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2024-03-23

anond:20240323101114

営業部門としては「商品に力がないから値引きしないと売れないんだよぉ」とは言えないんだよね。

売りやすいもん作れやオラア!!!って言えばいいだろ

言えないんじゃなくて軋轢を恐れて言わないだけだろ

部長が「元キーエンス営業」というふれ込みの人が書いた本を読めという、だけど、

キーエンスって商品サービスが滅茶苦茶強い会社じゃん?ただ、製造ライン用の電子顕微鏡とか、モノが特殊から

入れるところにボトルネックがあって、お金をつけて入ってしまえば売れてしまう、みたいなところあると思う。

なので、営業ボトルネックは、アポ取って商談してお試しだなんだって商品を使ってもらえればほぼ勝ち、みたいなとこある。

営業さんはその単純な戦場でひたすらアポとってる印象。だから、「レッドオーシャンで血まみれになっている状態改善したいか

キーエンス営業に学ぼう」、っていうのは違うんだよなぁと思う。商品サービスのものを良くしていかないと勝ち筋がない。

でも、営業部門としては「商品に力がないから値引きしないと売れないんだよぉ」とは言えないんだよね。それはまあわかる。

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2023-09-15

楽器業界から去ることにした

仕事管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。

気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。

この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。

大抵は店頭接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校音楽先生パシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。

因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハ看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署地位は低い。

管楽器などというものピアノヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。

などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。

私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。

当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死楽器を直しまくるしかない。

客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである

その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。

そうやってたくさんの楽器からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。

さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。

一般的楽器店にしろ全国に点在する工房しろ、とにかく労働環境が悪い。

数行前に薄利と書いたが、性質ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。

単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラセクハラ蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らし余儀なくされたなんてパターンもある。

そのため専門学校卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間20代のうちに業界を去る。

私の同級生たちももはや私が最後の一人だ。

20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。

私は頭が良くないので、自分管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。

なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。

営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニアイス買ってお昼寝できる。

楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである

たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。

修理部門に異動になった理由何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。

でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。

担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。

それに思うように手が動かない。

10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。

今の会社労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。

転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえあんまりだ。

今の会社転職してきた理由は、ダブルリード経験を積みたかたから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。

ダブルリード経験は積めなかったが、営業経験は積めた。

入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。

管楽器の修理をやろうとする人間陰キャが多い。陽キャ音大に行く。音大ヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口やばいヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。

しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。

この業界には40代50代になっても高校とき吹奏楽コンクール全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。

しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。

私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。

泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。

修理を今更やる気になれない。ダブルリード経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。

異動から2週間で無理になった。すぐに転職活動を始めた。

営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業アファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。

平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒女性採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。

おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAX写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。

それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。

育成前提で業界経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。

悲しすぎる。今の会社業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。

そういえば新卒ときの月給は12万だった。地方。総支給ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。

つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。

結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。

そんなことより明日休みなので阪神優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間お金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから

でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。

訳の分からない文章いくら書いたところで何にもならないな。

2023-08-15

anond:20230815141546

そうでもない。JTCの営業部門とかだとスキル重視されない。姿勢とか発声とか顔とかみて良い感じかどうか見てたりする。

いわゆる面接コミュ力を鍛えればその辺は競争力がつくから対策可能

2023-07-26

損保ジャパン辞めたときのあれこれ

私の人生ってもう終わったらしい https://anond.hatelabo.jp/20211002214318

というのを2021年に書いたんだけど、会社より親のことを多く書いてしまったので、会社の方をもう少し書こうかな

新卒損保ジャパンに入って、教育係の上司から一切の業務を教えてもらえず営業部門でもないのに死ぬほど酒を飲まされたり長時間怒鳴られてうつ病になったんだけど、

うつ病精神科から「まず一刻も早く休職して」と診断書を書いてもらったので郵送で会社に提出、電話休職の連絡を入れた。

そのあと、1週間後くらいに会社に来いと呼び出しがあった。

うつ病で寝込んでいようとおかまいなしだ。

頓服薬を飲んでフラフラしながらなんとか会社に来た。

支社長と、その地域の支社を管轄する人が来てて、開口一番、「どうして会社に直接診断書を持ってこないんだ、郵送なんて非常識」と支社長に言われた。うつ病からだよ。うつ病の人お前の支社に何人も居るだろ。

