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2018-11-15

anond:20181113171452

そもそも外国語カタカナ表記しようというところに最大の過ちがあるので、表記ゆれなど些末なことだ。

気になるなら、Aufhebenと書くか止揚と書くかすればいい。

2018-10-14

マルクス共産主義誤謬階級闘争問題解決しない事実

共産主義ってマルクス思想だけじゃない。

マルクス以前にも共産主義はあった。

ソ連崩壊して、中国自由経済転向した今、マルクス提唱した階級闘争は間違いだったと判明してる。

共産主義者は、マルクス思想弁証法止揚して、改良しなければならない。

日本左翼は、マルクスと決別して、日本独自共産主義思想を打ち出すべきだろう。

2018-10-05

市民的公共性存在する(が千田氏の思うようなものではない)

辞書的に言えば「市民的公共性とは、ハーバーマスが『公共性構造転換』(1962)の中で提唱した概念ホルクハイマーらの『人間の理性が頑張っても幸せにならないんじゃないの? だってナチスとか出てきたし』という悲観に対するカウンターとして提出された。ハーバーマスにとっての公共性人間自由平等連帯幸せになっていくためのベースとして存在している」といった感じ。

~性というのはいかにベースとして弱そうだが、ドイツ語のÖffentlichkeitは「Public sphere=公共圏」と訳すこともできるというかこっちのほうが適切だと最近は言われている。なので以下では基本的公共圏統一する。

で、市民公共圏って一体何よ?

それはハーバーマス自身もよくわかっていないようである。その証拠大学図書館には「公共圏ってたぶんこういうのだと思います(こういうものだったらいいな)」という本が溢れている。たぶん最大公約数的には「まあみんなで議論する場は必要だよね」というあたりで理解されている。

しかし、この「みんなで議論する場」というもの曲者である人類の大半の歴史上、「みんなで議論する場=公共圏」には男性だったり社会的強者だったりという入場パス必要だった(今でもそうかもしれない)。しかしそれは今日価値観から見れば明らかに間違っていたわけで、その間違い(入場パス)と長い間仲良しだった概念自由幸せ社会ベースに据えていいのかという問題がある。

ハーバーマスは彼が理想とする市民公共圏がどういうものであるかは、少なくとも『公共性構造転換』の中では(たぶんそして今日に至るまで)ふわっとしたことしか言っていないのだが、どういうものでないかはこれ以上ないほどに詳しく論じている。一見いかにも学者らしい無駄っぽく思えるが、「こっちに行ってはいけない」というガイドブックでもなにもないよりはましである。たぶん。

本稿では、「昔の(入場パスつきの)公共圏にはこのような批判がありました」とハーバーマスが論じている部分を検討し、その批判千田氏の立場にブッ刺さっていることを確認する。その結論として、千田氏の「市民的公共性」という用語用法いかに不適当ないしド適当であるかを示す。

ヘーゲルによる公共圏批判

以下ではハーバーマス細谷貞雄山田正行訳)『公共性構造転換』の第四章 第一四節「公共性弁証法によせて――ヘーゲルマルクス」に基づいて議論を行う。

ヘーゲルは入場パス公共圏関係を真っ先に疑った人であった。とはいえヘーゲル最初からブチ切れたりはしない。「公論公共圏における論議、もしくは公共圏のもの)っていいよね、合理的だし」というところから話を始める。でもその合理性って自由主義がベースになきゃ成立しないよね?(みんなが自由意見を言えることが前提なので)、でもその自由主義って本当に公共圏とそこまで相性いいだろうか?とヘーゲルは問う。考えてみればこの矛盾は明らかである。司会のいない多人数の会議を考えてみればよい。地獄である。間違いなくそこに自由はある。なのに(だから?)地獄である

このことの地獄性は会議室を超えて社会とか国家とかのスケールになるとより増す。例えば少数者差別を考えてみればよい。これはみんなに「自由に」議論させてるだけではそもそも議題にすら上がらないだろう。そうして公論きらきらした合理性の賜物から「多数者の主観的私念」という水準へと転落する。公論は「自然に生じた不平等止揚するどころか、むしろこれらを技能財産さらには知的倫理的教養の不平等まで深めていく」。入場パスを持っていない人はより不利な位置に、持っていても少数派の人もまたより不利な位置に、公論によって追いやられる。

まあとはいえ人間も頑張るもので、法治国家とか市民社会とかを作って頑張って公論して私念から理性に支配権を移そうとするのだが、ヘーゲルいわく土台が腐っているのに頑張っても泥縄だそうである。そうした頑張りはむしろ国家主観的私念を入り込ませる結果になるとヘーゲルは言う。じゃあどうすりゃええのよって言えばヘーゲル最初から開き直って身分制国家を作れとか言ってそれに対しマルクスがいや社会主義でしょとか言って最後ハーバーマスがいや公共圏を作んなきゃダメだよとか言うのだが、そのあたりは略する。

ともかくにもハーバーマスが描く市民公共圏というものは、こうした批判スルーしては論じることができない。ここで重要なのはハーバーマス公共圏をどのようなもの「ではない」と考えていたかということである。以上見てきたようなヘーゲル理論は最終的に乗り越えられる(ということになっているが詳しいことはやはり不明)のだが、であるからこそ少なくともヘーゲル批判したそのままのことをやるのがまずいというのはわかっている。

千田氏は何をしたか

まさにヘーゲル批判した地獄公論インターネット上に出現させようとしているのである

私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。

あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンド表現なんてない。https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504

市民的公共性の話って、ハーバーマスのつもりだったんですが…。https://twitter.com/chitaponta/status/1047789073471946752

市民的公共性対話によるものですから、そのことを話し合うことが大切だと思います

いままさに起きていることが、市民的公共性なのではないでしょうか?https://twitter.com/chitaponta/status/1047810256976269312

まず第一に、専門用語を「」で括って注釈なしに使うのはおよそハーバーマスの「市民的公共性」的態度ではないといえる。なぜならこれこそヘーゲル批判した「自然に生じた不平等を(略)知的倫理的教養の不平等まで深め」る態度にほかならないかである

そして第二に、ハーバーマス議論は上のような「話し合えばそれが公共性」というような安易理解を拒絶するものであるということを千田氏はまったく理解していない(か理解していても無視している)。上で見たヘーゲルによる公共圏批判からもわかるように、ハーバーマス議論は「公共圏にはあれやこれやそれや…の批判があるけど、でも、それでも公共圏がなければ人間幸せにはなれないんだ」というひねくれたものであり、単に「話し合いが重要だよね」と言っているのとは違う。仮に結論は一緒だとしてもやはりそれは違う。その違うものを一緒くたにして、専門外の人に「話し合い=市民的公共性」という理解(そんな人のいい理解をしている人はほとんどいないようだが仮に字面だけ虚心に読んだとして)を植え付けることが、ほんとうにハーバーマスであるといえるだろうか?

