はてなキーワード: 商業主義とは
商業主義が全面に出ており、ユーザーの満足度を犠牲にしている感がある。
赤字らしいが現状の広告形態を改めないかぎりは黒字化は難しいだろう。固定プラットフォームでのディスプレイ広告はその表示領域に限度(すでにパンパンな印象)があり、また、単価を上げるのは容易ではない。そもそも広告はユーザービリティと反比例するものであり、漫画を配信しているのに漫画で稼がないのはジレンマ。コンテンツで勝負して欲しいが(まあそれが難しいんだけど)、版権の構造が謎なのでなんとも言えない。講談社が版権を持ってるのかな?
収益化のために、マンガボックス内である程度人気が出た作品はアニメ化するだろう。そのアニメの結果次第でアプリの方向性が大きく決まりそう。
アプリのターゲットは恐らくライトな漫画ユーザーであり、色々チェックしている人であれば連載陣の半分くらいはすでに別媒体で読んだことがあるだろう。
別媒体作品を懐かしんで読むのは危険である。大抵突然連載が終了するからだ。楽しみに読んでいた作品がいきなり終了した場合、絶対にマンガボックスにはお金を落としたくない心理が働き、Kindle等で購入する。
連載陣のテイストは謎である。まあビジネス駆動型連載陣だと思う。
そんな中、オリジナル作品は中々良作揃いであり、以下を読んでいれば十分だろう。
連載初期と比べると絵の上達が凄い。面白い。キャラづくりがうまい。題材は箱庭系とよくある感じだが随所に個性を感じる。人気なのか少年マガジンに出張掲載したことがある。
恋と嘘
看板作品。絵が可愛い。どう見てもメインヒロインは仁坂くんである。面白い…が毎回の更新が4~5ページとかあまりにも少なすぎる。遅筆であれば分散更新せず、隔週で良いからまとめて掲載して欲しい。これも商業主義の弊害やな。
骨が腐るまで
面白い。どこかで見たことあるような絵柄だが、良く言えば様々なハイブリッド。最新話ではまさかの海苔が登場(iPhone版だけかな?)
女なのでしょうがない
完結作品。アラサーの葛藤を描いており女性向けだと思うが面白かった。綺麗に終わったと思う。
境界のないセカイ
ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議するために、日本はアメリカに同調してボイコットした・・・などという背景は何にも分かっていなかったが、
とにかくソ連はひどい国なので日本は参加しないことにした、というのは、なんとなく分かっていた。
「いやなものを拒否することをボイコットというのだ」ということを知った自分は、
晩飯の嫌いなおかずをボイコットしたり、全員集合のエンディングで加トちゃんが「風呂、入れよ!」と呼びかけているにもかかわらず、
風呂に入るのをボイコットして母親を困らせたりしていた・・・らしい。
大会マスコットのイーグル・サムのアニメは、自分の周りはみんな見ていた。
たしか、一年くらい放映されていて、「イーグル・サムはロス・オリンピックの公式キャラクターです」というのも喧伝されていたから、
子供たちに「今度オリンピックがある」ということをうえつけるのに、実に効果的なやり方だったと思う。
今とちがって、ネットはおろか、ファミコンがようやく発売されたころで、家庭用ビデオも普及途中、
(アニメの主題歌を歌ったメンバーの中に、後に光GENJIになる内海と大澤がいた、というのは、
かなり後になってから知った)
コカコーラのキャンペーンでもらえるイーグル・サムのヨーヨーがブームで、自分もほしかったけれど、
なかなか子供にコーラなど飲ませない家庭だったので、結局手に入らなかった。
実は、大スポンサーを活用した商業オリンピックが始まったのは、この大会だと、大人になってから知った。
そういえば、聖火ランナーの権利が売りに出されて、日本のテレビ局の金で郷ひろみが走ったような記憶がある。
開会式は、記憶の中ではすごく華やかで、とくに「ロケットマン」に大興奮した。
背中に噴射装置を背負った男性が会場をとんだ、というだけの演出で、今の時代ならばそんなに驚かないのだろうが、当時は衝撃的だった。
人が飛んで驚いた記憶といえば、このロケットマンと、はじめて宙乗りやったときの小林幸子だ。
まあ、プロジェクトマッピングなんて想像もしなかったし、今見れば、地味な開会式だったんだろうが。
大韓航空機爆破事件の実行犯、蜂谷真由美こと金賢姫が、自殺防止のために口にテープをはられ、両脇を抱えられて飛行機からタラップでおろされる映像は、
鮮明に覚えている。
あれが、北朝鮮がソウルオリンピックを妨害するための事件だったというのを知ったのは、あの映像を見る前だったのか、後だったのかはよく覚えてない。
12年ぶりに、東西両陣営がボイコットなしに集まったってことで盛り上がって、たしかロスでは140くらいだった参加国が160くらいに増えていたはず。
(いまや参加国・地域は200を越えるんだから、これまた隔世の感だが)
開会式では、聖火台にとまったハトがそのまま焼死してしまったのが話題になった。
昔は、屋外の式典なんかで、よく本物のハトをいっせいに飛ばす演出があったもんだが、たぶん、これを契機にあまりやらなくなった。
今、いっせいに飛び立つハトが見られるのは、ハトヤホテルくらいか。
バルセロナがカタルーニャ州というところにあって、スペイン語とは別に、カタルーニャ語というのが使われているのを知った。
あの、アーチェリーの矢の先に火をつけて、その矢を放って聖火をつけるという演出は、その後も含めて歴代最高だと思う。
そりゃ、大スポンサー・コカコーラの本社があるからアトランタなんでしょ? 近代オリンピック100周年だから、アテネのほうがふさわしいのに、という解説をよく聞いた。
会期中にオリンピックパークで爆破事件があり、結構な数の死傷者が出た。
当時は「爆破事件」といっていて、あんまり「爆弾テロ」という表現はしなかった気がする。まあ、いまのISのテロみたいな脅威はみんな感じてなかったし。
日本選手団の衣装が虹色だったんだけど、なんだかLGBTの社会運動でよく使われるレインボーフラッグの色合いに似ていて、
「なんだ?日本の選手団はみんなゲイなのか?と海外の人たちが驚いている」というような報道があった。
レインボーフラッグにそういう意味合いがあること自体を知らない日本人が多かったと思うけど。自分も含めて。
LGBTとかセクマイって言葉も、ほとんど一般には使われてなかったし。
閉会式では、ドラァグ・クイーンを題材にしたオーストラリア映画『プリシラ』の登場人物の扮装した人たちがパレードしていて
実況担当だった、若かりしころの有働アナウンサーが「えーっと、このかたがたはみんな、男性なんですよね!」と、
言葉を選びつつ興奮気味に話していたことを、妙によく覚えている。
今回のリオ同様、直前まで「あの工事が終わってない」「ここが不完全」という報道がよくでていて、「大丈夫か?ギリシア」と思っていたが
まさか、その後あんなふうに「大丈夫じゃない」状態に陥るとは、さすがに誰も思っていなかった。
リオの開会式での最終ランナーが、この大会のときに、飛び出してきた男に邪魔されたマラソンランナーだったことは、
世界各地を経由して行われた聖火リレーで、チベットを弾圧する中国政府への抗議が頻発。
日本でも善光寺が出発場所になるのを拒否したり、応援する中国人と抗議する人が騒然とする仲で、
聖火ランナーだった萩本欽一に卵がぶつけられたのは覚えている。
たしか、スピルバーグも、抗議のために、開会式のアドバイザーかなんかを降りたんじゃなかったっけ?