地域の支社を管轄する人には「直属の上司からパワハラされたと言っていますが、されていませんよね?嘘はだめですよ。あんなに良い人なのに」と言われた。

パワハラはなかった。あなたの心が弱いだけ。これで合ってますよね。」とも言われたが、うつ病でもう言い返す力が残っていなかった。

ちなみに、この時点で既に辞めた同期がいる。きっと何かあったんだろう。

辞めた後、少し回復したのでパワハラがあったことを本社に報告したが、証拠不十分のため調査すらされなかった。

辞めてから数年が経つが、未だにフラッシュバックや不眠の症状があり、カウンセリングを受けたり精神科で投薬治療を受けている。

学生の頃の、元気な自分はもう返ってこない。

学生時代にアルバイトサークルを4年間続けていたのが信じられない。もう何かをそんなに続けられるとは思えない。

でもまあ、交通事故で死んでないだけマシなのかもね…

損保マンの憂鬱

渦中の損保の元社員ビッグモーターのような大手ではないけれど、モータチャネルと言われる中小の整備工場保険代理店を主に担当してた。

損害保険会社保険代理店組織組織なら商品サプライヤー側が強いのだけど、現場営業部門ではそうはいかない。今どきの代理店複数保険会社の取り扱いがあるところがほとんどだし、代理店の思惑一つで自賠責任意保険を他社に切り替えられちゃうわけよ。もちろん、顧客側がネット系を含む保険会社指定することはあるけど、ディーラーで車を買うと同時に勧められるがままに加入している人はかなり多いよね。

なので、代理店担当する営業社員はまぁ完全に首に縄をつけられた小間使いと化すわけ。相手の機嫌を損ねたら他社に数百万の挙績が移るし、その結果は上席者からの鬼詰なわけだからそらなんだってするよ。自動車保険商品力の差なんて知れてるし、営業人間力(=滅私奉公)に全てがかかってるからね。自分場合も土日のお祭り草野球ゴルフ商店街旅行と散々額に汗を流しました。営業時に必ず家族との夕食に同席させてくれたIさん、今も元気で過ごしてるかな?

サービスが行き渡ってる以上、保険会社トップラインを伸ばすには他社のシェアを奪う必要があるし、そのためには乗合代理店から顧客への切り替え提案を引き出すのが一番手っ取り早い。危ない橋ながらも目先の利益に飛びつくインセンティブは少なくとも営業社員にはめちゃくちゃある。今回のケースもそういった中で火中の栗を拾いに行ったのでしょう。

もちろん、保険会社にもリスク査定する部門はあるし、そういったところからブレーキがかかった可能性は高いと思う。ただ、往々にして保険会社営業が強いし(査定本社を非現業と下に見る文化は各社にあるのでは?)、話題損保は昔から強烈な営業偏重姿勢で有名。営業社員は報告時に後ろぐらさを伏せるのでどこまで社内に危機感が共有されていたのかはわからないが、まぁ起こるべくして起こった事件だなと感じた。

2023-07-08

広報としてスタートアップ転職したけどもう辞めたい

昨年、とあるスタートアップ企業入社しました。職種広報


元々はそこそこに大きな会社広報をしていたのですが、既に有名になっている企業サービスではなく、まだ世の中に知られてないいいサービス社会に広めたいと思い、今の会社転職

自分の思い描いた環境に来たはずだったのですが、求められる広報活動が思っていたものと異なっており、日々悶々としています


何に悶々としているかというと、社長が世の中に発信したがる情報基本的に嘘なのです。

ユーザー数が実際には500しかいないのに、「ユーザー数50000人突破」みたいなプレスリリースをつくることを要求されることがしばしばです。


嘘のネタをまとめて、嘘のネタを元にメディアアタックし、嘘のネタを元に記事をつくってもらう。こんなことを常に繰り返しており、もうずっと胃がキリキリしています


数字盛るのはやめましょうと何度も社長に言っていますが、プレスリリースを出さないと成長が鈍化しているように見えてしまうため、NGだと言われてしまいました。


恐ろしいことにユーザー数が○○人になった」「流通額が〇〇円になった」というプレスリリースを出すスケジュールCEOの中では3年先くらいまですでに決まっており、それを崩すこともNGだそうです。

計画は間違っていなくて、外向けの数字実態乖離しているのは営業が悪いとも言っていました。


先日は営業部門から

実態と異なる数字公表されてしまうと逆に営業しづらい

数字の誇張が大きすぎて数字に突っ込まれた時に説明がしきれない

といった声があがりました。

これに対して社長

広報が出してしまったんだから仕方ない」と回答したらしく、営業部の中では私が悪いということになっているそうです。(という話を営業の人から聞きました)

