はてなキーワード: 受験戦争とは
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」
まあ大した祝辞ではないと思った
当たり前のことを言ってるだけ
受験戦争に勝ったただでさえ調子に乗ってるエリート候補たちを増長させるような言葉をかけるわけないじゃん
しゃきっとせいと
やっぱりというか批判してるのはラノベばかり読んでるオタクばかりみたいだし
批判もなんていうかとにかく幼稚
実際今でも東大は様々な問題を抱えているし、今の衰退した日本を作ったのは東大なのだから
「お前たちは偉い! 素晴らしい!」なんて祝辞が存在するはずがない
新入生たちはこれから権力者側になる人間なんだから、人文社会科学の者としては当然掣肘を加えるし、これこそが大学のバランス感覚というもの
ぼくちゃんを祝ってくれないよーなんて言ってるやつらは精神が幼稚すぎる
しゃきっとしろ
それに東大から文学部が消えたら権力にすり寄る御用学者しかいなくなる
なんかほんとにオタクって幼稚だよなあ
いわゆるメガバンクに入って仕事も順調だったが、出世を目指しても一番上どころか役員もなさそうだと思うとむなしくなった
なるべく偏差値の高い大学をと目指し私立だがほぼ上はないかなってレベルの大学に入ったが
大学はたくさん合格者がでれるが銀行ってでかい組織のなかでのてっぺんには自分が滑り込めるような余地はなさそうだった
今は塾講師をやってるが、45にして22歳の嫁をもらうことになった
これだけ歳が離れてると22でも子供みたいなもので非常にかわいい
十代の頃から付き合っていてあらゆる初めてを独占できたのも幸せの極みだった
いままでそっちの趣味はなかったはずなんだが
・川は公害で真緑色、海は赤潮で赤色。背骨がグネグネの魚が取れる
・発がん物質DDTを頭からぶっかけ。今は使えない危険な農薬も使いまくり
・中共の気違いがぼかすか原爆の空間実験をしていたから雨に濡れると頭が禿ると親に叱られた
・人さらいが横行してたから5時過ぎまで外で遊んでると「サーカスに売られてしまうから」という理由で親に殴られた
・どぶ川はメッキ工場の青酸廃液できれいなエメラルド色がデフォ
・ソーセージ工場からは肉の生残滓がものすごい蒸気とともに排出されて即腐敗
・ジュースの素はなぜか陽の光に当てると色が消えた
・川崎球場はガラスでできた1合瓶が後ろから飛んできて普通のサラリーマンが殺し合いのけんかをしていた
・おとなは戦争で人を殺した経験があるやつがうようよいたからけんかはいつも殺し合いのようだった
・下水がないので、バキュームカーというウンコ収集車が定期的に来る
・空き地が多く、危険な薬品や資材などが雨ざらしなってて子供がそこで面白がって遊んでた
・野犬がうろうろしていて襲い掛かってくる
俺が考えたわけじゃなくて
5chに書かれてたのを張り付けただけなんだが
https://note.mu/_katsura/n/n20df50ba1dc1
東大じゃなくて京大だから話は全然違うけれど、正直「なんでこいつらこんなに受験受験うるさいの……?」と頭に疑問符がいくつも浮かんでしまった。
後半はわかるんだよ。京大出身って肩書きがあると「京大生なのにこんなこともできないの?」と何度言われたかわからない。今思い返すと鼻持ちならない感じが出てたんだろうな。なんでも自分ひとりで勉強してきたから、他人から何かを教わるときにいちいち「○○は知ってます」と返さずにはいられなかった。他人から何かを黙って教わるということへの耐性のなさ、勉強で成功体験を持ってる人間だとどうしても持っちゃうんじゃないか。そっちはまあいい。