開会式で久しぶりにMr.ビーン(ローワン・アトキンソン)の姿を見たのが懐かしかった。
男子サッカーで、韓国人選手が「独島はわが領土」とかなんとか、旗を掲げて、表彰式の参加を拒否されてた。
こうしてみると、なんだかんだやっぱり時代の政治・経済状況が忍び込んでくるのだなあと思う。
今回のリオは、とりあえず「開会式がいかにも予算なさげな割によかった」「選手が強盗にあったり、やっぱり治安が悪かった」「プールが緑色に」あたりは確実に記憶に残りそうだが、
残りの期間は無事に終わってほしい。
まあ、あんまりISのテロリストとかは、活動しなさそうな地域ではあるが。
多分、オリンピック史上最悪の事件はミュンヘンの例のやつなのだろうが、さすがに、まだこの世に影も形も無かった時代のことなのでよく分からない。
押井守が宮崎駿がいるからああいうわけのわからん映画を作ったという発言
作品性を見るとなんだか遠いようでいて皆(宮崎も押井も冨野も庵野も安彦もみんなみんな)実は微妙に互いに気にし合ってそうな関係
これだけじゃなくて他にもいっぱいある。
冨野との対談で逆シャアを賞賛する庵野(そこでチラッと出てくる押井さんの名前
「夢と狂気の王国」で庵野の初対面の印象を「宇宙人が来たかと思った」とうれしそうに話す宮崎駿
庵野の隣で模型を手で動かしてインメンマルターンを再現する宮崎駿
俺はオタクじゃない→BOOOOOOOOM!!!!(※飛行機ごっこをする宮崎駿)というシーンに俺はなぜか泣いた。
なんてチャーミングなんだ。
風立ちぬのラストシーンが「来て」から「生きて」に変わった事を受け止めようとする庵野。
そして「ジブリはもう終わり」と言った駿が終盤で楽しそうに宮崎・鈴木・高畑で話しているのを見て最早俺の顔はグジャグジャだ。
ということに気づいた。
Googleなどの検索エンジンはSEO対策と呼ばれるサーチエンジンの検索結果においてトップに来るようにする対策で
利益を求めないサイトつまり非商用主義のサイトは死に、商用主義のサイトが栄えた。
アフィリエイトと呼ばれる広告収入を得るために人は何でもする日本人特有の気質が見え隠れする。
某ブラウザゲームに関してはまとめブログの管理者が対立を煽っていたことが発覚し、炎上していた。
フラッシュ倉庫の乱立によって廃れたフラッシュと呼ばれる文化にもアフィリエイトの影見え隠れしていた。
Youtubeはどうなった? Youtuberとも呼ばれる商業主義の塊が食い荒らしている。
商用主義のサイトと非商用主義のサイトを比べれば面白いのは後者である。
個人サイトは今や死語であるが、和塩における機械の修理サイトの残骸は今でも面白い。
検索エンジン避けのイラストサイトもまた感嘆すべき存在である。
もう薄い本が厚くなって、二人が主人公の公式スピンオフ作品が爆誕してもおかしくないレベルでLGBTしてます。
第1〜3話までが登場人物と物語舞台の紹介、そして今回から各キャラクターが順繰りにフォーカスされるんですかね?
今期ナンバーワンオナペットひふみんの回がわたし気になります!
既に前回まででも、下半身にクルひふみんのシーンがちょくちょくありましたが、商業主義とオタの俗情がバーストリンクしちゃうのかな?(ゲス顔)
コスプレ衣装購入という全く隠す気のない伏線が出てきたので、きっとまたひふみんでシコれるぞ安心しろお前ら。
すいません取り乱しました。
話を第4話に戻し……ません。
まんがタイムきららを煎じ煮詰めたような作品なので、もうこれといって語るべき内容ゎなぃょぅ。ストーリー? そんなもの犬にでも食わせておきなさい!
前述のレズカップルは温泉と岩盤浴キメてるし、幼女も姫もオナペットも社会のぬるま湯でふやけきってる(剣振り回してる娘はよく分からん)。
もうプライベートで何度も言って盛大にオタ友を失くしているんですが、私は労働に蹂躙されるおにゃの子が見たいのですよ。
これ読んでる同人作家さん、夏、間に合わないなら冬、もしくはオンリーイベントでお願いします。
たぶん常識的に考えれば竿役は職場の男やゲームユーザーなんでしょうけど、裁量労働制で頭おかしくなっちゃったキャラが破廉恥極まりない所業に奔るみたいな話は描けそうじゃないですか。描けますよ。描いてください。
もう今回公式でショーツ姿のコウとりんが愛情を確かめ合ったのですから、あと一枚脱ぐくらいエロ同人ならわけもないはずです。その折はひふみんでよろしこ。
毎週『NEW GAME!』観てるんですけど、キモすぎるぞい。
徹底的に男が排除されたまんがタイムきらら空間で女の子がキャッキャウフフ。
もう3回放送されましたけど、3回とも可愛いおにゃの子が出てくるだけなのですよ。
初回を全裸待機で迎えた自分が恥ずかしいです。今は反省して服を着て観てます。
あと、エロすぎです。
ゆったりした服着てるのに、なぜか布地が乳に張り付いておっぱいが強調されてます。
頻繁に描かれる乳揺れも不自然です(全部『トップをねらえ!』が悪いんや)。
それと主人公の青葉ちゃんが幼い。
18歳っていう設定ですけど、私には小6くらいに見えます。
毎週、娘に会うような気持ちです。来いよアグネス、青葉ちゃんを保護してアグネス。
別に『NEW GAME!』に限った話ではなくて、美少女アニメ全般がキモいです。
女性性を売り物にしている点が政治的に正しくありません。フェミとリベラルとおちんちんは勃ち上がるべきです。
夢を見るのも大概にしてください。
男の妄想にしか存在しない美少女を愛でて、ニチャァと笑うのはやめましょう。
『オタクのみなさん、現実を見てください。あれ(アニメ)はただの動く絵です』って庵野も言ってたじゃないですか。
来週以降も私が膣序の乱れを監視する必要がありますね。……ふぅ。
人見知り、男の人苦手、巨乳、ちょいオタ、小動物好き、ぱっつん前髪って、女性声優じゃないですか。
はたから見たら気持ち悪いだろうレベルでズートピアにハマった。
それ自体は作品の方向性やらキャラクターやらの相性が強烈にマッチした結果なので、
そんな訳で、ハマったなりにサントラやフィギュア、設定資料、コミックはもちろん、
それらの原著や日本未発売の書籍、果ては絵本に至るまで、良さそうと思ったものを
映画そのものも、世界一高いと言われる入場料を何度も払い、4Dや特殊
スクリーンにも惜しみなく金を注いだ(ちなみにMX4Dはいまいちだった)。
さらにさらに、むこう何ヶ月か控えている未発売の本やBDを上乗せしてなお、
一連の浪費総額が10万円にまるで届かない。
ゴリゴリの商業主義なディズニーが、トップレベルの作品を引っさげて平均以上の
情熱を持っている一人の客に数ヶ月かけて使わせたのが、やっと7,8万ぽっちだった。
※読みにくい、長い(そのため最後が切れてる)という指摘もいただいたので手直しします。
※長いのは元のnobiのが冗長なんですが、いらんところをバッサリきると、意図的とかも言われかねず。
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長く書けるとこもないし、パブリックは増田にするということで、
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引用三行略
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平日業務日の大事な時間、つつもいつも記者会見に遅刻してやってくるジャーナリストに奪われる、
他の報道関係者やアテンドする人の貴重な時間を連日削り取ってるのが貴方です。そんなあなたの大事な土曜日の時間を凌駕するほど、
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お察しかもしれませんが、この投稿が共有されている人は「矢作晃」とある程度、交流がある方々です。※個人名落としました
【1.どう接するべきか(林案)】
子供を育てたことがある人ならわかると思いますが、ダダをこねる赤ん坊にいい顔をしてしまうと、子供のダダはひどくなるばかりです。おそらく最良の方法は無視する、あるいはちゃんと向き合って接する場合には「気をそらす」だと思います。
心をわずらっている彼が、最近、再び暴れているという知らせを何人かから受けて、彼のツイートやらFacebookの投稿、そこでのコメントのやりとりなどを観察しました(ブロックしているけれど、ブラウザのプライベートモードを使うとパブリックな投稿は読めるようです。まあ、そりゃ当然か...)。
自分の不幸のアピールは彼の天賦の才能なので、それを見て「かわいそう」、「何か言ってあげなきゃ」と思う同情心の気持ちはわかります。
でも、彼のことをこれから先、一生面倒をみる覚悟がないなら、そして本当に彼を思いやるなら、そこで突き放すことも大事だと思います。
人間は誰しも「人に認められたい」願望があります。彼は特にそれが強いと思います。
さらに自己肯定力はやたらと強いので、誰かがちょっとでも同調をしてしまうと「やはり、俺は正しいんだ」と、この24時間ほどの爆発を生んでしまうというのが私の見立てです。
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彼の見立てですから何も言うことはありません。このリストは、今の事件で彼が味方に付けたい、付けようとしているだけのリストです。自己顕示欲ねぇ、何かにつけて審査員とかやってる貴方は、いつもスペシャルアドバイザーとか、特別審査員とか、一般ではなく何か特別な枠におさまり(言い換えれば、その内容の責任を一切とらない安全なポジションを確保しながら、自己顕示欲をだしてますね。
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同情のコメントがなくても、おそらく愚痴ツイートは続いていたでしょう。
でも、ここまで増長することはなかったと思います。
「それでも彼のことが心配だ。何かしたい」という人はいるでしょう。
そういう人への私のオススメは、他の関連のない話題に彼を誘導することです
彼が好きなアニメやマンガが好きで、そこいら辺の話が得意な人は、その話で盛り上がるのもいいでしょう。
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かれにとっての、アニメや漫画へのスタンスが垣間見れる記述です。ただ、こういう人に限って、何も知らない、何もできないくせに、Cool Japanとか言い出しやすいのが特徴です。
村上隆だいすきですね。個人の意見としては、村上隆はその骨頂で、これまで日本のオタク文化に貢献してきた無名クリエイターをパクリ、商業主義に貶めるというのが私の認識です。
アートとは事腹痛い。そんなこ言うなら、村上隆のアートって、90年代は美少女変形戦闘機の突端に、女性器をリアルに写実的に描写してたのはご存じですよね。
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(この記事の末尾に参考になりそうなうつ病対策のページのリンクを貼っておきました)
「彼の原稿が好き」と本心で思っているのなら、それを書くことについて、私がとやかく言う権利はありません。
ただ、彼のことを本当に思うなら、もう少し経ってから、過去形で「好きだった」と書いた方がいいのではないかと思います。
【2.なぜ「過去形」なのか?】
彼が言っている通り、彼のIT関係の執筆の仕事は終わりだと思っています。
ただ、今終わったのではなく、とっくの昔に終わっていたと、私は見ています。
私は彼とは付き合いが古く、同情心や心配さからMacPeopleに彼の連載を提案していたこともありました。「とりあえずお試しで」と特集記事を振った結果、彼は逃亡し、音信不通になり、結局、連絡こずで、私とその編集者で全部を丸かぶりして死ぬ思いをしたこともあります。
その後も、何度か彼に仕事を与えようと、面白い製品発表の声かけを彼にも回したり、自分で企画した重要なイベントに彼を呼んだこともあれば、面白いネタを持っている広報会社の人を紹介したこともそれこそ何度もあります。ムーンライトウェーブの望月さんなどもその一人ですよね。
望月さんなどは本当に彼によくしてくれていると思います。でも、おそらく、彼が呼ばれたイベントを記事にしたことはほとんどないと思います(と、ここは私もまったく人のことは言えないのですが…苦笑)
編集者などにつなごうと呼んだパーティーも隅で昔からの知り合いと話をするばかりで(性格的に無理か、と途中から諦めました)。
ここで聞きたいのですが、そもそも、この中で、誰か彼がここ1〜2年で書いた記事を読んだ人、いらっしゃいますか?
