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はてなキーワード: 大浦とは

2020-03-16

anond:20200316100622

酒の上戸下戸律令制に由来する説が有力なようだけど、

同じ由来で「上戸」という地名になっているかどうかだよな。

たとえば岐阜県上戸村(じょうごむら)は実際にそういう由来らしい、

村名は、律令制下で収納の高かった戸を呼んだ「上戸」の語を、この村の生産が高くなることを祈って名付けたという。

じゃあ長崎県上戸町(かみとまち)はどうかというと

市町村施行前後において、当地区は大浦とともに戸町村であった。大浦郷、浪ノ平郷(以上大浦地区)、下郷、上郷、蓑尾郷の5郷があった。1898年大浦・浪ノ平・下郷が長崎市編入され、同時に上郷・蓑尾は小ヶ倉村編入され、戸町村消滅した。のちに、1938年小ヶ倉村長崎市編入され、旧戸町村が全域長崎市になった。

下郷は1913年に戸町1丁目-3丁目、国分町小菅町に分割された。また、上郷・蓑尾郷は小ヶ倉村を経て1949年にそれぞれ上戸町・新戸町となった。以降、住居表示実施により丁目が増設されるなどして現在に至る。

この書き方だと「戸町」に対する「上戸町」っぽいよなあ。

てことは「上戸姓の出自長崎」を信頼するかぎりにおいては

酒の「上戸」と「上戸」姓は無関係ということになる。

ちなみに「戸町」自体の由来については、

古くは「とはち」ともいい、古地図には“戸八”とも記されているエリア。この「とはち」には、船の停泊地を意味する「門泊(とはち)」に由来する、また、中世鎌倉戦国時代)にこの辺り一帯を所領していた戸町氏(戸八氏)に由来するなど諸説あるようだ。

とのことらしい。

2019-11-29

anond:20191128220418

元増田様 ブクマ世界からお節介にやってきた増田ですが(ややこしいなw)お返事ありがとう

ブコメの方々が指摘するように私が大学にいたのは恐竜がいた時代ですから現状の参考になるかはわかりません。とはいえ、私も大学学び舎で、教鞭をとる身となってしまったので、どういう学生が欲しいか、また美術界、デザイン界として、どういう人を育てていきたいかという視点も入っています。つまり採択する側としての視点だと思っていただければ。

今は私も既に化石化しつつあるので、元増田さんのように意欲があり、夢を持っている後輩が育っていくのは楽しみです。

人生は長いようで短く、特に10代というのはあっという間に過ぎてしまます高校時代というのは長い人生のうちたった3年です。その時に出会い経験したことは、基礎教養だけでなく、つまり学問以外のことでも、今の私を人格形成していると感じます

何かを生み出し、作り出すクリエイティブ魂というものは発し続ければ枯渇します。だからエネルギーを入れなくてはならない。それは学舎で学ぶ教養のみならず、趣味、娯楽の分野もエネルギー源になります。振り返れば、苦痛で眠かった授業も、友人と出かけてだらだらと過ごした時間も、期末試験勉強が嫌で逃避のために漫画に読みふけったり、深夜放送を聞いているうちに眠ってしまたことも、推しミュージシャン二次創作同人誌を作ってコミケに売りに行ったことも、ただひたすら大浦食堂でくだらないゲイジツ話をしていたことも、今となってはお恥ずかしい恋愛経験も、失恋も、辛いことや、怒りを覚えたことも含め、全ては最終的にクリエイティブの肥やしになりました。あらゆる経験は肥やしになるのです。

高校時代というものもその経験の一つです。様々な人(楽しい友達やムカつく奴ら)との出会いや、そこで夢中になるもの無駄ものはありません。アニメも、漫画も、本も、音楽もどんどん吸収できる時です。大人になると億劫になるので楽しいはずのゲームすらクリアできなくなりますウィザードリーで全てのスペルを覚えたLV99の忍者を作る情熱は今の私には既にありません。

若い時はとにかく生体エネルギーが異なりますし、脳の吸収力も違います

クリエイターというのは作り出すための情熱だけでは、クリエイティブ魂が枯渇してしまます。何かを伝えたいという思いの大きさが魂の大きさになります。その思いを育てるのは吸収した様々なことです。

から色々な経験をしてください。

あと具体的な受験のことについて知りたかったらいつでもまた増田で聞いてください。美術予備校で教えていたこともあるので、具体的なご相談に乗れると思います。なにかの一助になれば嬉しいかと思います

あと、美大でやってはいけないことだけ一つ・・・

>>>マネはいかん。剽窃は許さん。<<<<<

昨今、芸大でもそういう騒動があったが、全くもって信じられん!!!!!!!!

