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2019-10-13

anond:20191013215223

なるほど、元から気質はあったのね。

お金欲しいは現実的じゃないから、自分のできる範囲改善を目指す方が気持ちは楽だよ。

生活リズムを作ってm寝る時間を決まった時間に確保できるようになれば違ってくると思う。

仕事は必ず定時に上がれる?

もし無理なら上司相談するべきだと思う。

ただ、眠いだけでは説得できないから、現状を正確に理解すべき。

病院相談した?

睡眠障害から精神科心療内科に行ってみるのが良い。

多少、待遇は悪くなるかもしれないが、無理な事で頭を悩ます負担がなくなるだけ違うはず。

あとは、寝る環境を変える事とか、寝具を変えたり、不用意にインターネットをしないとか。

大事にね。

2019-09-18

追記発達障害を持つ社会人だけどそろそろ限界かもしれない

発達障害(ADHD)診断済み、ストラテラ服用。

かい作業に入り込んだら延々と出来てしまうが、全体像把握が苦手。

3歩歩くと忘れる鳥人間なのでリマインダーとメモ帳は必需品。

一定コミュ力はあるので初対面の方々とはすぐに仲良くなれるが、

仕事の細かいミスが積み重なることによる減点法で嫌われていくという日々。

通信簿にはかならず「落ち着きのない子です」と書かれてきたが、

別格の変人的なポジションに憧れを持っていたため(ハチクロ森田さんが大好きだった)

勉強はめちゃくちゃやってきたと思う。


就職活動は持ち前のコミュ力でなんとかなりいけいけなベンチャー入社

仕事はうまく行ったり行かなかったりのムラがでかすぎて、思いっきり好かれたり嫌われたりしてきたが、

ここで自身の生き辛さに思いっきり直面しADHDの診断を受ける。

更には睡眠障害も患ってしまい、出世コースを外れ社内業務に。

この時期に結婚をしたということもあり、

このままでは稼いでいけないという焦燥感から転職活動を行ったところ、奇跡的に大幅なステップアップができた。

激務ながら高給であり、今後生きていく上でものすごく能力アップできそうなところ。

現在転職してしばらく経過したが、現在管理職手前で大きな壁にぶち当たっている。

今の仕事上司が究極的に合わない。

不明部分を確認しようとすると「それをいま質問する意味わかっている?」

では資料を作り込んでいると「なんで疑問を聞きに来ないの?」

若干のパニックになって画面を覗き込むと「指摘時に目を逸らすくせあるよね」

各種調整、データ整理/分析を行っていると「今キミは何もアウトプットを生み出せてないよ」

多くの嫌味や強い指摘からその上司への声掛けをしようとすると、心の底のほうが小刻みに震える感覚が現れるようになった。


力不足/過集中/パニックになりがちな自分特性の合わなさを大いに実感している。

さら上司が非常に仕事ができる/そもそも役職が上なので何も反論ができない。

周りの方々がうまく渡り合えていることがすごく感じるし、

出世していく先ではこれができないと行けないのか……と絶望もする。


今後も死にものぐるいで王道仕事の道を突き進むべきか、

それとも現社内で別の生き方模索するか。

はたまた転職して仕事量も給与も下げて落ち着くべきか。

今岐路に立っている気がする。。


ダラダラと整理されていない文章を書いてしまったけれども、

みんな仕事本当に頑張っているよねって思いました。

みなさまいつもお疲れさまです。



追記

ブコメトラバ、共に見ています。本当にありがとうございます

第三者視点は非常に参考になります

先程も上司レビュー時に「資料の何を更新したの?」と詰められてしまいました。。

ちなみに転職は考えておりません。

職業としてもまだまだしがみついておちんぎんたくさん欲しいですし、

なによりプロジェクト単位お仕事なので、プロジェクトさえ終わればこの上司とはおさらばなのです。

プロジェクト発足時に毎回上司ガチャ状態です。

とはいえどんな方でも渡り歩けるよう、自分自身スキルもっともっと向上させていきたいなと思います

2019-09-14

ネトゲヒキニートメンヘラ陰キャラの就活日誌4

廃狩り専用の万年床と誇りまみれの部屋に掃除機をかけた

布団干した

シーツと布団カバーを2か月ぶりに洗った

きょうめっちゃくちゃかわくやん

来週の決戦日に備えて旅行荷物勝負パンツをいれた

ちょっとアドラー心理学勉強をした ネット

野菜をゆがいて新鮮な飯を食った

きょうは2時ごろ寝付けて8時半におきれた

まあ睡眠障害睡眠薬のおかげなんだけど寝れた・・・ちょっとうれしかった

2019-09-12

幸せ自覚たかった

いかもしれない

文章下手だけど書いたらすっきりするってあったから書いてみる

自分は数年前にFラン卒業した。

自分の家は金に困る家じゃない。浪人した上で受験時に体壊して(これは建前)そこしか通らなかった。

検索したらブスが多いとか言われていたけれど人にブスという人は自分の顔に自信があるのかな。自分の顔はちらかってんなと思う。けど人の顔には何も思わない。

そういえば中学生のころ病院適応障害と言われた。本当はサボり癖のあるだけで適応障害ぶっているんじゃないかと悩んだ。ほんとの適応障害の人は夜にこんなにネットしたり漫画読んだりしてるんだろうか。ほかの同じ状況の人がいなくてわからない。心配性で過保護の親が病院に行ってみろと言ったから、言われるがまま行ったんだったなー。医者には恥ずかしくて夜中ゲームしてると言えなかった。睡眠障害とも言われた。あってんのかな。

出席日数足りずに留年たから親にはとてもお金をかけさせた。奨学金制度は使っていない。関係ないけど大学友達はいない。

当たり前のように、就活には失敗した。いろんなバイトしてみてオフィスワークが向いていると思った。バイトで向いてるか向いてないか判断できてるのかわからないけどとにかく販売商品を勧めるとき人を騙してる気分になって向いていなかった。体力がないから立ち仕事は無理。消去法。

飲食バイトは向いてないと思ったが、三ヶ月でいいと言ってくれたところがあったので行った。やっぱり向いていなかった。従業員10人くらいの小さな自営で給料は手渡しだった。翌月支払いだったから辞めた次の月に給料を取りに行ったら元同僚がみんな黒い服を着ていた。一番仲の良かった人が「店長が亡くなった」と言っていた。自分の間の悪さを呪った。なんかバイトするのが怖くなった。3年のはじめから卒業までバイトはしていない。

就活をはじめたら説明会だの質問会だのに何度も行った。友達がいないから予定ゼロ

あるとき就活質問に答えてくれるという親切なイベントで「休むかもしれない持病あるけど言った方がいいの?」と馬鹿質問をした。

地元では大手会社面接担当からの答えは「言った方が安心。僕も持病があるから言った。でも受かった。大丈夫。」

セカンドオピニオンじゃないけど、一人の発言鵜呑みにしちゃいかんな。

書類はなぜか全通だったし筆記もほぼ通ったのに面接浪人期間に触れられ体調のことを言った。これがよくなかったと思っていたけど、面接自体が苦手だった。暗いのだ。暗いのが隠せないのだ。慣れだ、慣れだと言われたけど内定はもらえないまま3月になった。

三駅隣の駅の近くにある会社事務経験歓迎のオフィスワークバイト募集していた。応募したらオフィスワークではあったけど事務ではなく、アフィサイト記事を書くみたいな仕事だった。これは人生で最も人を騙しているような気になって、自分詐欺師になったようだった。毎日しかった。2ヶ月で辞めた。

クソみたいな職歴既卒就活をした。

3ヶ月間ニート。スネかじって生活した。企業研究面接練習が足りなかったと思ってありとあらゆる求人を見つけ気になったものに応募した。やっぱり書類は通る、筆記も通る。だけど面接では落ちた。

正社員とは名ばかりの最低賃金半年バイト扱いのものとか、事務に応募したのに事務はもう決まったか営業ならと言ってきた会社には通ったけどこんな最初最初に条件と違うこと言われたら信用できなかった。

結局正社員を諦めて契約社員求人に応募したらすんなり通った。何が足りないって、一番足りなかったのは自分レベルを把握する力だった。高望みしすぎだったのだ。そうか。

人生成功体験はぜんぶ妥協しか手に入れられない。

契約期間から正社員登用試験受けようと思っていた。でもブラックじゃないかもしれないけど上司はみんな早死にしそう。繁忙期会社に泊まったと笑っていた人もいる。これって当たり前なのかな?

よくわからないけど会社には、泊まりたくないかな。

あと、仕事上一番話す同僚の女が、一回り上の部長と付き合っている。これが面倒。気に入らない女や別の男の同僚と話していると嫉妬していたり入ってきたりしていて気持ち悪い。



そういえば、18卒の年下の幼馴染が少ししか就活せずに転勤ありの求人に受かって配属地告げられた瞬間家から遠いという理由で辞退した。転勤してもいいと、親から離れるならどこでもいいんだと、言っていたのに。

大学時代バイトしていなかったのによく遊びに行っている。家が金に困ってはいいから働かなくても遊んで生活できるらしい。最近は親の悪口毎日LINEしてくる。今もLINEが来た。

たまに悩んでるように見えるけれど物凄く羨ましい。ないものねだり。たいていのことを自分から動いて9割くらい失敗してきたか最初から何もしなければよかったんだと無気力になる。その方が傷つかなくてよかったのに。残してたバイト代も交通費に使いすぎた。

人と比べてもしゃあないし自分のことは自分しかからないけど体感だと自分は恵まれてない。内定もらってワガママで辞退して親の金遊んだら恵まれているという感情は得られそうだなと思った。

どんなに他人からみて恵まれていても自分で恵まれている自覚がなければ意味がない。自覚が欲しい。人に言われても何にも入ってこない。

まれてる自分幸せじゃないといけない幸せじゃないと思ってることが幸せ 気づけない 幸せ ああ幸せ

自分幸せじゃなくてだれが幸せだ あ〜〜幸せ!あ〜〜生きてるだけで幸せと思わなきゃいかんね!!!!ね!!!!働こうと思えて幸せ!!!自分の金で生きて幸せ!!!!親がお金出してくれて幸せ!!!!!!!!比較して人を羨むことが出来て幸せ!!!!!!!!

