はてなキーワード: 商業主義とは
もともとライトノベル
つまり ロードス島戦記あたりの主人公=パーン とかって オッサンだった。
昔は いろんな作風に挑戦していたけど、今はもう商業主義高だからな。売れる物しか発売されないよ。それはもうしょうがない。
ライトノベルが売れる!って言われた時から、ライトノベルはいい作品が生まれてこなくなる宿命なんだよ。
売れる!ッて言われて大手がやってくると、売上至上主義になって、挑戦的な作品は出てこなくなる。もう無理ポってやつだ。
今のライトノベルはマーケティング至上主義で、売れている作風に似た作風のものしか出てこない。主人公がみんな高校生ってのもそれが理由。
ロードス島あたりから、ハルヒぐらいまでが黄金期だよ。あえていうなら ベン・トー あたりは作風は新しかったよ。
真面目な話 マーケティングはジャンルを殺す。 ライトノベルにしろ 音楽にしろ。
今MTVを見てたんだけど、
どれもこれも商業主義の売れ線狙いの軽いインスタント物ばかりで聴くに耐えない曲ばかり。
この程度の曲だと、ちょっといいなっと思ったとしても一回聞けば十分だから馬鹿馬鹿しくてCDだろうがituneだろうが買う気になれない。
規制が昔より厳しくなりすぎて心に響く曲を作れなくなってる面もあるだろうが、
伝えたいことや表現したいことを優先して曲を作ればいいだけ。
マス広告や商業主義に乗っからなくても広めることは容易にできる。
しかしそれを誰もやらない。
売れ無かろうが貧乏だろうが自分が納得行く優れた曲を作れればいいという、
夢があって逞しくて憧れる精神世界が浸透していたが、
今や音楽業界はいかに客をだまくらかしてCDを枚数買わせるかが夢になってしまっている。
音楽だけに限らず、昔は漫画や小説やそういう文化的創作物の世界はみんなそうだった。
貧乏や苦労が平気だった。
夢や創作意欲のほうがそれに優っていた。
高度成長期でいつかはなんとかなるだろうという今とは逆の上り坂社会だったから気分的に平気だったのかもしれないが。
夢とか理想とか言ってる余裕はなくて兎に角金だってなっちゃうのかな。
こういう時代だからこそ、俺達の時代にあったような心に響く歌が聞きたいのに。
松山千春、中島みゆき、オフコース、YMO、さだまさし、チューリップ、甲斐バンド、吉田拓郎、井上陽水、ハッピーエンド、山下達郎、
他にもまだまだ。
こういう暗い時代だからこそ聞こえてくるであろうタイプの歌がさっぱり聞こえてこないのは何故なんだろう?
そうじゃなくて、
今を歌って聴かせてくれよ。
今の人が聴かせてくれよ。
ちょっと前のエントリ見て、とりあえず手作りはやめよう!とか思ってて
まあだから、その辺で買ったチョコを渡そうと思うんだが恥ずかしすぎる
渡してpgrされるのはつらすぎるしかといって自信満々にはいっ!これ!///って渡すのも
下駄箱とか机があるならその中に入れとくのだが、大学生だからそういうのもないし
大体その人、その日に学校来るかわからんから来ない場合呼び出さないといけない
あーーーもうどうしよう、渡さないって選択肢も大いに有りだが、
四年間好きだったのにここで渡さないとラストチャンスだという焦り。
どうしよう。渡せるかどうか、どう渡せばいいのやら
http://anond.hatelabo.jp/20140214232629
結局買ってまで渡せませんでした(吐きそう)
次号の週刊アスキー、付録は『艦これ』だという( http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/198/198778/ )
付録とは言っても、編集部曰く“通常の本誌とは別に『艦これ』仕様の週刊アスキーをもう1冊つけることに決定した”というので、『艦これ』はメインコンテンツだ。
もうパソコンも何も関係なく、雑誌が売れれば良いというスタンスは敬服に値する。
HPに貼られている本号のAmazonリンクには『オフィス完全活用』とあり、『艦これ』の文字はどこにも無い( http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00I48R292?ie=UTF8&tag=weeklyascii-22 )
よく見ると、リンク直下に“誌名の一部に含まれている『オフィス完全活用』は本誌の特集タイトルですのでご了承ください”と書かれている。マイクロソフトに謝れ。
ちなみに表紙は那珂ちゃん(改二)だ。
何であれ、拡散したものを元に戻すことはできない、特に文化の世界では。「覆水盆に返らず」だ。
乱暴な(ただのレスリングでしかない)「柔道」をやる外国人選手を見ると、多くの日本のマスコミ・識者・日本人たちは「こんなの柔道じゃない!柔道をやるなら、(もちろん日本人になる必要はないが)ちゃんと柔道の精神を理解・尊重したうえでやれ!」と不快に思いますね。しかし、だからといって「柔道やるなら日本人になれ!」と言っていることにはならない。
これと同じことです。
申し訳ないが、私は彼らが柔道をやることを特に不快には感じない。柔道を一旦外に持ち出したからには、彼らがそれをどのように解釈しようが自由だ。文化とはそういうものなのだから。
ゴータマ・シッダールタが、もし今の「仏教」や「寺」を見たら卒倒するかもしれないし、イエス・キリストがバチカンの司教たちを見たら「神の庭を汚す者どもが!」と怒り狂うかもしれない。そもそも「クリスマス」が始まったのは、イエスが死んで何百年も経ってからの話である。…だが、それは、それらがことごとく「偽物」でありそこに捧げられた全ての人の思いは全て「偽り」であるということを意味するのだろうか? そう考えるのが妥当であろうか? 私はそうは思わない。それは余りに狭量なものの考え方だと思う。
正当、正統にこだわる、いわば原理主義的なものの考え方は、物事が混乱する時期により確からしい指針を求める意味から人々にもてはやされるものではあるが、ある物事の出発点に「より純粋な原理を確立する」という発想が強く強くあったというのでない限り、結局のところ出発点の思いとはずれたものとならざるを得ない。原理主義は、しばしばその意に反して、「原理」とは異なるものに変質する。
たとえ石景山遊園地がどれほど見苦しく見えようが、親に連れられてそこで遊んで楽しかった子どもの思い出を否定する権利が誰にあるのだろう?