自分というものをしっかりと見据えて「創作する」ということに対するプライドを育てるべし。

その為にも、表現力の向上(デッサンで養える)というのはとても重要なのであるが、それはまたのお話・・・

以上。

2019-11-04

anond:20191104142158

Cornellの議論は、ポルノグラフィ危害を認める一方で、ラディカル・フェミニズムの主張するような形での危害を相対化する。「さらに言えば、マッキノンによると、ポルノグラフィ男性レイプへと駆り立てることによって産業の外においても女性への直接的な暴力を引き起こす原因になるという。これから見ていくように、私はポルノグラフィの直接的効果としてレイプ輪郭づける因果モデルの適切性を疑問視する。……私は原因―結果モデル自体に関して疑問を呈したいのである。これほどまでに複雑で多層的に象徴が刻み込まれているセクシュアリティ世界でこのようなモデルを使うことは難しい。しかし、このモデルはドゥウォーキン/マッキノンの条例案の基礎として決定的な意味を持っているのである」 。実際に、McKinnonのポルノグラフィ観は、その表象性を(意図的に)無視したものであり、その点について法による規制という強力かつ一方的手段を用いることには強い疑問がある。「……しかし忘れてはならないのは、ポルノグラフィーは、「グラフィー」という接尾辞が示すように、何よりもまずひとつ表象、ひいては表現作品で……ある。人種差別と同列に語りうるのは性差別であってポルノグラフィーではない(性差別は様々な形をとりうる)。ところがマッキノンらにとっては、結局のところ、ポルノグラフィーと性差別同義語なのである彼女らが、ポルノグラフィーにおいて重要なのはそれが「する」ことであって「いう」ことではない、行為であって思想ではないと、ことさらに強調するのはそのためである。……ある表現物が「いう」ことは、なにも(一義的な)「思想」や「メッセージ」に限られるわけではない。言語というものは、自然言語であれ映像言語であれ、ある奥行きをもった立体であり、そこには多重な意味作用が畳み込まれうる……。マッキノンらの議論は、……ジョン・R・サールが「間接的言語行為」と呼んだような現象をいっさい捨象した議論である」 という批判は、言語行為の間に明確な区別を設けずに、ポルノグラフィ性差別のものであるという一種イデオロギー依存した議論に対する批判のものである

もちろん、McKinnonらの条例案は、ポルノグラフィという言葉制限的に定義することによって、そうした一般的議論ではなく、特に女性に対して酷薄もののみを定義域に含めている。しかし、それですらなお表象問題は不可避であり、言語行為限定なく同一視する立場には、疑念がある。まして、直接的効果が後年の研究によって疑問視されている状況にあって、規制根拠果たしてどこまでの力を持つといえるだろうか。仮に、McKinnonの主張がなされた当時においてそうした言語行為が一致するような時代的状況が存在したということを承認したとしても、その射程は現代日本には必ずしも及ばないだろう。つまり日本におけるポルノグラフィ製作必然的にそうした女性虐待表彰ではなく行為として含み、またそうして製作されたポルノグラフィ表象必然的に(fuckerとしての)男性レイプに至らしめ、(fuckeeとしての)女性従属化を固定化する構造を持っているということが実証的に明らかでない限り、法による規制という手段は困難であろうと考えられる。

また、Cornellの依拠するポストモダンフェミニズムは、立場としてのポストモダン主義を前提としており、そこでは、男性性/女性性といった二項対立的な概念整理はそれ自体批判対象となる。McKinnonらの議論は、女性解放というフェミニズム根底目的に対して、一定文化コードとしての女性性を再定義し書き込むものである、というのがCornellの分析である。そしてこれは、ポストモダニズムコミットするか否かというメタ的な問題を抜きにしても、汲むべきところのある議論であろう。つまりポルノグラフィ規制根拠として、加害者/fuckerとしての男性被害者/fuckeeとしての女性を暗黙裡に前提し、それを基盤として提示される議論は、必ずしも現代において盲目的に首肯されるべきものではないというところである

そもそもポルノグラフィは、男性のみによって消費されるものではない。これは、少なくとも現代日本においては議論に際して念頭に置かれてよいことであるように思われる。レディースコミックと言われるジャンルは、1980~90年代ごろから女性向けの(広義での )ポルノグラフィとして書店に並ぶこととなった。また、同人誌として、いわゆる「やおい本」や「BL」というジャンルもこの頃から一定勢力として存在していた。これらは全く女性使用し、消費することを前提に(そしてその多くは女性たちの手によって)制作されたものである。ここでは、ポルノグラフィ概念として当然に前提されていた男性消費者ということさえもが相対化されている。それは、女性性的欲望セクシュアリティがfuckeeとして規定されていたこから解放であるとも評価できるのではないだろうか。そこでは、主体として性的願望を抱く女性が前提されている。ここでは、主体-男性/客体-女性というメタ二項対立接続否定されている。これは、ポルノグラフィ危害論において、根底を掘り崩す事実であるのではないか、と考える。これに対して、メインストリーム男性製作し、男性が消費するポルノグラフィであるという反論はまた、十分に考えられる。しかし、仮にメインストリーム男性向けであって、女性けがサブストリームであるという主張を容れたとしても、なおポルノグラフィ必然的に男女を社会的構造化し、差別を直接的効果として助長し、あるいは引き起こすものであるという根本主張は、強く相対化されたものとしてとらえられなくてはならなくなるということは言ってよいように思われる。