もしかしたら、よく検索すればインプレスかどこかで見つかるのかもしれませんが、彼の最近のPublicへの露出で私が知っているのは有名な彼のツイッターと、あとは Kohichi Aoki と 松尾 公也さんのPodcastくらいです(他に本当にあるのでしょうか?)
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矢作は終わったそうです。原稿も書いていません?●矢作の反論。および解説
原稿は2015年も、2014年も2016年も書いてます。あなたが見に来ないだけです。当たり前ですよ、ブロックしてるんですもん。仮に俺が「書きましたー言っても」知らないんですよね。
「そんな中、今回、彼が(これまでなんで招待されていたのか不明だけれど、記事は書いていたんだろうか?)」 への証拠と回答です。これだけでも、名誉毀損は成立します。
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s3385.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2964.html
http://pc.watch.impress.co.jp/ba…/event/index_c105s2626.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
http://pc.watch.impress.co.jp/backno/event/index2012.html
その後のフォロー記事とかは抜いて、リンク集を5年ほど。リンク集なので、他の筆者さんの記事もはいっていますけど。
これでも、記事書いてないと思いましたか? 中身がポエムじゃないから、見る気も起きないとか行っわず、逃げずにご回答ください。
http://anond.hatelabo.jp/20160514155637
この件についてはもうひとつ。
林信行はWWDCにおいてもオレの記事をほとんど読んだことがないというか、存在さら知らないくせにdisってるんだよね。オレの記事リンクは掲載済み。
オレは例えポエムだと思っても、同業者の書いたITMediaなりASCIなりも読んでます。だから、Attitudeとか咄嗟にTwitterギャグで使えるんです。
書いてないと言われた記事、2015年WWDCのオーバービューもここにあるし、
http://pc.watch.impress.co.jp/…/…/event/20150609_705991.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/feature/20150613_706743.html
http://pc.watch.impress.co.jp/…/kaimono/20150613_706753.html
7月になってからは、WWDCで発表されたEl Capitanにフォーカスして、El Capitanカウントダウンとして、15週間ぐらい毎月記事を書いてきた。
http://pc.watch.impress.co.jp/…/elcapi…/20150821_717281.html
わずかばかりですがWWDCを切り口に、2015年にわずかばかりばかり書いてるのに、ここ1,2年全く書いてないとか、どの口に言われたんだろう。
ここまで事実を曲げて書いた中傷文の責任、またいつものへらへらニヤニヤ笑いでごまかすとはさせません。
個人名を出すのは酷いですね。望月さんには大変にお世話になりました(なってます)。でも、記事書いてますよ。Parrotのドローン、Netatom Weather Station。あと、自分で書けないとき、ロボット要素が強いときは、媒体の人に案内を振ってますし、メールにも返信をしています。あと、営業部門が広告企画を提案したいと言うことで、あなたみたいに恩義を着せる「お膳立て」は、しませんが、各種情報や日本での立ち位置なんかも説明してます。足りませんか? イヤ全然足らない、だとしたらそれは望月さんが私に直接不満を述べることでしょう。そのそも俺の記事見てないってあなたが、なんで、書いてないって決めつけるの? ぱぱ、もうリンクも貼り飽きたよ……。
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/event/20140107_629705.html
http://pc.watch.impress.co.jp/docs/news/20120522_534410.html
スフィロは残念ながら最初はPC Watch向きではないと提案がボツになり、その後石井さんのロボット枠でフォローされてます。
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彼は同情心集めが得意で、昔から付き合いがあるインプレス系の方々のスネをかじり続けているのは知っています。インプレスの方々が、他の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。それによって彼は自分が「まだまだライターとしてやっていける」という誤解を長く持ち続けてきてしまったこともわかっています(が、その担当が誰だかわからないし、おそらく友達になっていないので、この投稿をシェアできずに残念です。ご存知の方、ぜひ、この投稿をコピペしてシェアしてください)。
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そんな若い芽がいらっしゃるとは知りませんでした●矢作の反論、そして解説
多の若い方々にあげられたはずのチャンスの一部を彼に与え続けていたことも。この部分があれば、
インプレス社内でシェアしていただき結果として仕事を奪ってしまった若い方々について、お詫びと倍賞をいたします。具体名をお知らせ下さい。
そこまで知ってんのに担当の名前は覚えてないんですね。さすが、三歩歩けば忘れらる人です。
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しかし、そのインプレスも、昨年、彼が海外で暴力沙汰を起こしてからは彼のことを干している、と人に聞きました(被害に遭われた方は散々でしたね)。
つまり、彼はもうほとんど仕事をしていないんじゃないかと思っています。
もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。
実は彼のITジャーナリスト業だか、ライター業はとっくに終わっていたんじゃないでしょうか(彼が認めたくないだけで)。
そこにまんまとアップルさんが、まるでアップルのせいで廃業したかのように見せたと愚痴る口実を与えてしまったのが今回の事件の全貌だと思います。
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よっぽど私が邪魔なことが、言葉の端はしから●矢作の反論、そして解説
私がベルリンで、某氏をなぐったのは事実ですよ。この件について事実の否定はしません。中傷文のなかで、俺が誰かを殴った(とか書いてますが)事情も知らずに勝手な1事象で書くのはやめてほしい。背景には過去2年近くに及ぶ陰湿な無視行為が存在していたので、我慢の限界を超えただけの話。今回も同じですよ、積年にわたる恩着せがましさと、nobiの影での中傷(非中傷文)。ちなみに警察沙汰と言いますが、殴ったこと自体については警察は一切無関係です。ホテル入り口で、でてきたらもう一発食らわすつもりで待っていたら、ホテルから一歩敷地より出てほしいと言われましたが、敷地ギリギリでとどまり、押し問答になったので、私からドイツ警察を読んでもらい。警察のクルマに載せられる形で排除されました。現地でも調書は一枚。後日、調書を取った旨、敷地内に許可無く立ち入ったが不問、という紙ペラ一枚が国際郵便で届きました。あ、被害を受けたその人に同情してみせても無駄ですよ、その人、nobiが嫌いですwwwww
干されたという件も明確にしておきます。これはPC部門の決定なのでそれに従いました。
しかし、2016にはK-tai Watchで記事を書かせて頂き、まあこのままでは流れるでしょうが、2016のWWDCもPC Watchへと寄稿を打診し、その編集部から了承は得ています
もう一点、「もしかしたら、週刊アスキーが、獲物のいない猟場、食料のない餌場に、ノラ猫の餌をまいているのかもしれません(が最近、読んでないのでわかりません)。」
このセンテンスは、今、アスキーで原稿を書いている仕事をしている人に対する侮辱です。
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インプレスに干されてからなのかは、彼の記事は検索しても出てこないくらいに発見が難しいです。ツイッターでもフォロワーは、そこらの大学生以下くらいですよね。 マスメディアならぬ、ナノメディアに近いのですが、地上波のテレビでも取れない席が自分に与えられなかったと言って彼は愚痴ります。
それくらいに存在感のない記事、読者も求めていない記事、編集者もお情けで仕事を与えて手間が増えただけでもしかしたら迷惑かもしれない記事。
それでも「かわいそうだから何か仕事を与えなきゃ」という不健全な負の連鎖、いつまでもつづけられるわけがないですよね?
