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はてなキーワード: 短距離走とは

2024-05-17

善意好意

僕は南の島で生まれた。僕がまだ母のお腹にいた時に、父が軽はずみな悪戯をした。母は気を失い、倒れた。それは僕の運命を狂わせ、家族運命も変える重大な結果をもたらした。僕は脚に障害を持って生まれ、その障害を治せる医療機関は島にも近隣にもなく、関東関西の子供専門病院での長期にわたる入院治療必要とされた。両親は治療費と移住費を捻出するため、先祖伝来の家屋土地田畑ほとんどすべて売り払い、僕が2歳の冬、家族揃って島を出て、関西のある県に移住した。僕はその県の県庁所在地ある子供専門病院入院することになった。


僕が入院した日、窓の外の山々が人生で初めて見る雪で真っ白になっていたことを今でも鮮明に覚えている。両親は家に帰りたいと泣く僕を残して帰っていった。僕はそれから4歳になるまで約2年間入院し、5回の手術を受けた。僕の脚は完治はしなかったけれど、障害者と判定されないくらいまでには改善した。島を出た時は、僕はまともに立つことすらできなかった。退院した時は自分の足で歩いて病院を出た。担当先生看護師さんたちが涙を流して見送ってくれたことを覚えている。


入院により僕の障害改善したが、同時に子どもの成長に必要とされる多くの大切なものを得られなかった。両親から愛情家族他人との人間関係を築くための社会性を身につける機会、病院食ばかりで食べ物好き嫌いを克服する機会、成長に必要な体力と運動能力を得る機会などだ。このため、僕の後の人生で苦しむことになる。前回の日記では、特定の幾つかの出来事だけを挙げ、それが対人恐怖症や人間不信に繋がったように書いたが、実際にはそうではない。


退院したばかりの頃の僕は、体力がないため、同世代男の子たちとは遊べず、妹の後ばかりをついて回った。そして彼女彼女友達と一緒に遊んだ。それは主に、体力を必要としないままごと人形遊びだった。ある時、駄菓子屋さんで妹たちが紙製の着せ替え人形を買った。僕も買おうとしたら店の人に「あなた男の子でしょ!」と叱られた。よく女の子みたいだと言われた。そして、それからもずっとそう言われ続けることになる。


5歳の春、僕は幼稚園に入った。入園日の翌日から、午前中は親から離れて園で過ごす日々が始まったが、その初日で躓いた。僕は園に着いて僕を置いて帰る母を見てパニックになり、大号泣した。僕は病院で育った影響か、感情表現が下手で滅多に感情を表に表さないが、入院した日のようにまた家族と引き離されると思い、その時は全力で抵抗した。それは単に僕の勘違いだったけれど。入園日や卒園日のことは一切覚えていないが、この大泣きした時のことだけは記憶に残っている。

その後、僕は順調に幼稚園に通うことになる、はずだった。


近所に山川君という同級生男の子がいた。同じ幼稚園に通い、小中学校も同じだった。幼稚園に入った4月の末、彼は、突然、僕の首を締めた。息ができなくなり、眼の前が真っ暗になり、意識がどんどん遠のいていった。僕が意識を失う寸前に彼は手を放した。その後、僕の登園手帳5月6月カレンダーは、登園をしたこと示す判子が押されず殆どが空欄になっている。僕は首を締められたことにより、様々な感染症にかかり、ずっと寝込むことになった。

その出来事があってからは僕の母は彼を見ると、手を上げて打(ぶ)つ真似をして、「あんたのせいで」と怒った。その度に彼は彼の母の後に逃げ込んだ。母は彼のことをずっと後まで憎んでいたが、僕は彼のことをそんなに憎んではいなかった。小中学校で、彼は僕がいじめられているのを知ると、時には相手鉄拳制裁を加え、僕を二度といじめるなと言ってくれた。その方法善悪は別として、実際にそれは効果があったし、僕はそれに感謝している。

自身は、なぜ僕の首を締めたのか、それがどんな結果をもたらすのか分かっていなかったと思う。僕は、後に、同級生から他の人の見ていない所でよく抓(つね)られたりしたが、彼は同じような軽い気持ちだったのかもしれない。10代後半の彼が自ら語ったところでは、彼は先天的(おそらく遺伝性の)精神疾患を患い、その治療を受けていた。先天的という意味では僕と彼は同じ境遇で、それは僕ら自身の力ではどうしようもないことだった。僕の物理的に変形した脚では、いくら頑張っても障害のない人のように歩いたり走ったりすることはできない。物理法則を、意思の力や努力で変えることは不可能だ。脳も物理法則支配されているのだから精神疾患だって本人の意思の力や努力だけではどうしようもない。


結局、僕は幼稚園を1ヶ月半以上も休むことになり、十分な体力も付けられずに小学校に上がった。入学式初日に、隣りに座った立花君に抓られた。その後に何度も経験することになる、隠れた場所でのイジメだった。僕は他の誰も見ていない2人だけの場所で、抓られたり蹴られたり嫌味を言われたりよくした。また、3年生の時に、近所の年上の男の子プロレスごっこをしていて、抱きつかれたこともある。抱きつかれたというより抱きしめられたような感じで、その後、凄く気まずくなった。だから、僕はできるだけ他人と二人きりにならないように気をつけた。後から考えると、これは僕が適切な人間関係を築いていく上での弊害になったと思う。

ちなみに、僕を最初に抓った立花君は高校まで同じだったが、後には友だちになった。当時、僕の住んでいたのは某ラノベ舞台と言われる市で、公立高校入試にいわゆる学区割というシステムを導入しており、成績上位者の一部を除いて、住んでいる学区で通う高校指定された。だから小学校から高校まで、多くの同級生たちと同じ学校に通った。小中のしがらみを抱えたまま高校まで進学するのは、ある意味きつかった。