「あなたの遊んだ遊園地は偽物なのですよ!だってそれはディズニーに版権があるのですからね!!なんて見苦しい思い出なのかしら?1」
文化とは、今生きているもので、今を生きている人間のものである。生きている人間に本物も偽物もありはしない。まあ、この島国の人間が、自分たちのもたない、世界のどこかにある「ホンモノ」幻想を追い求めることで、千数百年間自国文化発展のモチベーションとしてきたことも事実であるし、その歴史を否定するつもりもないのではあるが。
注)「ハロウィン」と書くとなんか頭悪い感じがしてハロウィーンまたはhalloweenと記述したいのだが、一般的にハロウィンと記述・口述されてるようなのでそれに倣うとする。
タイトルの通りなのだがこの時期になると街中に趣味の悪い、気持ち悪い飾り付けが蔓延る。数年前とは比べものになら無いくらいで、もはや意識せざるを得無い状況にまでなっているハロウィンだが、私はこれが本当に気が狂いそうになるくらいに嫌いである。しかしなかなか周囲に同意してもらえ無い。逆に「そんなことでいちいち文句言うな」とか「まあがんばれ」となだめられ狭量な者と見做される。私にしてみればなんでお前らそんなに受け入れられるのかが不思議なくらいだ。ちなみに筆者はアラフォー男。
クリスマスやバレンタインデーと同様に結局は商業主義の賜物。ぽっかり穴の空いたこの時期になんとかして金を稼ごうと言う守銭奴がどこかにいたのだろう。きっかけはアメリカ文化の凝縮された某ネズミの国のように思う。そしてマスコミが「ニューヨークでは」とか言って煽る。B層どもは簡単に靡いて広告代理店の読み通りの結果を出す。日本国民がすぐこういうものに色気を出すのは、我が国がアメリカの属国である証拠である。そして日本の女はヤンキー男に股を開きまくるのだ。日本の女は須く売国奴。大和撫子はレイプされてこの世から消え去ったのだ。何がなでしこジャパンだ、笑わせるな。
また「ハロウィン大好き♥」とか言ってる女どもは大抵某ネズミの国の狂信的な信者である気もする。男に比して女はハロウィンについての許容が顕著だが、仮装して浮かれてる女を見ると本当にイラつく。本当に殴りたくなる。ネズミ信者の女の言動を見聞きしした時と同じくらい殴りたくなる。血を見るまで殴りたくなる。
近頃神奈川県川崎市でアホみたいに毎年開催されるハロウィンイベント( http://lacittadella.co.jp/halloween/ ) の今年のキャッチコピーはこうだ。「女たちが未来を作る」。は?女たちが?毛唐かぶれのハロウィンで?バカ抜かせよ。日本人としてのアイデンティティの欠片も無いお前らに未来が作れるわけが無いだろ。ただ中国かアメリカに侵略されておしまいだ。11月になってシーズンが過ぎたらまた韓流だろどうせ。川崎だけに。
さらに悲しいのが日本人に何の縁もゆかりも無いこの悪趣味なイベントに子供たちはすっかり慣れてしまい違和感なく毎年楽しんでいることだ。その結果世代間に溝が生まれ、日本の子供たちに日本人ゆかりの行事に触れ合う隙間が無くなる。まさに文化の侵略、アイデンティティの破壊、更なる米国隷属への洗脳教育である。子供が大人を脅すような口上で菓子をせびるなんて生意気だ。不躾だ。何が Trick or Treatだ、馬鹿の一つ覚えみたいに。馬鹿親の子供もまた馬鹿である。
それらを抜きにしても飾りの見た目やコスチュームがアメリカン過ぎておサムいことおサムいこと。日本人のセンスでは無い。流血している死体みたな格好などは単純にグロくて不愉快、悪趣味、気分が悪くなる。もういっそ爆破テロでも起きて本当の死体をイヤと言うほど見るがいいさ。ボストン・マラソンテロの写真でも見たことあるか?だいたいは無いだろう。
知人に聞いてみる。何でそんなに必死なの?
