「学校生活」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 学校生活とは

2018-05-27

入学した高校風習が異常すぎる

僕が入学した高校は、この地域では有数の進学校で、100年余りの伝統で知られている…というのが僕が聞いた前評判だった。

ところが、入学した途端に奇妙で恐ろしい風習さらされ、ひどく困惑している。

入学式の翌日、体育館で全学年がそろった歓迎会のようなものが開かれた。伝統であるゆえか、歓迎会に限らず、どんな集まりでも校歌斉唱する。

当然僕は、入学したばかりだから校歌歌詞など覚えているはずもなく、なんとか上級生が歌うのについていこうとした。しかし、上級男子の一部が、無駄に声を張り上げて歌うため、うまくついていくことができなかった。(今思うと、一年生が歌を聞き取れないように、わざとそうしていたのではないかと思う)

なぜそこまで声を張り上げるのか腑に落ちないまま、会は終りを迎え、二・三年生は退場し、なぜか一年生だけが体育館に残された。

生徒会役員自己紹介が終わった直後、閉じていた体育館の扉が突然激しく開いた。見ると、腕を組んだ上級生が二十人ほど中に入ってくる。上級生たちは、一年生を囲むと、いきなり口々に怒鳴り始めた。僕は状況がうまく理解できないのと、もとから小心者であるのとで、動悸が止まらなかった。

僕も恐怖のあまり興奮気味だったので、詳しくは覚えていないが、簡単にいうと、「なぜ歓迎会とき校歌を歌っていなかったのか」というようなことを怒鳴り声で言われたのだった。そんなことをいわれても、まだ入学から24時間も立っていないのに…と思いつつ、僕は恐怖でおののいていた。とにかくひたすら怖かった。

5分ほどその状態が続いて、ようやく上級生は去っていった。

それから約一週間たち、ようやく少し学校生活になれてきたある日のことである。その日は、朝から、「今日はあの人たちが来る」と話題になっていた。僕は昼休みになると、急いで昼食をかきこみ、「あの人たち」の到着を待った。

「あの人たち」は、突然教室乱入してきた。そして、一週間前の体育館と同じように、集団で僕たちに怒鳴り散らした。そして、僕たちのうち何人かを指名して、「なぜこの学校に来たのか」と質問してきた。当てられた人は、震えつつも、「伝統に憧れたから」とか「進学校から」といったことを答えるのだが、そのたびに、上級生たちは集団で責め立てたり、机を押し倒したりする。(あとから聞いた話によると、このときは、何を答えても責められるそうだ)僕はその異常な光景に恐れおののいた。しばらくして、「放課後に全員揃って屋上に来るように」と僕たちに伝えて、彼らは教室を出ていった。

僕は、怒りが抑えられなかった。なぜこんな不条理がまかり通っているのか。なぜ先生は誰も止めないのか。そんな気分で、いっそのこと上級生の命令無視してさっさと帰ろうかとも思ったが、そんな雰囲気ではなかったので、結局みんなと一緒に屋上に行くことになった。

屋上に続く階段の前で整列して、一同震えながら待っていると、上級生が来て、入れと指図された。僕たちは階段を登り、屋上に並ばさせられた。

しばらく僕たちを責め立てたあと、ひたすら校歌を歌わされ続けた。声が大きい人は座らせられるだが、あまり声の大きくない僕はずっと座らせられなかったので、涙ながらに歌い続けた。こんなことをされるために入学したわけではなかったのに。僕は一体何をしているんだろう。そんな思いで、延々と泣きつつ歌い続けた。

炎天下の中、それが一時間ほど続いて、ようやく終わった。上級生たちは、態度を一変させ、カジュアルな態度で、みんなを集め、「お疲れさまでした」といって、自己紹介を始めた。それが終わると、ようやく帰された。

僕はもはや放心状態で、そのまま家に帰った。

今でも頻繁にこう思う。なぜあんなことをさせられなければならなかったのだろう? あれになんの意味があったのだろう? これは伝統を笠に着た「いじめ」ではないか? と。

また、こんなことも思う。例えばクレーマー気質金持ちの親が保護者の中にいて、自分の子供がされたことに腹を立て、学校を訴えたりしたらどうなるか…と。この風習にはなんの正当性も、教育的意義もないから、もしかすると裁判で負けるかもしれない。そうなったときに、学校責任を取れるのか? コンプライアンス意識がまったくないのではないか

僕の入った高校は「国際人育成」のようなことをスローガンに掲げている。後輩や部下を怒鳴り散らすような人が、世界通用するだろうか? 僕は運動部ではないので、この種の「いじめ」はもうないが、一部の運動部では学校施設の利用を新入部員だけに禁じたり、あるいは怒鳴り散らしたりといった「いじめ」が行われていると聞く。(皆が「いじめ」と認識しているわけではないが、僕はそう思うのだ) そのように後輩をいじめることになれた人は、社会人になっても、後輩をいじめることに抵抗を感じないのではないか。僕の高校では、皆忙しすぎて、いじめをする精神的余裕もないと聞くが、学校体制の中にいじめが組み込まれているのなら、同じことだろう。学校が、いじめをする人材の育成場所になっているように思えるのだ。

2018-05-16

親の前で自殺未遂した話

親の前でマンションベランダから飛び降りようとした。

軽く勢いをつけて手すりに登ろうとしたけど、泣きすぎで力が入らなくてうまくいかなかった。

三回目のジャンプで親に手を引っ張られてよろよろと室内にころげこんだ。未遂未遂くらいで終わってしまった。

希死念慮は昔からあった。小学生の頃からずっと。その度に「読んでいるシリーズ新刊が読めなくなるのは残念だから」とかなんとか理由をつけて先延ばしにしてきた。

リストカットしたことがない。しようとしたことはあるけれど。小説で「手首を切ってもうまく死ねない」と読んだことがあったし、うっかり生き残ったら跡を誤魔化すのが大変そうだと思っていた。

高校生の頃、クラスメイトの今から思えばちょっとメンヘラ中二病が入った子と「どうしてもっと前に死んでおかなかったんだろうって思うよね、早く死にたい」と意気投合したことがある。私は表面的には今日明日ハッピーです、という体をとっていたので、その数分間が私の学校生活で唯一希死念慮を表に出せた経験になる。

正直17歳くらいで自分死ぬんだろうなと思っていた。酒が飲めないうちに死ぬのは惜しいなとも。

大学に入った直後高校時代よりも楽しく、開放的で、死にたいと思うことは少なくなった気はする。

それも居酒屋ホテルバイト疲弊するまでの間だったが。無能力感でバイト帰りに川を見て、「ここから飛び込んだら深さがないから頭から飛び込んでどこかに打って気絶して溺死かな」と考える日が続いた。

まりにも仕事ができなかったのでADHDを疑い、通院が始まる。ADHDではないものの極度のあがり症と診断され、通院し続けるようになった。

その後いろいろあって至る現在就職活動ストレス買いで作った借金を親に詰られ、死のうと思った。

ベランダから見る地上には全く恐怖を抱かなかった。履いていたスリッパを放るように脱いでしまったので揃えてから決行しようと思っているうちに止められた。

親にはずっと死にたいと思っていたことを泣きながら話した。親はピントのずれた返ししかしなかった。

自分の無価値感についても話したし、期待に添えない子供でごめんなさいと繰り返した。「そんな期待なんかしていない」と言われた。

飛び出すように家を出て、半日考えた。

私は「価値がない子供でもいいから生きていてほしい」と言われたかった。「死のうとなんてするな」と言って欲しかった。

親の期待やら何やらから逃れたくて、自分が親の思い通りに動く人形じゃないと証明したくて親が嫌がるとわかっているオタク趣味に夢中になったのかもしれない。でも結局逃れられなかった。親はそれを「正しい」方向にしようとし、私を「正しくない」と糾弾し続けた。

事実借金してまで買い物をするのは異常なのだとわかっている。でも止められなかった。自分の無価値から目をそらしたかった。

でも逃げさせてくれなかった。大学自主休講したこと就活を(私はそれなりに頑張っているつもりだが)頑張っていないこと、大学に行く時だけ電車に乗ると吐き気がすること(実際は楽しいことがあった後でも吐き気がするし、大学自体に恐怖心を抱いて家から出られなくなり、それを治療していたこともわかっているはずである)。

私はもう耐えられない。生きていくことに耐えられない。親に生きてくれと言われたら生きるつもりなんて、何でもかんでも親に依存しているのだろうか。でも親にさえ生きてくれと言われなかったらどうしたらいいのだろう。私にはもう、死なない努力をする精神力が残っていない。

カウンセリングにでもかかれば変わるだろうか。今更もう何もかもどうでもいい。

これから私は身辺整理をする。親が望む通りに物を減らして片付けをし、部屋を綺麗にする。

無駄遣いをせず私がしてしまった借金を返し、3〜50万くらいの現金を作っておく。

葬式に来て欲しい人のリストアップをする。遺書を書く。

それが終わったらなるべく迷惑をかけない形で命を終えようと思う。

1年もあれば準備には十分かなと見積もっている。それまでに生きる気力が沸くようなことがあればその時考え直す。

簡単な賭けだ。十分な金を稼ぐまでに生きる気力が沸くかどうかの賭け。

考えてわかったのは「やっぱりもっと早くこの決断を下すべきだった」ということ。

せめて大学に通う前に決断していれば、私大の決して安くはない学費を親に浪費させずに済んだのに。そのお金で老後資金の足しにできただろうにと思ってしまう。

お父さんお母さん、お金時間を私みたいな不良品に使わせちゃってごめんなさい。

ももうすこしで、マイナス100をプラスにはできないけど、マイナス50くらいにはできるように頑張ってバイトするからね。

私の生涯最後一年くらい、苦労や心配をかけないで済むように、私頑張るから

2018-04-28

からかい上手の高木さんって鮎川だろ?

きまぐれオレンジロードのあの夏の日の学校生活感に俺たちはドキドキしたワケで…

はいだって子供なワケで…

ハッキリとした態度なんか取れないワケで…

2018-04-26

自分が変に感情的だったので、自己分析をした。

家庭環境が主な原因だった!!