小1の時は、いろんな子にいじめられた。抓ってくる子が多かった。クラス学力1、2位を争っていた男子女子によく悪口を言われた。彼らは進学塾に通っていたけれど、塾にも通わないのに教科書をスラスラ読める僕に嫉妬したのだと思う。僕は、入院中の毎晩の看護師さんたちによる絵本読み聞かせで、3歳になる頃には平仮名を全て覚え、絵本も一人で読めるようになっていた。僕のテキストは「くまのプーさん」だった。だから今でもくまのプーさんを見ると、特別感情を抱く。入院で失ったものも多かったが、得たものも大きかった。

いつからかは覚えていないが、僕がイジメられるのを見かねた新池さんという女子が僕を守ってくれるようになった。彼女は本当に心が真っすぐな子だった。彼女は僕より背が低くかったが、人一倍勝ち気で男子相手喧嘩でも一歩も引かなかった。だから彼女は学年中の男子から、新池ゴリラと呼ばれていた。新池さんは授業が終わり、帰宅する時もずっと僕の側にいてくれた。

新池さんとは中学まで一緒だったが、同じクラスになったのは小1の時だけだった。彼女彼女の妹の面倒をよくみていた。彼女はいつも妹と一緒にいた印象がある。彼女は僕のことも彼女の妹と同じように庇護すべき対象と思ったのかもしれない。彼女は僕にとっては同級生というより、姉のような存在だった。

僕は前の日記で新池さんをゴリラ女子と書いてしまったが、それは仮名かめい)を使わなかったから読み易いようにそうしただけで、僕が実際に彼女ゴリラと呼んだことは一度もない。そんなことしたら罰が当たる。彼女は僕の守護神だった。彼女は本当にかわいい子だった。だけど、僕には彼女を慕う気持ちはあったが、恋愛感情は一切なかった。そこははっきりさせておきたい。


小2になると別の守護神が現れた。担任田口先生だった。田口先生女性で優しかったが、弱い者イジメ絶対に許さなかった。先生最初の授業で、僕には障害があるからクラスみんなで守ってあげて下さいと言ってくれた。僕はクラスで一番最後逆上がりができるようになったが、先生がそれを母に報告すると母は泣いたらしい。先生はその話をクラス全員の前で話し、みんなも一緒に喜んで欲しいと言った。当時は、逆上がりくらいでと僕は恥ずかしかったが、今思うと本当にいい先生だったと心から感謝している。

そんな先生の下でもイジメをする子はいた。僕は病院食を食べて育ったため、好き嫌いが多く、食べられない給食が多かった。ある日、給食チキンクリームスープが出た。僕は鶏肉が食べられなかった。無理して食べ、最後は戻してしまった。それを見たクラス安田君という男子が「汚ねっ!」と言って、嘔吐物に唾を吐いた。別の誰かに呼ばれて駆けつけた担任田口先生がそれを見ていた。先生クラス全員が縮み上がるほどの鬼の形相で、烈火のごとく怒った。安田君はわんわん泣きながら、僕と一緒に嘔吐物の片付けをさせられた。僕はそれ以来、毎朝給食メニューをチェックし、ビニール袋を給食袋に忍ばせ、食べられない給食をこっそり持ち帰るようにした。まだ給食は残さず食べるというのが当たり前の時代で、おそらく田口先生は僕の行動に気付いていたと思うが、何も言われなかった。同級生の中には、精神的な理由から肉類を食べられないことを公言し、それを許容されていた子もいた。本来は、学校に僕が好き嫌いが多い理由をきちんと説明しておけばよかったのかもしれないが、僕は親にそういうことを相談できなかった。僕は、いじめのことも親に相談できなかった。


小2の2学期に徳田君という転校生が来た。ある日、体育の時間が終わった後、彼は僕を抓った。それをクラスの別の子が見ていた。僕はジャングルジムの上に避難させられ、徳田君はみんなに引きづられてギャンギャン泣きながら田口先生のところへ連行された。徳田君は転校してきたばかりで田口先生方針を知らなかった。彼は僕をいじめたことで、クラスの大半を的に回してしまった。

徳田君は相当に困ったようで、苦肉の策だったのか僕に接近してきた。自分の家に遊びに来いとしつこく僕を誘った。僕は彼が怖かったから何かと理由をつけて断った。彼の最後の手は「うちにはお金が倍になるゲームがある」だった。家が貧乏だった僕は、その言葉簡単に転んだ。彼の家は僕の家から100メートルも離れていなかった。当時、僕たち家族は、両親が市役所転入届けを出しに行った際、役所の人が「市内一の貧乏アパートから早めに出た方がいい」と助言したくらいの貧乏長屋に住んでいた。2階建てで庭に木まで植えてある彼の家は、実際はそう大きくはなかったが、僕には豪邸に思えた。彼の家の中に入れてもらうと、転校して初めて来た友達からだと思うが、彼の母と祖父母が僕を歓待してくれた。そして、いろんなゲームを二人でした。当然のことだが、最後までお金が倍になるゲームなど出て来なかった。彼が家の外まで一緒に出て見送りしてくれた時に、僕は思い切ってそのゲームのことを聞いてみた。彼は「そんなのあるわけ無いじゃん」とけろっとした顔でいった。そんなにも平然と嘘を付く人がいるという現実に僕は戸惑った。そんな僕に、彼は全く屈託のない笑顔で、「また、必ず遊びに来てね」と言い、手を振った。その後、彼には多くの友だちができ、彼が僕を家に招待することは二度と無かった。それどころか、僕のことなど一切相手にもしなくなった。僕がその後の人生で、悪徳商法詐欺などの被害にあわないで済んだのは、間違いなくこの時の教訓があったからだと思う。それは人を簡単に信用してはいけないという僕の人間不信を強固にする出来事でもあったと思う。

徳田君の名誉のために補足すると、彼は詐欺師などにはならず真っ当な人生を歩み、今では小さいながら自らの事業を立ち上げ、一人で切り盛りしている。彼とは社会人になってから何度か会っているが、苦労が顔に滲み出ていて、気配りのできる本当にいい大人になっている。


