。どんなに簡単作業でも1回で覚えるのは不可能であった。ピ◯ーラ でバイトした時もコンビニ同様釣り銭間違いがひどく、もうなんで自分はこんなダメ人間なんだと自責の念にほぼ毎日襲われていた。やらかしても内輪では笑いで済まされるが、仕事だとそうはいかない。社会という荒野に一歩でも出ると、どんな小さな失敗でも許されないのだ。現在は、そういう事情もあってバイト恐怖症に罹患してしまい、バイトを探すこと自体は好きなので毎日かかさないのだが、またやらかししまうのではないかと私が犯した数々のやらかしがふと頭をよぎると、とたんに怖くなって申し込むのには二の足を踏んでしまう始末である。私にとって、なにかをやらかすことは前未来的に決定されている、避けられない宿痾みたいなものなのだバイトでもこんな体たらくなんだから社会人としてはやっていけそうにないだろうと悲観している。

2019-01-29

2019年アニメ1話ほぼ全部観たか感想書く その3

2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )

 

マナリアフレンズ

 ハイファンタジー世界学校生活Cygamesお抱えの新規アニメスタジオCygamesPicturesによる初制作アニメCygamesアプリ神撃のバハムート」のアニメ企画を立ち上げた頃から自社制作を構想し始め、神撃のバハムートイベントマナリアフレンズ」をアニメ化することに。ところが諸事情放送が延期され、ついでにスタッフ刷新制作スタジオ雲雀→CygamesPicturesに)という紆余曲折を経て、今期ショートアニメとして放送開始。d'アニメストア等配信サイトでは2分程度のショートアニメが追加されたロングバージョン配信されている。ショートアニメの内容は、主人公お姫様に仕えるパラディン君が主人公物語

 本作の監督は、百合姫Sの漫画原作アニメこのはな綺譚」で監督を務めた岡本英樹。お察しの通り百合アニメ。非常に丁寧な作画演出によって主人公の心情を非言語的に描くハイクオリティ作品魔法学校舞台なので魔法使うシーンもあるけど、そういう特殊効果なんかも綺麗。埃がキラキラしてるの良いよね。

 主人公の心情を描くシーンで一番好きなのが、図書館での騒動が終わったあとの会話。「あの、他になにか手伝えることがあれば…」という主人公セリフに「大丈夫」という優しい拒絶からの、突っ立ってる主人公に目配せもせず黙々と業務に戻る司書さん。トボトボ帰る主人公のロングのバックショットは、彼女の心情が痛いほど伝わるシーン。ピアノが中心の優しい音楽が心に響く(音楽渡邊崇)。

 今期のアニメの中でも特に背景がすごい(背景:草薙)。基本的学校の校舎くらいしか映らないけど「さよならの朝に約束の花をかざろう」みたいなハイファンタジー世界みを強く感じる。いかにつくり手が(神撃のバハムートの)世界観を大事にしているかがわかる。もうね、騒動収束後、主人公が帰ってきた食堂の静寂感が最高に美しい。

 

みにとじ

 2018年アニメ刀使ノ巫女」大ヒット御礼につきショートアニメ化。登場人物のうち半分はゲームアプリからなので、ストーリーを追うならまずはアプリDLしてみてね!

 ノリは「てーきゅう!」みたいな高速コントアプリネタアニメネタも拾ってくれるシナリオ好き。細かい事だけど、アニメでは登場しなかった夏服に衣替えしてて、制作陣の愛を感じた。

 

上野さんは不器用

 「生徒会役員共」横島ナルコ先生中学生時代10分位のショートアニメ。きたないシモネタ全開のラブコメ

 中学生うしのラブコメを描いた作品でいうと「からかい上手の高木さん」を思い出すけど、高木さん(理性的積極的だけど表面上は慎ましい)と西片(直情的、積極的だけど恥ずかしがり)に対して、上野さん(直情的、理性が限界を迎えている、きたない)と田中(鈍感、打っても響かない)みたいな。特に田中の響かなさが好き。キャラデザ的にもっと感情表現を豊かにできるポテンシャルがあるのに、どんなにちょっかいを出されても表情がほぼ(´・_・`)で笑う。西片の反応が面白すぎてからかいエスカレートする高木さんに対し、いくら打っても全く反応が返ってこない田中のせいで理性が限界を迎え、どんどんからかいが雑になる上野さん。何故か、からかう側が追い詰められていく。からかい上手の高木さん2期おめでとう。

 

私に天使が舞い降りた!

 動画工房による、ロリコン大学生幼女(小5)のラブコメ幼女原作百合姫コミックス

 動画工房は先の10クール幼女主人公アニメ「うちのメイドがうざすぎる!」を放送してたけど、本作と幼女の描かれ方がかなり違う。うざメイド主人公幼女が成長する姿を、ロリコン変態が見守るハートウォーミングコメディだったのに対し、本作は原作百合姫ゆえ、幼女の描き方が完全に恋してる人から視点幼女立ち位置も、うざメイドロリコン変態奇行に対して主人公幼女が何らかのリアクションを返す形式で進むコメディなのに対し、本作は幼女の愛らしい行動に対して主人公ロリコンが悶絶するという流れ。まさに恋。物語基本的主人公の家の中で進み、家の外を描いた背景だけが淡い感じ(背景:スタジオオリーブ)になっているのが、「秘密の園」とか「楽園」とか「家の外は外界」みたいな雰囲気に包まれている。そういえばタイトル天使って言ってるし。

 動画工房作品コミカルヌルヌルしたアニメーションが印象的な作品が多いけど、本作は比較的おとなしい。幼女こそ元気ハツラツだけど、主人公あんまり動かない。一方で静かなアニメーションはすごく丁寧で、特に髪の毛の演技は主人公の心が揺れ動く様子が伝わってくる感じが良い。2話の「好きな子が迫ってきて、間近で見た髪の毛があまりに綺麗だったのでつい視線を集中してしまう様子」を描いてるところが好き。

 本編とあん関係ないけど、母ちゃん電子タバコ持ってるシーンがすごく自然なの良いよね。最近だと「ひそねとまそたん」で小此木さんが喫煙スペースで吸ってたっけ。

 

えんどろ~!

 ディスガイアの2週目。STUDIO五組制作)xかおり(監督)xあおしまたかし脚本)xなもりキャラ原案)によるオリジナルアニメいい最終回だった

 インタビュー記事監督曰く「前のめりで正座しながら観なきゃいけない……というよりはTVの前でゆったりだらっと、大人の方はお酒を飲みながら観ていただけると嬉しいです(笑)。」とのこと。割と何でもありのファンタジー日常アニメ。ゆるい。このすばよりゆるい。監督繋がりで「ゆゆ式」っぽいノリ。

 飯塚晴子キャラデザ好き。原案こそなもり先生だけど「クジラの子らは砂上に歌う」に近い、柔らかい色味とデザインになっている。ちなみにクジラの子微塵もゆるくないアニメ

 物語勇者パーティvs人生2周目の魔王による戦いが中心なのだけれど、魔王の方に感情移入ちゃう作りになっている。魔王マジ不憫。なので、魔王ががんばる→勇者が苦戦する→やったか!?→なんか主人公補正で勇者パーティが勝つ(オチ)という、勇者パーティーの成長物語が一転して「今回もだめだったよ…」というコントになってるのが面白い。ノリが「秘密結社鷹の爪」に似てるかも。デラックスボンバーオチ)とか。

 やっぱ音楽すげー好き。音楽は「となりの吸血鬼さん」に引き続き藤澤慶昌。このすばもだけど、日常パート音楽戦闘パート音楽が両方良い(このすば音楽甲田雅人)。シリアスパート向けの音楽日常パートネタとして使うセンスよ。

 EDはメイ役・水瀬いのり個人名義による楽曲。ほんと歌うっまいよね。「僕らが目指した」の部分が意図せず脳内再生される。

 

ドメスティックな彼女

AmazonPrimeVideo独占

 「ガーリッシュナンバー」の監督が送る、クズの本懐ディオメディアって、エロい女の子を描くアニメ作りがちだよね。本作は(3話まで)原画をほぼ自前でやってて、かなり気合が入っている模様。背景もスタジオちゅーりっぷだし。

 クズの本懐はいろんなクズ同士の物語なので相関図がカオスだったけど、本作はひとつ屋根の下なのでかなりわかりやすい。わかりやすい?1話関係性の判明までだったけど、恋愛モノのお約束っぽい展開(が若干こじれた感じ)。

 主人公と瑠衣が割とリアル高校生しててかわいいSchool Daysの誠くんみたい。青春テーマではあるけれど、徐々に先生や瑠衣が心を開いていく様子を丁寧に描いていく部分が重要テーマなのかな。先生彼氏と話す時、声がワントーン低くなるの凄く良かった。

 天津の向さんアニメ出演おめでとー!指折るぞ

 

バーチャルさんはみている

 草。Vtuber文化祭制作株式会社リド…株式会社ドワンゴ株式会社KADOKAWA、株式会社カラー株式会社インクストゥエンターアソビシステムホールディングス株式会社が共同で2018/12/14に設立した、Vtuber特化した事業をする会社とのこと。本作は同社のアドバルーンみたいな感じ?