4. 結び

前章において、ポルノグラフィの及ぼす危害について、その直接性が少なくとも現代日本においては相対化されるべきであることを示し、また、McKinnonやDworkinの議論それ自体に潜む女性性のコード化はフェミニズムの本義からしてなお批判可能性を有するものであるというポストモダンフェミニズム見解を紹介した。そのうえで、表現の自由という価値原理ポルノグラフィに対していかに向き合うべきかということを簡単に整理する。

日本において、表現の自由の価値は高く見積もられる 一方で、定義づけ衡量のもとでポルノグラフィを含む一定表現について規制肯定する。そして、ことポルノグラフィにおいてはそれが善良なる性風俗や最低限の社会道徳の維持という目的のもとに正当化されてきた歴史判例上有する。McKinnonらの議論において革新的であったのは、ポルノグラフィ規制道徳的な問題と訣別し、女性に対する危害の面から規制検討されるべきである、ということであった。この指摘は、法と道徳可能な限り切り分けようとする立場をとるならば高い妥当性を持つものであり、その危害現実的に認められる限りにおいて表現の自由に対する制約は当然に許されるものとして考えられる。しかし、この危害に関しても、「(リューベン・)オジアンの著作[ポルノグラフィーを考える(2003):筆者註]は、ポルノグラフィーに対する道徳哲学の立場からアプローチであるという点で注目に値する。彼は、ジョン・ステュアート・ミルの「危害原理harm principle」……の流れを汲む自身の「最小倫理éthique minimale」に基づいて、ポルノ規制正当化する議論……に反駁している。ポルノグラフィーがもたらすとされる「危害」について、オジアンが反ポルノフェミニストとは大きく見解を異にしていることは容易に想像できるだろう。興味ぶかいのは、オジアン同様「善」ではなく「正義」の問題として……ポルノグラフィーをとらえたはずのフェミニスト議論すらじつはある「善」概念を暗黙裡に前提していると彼が指摘している点である」 という指摘がある。つまり特定の善概念に基づいた特殊的な危害が主張されているに過ぎないのではないか、ということである。例えば、守旧派的なキリスト教における「善」の概念同性愛を悪と断じたことを考えれば、一定の善が前提されたうえで主張される危害は、相対化してとらえられるべきであろう。

こうした危害についての理解は、法規制についてネガティヴであるさらにMcKinnonらの主張には逆行することとなるが、むしろその主張における「道徳から危害へ」の転換は現在規制すら過剰なものであるという結論への親和性を有している。もちろんこれは、女性に対してポルノグラフィ制作現場において発生する暴力虐待を許容せよということを決して意味しない。むしろ、そうした事態が発生した場合に、適切に法が救済を与えることは、考えるまでもなく必要なことである。そのためにいかなる手段妥当であるかが問われるべきではないだろうか。

一部のフェミニストが主張するように、ポルノ出演や売春を含めたセックスワーカーである女性が、法規制対象となるのではなく、むしろつの職業」そのものであり、合法であるという社会的及び法的な認知必要となるのではないだろうか、と考える。それが社会的正業である認知されることは、その「職場」におけるハラスメント虐待を看過しないことにつながりうる。問題が発生した場合に、自らの「クリーンハンド」において司法の救済を要求することが可能となる。そして、そうした「解放」は男女(あるいは性的少数者性)を問わずに自らのセクシュアリティに対して真剣に向き合うことを要求する。それによって、直接的は生じないものの、間接的にあるいは無意識的に発生しうる「危害」は社会的に相対化されうるのではないだろうか。

以上のポルノグラフィ規制緩和論が、法が向き合うべき一つの筋道ではないだろうかという主張をもって、本レポートの結びとする。

参考文献

キャサリン・マッキノン,アンドレア・ドウォーキン中里見博,森田成也訳「ポルノグラフィ性差別」(青木書店, 2002)

・ドゥルシラ・コーネル仲正昌樹監訳「イマジナリー領域」(御茶の水書房, 2006)

大浦康介編「共同研究 ポルノグラフィー」(平凡社, 2011)

キャサリン・マッキノン森田成也ら訳「女の生、男の法」(岩波書店, 2011)

スーザン・J・ヘックマン著 金井淑子ら訳 ジェンダーと知 : ポストモダンフェミニズムの要素(大村書店,1995)

2019-10-27

anond:20191027100916

権力者から何を言ってもいいわけじゃないと思うけどね。

天皇写真そもそもそういう話ではない。

https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190808-00137629/

 あなたにとって昭和天皇とは何ですか? その問いをもう私は何度も大浦さんに投げているのだが、自画像だ、天皇自画像だ、とわかったようなわからないような返事が返ってくる。しかし、話を総合すると、海外へ行って自分アイデンティティ模索するなかで天皇に行き着いたということらしい。確かに天皇特に昭和天皇というのは、一定以上の世代日本人深層心理に影を落としている可能性がある。我々にとってそういう存在なのかもしれない。