小3から中3の話は別の日記や別の媒体でも書いているので省略する。


僕は脚の障害のため、短距離走は誰よりも遅かったが、心肺能力人一倍優れていたと思う。僕の体は、例えるなら、パンクしたタイヤを装着した高性能エンジン車のようなものだった。脚の悪さを心肺機能で補うことで、持久走はかなり速く走れた。学校マラソン大会中学で200人中5位、高校では700人中10位だった。これは自慢しているのではない。僕は高校では陸上部所属し、中長距離走選手として成果を出したかったが、競技者レベルには全く達していなかったというのが現実だ。そのため、僕は高2になるまで試合には一度も出して貰えなかった。

高2で初めて800メートル走に出場した時のことは鮮明に記憶している。それは県の全高校陸上選手が集う競技会だった。観客席には選手監督コーチマネージャーなど数千人がいた。

スタートピストルの音とともに出場者全員が出走すると、会場全体がざわつき、どっと笑いに包まれた。僕の走り方がとてもヘンテコリンだったからだ。それまでにも走り方を笑われることはよくあったが、数千人いる会場であんなに大勢に笑われるとは思いもしなかった。走り方一つで何千人もの人たちを笑わせられるなんて、僕はお笑い芸人より凄いかもしれない。

僕の高校陸上部員の僕に対する声援は会場全体を包む笑い声にかき消されてしまった。どんなに笑われても、監督が苦労して僕を試合に出させてくれた以上、途中で棄権することは絶対にできないので、僕は死にものぐるいで走った。僕が最後尾で第4コーナーを回り、正面スタンド前に来た時に、その奇跡のような出来事は起きた。もの凄い声援が湧き起こった。走りながら、僕がスタンドの方へ目をやると、よく合同練習していた隣の高校陸上部キャプテンが身を乗り出し、両手を口に当て「〇〇、ファイトー!」と僕の名を絶叫し、それに続いて他の部員たち全員が大声で声援してくれた。走りながら僕は体中に鳥肌が立った。その声援は僕の高校部員たちの声援を遥かに上回っていた。そして、その声援は会場全体に響きわたった。一瞬にして会場が静まっり返った。水を打ったようというのはああいう状況を言うのだと思う。たった30人ほどの人たちの声援が、何千人もの人たちの笑い声とざわめきを一瞬にして吹き飛ばししまった。気まずい空気が会場全体を覆った。急に静かになった競技場の残り400メートルを僕は力の限り走った。

結局、成績は最下位だったけれど、あん奇跡のような体験をできただけでも、僕は競技会に出場した甲斐があったと思う。隣の高校陸上部キャプテン水野君、そして、彼に続いてくれた部員たちには、今でも本当に感謝している。当然、僕の高校の部の人たちにも。


大学時代のことは別の媒体でも書いているので省略する。

社会一年目に関することは別の日記に書いたので省略する。


社会人2年目の4月本社異動になった僕は、地元に戻ってきた。地元には戻ったが実家には戻らず、会社の寮に入った。ゴールデンウィーク実家に戻ると、高校時代に同じ陸上部にいた津木と岡崎から飲みに誘われた。焼き肉屋で空腹を満たした後、津木がおもしろ場所に連れて行ってやると言った。

それは岡崎の家の近くの小さなスナックだった。津木がドアを開けると、2人の女性が明るく迎えてくれた。僕は本当に驚いた。そこにいたのは小1の頃、僕のことをずっと守ってくれた新池さんだった。彼女は小1の頃と全く変わらない笑顔で、僕たちを迎えてくれた。僕がいることに気づき彼女も驚いていた。新池さんは全然変わっていなかった。彼女の隣にいたのは彼女の母だった。彼女の妹も一緒に働いている三人の店だということだった。もう彼女と何を話たのかは忘れてしまったけれど、津木ばかりが話していて、僕はあまり彼女と話せなかったように思う。僕は、小1の時の感謝彼女に伝えたかったが、うまくタイミングが掴めず、結局は伝えられなかった。地元からいつでもまた会えるという思いもあった。

しかし翌年、僕は今の妻となる人出会い、翌々年に結婚し、地方へ転勤となってしまった。4年後、僕が転職して地元に戻って来た時には、もうその店は無くなり、彼女行方もわからなくなってしまっていた。彼女は小1の同じクラス同級生で僕がフルネーム漢字でも書ける唯一の人だが、SNS友達繋がりでも彼女名前は見当たらない。その後、僕はまた別の会社転職し、関東へ住居を移した。あの社会人2年目以降、僕は彼女とは一度も会えていない。感謝気持ちは伝えられる時にきちんと伝えるべきだったと、本当に後悔している。



補足

  • 僕は書くことを、つい1ヶ月くらい前から始めた。書くことはリハビリという人がいるが、それを実感している。
  • 書くことで不幸自慢したいのでない。そういうことは思い出すだけでも辛くなるし、腹も立つし、ネガティブ気持ちになる。
  • そうではなく、僕の周りにたくさんの敵意や悪意があったけれど、それを上回る善意好意に僕は救われてきたということを伝えたい。
  • 書くことで、僕は自身ネガティブで屈折した思考を整理し、僕を助けてくれたり応援してくれた人たちを思い出し、それと同時にそういう人たちへの感謝気持ち再確認できた。妻への感謝気持ちもそうだ。
  • 文章を公開するのは、そういう人たちが大勢いたことを、多くの人に知って貰いたいからだ。



2024-05-06

自分自分人生を長期スパンコントロールできている感覚が持てない。常に短距離走を求められている。生きる意味が見出せなくなった。

2024-03-31

20年くらい前に発達障害と診断されるまでとされてから

当時小学生だった。

子供ながらにあの頃は発達障害についての情報ほとんどなかったと思う。インターネットも今より普及していなかった。母親は髪を振り乱しながら、おかしい、普通の子じゃない、普通に出来ないなんて、おかしい、おかしい、変、変、変、どうして出来ないのと毎日叫んでいた。

