はてなキーワード: カーテンコールとは
作品もお粗末であり客席も最悪だった
私たちは頑張ってきた過程に関してお金を払っているわけではなく、頑張って作り上げてきた結果に対して対価を支払っている。
相当な酷い出来だったのに千秋楽の座長の頑張ってきたアピールに興醒めの一言。頑張ってきた過程が褒められるのは高校生の文化祭の出し物までだ。過程に対してファンが対価を支払うのは勝手だけどそれに他者を巻き込まないでほしい。
まあそもそも第三者のわたしには過程にすら頑張りは見受けられなかったのだが。本当にヘタクソだった。与えられた台詞を言うだけなら今の時代コンピュータにだって出来る。そこで人間が演じる意味とはなんなのか。本当に芝居をやっている人たちにあまりにも失礼な出来だった。
細かくは言及しないが作者が苦言を呈するくらいには演出も最悪で、演者の一部が最悪ならば客席も最悪だった。
上演中の私語
上演中の飲食
スマホが鳴る
スマホをいじる
前のめりでの観劇
帽子を取らない
ひいては、カーテンコール中の声援
最悪の一言だった
出演者の中には毎日のように観劇マナーを守るよう発信していた人もいたのだが、彼の言葉は最後まで座長のファンには届かなかったようだった。まあ、座長のファンたちは直接注意しても態度を改める気は無いようだったから仕方のないことかもしれない。
元某アイドルグループのメンバーの中には素晴らしいお芝居を見せてくれる人もいる。きちんとマナーを守り観劇するファンもいる。だが、お金をとってはいけないレベルの芝居をする者も、幼稚園児以下のマナーで観劇をするファンもいるし、それがあまりにも多すぎる。
先日、表題のとおり大千秋楽と、その後のライブビューイングを観ました。
以下はその時感じた事です。
愚痴の方が多いので、「素敵だった♡」だけの感想を期待した人は読まないでください。
内容は、所々はよかった。
桃李ちゃんの負けを認めたくない悔しくてたまらない思いとか、バラバラだったTrickstarが再び集まって最高の笑顔で歌を歌ったこととか。
でも、あの大千秋楽で、せっかくメインストーリーの完結だと楽しみにしていた気持ちを運営はあっさりと潰してきた。
最初は何であんなに巻き巻きでみんな挨拶するんだろうと思ってた。
人数が多いからかなって、そう思ってた。
でも実際は違ったね。凛月役の方のバースデーサプライズが控えているから。
でも、そのために挨拶の時間をなぜ巻きで進めなければならないのか。
どんなに時間がかかってもいいから、挨拶の時間をしっかり設けてほしかった。
メインであるTrickstarはもちろんだけど、紅月とか、初演から支えてきた役者さんの挨拶を
聞きたかった。色々思いはあったはずなのに、全部誕生日のためにさらっと流れてしまった気がする。
その後のレオの登場。
現場で見たとき思ったのは、あまりの歓声で他のユニットが完全に置いてかれた感じになっていたということだった。
人気キャラだから仕方ないけど、あの悲鳴を見て、これまで全公演を走って来た他メンバーはどう思ったんだろう。
そんな気持ちを抱えながらライブビューイング会場に向かって、二度目のTsfを観た。
あれ観た人、カメラワーク何とも思わなかったのかな?
これまでのあんステ作品、ライブビューイングでは何とも思わなかったのに画面ぶれるわ喋る役者映さないわで開いた口がふさがらなかった。
カーテンコールは大千秋楽のを流すという事だったので、改めて画面で観たけど、二度目のSingin'☆Shine!を見て絶句した。
これでもかと言うほどのKnights寄りばかりの映像。切り替わっても切り替わってもKnights。
Trickstarは?メインユニットだけど。
Knightsが人気なのは知ってるよ。
でもさ、今回はメインじゃないでしょ。
特別扱いの度が過ぎてる気がしてならなかった。いくらレオが加わったからって、Knights寄りで映す必要ある?
この映像がそのまま円盤に収録されるのかと思ったらぞっとした。
そんなんで、せっかくのTsfの最後は全部Knightsに持っていかれた感じがして、正直辛かった。
良かったところももちろんあったけど、それ以上に辛かった。
twitterではもちろん批判的な意見なんて言えないから「良かったよね」って言ってるけど。
ここに書いてあることなんて、結局はただの「推しユニでない僻み」だと思われるんだろうな。
まぁそうなのかもしれないけど、でもやっぱりおかしいと思う。
あと最後に一つ。
日替わりネタもいいけど遊びすぎて本編に支障をきたすのは止めて欲しい。
笑いながらセリフ言いなおしたりするのって、役者としてどうなの?
それが一度ならまだしも、毎日何度もって、普通に意識疑ってしまう。
人気俳優なら何してもいいのかな。。
円盤の発売が楽しみだけど怖い。
2.5次元作品が狂ってしまった、と嘆き憤る方の言葉を読んだ。
そのことについて思うところがある。
誤解のないよう、まず初めに私の立場を表明しておこうと思う。
私は、ペンライトやうちわなどを持ち込んで応援のできるスタイルの作品が、正直に言って苦手だ。「うちわ」が苦手なのである。
作るのが面倒とか、視界に邪魔だとか、そういうことではない。
ピースして、ウィンクして、というような「要求型」の応援が得意ではないからだ。
ただし、くだんの記事で書かれていたように、こういう客席参加型の作品を狂ったとは思わないし、舞台やミュージカルではないとも思わない。
うちわさえなければ普通に、というかハチャメチャに楽しく観劇するだろう。
客席に降りてきたキャストにファンサを貰ったら嬉しくて飛び上がるし、この色と決めていたペンライトのカラーはすぐに揺らいで、軽率にブロマイドを買ってしまう。
界隈にはよくいるオタクだ。
ただ、気持ちは分かる。痛いほど分かる。
あれほどの感情は持ち合わせていないが、理解と共感ができてしまうのである。
例の記事にはもう少し冷静に、悪感情だけを振りかざさずに話をしてくれればよかったのにと思ってしまう部分が少なからずあるが、何言ってんだコイツ、と切り捨てられてしまうばかりではあまりに悲しいので、今回筆を執るに至った次第だ。
なんだよ老害が、と思った方も、時間が許すばら話を聞いてもらえると嬉しく思う。
先ほど、この応援スタイルの作品は苦手だが、舞台やミュージカルではないと思わない、と申し上げたが、それはおそらく2.5次元より先にそのスタイルに出会っていたのが根源にあるのではと思う。
舞台だけれど、歌って踊ってファンを振りまき、客はペンライトを振ったり声援を送ったりする。そのことに対しての違和感があるかないか。そこが私と彼の方との大きな差であろう。
例を挙げるなら、宝塚なんかが有名ではないだろうか。
1部と2部で分けられた構成で、似たようなものが存在している。観たことのある方も多いのではないだろうか。
それから、四季のマンマ・ミーア!なども、近いものがあるだろう。
2.5次元作品で名前をお見かけする俳優さんたちが出演しているものでいうなら、私は数年前に上演された「ボーイ・バンド」が分かりやすい例ではないかと思う。
劇作家であるピーター・キルターの作品だが、世界中で初めての公演を日本で行ったものだ。
これは2.5次元作品ではないのだが、ミュージカルではなく、けれど歌があり、客はその歌に合わせてペンライトを振る。
(ペンライトを持ってくることについて公式からのアナウンスがあった)
少し時間が経ってしまったためよく覚えていないが、演者が客席に降りてのファンサービスもあったように思う。
歌われている曲は大ヒットしたJ-POPだ。(興行主側が曲を決めるらしく、作品として固定の曲はないようである。)一緒に歌ってほしいなどという煽りもあった気がする。