2019-08-16

津田大介さん&その擁護者の言い分に納得できないこと

あいちトリエンナーレ津田大介さんが監督の「表現不自由展・その後」について、納得できない点を頭の整理を兼ねて書いてみます

検閲について

憲法上の検閲

憲法上の「検閲」とは次の通りであり、本展における河村市長官房長官のいずれの言動もこれに該当しないことは明らかなので、憲法上の検閲ではあり得ません。

行政権主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止目的とし、対象とされる一定表現物につき網羅一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの」(判例)

したがって、本案件で「違憲」と言い出した者(例えば大村知事等)は明らかに失当です。というか憲法上は事前の規制を重く見ているため、事後的に批判した河村市長官房長官(この二者には取り止めさせる権限なし)よりも事前に強く要請した大村知事(実行委員長として権限あり)の方が判例趣旨からして危なそうです。

津田大介さんの言う「検閲

あいちトリエンナーレ2019「表現不自由展・その後」に関するお詫びと報告』を読んでもわかるように、津田大介さんは「検閲」という言葉を「何らかの理由により効率美術館で展示できなくなったもの」と自らに都合よく恣意的に用いています

憲法上の検閲でないとしても、この意味検閲という強い言葉を用いることはミスリードです。本件の場合、事後的にも発表が禁止された事実はありません(あいちトリエンナーレ以外の場所公表を続けることも十分可能です。)。

公権力が,表現行為ないし表現物を検査し,不適当判断する場合には発表を禁止すること。公表以前に行う事前検閲公表後に行う事後検閲とに分れる。」(ブリタニカ国際大百科事典コトバンク)

ヘイトについて

法律上ヘイト

ヘイトスピーチ規制法の正式名称は「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律とあるように、「本邦外出身者」をターゲットにしているため、本件展示が法律上ヘイトに該当しないことは明らかです。

(法律規定する範囲が狭すぎる、という議論はあると思います。例えばDV防止法は成立当初、男性被害者とは規定されていない法律でした。)

批判者の言うヘイト

自国であった負の歴史を思い起こさせる作品を展示することが、その国や国民に対するヘイトにあたるとは考えていません。」「大浦さんは昭和天皇肖像日本人としての自画像であり、天皇批判ではないとしています。」とあるように、津田大介さんは、自国民同士のヘイトは想定していないようです。

ただし、国民を分断し、他のグループにに対して差別的言動を行うことは十分に考えられます

津田大介さんの政治思想

津田大介さんの過去言動

津田大介さんは、過去RADWIMPSHINOMARUという楽曲を「国威発揚であるとして激しく批判をしています。また、そういった批判を受け、RADWIMPS謝罪に追い込まれています

更にTwitterにおいて『今後もどんどん「国威発揚」の依り代として芸術が利用(寄生)されていくんだろう』ともコメントしています

昭和天皇写真を焼く行為に比べてはるかに穏当(少なくともヘイト的な要素はありません。)なものに対してこのような反応を見せており、極めて左派的な思想であると思われます

今回の展示物の選定

津田大介さんは「不自由展実行委によって拒絶」、「そのまま展示することはコンプライアンス的にハードルが高」(い)、「展示スペースの都合」という理由で、会田誠さん・鷹野隆大さん・ろくでなし子さんの展示はしなかったと言っており、言外に自身政治思想は反映されていないことを含ませています

少女像昭和天皇写真の焼却などが選定されたのは自らの意思ではなかったかのようです。

しかし、その一方で『約80組の作家選びは当初、学芸員に任せるつもりだった。ところが、上がってきたリストを見て「ピンとこない。これはまずい」と方針転換。自ら決定権を握った。』(7/8北海道新聞インタビュー記事)とあるように自ら選定していったことを明かしています

まとめ

津田大介さんの言動をまとめると以下の通りになります。少なくともダブルスタンダードと言われることはやむを得ないでしょう。

1.検閲意味憲法どころか辞書よりも広くとるが、ヘイト意味は狭く(法律通りに?)とり、いずれも自らに都合よく解釈した。

2.過去保守的楽曲に対して激しく批判し、更にそれに公金が用いられることに慨嘆したが、自らの政治思想に沿った展示を公金を用いて行った。

3.自らは中立かのように装いつつ、自らの思想に反する展示はテーマ合致したとしても排除した。

どこにも当てはまらなかったので雑記

津田大介さんは今回の謝罪文で『自国現在または過去の負の側面に言及する表現安全に行えない社会となっている』とコメントしています

しかし、前述のHINOMARUに対する批判を行ったにも関わらず今回のポストが手に入れられたということは、少なくとも「日本が好きという者を批判しても言論界ではプラスにはなってもマイナスにはならない」ということを体現したと言えるでしょう。

2019-08-11

anond:20190810235017

 分かるなぁ、こりゃ出会いが悪過ぎるよw

他にも色々RPGやってそうだけど、トラウマレベルだよな。

なのにみんなしてドラクエドラクエ言ってるし、やらない奴はRPGきじゃないみたいな風潮だもんな。

かに聞いて欲しいみたいのはあるだろうし、ドラゴンボール駄作だって評論して滅多打ちになってた記事が少し前にあったけど、ああい逆張りじゃなくて普通に嫌な記憶ばっかりなんだからこう感じるのは仕方ないと思うぜ?

