はてなキーワード: 斜め上を行くとは
私はアメリカ在住の日系二世(ハーフ)の男なのだが、情けない事にアメリカ社会にはあまり馴染めておらず、気づいたら21にもなって恋愛経験がない。
そんな私に、この前同じく日系2世ハーフで恋愛経験のない一つ上の友人がとんでもないアプリを進めてきた。
そのアプリは「Tantan」といって、中国版Tinderと言っても差し支えないアプリだ。
それやるならTinderやりゃあいいじゃん、と思うかもしれないが、アメリカのTinderは日本人の感覚からしたら過激な魔窟なのである。
もし、アメリカのTinderの女子の全アカウントを集め、そこから水着写真、ピアス、タトゥー、デブ、痛すぎる自己紹介文を取り除いていけば残るアカウントは1%未満だと言ってもいいくらい、(少し昭和チックな)日本人の美意識に全くそぐわない恐怖と絶望のマッチングアプリなのである。
Tinderなんてヤリモクアプリなんだからそりゃそんな感じだろ、馬鹿じゃねぇのと思う人もいそうだが、私はヤリモクではなく、ただただまぁまぁ可愛い女子と喋れればもうそれでいいや、ってレベルの陰キャなので、そういう面倒臭いタイプの人間からすれば全く嬉しくないアプリなのである。
なので私はアメリカでマッチングアプリを本気で使う事はないだろう、普通に大学の女子と話す努力をしよう、と考えていたのだが、そこに来てこのアプリを知った。
このアプリは構造上はTinderと全く変わらないのだが、使っている女子が比較的清楚で可愛いのである。マッチングはしないだろうけど、美人が沢山いるのである!
「絶対こんな可愛い子いないだろ、詐欺だろ」って言いたくなるくらいの人ばかりだが、Tinderはマッチングするかしないか以前の問題を抱えていたのでそれと比べると本当に雲泥の差なのだ。
ただ、私の日系人の友人としてはこのアプリには大きな問題点があって、それは日本人が全然おらず、中国人しかいない…という事。
英語ならまだしもチャットもほぼ全部中国語になってしまうそうで、それで全然やってなかった…
が…何を隠そう、私は中国語ができるのだ!
とりあえず暇つぶしに意味のある趣味を持とう、という陰キャ故の多い時間を勉学に使ったおかげで、(独学なので)多少おかしい所があるとはいえ、私は中国語ができるではないか!
このアプリを使えば女性慣れもできる上に中国語も練習できて一石二鳥ではないか!
そう思った私はアメリカでは絶対にやらないと思っていたマッチングアプリに挑戦してみる事にした。
が、最初は恥ずかしがって自分の写真ではなくドラえもんの銅像の写真を自分の写真として載せた。
…すると、それで即BANされた。垢を決してもう一回新しく登録してもBANは続いていたので電話番号ごとBANされた。
私は勿体無いことをしたな、と普通にシュン…となったのだが、垢の作り方が電話番号以外にもあったのでそれで試してみたらできたので今日はちょくちょくこのアプリで遊んだわけだ。
とりあえず、本当にやってみたいと思うアプリでは今後ふざけない様にしよう…そう思った。
そして、昨日の深夜に初めて今日もちょくちょくやってみたのだが…
全体的な感想としては、どう接すればいいか分からない、という感じだ。まず、私がいる場所的に、60マイル以下に限定して探すと相手が全くいなくなる。選ぶ権利すら無くなる為、必然的に相手は全員遠距離になる。
更に多くのプロフは何も情報が書かれていないので、どう挨拶すればいいかわからず、短い返信同士のクソつまらない、広げようのない会話をしてしまうし…って感じで、非常にやりにくい。
普通に喋れれば全然違うんだろうけど(私は分かりやすいからという理由で自分を陰キャと表しているが、実際はもっと複雑でタメ口の日本語ならめっちゃ自然に喋れる)、電話に持って行くまでの技量がない。
