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2020-11-11

教育方面に身を置くものの雑感

来年から高校学習指導要領が変わる

学習指導要領が変わると学ぶ内容ややり方が変わるゆとり教育ぐらい変わる

最近では文春も週刊誌も黙って眺めているがかなり大きな変革である

今回の主題は「主体的対話的で深い学び」。お分かりになるだろうか?

主体的はわかる自分からやるということ

対話的というのは他の人との意見交換を経て自分の力にするということ。コミュ力

深い学び。よーわからんが、知識ネットワークかをしてエウレーカ!自分で様々なことから学びとること。

さて、そんな時代出世競争とはどんなもんだろーか?

この改訂は30年前の受験戦争学力偏重社会とは大きく離れて、

何が受けるかわからない時代。何がこの先生き残れるかわからない時代を生きていく力という点に重点を置かれている。

そんな時代出身大学出世が決まるなんてナンセンス。無論学閥は残っているので、学閥出身者の引き受けはありあえる。

入試も変わる。これから共通テストの点数のみならず口頭試問やグループワークも入試に加わる。

どんどん大学入社試験が降りてきている感じだが、そんな感じになるんだろう。

立身出世自分の頑張りである学力だけでなく、地域文化力、家庭の文化資本、学友の知的レベルにまで波及する恐ろしい時代なのである

この場合に、階層固定化というのはどう作用するのか?進学塾に行ける家庭は確かに強い。

金持ちがこれまで以上に階層の上部を席巻する社会になるのか?

はたまた、地域ぐるみ教育にあたる文教都市受験に強くなる「地域学力差」が生まれ、やはり東京のあたりが強くなるのか?

それはわからない。

私としては社会人材育成観点から行って、社会人になった人間が改めて自分の専門に近いユニバーシティカレッジに通いやすリカレントがしやす社会であって、再挑戦・リベンジを後押ししてくれる社会になれば、日本社会としての強度も保たれるものと思う。以上、論考終わり。

2020-11-09

アメリカ大統領から考える大金持ちと金持ちと貧困

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_hatakeyama/n/n5662ae20a1e9

上記記事を見ながら思ったのだけど、これは高等教育を受けたものけが富を得られるという構造がやはり大きい。

日本にもあるがアメリカ人種問題教育制度の仕組みもあってより深刻になってる感じがする。

日本でもアメリカでも教育は誰でも平等に受けれることになっており、勤勉に努力したものけが努力の結果の報酬として様々なメリットを受け取るのは資本主義的に正しい気はするし、インセンティブ管理としては妥当に思える。

この前提にたって「自分たちは勤勉であったか価値があるのだ。怠惰だったものもっと頑張れ」という主張は一見正しい。

このような人は所得の高い職に就き、お金持ちになるし何よりわが子の教育に再投資する。ゆえに正のフィードバックが回り経済格差固定化される。貧乏人は教育を受ける余裕もなければ教育大事という教育すら受けてないのだ。魚の釣り方ではなく魚そのもの必要状態では仕方がない。つまり自分たちが勤勉」という前提は必ずしも真ではなく「勤勉でいる事が容易な環境に生まれた」という本人には管理できない部分によるところも相当に大きい。もちろん「貧乏でも努力して。。。」みたいな例外はいるが例外例外である。その例外を受け入れる姿勢は良いことだと思うけど。成り上がるチャンスはあるが、成り上がるより引き継ぐ方がずっと簡単とう話。

これが財閥クラスの真の大金持ちだと100年後の安定を求めて社会全体の教育水準を上げることが地域の安定や経済的な富になると考え投資もするだろう。彼らは社会基盤が安定してればもはや稼げるのだ。ゆえに社会基盤を安定させることが経済的な基盤を保つための原則だ。

しか年収数百万だの一千万だの数千万と言ってる程度の中流階級小金持ちはそうではない。競争に勝たなければ経済基盤が安定しない。勤勉が価値の源泉だ。ゆえに自分たちの同僚のような勤勉な黒人権利を守るために働きかけるが、怠惰黒人がどうであろうと基本気にしない。勤勉でインセンティブが得られるという構造自分たち利益になるのでそこを守るために動いている。

まり黒人差別はしないが黒人白人貧困層(=怠惰な層)を差別する」。別に博愛主義者じゃないので勘違いしないでよね。

もちろん、そうでない人もいるがそれは単にその人の趣味だ。「人はパンによって生きるのではない」。そういった趣味とか信念とか信仰の結果でそういった行動をする人たちももちろんいるが、経済的メリットとか即物的ものじゃないので万人の行動原理にはなりづらいだろう。

自分所謂がり勉でもないし、受験戦争とは無縁で家族からも過度に勉強を強いられたことはないが、塾にも通わせてもらったし大学にも行くことができた。

父は時折「お前は次男から財産として渡せるのは教育だけだ」という事を言っていた。田舎兼業農家なので継ぐといっても大層なものは何も無いのだけど、少なくとも人材投資価値を信じていた言葉だと思う。

まあ、母は学校教師だし、父も大学ではないが農業専門学校を出たようなので当時の地元としては高等教育を受けていた可能性は高く、そのサイクルを肌身として知っていたのではないかろうか。そんな話をしたことはないが。

いずれにしても、この状況から自分価値感はかなり小金持ちよりだろう。実際、仕事してれば生きてける程度にはお金に困っていない。そういう感じで恩恵を受けている側なので50年、100年の未来問題が噴出するだろうが積極的改善するモチベーションが無いのも本当のところだ。人種によらず努力が実る環境は目指すが、努力しなくても何とかなる社会をそこまで目指してはいない。

現在格差拡大貴族平民大富豪奴隷、そういった近代的な価値観とは違いあえて言えば平民同士の格差の拡大だ。そういった点が今回のアメリカ大統領選でも見えた気がする

大富豪は別なレイヤー存在していて、どちらかとうとそちらの方が自分たちメリットのために平等底上げを目指していると思う。

構造的に政治の中枢というのはエリート、つまりここでいう金持ちが集まりやすいので抜本的な改善はクーデーターでも起こらない限り難しいのではないかな。。。

すでに富の再分配として日本でもアメリカでも高収入人間税金バカすか取られてるわけだし。たしか日本だと少なくとも年収年収890万円は無いと払った以上の公共サービスを受けてることになるみたいだし。まあ、実際は消費の担い手としての価値もあるから社会お荷物というのは言い過ぎだけど。

これを程度レベルじゃなく根本的に変えるにはそれこそ社会主義的なドラスティックな変更でもないと無理な気がするし、個人的にはそうはなってほしくないというのが本音である

2020-09-30

わかる。うちも奥さんがほぼ同じ傾向があるんだよ。

個別喧嘩の発端は…こちらに責があることもあれば向こうに責があることもあるし、最初自分我慢して済むならそれでもいいやと思ってたんだけど、やっぱり理不尽な怒りの暴発を難度も経験すると、徐々にこっちの自尊心が削れてくるし、不機嫌の徴候が見えるだけで心理的に身構えてしまうんだよね。無意識のうちに、相手地雷(どこに埋まってるかわからないんだけど)に触れないように立ち回るようになる。そうすると家庭が安心できる場でなくなってしまう。

もともと彼女自身にも、そういう感情的制御ができないことの自覚はあるし、直したいとも思っているんだけど、キレてる最中に「そういう言い方や態度はよくないよ」と意見しても耳に入らない。「どうせ全部私が悪いんでしょ」「はいはい、また私のせいなんだよね」となって会話を打ち切り、刺々しい振る舞い(ドタドタ歩いたりドアを閉めたりモノを乱暴に扱ったり)して、後には不機嫌な空気けが残る。これがなんともやるせない。一定時間が経って落ち着くと、何もなかったように振る舞うか、一応は「ごめんなさい」と言ったりもするんだけど、そういう殺伐とした感情って人の心を痛めつけるんで、お互い何もなかったように振る舞っていても、やっぱりこっちの心は無傷じゃなくて、刺されたり殴られたりした疼きが残る。たぶん相手の心も無傷じゃない。どっちにもいいことがない。