 各Vtuberそもそもツールが同じじゃないと共演できないという技術的ネックがあった的な話を聞いたけど、そこらへんを克服したと言う意味画期的なのかな。「へー、こんなことできるんだー」っていう、知らない人向けのショーケース的側面が強そう。

 内容はアドリブでわちゃわちゃするのではなく、(ある程度ベタ踏襲して)作ったショートコント。色んなVtuberが出演するが、全員が全力でやりきってくるところを見ると流石プロフェッショナルエンターテイナーって感じ。

 ニコニコ生放送では各話の放送前後で生配信をしていて、そこにVtuberが直々に参加している。本編上映中もコメント参加してたり非常にアットホーム内輪ノリ楽しい。割とこっちが本編な気がするくらい、作品を通して身内ネタ豊富Vtuber界隈の空気を描いた作品っていう意味もあるのかな。

 Vtuber全く知らない勢の印象として、現時点でVtuberゲーム配信が主戦場なので、こういう動画形式は彼らの魅力が一切伝わらないんじゃ?という感じなのだけれど、一方で株式会社リドとしてはそこに頼らない、別の戦場を探しているのかなぁとも思う。簡単に言うとバーチャルアイドルが活躍する場所づくり。Vtuber歌番組VtuberニュースコメンテーターVtuber写真集Vtuberラジオ番組Vtuberコント番組(これ)、Vtuberスポーツ大会とか作られてそう。

 

ガーリー・エアフォース

 空軍版「蒼き鋼のアルペジオ」。マクロスシンフォギアでお馴染みサテライト制作オリジナルアニメ…ではなく、電撃文庫ラノベ原作アニメ

  未知の脅威(メカ)と、脅かされる日常、そして突如現れた、謎の戦う少女メカ)っていうサテライトらしさを感じるシナリオ。ちなみに河森正治デザインのロボは出てこない。監督脚本シンフォギアの人。シンフォギアと比べると、主人公は多感なお年頃の少年なのでラブ要素があるっぽいけど、ライブ要素は無いみたい。

 サテライト制作だけあって、戦闘シーンはやっぱりすごい。戦闘機が戦うアニメなので敵も味方も見た目は実在戦闘機だが、コックピットバターが作れるレベル超人的なハイスピードバトルを繰り広げている(乗ってる少女特別な訓練を受けているんだよーっていうくだりは2話以降で)。直線的にカメラの手前→奥に移動から急旋回で直角に曲がりカメラに向かって飛んでくるミサイルとか、めっちゃサテライトっぽい。

 特に2話は(アルペジオのイ401よりもおしゃべりな)戦闘ちゃんとのデート回だけど、同時に「人間らしさ」「兵器らしさ」の間にある存在としてのアイデンティティを掘り下げていくキッカケになっていて面白かった。

 

けものフレンズ2

 2期。制作ヤオヨロズから別の会社トマソン)に。OPは引き続きおーいしおにいさん。

 1期で「フレンズって?」「ジャパリパークって?」「ヒトって?」「セルリアンって?」等あらかたネタを彫り尽くしたので、そこら辺を知っているテイで話が進む。序盤の展開は1期と同様「見たことのないフレンズ主人公)がサーバルちゃん出会い、パーク内を観て回る」っていう感じ。ノリは軽め。1話あたりに登場するフレンズがまだ少ないので、もっとたくさん出てくれないかな。

 1期から続投してるのはPPPアルパカ等。カラカルアプリシナリオでお馴染み。彼らがどの世界線のフレンズかは明言されていない(1期はアプリと同じ世界線)が、強いて言えば1期を見てから2期を見ると非常に悲しくなるので注意(ここは1期「ろっじ」においてアニメサーバルアプリサーバル関係を描いた、早起きのシーンを踏襲してるのかな)。

 1期と同じBGM使ったり(音楽立山秋航)、同じ構図を使ったり、「すっごーい!」等節回しが健在だったり。1期を通じて「けもフレらしさ」がアップデートされている感じがある。らしさといえば、些細な仕草にも動物だった頃の仕草が反映されている仕様けもフレらしさを強く感じた。特に2話のジャイアントパンダレッサーパンダめっちゃかわいい。あとAとBパートの間にちゃんと本編もあるよ。へー。