そりゃそうだ。当たり前。

大学生活で書いてきたもの抜粋した。

書きなぐった物そのままなので、非常に読み辛いけれど、

こんな人間も居るということを、ここに垂れ流しておく。

言いたいことはこの後に書いてあるので、

面倒くさくなったら飛ばしてください。


まれから今まで、直ぐに感情的になる癇癪の権化みたいな姉を持つと、

こういう人間が家庭にいなければ、もっと余裕のある生活を送れたのになあと思ってしまう。

女ばかりの家で、説得しようにも長い話ができず、本当に辛い思いをしたので、上のような性格人間は苦手すぎる。

というか、自分に伝染して変に感情的になってしまった。

本当に家庭は選べねえなあと思った。

仕事漬で鬱になり家にいる父、姉妹の長女で人の話を聞かない割に偉そうにする母、

人間関係がうまく行かなくてストレスが常に溜まり、母とよく衝突する姉。

せめてまともな男がいればなあと思ったが、そういう人間は足早に出ていくもんだろう。

普段は同じ空間にいるだけで、たまに母側の親戚が来る。

高卒姉妹が固まり田舎田舎による超閉鎖的な噂話をする。

何が楽しいのか分からないし、行きたくなかったが、

その場に行かないと飯が出なかったので仕方なく行ってた。

周りのように旅行に連れていけという姉が言う。

金は無いが時間があるので、結局車で大型ショッピングモールに行く。

姉は一時的に満足するが、しばらく経つと金がない、旅行に行きたいと同じように繰り返す。

自分のせいではないものを指摘することで、自分の弱さを隠している。

女の口喧嘩というものは絶えない。

毎日同じようなこと、くだらないようなことを言い合う。

翌日には忘れ、繰り返す。

家に”離れ”というものもなく、この拷問休日もなく毎日浴びせられる。

女の女による感情的な場からは、逃れられなかった。

感情的で閉鎖的な家庭で育ったことが、いか自分精神に影響し、

自分の進路に影響して、今の今まで悩ませていると思うともう嫌になる。

小学校3年までは小説子供向け科学雑誌学校でよく読んでた。

将来の夢は科学者だった。物質が小さい粒のようなものでできていることに感動した。

そんなことを親や先生に言っても取り合ってもらえず、科学者なんて無理と言われた。

から肯定されないし、好きになっても、役立たないものだと思えてきた。

小説も読まなくなった。誰も読まないし、話題にならないからだ。

そして何より現実味がない。あっても雑学程度にしかならないと思えてきた。

感動するものもあったが、自分環境見直しとき絶望感が怖くなった。

誰も何も誰しも自分気持ちなんてわからない。他人理解しようとしない。

そうなった子供はどうするかというと、周りに頑張って迎合しようとする。

文脈が薄い一時的な笑いと理解しつつ、こうしなければ普通になれないと自己暗示をかける。

この頃から訳もわからず泣くようになり、泣き虫扱いされる。

中学まで続けると割と周りが自我が芽生えてきていることに気づく。

自分はどうなったかというと、自己暗示を解けきれなくて、自我が地中に埋まってしまって、

ぼーっとすることが多くなった。何をやっても楽しくない。

小説を読んでいたせいか地頭は少しは良かった。

自分本位の行動なんて肯定された経験がない。夢なんてない。

全てがくだらない。

成人式とき自分宛てに送る手紙は、

絶望的な気持ち査読する先生に気づかれないように書いたのをよく覚えている。

地元工業高校に進むことになった。

何か面白いものを求めていた。

現実から離れられ、実用的な技術を身につけようとした。

でも、周りと馴染めなかった。

勉強も何が面白いのかよくわからなくなった。

資格勉強のような授業。適当に過ごす。

高1の冬、高校を辞めて勉強して大学と親に泣きついても、

何いってんの、うちには金が無い。高校卒業したら働くって行ったでしょ?

人間の考えが変わらないと思いこんでいる親に対しめちゃくちゃ腹を立てる。

勉強をしても大学なんて行けない。大学に行く人間なんて、

自分より頭が良くていい環境で育って塾とか行っている人間なんだろうな。

うちに生まれた時点でそんなものできないことは決まっていたんだ。

満足できない思いを反芻しながら、納得行かない家庭から与えられたことを無理やり正当化しようとする。

そんなことをしながら、何のために勉強しているかからなくなったまま勉強を続け、高3までそれなりの成績をおさめる。

その後突然大学に行きたくなる。少しは希望を持ったらしい。

勉学というよりは社会に出る前に、自由な身と力を手に入れられると思った。

難しい話は通用しないことはわかっていたので、

から出て、高校の延長線上の分野で、大学しかできない勉強をしたいというが、反対される。

金がないから、心配から不景気からあんたのために言ってるから

は?結局オメーの都合だろうよ。俺の何を見てきた?

大学卒業してから年収を見ろと返す。

大卒就職率が低いってニュースでやってたし、高校卒業して安定した職を付けたほうが良いんじゃないと言われる。

お前、45年間、何を見て生きてきた?本当にいってんの?

ニュースで得た情報自分身の回りを見て、適当に集めた情報から意見を言っているだけじゃん!と返す。

めちゃくちゃ怒って、お前は社会の何もわかっていないと返される。

お前じゃい!

その後担任との三者面談をしたり、大学説明会に足を運んだりして、

なんとか格安の寮がある国公立受験することにした。

勉強は続けたが、やはり高1のとき高校をやめればよかったと言う思いが引っかかる。

何より自分大学進学を許した親に対して、姉が私も家を出て学校生活送りたかったと毎日激昂し、

感情的空気ヒートアップしていた。

何をやってんだかわかんなかった。家にいるのは人間じゃないとわかってていても、

ストレスを感じてしまう。

そんな生活を送っている中、父がなんの前触れもなく自殺する。

家に自分と2人で居たときに突然自殺。その第一発見者となる。

もうなんだかよくわからなかった。救急車警察も呼ぶ気になれなかった。

30分ぐらいしてから、ようやく呼ぶ気になる。

パニックと言うか、この状況に対して自分は何を考えているのか、全くわからなくなった。

恨み積もった家庭にどう抵抗してやろうかと思っていた矢先の理解できない死。

もう何がなんだかわかんなかった。

自殺した父に対して、苛立ちが積もりに積もって吐く。血も吐く。

悪気がなく、自然法則のように動く肉親に腹が立って仕方がない。

だんだん気分が落ち込み、抑うつ状態になる。

自分が違うのか?田舎に生まれ自分田舎に埋もれなければいけないのか?

精神科に行ったが本当に自分が何を言っているのかさえわからなかった。

自殺したのはもちろん原因だったが、そればかりを話すだけで、

自分の育ってきた環境問題があることを分析できなかった。

正直父が死ぬ前に、無理やり不登校になって、心療内科に行くべきだった。

もちろん今まで書いてある期間は絶え間ない感情を浴びせられている。

どれもくだらないものだ。居場所もない。捌け口もない。

周りの人間が信頼できないこともあり、相談できないことがどれだけ苦しいか身を持って感じた。

子離れできない親から親離れできない。

何をしたらこ気持ちが収まるかがわからない。

なんとか大学合格し、家から出た。

試験会場でも途中退室したくて仕方なかったことを思い出す。

大学生活は最初から精神を病んでいた。

毎日感情的な刺激を受けてきたせいで、隣の部屋の騒音などの刺激に反応してしまう。

頭の血管が触ってわかるほど浮き出て、ズキズキして、眠れなくなる。

さら自殺した父の死体をよく思い出して、生理的に気分が落ち込む。

実家を出て数年経った今でも、文を書きながらこの症状が出ている。

講義課題をこなすのが精一杯である文字も読めない。

あーもう何もしたくない。考えたくない。

人の気持ちを考えるってことはこんなにもよくわからないものなのか。

こうも時間無駄なのか。

悩まない人間にとって悩んでいる人間気持ちなんかわからない。

逆もまた然りだ。一生分かり合えない。

本来人間はお互い抽象的なもの部分的しか理解できない。

自分は具体化しすぎなのだ人間とか今見える環境とかを具体化しても、精神が辛くなる。

記憶を消し去りたい。

せめてこの性格学問に向けられたらと何度も思う。

他人理解できない。他人なんているのか?

自分理解できる他人なんているのか?

からある不満が積もるとこうも気分が落ち込むのか。

降り積もる不安は階差数列のように増え、それが積もっていく。

この問題解決するのか?本当はどこか解決策がわかっているんじゃないか

わかっているけど、この先の未知の刺激に耐えられるか不安で仕方ないんじゃないか

本能的に楽しめるものをまだ知らないだけじゃないか

なんでこんなこと考えるようになったんだ?


最近になり、かなり昔から、閉鎖的実家からの膨大なストレスが、

自分性格にかなり影響しているということが、かなり明確に示すことができた。

自分にとってこの問題が、

いか無意味不快で人に相談しにくく、

時間精神無駄に消耗し、

自分を納得させるためのものしかないとわかってても、

納得いく解釈を探しつつけてたのは、

親との思想が合わなかった事実をどうにか納得したかっただけである

生来性格と言うのは恐ろしい。

でもこうするしかなかった。

こうしないと、その場に居なくても襲ってくるからだ。

自分気持ちを書いてそれを見直し、また書く、という生活を数年繰り返してわかったのは、

早々に自分気持ちに蓋をして、自分気持ちに嘘をついてきたということだ。

頭の中身をタイプしたり、図に書いたりして、ようやくわかった。

くよくよする性格は、自分本位で動いていないからだ。

気持ちが落ち着いてくると、文字をよみ、抽象的なものも冷静に理解できる様になる。

他人が書いた物語を見て感動する。専門知識が頭に入って感動する。

俺はここまで何も知らなかったのかと落ち込む。

でも、今までよく生きてきたと、無条件な自己肯定感が芽生えてくる。

そんなことが少しづつできるようになることが、大学に入ってからの生きがいである。

自分本位で生きたことがない」人が、心から人に好かれるということは難しい。

皆どこかで「他人に従ってもどこか違う」と思い、自分表現をするのだ。

それが自我形成というやつだ。

それを乗り越えてこなかったことが十分、身にしみてわかる。

素粒子でできている肉体に、生きる意味なんて無いってことは十分わかった。

からこそ本能が指す、好きなことをしていいと思えるようになった。

ほどほどに好き勝手に生きていいと思える。

自分のことを文字にする行為は、できて妙である

結局こうするしかなかった。

よくもまあ何日もこんなに長くて下手な文章を書き連ねられたもんだ。

最近落ち着いてみると、なんで落ち着いていなかったんだろうと思ってしまう。

その場しのぎで余裕がなかった。

焦りからくる選択ほど後悔するものはない。

後ろを見ると後悔した経験しかない。

自分の焦りに気付けることなんてあっただろうか。

いや、なかった。あっても解決策がわからず、もとに戻る。

これに関しては納得行くようになってきた。

自己欺瞞を重ねるほど自分がわからなくなる。

自分本位で行動していない。自分がないのと同じである

不安から行動するが、結局疑問を感じストレスを感じる。

書いてみると1ページで終わるような話を、どうしていままで耳にしなかったんだろう。

これは終わったことだし仕方がない。



見直すと、気が合わない肉親と18年間いたことが原因だったと今見返すとよくわかる。

原因がよくわからない鬱と診断されて、4年経ったが、

はじまり小学生からだよなーと思う。

自分が書いたことは超悲観的だが、これまで経験してきたこと全てではない、

と納得できるのは、自分自身に対する姿勢が変わったからだと思う。

最近ようやく治る兆しをみせている。

何度か兆しを見たが、今度は本当に、今までになく楽になれそうな気がする。

学校も肉親もただランダムに振り分けられた人間が配置されていただけと、やっと、心から解釈できた。

漫画とか映画とか小説かには本当にお世話になった。

本を読むのを辞めてしまったのがいけないなあ。


あれもこれも、過ぎたことだと思えるようになれた。

自分気持ちを書き表さないと立ち止まってしまうことも、よくわかった。

やっと人間らしさを取り戻した気がする。

今までどこか、頭を何かのタイミングリセットできると期待していた。

まあ解決しようにもできないもんな。

からいから。でも、もがかないと、掴めるものがあっても見逃してしまう。

放置するほど、もがく力が弱くなり、流されてしまう。

自分に近しい人にアドバイスするなら、誰もいない、静かなところで正直な気持ちを書きなぐるということかなあ。

自宅が嫌なら喫茶店でとかでいい。

環境が用意できたら、書き始める。媒体は紙でもPCでもなんでも良い。

初めてみると止まらなくなって、気がついたら4時間以上立ってたということも珍しくない。

時間がもったいなかったとは思えない達成感がある。

見直すと何に悩んでいたかよくわかって、どこか整理できていないことが悩みの種だっとことに気づく。

苦しいとは思うが、自分内面で見てこなかったことに対して、対面することだ。

対面して初めて分かるもの自分だけの発見であり、自分で掴んだものから信頼できる。

こうしてどうにもならないことに納得し、物事への姿勢は変えられる。

あと、外部の情報に目を向けるべき。

漫画喫茶で見たことのないジャンル漫画を手にとって、一日過ごすのも悪くない。

まあとにかく、映画館や図書館など、場の空気を感じられるところに行く。

そうすれば外部に注意が向く。

そこで他人創作したものを見て、視界を広げて、

自分一人がこんな思いをしているというわけじゃないということ、

他の人の、物事への解釈理解しようとする。

そうすると、だんだん自分に近しい物がわかってくると、信頼できる著者という対話相手が出てくるので、どこか楽になれる。

結局他のことを考えてもいいということ、その行為自体自分のためになっていると思うこと。

そんなことで、案外心が落ち着いて、人間そんなもんだと思えてくる。

とにかく、今の気分がずっと続くことはなく、

人は変われるということを知るには、自分の頭で行動することだ。

書きなぐるだけでも、十分自分の頭を使っている。考え方も変わる。

そのことを忘れないでおきたい。

(追記)

