はてなキーワード: 刀削麺とは
「横浜って何か名物ある?」という質問に横浜市民なら一度は頭を抱えたことがあると思う。家系ラーメン?焼売?中華街の食べ放題?どれをお勧めするのが正しいのかわからないというのが横浜あるあるだ。
しかし昨今の辛い物ブーム、麻辣ブーム、多分だけれど横浜が売り出すべきなのは本格四川麻婆豆腐なのだと俺は思う。つい10年前まで四川麻婆豆腐は激辛好き専用という認識が広がっていたけれど大阪でのスパイスカレーの流行りや関東ではアジア料理は女性中心にどんどん広がっているし「辛いのはちょっと…」という理由だけで麻婆豆腐を避ける人も前よりは減ったのではないだろうか?マーは好きだけれどラーは嫌いとか、そういう人もいるとは思うが一度は麻婆豆腐を食べてみてほしい。
という訳で麻婆豆腐好きの俺が観光客にお勧めする本格四川料理屋を参考にして横浜に行って麻婆豆腐を食ってくれ。
お勧め そのいち
◆京華樓 鶴屋町CRANE店
https://s.tabelog.com/kanagawa/A1401/A140101/14031569/
断トツで美味い。京華樓は中華街に本店を構える老舗中華屋だが俺の愛用はこちら鶴屋町CRANE店。まず大前提として本店と鶴屋町CRANE店では麻婆豆腐に限らず全てのメニューが味がかなり違うので本店を訪ねたことがある人も一見の価値あり。
京華樓の麻婆豆腐はかなり肉肉しい。肉好きの食べる麻婆豆腐はこれに間違いない。それなりに辛いが所謂食えない辛さではない。とにかく肉の旨味が効いてる。
店舗が横浜駅からアクセスが良いところも評価の一つ、気軽に食べれることもあり一時は月一以上で食べていたこともある。「山椒が効いた麻婆豆腐は苦手」と言った知り合いを何人も麻婆豆腐の沼に落としてきた。
普通に大盛りを頼んで貰いたいところだけれど辛いものが苦手な人はハーフサイズを頼むのもアリ。
あと他のおすすめメニューは海老のオブラート包み揚げ、これに関しては本店の20倍ぐらい鶴屋町CRANE店が美味い。俺は酢豚が嫌いだから頼まないけど家族が言うには酢豚が滅茶苦茶美味いらしい。つか何食べても外れがない。全部美味い。でも流石に麻婆豆腐を頼まないはあり得ないのでとにかくここで麻婆豆腐を食べろ。
お勧め そのに
https://s.tabelog.com/kanagawa/A1401/A140103/14010899/
陳式麻婆豆腐 ☆4
横浜じゃなくても食べれるじゃねえかよというツッコミ、本当にそうだな!なんだけど流石にここを逃さないわけには行かない。
まずシンプルに滅茶苦茶安い。
中国人の美味い本格麻婆豆腐を食べようとするとかなり高くつく。大皿を家族でシェアするスタイルが普及していることもあるのでどうしても大盛りで高価になる。その点陳健一はコスパが一番良い。特別な一日でなくても食べられることからよく購入している。
そして次に辛くない。
「激辛麻婆豆腐好きは辛い方が良いんだろ?」と言われがちだが辛いだけで美味くない麻婆豆腐なんていくらでもある。辛くないと物足りなさはあるが辛ければ良いというものではないのだ。その点陳健一は有名店だけあって辛さは控えめで日本人向け、なのに本格的で旨味があるという美味しいとこ取りなのだ。ようは初心者向け。
辛さが苦手な人はここで麻婆豆腐を食べて麻婆豆腐を好きになろう。激辛好きは大辛でも辛くないからお勧めしないが充分旨味は感じられるよ。
ランドマークタワーという高立地も評価できる。パシフィコ横浜やみなとみらいアリーナだのイベントで訪れる人にもおすすめしよう。
お勧め その3
https://s.tabelog.com/kanagawa/A1401/A140105/14000499/
サラッとした感じが強い。高級故に量がえげつないので激辛好きも多人数で訪れるのをお勧めしよう。
超老舗有名店なのでマジで何食べても美味い。麻婆豆腐興味ねえなって思ってるけど中華街行く予定の人、ここにしておけ。割と値段は高い。観光スポットとしては断トツ「中華街に来た!」ってなれる店だ。予約は必要。
ちなみに俺はここのチャーハンが滅茶苦茶好き。麻婆豆腐はチャーハンとセットで食べるというこだわりがあるのでチャーハンメインで行く時はここに来る。
お勧め その4
華隆餐館
https://s.tabelog.com/kanagawa/A1401/A140104/14005003/
陳麻婆豆腐 ☆5
これは完全に人を選ぶ。上3つが観光向けならこっちはただの町中華。まぁ滅茶苦茶美味い、パンチが効いてる、がサービスはそんなに良い方ではないだろう。なんか全然飯出てこない時とかあるし、予約取れてないとかしょっちゅうある。マトモな店ではない。だが美味い。予約は意味ないからしない方がいいんじゃないかな……経験上混んでるところを見たことないのでわからないが人が寄りつく店ではない。あとたまに明らかに料理ミスってるだろ?って時があるのでハズレの日に当たったらすまん。
はぁ、
男なら(女も)だまってC定食え。
へんみ
大人数で行け。以上。
俺ここ大好き
晋香苑
運城飯店
食べ放題でとりあえずいい。
渤海飯店
コメントなし。
孔子餐店
孔子の子孫は奥さんの方な。北大界隈でしっかりしてるのはここ。
辛いの頼め。親父の釣り談義に付き合え。
深いこと考えるな。なんらかのセットを頼め。
これに関してはかつてススキノで宝来の系譜にやたら詳しい謎の親父に教えてもらったんだけど泥酔して忘れてしまった。
珠華飯店
マックスバリュというスーパーに車を停めていいのか? だめだ。
そんなことばかり気になってあんかけ焼きそばの味を覚えていない。
広龍
最近こういう店が少なくなった。出前をやってる。
進龍。
閉店になった店だが許してくれ。
平成軒。
秀円 ひでまる
聚宝
南郷通の雄。
北海楼
よく知らない。よく知らない名前の麺を食え。
元増田はおそらく札幌のかなり街中に住んでいるのではないだろうか。
街中だとブコメなどで言われる名店「香州」くらいしか出てこないのだが、実は札幌には以外にそれぞれの地域の顔というか雰囲気がある。
東区はざっくり下町だし、西区はハイソ。丘側が顕著。旭ヶ丘高校近くだと若者多くて華やか。
南はなんというかどっしり。その途中の澄川あたりも独自の文化がある。
北は北高あたりで一つのまとまりがあり、学園都市線沿線で文化圏があり、あいの里がその文化圏の周縁になる。
東は川渡った向こうで別次元で南郷通界隈はそれぞれ文化圏が違うし新札幌は一つコアになる。その向こうは昭和の新興住宅街でそれぞれ文化がある。
街中華はそのそれぞれに、それぞれの人々をお客として成り立っている。
ここに書ききれないお店はいくらでもある。
味は保証できないが。
一ついえることは、実は札幌は今述べてきたような各地域「レペゼン」の色はあまり語られてこなかったのだ。
当然、各地域の色はある。ところが、それを論ずる人はほぼいない。
これはおそらく伝統的に札幌市が博物館構想の中で歴史系を等閑視してきたことに関係があると思う。
札幌は市内でいろいろな地域性「レペゼン」があるのだが、ついにそれを客観的に論じようとする研究者を生む余地を作ってこなかった。
餃子の神は白い髭を蓄えながら、宙に浮いている。杖を携えているが、こういうときの神は何故か西洋系だ。
「お前は餃子の無限性を理解している。しかしじゃな、餃子が宇宙であることまでは理解しておらん」
なんだと、この爺は俺に説教しようというのか。餃子の無限性を体得したこの俺にだ。餃子技が無限であるゆえにその手から繰り出される餃子もまた無限、これ以上の餃子マスターはいまい。粉、湿度、油の温度、油の種類、粉の練り方から寝かせ方、刀削麺の技術も参考にして完全無敗(?)の技術を身に付けた。ひき肉は鹿児島県産の黒豚と黒毛和牛を5:5でコネ併せた、そのままでもハンバーグの名店に引けを取らない、口の中で溶けるひき肉を用いている。その上にんにくも――。
しかし神は考えを読んだのかファファファと笑ってみせる。FFか。
「やはりわかっておらん。餃子は変幻自在、変幻自在であるがゆえにこのような餃子が出てくることを考えておらぬ」
そういうと餃子神は、目の前に一皿の餃子を出現させてみせた。そして悠揚とした面持ちで食うてみいという。
俺は餃子神を睨(ね)め付けながら差し出された餃子を一口に含んでみた。じゅわっと広がる衣の油と、さっくりとした菓子のような生地、たちまち広がったのは衝撃的な味だった。
「なんだ、あんこか!?」
この野郎、と俺は思った。