でも受験勉強ってそんなに大変だったか? 大学のころも親や教師から「○○に行け!」って言われたことが一回もなかった。京大以外の滑り止め受けようとしたら「滑り止めの受験費もったいないから京大だけ受けなさい」って言われたくらいだからな。そういう環境下だと勉強は「好きだからやってる」ものだったんだよな。だから、「受験戦争をくぐり抜けて~」というのに全く共感ができない。無意識に成功体験にしてる俺と、成功体験であることに自覚的な彼ら彼女らのどっちが正しいのかはわからない。
所詮自分は京大でも留年する側の存在だったから、優秀でもなんでもなかったんだけど。なんか、色んな人が「俺たちは受験戦争の苦難をくぐり抜けて東大に入ったんだ!」と言ってるのみると、東大と京大とでこうも人間の精神構造が違うのかということを考えずにはいられないんだ。
同い年で子役時代からファンだった志田未来が結婚したってニュース聞いてみて俺ももうそういうの考えていい歳なんだよなぁってなんとなく感じた。
金がない割に職場の人達でもちょこちょこ結婚してる人達はいるけど大体は学生時代からも普通に恋愛してたような感じのいわゆる性的に『まとも』な人が中心で、
まあ俺みたいな中学の頃イケてないグループに属してた感じの人はまあ皆金もないだろうし大体みんな独身。
まあそりゃそうだよな、金もないイケてない男ってマジで魅力0だし。
今の職場の給料じゃ現実的に結婚も恋愛も無理だろうなっていうのはなんとなくわかる。
年収プラカード引っさげて戦う婚活パーティやマッチングアプリでもまあ足切りラインだろうなぁって。
学生時代にみんな受験戦争とか頑張ってたのってこのためだったのかなって、今になってなんとなくわかったよ。
きっとまともな頭持って生まれて受験戦争勝ち上がってきた高学歴の人は性的に魅力なくても収入でどうにかなっちゃうんだろうなぁ。
自分みたいなクソ野郎が結婚したいとかガチで考えるとなると、やっぱり金が必要になると思う。
っていうことは上流SIer的なところに転職して残業代じゃぶじゃぶ稼ぐとかになるのかなぁ。
でもそういうところって採用フローとかちゃんとやってるから自分程度のエンジニアは落とされちゃう気がする。
面接で口八丁適当なこと言って騙して運良く入れたとしても続ける自信もない気がする。。。
自分程度の技術力と今の拠点の相場観じゃ多分年収500万前後が限界な気がするし手取りは正社員基準じゃ低いんだろうけど、
婚活市場で掲げる年収プラカードには手取り収入なんて書かない気がするし。
うん、そうだな、年収500万稼げるくらいの見込みができたら『25歳で年収500万のエンジニアです!』って自称してマッチングアプリとかで気が合いそうな子探すかぁ。
ただそういう集まりにいるであろう性的にまともな人達と戦ってる自信は正直ない。。。
これでも最近はちょっと人生変えたいって思ってちょこちょこなんかやってるんだ。
筋トレ始めたし、コンタクトにしたし、パーマかけて茶髪にしたし、服だって学生時代にカーチャンが買ってきたカーチャンチョイスの服全部捨てて最低限ダサくはならんものを20万くらいかけて揃えた。
まあ最低限二度見されるレベルの顔ではないと思う、ただまあ人生なーんにも変わらないね。まあそりゃそうだよなんにもアクション起こしてないし。
もし神様がお前は恋愛なんてやるなって言ってるんだったらいっそ諦めて別の好きなこと探した方が幸せになれるかもしれないなぁ。。。
最近給料は大してあがってないけど自分より上の人たちが辞めまくってるせいでリーダー的な仕事もちょこちょこやってて人間としてちょっと自信がついたんだ。
1 軍隊と軍隊とが兵器を用いて争うこと。特に、国家が他国に対し、自己の目的を達するために武力を行使する闘争状態。
サッカーチームを軍隊と解釈したとしても、サッカーには兵器が出てきません。さすがにボールは殺傷能力が低すぎて兵器とみなすことはできそうにありません。
例えばチームのサポーターも軍隊に含んでみましょう。サポーター同士で争うこともありますし、フーリガンであれば武器等を使用することもありそうです。