終わりに

自分体験から言えることは、

カウンセリングや薬だけで完治するものではないということ。

薬は脳内流れる伝達物質の取り込みなどを制御し、

カウンセリング患者気持ちを引き出す手助けをしてくれる。

風邪薬のように特定の菌を殺して治るもんじゃない。

カウンセリング適当にしても治るもんじゃない。

内面気づきを報告するとフィードバックを貰えるのは非常にありがたい)


全体を見ると、自分内面にあるものがわからなくなっているという状態に対し、

気になるもの自分の中で見つけ、解釈し、納得していくかということをひたすら繰り返していた。

ネットや本にあるものは参考にはなるが、それをすっぽり当てはめて自分が治る。というわけじゃない。

他人にとっては経験談で、参考になる手法しかない。

趣味などの気分転換でやっていけるなら、その対処法も良いと思う。


湧き出てくるものは人によって違うし、参考になる意見も人によって違うし、考え方も違う。

これを理解するのは、自分のような人間にとって難しかったし、これが頭になかったから病んだとも言える。

どういう形であれ、このような考え方を獲得することは、生きる上で重要だと思う。

ホラー小説けが救いだった

子供の頃、ホラー小説けが救いだった。

不幸な話は嫌いだった。本の中の世界でまで不幸に浸りたくなかった。

幸福な話は嫌いだった。そうでない自分が惨めになるから

救いがある話は嫌いだった。私は救われないのにお前だけずるいと思った。

ファンタジー小説は嫌いだった。私の世界がそうでないことに心底がっかりするから

異世界に行って帰ろうとする話は嫌いだった。ここが帰りたい場所と思える幸せなやつなんて嫌いだと思った。

異世界に行ったままの話は嫌いだった。なんでお前は逃げ出せて私はここから逃げられないんだ。

青春ものなんて最悪だった。

他人の満たされた学校生活なんて知りたくなかった。

悩みながらぶつかりながら部活動をやり遂げる話なんて、書いた作者は子供の敵だと憎んだ。推薦図書に選んでくる大人ごと全て憎んだ。

ホラー小説けが私の味方だった。

ホラー小説の中でなら、みんなだいたい死ぬ。ひどい目に合う。嫌な奴も良い奴も関係ない。何をしたかもしないかも、あんまり関係ない。理不尽死ぬ

いじめを描いた小説のように誰かが一方的になぶられることもなければ、人の心を傷つけたものがお咎めなしでのうのうと生き延びることもない。

みんな死ぬ理不尽がみんな殺してくれる。それはとても安心できる約束だった。スプラッタ小説ならなおよかった。幽霊怪異モンスターに悲しい理由があることもあったけど、襲われてる人たちはそんなこととだいたい関係いから、やっぱり理不尽なままで好きだった。

私の生きているこの理不尽世界を、みんなにも味わわせてくれるホラー小説は私のたったひとつの救いだった。

大人になって、ようやくあの頃子供たちに向かって勧められていた本を読めるようになった。とても面白くて、味わい深くて、優しい小説ばかりだった。

それでもその豊かさはあの頃の私にとって紛い物でしかなかった。

ホラー小説があってくれてよかったなぁと、時々新刊を手に取るたびに思い出すのである

2018-04-17

生きづらさの話

ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。

最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイト学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります

事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉きっかけに、『学校行きたくない気持ちボロボロとこぼれてきてしまった。

から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃん友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。

ただまぁ似非はい進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ち受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月AOですんなり受かってしまった。拍子抜け。

もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだバイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一不登校事件です。

その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。

二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人グループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。

それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます

行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。

大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます

大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。

それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。

自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベント舞台ライブチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ

だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。

ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。

私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通にふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。

だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台チケットは当たるし推しイベの真っ最中から石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである

文章ぐちゃぐちゃですみません。読んでいただけたならありがとうございました。

2018-04-16

アスペルガー人生は無理

アスペルガーという言葉は、2015年から広く本のタイトルなどに取り上げられるようになったのではないだろうか。ちょうどその頃に、幼い時分からまれていた無力感焦燥感、虚無感の根元にある直視し難い性質が何なのか判然としたことに感動したのを覚えている。家族を巻き込んで不幸をもたらす憑き物を現代医学が心の病だと看破たかのような爽快さがそこにはあった。私はこの障害のことをもっと知り、前向きに治療をしていこうという気持ちを持ち、それは今でも続いている。

しかし、障害を知覚したところで苦痛が晴れるでなし、それ以降もこの長きに渡る連れ合いは私を苛み続けた。正体見たりと凄んだところで、死角から刺されるのが堂々と名を名乗り正面から切り伏せられるのに変わったに過ぎなかった。

その日は取引銀行支社長社長宛に挨拶に来るということで連絡を受けていた日だった。いつもなら、というか"正常なら"同席の程を上司である財務担当役員に伺うところなのだろうが、今回はそれが出来なかった。

何故なのか全く分からない。先方が名前を挙げてないのに同席させるのは失礼じゃないか。それとも担当なのだから同席しない方がおかしいのか。時間を取らせるくらいなら私が同席すれば良いのでは。頭で考えるだけの道は無数に枝分かれをし続ける。"一体何が正解なのか"。

そうこうしているうちに混乱から別の業務に手をつける、というサイクルを繰り返して日付が変わり、約束の30分前に私はその役員から呼び出された。

「なぜ俺は今日声を掛けられてないんだ」

社長の予定を確認してからずっと黙って見てやっていたが、我慢ならん」

銀行との取引を締めているのは他でもない俺だろうが」

「そういう気の回らないところが頭に来るんだ」

「"普通に考えれば"わからんのか」

こってりと絞られた後、心にいつもと違う感じが差したのをうっすらと覚えている。

私は今までこの気が回らないということを必死に隠してきた。中学生かそこいらまで、親からよく気がつかないとか人の気持ちを分かれとか言われて過ごした。その頃は親から怒られること自体苦痛だったため、幸か不幸かそれを自分性質と捉えることなく、説教回避したい一心で人への接し方を注意しながら生活できるようになった。それでも学校生活で求められる他者との関わり合いなどたかが知れている。

やがて企業に勤め社会に出るようになると、その性質に大いに悩まされることとなった。上司の、同僚の、客の言うことがわからない。わからないまま、説教が始まる。しかし、正すべき箇所とその方法が見えないため、またそれに悩む。この繰り返しで自尊心をズタズタにしながら、三度目の就職東京を転がり出て辿り着いた現在地点が今の片田舎にある中小企業だ。

私にとって、人の気持ちだの上司を立てるだのということが分かる機転は、尻尾のようなものである。生まれた時から有しておらず、今後手にすることも能わない。そういう能力が無いことを自覚して、別の器官で補いながらなんとかかんとか死なずに生きてきたのだ。

しか今日、私は尻尾が無いことを隠すのを忘れ、尻尾が為すべき仕事を手や足で為さなかった。そして運悪くそんなタイミングで「尻尾のない奴は頭に来るんだ」という一言が飛んできたのだった。

こういうことで叱咤を受けることは歳を重ねて減ってきたとは言え、もちろん何度も経験している。普段なら自分なりに飲み込んで処理できる筈なのだが、全てはタイミングなのだと思う。

それはなぜか異常なほど深く私に突き刺さり、刺さった言葉は体内を刺激し、文字通り身を裂くような勢いで疎外感を噴出させていった。

「かわいそうだな」

自分客観視する自分に気がつく。解離が始まった。早く戻らないと。早く自分に戻らなければならない。しかし、昼過ぎに始まった葛藤は定時の鐘が鳴るまで続き、何もせぬままそこからさらに三十分ほど放心して、私はとぼとぼと帰路に着いた。

明日会社を休もうと思う。

明後日会社を休むかもしれない。

そうすると明々後日には会社を辞めようかどうか真剣に考えるだろう。たぶん辞めはしないけど。

2018-04-15

教師視点

生徒は一度限りの学校生活教師である私にとってはルーチンワーク

「これは何度目の入学式か...」

そう思うと、ループもの主人公みたいで面白い

生徒は有限の時を生きる、私は定年までの悠久の時をいきる。ときどき有給を取る。

入学から卒業からなんて、一瞬のようだわ...」

そう思うと、教師が生徒を見つめる眼差しエルフ人間に見つめるものに似てきて面白い

2018-04-11

入学式で心をやられた件

子供高校入学式に参加した。

暗い体育館で始まるまでずっと待ってた。

式が始まり

退屈な話を聞いているうちに

なんで俺こんなとこにいるんだろうと思った。

式とか大嫌いだったじゃないか

学生時代の嫌な思い出がフラッシュバックする。

なんで嬉しがってわざわざ学校に来てるんだろう。

式の後、教室に移り

担任先生から学校生活についての説明があった。

その中で

規則を守れない場合は厳しく指導します。

とあった。

まるで自分が言われているようで

ああ俺ってやっぱり学校向いてないわ

と思った。

次に中学入学式

知ってる先生が元気なかった。

事情を知っているので

大丈夫かなと思ったが一応スピーチはしていた。

その後の記念撮影でも元気のない微笑で写っていた。

先生も大変だな―と思って

こっちも更に鬱になった。

なんかもう、しばらく式には出たくない。

2018-04-05

テストができる=頭よいではなかった

私は、学校筆記試験は得意で、地方国公立大学合格できた。

卒業して会社に入ると、今まで学校生活ではほとんどしかられたことなかった私が、かなりの頻度で怒られるようになった。

私の頭が悪くて上司の予想を下回る仕事しかしてないらしい。

頑張ってるけど成果にならない。

今まで頭がいいと思っていたけど、ペーパーテストができるだけのバカだった。

ペーパーテストできなければこんな場違い会社就職してしまうこともなかっただろうに

会社にも役立たずで申し訳ないし、自分しんどいし誰も得してない。

転職の業種はどうすれば一番回りに迷惑かけないんだろう。うまく自分テストだけできるっていう特性いかせるんだろう。

2018-04-02

SOGI(ソジ)ハラ

好きになる人の性別性的指向:Sexual Orientation)や自分がどの性別かという認識性自認Gender Identity)に関連して、差別的言動嘲笑いじめ暴力などの精神的・肉体的な嫌がらせを受けること。また、望まない性別での学校生活職場での強制異動、採用拒否解雇など、差別を受けて社会生活上の不利益を被ること。 それらの悲惨ハラスメント出来事全般を表す言葉です。

http://sogihara.com/

2018-03-18

海野つなみ『回転銀河』の復刊によせて

ドラマ逃げるは恥だが役に立つ』の原作者として

一躍その知名度を上げた海野つなみ氏は、

さまざまなインタビューで語られる通り

決してヒット作に恵まれ作家ではなかった。

ここにきて過去作品が見直され、知る人ぞ知る作品ではなくなっていることを

子供時代からの一読者として、心から嬉しく思っている。

今回の復刊版の帯には「恋と多様性を描き続けて30年」のコピーがついた。

実際、この『回転銀河』はある高校を主な舞台としたオムニバス作品で、

一巻に収録されているのは、

姉と弟の恋に始まり男子から男子への感情女子から女子への感情…などなどさまざまだ。

ただ、「多様性を描く作家」といわれると、

その「多様性」という言葉の重さに、私個人は少し圧倒されてしまいそうになる。

海野作品の「地味さ」について

海野つなみ作品は、いつも「地味」だ。

姉と弟の恋、みたいな題材を扱っても、

恋にならないごく微妙感情の揺れ動きを描いても、

なんとなく、いつも、地味だ。

そして、それが彼女作品の一番いいところだと思っている。

姉と弟の恋のエピソードは、読者のおたより欄で

「弟にドキドキしてしまった」という投稿から

「そういうことはあるよなあ」と思ったところから始まったという。

この「そういうこと、あるよね」というごく軽い肯定

海野つなみ作品の最大の魅力であって、

そして「なんか地味」な原因でもあると思う。

から弟への想いも、

男子から男子への想いも、

女子から女子への想いも、

彼等はみんな、「私とは違うそういう人たち」として描かれない。

「そういうこと、あるよね」

そういう視点のまま進められる。

それは「多様性を描いている」といえば確かにそうかもしれないのだが、

あなたと私は違う、そして認めあおう」という描きかたというよりは、

「私はたまたまそうじゃなかったけどさ、そういう感じになるの、あるよね」

という、まるで友達雑談しているみたいな、とてもニュートラル肯定だと思う。

多様性を祝ぐような派手さはない。

地味に、私たち生活の地続きとして、また私自身のある選択肢として「多様性」はある。

そこに単純にある。

そういう描きかたをする作家だと思う。

そして、それこそが海野つなみという作家稀有な美点であると思う。

(余談なのだが、2話目の主人公であるイズミという底抜けにいいやつな男子がいる。

 めちゃくちゃ落ち込んで半泣きで家に帰って部屋に閉じ籠ってるのに、「にいちゃん!俺のじゃがりこ食べただろ!」と弟にキレられたりする。

 そのごく短い家での場面で、隅っこの目立たないところに「ママは後妻」って書かれてある。

 彼の家庭環境はそれ以降ぜんぜん話に絡んでこない。

 けど、あ、わかる、と少し思った。

 イズミという少年の優しさや性格の奥行きが育まれた背景があるんだ、とふと思わされる。

 家庭環境が複雑な子は優しい、とか言うステレオタイプな話でなく、ただ、そこに地続きの「多様性」を思わされる)

