はてなキーワード: お下がりとは
うちは家族中2人精神病の人がいて病院から病気のこと何も聞かされないまま手探りで対応しなくちゃならなかった、プラス学習障害、学校の勉強や会話に入れなくていじめ始まってこれ以上無理して行ったら死ななきゃならんくなると思って不登校、不登校でも家族に病人いる人いなくて話せないし病人いる人もちゃんと説明受けてる人や不登校じゃないから誰にも話せなかった。
何年1人で苦しまなきゃいけないんだろ。
1人でじってしてるとやるせない思いが溢れてキツいし健康害して頑張れる時がきた時マイナスになるの嫌だから世の中PS2で遊んでる中お下がりのファミコンばっかやってた。やってるとぼーっとしてきて思考力が低下してしばらく苦しい思いから離れられた。
おまえいくつだよと聞かれがちだが、おまたに毛も生えない頃の話だ。
年に数回のバカンスのために日々過度な倹約に励み、持ち物どころか家具や家に至るまで、
もらいものやお下がりや廃棄物に囲まれていた私が学校でいじめられないわけはなく。
ターゲットにされる原因を回避しようにも、経済力もない小学生にはどうしようもなく、
また、母親のよくわからないこだわりに巻き込まれた結果、家も学校も地獄そのもの。
母は外では私のことを賢い子と自慢げに語ったが、家では一事が万事マウント取りに明け暮れ、
やれお前の見ているテレビ番組がつまらないとか、読んでいる本がくだらないとか、
(数少ない)友達は馬鹿ばかりだとか、何をしてもちゃんとできないとか、
一方、どう見ても発達障害の弟はというと、お約束通り母の寵愛を一心に受け、
父はというと、そこそこ発言権もある親父だったのだが、これがまた夜郎自大のボンボン。
女性の女性らしいところが苦手ときていて、私が成長にしたがって女性らしいものを好むことをひどく嫌い、
しかも家庭内で強く出られる相手が私だけということで、時には優しかったり、時には理不尽に怒鳴りつけたりと、
私はというとIQ120くらいの子どもであり、それ故に小学●年生にして絶望してしまった。
「でもあんたの両親だって優しいところがあるでしょ」で話が通じない。
そりゃそうだ、低学年がそんな話をしてもな。信憑性がないよな。
だから死んでしまおうと思った。首を吊ったが、残念ながら足が付いてしまった。
そしてずっと鬱だった。PMSで鬱は加速した。いつでも死ねるからいつでも死にたかった。
積み重なったものが溢れ、家を出て、それから5年くらい経っても鬱だった。
結婚していまでは安定しているものの、とんでもないことが起きるたびに鬱は顔を覗かせる。
そのたびに「いつでも首は吊れる。昔の私はできたんだから」と開き直れる。
きっとあっさり生を手放してしまうんだろうと思っている。
貧困だとか容姿が悪いだとか頭が悪いだとかマイノリティだとか親ガチャだとか、それぞれの人生があるのはわかる。
生きづらさを感じるのもわかる。
でもそんなのを主張してなんになるんだよ。
俺自身、街灯ひとつないクソ田舎の裕福ではない家庭の次男で、全部兄のお下がりだったし、母はヒステリックだったし、兄はグレて家で暴れるし、そのくせ家のお金をくだらないことに使うし、父は無関心だし、小学校の担任は問題起こしてクビになるような奴だったし、中高とも公立以外の選択肢なんて元よりないし、塾だって教育より株に熱心なおっさんが1人でやってるようなのが町に一つあるだけだし、数え上げたらキリがないくらいマイナス環境要素しかなかったよ。
それでもクソ田舎だし当時ネット情報もそこまでなかったから、まあみんなこんなもんなんだろうと思ってて、世を恨むことも上や下を見て羨んだり蔑んだりせずに中高まで生きてこれたことはラッキーだったと思う。
そんな自分がやっとこさ大学に行って、今までの全てがひっくり返ったよ。
何の努力もせずに親の金で同じ大学にいる奴や、当たり前のように中高で留学して英語ペラペラな奴や、何がどうなってかモデルとして雑誌に載ってる奴や、バイト代を全てパチンコに注ぎ込める奴や、理解できないようなおしゃれな服に何万もかけられる奴や、映画監督を目指してる奴や、一年から就活を意識してあれこれやってる奴や、おいおい俺の思ってた世の中と違うぞ、スタート地点のこの差はなんなんだって思うことが毎日あったよ。
うぶな自分にもよくわかった。
こいつらが当たり前に持ってる選択肢が、自分にはなかったんだ。
ないどころか、そんな選択肢があることさえ知らなかったんだ。
ショックだったし、傷ついたよ。
ダサくてカッコ悪くて気持ち悪い自分を不安に思う毎日だったよ。
チャラチャラしてたりキラキラしてる奴との埋められない差に絶望したよ。
奨学金で授業料を払い、生活費はバイトで稼ぐしかないなんて誰にも言えなかったよ。
割りのいいバイトばかり探してガラの悪い兄ちゃんにも絡まれ蹴られ、やっとの思いで貯めたお金で先輩から原付を3万で買うのにも勇気がいったよ。
ありすぎてきりがないからこの辺でやめとくが、まあそんなだったわ。
俺の言いたいことがわかるか?