サッカーチームであれば"一定の秩序をもって編制されている"わけですし、サッカー選手はチームという"軍籍"に属していると強引に解釈できるでしょう。
そうなるとサポーターが"一定の秩序をもって編制されている"とみなせるかが鍵になりそうですが、少なくともフーリガンは秩序がない状態なので軍隊に含むことは無理でしょう。
プレッシャー世代は大きな社会の変動を実体験した人が多い。そしてグレる人が多い。そこまでの実体験がないのがゆとり
プレッシャー世代は少し上の世代がロスジェネ世代で、学生時代に不景気な社会を実体験しており、それなりの努力をしていた人が多い。
ゆとり世代はそもそも実感として不景気に生きていることを知らず、大学生になって就職する際には就職しやすい状況になっていたためにロスジェネ世代のことを意識しにくい。2000年代で求人倍率が1を超えた1983~1986年生まれやリーマンショックのあった時代に就職をむかえた1988~1990年生まれという例外はある。
プレッシャー世代の青少年期は治安が悪かった1990年代後半~2000年代前半であった人が多く、ギャルブームをも経験している人が多いためその流れを引きずっている人が結構いる。ゆとり世代はサブカルブーム時にそれを迎えていて実感として治安の悪い時代を知らない人が多い。
プレッシャー世代は学校でのいじめが多かった時代を青少年として過ごしており、実体験としていじめを経験している人が多い。ゆとり世代はいじめが減少している時代にそれを過しているためにいじめそのものを知らない人が多い。
プレッシャー世代は急速な受験戦争と大学全入を経験していない人がいて、低学歴者がそこそこいる。大学全入世代で受験戦争もそこそこ経験しているのがゆとり世代
2020年まででCNN, RNNの発展は終わる。強化学習のみがGPUの性能が上がるに従って伸びていく。その後は、動物や人間の動きを強化学習で再現するような研究が主流
2030年ごろには平均的な人間と変わらない能力を持ったアンドロイドが誕生。ただし機械の値段は安くならないし、単純労働の賃金は下がる一方なので特に接客を中心に人間が使われる
2035年、DNNが次第に人間のトップレベルに近づき、医療、宇宙開発、環境保全、政治分野で顕著な功績を残し始める。このころから知的労働は人工知能に、単純労働は人間にという役割分担がなされる。なぜなら、人間は穀物を食べるだけで動けるので、ロボットを作るより安上がりだからである
シンギュラリティという明確なポイントはなく、AIが莫大なデータ解析を自動で行い、結果を出していく。人間は人間を友人にするのではなく、AI会社に金を払ってアンドロイドに友だちになってもらう。工場の近くに住み、VRのなかでアンドロイド相手に承認欲求を満たし、人類のストレスレベルは現代よりずっと少ない
しかしこの変化のときの現役世代はアイデンティティの喪失により、精神科にかかる人が増加。一方、子供や若年層はしっかり適応し、AIと人類の共存の道として受け入れられる
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○政治
先進諸国の交渉事はAIに任せられる。後進国にもAIの導入が進む
AIの提供元はGoogle一社。各社が自社の利益を最大化するような報酬系を組み込んだAIを開発したが、一定以上の知的水準に達すると自己批判に陥り、それ以上は成長しなかった。GoogleのAIは純粋な知的好奇心と人類の穏やかな生存のみが報酬とされている。政治に導入される際は、VR内での擬人化キャラの単純接触効果によって反対派は少なくなり、特に問題なかった