海野つなみ作品スクールカーストについて

海野つなみは目の前のことを否定しない人だ、と思っている。

あるじゃん、こういうこと、という感じで描く。

『回転銀河』にはスクールカースト描写がたびたび登場する。

立ち向かうべき悪習としてでもなく、

陰惨ないじめとしてでもなく、

ただ、あるよね、こういうこと、として描かれる。

海野つなみ作品は地味だ、と私は書いたが、

その意味ではこの『回転銀河』では三巻くらいか

「美しき悪魔のような双子」という全然地味じゃないキャラクターが出てくる。

成績優秀冷静沈着、自分達以外に価値を認めない、少女漫画萌えキャラ煮詰めたみたいなやつらだ。

けれど、彼等も結局この海野ワールドのなかの住人だなーと思ったのは、

彼らの行動はこのスクールカーストにえらく縛られているのだ。

それをしなければ、彼等は自分達の生活を守れないと感じている。

海野つなみスクールカーストを「そんなのくだらない」と喝破したりしない。

あるよね、そしてそうやって自分を守る人もいるよね。

海野つなみという人は少女漫画をずっとかいてきたひとで、

そこで繰り広げられるのは確かに主人公ヒーロー恋愛なのだけど、

いつもその片隅に、学校という生活のままならなさ、人が人と関わりながら生きていることを描いてきた人だと思う。

恋がすべてにはならないし、恋がうまくいけば生活すべてがうまく回りだしたりもしない。

そういう、どこか突き放したような距離感描写してきた人だ(だから地味なのだが)(そして地味だから好きなのだが)。



海野つなみ社会派作家

海野つなみ作品は、恋愛はこうであるべきだ、からも遠く、

同時に学校生活とは社会とはこうであるべきだ、からも遠い。

逃げ恥」は社会派コメディだと言われたが、

それはたまたま彼女の描いてきたものにそういうメッセージを読み取ることもできたというだけだと思っている。

(めっちゃかいところではそれっぽいのあるけど、炊飯器Amazonで買わないくだりとか)

ただ、少女漫画の基本文法では捨象されがちなことを、

するっとごくさりげなく描くことができる。

社会派なのではなくて、ただ、人間関係というもの

近視眼的ではなく一歩引いた距離で描くことができるだけなんだとおもう。

そこにはスクールカーストがあるし、

少しだけ家庭環境の複雑な少年がいるし、

地味で恋愛物語主人公エントリーしない少女もいるし、

同性愛者もいるけど「同性愛ににている名前のつかない感情」もあるし、

男女の間にも恋に似ている恋ではない感情がある。

だって、いるのだ。そういう人は。いるじゃん。

そして海野つなみは彼らを無視しないし、

センセーショナルスポットをあてたりもしない。

ただ、いるよね、って描く。

ひどくさりげなくふつうに、いる。

海野つなみを語るときに絵が硬い、と言われることがある。

それはわかる(『回転銀河』はアナログ時代作画と思われるため、『逃げ恥』とはすこし感じが違うと思うが)。

けれど、もし海野つなみの絵が恐ろしく緻密な書き込みであったり、生々しく柔らかい描線であったら、

きっと「いるよね、こんな人」のようなある種心地のよい距離感はなかったと思う。

あのどこか生硬な絵柄だからこそ、すっと受け入れられるのだと私は思っている。

そして、あの絵柄だからこそ、時々ぎゅっと心を掴まれるような清潔でうつくしいコマがあることを言い添えたい。


【追記】

ごw本w人wにw見られたwwwww

地味地味かいすみません…好きです…

(センセーショナルに、ことさらお話のために感情煽り立てたりしない、地に足の着いた視点で描かれている、というようなことを伝えたかったのです)

kiss事情ロマンスたまごと学園宝島と西園寺さんと山田くんゴールデンデリシャスアップルシャーベットと豚飼い王子と小煌女が好きです…

レスコープダイアリーズの補完または映像化待ってます………

2018-03-14

anond:20180314001059

大学受験とき鬱々になって結局実力の8割くらいの中堅大学に受かった。

から考えるとギリギリ受かって不相応な大学毎日勉強勉強憂鬱になるよりは良かったと思ってる。

そこそこ頑張ればいい成績がとれて、でもよく見れば自分より成績が良い人がいるから卑屈にならず勉強する気になる。勉強しか出来ない人間になるより、学校生活が緩めで人間的に成長する方がマシな人もいるだろうし。

学歴大学就職率も大事だけどメンタル壊して退学になるよりはいいんじゃないかな?理系なら院進学で学歴アップ狙うのも有り。

大学受験偏差値が低くても、入学後育てるタイプ大学だと下手に高学歴よりいいかもね。

実力出し切っても到底東大なんていけない人間意見だけど

2018-03-04

エロマンガ先生』論:度重なる奇妙さとその正体について

※おれは原作を読んでおらず、アニメを全話視聴しただけ、つまり原作三巻までの内容しか知らない。
※『エロマンガ先生』という表記は、原作ではなくアニメ作品を指す。

この論考もどきの楽な読み方について

結論は最終項「みんな家族になりたい」に書いているんで、各項の見出しだけを読んでから最終項を読むのが最短ルートだ。

もちろん、全部読んでくれることにこしたことはないけれど、どこのだれが書いたかからない約6000字の論考もどきに付き合ってくれる人はまれだろうから全部読んでくれた人にはすごく感激しちゃうマジで


ラブコメ発生装置として学校を使わない=もう学校はいらない

エロマンガ先生』にはいくつも奇妙なところがある。中高生なのに小説家イラストレーターとして第一線で活躍しているのが奇妙だというのではない。現代日本舞台にした中高生ラブコメなのに「学校」がラブコメ発生装置として使われず、それどころか学校がほぼ出てこないのが奇妙な点のひとつだ。

エロマンガ先生』は「家」が舞台の中心であり、方向性でもある。これは長編ラブコメとしてはめずらしい。

1~8話、12話は和泉家、9話10話はエルフ大先生の別荘(家の延長)が舞台になる。出版社はたまに出てくる程度なのでラブコメ発生装置として機能しているとはいえない。

まりこれは、もう学校はいらないという宣言をしているということだ。

まったくもって小説家小説ではない

原作小説家小説家について書いている小説家小説だ。しかし『エロマンガ先生』は小説家小説として奇妙だ。

通常の小説家小説には、小説家あるある小説への熱意・展望愚痴小説論、作者自身体験談らしきもの、などが書かれるものなんだけれど、『エロマンガ先生』にはいっさいそういったことが出てこず、歯の浮くような理想論しか語られない(あんなことを本気で思っている小説家はいない)。また、さまざまなライトノベルが出てくるけれど、どれも超有名どころばかりだ。ふつうもっと自分の好みを推したり、もっとマニアック作品をあげたりするものだけれど、そういったことをいっさいやらない。

以上の二点からエロマンガ先生』は、本来的な意味小説家小説をやる気がないとわかる。

ストーリー人間関係は「小説小説」にたくし、恋愛はおいしいところだけを抽出する

では、なんのために小説家小説の枠組みを利用しているのか。それは話を二層仕立てにするためだ。

第一層目は、「小説小説」(作中でキャラたちが書いた小説)を媒介とした人間関係の構築とストーリーの起伏だ。

まず、疎遠気味だった正宗と沙霧をつないでくれたのは「小説小説」だ。正宗は、沙霧のために最高の妹萌えを目指して「小説」を書き、沙霧はその「小説」のためにイラストを描くという関係になっていく。

エルフ大先生、ムラマサ先輩とも「小説小説」によって関係が構築されている。正宗エルフ大先生の「小説」のファンだということでふたりは仲良くなるし、ムラマサ先輩にいたっては正宗の「小説」がこの世で一番おもしろいとまで言い、かなり積極的正宗アプローチをかけていく。

すべては「小説小説」でつながっている。

正宗が沙霧に告白するきっかけをつくったのも「小説小説」だし、ラノベ天下一武道会なんていう「小説小説」どうしの闘いがあったりするし、ムラマサ先輩が敵意を向けていたのは正宗本人ではなく正宗の新作「小説」だし、エルフ大先生の別荘で合宿をすることになるのも「小説小説」が根っこにある。

ストーリーの起伏は「小説小説」に依るところがとても大きい。

第二層目は、おいしいところだけを抽出した甘々な恋愛要素だ。

ふつうラブコメでは、主人公ヒロインとの関係性(恋愛要素)でストーリーの起伏をつくっていくため、ときには喧嘩をしたり、すれ違いがあったりとマイナス方向に話をもっていく必要もある。

エロマンガ先生場合は「小説小説」がストーリーの起伏を担当してくれるから恋愛要素で起伏をつくる必要がない。その結果、超ウェルメイドで、甘々な恋愛のみを抽出することに成功している。マイナス方向の恋愛要素がなにもないのにラブコメとして成立している。これはすごい

男女間の摩擦のない恋愛描写批判もあるだろうけど、こんなにうまく抽出できている長編作品の例はすくなくともおれは知らない。

やたらと凝っているエロシーン

ふつうラブコメエロシーンというのはおまけ要素だ。風でスカートがめくれて女の子パンツが見えて「ムフ」となったり(ラッキースケベ)、露天風呂ヒロインたちが「***ちゃんの胸大きい~」と会話していたり(サービスカット)、というものだ。

エロマンガ先生』のエロシーンは格がちがう。『エロマンガ先生』の場合エロシーンも「本編」であり、ストーリーの進行を補助していく。

たとえば、一話を思い返してほしい。エロマンガ先生の生配信を見ていた正宗エロマンガ先生が妹であることに気づき配信を切らずに着替えようとしているエロマンガ先生をドアを叩いて全力で止め、ネット上に妹の裸を晒すことなく済んだというシーンがあった。これはラッキースケベの応用で、一話でもっと重要なシーンだ。

三話の冒頭では、となりの無人洋館からピアノの音が聴こえてきて、もしかするとオバケかもしれないと怖がる沙霧の頼みで、正宗がとなりへようすを見にいくと知り合いの少女作家が裸でピアノを弾いていたというシーンがあった。これもラッキースケベだ。エルフ大先生名誉のためにも念を押しておくと、あれはエロシーンだ。エロと同時に話もすすむ。