じゃあどんな小学生だったかと言うと、まず運動音痴だった。リレーはいつもドベだし、逆上がりもできない。跳び箱に挑むとタイミングがわからなくて、そのままぶち当たって箱を破壊する。マット運動で転がると眩暈がして上手く起き上がれない。逆に勉強自分で言うなって話だけどかなり出来た。字を書くのは上手くはなかったけど、勉強自体は楽しかったしすぐ理解できたので何もしなくても満点だった。

運動会ではお荷物だったしドッヂボールでは毎回泣きたくなるくらい当てられてたけど、体育自体は好きだった。勉強だったら負けなかったし、友達も沢山いた。

変わったのは、親の仕事の都合で県外に引っ越しからだった。

子供なんてちょっとしたこといじめてくる。田舎からたからとか、身長が高くてのろまだったからとか、服がユニクロからとか、ゲームを持ってなかったからとか、流行りのドラマを見てなかったからとか、塾に行ってないのにテストで満点取ったからとかであっという間にいじめられるようになった。

教室に入るとささっと4人くらいから囲まれて、色々言われた。メンバーは日替わりだった。半年くらいは我慢してたけどある日急に行く気がすっかり失せてしまって、仮病を使って休むようになった。

それを母親は許してくれなかった。学校に行かないなんて普通じゃない、おかしい、と毎日私を打つようになった。いじめられるから行きたく無いと言えばよかったのかもしれないけど、私が田舎から来たのもユニクロを着てるのも、ゲームを持ってないのも、ドラマを見てないのも、塾に行ってないのも、テストが満点なのも全て紛うことな事実だし、事実を言われただけだしな…これはイジメではないはず!ただなんか学校行きたくないだけ!と謎に前向きだった。いじめってバカとか死ねとか言うものだと思っていた。

(あの頃の自分に言いたいけど、階段から突き飛ばされたり、靴の中に土入れられたり、クラスメイトが川に落ちた時お前の責任にして学級裁判もとい糾弾会開くのは立派ないじめだと思うよ!)

叩くもの母親の手から布団叩きに変わる頃、ようやくクラスの子からダサいとか謝れって言われるから行きたくない!と泣いて吐き出した。それくらいがなんだ戦え!やり返せ!と言われた。

ブランド物の服を着たあの小柄なクラスメイトたちが、私には小鬼に見えた。そんな小鬼と戦えない。

普通はどんなことがあっても行ってるはずなのに、どうしてこの子は行かないのか、普通じゃないのか、こんなのおかしいと母親ノイローゼになっていた。父親は俺は知らないの一点張りで、他の女性たちに夢中だったし、もう少ししたら私にも手を出すようになってきた。我が家は完全におかしくなっていた。

真冬に寝巻きのまま裸足で外に出されたり、どこかの川沿いや公園児童養護施設の前に置いていかれるようになった。この頃になると、うちの親は話が通じないからおまわりさんに助けてもらおうと交番に行くようになった。毎回家に送ってもらってお宅の娘さんが…とインターホンを押すや否や両親は飛び出して私を抱きしめていた。涙を流して、ほんの些細な喧嘩なんです、私たちが悪いんです、厳しくしすぎました、本当に帰ってきてくれてよかった、この子私たちの宝物、ご迷惑をおかけして申し訳ありません…と泣いてぺこぺこしながらおまわりさんたちにお礼を言っていた。そういう両親を見ておまわりさんたちもすっかり態度を軟化させて、ご両親に迷惑をかけちゃ駄目だよ、と私に説教をして帰っていく。外面はめちゃくちゃいいのと隠すのが上手いので、今でも両親は周りからは、上品で優しいお母さんと思慮深く手先が器用でなんでも作れるお父さん、こんな素敵なご両親なんてあなた幸せだよと言われている。嘘だろ。

子供ながらに何もかもがもうだめかもしれない、と思うようになったある日、機嫌の良い母親ならお出かけしよう、と連れ出された。狂言自殺を繰り返していた母親を前に心中という単語がチラッと頭をよぎった。長い長い時間電車に揺られ、着いたのは病院だった。そこでまた長い時間ゲームのような、簡単テストのようなものを受けた。今まで何度か精神病院に引きずられて行ったことはあったけど、あそことは全然ちがうな、と思った。

アスペルガー症候群の傾向が出ています、みたいなことを言われた。

なにそれ?頭の病気?治らない?一生?と一瞬ショックを受けたものの、治らないなら仕方ないと諦めた。

それから母親は激しい浮き沈みはあるものの私の不登校基本的には許すようになった。この子アスペルガーから、頭の病気から仕方ないと。反面で私に天才になれと言うようになった。エジソンだってアスペルガーだった。学校にも行かなかった。同じアスペルガーから絶対になれると当然のように言った。少しでも逆らうと怒り狂って、お前は人殺しになってお母さんのことも殺すんだろうと怒鳴ってきた。当時話題になっていた事件犯人が、発達障害だったからだそうだ。

私が中学の頃に父は単身赴任となり、私たち母子だけで暮らすようになってから、だいぶん楽になった。ちゃんと「学校」と呼ばれる場所に通えるようになったのは高校からだった。そこの高校名前漢字で書くことができれば受かると言われているくらいのレベルだった。一番最初数学の授業は2桁の足し算のプリントをひたすら解けと言われた(後ろの席の男子からこれわかんねぇから答え教えてくれと言われた時はびびった)。長い期間のストレスからか、自分名前漢字平仮名カタカナ以外ほとんど書けなくなっていたのでとにかく早く、どうにか楽しつつ巻き返せないか試行錯誤した。相変わらず短距離走球技は酷いものだったけど、長距離ならそれなりにできるとわかった。家にいたくなくてボランティアやら勉強会やらに積極的に参加した。授業態度は良かったので(そもそも周りが最悪なのもあった)先生からは良くしてもらえた。先輩達は挨拶もろくにできねぇのかと凄んできて恐ろしかったけど、お陰で誰にでも大きな声で挨拶ができるようになったし、怒らせなければ面倒見の良い人達だった。ヤンキーばかりかと思ったクラスメイトも親切で、今でも何人かとは親しい付き合いがある。頑張れたお陰か無事大学にも通えた。