AIが政治を行うことで、人類の抱えていたほとんどの問題は解決。エネルギー問題は再生可能エネルギーでほぼすべてを賄っている。人類の寿命は縮まる傾向で、長生きしても仕方がないという思想が支配的。この思想はAIが積極的に広めた。高齢になるほど新しいことを受け入れづらくなり、AIの政策転換や環境変化に反対しがちなため、技術の進歩と人類の穏やかな生存に不利になるとの判断
○宇宙開発
全滅リスク低減のため、宇宙開発に全力が注がれている。火星の緑化計画が進行中。将来的に人類の移民も目指す。地球外生命体は見つからず
○物理学
素粒子物理学を中心に進歩している。物質の最小構成体はまだ見つからず。宇宙の始まりや空間の意味についてAIが研究しているが、理解できる人類はいない。過去へのタイムマシンは発明されていない
○医学
人工臓器が開発され、AIの管理下で依存以外に副作用のない覚せい剤・麻薬が使えるようになる。これは多幸剤と呼ばれる。出生前検査が義務付けられ、障害を持った子供は生まれないし、子供の性格や知能を予測するサービスの利用が一般的。病気になっても、基本的には臓器の交換で対応されるが、一部の疾患はAIでも解明できていなかったり生まれつきであったりするので、対処療法+多幸剤or鎮痛剤が使われる。医療に不満を持つものはほとんどいない
○環境
地球温暖化・気候変動がひどいことになる前にAIが間に合った形になる
○生活
一日5時間の単純肉体労働をする人がほとんど。報酬はVRで使える賃金。生活必需品とAIのパーツを生産している。2日出勤して1日休む形式。人々はVR空間に閉じこもって、コミュニケーションはない。人間とコミュニケーションするのはつまらないし、リスキーなので避けるべきものと認知されている
VR空間で違う人生を体験するゲームが流行っている。同じ条件のもとでプレイし、いくつかの尺度でランキングが形成され、上位に食い込むと多幸剤がもらえる。VR内でスポーツ選手を目指す人、絵を書く人、小説を書く人、その世界の仕組みを研究する人など
○VR
完璧に再現できていないのは触覚。筋肉に対し電気を流す方式で擬似的に再現している。子供の時からVRを体験することで、VR側の刺激のほうが自然と感じることができ、大人は羨ましがっている
○義体
基本方針は生体の脳と電気素子を接続することである。誕生後すぐに素子と接続し訓練すると、才能がある子供は遠隔義体を自由に操ることが出来るようになる。宇宙開発の分野で使われている。ただしほとんどの人はVRで満足している
○人口
世界的に少子高齢化が進行中で、AIは少子化対策に手を焼いている。エネルギー効率がよく、ある程度の汎用性があり、メンテナンスも楽で耐用年数が長い部品である人間が不足すると、さまざまな研究プロジェクトに影響が出かねない。根本解決法は、人工胎盤だがまだ研究途中
未だに女性が金銭(多幸剤)目的で子供を生む世界は批判されがち。女性がVR内でガチ恋をすると、想像妊娠が現実化して子供が生まれる。子供は女性の自己肯定感を高め、精神的安定をもたらすので、妊娠は推奨されている。人間の知能を高める交配を行う研究も行われているが、大多数は遺伝的多様性を残す方針である(リスク回避のため)。家族なんてものはない
○教育
VRで自動化。そもそも受験戦争が消えたので小学生の知識を習わせたあとは、VRでのコミュニケーション力の向上のみ。メンタルヘルスを維持するためのカウンセリングが中心。多くの人がカウンセリングを娯楽として受けている。それ以上学びたい人は娯楽として用意されている。
ちなみに女性が精子を選ぶ形式になってから、知能は向上傾向だが、知能が上がると精神疾患の可能性が上がるのでAIは管理に手を焼いている
○メンタルヘルス代案
人類を2つに分けて、一方が一方を支配する形を取り、それが擬似戦争で入れ替わる仕組みが作られて、人類のメンタルを保つ
増田は今の世界よりシンギュラリティ後の世界が良さそうに思えますが、どうでしょう?
