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はてなキーワード: 止揚とは

2024-04-08

サウナ推し活、筋トレ

最近は、時間ができると「サウナ行きたい」と思うことが多くなった。

中年にさしかかった年齢のせいなのかもしれないが、最近世間的にもブームになっているから、きっとみんな、昔より、サウナに行きたがっているということなのだろう。だが「行きたがっている」というのは本当だろうか。みんなただ単に、やることがないだけではないのか。

現代自分を含めたある種の人々には、やるべきこと、欲しいもの価値のある行為が何もない。SNS時代にはすべてが細分化され、相対化されてしまう。映画音楽文学も、たくさんの人がそれを見たり聞いたり読んだりすることで名作になるのではないかしかし、そういうことはもう望むべくもない。あらゆることは、単なる好みの問題しかない。

それが楽しめるなら、幸せだろう。しかし誰も自分の好みだけで生きていけるはずがない。「推す」なんていうのも、すべてが相対化されてしまったあとに何かを信じるために、自分を「推し」に明け渡す、ある意味宗教的自己犠牲のような行為だと思う。

「推す」というのは、自分を信じられない人間が考え出した、自己否定による「好み」の止揚だ。

そして、現代におけるサウナとは「推す」ことの裏面ではないだろうか。

「推す」が、自己否定から他者を経て創造される「生きる意味であるとすれば、「サウナ」は、自己否定自体の緩やかな肯定である

あらゆる価値が相対化され、何も信じられなくなった人間には、本当の意味欲望がない。やりたいことも、欲しいものも、行きたい場所もない。しかし、そのことに向き合ってしまうのはとても危険だ。それ自体フィクションに過ぎないとはいえ「生きる意味」がなくなってしまうからだ。

そこでサウナとは「何もしない」ということであり、サウナに行くとはつまり「どこにも行かない」ことだ。つまり欲望すべきものがないということを、「何もしない」をすることで、無理なく肯定する。「すべきことがないので、何もしたくない」という恐ろしい事実に目を背けつつ、何もしないままで何かしたような安心感が得られる。そういう効果サウナにはあると思う。

自分は縁がないけれど、おそらく筋トレにも近いものがあるだろう。「筋肉は裏切らない」というキャッチコピーがあるが、それは、ほかに確かなものが何もないという絶望しか聞こえない。

信じるに値する価値がないということを、他者を通じた自己犠牲で埋め合わせるのが「推し」、信じないこと自体を信じることによってやりすごすのが「サウナ」、自己をモノとして信じようとするのが「筋トレ」といった感じだろうか。

なんでもいいから何かを信じて生きたいと思っているが、とても難しい。

2024-02-23

anond:20240223202216

自分些細な行動に価値見出したいって幻想を会話によって

価値自己満足に過ぎないのだからそこに囚われなくてもいいんじゃない

って止揚できたんじゃないかと俺は思うんだが

気分を害したならすまんな

2024-01-04

ネトウヨ共がうるさいが、共産党への震災募金は正しく使われている。

ネトウヨ国家に対する天罰である地震惹起した今、永遠戦犯国・日本を一番救う手立てはなんだ?


潜在的敵性階層である無学な田舎者共にカネをばらまくことか?

避難所に寝っ転がるルンプロ共に餌付けすることか?

収奪された人民の血と汗である社会資本を直して資本家共を肥え太らせることか? 

否!断じてである

憎むべき壺ネトウヨ・ナンミョー共を打倒し、資本家共を地獄に突き落とすその日まで、人民前衛たる栄光ある我が党の前進に全てを捧げることこそが日本を、そして東アジアを、そして世界を救うことに他ならない。

ならば、都市部プチブル有象無象が投じたカネはすべからく人民領導すべき共産党支部の再建と、それを支持する市民、そして政権を奪還するための戦いに投ずるのが当然だろう。そうして初めて悪銭は浄財へと止揚されるのだ。

他に正しい使い道などない。

2023-11-01

anond:20231101124926

まりそれはフェミニスト女性弱者性を根拠に救済を求めるのも同様ということなんだよ

弱者男性はアンチテーゼなのでそこのところを上手いこと止揚していただきたく

2023-10-16

「頭が良い」とは何か

世間一般では”物を知らない=頭が悪い” と思われがちだが、これは間違っている。

そもそも知らないことはイコール頭が悪いということではないからだ。

例えばアウフヘーベンという言葉がある。

日本で言えば「止揚」だ。

多少哲学を嗜んでいれば誰でも知っている言葉だが、逆を言えば哲学に興味関心がない人にとっては馴染みの薄い言葉でもある。

そこで「アウフヘーベンを知らない」という人を「頭が悪い」とは形容しないだろう。

だってそれは単にアウフヘーベンを知らないだけなのだから

要は言葉問題だ。

いたことのない言葉意味を知らないのは当然だし、知っていて当然という必然性はない。

なのに世間では物を知らないと馬鹿にされるという強迫観念があるために質問をしない。

知らない言葉に対してスルーをする。

そんなことはないんだよと言いたい。

知らない言葉出会うのは馬鹿でもなければ無知でもなく、単に接する機会がなければ意味を知らないのは当然なのだから

故に俺が〇俗で嬢に「〇〇二して」と言われて意味が分からず戸惑ったのも、決して自分馬鹿ではなく今までその言葉に接する機会がなかったからに過ぎないのだと言っておきたい。