 吉崎観音が言ってた「けものフレンズ原作実在動物で、すべてのけものフレンズプロジェクト二次創作」を思い出す。プロジェクト自体ずっと続くと良いね

2019-01-23

20年近くの自分人生を整理したい。

何となく、今ここで自分人生文章に起こして整理をするべきだと思った。

かなり長い文章になっているかもしれないので、とてつもなく暇で好奇心旺盛な人だけ読んでくれ。

公開する必要性は無い気はするけど、鈍感な私に誰かが何かを気付かせてくれるかもしれないと期待して公開することにした。

とはいえ身バレすると面倒なので所々フェイクは入れさせてもらう。

そして、私やここに出てくる登場人物が、貴方の周りにいるあの人だと勘付いたとしても何も言わず、仄めかしたりもしない事を約束して欲しい。


前置きはさておき、出来るだけ時系列にそって思い出しながら書いていこうと思う。

私は物心付いた頃には母と祖母と一緒に暮らしていた。

この頃は何も知らない純粋子供で、毎日を楽しく生きていた。

母や祖母と一緒にお出かけをしたり、クリスマス誕生日の時はケーキを食べたり、多分その辺の家族と何ら変わりない幸せな家庭だった。

今の私にとってもこの頃の思い出はかけがえのない大切な宝物だ。

でも、この頃から周りとの違和感をずっと感じていた。

母は毎日沢山の薬を飲んでいた。

幼稚園友達は爪が綺麗なのに私だけ真っ黒だった。

それを見た先生ちゃんと綺麗にしなさいと言われて、ちゃんと一週間に一回お風呂に入ってるのにって思った。

私の家は床がゴミで埋め尽くされていたから、夕方テレビで映る綺麗な家や友達の家が羨ましかった。

周りの友達と同じお稽古に通う度に、先生ちゃんと家でも練習しなさいと言われる。でも、ゴミだらけの家でどうすればいいかからいから何もしなかった。

書き出してみると私は何も知らなくて、何も出来なかったのだと改めて実感した。

知らないのは子供から当然だとしても、行動くらいは起こせたのではないかと思う。

もし、そうしていれば私が今こうして整理する必要もなかったかもしれない。

小学校に上がってからはその違和感がより強くなってきた。

いじめにあったからだ。

一部のクラスメイトから臭い、頭の上にフケが積もってると言われ続けたけど、何故自分けが言われているのかわからなかった。

仲の良い友達先生も誰もそんな事を言わなかったから、私が気に食わなくて傷つけたかったのだろうと思っていた。

でも、悪いのは自分だった。

当然だ。一週間も風呂に入っていない奴が同じ教室に居て耐えられる訳がない。

臭いと言われて当然で、それを指摘しない仲の良い人達はあまりにも優し過ぎた。

今思いだしたが、お稽古先の講師でさえ「私ちゃんって、ちょっと臭くない?」と私の影で言っていた。

それでも、この頃の私は皆と同じで、何故か自分だけ不当な扱いを受けていると思っていた。

気付けよ、鈍すぎるだろ。

それか、心の奥底で幼い自分にはその現状を変えられないと諦めて思考停止していたのかもしれない。

結局、そのいじめは学年が上がるに連れて収束していった。

イジメっ子も気付いたのだろう、コイツは訳ありなんだと。

もう一つ、小学校時代に思う所がある。

母が私をアーティストライブに連れ回すようになった。

毎週何処かしらのライブイベントに連れて行かれ、気付いたらファンクラブにも入っていた。

それについてよくクラスメイトと話していたら、授業参観の時にその子の親に「どうしてそんなにお金があるの?」と聞かれた。

私は上手く答えられなかった。何故なら、知らなかったから。

大人お金事情はきっと子供の私には理解出来ないだろうと思って一切考えて居なかったから。

でも、母がお金をかなり切り詰めていたのはわかっていた。

母がその事で祖母に怒られたり、よく家の電気が止まったりするのを何度も見ていた。

働いても居ない母が何故あんなにお金を使えるのかは大人になったらわかる事と思い、考えるのは先回しにしていた。

そして、段々とライブイベントに行く頻度はどんどん落ちていき、一年後には全く行かなくなっていた。

そういえば、何故母に連れて行ったのかと聞いたら、辛い思いをしている私を元気付ける為と言っていたのを覚えてる。

それは違う。きっと私を自分繋ぎ止めて置く為なのだろうと、今の私は思う。

中学時代は素敵な青春を送ることができた。

いじめにあう事もなく沢山の友達純粋に向き合う事が出来て、良い先生にも恵まれてかなり充実していた。

とはいえ、何度か辛い思いをした。

一つ目は学校休みがちだった。

中学の頃になるとちゃん毎日風呂に入っていた。家の風呂が壊れるまでは。

直す為には金と家のゴミ掃除が不可欠だった。

でも、家族全員働いていないし、私は学校生活で忙しく、祖母と母は体を悪くしているので、あのゴミ屋敷を掃除できる人間は誰も居なかった。

から、一番近い銭湯で体を洗わなければならない。

前述の通り、金が無くて毎日なんて行けないから2日に1回だけ通っていた。

それもまた異常だと気付いているから、また臭いと言われて苛められないか友達不快な思いをさせないかとずっと心の底で怯えていた。

たまにどうしても疲れて銭湯へ行けなかった次の日は母と適当理由を考えて学校を休んだ。

ベタベタ臭い身体学校に行けるはずがない。

二つ目友達を家に招けなかった事だ。

休日は仲良しグループの皆の家に行ってパーティをしていたけれど、私だけは人を家に入れられるような環境じゃないから、何とか理由を付けて断っていた。

友達は行きたいのにと少しはゴネていたけどすぐ引き下がってくれた。

本当は皆と同じように自分の家に人を招いてパーティをしたかった。

"皆がしているから"じゃなくて、皆が楽しそうなのが羨ましかたから。

三つ目は身バレするので詳細は書けない。

言えることは、母の衝動的な行動によって私の心が大きく傷ついた事だけ。

今まで点と点だったものが線になったのは高校の時。

きっとここまで長ったらしい文を読んでくれた人の何人かは気付いているだろう。

私の母は呪われている。

急にファンタジー要素が入ったと思うかもしれないが、ただのフェイクを交えた言い回しだ。

具体的な呪い名前が浮かんだとしてもそっと胸の中に閉まっておいて欲しいし、詮索は控えてくれ。

きっかけはふとエゴサしている時に、SNSで母を探しているといった投稿を見かけた時。

名字名前普遍的から違うだろうとは思ったが、読み進めていくと自分の母の事だとはっきりわかった。

何故あの時あんなに金があったのか。

答えはそこら中の金融機関や知り合いに借金をしていたから。

そういえばと思い、ポストを見ると弁護士から封筒が沢山入っていて内容は全て借金

私があの頃楽しめたのは母が返せもしないのに人から金を借りたから。

裏切られた気分だった。

今まで家族とは絶対的な物だと思っていて心から信頼していたのに。

世界が崩れ落ちたような気がした。

からといって、問い詰める勇気は無いし、その後の居場所が無くなるからととりあえずは様子見する事にした。

そして、その数週間後母の友人から相談が来た。

「母が私の部費が足りないかお金を貸してくれと言われた。どうすればいい。」と。

例年同じ時期に部費を徴収する習わしで、顧問に言われる前からわかっていたので予め母に伝えておいた。

流石にきちんと取っておいてくれているだろうと信じていたから、徴収する前に母とちょっと良い外食をしたり買い物をしたりした。

でも、そうしなければ余裕で払えた額を借りようとしていた。

母は何の計画性も無く、後の事なんて一切気にしない人間だと気付いた。

それから、別の母の友人から相談された事もある。

「母が金を返さない。問い詰めればその場しのぎの理由を作りだしたり、逆ギレする。」と。

その人への申し訳無さと母に対する呆れしかなかった。

そういった出来事がいくつか重なった後、母は自分呪いについて初めて打ち明けた。

そして、今まで悩み苦しんできた出来事根本的な原因は母にあった事に気付いた。

とはいえ、私は母を悪人だと、巷でよく聞く毒親だとは思わない。

ただの他人迷惑をかけ続けて生きる種類の生き物だと思った。

生きているだけで周りの人間を不幸にする生き物なのだと。

からといって、今すぐ縁を切れるような状態では無いから、それなりに努力しなければならない事にも同時に気付いた。

このような出来事が立て続けに起こる度に、今までぼんやりとしていた輪郭がはっきりしていくかのような気分だった。

私の家は異常なんだ、人と違うのだと。

そう気付いた瞬間、心にずっとあった霧が晴れた。

でも、霧が晴れた先に見えたのは茨の道だけだった。

自分は人と違うから人と同じようにレールに乗る事は出来ない事がわかった。

自分は人よりも辛い思いを乗り越えて生きなければならない人間だとわかった。

それに絶望して私は何もかも出来なくなり、高校不登校になった。

幸い環境に恵まれていたか卒業は出来たけど、かなりギリギリだった。

今は何となく無気力でぼーっと生きている。

一回精神病院に行こうかなと思った事はあるが、別に頭痛もしないし健康体だから行かなくても良いかなと思う。

とはいえ、やりたい事は沢山あるし、その為にやるべき事も頭の中ではっきりわかっている。

から、もうウジウジ悩んで足踏みするのを辞めようと思い、この文章を書く事で全て自分の中で終わらせる事にした。

実際問題は何一つ解決しないけれど、一度何がしたいか、どうするべきかを自分の中で明確にさせる為に、一度全て振り返って決着を付けたかった。

そして、私は決めた。

もうこの事で悩まないと。

暫くはそういう事が付き纏う人生を送らなければならないけど、これは私の人生から絶対にその邪魔はさせないと。

努力して、ゆくゆくはそれを全て消し去ってやると。

これでもう全て終わりだ。

追記➝沢山の人が読んでくれて凄く嬉しいけど、まさか創作扱いされるなんて思わなかった。

それくらい私の人生普通の人とかけ離れた物なのだろうと改めて自覚させられた。

からといって傷付いた訳では無く、もっとこの現実味の無い人生を大切に楽しんで生きていこうと思うよ。

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

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高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

起立性調節障害学校にいけない状態」には適したサポートをしてほしい

どうして「起立性調節障害学校にいけない状態」を「不登校」ということが問題なのか。

最近こういう話が近隣で散見される。

考えた結果、「起立性調節障害学校にいけない状態」の学生に、不登校学生と同じサポートをしても

学校に復学することは不可能パターンもあるっぽいと思ったので書いておく。


・・・・・・


文科省では不登校病気の子供を含まないと定義づけていますが、その定義の中で、不登校の子必要対処をいくつか定めて通知しています

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1397802.htm

これを受け取った各学校機関は、これに従って対応するという流れになっています


これは「学校に行きたくなくていけない生徒たち」へのサポートなので、メンタル面(気持ち)のサポートと親御さんとの密な連絡などが主です。


ですが、おそらく起立性調節障害発症している子たちには、

メンタルサポートのみでは復学できないが、身体機能面でのサポートがあれば復学できる」という生徒がいます

車椅子利用を検討されているアカウントをよく目にします。


そういう子たちも「不登校」の枠に入れられてしまうと、

現在教育機関などでは正常な対応身体機能面でのサポートを行うという決定)はほぼ不可能です。

教育現場にいる先生医療福祉専門家ではないためです。


でも、足を失ってしまった生徒がいたとしたら、学校側はバリアフリーの拡充など、できる対処は行うことになっています

障害者差別解消といいますが、これは障害者手帳の有無には関係ありません)


起立性調節障害の子も、そうしてもらえれば学校に行ける子もいるのに、

の子たちは「不登校」として扱われてしまうために、

復学のためのサポートがきちんと受けられません。


なので起立性調節障害の子たちが「不登校」として扱うな、というのは、

当事者の子たちが言う「同じ枠にはめないでほしい」という感情的問題とは別に、大きな問題につながっていると思います



・・・・・・


以上が筆者の結論である

起立性調節障害がどうして不登校という枠組みにはめられてしまうのかは、おそらく下記の問題がある。


1)朝起きれないという独特な症状

この症状がある患者一定数いる。

これが睡眠障害なのか不登校なのかの判別がつきづらい。

睡眠クリニックなどにかかればよさそうだが、起立性調節障害専門のクリニックにのみかかパターンが多い。


2)軽症・重症にかかわらず症状が多彩で、同一の病名である

軽症の生徒だけがいた(たとえば親の送迎だけあれば学校生活ができる生徒だけがいる)学校

突然重症(たとえば立てないため車椅子での学校生活でなければ復学できない)の生徒が発生した場合

必要となるサポートは全く違ってくるが、同じ病名なので

学校側は軽症の生徒と同じサポートだけをすればいいはずだと判断うるかもしれない。


だいぶ疲れたのでこの辺でやめておくが、おそらくここまで読まれた方は患者本人だったり、親御さんだったり

はたまた教育現場で働く方だったりするのだろうと思う。

皆さんどう感じられているのだろうか、議論はする気はないが、ご意見気持ちなど耳にすることができれば参考にさせていただきたいと思う。


2018-12-18

anond:20181213041241

一話の最初のシーンでびっくりしなかったら続けて見ないわ

学校生活が退屈…みたいな無意味な導入多すぎ

2018-11-18

「人との繋がり」の大切さを軽視したHikakinに大変失望した

例のPremiumの動画についての件。

いや、俺は別にPremiumがどうとかはどうでもいい。金銭感覚は人に依る。

問題は以下の、

高校生にとってラーメン一杯、友達と行く1回のゲーセン

どれだけ大切な時間か…YouTubeなんかに使うくらいならそっちにお金かけたほうがいい

個人的には思います。」

というユーザーコメントに対しての返信。

『そういう普通から逸脱した人が僕は成功すると考えてます!』

俺はこれに大変失望した。幻滅した。

Hikakinに対して抱いていた「尊敬」が一瞬にして「憎悪」に変わった。

普通から逸脱する」こと。

それが「成功」に繋がる、と言った意見

そんなわけないだろうが!

いや、「普通」、つまり常識なんかを疑い、新たな道を見つけること、これは確かに成功に繋がることがある。

例えばベンチャー社長なんかがよく言っている通りだ。

だが、言及元のコメントで言えば、「Youtubeより、友達との大切な時間に金をかける」ということを「普通」として、それから「逸脱」した方が良いと言っている。

友達」より「動画」を優先しろと。

もう一度言う。

そんなわけ、ないだろうが!!!

