はてなキーワード: パンフォーカスとは
猿でさえ死ぬまでは自慰行為をしないのにブクマカは一つ覚えるとずっとシコッてるんだな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jiji.com/jc/article?k=2021011000299&g=soc
にも
繁華街の近くに住んでるけど、圧縮写真なんかじゃなく本当にこんな感じ。昨日はコロナ前に戻ったのかなというレベルで人が多かった。
とか
パッと見75mm~100mmくらいで撮ってそうだから、ギリ圧縮でもなさそう。時事通信の記者(多分カメラマンじゃなくて記者撮影だと思う)も朝日炎上で気使ってそうな気がする。
といったコメントがついたので、流れが変わるかな、と期待したんだけど、ブクマカに期待した私がバカだったね。まあ何度も期待しては失望する私がバカなんだけど。
もう一回書いておこう。
あの写真のどこに「登り」が写ってるの?
圧縮してこれじゃあ相当閑古鳥鳴いてるな id:cankyan 基本的にパースが強いか弱いかってのと物の間隔、これで言うと左上の高架の柱の間隔とか見るんだよ
これは純粋に疑問なんだけど、本文の「午後には人をよけないと歩けないほど混雑した」は嘘だと判断しているの?
これも純粋に尋ねたいんだが、上野に10年住んでいるぐらい詳しいなら、写真から「人をよけないと歩けない」程度が妥当かどうか教えてほしい。
当たり前だけど仮に標準レンズでも背景の後ろは圧縮されるよ。何ミリのレンズで撮影したと思って書いてるの?
一つ覚えっすね。
これって本当なのかな?iPhoneで撮った写真が非常にSNSで映えるのは分かるし、iPhoneの広告でiPhoneで撮った写真を大伸ばししてポスターにしてスマホのカメラで撮ったとは思えない写真になっているのは見たが、センサーサイズやレンズのサイズからして、理論上通常のカメラに勝てないはずなんだけど。
スマホの小さい画面で見て映える写真は紙にプリントすると不自然に色が派手でシャープネスが強すぎるイメージがある。iPhoneのカメラ性能が高いのか、画像処理エンジンが優秀なのかよく分からん。
それなら既存のカメラメーカーが頑張って作っているカメラとかレンズは何なのかと…。広角でパンフォーカス(画面全体的にピントが合っている)の写真ならスマホの得意ジャンルなんだろうけど、やっぱりちゃんとしたカメラの方が勝っていると思いたい。
入口はオクトパスアーミーではないし、アンナ・ミラーズはもう高輪にしか無いらしい。中腹あたりの人間関係はずっとあるけれど入ったことがない。なんといっても総本山のPARCOがない。
そんなスペイン坂の頂上近く、裏の代表だったはずの猿の服屋の下、たしか映画館があったあたりに、その日の会場であるライブハウスWWWはあった。
Haru.Robinsonの音楽を初めて聴いたのは『愛が降る街』が公開される少し前、まだその名義になる前のYouTubeの生配信だった。
声の伸びがしなやかで、少年のような外見とあいまって美しい。高音の少しの危うさがそれをなおさら強調させ、これは女性は好きだろうなと思わせる。
その印象通りに会場内は7割位が若い女性。男性は本当に少なくて、そのほとんどが関係者か付き添いかといった感じ。
アーティスト然としていない近所の服屋の店員のような格好で、かすかに照れながら「シンガーズ・ハイ(本人談)」の状態で歌う彼は、ポエジーなその歌詞を本当にすべてを信じているようにも見え、その彼の創り出す音楽を女性たちは恋をしているように聴いている。
いや、けっして男性がいられないような空間ではないし、男性だからこそ楽しめるところもある(と思う)のだが、このエモさはなんだろう。
楽曲はYouTubeやSoundCloudで聴けるものを中心に、新曲は最初と最後に。
セットリストを最初はメモっていたのだけど、途中で面倒になってそのまま左にフリックしてしまったのが悔やまれる。
1曲目はライブのタイトル曲にもなっている『Urban Days』。アルバムは当日発売なのにもう一緒に歌っている女性がいて、Haru.Robinsonとこの曲のファン層の強さを感じた。
『愛の降る街』は安定の名曲だが、続く『降雪歌』の潔さと合わさって、より孤独感が感じられる。遠い街で空を見上げる時には孤独を受けいれなければならない。その寂しさと力強さをギリギリのラインで保ち続ける声と姿が素晴らしい。
今回のアルバムには入っていない『Howl』のアレンジが良かった。メロディアスで浮遊感のある、しかし安心させてくれないキーボードがどこか『ヘッド博士の世界塔(フリッパーズ・ギター)』を思わせる。渋谷だからかな。懐かしい感じがして。ネオンテトラの色彩がサイケデリックさえ感じさせる。
欲を言えば今回(たぶん)歌わなかった『Lyrical Parade』で、道玄坂から公園通りまでを間奏のBaroque Hoedownに合わせてマジカルでファンタジックに突き進むようなHaru.Robinsonも見せて欲しかった。それは、また、どこかで。
ラスト曲『Brand new day』は今回のアルバムには入っていない。何もない日常がたったひとつの何気ない出来事で、ほんの少し進んだ世界に描き変わる瞬間に立ちあえる曲。これが入っていないのは本当にもったいない。しょうがないからYouTubeの再生回数を増やそう。