もちろんユーザーインタビューをしたりして、まともな広報仕事をできる時もあるのですが、とにかく社長の考える社外向けアピールに付き合うことがとても辛いです

残業してオフィスで一人で嘘のプレスリリース資料をつくっている時など、ふと涙がとまらなくなることがあります


私は今でも、うちの会社サービスやコンセプトはとてもいいと思っており、いっそ私が営業転向して事業を伸ばそうと思うこともあるのですが、私が営業になったところで大した戦力にはならないだろうし、餅は餅屋なんでしょう。

ユーザーが増えていなくても、売上が伸びていなくても、プレスリリース自分主導でいくらでもどうとでも作り出せる。

そんなプレスリリースの魔力に取り憑かれてしまったのか、社長事業の進捗が悪い時ほどプレスリリースを出すことにこだわります

虚構アピールをするよりも、着実に事業を伸ばすことに意識を向けたほうがいいと思うのですが、そんな私の考え方は経営者目線ではないキレイゴトなんだそうです。


スタートアップってどこもこんな感じなのでしょうか。

2023-03-16

勉強すれば、言うことを聞けば幸せになれると思っていた

勉強していい大学を出てちゃんと働く人間になれ、言われて育った。勉強して理系大学を出て、400人くらいの規模の製造業に入った。5年くらい設計をしていたが、下働きばかりで成果と呼べるものはなかった。人員不足があったらしく営業部門に転属になった。へらへら笑うことだけは得意なのが災いしたのだろう。営業でも大した成果は出なかった。上司理系卒の頭でっかちは気に食わなかったようだった。利益率の低い成果の出なそうな、手だけはかかる製品営業担当になり、何もできずに数字は上がらなかった。5年経って今度は再び設計システム周りを担当する部署に転属になった。成果は求められない間接部門だと思っていた。やれやれこれで少し楽になれる、そう思っていた。本当にやる必要があるのか分からないゴミみたいな雑用が大量にやってきて、毎晩深夜まで働いた。結婚して子供もいたが共働き相方にたくさんの負担をかけた。

45になり、この春係長になった。気がつけば同期入社男性ほとんど課長クラスになっていた。

ずっと気を使って生きてきた。クビにならないように、嫌われないように、わきまえろと言われて頭を下げてきた。何だったのだろう。全然楽しくない。肩がこる。首が痛い。

会社女性活躍とかサスティナビリティとか多様性だとか言っているが、がんばって働いていたら「はいゲームチェンジです。ルール変わったかよろしく」と言われても今更頑張る気力も能力もない。

この先の人生自分にとって楽しみになることも思いつかない。言うことを聞くのはもう疲れた。早く楽になりたい。

2023-03-13

anond:20230312130843

JTCの営業部門とかだと、仕事中のタバコ休憩は高貴な休憩に分類されてサボりカウントされない

未だにタバコ部屋で人事とか経営方針とか決めてる会社ある

タバコ吸う方が会社内で楽に生きやすい 

そんな会社はまだ結構ある。

2023-02-27

システム開発に失敗する企業共通する、たった1つの特徴

東洋経済のこの記事にある失敗リストの中に、増田過去仕事で絡んだことがある企業の名があった。https://toyokeizai.net/articles/-/654474?page=2

具体的な企業名は伏せる。A社としよう。

A社は15年以上前から同じ基幹システム(一応オープン系)を使い続けていて、何年も前からいかげん基幹システムが古すぎて業務改革どころか改善もおぼつかないから基幹システムを再構築しようとしていた。

しかし何回プロジェクトをやっても失敗し、古い基幹システムを使い続けるという状況に戻らざるを得なかった。

失敗理由は「安いベンダー安易に選んで炎上」「変更要求コントロールしきれずに頓挫」など様々な理由があったが、一番の理由

ブラック企業体質で社員の定着率が悪く、業務側やシステム側のキーマンが気づいたら会社から去るという事態を繰り返した」

という点である

これではどんな素晴らしいSIerに頼んでも使えるシステムは出来上がらない。要件定義が十分出来なかったり、出来たとしても後工程の変更要求妥当検証マネジメントが極端に難しくなったり、などが起きるからだ。ちなみにA社は営業部門の声が大きいが、システム要求提示してきた人が半年後には退職してることもざらにあった。