例の定型にはめるのなら、これらは舞台ではないということになるのかもしれない。
こういった作品は、知らないだけで、きっとずっと前から数多く存在しているはずだ。
ただ、昨今の2.5次元作品という界隈で、アイドルのコンサートと一体化しているようなものが乱立している。
2.5次元作品をかじっていればどうしても目についてしまう。それを苦手だと感じる人がいれば、極度の嫌悪感を抱いてしまうくらいには多いと思う。
おそらくだが、嫌悪までいかずとも、僅かばかりもやもやとしてしまう人にとって、そしてくだんの記事を書いた方にとっても、舞台・コンサート・イベントなどの種別に関わらず、興行というものは全て「参加するもの」ではなく「観るもの」なのだ。
ただ、作品を観賞したい。それに尽きるのだ。
だから、舞台上の出来事を受けて起こる笑い声は演出のひとつと受け入れることができても、客席側から舞台上に向かって存在や要求を主張するようなうちわや歓声は必要ないと感じてしまう。
少々暴力的な言葉を使うなら、邪魔なのだ。余計なものだと感じてしまう。
あれが許せるか許せないか。あったほうが美味しいか、入っている意味すら分からないのか。
けれど、公式的にそれが認められ、あまつさえもっともっとと要求までされているのものだから、困惑するのだろう。
どうして、と思う。
そして、自分が好きだったジャンルが「どうして」で溢れかえってしまう。
パイナップルの入っていない酢豚が食べたいのに、流行のせいで中華料理店はパイナップル入りばかりを提供しているのだ。
こんな酢豚は要らない!私の思う酢豚はこんなものじゃない!と感じるのである。
私自身、この手の舞台にっついては冒頭に書いたように苦手な部分があるので、チケット代分をしっかり楽しめる気がしないから近寄らないでおこう、くらいのスタンスでいるつもりだ。
2.5次元作品も好きだけれど、他にもオリジナルなり古典なり、全然関係ないアーティストのライブなり、あちこち手を伸ばしているというミーハーな側面があるからだろう。
回鍋肉でも麻婆豆腐でも何かおいしそうなものがあれば、気が向けば食べる。
けれど、私が好きで好きで仕方ない漫画やアニメの作品が、うちわを持って応援するスタイルの舞台になってしまったら。
「楽しいと思うしそういうのがあってもいいと思うよ、私は行かないけど」という立場を貫けるのか。正直わからない。
きっとあの記事を書かれた方は、一足先にその憂き目にあってしまったのだと思う。
とにもかくにも、最近このドルステタイプの作品が多いのは紛れもない事実だ。
少なくとも私が2.5次元作品を観るようになったばかりの頃は、ミュージカルかストレートかといった分類だったように思う。
それを証拠に、ある作品が舞台化するという情報が出たときは「ミュなの?ステなの?」なんて疑問文をよく見かけた。
この新たなジャンルは、確かに舞台作品の範疇ではあるが、独特な応援スタイルが存在しており、それを楽しめる人もいればとんでもなく苦手な人もいる。
2.5次元ミュージカルの先駆けのひとつと言われ、多くの動員数を誇るテニスの王子様だって、初めは観客もぽかんとしていたという。
テニミュに触れたことがあれば、知っている人も多いのではないだろうか。あの最初の曲。You Know?
はじめの台詞を言っとき、お客さんが「???」という反応だった、と演者の方が話していた。
けれど、2.5次元ミュージカルがここまでの台頭を見せていなかった当時、「何で急に歌いだすの」「ミュージカルでやる必要ある?」と感じていたファンは一人もいなかったのだろうか。
決してそうは思わない。思わないが、徐々に受け入れられ、ファンが増え、公演数が増え、途絶えることなく3rdシーズン。
その折り返しをすぎた今、世の中には同じように漫画を原作とするステージが数多生まれ、『2.5次元ミュージカル』という言葉が自然発生的に生まれ、すっかり市民権を得ている。
今この時代、チケットを握りしめて劇場にいった人の中に「何で急に歌いだすの?」「ミュージカルでやる必要ある?」なんて疑問を感じる人はいないと思う。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観にきているのだ、という人が殆どだろう。
映画などとは違い、舞台は初日の幕が上がるまでどんなものなのか分からない。
当たり前だが、その通りだ。
先ほどのテニミュ初めての公演のもそうであるし、刀ミュが初めて上演されたときなんかも記憶に新しい。
実質ドルステ。そういうような単語がいくつも踊っていた。分からないのだ、幕が上がるまで。
私が知らないだけで、もしかしたら公式サイトのQ&Aなどで、内容が予想できるようなものがあったのかもしれない。
だが、そこまで下調べをし予想についての情報収集をしていく客の割合は、そう多くはないだろう。
少なくとも「ミュージカル刀剣乱舞」のタイトルとフライヤーだけでドルステだろうなんて、よもや想像がつくまい。
そして、とても現金な話ではあるが、決して安くないチケット代を払い、宿泊先を押さえ、はるばる新幹線に乗って都市部へ足を運んで観る。どうせなら、心から楽しめる演出作品のものを選びたいと思うのが人の心理というものだ。
苦手だなと思う私の立場とは逆に、うちわを作ってペンラを振って推しキャラ・キャストを応援するスタイルが大好きで仕方ない人だっているはずだ。
知人にも数えきれない程いる。舞台には行ったことがなかったけれど、評判を聞いて2.5次元のアイドルを応援しにいった女の子。いつの間にかうちわ制作のプロになっていて、自分の住んでいる県でも上演があるのに、このスタイルの舞台なら!と言って、うちわを持ってあちこち飛び回るようになったお姉さま。
舞台を観たことがない人を、いかに劇場に来させるか。そんなことを、制作側から聞いた。これまた情熱大陸だ。大成功である。そして、すっかり確立された演出方法にもなった。
きっと今、文化の変遷と定着の、まさに過渡期に立っているのである。
だからそろそろ、この新しいスタイルの演劇に名前をつけませんか。
そうとわかった上で、私はそういう作品が好きで観に行くのだ。
これを当たり前にするために。
オペラから派生し、最初は格下だと思われ、あんなもの芸術じゃないなどと言われてきたであろう、そして現代ではすっかり格式と市民権を得たミュージカルのように、いつかこのスタイルの演劇も一つの舞台芸術の形としてウィキペディアに載る日がくるかもしれない。
紅白歌合戦での「2回の不協和音」から賛否を議論されてきた平手さんの本気、ついに水面下では済まない話になりましたね。
なぜか「休ませてあげようよー」的な擁護ばかり、ハロプロとは世界が違うと理解しつつも、そうじゃないと募る謎の憤り。
自分の中を整理するつもりで書かせてください。
欅坂46の絶対センター・平手友梨奈さんを始め、3人のメンバーがパフォーマンス直後に過呼吸を起こし、カメラに収録されてしまった、という放送事故です。
2回目のパフォーマンスはふらついており、コラボ相手のウッチャンこと内村光良さんが「大丈夫?」と曲中に聞くほどでした。
(それでもリズムに合わせて腕を振るあたり、リズム感いいなーと感心しました。ハロヲタはリズム感良い子が好きです)
もともと「平手さんは曲に入り込みすぎてああなる」「不協和音はダンスが過酷で日に何度もできない」「不協和音は命を削る曲」というお話でした。
いやちょっと待ってください。
「曲に入り込みすぎて危険」→舞台人がカーテンコール中に倒れますか?
「倒れこみ方が本気」→怪我したら元も子もない。労災。
「命を削る」→鞘師里保を思い出すフレーズ!でも鞘師は全部の曲で命削ってたなー
「ダンスが過酷」→体を鍛えるか難易度を下げましょう。スタッフのさじ加減のミスです。
なんで美談になってるんですか?