2023-10-12

ノーベル経済学賞のおかげでネット言論を見る無意味さを再確認した

フェミアンチフェミもどっちも、ゴールディン氏は我々の主張に沿って本を書いたと勝利宣言している

これはフェ/アンフェのどちらもが間違っているのではなく、どちらも正しく著作を読んではい

ただ、現実経済は多くの主因から現在の結果が生まれていてフェミの主張もアンフェの主張もどっちもある程度は正として扱われる

ゴールディン氏の研究は著者のバイアスが少なく統計に由った冷静な研究の結果なわけで、だからこそ経済学賞に相応しいのだろう

ただネット言論者はどうしても二分に分かれて盛り上がる習性が染み付いてしまっているのと、

私は正しい/相手は間違い という話に終始してしまうのが一番ネット言論の良くないところで、そこに永久アウフヘーベンは起きない

このアウフヘーベンが起きないというところが、ネット言論を見る必要が無いという認識に繋がるからそれはありがたいのかもしれない

或いは、自分自身止揚することができる人間ネット言論を見る価値はあるかもしれない

それにしても精々少しの時間で十分だと思うけども

2023-09-30

文句だけ言って脳汁トプトプ出して終わり

止揚かい概念特にない

敗戦国の末路

2023-07-11

なんかどうでもよくなるな。なにも考えたくない。

腐らずにがんばって努力してやっとレールの上滑ってきただけのやつらと同じスタートラインに立てるんだ。私が血反吐吐いて這い上がってきた経験より金持ちの子女が親の金留学して「日本の文化と違うと思った」とかい経験の方が尊いんだ。小学生の頃からずっと勉強してきた私の1票より田舎のパチカスジジイの1票の方が価値があるんだ。

この島には平等・公平と競争格差のそれぞれの悪いところだけが煮詰まっている。

一番の被害者小学生だろう。塾では中受に受かるた競争競争学校では公平を謳う全体主義論理押し付けられる。大人だってそうだ。頑張れば頑張るほど重税を課される。これが”公平な”課税らしいが、一定額を超えるとまた税率が下がり始めるのは頑張りが足りないとでも言いたいのだろうか。これならいっそ経済格差社会階級によって棲み分けされる方がいい。頑張った者がバカを見なくて済む。労働者階級が変な夢を見なくて済む。これならいっそみんな揃って愚かで貧しくなればいい。バカも極めれば賢くなろうと思わないくらいには賢くなれるだろう。

この息苦しさはなんだ。この閉塞感はなんだ。この国全体が腐っていくような退廃はなんだ。

私たちは窒息している。知性と品位の欠乏によって。

私たち中毒状態にある。悪意と誤謬まやかしと虚偽に満ちた知性によって。

我々は少ないのだ。どうせ変わらないだろう。どうせ認められないだろう。しかしいつかはその時が来る。”人権”の何たるかを解さずに権力を振るう者が、理解止揚可能性をだいなしにする者が、聞く耳を持たずタテカン撤去する者がいなくなる時が。来たるべき時のために、我々は腐らず、壊れず、人事を尽くすよりほかない。

2022-12-10

映像心理描写小説並みに網羅することはできなくもないが際限なく長くなる。

小説のように文字だけだと映像的な解釈違いを起こし得る。

止揚」「PPAP」がいまこそ必要だな。物語の新たな表現手法を考えよう。

2022-10-22

特別支援地下アイドルユニットハッピー障害ガールズについてツイートしたらツイッターシャドウバンされた件について

書くかどうか凄く迷っているので、匿名こちらで書かせて頂きます

先週、ジャンプルーキーで、特別支援地下アイドルユニットハッピー障害ガールズ1~3話を読み、感銘を受けて、それについてツイッターツイートを幾つか投稿しました。

自分は主にオタク系の感想ツイートをしていますが、民俗学が好きなので、本漫画感想として、柳田民俗学天皇偶像(アイドル)として日本を巨大な家族として捉え、それによって、そこに含まれない人々が日本共同体から排斥された、非柳田民俗学が指摘した問題について書き、排斥された人々である障害を持つ子供達が天皇を目指すというのは、アイドル包含からハンディを持つ人々が排除される矛盾に対して、排除された人々が自身偶像となることで止揚を目指す意欲的作品評価しました。