第三に、「思う」根拠が示されてない。少なくともハーバーマスは「国家規制を前もって回避するために市民公共圏を発達させるべきである」というような具体的な議論はしていないはずであるであるとすればこれは千田氏のオリジナルアイディアが含まれているはずであるのだが、それがまったく説明されていないのと、先に述べたようにそもそも専門家間ですら扱い方に差がある「市民的公共性」という単語のせいで、最初ツイートの二文目は全く意味不明ものと化している。原理的に誰にも意味が伝わらないはずのもの炎上しているのはお気の毒というほかないが、であるからこそ千田氏は「市民的公共性」の意味と「思う」理由をしっかりと説明してほしいと思う。

2018-09-27

何が起ころうが、必ず、絶対に佐喜真氏が勝つ3つの理由

これはある種の確信を持って書いている。

いろいろ書く前に、私のプロフィールを書いておこう。26才、プログラマー大学情報系の学部卒。沖縄で生まれ高校まで過ごし、東京で働いた。

さて、今回の選挙では、必ず佐喜真氏が勝つことに“なっている”。

理由はいくつかある。

まず、若い世代は”功利主義”の考えが根強い。とても簡単に言えば、結果さえよければ、途中の過程にはある程度目をつぶるというものだ。あるいは、1人の犠牲10人の犠牲でどちらかを選ばなければならないなら、1人の犠牲を選ぶというものだ。これをトロッコ問題という。

きつい言い方をすれば、普天間基地がなくなるのであれば、辺野古の海や住民生活が多少脅かされようとも問題はない、ということだ。

またそもそも、「辺野古はもう埋め立てられているのだし、中止になろうが埋め立てられようが、誰も幸せにならない。だから、すぐに普天間を移すことができる場所を作るのがいいのだろう」という考えも多いだろう。ある種この考えは正当性を持っているかのように見えるが、実際は自民党基地推進派による「刷り込み」あるいは「意見誘導」にすぎない。本来であれば、他の都道府県に移すという考えは実現可能だ。しかし、もうそれが不可能かのような雰囲気が漂っているのだ。

基地はない方がいい。これは多くの(基地利権がない)県民にとっては共通意見だ。しかし、それは基地が70年以上ある中で理想となっている。すでに、生まれた時には空にはF-15EやF-22やKC-135やC-130やCH53やMV-22が飛んでいて、基地はヅャスコやサ●エー(沖縄スーパー)やメイ●マン並にありふれた施設となっている。このような中で基地を無くそうという意見は、もう理想の域になってしまっているのだ。そのような中、辺野古は埋め立てられ、県内移設の準備は整いつつある。それならば、もう辺野古にしてしまとある種の妥協正当性を見いだすのだ。繰り返すが、極右のように「基地ポンポン作れ」というような意見から出てきた意見ではなく、妥協によるソフトランディング地点に辺野古への移設見出しているのだ。

ゆえに、若者にとってすでに、辺野古は争点になっていない。その他の経済子育て教育に争点を見いだす。この時点で、辺野古を争点にしない分、その他にフォーカスをあてることができる佐喜真氏の意見は魅力的となる。余談が過ぎたが、以上が、若者から見て佐喜真氏が支持される理由の一つだ。それに沖縄は若年層も多い。

二つ目理由として、デマ問題もないわけではない。特に若い世代テレビラジオ新聞よりTwitterやインスタに接する時間が圧倒的に長い。この点は悪いわけではない。問題は、そのような情報に触れ合っているだけで、(ボット投稿であっても、)多くの同じような意見が流れればそれを正しいと思ってしまうというリテラシーにある。これを別に佐喜真氏の陣営がやっていると言っているわけではない。佐喜真氏のスタンスからすると、彼に利をするようなツイートなどが多いと感じただけだ。

この点はきちんと、どちらの陣営から検証するべきだし、今後も注意しなければならない点だ。佐喜真氏の支持者も、デニーの支持者も、相手側の視点に立ったらどうしたほうがいいかを考えなければならない。そうやって双方の立場尊重することで、民主主義は良い方向に醸成される。

三つ目は、自民選挙の「うまさ」だ。これは、デニー陣営が「弱い」からではない。自民が「うますぎる」のである。まず辺野古を争点にしなかったこと。ただし、普天間は除去するという。県民に「私たち辺野古基地を新設させた」、あるいは「私たちデニー投票したことで国からの財源が減らされてしまい、沖縄にとって悪影響をもたらした」といったある種の罪悪感を持たせることもない。

他にも公明党が支持にまわったのも大きいし、基地利権が絡むため、これらのカネが回ることによって組織票の点で大きな集票効果がある。自民戦後長きにわたる安定的政権樹立してきたことで、経済界に大きなコネがあるのは当然のことであり、なんの問題もなくある程度の票を集めることが可能だ。この点、オール沖縄陣営はある種の「ハンデ」を背負っていることは事実だ。それなのに勝った翁長はすごかった。

対してデニー陣営オール沖縄の影響力低下にともなって、戦力を損ないつつあった。なんだかんだで、世の中カネなのだ。と言うわけで、最後理由は、陣営の強さにあった。

最後に、民主主義についてもう一度考えてみたい。勘違いする人は多いが、民主主義は単なる多数派意見を是、少数派を正しくないとするようなお祭りではない。もし少数派の意見が完全に無視され多数派意見けが通るなら、それは「多数派お祭り」に過ぎない。多数派意見に対して少数派の意見が顧みられることがなければ、選挙なんて「いくらやっても無駄」というわけである

アウフヘーベン止揚という都知事も大好きな言葉があるが、これは弁証法言葉で、簡単に言うと意見意見を交換することで、より高次な意見を見いだすということだ。すなわち、タケノコ派とキノコ派が争い、タケノコ派が勝ったとしても、キノコ派の意見も取り入れる(タケノコの下に柄をつけるのかもしれない)ということだ。誤解を恐れずに言うと、多数派もある程度妥協して少数派の意見を取り入れるという考えだ。(うまく説明できずにニュアンスが違うので、詳しくは調べてほしい)

民主主義を履き違え、多数派なので間違いはない、少数派なので間違っている、というような理屈政策を進めてしまうと、必ず軋轢が生まれて分断となる。この点は間違えてはいけないし、「功利主義」が根強く語られる世の中では、より注意したい点だ。自分がもし少数派であるならどうするかという視点に立つことが重要なのだと思う。

ちなみに、私の祖母に誰に投票たか聞いたところ、佐喜真氏へ入れたという。理由は、「誰に入れたらいいかからなかったが、書きやすかった」からだそうである

いろいろ考えたところで、民主主義なんて、こんなものか。私は脱力した。

2018-09-14

コミュ力」は本人だけの問題じゃ無いよな?

コミュニケーションて二者の問題なのに、寡黙な人とか少し人付き合いが苦手な人だけが、「コミュ力がない」とされるのはおかしい。

本来はそういう人とのコミュニケーションができる方法があるはずで、それもせずに「コミュ力がない」などとするからコミュニケーションが閉じられるのだ。

コミュニケーション力が本当に高いなら、「コミュ力」が低い人ともコミュニケーションができるはずだ。なぜならコミュニケーションは二者の問題からだ。本当にコミュ力があるひとは、どんなにコミュニケーションが苦手な人の意見も引き出そうとする。議論を積み重ね止揚していく。

相手コミュ力理由コミュニケーションあきらめたときは、自分コミュ力も疑ってみると良い。

(このブコメを読んで、そう気づいた)

b.hatena.ne.jp/entry/370933611/comment/shun_libra

b.hatena.ne.jp/entry/370933611/comment/Dicer

b.hatena.ne.jp/entry/370933611/comment/YoshimotoChikara

2018-09-04

翁長知事「戦う民意」〜「琉球独立」を促しているのは国民の無関心だ

抜粋しながら読書

野党問題

野党が支持されないわけ

左右いずれもガチガチ政治家は、いつまでもガチガチのまま、一割の支持者層で人生を終えてしまます。私は共産党の人たちにもずっと言い続けました。

政権を取るぐらいの気持ち政治をやらなければ、いつまでも一割政党でどうするのですか。これが正しい、あれが正しいと言って政権も取れず、あなた方は政党として支持者に応えているのですか。あなた方を信じて何十年も付いてきた支持者に不誠実ではないですか」 一割で正しいことを言っても、残りの九割に誰も興味を示さないのなら、政党としてやっている意味がないのではないか。 現在日本政党状況のように、「一強多弱」では政治が行き詰まってしまます。それぞれ一定程度の勢力を持ちながら勝ち負けがあるからこそ政治に緊張感が生まれ民意がそこに反映されるのです。それは政治家がいつも意識していなければならないことだと思います