お前の感じてる生きづらさだとかハズレ感覚だとか八方塞がり感だとかスタート出遅れ感だとか、全部普通のことなんだよ。
偉そうにすんじゃねえ。
まあ今は俺のその頃と違って、ばんばんキラキラチャラチャラした奴の情報が垂れ流されてくるから、格差を可視化され突きつけられてる感覚はあるんだろうよ。
だからって偉そうにすんじゃねえ。
事実大変なのかもしれんし大変なのによくやってるよ。たぶん。
けどな、お前みたいな奴も俺みたいな奴も、掃いて捨てるほどいる。
ガタガタ言わないだけか、あるいは昔の俺のように何も知らず無知なだけかだ。
主張すんじゃねえ。
惨めを語るな。
堂々としてろ。
飯が食えて健康で寝る屋根があるだけで相対的にお前は当たりだ。
それ以外のことはクソみたいなもんだ。
俺はそのクソみたいなことを気にしてもしょうがないと何年かかけてやっと飲み込んで、今は胸張ってまあそれなりに幸せだと言えるよ。
わかったら風呂入ってクソして寝ろ。
小中学生のときに学校で必要なものは、いとこのお下がりばかりで新しく買うなんてことがなかった。
自分のものだけ色褪せていたり、デザインが一昔前のもので子供ながらに引け目を感じていた。
みんなが持ってるゲームを自分だけ持っていなかったり、漫画を買うことができないことはもちろんのこと、
何より辛かったのは買えない遊べないことよりも、周りの人たちの話題に入れず疎外感を覚え続けなければならなかったことかもしれない。
高校の進学先を決めるときには、公立しか選べないのはもちろんのこと、進学校かどうかではなく就職率が高いところを選ばなければならないような感じでしか決められず、
勉強を頑張ってきたにも関わらずランクを下げての進学になってしまった。
もしも余裕のある家庭だったのなら、ちゃんとした進学校に通って、ちゃんとした大学で好きなことを勉強しながらキャンパスライフをおくってみたかった。
就職してからは、同じ仕事でも大卒の方がお金が貰えてたり、出世コースも高卒だと限られたものしかないように思えた。
一向に生活はよくならないし、幸せな家庭を築くことなんて自分には一生縁がないんだろうと感じた。
ご飯が毎日食べられる、寝る家がある、義務教育までは受けられるっていう絶対的貧困ラインは超えていたとは思う。
でも、相対的貧困によってずっと心が貧しくて、生きていて楽しいと思えたことがなかった。
もう消えてしまいたい。
考えすぎてもはや自分の容姿が客観的にどうなのかよく分からないけど、素は結構なブスでばっちりメイクして着飾れば普通かちょいブスくらいだと思う。
そんな容姿で数十年生きていれば普通はブスなりの諦めとか処世術とか身についてくるんだろうけど、私は未だに自分のブスさに悩み、絶望し続けている。
私は幼稚園の頃から眼鏡をかけていた。小学校も半ばになるととんでもない癖毛が発現した。当時はナル〇ヤ系ブランドが流行っていて、『もどき』のちょっと派手な服をたまたま一着買い与えられた。これはちょっと似合わないような気がする。でも鏡を見ない限り服だけが目に入る。可愛い、テンション上がる!
と引かれた。「お母さんが勝手に買ってきたんだよ」と強がった。
おしゃれをすることと、可愛らしい格好をすることが怖くなった。ぐりぐりの癖っ毛をショートカットにし、お下がりでボロボロのパーカーとジーンズを着た。眼鏡はなぜか無難な横長のレンズじゃなくてまんまるなやつをかけさせられていた。おまけに度が強いのでめちゃくちゃ目が小さく見える。
それでも私は密かに希望を抱いていた。なぜなら、それらは言わば足枷だからだ。
眼鏡を外した自分の顔を鏡で見ると、なかなか可愛かった。鼻はちょっと大きいけど、見慣れれば平気なレベル。目はぱっちり二重だし悪くないんじゃない? コンタクトにして縮毛矯正をかけられる時が来たら……見てろよ!