2019-08-28

木造アパートに後悔している話

木造アパートは防音性ゼロ絶対やめろ!とこれだけネットで警告が溢れている中、木造アパート一人暮らしを始めて現在進行形で後悔している話を聞いてくれ。

とにかく言いたいことは木造アパートはやめろというだけの話なんだけれど。

実家は一軒家で4人兄弟かつ祖父母も一緒に住んでおり、誰かが歩く音や話し声、テレビの音など常に何かしら聞こえている。

職場とある工場勤務で、常にガタンゴトンと大音量機械の音が聞こえたり、スタッフが走り回る音や勤務報告の大声が飛び交う。

そんな騒音がする中でも家ではグッスリ寝ることができ、職場でも日勤の昼休み夜勤中の休憩時間バッチリ休めている。

なので、防音性がそこまでなくても大丈夫だろう!と余裕ぶっこいたのがアホだった。

他人」の出す「なんだか分からない音」は強烈に不愉快なのだ

実家職場での大音量騒音は「慣れ親しんだ家族」「顔見知りの同僚や上司」が出していて「何から音がしているか」が分かっている。

しかアパートでする音は「顔も知らない誰か」で、「何をして出しているのか」が全くわからない。

現在住んでいるアパートは、幸いにも隣人や上下階の人が特別うるさい訳ではないと思う。

実際、アパートでの音は職場機械音に比べたらはるかに小さい。

それなのに住みはじめて睡眠障害になるほど音に敏感になってしまった。

物がぶつかるようなガタンゴトン!床を叩くようなドンドン椅子を引きずるようなゴゴゴ!

1つ1つにビビちらししまい、引っ越して1週間目は殆ど眠ることが出来ず滅茶苦茶に後悔した。そして今もしている。

手が滑って茶碗を落としてしまった直後、隣の部屋からガンッ!と音がした時には恐ろしすぎて良い歳してマジ泣きした。隣の人が何かするタイミングが被っただけかもしれないが、激怒して壁ドンしたのかもしれない。そう思うととにかく恐ろしい。

木造アパートに引っ越すことを考えていて、私と同じように「自分には騒音耐性があるぜ!」と安易に考えている人は「他人の出す何をしているのか分からない謎の音」に耐えられるかをもう一度考え直してみて欲しい。

私は社会勉強になったと思って、ボーナスが出たら次は鉄筋コンクリートマンションに住むよ。

2019-07-30

看護師のN山さんへ 病院辞めました

病院の人事などに以下の文を送ろうと思っていましたがやめました。

病棟はとても大好きだったので。

あなたに言われたこと一生忘れないと思います

**********

解離症状が出現した原因について

1. 出来事

2019年2月21日解離症状が出現し労務不能状態となった。

2. 原因

同僚N山さんとの関係、いわれたことで悩み精神的に不安定となった。

別紙参照。

3. 発症からの記録

2月21日 女性二人(H師長、K師長)に病院まで連れられ、採血と頭部MRI撮影実施精神医師を名乗る男性(O医師)より問診あり。実家帰宅したほうが良いとアドバイスあり、実家帰宅

3月12日 G病院受診。45分ほど個人心理士による面接GHQ検査あり。その後、医師診察開始。生育歴、症状、経時記録などを使用して説明する。ストレスによる解離状態が出現している可能性があり、その状態に蓋をするか上手く付き合っていくかという選択がある。症状の落ち着けや気分のむらについては投薬が効果があると説明受ける。解離に対してはエビリファイ3㎎を内服開始、不眠についてはブロチゾラム使用して治療すると説明うける。採血(生化、HbA1c、FT4、TSH)あり。

3月17日 3時半頃まで寝付けず。希死念慮あり。コードで二度ほど首をしめることがあったため、次回診療日を待たず、19日受診し頓用でのクエチアピン処方受ける。また、ブロチゾラムニトラゼパムに変更となる。

3月26日 休養を優先で生活確認

4月9日 休養優先で生活確認

4月24日 ニトラゼパムの薬効薄く、ロゼレム追加あり。5,6月休職し休養すると相談

5月7日 ニトラゼパムを中止し、エビリファイロゼレムで内服を調整する。解離症状出現していないため徐々に減薬する方向性でよいのではないか医師よりあり。クエチアピンはほとんど使用していない。

5月21日 抑うつ症状悪化。休養時間やす。薬の増加はなし。

6月4日 休養優先で生活確認7月関東に戻ること決定。甲状腺ホルモンフォロー採血実施

6月20日 休養優先で生活確認

7月2日 H県での受診は終了。

4. 症状

身体症状便秘、腹満感、曖気、嘔気などの腹部症状。下剤、制吐剤の使用、食欲不振、夜間過食、排尿困難、動悸、悪心、過呼吸、振戦、頭重感、頭痛

睡眠障害:いつか患者を殺すのではないかという考えにとらわれ入眠、休息をとることが難しくなった。勤務後21時頃に就寝しても3時頃まで寝付けない日々が続いた。眠りが浅く。寝ている間も常に身体が浮いているような感覚があった。中途覚醒もあった。

幻聴:夜間帯に流涙することが多くなり、それに伴って患者を殺す、患者を殺すという幻聴がみられた。また、同様の独語があった。

不安症状:N山さんと一緒の勤務帯では自分インシデントを起こし、人を殺すのではないかという考えで頭が働かなかった。患者安全・安楽よりも自分が何かするのではないかという考えにとらわれた。

被害妄想:2年目フォローや同期に対して、この人たちに助けを求めたら、この人たちが報復を受けると考えるようになった。また、メンバー全員が私を駄目な看護師であると思っていると考えるようになった。

 落ち着かない

 気力が出ない

 物をなくすことが多くなった。

別紙 具体的原因

 N山さんより、ほぼ毎月一回は「患者殺す気?」、「患者が死にます」、「あなた看た次の日に(患者が)具合悪くなってるよね。そのうち(患者を)殺すよ。」、「仕事舐めてるの?」と言われた。

 受け持ち患者検査時に出血を伴う状態となったため、16時20分ごろ帰室したが、酸素投与、モニター装着などしていたため当日リーダーだったN山さんへの送りが30分近くになった。送り必要と考えたため声をかけたが、「いらない。もう時間です。」と言われた。その後、リーダーへの送りはせず、夜勤者に直接送りを行った。30分ほど経ってからNさんよりさっき何かあったのかと聞かれたため報告すると「何言ってるか意味がわからない。そういうのは報告してください」と言われた。

夜勤中、休憩直前緊急入院患者の受け持ちとなった。手術の戻りが前半休憩中に重なりそうだったため、休憩は後半を希望した。病棟が落ち着いていたため、私はリーダーのN山さんと休憩のペアを組むと思っていたが、N山さんは点滴交換量が多いため前半に休憩はいると決めた。他看護師2名(1名はリーダークラス)が緊急手術の戻りがあるため、リーダーは一緒にいた方がいいのではと助言してくれたためNさんと後半休憩に入ることとなった。戻ってきたオペ患者の創部から出血あり。Nさんに報告し、医師にも報告したほうがいいだろうかと確認すると「何言ってるの。意味わかんない。」と言われた。実際に一緒に創部確認しやはり出血が持続していることが分かった。来棟していた医師に報告し創部縫合処置となった。

夜勤リーダーN山さんに送り中、日勤メンバー残業している中、「日勤メンバーがうるさくてあなたの送りが聞こえない」と私に言い、それを日勤メンバーに注意するのではなく、二人で注射室に移動して送りをするようにと促される。送り中、「は?」「意味わかんない」と連呼される。

 勤務交代時に麻薬の指示変更があったため日勤者に申し送りをしているとその指示はもう日勤帯での指示であるため残りの記録を書くことを優先しろと言われた。

夜勤帯に変更になってから1.5時間ほど経過してから日勤帯で受け持っていた患者の点滴が滴下していないため刺し直しをして、と命令された。交代時には点滴は滴下していたし、滴下にむらがあることも申し送りで伝えていたためなぜその時間に私がさし直しをしなくてはいけないのか不明だったが、身体が竦んで反論できなかった。

ナースステーションに本人がいるにもかかわらず、休憩室でその人たちに対してプライドが高い、仕事ができない、みんな嫌いでしょ、といった会話をしようとしており、不信感が出現した。

2019-07-01

anond:20190701035617

睡眠が足りないと抑うつ症状が強まるのは医学的に証明されているから、こんな時間に起きているってことはそれだろう。

からでもたっぷり寝てくださいな。仕事より睡眠を優先するくらいの方がいいと思うよ。

というか仕事パフォーマンスが落ちて頭が悪くなっているという自覚症状も、睡眠障害に起因するのでは?