9条があるから平和なのか

憲法改正派も、そうで無い人も、沖縄視点が抜け落ちているのだ

私は革新側も批判しています。「憲法九条があるから日本平和だ」と主張する人たちは、憲法埒外にあった沖縄負担のもとで、戦後日本高度経済成長平和継続があったという視点が抜け落ちています

政権の現状

この本が書かれたときも、そのあとも、民主主義は壊れ続けている

今の日本政治はまったく民意を顧みない。国権の最高機関たる国会も、行政府監視という役割果たしておらず、与党内においても異論封殺されています日本民主主義危機に直面しているのです。

「例の作家

沖縄押し付けた、沖縄基地に守られながら、「保守」を名乗り沖縄差別するという構図

そればかりか、「(普天間基地の)もとは田んぼで何もなかった」「基地地主はみんな年収千万円」と発言した有名な作家のように、自分たち日本安全保障を守ろうという気概もない人たちまでもが、実態とかけ離れた暴言を吐いています。そこには沖縄に対する無知無理解差別意識があります

独立するのか

沖縄差別しておきながら、独立を憂う矛盾、そして独立への道は"不本意"ながら舗装されつつある。沖縄への無理解の代償として

 沖縄という小さな島が、日米両国という大きな権力相手にして戦うことは困難を極めます。 そうした状況を前にして、「沖縄独立することを考えているのですか?」という問いが発せられます。 そして、そんな問いを受けるたびに、私は沖縄県民がここまで日本国民として受け止めてもらえないのか、と絶望的な気持ちになるのです。

もちろん、独立論は沖縄積極的に支持される意見ではありません。これまでは居酒屋談義とされてきました。独立論がまじめに語られ始めた原因は、むしろ本土側にあります。 基地削減を求める沖縄県民の声が無視され続け、これに対して「日本の四七分の一として認めないのなら、いっそ日本というくびきから外してほしい」「独立すれば沖縄意思基地をなくせる」という気持ちの表れとして独立論が語られます

今後、事態の成り行きによっては、独立意思を表明する人たちが、沖縄から数多く出てくるかもしれません。しかし、それ自体沖縄の不幸につながると私は思います

沖縄問題は、結局は合意形成に基づく民主主義問題帰着される

そして、沖縄独立を語る前に、日本本土覚悟を決めて、米軍基地を全国で受け入れて、しっかりとした日米同盟をつくってもらいたいと私は思っています日本国民一人ひとりが、基地問題自分のこととして考えて、そしてその集約が日本政治うごかしていくようにならなければ、真の民主主義がこの国に根付くことはないでしょう。


沖縄基地問題は、結局自治体と国の闘争という単純な話ではないのだ。基地問題に限らず、政治に関する無関心は、最終的に、大きな民主主義の傷となって日本国を蝕んでいくだろう。

ところで、この場合基地問題議論を終着させるのは誰の意見なのか?日本国民の多数決沖縄県民の多数決?まぁ、現時点ではおそらくそれのどちらでもなく、「政権多数決なのだろうな。

まぁ、「多数決」が「民主主義」と思っているような人も多いので、この国の民主主義には期待できそうにもない。(ヘーゲル弁証法や「止揚」は、現社でやったっけ?)

2018-06-10

[][][] 日本左翼独自性

日本左翼革新理論進化を遂げているだろう。

旧ソ連中国北朝鮮共産党とは一線を画して、独自共産主義社会主義へと止揚しているのではないか

 

日本左翼の印象を悪くするために、中国北朝鮮工作員が、ネット情報操作しても、日本人の琴線には触れないだろう。

中国人は天安門事件から北朝鮮金正男暗殺事件から民主主義重要性を学んだ方が良い。

五毛党は、もう少し日本文化を研究した方が良いだろう。

 

anond:20180610115531

2018-04-04

anond:20180404140631

マイナスな考え。プラスな考え。

なるほど、しかし足していくというのはスマートではない。

極限まで引き算していった中に、究極のデザインがあるのだよ。

まり止揚させて、第三の「スマートな考え」を導きださねばならぬ。

たとえばこうだ。

通勤ラッシュ時に電車を使うのなんかやめちまえ。」

あとはブレストだ。

電車自体をなくして人が空を飛んで移動すればいいのでは?

単純にすべての会社間でうまく通勤時間をシフトさせれば?

テレワーク扶助をだせば?

あとは任せた。

2018-01-26

anond:20180126121237

お前とは相性が悪いと言う多様性を認めてつまら禅問答止揚してくれませんかね

2017-11-09

[]2017新語・流行語大賞ノミネート解説

アウフヘーベンドイツ語で「拾い上げる」「廃止する」などの意。哲学用語としては「止揚対立する諸要素を発展的に統一すること)」と訳される。小池百合子都知事が会見で用いた。
○○ファースト「○○第一」「○○優先」といった意味特に都民ファースト」は小池百合子都知事スローガンとなり、政党名にも使われた。
インスタ映えSNSInstagram」に写真投稿したときに見栄えがする、いかにも注目を集められそうだ、といった意味
うつヌケ同名の漫画のこと。漫画家田中圭一作品で、うつ病から脱出した人たちの体験談を描いてヒットした。
うんこ漢字ドリル全ての例文に「うんこ」という単語が用いられている小学生向けの漢字ドリルで、その奇抜な内容から大ヒットした。
炎上○○炎上商法」「炎上芸人」など、インターネットでの炎上を逆用する諸行為のこと(…か?)。
AIスピーカーインターネット接続され、音声操作AIを利用できるスピーカーのこと。Amazon EchoGoogle HomeApple HomePodといった商品が発売・発表されている。
9.98(10秒の壁今年9月桐生祥秀が出した男子100m走タイム。これまでの日本記録を上回り、日本人で初めて9秒台に突入した。
共謀罪テロ等を未然に防止するため、組織犯罪計画した段階で処罰できるとする法律のこと。多くの反対意見もあったが今年6月国会で可決された。
GINZA SIX今年4月開業した銀座複合商業施設のこと。
空前絶後お笑い芸人サンシャイン池崎ギャグ。昨年末の「絶対に笑ってはいけない科学博士24時」に出演したことでブレイクした。
35億お笑い芸人ブルゾンちえみギャグ世界中男性の人数を指している(70億の半分)。
けものフレンズ同名のアニメのこと。同プロジェクトゲームが既に終了するなかで今年1月から放送され、クチコミにより広まり大ヒットした。
刀剣乱舞同名のブラウザゲームのこと。2015年流行語大賞でも「刀剣女子」がノミネートされている。
Jアラート全国瞬時警報システム通称北朝鮮ミサイル発射実験により発動したことで話題となった。
人生100年時代100年後には平均寿命が100歳になっているとの予測を受けて、日本政府が今年9月に「人生100年時代会議」を開催した。
睡眠負債スタンフォード大学研究者提唱したもので、少しずつの睡眠不足が積み重なることで大きなリスクとなっているとする考えのこと。
線上降水帯積乱雲が次々に発生して長さ数十から数百kmに及び線上に連なる現象のこと。ゲリラ豪雨の原因とされる。
忖度他人の心情を推し量ること。森友学園問題に際して「上役の心情に配慮すること」というやや違った意味人口膾炙した。
ちーがーうーだーろー!当時衆院議員だった豊田真由子氏が秘書へ放った暴言ひとつ秘書への暴行報道されて責任問題となった。
魔の2回生2012年初当選し、2014年に再選された自民党の2回生議員のことで、不祥事が多いためにそう呼ばれるようになった。
働き方改革日本政府が推進する改革で、日本労働環境や慣習を抜本的に見直そうとするもの長時間労働の解消、非正規雇用解決などを目指す。
プレミアムフライデー個人消費喚起するため政府および経済界提唱したもので、毎月末の金曜日は午後3時に終業するよう企業に求めるキャンペーンのこと。
ハンドスピナーボールベアリングに「羽」を付けた玩具で、基本的には回転させるだけの手慰みとして使う。
ひふみん将棋棋士加藤一二三ニックネーム。今年6月プロ引退した。その特異なキャラから人気となり、バラエティ番組などにも出演している。
藤井フィーバー将棋棋士藤井聡太が史上最年少でプロとなり、デビューから無敗のまま公式戦最多連勝記録を打ち立てたことで話題となった。
フェイクニュース虚偽の情報を多分に含むニュースのこと。特にアメリカ大統領選において様々なフェイクニュースSNS拡散されたことが問題視された。
ポスト真実客観的事実よりも自身感情に訴える虚偽を信じやすい状況のこと。アメリカ大統領線やイギリスEU離脱にまつわる中でよく用いられた。
ユーチューバー動画投稿サイトYouTubeから広告収入生活をする動画投稿者総称ヒカキンはじめしゃちょーなどが著名。
ワンオペ育児ワンオペ」とはもともと飲食店を一人で回している状態(ワン・オペレーション)のことを言い、転じて夫もしくは妻が一人で育児を行っている状況を指す。