このように『エロマンガ先生』のエロシーンは、ハプニングというかたちでストーリーの展開を補助する役割果たしている。これに加えサービスカット豊富だ。というかエロシーン・サービスカットのない回がなく、ものすごいサービス精神でもって甘々な恋愛を強化していく。

エロマンガ先生構造をまとめるとこうなる。

一般的な学園ラブコメの一例

学校――人間関係の発生―→恋愛要素(人間関係ストーリーサービス)←―サービスを強化――エロ

エロマンガ先生場合

【第二層】恋愛要素(サービス)←――――――――サービスを強化―――┐

      ↑                           │

     サービスを強化                      │

      │                           │

第一層】小説小説人間関係ストーリー)←―ストーリーを補助――エロ

学校は出てこないのに制服ちゃんと出てくる

あと、これはおまけ程度の話なんだけれど、この作品学校のシーンはほぼないのにヒロインがわざわざ制服を着て、主人公に見せにくるという奇妙なシーンがある。それも二回も。

普段は見られない、エルフ大先生とムラマサ先輩の制服姿が拝めるのはいい。けれど、ふつうだったら学校帰りという設定にでもしておけばいいのに、ヒロインふたり共に「男って制服が好きなんでしょう?だからあなたのために着てきてあげたんだよ」というふうなことを言わせる。

とても奇妙なシーンだけれど、つまりこれは、もう学校はいらないと宣言したけれど、学校生活の面倒くさいところを取り除いた女子象徴としての「制服萌え」は残っている、ということだ。

ここまでの話を三行でまとめる

エロマンガ先生』とは!?
学校なんていう公的領域は信じられない!!
信じられるのは己の仕事と、楽しい恋愛描写オナニーのためのエロネタ制服萌えだ!!というアニメ

でも、もうちょっとだけ、おれの話はつづくんだ……。

幼なじみキャラのあまり空気感山田エルフのお隣さん感のなさ

学校もいらないけど、「となり近所」もたいして重要じゃない。

智恵という幼なじみキャラがいる。この幼なじみほとんど活躍しない。「お嫁さんになってもいいよ」みたいなことを言うけれど、目立った活躍はそれくらいで、あとは正宗ラノベ談義に花を咲かせているだけだ。

また、エルフ大先生にお隣さんの感じがないことも気になる。お隣さんの感じがない理由はさまざまだ。初登場時にお隣さんではないこと、お隣さんらしい活躍を見せるのが三話から五話前半までの短い期間だけだということ、お隣さんのテンプレートをこなしていないこと(たとえば、朝起こしにくるとか、両親公認の仲になっているとか、いっしょに登校するとか)などが挙げられる。

幼なじみもお隣さんもさほど有効につかわれない。つまり、「となり近所」という公的領域重要ではないということだ。

みんな「家族」になりたい

学校」「となり近所」といった公的領域重要ではない。では、『エロマンガ先生』のキャラたちは、なにを支えに生きているのだろうか。みんな我が強いし、仕事成功しているから、自分ひとりの力で自立しているように見える。けれどそうではない。ましてや恋愛至上主義者の集まりでもない。

第八話「夢見る紗霧と夏花火」の終盤、こういうやりとりがある。

正宗打ち上げ、楽しかたか?」

沙霧「ふつう……」

正宗「この家にみんなが集まってくれてさ、みんなで同じもの食べていろんなこと話して、おれはすげえ楽しかった。その分みんなが帰ったらシンとしちまったな」

沙霧「兄さん、寂しかったの? あのとき電話、なんだかおかしかったから……」

正宗そうかもしれない。おれはね、ひとりでいるのが怖いんだ。おれの実の母親な、おれがひとりで留守番してるとき事故にあって帰ってこなかった。だから新しい家族ができて嬉しかった。情けないよな」

花火の上がる音)

沙霧「やっとわかった。兄さんは家族がほしいんだ」

正宗「うん、おれは家族がほしい」

沙霧「私は兄さんを家族だなんて思ってなかったし、兄さんの妹になんてなりたくない。でも、しょうがいから、ちょっとだけ妹のふりをしてあげる」

おれが『エロマンガ先生』のなかでいちばん好きなシーンだ。でも、いい話だというだけではなく、とても重要なことを言っている。

正宗は沙霧と「家族」になりたい。そして、沙霧も正宗「家族」になりたい。でも、いまふたり「家族」ではない。

複雑な家庭事情の結果、一軒家にふたりきりになってしまった正宗と沙霧が、どうやって家族になるか。それは第四話「エロマンガ先生」の終盤で提示されている。

正宗「なあ紗霧、おれにも夢ができたぞ。おれはこの原稿を本にする。たくさんの人たちをおもしろがらせて、バンバン人気が出て、楽勝で自立できるくらいお金も稼いで、そんでもってアニメ化だ!」

沙霧「それが兄さんの夢?」

正宗「ちがうちがう、こんなのは前準備だ。うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ、おまえを部屋から連れ出して、ふたりアニメを見るんだ。おれが原作で、おまえがイラストを描いた、おれたちのアニメだ」

正宗が熱心に語る「うちのリビングに大きな液晶テレビを買って、豪華なケーキにろうそく立ててさ[……]ふたりアニメを見るんだ。」というのは幸せな家庭のイメージのものだ。そして、「おまえ(沙霧)を部屋から連れ出して」というのは、沙霧の閉じこもり克服=ふたり家族になるための第一歩目という具体的なイメージ正宗はもっていることを示している。

まり正宗ヴィジョンはこうだ。ふたり作家イラストレーターとして協力して仕事成功させる、その成功は「家族になりたい」という夢につながる。
単純化すれば「仕事 → 家族」というヴィジョンだ。 

正宗と沙霧だけではなく、エルフ大先生やムラマサ先輩も家族の夢をもっている。

エルフ大先生は第九話で「結婚」を強調した愛の告白をする。両親がプロポーズをした場所で、両親の幸せ結婚生活イメージを、自分正宗が築くてあろう幸せ結婚生活イメージに重ね合わせる。ただ、父親とは幼いころに死別しているため、その幸せイメージは淡い。

ムラマサ先輩も七話で、正宗に「わたし専属小説家になれ」「印税のすべてをあげてもいい」と言い、後に愛の告白もする。セリフからは「ヒモ」のようなイメージが浮かんでくるけれど、見方を変えれば、世帯主の女が男を養うという家族といえる。

主要キャラはみんな家族の夢を支えに生きている。

ただし、正宗と沙霧が共有している「仕事 → 家族」というとても明確なヴィジョンに比べて、エルフ大先生とムラマサ先輩のもつヴィジョンは不完全だ。エルフ大先生のは曖昧すぎるし、ムラマサ先輩のは一方的すぎる(そもそも無自覚だ)。ついでにいっておくと、智恵(幼なじみ)は「お嫁さんになる」というフワ~ッとしたことしか言えてないので蚊帳の外だ。

ここまでの話で「仕事 → 家族」という考え方はおかしい。「仕事+恋愛 → 結婚 → 家族」と考えるのが常識なのではないかと思う人もいると思う。

率直にいうと、家族をつくるのに恋愛結婚をする必要はかならずしもない。『エロマンガ先生』において恋愛はおまけにすぎない。

前述したとおり、『エロマンガ先生』は小説小説仕事さえあれば人間関係を構築できるし、ストーリーがすすむし、家族の夢に向かって前進することができる。恋愛あくまサービス要素にすぎず、あってもなくても、なにも影響しない。つまり、おまけだ。

エロマンガ先生』における各要素の重要度は「恋愛 < エロ < 仕事 < 家族」というふうになる(学校、となり近所は除外)。

このなかで恋愛はおまけだから簡単に省ける。エロストーリーの補助をしてくれるけれど省こうと思えば省ける。仕事小説小説)はストーリー人間関係などさまざまに絡んでいるので必須だし、家族は最終目標だ。

よって「仕事 → 家族」が成立する。


結論エロマンガ先生』はこういうアニメだ。

家族になりたい」という夢を叶えてくれるのは学校やとなり近所といった公的領域ではないし、家族をつくるために恋愛をする必要はかならずしもない。家族の夢を叶えてくれるのは己の仕事のみであり、その仕事に耐えるために100%甘々な恋愛エロネタ制服萌えといった癒やしが必要だ。

おれは『エロマンガ先生』に共感してしまう。

家族をつくる=(常識で考えれば)結婚する、ということに恋愛はいらないんじゃないかとおれは思っているし、国や会社やとなり近所が直接的に手助けしてくれるわけでもない。会社がしてくれるのはあくま金銭的な補助のみであり、仕事をしていないとその恩恵あやかれない。国はほんとうになにもしてくれない。仕事こそが最重要だ。おれは会社に生かされている。そして日々の辛い業務から離脱すべく、おれはマンガアニメに没頭する……(宗教? 芸術? 知らない子ですね……)。

エロマンガ先生』はこういったおれの(おれたちの、おまえたちの)現実をしっかりと的確に描きつつ、荒唐無稽エロバカアニメを全力でやっているところがすばらしいところだ。

※追記 指摘のあった箇所を修正

2018-02-18

LGBTqのプライドとは

自分はFtXで、パンセクシャル(男女トランスわず愛せる)寄りのAセクシャル(性欲がない)と自認している。

学校では男装

積極的性自認セクシャリティについてオープンにしているわけではないが、聴かれたら答える。

隠しているわけでもない。

私が一番最初に「LGBT」について考える機会を持ったのは、外国人言語を教えあうようなコミュニティアプリに参加していたところ、各国の性的マイノリティの方の集まるコミュニティを教えてもらったあたりだった。

元々興味深かったし、当時は曖昧だった自身の性の認識を確かにするために、英語など外国語は全く不得意ながら参加することにした。

そこで盛んに唱えられていたのが「pride」である

当初私は何を指しているのかよくわからなかった。

pride意味はわかる。

なんで彼らは誇りを求めるのだろう。

もしかして辞書的な意味ではないのだろうかとさえ思った。

それから数ヶ月経ち、自分性別の違和、女性強制されることに耐えられなくなって、制服男性のものに変更してもらい、登校するようになった。

元々男子クラスメイト達のグループだったし、あいつはそういうやつだ、となって、全く問題なく学校生活が送れた。

だが後輩や他クラスの人から視線は存外冷たいものだった。

加えて、通学中にしても、わざわざ聞こえるところで悪口を言うような人もいるし、なんで女なのに?と見た目を変えてもなお女性強制する人もいた。

今一番困っているのは、公衆トイレ問題だ。

体は女だが、見た目は髪型まで男に寄せている。

どちらに入ればいいんだ。

どちらに入っても通報されそうだ。

もやもやしているのは、制服まで男性に寄せた私はともかく、なんとなくオカマっぽいキャラクター男子生徒が「オカマオカマ」と本人が否定していながら囃されることだ。私についてはそこまで執拗には言わないのに、中途半端だと茶化されるのか。

修学旅行の班決めの時は、男女別で分けたいという意見があったが、私がいたせいで基本的に混成の構造になってしまったのと、半端な性別ゆえに扱いにくいのか、これといったグループに参加していなかったのとによる「どこにいても迷惑なのでは」という考えに囚われ、少し仲のいい人にさえ声をかけられず、メンバー希望は全く叶わなかった。

私は独りなのかもしれない、と初めて感じた。

制服を変える前に、スカートを履きたくなさすぎて不登校になっていたときにも思ったのだが、どこにいても罪悪感が付きまとってくるのである

女性専用車両の話で「男と女」の対立構造の論を見ても、私はどちらにもいないんだな、と感じて胸が重くなった。

しかしたらトランスやnonbinary(日本ではX)は透明人間存在しないものとして扱われているのでは?とまで考えた。

そこでふと思い出したのが「pride」だった。

私は性別に負い目ばかり感じて、誇りが持てていない。

周囲の狭いコミュニティでさえ是とされていないと感じるものが、社会的に認められていると考えることは、若い私には難しい。

女性地位向上のためのシステムが「男女差別」と言われるのは、彼らの目に写る男女の像が「平等であることを指す本来好ましいことの筈なのだが、実際格闘技他のスポーツ特別に鍛えている女性でもない限り、男性の力に抗うことはできないのだから「pride」が損なわれている状態になる。

一般的自分の生まれもった性別に違和のない人のことをシスジェンダーと言うが、シスジェンダーの人でさえ誇りをもって「男」「女」として生きている訳でもないと思うのに、どうしてトランスが誇りを求めずにいられよう。

「ひとりの人間として」考えれば、男も女もトランスも何も変わらない。

ゲイでもレズでもバイでもヘテロ(異性愛者)でも、見た目だけではわからない。

それを何故排除しなければいけない?