が、そんな中でこのアプリに集中力を一日中奪われた結果、なんだか変な気持ちになる体験をした。。
★★★★★
60マイル以内にいる人と全く遭遇しないままこのアプリを続けていると、8マイルしか離れていない中国人がいきなり出てきた。
名前は「喵喵(ミャウミャウ)」、写真は加工済みで一枚のみ、更にプロフィールに何も書かれていないという明らかに地雷でしかなさそうな女性だったのだが、距離があまりにも近かった上に加工とはいえ可愛かったので「いいね!」を押した。
数時間後、彼女側も私を「いいね!」した事でマッチングし、中国語でテキストをした。
非常につまらないあっさりとした質問交換だったが、話を続けている内に彼女は香港からやってきた留学生で、しかも私と同じ大学に通っているとのことだった。
私はこの時点ではまだまだ詐欺だと警戒していたので(大学も私のプロフィールを見ればそれに合わせられる)全然期待はしていなかったのだが、とりあえずWhatsappで繋がり、そこで会話を続けた。
クソ中身の無い会話の後、私はシャワーを浴びるべく一旦会話を切ったのだが、何もなかったその20分後くらいに「今度一緒に出掛けて中国語教えてあげるよ」というリアルでの誘いが来た。
私はとりあえず後で電話のお誘いをしてみようと思っていたところだったので、まさかの逆アピールに一瞬テンションが上がって早速いつ空いてると聞き返したのだが、やはりまだバリクソ警戒してた上に、差し支えない会話程度では魅力を感じないのですぐ冷静になれた。
すると、その中で彼女は「ただし有料だよ」と言ってきた。
「あー、そういうことね。まぁでも冗談の可能性あるし」、という感じで私は
「じゃあ食事代でも良いかな?」と、我ながらかなりスムーズに食事に誘った。
必死に見えるかもしれないが、奢りをすることになっても、「俺、マッチングアプリの人と実際にあったんだぜ」、という事実さえ作れば皆と会う時に使えるかなり面白い話のネタになるので私としては恋人としては無理でも会えれば全然会うという感じだったのだ。
すると、彼女は「$200、四時間のエスコート代」と言ってきた。
ここで、TantanからWhatsappにわざわざ移ったのも援交が目的だったからか、と気づいた。
流石に私も$200をポンと女性に出せる程飢えてはいないのでこれには苦笑し、「必要ない、ははは」と返した。
「こういう商売よくやるの?」と今思うとかなりデリカシーが欠けている質問をしてしまった。
「私は貴方に笑われても怖くない。実は私は個人の事情から今マッサージサービスのバイトをしてお金を稼いでいるの」
これをみた私は、中国語の理解が完全ではないとはいえ、完全に裏社会の方向で解釈した。まぁ実際、直訳したらマッサージサービスでも、援交代みたいなものを求めてきたのを弄った時の返しがこれなのだから実際に多分そうなのだろう。
「嗚呼…彼女も生きるのに、お金を得るのに必死なんだな…」と何だか切なく、申し訳ない気持ちになり
「そうか。私はそういうことをする人を軽蔑はしないが、私自身はそういうサービスを使わないんだ。
私は君の困難を知らないけど、頑張れ。」
という文を送った。
今思うと、三文目に「すまない」を入れるべきだったし、最後の文も多少強引だし励みになっていないと思うが、第三言語の中国語になると語彙力と表現力が下がるのは当然なので仕方ない…気もするが次回はもっと気をつけたい。
とりあえず、申し訳なさと励み方をもっと上手く表現できないとダメだ。
そして、結果としては…
会えなかったのは残念だったし勿論最低限の期待とか妄想もしたが、最初から「どうせ詐欺だろ」という気分が終始強かったのと、最初から大した期待はしていなかったのでダメージは全然ない。
ただ、なんだか世の中の不条理さと辛さをみた気がして、なんだかやるせない気持ちになった。
或いは事情もクソもないけどお金に飢えてそういうことをしているのだろうか?