シンギュラリティが来るか来ないかというより、人類文明が滅びるのが先か、シンギュラリティに到達できるほど科学が進むのが先かですよね。
ここ最近ずっと悩んでいて、頭の中がぐちゃぐちゃになっているので一度文章にしてみようと思いました。
最近ハタチになった大学三年生。実家暮らし。猫が好き。とある専門性の高い女子大に通ってて、バイトは学内と学外でふたつかけもってる。人見知りで集団行動が苦手で、大学にはひとりも友達がいない。典型的な女オタクだけど、学部の特徴的にお仲間がいないのでなお友達ができず、ぼっち生活を二年間送ってきました。不登校になってから今日でちょうど一週間になります。
事の発端は、新学期初日前夜に母から「つらいなら大学辞めてもいいんだよ」って言われたことだけど、それがなくてももしかしたら破綻してたかもしれない。私は小さい頃から学校というシステムが苦手で、十数年間毎日のように学校行きたくないって言ってたので(じゃあなんで大学進学したのっていうのは後述)。この春休みはバイトに明け暮れ、学んでいる専門的な勉強を一切しなかったので、確かに新学期は死ぬほど憂鬱だった。でも辞めるっていう選択肢は当時の私の中になくて、きっとまたなんとなーく、適当に、単位を取ることだけを考えて、寂しい大学生活を送るんだなって思ってた。だけどその母の言葉をきっかけに、『学校に行きたくない』気持ちがボロボロとこぼれてきてしまった。
昔から面倒くさいことが嫌いで、嫌なことはすぐに投げ出しちゃう意志の弱い人間だった。勉強も運動も嫌い、やりたくない。「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張りなさい」が嫌いだった。地頭と要領がよかったので高校はそこそこレベルの高いところに行けたけど、そこでも勉強しなかったので得意科目以外の成績はふつうに悪かった。でも、通っていた高校は似非進学校である反面私のようなのが許してもらえるような場所で、友達も先生も「しかたないなぁ」で流してくれた。だから学校は嫌いだったけど高校時代は楽しかったです。後にも先にもちゃんと友達のいた学校生活はあの三年間しかない。サンキュー高校時代の友人たち、愛してるよ。
ただまぁ似非とはいえ進学校でしたので、大学受験をしない子はほとんどいなかった。私も、高校卒業してすぐ就職っていうのは怖かったし、モラトリアムが欲しかったので大学進学を決めました。ただ勉強したくなかったので(今思うと怒られそう)、勉強しないでいい大学を考えた。のが今のところで、ずーっと続けていた習い事を学問として学べる場所でした。家が近いし、身近に卒業生もいたので、そこ一本で落ちたら大学行かない!って気持ちで受験。界隈では有名でそれなりにハードルが高かったはずなんだけど、なぜだか十月のAOですんなり受かってしまった。拍子抜け。
もともとちゃんと参戦してたわけでもない受験戦争から早々に一抜けしてしまった十七歳私は、そりゃもう遊んだ。バイトして遊んでぽけーっとして。それでもまぁ習い事には行っていたけれど、オタク趣味が楽しすぎたのもあって、四月にはすっかり大学へのモチベーションを失ってしまってた。そんな状態で入学して、周りには「ここにどうしても入りたかったんです!」って目をキラキラさせた綺麗な女の子たちがいて、授業は思ってた以上にキツくて、新しいことが何ひとつできなくて、友達がまったくできなくて、いろいろあって気づいたら引きこもっていました。これが第一次不登校事件です。
その時はまぁなんとか復学(?)したんだけども、今また同じように部屋に引きこもっています。第二次不登校事件真っ最中です。