設定ミス、スケジュールの管理ミス、指導ミス、信頼関係の無さ、ありとあらゆるスタッフのミスの集合にしか思えない。
不協和音は本来AKB48でいう「RIVER」のような中ボス的な位置にあるべき曲だと感じます。
ウッチャンの行動は美談として扱われていますが、企画としては失敗の証拠になりました。
とあるコメントでは「平手さんが制止を振り切って舞台に立った」とのことでした。
満身創痍で立って限界を超えたパフォーマンスにプロ意識を感じるという意見もありますが、これは歪んだプロ意識です。
プロ意識は正直私も感じました。
しかしながら自己管理のできてなさ、つまり「プロの自覚」が感じられません。
プロの自覚というのは「恋人をつくらない」ということではありません。
アイドルはスタッフが作った舞台の上で、スタッフのサポートを受けてパフォーマンスする、いわば「矢面に立つ」存在です。
つまりメンバーがミスをした場合、スタッフの努力も水の泡になります。
欅坂のように本人たちはやる気に満ち溢れているグループであると、パフォーマンスを見ただけで初見の私が感じてしまう、そんなユニットだからの悲劇だと感じます。
「体ができあがってないユニット」
「激しい振り付け」
「平手さんを止められないスタッフ」
「スケジューリングが下手なステッフ」
これらの問題はすべて普段の育成を担う欅坂スタッフの責任であると思います。
難しい曲を作りたいなら、スタッフはちゃんと育成と管理をしてください。
体力作りを指示すれば、それに応えるだけのメンバーのやる気はきっとあると思います。
平手さんが「上腕三頭筋の損傷で全治一ヶ月」という、ギプスでラジオの収録をするほどの怪我を負い、武道館公演が妹分ユニットの公演になると発表されました。
「平手さんが出れないだけで公演を中止するのか」
メンバーが読めば「私のせいでスタッフさんの悪口が言われてる」と感じるかもしれません。
http://joyfulberryz.blogspot.jp/2013/08/blog-post_10.html
Berryz工房がインフル工房してしまい、その場で変更した歌割を覚え、本番をやりながら立ち位置をカバーしているという内容です。
また、現在行われているハロープロジェクトのツアーでは、アンジュルムのメンバーもインフルエンザになっていました。
リーダーがインフルエンザになっていたので、サブリーダーの中西さんが歌割を決めたそうです。
そういう風に育てられていれば、ですが。(スタッフさんを責めすぎているのでそろそろ割愛します)
ハロプロは毎週月曜深夜25時より「The Girls Live」という番組が放送されています。定期的にリニューアルしていますが、2017年秋頃はメンバーの密着取材が放送されていました。
http://www.tv-tokyo.co.jp/smp/program/detail/201710/21135_201710302500.html
この日の放送内容を要約すると、
「Juice=Juiceの宮本佳林ちゃんは120%のパフォーマンスを一公演(長くて約2.5時間)続けるだけの体力がなく、セーブをかけて踊っていた。しかし本当に観客に見てほしいパフォーマンスは120%の自分だからそれに耐えうるトレーニングをしようと思った。」
というお話です。番組ではオフの日に通うジムでの筋トレシーンが放送されていました。
その結果がこの映像です。
https://youtu.be/uW8NYvFIrSo?t=26m53s
https://youtu.be/zBrio8u91Ek?t=6m50s
https://youtu.be/THa8XikNcy0?t=5m31s
ハロプロ研修生、つまりアンダーのリハーサルへ潜入した時の映像がこちらです。
https://youtu.be/yFq4EwIe2Vg?t=20m53s
この先生、「移動ができない人は怪我する危険があるから舞台へ上げない。」って定期的に言ってます。そうです怪我する人は舞台にあげちゃいけないんです。
怪我をすると見ている人も後味が悪くなりますし、商品(=メンバー)の耐久性や品質にも問題が及びます。
(DVDなども販売されてないのでリンクすることをお許しください)
2004年の夏のももちです。モーニング娘。を排出した番組「ASAYAN」の練習風景です。
辻希美と加護亜依のユニット「W(ダブルユー)」のツアーに帯同するBerryz工房、当時全員が小学生を出るか出ないかくらいの年齢です。
「スキップしながらの発声」を通して「歌って踊る体力をつける」必要性がありました。「挑戦させるために必要な練習」をさせていました。
https://goethe.nikkei.co.jp/human/130521/
ダンス・筋トレといえば、どちらも有名なのはEXILEですよね。
社内にジムがある、これは素晴らしい環境。アップフロントにもください。
「ハイレベルなパフォーマンスをしたいなら鍛えろ」 「鍛える環境が作れないスタッフとは冒険させるな」
不協和音は「ハイレベルなものを見せたい」と一足飛びに挑戦したメンバーと、「無責任に頑張らせた」もしくは「止められなかった」スタッフ両方の責任の産物です。
頑張るのはいいですけど、過ぎたるは及ばざるがごとしの精神です。
ユニットにとっても実力不足ですけど、スタッフにとっても実力不足だったのではないでしょうか?
個人的には5年後くらいに鍛え上げられた欅坂による不協和音が見たいなあ、という感じです。
上記で褒め称えた宮本佳林ちゃん、首をひねったそうで現在ベル麻痺という症状で入院沙汰になってます。平手さんともども早く治ってください。
ついでにハロプロはストレス太りや喘息などが多く、休養メンバーが続出しています。
そろそろ誰が休んでも変わらんわ、くらいの気持ちで、もうファン心が麻痺し始めたので、ハロプロスタッフもちゃんとしてほしいです。
というかハロプロに限らず最近どこのアイドルもストレス!怪我!!休養!!!説明!みたいな状況に感じます。
愚痴垢作る勇気も意見を言い続ける勇気もないからここに頼ることにしました。
ここ数年「2.5次元舞台」(以下2.5にします)っていわれるアニメや漫画を原作とする舞台が増えています。
知ってる人は説明要らないと思うけど一応ちょこっとだけ説明をさせてください。
<説明>
有名なのはテニプリをミュージカルにした「ミュージカル テニスの王子様」通称テニミュだと思う。
最近だと刀剣乱舞が舞台とミュージカル2つの形で舞台になって「刀ミュ」「刀ステ」と言われて
「チケット取れない!」と騒がれてる。
すごく話題になったローチケ詐欺騒動(実は虚言だった)が出たのもこの刀ミュでした。
ソシャゲの「あんさんぶるスターズ!」が舞台化されて「あんステ」なんて言われてこちらも「チケット取れない!」と騒がれてるのも自分のなかでは記憶に新しいです。
最近はチケット完売舞台をライブビューイングすることが増えてきました。
</説明>
前置きが長くなりました。
優しくない理由について話させてください。
①2.5が飽和してしまってる
7年前くらいまではテニミュが大きな勢力で後はポツポツと小さな劇場でやっていたイメージでしたが
2014年当たり「弱虫ペダル」通称ペダステが大成功したあと、かなり乱立してきたように思います。
毎日、日本のどこかで2.5やってると思います。なんせ2.5次元専用の劇場とかあるくらいなので。
最近は、漫画・アニメだけでなくソシャゲとかいろんなジャンルがあるので、素材はいくらでもあるんですよね。
素材に頼ってどんどん生み出した結果、今2.5はとんでもない数に膨らんで、ライトオタクは情報と金銭が追いつかなくなっています。自分も情報に追いつけなくなってやめました。
②「チケットが余る」舞台と「チケットが取れない」舞台への二極化がおきる
舞台って映画みたいにチケットが気軽に取れるわけではなく、何ヶ月も前に告知をしてその1ヵ月後にチケットをとり、支払ってまた一ヵ月後に発券して肝心の舞台当日はまた一ヵ月後。みたいなことしょっちゅうあるのです。
そうなると、ちょっと好きなものより一番好きなもののほうがほしいですから、
自分の好きなものを原作とした舞台・自分の好きな俳優が出演している舞台に注力します。
そうするとそもそものオタク(原作・俳優とも)の母数が多い作品におのずと比重がかかります。
割引・平日限定特典配布・リピーター特典… そうしたものがあると俳優オタク・原作オタクともに売れていない現実を突きつけられます。おまけにキャストからカーテンコールで「まだチケットあります!」みたいなことを言われると「身体一個しかないわ!」って言いようのない怒りとかこみ上げます。
まあ当たり前に見たいものが見れないんですよね。
おまけに見れる人が善意からか何からかレポートとか流してこられると余計につらくなります。
少し前はスポ根が流行していたのでテニミュ・ペダステなどが台頭してましたが、
今女性向けの2次元作品ってめちゃくちゃアイドルものが流行ってます。2.5もジワジワとその波に乗らされています。
そうすると2次元ではできなかったこと…つまりリアルライブのようなものが実現できてしまうんですよね。紙の中・画面の中だけだったものが3次元として認識できるわけです。(声優さんのライブとかはあくまで「声」のライブだと位置づけておきます)
演出家の方々もすごく上手なので巧みに「リアルライブ」を見せ付けてきます。その一環に客降り(客席にキャストが来ること)やファンサが自然とついてきてしまいます。
あくまで舞台・ミュージカルだぞ!とは思いつつも悲しいかな、楽しいんですよね。ファンサ。
ファンサされた人はうれしかったこと伝えたいからレポートします。
それを「すごい!」「よかったね!」と受け取れる人ばかりならいいのですが、
増してやファンサしてくれたキャラクターを演じている俳優のオタクって7割くらいは、気分が悪くなると思います。
(余談ですが自分には自己顕示欲と承認欲求の塊にしか見えません。