そうしましたら、それを投稿して次の日あたりからツイッターの通知欄が0になり(自分フォロワーが数千程度でして、通知欄が1日20+ぐらいに毎日なっているのでおかしいと気付いた)、調べたら、シャドウバンというのが行われていることが分かりました(シャドウバンチェッカー確認)。

すぐにツイッターヘルプサポートに連絡しましたが、「ツイッター投稿問題があると判断した場合はそのアカウント制限を掛けます」という明白に定型文のコピペ返答が来るだけでして、仕方なく、上記ツイートは全部消して、なるべく平穏ツイートをするようにしていますが、それでも直らないので、ツイッターに触れないようにしています

シャドウバンされる前の数日の自分ツイート見直しましたが、天皇について触れたツイート以外はあたりさわりのないツイートで、ツイッターが明示してくれないので分かりませんが、天皇について触れるとセンシティヴな危険表現とみなされてシャドウバンされるのではないかと思います学問的に、きちんと礼儀を持ってツイートしましたが、日本語の「天皇」と「障害」というワードが同じツイートの中に入っているだけで、AIフィルターに引っかかり、シャドウバンになるのではないかと推察します。

こういった形で、おそらくはツイッターアルゴリズムにも菊タブー存在するということに非常にショックを受けています。一週間以上経ちましたが、いまだに、Search Suggestion Banだけ解除されない形です。

2022-10-11

anond:20221009073710

こういう複数の要素を単純に組み合わせるピコ太郎的な短絡的な思い付きを本気で売れると言ってる人ほど商才ないしかなり馬鹿

タクシーアプリが売れてますと聞いて、すぐ近くの自動販売機を探索するアプリを開発しようとする馬鹿がいるならそれと同じようなもん

ビジネスは表面だけ猿まねしようとするんじゃなくてその動機の方が大事だろうに

ジェンダー話題に敏感な人がいます漫画好きがいますという二つの情報を聞いたら脊髄反射的に止揚(というほどのものでもない)したくなる人間の発想がジェンダー創刊なんて空論なわけでこれが思いつきじゃなくて深く考えたうえでやっぱり売れると思ってるんだったら認知の歪みだろ

2022-07-06

anond:20220706125651

哲学者ってのは「よせてあげる」みたいな言葉をクソ難しく「止揚」とか言ったりする連中だからな。そのくせ科学みたいな厳密な定義ではないという。言葉で虚勢を張っているだけのやつらさ。

2022-04-14

anond:20220414183333

性ははしたないものという考えがあるくせにセックスは平気でする

発達障害からかこれを矛盾と感じるが定型発達はこれを直感的に止揚して理解できてるものなののかもしれない

表現の自由戦士はこの止揚能力が欠如してるのを社会責任転嫁しているだけの発達障害なのかも

2021-09-24

極小のジェノサイドの巻物があったとして、それをコロナウィルス

ぶつけるかどうか、って話なんだけど。

ジェノサイドの巻物は初代風来のシレンに登場するアイテムで、敵にぶつけると敵自体とその系統も含めて完全に消滅して、以降は発生しなくなる。

系統も含めて、というところがミソだ。例えばドラゴンに使えば、その上位種のスカイドラゴンアークドラゴンも出てこなくなる。コロナウィルス使用すればその変異株も含めてこの世界存在しなくなる、という感じだろうか。

医療従事者、自分親族罹患者がいる人、ウィルスの影響で生業がおびやかされている人は間違いなくぶつけるだろうと思う。漠然と、「この世界の不幸の総量が減った方がいい」って人もきっとぶつけるだろうな、という気がする。それは正しい。

さて、俺は。

俺は、ちょっと考えちゃうなー。たぶん、現時点だったらぶつけないかも。

日本国内に関して言えば、いまは最悪の状態から脱しつつあって、これがまたヤバくなるようだったら多分ぶつけるけど、現状だったらぶつけないかなあ。

別にウィルスの影響で到来した世界が思いのほか住みよいから、とか、俺が人類総体として憎んでるとかでもないのよ。ただ、人間視点から判断して、一つの種を根絶しきっていいのか、という漠然とした不安みたいなものがある。

これ、生態系全体における役割みたいな話とも違うんだよな。

例えば、蚊いるじゃん。あいつら、全然いても意味ないじゃん。

でも、ハリガネムシっていうよくカマキリ寄生している細っこいヒモみたいなやつがいて、蚊(というかその幼虫のボウフラ)ってその中間宿主らしいんだわ。だから、蚊にジェノサイドの巻物ぶつけるとハリガネムシが困るんだよな。

ハリガネムシは最終宿主であるカマキリとかキリギリスとかを水辺に誘って水中に還ろうとするんだけど、昆虫はその過程で水の中の魚に食われて栄養になる。ハリガネムシ(と蚊)の存在が池や湖の生態系にも干渉してくる…と考えれば、気楽に「蚊、種として滅びろ」とも言えなくなる。