似たような経験のある人にはお分かりだと思うが、これはかなり危険な勘違いだ。鏡の前では誰しも『良い顔』を作ってしまう。しかも私の場合は裸眼だと鏡にかなり顔を近づけなければよく見えなかったので、至近距離からパーツごとに凝視していたことになる。全体のバランスが全く見えていなかった。
中学に上がったらもっとあからさまにブス扱いされ始めた。クラスのヤンキー達から陰で変なあだ名をつけられてクスクス笑われていたらしい(何ヶ月も続いた後にようやく知らされた)。あと、ブスハブりというか、差別。いじめと言うほど積極的ではないにしろ、クラスの可愛い子達、運動ができる子達、コミュ力の高い子達からスッと避けられる。あとに残った、(私の脳内では私より)極端に根暗な子達と仲良くするしかない。友達を選ぶ権利もない。いじめではないからどうにもできないが、私にとってはこれが一番堪えた。
それでも希望はある。高校に入ったらコンタクトにして縮毛矯正も許可するって親が言ってくれた。卒業まで耐えれば大逆転待ったなし!!
そして待ちに待った高校に入学した。私は美少女に生まれ変わった。いや、これが本来の姿だったのだ。さあ、今後毎日お弁当を食べるグループが決まる瞬間。隣の席の可愛い子、その前の席の可愛い子、後ろのいかにも運動部な子よ、仲間になろっ!
……ダメだった。彼女達は私など視界にも入らないかのように三人で机をくっつけてお昼を食べ始めた。私はあれよあれよと言う間に近くの席の変わり者達に取り込まれ、一年間そのグループでごはんを食べた。これでは中学校と同じではないか。一体なぜ。
行事の際に集合写真を撮った。そこに写った自分は美少女ではなく、能面みたいな顔だった。丸顔なんだか面長なんだかよく分からない縦にも横にもデカい顔に『見慣れれば平気』どころじゃない巨大な鼻とそれを際立たせるちんまりとした口。大きくて綺麗だと思い込んでいた目は巨顔に占める比率で言えばむしろ細く、まりもっこりみたいな三白眼でかまぼこ形だった。それらのハーモニーが最高に気色悪かった。
さて、ようやく自分がブスであることを悟った私は希望を失い、それまで以上にブス扱いに傷つくこととなった。
メイクやファッションを学び、失敗を繰り返しながらも徐々にマシにはなった。しかしメイクには限界があり、鏡の前で「お! イケてるんじゃない?」と思っても他人から見れば誤差のレベルで、特に複数人の中で比較されてしまえばほとんど意味はない。大人になれば流石に真っ向から「ブース!」と罵られることはないが、一緒にいる可愛い同僚だけ毎日褒められたり、とある男性社員からブスとデブだけ嫌がらせを受けていることに気づいたりして、その度に深く傷ついた。ブスならそんなのよくあることだし、そもそも毎回褒めそやしてもらえるほどの美人の方が少数派でブスがそれを望むなんてちゃんちゃらおかしいと頭では分かっているのだが、思春期までずっと「私は本当は可愛い」と思い込んでいたせいで余計に受け入れられない。新しいコミュニティに入るたびに、ついつい美人扱いを期待してはがっかりしてしまう。本当に馬鹿げている。
整形すればいいのでは? と思われるかもしれないが、そこまで大掛かりでない整形で何とかなりそうなのが鼻くらいしかない。顔も頭も大きい、目の位置は高い、顎はない、酷い巻き肩が治らないのも悩みだし、手足はかなり短い。肌質も髪質も声質もゴミだ。よくアイドルなんかが「顔の輪郭を髪でごまかしている」と馬鹿にされているがご存知だろうか、輪郭を髪で隠すにも素質が必要なのだ。顔が生え際から大きくせり出しているとほとんど隠せない。
それに鼻って弄るとすぐにバレる。あくまで私自身のことに限定した考え方だが、知人に整形したとバレたら美人もくそもないではないか。年に一回くらいのペースで会う美人の先輩が、会うたびに「また綺麗になったね」と褒めてくれる。私のゴッテゴテの化粧から「美人になりたい!! 綺麗って言って!!」感を読み取って言ってくれているのだろうなと思ってたまらなく恥ずかしくなる。そういうくだらない自意識も捨てられない。美人になりたいブスのくせに。