男に会うならタダの食事代でも金をもらわなきゃ損だという歪んだ思考の持ち主なのだろうか。
なんだかそういうことを考えると求愛を沢山受けるであろう女性も大変なんだな、とまたまた思えた。
(アメリカのアジア人女子は従順なイメージによる需要と、ライバルの白人とか黒人とかがあまりにも可愛くなかったり体型に問題があったりするので大抵かなりモテます
…と、以上がTantanを使っていたら援交のオファーを受けた話である。
多分こういうのってマッチングアプリあるあるなんだろうし、よく青年漫画とかで援交に走る女性の展開を沢山みてきたけど、いざ自分が経験すると不思議な感覚に陥いった。
体を売る女性は否定しないが、それでも絶対にそういうサービスを使おうとは思えない…としっかり割り切ってはいるが辛い現実をただただ見つめることしかできない無力な自分がいる…そんな感じだろうか。
彼女らがそんな事をする必要がないくらい豊かな国になればなー、と思いつつそんな世界は幻想でしかないし、仮に理想郷が実現してもそういう人はまだ普通にいそうだというのが、なんだかなぁ…
まぁいくら他人の心配や同情をしようと何も変わらないので、今後も私は中国語の勉強(笑)という言い訳を使ってこれからもこのアプリをちょくちょく使ってみようと思う。
普段はまだ見ぬVTuberさんの新規開拓をしながら、3人くらいのVTuberさんの配信や動画を追いかけている。
しかし、最近複雑な思いから何人かのVTuberさんの配信を見れなくなった。
その理由をお気持ちとして書く。結論を言うと、私は彼らに自分を歪められたのだと思う。
普段は3人くらいのVTuberさんの配信や動画を追いかけている。彼らは皆万単位の登録者を持ち、自身の単独イベントを開催した人もいる。
一人は個人勢であるにも関わらず、イベントの開催に際して誰もが知っている企業やクリエイターと協力し、複数の企画を立ち上げ大規模な単独イベントを開催した。今思い返せば、それらはイベントから派生した企画ではなく、全てをひっくるめて一つのお祭りだったんだなと思う。
一人は自身の単独イベントだけでなく、自分たちのグループ全体の一大イベントにおいても中心的な役割を果たしていたという。自分が関わるものに対する熱意と責任感を持っており、人を楽しませることに命をかけている人である。体を大切にしてほしい。
彼らはとても頭がいい。つまり、コメントやコラボの相手、配信内での出来事に対して即座に、的確で、面白く、予想の斜め上を行く返しを出すことができる。私はそんな彼らの切り返しの数々を受けて笑い、時には驚いている。
また、彼らは自身のファンが求めているものをよく理解しており、多少回り道をしても最後には求めているものを提供してくれる。いわゆる解釈が一致しているという状態で、だからこそファンである私は安心して配信を楽しむことができている。この裏にはVTuber側のたゆまぬ努力とセンスがあるのだろうが、彼らはそれを口にしない。
彼らは最初からそうだったのかというと、部分的にはそうであるにしろ、配信を始めてから培った能力が大きいのだと思う。実際、彼らの初めての動画の投稿を見ても今の方がはるかに良くなっている。(昔は昔でよい)
そんな彼らと比べて私には何ができるのかというのが気になった。
私は話すのは苦手だし、話も面白くない。声もきれいな方ではないしすぐ声がかすれてしまう。この数年やっていたことといえば仕事とVTuberの配信や動画を追いかけること、ゲーム、お菓子作りくらいである。ゲームは好きだけれど、プレイは上手ではないし先を推理しながら進めるといったこともできない。
彼らは配信を通して自分の技術を高めVTuber同士のつながりを強めているのに、それを見ている私は数年間何も変わっていない。
そのことに最近気がつき、そのギャップを抱えていることがいたたまれなくなり、彼らを「眩しい」と感じるようになってしまった。その結果、彼らの配信を見ることに抵抗を感じるようになった。
単純なゲームプレイの配信であれば視聴できるが、彼らの非凡な考えや能力が垣間見えるような場面に出くわすと即座に配信を閉じてしまうようになった。特に、イベント後の振り返りの配信は今でも怖くて見ることができない。
数年前にVTuberというコンテンツに出会い、今となってはVTuberなしの生活は考えられなくなってしまったためとても困っている。
一方、不思議なことに、眩しいと感じる相手に対して「失敗してほしい」「これ以上高みに行かないでほしい」と思ったことは一度もない。彼らを応援する気持ちは変わらず、彼らが求めているステージと私が求めているVTuber像が合わなくなったならば私はファンを辞めるべきだと考えている。