本題に戻るけど、でも、そういう話とも違うんだよな。

仮に新型コロナウィルス人間込みの地球上のあらゆる生物に対して害悪しかもたらさなくても、なんか根絶やすって決定はまずいんじゃないかって気がするんだよな。

別に文明は適度に危機さらされて、合理化健全化のきっかけにするべきである、的なマッチョ止揚を言ってるのとも違うのよ。コロナ人生狂った人はそもそも、フザけたこと言ってんじゃねえってことだと思うけど、違うのよ。

あくま生命生命なんだわ。ウィルス生命とみなすかは視点によるだろうけど、実体があっておおよそ繁殖可能で異物と接触しないと存在を維持できないなら生命だとする。

それを、死ね!つって種としてジェノサイドしていいのかな。例えその種族世界に悲しみしかもたらさないとしても。

俺はなんかよろしくないと思う。でも、理由言葉になんねえ。宗教みたいな、もう超個人的なそういう域なんだろうな。

でも、家族感染したら秒でジェノサイドするんだろうな。

そう考えると、いまも闘病中の人医療機関で限界まで消耗してる人、現時点で大勢いるんだろうから、単に俺の心が冷たいのかもしれないなー。

2021-08-10

高市早苗総理誕生を妬むリベラルおじさんたち

女性の敵は「リベラルおじさん」である



Twitterで「#高市早苗総理に」がトレンド入りしていた。

クリックしてみると、高市早苗を称賛する日の丸アカウントと、罵倒するアカウントが出てくる。中には女性蔑視・性差別的なツイートもある。

批判的なツイートプロフィールを見る。ジェンダー平等を掲げるリベラル政党の支持者たちだった。とりわけ男性が多い。

こうした「リベラルおじさん」たちは、普段女性の味方のフリをしておきながら、女性トップに立つことを阻んできたミソジニストだ。

都知事選の前には、共産党小池晃が、小池百合子揶揄するツイートを書き込んだ。

オーバーシュートロックダウンアウフヘーベン止揚しましたの。オホホ」

言葉と言われる役割語を使って揶揄するのは、ミソジニー以外の何物でもない。

こうした例は数え切れないほどある。

この国のトップが「保守おじさん」からリベラルおじさん」に代わっても、ジェンダーギャップは解消されないだろう。

2ヶ月後に高市早苗が、ガラス天井を突き抜ける瞬間がやってくる。

初の女性総理高市早苗」の誕生を祝福できるかどうかが、リベラル分水嶺だ。

2021-04-14

anond:20210414001604

最近しばらく考えていた事を話すきっかけになる増田ありがとう

俺が考えていたのは、しいて名前をつけるとしたらニューバランス教。

靴のメーカーですでにあるが、それしか言いようがないから仕方ない。

ニューバランス教の信仰対象バランスという概念です。

物事はどこかに振れると必ず触れ戻しが生じますバランスを取ろうとします。

例えば人口が増え過ぎた場合パンデミックや大規模な戦争が起きて人口が減る方へ触れ戻しが発生します。

二酸化炭素が増えて地球温度が上がれば植物が増えて二酸化炭素が減るフェーズに戻ります

ニューバランス教としては、それらマクロバランスを受け入れ、自分の中のミクロバランス感覚を養う事がその中心教義となります

人と人とのコミュニケーションに落とし込めば、それは中庸の追求となります中庸は人ひとりで完結せず、止揚の中にしか存在せぬものとして、互いを尊重する、という教徒生活指針が、現代社会にも十分受け入れられる余地があるものと思ってます

ということで、よろしくねがいしま

anond:20210414001604

最近しばらく考えていた事を話すきっかけになる増田ありがとう

俺が考えていたのは、しいて名前をつけるとしたらニューバランス教。

靴のメーカーですでにあるが、それしか言いようがないから仕方ない。

ニューバランス教の信仰対象バランスという概念です。

物事はどこかに振れると必ず触れ戻しが生じますバランスを取ろうとします。

例えば人口が増え過ぎた場合パンデミックや大規模な戦争が起きて人口が減る方へ触れ戻しが発生します。

二酸化炭素が増えて地球温度が上がれば植物が増えて二酸化炭素が減るフェーズに戻ります

ニューバランス教としては、それらマクロバランスを受け入れ、自分の中のミクロバランス感覚を養う事がその中心教義となります

人と人とのコミュニケーションに落とし込めば、それは中庸の追求となります中庸は人ひとりで完結せず、止揚の中にしか存在せぬものとして、互いを尊重する、という教徒生活指針が、現代社会にも十分受け入れられる余地があるものと思ってます