何故一方的に損なわれた誇りを自力で回収しなければいけない?

そしたら周囲の理解や協力を求めるのも至極当然のことだろう。

女性専用車両場合は話が難しいが、少なくとも性的マイノリティについてはこの理論で通せる筈だ。

ヘテロセクシャルの人が同性愛者を気持ち悪がるのは構わない。でも排除してはいけない。

あなたは偶然異性にしか魅力を感じないだけで、両性共に魅力を感じることのできる人は、普通にいるのである

恋愛感情を持たないノンセクシャルの人だって結婚恋愛強制されることなんて必要ない。

同性愛者の権利向上を唱えるのは、なにも「あなた同性愛者になろう?」という誘いではないのだ。

異質なもの否定してしま心理はよくわかるが、マジョリティ言動が全て正しいなんてあり得ない。

あなたがもし異性愛者なら、心のどこかで覚えておいてほしい。

あなた同性愛者になる必要はないが、人の在り方を否定してはいけない。

2018-02-16

泰明小学校にお子さんを通わせている、保護者の方からメッセージです。

是非、シェアをお願いいたします。

---

賛否両論あります

制服が高い、高くない以前に、新しい制服を着させたい保護者と本人の意思で新しい制服を着たいという子供たちがいる事実は置き去りになったままですが、制服云々の前に…

この報道が加熱しすぎて、毎日毎日学校には報道陣が押し寄せています

学校帰りに『今日は楽しかったね』とか話も出来ないで厳戒体制の中、下校している子供たち。

警察から子供たちの身の安全確保についての連絡がありました。

学校電話回線パンクして、欠席の電話も緊急連絡も通じなくなり本当に困っています

子供がかわいそうとか言うのであれば、子供たちが1日も早く元の学校生活に戻れるようにして欲しい。

そして大好きな校長先生が責められている姿を見て悲しんでいる子供たちもたくさんいる。

そういうところから解放してあげたい。

子供の心と身の安全心配でならない。

悲しすぎます

万が一、子供たちの大好きな校長先生学校を去ることになった場合は誰が責任を取ってくれるのでしょうか?

私たち和田校長先生いるか学校安心して預けられ、子供たちが伸び伸びと楽しく過ごしていることも忘れないでください。

1日も早く元の生活に戻してあげたいです。

---

https://www.facebook.com/junichi.den.tanaka/posts/1808096515890791

2018-02-04

脱皮に失敗した蝉

自分のことを何か別の生き物としてイメージしてみろ、と言われたら、

私は自分が脱皮に失敗した蝉の幼虫だと例える。

多分小学生の時だ。

蝉の抜け殻は美しくて好きだった。

透明な飴色の細部まで奇跡のように形作られた精巧な殻。

夏になると私は、公園の木の幹を抜け殻を集めて回った。

それを見つけた時は、なんだか奇妙な抜け殻だと思った。

半分が白く濁ってその上に飴色の皮がかぶさって居るように見えた。

私はその時、多分まだ低学年で幼かった。

喜んで、その珍しい抜け殻を手にとって、母に自慢しようとした。

すごい抜け殻を見つけたよ、と。

ところが母は、少し顔を歪めて、

この虫は、大人になるのに失敗してしまったのね、

かわいそうだから、埋めてあげましょう、と言った。

そう、それはなんらかの原因で、脱皮の途中に息を絶えた蝉の幼虫の死体だった、というわけである

その時は、おそらく幼すぎて、脱皮に失敗した死骸ということは、よく理解できなったのだと思う。

でも、それは無意識下で私に強く印象付けられて、

今は脱皮に失敗した蝉は、強い嫌悪感とともに時折私の中に蘇ってくる。

あのくすんだ灰白い体、奇妙な手触り、かぶさった幼体の殻。

いつしか私は、まるでそれが自分のようだと考えるようになった。

大人になるはずであったのに、大人になれず、子供にとどまって居る事もできず、

脱皮を試みようとしたまま息絶えた蝉。

長い幼年期の果てに、脱皮はできずに、大人でもなく子供でもないまま息絶える生き物。

こうして実家の一室に三十代を迎え、とある長い修行時代の果てに失敗しようとしている自分が、

あの脆く醜い怪物めいた昆虫しか思えなくなっている。

別に誰が悪いというわけでもない。

不幸な生い立ちどころか、人が見れば、ひどく恵まれ人生に見えるかもしれない。

私の苦しみは、どこから来たものでもなく、

ただ、私が私として生まれて来たことに起因していると思う。

人は、不全の状態を様々な原因に去来するものとして分析しようとする。

親の教育学校生活における問題などの外的な要因、

今は発達障害人格障害などの内的な要因によって、

これまで原因不明だった社会的な不全、あるいは存在的な不幸が解体されようとしている。

それを目の前にして、もしかしたら私はもしかしたら自分傲慢なのだろうと思う。

そのような一般的病理説明で私の不幸を説明することを許したくない、というのが本心だ。

私の不幸は、私のものであって、誰かに理解されるものではない。

の子供じみた我儘を胸に大事に抱えながら、

脱皮に失敗したまま、自分が静かに腐っていくのを、

半ば愉快な気持ちも混じりつつ眺めているのである

2018-02-01

一生進級できない

大学生です不登校になってしまった

去年の今頃もそうでテスト期間に重い昼夜逆転と軽い引きこもりを起こして単位を全部落として留年している

無理矢理起きて登校を試みてもなぜか教室に入れないし図書館で寝てしま

別に学校生活で嫌なことがあるわけでもないツイッターで作ったオタクたちとの交友関係もあり孤立もしてない

まだ入学してから一度も単位を取ったことがないのでこの留年が一生続くんだろうなという気がしてやまない

病院に行けという話もあるがフットワークがそう軽ければこんなに困ってない

腰が重い

心配してくれる(後輩だった)同級生の「テストたか?」に対して嘘ついちゃうのが本当に情けなくて不甲斐ない

こんな不良債権にドボドボ学費融かしてくれる親の顔が見られない

むしゃくしゃして下宿で叫んだら薄い壁をドンドン叩かれてまだ深夜だったなと我に帰る

学問がやりたくて進学したのに学生に向いてなかったって自虐ネタももう笑えなくなった

労働も試したがどうにも身体に合わないし牛丼からも土方からも逃げてしまったしもうすぐ採点バイトからも逃げるだろうな

実家に帰ってニートをやることくらいしか生存手段を見いだせないがその逃げ道があるだけ幸せなのだろうか否

実家を出る前両親は主に俺の扱いでいがみ合っていたし盆と正月以外に居住してはあの幸せな家は壊れる

生活全般に苦手で部屋は臭い

俺も臭い

多分もう5日シャワー浴びれてない

何もわからなくなったので前に飯を食ったのが何時間前なのかツイッターを見ないと確認できない

干し忘れて何回も回すから洗濯物も臭い

去年はこれに加えてインフルと思しき体調不良があった

今年はまだマシだ否

登校できてないのにマシもクソもあるか

何を言いたいのかもわからなくなってきた

何もわからない

件の友人に助けを求めろという話もある

プライド邪魔なのである

そんななので先生単位をせびりに行ったり再テストを頼んだりもできない

他人に何かをお願いするのが怖い

有効なふうに「助けてくれ」を言うのが気恥ずかしくてだめだ

変にプライドは高い

高校までの18年間勉強は得意なつもりだった

定期テストは無対策壊滅だが模試の点数は無対策クラス上位」をしていた

中学担任には「絶対にお前を許さないし絶対に推薦入試は受けさせてやらない」と言われた

楽だった

テスト勉強をする習慣がなかった

苦もなく第二志望に現役合格した

大学入学して模試がなくなった

大苦手な学内テストだけになってしまった

俺が得意だったのは入試パズルだけだった

大学生活が上手くいってない大学生はいつまでも入試の話ばかりしている

生活が上手くいっていないアカウントはいつまでも非生活の話ばかりしている

どこで間違えたんだろうな

どこで道違えたんだろうな

はいつまでもインターネットで何をしているんだろうな

大学卒業したあとのことも何も想像できない

生活に向いていないし詐欺強盗でもしようかな

これをここに書いて俺は増田に何をしてほしいんだろうな

読者のこと何も考えてない本当に不親切なエントリーだな

諸兄ありがとうございます

もう一生進級できる気がしない

追記

少しずつやっていきます

ありがとうございます

2018-01-26

阿曽山大噴火2018年1月22日に傍聴した裁判について語る

阿曽山大噴火さんが2018年1月26日放送されたCBCラジオ北野誠ズバリ」のコーナー「3時にズバリ」に電話出演し、2018年1月22日に傍聴した裁判についてトーク。筆者の判断被告人被害者ともにイニシャル表記にしてますが、放送http://radiko.jp/#!/ts/CBC/20180125130000 )では実名トークしてます

阿曽山大噴火今日はですね、東京地裁で今週月曜日に行われましたO被告人の初公判の話をしたいと思います。もちろん実名報道された事件なんですけども。新聞記事によりますと、声優のUさんの殺害予告インターネット掲示板書き込み事務所業務妨害したとして警視庁山形県高等専門学校生O容疑者20歳逮捕した。容疑は認めている。逮捕容疑は去年の6月2日と5日インターネット掲示板2ちゃんねる」に自身携帯電話から明日Uをころすわ」などと書き込み事務所イベント会場周辺の警備に充てるなど業務妨害したとしている。

-中略(被害者である声優Uについての紹介)-

阿曽山大噴火起訴された内容は、去年の6月2日と5日、被告人山形県内の自宅から自分携帯電で2ちゃんねるアクセスしまして「明日くそ女Uをころすわ」などと書き込みしまして所属事務所7月16日までの間、数回の臨時会議を開かせ、さらコンサート会場の警備強化をさせ通常業務妨害したという内容。で、被告人は罪を認めておりまして、検察官の冒頭陳述によりますと、被告人前科前歴は無し、今回が初めての犯罪犯行当時には高等専門学校に通っていたんですけども事件後に自主退学している。取り調べに対して被告人はですね、学校研究卒論ストレスが溜まると2ちゃんねる書き込みをしてみんなが反応をしてくれることでストレスを発散していた。で、Uさんのスレッドを見ると元々誹謗中傷をする書き込みがあってその中で「ぶっころす」と書けばどんな反応があるだろうと思って10回くらいやっていた。

阿曽山大噴火)で、被告人高専にいたわけですよね。高専って工学勉強機械に関する勉強じゃないですか、だから2ちゃんねる書き込みもばれないような何か知識があるのかと思いきや、自分携帯普通に2ちゃんねるアクセスして書いてるだけ。