そして失敗を繰り返すうちにまともなベンダーは近寄らなくなり、聞いたこともないような外資系ベンダー中小ベンダーに泣きつくも彼らがA社をコントロール出来るわけがないのでまた失敗を繰り返す。

東洋経済記事にある事例の企業のうち、2010年以降にある事例の大半は世間ブラック企業扱いされている企業だ。

社員の定着率が悪いブラック企業システム開発は失敗する。ただそれだけの話なのである

2023-01-11

IT系営業

社会人になってから長年システムエンジニア(に近い)仕事をしてきたのだが、同時並行的にやる仕事メチャクチャ多くなってきたことと上司無理解が重なった結果、

甲斐もなくキレてしまい同じ会社営業部門営業支援技術担当として異動してしまった。

ちなみに会社外資系IT企業日本法人で、中途入社して10年以上の勤続年数である正社員で、特に部下もいない一般スタッフ

エンジニア(ぽい仕事)の時は、契約に基づいて作業することが求められていたので、細かい実現方法トラブル対応などの難しさはあったものの、「やることがわからない」ということはあまりなかった。

仕事自体もお客さんや営業が持ち込んでくるのでそれを捌けばよかったのだが、営業職に移ってからはまさに「何したらいいのか」がわからずしばらく暇をぶっこいてしまった。

ある程度周りをみたり、同僚のやってることを真似していろいろ始めてはみたものの、大した成果は上がっていないというのが現状。

俺はお客さん(アカウント)を固定で持たないで、特定ソリューションデータベースとか、セキュリティとか)に関する営業担当しているのだが、

そもそも話が来た時点で俺の担当ソリューションの話じゃなかったり、間違えた使い方をしようとしてたり、競合と天秤に掛けてきたりと無駄な会話も多い。

一番気になっているのは、「時期に関する感覚ギャップ」ってやつで、会社マネージャー層は「すぐ売れる」って思っているがお客さんは「じっくり比較検討して予算執行時期が来たら買う」って感じだし、

一緒に動いているお客さん担当は「早く買ってくれないかなー」と思いながら俺は「どういうスケジュールでこの話は動いているんだ」って思ってる。社内ではマイルストーンとかパイプラインかい表現

どんな案件が今どんな状況で、今後どれぐらいの売上がいつ上がりそうなのかをシステム管理しているのだが、これがそもそも内容がめちゃくちゃだったり更新されてなかったりするので、俺も含めて色んな人が情報に振り回されている。

それでも、エンジニアやっていたときよりは仕事は忙しくないし、プレッシャーもきつくないんだよね。で、給料も同じレベルだったら営業部門のほうが良かったりする。なんなんだろうな。

もちろん売上が上がらなかったらリストラもあると思うんだが、エンジニア部門でも10年で3回ぐらい、デカリストラがあったかエンジニアの方が厳しいかもしれない。

ついでにいえばリストラで割増退職金が出るならむしろ喜んで出ていくと思う。自分でやめた時は出ないからね。

別にうちの会社特殊なことは無いとおもっていて、よそのIT営業部門でもこんな感じなんだろうな、とは思うんだけど、この仕事うまくやっていけるのってどういう人なんだろうな。

言語化できる能力があればいいんだけど、無いか悶々としている昨今ではある。そんな事考えてても給料もらえてるので幸せなんだろうけどね。

2022-08-06

anond:20220806033427

以下自分語り

WEB事業会社で15年ほどWEBエンジニアやってたけど(転職3回)、色々あって結局SESやってる。SESといってもフリーランスだけど。

事業会社技術力でコミットして社会に貢献」なんて若い頃は思ってたけど、よっぽどいい会社に勤めない限り数年でそんな意識の高さはなくなる。

 

 

はてな界隈じゃやらたキラキラした退職ブログばかりポストされるけど、退職ブログ書かない(かけない)自分のような雑魚エンジニアは大体こんな感じになりがち。

この界隈がやたら転職多かったりフリーランスが多かったりするのはこういうのが多いから。

普通レベル技術力があれば転職なんか楽勝だし、フリーランスもっと楽勝。

しろ会社であるメリット殆どないし(社会保険が安いぐらい)、会社事業都合やら社内政治やらに付き合うのが面倒になってフリーランスになる。

フリーランス(という名の派遣)に社畜根性を求めてくる現場まれにあるが、次の契約更新でサヨナラすればいいだけの話である

 