ということで、よろしくねがいしま

2021-01-16

anond:20210116125858

人間組織歴史も退化することがある、という前提で思想止揚すればいい

2021-01-10

大木隆生氏の「大木提言(ver3)」に誰も反論してない問題

私は新型コロナについての情報を見るにあたっては、

のどれかでなければ話半分未満で聞くようにしている。

数日前に見つけた大木隆生氏の「大木提言(ver3)」は、その基準からすれば傾聴に値しそうだ。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3859177164173859&id=100002448400114

https://jikeisurgery.jp/wp-content/uploads/2021/01/COVID-19ver.3.pdf

(どちらのリンクも同内容)

大木隆生氏は、慈恵医大外科統括責任者・対コロナ院長特別補佐。ベストドクター in NYhttps://nymag.com/bestdoctors/ これ?)に4年連続で選出されているらしい。専門は感染症ではないけど、十分な実績と信任を持つ現場の人と言っていいだろう。

大木提言Facebookでは現時点で2000件以上シェアされており、Twitterでも検索すると多くの人が反応している。反応は「私の実感と一致します!勇気が出ました!」「コロナ脳に読ませたい」と異口同音に絶賛だ。医療関係者も「理路整然とした重要意見。さすが大木先生」といった口調で褒めそやしている。

でも僭越ながら、私はこの提言には論拠の弱さ・論理の飛躍を多く感じた。なのにそういう反対意見SNS上には見当たらなかったので不安になっている。誰もやらないなら私がツッコみます。というわけで慣れない増田を書いてますよろしく

大木提言かいつまめば「1. 感染者数が増えても実害はない」「2. 医療崩壊は起こらない」よって緊急事態宣言意味がないので基本的感染対策のみを行いながら経済を回せ、と言っている。この1,2について私の違和感を述べます

1. 感染者数が増えても実害はない

何故そういえるのかというと、要は欧米と違って日本人にとってはコロナは死亡に繋がらず怖くないからだそうだ。ファクターXってやつですね。それがあるので、欧米経験政策WHO見解日本の参考にはならないとのこと。

新型コロナ欧米においては恐ろしい感染症であるが、様々な理由から日本人にとっては季節性インフルエンザ程度の病気位置づけられる。

それは日本での人口当たりの感染者数も死者数も欧米の約50~100分の一である事やオーバーシュートが一度も起こらなかった事など、過去1年間の経験データをみれば明白。

明白…? そのファクターXが何なのか、そもそもそんなもの存在するのかすら、結論って得られてたんでしたっけ?

大木氏が曖昧に言っている「様々な理由」つまりファクターXの内訳とは具体的には何なのか。調べてみると、2020/5版の提言記述が見つかった。

http://www.japanendovascular.com/covid-19_proposal_Ohki.pdf (P10-11)

この時点では大木氏は、日本人コロナに強い理由の仮説として

BCG接種

②2020/1-2にステルスオーバーシュートが起こり集団免疫が獲得された

を挙げている。

しかし①はこれまでの研究から棄却されているし(と思ってるけど違ったらごめん)、②は第2波・第3波の到来の事実を踏まえると非常に疑わしい。8ヶ月経って情報は大きく増えたが、他に「明白」といえるような根拠が見つかったのだろうか? 私はそういう根拠を知らないし、少なくとも「明白」の一言で済まされるような簡単ものじゃないと思う。そして、日本人特別だという根拠が薄弱なのであれば、世界各国の現状・対策からの学びをあえて捨て去るのはリスキーすぎだと思うんだけど、ベストドクター的には違うんだろうか?

ちなみに大木氏、

上記裏付け事実として日本における2020年の死因別ランキング示唆である2019年の死因ランキング2020年の新型コロナによる死亡者数を挿入すると、新型コロナは第36位(11月末時点)。一方、季節性インフルエンザ2019年31位(図2)。さらに、同様の手法世界米国の死亡原因ランキング作成するといずれも新型コロナは死因第3位にランクインしており、日本人いかに新型コロナ抵抗性を有しているか如実に物語っている(文献4,5)

と言ってるんだけど、

の死者数比較根拠にするのはガバすぎでは…!? さすがにこれは読んだ人の半分くらいはツッコめる部分だと思うんだけど、この感覚おかし!?

2. 医療崩壊は起こらない

要は「欧米英国米国)でも医療崩壊は起きていない。それより数十分の一の規模の日本医療崩壊なんてありえない」という話をしている。

でも「欧米医療崩壊が起こっていない」というのは事実として正しいのか?