「人柄が顔に表れる」という言葉がある。本当に? 顔に出るにしたって限界があるだろう。もともと吊り目の人と垂れ目の人が同じくらいニコニコしていたとして、どちらの方が柔和に見えるかなんて分かりきったことじゃないか。『目つき』って何だ、結局目の形や黒目の大きさによるものじゃないか。
「女芸人のあの人は美人じゃなくてもいつもニコニコしているから可愛らしいじゃないか」もよく聞くけれど話にならない。芸能人なんてのは美人じゃなかったとしてもなんだかんだ好印象な顔、『様になる』顔なのだ。私のような不快感を与えるタイプのブスなんて見たことがない。
そう、私は多分なんとも不快なタイプのブスだ。香椎〇宇っていたでしょう。彼女はもちろん美人だったけど、彼女の目つきがきつい感じ、お堅そうな感じだけを持ち合わせたブスがいたとしたら……それが私。どこへ行ってもまず第一印象は良くないし、良くてくそ真面目に見られてしまう。滅多に打ち解けられないし、一つ失敗したらすごく失望されるし、みんなと一緒になってはしゃいだら苦笑いされるかギョッとされる。悲しい。寂しい。性格ブスが進んで雰囲気もますますブスになる。せめて好印象な顔になりたかった。
最後に、なんで都会ってスタイルの良い人がやたら多いの? ただの健康診断の会場ですら私より小さい人が見当たらなくて愕然とした。身長だけで言えば私はごく平均的なはずなのに。何というかみんな頭身が高い。『モーニング』の世界に一人だけ『コロコロコミック』のキャラが迷い込んだみたいで恥ずかしかった。じゃあね。
コロナで引きこもりが続いてるけど、ここ数年で買ったもので満足度高かったものはコレかと思うんだ。
・XBOXコントローラー 操作性が抜群によい。steamならこれ必須。
・クルマ あるとやっぱり便利。仕事で行き詰まった時にドライブとか、家族旅行にも使える。見栄と興味でベンツ700万は頑張った。
・ロードバイク 運動用に中古買ってカスタマイズ。ダイエットマシンとして活躍中。
・イトーキのデスクチェア 定価10万超えのやつを会社のお下がりで1万。腰が楽になったわー。
・サプリメント BCAAとかビタミンとかプロテインとか。運動習慣つけるために。
・GUのアクティブタイツ ギュッと絞られる感じ。これが1000円以下とかほんとすごい。
金曜日、久しぶりにTVを付けたらテレ玉で涼宮ハルヒの憂鬱が放送されてた。エンドレスエイト、それもみんなが夏休みをループしているのに気づく回でこれぞハルヒ!と言えるような回だった。
自分の中でオタクという人格形成を手伝った直接的な作品であるアニメでもあるので、やはり見るべきだろうと視聴していたが、なにかしっくり来なかった。
画質が良すぎた。
自分がハルヒに初めて触れたのは中学生の夏休み、コンビニが町に一軒しか無いような東北のクソ田舎で暮らしている自分がほぼ初めて見た深夜アニメがハルヒだった。クソ田舎は無論深夜アニメなんかは放映されているわけはない。父親のお下がりでもらった、XPも動かすのがやっとのようなノートPC。スクエア型の草原からまだリッチデザインだったchromeを立ち上げて、隣町のTSUTAYAで購入した雑誌に乗っていたURLを数分かけて手打ちして入った動画配信サイト。そこでハルヒを見た。
画質は480pのガビガビ、画面の下には中国語かフランス語の怪しげな字幕、イヤホンから流れてくる麗かな平野綾と面倒くさそうな中村悠一の声。
周りの奴らは遊び回っている一方で、部活から帰ってはすぐにPCにかじりつき、穴が空くまでアニメを見た。あの画質、あのフォーマットの動画。
セリフを諳んじるほどまで見たハルヒやけいおん。自分の中のハルヒは480pのハルヒだった。
何気なく見たハルヒは綺麗だった。1080pで写っていた、字幕も何も無かったし途中で広告も挟まれなかった。泣きながら止マレ!を口ずさみ最後まできちんと見た。
あのプールがあんなにもきれいだとは知らなかった。ハルヒが年下になっていた。
10年で自分は社会人になった。primeやdアニメでハルヒをいつでも合法的に見ることができるようになった。
しかしあの10年前、480pのハルヒを見た自分のときめきは返ってこない。鳥肌を立たせながら谷川流を調べた自分の感情は返ってこない。
そんなことを考えていたら寝られなくなった。