 ただまぁこれってDQ6が悪いんじゃなくて、セーブ方法が原因じゃん? 素晴らしかったって自分でも書いてるし、心の傷が癒えるまで待つしかないよな。


 助けになるか分からんが、リアルタイムRPGが拡まっていくのを思春期経験してたオッサンの長ーーーい話でもポテチ食いながら読んでくれ。暇な時でいい。

ドラクエ1ってさ、最初世間の目はこんな感じよ。

「あー、ピコピコやるやつですごろくみたいの始めたのか。ちゃん勉強しろよ?」

「しょーがねえなぁ少年ジャンプとガキ共は。まーた欧米かぶれの下らないゲームで盛り上がって」

「まぁ子供の入門wwにはいいだろw RPGは難し過ぎるし、アラレちゃんの奴(笑)が絵を描いてるんだろ? エンガチョだよなw」

 体感、一つ目が7割、二つ目が2割、最後意見が1割弱って感じだな。尤もゲームを多少は知ってる人間の話で、半分以上の人はもっと批判的か無関心だ。

興味ないとか不良のやる物とか面白そうだけど目が悪くなるとか、どうせファミコンなんて一過性ブームだろうとか、放っておけば飽きる、とかな。

 大人がどうしてファミコンを許してくれたかっつーと、ゲーセン行かせるよりマシだったからなんだよ。

ゲーセンってのは不良とヤクザ仕事をしないサラリーマン営業と、後は風俗水商売の女が男に連れられて行くもんで、要はインベーダー喫茶に毛が生えたヤツな?

 ゲーム≒インベーダーだから。まだこの頃。

おもしれーだろ? スペースハリアーとかグラディウスがあるのに世間はインベーダーなんだよ。それに毛が生えた程度しか思われてねーの。

 もうちょい詳しいとギャラガとかパックマンくらいか? ゼビウスもあったけど「まぁ若い子の一部には変なモノが流行ってるな、マイコンマニアは無害だしエレクトロニクス時代からそのうち使い物にはなるかもしれない、放っておけばいい」って感じだよ。

 大人たちは高度経済成長からバブル真っただ中で忙しいんだけど、マジメな人がゲームは無害かどうか見守ってた空気だな。

っつーのはさ、『みんなそんなに遊ばない』んだよ。

 子供からピコピコやってても見逃して貰えるけど、基本的にまともな大人は遊びの話を人前でするものじゃねーワケ。悪い事だったんだよ、それ。

庶民の娯楽として市民権があったのはボーリング映画だな。運動身体を鍛える物だからスポーツはキホン除外で。

 釣り生活の一部(の延長)で、テニスゴルフは限られた金持ち趣味で、健全な奴はキャンプとか山登りとかか? いやネクラ君達には卓球もあったなw

まぁオッサンもガキだったか勘違いもあるかしれんが、遊びってのは『大人の許す範囲でやるもので、豊かになったから恵まれ子供達を好きにさせてやってる』って感じだった。街を作るのに忙しかったんだよ、大人は。後はその弊害を処理するとかな。あ、夜の遊びは例外な?


 どう言ったらいいか難しいんだが、別に今を否定しようとかってんじゃなくて、大人若者には明確な溝があって気楽に口を利いて貰えないっつーのかな?

俺は都会の人間からかしれんが、道路上下水道電気ガンガン整備しなきゃいけないからガキはどいてろって空気なんだよ。日本中

 …んで、激しい仕事が終わった連中だけが飲んで騒いでよくて、仕事付き合いしながら店で歌ったり踊ったりしつつ駅とか公園とか会社で寝てまた仕事するワケよ。

それが当たり前なの。w スゲーだろ?

 日曜日に休める幸運大人テレビだな。ちゃぶ台ビールで。だらしない人は横になって。

上に書いた娯楽は会社許可必要申請はいらない)みたいな感じでさ、家族サービスとしてデパート遊園地動物園なんかも認められてはいた。

 休むのに理由必要だったんだ。みんな。


 長いけどジーサンバーサンと会話が弾むかもしれないから、もうちょい我慢して付き合ってくれ。

そういう中でのゲームってのは、娯楽のオコボレとしてひっそり発展してた。

 例えばバッティングセンターの片隅に。

 デパートおもちゃ売り場のディスプレイとして。

 ボーリング場や温泉ゴルフ場の待ち時間潰しや、遊園地の片隅。

 大きなスーパー遊戯機械コーナー。

 使い物にならない不良のたまり場の喫茶店、そして駄菓子屋

毛色の違うものにとしてLDゲームもあったが、まぁそれは置いとこう。

 大人には相手にされない子供騙しのゲームは、ユダヤ人貿易商テコ入れもあってインベーダーブームヤクザの懐を大いに潤したが、“ほんの5、6年”で下火になって行った。

一部のエレクトロニクスマニア自分で作ったり改造したりもしていたが、技術屋さんが変わり者なのは仕方ないってのと、将来のメカトロニクス産業を支えるかもしれないから、って見逃されてた感じだ。

 ……知らねー言葉が多かったら笑いながら検索してくれな?