配信を提供する人と私という構図は、映画を作っているピクサーとそれを見に行く観客の構図と同じで、観客がピクサーに引け目を感じてしまうということは普通あり得ない。
もしそこに何かしらの劣等感を感じているのだとすると、それは観客が映画を作る人である場合だと考えた。VTuberにどっぷりと浸かった結果、私は自身を配信する人の目線で評価したいのかもしれないと思いついた。
だから、一度配信をしようとして、配信に必要な機材(PS4だけでも配信できるんだね)やボイスチェンジャー、動画の作成方法、既存の配信者や動画投稿者の画面構成やリアクションを取り方を調べた。
その結果、お金で解決できるものについては問題ないことが分かった。ハイエンドなPCや回線は始めるだけなら不要だと思った。しかし、
2. 面白く話を話し続けること
は私にはなく、結局自分には向いていないと考えた。
1は根気の問題で、自尊心をマイナスからゼロに上げるために配信を続けるのは心を保てないだろう。
2は私にとって特に不適だ。調べる過程で色々な芸人さんやYouTuberさんの動画を見たが、過去のエピソードの大事な部分を覚えておくことと、それを適切なタイミングと順序で出すことが大事なんだなと思った。後、面白い人っぽい雰囲気を出すのも大事だと分かった。
3はいわゆる一芸に秀でるというもので、これまでメジャーな娯楽を漁っていた私が出せるものは特にない。一番詳しいものも人に説明できるほどよく整理できていない。
調べていく上で、いわゆる底辺配信者、底辺VTuberと呼ばれる人々の動画を見ることがあった。
彼らは登録者数が数十人であり(見ず知らずの数十人から注目されているというのはすごいと思うので感覚が麻痺している)、実際普段見ている動画と比べても確かにクオリティが低いなと思うところがあった。(例外は時々いて、完成度の高い動画を上げている人も多い)
しかし、出会った配信者さんの多くが数か月以上配信を続けており、きっと彼らはそれが楽しくて続けているんだろうなということが感じ取れた。
また、それができない自分はそれよりもはるかにレベルが低いんだなと思った。
一度この「眩しさ」に気がついてしまうと、あらゆるものが眩しく見えるようになってしまった。
他のVTuberさん、Twitterでよく見るイラストレーターさんやよく分からない謎のガジェットに詳しい人、ニコニコのランキングに載っている動画、バズったnoteやはてなブログの記事、そういったものをまとめてTogetterのランキングに載る人など、自分が面白いと感じるものから自分が責め立てられているように感じる。
すげえ高そうな服着た女の人が、
これまたすげえ高そうな犬を散歩させてんだけどさー、皆、犬に服着させてるわけ。
まあ、犬に服とか見慣れてきたよね。
寒いし服着せたいのも分かるわ。
でも、今日、よーく犬見たら、びびったわ。
服よ、服。
でもさ、服だよ。
でも、その服の大事な部分がくり抜かれてるのさ。
良い飯とか食わせてさー、
服着させるけど下半身丸出しオッケーって買ってる人は思ってるんでしょ。
なんなら、この服はお気に入り、ココアちゃんも気に入ってるのねーとか思うてるんでしょ。
......変態では?
最近、格差の話になると、金銭や物的資本の格差というより文化の格差に言及されるのをネットで見かける。
いままで、格差が広がって下々の者が上流を羨ましがるけど絶対に届かない、みたいな未来がくると思ってた。
でも、実際は上流は下々の斜め上を行く文化作って下々はドン引きって未来なんだろうな。怖いわ。
例の事件とは関係なく、間もなく緊急事態宣言が解除というこのタイミングで過去の『テラスハウス』を見てみた。
見たのは東京編(2019-2020)と前回の軽井沢編(2018)。
今まで何となく、「テラスハウス=恋愛リアリティショー」だと思っていたのだけど、その予想を覆された。
『テラスハウス』において恋愛はあくまでスパイスで、メインは人間関係の物語なんだなと。
以下、ネタバレ注意。
……………………
………………
…………
……
最初の10話くらい、ほとんど恋愛が進まず、ダメな男子メンバー(雄大)に焦点が当たる。
で結局、ダメ男子(雄大)は外で元カノと会ったりして(そこもちゃんと放映)、よくわからないまま卒業。
別の女子メンバー(みずき)は元カレと会って(そこももちろん放映)、そのままホテルに。
それ以降は恋愛が動き出すけど、一番長く残っていた貴之は、外で好きな女性に告白して卒業。
何じゃそりゃー。
結局、カップルになったのはあの島袋聖南‐石倉ノア入れて3組(海斗‐まや入れれば4組)だけ。
ちなみに、このカップルともう1組はは付き合う前から外で結ばれてた(w