自分WEBしか経験なくSIがどうなのかはよくわからんけど事業に直結するWEB系ですらこんななので、レガシー大企業が基幹システムを内製しようとたところでWEB系以上に漂流するプロジェクトエンジニアが増えるだけだろう。

形だけ内製にしながら、事業部門営業部門お客様感覚で開発部門下請け化してブラック化->退職者続出する未来しか見えない。

あの野村證券野村総研使わず日本IBMつかって開発失敗した挙げ句訴訟に負けている。グループ会社に使えてないのに内製化なんか出来るわけない。

2022-08-03

会社トイレ微妙に汚くて鬱

勤め先は割と有名な企業なのだが、営業部門トイレが汚いので毎日少しだけ鬱になる。

男性便器の足元におしっこがいつもこぼれているのだ。なぜそうなるのか全然理解できない。

2022-07-12

なまり営業強えええええ

先月から営業部門が二人入ってきた。

一人が岩手出身で、一人が鹿児島出身だ。

二人は普段はそうでもないんだが、言葉尻が思いっきりなまっている

それは営業においてマイナスかも知れんが、これに会話力が加わるとすごいことになる

地方エリア開拓だ。彼/彼女らが入ったおかげで東北九州新規お客様が格段に増えていっている

関東の商談は使わないように話しているっぽいのだが

地元の商談になるとなまりを(わざと?)バリバリ使って勧めてゆく。

やはり東京の通常弁だと警戒されるらしい。彼/彼女らの快進撃はしばらく続きそうだ

2022-05-20

小心者の憂い

営業部門から私は陰でディスられてるらしい。

春先から異動し足元の炎上案件を処理してきたけど、ここにきて営業から提案レビュー依頼がきて、

その提案が低品質だったので、指摘やツッコミいれたら、陰で

「これは企画仕事だろうが、テメー(私)のとこがやるべきなのに、その言い草はなんだ」と。

ん?どういう経緯か知らんけど、この企画案をお前がしてるってことは、お前のタスクであって、

そこに指摘されたからって逆ギレされましても困惑するわ。

レビュー依頼に対して、正面からレビューしたら逆ギレされたわけだが、これどーすりゃいいの?

ロジハラなの?

2022-02-14

大手10年超働いてるけどレベル低い仕事しかしてない


いわゆる大手企業新卒入社して10年超働いてきたけど、

なんというか何のスキルも身についてないし、大した仕事をしていない。

実際のところ一部のプロフェッショナル人達を除いてみんなこんなもんなのか

自分やばいのかよくわからないので忌憚のない意見をききたい

これまでの経歴とかスペックとか

 管理部門を1部門営業部門10年くらい。

 営業部門経験の中には子会社への出向と海外東南アジア)への駐在を含む

 英語仕事の分野での会議とかやりとりくらいならとりあえず出来る程度。(字幕なしで映画みてもチンプンカンプン

 業界知識何となくついているけど、独立とかできるようなもんではない(業界的にもそんな業界じゃない)