Hikakinがこれまでやってこれたのも「支援者」、「人の繋がり」があってこそだろう。

そしてHikakinもそれに応え得るために様々な活動を行ってきた。それには当然金銭コストが掛かるだろう。

Hikakinを中心としたオープンコミュニティみたいなもの形成されるために、Hikakin毎日様々なことをして、様々なもののために金をかけてやって来た。

そう言った、「人」の温かみに囲まれてやってきたはずの人間が、「友達」よりも「動画至上主義となり、言葉は汚いが『Youtubeの犬』に成り下がってしまたことに俺は大変失望している。

俺がわざわざはてなアカウントを作ってまでこの匿名ダイアリーにこの記事を載せようと思った理由はたった一つ、

この考えがユーザー特にそのメインである学生」に波及してしまったら大変まずいと思ったからだ。

それは、自分の話になるが、そんな「動画至上主義」が「学生」の自分社会から置いてけぼりにしてしまたからだ。

Youtuberが台頭し始めた頃、俺は丁度高校生になりたてだった。

もちろんHikakinもそうだが、はじめとかマホトとか様々なYoutuberがいて、俺はそれにどっぷりのめり込んでいった。

動画時間は短いようで、長い。平均10分の彼らの動画を夜に30本見るためには300分、5時間かかる。

実際はもっと見ていた。大体の人気のYoutuberをフォローしていた。

俺の人生が、俺の昼の時間までもが、Youtuberに浸食されている危機感に、俺は気付いていなかった。

休み動画を見ていた。気付けば、生身の友達の横で、まだ見ぬYoutuberを捜索していた。

元々高校に入る前からネットにはまり気味だった俺にも、高校ネット仲間、別にネットについて詳しくはなくても他の繋がりで仲の良い友達がわりといた。

部活に入っていなかった俺にだってクラス友達を作ることは簡単だった。

放課後に、部活に入っていない友達同士で色んなところに遊びに行ったり、食べに行ったりすることが、学校生活一番の楽しみだった。

楽しみだった。

いつからか、「あー、今日は帰るわ」と、無意識に口をついて出るようになるまでは。

俺が下校時まで、下を見ながらYoutuberの動画に笑い歩くようになるまでは。

もう俺は動画に「洗脳」されていた。

今思えば、どう見ても面白くない内容の動画が、学校での他愛ない雑談よりも「面白い」と考えるくらいには。

その先は言わなくても分かるだろうが、一日中スマホを見続ける俺から友達は離れていった。

「それでもいい」と思っていた。ここまでくれば明確に「頭がおかしい」、と今の俺でも思う。

受験になって、時間の大切さを改めて知るまで、正確に言えば、スマホ中毒だと俺を病院に連れて行った母とそこの医者に言われるまで、それは治らなかった。

スマホ中毒自体Youtubeに限ったことではなかったが、俺はそれによって初めて自分の異常さに気付いた。

大量にチャンネル登録していたそのアカウントは消した。今はサブ垢一つになった。

動画を見るのはすっかり一日一時間程度になった。俺にとってはかなりの進歩だと思う。

もう昔ハマっていたYoutuberを見ることもほとんどない。今でも面白いと思えるチャンネルしか見ない。

でも、フォローがやめられない。

いや、書いた通り日本Youtuberはほとんどフォローしていない。

海外だ。

英語が分からない俺にでも面白動画がかなりある

今の冷静な頭で、面白いと思える動画が、世界にはまだまだある。

言ってしまえば、「追っかけ中毒」は終わっていない。

あの頃に「友達との喋り方」みたいなもの、いやもっと根源的に言えば「友達の作り方」みたいなものをすっかり忘失してしまった一浪大学生の俺に、今も友達は一人もいない。

言い過ぎているわけではなく、文字通り友達が「一人もいない」。

俺の人生は、「インターネット」に壊された。

いや、正確に言おう、「友達より動画を優先した自分に」。

自業自得だった。

Hikakinのあの一言が、恐らく安易気持ちで返信したあのコメントが、そんな事態不特定多数に遭わせようとしている。

もう自業自得ではない。

あのコメントを見たユーザーが、Hikakinの考えは意識が高いな、じゃあ自分も…となり、俺のような事態になってしまったら。

その責任は、言うまでもなくHikakinにある。言い逃れはできない。

自らのリプライが、学生人生を壊してしまう。

そんな「影響力」が自分コメントにあることに、彼は気づいていない。

正直Hikakin活動については俺はかなり肯定的であったと思うが、今回の一言でさすがに幻滅した。

これからは堂々とHikakinアンチを名乗ろうと思う。

これを書くためにキーボードタイプしているこの手もまだ怒りで震えている。

これまでHikakinが行ってきた人道的な活動好意的交流については変わらず称賛したい。それは誰も文句が言えないことだと思う。

しかし、Hikakinよ。お前の影響力がどれだけか、まだ分かっていないのか。

そもそも小学生の夢がYoutuberって時点でヤバいのは分かる、だがそれは「個人」の影響ではない。

ただ、お前の「一言」には確実に大きな、莫大な力があるんだよ。

お前の普通を語るなよ。

『人それぞれいろんな考えやお金の使い方、自分への投資、あると思うけど』と言うなら、お前の普通社会普通と思うなよ。

『僕は~と考えてます!』という予防線は「普通」という単語を使った時点で矛盾してるんだよ。

お前は才能があったから、「コミュニティから逸脱しても、ネットで囲われることができたんだ。

大多数の人間には、「独り」から広げられる人脈はごく限られている。俺に限っては無かったんだけどな。

友達がいなくなる。

「それでもいい、『普通から逸脱する』ことが成功につながると、Hikakinも言ってた」

俺はそんなことを言い始める学生が一人でも現れたら、発狂しそうなくらい悔しくなると思う。

Hikakin、もし運命と偶然によってこの記事出会ったら、お願いします、どうかあのコメントを消してください。

俺は、どの学生にも「普通」の人間関係を築いてほしい。

君はそうは思わないだろうが、一億の凡人にとって、「友達」ってのは、未来を切り開く一番大事ものなんだよ。

anond:20130818033214

赤の他人から何の責任も感じずに適当なことを言うけれど、かえってよかったんじゃないかなーと思う。

今回はほんの数日のことだったけれど、大学生活となれば毎日からね、絡まれやすいたちでメンタルも弱かったら親元から離れての学校生活は辞めた方がいいだろうね。その大学に送り出してたら、娘の卒業式は無かったかもしれないよ。

2018-11-10

anond:20181110185732

そら子供平和学校生活を送らせるために

都内私立に入れてるんだよ親は!!

2018-09-28

不登校できるって凄い

今思えば、自分幼稚園に行きたくなかった。そのまま、小学校中学高校とずっと学校にはひたすら行きたくなかった。特別いじめられてるとか嫌なことがあるわけではなかったが、とにかく行きたくなくて仕方がない。今思うと不登校になってもおかしくない。自分学校に通い続けたのは世間の目と親の目があったからだと思う。

自分学校生活で一切宿題をしたり授業を聞いたりすることができなかった。当時、自分でも他の人ができて当然のことがなぜできないのかと不思議に思っていた。今考えると学校にいるだけで相当なエネルギーを使うのだから、他のことに労力を使えなかったのだと思う。当然部活なんかできないし、家帰ってもゴロゴロして好きなゲームをしてるだけ。

学校行ってもそんないいことなかったから、世間の目を気にせず不登校しとけば良かったなと、、、

2018-09-20

小島よしおテンション生活したい

昨日副業水商売でお前はなんでそんなに自分に自信無いのかって言われた


根っからネガティブ自分の好きなところなんて全然なくて

息を吐くように偏屈言葉が出てくる自分うんざりしてるし

自分に自信があったらもっと人生楽しいだってわかってるけどそんなん無理だろうって諦めてた


「なんか耐えて耐えて乗り越えた経験とか無いでしょ?」ってお客さんに言われて、

しかに私は一人娘で親に甘やかされて育ったし

学校生活ではカーストも上位の方で(リーダー補佐ぐらいのポジションが一番おいしくてたのしくて安全だろうって思ってずっとそこにしがみついてた)