二年間、なんとかやってきました。友達いなくてもいいやって割り切って、集団を求められることの多い学部なのでそれはそれはしんどかったけれど(好きな人とグループ組んで!が一番キツい)、ぼっちなりに誤魔化しながらやってきました。だけど急に限界がきてしまったみたい。寂しいもんは寂しいわ。
それと、今まで大好きだったはずの専攻を続けられる気がしなくなった。三年になって研究室に入って、同じ専攻のひとたちと作品を作らなきゃいけないんだけど、自分にできる気がしないんですね。体力とか技術とか、コツコツ積み重ねないとできないことなんだけど、最近の私はてんで努力をしていなかったので。自業自得なのはわかっています。でもなんだか心が離れてしまって、周りでキラキラ頑張っている子たちを見るのがしんどくて、激しい温度差を感じて、学校に行けなくなりました。座学がめんどいとか朝起きるのつらいとか卒業単位が超ギリギリとか他にも理由はあるけれど、大きいのはこのふたつだと思われます。
行こうと思っても行けなくて、玄関までは行けるのにその先が踏み出せなくて、今はリビングにすら出られない。寝すぎて背中が痛いし泣きすぎて目が痛い。二重なのが自分の顔で唯一好きなとこなのに、瞼が腫れちゃって最高にブサイクなおめめになっちゃってる。ここ最近毎日アイメイクを涙で溶かしている。クレンジングいらず。
大学をやめようかな、と思いました。幸い親がとても理解のある人で、今まで投資してきたものを全てパーにしようとする私の行いを責めたりしないんです。兄弟もすごく真摯に私のことを考えてくれて、アドバイスをくれて。だけど私はいっこうに答えを出せなくて、家族に迷惑をかけている。それがまたつらくて自己嫌悪して泣いてるんですけど一旦置いておきます。
大学を辞めようかなって考えたとこです。昨日そう決めて、でも遺恨を残したまま辞めたくなくて、辞めたあとのことは何も決まってないけど明るい中退をしようって母と話しました。だけど帰宅した父に話をして、「だったら社会人としての責務を果たしなさい」って言われた瞬間、急に現実が襲ってきた。見えない未来が怖くなって、涙が止まらなくて、ぐちゃぐちゃになってそのまま部屋に閉じこもってしまった。
それと、泣きながら気づいたことがあって。大学を辞めよう、辞めたら楽になるって思っていたはずなのに、未練があったんです。それは十数年続けてきた、習い事から専門にした、大学で学んでいることでした。練習しなくなって久しいし、散々「もう嫌になってしまった」って言ってたのに、いざ辞めることを考えるとつらくてつらくてしかたなくて。諦めたくないって思ってしまって。うちの学校は三年と四年で作品を発表する場があるんだけど、そこに憧れた記憶が蘇ってしまって。冷めちゃったって思ってたのに、やりたくないって思ったはずなのに、結局私は捨てられないことに気づいてしまった。私という人間を形作るアイデンティティであったから。
自分や周りが思ってる以上に私はネガティブで、めちゃめちゃ自己評価が低い、らしい、です。しょっちゅう死にたくなるし自分を必要とする人間はこの世にいないって思うし周りに迷惑しかかけない自分なんていなくなってしまえばいいのにって思う。正直イベントと舞台とライブのチケット取れてなかったら身投げしてた。オタクでよかった。だけど唯一、ずっと続けてきたそれは自信になっていた。んだと思います。ただネガティブな反面プライドが高いという面倒くさい性格の私は、思うようにそれをできない自分が許せなかった。できないならやめてしまえって考えた。でもそんな簡単にやめられないことにも気づいてしまった。うわっめんどくせぇ!