相対的な評価しか無い。絶対的なプレゼンが出来無いのか。人生の意味とか無駄に考えるくせに行事の意味は考え無いのかよ。無知役得と名付けるぞ。
はあ。無教養な結論で締めくくられて終わる。反論でき無い、したく無い。同じ土俵に立ちたく無い。なんでも受け入れるなら中国の侵略も受け入れるんだな。だいたい日本人が無宗教って誰が決めたんだ。無宗教という宗教が一番アブねえわ。
もっといいよ聞き飽きた。何俺メタル知ってるぜ風吹かしてんだよ。そうやって議論から逃げてるんだろ?馬鹿男も須く死ね。切腹でいいから。
お前らな、長い間田舎で息づいてきたお祭りを大切にしろよ。つまら無いならそれを発展させろよ。無ければ何もしなくていいんだよ。静かに秋を楽しめよ。焼き芋食えよ。紅葉狩りしろよ。毛唐から輸入しただけでドヤ顔して公共に迷惑かけて馬鹿騒ぎしてんじゃねえよ。何がお祭だ。お祭りってのは本来土着的で宗教的なものなんだよ。超越的なものをそこここに感じるものなんだよ。それも理解でき無い無宗教のクズどもがただエゴイスティックに享楽してるだけじゃねえか。公共の場で騒ぐなよ。山手線占領するなよ。乱痴気騒ぎや犯罪を起こす不良外人は帰れよ。そいつらの下僕に成り下がってるクズ日本人は国籍返上しろ。
筆者はもちろんクリスマスもバレンタインデーも嫌いであるが、ことハロウィンに関しては数年来、文化の闖入をひしひしと察知していたので特に敵視している。これ以上薄っぺらくて上っ面だけの毛唐文化の輸入は勘弁と、平成18年頃から警戒していた。戦争はイヤ!憲法9条バンザイ!とは言うのに、仮装何するの〜?とかお菓子くれ無いといたずらするよ♪とかハロウィンについての同調圧力はそれこそ軍国主義(笑)だ。日本人なら、ハロウィーンにNOを。
あからさまに、核家族化向け住宅が増えて、ワンルームが増えただろ。
果ては現在は、ボッチ席まで出来る始末。
その上で、公共事業で土建業に大量の金を流しておいて、住宅ローンで核家族向け住宅にも融資をして
止められなかったと言ってもな。
核家族向け住宅に融資すれば核家族は進んでいくがこれに対しての融資はした。これは明らかに国家も後押しをしている。
反面、核家族を食い止めるためになんかしたか?啓蒙活動しかしてないじゃん。税制優遇か何かしたっけ?
むしろいまって、住民票を分離したほうが得なぐらいな勢いでしょ?
税制全部を見渡して、核家族化のほうが有利な税制になっていたら、それは(意図していない副作用だったとしても)核家族化を推進したと言っていいよね?
税制の副作用で、核家族化が推進されるということに気が付かずに、税制をしてしまったとしても、個人として政治家にも・官僚にも責任とれとは言わないけど、国としては考慮すべきでは?
私の苦手な夏のイベントが終わった。
ことプロ野球においては、2月になればキャンプの様子が気になり
3月になれば新戦力がどれほどの力になるのか友人と討論し
いくつかの試合のチケットを手配し早く開幕しろと心待ちにする。
来期のチーム作りが気になり毎日のテレビ観戦はまず欠かすことがない。
さて2013年の全国高校野球選手権大会は、なにかと花巻東高校を巡って話題のあった大会である。
準々決勝のサイン伝達疑惑と準決勝のカット打法へのバンド適応がその話の中心である。
先にも書いたが私は大の野球好きでありながら、高校野球が苦手である。
そもそも高校野球は他の高校スポーツとは大きく異なる点がある。
もちろん高校サッカーや高校ラグビーだってお金は動いている。その他の競技においても多かれ少なかれそうだ。
しかしその人気からくる経済効果や主催者やその周辺で動く金額は桁が何桁か違うことだろう。
そのために高野連や新聞社は、ことのほか高校野球の商品としてのイメージにこだわる。
当たり前である。商品が傷つき価値が下がってしまっては商売にケチが付くことになる。
タレント事務所が純正派女優をワイドショーや写真週刊誌から必死に守るのと同じことである。
そこでプレーする球児は純情な汗を流し必死で白球を追いかけるというイメージで売っている。
学校側だって高校野球を自らの商売のために利用しているに過ぎない。
もちろん純然たる教育の一環として高校野球に取り組んでいる学校や監督も多くあるだろう。
しかし全国大会に進出して優勝を狙おうってエリート校はそうはいかない。
学校の将来がかかっている
校長の沽券がかかっている。
地元の重圧がかかっている。
書き出したら切りがない。
どんなことをしてでも勝ちたい!