そもそも、あの見苦しいツイートの主の記事を載せるなんてメディアのブランド戦略としてもどうなんでしょう。
彼がこの先も「ITジャーナリズムの最先端をつっ走って」まだまだこれからかなり遠い先までどんどん走り続けられると本気で信じている人は、ここにいらっしゃいますか?
このあと、書きますが、彼は自己肯定力だけは強いので、走らせる距離が長いほど、崖の高いところにまで登っていきます。
今、ここで彼に同情して、もっと先にいけるよ的な声をかけてもっと高いところから堕ちさせるのは、本当に彼にとって良いことでしょうか?
だから、無責任に彼に自信を与えるのはやめてほしいと、私は思っています。
自分の人生の大事な時間を彼のために割くのは、時間と脳の無駄遣いなので、私は今回の件を本当に最後にしたいです。
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さっき、ご指定のインプレスの Watch Headlineから、矢作でエゴサーチしたら1570ありました。
くり返し検索してもでてこないのは、貴方の検索能力が低く、あるいは見たくないモノに対して盲目になっているだけです。
前述の通り、2016年、2015年の記事も存在します。WWWDCまでに向けては、これまでもさまざまな仕込みも進行させていました。
自分の目が腐っている。ネットに書いてることも読めないという、根本的な勘違いを枕にしたうえで、お情けで仕事を与えて手間を増やすとか、侮辱も甚だしいです。
見苦しいツイートの部分はそのとおりだと思います。自覚しています。
編集者の手をわずらわすと言いますが、納品後からの作業においては、日本語の起承転結や、そもそも日本語を理解してない貴方の原稿より、
私の記事の方がデプロイされるまでに格段に必要とする時間は短いです。まあ、自覚ないんでしょうけど。
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【3.自己肯定力】
ここがくどくて長いので、もう原典をあたってください。
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鬱とそれにともなう心身の不都合については、心療内科の主治医にかかっており、決められた日時に診察、カウンセリングを行って、日常的な生活が少しでも出来るよう、不眠を減らすよう、ストレスをためないようアドバイスをうけ、ずっと付き合っています。言うまでもなく、時間はかかりますが、長い将来には服薬やカウンセリングの必要のない生活へと戻りたいと思います。
http://dabunmaker.hatenablog.com/entry/nikkanheigou
この記事の発表媒体が、「はてなブログ」だということに隔世の感が極まる。
はてなって、ブックマークもダイアリー(増田含む)も、ロックミュージックのように
大きな顔しているエスタブリッシュメントに対して、唾を吐き
「We will rock you!」と中指を立てて周る、はねっかえり者の心の拠り所っていうイメージが勝手にあったんだけど
ロックがいつのまにか体制と懇ろになって、陳腐化し、商業主義化し、
耳心地のいい、うすっぺらい正義だとか、上辺だけのきれいごとばかりを歌うようになったのと同じで
そんな古き良きはてなも遠いものとなりつつあるのだなあと実感。
停滞は歪みを生み出し、そこで蓄積されたエネルギーが
いつの日にか放たれて、事態を打開してくれる、そんな日が訪れることを
少しだけ期待してる。
<足掛け7年のはてなユーザーの戯言>
黒澤や小津、今村など世界的に評価されてる映画人が活躍していた時代、映画業界は大卒しか入れなかった。しかもその当時は今のようにボンクラでも大学生になるような時代でなく、大学に行けるのは本当のエリートだった。
「社会に警鐘を鳴らし、見た後も議論が湧き、この社会に生きる者としてカタルシスを感じさせる体験こそが映画の醍醐味」と多くの人はいう。そういった、観る側も「考える行為」を必要とし、議論を交わす行為自体が一種の娯楽として捉えられる文化レベルの人間を満足させるものがより価値の高い映画ということになる。
観る側に一定の素養を必要とさせるような社会的意義を持った作品作りができるのは、「マズローの欲求5段階説」の精神的欲求を満たそうとする生活レベルに達したエリート層。「貧すれば鈍する」のことわざ通り貧乏人は即物的な欲求に走り、ジェットコースターのような低レベルな表現で満足し、議論を湧き起こすような表現を理解できない。
「スター・ウォーズ」も「第9地区」も「ダークナイト」もSF世界を描きたいだけの即物的な映画ならヒットはしなかった。SFの姿を借りつつ根底には「田舎の若者の葛藤と希望」、「格差社会」、「悪とは、人間とは何か」というテーマがあり、だからこそ観客はカタルシスを感じ、感動する。
社会的意義のカケラもない商業主義に染まりきった意識の低い連中が、カネ儲けのために過去のヒット作のカッコよさ、スピード感、キャラの表面的なエッセンスのみをかすめ取ってストーリーを後付けするような本末転倒な映画制作をして感動する作品が出来上がる訳がない。
http://anond.hatelabo.jp/20160201215412
普通に考えてみろ。
乳揺れで抜けるか。着替えで抜けるか。
抜けない。
抜けないのだ。
抜けないなら何のために入れているのだ。
作り手が入れたいから入れているのだ。
のうりんのポスター問題でも「オタクはあれで抜いているに違いない」と主張する人がいたな。
違う。
あれで抜けないことはオタクなら誰でも分かるはずだ(※箸が転んでも射精する思春期男子を除く)。
そういった絵で抜けないことには元増田も気付いているのに、
「エロは視聴者を釣るための商業主義的産物だ」という固定観念が抜けないから、
オタクはある時期になると「女の裸など見たくない!汚いオッサンを見たい!」という状態に陥る。
たいていのクリエーターはその時期をとっくに通りすぎているので、おっぱいやぱんつを描くことを厭わない。
(たまにエロ嫌悪のままクリエーターとして大成した人もいてそれはそれで屈折していて良いものだ)
エロい絵がたくさん上がっているだろう。
直接的にエロくなくても何かエロっぽい絵がたくさんあるだろう。
そいつらは「読者を釣るために嫌々」でそういう絵を上げているのか。
違うだろ。
ノリノリじゃねえか。
エロい絵を描くのが楽しくて仕方ないんだよ。
この辺りの流れすら把握してない奴が最近になって商業主義だなんだと騒いだりしてるので、備忘録がわりにまとめておく。
実況はメディア展開作品&ランキング常連実況者の開始日(つまり大体この実況によって広まったが例外もある)。
ニコニコ | メディア展開 | |
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08年以前 | 黎明期 【実況】「ゆめにっき」「ニコニコRPG」など | 2007年を最後にコンパクも終わり、ツクールはお荷物部門として扱われていた |
09/5 | 【実況】「青鬼」/ボルゾイ企画 | |
ホラーフリゲ実況バブル始まる とにかくホラゲなら実況された時代 【実況】「包丁さんのうわさ」「タオルケットをもう一度」「いちろ少年忌譚」「奥様は惨殺少女」「操」 | ||
11/12 | クリエイター奨励プログラム開始 | |
12/4 | 【実況】「Ib」/多数 【実況】「Paranoiac」/鎌首・わこう | ebがIb製作者インタビュー pixivがIbカレンダーなど |
12/10 | 【実況】「魔女の家」/多数 | |
12/12 | 【実況】「シロノノロイ」/猫マグロ 【実況】「マッドファーザー」/多数 | 漫画「NOeSIS」(ガンガンONLINE) |
13/1 | 「ニコニコ自作ゲームフェス」発表 | |
13/2 | 小説「青鬼」(php) 『Project Yumenikki』発表 | |
13/4 | ニコニコ自作ゲームフェス 第一回大賞 「感染性ナイトメア」(サスペンスADV) | |
13/10 | 小説「魔女の家」(eb) | |
13/11 | ニコニコ自作ゲームフェス 第二回大賞 「SANXEN WORLD」(マップ共有アクション) 【実況】「霧雨が降る森」/キヨ 【実況】「排気ガスサークル」/アブ | |
13/12 | ニコニコユーザーチャンネル開始 【実況】「Alice mare」/猫マグロ・レトルト | 小説「包丁さんのうわさ」(eb) |
14/1 | 小説「シロノノロイ」(MF) | |
14/3 | 【実況】「クロエのレクイエム」/キヨ・鎌首 【実況】「黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない」/recog・こーすけ | 小説「タオルケットをもう一度」(php) |
14/4 | ニコニコ自作ゲームフェス 第三回大賞 「イライラカメラ」(パーティアプリ) | |