2019-06-17

このまま寝ちゃうと朝起きておしっこしてシャワーあびて朝食とって会社に行かないと行けないんだと思うとなかなかねつけない、こういうのも睡眠障害かな

2019-06-11

anond:20190611125126

本人の努力ではどうしようもないのに日中の眠気に襲われる睡眠障害の人々もいるしね。

2019-06-09

心療内科に来る前に十分な睡眠時間取れはガチだと思う

寝れないって言うなら睡眠障害方面でまずは医者にかかるべき。

とりあえずで精神科に行けば全部治るって考え方はアカンわ。

2019-04-29

人生を振り返る

私の体に異変が起こり始めたのは、中学生の頃だった。

眠い。とにかく眠い寝不足かと言うとそうではない。10時には寝て6時半に起きていたので、けして夜更かしはしていなかった。

授業中に居眠りが増えた。成績は良かったので、先生にはおそらく調子に乗っていると思われていたんだろう。ネチネチ言われることもあった。普通に居眠りはよくないことなので反省するけれど、一向に治らない。

私の居眠りはついに不可解な展開へ。合唱練習の途中に、立ったまま寝るようになった。隣の子にぶつかって慌てて起きて、しばらくするとまたうとうとして前の人にもたれかかって、を繰り返した。みんな優しかったので「ウケる〜」と笑ってくれたのが救いだったが、私は「やべえ」と思っていた。

仲のいい国語先生がいた。いつも私を褒めてくれた。(でもむっちゃ厳しくって同じくらい怒られた)その先生最近居眠りやばいんだよ〜、って話をした。他の先生みたいにてっきり怒られるかとおもったが、国語先生は顔色を変えて「はやく病院に行って診てもらいな!」と、印刷したWebページを見せてくれた。

そこには「ナルコレプシー/特発性過眠症」と、耳慣れない言葉が書いてあった。

結論から言うと、私はナルコレプシーではなかった。特発性過眠症の特発性、というのは原因不明みたいな意味なので、当てはまるとしたら後者ですな、と医者に言われ、薬を処方された。

発達障害ADHD)が睡眠障害を併発する。このことを知ったのは、大学生になってからADHDの診断を受けた時だ。中学生当時、このことは、まだ知られてなかったか、もしくは研究の段階だったのだと思う。だから私の居眠りは「特発性過眠症」として処理された。

まあ、ともかく、診断名がついたことで、誤解が解ける!そう思っていたのが甘かった。

居眠りをしてしまった分、積極的に授業中に発言をしたし、テスト結構対策して8割は維持していた。成績も、体育以外すべて5になった。でも、そのうちわけの「関心・意欲・態度」はずっとBだった。Aをくれたのは国語先生だけだった。

職員室で、とくはつせいカミンショーなんです、と言ってみた。「ほんとにそんな病気あるの〜」と笑われた。悲しかった。

今なら、中学生なんてガキの言うことだし、真面目に受け取られなかったんだろう、とか、成績のつけ方も決まりに従っただけで、理解されなかったわけじゃないんだろう、と思える。しかし、当時の私はそれはそれはショックで、ついにふてくされてしまった。

「頑張っても報われないじゃないか」「だったらもうこれ以上がんばりたくない」そう思うようになった。

私は、「がんばる」ことは他者から評価を得る、ということでしかなく、自己評価他人依存しすぎていた。褒められなくなったら頑張る必要もない、そう切り捨ててしまったのだ。なまじさかしらだったために。

早熟は未熟に終わる。そんな言葉をずっとあとに知ってから、私のことだ、と思った。

高校入学してその傾向は加速した。しかしまだ、1年生の前半は、部活勉強に、頑張っていた。部活合宿も楽しかったし、成績は中学に比べて落ちたけど、がんばって平均点を超えよう、なんて思ってたのだ。

秋の中間テストは、ばっちり対策をして、いい感じだった。明日は最も苦手な数学だけど、いつもより勉強たか大丈夫、そう思いながらお風呂に入っていた時だった。

部活楽しい彼氏もできた。成績は良くないけど勉強もがんばろうって思える。なんて幸せなんだろう。充実感に浸りながらふと、せっかくこんなに楽しい人生なのに、いつか終わりが来るのか、と思った。その瞬間、地獄の引き金が引かれた。

私は風呂を飛び出して、リビング晩酌をしていた父に、「死んでしまう、怖い」と泣き叫んだ。父は困惑していた。

そこから記憶は飛び飛びだった。怖い、怖い。一晩中叫んでいた。母親はいい加減にしろと怒られた。

目に入るすべてのもの死の恐怖に結びついた。窓を開けたら飛び降り死ぬ電球の紐で首をつって死ぬ。好きだったバンドポスターを見ても、メンバーが二人死んでいる。死ぬってことは全てなくなるということ。なくなるのが怖い。怖すぎる。

ほんとうにほとんどのことをどうやって乗り切ったのか、記憶がない。必死病院に行きたいと訴えて、精神安定剤を処方されてから、ましになった。たった一錠の薬にあれほど感動したことはない。

こうして私は、特発性過眠症にくわえて、パニック障害も背負うことになった。そのせいで過眠症の薬も一時中断した。もう、ここまでくると、頑張る気力もすべて削がれた。部活もやめ、勉強もしなくなった。彼氏には振られた。ギャンギャンうるさく愚痴をこぼす私に、親友は当たり前のように愛想をつかした。

高校時代は、たくさんの人に迷惑をかけた。誰にも理解されないという思いをこじらせて、奇行に走った。宿題は当然出さなかったし、私はこれでいいって思っていた。突然泣き出したり、人に迷惑をかけても、「こういう風にしか生きられないんだから仕方ないじゃん」と開き直っていた。いつも自分被害者だと思っていた。

人に迷惑をかけるメンヘラっていうのは、自分は変わらないと思っている。変えようとしても無駄から、人に迷惑をかけて生きていく。そうしてますます孤独になって、こじらせていって、それでもどこかで、こんな自分をそのまま愛してくれる人が現れてほしい、と都合のいい幻想を抱いている。

変わろう。そう思って、やっと生活が劇的に向上したのは、

もっと後の大学2年の時だった。それまでずっと、私は被害者ヅラをして生きていた。

そんなこんなで、当然受験もうまくいかなかった。ほぼうつ状態で、毎日寝るかスマホいじるか、勉強しようとノートを開いても、ノートの綴じ目を見つめるだけで平気で2時間くらい経ってた。親にためしにうけなさいと言われて受けたいわゆる早慶は、受験料と、地元から上京資金で、合計20万近く払ってもらったが……白紙で出して帰ってきた。雪の深い日だったと覚えている。

親は私が進学校に入ったこである程度頭いいものと思っていたようで、まさか滑り止めに落ちるとは考えておらずショックを受けていた。私は滑り止めは白紙で出さなかったので、普通に頭が悪かった。

私は浪人したいと親を説得した。どこかで、開き直りきれずに、また中途半端プライドを振り回して、早慶に受かろうと決めた。

なんとなく、学歴があればクソみたいな人間でも生きていける気がした。

上京して寮に入った。狭い世界で生きていた私は、自分がどれほど恵まれいるか当時わからなかったが、こうして東京に出てきたことは大きかった。

パニック発作ピークより治まりつつあったが、たまに思い出したように襲われる日々は変わらなかった。過眠症も変わらず、せっかく高い学費を払って予備校に来ているのに一日中寝ている時もあった。そして、圧倒的に集中力がなかった。みんな平気で8時間とか勉強しているのに、私は1時間と持たない。そんな自分イライラしたし、当然E判定ますます腹が立った。

ある日、英語の長文読解を説いていた時。課題文は、『アメリカにおけるADHD診断の増加』。ADHDとは…?

調べると、すごく自分に当てはまっている。これ、私のことでは?

しかし、病院で診断を受けるまでに長い時間がかかること。お金もかかること。なにより親に言い出しづらかった。

頭をひねっていると、私が過眠症の時に処方されていた薬が、かつてADHD治療に使われていることを知った。確かにあのころ、居眠りに薬は効かなかったけれど、成績がすごく上がっていたのを思い出した。これだ!

私は過眠症診断書を持って睡眠クリニックに駆け込み、無事薬をゲットした。

そこから成績はみるみる伸びた。(⇦ことわっておきますが、こういう薬の使い方はダメでした。スマドラってやつです。安易にこういうことをすると、規制されてほんとうに必要な人に処方されなくなってしまうかもしれないので、ダメです。私はたまたま睡眠ポリグラフデータ等諸々あったので処方されたので、普通の人が過眠症かもって病院に行ってもこの薬はもらえません。)

生活に余裕ができると、友達も増えた。隠れ家バーで行われる読書会とか、社交的な場にも参加するようになり、たくさんの大人相談に乗ってもらえた。地元にいた頃じゃ考えられなかったような出会いに恵まれて、少しずつまともになろうと思い始めた。けれど、そうすぐには変わらないので、一進一退を続けた。

春、私はなんとか早慶に補欠合格し、進学した。

今度こそ、人生は良くなる、と思った。

そんな期待に反して、私はうつ病を患った。友達もいたしきぼうの専攻にも進めたのに、生きていくだけで溜まり続けたストレスが爆発した。居眠り、パニックを経て、「どうせ頑張ってもどうにもならない」という無力感が次第に私を蝕んでいった。おまけに、どうがんばっても遅刻するし、レポートも出せない。だんだんすべてがプレッシャーになり、気づくと一日中ベッドで過ごしていた。電車に乗ると酔って一駅で吐いてしまう。がんばらなきゃ、がんばらなきゃ、ここまできたんだから。そう自分に言い聞かせても、からだは動かない。部屋はぐちゃぐちゃでハエが集り、三日風呂に入れなく、自分から信じられない臭いがした。ますます参っていった。

精神ますますやばい方向へ向かっていった。私は悪くない。世の中が悪い。本気でそう思うようになった。よく、ツイッターで「沼w」と笑われている、電車でさわいでいるおばさんの動画。私はあんな感じだった。だから私は、大学でみんながちしょ*とかいってるのが怖い。あの人たちの気持ちがわかってしまう。余裕がなくなってしまったのだ。

電車で隣の人の靴をわざと踏んだ。そういうことした日は家で泣いた。優しい自分になりたいのに、人に悪意をぶつけてしまう。

歯医者の予約に間に合わなかった日。受付の人に、「三十分以上の遅刻診療できません」と言われた。私は遅刻したくてしたわけじゃないのに!