で、子供が生まれ物心がついてきたのを機に、お互いに真正からこの問題に向き合うことにした。子供が親の逆上や不機嫌に萎縮するようになったら誰にとっても不幸だ、というのはお互いの考えが一致していたので。

実はこの「子供との関係」というのが重要で、結論から言うと、彼女毒親母親)に非常に悪い育てられ方をしてきたことが全ての起点になっていた。母親自分から見ての義母は、幼い頃の彼女を蹴ったり殴ったりした。氷点下に近い納戸に数時間閉じ込めるという身体虐待もあったし、ネグレクト罵倒もあった。理由は、折り合いの悪い義祖母に顔立ちが似ていたから、ということもあったようだし、良家同士の見合い婚で専業主婦になった自分にとって「育児成功させ、娘は良家に嫁がせる」ということが唯一かつ至上の役割になっていたこともあったようだ。それほど受験戦争が激しくない地方にあって小さい頃から娘に複数の塾や家庭教師をつけ、成績が思うように伸びなければ「あんたはなんでできないの」「私が恥をかく」と詰め、娘の夏休み自由課題が賞をもらった翌年からは、傾向と対策を踏まえて母親課題制作し、受賞すればそれを周囲に誇るようになった。義母にとって娘は自己付属物であり、自分能力努力を表示する成果物だった。これは娘側の一方的証言ではなく、義母本人がそのことを問い詰められて(娘以上に感情的に)キレたり、逆に緘黙する状況を自分も見ているので、嘘や極端な誇張はないと思う。

そういう母親との間で育った娘である奥さんは、根本のところで自己肯定感がとてつもなく低く、「自分には価値がない」という強迫観念に苛まれていた。彼女は親元から離れたあと、亡父の尽力もあって学歴にはやや不相応な金融総合職につくことができ、廻りの高学歴人達に揉まれながらも持ち前の根性で「コネ入社腰掛けさん」に留まらない営業成果を出し、職場でも多くの同僚に認められるようになった。でも、これは見方を変えると「自分が無価値人間ではない」ということを自らアウトプットや業績評価によって証明し続けなければいけなかったからそうしていたわけで、その「頑張り」は結局は不安強迫観念によってドライブされてたんだよね。背景にそういう動機があって「頑張り続けなければいけない」人がどうなるかというと、最後メンタルヘルスを崩し、拒食症になり、自己都合で退職した。つらい。

その後いろいろあって彼女自分結婚したんだけど、お互いに落ち着いている時に(感情的チャージされてない状況で)この課題について話し合い、時にはネット情報心理学書籍なども参照しながら考えるなかで、激昂の背後にあるのは自己肯定感のなさだということが見えてきた。彼女は成長の過程で「人間能力や実績によってだけ認められるわけではなく、ただ人間であるだけで価値がある」という確信を得てこなかった。母親から与えられたのは条件付きの愛で、条件を満たさなければ存在自体否定された。だから「認められるために頑張る」という所作が身についた。

頑張りの中には「社会的に認められる人格を演じる」ということも入っているから、ソーシャルマナーちゃん実践できる。人当たりはよく、好感度も高い。しかしそれはあくまで「舞台」に立って「頑張り」を発揮して評価を獲得しなければならない状況での話で、身内にはこのルール適用されない。だから親族家族の中に(彼女基準で見て)頑張っていない人(例:私はこんなに頑張ってるのに、あなたは)、彼女の頑張りを認めてくれない人、彼女の頑張りの成果をスポイルする人(例:頑張って片付けたのにまた散らかして)に対しては、時に制御の効かない怒りを感じ、苛烈言葉や行動を直接ぶつけてしまう。自己肯定感が低いから、他者を無条件に肯定できない。自分に課した高いハードルと同じ評価基準相手にも課し、それを満たさな相手を詰る。そういうメカニズムがあるみたいだった。

ついでに言うと、彼女母親にとっては娘自身が「彼女の頑張りをスポイルする人」(一生懸命教育してるのに成果を出さずに「私に恥をかかせる」から)だったので、娘に対してそうした精神身体DVを繰り返していたわけだ。自己肯定感の欠如と感情コントロール欠如という点では似たもの同士だった母親彼女との喧嘩は、ちょっとした言葉尻の棘を捉えて相手を強く咎める(「それどういう意味?」とか「あなたはいっつもそう!」とか)の繰り返しで、なんでもないやりとりがあっという間に激しい罵倒応酬エスカレートしたりする。まさしく言葉の刃で刺し合うがごとくで、たまたまその場に居合わせ自分もぐったりと疲弊し、時にはあまりの情けなさに泣くこともあった。

ともあれ、我々2人は「こんなことが当たり前ではいけない、子供をこういう『こじれ』に巻き込まないようにしよう」ということをスタートにして、まず彼女母親との関係は明らかに機能不全に陥っていること、彼女母親過去も今も彼女自尊感情を蝕んでいること、自尊感情の乏しさが他者への非寛容や感情制御の困難につながっていること、自分母親承認/不承認にかかわらず価値のある人間だし、他人もそうだということなどをひとつひとつ確認していった。彼女最初は「母親はもしかしたら毒親だったのかも」程度の認識だったのが、あまりにも定型的な虐待パターンのど真ん中に自分いたことを知り、自分感情コントロールの難しさが個人資質というより関係病理に起因していることを学んだ。そうすることで、母親との関係も1:1の差しかいではなく、その関係自体第三者として見る視点を手に入れた。自分はそのとき情報考察の手伝いはしたけど、結局それは彼女自身自己探究の道のりだった。

それでどうなったかといえば、状況は明らかに良くなっている。奥さんアンガーマネジメントを少しずつ理解し、実践している。実際にキレる回数は格段に減った。キレてしまった時はそのままにせず、すぐ言葉にして反省するようになった。YOUランゲージを控え、Iランゲージを使って自分希望意志を率直に伝えられるようになった。母親とのやりとりもベタ足の殴り合いをするのではなく、だんだんと「所詮他人しかない、母親とのやりとりで感情的に消耗したくない」という感覚を持てるようになってきている。無駄に険悪になることもないが、母親から近しくしなければいけないという「演技」からちょっと解放された。やっぱり根本的な原因や構造が見えてきたことで、本人の物事の捉え方も変わってくるんだと思う。

…というわけで、うちの場合子供ができた結果、徐々に状況がよくなってきたんだけど、これ「子供が生まれたから良くなった」じゃなくて「子供いるから良くしないといけない」という問題意識を両方が持ったからだと思っている。逆に言えば、元増田場合子供ができなくたって「この状況を放置するのは2人の心理的安全性にとって良くない、2人の関係健康を損ねる」という意識で話し合うことができれば、だんだん建設的な方向に向かえるかもしれないよ。

さっきも書いたけど、うちの場合は、彼女病理というより関係病理だった。だから時間はかかったけど、こじれた関係を解きほぐすことが解決の糸口になった。元増田奥さんが同じかどうかわからないけど、参考になったらうれしい。お互いがんばろう。

anond:20200928211140

2020-09-28

東京学歴社会という異文化にショックを受けた思い出

10年以上は前の話。

田舎出身。都会に憧れがあったので、首都圏の難関ではない某国公立大を志望した。当時の自分学力に合っていて、希望する学科があるのがそこだった。田舎の県立高校で地道に勉強し、受験し、合格した。他の大学のことはよく知らなかった。国立単願だったし、元から偏差値が合わない大学は眼中になかったので。俺はただ憧れの大学に通えることが誇らしく、新生活に胸を躍らせていた……

4月。新入生オリエンテーションが終わり、同じ学科の数人で集まって話していたときのことだと思う。経緯は忘れたが、同級生の1人が「こんなBランク大学」と言ったのだ。「本当はこんな所に来るはずじゃなかった」「俺の同級生には東大生がたくさんいる」と。(今考えるとFランではなくCランでもなく「Bラン」をチョイスしたところに彼の葛藤が伺える)

それを聞いてとてもショックだった。なぜかは分からなかったが、ものすごくショックだった。地道に勉強して、希望どおりの大学に入ったのに、目の前のこの人はそうではないんだと。当時は学歴コンプレックスというもの存在がよくわからなかった。ただ、全く違う価値観で生きてきた人なんだということは感じた。まさに異文化との遭遇。田舎高校にも、難関大学を志望したりそれで不合格だった同級生はいたが、それとは違う何かを感じた。