2017-09-29

ああヘーゲル

止揚

止揚(しよう、独: aufheben、アウフヘーベン)は、ドイツ哲学者であるヘーゲル弁証法の中で提唱した概念揚棄(ようき)ともいう。

解説[編集]

ドイツ語の aufheben には、廃棄する・否定するという意味と保存する・高めるという二様意味があり、ヘーゲルはこの言葉を用いて弁証法的発展を説明した。つまり、古いもの否定されて新しいものが現れる際、古いもの全面的に捨て去られるのでなく、古いものが持っている内容のうち積極的な要素が新しく高い段階として保持される。

このように、弁証法では、否定を発展の契機としてとらえており、のちに弁証法唯物論が登場すると、「否定の否定法則」あるいは「らせん的発展」として自然社会思考の発展の過程で広く作用していると唱えられるようになった。

国語辞典などでは、違った考え方を持ち寄って議論を行い、そこからそれまでの考え方とは異なる新しい考え方を統合させてゆくこと、という説明がなされることがある。

関連項目[編集]

アンチテーゼ

https://ja.wikipedia.org/wiki/止揚

ごめんね

2017-09-26

私の左翼右翼

右翼左翼というカテゴリは、なぜか人に完全な説明を与えたような錯覚させる言葉だ。

一般的左翼的言説は、左翼進歩的であったり、人間中心的であったり、自他的であったり、自利的あったりする。

一般的右翼的言説は、右翼保守的であったり、自然中心的であったり、集団的であったり、個人的であったり、規律的であったりする。

これだけ雑多な概念ではあるが、左翼右翼対立していたり、対立していないこともある。

わたしは2つの概念に、どちらがより悪いかということを言うつもりはない。

これから書くのは、左翼右翼にある対するよくある誤解をできるだけ解いていこうという試みである

といっても私の力不足により、今は3つしかなく内容も不明瞭に見える。

それと誤解と断定して書いたが、恐らくは誤解であるという所だ。

なぜなら、左翼右翼完璧定義付けを、私はしないつもりだからだ。

それでは、なぜ左翼右翼に対する誤解と言うものを書けるのか。

それは左翼右翼に対してよく言われる一部の定義を仮として当てはめた時、明らかに左翼右翼思想が成り立たなくなり

そうなったときに、彼は左翼だ、右翼だと言うことがほとんど不可能になると思われるからだ。

ここで私のひとつ立場を明らかにしたいと思う。

私は"思想ジレンマ"というような言説、態度を認めていない。

どちらかのジレンマによる、右翼左翼キメラ的態度を認めないということだ。

(哲学的に言えば、ヘーゲル止揚という概念を認めていない。)

それを踏まえた上で、左翼右翼に対する誤解について書いていこうと思う。

左翼進歩的であり、右翼保守的である

左翼的言説とは、現状を改革することや、何かを変えようとの意向を持つ言説であろう。

右翼的な言説は、現状を守るときや、何かを大事にしようとするときのものだ。

これらから左翼は常に革命を求めており、暴力的であるとか、右翼は頭が固く時代遅れだなどと言われる。

まず、最初左翼的な言説に、まるで保守性がないというのは成り立たないことだ。

左翼が変革を起こす時、現状をすべて破棄するか、一部を破棄するかというどちらかを選択するだろう。

そして現在には存在しない概念を(規則など)を落ち込むことになる。

もし、その概念批判があれば、左翼はこれを守らなければならない。

その守るための言説に保守的言葉が無いとしたら、明らかにその概念はたちまち崩壊するだろう。

批判者の言説とは、おおよそこのようなものだろう。

君の進歩的概念適用された世界を認めたとして、その世界をどのように(同じような進歩的概念から)守るのだ?

次に右翼的な言説に、現状を進歩させるものではないとするものだ。

これは左翼的な言説に保守的な言説が混ざり込む以上、彼らは、その保守的な言説と戦わなければいけない。

その戦う言説が保守的ものだけであれば、ともに共存することになる。

右翼保守的なだけであれば、不純物と共存するだけである

そうではなく、現状維持のためであれば、不純物は取り除かなくてはいけない。

不純物を取り除いた後に、根本の原因である現状の変革を実施する。

劣化し始めるもの進歩し始めるのも、現状に問題があるためであり、その現状を彼らは変革するのである

しかし、その変革とは公平に見るとすれば進歩のものである

左翼保守的に見えたり、右翼進歩的に見えたりするのは、そもそも左翼進歩的であり、右翼保守的であるということを誤解していることによるのである

  

左翼相対的であり、右翼絶対的である

ここで抽象度が一気に上がって申し訳ない。

相対的であるとは、相対論自由という概念などである

(自由という概念は、相対的でないと成立しない。

もし私がりんごを食べるとして、ある場所では犯罪だが、ある場所では犯罪ではないとすれば

食べる場所によって犯罪の可否がきまるため、私がりんごを食べる自由相対的であると言える。)

絶対論とは、~べき論や、どこであろうと適用されることを望んだ言説である

これらにより、左翼優柔不断、すぐ裏切るなどや、右翼は頭が固い、傲慢だなどと言われる。

では、これも同じように左翼絶対的な言説が入り込む余地が本当に無いのだろうか?

その前に、左翼進歩的言説を行うものであることは、すんなり頭に入った人たちでも、

左翼相対的言説をしているか左翼だと認識することはあまりいであろうと思われる。

ここで相対的言説と絶対的言説について少し書こうと思う。

相対的言説とは、まさに例を取ってあげれば左翼的言説に近いもので有ることは理解してもらえると思う。

例えば自由や愛、幸福などだ。

自由を仮に絶対的定義しようとすればまさしく絶対的自由から抜け出すことこそが自由であると言うことが分かる。

こうすると、自由相対的という定義に転がり当てはまる。

絶対的言説とは、言説による力を発揮する場所定義するということである

例えば、国、集団など。その限定された場所によって、定義された言葉が、それに見合った意味となる。

さて、左翼相対的であるとのは、相対的言説を用いているかである説明した。

しかし、それは誤解である

左翼は確かに相対的言説を用いているが、よく見ればそれは、条件付きの相対的言説なのである

左翼相対的であるために、一定絶対性を必要としたのだ。

自由という概念は、他に絶対性がなければ、自由のもの絶対的ものとなってしまう。

そこから抜け出すために、一定絶対性を用意し、その絶対から自由を得ているのだ。

そのため左翼は完全に絶対的もの使用するため、完全に相対的であることはできないし望んでいない。

では、右翼はどうだろうか、右翼絶対的であろうとし、あらゆる不名誉を得てきた。

右翼絶対的たりうるための場所定義するが、その場所定義するプロセス相対的である

それは場所とは、物理的に言えば、自然によって決まっており、自然がもたらした、ものによって人が決めるのである

ある場所は良くないが、ある場所が良いといのは自然により決定している。

そして、場所定義することが相対的であるがゆえに

定義後の絶対性の担保にも相対性使用する。

こうして、右翼も完全に絶対的であることができず、また望んでいない。

左翼相対的に見える場合は、条件付けを見れば誤解であることに気づき右翼絶対的に見える場合は、場所定義確認すれば誤解であることが分かるのだ。

まり左翼相対的であることも、右翼絶対的であることも誤解である

  

左翼は実利的で、右翼は実利的ではない。

左翼が実利的に見えてしまうのは、ほとんど悪名高き功利主義によるものだ。

右翼功利主義をもたない。なぜなら功利主義幸福に関する思想であり、幸福という概念相対的言説だからである

このせいで、左翼感情のない人間という扱いになり、右翼計算の出来ない人間と言われる。

これは功利主義短期的な実利主義であるという誤解からまれている。

功利主義とはその場の短期的な視点での価値判断使用される思想ではないということだ。

もっと長期的な10年、100年というスパン幸福について考える思想なのだ

これらの左翼右翼の誤解はそもそも問題としては何なのだろう?