14/5 | ドワンゴとカドカワ経営統合発表 | 漫画「霧雨が降る森」(コミックジーン) |
14/6 | 小説「キミはキメラ」(eb) 小説「いちろ少年忌譚」(朝日新聞出版) | |
15/7 | 【実況】「恐怖の森」 | |
14/8 | 【実況】「Hero and Daughter」/アブ | 小説「奥様は惨殺少女」(カドカワ) 小説「操」(eb) |
14/9 | 小説「魔王物語物語」(php) | |
14/10 | ドワンゴとカドカワ合併 | |
14/11 | ニコニコ自作ゲームフェス 第四回大賞 「Hero and Daughter」(ハクスラ風RPG) 【実況】「りるれふ」/レトルト | 小説「マッドファーザー」(php) 小説「クロエのレクイエム」(カドカワ) 小説「黒先輩と黒屋敷の闇に迷わない」(カドカワ) 小説「排気ガスサークル」(eb) |
14/12 | 任天堂、クリ奨を許可 | 映画「DEATH FOREST」 |
15/1 | 【実況】「雨宿バス停留所」/猫マグロ | 小説「Alice mare」(php) 映画「PARANOIAC」 |
15/2 | 【実況】「獄都事変」/キヨ・猫マグロ | |
15/4 | 映画「死臭-つぐのひ異譚-」 | |
15/5 | 「ニコニコゲームマガジン」開始 | 漫画「獄都事変」(ジーンpixiv) |
15/6 | 小説「Hero and Daughter」(カドカワ) 小説「ダンス・マカブル」(カドカワ) | |
15/7 | ニコニコ自作ゲームフェス 第五回大賞 「マヂヤミ彼女」(脱出アプリ) | |
15/8 | 【実況】「殺戮の天使」/キヨ | 漫画「大海原と大海原」(ジーンpixiv) |
15/9 | ほぼほぼフリーゲームマガジン 小説「LiEat」(php) 映画「ハロウィンナイトメア」 | |
15/10 | 漫画「殺戮の天使」(コミックジーン) | |
15/12 | 小説「雨宿バス停留所」(KCG文庫) | |
16/1 | 小説「りるれふ」(ビーズログ文庫アリス) |
ここから先は俺の予断と偏見が大いに入る。情報収集先はほとんどがネットで確認できること。
また、「高橋邦子」のようなツクールを使用した動画作品も別の流れとして栄えつつあった。
固定ファン層を掴んだ実況者は他との差別化を望み、また視聴者もこの頃から「動画がかぶる」ことに過敏になりはじめた(「○○のパクリ」コメントの増加)。他の有名実況者があげたものは避ける傾向が出始め、かつてのように有名実況者が皆同じものを実況することはなくなり、これ以降質の高いものが出てもブームとして機能することは以前より難しくなった。
一方、有名実況者はホラーフリゲからバカ系フリゲ・steam海外インディに足を移しはじめる。
ぶっちゃけ凡作であるが、このジャンルを大賞にしなくちゃいけなかったのだろう。
レトルトが実況するが流行することはなく、その直後に敢闘賞の「ぼくらの大革命!」でミリオンヒットを飛ばす。実況者のバカゲ流れに拍車をかけ、実況受けと書籍化作品の乖離が大きくなりはじめる。
ぶっちゃけマイクラ・テラリア狙いだがそこまでのポテンシャルがあるはずもなく。
敢闘賞に「クロエのレクイエム」。泣き系ホラーADV&作者が十代女子ペアという非常にキャッチーな構成により、カドカワのあからさまな推しが始まる。二回連続このジャンルを大賞にする訳にはいかなかったのだろう。
カドカワが何を狙っているかというと次のカゲプロ枠。あれが電通ら主導の作られたネット流行だったことを、関係者も特に隠してない。
明らかに迷走している。
いわゆるガチャ形式で女の子を集める○これ的なRPG。実況&DL数を馬鹿稼ぎした実績を引き下げての、好き嫌いはともかく鉄板受賞。作者はホラーADV→ホラーアクション→これ、と戦略的に当てにいってるので、その点結果を出して偉いと思っている。
敢闘賞「ダンス・マカブル」はカドカワ依頼で作られたことを明かしている。
持続的に供給しないと流行は作れないよ、という意図は分かるが、二、三か月でゲーム一本作らせる糞企画である。不可能ではないが、本業を持つ個人が持続的に可能かっていえばまず無理だろ。実際「コクラセ」の作者は音を上げたし、編集者のひどさを愚痴っていた。
前から企業のアプリとか紛れ込んでいたんだが、ついに今回において「バンドのプロモーションのため企業に頼んで作成した」アプリが大賞をとる。次回からは有料作品の応募も可能に。もうそういうコンテストになると宣言しているようなものなので、牧歌的な考えのフリゲ系の人は関わらない方がいい。そんな中で成り上がってやるって奴は頑張れ。
別に俺はニコニコやカドカワのやりくちは好きでもなんでもないつーかむしろ嫌いだが、フリゲは商業にいっちゃいかんというのも同じぐらいいけ好かないので、一つのルートとして存在してもいいだろと思ってる。ただ、このくっそきな臭さは呑み込んでいけよ。
あとRPG作者で文句たらたらな奴、死にかけてたツクールを蘇生させたのはこのフリゲバブルだし、一見華やかに見えるこの界隈に集まってるのは元々がお前らの客じゃなかったんだから、手に入らないものに執着せず自分の好きな物つくっていけ。
つーか今だって元々のプレイヤーには人気ジャンルじゃねえか。目立つもん作れば普通にふりーむのランキング食い込むぐらいは。
まとめて意外だったのは青鬼からIbまでが結構長めだったのと、Ibからバブル崩壊まで一年なかったことだ。そんなタイムスパンだったのか。実感ではIbが一年繰り上がってた。
そういえばあの作品どうなった?確か去年アニメになった…皆で馬鹿にしていた…えーっとなんだっけ、ほら、そうだ
カゲプロだ。
ファンが若年層ということもあり根も葉もない低能な悪口が蔓延していたカゲロウプロジェクト、最近では全くその話題を見かけなくなった。そもそも私はカゲプロの総本山と思われるニコニコ動画にもアニメ最新話の配信をチェックしに行くのみで、ユーザーの投稿動画なんて滅多に見ない。そして去年の夏、その最新話をチェックするリストにカゲプロのアニメ「メカクシティアクターズ」も入っていた。一応全話見ている。しかし本筋のストーリーが驚くほどに存在しない上に、設定だけ事前にチェックし期待していた能力バトルもほぼ皆無(最終話付近に少しあるがしょぼい…なにこれ…アクション監督つけてくれよ!!!えっ予算的に無理?そうかごめん…)で、なんていうかかなり落胆した。でもそれは「カゲプロに失望する」ということとはどうにも違う感じがしたのだ。私はその答えを導き出せないまま、こうして一年が過ぎようとしていた。
しかし最近、何故かこの落胆に対しての答えがふっと出たのだ。多分一年ぶりにアニメを見直したせいだと思う。
視聴し直した後、私はメカクシティアクターズにまた落胆した。
だって中高生があんなに夢中になっていてさ、きっと自分のほんの少しのお小遣いやお年玉をつかってカゲプロのCDや漫画を買っていたに違いないでしょ、そういう作品なわけでしょ。自分の親に自分の好きなキャラのこと熱く語っちゃったり、学校に行く途中でカゲプロの曲をipodで聴いて自分のこと最強だって思っちゃったり、アマチュアで趣味で音楽を作り絵を書いていた人達が事務所と契約して作り上げた数々のMVを見て、自分もこういうことがしたい!とかクリエイティブなことに目覚めちゃったり、そういうキラキラしたものを若い子達にきっと与えていた作品なんでしょ。キラキラした世界をすごくすごく身近に感じられていた作品なんでしょ。そのアニメがこれ。本当に落胆した。
カゲプロはきっと若い子達の夢だったんだと思う。夢を見させるなにかだった。そしてその夢がみんな大好きだった。それが意図も簡単に崩れるところを見せられた気がしたのだ。
「君達が夢を見ていたカゲプロはこんなに中身の無い作品で、アニメにするとほらね、どうしようもないレベルの作品なんです。大人達もそうレビューしているしね。」
とてもとても居たたまれなくなった。
なんでもっといいアニメにならなかったんだろう…。ツイッターで単語検索をすると中高生ですらもうカゲプロの話はしていない。黒歴史だと語る者まで居る。カゲプロはもっと凄くなる、カゲプロを好きでよかったと若い子達に思わせるだけのアニメになってほしかった。
きっとそれは色々なところに要因があるのだろう、これは殆ど私の推測でしかないが、原作者の物書きとしての経験不足、話題性と即効性を重視したのであろうアニメ化企画、キャストを含めたスタッフへの説明不足、他にも色々あるのだろうね、わかるよ。なんかもうね、悲劇のカタマリって感じのアニメ化。誰もあんな出来は望んでなかった感じすごくした。試しにオーディオコメンタリーなんかも聴いてみたわけだけれど、これも凄いこと言ってんだ。原作者がアニメ見て「このキャラこんなだったっけ!?」と驚いた話をしたり、出演者が設定資料集見ても「全然話がわからない」って言ってたり……いやもう……ここまでユルい作品初めて見たよ。話がわからないとかそれもはやカゲプロのお家芸のようだけれどね…駄目でしょそれ…駄目でしょうよ!