それからしばらく経って、大学の同期の中にも「中高一貫進学校出身者が多くいることに気づいた。そこは田舎の県立普通高校とは全く違う何かであるようだった(今だによくわからない)。また、関東出身同級生たちは殆ど皆、受験予備校に通っていた。河合塾とか駿台予備校とか。都会出身同級生たちは受験戦争の荒波に揉まれまくった生き残り(または、当人感覚では敗残兵)だったらしい。東大とかナントカ難関大学とかの高みを目指し、そこにたどり着いた、またはたどり着かなかった、妥協して腰を落ち着けた…。マジかよ。田舎価値観と違いすぎるだろ。そら学歴コンプにもなるわ。子供のうちからそんな生活してたら心が荒むに決まってるじゃん。

とくにオチもないんだけど、このことは何故かふとした時に何度も思い出すし、地域間格差とか、学習機会の均等とか、受験戦争の過酷さとかなんかそんな話題が出るたびにジワーっと思い出してモヤモヤするので吐き出したかった。

※ちなみに件のBランの彼はその後就活成功、誰もが知ってる超一流企業就職したそうです。よかったね

2020-08-28

学歴(勉強できた)自慢がご法度であるつの理由

学歴アレルギー

この前ツイッター

「なんで運動や他の特技はアピールしても、それほど嫉妬されないのに、学歴だけ妙にみんな過敏に反応するんだろう」と

つぶやいていた御仁がいた

言いたいことはわからんでもない。

でも、学歴を他のスキルと同等に扱えないのはそれなりに明確な理由がある。

学力試験は全国民参加の強制レース

2019年大学進学率は53.7%。

全入時代で、定員割れしてる大学も多いから、全員がガチ勉強して進学する訳でもない。

それでも中卒・高卒・専門卒・大卒(四年制・短期)・院卒と、基本的に誰もがどこまでの教育を受けたか区分けされる。

勿論、大卒の中でも、というより大卒の中でこそ、旧帝早慶駅弁March(最近Smartなんだっけ?)・日東駒専なんやらかんやらと、細かいヒエラルキーというか、序列意識存在する。

そりゃ、義務教育高等教育期間と、正味12年(以上)かけた上でのレース結果である

ある意味しょうがないって言えばしょうがない。

でもこれだとある意味、全員に"学歴"という属性強制付与されてるようなものだ(非常に気持ち悪い表現だが)。

シグナル(フィルタリング)としての学歴

紙切れ一枚に夢託す

サインコサインなんになる

受験戦争過熱していた受験生ブルースの一節だが

実際、紙切れ一枚で頭の良し悪しなんて、簡単判別できるものではない。

そんなの、みんなわかりきっている。

わかりきってるし、学歴信仰偏差値信奉者は一般的にはクソダサいので、学歴で頭の良さが決まるなんて、皆さん口に出して言わない。

でも、実際の所はどうだろう?有名企業就職率は技術職の理系ならまだしも、文系でも明らかに全体のうん%しかいない一定以上の高偏差値層で固められている。

場合によっては、就職後の研修まで大学ランク別に分けられている。なんだよ、企業なのに、予備校と一緒かよ。という感想である

もちろん、これにもある程度はちゃんとした理由はある。

学歴=頭の良さではないが、高学歴の方が勤勉性が高かったり、論理的な(座学的な)思考能力が高かったり、まあそれらを測るシグナルとしてはそれなりに信頼性は高いわけだ。

人間外見より中身のが大事だが、これだけ肥大化した社会ではそこまで丁寧に中身を見ることはできないので、大数の法則的に学歴を足きりの条件として使わざるを得ない。

これだけでも、お勉強できましたアピールは、運動できた、楽器弾けますという類のアピールとは、殊更性質が違うことはお解り頂けたであろう。

(優秀で高学歴増田諸氏からはわかりきったことほざくんじゃねーよ、と切れ味鋭いツッコミが返って来そうであるが)

そして学歴コンプレックス非情に拗らせやすいのは、加えてややこしい要因があと二点程挙げられるからである

人生の早期における進路決定

増田のような過ごした田舎公立校では、若くて楽しい青春時代に、机に齧りつくのはダサいと考え、学業に重点を置かなかった層も一定数(というかかなり)いる。

就職やその後、たかテストの点数でこうも扱いが違うの?阿呆じゃね?ということを痛感したときには既に遅いのだ。

もう少しだけ、勉強にステ振り分けてれば、後の人生もっと楽だったのに。妥協して滑り止めに入るべきではなかった。

そうした意識学歴コンプをよりややこしくする。

働きながら、資格を取ったり、通信などを含めて学び直すことも可能ではある。

が、正直それは、学業に集中することが許された時期に比べると、かなり余裕を持つことが難しいと言わざるを得ない。

特に通常の大学進学なら、合格後も4年間まるまる勉強に専念することになる。

結婚育児職場責任あるポジションを任されると言った事情があれば、尚の事これは難しい。

④家庭環境出身地などにおける格差

そして、学歴の獲得は所得の再分配、などと言われながらも、

なんだかんだで家庭環境出身地など他のデリケート要素が絡んでくるからである

文科大臣が新受験制度における教育格差について指摘されたときに、「身の丈発言」で物議を醸したこと記憶に新しいだろう。

だが、失言だったには違いないが、家庭環境及びその収入、或いは予備校進学校の多い都市圏で暮らすか否か

これが学力に大きく影響するのは残念ながら事実なのである

都市圏に多い私学の中高一貫校は、難しい試験を課して入学者を選別する。

その試験突破するにもやはりある程度家計に余裕がなければ、合格は厳しいだろう。

そしてレベルの高い生徒が集まる環境で、難関大学合格目標に塾や学校で、合理的で進度の早いカリキュラムが組まれる。

無論、地方だろうが、世帯収入が低かろうが、ストイック学習に励むことは可能だし、賢い子どもは幾らでもいる。

だが、都市圏でかつ富裕層の方がそれだけ選択肢に恵まれている。この点は否定のできない事実である

そして、何よりデリケート問題なのが、やはり不向きな人はそれなりにいる、という点だろう。

ケーキが切れない非行少年たち」という児童精神科医が書いた本が話題になったが、

境界知能と呼ばれる、IQ70〜84の知的障がいに該当しない人の割合は実は人口の約14%に当たると言われている。

IQ学力相関性は、増田は実際のところ門外漢なので、少し言いづらい部分もあるが、スポーツがどうしても苦手なタイプがいるように

勉強がどうしても苦手だという人もそれなりにはいるような気がする(公立小中で過ごした時期を振り返って)。

増田スポーツがどうしても苦手だが、かろうじて学業だけは人並の成績ぐらいはおさめられた。

スポーツが苦手なのは子供の頃からコンプレックスだが、歳を重ねれば、学生の時に比べ、そう比較には出されない。

勉強だって基本的にそうだ。だが、別に努力しなかったわけでもなく(あるいは努力する機会がなかったために)、勉強が不得手であった人に

そうしたコンプの瘡蓋を刺激するようなことをすれば、話がややこしくなるのは当然である

加えて、社会的な記号として、長い期間付いて回る問題でもあるから、二重にややこしく、なるべく人と比較しない方が無難話題である

2020-08-12

ひでえ人生のやつが結婚できた途端に生殖する現象

「縁あって」「幸運にも」愛する人出会い苦しくて死にたいとも思うような人生から抜け出せたような気がする←わかる、お幸せにね!

よし子供を作るぞ!←??????

 

お前の子供も苦しい人生を送る可能性が高いだろ!お前30年間何を学んできたんだ?喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうけど、さすがに鳥頭すぎませんかね。

お前がこれまでに感じてきた苦しさ、この世への絶望、死んでしまいたいという気持ちはなんだったんだよ。生殖本能にそんなに簡単に負けてアッサリ子供を作る方に行ってしまうことに恥ずかしさは覚えないのか?