あと、パチンコ産業も大きく関係してるが複雑過ぎるし知識が足りないからそれも省く。

 ともかくそういう中でマニアオタクじゃねーぞ?)の趣味としてブロック崩しが一時期売れたりしたんだが、それは大人玩具って位置付けで高級パーティーグッズに近かったかな。8トラとかみたいにさw

「すぐ飽きるよ」つって数年で押し入れの奥にしまわれる運命

 めんどくせーから時系列を丁寧に整理しないが、縁日の射的や温泉卓球オマケとしてブロック崩しが拡まり、インベーダーで日本中の100円が足りなくなり、家庭用単機能ゲーム機が玩具として売れ始め、パックマンギャラクシアンドンキーコングとかマリオブラザーズとかゲームウォッチなんかのブームもあって不良少年社会問題化したので子供ゲーセン出入りが禁止され、ヤクザ無線屋とジューク屋と興業屋がシノギを削ってそこにマイコンブームが来て、玩具屋も巻き込んで産業スパイ使って殺し合いをしながら兎にも角にもファミコン誕生した。


「これからコンピューター時代です」

一家に一台、ファミリーコンピューター!」

https://www.youtube.com/watch?v=gguhhdbXD7A (当時のCM動画

 ってな具合よ。

大してして話題になってねーけどな。

 マイコンブームってのはまぁパソコンと同じで若者勉強するなら仕方ないって面があってだな? アメリカから技術文化を学ぶために赦されていて、ウルティマだのウィザードリだのをマイコン好きやその開発者がこっそり持ち込んで研究してたらしい。主流はパズルアドベンチャーゲームな。息抜きアクション、暇潰しにシューティング変態野郎エロゲ

 んで、ハイドライドやドラスレが出て、そういうのに関われない可哀想子供の為に何とかごまかしてジャンプが無理矢理宣伝して売ったのがドラクエってワケだ。

いやー辿り着くまで長かった。ww

 当時のマイコン誌とか全然詳しくないんだが、エロと一緒にRPGブームを作ろうって盛り上がってて人気はロマンシアだな。

都築和彦 大浦孝浩 山根ともお 佐藤善美 なんて出てるが、この辺が一流のイラストレーター様で鳥山なんざアメコミカブレのギャグ漫画家で、偶々アラレちゃんで当てたロリコン野郎だったんだ。

 分かるな? 子供向けだから許される変態スレスレ漫画家ってポジションだ。

本人がどうかは知らんが小児性愛スレスレの際どいシュール漫画をヒットさせてて、コメディから許されてた。本格的な変態うる星やつらを読んでたから、それで被害を免れてた部分もある。

 宮崎事件はまだだから大してバッシングもされてないし、手塚水木一郎みたいにグロくないからまぁ読ませといてやるかってレベルだ。

冗談でもねーし悪意もねーし中傷でもねぇ。

 高尚なイラストレーター様達はマイコンゲームを上流の趣味として仕掛けていなさったんだよ。っつうか、それに加わってらっしゃった。

少なくとも俺や俺の周囲の視点ではそうだったって話かしれんが、テクノブームゼビウスがなければファミコンあんなに受け入れられてないし、マイコンマニアがそんなに御大層なモノかっつーとガキの遊びよりはマシだが「ちゃんと育ってくれればいいけどねぇ」ってのが世間の目。そして市場的にはキャプテンシステム復興なるか? スーパー301条でまたやられなきゃいいけど…、ってのがあって家電を支えるから変人趣味として黙認されてた状態だ。

 そのごく一部だぞ? そういう不真面目な研究家っつかーの中のホンの一部が、西洋ファンタジーを輸入する事にした。

コンピューターメカトロニクスと、日本産業の発展の為に。

 一方のファミコン玩具だ。

ガキの遊びで性能はそこそこだがアタリショックの後だから「どうせ消えるでしょw って言うかコンピュータじゃないじゃんww」みてーな。

 ああもう疲れた。読み難かったらスマンが、もうちょいだ。


 結論としてはだな?

マイコンマニアが愉しんでいる残りカスを下らん少年誌の連中が怪しいソフトハウスと組んで出来損ないの子供騙しを売り出したのがドラクエで、当時は殆ど売れなかったんだ。

 ファミコンを最強にしたのはスーパーマリオであって、それにビウスブームが加わり、ナゼか狂ったように売れたジャンプの力があってようやくドラクエ2が少し話題になっただけなんだ。

ゲームの出来としてはFFの方が上だし、ストーリーヘラクレスの栄光の方が評価されてた。

 ちゃん世界背景が練られてないじゃないか、と。なんだこの雑なグラフィックは、と。

パスワードとか拷問だよなww でもマイコンプログラミングに比べたら単純だし、子供文字を覚える勉強くらいにはなるだろww

 ファンタジーなのにタケヤリが武器屋で売ってるんだから、やっぱギャグだよなぁ…。

まぁ鳥山独自の味があるしギャグ漫画家だし、ともかくガキの遊びだから許してやろうぜ、と。

 そういう感じだよ。当時の大人見方は。

そうして大人若いお兄さん達に見逃して貰いながら、戦後最大のパワー(他の世代の倍の人数だ)を持った団塊の世代の子供達は「きっと次はもっとすごくなる」とか鬱屈した思いを抱えつつ、ようやくセーブ機能実装されたドラクエ3に狂喜乱舞する事になるワケだ。

 この当時には受験戦争って言葉もあってな? まぁもうドラクエやってる時点で大半は負け組なんだが、そういうストレス子供の逃避として機能してたのもあるかもしれねー。

それから小・中学生が初めて見るファンタジー世界冒険を嬉々として大人に語ってたら、中々ぶん殴って勉強しろって言い辛いだろ?