私が思うに左翼右翼という概念が、その人自身属性となってしまうことによるものだろう。

有る考えが進歩的であったとしても、その人自身はまるで関係ないはずである

しかし、左翼右翼とするとその場合は、人間と結合し、その人間自身左翼右翼的存在となってしまう。

本当に気をつけなければいけないことは、左翼的右翼的であることが、その本人の属性として、その本人の全人格を表すようにみていないかということだろう。

2016-09-23

http://anond.hatelabo.jp/20160923001335

うんだからそういう議論の際を論点としていたなら「いつでもどこでも」「なんかあるたびに」などと言ったりしないからな

増田のように、「この場合差別に該当するのか」「この差別への対応には過剰すぎる対応ではないか」「もっといいやり方はないのか」などの主張が本題の場合

差別ダメージ」については議論に上っている全員が共有している情報なんだ。それはもういらない。

まり被差別者差別されている当事者にもかかわらず差別されたというキズを晒すことすら許されないのね

当事者を置き去りにして当事者感覚のない議論したつもりの自己満オナニーに黙って付き合え!!ってことなんだよなぁ

そりゃあそういう議論ではマジョリティ様が勝つよね、ネット上の議論でもだいたいが自分にとって心地良い意見が出た時点でそれを結論とするクズばかりなのだから

それ故にポリティカル・コレクトネスが求められているのに部外者でありながら不快を感じたくないマジョリティ様がワーワー騒ぎすぎ

挙句の果てに「差別を受けた内的情報」を根拠に「もっといいやり方はないか」という意見を出すことすら封印するだろ

そりゃあ当事者意識のない外野がワーワー騒いでマジョリティであるおかげで自分たちにだけ心地良い結論を出しやす環境を整えていたら属性で黙らせる以外方法はないからな

感動ポルノとおなじで外野のくせに「考えてますよ~」という知識人オナニーの道具にしか使われてない

なぜそう思った?「有益情報」はインプットだけど「オレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせる」はアウトプットだ。

オレサマくんの自称有益情報提出もアウトプットだろマヌケ

最初増田からず~~~~っと議論したい、止揚を求めたいと言ってるじゃん。沈黙したらそこで終わりなんだし俺の目的も果たせないの。

おまえの目的?あぁ被差別者を黙らせて部外者議論して心地よくなって被差別者ことなんか明日には忘れてすっきり生活するオナニー欲求のこと?

そんだけ議論したい話を聞いてもらいたいならまず被差別者の開示にもキチンと向き合って受け入れてもらえる状況を努力して作ってからにしような。

おまえの開示には付き合わないがオレの自称有益情報議論には付き合え、あぁおまえの被差別性には興味ないし明日には忘れるけどなというスタンス他人から受け入れてもらえるとか想像力がなさすぎ

http://anond.hatelabo.jp/20160922220856

言いたいことがまるで伝わってないぞ

そう応答するってことは

いつでもどこでも被差別者内面を出すな、TPOを考えろと言っているんだ

という言い逃れは間違いでしたこんな逃げをうったクソカスゴミムシのわたしを許して下さいってことねOKOK

被差別者内面」っていうのは「差別を受けたときにこのように心理的ダメージを受けましたなどという発言者の内的情報」って理解でいいか?以降、この理解で進む。

TPO上この情報必要なのは差別を受けてもダメージなんて受けないじゃん」という主張が本題の場合だ。

増田のように、「この場合差別に該当するのか」「この差別への対応には過剰すぎる対応ではないか」「もっといいやり方はないのか」などの主張が本題の場合

差別ダメージ」については議論に上っている全員が共有している情報なんだ。それはもういらない。

 

挙句の果てに「差別を受けた内的情報」を根拠に「もっといいやり方はないか」という意見を出すことすら封印するだろ

(直接的には、「もっと優しく言ってくれないと~~」のワードが一番顕著に使われる)

この状況を一番問題視しているんだ

そこで提供されるはずだった有益情報が全部途切れるだろ?

これって被差別者にオレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせかけたいという欲望にすぎないよね自称有益()

なぜそう思った?「有益情報」はインプットだけど「オレサマのきんもちよくなるフレーズを浴びせる」はアウトプットだ。

ここの基本的理解がまずおかしいので、後の話が全くつながらないのだ。

からこんなフレーズが出て来る

結局沈黙を強いろうとしてるだけじゃん

 

最初増田からず~~~~っと議論したい、止揚を求めたいと言ってるじゃん。沈黙したらそこで終わりなんだし俺の目的も果たせないの。

 

個人的に、インターネット物理的に本当に手斧や石が飛んで来ることがなく、

idも変えれば過去の人格も簡単に切り離せる、これはマジで知識を集約するのに適した場だと思う

せっかくのそういうアドバンテージをなし崩しにするような行為もったいないし、増田はてブロがそんな場所になるのは悲しい。

2016-09-20

http://anond.hatelabo.jp/20160920070019

議論参加者差別者被差別者に分ける、その大雑把な態度をまず改めろ

人間は色んな属性を持っていて、ある切り口では強者ある切り口では弱者となる

議論を深めるには状況を限定したり話題を区切ったりして論点を整理しなきゃいけないのに

「私は弱者だ」って言ったらそこで話が止まるんだよ

何の止揚も見られない

2016-08-05

シンゴジラ最高に素晴らしいが、しかしフクイチ原発は…(ネタバレです)

http://anond.hatelabo.jp/20160804171358

自称中二病を脱した23歳増田」に乗っかる感じでシンゴジラ批判エントリーを書きたくなったおっさんです。

(あたしも10年前の20代の頃はてなサブカルおじさんが怖かったからねw)

シン・ゴジラは「日本実写映画」にとってエポックメイキングになりうる最高に素晴らしい作品だと思うが

この大絶賛の嵐に怖くなってきました。左側からのまっとうな批判が見られない。

(今後町山・宇多丸あたりから出てくるかもしれんが)

まずはじめに私の感想とすると「シン・ゴジラ」は素晴らしい映画なのは確かです。

ドラマ人間が描かれていない」という批判がありますが、

日本の実写アクションエンタメ映画」でまともな人間ドラマを描けるでしょうか?