日々の仕事といえば、会社としてこれまで作り上げてきた事業にのっかって、担当案件について社内外との調整をいろいろしながら、

なんとなく会社方向性にあって儲かる方にまとめていく、っていうのを延々と繰り返している感じ。

なんというかプロフェッショナル技能とか一切ないし、自分ならではの強みとかも皆無、なんとなく先人が作り上げてきたもの

受け継ぎつつ、それとなくあたら得られたポジションをまっとうしてるだけというか。

うまく言語化できないんだけど、サラリーマン的な調整とか手さばき、みたいなものけがうまくなっているだけで

全く強みがなく役職だけ徐々に上がっていっているなという感じ。

このままだとぬるま湯でゆであがる、みたいな感じになっちゃうのかな

普通サラリーマンとかは10年も務めれば「これが俺の明確な強味!」みたいな技能身に着けてるもんなのかね。

2022-02-11

近い将来本当に自動車整備士がいなくなるかもしれないという話:追記してみた

俺は馬鹿から文章うまいほうじゃないからすまんが適当に書いてく

最近トヨタディーラー不正車検話題だが何が原因かと言えば整備士離職率

とにかく低賃金整備士を目指したのにも関わらず昇給するには数年整備部門に在籍したあと営業部門に数年異動しなければならず

結婚しても整備だけでは食って行けずに営業をやりたくないなら辞めるしかない

どこもそうかはしらんけど、やっぱり縦社会体育会系パワハラも多い

大手自動車メーカー名前がついているディーラーで働いている整備士ほとんどが自動車整備の専門学校からだが

卒業生には毎年親戚に自動車整備に興味のある人はいいか?と催促のDMが来るくらい整備士になりたい人がいない

というか整備士にお願いしてもきついし給料低いしで誰も勧めたがらない、こんな職業好きでもないとまじで続かない

自動車整備士資格は3級2級1級とあるんだが1級は十数年前に新設されたばかりでなんで新設されたかというと

最近の車は全部電子制御なので電気知識がある凄い整備士だっていうのを客にアピール出来る資格として作られた

こういうのもなんだけど、客はそこまで考えてないし故障説明したって対してわかってないから正直あってもなくてもいいレベル

通常は整備士2級を取るために2年専門に通うんだが1級まで取ろうと思うと追加で2年余計に通うことになる

大卒と同じ時間をかけたとしてももらえる給料はたいして変わらない

そんなまでして取る一級整備士資格溝金だよほんと

整備士専門学校授業料だって安くないむしろ専門学校の中でも高額の部類だ

専門に入るとして奨学金制度という名の借金をして整備士になって奨学金を払いながら仕事してたらまじで生活に余裕なんてない

本当に救いようのない職業だと思う

追記だけど整備士仕事は無くならんよEVに移行したとして足回りは今まで通りだし

そもそも部品点数が減っても部品が壊れた時アセンブリで付け替えんの誰がやるのさ

まあ金に余裕がある人がどれだけいるか知らんけど

定期点検とかでさ洗車とかエアコンフィルタ交換とか今は整備士営業してくるところが多いと思うんだけど

お金に余裕があるならそういうところで成績上げさせてやってくれ

まあ根本的な解決にはならんがな一応言っただけ

2021-10-30

ホワイト企業ブラック部署で働いていた。

肉体労働に関わらず一日12時間労働、週休1日、残業代なしの事業所従業員5人。製造部門で常に営業部門から強めのクレーム。ちなみに独身が多数。

5年間耐えて働いた。

昨年度、色々あってブラック部署はなくなり、自分ホワイト部署に異動になった。

喜ばしいことなんだろうけど、超ハード仕事をしていた時には気にならなかった将来への不安に悩まされている。うつにもなった。

できることならもう一度ブラックに戻りたいとも思う。

2021-06-30

anond:20210630064348

⑥それに対してテック系の人たちはそもそも業務内容・アウトプット・進捗が割合定量的管理されていることが多く、会社での評価が、上司にどう思われるかも重要だがそもそもアウトプットの量と質・進捗を守ることが大事になる。またアウトプットの質は、ある程度投入時間に比例するし、ノウハウ的な蓄積も投入時間に比例する。会社で謎接待をする・される時間があったら業務アウトプット品質向上や進捗管理に投入したいと考えている。そもそも進捗が守れないとデスマーチを行進しなければならなくなることがあり避けたい。ここが人事・総務など社内スタッフ部門営業部門との違いである。

⑦⑥のテック系の人同士で進捗会議をするときには目的を達成が最優先だから相手気持ちよくして譲歩を引き出そうという意識は互いにない。その場に百貨店外商みたいなビジネスマナー体現者が入ってくると、警戒するし時間無駄却って失礼な奴という印象をもつ。なので、テック系での打ち合わせ商談は、相手気持ちよくさせるためのビジネスマナーは最小限にして、時間効率を重視する方が好感度高い。過剰のビジネスマナー慇懃無礼/謎マナーと言われる。

⑧ある程度の大きさの会社だと、テック系のトップに人事・総務など社内スタッフ部門出身で、社内政治出世した畑違いの人がつく場合があり、時間の使い方についての価値観特に違うので部下からとても煙たがられる。アウトプットの中身そのものよりも、アウトプットはできるだけ手を抜いてつくり、それをいかに上手に自分の手柄として社内上層部に売り込み自分組織との評価を上げるかということに注力がある。こういうトップアウトプットの中身に関心がないのでコア価値コンピテンシーを生み出せず中長期で技術組織を弱体化させることが多いと思うが、出世に対して確信があり、実際出世することが多い。