お前の子供はお前が感じたような絶望を感じないと思うのか?受験戦争就活労働黄金コンボを受けてもまったく人生がイヤになったりしない社会適合者が産まれるに違いないと思ってるのか?産まれたらいいねえ!

多分そうはいかねえぞ。家庭環境がショボいんならもはや本人の資質に期待するしかないが、ショボい環境から人生謳歌できるやつが産まれ可能性なんてごく低いだろ。お前と同じように死にたい死にたいなぜ産まれないといけなかったんだと思いながら生きていくようになる可能性の方がよっぽど高い。

お前みたいに「縁」があればいいが、それが「幸運」にすぎないというのはお前も認めるところなはずだ。生涯未婚率なんて今の時点で2割もあるわけで、今後上がりこそすれ下りはするまいから、お前の子供はけっこうな確率で生涯未婚になる。

なんの意味もなくて何も残せなくても暮らしのものが楽しければいいよな。俺もそう思うんだけど、正直そんな世の中になるビジョンは見えないよ。機械技術いくら発展してもそれで楽になるのは資本家階層だけ、「人間機械より安い労働力」になることはあっても労働から解放されることはないんじゃないかと思う。これは被害妄想的な考えだけど、たぶん金持ちは踏み付けにできる人間が欲しいんじゃないかな。みんながみんな働きもしないで趣味エンジョイして楽しく生きる世の中じゃ階級にもあんまり意味がないじゃない。だから、下の階級のやつにまで楽しみを与えるようなことはしない。意味のない仕事を延々やらせ続けて苦痛を与え続け、それを見ることで自分幸せを実感する、そういう構造社会しかならないんじゃねえか。

ダメだよこの世は。お前はそれを知っていたはずなのに愚かにもチンポに支配されて可哀想子供を生み出してしまった。最悪だよ。

まあ人間いろいろだし、逆境に負けず「生きてて楽しい!」なんて言うガキが生まれてくる可能だってゼロじゃないけどな。本当にそうなるといいよな。お前が子供から「産んでくれなんて頼んでない!」って言われて落ち込むのは因果応報だし別にどうでもいいんだけど、そんなことを言わないといけない子供純粋にかわいそうだ。

賭けに勝てるといいなあ。俺は可哀想存在一方的に生み出す可能性がある賭けをしたって時点でお前を心底から軽蔑するけどな。

2020-06-16

パートナーと育った環境が違う

しょうがないことなんだけど,真面目な話をしていると彼女の言っていることに違和感を感じて辛い.彼女受験戦争とは無縁の世界で生きてきた人で,高校大学も近所の言っては悪いがあまり偏差値の高くないところに通っている.彼女とはマッチングアプリで知り合って,最初のうちはなかなか理知的な素敵な人だなと思ってた.ただ,真面目な話 (特に喧嘩になった時など) をしているときにたびたび「それは違うのではないか?」と思うことが増えてきた.十分に他者批判に晒されたことがないみたいで,なんと言うか考え方にちょっと違和感がある.ちょっと真面目に批判してみたりするんだけど,そうすると人格否定されたと感じるようで酷く傷つけてしまった.「幼児英才教育を受けてきた人」に以前酷い目に合わされたようで,本来はそう言う人を毛嫌いしているみたい.批判意識の強い人の攻撃性をただ「悪いもの」としか考えていないようだ.確かに妙に凶暴な人がいて困ったものではあるんだけど.時にはその凶暴さも必要である理解していない.言っていること,友達SNSで話していること,がなんと言うかぼくには理解できない価値観でぼくの周りにはこう言う人はいなかったなあと思うばかり.恋愛関係であれば「浮気」について過度に恐れていたり,「匂わせ」とか「略奪」とかなんだか遠い世界のことを教えてくれる.ツイッターの背景画像お気に入りのご年配の教授写真だったり.勉強の仕方,特に物事の奥深さを知らないような発言をしていたり.なんなんだろうなあこのズレは.まあぼくがいろいろ教えてあげればいいのかと思ってはいる.

2020-06-14

anond:20200614155057

おお、マジだ。

なぜ現状がそうなっているかの答えは、「指導要領がそうなっているから」だけど。

じゃあ何で指導要領がそうなっているかは、分からない。

個人的妄想だが、昔はたぶんバランス取れてたんじゃなかろうか?

受験戦争生きる力だなんだ言われて、数学時間が削られて、

物理(理科)はもともとコマ数が少なかったこともありそのままで済んだが、

算数/数学カリキュラムが後ろに延ばされたのではなかろうか?

2020-05-24

メチャクチャ嫌いな漫画を読んだ

http://to-ti.in/product/kashikokute_yukiaru_kodomo

かしこくて勇気ある子ども

無料公開されてるから簡単に読める

 

出産を控えた夫婦テンション上がって「自分たちの子を"かしこくて勇気ある子ども"に育てよう」って盛り上がるんだけど、その"かしこくて勇気ある子ども"の代表格として見ていたマララ・ユスフザイさんが銃撃されたのを見て混乱してしまう…みたいな話

 

この話にはなんというかマジで親のエゴしか感じない いや、人間なんて完全にエゴで動いてるわけだしそこを咎めるのはナイーブすぎると思うんだけど、やっぱり「人の親」になる以上は多少の利他性みたいなものを持っててほしいんだよな 

自分たち理想の子供が理不尽に襲撃されて死ぬのは嫌!っていうのは分かるんだけど、じゃあ自分たちの子供が受験戦争+40年のハード労働に確実に苦しんで、病気とか事故死ぬってことについてはどう思ってんだろう

人生に苦しみはつきものだし、特にこの新自由主義の世の中やる気がない人間に生まれつくと本当に一生ただただ苦しくてつらいだけって感じで、「かしこくて勇気ある」ことなんて求められちゃあマジでやってられないと思うんだけどな

この世に勝手に産み落とした存在に対して「かしこくて勇気ある」ことを求めることそのものが相当(下手したら銃撃より)暴力的じゃないか

 

この漫画わりと共感を得てるらしくて俺はそれが本当に怖い みんなやる気をたっぷり持って生まれてきて楽しく生きてるからまれつきのクズ存在なんて視界に入らないんだろうな

いっそ大戦争でも起きて、誰も子供なんて産んでられない世の中になってほしいよ

2020-05-13

anond:20200513125050

自習期間にひまかどうかって、受験戦争みたいな話だな

勉強してりゃいいってもんじゃないし、息抜きばっかりでもだめ

おわってんだけどよ 俺の場合は まちがえちゃったからさ 人生選択

2020-04-11

anond:20200411021221

ロスジェネと同じくらいかわいそうだと思う

ロスジェネは目の前でバブルが消え去り、

団塊世代子供産みすぎたせいで学校枠が足りず受験戦争

就活が始まれ不景気でまともな就職できず

払った税金は全部親世代(今の老害)に吸い取られ

今、コロナ禍のこどもら支えようにも

まともに就職できなかったから金がない

2020-03-05

いま産まれいか

最近あったいいこと」として来週第一子が産まれるってブコメがあって、大量にスターがついてた

まあそりゃ親にとってはいいことだろうけど、子にとってはどうなんだろうな

現代に産まれるのって嫌じゃね?気質次第って言ってしまえばそうなんだけど、体感的に周りの人間の8割以上が「人生は厳しい」「生きるのは大変」みたいなこと言ってる

だって物心ついたら勉強が始まって、嫌になっちゃう人も結構いるような受験戦争やらされて、それが終わったら自殺者が出るような就活、そこから先は週40時間以上の労働が45年間、心身が不調になったところで解放されるけど老い先は短いしヘタに長くてもボケて煙たがられる

楽しいイベントを作ることはできるんだろうけどなんつうか根本の部分が苦痛すぎる 特に45年間週5以上で実質10時間とか働かないといけないのがヤバイ

俺は絶対こんな世に子供を産みたくない、送り出したくない 彼女暖かい家庭を築いたら楽しいだろうしそうしたいけど、それより俺のエゴで大変な人生を送らないといけなくなる子供への憐憫の方が勝つ

いま子供作る人って何考えてるんだ?俺の親世代の時点でも十分何考えてるんだ感はあったけど、今の方がもっと強い 子供も減って社会は先細りしていくばっかりに見えるんだけどな

シンギュラリティとかベーシックインカムとかそういうのを信じてる?人生につらさを感じたことがない?何も考えてない?