多少後ろめたくても次の試合に!
当たり前のことである。スポーツであるのだから勝利を目指すのことは。
その上に、いろいろなしがらみが絡み合い
その勝利へのこだわりは並々ならないものになっている。
マスコミに植え付けられたイメージである純血潔白の球児が見たいのである。
勝利への執着をなんの見返りも求めない爽やかな汗と勝手に解釈する。
そうなると「サイン盗みはずるい!」「そもそも疑惑さえもルール違反だ!」とまくし立てる。
一方、「スポーツなんだから勝利にこだわって当然!」「ばれなきゃいいんだ!プロだってやってる!」と擁護派も声高になる。
準決勝でカット打法を咎められると、「千葉君が不憫だ。可哀相。。。」「なぜ今さら。。。」と。
高野連がいきなりカット打法にいちゃもんをつけたのはなぜだろうか?
花巻東に勝ってもらっては困るんじゃないだろうか。
あまりにも強い勝利のへのこだわりを露呈させてしまった彼らが優勝でもしようものなら
また勝利至上主義への批判が集まり、高野連は矢面に立たされる。
一つ間違えば気づき上げてきた高校野球ブランドの崩壊にも繋がりかねない。
高野連にとって花巻東は決勝には進出せずに敗退していただくのが都合がいいわけだ。
花巻東も高野連も商業主義としての高校野球において両者はなんら間違っていないのである。
さて長々とまとまりもなく書いてきたが
やってる側とみる側の意識がこんなにもかけ離れていてはスポーツを純粋に楽しむことができないからである。
エンターテイメントスポーツとしての高校野球を楽しむことができないのである。
もし高野連や新聞社が商業主義アマチュアスポーツが感動を生まないと考えているなら大きな勘違いである。
あれだけのお金や政治的思惑が絡んでいても十分にエンターテイメントスポーツとして大成功しているではないか。
私はこれが原因でコミケから足を遠ざけたんだけども、セット(抱き合わせ)販売の過熱ぶりとか、企業スペース(ブース)の増加とか、アキバで中古として売りさばくために、一般客に紛れて大手の新刊を何十部と買っていく業者さんとかが、あるときを境に急に目立つようになって、昔から大手とピコ手との格差は指摘されてたんだけどそれどころじゃない方向に流れていく気がして、なんだか空恐ろしくなってしまったんだ。
今コミケって、三日で延べ人数50万人でしょ。一日で10万人以上来てる。でも昔は3日とか2日で10万人とかいうレベルだったわけで、その昔ってのはそんなに古い時代のことじゃない。と思ったら結構昔だった、20年くらい前で幕張行く直前だ(http://www.comiket.co.jp/archives/Chronology.html)。
有明の会場が比較的巨大だったから、それでもバランス取れてたのは90年代までかなと思った。3日で30万人。じゃ増えた分が一般サークルにドンだけ還元されてるかというと、そんなでもない。レイヤーさんも増えたし一概には言えないけど企業ブース目当てな人が動いたってのは考えられるし、それは時代の流れかもしれないと思いつつ、ちょっと自分は、今は消耗を避けようかなあと思って控えているところ。
お金を回さないと業界が回んないのは分かる。ただどうも、販売側に対してあんまり理性的な印象を受けないのが怖い。いちおうポップカルチャーとは言ってもコミケってのは文化の一つを担っている立場なので、すごいいろいろ考えて作られてるのは分かるんだけど、今回なんか良く難しい舵取りを成功させたなあと運営を尊敬しちゃうようなことです。でもやはり見ていてあんまり商業主義なのは怖い。開場直後のコミケ陸上も怖い。年寄りだからなんだろうね、こういうの怖がるのは。
根拠が無形であってもその人のかけた時間や結果に対して金を払うのは当たり前じゃないか。
商業主義に走って元々の「同人誌」の形と乖離して稼ぐことしか考えないようなのは問題だと思うけど。
それとこれとはちょっと問題が違うと思う。
多分これは私の考えが古いと思うんだけど、創作発表会が大消費地になってしまう感覚はどうも「ナンカチガウ」感覚が抜けない。
なんかな、基本的に「(無を根拠にして)つくるもの」ってお金がかかっちゃいけないというかお金を取っちゃいけないんじゃないかって気持ちが子供の頃から私は根底にあって、冊子にするのに印刷代も紙代もそれなりにかかる、というんでそれに見合う程度の原価で交換している姿勢を崩していたらいつか必ずバチが当たるんじゃないかって思ってたんだよね。
コミケのサークルの8割方は厳密にいえば今でも赤字会計に近いとかいう話を聞いたことはある(だいぶ前だけど)けれども、それはある意味、当たり前の姿なんじゃないかな、と。
まあ商業主義で何が悪いの?っていうのが今の若い人にあるとしたらそれはそれで時代の流れかもしれないけれども、創作するということに変な驕りとか勘違いが流行しないかってことは実は結構恐れている。創作歴35年の年寄りのたわ言だけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
http://anond.hatelabo.jp/20130701115041
にて田舎者を差別し、本人のブログhttp://gudachan.hatenablog.com/entry/2013/07/01/220257で「差別的な思考」を「表現」の問題に矮小化して謝罪を行った@gudahcanであるが、その後どうなったのか観察してみた。
考えてみれば日本の人口比は都市部と地方で半々です。それに地方は超高齢化して居て、そんな時代に大学で田舎者がうようよいるのはおかしいわけで、実は彼らの実家は地の利の仕事の自営業者とかで親が高卒なんですよ。時代が時代なら大学にも進学せず家業を継いでいるような若者が東京に集るのは危険だ
2013-07-06 12:52:34 webから | Location:
URL: | Timezone:Toky
http://twittaku.info/view.php?id=353360800548782082