途中就職に失敗して鬱になりかけたりニートになったりして、心療内科から貰った全然効かない薬を飲みながらカウンセリングを受けたけど、結局一番効果があったのは、気晴らしに始めたバイト給料を使っても良いと言われた時だった。現金を使える自由が私には何より効いた。

本屋に行くと発達障害に関する本がズラッと並んでいる。少し前までは発達障害の人とどう付き合うかという内容ばかりだったのに(それでも最初本屋にあった時点で衝撃を受けた)、発達障害自分がどうやって生きていくかのライフハックが書かれた本たちが並んでいるのを見ると、昔に比べて良い時代になったのかもしれないとしみじみ思う。

ところで、私が子供の頃貰った「アスペルガーのお友達どう付き合うか」の本を読んでみると、症状が全然当てはまらない。肌触りに敏感でもないし、誰か(この本で言うとクラスメイト)が泣いていたらどうしたのかと心配になる。怒らせてしまったら私のあの言葉や態度が悪かったのかと気付くし、これじゃないと駄目みたいな強いこだわりも特にない。社会復帰してから遅刻寝坊もした事がない。作業にのめり込むこともないし、無くし物もしない。特に親しい友人や夫に、もしかしたら発達障害かもしれないから当てはまるなら正直に教えてほしいと頼んでみたけれど、特にない、別に普通だと言ってもらえた。私を含めた全員素人からなんとも言えないけども…。

最近気になる話を聞いた。子供のうちに猛烈なストレスを受けると、発達障害によく似た症状が出るらしい。それに関する論文をしっかり読んだわけでもないので、あくまそうかもしれないの粋だけど、もしかしたら、と思ってしまう。もう一度あのテストでも受ければ良い話なんだけれどめんどくさい。

私は普通になったんだろうか。なっててもなってなくても、今それなりに幸せからどっちでも良いか。もう寝よう。

2024-03-11

北欧ブルマー考、それからへそ出しブルマーブラトップブルマー (1)

はじめに

北欧なんて寒い地域ブルマー存在するわけがないだろうという気持ちが無いではなかったが、それでもなんとなく調べてみようという気持ちになった。

仕事の後、心が虚無になっている時に、無心にわかりもしない北欧諸語でブルマー姿の女性画像を探し、ブックマークしてはフォルダ分けする作業は、変態じみているがいい気分転換になった。

ただ、北欧諸国人口も少なく、単純に単語検索してもヒットする数は少ない。

そこで、以前のように適当過去写真が載っているサイトを探し出し、当該サイト内の中で検索した。アーカイブを乗せているサイトのなかでは、以前と同じように「学校の体育」などのキーワード検索した。

なお、参考までに、ウィキペディアによれば北欧諸国人口は次の通り。

国名人口
アイスランド34万人
スウェーデン1004万人
デンマーク588万人
ノルウェー538万人
フィンランド550万人

なので、もちろん資料は少ないだろう。

ちなみに、今回はSNSからさなかった。

以前にバルト三国を扱ったときエストニアの体育の写真リンクを貼ったのだが、そのフェイスブックコミュニティが鍵垢になってしまったのである

リンク切れのリスクはできるだけ避けたい。

デンマークブルマー

北欧諸国の中で最も南に位置しているので、一番画像が見つかりやすいと考えた。

ハンドボール写真。短パン1970年代

https://voresbrabrand.dk/nordgaardens-if-samlede-gellerupparkens-beboere-nu-fylder-foreningen-50-aar/

かなりブルマ―に近い短パン野球をしている。1978年1988年

https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326451

パンでの短距離走。1985 ~ 1989

https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326525

かなりブルマーに近い姿で走っている。1969年04月

https://www.aarhusarkivet.dk/records/000431872

応援する女性たち。1975年1982年

https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326600

★右端の女子が完全にショーツブルマー。他の女子はごくごく短いスパッツっぽい。

時期は1975~1982年とある

https://www.aarhusarkivet.dk/records/000326588

ここのサイトデンマークオーフス市(デンマーク第二の都市)のアーカイブらしい。Risskov skoleという公立学校写真だ。少なくともここではブルマ採用された時期がある。

この2つはレオタード

https://arkiv.dk/vis/1554031

こちらは国内の580の地方アーカイブを横断して検索できるらしい。1980年代だ。

ttps://arkiv.dk/en/om

On arkiv.dk, you can search through archive material held by over 580 Danish local history and town archives as well as by a smaller number of special collections.

http://billeder.salldata.dk/data/1960-1969/1963/1963-03-03%20Gymnastik%20i%20A_arhus%20stadion/

こっちはMine billeder og documenter、つまり私の写真書類という名前個人サイトらしい。

1960年代舞台


続きはトラバに。

2023-11-30

あー!害悪!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ブクマカ「年齢のインフレ」が起きてるから今の「30代後半は昔の20代後半」ぐらいだと思う。人生100年時代まだまだいけるよ。

ダメ絶対ダメ害悪言質絶対ダメ

「年齢のインフレ」が起きてることは認める。でもそれは「若いうち(10代、遅くとも20代前半)に生産手段、影響力、知名度などを築いた人がその後中年になっても下手したら老年期に入っても稼いだり影響力を与えられる」ってことだから!!

人生10代のスタートダッシュをもとに残りの人生を駆け抜ける短距離走から!!

大器晩成型の偉人10代で既に基盤を作るなり、努力してスキルをつけるなり、コネを作るなりしてるからたまたま結果が出るのが遅かっただけ!

例えば、医師教育訓練期間が長いか20代、30代になっても研鑽して勉強してるけどその医師になるための勉強物心ついてから10代終わり頃までずっとやってるでしょ!医師としての下積みはまだまだ続くけど医師になれるかどうかは10代で決まるでしょ!

医師だけじゃなく人生は全部そうだから

こういう言質がモブ中年ニート勘違いさせるんだ!

勉強スポーツ、対人スキル恋愛スキルなど、全て10代で経験してスキルを獲得しなきゃいけないんだ!