北野誠)ばればれやんか、それ。せめてネットカフェかなんかに行けよ。

阿曽山大噴火)自宅で自分携帯でということで。

北野誠)そのまんまやがな。

阿曽山大噴火法廷には被告人のお父さんが山形実家からやって来まして「普段から会話が無くて家族のせいでもあるかもしれない」と、泣きながら今後の更正を約束。そして被告人質問、本人に対しての質問なんですけども、まず弁護人がですね「何故こんなこをやったんですか?」と。そしたら被告人が「元々コミュニケーションをとるのが苦手で家の中でも家族と話さずインターネット上の人間交流することが多かったので自然とこうなった」で、(弁護人)「その内容が殺人予告だったのはなぜですか?」と、(被告人)「学校での勉強、将来の不安などの悩みがあり先のことも考えず書き込みをしてしまいました」すると弁護人が「なるほど普段から2ちゃんねる書き込みをしていて、やりすぎたことをかき込むと周りがすごいすごいと反応になるから」そしたら被告人が「はい、反応があるのがうれしかった。本当に殺害をする気持ちはなくて掲示板上でのやりとりが面白くてやってしまった」ということなんですね。で弁護人がですね「所属事務所警備員を雇ったりして70万円も費用がかかっているんですよ、迷惑かると思わなかったんですか?」と聞いたら被告人が「いや、このような結果になるとは思わなかった。本当に軽い気持ちでやってしまった」で、弁護人が非常に珍しい質問をしたんですけども「もし、あなたタイムマシーンに乗れるとして過去自分に何を言いたいですか?」と、被告人が「過去自分に会ったら、悩みをひとりで抱えないで家族に話してみろ、と言います」ここで質問は成り立ってますよね。さら弁護人は「じゃあね、タイムマシーンで戻ったのが書き込みの直前だったらどうですか?」どうゆう設定の質問なのかわからないですけど、

北野誠)んー、それで何になるねん、その質問

阿曽山大噴火)よくわからないですけど、被告人は「そうゆう書き込みをしちゃだめだ、と言いたいと思います」それを聞いた弁護人が「そうだね、じゃあ質問おわります

北野誠)何がええねん、なにしたかってんねんその茶番は。茶番茶番

阿曽山大噴火)変わった弁護人でしたね。

北野誠へぇ茶番やでそれ、なにやってるのかしらんけど。

阿曽山大噴火)で検察側の質問なんですけど「インターネット交流を求めたのは何故なんですか」と。被告人はですね、小学校中学校と通しての友人がいなくなってしまったので、どうやったら友達が作れるのかわからなくなって」それで検察官が「内に内にと籠るようになったんですね」と言ったら被告人が「そうです。ただ今後は人と会話していきたいと思います」つまり実際に人と喋らないことが原因だと被告人反省しているんですね。最後裁判官「今事件を振り返って、何が一番悪かったと思う?」と聞いた。すると被告人の答えが「学校生活の悩みから逃げてインターネットに逃げ込んだのが悪かったんだと思います」と答えたんです。そうすると、それを聞いた裁判官がですね、ゆっくりアドバイスしまして「コミュニケーションが苦手でインターネット依存していた、そこが問題じゃないと思いますよ。あなたはやって良いこととやっちゃいけないいことの区別がついていない、これが問題だと思いますよ」で、しかも「取り調べで『悪いことだけど、捕まらないだろうと軽く考えていた』このように言っていましたよね、これも間違っている。あとUさんの事務所あなたのせいで時間もとられ、お金もかかっている。なぜ正しい判断ができなかったんでしょう」と問いかけた。で被告品が「知識が足りなかったからだと思います」。(裁判官)「じゃ、なぜ知識が足りなかったのか考えてきてください」宿題まで出した。

北野誠)なんかこの裁判官の冷静な喋りと、さっきのタイムマシーンと設定が全然違うね。なんかもうグラグラする、その法廷

阿曽山大噴火)で、そのあと弁護人また爆発するんですけど、検察官被害は甚大であるということで懲役1年を求刑した。で、被告人はさっき言いましたとおり前科も前歴もないということで執行猶予がつくのは間違いないんですけども、弁護人としては是非とも執行猶予をつけてくれという弁論、なんですが、その弁護人の弁論というのが「被告人が本気で殺害予告をするならUさんの所属事務所ホームページに対してしてるはずである。今回書き込んだのは2ちゃんねるという低俗社会的信ぴょう性の低い掲示板なので実行するつもりはなかったのである」と。なかなか変わった弁護人なんですね

北野誠)そうやねー、なんかなぁ

氏田朋子20歳くらいの若い子やったら、2ちゃんねるだと見つからないと思っちゃう。やっぱり。ノリで書き込むみたなところもあるかな

阿曽山大噴火)ここまで報道されると思ってなかったんでしょうね

北野誠2ちゃんねる現在5ちゃんねるですか

阿曽山大噴火犯行当時はまだ2ちゃんねるだったと、現在5ちゃんねるです。判決は来週火曜日1月30日に行われる予定です。

北野誠はいわかりました。ありがとうございました

<書き起こしおわり>

2018-01-22

疲れる

体力がなさすぎて仕事部屋の暖房をつけずに過ごした

ファンヒータータンクを一階に運んで給油して二階まで運ぶ

無理 できない 疲れる

正社員じゃない、職場で2番目に若い、勤務経験も浅いのでこんなことを人に頼めるような立場ではないし

頼んだら頼んだで「すすすすすすみませええええぇぇぇええぇ~~~んンンゥッ!!お手数おかけしますゥ~~~~~!!!!!ありがとうございます!!ありがとうございます!!ありがとうございますうぅぅ~~ん!!!!!!」と大声で申し訳ない気持ち感謝気持ちを述べなければならない

つかれる

それなら一人寒さに耐えていた方がいい

体も口も脳みそもあまり動かしたくない

「つかれる」「だるい」は理解されにくい

頭が痛い、お腹が痛い、熱が出てるとかじゃないか

汗をかかないし気絶したりしないから誰にも気づかれない

毎日だるくてだるくて

体力があまりにもないことで学校生活仕事にずーっと支障をきたしているが解決方法がない

今の仕事は辛いがそれでもかなりヌルいのでこれ以下となると無職になるしかないのだろう

2018-01-16

私小説 不登校

私は中一の途中から不登校になった。

元はと言えば小学校高学年で「ハブる」という文化のもと、クラスメイトからの徹底的に無視をされたことが発端である担任との相性の悪さなども相まって、学校生活への自信や信頼をなくしていった。核家族共働き家庭の一人っ子の私は、学校では人と話せず、放課後時間も一人で過ごした。特に習い事などもしておらず、学校と家庭の二つしか生活の場がなかった私は人間関係における信頼や安心などを失い、自分の考えを人に話すことや言葉スムーズに出すことができなくなっていった。

そして中学入学環境が変わることを期待したが、結果的には悪化した。たいていの公立中学では部活動には強制参加させられる。しかし私が入学した中学校は全校生徒が少なく、文化部は一つだけ。他運動部一般的にはあるような部活がなかった。当時文化部に入るとスクールカースト底辺になる空気があり、私は運動部所属した。しかし、運動神経が良くない方だったため部活でもうまくいかず。小学校高学年で人間関係に対する安心や信頼を失った私は、中学出会ったクラスメイトともうまく接することができなかった。

そして決定打となったのは合唱コンクール「絆」「仲間」「大きな声を出す」「グループ練習」などといったものは当時の私には地獄だった。音楽時間が恐怖の時間になり、合唱コンクールが近づくにつれ朝練や帰りの学活でも練習を行うようになり、一日の始まりから終わりまで恐怖の時間となった。そこから学校に行けなくなるまでは簡単だった。学校に向かう足が遠のき、制服に袖を通すのが怖くなり、家から出られなくなった。共働きの私の家で朝一番最後に家を出るのは私で、一番最初に帰るのも私だった。そんな中で、朝起きて制服を着て仕事に行く親を見送り自分学校へ行かず無断欠席をするようになった。当然学校から固定電話電話が掛かってくるが、家には私しかいないため無視。親に連絡が行く。意外にも親は私が不登校になったことを受け入れてくれた。

会話からまり日常生活の行動全てに自信をなくした私は学校での学習電車に乗るといった行為もおぼつかなくなっていた。授業で先生から発問されれば、注目される恐怖や答えを急かされるような焦燥感で「わかりません」というのが精いっぱいだった。「私は何をしてもうまくできない」という強迫観念に襲われ、不登校の間に学習障害検査などを受けたこともあった。一人で家で勉強する分には問題なく、また中間テスト期末テストを受ける分には人と関わらず済むため、それなりの点を取れていた。

不登校だろうが、家から出られなくなろうが、無情にも時は過ぎていく。中二では、通知表は「1」「2」「-」がほとんどになっていた。中三が見えてくると頭をよぎる高校受験入試資料集などを見ると、入学選抜に当たっての内申点基準数字が踊っていた。家から出られなくても、学力低下だけは避けたかった私は家で学習を続けていた。当時、私の学力から出される偏差値は60〜63あたりであった。それくらいの学力層の高校では、おおよそ大半が9教科36以上の内申点基準としていた。一方、私の内申点は9教科で23地元工業高校ですらあやしい点になっていた。また、中二の時の担任は繰り返し私に面談の場を設けてくれた。私の話を無視したり、相槌を打たないなどということはなく、久々に会話ができることに感動した。担任もっと話したいと思うようになり、徐々に学校に行けるようになっていった。

この状況の中で、私には一つだけ自信が持てるものがあった。それは絵を描くことである。まだ学校に行けていた中一の初めに美術先生から風景画を褒められ、不登校になってからは家でよく写真模写などをしていた。授業にも出られるようになった中三一学期、今まで体験たことのなかった画材出会った。油絵である。失敗しても被覆度が高く上から重ねることができ、乾くのも遅くゆっくり描くことができるこの画材は私の中で革命的であった。人間関係で失敗を重ね、急かされることに恐怖を覚えていた私は、個人で取り組むことができ、ゆっくりと描ける油絵具に希望見出した。もっと油絵が描きたいと思い、誕生日には親から油絵セットを買ってもらった。もっと油絵を描きたいと思い、美術コースのある普通科高校への進学の意思を固めた。

その高校を受けるにあたり、偏差値は足りていた。美術コースを受けるにあたり、実技の力も合格するであろうという程度には達していた。しか問題となったのは、やはり内申点であった。担任からは渋い顔をされた。それでもやっぱり受けたい、あの高校に行きたいと思い受験制度などを調べ尽くした。すると、不登校などを経験した生徒のための特別選抜制度発見した。内申点度外視し、受験時の学力テストと実技、面接入学選抜を行うという制度だ。その制度担任に報告すると、なんと担任は知らなかった。50も過ぎたベテラン教員がその制度を知らないということにはがっかりした。その教員が受け持ったクラス過去不登校の生徒はどんな進路をたどったのか心配になる。

何はともあれ、私はその制度活用し無事志望校合格することができた。入学後は絵と勉強に励み、学力では上位10%あたりを維持し絵では県の高校美術展で賞を取った。

そしてやってくる大学受験もっと油絵を描きたかったので美大を望むも、家計が厳しく断念せざるを得なかった。幸い、学力はそれなりにあったため国立大教育学部美術専攻に進学することでどうにか油絵を続ける手段を得た。

時は流れ大学四年。義務教育時代に失った人間として生きる自信や信頼関係高校大学の友人と接するうちに取り戻し、バイトをしたり彼氏ができたりと一般的大学生として大学生活を送ることができるようになった。教育学部で学ぶ中で、義務教育時代自分メタ認知することができた。当時の自分と同じように人間関係に悩む子供に接し前向きな未来を示せたらと思い、教員の道を選び教員採用試験合格した。

卒業制作バイトに追われる今日、私が四月より働く予定の自治体では不登校の生徒が高校に進学する際の特別選抜制度が数年前に廃止されたと知った。

2018-01-14

anond:20180114145533

俺も大卒就活失敗してから5年ニートやってたけど今は就職支援事業所に通ってる。

毎日決まった場所に行ってだいたい同じ人と会ってっていうのは

夏休みでずれた生活リズム学校生活で戻すみたいに 隔絶された自分だけの世界社会のつながりになると思う

2018-01-13

[]ひさかたのおと

ひさかたのおとを読んだ。こういう物語大好き。ゆるーいアニミズムというか、超自然的な非日常と日々の暮らしが隣り合っている物語は、読んでいてわくわくするし何だか安心してしまう。