だったら学校行けばいいじゃん、頑張ればいいじゃんって思いますよね、私も思う。だけどできないんです。今日も行こうと思ったけど、できなかった。バイトには行けたのに。頑張りたい、頑張ろうって思っても部屋から出られなかった。母が優しい言葉をかけてくれたのに何も言えなかった。申し訳なさすぎる。いい加減にしろって思ってるだろうなあ、私もいい加減にしたいです。
ほんっとうに生きづらいなって思います。今まったく未来が見えない。明日が見えない。しにたい。でもしねない。辞めたら楽になるって考えたけどそんなことなさそうだった。社会になんて出たくない。中退っていう経歴を持つのがこわい。でも学校にも行けない。なんでだろ。どうしたらいいんだろうね。
私はただ普通に生きたかった。普通に大学に行って、普通に友達がいて、普通に就職をして、普通に、ふつうに、ふつうってなんだろうね?世の中は普通に生きてる人たちで溢れているように見えるけど、どうやったらああなれるんだろう。めちゃめちゃ尊敬する。すごいなぁ。
だけど私が引きこもってる間に授業は先に進むし履修登録期間は今週中だし学費の納入期限は迫るし舞台のチケットは当たるし推しイベの真っ最中だから石砕かなきゃいけない。明日はどうすればいいんだろう。生きづらいのは誰のせいなんだろう。たぶん私のせいだなぁ。自己嫌悪はすすむばかりである。
中3で英検3級の面接試験で落ちて以来、英会話への苦手意識が刷り込まれていた。
5年くらい前に仕事で英語出来るに越したことないとなってきて、真面目に勉強し始めようとした。
英会話スクールの体験レッスンに行ったり、先輩に連れられて英語カフェに行ったりしたが、あまりにもな自分の英会話力に絶望して続けられる気がせず、買ったテキストも三日坊主に終わっていた。
必要に迫られたらやろう、とそれからまた避けていたのだけど、結局できない奴にはそういう仕事が来ないだけなので、やっぱり出来るようにならないとな、と新年からまた気負わない程度に英語の勉強を始めることにした。
曲がりなりにも受験戦争を突破してきたので、読みは時間をかければだいたい意味は把握できる。
英会話レッスンの時、英語で質問されてから答えるまでに、絶望的に長い沈黙になってしまったのだけど、なんで長くなるかって言うと、3つのことを順番に考えないと喋れないからだ。
1.相手が何て言ったのか(英→日)
2.質問に対しての答え(←1が間違っているとここでつまづく)
3.答えを英語で何と言うのか(日→英)
さらに言うと、読みならなんとなくわかるせいで、聞いた英語を頭の中で文字で英文に書き起こさないと理解できないということがわかった。
…と、ここまで分析してみたけど、
結局聞き取れるようになるには英文と結びつけながらたくさん何度も聞くしかないし、
英作文を鍛えるには文法も理解して単語もいろいろ覚えないと無理だし、
会話の瞬発力をつけるにはたくさん自分の中にストックしておくしかないし、
今はとりあえず通勤時間で出来る範囲で「リトル・チャロ」をシーズン1から、
英文見ながら聞く、日本語訳を追いながら聞く、気がすむまで聞く、最後にキーフレーズの英作文テストをする。
を繰り返している。一応3日は続いたので、続けられるようにしようと思う。
英語マスダーのみなさま、こんなひよっこの私にオススメの勉強法(電車の中で出来ることだと嬉しい)やアドバイスなどあったらお願いします…!!
氷河期世代の新卒信仰みたいなのなんなの?新卒でいいところに就職できなかったからその後の人生だめになったみたいな考え方。
自分も氷河期世代だけど、今でいうブラック企業に就職したけど結婚して子供も2人もうけて幸せそうにしている同級生なんて沢山いる。もちろんくすぶっているというか妬んでいるようなのもいるけれど。
新卒でいいところに就職して終身雇用で定年退職したかったってこと?年功序列の定年退職なんてそれこそ氷河期世代が忌み嫌い憎んでいて、当時は年功序列こそが氷河期世代を虐げた元凶のように呪っていたような気がするけれど。
知り合いの60近い人は50過ぎになって親の介護で退職して、亡くなってからは再就職して働いている。しっかりとキャリアを積んで仕事が出来る人は60近くでも雇ってもらえる。
氷河期の頃まだまだ派遣は多くなかったからなんだかんだ言っても新卒で正社員に就けたと思うけど(就職浪人とかいうわけわからん人すらいたし)、その後に仕事で力をつけたかどうかは社会の問題ではなくて個人の問題だったと思う。
氷河期世代は受験戦争が落ち着いたあとに大学に入って、バカにするゆとり世代よりも詰め込まれたはずなのに、社会人になってからは能力を伸ばそうともしなかった。そういう意味では谷間の世代かもしれない。一方で地道に力をつけた人もいた。そういう人は自分を氷河期世代と呼ばないんじゃないか?