ましてや絵をつけてレポされてるとちょっと「うーん…」ってなります。
ひがみと思われるかもしれませんが、聖人ではないのでひがませてください。
できたらお友達と共有していただいて公開アカウントで呟かないでいただきたいです。
ツイッターは好きなことを呟くところなので、とめる権限もありません。
でもその呟きでだれしもが良い気持ちでいられると思わないでほしいです。)
「著名人が自分のファンを喜ばせるため、特別に行うこと。本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すことが多い。」
って出てきました。まとまってる。
これ、↑であげたファンサです。
「本来の仕事の外で、或いは仕事に追加して行われたことを指すこと。」
この方が詳しくわかりやすい意見を書いてくださっているのでリンクを貼らせていただきます。
http://zponpon.hateblo.jp/entry/2017/09/12/163120
たぶんこの「私物化」と言われている行動も、飽和によって一歩抜きん出ないと生きていけないと思っている人たちの行動だと思いますし、すごく合理的です。
でも、たとえ運営からの圧力だろうがその人の善意だろうが不快に思ってる人は少なからずいます。
それを喜んでくれる人がいることでどんどんエスカレートしていって喜んでいない人がどんどん意見を言えなくなっている現状があります。
正直、「ファンサ」がいきすぎて「余計なお世話」になってしまっていることが昨今増えてるのだと思います。
<結論>
飽和して、多数の中の1になってしまってチケットが余り、良さがわからないまま終えていく舞台があります。
そこに出演していた俳優オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる演技なのに!」と思います。
その作品が好きな原作オタクは「もっとたくさんの人に見てもらえる作品なのに!」と思います。
チケットが取れない舞台では、マナーの悪さが出て「あの作品のオタクは…」「あの俳優のオタクは…」と言われて「自分ならそうしないのに」と思うオタクがいます。
ファンサを見て、「あのキャラはあんなことしないのに」と思うオタクもいれば、
「○○君もやりたくてやっているわけじゃない」と思うオタクもいます。
そうしていつの間にかどちらも、不快な気持ちになって両者が激突してしまう、なんてことも出てきてしまいかねないです。自分は数年前俳優オタクでしたが、原作オタクになり、なんとなくどちらの言い分も経験してきました。どちらも悪くないからこそ、埋まらない溝ができつつあると思います。
内容はタイトルそのまま。
それを見た友人が放った一言が「ライビュをやってくれたら観に行くのに」。
それにずっともやっとしてて、けどなんでそんなにもやっとしたのかっていうのがいまいち言葉にし難くて、
だってさ、たしかに大人気でめちゃくちゃチケットの取りにくい舞台とかミュージカルだったらそう言うのもわかるんだけど、
まだ先行も始まってなくて倍率も読めない舞台に対して(というか良席にこだわらなければわりとチケット取りやすそう)
そんなこと言うってことは、それって実際に観に行くつもりは無いってことだよね?
その人の中では生で観る価値はないってことだよね??
ライブビューイングはあくまでその舞台の運営が好意だったり収益だったりまあそういったいろいろのために行ってくれるもので、
千秋楽のライビュとTV放送が決まってたんだけど、アフタートーク回とかにこだわらなければ普通に当日券も手に入るような舞台。
よくある2.5次元モノだけど、役者も演出も殺陣も何もかもが最高で、とても楽しく劇場に通ってた。
その舞台の主演俳優さんが、カーテンコールの際に必ず口にしていた言葉が
「ライブビューイングもTV視聴もいいですが、舞台は生で観てこそ。ぜひ劇場に足をお運びください」
それこそ何度でも、なんて冗談めかして言ってたけど、ちょっと私は笑えなかった。
このジャンルのトップをずっと走り続けてるこの人にこんなことを言わせてしまうのはどうなんだってそれを聞くたびに思った。
(し、実際に劇場にいるおたくに言ってもあんま意味ないんじゃないかなと思った)(だってその場に居るのはそれこそ言われずとも勝手に何度も足を運ぶおたくたちである)
(とか思ってたら大千秋楽のカテコでも同じこと言ってて、それを聞いた時にようやく笑えた)(あれを映画館とか自宅のTVで聞いた人は何を思ったんだろうか)
地方だからとか金額とか、人それぞれいろんな事情があるとは思うんだけど、すぐにライビュをやってくれって言うのは辞めてくれないかなって思う。
それを言っていいのはチケット戦争に最善を尽くしてそれでもチケットを手に入れられなかった人たちだけだよ。
会場のキャパとその舞台の人気が合ってなくてチケット激戦とかだったらわかるけど、
あなたがかつて「ライビュやってくれたら観に行ったのに」と文句を言ってた舞台は、普通に当日券だって出てた。
いやー
冷やし中華終わりました感動のフィナーレ。
パチパチパチ!
早く出てきた欲しいものだわ。
この出たり入ったりする間も惜しく、
待ちに待ってやっと、アンコールに応えて出てくる大将のオヤジ。
恒例となっている
ズジャズジャ!
BGMでジャスをかけているラーメン屋さんのそれとはワケが違うわ。
でね、
もう随分前に平らげて温くなった冷やし中華の器をまた一気に冷やすほどよっ!
子どもの頃かあちゃんが作ってくれた具の多いラーメンではなく、
いつか大人になったら、
麺だけのラーメンを作って食べてやるんだい!って誓ったあの夏の夜を思い出す、
ま、トマトは具だけれども。
質素だけど顔立ちのいい麺だけの器に上品にも赤い紅をさすようだわ。
ステキ!
こんなにも具の少ない冷やし中華が贅沢だなんて!
それをシュッとしてパッと食べるのが、
まあ、ここ1年中やってるんだけどさ。
うふふ。
夏はまだ始まったばかりよっ!!!
トマトだけに~
はい!
ワサビって言う割りにはぜんぜんピリッとこないんですけど。
カモン!モアホッツ!って感じね。
夏のものは良いわよ!
お水ちょうだいって言うじゃない。
そうするとだいたいボトルの有料の水なのよね。
炭酸のが嫌だったら
これは無料で持ってきてくれるわよ。
もくもくもくようび!
ビックリした?
生きてる証拠やね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ジャニーズ関連の舞台を見に行くと高確率、というか入る公演では必ずカーテンコールの際にスタンディングオベーションが起こる。
舞台に立つ役者に向けて、私たち観衆が感動や賛辞を表す方法は拍手と喝采の他にはない。
そのためスタンディングオベーションという方法があるのだとも理解している。
しかし、義務付けられたスタンディングオベーションはその本当の意味をなしているのだろうか。
例えば
するとどうだろう、後ろの席に当たる人間は舞台上のキャストの姿を見ることができなくなる。
そういう人を何人か見かけてきた。
本当に心動かされたのならば、毎度のスタンディングオベーションも問題はないと思う。
「カーテンコールではスタンディングオベーションしなければならない」
という強制力だ。
立って、拍手を送らねばならない、周りに合わせて行うことが正しいのだと。
そう感じることが多くあった。
もっと自由にお芝居を楽しみたい、何かの宗教のようだ、と舞台に明るくないわたしも、友達も同じ感想を抱いた。
スタンディングオベーションは至って普通のことなんだろうか。
初日や千秋楽などではなくなんの変哲もない、日々の公演で観客の全てが総立ちするような光景は常なのだろうか。
毎公演行われるスタンディングオベーションは「ジャニーズ関連舞台」の常なのだろうか。
舞台やイベントなんかでたまに知らない人から「座席を交換してください」と言われる事がある。それは基本的に運の悪い私が神様の思し召しか勘違いか憐れみか何かで引き当てる事のできた良い席の時で、ワクワク気分で席に座って開演を待っていたのを邪魔をされたようであまり良い気はしない。
交換したのは一度だけだが、それは私に利があったからだ。(私が後列に座っていて、前列と代わってほしいというもの)
それ以外は基本的に全て断っている。
理解はできたけどモヤモヤしたのは、その人の推しがカテコの時に私の座席の方に並ぶので同じ列の反対側の席と代わってほしいという申し出だった。
その推しは人気で、カーテンコールの時に近くで拍手を送りたいという気持ちは分からなくもない。カーテンコールの時のやりきった!という表情も見たいだろう。わかる、わかるよ。でも、私だってその人を観たいんだよ。(推しではないが気にして追っているという程度)文句を言うなら、席番を振ったプレイガイドにでも言ってくれ。
その一件で、その人推しの人は自己中の人が多いのかなという印象を受けた。そんな事はない人の方が多いだろうけれど、どうしても良い印象は持てない。
理解もできないし意味が分からないと思ったのは、数列後ろの席と交換してくださいと言われた時だ。つまり、自分がいい席で見たいから後退してくれ、という事で、そんなの誰が了承するというのか。すごくいい席で、ヤッターと思ってたんだよ。
その舞台は席種が二種類あって、私は良い席の方のチケットを持っていた。勿論もう一方のチケットよりも少し高い。
何言ってんだこの人、と思って詳しく話を聞く前に断ってしまったので席種については聞けなかったが、後ろの席という事は、安い方のチケットだったのだろう。
せめて代わってほしいなら、差額分のお金を持って来い。話はそれからだ。色をつけて持って来た所でお前なんかに代わってやらねえけどな。
http://anond.hatelabo.jp/20170502083638
サクラ大戦の舞台はカーテンコールでも声優としてでなくキャラとしてご挨拶をする。
あの井上喜久子が眉間にシワをずっと寄せてるんだぜ?