受付のお姉さんが差し出した手を、わたしははたき落した。お姉さんの顔は、恐怖でも驚きでもなく、ゴミを見るような目だった。

泣きながら家に帰った。精神科医には、「他害が出るなら、入院検討してもらいますが」と強い口調で言われた。

変わりたい、でも被害者のふりがやめられない。私はもうわかっていた。私は加害者だと。

発達障害の診断をしてくれたのは、別の医師だった。主治医斡旋で、専門の医師のもとに行った。

あなたはもともとすごく天真爛漫で…でもきっと、いろんなことがうまくいかなくて、自信をなくしてしまったんだろうね。もう大丈夫だよ」

その言葉は、今でも忘れられない。こんなクズに、優しくしてくれる人がいるなんて。そう思った。

私はすべてをぶちまけた。中学のこと、高校での過ち、自分の態度が悪くて人に嫌われたのに開き直ってしまたこと、部屋が汚いけど本当はともだちを呼んだりしたかった、高校の時ひとりでお弁当を食べたくなかった、大学サークルでがんばりたかった、それなのに全部自分台無しにしてしまった。

医師は、すべて受け止めてくれた。彼が主治医になって、心理検査カウンセリングを行い、新たな治療がはじまった。

発達障害向けの治療を始めて私はぐんと生活が向上した。鬱、パニック障害ともに、今では症状は寛解。居眠りだけはまだたまにしてしまうけれど、生活に支障はない。レポートも出せるようになったし、部屋もそれなりに片付いた。まあまあ安定した生活を送れるようになった。

副作用が出たので、現在は薬も飲んでいない。ひとをいたずらに傷つけることもなくなり、たくさんの友達ができて、ずっと欲しかった日々が手に入って、2年以上経つ。

この2年は、本当に幸せだった。

人に悪意を向けることもなくなった。なんか考えてもしょうがないな、と思えるようになったし、ほんとうにあの時はどうかしてたんだと思う。

自分が報われない悲劇のヒロインだと思っていた頃が恥ずかしい。

今、ことさら自分が不幸とは全く思わないけれど。新たな悩みができてきた。

この2年間で、人並みに社会生活を送れるようになり、「私もやればできる」という自信がついた。

最近、また不注意が増えた。しかも、自分がそうと気づかないうちに失敗は起こる。

バイト先で、店長に渡してと頼まれ荷物を、頼んだ人も荷物も目の前にあるのに、店長が来てからもすっかり忘れていた。思い出したのは一週間後だった。普通の人だったらしないような不注意が増えた。

出席カードを隣の人の分も回し忘れる、メールを一方には返信してもう一方には返信し忘れ、無視しているのかと怒られる、数えたらきりがないが、その全てを私は「大丈夫」だと思って行動している。だから疑いようがないうちに、ミス回避できない。普通の人はそんなミスしないから、怠けか、悪意か、そういった目で見られる。これは当たり前だと思う。

なんとかして、ミス回避したい。人にもうこれ以上迷惑をかけたくない。それが新たなプレッシャーになりはじめた。

メモをこまめにとるようにしてはいものの、一向にうまくいかない。

まあ、自分も変わるわけだから、不注意が増えたら今までとは違う対策をしなきゃいけないのはそうなのだけれど…。

考えすぎて、いったい何なら自分は確実にできるのか、確信が持てなくなってしまった。

また私は自信を失い始めている。私はできる!と思ったところから、「やっぱりできなかった」という事実はけっこうしんどい

しかも、誰にも相談できない。友達にも、ましてや彼氏なんてもってのほかADHD言い訳にしていると思われたくない。世の中、ADHD認識されたからって、それらに理解が進むわけじゃないのだ。実際、ADHDで社会を生きていくことは厄介だ。だから誰にも相談できない。私はなにもできない可能性が高い、と思って生きていくのもしんどいが、はじめからそう予防線を張っているほうがいいのかもしれない。そんなことを考える。

この間、デート中に居眠りをしてしまって、彼氏に怒られてしまった。そりゃそうだよな。寝不足自己管理問題、って認識が先にくるもの。実際その日は体調管理が悪かったので、謝って許してもらったが、これが自分でどうにかならないことが原因でも、世の中ってのは常に自分のことをみてはくれないので、さてどのようにカバーしていくか、考えなければならないのである

障害はつらいし、理不尽だけれども、これは障害があるなしではなく全ての人に言えることで、ありのまま自分を受け入れてもらうことは空想の中にしかない。ちゃんと、素材は洗って、下ごしらえをして、味をつけて、調理して、盛り付けて…そうしないと、まず食べてもらえない。

言うなればゲテモノ素材に生まれしまった私は、よっぽど才能があるとか、愛嬌があるとか、真面目であるとか、そういう味付けでいくらかマシにならないと、食べてもらえないので。

から日々、自分をどう調理しようか考えている。

世の中、努力でなんとかなるわけではないが、ある程度頑張らなければ先に進まないのは事実だ。私の今の生活にせよ、自分メンヘラからできない、と諦めていたら絶対手に入らなかった。だから、これからも私は頑張りたいと思ってる。