また、カップルが成立した後もしばらくは残っているのは中々の衝撃(東京編ではなかった)。
周りのメンバー、気を使うだろうなー。
終盤の数話はライアーゲームみたいに次々に嘘が嘘を呼ぶ謎展開。
これを見た外国人は一体、日本人のことをどう思うのか心配になるレベル(w
そして最後は理生(休日課長)が、川谷絵音の援護射撃を受けて利沙子に告白。。
「自分の性的志向を確かめる」という目的で入ってきて、男性(聡太)に好意を感じるものの、相手がノンケであり、目的が達成できたことを理由に卒業。
これが軽井沢編の一番の感動シーン。
きれいな景色やお洒落なデートは一服の清涼剤だけど、メインはあくまで人間ドラマ。
なんか今日はムラムラしてて、仕事帰りに自宅に呼べるデリヘル調べてみたのね。
そしたら新規で60分6000円とかいうバク安デリヘルがあったのよ。
これはたとえ大失敗でもまあ笑える値段だろ!と思って呼んだわけ。
電話して話聞くと、まあ入会金とかその他諸々で結局11000円になるんだけど、それでもデリとしては格安に違いないわけで。
まあ5歳サバ読んでても30。俺に比べりゃまだ年下だ。
ワクワクしながら部屋で待ってたんだけど、流石だねバク安デリヘル。
30分で着くって言ってたのに1時間たっても来ない。
電話したらドライバーに確認してすぐ折り返すって言うけど、その電話すら来ない。
騙されたかーって思ったけど、そもそもまだ金払ってないし騙されたもクソもない。とにかく来ない。
でもまあ結局、1時間以上遅れてやってきた。
11000円で自宅までデリバリーだ、どんな女でも文句は言うまい。
と思ってたけど、なんかもうブスとかそういうあれじゃなくて、40過ぎの煮詰めた憎悪みたいなのが来た。
40過ぎの女じゃない、煮詰めた憎悪。性別とかじゃない、煮詰めた憎悪が来たのだ。
しかもこの煮詰めた憎悪、呆気にとられる俺を早々にベッドに横にしてローション手コキを始める。
服も脱がない。いやまあ脱がれても困るけど。煮詰めた憎悪に。
んで、タバコ臭いし加齢臭臭いから必死に近所のスーパーの可愛い女の子想像して射精した。
そしたらスススと後片付けして、店に電話して出ていく。
到着して実に25分位の出来事だった。
60分11000円のコースじゃなかったのか。
とはいえ止めもしなかった。煮詰めた憎悪がこれ以上我が家に存在していてはそれはそれで困るからだ。
ほんと泣きそう。
そばを食べようと券売機の前に立つと、ピリ辛ネギという文字に心惹かれてうっかりボタンを押してしまった。
これだけ暑い日だから、ちょっと新陳代謝でも良くしておこうと軽い気持ちだった。
食券を渡して待つことしばし、現れたのは想像を超える赤さのネギたちだった。
これ、ピリじゃねえな。
覚悟を決めて一口。しかし、待っていたのは想像の斜め上を行く辛さだった。
辛い。確かに辛い。何が辛いって、塩が辛い。
塩が辛すぎて本来の辛さが感じられないほどだった。
あまりの辛さに耐えられず、お冷を注いで丼に注入。
塩分濃度とともに風味も薄くなり、食べられるようにはなったかが食べられるようなものではなかった。
こんな目にあったのもすべて日本語が悪いに違いない。辛すぎる。
ここに書く話は私の今の考えの殴り書きだ。
読み難いと思うが、一個人の暇潰しに付き合っていただけたら幸いです。
今の政治に期待しちゃいけない、ってのはみんな感じている事だと思う。
誰が悪い、こんな事したから悪いという議論はいつだってバラエティやらニュースやらで取り上げられているけど、そもそも「政治家」になる方法からしておかしいと感じるのは私だけだろうか?
政治家になる為には一回の出馬で約1000万円の資金が必要だそうだ。
この大金をたった一回の出馬に注ぎ込むには相当な覚悟と志が必要だろう。
しかし、お金を用意出来ても今度は投票して貰えるだけの人脈がないと当選は出来ない。
その間行われた選挙の度に様々な地域にいる友人に「選挙に行った?」と世間話程度に聞いてみた。
すると、選挙に行った子から「行ったけど親の言う通りの人に入れた」と言う話を聞き驚いた。
詳しく聞いてみると、その子の家では祖父母が応援している党の立候補者以外に票を入れてはならないという。
「そんな事はおかしい。あなたの票をあなた以外が好きにしていい訳ない」
そう言ったが、その子は「バレたら何をされるか分からないから」とそれきり口を閉ざしてしまった。
平成の世でも「古い因習」で他者から票を入れることを強制されていたのだ。
世の中には本当は他の人に入れたいのに、地域で迫害されるかもしれないから……と望まない票を入れることを迫られている人も居るのだと初めて知った。
話を戻すが、こういった古い因習が残っている日本で1000万円も掛けて庶民が立候補出来るだろうか?