2020-02-21

anond:20200221084850

言えねえよ。

必死努力して這い上がってきた世代だし、かと言って子供を一生養えるほどの収入からは程遠い人がほとんどだから

子供にも同じ事求める人多数。

受験戦争とか教育ママとかが生まれたのも高度成長期だし。

2020-01-20

80歳男性とは

1940年昭和15年)生まれ

戦争中の生まれだね。

多分親戚縁者の中には戦争に行って亡くなった人、

空襲で亡くなった人、

成人するまでに病気なりなんなりで亡くなった人がいる。

物心ついた頃に終戦

小学校は新制かな。

流石に墨塗り教科書ではないだろうけれど、

教師戦時中教育を受け軍国主義を叩き込まれてたのに戦争が終わってGHQによってそれまでの価値観すべてを否定された人たち。

もう教育勅語は教えてはならん。

但しせっかく教育した子どもたちを戦争に送り出さないと非国民扱いされる恐れがなくなりホッとはしてるのかもしれない。

そんな人たちに教育される。

家に帰ったら食べ物はない。

焼け野原などに勝手に作った畑で家族総出で作った野菜闇市着物と交換してきたお米ばかり食べて成長する。

遊びといったらお金持ちの家ならおもちゃも多少あっただろうけれど、

貧乏育ちなら自分で作っていた可能性もある。

貧乏の子沢山。

兄弟にも食べ物を分け与えなくちゃならないからいつでもひもじい思いをしている。

ただもう空襲は無いか防空壕に駆け込む必要もなければ、

人が焼け死ぬとき臭いももう嗅がなくていい。

ただそこらに落ちている不発弾を小さくて何もわからいから触ってしまって死んでしまう近所の子はいたかもしれない。

とにかく国には何もない。

外貨がない。

海外旅行許可されていないどころか、明日生きていくためのお金もない。

進駐軍を見たらギブミーチョコレート

ただ活気はあるし人でも足りないから、戦争を生き残れた壮健な父親の働き口ならいくらでもある。

父親戦争から帰ってこなかった家ならお母さんは働き口に困ったかもしれない。

それでもなんとか仕事を選ぶことはできないけれどそれでもやっとこさ見つけた仕事をこなして帰ってくる。

帰ってきたら畑、食事洋裁子育て

父親場合仕事の後は軍隊式の上下関係が残っているか飲み会に誘われたら飲めなくても参加しないわけにはいかない。

そんな家族に育てられるので、ちゃんとした家庭教育なんて受けられない。

でも職場が近いおじさんや専業主婦のおばちゃん

近所のお兄ちゃんお姉ちゃんたちにずっとかまってもらったりして日が暮れるまで外で遊ぶ。

生き残ったお年寄りが親代わりなこともある。

小学校を終えるのは1957年昭和32年)。

新制中学に通うことになる。

多分義務教育が長くなったことで家族からちゃごちゃ言われてる。

中学制服貧富の差がつかないから歓迎だが、

その高額な費用はどこから出すんだって話でまた親から嫌な顔をされる。

しかしたら近所の人やお兄ちゃんからお下がり我慢させられたかもしれない。

でも世の中活気が出てきたから将来には希望を持てるだろう。

中学卒業1960年昭和35年)。

この時代高等教育を受けられるのはお金持ちの家の子だけ。

金の卵だなんだと煽てられ集団就職列車上京

就職先は学校斡旋してくれたところなので文句は言えない。

世は高度経済成長

中卒でもなんとか頑張れば給料がもらえる。

結婚しない選択はない。

結婚して初めて一年前として認められるので、

上司見合いをセッティングしたら断れない。

よほど気に入らないのでなければ所帯を持った。

何事も我慢である

所帯を持ってしばらくすればなんとか関係も安定させられる。

子供戦争人口が減ったのだから増やさないといけないから嫌でも作る。

何事も我慢である

大事ことなのでもう一回言った。

子供には自分と同じ苦労をさせたくない。

から自分我慢しても子供には高学歴を!

どこの家も子沢山だから受験戦争である

経済的に余裕が出来てきたから、

子供には自分経験できなかったことをすべてやらせてやりたいので、

塾も行きたがるだけ行かせてやる。

自分が本当はやりたかたことだというのは言いたいけれど言えやしない。

そのうちに子供が反発し始める。

反抗期である

自分反抗期の頃はもう就職していたか自由に物を言うのもわかるが、

(実際には職場自由発言なんてできていない)

お前はまだ親のすねをかじっているのに何を言うのか?

若者の言っていることがわからない。

自分自分たちはどこで間違ってしまったのか?

おしん並感)

それでも学歴で苦労させるわけにはいかないから、

せっせと働いて大学まで出してやる。

自分も50代前半、55になったら定年退職だ。

同僚は定年までに成人病で何人か死んだ。

もののない時代に食べられなかったものを食べすぎたといえばそうだが、

企業戦士として働き詰めでようやく楽ができるようになるというのに、

定年前に死んじまうとはな…

俺もあと何年生きられるのかわからんが、

せっかく平和な世の中になったのだし、

生きられる限りは頑張りたいものだ。

それなのに、このタイミング不況だと!?

部下の首を切れというのか…

みんな真面目に働いてきた奴らだぞ…

なんで首を切らねばならんのだ…

労組は何をしているんだ!

選挙労働者意見を聞いてくれる者に票を入れねば…

孫は可愛い

の子等にも平和な世の中にせねば…

もう二度と戦争なんて嫌だ…

ん?なんだ?

老害』とは何のことだ?

俺たちのことを言うのか…!

平和勉強自由にできて欲しいものも買える世の中に生きているのに、

まだ足りないというのか!

若者の言っている言葉がもう何もわからん

時代が変わったというが、

誰が変えてきたというんだ!

今は若くて何でもできるだろうが、

人生は短い、

お前だっていつか年を取るんだぞ!

年を取れるんだぞ!

そこまで生きていたくてもできなかった者たちのことも考えたことがないのか!

今どきの若者は何を考えているんだ!

以上戦中派の親からいたことなどをもとに想像した仮想の80歳の男性人生ですが、

世代ごとに苦労する内容が変わるだけで、

どの世代も皆苦労はしていると思います

できる限り各世代他者意見も聞いて、

お互い理解を深められたらいいと思います

まあ誰だって余裕がないときにはそこまで考えられないでしょうけれどね。

それでも心のどこかで相手意見を聞けたら、

また自分の考えも伝えられたら、

という思いをほんの少し持てたら素敵だとは思います

世代の皆さん、どう思いますか?

2020-01-05

anond:20200104152006

最初怖〜!って思ったけどなんかいろんなことを考えさせられる文章だった

この人が言いたいと思われることを本文とブコメへの返信をざっと読んで要約すると、

母親の"産んでやったんだから感謝しろ"という態度を皮切りに、今後永遠に続く社会奴隷生産し続ける人間の営みに怒りを抱くようになってしまった、という感じ?

色々と人間経済的に、社会的に、などなどいろんな面で成長して、結果的未来永劫女の生理現象を利用した社会構造が生まれちゃった、加えて受験戦争だの就活のしんどいことも増えちゃった

もうこれに関しては気付いてしまったけども諦めて生きていくしかないと思います

それかめちゃくちゃ発展途上の国に行くとか…まあこれは聞き流して下さい、なんにせよ今のこの国はそういう感じに回っちゃってるのでもうしゃーない

あとそもそも母親への私怨に関して個人的に気になった点

そもそも物事というのはいろんな要素を含んでいるものなので、ある要素だけを取り出して大仰に議論するっていうのはあんまり良くないのではないかなぁ

育児も、例に挙げてるような風邪とかそういうアクシデントのような負の側面ももちろんあるけど

子の成長が見れたり、子供きっかけでいろんな楽しい思い出が増えたり、そういうプラスな面もあるからなんとか育児をやりつないでいられているのではないかな?