私はきっとカゲプロを好きだった若い人達の夢をメカクシティアクターズに守り続けてほしかったのだ。
カゲプロを作ったじん(自然の敵P)氏もしづ氏も驚くほど若い。2人ともまだ二十代前半だろう。
メカクシティアクターズの出来と評判はある意味この2つの若い芽にお灸を据えてやったという雰囲気もあってイヤなのだ。
しかしその一方でカゲプロがこうした未熟な部分を剥き出しにされ晒されてしまった作品になってしまった要因についても私は考える。それは前述したように原作者と事務所側の単純な実力不足、経験不足だろう。興味本位でカゲプロの小説や漫画を読んでみると、やはりその物語の希薄さにもどかしさを感じる。だってカゲプロが若い子達に夢を見させたのは、紛れも無い事実なのだ。その夢を実現させられるのが経験豊富な出版社の編集の手を借りて作るそれらだったのではないか?アニメ制作のプロの手を借りて作るメカクシティアクターズだったんじゃないか?でも現実はそうじゃないわけだ。そうじゃなかった。商業主義とか流行とかそういう色々なものが頭を駆け巡る。私の夢想が甘いことも察する。
じん氏もしづ氏も若い。数年前のtwitterでの発言やニコニコ生放送の内容を調べると「ひえ…」と声をあげたくなるほどにこの二人は"若い"。そしてそれらを"痛い"とだけ処理して突き放し見下すことは大人側の私はどうにも厭だった。だってあの"痛さ"は私たちが過去に持っていたもの、持ち得ていたものだからだ。
メカクシティアクターズの放送が終わり、今月で一年経とうとしている。二人の"痛さ"はメカクシティアクターズの放送以降すっかりナリを潜めているように見受けられる。
2人もまた"大人"になり始めているのだろうか。
カゲプロ、実はまだ完結していない。小説と漫画がいまだに展開中なのである。
今年発行された 小説6巻 は感触としてかなりのBLなのだが(余談だが腐女子のファンの比率は恐ろしいほどに低い)、サトリ世代真っ只中の登場人物が現状を受け入れ思考停止し運命に謀殺されていく様子は、じん氏の現状を物語っているようにもとれて興味深い。
ファン達が夢を見なくなったカゲプロ、これからが作品にとっての正念場なのだろう。にわかファンながらそう強く感じている。
この崩れかけた夢を、両名が今後どのように再建していくのか見守っていきたいと、今は思っている。
ボーカロイドジャンル、クオリティ下がってると思うぞ。つまんねーもん。
炉心融解とか、初音ミクの消失、アンチクロロベンゼン。このあたりはすごくよかったけど。
商業主義入るととたんつまらん。バラエティー的な面白さは増えたかもしれんが、曲はつまらない。
つまらないものを盛り上げてもつまらない。ごくごく当たり前ですんなりな内容としか思えなかったぞ元動画。
ビジュアル系もxjapanはよかったが、今のアルルカンとか盛り上がっててもつまらない。
実況プレイもそう。アブとかクッソつまんねー。レトルトもつまらなくなった。
応援してるのも、ゲーム知りたいとかじゃなく、ゲーム楽しみたいとかじゃなく、キヨファンとかそういう感じだろ。
つまらないんだよ、実況プレイとしては。底辺実況プレイヤーのほうが100倍面白いし、ゆっくりやyoutubeのほうが面白い。
クソすぎんだよ商業主義。
ありがちっちゃありがちかなあと思ったけど。
2倍速で見てちょうどいいテンポだった。
あとOPED歌が両方よかった。
個人的に好きだったのはOPのサビあたりのたぬきに切りつけ→爆破シーンと、
野崎くんとちよちゃんの足元がアップになって、歩く歩幅の違い的な演出があったところ。
序盤のワクワク感はかなりよかった。
中盤から後半にかけてが残念だった。
序盤のノリで丁寧に作り直してほしい。
ちょっと話それるけど、タイムスリップした人間がたまたま歴史に詳しいとかも本当都合良すぎるからやめて欲しい。
全体的に竜頭蛇尾。
TARITARIやらグラスリップやら凪の明日からやらあたりで凋落したと思ってたピーエーワークスの本気を久しぶりに見た。
作画も声もよかったけど、終盤の展開がやっぱり多少無理矢理感があったのと、もともと一発ネタ的な意味合いが大きかったから、30分1クールやるのはちょっとダレた気がする。
EDの歌がよかった。
商業主義の昨今でここまでいろいろやりまくったのはほんとすごいと思う。
そのくせ最後はなんだかんだでうまくまとめてたし。
DTBと星空めておってことで見ることにした@昔はエロゲーマー
メインのストーリーが投げっぱで終わったのは残念だったけど、中途半端にメインとサブの話を混ぜたり、ノリが前半と後半で変わるよりはよかったと思う。
肩の力を抜いて毎回楽しんで見れた。
もうゆーたとりっかがくっついてどうこうって話だったから、
俺の好きなでこさまペアがあんまり見れなかったのが寂しかった。
でもにせさまーの回はかなりよかった。最高。
原作やろうと思って見なくなった。
最初は面白いかなと思ったけどさすがにワンパターンすぎて飽きた。
富野節に耐えられなかった。
軍にいるのに好き勝手する主人公と、行き当たりばったりなストーリーに耐えられなかった。
マンネリ。
久弥直樹ってことで期待しすぎたのもある
オリジナルアニメを見ることの方が多い。
原作あれば原作は読んだけどアニメは見てないってのも結構ある。
クロスアンジュとゆうきゆうなは勇者であるが面白そうかなあと思ってるけど、さすがに話数が溜まりすぎてなかなか手が出せない。
特に後者はタカヒロのアカメのがっかり感があるから最後まで見るのが少しこわい。
参考にしたのはWikipediaの2014年のテレビアニメ。
2014/1/1 全文が正しく表示されていないことに気づいたため修正した。遅ればせながら指摘に感謝したい。
才能のあるワナビは己の思うがまま書き連ねればそれで問題ない。一次落ちなど経験することも無く、一発で新人賞を取ったり、取れなくても編集者が連絡してきたりして遅かれ早かれデビューに至り、そしてワナビに向けたラノベ創作論を書いたりする。私はこうやってプロとして本を書いてます、どうぞ参考にしてください。
これが意味するところは、才能のあるワナビは他人の書いた創作技術本を読んで必死にトレースしたりなどしなかった、という非情な現実である。ノウハウ本を欲するのはいつだって才能のないワナビで、そして才能の無いワナビは今日も選考落ちの通知を見て顔を覆うのである。○○先生の本に書いてある通りにやったのにどうしてダメなんだろうか。何がダメなんだろうか。
スティーブン・キングがプロットなど不要だと言う一方でディーン・クーンツはプロットの無い作品など糞だと断じる。大塚がまずキャラから作れと言う一方で冲方は世界から作らないようでは話にならないと言う。
ラノベに限らず小説創作技術本はそれぞれの主張がまるでバラバラであり、まとまりがない。もっともこの手の本は意識の高いサラリーマンがこよなく愛する成功体験本と同じカテゴリである。ゆえに真面目に考える必要は無いとするのも一理あるだろう。
実のところ彼らは単に表現が違うだけで、最終的に同じことを述べてるのではないだろうか。
手順が違うだけで、結局同じことをしているのではないだろうか。
もしそうだとすれば重要なのは手順ではなく最終的にどういう状態であるかにあり、その状態がいずれの作家も共通しているのであれば、それこそが欠かすべきではない要素ではないのか。
大沢は「技術は教えられるが、才能は教えられない」という。だがヒックスは「モノを書くことでの才能の問題は、相当に過大評価されて」いるとして、「それはやっていくことで獲得」できるものだと言う。
Hard work beats talent when talent doesn't work hard.