たしかに餃子の生地を使っているが、中身は餃子とは似ても似つかない物が入っている。名古屋名物のマネでもしたつもりか。俺は叫んだ。名古屋人になったつもりで叫んだ。
「大うつけが! これはスイーツであって餃子ではござらんみゃー!!」
大うつけ信長をデコレーションしながら叫んだ。我ながら完璧な名古屋人だ。
とはいえ不覚だった。餃子の名所は宇都宮であって名古屋ではない。できるなら宇都宮の著名人も声真似として入れるべきだった。しかし細かすぎて伝わらない。そんなことを考えているうちに、神がまた笑った。
「今まさにお主がゆうた答えそのものよ。お主は餃子お考え方を自ら狭めておる」
神は笑顔だ。勝ったつもりでいる。こいつ、俺のいったことを理解してないのか。
そんな俺を見抜いているかのように神が指差す。
「半分だけ食べてみよ」
俺は上目遣いのまま餃子を半分だけ食べてみた。
「これは……!」
半分だけになった餃子とあんこの中から肉汁が垂れだしている。こいつはスイーツと肉を融合させていたのだ。
俺は雷に打たれたような衝撃と気持ち悪さとカルチャーショックに震えた。西野カナよりも震えた。しかし瞬時に負けたことを悟った。甘みのコクとして肉を挟む手法は、パインと酢豚並みではある。しかしパインと酢豚は気持ち悪さと引き換えに、肉を柔らかくする技法を隠し持っている。そしてあんことひき肉の融合も、程よい塩分にとコクによってあんこの異文化交流を果たしつつ、刺激的な出会いをもたらしている。そして餃子の型を崩していない。俺の顔が苦渋に歪んだ。敗北感と先入観による気持ち悪さと、案外美味しいという悔しさからだ。そんな俺に餃子神は突然いう。
「ま、餃子ではないがな」
はあ? と思った。一体なんなんだこいつは。新しい餃子の可能性を示したのではないのか。
「お主のそういうところじゃ。餃子の無限性を説きながら、全く餃子を広げようとはしておらん。お主は餃子の型から離れることがない。餃子の究極は餃子にして餃子にあらず。餃子の型ありて餃子の型なし。餃子そこにありてどこにもなし。わかるかな?」
わからん。ただ、餃子の道がまるでタオのように深遠なる世界であることだけが伝わってくる。俺はその時はたと気づいた。それはすがる気持ちに似ていた。
「餃子の構成は原子、いや量子だ。世の全ては餃子ということなのか。変幻自在こそ餃子の本質だというのかッ! 完成された未来の餃子は決められているとでもいうのかッッ!?」
その悲痛な声を聞いたのか聞いていないのか、餃子神はゆったりと姿を周囲に溶け込ませながら頷いた。
「宇宙の宮と呼ばれる場所へ赴きなさい。そこは餃子の聖地……」
神に伸ばした右手がキッチンの壁に触った。神の影は薄まり、立ち消えていた。打ちひしがれて呆然としていた俺の中に南京鍋のフチで咲く炎のような闘志が湧き上がっていた。聖地宇都宮、待ってろよ。餃子の宇宙を掴んでやるぜ。
(つづきません)
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」
台湾に行って来た。
一人での海外旅行は初めてだ。
台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。
長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。
取り留めない旅行記だ。
もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。
出発前
そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い、自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である。
初めてなので、ツアーを予約して、飛行機とホテルの世話だけをして貰うつもりだった。
いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。
でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単な中国語を暗記していてた時にふと気付いた。
そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。
言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。
午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。
ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。
ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ。
なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。
後から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。
台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?
1
1日目 午前
LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間のフライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。
空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。
バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。
一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジのベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。
あ、言わなきゃ。
「謝謝」
実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。
しかし、誰も集まる気配がない。
機内に日本人が少ない筈だよ。
「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。
より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。
ホテルに向かうミニバンでエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」
「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。
エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日で台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。
さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・と説明が止まらない。
「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。
「それだけじゃ量が少ないよ!」
さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理の名前を何度も聞き返している。
曰く、「発音がメチャクチャだから何言ってるのかわかんないよ!」
日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。
夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理は行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないからであるとの事だった。
台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。
エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。
その中にセブンイレブン。
漢字もコンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。
それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。
ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光。
エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。
「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」
どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。
台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズムの問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。
エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。
そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。
すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。
細かい注文が出来ないので、かき氷とピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。
大通りで信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。
この台湾的光景を収めようと交差点の歩道でカメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。
「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。
台湾人は親切だけど直接的でもある。
1日目 午後
ホテルのチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。
本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。
エリーさん曰く、祝日の台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。
通りに面した倉庫の様な店。
林華泰茶行。
上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。
実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。
ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来は問屋なので、店員もぶっきら棒。
タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。
そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。
金萱
蜜香紅茶
20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。
台湾の店員さんは人がよく、自分の言葉が変でも何とか必死にコミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。
一杯の茶のイラストと
「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」
「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。
初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。
昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルのチェックインにはそれでもまだ時間がある。
台北101に向かう事にした。
地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。
台湾人はほんとうに人が良い。
うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄のホームでロードバイクを押す人がいた。
曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。
でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分がイメージするアジアのエネルギーとノスタルジーに溢れている。
そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上のソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。
その地にはその地の食い物が有る。
乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。
大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートでガソリン補給をする事にした。
加油、俺。
頼んだのは排骨と魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。
これが中華な味だ。
魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。
そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。
デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。
1日目 夕方〜夜
やっとホテルにチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。
どこで何を食うかは決まっている。
寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。
実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。
「私たち台湾の人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。
一理あるんだろう。
でもこの旅行の重要な目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ。
日が落ちて、明かりが灯った台北の街。
道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。
少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景が日常なんだなぁと驚いたりもした。
日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本の縁日以上の人、人、人。
食習慣が全然違うのを肌で感じる。
夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。
ここに決めた。
朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。
蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。
やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。
おお、これが蚵仔煎か。
まず写真を一枚。
そして口に運ぶ。
プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。
牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。
かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。
エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。
「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。