まあとにかく、そんなダメな面ばっかり強調しちゃいか

あとその自分母親意見というn=1から発展して育児すんなとか、母親はクソだとか一般化すんのは無理なのでは

最後にこれは最近思っていることなのですが

死ぬほど勉強しなきゃならないも、就活しなきゃならないも全部誰かに植え付けられた妄想しかないと、思うよ

本来人生にはmust doは用意されてない

ほかの生物同様、結果生きてるだけであり、やるべきこともやりたいこともぜーんぶ知性を下手に持ってしまった人間の気のせいか思い込み

から今、自分母親がクソだと思うことも、それに反抗し始めていくのも、それが自分にとって好きなように選んで生きていられるのであればヨシ!ってことにしておけば、もう少し楽になれるかもね

読んでみて、なんとなく哲学勉強してみたくなる増田だった

自分は頭が使い慣れてないからめちゃくちゃ一般的なことしか言えない人間からとりあえずこんくらい思いの丈をぶつける練習をしていきたい

2019-12-22

本を読むことが年収に繋がるという妄想

この幻想を持っている人って非技能職の人が多いよね

そら、本読んでるアピや読まなきゃアピだけしてExcel仕事術みたいな人よりは

知識溜め込んで使う技能職の人の方が年収は高くなる傾向はあろうけど

世の中、物作る人よりも基礎理論を構築する人よりもウェーイってやってる連中のが年収なのは皆さまご存知のところでしょう?

本を読む/読まなきゃアピやってる人たちって育ちによっては受験戦争はしたかもだが

それ以外の場面においてはウェーイだけで乗り切ってきたはずなのに今更どうしたんだろうって思う

年取って太鼓打叩く腕も鈍ったのか?

2019-09-19

人類総鬼邪高時代が来た

10/4公開HiGH&LOW THE WORST(以降ザワ)のネタバレを含みます

※言いたいことが1つなので割と短いです

昨日ザワを見た。

ストーリーもうまかったし画の作り方も天才的、アクションも超進化していて素晴らしい映画でしたね。なんだあの攻城戦

今回の映画は色んな登場人物が色んなカッコいいセリフをキメていてすごくよかったのですが、個人的ベストは誠司のセリフです。

鬼邪高の楓士雄(主人公格の一人です)の幼馴染の誠司は、進学校在学で成績優秀も優秀。そんな彼が先生から「お前も鬼邪高生みたいなクズとつるむのはやめろ」と言われてキレるシーンが非常に良かった(突然優等生がキレだすとめちゃくちゃ面白いというのもありますが)。

かいところはあやふやですが、「スーパーに並ぶキュウリは、人の手で真っ直ぐにされているから綺麗に見える。でもアイツらはそれを拒んでいる、だから自然に元気に曲がっているだけだ!」という旨の発言をするんですね。映画冒頭で幼馴染みんなで曲がったキュウリをおいしいおいしいと食べるシーンがあり、なるほど上手な伏線だなあと見ていたわけですよ。問題はその後です(※例のごとく記憶あやふやなのでニュアンスを感じてください)。

「……安心してください先生、俺は誰よりも真っ直ぐなキュウリになって、スーパーで誰よりも高く売れてやります

この思想……鬼邪高だ!!

分かりましたか? 「拳一つで成り上がる」鬼邪高の思想のものなんですよ。理論拡張が起こっている。能力拡大解釈大好き。

ザムのラストヤマト母も言っていた通り、人それぞれ色んな場所で戦って生きています。鬼邪高はストレート喧嘩だし、受験戦争であれば知能による戦いだし。

誠司のセリフはまさしくそ覚悟、その思想を言っているわけですよ。自分の「拳」でそれぞれの「テッペン」を目指しているみんな、俺たち私たちはみんな鬼邪高生なんだよ!!! 人類総鬼邪高時代来た!!!

今回の映画は鬼邪高や鳳仙といった不良連中だけを肯定する映画ではない、あるいは勉強に励む連中を馬鹿にする映画でもない、男も女も関係ない、それぞれの世界で「戦う」みんなを強く強く応援する映画でした。ありがとうハイロー! ありがとうクローズありがとう鬼邪高!

2019-09-18

なぜSFは衰退したのか、あるいは、SF警察はなんでSF警察行為をやめられ

SFマニア流行ってるオタクコンテンツ特攻して噛みつくたびに炎上するネット世界。僕ら世代には「またかよ!」って感じなんですが、世代交代による認識の変化で、SF警察がなにに怒ってるのか? とか、あれもこれもSFなのに、なんでSF衰退とか言っちゃってんのか?

とか理解不能に陥ってる方も続出している模様。

そんなわけで、過去を知る者として、ちょっとまとめてみました。

おおむね私怨たっぷり回顧録みたいなもんです。

ただ、だいぶ背景をさっぴいてます

受験戦争の加熱とから、今よりさらにひどい男性中心主義社会である昭和日本での負け組男子化への怯えとか。

今でもその名残はありますが、かつて、オタクというものヒエラルキーによる特権意識を良しとする人の集まりでした。

全員ではないとは思うけど、なんかそう言う感じのが台頭してました。

オタク教養』をたっぷり学んだオタクエリートがクールで良しとされたのですが、これもまた、今でもその名残はあります

クールジャパンとかが、その流れですね。

オタクエリート』というものは、どういうものか?

どこの誰とは言わねぇでおいてやりますが、京アニ事件の時に、どっかの大学教授が書いた懐古エッセイみたいな記事

今時の人たちからは謎扱いされてましたが、あれが、あの世代の『オタクエリート』意識のあらわれです。

彼だけの特殊思想ではないことは「記事の内容には賛同できる」とか言ってる人が、ちらほらいたこから分かりますね?

では、彼らが『オタク教養』とはなにか?

まあ、かいつまんで言うとウンチクです。

今でも名残はありますね?

ところで

オタクエリート』

この定義には、ちょっと複雑な背景があります

政治家ですらオタクに媚びる今では、下手したら生死に関わることだとまでは信じられないかもしれませんが、昔は、オタクであること自体が恥でした。

今でも自嘲ネタではあるし、からかわれることもあるとは思いますが、かつて、「オタク」と呼ばれることは、社会的死や、学校や家庭でイジメ対象になることを意味したのです。

ググれば怨嗟の声で溢れているとは思うので割愛しますが、オウム事件宮崎事件は「オタク」を犯罪者予備軍として世間認知させる結果を生みました。

当時のオタク趣味を持つ人たちは、自分オタクではないことを証明するのに躍起になっていました。

あるいはオタクではない人のフリをして、その行為を自嘲気味に「擬態」などと呼んでおりました。

今でも名残はありますが、生活や生死が関わってるので真剣度が段違いです。

だってキモがられたくはありません。

あいつはダメだと笑われたくもありません。

そこで『教養』の出番です。

オタクにとっての『教養』とは、自分が頭のいい人間であること、社会にとって有益な優れた人間であること、犯罪者予備軍=オタク以外のなにかであること、それを証明するためのものでした。

ですが、オタクはやはりオタクです。

一般人やご家族の皆様から見れば

「いやお前どう見てもオタクっしょー(ワラ)」

と言う事にしかなりえず、オタクであることを認めるか、認めなくても勝手レッテル貼りさせられました。

オタク」はレッテルだったのです。

しかしながら、そうすると犯罪者予備軍の一員にさせられてしまます

自分オタクであることを認めながら、『ただのオタク』以上の上位の存在である事を示す概念必要しました。

それが、『オタクエリート』です。

上位の階層と言うのは、下位の階層がないと存在しえません。

世間はいっしょくたにされる『オタクカテゴリー内での優位的立場を築きたいオタクエリートにとって、自分相対的に上位に位置付けてくれる下位の『オタク』たち、それは「フィギュア萌え族」とすら揶揄された二次元美少女オタクでした。

……今でも名残はありますね?