そんなだから地方の商店街は「跡継ぎがいないから」と廃業してしまう。農民がいなくなり耕作放棄地が増える。すると、地方衰退がさらに激化する。 都会の過密は一向に変わらず「一世代遅れ」の若者が多すぎるために都市社会の基本形がアップデートされず昭和のままに。東京はそうして国際競争力を失う
2013-07-06 12:54:03 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361173489528832
上京一極集中を廃止にしよう。そのほうが地方の未来も東京の未来も明るい。「高卒で当たり前」は本来は戦争体験世代までなんだよ。若者の親の時代(4~50代)は普通は大学いってるんだよ。首都圏育ちで親が高卒なんてほとんど全くいねーぞ。「親が高卒の田舎者」は単純に1世代遅れているんだよ
2013-07-06 12:55:25 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353361518693335040
地方出身の友人知人、大勢いる。個人に対する情はあるんですが、社会風土としての上京一極集中は絶やした方がいいと思うんだわ。こんなの間違ってる。こんな親の若い頃みたいな人間が自分ら世代とか自分より若い年齢の大学生に多いから東京は文化も労働環境も時代遅れのままで落ちぶれるんだよw
2013-07-06 13:04:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353363794732396544
地方出身者が地元に残った仲間との「格差」を口にするのを聞くと「いや、お前らがホイホイ東京に集るからそのしわ寄せが地方に発生してあんたの友人も格差に苦労するんだろ」としかいいようがないのだが、同じ口で「上京して村を捨ててよかった」と自画自賛するから本当に鬱陶しかったな
2013-07-06 13:20:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353367868806660096
良いヤツほどUターン就職するんだけど、嫌味っぽいやつばっかり東京に居残るんだよ。商業主義のカモみたいな、着飾って、ギョーカイ人でもないのにTOKYO全開の場所にいきまくって、利己主義で軽薄な人間ほど残るわけ。東京がつめたい町になるのは間違いなくこのせいだと思うんだよねw
2013-07-06 13:22:06 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368233044213763
俺は地方の人は嫌いではないけど、東京に居残る田舎者はいやだなあ。東京(都会)の嫌味な部分を上辺ベタベタにぬったくって、田舎(地方)の悪い所、陰湿さとか村社会?とか封建仕込みは踏襲するあの感じ。ドヤ顔でTOKYOっぷりをひけらかすあの感じはマジで吐き気がするし
2013-07-06 13:23:45 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353368648787828738
昼ドラマとか電話人生相談に出てくるような漫画みたいな姑的というか村八分社会に生きるしょぼい田舎者みたいな、そういう陰湿で「そんなことを気にするのか」という人の細かいことを槍玉にあげ、執着し、くどくどと文句を言いたがる、こういう人間は碌でもないよ
2013-07-05 11:29:38 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352977541092474881
そして、あくまで「スクールカーストの下目」なんだよ。「スクールカーストの一番下」ではない。そして、そういう人間は、近親憎悪から一番下をイジメるんですね。いじめられっ子はみんなそうだった つまり、生活保護を批判するのは「生活保護に依存しない貧乏人」だと思う
2013-07-05 12:26:23 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352991824043978757
なんつうの。ほら、田舎とかの自称進学校卒で、田舎の人間なのにチャライこともやんなかったり、つうかオラオラ系にはびびっちゃって、一方で引きこもりやオタクや偏差値の低い高校の子どもたちを蔑視しているような、そういうポジの人、日東駒専大学にはうようよいるけど、「性格悪いいい子」多すぎw
2013-07-05 12:40:20 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995334777094144
日東駒専大学の中でもやはり数割程度だけど、こいつら、マジで閉塞感&存在感ヤベーよ。こういう人間たちは、偽でもいい子で「真面目系」だから自分自身は批判にさらされることはないので、極端になるわけですよ。あと、生きているフィールドが狭すぎるというのも問題だね
2013-07-05 12:41:29 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352995621457756160
そういう馬鹿が日東駒専大東亜あたりの中堅(または中の下)の大学には多い。マーチにも下流層あたりに数割はると思う。こいつらのなりふりってネットの足手まといみたいな匿名世論そのものでマジで面倒くさい。自分みたいな出すぎた杭でない限りは厳しい批判にさらされているんだよ
2013-07-05 12:49:48 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352997717041094656