それが出来なきゃスタートダッシュ切れなくて残りの数十年は負け戦なんだ!

お前らみたいな人間が「まだその年齢なんだからどうとてもなる!」とか俺に言ってくるんだ!

俺はニートだけど、ニートしたくてしてるわけじゃないんだ!

10代でスタートダッシュ切れなくて、それでも20代前半のうちは取り戻そうと頑張ったけどダメで、仕方なく非自発的ニートしてるんだ!

そういうと今度は「じゃあ死ねば?」とか言ってくるんだろ!

わかってるよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

死ななきゃいけないのは!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

だけどな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

10代でスタートダッシュきれなかったクズには死ぬ勇気も度胸も!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ないんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

まれてきてごめんなさい

2023-10-02

anond:20231001211938

普段走ってない人は走り方を忘れるし、多くの大人短距離走の走り方を忘れてる

2023-08-27

1600mリレー基本的に速い人から組む

400mリレーと異なり、第二走者の最初カーブが終わると、全チーム内側のレーンで走る

そのため抜かれる分には最短ルートでいいが、抜かす場合は外から大回りが必要

バトンパスも通過順位が悪いと外側で行う必要がありロスがある

またバトンパスでは先行するチームの前走者との交錯も起こりやす

アンカーについては勝負強い人を置く意味で、必ずしも遅い人とは限らない

かに第一走者を新人やらせるケースもある

バトンパスの回数が1回でいいことや、全区間個別のレーンのため短距離走者としては走りなれた環境であることが理由として挙げられる

ただこれは素人レベルの話ではないだろうかと思う

2023-08-20

世界坊主陸上

短距離走選手が全員坊主じゃないのが不思議

髪の毛がブンブン揺れてたら、空気抵抗上半身の安定性で不利になりそうに思うのだが

2023-07-14

anond:20230714165500

ただ、長期的な付き合いになったら内容も重要になってくるから結局内容も重要になる

婚活短距離走長距離走ハイブリッドから難しいんやろなぁ

同級生とか職場だと、第一印象は〜って話もあるが婚活と比べたら長距離走寄りだから

2023-06-01

格闘技で頂点に立っても子供の撃ったハンドガンに負けるし、短距離走マラソンで優勝しても原付にすら勝てない

それは当然の事なんだけど、銃やエンジンの出現前はもっとみんな肉体のポテンシャル熱狂してたと思うんだよな。

AIの発展で今度は頭脳も同じ事になっていくような気がする。

頭脳競技研究創薬医療教育AIの方がずっと賢くなって

ほとんどの人間バカの考え休むに似たりな状態になっていくんじゃなかろうか。

2023-05-22

anond:20230522132120

アメリカでも白人のほうが平均身長は高い。

まあ黒人の方が貧困層が多いから…という言い訳はできなくもないが。

白人との混血が進んだおかげで黒人身長が高くなった可能性もある。

そもそも黒人遺伝的な多様性が大きすぎるんだよな。

短距離走で速い黒人も、長距離走で速い黒人も、ごく一部の国に限られている。

黒人ガタイがいい、運動神経がいい、というのはイメージにすぎないよ。

2023-04-04

白黒の漫画ばかり描いててカラーで絵を描いたことがない漫画家っているんだろうか

カラーで絵を描いたことがなくても初めて色を塗ってみればちゃんと上手かったりするのかな

スクワットでひたすら脚の筋肉を鍛えてただけなのに短距離走を走ってみたらすごく速かったみたいな?

2023-03-17

29歳無職ラーメンを食べながら

経歴

18歳 高校卒業

19歳 浪人

20歳 東大落ち、早稲田入学

21歳 勉強

22歳 勉強

23歳 国家公務員総合職試験合格内定先決まら卒業

24歳 勉強しながら官庁訪問リベンジ無い内定

25歳 国立法科大学院入学

26歳 修了

27歳 不合格

28歳 不合格

29歳 7月に向けて勉強中、イマココ

なぜこうなったか

我が家金持ちではなかった。家は小さな戸建てでしか借家。父は中小企業サラリーマンで母は専業主婦。なぜ上記のような甘えた生活可能かというと俺が一人っ子から

俺は同じ地区に住む同い年の幼馴染が小さい頃から好きだった。彼女祖父や父は医師で、大きな自宅に住んでいた。4姉妹末っ子彼女はとても優しく、純粋で可愛かった。小さい頃は格差など気にせず遊んでいた。彼女の両親は優しかったが、彼女祖父母は俺を見下して蔑んでいた。だから勉強して偉くなりたかった。別に勉強して偉くなった所で幼馴染と付き合える保障など何も無いし、そもそも男としてすら見られていなかっただろうが。それでも某都立校に受かった時や、一浪東大落ちだが早稲田に進んだ時彼女自分のことのように喜んでくれたし褒めてくれた。それがとても嬉しかった。しかし、認められたい一心で不相応な目標を立てたが故に一度きりの人生破壊してしまった。

ちなみに彼女幼稚園から大学までエスカレーター女子大卒業した後に、父の医療法人職員として入り、昨年医師男性結婚した。つまり俺がこれからどのように努力しようが、幼馴染と何かが発展する可能性はない。

これから

正直受かったところで自分の現状だと法曹職は無理だろう。つまり仕事を探さなければならない。受からなければ勿論仕事必要になる。

絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護製造土木物流営業しかし、ここから探すことになるだろう。つまり父親よりも低賃金人生となる。また、ジャックレオナルド・ディカプリオ)のようなイケメンコミュ強なら底辺でもローズケイト・ウィンスレット)のような上流の女性を射止められるが、自分イケメンでもなければコミュ力もないので上記の職に就いた瞬間に生涯独身が決定する。

まり

人生100年といわれる時代上記の職に就けば100年生きるなど不可能だが)に生きていながら、20代人生が終了した。人生10代後半から20代前半までの「10年かけたスタートダッシュ」で結果が決まる短距離走である