感情で動くタイプ自分は嫌なこととか辛いことがあったらサイアクだ!やめる!って辞めてきたかもなって気付いた

まあでもそれなりに辛くて泣いたり不眠になったりするんだけど

結果終着点がいつも辞めることなんだよな

やっぱり続けるって決断したこともまたすぐ辞めるぞ!ってなってる


いつもみたいにあ〜だから自分ダメなんだなあとか思いながらそうっすねーはははとか返した気がする

そしたら「俺だって辛くて泣きたい時とかめっちゃあるけどなんかしら乗り越えなきゃダメだしみんなやってるよ」って言われて


いつも考えてから喋るけど咄嗟に「頑張って辛いぐらいだったら頑張んなくて楽しい方が幸せじゃないですか」って言っちゃった


咄嗟に得た自分言葉に対してすごい共感してる自分もいるけど

やっぱ世間を甘く見てるよなあとかいつか行き詰まるのかなあとか不安と情けなさもすごいあった

その時は笑い話みたいなテンションで言ったけどほんと自分の中身が出たよな サイテー

でも本当にここまでの人生生きててなんとかなってて楽しい

とか思いつつ「頑張んなくて楽しい方が幸せ」って言ったけど今の自分すごい不幸な気がしてきた



そんなことをモヤモヤ考えながら

これから新卒で入った会社に辞めたいですって言ってくる

すごいやりたかたことで募集してなくても入れてくださいって頼み込んで入社したのに1年半しか居られなかった


今回は何回も辞めたいモードになって不眠になったり泣いたりしたし考えた方だし絶対合ってる決断だって思ってたけど

昨日した会話が引っかかってて本当に辞めちゃうのかなって不安になってる



ここで辞めちゃったら私はこれからもずっと自分のこと嫌いなままなのかな

小島よしおテンション生活したいって書いたけどもうそれも逃げなんじゃないか



私っていつまでこうやって生きてるんだろうな

2018-09-01

違和感の中で生きている

学校生活違和感を覚えていた

「こんな自分は嫌われるんじゃないか

という恐怖からありのまま自分は出せないでいた

数少ない趣味クラス多数派からすると

迫害されるような趣味であまりおおっぴらにはできなかった

数少ない友人と数少ない趣味の話で盛り上がることはあったけど

放課後にいっしょに遊ぶまではなかった

社会人になっていまでも自分は装っている

学生時代ほど同調圧力は高くないので

趣味もある程度は出せるようにはなったけど

それでも全開まではいっていない

みんなもこうして生きているんだと思う半面

好き勝手やっている人は羨ましく思う

最近知り合った年齢が半分ほどの友人

自分が感じていた事と同じ事を感じて

今まさに苦しんでいるらしい

少しでも力になれればいいが

過剰なフォローにならないように

そっと寄り添っていたい

いじめのこととか「#8月31日の夜に」タグのこととか

夏休み明けは自ら命を絶つ子が多いという。

ここ数年、そんなわけで夏の終わりにいじめられている子へのメッセージ著名人が流している。

響かない。

どれも響かない。

小中いじめられっ子の自分には微塵も響かない。

その理由はいくつか思いつくのだが、最大のものひとつだけ書いておく。

いまの日本学歴社会である

学歴とは(ある程度までは)学校教育で培われるものである

受験なら内申書からむ。内申点には通学実績やテスト評価も加味される。

登校→授業&テスト評価で進学先、ひいては就職先が見えてくる。

有名人は割と簡単に「辛いなら学校に行かなくてもいいよ」と言う。

しかし前述のシステムがある限り、学校に行かない選択をした方はかなりの不利益を被る。

学校に行けなくなった原因を作ったいじめっ子たちはウェーイと騒ぎながら学校生活を謳歌社会の波にも乗っていくのに。

※この場合高卒認定がある」等は的はずれなので置いておく

自分自身もひどいいじめに遭って登校をためらった。何度も死のうとした。

両親はまさに「学校になんて行かなくてもいい」と言ってくれた。それには感謝もしている。

しか子供自分でも思ったのだ。何でいじめ被害者が折れなきゃならないんだと。学歴につながる手段を絶たれてたまるかと。

(これには両親が中卒で苦労していたのを察していたか自分絶対学歴をつけようと思っていたのもある)

から自分学校に通い続けた。

進学先で人間関係リセットできる幸運に恵まれていま生き永らえている。でもこれもたまさかだと思う。生きていることが絶対尊いかは断言できない。死にたくはないが生きていたいわけでもない。

#8月31日の夜に。タグで「学校に行かなくても卒業できる」と書いている人はものすごい高学歴有名人だ。

「長い人生から見ればたった3年、頑張ろう」で炎上している人も一般人から見たら超勝ち組だ。

安易に生きていればいいとも言えない。学校に行かなくてもいいなんてもっと言えない。

考えれば考えるほどよくわからなくなってくるけど、そのわからなさを誰かにほどいてほしい。

2018-08-15

なんで学校教師なんかになるの?

学生時代学校生活自体しかたからとかいう、自分の周り以外の他人のことを見れない、粗野な人、

学校もっとまともにしたい、みたいな姿勢自分過去に対する意趣返しをする人、

からさまなボディタッチが多い体育教師(論外)、

は向いていないと思う。

ていうか、教師に向いている人間なんているのか?

何をもって教師となった?今の満足は何?

学問伝道師としての満足している教師なんているのか?

まともな人間教師にならないと思う。

上のような人間がいる中で、他人に期待しても無駄から

そういう人間と関わりたくないから、そもそも興味ないから、

自分の子供でもない子供がいる空間で過ごしたくないから。

さまざまなタイプがいる生徒の親に対して、相手にするのは疲れる。

教師一介の力でなんとかなるなんて、ヒロイズムに浸った安易な考えやめた方がいいと思う。

個人問題に対して無思考発言、行動をする人が多すぎる。

大人だって自分他人区別がなく、うだうだ言っているだけじゃないか

もう少し、自分認識したもの、してきたものは、他人と一致してはいないということを自覚してほしい。

自分にとって学校は、自分他人との区別がつかない人間養成するところでしかないと見え、

からこそ、自分時間自分に使い、個人範囲で、個人から湧いてくるものを大切にした。

教師になろうとする人間の気がしれない。

2018-08-13

anond:20180813194832

いや、落ち着きがない空想を始める話を聞かない等々は発達の特徴なんだよ、本人も迷惑をかけなかったか支援級じゃなくても許されたって言ってるし。

発達は子供時代死ぬほど手がかかるのと全く手がかからないのがいる。

今の基準なら支援スタートでも不思議はない程度にはグレーだと思うし、この視野の狭さも発達っぽい。

落ち着きがないは毎回書かれてたよw

学業優秀、優しい、でも落ち着きがない、人の話を聞いてない、って通信簿はいつも同じだった。

すぐ空想を始めるから直接話し掛けられないと聞いてないことがしょっちゅうあった。

これだっておかしいと言えばおかしいし個性個性だが周囲に多大な迷惑はかけなかったか支援学級でなくても許されたと思ってる。

で、大人になったら自然治癒するのだとして(ほんとかー?)、異常に騒ぐ子が大人になるまでに学級崩壊起こされたり勉強学校生活破壊されたりする周囲の子にはなんていうの?

「あの子大人になるまでのしんぼうだよ」って?

2018-08-12

姉が帰ってくる。

姉の話をする

初めに、俺は姉と二人姉弟で、年齢差は3歳差だ。

俺たちは自営業の親のもとに生まれて、今は親父の仕事を俺が継いでいる(とはいえ親父もまだ現役である

田んぼに囲まれた片田舎で、通学はバス通学。

車はおろか車輪のつくものを持っていなければ街にもいけない。

近所の子供は両手に収まるくらいしかいない上に同級生は1人だけ。

そんな田舎で俺達は伸び伸びと成長した、と思う。

俺と姉は割と姉弟仲が良く、遊び相手としてはちょうど良かった。

姉はなんだかんだで弟である俺に甘く、喧嘩はすれど結局は譲ってくれることが多かった。

から俺も結構姉に甘えていたんだと思う。

ちなみに、反抗期対象は姉だった。

何かと姉の言動が鼻に付いたのだ。

姉は、弟の俺が言うのもなんだが、そんなに頭がいいわけでもなく(一緒に公文式をやっていた)、俺よりも字が汚く(同じ習字教室に通っていた)、俺よりも運動ができなかった(同じ武道をやっていた)。

言ってしまえば、姉が何かで表彰されるたびに、俺がその一段階上の賞をとってしまったり、身体能力を上回ったりした。

そして何より、姉は、ゲーム音痴だった。

から多分、当時の俺は見下していたのかもしれない。

姉の優しさに甘えて、姉の言動に一々噛み付いていた。

しかけてくる姉に、苛立ち、ドジをする姉に虫唾が走り、それでも朗らかに笑う姉にどうしようもなく腹が立った。

その頃の俺は中学生くらいで、生徒会をやったり、部活をやったりと忙しく駆け回っていた。

一方の姉はといえば、第一志望の高校に落ちて、県立の進学校へと通い、中学時代は学年10位以内をキープしていたのとは反対に、学年のワースト10から数えたほうが早いという堕落しきった学校生活だったのだ。

からそんな姉に、たぶん矛先が向いたのだろう。

そんな姉への反抗期は、俺が姉の落ちた高校に受かり、姉は短大へ進学したあたりで収まった。

気付けば、俺は高校サボりがちになり、姉は短大バイト自分で立ち上げたサークル活動と忙しく駆け回る。

まるで正反対だと思った。

姉は、本を読むのが幼い頃から好きで、小中高と多読ランキングに名を連ねており、姉が進んだ短大も、司書育成の短大だった。

そんな姉は今、東京にいる。

嫁さんをもらって、親父の仕事を継いで、地元に腰を据える俺と正反対に、独身の姉は東京派遣社員をしながら飲食店バイトをしている。

姉の部屋は色々あり、既に物理的に存在がなくなって、今は、年に一度、実家の手伝いに帰ってくる。

ばかで不器用で鈍い姉は、土産センスだけは、とても良い。

2018-07-28

いのちの電話が繋がるまで240回掛け直しました

いのちの電話とは「死にたい」と検索をすると出てくる電話番号のようなサービスで、日本いのちの電話連盟HP曰く 「自殺予防いのちの電話」は、様々な困難や危機にあって、自殺をも考えておられる方の相談電話です。

どうぞおひとりで抱えず、その苦しいお気持ち私たちに聞かせてください。 とのことだ。

本日私は自殺したくて自殺しそうで気が狂いそうだったのでいのちの電話文字通り必死電話をした。

結論として、いのちの電話に掛けたことで私は今もこうして生き延びてこの文章を打っている。

しかし、いのちの電話のあたたか対応によって気持ちが救われたから生きているのではない。

いのちの電話無知侮辱にまみれた対応によって怒りが燃えたから生きているのである

何も電話が中々繋がらず240回も掛け直す羽目になったから怒っているのではない。

絶望はした。何度掛けても繋がらない。こちらは目の前に転がっている死のビジョンから目をそらすために、僅かに残った理性で必死電話をしているのだ。

充電器のケーブルで首を絞めないために、窓から飛び降りないために、ボールペンを喉に突き立てないために、必死思考を逃そうと電話をかけているのだ。

元々、いのちの電話 つながらない でサジェストされる位にはいのちの電話が繋がりにくいという事は知っていた。

はてなにも http://boring-story.hatenablog.com/entry/2016/08/17/011626 という記事がある。

繋がりにくい理由として支援が十分でない事、相談員が足りていない事、この日本がただ生きるのだけでも過酷すぎる故に掛かってくる電話は膨大な件数で内容も深刻化が進み長時間になっているという事も聞いている。