医療崩壊の定義は当該診療科医師疲弊しているか否か、すべての患者タイムリー病院受診できるか否かではなく、救える命が救えなくなったか否か

大木氏は書いているので、その定義では少なくとも欧米については医療崩壊は「起きている」という結論になりそうなものだけど。

たとえば各国の状況を検証しているTwitterのツリーこちら。

https://twitter.com/mph_for_doctors/status/1347047822034685952

まあ欧米の状況は置いといて、日本医療崩壊が起きているか?を問われたら、これは正直なところ私にはわからない。毎日医療崩壊のニュースが飛び込んできてるので感覚的にはヤバいと思ってるけど、実際は声の大きい現場の声ばかり聞いてて認識が狂ってるのかもしれないね数字で語れるのは先の話なので保留したい。

大木氏によると、医療リソースを余計に食い潰している原因は第二類感染症指定であり、それを五類に変えると改善するそうだ。これについてもそうかもしれないし、そうでないかもしれない。対立意見としては、高山義浩氏の「自治体によって柔軟に対応カスタマイズできるので2類相当でも問題ない」という話がある。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3509866199066862&id=100001305489071

どちらにせよ門外漢なので、慈恵医大の対コロナ院長特別補佐に「医療崩壊は起こってない」と言われたら「ああそうなんですね」と黙るしかないんだけど…でもそもそも論点が違うと思うんだよな。コロナ対策における医療崩壊の危険性について論じるべき点は「現状リソースが足りているか」じゃなく「いずれ感染が広がったときリソースを維持できるか」ではないんでしょうか?

新型コロナ感染者数は指数関数的に増大する。しか医療リソースはそうではない。だから実効再生産数を1未満に抑えないかぎりいずれリソース破綻する。そして重症者・死亡者は3週間の遅行指標であり、その数字が出た時点ではもう手遅れになっている。

新型コロナとの戦いはそういう戦いだというのがすべての前提だと思ってるので、その観点に触れずに大丈夫と言われても全然納得できない。3週間後に何がきっかけで爆発してるかわからない以上、予兆が見えた時点で厳しい対策必要だと思ってるし、大木提言はそこには何も答えられてないと私は思う。

(なお緊急事態宣言が「厳しい対策」として機能するかは別の問題です)

最後

私が一番問題だと思ってるのは、こういう非賛同者の反論ネットじゅう探しても全然見当たらないということ。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の対立みたいな記事が先日話題になったけど、もしかしてこの大木提言も「騒ぎすぎ派」が支持して内々で話題にしてるだけで、「ヤバすぎ派」にはガン無視されており視野にも入っていないんじゃないか。実際ブクマ全然ついてないし。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の分断の問題は、それぞれの議論の前提自体が異なっていることだ。お互いの前提を共有して「この点は共有できるよね」「ここが意見の分かれ目だね」と止揚できればいいんだけど、お互いに殻にこもってしまうから議論が深まらない。結果、「コロナ脳」「正常性バイアス」とお互いを揶揄することしかできない。それは健全じゃないと思う。私はみんなが共通認識を持てる議論の土台をなるべく増やしたいし、そのためにはオピニオンリーダーには闊達議論してほしい。

宮沢孝幸とか中野貴志みたいな明らかに専門外の連中ならただ単純に無視すればいいんだけど、大木提言はそれとは質が違う。何も情報がない状態で「この増田大木先生をどっちを信用するか」と言われたら、私だったら実績ある大木先生を信用しちゃうよ。だからもっとちゃんとした専門家大木提言への反応をしてほしいと強く思う。

2020-11-02

努力矛盾である

 努力をする、という行為そもそも矛盾であって、人間努力をしないようにできている。更に言えば、人間努力をしてはいけないという命令を脳から受けつつ生きる。

 というのは、努力をする、という行為必要な時点で、それは努力するべき価値のない物事からである。夢中は努力に勝る、という言葉があるように、本来成功する努力とは無意識的なものである。つまり、「努力しなきゃ」という客観的観点と、有意義効果的な努力は不協和なのであって、「努力しなきゃ」とか意識してる時点で、貴方はその物事に向いていないし、もっと言うと、その物事に関して努力をしたところで極めて期待値が低く、恐らくコスト努力)に比してあまりにも小さなリターンしか手に入らないか、あるいは全くリターンが手に入らないか、最悪、リターンどころか自身マイナスしかならないということなである

 脳はそのことを知っているので、そもそも客観的に見て「努力必要」と感じた時点で自分の体にブレーキを掛ける。「努力必要期待値が低くあんまりやらない方がいいこと」なのである(それが我々人類におけるこれまでの生存戦略だったのだ)。本当に向いていることは「努力しなきゃ」とか考えるまでもなく体が動くし、特に意識なく精進していけるものであって、要は才能がない人間努力無駄どころかその人間の心身を蝕むことになるという厳然たる事実を脳は知っているのである。だからこそ脳は人の体にブレーキを掛ける。「やめとけ」と。だから、人は努力ができないのが普通なのだ。

 例えば、もし原始時代において、あんまり期待値が高いわけでもない試行を繰り返す個体努力をする個体)がいたら、周りの人は彼にこう告げるであろう。「お前そんなことしてないでもっと向いてることやれよ、コミュニティを存続させるために重要なこともっとあるだろ、あるいはそういうのはもっと向いてる奴に任せとけよ。コミュニティが存続しねえとお前も生きていけないんだから、お前がやるべきことは他にもあるってことくらい分かるじゃねえか」と。はい。明らかにこのような忠告は正しいし、正鵠を射ている。そういうわけで、「努力をしない」あるいは「努力と感じられるような努力はしない」が人間生存戦略となっているのである。これは極めて合理的なことで、人間は要するに努力できないように作られているのであるし、努力という行為人間生存戦略上の矛盾なのである