テック系の人はスタッフ系の人たち、社内政治に敏感な人たちが「ビジネスマナーを重視している」ということについて、

少し注意を払うと会社でとても生きやすくなるので、ある程度配慮するということも処世術としては重要になる。

2021-06-14

雰囲気仕事してた

僕は多分、自分の周りの世界を正しく認識できていなかった。そして、それは雰囲気仕事を行うことに繋がっていた。

これは、決して目の前にある物を正しく視認できない、という事でもないし、また他人気持ちを正確に読み取れない、というものでもない。

勿論、僕は他人気持ちを正確に汲み取れてなどいないのだが、とにかくそういう事ではない。

この問題を感じたのは、ずっとずっと前のように思えるが、実際には7年前に社会人になった頃だった。社名や業種は公開しないが、サービス業営業部門企画的な仕事を行う部署に配属された。

そこでは、施作自体は他社の後追いに過ぎないものが過半であったが、淀みなく施作が企画提案・実行というレールに放たれていた。僕はそういう環境に身を置きながら、少しだけ自身とのズレを感じ始めていた。

先輩や上司は一体どのような思考で、施作を考えつき、実行しているのか、全く分からなかったのだ。

僕は少し悩み、飲み会(!コロナ前は普通だったのだ)で相談してみた。すると、まあ当然なのだが、慣れや経験不足を指摘された。

しかし、違和感は、僕の中で、夏の空に浮かぶ入道雲のように膨らみ続けた。成層圏にたどり着いたある日、突然、僕の心を揺さぶ稲妻の如き結論を叩きつけた。

僕は何も考えてなどいなかったのだ。

いや、正確に言うと、僕は所属する組織ビジネスを巡るマクロ環境顧客の動向への知識が浅すぎて、考える事などできなかったのだ。

そう、雰囲気仕事をしていたのである

「何をバカな事を。」、「お前が仕事できないだけだろう。」など読者諸賢に於いてはそうした罵詈雑言を僕に投げかけることだろうが、甘んじて受け入れよう。

僕は、つまるところ、少しはデキる奴だと信じて生きてきたのだが、そんな事はなかったのである

これは、僕が、自分がデキる奴だと思い込んでいた痛い奴というだけの簡単問題ではない。

なぜか。

その答えは単純である

そのままでいても、おそらく問題いからだ。

僕は、違和感を持ち続けてこの自身問題に気付いた。しかし、それは矯正されずに過ごせてしまったということの裏返しでもあるのだ。

もちろん、出世はしにくいのかもしれない。だが、クビにはならないだろう。驚くべきことに、僕の評価過去上位を保ち続けたのである

会社という、何らかの利益を出さねばならない環境においても、雰囲気仕事をすることが許される。これは考えようによっては恐ろしいほどに顧客への冒涜だろう。顧客は我々に、プロとしてのサービスを期待しているのだから

にもかかわらず、僕はあるがまま生きてきてしまった。

しかすると、大半の人はこの問題、つまり世界をきちんと認識して、それを仕事に活かす、ということをしているのだろうか。

それとも、一部の人けが考えており、大半は雰囲気仕事をしているのだろうか。

いずれにしても、僕は冷や汗で気持ち悪くなる。

気付かずに過ごしていたら、僕はどうなっていただろうか。気付いたとして、僕は一体どうしたらいいんだろうか。

2021-02-02

営業部管理職営業しなくていいのか?

大企業向けの営業部門にいる営業担当なんだけど、営業部門管理職って営業してなくないですか?

例えば部長だったら、お客さんの部長クラスとの打合せは直接連絡してほしいんだけど。

担当が間に入って調整する意味あるのか?

からいつまで経っても名前間違えられるんじゃねーの?

偉い人は自らお客さんの偉い人とリレーション構築してほしいんだけど、下っ端が間に入るのって普通なのか?

2021-01-24

強かな意識高い人、人事の建前と本音と、会社の建前と本音

つい先日、地方から東京引っ越しをしてきた会社の同期(彼は転職した)と久しぶりに会った。

その時に、就活会社キャリアの話になったので、備忘として書こうと思う。


私は、一時期は業績悪化に苦しんだが、今は(一応)絶好調の某メーカで勤務している。

就活した時は、アベノミクスのおかげで、売り手市場であったこともあり、いくつか内定を貰った中で、何となくこの会社を選んだ。


その時に、私は所謂意識が高く、よく分からないけど凄い人」が同期にまぁまぁの数がいた。彼らは留学海外に1-2年在籍しているため語学堪能であり、何やら学生団体トップ(副リーダではない。なぜこそこを拘っていた)をやっていたりなどである。そうした人達は、採用担当者主催する複数メーカ人材会社が集まる「日本メーカ再興!」を標榜するセミナーに参加していた。