しかし、ここまでとは思わなかった。

もしこの記事を読んでくれているあなたが死にたくなった時には是非全国、あるいはお住まい地域いのちの電話にかけてみて欲しい。

こちらは全国のいのちの電話の番号一覧である https://www.inochinodenwa.org/lifeline.php

命をかけて電話をかけて、鳴り続ける呼び出し音に耐えた後、やっとつながったと思ったら、ただいま大変電話が込み合っております。恐れ入りますが暫くしてからお掛けください。という音声によって無慈悲にも電話は終了する。

音声ガイダンス文言等には地域差がある可能性が含まれからあなたがかけたいのちの電話とはちょっと違うかもしれない。

けど絶望的につながらない。

まずこの時点で死にたくて死にそうでたまらないのにいのちの電話にたどり着けず、あきらめた人が大勢いるだろう。

いのちの電話にかけて繋がらないで帰って気持ち電話を掛ける前より落ち込んだ人もいただろう。


私は240回目でつながった。

こちいのちの電話です」

今かけている電話でつながるなんて心にもなく、電話をかけ直すためにただただスマホタップするだけの機械になっていた私は言葉が出なかった。

しばらく何も言えずに無言の時間が続く。

「どうかされましたか?」

私は必死に声を振り絞って言った「死にたくて困っているんです」

「そうなんですか。何に困っているんでしょう?」

どうやら電話に出てくれた相談員さんは「死にたい」という言葉が聞こえなかったらしい。私はもう一度「死にたくて困っているんです」と繰り返した。

「困っているんですね」

まだ私の死にたいは届かなかったらしい。相談員さんに悪気はない。悪いとしたら小さい声しか出せない私だ。

ただ、もう生きている人に向かって死にたいという言葉を何度も発するのが限界で私は何も言えなかった。

「あの、私このまま待っていていいんでしょうか?」

私がまだ何も言えずにいると

「何もないなら切らせていただきます

私は急いで言った「死にたくて自殺しそうで困っているんです」

自殺しそうで困っているんですね」

自殺というワードが届いてから相談員さんの口調がやや緊張したものになった。

「えっと、あなた自殺したいと考えるくらいには辛いことがあったんですね それは辛い、それは大変ですね」

ちょっと嫌な予感がした。

あなたの辛い気持ち分かりますよ。自殺したい、と考えてしまうのは何か自殺を考えるきっかけになるような辛い出来事があったんですね。いつから自殺をしたいと考えるようになったんですか?」

分かります、という決定的な単語が飛び出した。顔も知らない相手、今までどんな人生を歩んできたか、何があったか知らない、出会って数分の相手死にたい気持ちが分かります?!

自殺考える人への安易共感タブーだった気がする。

それに相談員さんが多用するえっと、ぎこちないしゃべり方、この人は今まで何人も相談電話を受けてるんだよね!?

でも私も会話して数分の相手だ。ここで信用できない相手だと心を閉ざしてはいけない「ずっと前から死にたくてしょうがないんです」

「えっと何かあって、その、自殺したい,と考えるようになってしまうくらい辛いことがあったんですよね?」

正直に自殺したいと考えるようになった原因と思える何かは家庭環境学校生活、対人関係仕事、今から昔まで沢山ありすぎて何かがあって死にたくなったんだと上手く説明できない。

それになんかもう、辛いとか大変という言葉自分状態感情を決め付けられてしまったようで酷くショックだった。

こっちは死にたくて困っているとは言ったが、どれだけ辛いとかなんて言ってない。「明確に何か思いつきません」私はそう答えた。

暫く沈黙があった。

「えーっと、なんか、あたし何て言ったらいいんでしょうか?」

えっどういうこと?何て声をかけたらいいかからないって、相談員の人が相談している相手に向かって言う言葉なのか?

これにはなんかもう訳が分からなくなって、私がかけたのはいのちの電話だよな、相談員の人っていくら人手が足りないとはい研修を受けてこのお仕事をしているんですよね?と困惑した

本当に頭が真っ白というか、まさか相談員の方からそんな言葉が出るとは思ってもなくてただただ言葉が出なかった。

「あの、私は、あなたがどんな風に辛いのか、そういう話をしてもらって、その辛いお気持ちによりそって、あなたお話をすることで、少しでも楽になれば、私は嬉しいなと思っているんです。」

会話の意図がさっぱり分からなくてこの時は何も答えられなかったのだが、相談員さんは私に辛い話をして欲しかったようだ。

「あの、えっと、ここは辛い気持ちを話して楽になってもらう場所なんですけど、でも、あなたは何も話したくないという事なんですね。」

「あの、でも、借金とか、なにかないんですか?」

借金ないんですか?え、いくら何でも例えでも借金あるかないか聞くか?

何かもう借金ありそうですねと言われたみたいで、あなたの汚点はなんですかと聞かれたようで、酷く侮辱を受けた気になっていた気がする。

あなたは何にも話さないんですね 辛いことを話してくれないんですね ここではあなたの辛い気持ちお話していく中で少しでも支えになれたらという場所です」

時間スマホを握り続けてここまで辿り着いたのだから電話をかける前より酷い気持ちになってたまるかと、相談員さんの話を聞くこと怒らないように必死に耐えていた。

「辛い気持ちを話したくないなら電話なんてしないでください 他にも待っている方がいらっしゃいますから電話は切らせていただきます

私は怒って泣きながら「辛いか電話したんです」と言った。

「じゃあ話してください」

笑いながら言われた。私は相談員さんの話し方や態度が耐えられなくて泣きながら「もういいです」と電話を切った。


書いていて、疲れて、電話通話履歴は残っているけれど、相談員さんとのやりとりが非現実的に感じられて怒りは比較的収まった。

それで思ったのだけど、これ、私が間違っている。

普通自殺は明確に何かがあって、何かが起きたから考えるようになることなんだ。

いのちの電話にはなった人がかけるものなんだ。

私は日々波のように襲ってくる自殺衝動が辛くてきつくてそれを収めたくて電話した。

から相談員さんは私が辛いことをいつまでたっても話してくれないと困惑していたのか。

いのちの電話は今この瞬間にも死にそうで自殺に移りそうな自殺衝動が辛い人がかけるように作られていないんだ。

いのちの電話相談してくる人として設定しているのは何かがあって辛くなって死にたい人間なんだ。

それと比較して書けば私は死にたくて死にそうで頭と体がそれで一杯になって辛いか死にたい人間なんだ。

私の電話に出てくれた相談員さんの対応は、今この瞬間生きるか死ぬかの人間にはちょっとアバウト大胆で、今にも死にそうな人と電話するためのものではないんだと思う。

でも多分この相談員さんと話して気持ちが楽になった人も、この相談員さんと話して助けられた人も沢山いるはずだ。


電話をして分かったこ

いのちの電話は今死にそうで辛い人がかけるものではない

今辛くて話を聞いて欲しい人がかけるもの

じゃあもしかしたら、毎日毎日ふとした瞬間に湧き上がる自殺衝動と戦っているのが辛い人ってとっくにそれで精神科に通っている?

あいのちの電話はなにがあって死にたいと感じているのか、自殺を考えたのかを話せば死ななくなる人がかける電話なんだ。

私は死にそうで死にそうで辛かった。

また今日もふとした瞬間に自殺衝動は沸いて必死に死なないように死なないように死なないようにしなきゃと耐える羽目になるんだろう。

死にそうで死にそうで学校に行けなくて、うつ病を疑って二度それぞれ別の精神科に行ったことはあるんだけど、よくある事だとその程度ではうつではないと笑われて終わりだった。

そう判断されないのは私はこうやって文章を書けるくらいには落ち着いてしまうからか、診察時には落ち着いて話をしようとするからか。

自殺衝動を誰かに見せつけることが出来ないからか。

ああ、学校に行けないか死にたいう人だ思われたのか。

目につくすべてが自殺に結びついて見えて死にそうで死にそうで学校で平静を保てそうにないか学校に行けなくなったんだ。

じゃあ今ハンガーで目を潰すのを必死におさえている私はどこへ行けばいいんだろう

2018-07-17

今回の杏bot関連について

なんだか今回の杏botに関して色々な反響が起こっていますね。少し遅れてですが、ちょっと今回思ったことを書き殴ってみようと思います

今回の件で一番の論点となった『満開スマイル組の行動』です。

様々な意見を聞きます。「陰湿!」「清美ちゃん可哀想」という意見や「なんか問題あんの?」「ただ仲良くしてるだけやん」という意見も見ます

どちらが正しいかなんてどうだっていいのですが、私はどちらかと言うと前者です。その上で言います

素 晴 ら し い ! ! ! ! !

杏を除いた満開スマイル組4人(島村卯月佐久間まゆ小日向美穂櫻井桃華)のああもCuに全振りした子たちにやらせるその手腕!敬意に値する!