 修学旅行ファミコン隠して持って行って旅館テレビでみんなで遊んだとかどーしようもねぇバカもいたみたいだけど、そこまでするくらい好きなら勉強すれば許してやるかって笑いになるだろ?

うわーもう超なげーわw

 軽く見直したけどなんだよコレw オッサンどんだけ語りたいんだよ?ww って感じだけど、でもまぁオッサン達にとってサクっとこれくらい書けるくらいの思い入れは結果としてできちまったんだ。ネット対立煽りが盛り上がるように、苦労したり批判されると人間ってムキになるだろ? その方が熱意も強くなるんだよ。

それから人口比ってのはデカくてさ、マイコンのお兄さん達には遊んでばっかりでごめんなさいって部分もある(でもバブルは恨んでるけどなw)んだが、元増田みたいに感じてる若い子が出てくるんじゃねーかと最近不安になってたらやっぱりねって感じで、それでも思ったよりマイルドだし、きちんと自分だけの問題として語ってるから「もういい加減に叩くのやめてくれよ」って気分にならずに済んでて、俺達世代としては「ゴメン無理矢理押し付けたりしないから頼むからもう批判しないで」って言いたい。キミに、じゃなくて世間になんだけどな。

 もしかしたらそれがメインでこんなに長く書いてるのかもしんねー。


 感じ方は自由だし、言うのももちろんだし、それを否定する気はない。

ただ、オッサンらは戦争も知らないし高度経済成長には貢献してないし豊かさの頂点で育たせて貰ったから、負け組世代として罰を受けてるのかもしれない、とかもちょっと思ってる。

 ゲームばっかりしてて悪かった。

マンガもたくさん読んでてすいません。

 子供も作れてないし収入は低いし老いた親を満足に面倒見る蓄えもなくて申し訳ない。(っつってもそういうヤツの比率世代差がどれくらいかまで知らねーけど)

だけど、それだからせめて精一杯楽しんだゲームで辛い思いをしたりして欲しくないってのは割とあって、スマホゲー禁止とか言わないし弾圧されるんだったら助けてやる。

 助けてやる力は碌にねーんだけど、そうしたいと思ってる。

唐突だけど終わる。言いたい事は書いた。

2019-08-03

表現不自由展・その後」を見てきた

せっかく愛知県在住なんだしと思って行ってきた。メモがてら書く。

どんな作品が展示されてるかは主催側が用意したサイトがあるから、そちらを見てもらった方が良いと思う。 https://censorship.social/artists/

会場は愛知芸術文化センター8階。名古屋中心部にある地下鉄栄駅から直結。トリエンナーレのメイン会場は10階で、そこでチケットを買ってから下りる形になる。ちょっとわかりにくかった。

表現不自由展」というくくりで、あくまでもトリエンナーレの展示の1つ。割当も他の展示と同じ「1部屋」で、映像作家作品を大画面で流してるだけの部屋と同じ。展示場所は会場の中では角地にあたり、ここを見なくても他の展示を見れる順路になってる。また、薄いカーテンで区切られていて、その前に、展示の趣旨や「SNS公開禁止」の注意書きが書かれている。

薄いカーテンの向こうは、結構人口密度。他の展示とは明らかに違っていて、関心の高さを伺わせた。ただ、これは展示レイアウトも悪い。入り口すぐの廊下状の細いところで、そこそこ長い映像作品(「映像・遠近を抱えて」)を流してるから、そこで人が滞留してしまうのだ。

入ると大浦信行「遠近を抱えて」。昭和天皇肖像写真コラージュ作品1986年富山県立近代美術館での展示が問題視され、図録も焼かれたという。「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる」という言葉が浸みる。

また、その後に作られた同趣旨映像作品が流れている。戦中の音声に乗せて「海ゆかば」が流れる。年配の女性がそれに合わせて口ずさんでいた。その次の従軍看護婦の手記の朗読では、その人は涙ぐんでいた(隣の若い女の人も)。そして、その後、昭和天皇肖像が焼かれるシーンに移るのだが、そのシーンではなんとも言いがたい表情をしていた。