ただ最近ちょっと疲れている。だからって、昔みたいに「やってもどうせ報われない」と腐りたくない。

今ここで頑張って不注意を直さないと、やばいなって思いながら、ゴールがわかんなくなっちゃったからこのグダグダ文章増田に投げる。

2019-04-28

発達障害精神疾患サバイバー就活して思ったこ

就活が始まった。

かくいう私もスーツに身を包み、西へ東へ説明会に大忙し。

スーツに身を包むと安心する。巷では、やれ個性がないだの、集団心理がどうのだの、批判されているのもわかる。

しかし私はこの黒い装備に満足していた。自分が少し強くなったような…そしてしっかり社会に溶け込めているような

そんな感覚をくれるからだ。

ADHDアスペルガー発達障害。これらの用語人口膾炙して、はたして「理解」とやらが進んだかといえば、わからない。

「周りにいたらめんどくさい」「誰でもそういう面がある」「なんでも病気のせいにしたらよくない」

こういう声があるだけ良いのだろうか。誰にも知られないよりは。

ただ私は、痛いほど知っている。上記理由で、発達障害である自分社会に求められていないのだと。

ちょっと有能な発達障害者よりも、ちょっと無能でその代わりに理解権利求めない健常者の方が、大差なくてもましに見えてしまう。

から私はスーツに身を包む。私は社会で生きていけます、と、姿で示す。

けれど、就活が順調に始まったかのように思えたのは、就活解禁後の高揚感のせいで、それはすぐに気のせいだとわかった。

ESが書けない。やりたいことが思い浮かばない。

OB訪問や友人への相談では、ことごとく

「何がやりたいの?」

「何をしてる時がいちばん楽しいの?」

大学でしてきた中でいちばんがんばったことは?」

「譲れないこだわりは何?」

「逆にどんなことされたら許せないと思うの?」

と擬似カウンセリングのような問答の嵐。

私はそのどれにも即答できなかった。

その度にOBや友人はわかりやすいため息をついた。ショックだった。

就活というものの重さを知った。こんなにもピリピリしているなんて思わなかったのだ。

少しの逡巡も、どうやら通用しないらしい。それが実際の面接でなくとも、就活というフィールド上の相談ならば。

もっと自分のこと考えなよ。考えた方がいいよ。」

考えてないわけではないのに、そう言われると、全然考えてないようにも思えてきて、正直気が滅入ってくる。

OBにも友達にも

「私のことをここまで考えてくれてありがとう

と口ではいものの、納得できない。

この違和感を抱え続けて、ふと気づいた。

私のやりたいこと、ずっと望んできたこと、なりたい自分は一貫している。

それは

社会適応すること」

だった。

中学生の頃に、突然睡眠障害になった。特発性過眠症と診断され、居眠りを繰り返した。

不可抗力だと説明しても、教師苦笑いして首をかしげるだけ。

じゃあ代わりにテストでいい点をとって頑張ろう、起きているとき積極的に手をあげようと思っても、結局オールAにはならなかった。

私はどうやったら認められるんだろう、と思った。子供心に、拗ねていた。頑張ってたのに、と。

高校入学して、今度はパニック障害になった。

地獄のような日々を過ごした。「社会で生きていけない」と強く自覚した出来事だった。

同時に、「私はみんなにとってめんどくさい人間なんだ」と知った。

性格もひねくれていて、喋ろうにも黙り込むか口を滑らせるかのどちらか。

ここで、「病気のせいにするのは良くない」とも知った。

大学入学きっかけに、全てのストレスが爆発してついにうつ状態に。

過眠症パニック障害うつ。これらの治療を進めるうちに、行き着いた診断が発達障害だった。

そこからの私は必死だった。

社会適応したい。こんな自分でも居場所を見つけないと死んでしまう。

いやこのまま死んでしまおうかと思ったこともあったけれど、

とにかく必死で少しでも「まし」になろうとした。

副作用の強い薬を飲み、認知の歪みをカウンセリングで少しずつなおし、

部屋も片付けられるように工夫した。もちろんそれらはすぐにはうまくいかなかった。

そして、ようやくなんとか、「だいぶまし」になった。

パニックはほぼ起こらず、過眠症もどうしてかはわからないがましになった。

人とのコミュニケーションもだいぶできるようになり、足の踏み場がなかった部屋は、

それなりにものは多いものの、生活に困るほどではなくなった。

友達もできて、バイトも始めて、認められたりして。

それなりに楽しくなって、やっと社会の仲間入りができたと思った。

のしたいこと、楽しいと思う瞬間、それらは

ちゃんとやれてる」って実感できる瞬間を実現していくことに他ならなかった。

からその先が全然思いつかなかった。

「やりたいこと」

なんてないのだ。

ただいまの私にとっては、生きてるだけで精一杯なのだ

それに気づいたとき、久しぶりに暗い気持ちになった。

みんなは、手放しでやりたいことも考えられる。

楽しいとも思えるし、怒りも素直に表現できる。

私にはできない

自分が生きていくことで精一杯だから

みんなのように、夢を語れない。

なんかちょっとムカついてきた。あいつら、自分があって当たり前だと思ってるから

私にも夢を聞いてくるし、

私に夢がないと知るやいなやため息をつくのも、

まさかそんな人間がいるとも思わないんだろう。

で、「こいつは何も考えてない」と結論づける。

生きてるだけで精一杯の人間なんて想像もつかないんだろう。

もし、目の前の私がそういう主張をしても

「それは甘え」と言われるか、気の毒がられるのが関の山

「頑張れば報われる」なんて線形認識で生きてこれて本当によかったね。なんて毒づきたくなる。

いつ居眠りとパニックが起こるかわからいから、人に迷惑をかけたくないという思いで

楽しい機会は断ってきた。友達ディズニーランドに誘われても、行きたかったけど我慢した。

そんなこんなで浮いていた。いろんなことを恐れて、先回りして自粛する思春期だった。

ようやく最近症状が落ち着いて、友達海水浴遊園地ドライブ、もう本当に楽しかった。

でも、もっと楽しみたかった。病気が、障害がなければ、もっと楽しい人生だったのに。

正直そう思う。

でもそれを口にしたら「甘え」と言われる。だからしない。でも苦しい。


みんな、ゼロからスタートしてるけど、

私は、マイナスゼロに近づけていくことに必死で、

それが私の夢なのだ

でも、どれだけ前に進んだってゼロしかないんだろうか。

先日賛否両論を巻き起こした上野千鶴子氏の東大入学式の祝辞で、こんな一節があった。

「世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。」

なんかこの言葉のやさしさにほんとうに泣けてしまった。

同時に、この祝辞が叩かれているのを見て、

「やっぱりしばらく健常者のフリは続けよう」

とも思った。

きっと私のこの葛藤は、社会にそぐわないんだろうと思った。

私は今日スーツを着る。

そして、用意した「夢」を語る。

これからはきちんと普通のふりをしたいから、

夢とやりたいこと、楽しいこととつらいこと、これらは即答できるようにしておこうと思った。

2019-04-27

家賃高い所に住んでも民度が低いこともある話

当方、30代社会人

性格的に物音に敏感なので、物件選びで最も重視するのは騒音問題である

住人の民度家賃に比例するとよく言われる。

そのため、ダ埼玉にしては家賃高めのRC造 築浅の1K 80000円に住んだ。

最上階の角部屋で穏やかな日々を過ごすはずであった・・・

ところが、どうやら隣はキャバクラかなにかの寮になっているっぽい。

深夜に帰宅してから朝方まで足音(かかとでガンガンするタイプ)や物を落とす音を出している。

今隣にいる女はDQN彼氏も連れてきて同居している。

このDQNがまぁうるさい。

どうやら朝方に寝て午後にバイトに出ている模様。

そして夜中に帰宅して騒音パラダイス

女は叫び声だして「痛いーー」とかずっと絶叫しているし。

おかげで毎日深夜に起こされてイライラして寝付けない。

完全なる睡眠障害である

高い家賃払っても、こういうリスクがあるのかと学んだ。

同時に、早く上に登りつめないとダメだと感じた。

こんな奴らが絶対来れない所に俺は這い上がると、今日誓ったのであった。

2019-04-23

anond:20190423081423

それ、睡眠障害。私の先輩もなった。

ニート関係無い。他のお医者さんにも行って!

2019-04-18

死のうと思う

首を吊る準備ができた。あとは椅子を蹴るだけ。

睡眠障害があって社会復帰が難しい。1ヶ月ごとに夜型と朝方を繰り返している。こんな生活が5年ぐらい続いていて、もうそろそろ終わりにしたい。

躁鬱気味で、元気な時に仕事を貰って、気分が落ち込んだ時に仕事を全部放り投げて関係者迷惑をかける…というのを何度もやっている。もう誰にも迷惑かけたくない。

聴覚過敏もあって、子供の鳴き声を聞くたびに殺してやりたくなる。子供に手をあげる前に自分が死のうと思う。なんで子供を作ろうと思ってしまったんだろう。産まれたら全てが変わるかもしれないなんて思ってしまったのかな。全くもって甘い考え。子育てもっと成熟して自立した人間がするものだ。こんな自分が親なんてできるはずがなかった。

妻には本当に感謝してもしきれない。ただ、これ以上はもう勘弁してください。私よりもっと相応しい人が見つかりますように。無収入で常に酒飲んでるような人間を家に置いておくより、絶対幸せになれるはずだから。苦労ばかりかけて済まなかった。大好きです。

死ぬなら離婚してから死になさい、と母さんは言った。守れそうになくてごめんなさい。明日の朝、子供保育園に送りに行くのがどうしても嫌なんです。朝の支度は地獄、園内に1分いるのも地獄、それに比べたら首を吊っている十数秒間の苦しみの方がマシなはず。もう許してください。

弟よ。描き続けるのだ。君の絵を買いたいという人は、俺以外にもきっといるから。俺たちが全員死んでしまった後も、誰かが評価してくれるに違いない。

近所に住む、親切な友よ。今までありがとう。またニューヨークで!

さっきからやり残したことはないかと自問自答を繰り返している。目標も夢も何もないのに。

足が凍りついたように動かない。最後の一歩を踏み出す勇気を下さい。

2019-04-03

絶望している

彼女のことも傷つけたくないし、こちらがここに投稿することによって誰かが不利益を被ることがなるべくないように配慮した上で、今抱えている絶望をここに残しておきたい。断っておきたいのは、この文章を僕の言葉増田に流している時点でフェアでなく、自分被害者ですといった書き口になってしま可能性はぬぐいきれないと言うこと。正しく理解してもらうことはとても難しいと思う。それでもない頭を使って、個人個人未来のためにも書いているので、できればアドバイスにあたるコメントが欲しい。

先日彼女と二人で一泊二日の旅行に行った。これは二日目に聞いた話なのだけど、彼女曰く「誰かと泊りの旅行に行くのは初めてだったから、家族ちょっとした騒ぎになった」らしい。旅行から帰ってきた次の日、彼女から長いメッセージが届いて、ものすごく悲しいことをしてしまったんだと自責の念に駆られることになった。

簡潔に言うと、一日目の夜、セックスを断ってしまった。断ると言っても「嫌です」と直接言ったわけでなく、彼女の誘いを流して諦めさせてしまったのだ。一応ゴムは持っていった。彼女はおそらく男性経験がないだろうと思って、彼女のことをいたわる思いで滑液がついたものを初めて購入した。でも、とにかく疲れていて、眠たかった。僕は睡眠障害を抱えていて、毎週大学病院に通っており、治療であることは彼女にも理解してもらってる。もう眠剤を処方され出して二年弱がたち、その日もいつもと同じ薬を服薬してしまった。あとで振り返るとその薬には副作用に「性欲の低下」があり(そんなものがなくても眠たさで欲は消えそうだけれど)、服薬しなければよかったと後悔する。しかし、それはきっとできなかった。両親のアドバイス眠剤を抜いてみたことがある。すると全く寝れず、不安からパニックになってゲロゲロ吐いてしまった。うつ病も併発していたものから、それは大きなトラウマになって、これは危険なことかもしれないけれど、半ば強迫観念かられながら眠剤を服薬しているのだ。

長く、重たいメッセージの中で、彼女自分が僕に女として見られてはいないのではないか、自信をなくしている、と言う。たまらなく胸が痛み、あまりにも苦しくて吐きたくなった。彼女をひどく傷つけてしまたこと、それからたこの手の失敗をしてしまった悔しさのことで。

思い出すのはこれまでの失敗。誰かと仲良くなりすぎてしまうことに対して苦しさを覚え、その人の前から逃げてしまいがちな自分は、最近人間関係に対しての苦手意識ずんずん芽生え、重荷になって生活してきた。とはいえど、初対面の人ともうまく会話ができるし、コミュニケーション能力には自信を持っていたのだ。人より優れた共感能力を持っているはずだから他人配慮した会話ができていた自信があった。それにもかかわらず、最近いろんな失敗をして(例えば自分不用意な発言相手無自覚に傷つけてしまっていた)、自分は「共感能力が低い人間だった」というのが分かり、いろんなことがわからなくなった。自分はうまくやれているつもりなのに、自分感覚他人から評価のズレが大きすぎて、毎度本気で悩まされるのだ。