田舎はオラオラ系至上主義だろ?田舎育ちでチャライ兄ちゃん姉ちゃんは案外いい人多いんだよ。で、田舎だとしょこたんとか土田みたいなアニメ被れた中間層がいないから、カーストの底辺がヲタになる。田舎出身のヲタはいい人多い。ほどよい進学校でほどよくガリベンして手抜きしてた人間が一番たちが悪
2013-07-05 13:05:14 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353001600580722689
田舎だと子どもじゃないのにアニメ見てるってだけで、逸脱者だろ。あれも面倒くさそうだけど、その逸脱経験があるから寛容なれるんなら、上京すりゃあいい生き方で切ると思う
2013-07-05 13:13:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353003669752516608
田舎の「ただのいい子」は限りなく偏狭だ。「頭がいい子」ならその頭脳をもってよく学び、視野を広め地元で一番の高校にいき、いい大学にいってエリートになる。「クラスメイトウケのいい子」はオラオラ系っぽくても弱い者に気にかけたり笑顔でお神輿かついでそうだ、田舎の「ただのいい子」は問題だわ
2013-07-05 13:17:50 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353004771931725824
偏差値ヒエラルキーでもスクールカーストのヒエラルキーでも上位ではない。けど、底辺でもない。国道の中央分離帯に生えてる並木みたいなありふれた存在の「いい子」は、高卒になるほどアレではなく、されど名門大に行くほど学もないから首都圏の中堅大にはうじゃうじゃいるんだよ
2013-07-05 13:19:39 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005228028723201
都市部の「ただのいい子」なら別にいいんだよ。首都圏はやはり人口が多く流動性がある故に多様性がある。休日なんかには遊んだりする経験も豊富だろう。「疎か過ぎず密すぎない」クラスの付き合いの中にも地方と比べると多様性がある。首都圏と札幌仙台名古屋関西福岡はそんなもんかなあ
2013-07-05 13:21:27 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353005679084191744
@-------- 地方固有のよい文化や風土についてを貶める意図はないのですが、そういう点のみを読むと誤解されてしまうのも仕方がないでしょう。昔と違って今のネットユーザはじっくりと読みませんからな、ぱっと見た上で問題があったら批判をするでしょう。再考が必要かもしれないです
2013-07-02 16:15:33 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=351962332760514561
ホームの床に座りこんで通行客相手に堂々と巨大M字開脚してる女の子はヤバいな。県央ギャルはさすがにクオリティが違うわ
2013-07-03 23:16:36 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352430678316552193
彼女との痴話喧嘩にキレたのかゴミ箱を蹴っ飛ばし飲んでいたビール缶を線路に投げて三回くらい唾を吐いて叫んだ青年よ。県央人の立派な鑑だよ
2013-07-03 23:21:05 Keitai Webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=352431806131343360
タイムラインが勉強になる。なるほどなあ・・・都市と地方の差ってこれかもな 「一般的な小中学生が洋楽に並程度の認知理解があるか、または並にも満たないか」
2013-07-05 13:40:28 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353010467783966722
@sasakitoshinao (承前)なんら過ちを侵していない人への理不尽な難癖による「炎上」ケースもたまにありますし、炎上に満たなくても、ネット上で些細ないざこざをおこしたがる人というのは、どこにでもいます。佐々木さんはこの辺についてはお気づきでしょうが、どう思われますか?
2013-07-06 15:45:37 webから | Location:
http://twittaku.info/view.php?id=353404348778299392
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
(漫画名と作者名とで比較の俎上に挙げているのは勿論敢えてだ)
どっちかを否定するのではなくどちらも楽しめる身体であることが、漫画を読むうえでは重要なんではないだろうか。
何が言いたいかというと、漫画を読んでいる人の中には「市川春子」的なものを崇めて、ことさらに「テラフォーマーズ」的なものを否定する向きが結構あるということだ。
まぁわかる。それはまぁわかるんだ。どちらが芸術的か、高尚か、商業主義的か、俗っぽいか…こういう議論は結構目にする。ただこれに関してはこの文では措く。超措く。措いておく。
でだ。どっちも楽しめたほうが最強ではないか、と思うのだ。
二つの漫画は、どっちがいいとかどうとかあるだろうが、まぁかなりタイプの違う漫画だと思う。漫画の宇宙のかなり離れたところというか、全然違う物質で形成されているというか。
だからこそ、二つの漫画をちゃんと読める身体を持っていないと、漫画宇宙の統一理論にはたどり着けないのではないだろうか。
漫画通(漫画読みというのか?)を気取る、装うのならば「市川春子」的なものを崇めるだけの身体では不充分なのだ。同時に「テラフォーマーズ」を充分に楽しめる身体が必要なのだ!