Tim Notke
本稿は個別の手順というより、最終的にどういった状態を目指しているのか、という観点でラノベ創作技術本の各説を整理し、俯瞰する。筆者はワナビではなく、単なる興味本位でこの整理を行ったに過ぎない。しかし才能が無いことを自覚し、それでもなお努力によってこれを覆そうというワナビにとって、本稿がより効率的な努力を実現する上での一助となれば幸いである。
本稿ではラノベを「ラノベの主要レーベルの新人賞に向けてワナビが執筆する、新人賞を取りうる内容の小説」と定義し、本質的なラノベの定義へは踏み込まない。このことからカテゴリエラーをめぐる問題はこのラノベの本質的定義の限界を探ることと同義であり、本稿では割愛する。
本稿執筆にあたり参考とした文献を下記に記載する。
まだ参照すべき文献は多くあるが、ひとまず本稿執筆にあたっては上記で一区切りとした。
ラノベ作家は商業主義であらねばならない、と五代/榊は明言し、飯田はキャッシュフローを生む作品こそが素晴らしい作品なのだという。実際、ラノベ新人賞は商業的に売れるラノベの発掘を目的としているのであって、ワナビの承認欲求を満たすためにあるわけではない。
新城はラノベの読者の多くは男子中高生であり、すなわち「毎月のお小遣いが限られている学生」であるとする。飯田はさらにラノベの読者はアニメや漫画、ニコニコ動画を好むオタクであるとする。そしてラノベは彼らの限られた小遣いの使い道として選択される商品でなければならない。榎本も西谷も水島も、いずれも同様に読者が誰かを意識しろと主張する。
ところでワナビが書いた新人賞用のラノベの読者は、中高生ではない。
新人賞の下読みの多くは大学生のバイトであり(あるいは主婦や新人編集者)、選考するのはプロの作家であり、プロの編集者である。いずれにせよ選考過程に中高生は存在しない。
読者が誰かを考えるべき、という指摘はもっともだが、プロの作家とワナビでは立場が違う。ワナビはラノベレーベルで勤めるサラリーマン編集者が想像する『中高生』にウケるラノベを書かなければならない。榎本は現実の中高生とふれあい彼らの考え方を理解しろと言うが、本当にそんなことをすれば事案待ったなしのワナビは少なからずいるだろうし、現実の中高生には圧倒的にウケるが20代30代の編集者には全く理解できないものがあったとすれば、それは間違いなく一次落ちである。
行頭は一段空けましょう、といった小説執筆上のお作法ができていなかったからといって間違いなく多くの中高生は気にしない。しかしプロは気にする。そうした基礎的作法の欠如は中高生云々の前にまず彼らに不快感を生じさせる、という点を理解しておく必要があるだろう(応募に際してはあらすじを付すようにという指示に対して小説の煽り文や序文を付けるといった無理解なども根は同じだろう)。
最終的なラノベに至るまでの執筆上の段階や要素は論者の数だけ存在する。例えばキングによるアイディア、原稿の2段階、クーンツを始めとするアイディア、プロット、原稿の3段階、冲方による能書き、種書き、骨書き、筋書き、肉書き、皮書きの6段階などがある。
本稿では「アイディア」「プロット」「原稿」の3段階を用いて各説を俯瞰する。この各段階は「アイディア」が最初であるという点を除けば、随時行き来することがいずれの説においても許容される。一度「プロット」に移行したら「アイディア」へ戻ってはならないなどと主張されることはないし、「原稿」の完成に至ってから再度「アイディア」の段階に戻る作家も存在する。
一方で、これらの「段階」はそれぞれ独立しているわけではないことに注意する必要がある。いずれもその前段階の上に構築されている。つまり、あるワナビが「プロット」に問題があると認識したとしても、その前段階に問題がある可能性は否定できない。これは感想や選評においても言えることであり、問題点の指摘がまったく的外れでなかったとしても、その問題を引き起こしているそもそもの原因は何なのか、という点を突き詰めなければ、根本的な問題はいつまでたっても解消されないままだと言えよう。
以下、それぞれの段階についての各論に入る。
「アイディア」とは筒井がいうところの「妄想」であり、単語、キーワード、フレーズ、断片的な会話や場面など様々なものであり、その創作で用いるかもしれないし、用いないかもしれないネタである。
冲方は「アイディア」を3段階に分けており、まず主題を考え(これを能書きと称する)、次にそこから様々な雑多なアイディアを連想し(種書き)、今回はこのあたりのアイディアを使おう、と決めて整理する(骨書き)という。
しかし実際には冲方自身、これらを行きつ戻りつして執筆を進めていくとしており、「骨書き」の段階からは後戻りしないと固定しているわけでもないことから、本稿では参考として紹介するに留める。
この「アイディア」の種類についてもいくつかの主張があり、例えば冲方は主題、世界、人物、物語、文体の5種であるとするし、榎本はキャラクター、世界設定、ストーリーの3種としている。分類それ自体が意味を持つものではないが、それぞれが独自の用語を用いて自説を主張している状態では整理のしようもないため、本稿では「主題」「世界」「登場人物」の3種に分けて整理する。
本稿では主題とテーマは同一の概念とみなすが、主題とは、そのラノベ創作において根幹となるアイディアのことである。冲方や大塚はこの主題を根として木構造状に各アイディアが繋がっていることを主張する。
主題を確定するタイミングについて冲方は真っ先に考えるとするし、大塚は作成した主人公像の要素を深化させそこから主題を抽出するとしている。榎本はプロット作成の段階で必須としていることからそれ以前に考えておかねばならない。西谷は執筆段階で突如として「物語の核」を意識する、と述べるが、この「物語の核」が主題とみなせるのであれば、プロット後に主題を決めてもいいということになるだろう。
このように主題をいつ考えるかは説によって大きな差があるが、結果としてラノベ創作において「主題」が必要不可欠だと多くの作家が述べていることに変わりはない。
繰り返しになるが、全てのアイディアの共通の祖先として「主題」は位置付けられる。従って本稿の分類で言うならば「世界」や「登場人物」は必ずこの主題と関係する要素を持たねばならない。言い方を変えれば、「主題」はアイディアとアイディアの共通要素として機能するため、ワナビ本人は主題として位置づけたが、それが「世界」や「登場人物」に関係していないのであればそれは「主題」ではない。
この「主題」があることの意義について、「読者は「設定資料集」を読みたいのではなく、「物語」を求めている」という榎本の指摘、また「「細部」には主題が宿る「細部」とそうでない「細部」があります。そしてあなた方の小説がしばしば欠いているのは「主題の宿る細部」なのです」という大塚の指摘を踏まえるなら、読者が「物語」と捉えるか「設定資料集」と捉えるかは「主題」の有無次第だ、ということになるだろう。
設定資料集が好きな人が存在することは事実であるが、彼らは設定資料集ならなんでも好きなわけではなく、特定の物語を好んだことで、その物語のより詳細な背景情報を知ることを好んでいるに過ぎない。興味のない物語の設定資料集など誰も目を通してくれはしない。
このように「主題」は重要な要素であると考えるが、その表現方法に関して榎本は主題を台詞や地の文で語ると胡散臭く、説得力が無くなるとしているし、クーンツは主題で読者を説教してはならないと注意を促している。台詞や地の文での表現を避けるとなれば、多くの場合登場人物の行動、またそれによって引き起こされた出来事によって表現されることになると考えられる。
本稿では会話文の主体になりうるものを形作る上で用いられる情報(名前、性格や容姿、口調など)の総体を「登場人物」と定義する。「キャラ」「キャラクター」とこれを区別するものもあるが、特筆の無い限り本稿ではまとめて「登場人物」とみなす。
一方で、登場人物以外の全ての設定を本稿では「世界」と定義する。具体的には魔法の有無などの自然法則、身分制のような社会構造、もしくは携帯電話の無い世界といった現代社会との差分もまた「世界」である。
いずれを先に考えるかについては諸説ある。例えば冲方や水島は世界が先だとするし、大塚や西谷は登場人物からだとする。榎本のように特に順序には言及しないものもある。
しかしながら冲方と大塚の「世界」と「登場人物」が揃った状態についての言及は非常に似通っている。