 とは言え、原始時代はともかくとしても現代においては、一人の人間期待値の低い努力をしていたところでコミュニティの存続には特に関係がないので、そういう「努力」が許容されるようになっている。しかしながら、「努力」と認識し「努力しなきゃ」と思っている時点で人間生存戦略矛盾していることには代わりない。脳は、そのような努力をしている人間に対して、絶えず命令を送り続ける。「やめとけ」「向いてねえぞそれ」「多分ほかのことやった方がいいと思うぞ」などなど。

 繰り返すが、そのため人間は脳の影響によって「努力」というものができない(やりにくい)のである

 才能のあるやつにはそういうことがない。あるいは、あったとしてもごく少ない。脳は才能あるやつにこう告げる。「その調子だぞ」「向いてるぞ、それ」「その研鑽期待値高えからそのまま続けろ」などなど。というわけでこの文章は才能のあるやつには向けられていない。才能のあるやつにおいて努力努力じゃねえので生存戦略において矛盾はない。彼はそれを殆ど無意識に行い続ける。多分ドーパミンとかそういうのも結構出るので、むしろ努力をやめることができなくなる。

 とにかく「努力しなきゃ」と考える時点で貴方は凡人である。脳としては「やめとけって……」の無限打診を続けるしかない。とは言え、そういう負のスパイラルに没入しても、原始時代においてはそういう期待値の低い試行をし続ける人間は下手するとぶっ殺されちゃうんだけれど、現代においてはぶっ殺されずにそのまま負のスパイラルを続けることができる。この文章は、そんな負のスパイラルを続ける人間に向けて書かれている。


 俺は凡人である。つまり努力をしている人間である期待値の低い試行を繰り返している人間である

 というわけで基本的には努力とかせずほかの事柄リソースを割いた方が明らかにマシなんだけれど、そういう合理的判断能力はとっくの昔に欠落している。

 さて、そのような凡人にとって、基本的努力というもの期待値が低く、努力なんてことはせず別の行動をした方が絶対いいんだけれど――アンチテーゼを敢えて唱えるならば、「凡人にも最高効率努力がある」というテーゼがそれに当たる。

 凡人――最も努力費用対効果コストパフォーマンス)が低い人間にも、その人間にとって費用対効果の高い努力というもの存在する。それは事実である。「努力矛盾である」という原初的命題テーゼ)を止揚アウフヘーベン)するために、このアンチテーゼを用いる。これによってジンテーゼを生じさせる。

制限された状態から効率の最大化を求める行為矛盾ではない」。

 これがジンテーゼだ。

 努力をしなければいけない人間は、能力制限限界リミット)のある人間である。よって、そのような人間の行う努力基本的効率が良くなく、あまり価値がない。これまでその事実を俺は言い続けてきた。とは言え、全く制限のない人間というもの存在しているかと言えば、それは誤りである。例えばチェス世界における現人類最強の人間ノルウェー出身のマグヌス・カールセンであるが、彼に比べれば、全ての人間相対的チェス能力制限を受けていると言ってもいい。もっと言えば、チェスコンピューターには流石に敗北を喫するであろうカールセンにしたところで、能力には制限が設けられている。つまり人間には万民において制限が、限界が、リミット存在している。

 となれば、基本的に我々の取るべき生存戦略は次のことになる。「制限のある上でいか効率よく振る舞うかを追求する」ということである。ここにおいては、次のテーゼも成り立つ。「制限の多い状況においてある行為可能ならば、制限の少ない状況においては尚更その行為可能であるし、制限の多い状態に比べればよりコストパフォーマンスも高くなる」というテーゼである。これは、ドラゴンボールにおける悟空重力トレーニング想像してもらいたい。重力が高い状態である程度のパフォーマンスが発揮できるならば、適正な重力下においては更に多くのパフォーマンスが発揮できるであろうということだ。

 そう、この場合の「重力」という比喩は、我々における一種制限、つまり「才能の無さ」と対応している。我々は、悟空重力において制限を受けるように、常に「才能の無さ」という重力に晒されている。そこにおいて我々は、常に脳から「やめた方が良いぜ」という圧力、その行動に対する一種重力を受け続けているのである。これは、寧ろ努力する人間に限らず、ほぼ全ての人間が常に晒されている恒常圧でさえあると言えるかもしれない。

 そう、人間は、基本的に、何らかの重力に晒されている。だからこそ、その強い圧力下において、強い重力下において行動することに慣れなければならないのである。そう、つまり、我々は努力をするべきなのだ。そうすることによって、重力の低い事柄、例えば自身における「向いている」事柄において、更にパフォーマンスを発揮できる可能性が高まるである