今のところ一話完結の連作ものでまとめてあるのも読みやすくて素敵。精緻な描画に宿っている力と効果的なオノマトペがどんどん世界観を広げていく漫画になっていると思った。

内容としては、都会で学芸員をしていた主人公が、靑島という架空の島の学校に赴任してくるところから始まるんだけど、あんまり学校生活に傾倒していないのが珍しかった。

かといって島の暮らしを詳しく描く漫画でもないし、とにもかくにも神宿る自然とのファンタジックな触れ合いに重点を置いている漫画だと思う。

雰囲気漫画って言ってしまえばその通りなのかもしれないけど、独特な雰囲気に溶けてみたい人やじっくりと浸かってみたい人にはおすすめしたい。

透明感のある漫画だったので今後が楽しみ。

2018-01-08

空っぽな私の半生を記す

小学生

バスケミニバス)をやっていました。

小さい頃から根暗で引っ込み思案。バスケというチームスポーツでは迷惑存在でした。

ある日、監督メンバー全員の前で、「お前チームで浮いてるぞ。」と苦笑いしながら言われました。

自分普通にしてるつもりなのに、みんなと仲を深められない。どうすれば浮かなくなるのかわかりませんでした。

元々私にとっては居心地の悪いクラブでしたが、監督一言があってからは、練習が終わったあとの後片付けの時間に、いつも倉庫に隠れて泣くようになりました。

辞めたかったのですが親に「辞めたい」と言う勇気すらなく、卒業しました。


中学生

ブスと言われ、クラスでいじられるようになりました。

私の行動や発言クラス中が逐一ネタにする、という、よくあるやつです。

幸い完全に孤立してはいなかったので、なんとかやっていけました。

私とよく一緒にいてくれたグループは、いわゆるオタグループなのですが、私はアニメ漫画ほとんど見ない人間でした。

グループ流行ってるアニメを見たりして、最低限の知識は抑えていましたが、オタク話題にはその程度の知識では通用しません。しかほとんどが腐女子だったのでもうちんぷんかんぷんでした。

ですので、話はすれど友達にもなりきれず、孤立を恐れた私は金魚のフンのようにグループにくっついて回りました。

部活は、経験のあるバスケをやりたかったのですが、小学校での苦い経験と、バスケ部メンバーが軒並みスクールカースト上位のいじめっこだらけだったので入りませんでした。

進学は、そこそこの進学校に行きたかったのですが、自宅から距離があったのでやめました。

こうやって、やりたいことをすぐ諦める人間でした。


高校生

いわゆる自称進学校入学しました。

友達がとうとう1人もできなくなり、完全に孤立しました。

この頃から、なぜか、本気で死にたいと思うようになりました。

1年生の後期くらいか学校を少しずつサボるようになり、2年になった頃には不登校になりました。

何もかもどうでもよくなり、自殺のことしか考えられない。1年生の頃はトップだった成績も、最下位レベルに落ちました。

担任心療内科受診を勧められ、鬱と社交不安障害と診断されました。数年通いましたが全くよくなりませんでした。自殺を図りましたか未遂に終わりました。

出席日数が足りず進学できなくなったため、通信制高校に転学して卒業しました。

昔は大学に行きたかったけど、この頃はもうすっかり頭が悪くなり、これまでの経験から学校生活でうまくやっていける気もしなかったので、大学進学は考えられませんでした。

高校卒業から現在

メンタル調子が悪いままだったので、社員として働けそうにないと思い、実家寄生しながら短時間バイトを始めました。バイト先でも浮いていました。

2年ほどバイト生活をして、「いい加減就職しないと」と思い就職活動を始めた矢先、精神科入院することになりました。閉鎖病棟で数ヶ月過ごしました。

そして先日退院しました。

特に良くなってはいません。

治らないのは、病気でもなんでもなく、ただの甘えでこうなっているからだと気付きました。

こうして振り返ってみると、私の人生に不幸なんて何一つありませんでした。家族もいたし周りも優しい人ばかりでした。全部自分の甘えや選択が招いた結果です。

周りの人は、「私はこれを頑張った」「努力した」と言い切っていて、心底尊敬します。

私は頑張ったことや苦労したことがありません。何もない半生になってしまいました。

私より怠惰な人はあまりいないと思いますが、もしいたら、福本伸行の熱いぜ辺ちゃんでも読んで頑張ってください。


死にたい

2017-12-15

女って「男の娘」好きすぎてウザい

男の娘と話してたら無性に腹立った

anond:20171211134237

今更だが、これ読んで「男の娘」に腹をたてる女性がいることに驚いた。

俺の周りにいる女は片っ端から男の娘」が大好きな奴ばかりで、うんざりするほどだった。

2012年頃の、ニコニコ動画全盛期は本当に酷かった。

当時は「若者テレビを見ないでニコニコ動画ばかり見ている」とか言われてて、

今は逆に若者からダサい」「オワコン」「むしろ知らない」とか言われてるのが信じられないほど大流行、というか若者話題の中心で

生放送では女装野郎がウジャウジャいて、

歌ってみたには女声野郎がウジャウジャいて、

それがアイドル視されて若い女に大人気。

こちとら微塵も興味もないのに、会社休み時間に同僚の女が

スマホ初音ミクの格好をした男の写真を見せてきて

「これ女の子に見えるでしょー?本当は男の子なんだよー」

「こんな可愛い子が近くにいたら惚れちゃうでしょー」

とか言ってくる。

はああああああ!?どう見ても男にしか見えねえわ!

こんなゴツいのが可愛い訳ねーだろ!

こんな汚物、惚れる訳ねーだろ!

と言いたいのを我慢して、「うんうん、そーだね」とこちらが話を会わせたが負け、

次々と色んな女装野郎写真を見せてきて終わんない訳ですよ。

もう二人目の写真見せられても、「はいはい、どうせ男なんでしょ」としか思えないじゃん。

それでも奴等は「これも女の子だと思ったでしょー?実は男の子なんだよー」とか言ってきて、

それに付き合わされるのがマジで地獄だった。

せっかくの仕事中の休憩時間台無し

素人の女声野郎アニソンカラオケしてる音声を延々聞かされて、「女の子が歌ってると思ったでしょー?」パターンもある。

会社の同僚の女、女友達、友人の彼女

俺の周りにいる女は全員これをやってきた。

普段は仲良くやってる奴等だから、内心イライラしてぶちギレそうだったけど我慢して付き合ってやったよ。

こんな時間無駄にするだけの地獄に耐えた俺は紳士マジで偉い。

で、理解できなかったのがこういう女って、冒頭にも書いたとおり女装野郎のことを「アイドル視」ジャニーズのような観点で好んでいる。つまり性の対象としている点だ。

女の子しか見えない」ってことは、要は

きゃりーぱみゅぱみゅを「可愛い」と言っている感覚なのかと思いきやそうではなく、

しっかりと男として認識し、なんなら「付き合いたい」とすら思っている。

男の娘」を可愛いという感覚は、女同士のときに言う「可愛い」とはなにか違う。

当時は「美少年」の新ジャンルだったのだろうか。

で、俺が最も嫌悪感を示したのは「男の娘」本人のスタンス

もちろん「ただ女装するのが楽しい」だけの男の娘が大半だろうが、

当時ニコニコ動画チヤホヤされていた「男の娘」は明らかに女性モテたくてやっていた。ファンの女とセックスしまくっていた。

これは俺の女友達2015年頃に打ち明けられた話だが、

2012年頃、その女友達は顔出しでニコニコ生放送をしており、「美人生主」としてそこそこ有名な存在だった。

ツイッターアカウントスカイプIDを公開してリスナー交流をしていたが、

ニコニコ動画で有名な「生主」「歌い手」たちは急にスカイプしてきたりツイッターにDを送ってきて、セックスを迫ってきたそうだ。

んで、当時ニコニコ動画のことしか頭になかったその女友達は、もちろんその「ニコニコ有名人」たちと片っ端から実際に会ってセックスしたそうだ。

オフパコ大会議」とかよく言われるが、カドカワが大赤字こいて大会議しなくても最初からオフパコ場所だったのだ、ニコニコ動画は。

まあ、そりゃあ俺の彼女でもない、ただの知りあいの女が誰とセックスしようが俺の知ったこっちゃないが、

この女友達も俺に女装男の写真を見せながら「この子本当は男なんだよー」と言っていた頃は、「男の娘」にハマっており

ニコニコ出会った「男の娘」とオフパコしまくってたそうだ。

わあ!自分セックスした男が女装してる写真をなにも知らない俺に見せつけてきてたってことかー。

すげえ捻れた変態行為だな!なんかめちゃくちゃエロい勃起しそう!

けど、相手女装させてセックスしたのかどうかについては教えてくれなかった。

男の娘」側もよく「自分ゲイではない、異性愛者。ただ自分を美しく見せたいだけ」と言うが、

それを「異性にモテるための手段」にするのはどういうことなのか。

なんで女装なんていう、面倒臭い手段を用いるのか。そのままでダメなのだろうか。

それに惹かれる女も、なぜあえて「女装男」なのか。

なんか色々面倒臭くて気持ち悪い。

で、俺がここまで女装男に嫌悪感がある決定的な記憶があって、

それは俺が高校生の頃、他校の女友達(さっきのニコニコの子とは別人)が

自分クラス女の子しか見えない男の子がいて可愛い」と

肥満児の男子女装した写メを自慢気に見せつけてきたことだ。

その学校では女子連中から可愛い可愛いチヤホヤされていて、その女友達チヤホヤしている一人だった。

学校には普通に男子制服で登校してくるが、常に女装グッズ一式を持ち歩いており

放課後女子高生の格好で、同じクラス女友達と街中を練り歩くという。

本人たちは「本当の男だと気づかれてはいない」と思い込んでいるようだが、

どう見ても肥満男子セーラー服を着ているだけだ。

放課後女子たちがその肥満児にメイクを施してあげるのだという。

で、セーラー服に着替えて街中を練り歩くのだが、

女装とき女子トイレに入るのだそうだ。

ちょっと待って!そいつ性同一性障害なの?」と質問したが

自分を男だと認識して、異性が好きな至って普通少年だという。

体は男だが自分女性だと認識する性同一性障害の子を他の女子と同じように接していたなら美談というか、とても素敵な学校だと思うが、これは口が裂けても素敵とは言えない。

お世辞にも顔が綺麗とはいえない、ただの肥満少年に化粧してセーラー服着させて、女子トイレ使うのを見ても何とも思ってないなんて、完全に頭がおかしい。

ただのド変態のスケベを好き勝手にさせているだけだ。

普通男子女子トイレに入ってくるのは嫌だが、その肥満児は別に良いという。

お前らは良いかもしれんが、他の女性絶対嫌だよ。

また、放課後着替えるのは女子たちも肥満児も同じ部屋であり、

肥満児は同じクラスの仲の良い女子の下着姿をほぼ毎日見ており、女子側は平気だという。

それでいてその肥満児には彼女がおり、放課後女子たちと街を練り歩くことには賛成しているという。

そんな肥満児、同じクラス男子からはさぞ嫌われているのかと思いきや、

案外「あいつは仕方ない」みたいに扱われて平和学校生活を過ごしているという。

それって絶対おかしいよ!

どう考えてもその肥満児はただの変態だろ!

けど、「そんなことないよー、いい奴だよ」の一点張り

その変態を野放しにするどころかチヤホヤする、

若い女のこういうところが本当に嫌だ。

こんなイカれた高校あんのか、と胸糞悪くなる話を聞かされてから女装男が信用できなくなった、

で、俺の周りには女装男が大好きな女ばかりで、冒頭のように終わらない「これ実は男なんだよー」に付き合わされることが多かったかウンザリしていたところに、

この「男の娘無性に腹が立った」女性増田発見して、ホッとしたんだ。

そうだよ、それが正しいリアクションだよ。

俺の周りという狭い世界だけの話だけど、ただのセックス目当ての女装男に甘すぎる女が多くて怖い。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん