はてなキーワード: がり勉とは
今は自分が地頭が決して良くはないことは自覚して生きてるんだけど
大学生~社会人の始めくらいまでは、東大の自分は自分が地頭がいいと勘違いしていた。
念の為誤解のないように言うと、「東大生は頭が悪い」と言ってるわけではなくて
「東大生であるからと言って地頭がいいわけではない」ということを言いたい。そして自分は地頭がよくない。
思い返してみると受験のとき本当に信じられないくらい勉強をして超絶がり勉の末に
たまたま受験に成功して東大にはいった。とにかく時間と労力をかけて合格することができた。
であったにも関わらず、東大に入ると周りから「頭いいんだね」とか「すごいんだね」という
扱いを日常的に受けることになる。そんな環境にいると自分が本当に頭がいいんだといつしか
錯覚してしまう。その上で、「頭がいい=なんでも直ぐにわかる」みたいな先入観に支配されるのか
自分はそういう人間なんだと思い込んでしまっていた。思い返してみると大分痛い。
この錯覚がなにを生むかというと、自分の力を過信することになる。
資格試験とかにあんまり対策をせずに望んで撃沈する、ということが起きる。
労力と時間をかけて試験を突破してきたタイプなのに、そのプロセスを踏まないで
ある日ふと「そういえば自分はがり勉タイプだった」と思い出し、そこからなんとか軌道修正することができたが
気づかずそのまま勘違いしていたらと思うとぞっとする。
日本の大学受験は物量と対策で突破できる類のものである為、地頭の良さの証左にはならないということを言いたかった。
尚、体感的にはいわゆる超エリート中学校みたいなところ出身のひとは大学の学歴に関係なく本当に頭がいい率がかなり高い気がする。
幼少期に超頭を使うことで知能がグンと発達するのかもしれないし、エリート中学の受験ていうのは頭がいい人間を選抜できる仕組みが整ってるのかもしれない。
もう10年以上前だけど、大学進学とともに上京したときに高学歴な不良がいることに驚いた。
自分も別にがり勉ってわけじゃないけど、地方から東京の有名大学に行こうとしたら、やっぱり勉強時間は増える。
同じ大学に進学した友人もやっぱりそんな感じ。
最初は高校時代は真面目に勉強して、大学デビューしたのかなと思ったらそうでもないらしい。
だってDQNやってたら大学いけないし、しっかり勉強してたらDQNをやる時間がない。
DQNと受験を両立できるのが東京なんだと思ったのを覚えている。
逆に東京の人にはわかりにくい現象として、高卒優秀層っての田舎にはいます。
地元の優良企業に就職できるし、給料で好きなものをいち早く手に入れることが出来るので本人も喜んでいます。
ただ大学進学率が高い東京では、悲壮感なく頭がいい人が高卒で就職する姿は不思議かもしれませんね。
勉強=ダサいって価値観はなかったけど、勉強しかできない人=がり勉はダサいって価値観はしっかりある地域で育った。
勉強出来ることはダサくはないんだけど、学校内ヒエラルキーを上げることには貢献しない感じ。
ヒエラルキーは格好いいとか、スポーツできるとか、面白いで上がっていく。
だから勉強しかできない人は、何もやっていない人と同じだからヒエラルキーは低い。
逆に格好いい人が勉強できてもそれはマイナス要素にはならない。ヒエラルキーには影響しない。
これが普通だと思っていたんだけど、どうやら都市部は違うらしい。
格好悪くても、スポーツできなくても、面白くなくても、勉強ができたらヒエラルキーが上がる学校って本当にあるんですか?
やっぱり進学校とかはそういう人が多いのかしら。
教えて欲しい。
物語の基本が「かけているもの」が最後に「満たされて終わる」ものだとしたら、そのお手本の一つがアイシールド21だといえると思う。
アイシールド21ってたくさんの試合を乗り越えながら丁寧に丁寧にアメフト部の部員全員のコンプレックスや弱点を克服したり、強みに変えたりしてたんよね。他の「より強い技を覚えていくゲーム」になりがちなジャンプ系のスポコンものとは一線を画す「物語としての強さがある」ことは高く評価できると思う。
他の名作スポコン漫画とか見ててもちょいちょい「なんかおるやつ」みたいなのが混ざってたりするけど、アイシールドは部員全員がアメフトを通じてきちんと人間的にも成長していく様が描かれていて非常に良い。
おそらく試合展開から逆算してキャラクターを作ってる部分もあると思う。こういう展開の試合、こういう展開の試合、こういう展開の試合。この試合にはこういうキャラの能力が必要で、この時点ではこのキャラは覚醒していない予定なのでこの展開は難しい等々等々。
最初から最後まで計算づくで作られている。これを連載作品できっちりやり切ったのは本当にすごい。
誰もが主役、とまではいわなくてもそれぞれがそれぞれの個性を生かして、自分でできることを精一杯やりこなして勝利をつかむ。チームプレイってものに対して誠実に作られているのもとてもよい。
がり勉の運動未経験で最後までほぼウンチだった雪光学が、選択したルートをひたすら間違いなく走ってパスをキャッチする、その一点で最強チームから得点をとるのはめちゃくちゃ熱かった。しかもこの「選択したルートをひたすら間違いなく走り続ける」ってのは「親に言われた通り成功へのルート(お勉強)をひたすら走り続けた雪光の小中学生時代」にきちんと対応している。う、美しい。
「なんでもこなしちゃう天才」が、自分が天才でないことを認めて「チームのためならなんでもやれる男」にクラスアップする展開もアツい。しかも、最後まで能力値としては中途半端な器用貧乏のままなのよね。
ほとんどの人はもう読んでると思うので今更言うことでもないとは思うんだけど、もしまだ読んでない人がいるならちょっと読んでみてほしい。最初から最後までセブンのサンドイッチばりに具材たっぷりで面白いから。
ワールドカップ編?
知らない子ですね……
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shota_hatakeyama/n/n5662ae20a1e9
上記の記事を見ながら思ったのだけど、これは高等教育を受けたものだけが富を得られるという構造がやはり大きい。
日本にもあるがアメリカは人種問題や教育制度の仕組みもあってより深刻になってる感じがする。
日本でもアメリカでも教育は誰でも平等に受けれることになっており、勤勉に努力したものだけが努力の結果の報酬として様々なメリットを受け取るのは資本主義的に正しい気はするし、インセンティブの管理としては妥当に思える。
この前提にたって「自分たちは勤勉であったから価値があるのだ。怠惰だったものはもっと頑張れ」という主張は一見正しい。
このような人は所得の高い職に就き、お金持ちになるし何よりわが子の教育に再投資する。ゆえに正のフィードバックが回り経済格差は固定化される。貧乏人は教育を受ける余裕もなければ教育が大事という教育すら受けてないのだ。魚の釣り方ではなく魚そのものが必要な状態では仕方がない。つまり「自分たちが勤勉」という前提は必ずしも真ではなく「勤勉でいる事が容易な環境に生まれた」という本人には管理できない部分によるところも相当に大きい。もちろん「貧乏でも努力して。。。」みたいな例外はいるが例外は例外である。その例外を受け入れる姿勢は良いことだと思うけど。成り上がるチャンスはあるが、成り上がるより引き継ぐ方がずっと簡単とう話。
これが財閥クラスの真の大金持ちだと100年後の安定を求めて社会全体の教育水準を上げることが地域の安定や経済的な富になると考え投資もするだろう。彼らは社会基盤が安定してればもはや稼げるのだ。ゆえに社会基盤を安定させることが経済的な基盤を保つための原則だ。
しかし年収数百万だの一千万だの数千万と言ってる程度の中流階級な小金持ちはそうではない。競争に勝たなければ経済基盤が安定しない。勤勉が価値の源泉だ。ゆえに自分たちの同僚のような勤勉な黒人の権利を守るために働きかけるが、怠惰な黒人がどうであろうと基本気にしない。勤勉でインセンティブが得られるという構造が自分たちの利益になるのでそこを守るために動いている。
つまり「黒人差別はしないが黒人も白人も貧困層(=怠惰な層)を差別する」。別に博愛主義者じゃないので勘違いしないでよね。
もちろん、そうでない人もいるがそれは単にその人の趣味だ。「人はパンによって生きるのではない」。そういった趣味とか信念とか信仰の結果でそういった行動をする人たちももちろんいるが、経済的なメリットとか即物的なものじゃないので万人の行動原理にはなりづらいだろう。
自分は所謂がり勉でもないし、受験戦争とは無縁で家族からも過度に勉強を強いられたことはないが、塾にも通わせてもらったし大学にも行くことができた。
父は時折「お前は次男だから財産として渡せるのは教育だけだ」という事を言っていた。田舎の兼業農家なので継ぐといっても大層なものは何も無いのだけど、少なくとも人材的投資の価値を信じていた言葉だと思う。
まあ、母は学校の教師だし、父も大学ではないが農業の専門学校を出たようなので当時の地元としては高等教育を受けていた可能性は高く、そのサイクルを肌身として知っていたのではないかろうか。そんな話をしたことはないが。
いずれにしても、この状況から自分の価値感はかなり小金持ちよりだろう。実際、仕事してれば生きてける程度にはお金に困っていない。そういう感じで恩恵を受けている側なので50年、100年の未来に問題が噴出するだろうが積極的に改善するモチベーションが無いのも本当のところだ。人種によらず努力が実る環境は目指すが、努力しなくても何とかなる社会をそこまで目指してはいない。
現在の格差拡大は貴族と平民、大富豪と奴隷、そういった近代的な価値観とは違いあえて言えば平民同士の格差の拡大だ。そういった点が今回のアメリカ大統領選でも見えた気がする
大富豪は別なレイヤーに存在していて、どちらかとうとそちらの方が自分たちのメリットのために平等や底上げを目指していると思う。
構造的に政治の中枢というのはエリート、つまりここでいう金持ちが集まりやすいので抜本的な改善はクーデーターでも起こらない限り難しいのではないかな。。。
すでに富の再分配として日本でもアメリカでも高収入の人間は税金をバカすか取られてるわけだし。たしか日本だと少なくとも年収が年収890万円は無いと払った以上の公共サービスを受けてることになるみたいだし。まあ、実際は消費の担い手としての価値もあるから社会のお荷物というのは言い過ぎだけど。
これを程度レベルじゃなく根本的に変えるにはそれこそ社会主義的なドラスティックな変更でもないと無理な気がするし、個人的にはそうはなってほしくないというのが本音である。
便乗して。
完全な地方都市に生まれて、国立大や早慶に入るような人がいると近所で話題になるくらいの町で育った。
周りと比較すると勉強ができたので自分は頭がいいという錯覚に陥って、かつ運動神経が悪くコミュニケーション能力も低かった自分は
勉強くらいしか人並みにできることがなかった為、勉強を頑張った。
高校は電車で1時間くらいかかるその地域ではそこそこの進学校に入った。(年に一人二人東大入るかどうかくらいのレベルの学校)
そこでもただひたすらに3年間がり勉し続けた。結果ぎりぎり滑り込めたのが文系の国立大の一橋大学だった。
東大や京大は受けられるレベルにすらなかった(今は知らないけど当時は東大は社会の科目が一つ多く、
京大は数学の範囲が広く他の国立大受験と比べても一段階大変で格が違った)
この頃から、自分は地頭がよくない唯の宿題芸人に過ぎないということを何となく気づき始めていたが
上京して大学に入ってまじまじと突きつけられることになった。高校自体のほとんどすべてを費やして
なんとか滑り込めた一橋大だったが、クラスの半分くらい?は首都圏の著名な進学校の人たちだった。
話してみると、同級生の大半は東大か医学部にいったけど、落ちこぼれの俺は一橋が限界だったとか
高校時代遊びすぎてしまった、みたいなひとが沢山いて驚いたのを覚えている。
で、実際ゼミなどで議論をしたりすると頭の回転の速さの違いに驚愕した。なんというか脳のCPUが違う気がした。
卒業できるのか不安になったけど宿題芸人の気質のある自分は単位はなんとかとれて滞りなく卒業、就職できた。
民間の就職に強い大学のブランドの恩恵にあずかって世間的には立派な会社に就職できた。田舎の出の自分が
こんな会社に入社できるとは、と当時はうれしかったし感慨深いものがあった。で、入社してみて同期のレベルの高さと家柄の良さに驚いた。
もちろん自分みたいな田舎の出もいたけど、マジョリティは東大だったし、大学を問わず所謂都市の有名中高出身の人が多かったのである。
留学したり帰国子女で英語が話せるのが当たり前だったり、聞いてみると両親も誰もが知ってる一流企業で働いていたりと
通ってきた道がそもそも全然違うんだなと思った。(脇道にそれるけど金持ち喧嘩せず、というか大体おおらかで良いやつが多かった)
その後実際働いてみると先輩や上司も含めて頭がよくて、地頭の悪さを痛感しつつやり過ごす日々だけど10年くらいなんとか辞めずに続いている。
で、いつからか思うようになったのは「自分は東京に移民してきた田舎移民一世」なんだという感覚だ。あくまで東京という国においては外人で異物に過ぎない。
結婚して自分の子供が生まれたら、その子は移民2世として自分よりは”東京”に順応した存在になるのかなと。それが何代か続いて初めてこれまで出会って来た
地頭のいい純粋培養の都心のエリートみたいな存在が生まれ得るのかなーと。とりとめがなさ過ぎるし、で何がいいたいのか?といわれるとうまくまとめられないんだけど、現実問題地方と都心では格差があることは事実だなーと。
一方で就職してから仕事の関係でアメリカとアジアの国にそれぞれちょっとずつ住んだ印象だと、日本の格差はまだましな方だなとも感じた。一億総中流風?なのが逆に諦観にまで至ることが出来ずに苦しいのかもしれないけど。
特にバスケやサッカーなどをさせる。陸上や水泳など一匹狼系の種目と違って、バスケやサッカーなどができるほかの子と友情を育み、逆にできない子に対して優位なマウントをとることができる。
(もちろん、持久力も重要で、体力テストなどでマウントは取れるが、バスケやサッカーをしていれば自然とつくのでコスパが良い)
小さいころから子どもと遊ぼう。ただし、親のどちらかができなければ、大した効果は得られないので、きちんと結婚相手を考えるべきだった。
最低限の喧嘩に対して防御の意味でつける。殴られても落ちなければ、いじめられてもそのうちいじめられなくなるだろう。
喧嘩になった場合に備えて、喧嘩のしかたを学ばせる。相手に重篤なけがをさせない範囲で、歯向かう気をなくす程度の強さを習得させる。空手、柔道、ボクシング、合気道は有効。
これは生まれてからはどうにもできないが、高いほうがよく、まずは結婚する人から考えるべきだった。
勉強でマウントをとることもできるが、まずはスポーツを優先すべきだ。スポーツでマウントがとれており、勉強が極度にできないのでなければやる必要はない。
逆に、上位5%程度をキープできれば、いじめなどに合う確率は低くなるが、「がり勉」とされて体育系でマウントをとっている人たちの輪に入るのは難しい。
幼少期からきちんと自分で考えさせる教育をすべきだろう。また、結婚相手を考えるべきだった。
子どもが給食のデザートを入手したりするのに有用。逆に、防御にもなる。
バカにされても逆に笑いをとったりすることができる。逆にダメージを返すこともできる。
発表などの際、内容が伴っていなくてもごまかすことができる。
声の小ささはいじめに直結するので、声は太く大きく発声できるようにボイストレーニングする。
マナーはスクールカーストには全く無関係で、むしろ逆の相関すらあるので、教えなくてよい。
とくに口のきき方は悪いほうが良い。
ゴシップなどは話のタネになるので、積極的に週刊誌などを読ませる。
子ども自身ではないが、ほかの子や親に対してマウントを取る意味では高級なほど良い。