――この文章を21位の開紀に捧げる。
別に紅白って歌がうまいから出るわけじゃないだろ。それに、最近だってなんぼでも歌が上手いのいるのに、名前挙げてるのは全部過去の人だよね。しかも音楽的にも商業主義的でたいしたものじゃないし。
あと、音楽を聴く、ということの意味が昔とは変わっているのも事実だよ。体験性のない、上手いだけの商品は売れないのは今時当たり前。あなたが「音楽的に下」だと思っているものが、実は「商品的には上」なのだ。そして、あなたが「音楽的には上」と思っているものは、実際には音楽のヒエラルキーの中では最下層に近い、ということも知っておいたほうがいい。
ポップスやロックはファンクやR&Bにバカにされ、ファンクやR&Bはジャズにバカにされ、ジャズはクラシックにバカにされ、関係ないところで民族音楽がひらひらと踊るのだ。
というわけでみんなでインドポップ聴こうぜ。
何が言いたいのかサッパリ。何が主張したいのか意味不明であるし、富士山の商業主義にたてつく割に自分が一ヶ月そこで働いて給料貰ったとかメチャクチャだ。
登山歴89年のオレが富士山の現状について噛み砕いて説明する。
山小屋やトイレなど登山をスムーズに進ませてくれる有り難い施設があるからこそ、あれだけの登山者を捌けているという事実をもっと尊重してください。もし山小屋が無くてこのチャリンダーが言う「山小屋に頼らないテント泊の登山」なんてものを登山者の5%がやり始めたら富士山は確実に崩壊する。そこら中にテントが溢れてメチャクチャなことになる。今以上に混雑して分け分からん事になる。3000m越えの山にあれだけの登山インフラが揃った経緯も少しは考えた方がいい。
富士山は多くの日本人にとって憧れの存在なんだよ。日本の象徴じゃないか。その山に人生一度は登ってみたいと日本中から人が集まる。それの何が悪い?それを否定するなよ。登山や冒険はチャリンダーみたいな世捨て人だけのものじゃない。普段日本の為に汗水垂らして働いている人達が、休暇や老後を利用して憧れの富士山に登りにくる。そしてその大量の人達を大きな事故も無く捌けている今の富士山のインフラは凄い。こんな山は海外じゃそうそう無いぞ。
このチャリンダーとやらの記事が気持ち悪いのは、富士山に登りにくるような一般ピープルを心の底で見下してるからじゃないかな。「オレは世界中の荒野を自分の足で走って来た それに比べてお前らは...」てな具合。それは違うと思うんだよな。世間の人がお前みたいに自由にわけのわからん生き方できないから。そんな生き方を日本人が誰もがやったら、君みたいな人が存在する受容性も無くなるよ。
もちろんゴミのポイ捨てはダメだ。そこは当然同意する。なぜあんなところでゴミを捨てられるのか理解に苦しむ。しかしそれはそれ、これはこれだ。オレが知る限りこれだけの高山にこれだけの人が集まってたいした事故も無いっていうのは日本ぐらいのもんだよ。実際海外の登山好きの奴に富士山の現状を話すと笑われる。「HAHAHA!そんな山、あるわけないですー。ウソよくない〜」ってな。そのくらいありえないんだよ富士山ってのは。すげーよ富士山。
ゴミはダメだ。でも富士山に登りたいという日本人の気持ちを否定しちゃダメだし、今の富士山のインフラはむしろ誇るべきだ。以上。
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
この増田を読んで、音楽大好き人間のおれからすると、「あぁ、こういう人が音楽業界をダメにしたんだな」とは別に思わなかった。
音楽業界がダメになったのは、そもそもこんな「責任者探し」なんかをしてしまう音楽市場に関わる全員だということにまず気づくべきだ。
http://masahidesakuma.net/2012/06/post-5.html
これにケチをつけたのにケチがついてそれにケチが…というのが流れ。
この一連の流れでまず問題なのは、「いい音楽」の定義があやふやなまま書かれていること。
どうしようもないことだが、万人に共有される「いい音楽」の定義など存在しない。
だから必ずどこかの側面を切り取って、暫定的にでも定義しないといけない。
ここでは、どうも「良い"音質"」や「満足の行く機材や環境」で作られた音楽のことを指しているように思われる(もちろん定義されてないからよく分からない)。
次にカメライターを自称する「かさこ」さんのブログ記事に移る。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス感覚なき職業音楽家の末期症状」
http://kasakoblog.exblog.jp/18220333/
つまり予算とは関係なく、いい音楽は良いんだ、と言いたいらしい。
1000万のストリングスだろうが、200万のストリングスだろうが、そこに聴手が差を感じなかったら、意味のない800万かもしれない。
では、高品質の音楽とは何なんだろうか。誰がそんなことを決めるんだろう? その定義がない。
「金がないから「いい音楽」作れない?~ビジネス至上主義の末期症状」
http://anond.hatelabo.jp/20120622221514