恋人セックスしたい、というのもよくわからない。「セックスしたい」と「恋人になりたい」が両立することをはっきり理解できない。「大好きで、一緒にいたい。でもセックスはしたくない」というのが相手を苦しめるというのを身を以て体験して、驚いた。二人にとってこんなにつらいことは他にないように思えた。そもそも僕は恋人的なスキンシップからして、苦手な方らしい。低体温で、ものを握ると手汗をかいてくるから手を繋ぐのもあまりきじゃない。近くにいたい、抱きしめたいとは思う。キスはなるべくしたくない。彼女に「君が自信をなくす必要性はきっとなくて、その悩みは僕への不安の裏返しだと思うから、結局のところ性的な魅力がないのは僕の方なんだと思う」と送る。こう返信するだけで、いろんな自信を失った。tinderで知り合った女性となら、自分からできるはずなんだけど、と思って再度インストールして昨日から左へ右へスワイプし続けている。ライクがたくさん来る。多分顔は悪くないんだなと思う。マッチは未だしていない。寂しさを感じる。

自分もっと普通な人間だと思ってきたのに。今では普通よりマイナス方向に目立った性格ばかりで辟易する。変わっていければいいと思う。変わりたい。

ラインのやり取りの中で、僕なりの知恵を振り絞り、「早めの時間ラブホデートしたいと思うのだけど、いいかな」と提案してみた。眠剤の影響や疲れの影響を受けない状態で試してみたい、という本心からだ。彼女からは「それは嫌。そういうことをしたいっていう君から言葉がない限り、私はそれを望んでいないです」というだけだった。正直、わからないのだ。彼女のことはかわいいと思うし、付き合えて嬉しいと思う。だけど、したいです、といえば嘘になるような気がするのだ。僕はあくま試験的に、という意味で送ってみたのだけど、今これを書きながら、それってきっとひどいことなんだろうな、という気がしてきた。

彼女のことが好きだ。暗いトンネル絶望している時に笑顔で声をかけてくれたのが彼女だった。当時の僕にとって、希望だった。彼女はそう明るい人格ではないけれど、愛嬌があって、一緒にいると安心する存在。できるだけ長く一緒にいられたらいいと思いつつ、考えがぴったり180度違うと言うことも少なくなかった。それでも僕らの会話は楽しく、うまくやれているつもりだった。それなのに、彼女普段デートの中でも、自分に自信をなくすばかりだったと言う。

絶望している。やっと暗いトンネルを抜けられたと思ったら、さらに暗いトンネルがやってきたような。苦しくて、逃げ出したくなる。もう一緒にはいられなさそうで、それは僕にとってとてもつらいものだし、これから人生でも同じ失敗をして苦しむのだろうかと、しなくていい絶望を予習してしまった。嫌になる。これからどうしよう、中身のない未来について、なんどもなんども考えている。

2019-03-29

保険営業退職しま

本日3月29日を最終出社として、某漢字生保退職します。

さっきスマホ登録していた顧客電話番号を削除していたら、いよいよ解放されるんだという実感がわいてきました。

先般、金融営業だった人が聴覚過敏になってしまったツイートが少し話題になっていたけど、

聴覚過敏は置いといて、保険営業活動すればするほど切る自腹が増えるので、もう腹がズタズタ。

半期ノルマ10倍の契約を取ってもボーナス10万以下。何それ。アホらし。

入社したての頃にベテランのオバチャン(もはやオバアチャン)に語られた武勇伝

飛び込み先で勝手社長のいる席まで上がり込んだ

名刺を破られた

上司に物を投げられ、怒鳴られ、泣きながら仕事をした

こんなのばっかり。アホらし。

もう迷惑がられながら飛び込み営業しなくていいんだ!

休みの日に客から電話対応しなくていいんだ!

数字に追われなくていいんだ!

睡眠障害もましになるかな!

解放感でいっぱいです。今日は祝杯だ。

2019-03-12

気がついたら眠りに落ちてることが多い

眠気がある時に気がついたら眠りに落ちてる感じなんだよね。

ナルコレプシーも疑ってみたんだけど日中に過度の眠気に襲われるっていうナルコレプシーの主な症状は俺にはないから違うと分かった。

いわゆる「寝落ち」の超強力な奴って感じかなぁ。

具体的な例としては、夕刻にスマホを弄くっている最中になんとなく眠気がしてきたな~って思ってたら意識が飛んで次の瞬間もう真夜中になってるっていう現象が一番多いかな。勿論首だけ横に倒れるか後ろに倒れるかして眠ってるから起きたとき首を超痛くて実害が有り余る。

睡眠障害みたいなものなのか

2019-03-11

anond:20190311205041

なんで途中で切れるんですかね…hatelabo許すまじ

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WUG』はこうして壊れた:③Ordet破綻の経緯(後)

2019/03/11 19:10

Xデー」は2015年8月8日でした。

この日はWUGの2ndツアー東京公演があったのです。

スタッフほとんどは昼の公演だけ行く予定でした。

僕は夜の方を選びました。

昼はちゃん作業しようと思ってました。

で、スタジオに入りました。

異様な光景を目の当たりにしました。

スタジオに積まれていたカット袋がないのです。

僕の机にも、誰の机にもなかった。

僕は慌てて制作に言いました。

「どうなってんのこれ!?

「M社に……奪われました!」

僕は頭の中が真っ白になりました。

これはアニメか何かか?

M社が「親会社」と結託して、Ordetからカットを引き上げたのです。

カットです。強調しますが、「全部」ということに、何の意味があるのでしょう?

僕や近岡さんの分だけではなく、山崎さん、澤田さん、他Ordetスタッフカットが奪われたのです。

え、俺達、仕事しなくていいの?

要は、「親会社」が判断したのは、切り離すのはミルパンセの方ではなく、Ordetだったのです。

(この時の「親会社」の窓口となったのが、ひとり目の極悪人、S氏でした)

もう一度あの某演出家ブログに戻りましょう。どうして金をジャブジャブ使ってしまったのか?

それはお前が呼ばれたこ自体証明してるんだよ!

お前のやったAパートは、山崎さんが粛々とやってたんだよ!!

N氏・I氏のヒステリーがここに極まった瞬間です。

「もうあいつら全部邪魔だ!『WUG』は奪って俺達で作る!!」

しかし「親会社」としては制作管理責任・納品責任があるのですから、いたずらに僕らを解雇して、変にスタッフ数を減らしてリスクを負うことはできない。

しかもメインスタッフ全員です。製作委員会への説明もつかない。

その代替案が、「ダンスパートだけやっとれ」ということでした。

しかしもう一度言いますが、彼らは僕ら抜きで作らなければならない。

まり新しく演出作監必要だ、ということです。

その分、更に予算が超過することは明らかでした。

良く解らないスタッフが続々と入ってきました。

でもそれに手出しができない。「親会社」が制作元請けなので、その決定はどうしようもない。

それだけではありません、こっそりとOrdetでM社との連絡役となっていたスタッフが共有していた予算表をこっそり見たら、M社のありとあらゆるところに追加予算が付けられていたのです。

要は「M社のこの後の作品を延期しても充分食っていける」状態になっていたのです。

今だから言いますが、もう作品抱えて、M社に自爆テロでも起こして死のうかとも考えました。

これは人間のやることか?

血の通った人間のやることか?

しかし、僕らは『BtB』を、まっとうな形で世に送り出す義務がある。

そこで考え出した苦肉の策が、「自主リテイク」だったのです。

M社の上がりは幸いにしてデータ上で見ることができました。

僕らはそれを見て、ダメカット自主的に直していったのです。

これで大事カットが(菜々美の泣くカットなど)いくつも救われました。

ここからBtB』納品までは敢えて省略しますが、更に悲しいひと悶着がありました。

なんとも情けない、今思い出しても怒りに震えるものでした。

しか100歩、いや1000歩、いや10000000歩譲って、『BtB』はなんとかなった。

これで良しとしよう。僕は煮えくり返った腹を鎮めるのに必死でした。

ここで既に次のシリーズ、「3期」の企画会議が始まっていたからです。

しかし、本当の「地獄」は、ここから始まったのです。(まだつづく)

WUG』はこうして壊れた:④Ordet破綻の経緯(終)

2019/03/11 19:15

さて、ここで「ラスボス」M氏の登場です。

彼は「親会社」の代表でありながら、この顛末にまだ本格的に登場はしていません。

それがかえって、彼をこじらせることになります

BtB』を僕らから取り上げ、M社の思いのままに作った結果、当初6000万で済んでいた予算超過が、見事に倍の1億2000万近くまで膨れ上がりました。

僕らは既に「3期」の準備に入っていました。そこにM氏の介入です。

「3期」の予算から借り入れ分を返済しろというのです。

これには堪忍袋の緒が切れました。

どうしてM社が使い放題使ったものこちらで負担しなければならないのか?

しか制作管理をしたのはあんたら「親会社」だ、Ordet押し付けられる謂れは何もない!

僕は要求を突っぱねました。

そうするとM氏、手をこまねいてた分だけ感情的になります

これまで登場したどの「極悪人」も始末に負えないのですが、一番幼稚なのは彼でした。

即効、僕のOrdet代表解任を、弁護士を通じて(こいつも極悪人ですが)通達しました。

Ordet大株主は「親会社」、つまりM氏です。法律上は彼の一任で役員は解任できます

しかし僕の方も弁護士を立て、処分が不当であることを主張します。

しかし、そこで選んだ弁護士が、全くの外れ。

業界内ではあまりビッグ存在すぎて、こんなチンケな案件最初からマトモに相手してくれなかったのです。

(今お世話になってる弁護士先生にすべての書類を見せたら、「なんでこんなこじれたことになるんですか?」と言われました……)

そして、肝心の『WUG』の原作権です。

これは僕個人ではなく、Ordetの名義になっていました。

ことの最初に戻りますが、avexが「会社名義でないと契約しない」と言い張ったのです。

Ordetでずっとお世話になった某プロデューサーが言うには、「もうそこで仕組まれてたんじゃないか?」とか・・・

WUG』の権利は、OrdetごとM氏の手に渡ったのです。

そしてその代わりに、僕個人Ordetの1億円以上になる金銭貸借契約保証人となりました。当初決められていた6000万の貸借契約書には判を押していた。

弁護士的には「判を押した以上はどうにもならない」。

どうにも納得いかない状況で、こうして「親会社」と、覚書を交わし、判を押しました。

この覚書、そこには『WUG』のことについては一切発言してはならん、とまで書かれていました。なんで??