民族イデオロギー宗教対立のない日本殺人を含む強烈なDISの激突による止揚

「個人のエゴイノベーションを起こす」ことを良しとしないし信じない日本社会では

欧米式の人間ドラマなどは描けないのです。大抵は「もののあはれ」みたいなものに落ち着きます

そこで庵野監督です。庵野監督人間ドラマが描けません。人間個人に興味が無いのです。

機械組織ようなもの機能的に動く

電子回路ニューロンのように情報錯綜し、通電し、組織機能する」という

描写」に焦点がいくような人間だと思います

(例えばオネアミスロケット発射の「手続き」や、エヴァ発進の「手続き」、

さまざまな人間連携して大きなことを成し遂げる瞬間のカタルシス岡本喜八沖縄決戦→ネルフ壊滅なら大組織の壮大な敗北

というものに執着している感じです。そして庵野監督はその演出で他を圧倒してきたのです。

通常は連携を2、3回で終わらせるところを、

7、8、9とどんどん数を増やし、しも連携スピード高速化する、

すると人間が居なくなり「連携のもの総体」が残るのです。

それはもう壮大な音楽リズムを鑑賞したようなものです。)

それが今回は最高に上手く行ったと思います無駄人間ドラマを省き、人の群れを

部品オブジェクトの群れ」として描いたのです。

通常それでは作劇できませんが、ゴジラという巨大な災厄を扱うことによって可能になったのですね。

とまあ、褒めるのはこんな感じで。みんな褒めてるし。在来線爆弾最高です。

ここから批判というか危惧を書いていきます。(ネタバレ含む)

シン・ゴジラ」はゴジラを描くとともに、明らかに3・11の震災

そして福島第一原発(フクイチ)のメルトダウンをなぞって描かれています

2016年に公開する映画であり、ゴジラが大災害のもので、

原爆の子であることことからしてそれは避けられないことでありました。

・「想定外」という言葉が何度もでてくるシンゴジラとフクイチ(フクイチ)

放射能を撒き散らすシンゴジラとフクイチ

・そしてその放射能を測定した市民から憶測が飛び交うシンゴジラとフクイチ

自体収集のため米軍が介入してくるシンゴジラ事態収集のため米軍が介入しようとするフクイチ

シンゴジラとフクイチは冷やすと止まる。

シンゴジラホースを突っ込んで冷却材を流すため特攻する自衛隊

フクイチに突撃ホースを突っ込んで冷却する消防

まあとにかくシンゴジラは「動くフクイチ」なんです。

だったら何が問題かというと、シンゴジラでは

自衛隊ゴジラを冷やすために特攻して死んでしまっている」ということなんです。

これは3・11の日本政府はやらなかった。フクイチに自衛隊特攻させれば

チェルノブイリにはソ連政府兵士特攻させています

福島土地は助かったかもしれない。でもやらなかった。

自衛隊員の命」と「福島土地の数十年の汚染」を引き換えにはできないという判断です。

良くも悪くも戦後民主主義判断なんです。

そこをシンゴジラはやった。映画的には、作劇的には正しいです。

いや個人的には私もそういう全体主義の魅力や、

自己犠牲の魅力に惹かれるところもあるんです。

正直「自衛隊がフクイチに特攻して冷却に成功していた」ら、私も絶賛したでしょう。

いや絶賛しかできないんです。選択肢がない絶賛。

その特攻庵野監督はやった。しか恐ろしいことにあっさりと。

(1番隊が全滅したら「日本映画のよくあるパターンのように感傷にひたる」

ことなくあっさりと2番隊がすぐさま繰り出された。

おそろしいですよ。でもこれがかっこいいんですよ。/

この冷徹決断力、かっこよさを恐ろしいと思わないとヤヴァイんですよ。

こんなことできるのはスターリンですよ。スターリンのかっこよさに酔うんですか?)

これは政治的意思表示と考えていいと思います

「当時の日本政府シンゴジラを冷やすために

特攻した自衛隊のように、3、11のフクイチでも自衛隊特攻させるべきだった。」

という政治的意思表示です。

みなさんはそこはあっさり賛同しますか?どうなんでしょうか。

そこはちょっとみなさん悩んで欲しいですよ、いくらなんでも。

そして最後日本政府シンゴジラの凍結に成功します。

まりフクイチの凍結に成功するわけですが…

実際の日本政府どうでしょうか?フクイチの凍結に成功してますでしょうか?

成功してませんよね。いまだに汚染水を流し続けています

からすると今回のシンゴジラ演出エポックメイキングであるとともに、

「3・11の災厄に勝利した日本」の「仮想戦記」にみえしまうんです。

(昔よくあった「第2次大戦日本軍が勝つシミュレーション小説」の3・11バージョンですね。)

このシンゴジラを見て「日本はまだやれるんだ」と思った人がたくさんいたと聞きます

いや、やれてなかったでしょ。と言いたい。3・11で負けたでしょ。無残に。情けなく。

仮想戦記で「日本はまだやれる」って酔ってたらだめでしょ。反省しないと。

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↑というような批判が欲しかったのに全く無くて困ってたので自分で書いてみた。

実際庵野監督はどうなんでしょう。「政治的意志表明」と書きましたが

そこに踏み入れた自覚はないかもしれません。

開き直りがあれば、それで議論の糸口になるのですがそれもなさそう。

そういう自覚のない選択が一番怖い。)

戦闘機オタク左翼宮崎監督のような葛藤は…きっとなかったような気がして。

2015-04-12

商業主義斜め上を行く『例の紐』

日本ジョブズは生まれなかった。

でも、コンテンツ産業ブレークスルーをもたらす紳士はたくさんいるんだよ。

数百年前からチンコ神輿担いでた民族ナメんな。

HENTAIクールジャパン止揚させれば"日はまた昇る"

TPPアグネス不安要素はいくつもある。

だけど私は信じる。

きっとまた、極東島国が輝く時代が来る。

2014-08-08

笹井先生は恋に死したのだろう?

なにをみんな、責任をとったとか重圧に押しつぶされたとか言ってるんだ。むかしからある、単純なストーリーなんじゃないのか。

笹井先生ほどの名声と実力があれば、今回のような捏造案件責任著者として連座していたとしても、今後の将来が真っ暗というわけではない。そもそも笹井先生の件は、ノバルティス問題ほど深刻ではない。患者さんに直接の危害があったり、国の保険医療のお金を削ったことで間接的に健康を害してすらいない。仮説を取り下げればそれで終わりの話だ。知性のある人達にそのように遇されることはわかっていたはずだ。

古くは中山恒明や和田寿郎が、倫理的問題を起こした後、請われて東京女子医大教授になった。最近では東大捏造事件京都府医大捏造事件責任をとった教授たちも、その後の人生努力されていると伝わっている。日本社会は失敗した人間に復活を許さない、と言うけれど、現実には、ここまで優秀な人間たちの場合普通かそれよりましな人生を生きていくことは許されている。それまでの人生では、多少なりとも患者さんや病院大学国家、時には人類に貢献してきたのだから、それくらいはいいだろう。個人として見るなら、家族の為を思えばそれで十分だ。子供を愛しているならそれでよいはずだ。

頭のいい人間が、それがわかっていないはずがない。その道を選ぶなら、すなわち、家族とともに生きるなら、批判と罵声を浴びようと小保方氏を切り捨てれば、それでよかった。海外に活路を求めるというのも、小保方氏では不可能だが、笹井先生ならおそらく可能だった。自分は、小保方にだまされた、責任著者としての責任は痛感する、だが捏造の実行者を完全に監視することは難しい。これからはこういった捏造者を見極める管理体制についても追求したい。などとのたまいながら。

でも、それができなかったんでしょう。他のすべてを捨ててでも、小保方さんを守りたかったんでしょう。恋していたんでしょう、小保方さんに。週刊誌が書くようなドロドロしたものではなく、プラトニックものだったのだろうと、直感としては思う。

だが、守るだけならそれはできる。すべての批判を一身に背負いながら、世界を敵に回してでも恋人とともにあればいい。

笹井先生が耐えられなかったのは、自ら、あるいはCDBの名声が傷つくことなんかではなく、世界で一番大切な彼女が罵声を浴び、辱めを受けていること。しかしながら、それらが自らがこれまで人生を投じてきた科学という世界から見ると全く妥当批判に基づくものであることだったという、自らのアイデンティティをゆるがす矛盾にあったのではないかと思う。止揚できなかったんだね。