コスプレ時はキャラとして、していなければ声優。徹底してる(田中真弓というキャラ崩壊も居るが)
勝手にtwitterで版権元の許可無しでなりきりとかもしない。
アイマスや昨今の声優コスプレからはそういったキャラを徹底する意識が全く感じられない。
髪型合わせる気0だし、クールキャラがはしゃいだりニコニコしたりしてキャラ崩壊も甚だしい。
あと声だけ演技して動きの演技が全くおざなり。猫背棒立ちとかすっごい目立つよ。
そのくせ自分とキャラを同一視してチヤホヤされたいという意識が透けてみえてとても嫌。
そういう「ヌルさ」「適当さ」「甘え」が蔓延した昨今の声優コスプレごっことサクラ大戦の舞台を同列に並べるのはなんか納得がいかない。
クラシックの現代音楽を聴く趣味があるせいか、全然問題に思えないや。
音楽だと、保守的な分かりやすいのを演るのは一般客受けするからで、
芸術や自己表現の追求は相容れないという前提が確立してるような。
まあ、能は客を選ぶよね。
その成立から言って、自分も舞うくらいじゃないと、よく鑑賞できないんじゃない?
一般受けするイージーなものは、すぐ楽しめるけど、やっぱ飽きちゃうよ。
能は、少ない観客(もしかしたら一人でいいのかも)を対象にしたスタイルだから。
まあそういうのって、スポンサーとその他の間に圧倒的な格差があるのが前提で、
現代社会では成立しにくいんだけど、それはまた別の話。
また音楽の話に戻るんだけど、古典的クラシック(ゲンダイ音楽じゃない方)って、しつこいじゃん。
最終コーダを、分かったか!もう分かったか!これで分かったか!
もうこれで、この会場に分からない奴は一人もいないな!
ってことまで繰り返すじゃん。んで、カーテンコールもしつこい。
その辺能は、みなまで言うな(言ったら野暮)的な日本人気質を感じる。
見所は、極限まで抑制された所作で、時間的にも一瞬で通り過ぎる。拍手も一瞬。
この会場で一番分かってる人がついてくればいいという精神。
今からもう2年前くらいの話になるが、若手俳優の追っかけをしていた。
追っかけをするようになったきっかけは当時若手俳優の追っかけをしていた友人のつきそいで舞台を観たら、その中の1人を好きになった。というわりとよくあるパターン。
別の日にも観劇予定だった友人にその若手俳優宛の手紙を劇場に預けてもらうよう頼み、数日経つと家に返信の手紙が届いていた。私が好きになった彼はそれが初舞台で、ファンレターも数通しかもらった経験がなかったらしい。
私が書いた手紙の内容に応えてくれていて、精一杯丁寧に書いてくれたであろうその手紙を読み終えた瞬間に、一生彼を応援したいと本気で思った。
元々のめり込みやすい性格というのもあり、舞台が決まればその作品の全通(=上演期間中全ての公演。)分のチケットをとって劇場に通い、感想をファンレターに書いて送り返信を喜々として読む日々を数年過ごした。
ある日、その若手俳優にある有名な2.5次元作品(=アニメ原作の実写化の作品。まだTV出演の望めない若手俳優は主に2.5次元作品で名前を売る。)の出演が決まり、ものすごい勢いで彼のファンが増え、Twitterで検索すれば今までにない量のツイートが検索に引っかかり嬉しかった。
稽古期間、上演期間、上演DVDの発売記念イベント....どんどんファンが増え、その間に新しい仕事が決まったりソロ写真集を発売したりもした。
写真集イベントにはゲストと称し仲の良い若手俳優を呼んではいたが、それでも一応半分は応援している彼のファンだったと思う。
私は自分が会場にいるファンの誰よりも応援している若手俳優にとって特別だという自信があった。
手紙を出して以降、全ての作品に全通していたので、もちろん認知(=俳優に顔を覚えられていること。)されていたし舞台のカーテンコールの時には顔が認識できる距離の席であれば目を合わせて手を振ってくれていた。
それに彼は私があげた服を着てるし、私があげたカードでスタバの新作を飲んでる。
彼からの返信の手紙は家に数えきれないほどある、きっと誰よりも多い数だ。絶対的な自信があった。
写真集イベントの最後に挙手制の質問コーナーがあり、当然指名してくれるだろうと思い手を挙げた。
残り3問、2問、ラストの質問。私が当てられることはなかった。
特別な私は一瞬にして消えてしまい、次の日には彼の出演が決まっていた舞台のチケットを全て手放した。
それから1ヶ月でその若手俳優に関してのグッズや雑誌も売ってTwitterアカウントやブログの更新通知も全て消した。思い出のつまった手紙も捨てた。
何かに取り憑かれたのか憑き物がとれたのかは分からないが、そんなこともあったな、なんて思えるようになっていた。
私が舞台やイベントに行かなくなってから数年経つと、見覚えのある住所から封筒が届いていた。
中を見るとチケットが2枚と紙が1枚丁寧に折って入れてあった。
Twitterで調べると、彼のファンが増えるきっかけとなった2.5次元作品はとっくに終わっていて彼の名前も、好きな俳優がたくさん羅列されているような定期(=Twitterの定期ポスト機能。自動で設定された内容がツイートされる。)ばかりが引っかかるだけだった。
人気がなくなってしまった後、とりあえず席を埋めてもらうためにチケットを送るなんてよくある話だったし、みんな魔法が解けたんだな、なんて思ってチケットは捨ててしまった。
中には紙が1枚入っているだけだった。
紙には携帯電話番号が二つ書いてあって2つ目には本人直通と赤字で書かれていた。
本人直通
彼の電話番号。
数年前、何よりも誰よりも特別だった彼の連絡先がA4のペラペラの紙に書かれている。
何度もその番号と彼の名前を反芻した。
発信ボタンを押す直前、質問コーナーの最後に当てられた人の質問を思い出した。
いままでで一番嬉しかったことはなんですか?
目を閉じれば今でも再生される。
こんなにもたくさんの人が俺のこと好きになってくれたことかな
http://anond.hatelabo.jp/20160609011058
やぁ、増田諸君ご機嫌よう。
おじさんの趣旨を汲んでくれて、罵倒してくれたトラバ諸君には感謝の気持ちでいっぱいだ。
変な書き方をしたが、おじさん的には、うみねこの死体蹴りをしつつも、ファンタジー及びSFベースのミステリを教えて欲しかっただけだったりする。
ブギーポップは笑わないしか読んだことないんだよね、この作者。肌に合わなかったから、避けていたが、頑張って手に入れて読んでみます。
チョーモンインは全部読んでいるが、それ以外は知らないので、是非とも読んでみたいと思う。
すまん、既プレイなんだ。許してくれ。ダンガンロンパ面白いよね。個人的に、2の展開はかなり気に入っている。
うむ。西澤保彦はほぼ全部読んでしまったのだよ。お陰でもっと別の作者を知りたかったんだ。騙してしまってすまない。
ここは全部抑えているんだな、これが。短編集含めアシモフは最高のSFミステリ作家だとおじさんは思っているよ。
トラバでもあったし、優先的に読みたいと思う。
このお二人の作品にはいくつか目を通しているのだが、挙げてもらった作品は読んだことがないので、読んでみるよ。ありがとう。
虚構推理は読んでみたいね。清涼院流水は済まない、全部読んでいるのだ。コズミックとジョーカーを縛って作者の頭を殴りに行きたいよ、おじさんは。
おお、初めて聞くタイトルだ。探してみて読んで見るよ、ありがとう。
あれは非常に良い作品だった。おじさんも大好きな本の一つだね。もちろん、今回書いた異種ルールミステリに当てはまるとおじさんは思っているよ。
アヤツジストなおじさんは Anotherも Another エピソードSも両方読んでいるよ。アヤツジのあのドロドロした雰囲気はミステリというより、幻想小説に近いので、おじさんはかなり好きだよ。
これにはやられたよ、おじさんも。こんなのありかって初めて叫んだ作品だね。殊能作品は全部読んだけれども、作者の早世が惜しまれるよ。
いわゆる叙述トリックで、天才筒井康隆の作品だから面白いよね。でも、おじさんはこの作品では騙されなかったんだ。本当に申し訳ない。
これは知らない作品だから、目を通したいと思う。どんな落ちでもおじさんは喜んで読むと思うよ。
ほう、乙一氏の作品はおじさんの友人がかなりお薦めしてるので、優先的に読みたいと思うよ。
未読なので、読みたいね。あと、うみねこの死体蹴りはおじさん楽しくて仕方がないんだ。許して欲しい。
麻耶雄嵩もほぼ全部読んでいる。神様シリーズも面白いよね。麻耶作品は大体頭のネジが2本くらい捻れてぶっ刺さっているから、おじさんは毎回毎回楽しみに読んでいるよ。
すまない、乾くるみも初期作品は大体読んでいるのだ。イニシエーション・ラブやセカンド・ラブが有名だけれども、Jの神話や匣の中といった若さあふれた初期乾作品独特の雰囲気はおじさん好みだねぇ。
インシテミルは既読だね。あれ、人狼が元ネタだよねぇ。まあ、それは除いても結構面白かったよ。その可能性は~は今積読の中にあるので、後で読んでみるよ。扉は閉ざされたままは探してきて読んでみるね。
逆転裁判は全く手を付けていないので、今度やってみるね。2以降がお薦めって事は、1はそこまで謎解き要素が無いということなのかな?そういえば、最近6が発売されたようなので、ちょっと買ってみて遊んでみるとするよ。
非常に惹かれる設定と内容だね。この作者さんの作品は全く読んでいないので、おじさんワクワクしちゃうよ。
空の境界と虐殺器官は既に読んでしまっているので、高井信作品を読んでみることにするよ。ファンタジーには疎いおじさんなので、名前を挙げてもらえると本当にありがたい。
田中啓文先生のネタはめちゃくちゃ面白いよね。クスっとくるネタが多いので、おじさんが好きな作家さんの一人だよ。
ぎくっ。おじさんの振りをしているのを読み解くとか中々の強者だね。でも、残念ながらおじさんはおじさんなんだよ、つい最近おじさんのラインにいったおじさんなんだよ。京極堂以外は読んだことないので、読んでみることにするねぇ。
死神が出てくるのかい。それはとても面白そうだ。伊坂幸太郎作品は、オーデュボンの祈り以外ゴミという評価だったので、読んでいないんだけれど、ちょっと先入観を捨てて読んでみることにするよ。
カーの名作だねぇ。懐かしいねぇ。おじさんは、こういう古典作品は全て読み漁っているから、名前が挙がっただけで感動だよ。この作品の結末は、ミステリっぽくなくて、おじさんは凄く好きだなぁ。
これも聞いたことがないタイトルだね。深見真作というのが興味深いね。手に入れて読んでみることにするよ。
ラノベには本当に弱いなとおじさん感じるよ。ちょっと電撃文庫揃えるようにするね。
貴志祐介作品はどちらかと言うとホラー依りだけれど、おじさんホラーも構わずに読んじゃってるんだよね。どちらの2作もまだ読んでいないから読んでみることにするね。
それでも町は廻っているはおじさん連載当初から追いかけている作品だよ。でも、それ以外は読んでいないから、絶対読むよ。
君は1番つまらないコメントだね。罵倒するならば、もっと上手に罵倒した方がおじさんも顔を真っ赤にできたんだけれどねぇ。
舞城王太郎のトリビュート作品の九十九十九でかなりお腹いっぱいになったところで、 「ディスコ探偵水曜日」はおじさんには堪えたよ。まあ、でも確かに破天荒なミステリなので、名前が挙がってもおかしくはないねぇ。
十二国記と、屍鬼しか読んだことが無いので、読んでみることにするね。
谷川流作品か……。ハルヒしか読んだことが無いので、読んでみようかなぁ。
アシモフは殆ど全部読んでいるよ。黒後家蜘蛛の会は、ミステリ好きでもウヒャウヒャと読める名作だよねぇ。名前が挙がっておじさん嬉しいよ。
これは全く知らない作者なので、是非とも探しだして読んでみることにするよ。ありがとう。
ソウヤーの名前は他の人も挙げているね。きっと凄い作家さんなんだろうね。おじさん、恥ずかしながら知らなかったので、読み漁ることに決めたよ。
魔術師が多すぎるはトラバにも挙がっていたね。はだかの太陽は名作だよね。おじさん大好きだよ。
後味の悪さとタイトルの爽やかさのギャップがたまらない作品だよね。これも非常に好きな作品の一つだよ。名前が挙がっていておじさん、嬉しいよ。
意外な作品タイトルでおじさんびっくりしたよ。第何巻なのか書いてくれると嬉しいなぁ。
アヤツジストだから、どんどん橋も既読なんだ。本当に済まない。
まどマギもシュタゲもキズナイーバーも全部好きだよ、おじさんは。
ミステリっぽくはあるけれど、あれは荒木飛呂彦ワールドだから、おじさんが求めているのとは違うかなぁ。でも、荒木先生は天才だっておじさんは思うよ。台詞回しが初期の頃か抜群に上手いからね。
西尾維新作品は、人間シリーズと戯言シリーズしか読んでいないから、りすかには手を出していないなぁ。いい加減重い腰を上げて読んでみることにするよ(積読の山から目を背けつつ)
これまた思わぬ所からの打撃でおじさん衝撃だよ。パタリロは未読なので、挑戦してみるけれど、ギャグ漫画だよね、アレ。
こらこら、未読の人がいるんだから、はてブでネタバレしちゃ駄目だよ。でも、クリスティのアクロイド殺しは有名だから、大丈夫かなぁ。
おお、これはどちらも知らない作品だ。ありがとう。ありがとう。
ファンタジー系のミステリなのかな。おじさんワクワクしちゃうなぁ。
泡坂妻夫は偉大だねぇ。他の作品も非常に興味深いので、参考にしたいと思います。
まだ出ていないね。おじさんも知らない作家なので、読んでみるよ。
Anotherのアヤツジ展開はおじさんの好物の一つだよ。いい作品だよねぇ。
六とんシリーズは、かの島荘作品からインスパイアされて生み出された作品群だけれども、あれはパズルちっくで、おじさんは楽しんで読んでいるよ。
済まないねぇ、京極堂シリーズは全部読んでいるんだ。邪魅の雫の次が待ち遠しくてしかたがないよ。
>>「数学的にありえない」
初めて聞くタイトルだね。おじさんの今度読む本リスト入り決定だ。とても興味深いタイトルだ。
柄刀作品もいくつかつまみ読みしてるよ。彼の作品も独特で、おじさん好きだなぁ。ただ、柄刀作品はおじさんが求めているような独自なルールはなるべく避けるように心がけている気がするよ。
気になる作家さんがまた一人増えたよ、ありがとう。
所々端折ったりしたけれど、これで全部かな。
読みたい本がいっぱい増えておじさん、大満足だよ。
会場に着いたのは17時半頃。マルイ2階入口からエスカレーターで9階まで上がり、階段で11階まで登りました。
階段で登っている時は驚くほど静かでシンとしていて、本当に公演があるのか?と不安になってしまうほどでしたが、11階に着いた途端ざわざわとにぎやかな声が。
会場手前では入場を待っている人や、椅子に腰掛けてのんびり待っている人でいっぱいです。
奥に進むとトレーディング商品を購入した人達が交換をするスペースがあり、ごった返していました。
そこを通り抜けると物販フロア。ここではチケットを持っていなくても買えます。
まずは事前に買ったトレーディングブロマイドセットを引き換え。
次に物販コーナーに並びました。と言ってもまったく混んでおらず、すぐに会計へ。
在庫は売り切れなし。素晴らしいです。
パンフと個人ブロマイドをいくつか買い、持ってきたバッグにしまって開場を待ちました。
トレーディングブロマイドは何が来ても大事にしようと思っていたので交換はしませんでした。
18時になり入場開始。
ですが、18時30分までは椅子には行けず狭めなロビーで待つので、30分まで外で待機していた方が良さそうです。
今日の席は2階席3列目通路寄りです。シアター1010の2階席は初めてでした。
シアター1010の公式サイトをよく見ると分かりますが、転落防止の柵があります。
ここはなぜか上手とセンターブロックの間、センターブロックと下手の間の柵だけ高く延長されています。
2階席で通路寄りになるとこれがもれなく視界に入ります。
公演が始まるとまっっったく気になりませんでしたが。むしろ脳が柵だけ透過処理をしてくれました。
19時、公演開始です。
冒頭は本能寺炎上から。明智光秀と森蘭丸の対峙から始まります。
二人のやりとりを眺めるように宗三左文字が登場。
声にびっくり。ゲームで聞く声によく似ています。役者さんすごい。
オープニングはまさかの刀剣男士そろい踏みによる生歌でした。うわーかっこいい!!