家は広さと庭が重要。ほかの子を呼んだときに、噂を通じてマウントをとることが可能。
団地は論外。アパートよりはマンション、マンションよりは一軒家が良い。
外車とまではいかなくてよいが、最低でも3000ccクラスの高級ラインから選ぶこと。
毎週洗車すること。
ヒビが入ったらすぐに修理すること。
最低限妊娠する・されると困るので、その程度の知識はつけておく。
経験は早いほうが良いことを教えておく。後々中学・高校でのマウントがとりやすくなる。
子どもは取り入れた知識をひけらかすので、できるだけ子どもたちにとってインパクトのある表現や、事例を取り入れて話の輪の中央に位置できるようにネタを提供する。
特におしゃれも努力もしないがり勉の女なのに、何故か金持ち・モデル・不良(実はいい人)が集まってきて
「意外とかわいーじゃん」とか「チャラチャラしてる女よりよっぽど可愛い」だとか言ってナンパしてくる。
そしていきなりキスして来たり、抱きしめて来たりしてくる。
なんか想定してる読者層が透けて見えて気持ち悪い。おしゃれしたり遊んだり、人生努力してる人への蔑視が透けて見える。
「見た目で選んでほしくない」みたいな文句は言うくせに、自分に言い寄ってくる男はイケメンばかり。ブサイク男は大体ストーカーか悪者。
自分ではアクション起さないのに、一方的に男が寄ってきて色々してくれることを期待してる精神的マグロ。
主人公は客観的に見て何のとりえも無いのに、なぜか男が恋心抱いて発情した犬みたいに腰を振るさまを見て、
その異変を初めて体感したのは、日常のほんの些細な出来事からだった。僕はその日、幼馴染で親友の桐王寺勝也と一緒にいつもの通り学校から帰宅していた。通っている高校から僕たちの住む団地までの道のりには、三つほど信号と横断歩道があった。僕たちはちょうど真ん中の横断歩道で、大きな荷物を抱えた一人のおばあさんを見つけた。まるでマンガやアニメに出てくるような紫の大きな風呂敷を胸の前で結びこみ、マンガやアニメのように身体をふらふらとさせながら信号を待っているマンガやアニメのようなおばあさん。僕たちは顔を見合わせると、背後からそのおばあさんに話しかけた。
「おばあさん、荷物、重かったら僕たちが運んであげようか?」
勝也がそう言うと、おばあさんはピタッと動きを止めて、静かに僕たちの方を振り向いた。その顔には信じられないと言ったような表情。そして、口をわなわなとふるわせながら、しゃべる。
「今、なんて言った?」
その言葉には、人間の心に鈍感な男子高校生でもわかるくらいに怒気を孕んでいた。まさかの言葉と表情に僕たちは面食らってしまった。僕たちは再び顔を見合わせた後、勝也がもう一度口を開いた。
「その前だよ!」
いきなりの大声に思わずビクンッと身体を張り詰めさせる僕たち。
「そ、その前って……?」
僕たちは後ずさりをしながらも、そのおばさんに尋ねる。
「アタシのこと、なんて言った!?」
さらに大きな声で言うおばあさん。その衝撃波が僕たちの身体に当たる。
「お……おばあさん……って言いました……」
「そうだろうがぁ!」
おばあさんはそう叫ぶと、背負っていた重そうな荷物を振り回し、僕たちの顔めがけて投げてきた。
「うわっ!」
僕はとっさにかわすことが出来たが、勝也はもろにそれを喰らっていしまう。
「ぐへぇ」
という声とともに、頭から倒れる勝也。そして、倒れた勝也の胸元に、すぐさま馬乗りになるおばさん。
「ちょ、おばあさん、何してんの!?」
僕は慌てて止めに入るが、おばあさんの鋭いパンチが勝也の頬にはいる方が早かった。
「アタシの、ことを、おばあさんとか、いうんじゃ、ないよ」
「何してんだって!」
僕はおばあさんを羽交い絞めにした。なおもバタバタと暴れるおばあさん。足を限界まで伸ばして勝也を蹴っている。
「ッ本当の、ことを、いうんじゃ、ないよ!」
おばあさんはそう言うと、するりと僕の腕から抜け出し、大きな荷物を抱えてものすごいスピードでどこかに行ってしまった。
「なんだったんだ……?」
僕はその後姿を呆然と眺めるしかできなかった。そして、呻き声が耳に入り、我に返る。
「だ、大丈夫か?勝也!」
僕は勝也を支えながら、家に帰った。
「勝也、大丈夫か?」