刑訴証拠法に関する論文問題を解き、インスタントラーメンを食べながらこれを書いた。最後まで読んでくれる人がもしいたなら、敗残者の長い長いつまらない駄文に付き合ってくれてありがとうと言いたい。

2023-03-07

プロレスラーの誰々が強い」←変な表現だよな

チェスの何とかさんが強い、サッカーホニャララくんが強い、彼は短距離走が、強い。

〜が強いって表現は、それが記録であっても誰かと競わないと成り立たない表現だと思うんだよな。

サーカス空中ブランコしたらすごいけど、別に強くないもんな。

バレリーナもなんか綺麗だけど強くはないだろ。喧嘩したら強そうだけどそういう話じゃなくてな。

プロレスって見てたら息を合わせる瞬間が結構ハッキリわかるし、どんな攻撃でも覚悟させる時間を取る。

それ自体悪くはないが、これは競ってないだろ。

プロレスラーはすごい!」「プロレスラーはかっこいい」

それはそうなんだろうけど、あれは数人で不規則にある程度はアドリブで痛そうに踊ってるだけで、強いってのは物凄く違和感あるわ。

人間讃歌は苦難を乗り越える時に輝くし、手っ取り早く見せるなら苦痛を与えて耐えるのが良い。

そういう意味では崇高であったりコミカルだったりと質の良いエンタメとは言えるだろうとは思う。

でも強くはないよね。たまたま強い人はいても。

2023-01-15

匿名ダイアリーおもしろ月間キャンペーン

最近匿名ダイアリーにはおもしろエントリが多い。

ずっとオタクフェミニスト喧嘩してるばっかりよりは健全でよろしい。うんうん。

ももちょっとユーモアとかお笑いは考えてから書き込んだほうがいいと思う。

なんかここの人は笑いというのを短距離走みたいな瞬発力だと思ってる人が多い。

あるいは天才だけの才能の世界

そうではなくて世の中にはじっくり考えたり知識を総動員するような秀才的な笑いもちゃんとある

要するに面白いこと言えないな…と思ったら書き込まない方がいいんだよという事。

確実に笑いを取れるタイミングというのは必ずある。

2022-12-19

anond:20221218173125

足を使うスポーツから

ももで、ボールトラップしたり。日本田中選手のゴールはひざ蹴りだったよ。

ズボンだと、破れるからじゃないかな。

ソックスは、スネを守るために樹脂製のスネ当てをしてる。

ももは、筋肉つければいいし。

陸上短距離走ボクシングプロレスでも、半ズボンパンツ一つでしょ。フットワーク大事

2022-12-06

大事なのはボールだったのか

<稼げる>

バスケット

サッカー

テニス

フットボール

アメフト

・男

 

<稼げない>

マラソン

短距離走

・その他陸上競技

・女

 

大事なのはボールを持っているかどうか

 

追記

女も上半身デカボールを持ってるんだよなぁ

上半身デカボールを持っている女は稼げますよね?

2022-11-28

anond:20221127181316

10秒走る短距離走と2時間走るマラソン全然違う体力であるように、24時間365日安定して活動する体力のつけかたはそれらともまた違う。

十代の頃は有り余るエネルギーでなんとかなったが、二十代のピークを過ぎると意図的に体力をつける必要がある。

やみくもに筋トレジョギングをやってもそれらについやす時間が減るだけでやりたい活動の量は増えないだろ。

栄養バランスのとり方も重要だが、それよりも一番大事なのは自分の体調を細かく観察と計測することだ。

何をどのくらい食べたら集中力の高い時間がどれだけ確保できたか、前日にどういう行動をしたら翌日に疲れが残ったか

体重体脂肪率毎日測れ。体重が減ったときに動きやすくなったか疲れやすくなったか

それを続けてPDCAを回し続けたら、自分史上一番マシな体調になる。

2022-11-13

福岡マラソンで小走りが見れて、うれしかった

親族が参加するということで、福岡マラソンの沿道での応援に行ってきた

普段スポーツ観戦や応援など全くしないが、ランナーの方々の自信の限界抗うため渋い汁を吸うよう顔で呼吸をし、必死に手を振り、足を先へ先へと運ぶ姿はスポーツというよりなんかの修行のようで応援をしていて、尊敬の念を抱いてしまった

自分のできないことをなす者への憧れと、心身の辛苦に耐えるランナーの少しの気休めにでもなればという気もちが生まれて、柄にもなく主催が配っていたはりせんをバンバン鳴らして応援してしまった

今日一日で、マラソンランナーというものはそれだけで格好良いものなのだなと自分の中に新しい感性が生まれたよ

また今日ランナーとは別に、小走りする人を二通り目撃でき、ランナーとの対比で面白く感じたのでここに共有したい

最初に紹介するのは観光客の小走りである

今日交通規制が敷かれているため、普段観光客の多い夫婦岩に誰もいなかった

40代くらいの観光客風の男性がしばらくランナー応援した後で、道を横切り、海岸へ向かって、夫婦岩を見ているようだった

そこからしばらくして男性は戻ってきたのだけど、先ほどより道路を走るランナーの数が増え、ランナー集団と次のランナー集団の間隔も狭く、気軽に歩いて道を渡れるような状況ではなくなっていた

トップから少し離れたとはいえ、三時間を切るくらいのランナーたちのスピードは速く、横断をためらっているとすぐに次の集団が来てしま

大縄跳びのタイミングを計るように、えいやっと男性は道に飛び出し、両腕をふって脚を上げ、ランナー迷惑をかけぬよう小走りで道を渡っていた

この人、自分が走ることになるとは全く思ってなかっただろうなという感じが妙に面白かった

この小走りの後、すぐに写真撮影をしていた男性の小走りも見ることができた

スーツ姿で腕章をつけていたので、テレビ局新聞社記者の方だろうか

さな脚立の上に立ち、一眼レフランナー撮影していらした

ランナー応援していると自然視線の先にいる位置だったのだが、あるランナー集団が来た際に、急に脚立を降りて、脚立を抱え、そのままランナー集団を追うように歩道を走り始めた