あ、これはにやける…!と頬の内側を噛んでぷるぷる震えてしまいました。
声が!びっくりするほど声優さんに似ています。声帯コピーの技を持っています。確実に。
所作が美しく、優雅。役どころは山姥切国広のサポート兼保護者のような相方と言った感じ。
序盤で「だいに、第二部隊が…」と台詞を噛んだ三日月でしたが、初日ならではの緊張感ですね。お茶を飲み、酒を飲み、茶菓子を食べ、マイペースな三日月ですが、戦うシーンは流石の一言。とにかく麗しい。ひらひらと狩衣を捌き階段を飛び乗り、立ち回ります。
・山姥切国広
これで綺麗なんて言うななんて言う方が無理。美しい。
ボロ布を常に頭からすっぽり被ったままですが美しい。
殺陣も見事。鞘を盾のように使う戦い方に技を感じました。
初期刀で当初は近侍であったものの、過失から近侍を降りている経歴持ち。審神者からまた近侍の命を受け苦しみながら奮闘する役です。ゲームをよく勉強してこられたのか、話し方が声優さんにいました。
・宗三左文字
これまた麗しい!!佇まいが可憐で優雅。けれども殺陣は迫力満点。
2階席からでもたまに見える素足ががっしりといているのが分かります。
本能寺で悩み、苦しみながらも不動行光を支える役。
・江雪左文字
戦いは嫌いですと言いつつ敵をなぎ倒す姿は鬼神。
小夜を案じ、左文字長兄としての優しさを見せる江雪。
終始取り乱すことなく常に落ち着いた動作が印象的でしたが、仮に真剣必殺されたらみんな泣くしかないと思いました。
・小夜左文字
スーパーアクションスター小夜ちゃん。短刀を操り、足技を繰り出し、バク転します。
一番身のこなしが素早いです。観ていて楽しい小夜ちゃん。
・薬研藤四郎
宗三の相方的な立ち位置。へし切り長谷部に対し「その名前、俺は嫌いじゃないぜ」と言ったり、不動行光を気にかけたりとコミュ力高し。
・へし切長谷部
一番面白い人。馬当番をこなします。近侍に再任命された山姥切国広にジェラシーします。
紅白戦では燭台切光忠と対戦。大柄な光忠に対し、斬り合いを軽やかにこなします。
信長を守るために光秀を討とうとする不動を、背後から斬りかかろうとする姿が印象的でした。
・不動行光
本作のキーパーソン。演技の一つ一つが迫真に溢れていて素晴らしかったです。
再開した蘭丸を抱えあげてくるくる回転する不動くんは本当に本当に嬉しそう。
序盤はよたよたしていた不動くんが、終盤で強く成長した姿に感動。
・一期一振
物腰穏やかな話し方に加え、凛とした殺陣。立っても座ってもサマになる一期。
台詞はさほど多くないのですが、無言の演技が出来る方だとお見受けしました。
殺陣はダイナミックで鮮やか。ラスト、傘を持って挨拶をする仕草が紳士然としていて素敵でした。
・鯰尾藤四郎
唯一の脇差だから年少組に入るのかと思いきや、小夜と一緒にいる時は保護者らしく振る舞う鯰尾。
脇差と足を使い素早い身のこなしで演じる殺陣が印象的。背後から忍び寄る鶴丸に振り向かないシーンはアドリブかな?はきはきとした物言いがゲーム版とよく似ています。馬糞は投げません。5月7日が役者さんのお誕生日とのことだそうで行きたかったなあ。兄弟だからか一期と一緒に戦うシーンが多いです。
・燭台切光忠
食べ物担当。毎公演、彼が提供する食べ物は違うそうです。その場面は毎回アドリブですね。
殺陣はダイナミックそのもの。にもかかわらず格好良さを忘れない戦い方が燭台切らしいです。鶴丸とよく一緒にいます。仲がぎくしゃくしそうな本丸を見て二人で紅白戦を提案するなど年長刀としての役割を認識しているようです。
・鶴丸国永
重くなりがちな本丸の賑やか担当。落ち込む山姥切の肩を叩いて慰めたり、不動の甘酒を欲しがったり、細かい演技が光ります。
戦闘は、太刀を肩にかけて飄々とこなすかと思えば豹変して雄々しく闘います。
敵に放つ掛け声が一番荒々しく、男らしさを感じました。
◼︎個人的に印象的なシーン
迫真の演技は圧倒的。死んでいるはずなのに生きようとし、まだ尚信長を守る姿は
・光秀全般
光秀でないと刀剣乱舞としての本能寺の変を掘り下げられないからですね。
蘭丸と二人で登場したカーテンコールは一際拍手が大きかったです。
・三日月と山姥切
織田刀が織りなす本能寺のテーマと並行して進んでいたテーマだと思います。
三日月が月を見て「おぬしも月を照らす陽の光となれ」と山姥切に投げかけるシーン。
それで山姥切は近侍の決意を固めます。その後窮地に陥った三日月の助けに入り山姥切は
「月(=三日月宗近)を照らす陽の光となる!」と宣言します。三日月は「ずいぶんすすけた陽の光だな」と応えるわけですが、熱い。少年漫画のようです。
これ以前の場面の紅白戦で一騎打ちになった時もしつこく追いかけてくる三日月に山姥切が「このクソジジイ!」と叫んで立ち向かうシーンも熱いです。
ラストで三日月が自らの破壊を匂わせる台詞がありましたが、あれは現実にならないとほしいと思います。
刀ステの山姥切国広は仮に三日月が折れたら二度と立ち直れない気がします。
◼︎全体の感想
2.5次元は初めての鑑賞ですが、エンターテインメントに優れていて素晴らしい出来栄えでした。
初日は友人が当選してくれて入れました。6日に自力当選したのでもう一度観劇できます。
今回は二つのメインテーマを重点的に観たので、次回は別視点から楽しみたいと思います。また思うところがあったら感想を書きます。
とりあえず勢いに任せて書いてみたら、twitterに投げるには長すぎ、そもそも俺きめぇってなったので。
誰か一人でも、共有できる想いがあれば嬉しいので、こっちに投げ込みます。
ライブ2013の例からいって、円盤収録もない可能性が高いので、両方を聞き比べられた人はきっと幸せ。
というかむしろ、日曜の内容は土曜を聞いてること前提だったような。
『後は昨日のテープ流しといて』とか、『強制退場ってことは、チューするのか?』からの『昨日と言ってることが違うゾ』とか。
しないフォギアといい、やっぱスタッフ側もガリミカ好きなんだなと理解した次第。
オープニングはRADANT FORCEかギャラクシィクロスか、という大方の予想を覆しての、まさかのオープニング曲。いや、アニメ本編のオープニングだから使い道としてはあってるんだけど。
後のMCでも言ってたけど、これまでにも各媒体で『終わりの曲』『Glorious Breakを受けてのアンサーソング』って言われてたから、てっきり終盤で演るもんだと。
そしてそれが予想外だったことに加えて、ついに始まったってことで感情が昂ぶって、覚えてたコールが飛んでしまったりも。ラスサビ前の『Exterminate』は叫べてよかった。
Exterminateから息つく間もなく、初手から全開のシンフォギアライブ。
日笠陽子は『マリア・カデンツァヴナ・イヴ役の』と噛まずに言うだけで笑いが起こる女性になってしまったなあ。