僕は開口一番勝也に具合を尋ねる。
「なんとか」
「……そっか」
僕たちはそのまま学校に向かった。学校に到着すると、昨日のおばあさんのことなんか忘れてしまうくらいの出来事が起こっていた。なんと、学校にあるありとあらゆる書籍や教科書、書類が校庭に集められていたのである。
「あら、おはよう。二人とも。もう教科書は校庭に捨ててきた?」
クラス委員長で生徒会の役員も務めている八島真理がメガネを拭きながら教室に入った僕たちに尋ねてくる。
「え?いや、まだだけど……っていうか、どういうこと?教科書を捨てる?」
「ええ、そうよ。あんなもの、早く捨てないと、先生に怒られちゃうわよ」
「やめろ~!僕は、死んでもこの教科書は捨てないぞ~!」
大声でそんな言葉が叫ばれているのを耳にして、思わずそちらの方に目をやると、そこにはがり勉の三俣啓介が先生たちに取り押さえられているところだった。
「やめろ、やめろ~!」
教科書を奪われた三俣はそれでも先生に抵抗しようとあがいている。しかし、
「いい加減にしろ!」
という、先生の声とともに、三俣の顔に先生の蹴りが入る。ミキャという嫌な音があたりに響く。
「ッッ!?」
「お、おい。早く俺たちも行こうぜ……」
昨日のことを思い出したのか、顔を蒼くしながら勝也が僕を引っ張る。
「あ、おい……」
僕は結局校庭まで引っ張られて、教科書や持っていた文庫本を捨てることになった。そして、授業が始まった。
世界史の七井がいきなりそんなことを言い始めた。僕と勝也は互いに顔を見合わせる。そうした瞬間、ちらっと空席が見えた。あそこは確か三俣の席だった気がする。あの後結局どうなったんだろうか。
「では、いきなりだが質問だ。われわれ人間は、みんな同じだね?」
七井がそんなことを聞いてくる。人間はみんな同じ、だって?確かに同じ部分もあるが、同時に違いもある。一概に同じだとは言えないはずだ。
僕がそう思っていると、八島が手を挙げる。
「八島君、どうぞ」
「古来より人間には差異などなく、みな同質でありました。それは今も変わりません。なので、人間はみんな同じであると言えます」
「その通りだよ、八島君」
七井は嬉しそうにいう。しかし、それに異を唱える者がいた。こちらもがり勉で、一番後ろに座っている一色だ。
「みんながみんな同じなんて、そんなバカげたことありません。現に僕は目が悪くてメガネをかけているのに、彼女はかけていないじゃないですか!」
一色はそう言って八島を指さす。七井は一色に近寄ると、一式が欠けていたメガネをはずした。
「あ、な、なにすんですか!?」
メガネを取り上げられて慌てふためく一色。七井はそんな一色のことを気にも留めず、手の中にあったメガネを握りつぶした。
「ああ~!」
一色の悲痛な叫び。
「これで、同じだね?一色君?」
七井は先ほどの八島の答えを聞いた時と同じように、笑顔で聞いている。
一色はなおも食い下がろうとしたが、次の瞬間身体が椅子ごと後ろに吹っ飛んでいた。七井が思いっきり一色のことを蹴ったのだ。そして、蹴られてうずくまる一色の近くにしゃがみ込み、再び七井は尋ねる。
「同じだね?」
その日を境に、世界は大きく変わってしまった。僕以外のすべての人が、人間はみな同じであるという考えを、まるで植え付けられたかのようにするようになった。やつらの言い分では、差異がないから、差別もなく、貧困もなく、幸福で幸せな世界を築けるのだという。
僕は相変わらず学校に通っている。それは、僕が人間はみな同じであるという考えを持っていないということを知られないようにするためである。今日も一日、学校が終わるまで何事もなく過ごすんだ……そうすれば、なにもされなくて済む。
「ホームルームを始めるぞ」
担任の声で、我に返る。
「今日は、皆に非常に残念なことを伝えなければならない」
「どうやら、ウチのクラスで、同じ人間じゃあないものが逢いるらしいんだ」
ドキッとした。心拍数が上がるのがわかる。口から心臓が飛び出してしまうのではないかというほど急に心臓が動く。先生のその言葉で、クラスのみんなが一斉に僕の方を向く。
「えっ……」
僕は思わず声を漏らしてしまった。担任が僕に近寄ってくる。そして、笑顔で言った。
「同じだね?」
Happy End