誰とは言わないが…と言うよりも、京アニ事件記事でアニを持ち上げる時に使うのは

萌え』ではないこと。

公開されるアニメ映画が、より格上なものである条件は

萌え』でないこと。

上にいると自認する人たちの標的はいつでも『萌え』ですよね。

そして、そんな知能の少なそうな動物オタクたちを堂々と見下し、自分あいつらとは違うと胸を張りたいオタクエリートのための教養ひとつ

正確な科学知識に基づく

ハードSF小説知識

だったのです。

なにしろ動機がそれですから、あちこち弱そうな敵を見つけては出張って「批評」したりweb日記に書いたり、得意げにウンチクを吹聴しまくり、相手相手趣味を貶して、論破論破サディスティック優越感に浸る日々を送ることになります

やがてハードSFは衰退し、論拠としているもの権威が失墜してしまますが、それでもやることは同じでした。

そうでしょう、そうでしょう。

だって、それしかやったことないんですから

いい迷惑なのが、ただのSF小説好きや、そんな歪んだ時代を知らない新しい読者です。

彼らは

「今でもSFはたくさんあるじゃないか

あれもあれもSFだ。

日本SFであふれていて、SFは衰退なんかしていない」

と言います

残念。

彼らのような、いわゆるSF警察の人にとって

あなたの言ってるそれらはSFではありません。

なにしろハードSF信者にとっては

フィリップ・K・デイックはSFではない』

のですよ。創元やハヤカワから出ていて、各種映画化されている大家ディックSFには入らないのです。

彼らの概念では、SFにはなんか厳格な作法があり、その作法を守るものけがSFなのです。

どんな作法かって?

……知るか!

ひとつは『科学知識が正しいこと』ってのは分かるんだけど。

彼らSF警察が、ことあるごとにグチグチと高圧的かつ上から目線ウンチクを語っては、嫌われまくってるのは見ての通りです。

SF衰退はSF警察のせいじゃない」、それは、あるいはその通りかもしれません。

しかしまあ、そのSF警察が、現在進行形で「彼らが信奉するSF」の衰退や、「正しい科学知識」への嫌悪を植えつける大きな要因になっているのは、その嫌われっぷりを見れば一目瞭然です。

……とは言え、です。

こうした傾向はSFに限ったことではないし、僕も似たようなことを、やっちゃうことがある気もしなくもなくなくない。

やはり、言動や態度には気をつけたいものですね。

2019-08-31

じゃあどっちでも良いじゃん

ネットスウェーデンの子供は九九とかやらないし、宿題もないか自主性が育つ!」

ワイ「これは日本衰退待った無しィ!」

ネット韓国受験戦争めっちゃ過酷で、みんな血管切れるまで勉強してるし兵役もあるから根性が違う!」

ワイ「これは日本衰退待った無しィ!」

いうて韓国スウェーデンも(日本も)平均から見ればめっちゃええ国な訳やし、そういうところにポイントはないのかも知れへんな。

2019-08-27

内申点制度はクソ

俺が高校受験したのはもう10年以上前だけど、

総合選抜制度」と「内申点制度」によって公立高校受験マジでやばかった。

総合選抜制度は今となっては採用している地区がないことからもわかる通り問題点の多い制度だった。

例えば地区に全て定員100人のA,B,Cの3つの高校があったとする。

この時地元がA高校の生徒がB高校受験した場合

(俺の当時の地区では)入試で35位までに入らないとB高校不合格になるものだった。

36~100位は地元民を優先するというのが総合選抜制度だ。

ただし、志望はしていないが地元のA高校順位に照らし合わせたら

100位に入るという場合はA高校入学してしまうというのも総合選抜制度なのである

しかもこの際に「公立高校を志望して地区高校に(A,B,Cを問わず)合格したら私学への入学はできない」

というのも総合選抜制度である

まとめると、以下のようになる。

1.地元ではない高校受験すると定員の上位35%までに入らないと不合格になる(36%~100%は地元優先)

2.地元ではない高校を志望し不合格となったが、地元高校に照らし合わせて定員内の順位場合地元高校合格する

3.公立高校を志望して合格した場合合格した高校によらず私立高校への進学はできない

本来的には学校感の格差受験戦争を緩和するための制度だが、

高校自由に選べない、また学校間の格差が大きい場合著しい問題が生じる。

まり地元のA高校偏差値35のド底辺高校で、地元ではない進学校(偏差値65)のB高校を志望した場合に、

当落ライン上にいる生徒はほぼB高校受験せず、1ランク落とした偏差値60程度のC高校受験する。

なぜならB高校不合格になっても地元のA高校には100%合格してしまうためだ。

もうわかったと思うが、俺は地元がA高校人間だった。

A高校は数年に1度警察マスコミに取り上げられるような事件が起きる高校で、

親は「B高校に落ちてA高校に回されたら高校には行かなくて良い」と言い切るようなところだった。

いやいや、テスト普通に点取ればいいんだろ?と思った人は正しい。

更にここに「内申点」というものが関わってくる。

俺が受験していた当時は、10段階評価通知表に対して

英数国理社は4倍、保健体育音楽美術技術は7.5倍して500点満点に

当日のテスト100点満点で合計1000点の順位付けをしていた。

内申点制度のものは当日のテストでのばらつきをある程度是正するものだとは思うが、

俺の出身中学では英数国理社のように明確にテストで点数が出ないことを良いことに

この副教科の数値をかなり生徒によって調整していた。

志望校に余裕で合格できる生徒の評定を下げ、

少し足りない、危ない生徒の評定を上げていたのである

故に、学年1位の成績であっても平均すると10段階で8程度しかつかない。

内申点で400点以上の生徒はいなかったと思う。

この「地元にド底辺高校がある場合総合選抜制度」と

教師による学年全体の内申点(副教科の評定)調整」が組み合わさることで

本人の成績と意図しない高校に振り分ける可能性が生まれていた。

俺は中3の時にA高校に生きたくない気持ち1つで猛勉強してB高校にいったけど、

もしA高校に行ってたら人生詰んでたと思う。

2019-08-11

anond:20190810235017

 分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw

他にも色々RPGやってそうだけど、トラウマレベルだよな。

なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPGきじゃないみたいな風潮だもんな。

かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボール駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああい逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?

 ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。


 助けになるか分からんが、リアルタイムRPGが拡まっていくのを思春期経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。

ドラクエ1ってさ、最初世間の目はこんな感じよ。

「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃん勉強しろよ?」

「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」

「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」

 体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。

興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性ブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。

 大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。

ゲーセンってのは不良とヤクザ仕事をしないサラリーマン営業と、後は風俗水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?

 ゲーム≒インベーダーだから。まだこの頃。

おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度しか思われてねーの。

 もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクス時代からそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。

 大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。

っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。

 子供からピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。

庶民の娯楽として市民権があったのはボーリング映画だな。運動身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。

 釣り生活の一部(の延長)で、テニスゴルフは限られた金持ち趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw

まぁオッサンもガキだったか勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれ子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?


 どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?

俺は都会の人間からかしれんが、道路上下水道電気ガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中

 …んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。

それが当たり前なの。w スゲーだろ?

 日曜日に休める幸運大人テレビだな。ちゃぶ台ビールで。だらしない人は横になって。

上に書いた娯楽は会社許可必要申請はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート遊園地動物園なんかも認められてはいた。

 休むのに理由必要だったんだ。みんな。


 長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。

そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。

 例えばバッティングセンターの片隅に。

 デパートおもちゃ売り場のディスプレイとして。

 ボーリング場や温泉ゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。

 大きなスーパー遊戯機械コーナー。

 使い物にならない不良のたまり場の喫茶店、そして駄菓子屋

毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。

 大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商テコ入れもあってインベーダーブームヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。

一部のエレクトロニクスマニア自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。

 ……知らねー言葉が多かったら笑いながら検索してくれな?

あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。

 ともかくそういう中でマニアオタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw

「すぐ飽きるよ」つって数年で押し入れの奥にしまわれる運命

 めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球オマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンギャラクシアンドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年社会問題化したので子供ゲーセン出入りが禁止され、ヤクザ無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコン誕生した。


「これからコンピューター時代です」

一家に一台、ファミリーコンピューター!」

https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画

 ってな具合よ。

大してして話題になってねーけどな。

 マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルアドベンチャーゲームな。息抜きアクション、暇潰しにシューティング変態野郎エロゲ

 んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。

いやー辿り着くまで長かった。ww

 当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。

都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。

 分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレ漫画家ってポジションだ。

本人がどうかは知らんが小児性愛スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディから許されてた。本格的な変態うる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。

 宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。

冗談でもねーし悪意もねーし中傷でもねぇ。

 高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。

少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームゼビウスがなければファミコンあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステム復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人趣味として黙認されてた状態だ。

 そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。

コンピューターメカトロニクスと、日本産業の発展の為に。

 一方のファミコン玩具だ。

ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。

 ああもう疲れた。読み難かったらスマンが、もうちょいだ。


 結論としてはだな?

マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。

 ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。

ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーヘラクレスの栄光の方が評価されてた。

 ちゃん世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。

パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供文字を覚える勉強くらいにはなるだろww

 ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。

まぁ鳥山独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。

 そういう感じだよ。当時の大人見方は。

そうして大人若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。

 この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレス子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。

それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?

 修学旅行ファミコン隠して持って行って旅館テレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?

うわーもう超なげーわw

 軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネット対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。

それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。

 もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。


 感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。

ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。

 ゲームばっかりしてて悪かった。

マンガもたくさん読んでてすいません。

 子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率世代差がどれくらいかまで知らねーけど)

だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。

 助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。

唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。

2019-07-03

韓国もう飽きた

韓国叩き 秋田

韓国擁護 秋田

韓流ブーム 秋田(落ち着いた)

韓国日本叩き 秋田

韓国スポーツチームが〜 秋田

ウヨvsサヨ 秋田

在日がどうの 秋田

慰安婦がどうの 秋田

大統領逮捕 秋田

ウォンが 秋田

韓国アイドル 秋田

韓流ゲーム 秋田

サムスンが 秋田

LGが 秋田(浸透した)

歴史が 秋田

起源が 秋田

焼き肉が 秋田

受験戦争が 秋田

自殺率が 秋田

ハングルが 秋田

犬が 秋田

経済が 秋田

 

思えばこの15年で無駄韓国について詳しくなった気がする

もう新ネタも当分無さそうだし何一つ期待できない

怒ってもないし好きでもない、賃貸のお隣さんくらいに興味がない

ということに気づいた

たぶんお互いそうなんじゃないか

2019-06-16

日東駒専より下はゴミらしいですね…私はゴミ以下ですが何か?

私は就職氷河期世代(前半)。

世代の人数がものすごく多い。そのため、節目の受験期は、まさに受験戦争だった。

第一志望はあこがれの日東駒専


私は中学時代までは、特に勉強を頑張らなくても成績は優秀だった。(1学年250人くらいいて、いつもテスト順位は30位以内)

子供だったから、単純に偏差値が高い高校に行けば、よりよい高校生活が送れるかな、などというバカな発想で、

自分の当時の実力も考えて、その地区公立高校の中では三番目くらいの進学校に進んだ。(当時の偏差値は64くらい)

当然といえば当然なんだけど、高校に進んだあとは、周囲の人たちは、皆自分と同じくらいか、それ以上に勉強ができる人ばかり。

もう勉強についていくだけで必死にならざるを得ず、まったく楽しい高校生活ではなかった。

それで、そんな地区の三番手くらいの進学校から、当時、どんな大学に進むのが多かったかと言うと、

日東駒専 (第一志望) → 現実は、大東亜帝国 というのがボリュームゾーンだった。

日東駒専、が、「第一志望」で、大学進学率は進学校でも50%


当時、1学年300人くらいだった。(現代では考えられない人数だと思う)

300人もいれば、1~2人くらいは、東大レベルに行く。

でも、比較的成績が良い上位150人の、大半の「第一志望」は、日東駒専だった。

その当時は、日東駒専もかなりの難関と考えられていた。

上位150人のうち、第一志望の日東駒専に現役で合格できたのは、50人くらいだった。

合格できなかった人たちは、滑り止めに行ったり、浪人したりした。

もしくは、経済的理由から大学に進むことをやめた人もかなり多かった。

むろん、ポジティブ理由で、大学以外の道に進む人も多かった。

地区の三番手くらいの進学校偏差値60~65くらい)であっても、大学への進学率がせいぜい50%くらいだった。

なんでこのような状況だったかといえば、同世代ものすごく多かったため、熾烈な過当競争になったからだ。


ネットが発達した現代では、日東駒専バカにされているが…



ネット学歴厨さんたちの書き込みを見ると、日東駒専は、ボーダーフリー(Fラン)よりちょっとだけ上レベルだそうだ。

かろうじて同じ人間として扱っても良いレベル日東駒専くらいまでで、それより未満は、ゴミらしい。

私は、うえの文章からも察しられるかもしれないが、地区番手進学校では、まったくもって普通以下に甘んじた。

日東駒専でもあこがれだったが、そのあこがれには届かなかった人間だ。

まりゴミだ。

だが、中学時代に、250人中30位以内の人間だった私でも、ゴミなのだ

ざっくり言って、自分と同世代のうち、70%以上は、ゴミだということになる。

バブル崩壊後の就職氷河期さらに追い打ち


ゴミである私が、社会に放たれた当時は、就職氷河期突入していた。

そんな中では、幸運にも、比較的よいところに就職できたほうだと思うが、

ネット社会では、とにかく、私はゴミらしい。

社会人も10年以上になると、学歴なんてものには意味はなくなる…が


現実ベースで、社会人も10年以上になると、学歴なんてものには意味はなくなる。

圧倒的に職歴や、実績の方が、強い。

こんなことは、私と同世代くらいの人間からしたら、当たり前なんだけれど…。

でも、30代前半以下の人たちにとっては、学歴がすべてらしい。

学歴なんて…などと言おうものなら、袋叩き。

ゴミめ! ゴミなんて生きている価値はない! 死ね

…ということらしい。



世代によって、学歴などの価値は、まるで変わってくる。

そういうことを考えることもしないで、思考停止した人たちが、私のことをゴミと言っている。

こんなことを言っても、すべてゴミ戯言らしい。

以上、ゴミでした。

2019-05-19

anond:20190519172943

小学中学と塾通いをし常に成績はトップクラス。有名中学、有名進学校、一流大学と、受験戦争に勝ってやっと一流企業

から似たようなもんだろ

確かスーツイラスト医師にも自営業にも見えなかった

2019-05-06

[]【2】2019 春、韓国釜山・光州

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anond:20190506090011




2일



2日目

クルクルパーマと韓国女子


旅行初日はいつも眠れない。

疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。

チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。

初日釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。


近代化している韓国からなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。

今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。

ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。

どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。


チェックアウトして釜山駅へ。

近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参ナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。

昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこ工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。

ネット環境K-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。

社会経済もまだ発展の途上にあるんだろう。

絶賛工事中釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。

これで移動が便利になって一安心だ。

コンビニを出ると、迷彩服青年が歩いていた。

うそう、韓国名目上は今も戦争なのだった。


釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。

地下鉄は昨日のような匂いはしなかった。

路線時間帯によるのかもしれない。

西面で降り、繁華街路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃん作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。

路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。


両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。

カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜ニンニクゴマトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。

見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。

味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。

良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。

韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。

昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。


腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでん屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。

屋台で出されたもの屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景

社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。


西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。

メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。

異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。

バスは直ぐに発進した。


窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんクルクルパーマや韓国女子ファッションについて考える。

若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。

よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック

この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。



光州へ


3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。

熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。

韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。

すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。

自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。

そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種ちょっと違う。

ことなく顔がより日本人に近かった。

かつて日本にやってきた渡来人は、この地方朝鮮人だという話を聞いたことがある。

日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。


ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン

部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策


地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。

夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。

予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業食べ放題の店に向かう。


地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。

「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。

オロジベッパンマン(ひたすら白飯のみ)」

どうも殆どタクシーちゃん地元の人しか来ないような店らしい。

席に座ると、自動的にオバちゃんご飯スープとデジカルビを持ってきてくれる。

あとは中央にあるお惣菜を自ら盛って食うシステム

何をいくら食べてもお値段一緒、6000ウォン

ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題白飯が進んだ。

初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。

「マシッソッダ(美味しかった)」


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