どれだけ高い志があっても、お金があっても、票が入らなければ当選は出来ない。
一念発起して、大金をはたいて無所属で立候補してもほぼ確実に落選するのが日本だと思う。
企業と繋がりが深い人、お金持ちの人、党に所属する人、テレビやスポーツなどの有名人だと思う。
これらの人は裕福な人だろう。幼い頃から貧乏を知らず裕福な人もいるだろう。
数年前、とある出馬者がツイッターで炎上していた。内容は給付型奨学金について。
詳細は検索すれば出てくるので割愛するが、その発言を見る限り「裕福な人には貧乏な人の状況が分からない」と取れる。
そんな発言をする人ですら、お金と人脈があるから当選した議員になることが出来た。
全ての議員を調べたわけではないので憶測だが、今の日本の議員は殆どが裕福な人なのではないだろうか?
だから貧乏な人が求めている事の斜め上を行く施策を行うのだろう。
現在の溜めた負債を更に未来へと負担させて、その後のことは知りませんなんて政治を続けてばかりだ。
違う。
高齢サービスの充実と言う甘い汁を与える事で、高齢者が自らの子孫の票を集めてくるのだ。
それを利用しない手はないだろう。
この因習を断ち切る術を私は持たない。
もし、これを読んでくれた方の中で周りの言うままに票を入れている人が居たのならば、どうかあなたの票はあなたの思う人へと投じて欲しい。
これが右にあるということは、日本が右傾化しているという意味である。単に右ではなく右上なのは、想像の斜め上を行くような右傾化であるということを示している。
日の丸を除くと、アルファベットが残る。これは二つの文字、IとZの組み合わせである。Iは「私」を意味しているが、Zは何か?映画ファンならすぐに分かるであろう。Zといえば、ゾンビである。つまり、「私はゾンビ」ということを意味している。つまり、このデザインを作った人はすでにゾンビ、すなわち、生ける屍であるということである。
あるいは、私=日本人と考えれば、既に日本人はゾンビ化しているということを世界に警告しているということになる。
追記:
白黒以外の色は、金と銀と赤である。これは「こがね」「しろがね」「あかがね」であり、金銀銅のメダルを表している。そして赤が日の丸も表していることから、日本が金や銀ではなくて、銅メダルに値するということを意味している。
TM2501
政治経済サブカルのオタクがその知識と毒舌を遺憾なく発揮して「何か」と戦うブログ
この前、「こんな恥ずかしいブログタイトルよく付けられたなぁ…」という趣旨のはてブコメントを見て、「いや、カツカレー理論で書いただけでなんだけどなぁ…」と思ったので説明しておきたいと思います。 好きなものをつなぎ合わせる事を「カツカレー理論」なんて言う事があるのですが、その方式で書きました。
「とある」はとある魔術の禁書目録から…なんだけど、これはアニメや小説ではなく、 この中に出てくる「一方通行」というキャラが好きだったんですよね。それで最後は四字熟語にしようと考えつつ…「斜方前進」と書いたわけです。「斜め上」という言葉が一時期ニコ動で流行っていたので、「予想の斜め上を行くブログになりたい」と思ってこのブログタイトルにしました。
最後の「青二才」は一方通行(アクセラレータ)の好きな部分ですかね? 僕自身を投影してというのもありますけど、彼のキャラクター性から来ている部分が大きい。悪者だと割り切って大人ぶった言動を吐く割にはリアリストになりきれない青臭さも一緒に持ち合わせているところ。一方通行さんの好きな部分であり、僕自身の文章や発言も「青二才」な部分があるのとを引っ掛けてつけさせてもらいました。 それをカツカレー理論でくっつけた後に後付で「青二才(未完成)だから斜め上の事を言える・できる」という自分の勝手な解釈を味付けとしてこの言葉に付けて「とある青二才の斜方前進」というタイトルとさせていただきました。
ではでは(o・・o)/
熊のゆるキャラ、マスコット化のせいでヒグマの認知度が予想の斜め上を行くようになった。
よもや大正時代最大の獣害事件を知らないとはと思うと時代を感じてならない。
三毛別村の惨劇をここ何年かに一度くらいに特集するようになって漸く誰かしらにヒグマの恐怖が伝わってきたと思う。
それでもゆるキャラ・マスコット化のせいで動物愛護に動く個人や団体も目に見えて多くなった。
人を襲うような熊はこれ以上被害が拡大しないためにも殺処分するのがわが国における慣わしなのだ。
これらは人間が思っている以上に獰猛で年間の魚類補食量も馬鹿にならない。
ましてや捕鯨反対を謳っている連中や国は過去に商用捕鯨を生業としたり鯨油を取るためだけに乱獲してきたのだ。