2024-10-28

いつか、何者かになれると思っていた。

将来は何者かになれる。小さい頃、そう思っていた人もある程度いるんじゃなかろうか。

自分最近までその一人だった。というか実際には未だに何者かになりたいと思い続けているのかもしれない。

ただ、アラフォーにさしかかり、色々と思うところが出てきたため、自分の考えを取りとめもなく綴ってみようと思う。

まず、気付いたのは何者かになれない=不幸、ではないのかもしれないということ。

自分幸運にも同世代の2倍程度の収入があり、妻子や友人にも恵まれた。

仕事はある程度面白いし、キツい職場でもない。

実、義理ふくめた親兄弟との関係にも問題は無い。

お金があり、家族があり、遊びに使える時間もある。これを不幸と言っていたら怒られるだろう。

だが依然として自分自覚は何者でもない。

転職想像すれば分かりやすいが、自分しかできない仕事と言うもの基本的存在しない。

恋愛関係想像すれば分かりやすいが、かけがえのない人と言うもの基本的存在しない。もちろん

仕事にしても恋愛にしても、別れは悲しいが新しい適任者がいるものだ。

何物にもなれない自覚自己肯定感の低さ、というのも少し違うと思っている。

私は自分能力にはある程度自信があるし、基本的思想趣味含めた自分が好きだ。

だけど、自分は好きだけれども何者かにはなりたいのだ。

ではどうしたら満足なのか?と考えてみる。

例えば、起業して社長になり成功したら満足なのだろうか?

スポーツ日本代表になったら?

まり現実味がないか想像しにくいということもあるが、それでも恐らく満足はしないだろう。

結局どんな立場になろうと、今より収入が増える、慕ってくれるものが増える、顔が広くなる、と、既に持っているものがより強固になるだけに過ぎない。

結論として

あれ、もしかして私は、結局のところ人間全てが同一であると感じていて、それが嫌であるためにそこから抜け出したかったのか?

もしそうなら、私の認識ではそこから抜け出せた人物はいないので、きっと自分も抜け出せず何物にもなれないのだろう。

とすると私は一生この空虚感を抱えて生きていくのかな。

まぁそれも良いのかもしれない、人間なんてそんなものなのかも。

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