ちなみに、映像を見ていたら、金髪芸術監督が通っていった。ちょくちょく様子を見に来てるのかな。

廊下を抜けて広いエリアに。

大きな音ではないが、ヘイトスピーチの音声が聞こえる。展示の1つとして、慰安婦写真展示への反対活動ドキュメンタリーが流されていた。

正面に慰安婦像こと「平和少女像」。やはり客の関心は高そう。

説明文として「《平和少女像》に込められた12象徴」という説明文。肩にとまっている小鳥や手の形などの意味についての説明がある。像の後ろに「ハルモニ(おばあさん)になった影」が描かれているのは初めて知った(画像を見ると大使館前の像にも影がある)。

椅子自由に座れる趣旨のことが書いてあった。写真を撮る人が途絶えたタイミングを見計らって座ってみたら、スタッフ札を付けた人に声をかけられた。「叱られるか!?」と思いきや、「写真を撮りましょうか」と。撮ってもらったら、なんか囚人みたいな写真が出来上がった。他に座る人はあまりいなかった。自分がいた間で、他に1人ぐらいかな。

個人的に興味深かったのは、Chim↑Pomの「気合100連発」「耐え難き気合100連発」。福島県相馬市若者達がガレキの中で円陣を組んで「気合い」を入れる様子を描いた映像作品。「福島ガンバレ!」「彼女欲しい!」とか叫んでる中に、「放射能最高!」とかヤケっぱちの言葉が混じる。「国際交流基金よりNGが出た」とき提案した「NGワードをぼかすような編集」版と同時に流れていて、そちらは、たまに「ピー」音が入って英語字幕にも黒線が入る。編集版と同時に流すことで、ある意味完成した形にも見える(ちょっとヤラセくさくも感じた)

観客の様子も気になっていたのだが、本当に「普通の人たち」という感じだった。普通美術展よりは、少し若め&男性が多めだったかも知れない。

映像・遠近を抱えて」の前半部分は、かなりの人が涙ぐんでいた。それだけに、後半のパートの衝撃は大きいだろう。まさしく現代芸術だ。

最後に。

「抗議の声も含めて作品」「政治家横槍も含めて作品」と言う人もいるが、「表現不自由展」は、この一部屋だけで作品としてしっかり完結していると感じた。「表現自由への反対」という声すら守れない、あるいは何の罪もない職員が身の危険を感じるような状態は、決して看過してはいけないだろう。

2019-08-02

あいちトリエンナーレ表現不自由展」に足さないといけない展示

旭日旗平和少女像にまとわせ、日韓表現の自由架け橋にしよう!)

漫画ワンピース(展示内容には含まれないが、原作旭日旗を思わせるイメージが数回登場するため、韓国戦争記念館での「ワンピース特別展」そのものが中止)

六四天安門事件 武力弾圧の映像中国共産党による監視統制。天安門事件関連の学術雑誌ですら中国国内からアクセス不可)

ムハンマドの描写を含む歴史画

悪魔の詩翻訳者殺害された未解決事件焚書騒動イラン最高指導者ホメイニによる原著者の死刑宣告など)

ヒトラー人形(デ・アルチャろう人形からヒトラーのろう人形撤去米国ユダヤ人人権団体サイモン・ウィーゼンタール・センター」など海外から強い批判

広島に原爆投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」と原爆被害、歴史的背景原爆被害歴史的背景も含めたエノラ・ゲイの展示について、退役軍人団体の抗議により原爆被害歴史的背景をスミソニアン博物館から撤去

天皇コラージュ作品昭和天皇写真きのこ雲、骸骨などのコラージュ沖縄県博物館美術館で展示中止)大浦信行さんの作品は「表現不自由展」に入っているらしい。

自衛隊車両神戸市大丸須磨店のイベント夏休みパラダイスin 須磨」の展示が市民団体の抗議により中止)

表現不自由展」中止反対!

中止を阻止するために展示を充実させよう!

津田大介さんの全責任の下でこれらを展示するよう求めてバランスを取るほうがいい。

津田大介さんには文字通り命を懸けて、世界表現の自由のために戦ってほしい。

あとなんか他にある?

反応から

シャルリーエブドは襲撃前から継続して風刺画を掲載しているので、一連の流れを展示すると見ごたえがありそうです。

「二度目の人生異世界で」は中国からの抗議で、アニメ化中止、小説版出荷停止になった作品ですね。

ナチスっぽい衣装乃木坂ではなく欅坂かな?欅坂から衣装提供を受けるのは難しそうですが、サイモン・ウィーゼンタール・センターから批判に屈することな表現の自由のために展示を続けてほしいですね。

会田誠さんの作品は、津田大介さんの心情にあっていそうだから、すでに入っていても不思議はないくらい、入りそう。

2018-12-15

anond:20181215103927

南アルプスは?

カタカナ地名だ!!

って一時期めちゃんこ話題になってたと思う

あと

与ッ! 大浦和市もたのむよ

2018-10-24

うるせーぞババア!!

ちょっとのことでガタガタ抜かすんじゃねえ!!

大浦、てめえだぞ!!!

クソクレーマーババア!!!

二度と注文してくんなボケカス!!!!!

2009-03-04

http://anond.hatelabo.jp/20090304213814

こんな国体道路が許されるわけがない

こんなことを許していたらお前らだっていつか大浦街道対象になるぞ

ローカル過ぎだw

 
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