でも「新章」以降、自分ファンに対する「説明責任」を感じて、結局話せるギリギリまで話しつづけましたが。

僕はもちろん酷く落胆しました。しかし落ち込んでいる場合ではない。

WUG』の3期をどうにかしなければならない!

ここで、最後裏切りが待ってました。

H氏が僕を見捨て、M社とI氏を選んだのです。

この理由については未だ、どう推測しても疑問が残ります

僕は「原作者」としての権利は失いましたが、「監督」としての権利は失っていなかったからです。

そして「親会社」=M氏も、「監督権は剥奪しない」と、念書に明記しました。

可能性はひとつ、H氏はこれを機に、僕からWUG』を奪い取り、自由気ままに運営たかったのでしょう。

僕は奪われた悲しみ以上に、その渡り先があまりあんまりなことに、憤慨しました。

「どうやったらM社が『WUG』を作れるんですか!TVシリーズもマトモに作ったことのない会社ですよ?ダンスパートを全部こちらに押し付けた連中ですよ?制作能力ありませんよ??」

しかし、H氏の欲の皮が勝ったようです。

どう考えても理のある判断ではなかったのですが、彼は自分権力欲を優先したのです。

(因みに彼は当時から、周囲のスタッフから帝王」と揶揄されるようになっていました)

僕の心は壊れました。

その後1ヶ月にわたって寝込み、周囲の勧めでいろいろな医者カウンセラーに診てもらい、薬やさまざまな療法を駆使して、今にいたります

正直、今も完治している訳ではありません。睡眠障害や謎の吐き気などが続いています

WUG』は何と、これだけ多くの「極悪人」によって作られ、そして壊された作品となりました。

ただ、僕だけは悪くない、と言うつもりはありません。いくつもの判断ミス、そして希望的観測を抱いて、ことを進めて行きました。

いつも僕が批判する「性善説」ですが、それを一番信じていたのは、僕だったのかも知れません。

自分の無力を恨むと同時に、改めて、この業界の醜さに、鳥肌が立つほどの怒りを覚えます

僕が最低限出来ることは、こんな無様なことが二度とあってはならない、と自らの残りの人生を賭して皆さんに誓うことです。

そして今回の破産ですが、改めて言いますが、M氏から申し立てよる「他己破産」なのです。

非常に珍しいケースだと、今お世話になっている弁護士から伺いました。

恐らく向こうが損金計上しなければならない事情ができたのだろうと。

あとは『薄暮制作中のこのタイミングでの嫌がらせか。

ともあれ、以上、この破産にいたるまでの経緯の説明を終わります

本当に思い出す度、断腸の思いで死にたくなります

今も体調不良には苦しんでいます

しかし、この負債果たして自身が負うべきものだったのか?

今も疑問に思います

しかし、過ぎたことはもう忘れたいです。

記憶に残っているだけで不快です。

ドラマで注目されているか安藤百福だって、不当な経緯で財産をすべて失った時、あの「チキンラーメン」を生み出したのです。

しかも、僕よりもっと歳を取った48歳の時です。

僕も彼のように、不屈の闘志で立ち上がらなければならない。

そう思い、今も作画机に向かっています

現在制作中の『薄暮』はもちろん完成させます

個人破産とTwilight Studio資本、『薄暮』の予算とは何の関係もありません。

しろ、この状況下でも尚立ち向かい、戦い、作るという行為を続けていることに、何卒皆様のご理解の程をよろしくお願いいたします。

WUG』はこうして壊れた:⑤最大の「主犯」は誰か?

2019/03/11 19:20

ここからは余談となります

このシリーズでは多くの「極悪人」が登場し、「なんて酷い業界だ!」と身も震えることだと思います

しかし、このブログでは業界論に発展させ、そのトータルな腐敗ぶりを僕も糾弾してきましたが、僕は最近、やはり考えるところがあります

「結局、誰が一番悪かったのか?」

『WUG』というプロジェクトの息の根を止めたのは誰か?

それは結局、(元)avexのH氏だと結論づけるしかありません。

他の人間も確かに酷い。しかし、他にはそれなりの「公の理由」が立てられなくはありません。

S氏はL社の自衛のため。

M氏は「親会社」の利害のため。

N氏・I氏そしてM社は、単に仕事の依頼を受けたため。

しかし、ただひとり、理由が出てこない人間がいます

H氏です。

「~せざるをえなかった」という理由がないのです。

もう一度確認しましょう。僕から『WUG』の原作権を奪った「親会社」は、しかし、『WUG』の監督権をも奪った訳ではありませんでした。

これは双方で交わした念書にも明記されてあります。じゃあ、僕を監督椅子から引きずりおろしたのは誰か?

その権利があるのは、H氏ひとりです。

更に、じゃあ何故?

理由は?

それが見つからないのです。

この「極悪人」の中で、唯一「不可解」な動きをしたのが、H氏なのです。

仮に、原作権を奪われようとも、僕が監督のまま残っていれば、いろんな制約はあるでしょうが、『WUG』は大きな変化や、更には崩壊がなく進められたはずです。

どんな理屈をごねようが、僕がいるからこそ形になった『WUG』なのですから、僕を監督から降ろすというのは、漫画作品からその作者を降ろすようなものです。

誰が見たって、作品崩壊を予想するでしょう。

しかし、それができなかったのがH氏です。

思えば、彼が一番欲の皮がつっぱり、そしてバカだったのでしょう。

『WUG』を独り占めしたかった。

帝王」として君臨したかった。

それ以外の「理由」が見つかりません。

因みに彼の出身大学はあの安倍晋三と同じらしいです。

高校時代イギリス留学していたのだとか。

かなりのお坊ちゃんだったようです。

その辺、H氏をアベと重ねてしまうのは、僕だけでしょうか?

公の利益も、果ては個人利益までも考えられない。

ただ偉そうにしたい、ふんぞり返りたい。皆に言う事を聞かせたい。

彼の中にあったのは、ひたすらその「権力欲」「独占欲」だけだったのだと思います

からこそ、「新章」が崩壊するのに気付くや、OA中にもかかわらず遁走。

制作を全うする責任すら放棄したのです。

そして、しかも「新章」が崩壊すべくして崩壊したことに、ギリギリになるまで気付くことができませんでした。

『WUG』製作委員会トップなのですから当然の帰結ではありますが、H氏こそが最大の「戦犯」です。

その驚くべきボーンヘッドと幼稚な「王様ごっこ」に、全員が翻弄されたのです。

最後になりますが、Ordetをずっと世話していただいた方が最近ヒアリングしたところによると、WUG七人の解散も、H氏の逃亡でWUGのプロデュースマネジメントが完全に頓挫したのが引き金だったようです。

「壊した」というならば、確かに彼は何もかもを「壊し」て、そして逃げたのです。

同窓のアベが、同じことをしてのけないよう、祈るばかりです。

2019-02-21

恋人浮気されて鬱病になった

去年の夏、3年ぐらい付き合ってた人に浮気され 交通事故起こしたり 仕事がうまくいかない とかで自分に自信無くなって、動けなくなった。

診断書貰って休職したが、うまく立ち直れなくてそのまま解雇休職中もその後も、精神薬や睡眠薬使ってODするだけの日々を送った。電話に出るのも億劫で、結局会社とロクに連絡取れず、今は健康保険無加入。健康保険もだけど、失業手当、休職の手当?とかも手続きしないまま放置して、嫌な事から逃げてずっと引きこもってる。

自分でも働かなきゃとか思うんだけど、うまく身体が動かない。頑張って、いざやるぞって気分の時に面接の応募してみても、その当日になると動けない。行けませんの電話連絡も出来ない。企業から かかってくる電話すら取れない。また給料が手元に入ってきても、薬買い込みそうで怖い。

最近睡眠障害が酷くて夢と現実区別すらつかない。まともに日浴びてないか時間感覚も狂ってる。最近記憶おかしいというか、物忘れが激しいような。

これから先が不安不安で仕方ない。こういう事を相談できる人間が居ない。誰かに聞いて欲しくて書いた。辛い。自分が何したいのかよく分からない。今何に悩んでるかすらよくわからない。どうしたらいいのかわからない。親が死んだら生きていけない。

それとも今死んだ方が楽なんか?

ここにいる浮遊霊 地縛霊の皆さんどうか教えてください。

2019-02-08

HIV検査受けてきた

1ヶ月ほど前、お酒の勢いでよくわからない女性関係を持ってしまった。不覚にも、お酒の勢いで性病リスクのある行為をしてしまった。何がピル飲んでるから大丈夫、だ。ふざけんな。俺もアホすぎるわ。

そしたら、2週間経ったくらいに変な体調不良に悩まされるようになった。風邪なんて引いてないのに黄色い鼻水が大量に出たり、食欲不振になってほとんどご飯がたべられなかったり、水様便が出たと思ったらその後、ひどい便秘になったり、ひどい胃腸風邪のようだけど、風邪っぽくない、みたいな初めての症状のオンパレード。ちょくちょく微熱も計測して、なかなか治らない。しかも、睡眠障害である。なんじゃこりゃ。

調べるとhivは、行為の2〜3週間後に風邪インフルエンザのような症状が一定確率である、とのこと。

筋肉痛みたいなものや発疹もよく報告されるらしい。免疫異常だから何が起きてもおかしくない、という感じ。体の弱いとこから症状出るのかな?