笹井先生科学世界で生きてきた人だ。だが、彼はその時恋をしていたのだ。

自らの科学的信念と、恋する気持ちとの板挟みになって進退を極まったのだ。どちらかを選ぶことはできなかったのだ。

から自死を選んだ。家族を捨ててでも。

だとするなら、男としては本望なのだと思う。

ただ、もう少し時間がたてば、異なった結論に至ることもあっただろうに。

2014-07-21

北原みのり氏は、今、試されている。相互不信を乗り越えるために。

北原みのりが見ているかどうか、エゴサーチで見つけられるかわからんが書いておこう。

北原みのり氏はは、今、千歳一隅のチャンスの前にいる。

どういう事かと言えば、例の倉敷誘拐監禁事件報道だ。

これはひどい事件であったし、犯人は厳しく罰せられなければならない。

しかし、問題はその後の報道だ。倉田真由美テレビ女児をつれた成人男性犯罪者呼ばわりするような発言をした。ニュース番組では犯人オタクだったことに引っ掛けて不当にそれを強調し、オタク犯罪者予備軍として差別するような流れを作っている。

ろくでなし子の件では、それより前から規制を受けてきたオタク界隈からボロカスに叩かれている。なんでかといえば、北原みのり氏がその言動のために敵視されているからだ。

もちろん、利害関係はあるだろう。だが、今の相互不信の局地というべき状況はあまりに不健全である表現規制問題にせよ、ジェンダー問題にせよ、本来は利害の衝突こそあれど、交渉や妥協あるいは止揚はできるはずだ。むしろマチズモの文脈で相対弱者たる男性オタク課題を解決していくことはジェンダーの側面からも目指すべきことだろう。

さて、話を戻そう。倉敷誘拐事件オタク特に男性オタクは今、不利な状況に置かれ、謂れのない蔑視に苦しんでいる。北原みのり氏は反差別旗手として、あるいはのりこえねっとの共同代表として、これに助けをしてほしい。何も、ポルノ的で少女性を消費する萌え文化を無理に擁護する必要はない。ただ、オタクであろうと差別はいけないと言えばいいだろう。

この間、twitter山本夜羽根氏から塩を送られただろう。あなたが今度は塩を送れば、この極度の相互不信から脱する糸口が見つかるかもしれない。

私は、それを期待している。

2013-09-04

バレンティンのシーズン本塁打記録阻止は八百長と同じだ

国民栄誉賞を受賞しているからとこの待遇いつまでも続けているとプロ野球界の衰退を招きかねない。

実際統一球導入や民放プロ野球放送時間の短縮から視聴率が年々低下してるし一部の球団ではM&Aが行われたりもした。

それだけに今、バレンティンの新記録樹立止揚もない前時代的な理由で避けようとするのは言語道断である

四死球で逃げる事が戦術的な意味のものであったり、謙虚さは美徳であるとする日本人の気風だとかを理由にするのは如何なものか。

それならば、バットを持って来ず打席に立つといった王貞治パフォーマンスを真似たとしても四球を投げるべきだ。

あるいはヤクルトバレンティンを正当な理由で以って試合に出場させないべきだ。

このような八百長行為が続くのであれば、黙認している加藤良三コミッショナーも何らかの責任を負わねばならない。

いち野球ファンとして、八百長試合をこれ以上見せないで欲しい。

2013-08-12

低学歴世界」とは何か

「うちら」の世界http://lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425

私のいる世界http://luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/07/221155

低学歴」って言うな。— http://d.hatena.ne.jp/Rootport/20130810/1376143977

SNS炎上と"低学歴世界"の構造分析。 — http://togetter.com/li/545991

 ここ最近、「低学歴世界」というワードを目にする機会が増えました。発端となったブログの内容と、自分の周りで議論されている内容、そして自分が考えていることは方向性が違うのですが、その「低学歴世界」のあり方や「高学歴世界」との関係、溝、そしてネーミングそのものが議論の対象になっているので、自分も思うところを書いてみようと思います

 上の4つの記事を参考にすると「低学歴世界」の人々は、

インターネットをはじめとする技術に対する無理解

世間一般の常識とはかけ離れた独自の常識

教養の低さ

低学歴(中〜高卒まで)

ローカル

という特徴を持っているとされています。前提として、このような特徴を持ったコミュニティ世界現実にあるのだということは、このノートを読んでくださる人々に認識していただきたいと思っています。程度の差はありますが、上記5つの記事に書かれている内容でおおむね合っています

ネーミングについて

 僕自身もその「低学歴世界」に、身を置いていたとは言わないまでも、通りを挟んで向かい側くらいまで近付いたことがあります。そこで感じたのは、そういう世界に身を置くかどうかは、(親をはじめとする周囲の)学歴という要素はとても大きい、ということです。分かりやすレッテルを貼っているだけだ、とか、学歴で切り分けるな、とか、上から目線だ、という批判もありますが、現実にそういった世界のぞき込んでみると、決して外れてはいないな、というのが思うところです。(また、全く次元の違う話ですが、これが例えば「下層の世界」というネーミングだったら、ここまで話題にならなかっただろうと思います。この話題をここまでバズらせてくれたという意味でも、この名前には功績がある、と思うのです。)

低学歴世界」とは何か

 「低学歴」という呼び名では、単に「学歴が低い人々の集まり」くらいにしか聞こえないので、本質をとらえきれていない、という批判があります。上記の記事や自分なりの体験をもとに、この「低学歴世界」の特徴を考えてみたいと思います

究極のローカル

 この「低学歴世界」の最大の特徴は、小中学時代に形成された地縁社会がほぼ一生続く、という究極のローカル性です。

低学歴世界って何と無くわかるんだよ、高卒とか地元の専門、地元Fラン卒業して、中学の時の奴らとつるみ続けて、世界を知らない、それでも彼らは幸せなんですよ。

法律経済に無関心、それで生きていけるからITにも無関心それで生きていけるから、大切なもの地元友達だけ、地元最高みたいな人が。

本来ならば"低学歴世界"の人々は親や先生との対立によって自らを止揚させて行き、大人になるが親や先生能力が低いと止揚ではなく社会からの逃避によって解決を図る。

お互いに逃避した友人と遊び、逃避した同士自らをさらけ出し、自らの文化(culture)を養成していき、自らの常識を育んで行きます

テレビ世界は全く違う世界の出来事を映す、代官山のお洒落カフェ原宿のお洒落洋服屋さん、六本木の華やかなクラブ、それは"低学歴世界"から見たら全くの虚像なのです。

彼らが持っている世界小学校のころから使っていたコンビニ最近出来たバイク20分のトウキョウのシミュラークルとしてのイオンモール、それと国道沿いのチェーン店出身中学高校くらいなものです。

なぜなら決して地元から離れる事が出来ないから(考えすらしない)、"低学歴世界"の交遊関係は幼少のころから続いており新しい環境に行くことが出来ない、疎外されるからです。

SNS炎上と"低学歴世界"の構造分析。 」

 この記述は、その特徴を痛々しいほど正確に切り出していると思います。"彼ら"はとても世界が狭い。このような世界で、子供達は学区制に従って地元の小中に通い、テストの点数に従って近場の高校に通い、多くはそこで卒業して就職し、一部は地元専門学校大学に通い、一部が進学や就職コミュニティを離れ「外の世界」に出て行く。これらの区分けのうち3つ目と2つ目の一部だけが低学歴世界」を(一時的に)脱出し、多数派の1つ目、2つ目の一部が「低学歴世界」を構成する次世代となります

低学歴

 ネーミングにも表れている「低学歴(※字義通り)」という特徴は、確かに当たっている、と言えます。彼らは多くが高卒、または地元専門学校卒で、大卒者は少ない(大卒者は大学に依ったコミュニティを作ってしまうので、関わりが薄い)。それはローカル性と一体のものです。大学入学にはもちろん学力の問題もありますが、そもそも「低学歴世界」の人は大学に進学することを考慮していない人が多いのです(理由は後述)。地元を出て高い金を払って進学しようと思わない、かといって就職のために県外に出るのも、という人が、地元で職を見つけて大人になっても地元に留まります必然的に、構成メンバーが「低学歴」寄りになるのです。