 ここから得られる結論としては、必ずしもある努力は、その努力している対象(例えばスポーツとかチェスとかその他の競技とか)そのものに対する努力ではないということだ。それは、重力それ自体に対して慣れるという努力なのである重力をある程度克服するという努力なのである。そう、努力対象を、自身の受けている恒常圧であるところの重力へと転換させること、そのことによって我々は初めて努力意味を見出すことができるのである。あるいは、重力のものを、つまりは才能のなさそのものを克服することによって、本来才能のない向いていない出来事に対しても、これまで以上のパフォーマンス発揮することも、決して夢ではないのである


 テキストとしては以上なのだが、些か抽象的な記述になってしまったので、具体的なアドバイスを一つだけ書いて終わりにしたい。

 人は脳によって恒常圧、重力を受けている。なので上手く受け流して重力を克服するしか、我々才なき者には道はない。


簡単にできることをする

 誰もが言っていることだが、難しいトレーニングをすることは脳の負担を増大させる。脳から重力を増大させる。なので、簡単なことからしなければならない。

 例えば、「あいうえお」と記述することは誰にだってできる。文章練習をしたいのであれば、毎日必ず「あいうえお」と書くことだ。そういうことから始めよう。

 毎日あいうえお、と書いていると、殆ど人間は次のように思う。「『あいうえお簡単すぎるわ」と。「何かもっと難しそうなことできるわ」と。ここにおいて、脳の恒常圧はやや薄れることになる。

 そうなったならば、相対的に難しいけれど比較簡単なことをすればよい。例えば、「あいうえお」だけでなく、「かきくけこ」から後を書くとか。あるいは、俺が実際に行ったトレーニングは、まずここに書いてある通り五十音を書き写すといったものであった。その後、脳の恒常圧がやや薄れたのを確認して、次のステップに移ったのだけれど、それは、昔暗記したとある小説のページをひたすら書き写すというものであった。自分の好きな小説のページを、同じページを書き写すのである。とにかく、物事簡単なことから始めるのが大切だ。誰にでもできることから始めるのが、一番脳の恒常圧、重力を騙すにはうってつけなのである

 簡単なことから始めよう。しかもそれを毎日続けよう。

 そうすることでしか我々は重力を騙せない。後は、毎日最低限栄養のある飯を食べて、ちゃんと寝て、人と会話をしよう。そんくらいである。

 才なき人々は、脳を騙して、重力を克服しよう。

 すると矛盾は消える。

2020-08-31

anond:20200830111054

なんでもかんでも盲目的にリベラルを受け入れればいいというものではない。

「今の時代に合わせなければ」と強迫的に受容しても、いつか反動となってよみがえってくる。

従来親しんできた規範感情と、理論的に「正しい」とされる思想とは相克があって当然。

「正しい理論だって時代によって常に流動する。進歩的にも反動的にも。

両方を認識したうえでそれらを止揚するのが哲学の役目。

いま感じている違和感を忘れずに、関連分野の理論勉強していったらいいと思う。

2020-04-07

anond:20200407103128

増田本文とは全く関係ないが

藁人形バトル」という言葉だけ拝借して、

藁人形論法」を止揚する言葉として流行らせたい。

大体どこも「藁人形論法」はやってるので。

両者とも「藁人形論法」をやってるなら「藁人形バトル」と言ったほうが適切だろう。

2020-02-22

anond:20200222124956

人事の利害と現場の利害は異なるからな。

人それぞれ思惑が異なることを前提として、うまく話をリードできればいいんだ。

単なる両論併記ではなくて、それを止揚して一段高い議論に持っていくとかね。

弁証法とか聞いたことくらいはあるよね。

2019-05-30

1000年おきの未来

BC3000頃 文明の起こり。人間集団的知的活動を始める

BC2000頃 カースト制が形成。明確な階級が生まれ

BC1000頃 枢軸時代人間精神覚醒され学問の基礎が起こる

紀元帝国時代世界が大きな帝国によって統治される

AD1000頃 文明産業の発達、それに伴い世界大戦へと繋がっていく

AD2000頃 世界大戦が人類共通の負の歴史になり、以降は世界大戦が起きなくなる

AD3000頃 資本主義共産主義止揚され、優秀でなくても幸せになれる社会が成立する

AD4000頃 技術進歩した結果、物理法則ハッキング可能になる。エネルギー保存則などから逸脱してドラえもんの道具が実現するようになる

AD5000頃 願望が即実現される社会になり人間全体の精神性が未発達になる。全ての人間が個々の並行世界で生きることで争いを回避するようになる

AD6000頃 精神世界の解明が進み、人間より高位の存在確認される。なぜこの世が存在するのか、なぜ生物存在進化するのかについての理由が判明する

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