おそらく集団の中の注目選手写真を撮り逃したか、納得いく写真が撮れなかったのだろう

20代くらいの中肉中背の男性が小脇に脚立を抱え、首に大きなカメラを提げ、スーツ姿に硬い靴で、ランナー集団最後尾に食らいつき、抜き去ろうと必死に体を動かしていた

わず20メートルほどではあったが、長距離マラソンランナーたちと仕事を全うしようとする男の短距離走勝負が偶然生まれていた

何とも走りにくそうな格好だったが、長距離走ってきたランナーとは違って、彼は50メートル走並みのスピードだったので、集団を抜いて、脚立を設置し、息を整え、カメラを構え、先ほど抜いた集団を待ち、シャッターを切っていた

マラソンランナー意識してなかったかもしれないがこの瞬間は撮影していた彼の完全勝利である

マラソン観戦するとこんな勝負も見れるのかと大変楽しくうれしかった

しかし、私がただ走っているひとを見て感動するハイになっており、小走りをする人を見ても自動的に感動していただけで、明日になったら小走り見てうれしいとかなんのこっちゃと思っている可能性もある

2022-05-30

anond:20220529201918

ゼレンスキー2014年以前の領土は1つも譲らないと開戦当時から言い続けてきてようやく方向転換を見せたという経緯も無視してるし、様々な要因から国力の差があっても一時的に有利に立てるような状況にあっただけのことを「奇跡」呼ばわりするのは現実の見えない馬鹿だと言ってるのも理解できないらしい

短距離走に備えて仕上げてきた選手短距離走で結果を残すことに不思議はないし、そういう人に長距離走でも結果を残すことを期待するのは無理からぬ話だ、ってだけのことだ

短期的に有利になった要因が積み重なったのは偶然や運ではなく必然しかない(8年かけたアメリカ努力ウクライナ経験の結果でしかない)ので奇跡でも何でもないし、奇跡ではないからこそロシア軍も盛り返してきてるわけだ

その結果は国力の差がストレートに出たウクライナの敗北という形になるだろうね

2022-05-23

小学校の体育授業での野球の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20220522134825

読んで嫌な記憶を思い出してしまったので吐き出す。

 

小学校特にルール説明もなにもなく、チーム組んで野球やりなさいという体育教師からの指示。

野球に興味のない当時の俺にとって「ボール投げて、バットボール打って、打てたら塁に進んで、一周したら点とれる」くらいの知識しかないので(今でも大して変わらない)、

打ったボール野手キャッチされるとアウトになるなんて知らず(知ってる人からすれば「常識」なんだろうけど、野球自体に興味ない小学生なんだから知らねえよ!)

先に運よくヒットを打って塁にいた俺は次のバッターが打ったのを見て走り、野手ダイレクトキャッチされたので戻らないといけない(んだよね?今でもよくわからん)ところ、そのまま次の塁まで走り、なぜか野手が1塁にボール投げたあと2塁に投げてこないのでそのまま次の塁に走り続け(それができるのは知ってた)、ベースまで走り得意げにランニングホームランを果たしたのだった。

仲間からの称賛を期待して皆のいるところを見た俺に向けられてたのは、怒りと呆れの混じった表情と「○○、何やってんだ!」という罵声であった。

その後、相手小学生なので「なんでアウトになったのに1塁に戻らず進んでるんだよ!~~~なんだよ!」とよくわからない説明早口で言われ、何かいけないことをやってしまったのはわかったが何がだめなのかは理解できないままで、その後も「何か野球には俺の知らないルールがいろいろあるようだ」とビクビク戸惑って、塁に出ないようにあえて空振りして終わらせたのだった。

 

なんで体育の球技、座学の説明なしでいきなりやらせるんだろうね。

みな俺と同じレベル幼稚園児なみの知識なら「打って、走って」だけで楽しめただろうけど、俺みたいな興味無し子供と、少年野球やってて知識プロ同等にある子供が一緒にやって成り立つわけねーじゃん。

体育教師ってあほなんだろうか。

あれから高校に至るまで、根本的な球技センスのなさ(運痴)もありずーっと体育の授業の集団競技が嫌で嫌で苦しんできた。体を動かすの自体は嫌いでなかったのでマラソン短距離走なら「今日の体育は当たりだ」と嬉しかったが、中高では体育全体が嫌いになってきた。

高校卒業して大学に入って一番うれしかったのが「もう体育の授業がない!」だったし、就職するとき一番心配だったのが「職場対抗○○大会がないか心配だなぁ」だったくらいだ。

学校の体育の授業がなければこれほど運動嫌いにならず、今もっと体を動かしてただろうなぁと思う。

体育嫌いのきっかけになった小学校野球の一件は40歳になった今でも人生10本指に入る嫌な思い出として残ってて、ホームベースの俺に向けられた友達たちの怒りと呆れの混じった表情はいまでも焼き付いてる。

 

今の体育の授業は改善されてるんだろうか?

子供幼稚園児で、運動センスの無さは遺伝してそうなので、学校の体育で俺みたいな苦しみを味あわないか心配だ。

2022-05-22

体育の話

中学校で体育の授業で初めてやる競技の前にルール説明レクチャーがあった。

短距離走フォームとか、ボールの投げ方や蹴り方、受け方とか。

その競技部活なりクラブなりでやっている子に言わせれば全然物足りないレベルらしいけど、ボールの回転がどうとかの話もあって結構面白かった。

ただ同じことを教わっても運動が苦手な子は話聞いてないのかなってぐらいできないままだった。

たぶん運動が苦手な人って動きをイメージすることか、イメージ通りに体を動かすことが苦手なんじゃないだろうか。

逆に見様見真似でできる子は説明を聞くとより上手くなるので格差が広がった気もする。

このへん理論的に教える方法があったら良いのにな。

素人考えでは体を自由に動かす練習って発育では大事なように思う。

でも私が出会った体育の先生理論を教えてくれて上手くできない時には相談に乗ってくれる良い先生だったけど、

そうじゃない先生に会っちゃうと嫌にもなるのもわかる。

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