今回の問題点と私が感銘を受けた要素を一つずつ語っていこうと思います

1.『デレぽ』という(全てのアイドルと恐らくプロデューサーが見れる)SNSで仲良しグループだけで終始して冴島清美ちゃんには一切触れないで行うやり取り

素晴らしく陰湿です。"皆に見えるところで話すが直接本人には言わない"ここポイント高いです。

当然本人は知ることができます。そして全てのアイドルもそれを見れます。そんな場でネチネチというその性根…尊い星輝子ちゃんも驚きの湿りっぷり。

外堀を埋めるやり方。典型的モラハラのそれです。清島さんのポジション自分が立つことを想像するとぞっとしますね。

5対1の構図を無自覚に作っている。ここに怖さを感じた人も多いでしょう。

最初期に二宮飛鳥ちゃんを一之瀬志希ちゃん宮本フレデリカちゃんからかう書き込みがありました。しかしそれは彼女らの関係あってできることだし、理解も得ている、何よりからかう行為意思があり、そしてヒートアップしないところで切る、距離の取り方をわかっているいい人間関係です。

それに比べて今回の4人は清美ちゃんとは殆どと言っていいほど交流がなく、距離を近づけようともせず、直接では決してなく言いたい放題です。後述しますがこの4人は最後まで清美ちゃんに対してコミュニケーションを取らなかったのが無駄リアル

ここで特に邪悪さを感じたのは小日向美穂ちゃん佐久間まゆちゃんですね。わざわざ名指しで清美ちゃん名前を出しつつ擁護するように見えて仲良しな杏ちゃん側に立っている論調

これだけ取ってみるとまるで清美ちゃんが責められているよう。難しくも正しく使うもありません、杏ちゃんが朝自分で元気に書き込めばいいだけの話。

悪いのは不真面目にbot使ってた杏ちゃんなのにね。でも当然仲良しグループの方が大事だし、杏ちゃんを責めるようなことは一切言わないよ!

自分小日向美穂ちゃん正統派可愛いアイドルだと思ってたし、佐久間まゆちゃんヤンデレっぽくやってるけど普通に可愛い女の子だと思ってたので、今回のような陰湿姑息なやり口を行えるような性悪さを兼ね備えているなんて知らなかったです。彼女たちをより一層好きになれました。

今回の書き込み自覚があってやったなら拍子抜けだけど、もし自覚なく行えるなら、この子たちは間違いなく日常学校生活でも同じ女子生徒を同じやり方で追い詰めていると思います。そうでなければあんな無神経な書き込みできないです。

今なら まゆすき って言ってもいいですよね!この子たちをもっと輝かせたい!

2.何故か清美ちゃん"だけ"が反省して(させられて)終わる結末

この状況下で謝らずに突き通せる子なんていません。5対1です。絶対勝てない。

一貫してみても思う事だろうけど「これ清美ちゃんが謝る意味ってあったの?杏ちゃんは何も謝ってないのに?」なのに悪者になったのは清美ちゃんだけ。

簡単に言うと数の暴力に屈したんですよ。そういうやり方をあの満開スマイル組は知っているんです。ジャイアニズムです。これも尊い。素晴らしい。

前述の通り最後まで4人は清美ちゃんコミュニケーションを取りませんでした。自分の知る限りこの4人と清美ちゃんの絡みは過去ほとんどないし、あっても杏ちゃんに比べれば極僅かでしょうね。特に仲がいいわけでもないから絡むわけでもない。

結局相談内容は一切見えず、残ったのは杏+仲良しグループ4人対清美一人という構図と、清美反省して終わる結末、そして清美に一切絡まない4人という、後味の悪い(自分にとっては大好物な)結果だけが残りました。

島村卯月ちゃん最後まで清美ちゃんを視界に入れず「よかったですね。杏ちゃん!」で〆るその姿はシュール

実にスクールカースト的な格差とそれによる圧力で終わった感のある一連の流れだったと思います

少しメタ視点から

今回、思った人もいるだろうけど

声がなくやっとSSR実装されたアイドル

殆どが3周目実装されて選挙でもランカーのアイドル5人

という目には見えないが実に格差が広く広く感じる構図になってますね。この要因も間違いなく今回の件を大事にしていると思います

botですが、これbotとばれた今稼働させる意味があるんですか?という疑問も残ったまんまになりました。

これだけ荒れた要因がこのまま恒常的に存在し続けるって物凄く皮肉の効いた終わり方な気がします。もう誰も触れたくないでしょうね。

後今回の件で関係ないのですが、PCSのお泊り会のデレぽがあった時、自分違和感を覚えたことがあります

「君ら同じ部屋にいるはずなのに何でデレぽで喋ってんの???」あれは一体誰に向けて言ってたんだろう…

今回の件も含めて正統派Cuは何か底知れない悍ましさを感じるようになりました。

総括

素晴らしいです。普段から想像もできない陰湿さと邪悪さを感じさせる今回のデレぽは尊さしかありません。

デレぽはとても良いコンテンツです。アイドルの知らない顔や絡みを見せてくれます

上でも上げた小日向美穂ちゃん佐久間まゆちゃん邪悪さ、姑息さは普段じゃ絶対見れない。いい機会を得たと思います

今日更新されたKBYD+周子ちゃん過去のデレぽを見てもそういった邪悪さが感じにくいんですよね。幸子ちゃんや紗枝ちゃんではそういう邪悪さが出ない。

今回の問題の4人はそういった知らなかった面も見れて実に感無量でした。彼女たちが前より好きになれたと思えます

最後に一つ、ライター適当に書いてやがる!という声も聞きましたがそれはあり得ません。

あの4人のアイドル邪悪さ、最後まで清美ちゃんフォローを入れない徹底ぶり、適当に書いて出来るものでは決してないです。どう見ても計算されています

アイドル達の今後の活躍に期待します。

2018-07-12

anond:20180709134500

私の弟

 私には3つ年下の弟がいます

5年生に上がる時に32年生になりました。

 弟は家でも幼稚園の時からいつもふざけていて、よく怒こられていました。

なので、弟の面倒を見ながら学校生活を送るのは、少しだけ嫌な気持ちをしていました。

 友達に、弟どうしが同じ学年の友達がいます

その人の弟が、5年生の時、弟が泣いている事を教えてくれました。

 何か困っているのかな?と思いましたが、話を聞いたら、

だいき君が森の方に行こうとしたからと言ってました。

 森の方には行ってはいけないと先生から言われてたのに、

行ってしまいそうだったので、行かない方がいいと言ったのに、

だいき君が無視をして行ってしまって、幽霊に連れてかれると

聞いた事があったので、心配になりすぎて泣いたそうです。

 私達は4年生の頃、友達達と噂を作りました

森の近くで遊んでいた時に、男子の誰かが「幽霊出そうだな」と言ったので、

それが楽しそうだったので、クラスの人とか違うクラスの人とかに幽霊の話をしました。

それがいつの間にか連れていかれる話に変わっていて、びっくりしました。

 弟はその噂話を本当だと思って、悲しくて泣いたそうです。

でも本当は、悔しかったと言ってました。だいき君を止められなくて、

悔しい気持ちだったと言ってます

 悲しい気持ちと悔しい気持ちで泣く弟は、えらいなと思いました。

2018-07-09

から愛されたくてしかたがない。

投稿です。

から愛されたことがない。

そして人の愛し方が分からない。

からも誰からも愛されたことがない人間なのだから仕方がないのかもしれない。

そもそも、私が、性同一性障害他者から恋愛対象として見られず、また、女性に惹かれることが多いため、女性として過ごしてる私は、出会いがないからなのか。

私が機能不全家族の出であることがいけないのだろうか。

私が発達障害やBPDの症状を軽度ながら持っていることがいけないのか。

死ねば楽になるのかな?

精神崩壊しそうだ。すでに崩壊してるのかもしれない。

助けて欲しい。


=====

以下は、乱文であるが、私の過去を書かずにはいられなくなったので、ここに書こうと思う。(多少のフィクションは含んでいるが。)

私は男→女の性同一性障害の現役大学生である

日常生活女性として暮らしていて、初対面の人と話したり、ショッピング空港等で元男性と見抜かれることはほぼ無く、また容姿もそこそこいい方であるという自負はある。(ガタイ無駄にいいのはコンプレックスだが。)

幼稚園児のときに母と父が離婚した。その時の母と父の喧嘩記憶していて、私にとっての一緒に暮らしいたこのろの父親像は母親に向かって怒りをぶつけているところと、仕事で疲れて寝ているところしか残っていない。そして、離婚後、親権母親に移った。

そして、仕事に一辺倒になった母からは面倒を見てもらえず、妹と共に子供会保護者祖母に面倒を見てもらっていた。

祖母は優しい人ではあるものの、愛情表現をする人ではなく、また同じ家にいたわけではないので一緒にいる時間は限られいた。

私はこの頃、植物に興味があり図鑑をよく読み漁っていた。また、ピーターラビットシリーズを好んでいたことを記憶している。

小学生に上がったときピアニカの色やランドセルの色が"私の望む色"出なかったことを記憶していている。

小学生2年生になると強迫性障害の症状を起こすようになった。ともかく、家の外のすべての物が不潔に思えた。1度病院に連れて行かれた記憶がある。幸い、小2のうちにだいぶ良くなり日常生活に支障をきたさなレベルには回復した。ただし、潔癖症自体中学生くらいまで強い意識が残った。

また、この頃から学校オカマとヤジされることが増え、友人は決して多いとは言える状況にはなかった。

この頃でも父親とは電話を通して時々話しており、またたまに合うことがあった。(よく上野国立科学博物館鉄博に連れて行ってもらった。)

ただ、一度、ファインディング・ニモに連れて行ってもらった。はじめての映画館で見た映画だったのだか、個人的に楽しめなく、父はそれに対して非常に怒っていたのを記憶している。