アンコール1曲目は『Identity』。イントロで女の子たちの歓声が上がる。たしかにこれは生で聴きたかった。できればダンスも見たいのだけど。
アンコール2曲目の新曲『春風』も良かった。スロウでメロウなバラード。3月発売らしいが、実はFacebookでファンの女の子がアップした路上ライブの動画が見れる。配信時代ってすごい。
最初のMCで彼は「なんとなく揺れて気持ちよくて楽しいって曲はHaru.Robinsonにはないんです。頑張って歌うから頑張って聴いてください」と語った。
たしかに全曲が全力で、縦ノリでも横ノリでも休める曲がない。バンド構成も見事で、ずっとパンフォーカスの状態だから、これは正直疲れる。
しかし「頑張って歌うから頑張って聴いてください」というそれは「寿命を少しだけ削って 聞いてくれたことまず感謝します(『Identity』)」という彼からの、僕らへの挑戦でありまた僕らがたったひとつ果たすべきアンサーであると思う。
それに続く「でも 睡眠時間を削って 君に書いた歌はまたボツになる」という歌詞は、同じこの日に発売となった椎名林檎の『人生は夢だらけ』にある「こんな時代じゃ手間暇掛けようが掛けなかろうが終いには一緒くた きっと違いの分かる人はいます そう信じて丁寧に拵えて居ましょう」と同じく、すべての届けたい相手(つまりリスナーであるわたしたち)に対するアーティストからの最大のリスペクトだと思うのは僕だけだろうか。ここでいう「君」は特定の恋人でもいいが、もっと不特定多数の彼の音楽を待つ誰か、もしくは彼が贈りたいすべての誰かでもいいんじゃないかと思う。
彼のそのへんの兄ちゃんのような風貌からは、真摯的という言葉はまったく出てこない。
そして彼のサウンドは純粋に音楽として楽しめるものではあるが、僕はどうしてもその節々から、音楽に、またそれを求めている誰かに対する誠実さを感じずにはいられない。
http://anond.hatelabo.jp/20160527041103
ブコメやトラバのコメみて思ったんだけど、この増田、指摘されてること、ちゃんと自己分析できてるよ。
>パンフォーカスよりも、被写体深度が浅い写真が好きなことを思い出しました。
>それでも軸上色収差が許せない、そんな心の狭い人間なんです。
この一節はカメヲタじゃないと意味不明だと思うけど、俺なりに言い換えると、
「一般人のような柔軟な価値観と広い関心事で生きることよりも、自分の狭い価値観の中の方が居心地がいい。
ただし、好きなことであっても、少しのノイズも許せない。そういう了見の狭い人間です」
って感じの意味だろ。指摘されるまでもなく、十分過ぎるくらい理解してるんだよ。人としては色々問題もあるけど、彼女作ってセックスまで持ち込んで、その上で「つまんねー」と評価したんだろ。努力していないわけじゃない。何もせずに思い込んでるわけじゃない。本人なりに努力してそう結論付けたんだから、外野が偉そうに「もっと性的に主体的であれ!」とけしかける必要なんて全く無い。そもそも、生まれてきたすべての人間が性に主体的で貪欲である必要なんて全く無い。増田みたいのは本来の意味で自閉的に生まれついてるんだろう。LGBTと同じで、そういうのも認めてやれよ。
フルサイズ換算で40mm。
50mmでも28mmでもないこの40mmという画角がまさにアツい。
その中で辿り着いたのがこの画角。40mm。
以下理由を列挙。
・明るい単焦点が手頃に買える。
といってもずばり40mmっていうのはあまりないので、フルサイズなら35mm。APS-Cなら24mm~28mmくらい。
・手ブレが起きづらい。
自分の中で、手ぶれ補正なしの場合、1/画角を手ブレが起こりやすくなるという目安にしている。
40mmなら1/40だ。これくらいのシャッタースピードなら室内であってもそれほどISO感度を上げずに確保できる数値だ。
食べ物や子供を撮るときは室内が多いため、照度を諦めずにチャレンジできる。
・レンズが小さい
・歪みが小さい
これ以上広角になると歪曲収差が目立ってくる。
これくらいの画角であれば、建物も人の顔も歪みがさほど気にならない。
とくに子供はカメラに向かって一目散に向かってくるので、近くまで撮れるレンズはありがたい。
・ボケがちょうどいい
50mmほど背景がとろけるわけでもなく、24mmほどパンフォーカスで写るわけでもない。
人間の目で見るボケをちょっと強調したくらいに写る自然さがいい。
・料理ならお皿と人がちょうど入る
対面に人が座っていても、料理とお皿を同時に撮すことができる。
・こどもなら風景も一緒に入る
子供の写真を撮るときに、どんな場所に居たのかを一緒に収めることができる。
せっかく出かけたのに背景がボケボケで子供は可愛く写ってるけどここどこだっけ?みたいなことがなくなる。
・ビデオにもちょうどいい
さらに大画面で見る時、ちょうど人の視界と同じくらいに写るので見やすい。
ついこの間まではフルサイズ換算50mmがもっともアツかった。
その時は、被写界深度の浅さや、被写体一つに限定する緊張感がよかったのだと思う。
ただ最近になって構図を色々と整理できるようになってきたのか、それでは物足りなくなってきたのだ。
被写界深度が深くなり画角が広くなるということは、つまりそれだけ写真一枚における情報量が増えるということだ。
人それぞれに目指すものがあるので何を持って上達というかはわかれる部分だと思うが、おそらく自分にとっては構図技術の向上=画角の広角化につながっていくのだろう。
アツい。アツすぎるよ40mm。