冲方は「人物たちの性格や言動や行動の全般は、結局のところ、大半が、世界と時代に左右されたもの」と言い、このような世界だからこそ、そこに登場するこの人物はこのような設定になるのだ、という必然性を要求する。
大塚もまた登場人物の個性については「キャラクターが所属する「世界」の物の見方の価値観に由来するもの」があるとしており、その人物の設定は彼の存在する世界の設定から必然的に生じたこのような価値観に由来するのだ、という必然性を要求する。どちらの側から見るかの違いだけで、冲方も大塚も目指している状態は同じだと言っていいだろう。
ワナビの「世界」について「リアリティが自分の身の回り3mくらいしかない」「おまえの世界には学校とコンビニと自宅しか存在していないのか」と五代/榊は批判し、リアリティには細部の設定が必要不可欠だ、という立場をとっている。一方で「登場人物」の細部情報への批判としては「異能力の内容だけやたら細かい」にもかかわらず「話に全然関係ない」としており、両者をまとめると「主題」の宿る細部こそが必要不可欠であり、それ以外の細部の設定は不要だとする大塚説とほぼ同一と言っていいだろう。
冲方は「そのテーマが内在する世界を、しっかり構築することができるようにならなきゃ話にならない」と世界における主題を重く位置づけた上で「実際にその世界について書かなくても、少なくとも自分は知っていたいし知らないと駄目」と細部の設定の充実に言及する。
その一方で登場人物については、冲方はそれが主題に関係しないのであれば「性別や年齢をあとから決める」とする。水島も登場人物はプロット上の必要性が出てから作れと述べ、最初に長大なキャラ表を作るというワナビにありがちな行為を繰り返し否定する。ヒックスは事前定義表に基づいて穴埋めで作られた登場人物を「組み立てられた登場人物」と表し、そして「最良の脚本には、組み立てられた登場人物は存在していない」と断じる。
だがこれらは登場人物に細部の設定が必要ない、という意味にはなりえない。例えばクーンツはプロットをまず作ることを前提とした上で、リアリティを持った人物描写のためには、登場人物に関しても細部設定が必要だとして、身長、体重、体型、年齢といった肉体的特徴、声や話し方、動作や仕草など多岐に渡る項目の設定を列挙している。
「登場人物」であれ「世界」であれ、リアリティは細かな設定によって得られるものだ、という点はいずれの主張とも矛盾しない。その細部の設定が「主題」と関係する場合は最初に考えるべきとする見解はあるが、関係しない場合、それがとりわけ「登場人物」の細部設定の場合、これを最初に考えることは多くの見解で明示的に否定されている、ということになる。
これとは相反する主張として、西谷はまず人物設定から始めるべきだとする。「積極性」「肉体的な強さ(美しさ)」「いざというときのリーダーシップ」「やさしさ」「辛抱強さ」「頭の良さ」で点数をつけてチャートを作成するのが良いとして、さらには性格、趣味、髪の色からメイクの仕方、ブラジャーの形状までを設定例として挙げており、そこには「主題」との関係性への言及はない。
ところが西谷は実際の作例において仮置きの主人公を用意するに留めており、チャートについては一切触れず、細かな設定も一切用意しない。まず最初に「世界」と「主題」に取り掛かり、「企画を練り上げる段階で、主人公を変えてしまう」「主人公を引き立てる脇役は、書いている途中で思いつく」とすら述べる。
最終的なこの作例が実際の西谷の手順なのだとすればその手法はむしろ冲方寄りである。 Permalink | 記事への反応(5) | 20:41
6,7年前と比べここ1,2年は、百合(女性キャラのいちゃつき)がオタク文化内で徐々に領域を形成してきたように思う。
で、制作サイドもそれに迎合して、今までより百合描写を取り入れるようになった気がする。
ヤングジャンプで百合話(数ヶ月前のカラテ百合?)の読切りが掲載されたときは本当に驚いた。
具体例挙げればきりがないが、アニメでも、女の子同士のスキンシップ多めみたいな作品が増えた。
ただ、古参が新参(にわか)を嫌うように、7年前頃のストパニ、百合姫初期から百合デビューした身にすると、
百合好きの方がいるなら、こういう思いに共感する方がいるかどうか気になったのと、
結婚できない http://anond.hatelabo.jp/20140918193931
こういう人でも、昭和30年代ぐらいなら、どこからか世話焼き婆とかが表れて適当に結婚相手を見繕ってきたりしたんだろうなと思った
ただ現代だと、この白痴さ加減では結婚するにしろしないで自活するにしろ、生き残りにくいだろうなぁ
でもまぁ、お節介な地元の世話焼き婆的なるものは、イヤだと決別してきた何十年があるから、もう後戻りはしにくいね
そもそもそういう「生きるためのお節介」周りは、この20年ぐらいで悉くビジネス化されてしまっている
恋愛も、結婚も、子供が生まれる、育つ、進学する、結婚する、孫が生まれて「孫消費」…と
私たちの暮らしは、すべてが、もうマーケット化しつくしてしまっている
私はそういう商業主義的なところから離れてロハスに暮らす⇒ロハス雑誌花盛り
私は子供を産んでキラキラしたい⇒子育てブログとそれをすぐコンテンツ化する人たち
こだわりのあるライフスタイルとやらだって、すべてが「こうすればあなたの理想の暮らしになりますよ(そしてXX円頂きます)」と教えてくれる
親切で醜悪なシステム
ネットの掲示板を見ると80年代、90年代のエンターテイメントは良かったとかなり聞く。
TSUTAYAで80年代、90年代のアニメのDVDを借りて見る。
ナデシコ、Lain、マクロス(シリーズによる)、トップを狙え。
有名なアニメ監督も80年代、90年代から沢山輩出されている。
ゲームを見ても今では聞いたこともないゲーム会社が挑戦的なソフトをpsで出している。
ネットはオタク専門のもので、運動部に所属するDQNやリア充のような人間は利用していない非常に中身の濃いものであった。
今はどうだろうか。
ネットはゴミみたいなSNS、糞な商業主義、政府による監視だらけ。
秋葉原はゴミみたいなニワカアニオタ、娼婦などのクソみたいな女が這う街になった。
追記
文化は衰退していないと言う人は、栄えているものを教えてください。
あと、自分が考える文化の衰退の主な原因は右傾化、不況、インターネットの普及だと思います。
日本人のネットの言葉遣いがステレオタイプの2ch風に殆どの人間がなっている。
更に追記
こんなにブックマークが付いてびっくり。
後世に誇れる文化って言ったら大層だけど、皆が楽しいと思える文化を自分が作らなければいけないな ヤバイと思う日々であります。
以下ネタバレ含む。
自分は、学生の頃にリアルタイムで、エヴァ旧劇とかリリィシュシュとかヒミズとかを観ていた世代だ。
ああ言う救いの無い作品を観た時の、絶望感に浸る感覚が好きだった。
当時は商業主義丸だしのエンタメ作品なんて、クソ食らえだと思っていたし
そんなものを好むやつを、心の中で見下していたと思う。
さくらの唄も、ワールドイズマインも、人間失格も、ノルウェイの森も、絶望の世界も、レディオヘッドも、その頃に出会った。
自意識過剰で自己顕示欲の強い、典型的なサブカル被れの痛い学生だった。
年齢を重ねるごとに、そう言う選民思想みたいなものの痛さも知り
付き合っていた彼女の影響もあって、売れてるものには売れるだけの理由とか魅力がある。
って言う風に考えがシフトチェンジして、今はワンピースもミスチルも伊坂幸太郎も好き。みたいな
この作品は救いの無い中学生編(まさに現代版リリィシュシュのような)と
読後に、これは傑作だと思った。
そう思えたのは(ネットの評判を見ると割と蛇足とされる意見の多い)高校生編の展開があったからだ。
中学生編で終わらなくて良かったと心底思う。
登場人物が過去と決別して、普通の幸せを手にする過程は読んでいて心地良かったし
絶望だけで出来たような物語を、もう今の自分は求めていないのだと改めて思った。
誰かが不幸になる話なんてクソくらえで、どうせなら登場人物が幸せになって欲しい。
そう思うのは自分が歳を取ったからなのか、時代の流れがそうさせるのか。
今は、綾波がポカポカして、アスカが鳥に食われない時代なのだ。
救いなんていらねえよって思うんだろうか。
焼身自殺で終われよって思うんだろうか。
なんとなく、そんな事を考えた。