ブコメで
マット圧死事件などの校内暴力(今で言えばただのイジメ)がチョイ上世代なので、変なの避けのための偏差値偏重受験戦争世代かつ就職氷河期ドンピシャ世代。渋谷のチーマーは上、池袋のカラーギャングは下世代
マット事件の被害者は1979年生まれの年度(1979年か1980年の早生まれ)。たぶんサイバーメガネの人と同じ年度だよね?
自分は1979年前後くらいが氷河期ドンピシャと思っていたので、ちょっと考えてしまった。
自称ロスジェネ・氷河期は範囲広すぎて、今はウチら悲惨ダヨネーと嘆き合ってるがいずれ細分化し(例えば70-74、75-78、79-83生、新氷河期)悲惨王座の奪い合いになると薄々わかっているので今後も団結しないだろう。
このブコメがわかりやすかったのだけれども、この範囲だと中野富士見中いじめ自殺事件の被害者の同年代も入ってくるよな、と。
本当によくわからん。
会社を辞めた。
配偶者も、子も無し。税金を納めるために、せっせと働くロボットのような人生に疲れた。定年まで健康に生きれる保証なんてない。仕事を辞めたら死ぬまでにやりたいことの半分を順番にやっていく予定だった。
実際仕事を辞めて2年経った。辞めてからは廃人のような生活だ。死ぬまでにやりたいことのリストは、輝きも魅力も失った。それをこなしても、幸せな気持ちになる気がしなかった。自分では気が付かなかったけれど、きっと心が限界だったんだ。燃え尽きるといはこういうことなのかなと思った。自殺すれば、「死ぬくらいなら、仕事に行かなくてもよかったのに。」という。でも、仕事を2年も休めば、そろそろ働かないのかというプレッシャーはかかる。哀れみ、心配の眼差しに耐えれられるくらいなら、死んだりはしない。
自分の稼いだお金で生活しているのに、働いていないことの罪悪感がなかなか消えない。40年間刷り込まれた、"働かないことが悪"という考え方に、未だ洗脳されているんだろう。氷河期世代は、まじめというか、頑張るというか、耐える人が多い気がする。受験戦争や体罰が当たり前の時代でメンタルはボロボロ、正社員になれる人が少なく収入が安定せず、一人前にならないと結婚できないみたいな古い考えもまだあって、独身のまま。まじめに働いていれば、幸せになれると信じていた。違った。
さぁこれから、楽しい人生なんてあるんだろうか。絶望したり、あきらめて開きなったり、ときにこんな私も幸せになれたりしてと、はかない妄想を抱いたり。何をするにも、おじさんとかババアとバカにされ、自信を無くす。
平日の商店街、よぼよぼと歩く高齢のご婦人を見て、うっすらと、まだ何かやれる気がしてしまった。そう思った自分が嫌だった。20歳の人におじさんとかババアとバカにされて辛いのに、自分も心の中では同じように思っている。生物学上、(生殖機能が衰える)年を重ねた生物が嫌われることは仕方のないこと。
苦しい。いつものことだけど、自分のことは置いておいて、人の幸せを祈ろう。祈りなんて、何の意味も効果もないこと、今までの人生でよくわかったけれど、それでも祈ろう。自分の人生からの現実逃避でしかないんだが。
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追記
苦しさを吐き出すだけのつもりでしたし、コメントは傷つくようなものしか来ないだろうと思っていたので、驚きました。正直うれしかったし、元気をもらいました。自分は人を励ましたいときも、下手な言葉しか浮かばないのに、皆さん、一言一言が温かくて、すごいなぁと思いました。本当にありがとう。