なんか論文テイストなタイトルで、かさこさんのブログに商業主義の極みみたいなものを見出し、ボロクソに書いている。
つまり「商業主義」だからダメなんだ、ミュージシャンが良いと思ったものだけを作らない。
また作っても全然評価されないようにした商業主義が悪い、といって、マスコミ叩きもついでにやってしまう辺りが可愛い。
増田に求めるのは酷かも知れないが、さすがに音楽の歴史をあまりに知らなさすぎて苦笑する。
ビートルズが商業性のない芸術だとか言ってる時点でもうあまり喋らない方がいい。
ここでの「いい音楽」の定義は、歌い継がれる事だそうだが、歌い継がれるということは大衆に商業的に成功したからなのでは…と、これ以上は突っ込みどころ満載なので次に行こう。
「音楽業界をダメにしたのは「レコード会社」じゃなく「アーティスト」だろ」
http://anond.hatelabo.jp/20120623023851
まず音楽は大衆娯楽なんだ、日本にとっては!と強く断言している。
が、この国のみならず、音楽は全世界で宗教や娯楽、芸術と深く結びついていて不可分の存在だろう。そもそもなぜそれらが同時に成立してはいけないのかが分からない。
ある人からすれば芸術に聞こえるし、ある人からすれば宗教的な境地に達するものもある。もちろん娯楽にもなる。音楽とはそういうものではないのだろうか。
また、大衆に迎合せず、自分たちの好きな音楽のみを作り続けるミュージシャンを「アーティスト」とカッコで括り、どういうわけか彼らが音楽業界をダメにしたことになっている。が、論拠がない。
これが一番意味不明だった。なんで「アーティスト」は法律の問題に触れないといけないのか。そしてそもそも声を上げたかどうかちゃんと検証していない。ただ自分の聞こえる範囲内でいなかっただけなのに、一般化している。むちゃくちゃな主張だ。
この記事では、つまり大衆に向けてしっかり受ける音楽を作ることが「いい音楽」で、自分たちの好みや主義を通すことが音楽業界を破壊したということになる。また極端な話だ。
このように結局、「いい音楽」というものが定義されないまま話が進むから、何の実りもないケチの付け合いになっているのが残念だ、と、流れを概観して思う。
最初にも書いたが、もう犯人探しなんかしている段階じゃない。敢えて言うなら全員が犯人なんだと思う。ぼくも君も含めて。
少なくとも、ごねたところで、現状はどうにもならない。
確かに、音楽の状況は変わった。
音楽コンテンツに支払う金額は少なくなった。当然のように市場は縮小する。
予算が下がる。確かに音質は落ちる。ストリングス楽団を必要するような高予算の音楽は簡単に作れなくなった。
ただ、予算は音楽の質と比例しない。ぼくはミックスと音質がクソみたいな初期BUMPOFCHICKENが好きだ。ハイファイで澄んだ音質の新曲は聴きすらしなくなった。
だからといって悪い訳ではない。ぼくにとっていい音楽でなくなったBUMPの新曲は誰かにとってのいい曲になっただろうから。
こんな風に変わっていく現状の中、レコード会社の人たちはレコード会社で、ミュージシャンたちはミュージシャンで各々の問題を考えて欲しい。
ぼくは門外漢なので何も言えない。ぼくはリスナーだから、リスナーの目線でものを言う。
ぼくは、単純に音楽をもっとたくさん聴いて、たくさんお金を落とせばいいと思う。
CDが売れないのが問題じゃなくて、音楽市場にお金が流れない現状があるなら、それは結局のところリスナーが財布のヒモを縛っているからだ。
お金を落とす価値のあるミュージシャンがいない、本当に良いなら喜んで金を出す。よくきく言い訳だ。
違う。逆だ。お金を払って、身銭を切って買った音楽だから、真剣に音楽を聴く。せっかく払ったお金をムダにしたくないから。
いま、音楽は猛然と無料化の方向に向かっているが、それでは絶対に音楽業界は良くならない。なぜならリスナーが育たない。
音楽はタダで聴けてはいけない、とは言わないが、やはりそれは限定的であるべきだ。
イタチごっことは分かっているが、もし本当に無料で違法にダウンロードされることが音楽市場にお金が流れない原因だとするなら、
人件費を割いてでも、YouTubeやニコ動などのストリーミングサイトを巡回する人員をもっと設けるべきだと思う。
先程にも書いたが、音質と楽曲の良し悪しの判断は必ずしも道を同じくしない。
音質が多少悪くても楽曲が気に入ってしまえば、タダを取るリスナーが多い。
そして、音楽が安くなることに関してだけは、大賛成。今、iTunesなどでは一曲が200円かそこらで買える。
作り手には申し訳ないがリスナーからすると、やはりこれくらいが限度だと思う。CDはちょっと高すぎる。
逆に、ダウンロード販売などで安く手に入る音楽の在庫はもっと拡充しないといけない。
iTunesなどで販売されていない曲がユーチューブでタダで手に入るとか、さすがにそれはユーチューブ使うよ。
つまり、リスナーは身銭を切って音楽をきくべき、と同様に、身銭を切りたくなるような仕組みをレコード会社やミュージシャンは考えていかなくてはならないだろう。
少なくとも、パッと思いつく上記のようなことはできないといけない。