 しかし注意しなければならないのは、その「低学歴(※)」というのはどちらかといえば「低学歴世界」が作り出した結果に近いものであって、その世界を成り立たせている要因ではない、ということです。「低学歴世界」が「高学歴世界」と断絶してしまっている最大の要因は、その世界の子供が、親世代から低学歴世界」を脱出できるような教育を受けられず、「低学歴世界」が再生産されていく力が強い、ということです。

低学歴世界」が持続する理由

 つまり僕が「低学歴世界」の大きな要素として挙げたいのは、先程のローカル性に起因することですが、「自分の慣れ親しんだ世界の外に出て行く、子供を送り出す」という意識が、「低学歴世界」に欠けていることです。だからこそ、自分が通ったことがない「大学」に子供を通わせようとも思わないし、海外旅行する必要も、就職のために大都会に送り出す必要も感じない。インターネットをはじめとするツールは「世界」の仲間と交流するためだけに使えばいいから、きちんと学ぶ必要はない。

 そこから生じる一つの帰結として、「子供教育教養をつけさせる」という意識子育てをする家庭や地域に欠落していることも、この世界が持続する要因となります自分がかつてそうだったのと同じように、また周囲と同じように、小中学校での教育に関心を払わない(払えない)、大学進学の必要を感じない。この意識の欠落によって、次世代低学歴(※)を受け継ぐばかりか、「低学歴世界」そのものが次世代にも再生産されていきます

 自分暮らしている世界で事足りるのだから子供もそれで十分だろうと思う、その意識が「低学歴世界」という閉じたコミュニティ再生産していきます

 ここまできてやっと、学歴のもの本質的な要因でないことが分かります。たとえば、中/高卒芸能人なんか山ほどいますが、彼らの多くが「高学歴世界」の住人である...とは言えないまでも、上記にあるような「低学歴世界」の住人ではなさそうだ、ということは、感じられるでしょう(彼らの中には「低学歴世界出身の人も多いはずですが、容姿や芸能のセンス武器にその世界を出たのだ、と言えます)。これを読んでいる「高学歴世界」の皆さんは、将来自分の子供ができたとき勉強が不得意で、東大医学部どころか大学進学もおぼつかないくらいだとしたら、どうしますか。それでも必死教育するでしょうし、学歴は身につけられなくても教養は教え込もうとするのではないでしょうか。「教育を受け(させ)教養をつけ(させ)る」「自分の慣れ親しんだローカル世界の外に出(させ)る」という態度の有無が本質なのです。

世代経験子供に「遺伝」する

 こうした「子供教育する」「子供を外の世界へ送り出す」意識は、もちろん親の学歴経済力で生まれる面もあるし、土地人間関係にも左右されるが、親世代の「『低学歴世界』の外を見た体験」の有無、これが決定的な差を生みます。たとえ親世代学歴教養がなく、「低学歴世界」に身を置いていても、外の世界を知って子供を送り出そうと思えば、経済大国であり、不十分ながらも支援システムがある日本でなら、可能だからです。「子供を外の世界に送り出す」というプロセス成功すれば、その家庭はそこで「低学歴世界から離脱することになります

 しかし、ここに最大の隔たりがあります。「『低学歴世界』の外を見た体験」というのは、基本的には学生時代を終えてからは体験することができず(もともと「低学歴世界」にいる人間は、そのままで大人になっても低学歴世界」に身を置いてしまます)、非常にチャンスが少ないものです。さらに、「低学歴世界」に身を置く人間が何らかの要因で「高学歴世界」との接触しても、次世代ではその世界から脱出してしまますから、そのコミュニティ全体に影響を与えることはありません。「低学歴世界」にはその世界しか見えない人だけが残っていきます。こうして、「低学歴世界」というものが強固な形で生き残っていくのだと考えています

再度、ネーミングについて

 そのような「低学歴世界」は、上記の「私のいる世界」にあるように、学歴以前の段階であるはずの中学高校ですでに生まれています。「低学歴(※)」が「低学歴世界」を作るのではなく、「低学歴世界」が「低学歴(※)」を作るのですから、本当の意味で適切な命名ではありません。「超ローカル世界」とでも言い表した方が本質を捉えていると思いますが、これでは意味が容易にわからないので、まだ「低学歴世界」の方が分かりやすい、ということでしょう。

何が問題なのか

 で、問題点ですが、そんなもの存在せず、彼らは自分たちの世界で満足してやっていきます自分たちの世界に閉じこもっていれば快適、というのは学歴社会関係なく、どこにでもあることです。そもそも、こういった「超ローカル世界」はそれこそ士農工商時代から存在したわけで、むしろ人間地縁に従って一生を終えるのがスタンダード時代もあったわけですから、問題などもとから存在しないのです。

 では、なぜ今このように話題になっているかというと、社会全体の形が変化したために、「低学歴世界」を脱して「中/高学歴世界」に移り、そこで「カルチャーショック」を受ける人がいる、ということが要因として挙げられるでしょう。もちろんこんな現象は100年前からあったはずですが、そういった「低学歴世界から脱出した人の体験談」みたいなものインターネットにどっと表出してきて、話題になっているという側面があるのでしょう。ネットでは「同窓会コピペ」なんてもの流行ったりしていますが、地方で育って高学歴を得た人の視点から見る「同窓会」というのは、まさに「低学歴世界の再発見」と呼んでいいだろう、と思うのです。

 もうひとつの原因は、やはりインターネット技術によって、そういった世界を外から垣間見ることのできる人が増えてきた、ということです。彼らが冷蔵庫に入ったり、商品の肉を咥えたりするなんて現象は、たぶん昔からあったはずです。彼ら「低学歴世界」の文化ではそういうことは普通であって、問題ないわけですが、それが「外の世界」の常識合致しないものですから、何て連中だ、と言われて「炎上」する。ただ、上の記事にもありますが、彼らは外の世界に対して無関心ですから、「ちょっとふざけたらバレて怒られた」としか思いません。実際、地元に帰れば「この前○○が商品の肉をかっぱらって食ってたらバレてクビになったらしい」くらいの話は地元同級生から聞くことができると思います。このように、本来は閉ざされた存在であった「低学歴世界」が、主に情報通信技術存在で外に姿を現すようになって驚かれている、というのが昨今の現状ではないか、と思うのです。

どうやって解決(?)するか

 先に書いたように、この「世界」はそれ自体問題なく機能しているのですから果たして何らかの手段をとる必要があるのか、ということから考えなければなりません。こちらから見ておかしいからといって、自分たちが正しいと思う世界観を押しつけるのはただの傲慢でしょう。しかし、そういった「低学歴世界」もとい「超ローカル世界」が巨大な世界として存在することが、社会全体にとって不利益であり、その世界を縮小していくことが当人達にとっても全体にとっても有益だと感じられるならば、ゆるやかに解決を目指す必要がありまますしかし、これは新しい問題ではなく昔から連綿と続いてきた社会形態ひとつに過ぎないので、「低学歴世界」がなくなる、なんてことはまずありえないでしょう。

 どうやって対処するか、ということを考え出すと、まだまだ長くなってしまいそうなので、この辺で終わりにしたいと思います。お疲れさまでした。

まとめ

・「低学歴世界」は、小中高時代共同体で一生を過ごす人の集まり、「超ローカル世界である

・その世界の住人には、「外の世界に出て行こうという意識」と「教育に対する関心」が不足している

・いま問題になっているのは、それ自体ではなく外の世界との交流が原因

・彼ら自身は問題を抱えておらず、「低学歴世界」は健全に運営されている

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