他には、免疫が弱くなるから、口腔カンジダ症になったり、場合によっては、真菌によってお尻の穴が痒くなったりもするらしい。。

おい!俺に当てはまってる気がするぞ!お尻の穴が痒い気がするし!口の中も白っぽい気がする。何より、風邪っぽくないのに、風邪症状が出てて2週間近く経つ。こんなの初めてで気分は最悪だ。

これはやばいhivかもしれない。陽性だったら人生が変わる。全てを失う気がする。

いや、陽性だからといって、早期発見なら薬さえ飲めば、ほぼ健常者と変わらない生活可能ではある。でも、身障者保険交付されないと支払えないレベルの高額な薬を忘れることなく飲む必要があったり、場合によっては生物が食べられなくなったりするらしい。

かに、薬によってウイルス抑制免疫の保持は出来るらしいけど、色々と人生難易度が上がることは間違いない。

おーい、やばいな、これ。

ワクチンはまだないのか?と思って検索してみる。全然情報がまとまってないから、研究報告のPDFとかを読むハメに。

なにやら、この2〜3年で色々なワクチンの仮説は出来てきてるらしい。例えば、ips細胞活用する方法や、核の中に眠るウイルスを呼び起こして撃退する方法など。

でも、残念ながら、どれもまだ臨床段階にない。というか、この20年間、全ての研究が失敗してきてるらしい。もしかしたら、今後、どれかのアプローチ成功するかもしれないけど、臨床段階に進むのはまだかなり先で、さらに薬になるのは、早くて10年くらいかかりそうだ。

どうやら、hivというウイルスはかなり手強いらしい。すぐに変容するし、薬を投薬すると核の中に隠れてしまうし、これまでの医学常識では通用しないらしい。もし、ワクチンができたとしたら、それはあらゆるウイルス対応出来る、万能な薬となるらしい。すげーな、人類の敵は強いわ。

ちなみに、次の新薬は、月に一度の注射+週に一度の服薬、というものが予定されてるらしい。月一の通院は大変だけど、薬の飲む頻度が下がるのは素晴らしいね

とりあえず、一度なったら治らないという前提で考える必要がありそうだ。

いやー、色々と調べるほどにやばい病気だわ。

ちなみに、感染者のほとんどはゲイらしく、女性ストレート感染者の20%以下らしい。別にゲイ差別はしないけど、ストレートの俺がゲイと思われるのも心理的に辛いな、とかも思ったり。

ということで、即日結果が出る検査を受けてきました。CLIA法という、抗原と抗体を一度に検査できるタイプのもので、99%以上の精度らしい。危険行為からほぼ1ヶ月経ってるから、結果は信用して良さそうだ。

採血をして、結果が出るまで4時間ほど病院の近くのカフェで待つことに。ちなみに、ついでに、肝炎クラミジアなどの一般的性病検査もやってもらった。

いやー、待ち時間は苦しい。考えたくなくて、仕事するんだけど、考えてしまう。つれー。

時間になって病院に行くと、なんだか体が震えてきたぜ。人生が変わる瞬間だ。

そして、、、

結果は





全て陰性。。

もうね、帰り道、誰にかわからないけど、ずーっと「ありがとう」って呟いてた。

いや、冷静に考えたら感染率なんて、1%以下ですよ?

それでも、ネットにあるのと同じような症状が出てたらものすごく焦る。

多分、胃腸の不調はストレスだったのか、なんか胃腸風邪ウイルスをもらってきたのかどっちかだったのかな。

よくわからないけど、本当、ありがとう

hiv の方のブログも今回、たくさん読みました。ほとんどがゲイの方なんだけど、普通に女性もいたりする。日本感染者は横ばいだけど、潜在的キャリアはかなりいるだろう、ということらしい。ブログ見てても、ほとんどの方がエイズ発症してから気づいてるから恐ろしい。(つまり感染源になってるってこと)

みんな必死で生きてるけど、でも、結局、原因は危険行為なんだよね。

ちゃんゴム付けようね。男も女も。それだけでほとんど防げる病気です。

ていうか、よく分からない人とは絶対しちゃダメです👎アホだ、俺は。

あー、今日、生まれ変わった気がする。明日から感謝して生きていきます

2019-01-30

睡眠障害について

下記のような状態なのだけど、病院にいくべきか?現状維持すべきか?で迷ってます

病院行って聞けって言うのはその通りなのですが、書いてみます

ネガティブな面

睡眠全般的に浅くてうとうとしている時間が長い感じがある

・深夜早朝に必ず2回くらい目がさめる

・毎朝、起床時間1〜2時間くらい前に目が覚めて、うとうとしている感じになる

・浅い眠りのときに、入眠時幻覚?のようなものを見て跳ね起きたりすることが珍しくない頻度である

・何年も継続していて改善しない

ポジティブな面

・入眠はやや時間がかかるが(30〜40分)、そこまで問題苦痛に感じていない

対症療法的ではあるが、毎晩起床時間の8時間ほど前には布団に入ることにより、睡眠の質の悪さをある程度相殺できており、日常生活で極端な苦痛は感じていない

(言い換えると、これだけ長く布団に入っていてもベストな体調にならないと言える)

上記のような状況のため、問題を感じつつも、病院に行って薬を処方されたりしたほうが、中長期的によくない結果になるんじゃ・・・という不安があります

何か意見など伺えると幸いです。

2019-01-12

朝が弱くて生きづらい

もう20代後半になるが、早起きというか、社会的に望ましい時間に起きられる自信が生涯で一度も付いたことがない。

ちなみに目覚まし時計はセットしているし、隣の部屋まで聞こえるような音量ではあるが自分では一切聞こえていないことが多く、壊れたのかと思って何度も買い足しているほどである

今では振動式の目覚まし時計を使ってたまに起きられるようになったが、たまにである

飲食小売店バイト派遣会社を通しての工場勤務や、IT系会社にてSESで働いた経験もあるが、大半の職場寝坊が続き退職に至っている。

寝坊というのも始業時間に30分や1時間遅れる程度では済まない事が多く、9時始業にも関わらず午後の3時に目が覚めた経験も多い。

そうした朝の弱さも今に始まったことではなく、記憶の限りでは幼稚園児の頃から親に起こされても起きられず、幼稚園を休む事が頻繁にあった。

その後もそのまま歳を取り、小4の頃までは休みがちながらも通学をしていた。しかし、小5で転校をした時から完全に不登校になったのだ。

別にクラスの誰かにいじめられたとかそういう事もなく、転校先の学校に初登校した始業式の日を最後小学校へは一度も足を運んでいない。

不登校になった理由・当時の自信の気持ちは正直よく分からないが、人前に出たり目立つのが嫌いな自分にとって登校するのを恐ろしい事のように感じていた。

その不登校になっていた時期に自然昼夜逆転が始まった。ただただテレビを見たり同じゲームを繰り返し遊んだり、ネット世界に潜り込んでいた。

とまぁ、こんな調子幼稚園から今に至るまでを書き連ねても冗長なだけなのでなるべく掻い摘んでいくと、中学時代はかなり休んでいたが時々通っていた。

不登校でも入れるようなちょっと特殊高校中学と同様であったが、ベッドから起き上がれないなどの鬱病のような症状を自覚しながらもなんとか卒業できた。鬱症状は卒業する直前ぐらいに考え方を丸々変える事ができ、それによって解消した。

その後は専門学校に入ってC言語の基礎だけ習った辺りで寝坊が頻発し中退フリーターと化した。

その後は最初に記した通りであり、現在退職して無職

20代で持っていれば就職やすいらしいIT系資格を取っているが、これから先もこんな感じで職を見つけては寝坊して上司に怒られ、周りから冷たい目で見られながら切られるまで仕事をするような事を繰り返すのかと思うと憂鬱で、就活をする気が起きないでいる。

合理主義的で何をするにしてもどう動けば効率的作業出来るかを考えたり調べる癖も手伝って、新しい仕事を始めると最初は周りから期待を持たれるが、全て寝坊でパーである

一度、睡眠専門の医者に見てもらった際には睡眠相後退症候群と診断された。

一度無職からまたフリーターになった際に半年程通院して治療をしていたが自堕落生活習慣を改善しきれなかった為か、結局薬を飲まないと望ましい時間眠る事はできず、診察が平日のみであったのもあってIT会社に入る際に通院をやめた。

結局のところ通院を再開して今の状態矯正することがベストだと思うが、それが途方も無い道のりのように思えて、どこか楽な抜け道を探したくなる。

無理に朝から仕事をしなくても夜勤をやれば、と思われるだろうが、夜勤も概日リズムからして合わないというか始業時間に合わせてリズムを変えるとまたリズムが遅れていってしまう。

本当はただただ自堕落なだけなのか、睡眠相後退症候群のせいなのか分からないが、診断を受けた事で気持ちは楽になった。気持ちだけは楽になった。

そして何度も繰り返した退職によって批判へのストレスコントロールは上手くなった。というか気にしてたら生きていけないんだけども。

これまで経験した事・思った事を書き並べただけの文章力のない増田だけど、はてなーの反応が見たいのと、こういう睡眠障害があるっていうのが社会に知られて次の世代の為になったらなって大それた気持ちで書きました。

自分場合睡運瞑菜を始めるのも理にかなってる気もする。いやでも瞑はいらんか。

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