また、この頃から母親父親の間で伝言を伝えるような役割となり、お互いの悪口を聞かされ、また経済状況についてと揉め事を聞く立場となっていった。

小3になった時、母親再婚した。

相手子供が3人いたが1人はインフルで亡くなっていた。(ただし、継父に親権はなく未だに継姉・兄と顔を合わせたことはない。)

母はTVを厳しく時間を決める人であったが、継父はそうではなくよく妹や従姉妹テレビを見せていた。それについて、母親と揉めることが多く、私がママっ子であったため母親側についた事により、私は継父から見せてもらえなくなり、次第に顔を合わせるだけで睨まれるようになった。

小4になると母と継父の間に子供が生まれ、何もしない継父と仕事しかしない母の代わりに祖母と私と妹がよく面倒を見ていた。

そして、この頃から、継父と私の関係は更に険悪になり、私が継父から身を隠すように家で過ごすようになった。

幼稚園児のころから高いところから飛び降りたらどうなるのだろう、という気持ちはあったものの、この頃には明確に死にたい、という気持ちがあった。

また、夢の中で継父を刺し殺す・絞め殺す夢を見るようになるようになった。(この夢は大学生1年の頃あたりまで続いた。)

小5になると母親仕事軌道に乗り始め、経済状況は一気に良くなるが、継父との関係は最悪になり、一度私が勉強机の下に逃げたところを継父に顔を蹴り飛ばされたことがあった。(ここらへんの記憶曖昧で正確な時期を覚えてない)

また、私は元々書物を読む子供であったが、学校男子からオカマや(容姿を指して)キツネと呼ばれ、女子から女子の中心グループ犬猿の仲だったため、更に書物を読み漁るようになった。(ハリーポッターを1日の放課後で2冊を読みきる勢いだった。)

小6では学校はだいぶ落ち着いてきたもの、継父との関係は相変わらずだった。

また、妹もこの頃から継父との関係悪化してきており、不登校気味となっていった。

中学では寮生の少人数の学校に入った。これにより、家族とも同級生とも離れることができ、私にとっての人生の転換点てなった出来事であると思う。

ただ、男子野球部に、女子バレー部強制的に入部であり、内心でバレー部に入りたいと思っていたが、叶わぬ願いであった。(幸い丸坊主は避けれた。)

中2になると寮の中で私が最年長となったためリーダーシップを取ることとなった。

完璧主義だったため自他ともに厳しく、今では後輩にもっと優しく接すればよかったなと感じる。

中3では男子として野球することが嫌で地元中学に戻り、そこで小学校の時の数少ない友人と家庭科部をしていた。

またそれ以外については受験勉強をする日々であった。受験に関してはもともと勉強はできていた為もあってか、地域公立高校の2番めに良いところに合格できた。

家での生活はこの頃、継父は単身赴任であったため、実家が一番平和な時期となっていた。(また、妹も私のいた寮にはいった。)

寮で過ごしたことにより、色路学べたおかげもあってか、継父と小学校の時ほどは酷い関係ではなく、お互いに最低限以外の会話をする程度にはなっていた。

高1では理系クラスであったため、いわゆるオタクが多く、私にとって天国のような環境であった。また、寮の時の後輩と文通をよくしていた。(寮は電話メールは基本禁止だったため。)

また、中学生の頃から留学に興味があり、そのための準備をし始めた。

高2で、海外高校に転校し、海外生活が始まった。

高2,3ともそれなりに優秀な成績で学校生活も楽しめたが、学校福音派学校でありLGBTに対して差別を行うというほどではないものの、聖書引用して厳しい態度をとったこと、食事が不味いこと、男子寮で生活すること(アメリカ大学では基本寮生活)にストレスを感じ、アメリカ大学受験はしなかった。

進路は迷ったもの帰国した年度中に大学工学部合格しそこに入学することとなった。(親元にいたくなかったので実家から通えない距離大学のみ受験した。)

大学学業については、アメリカの授業の進度が遅く苦労はしたものの、なんとかついていくことができそこそこの成績を収めることができた。

ただ、1年目に男子寮に入ることとなり、それで精神病み、このままでは学業に支障が出たり自殺しかねないという事で、精神科(ジェンダークリニック)を尋ねた。

また、この頃に同じ性同一性障害彼女遠距離であるができた。(ただし、どちらかというと共依存のほうが近い関係であったと思う。)

B2になるとアパートぐらしに移り、またホルモン注射をするようになったため、見た目も女性的になりつつあったため、精神的に非常に安定するようになった。

学業についても学科の上位1割に入っており、勉強の遅れを鑑みれば非常に良い結果出会ったと思う。

ただ、この頃に彼女との関係共依存に近いものであったこともあり、それが崩壊し分かれることとなった。

大学3年生の現在自己労働力頭脳以外の"人間としての価値"を自分自身で見出だせなくなってしまった。

他大の友人との交流もあり、より良い環境の院に行きたいし、自分のやりたい研究仕事もある。けど、それ以外の人間的な将来について何も想像ができないし、強い希望を持つことができない。

自分自身の事なのに自分だけではにもできない事でつっかかかってしまった。

来年までに戸籍の変更もできるだろう。だいぶ恵まれている方だ。

けど、戸籍を変更したら私は結婚という選択肢を捨てることとなる。(そもそもパートナーなぞできないが)

変更しなければ就活で奇異の目で見られ苦労し、キャリアに影響が出るだろう。

なのにどうしたらいいのか分からない。

ホルモンバランスの崩れのせいもあるのだろうが、また自殺願望が湧いてきてしまう。

薬物への知識も多少あるため合法な乱用の仕方も知っている。そこに逃げてしま可能性が否定しきれない自分が怖い。

精神科・心療内科に行ったところで薬が出るだけだろう。それで一体何になる。

根本解決はできないじゃないか

肉体的快楽に身を任せりゃどうなのかと思ってしまう。

どうしたらいいのか。

助けて欲しい。

2018-06-19

学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張東京から大阪に向かう新幹線の中だった。

新幹線大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。

冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしか雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。

新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱景色と似たり寄ったりだった。中学校クラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。

ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識さら肥大させた。

ひとことで言えば、ぼくは、音楽小説自分存在のものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。

車内販売ワゴンを押しながらお土産コーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校卒業した年の3月のことを思い出していた。

大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。

そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。

そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。

ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。

anond:20180619001457

俺も高校の時よく分からない理由不登校になった。

とにかく思い当たることなど無いのに学校に行くのが異様に辛くて、学校生活が苦痛で仕方なかった。

精神的なものが腹にくる体質だったので、通学途中に漏らしたこともあった。

その後単位制の高校を何とか出たものの、しばらく引きこもってしまった。

今は給料は低いけど、正社員になることも出来た。

幸せになるって意志があるなら平気だと思うけど、俺の様に考えなしに停滞しないで欲しい。

勿論逃げることも休むことも必要な時はあるだろうけど、幸せになりたいなら常にこれでいいのかと考えて欲しい。

2018-06-14

小中9年間引きこもっても何の不都合もない

一方、歯を食いしばって、嫌われやすい体質を我慢しながら、学校生活を終え、メンヘラになって、就活で失敗して、成人して引きこもったら、自殺するか、犯罪犯すまで追い詰められる。

小学校中学校なんてのは人生を左右する多感な時期にも関わらず、学校生活自体は、どうでもいい。立派に学校生活を勤めあげても、成人してから引きこもったら、自己責任の大合唱

周囲の大人たちはそれがわかってない。

2018-06-06

受け身がうまい

小学生のころに柔道を習っていた。

技をかけるのは下手だったが、受け身のうまさはよく褒められていた。

長続きせずに辞めたうえ、筋トレもろくにやってなかったので基礎体力的なものもつかずじまいだった。

中学生になって地元から少し離れた学校に通うことになった。

勿論、その地域小学校から上がってきた子たちはすでにグループが出来上がっていた。

そこで、出来上がっている輪に自分から飛び込んでいく勇気がないことに気づいた。

いわゆる人見知りが発動することを自覚したのがこの辺だった。

幸いにして同じ小学校出身の子が隣のクラスにいたので、その子グループにたまに呼ばれてやり過ごしていた。

高校生になって、もっと離れた学校に通うことになった。

高校にもなれば全国いろんなとこから受験で集まってくるので、出身バラバラ

みんなお互いを知らない、スタートラインは一緒だ。

でもやはりここでも僕は人見知りを発動し、見事にスタートダッシュに失敗。

起死回生の一手として文化祭実行委員になってみたが、溶け込めずにむしろいい感じに孤立が加速した。

ただここでも幸いにしてグループに拾われることになる。

同じくクラスでなんとなく孤立していた奴がいたのだが、そいつ所属していた柔道部の集まりに遊びに行っていた。

ひょんなことからそいつの輪に混ぜてもらうことになり、柔道部に出入りさせてもらうようになった。

すでにもやしっ子として完成していたが、柔道経験者ということもあり、軽く組み手の相手になったりしていた。

そこでも、お前受け身うまいな、と褒められた。

ああ、確かに、僕は人間関係についても、ひたすら受け身でやってきたなぁ、と。

なんかしみじみ、こんな奴でも拾う神はいてくれたんだよな、なんて思う。

社会人になってからは、受け身で仕事してるようじゃダメだ、と怒られてばかりだが。

たぶんこの先オトナとして生きるにあたって、受け身じゃダメなことが増えていくな、とは思う。

ただ、これまでの学校生活で僕を拾ってくれた友達とは年1、2くらいで定期的に集まっている。

もちろん、集まろう、と音頭をとるのは僕じゃないけど。

受け身ならうまいので、今年の夏もいい感じに予定を空けて連絡を楽しみにしている。

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