正直、当時の僕は、「こいつら貴重な学生時代を何に使っているのやら・・・」という不思議な面持ちで眺めていた。

また、このイベント担当する採用担当者が「海外大卒NY投資銀行内定貰っていた、人事一筋にも関わらず、現場を、顧客を知っている感」を出す人で、何となく馬が合わない気がして、距離を置いていた。


ある時、イベントに参加している同期と会話しているうちに何とな参加意図に気付いた。採用担当者と仲良くなることで、配属に有利になるようにアプローチしていたのかなと。


というのも、採用面接時は職種担当業界別で希望を提出の上、面接内定を貰うのだが、実態内定で頭数を揃えた後に、全てシャッフルするのである。なので、シャッフルされた時に、行きたい部署に行けるようにアプローチしていたのである。これを聞いた時は強かだなと思った。入社からちゃんとそういうことを抜かりなくするのだなと。彼らは、意識高いと揶揄されるけど、こういった強さがあるのかと。


加えて、さらに「意識が高く」かつ採用担当者が「一本釣り」した学生は、そうしたシャッフル関係なしに、行きたい部署に配属が約束されていることも知った。つまり、同期には、なぜか日銀DBJDBJ!、DBJ!、DBJ!)、外銀、コンサル国家総合職等の内定を蹴った不思議な同期が何人かいたのだが、そうした「真に優秀で意識高い学生」には、企画部門財務投資部門などの新卒では配属が難しい、もしくは殆どない部門の配属を約束することで獲得していたのである


この時、人事の建前と本音を知った。すなわち、「建前」としては新卒一括採用でみんな平等競争だが、「本音」としては平等競争ではなく、すでに評価に当然として差がついているということである。ただ、知ったとしても私は、当時はピュアに、入社後頑張れば、チャンスが貰えるのだろうと思っていた。


とはいえ人生はまぁうまくいかない。


営業部門の配属になったが、長年信頼関係を築いてきた顧客ではなく、新規顧客であったため、苦労する。

商材もよく言えば新しい製品、悪く言えば実績のない製品であるため、売れない。

案件を作っても、リソースが足りないので断念する。

新規顧客ゆえに、社内の優先度が低く、味方がいない。

新規顧客ゆえに営業人員が足りず、人を獲得できないため、海外に行くチャンスもなく、異動のチャンスもない。

キリが上げれば仕方ない。ただ、正直、この点に実はあまり不満はなかった。なぜ何ら、これは自分が創っていけるということであるからである。それは凄く楽しい


ただ、一歩引いて見れば違った景色が見えてくる。

長年築いてきた顧客から注文も定期的に獲得し、実績を順調に積み上げる同年代営業

実績のある製品ゆえに、顧客の関心の獲得がしやすく、受注につなげやすい。

得意様である顧客ゆえに、専属リソースがあり、案件形成できる。

得意様ゆえに、社内の優先度は高く、上層部の覚えも目出たい。


自分が泥を啜るような労力をかけても、その労力もかけずに実績と経験値を積んでいく同年代営業を見ているうちに、何とも言えない疲労が募る。

自分が泥を日本で啜るような労力をかけている間、簡単に、若くして海外駐在にいく同年代達。

会社曰く「異動しなくても、経験は積める。チャンスは用意されている。」

仕事楽しい反面、何か変なギャップ、異物を抱えつつ仕事していた。


そして何となく会社の建前と本音に気付いた。すなわち、「建前」としては人財でありみんな大切だが、「本音」は一部の人を除いて、特に大切でも何でもないので見ていなく、その人のキャリア志向に応える気はないという、今に思えば至極当然のことにである


気付いた時、悔しいとかではなく、納得感と、会社に対する忠誠心義務から解かれた気分だった。別にあなたが期待に応えなくても、自分でどうにかすれば良いのかと。


近日、私は会社辞表を表明する予定である不思議と怖いというよりは、もっと自分人生を創れるチャンスがあるのだなという気持ち期待感にある。現職には色々学べたゆえに、特に恨みも辛みもない。ただ、感謝も、私も育てくれた人々以外は、特にない。単に、仕事の楽しさ以上に、不満があったから辞めるだけ。

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