序盤からまさかの予想外曲。リハの音漏れから、前期曲も演るんじゃないかと思われていたけど、このメロディアスで印象的なイントロが流れたときの適合者のヒートアップっぷりはもう。おう、叫んだとも。
そしてこの予想外に難なく適応して完璧なコールを飛ばす適合者たち。このライブの成功が約束された瞬間といってもいいかもしれない。
トーン低めのキャラ声で、この熱狂のただ中にいきなり入っていくとか、冷静に考えたらわりと超難易度っぽい気もするけど、さすが装者の中でもライブの場数はトップクラスと言っていいだけある。
予想はできていたとはいっても、実際にディストーションばりばりのギターのイントロが流れると、どうしたって盛り上がる。南條愛乃の高音と茅野愛衣の低音とのハーモニーは、もうねえ。
イントロがかかったとき、きっとほとんどの適合者が、『このセトリ、俺たちを殺す気だ』と思ったにちがいない。
今回も、南條愛乃デザインで揃いの衣装。ギアのヘッドパーツを模した、というかそのままヘッドパーツの萌えポイントが高すぎて。あと、茅野愛衣は、なにげに前回のシンフォギアライブ以来のライブとのこと。あんな強くてまっすぐな低音を出せる女性声優って珍しい気がするのに、もったいない。
いやほんと、茅野愛衣の低音は素敵。オリジナルバージョンの、近い声質のハーモニーもいいけど、ZABABAの個性のあるバージョンもいいものだ。
\デデース!/\デデース!/
(顔をしてぷるぷる)のところはコールしないのね。
これ、イントロだけで、即座にライトを紫に変えられたひとってどのくらいの割合だろう。というレベルの予想外。ライブ2012以来だし、そういえばそのときも初披露なのにこういうコールをしていた記憶が蘇ってきた。
ステージから客席に放たれるレーザーは、シェンショウジンの光そのもの。
身体を削って喉を振り絞るようなパフォーマンスには、ただただかっこいいという言葉しか出ない。
話を総合すると、奈々さんが好きだから触りたいけど、触られたらぽよぽよだぞ、と。
いやでも実際問題、あの声量をあれだけ身体を動かして安定して出せるなんて、鍛えてることに異論はないやね。
あと、『たやマ?』はしばらく笑い転げてしまった。
染みる歌詞染みるメロディ。「歌が好きだ」とハジけた感情の上昇は、日笠自身を現していた。
泣き声で『みんなに力、もらったよ!』とか泣くでしょ。
シングルカットバージョンではなく、アニメ本編で使われていたイントロのロングバージョン。次第に加速していく4つ打ちの重いビートにあわせて、会場を埋め尽くした赤いライトが上下に揺れ続ける一体感は静かに熱気が高まっていくのをしっかりと感じた。
そしてキレッキレの振りがまたすばらしい。
『盛り上がってるか! 群雀ども!!』ってアオリで一気にクリスへと切り替わる瞬間。
『高垣彩陽の爆笑MC』って、どこぞのアドリブアニメの声優じゃないんだからさぁ。
そして、もらったブドウ缶で、クリスのうさぎキーホルダーとクリスソーサーを入手するとか、ほんと役に愛されている。
だから1期の回想とか泣くってば。……いやごめん、ネフシュタンクリスは久しぶりすぎて正直笑った。
ほんと、この曲の揺れ幅がクリスだよなぁ。前回の教室モノクロームもよかったけど、こちらも圧巻の歌唱力で歌い上げられたら、そりゃもう幸せですわ。
きりしらとはまた違った形で、特徴的な声と声とのぶつかりあいは、緊張感であり安心感でもあり。
あんなヒラヒラの衣装で舞台を右に左に走り回るなんて、水樹奈々のライブ特性はほんとどうなってるんだ。
『話はベッドで聞かせてもらおう!』の正しい使い方講座。
それはそれとして、ダジャレで自らを窮地に追い込んだSAKIMORIの照れ顔最高。
あと、『翼はこういうキャラじゃない』って言ってたけど、しないフォギアを見る限りはわりとそういうキャラっぽいよ?
だから1期の奏回想とか泣くってば。泣くってば。
客席の青いライトにまじってちらほら見えるオレンジと赤の光に、やっぱりみんな奏のことが好きなんだなって。1期から追いかけている適合者も、まだこんなにいるんだなって。
水瀬いのりのあの小さい身体のどこからこんなドスの効いた声がでてくるんだって思いが、生歌を聴いてさらに不思議になった。
シンフォギア現場にずっといたとはいえ、ついにこのメンツに混じってライブ参戦とか、そりゃ怖いだろうって話で。
歌い上げる系の唄を、生でこれだけ表現できる子だったのかー、と。黄色のライトの意味が、さっきとはぜんぜん違って見えた。
スポットが当たって姿が見えたとき、ディスプレイに響そのものの姿が映し出されたとき、そして歌い始めと、わずかな時間に3回。
ただただ叫んだことと、それをさらに自らが煽っていく悠木碧と、それだけしか頭に残っていない。
響を連れてくることだけを考えました。そしたらみんなが『座長』って呼んでくれました。
ライブ2012、2013と見てきた適合者は、そのトークに込められた想いがどれだけ重かったのか、自分のことのように感じていたはず。
2012のカーテンコール。締めの挨拶をしたのは、奈々さんだった。もともとそういう予定だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。
2013のカーテンコールでも、このメンバーで自分が座長なんてありえない、そう言っていた。
やっと、本当の意味で、自分がいられる場所を見つけた。そういえる彼女は、間違いなく強くなった。
高まってるところにこれはいけない。
というか適合者は何故サビ合唱を当たり前のように!
手を繋いで左右に揺れながら楽しげに歌うふたりが、ほんとうに幸せそうだったあったかい曲。
日笠を、泣いたことで弄る悠木碧の頭上に、ぴこんとフラグが立ったのを見たのは、自分ひとりではないだろう。
勇ましくて、でも優しくて暖かい曲。
横一列に並んだ装者たちが、思い思いに身体を揺らして歌ってるのが、ほんとうに楽しそう。
これまでの歴史が語られ、そして。さすがシンフォギア、予想を裏切ることにかけてはその方向性に間違いはなかった。
絆、心、一つに束ね 響き鳴り渡れ 希望の音
願い、祈り、全てを背負い 本気を超えた 本気の唄
twitterで検索しても、興奮により上気した満面の笑顔とぐしゃぐしゃになった泣き顔が同居していた適合者は決して少ないものではないようで。
シンフォギアの世界は、唄を奇跡に変えられる世界は、あのとき、たしかに存在した。
RADIANT FORCEがくるなら、当然こちらも。
どうして、さっきまでわけのわからないくらいに絶唱していたのに、この曲ではコールどころかかけ声も上がらないことが統一できてしまうのか。
そして最後まで予想外の1期曲。まさか、また、この唄を聴けるなんて。あのときには今にも折れてしまいそうだった悠木碧が、中央で笑いながら、ほかのふたりを導いている。
見事なフラグ回収でした。
と・き・は・な・て!!
「狼狽えるな!」と言いつつ自分がいちばん狼狽えていたことを暴露される日笠。
ライブ2012のゲームコーナーの話もすこし。四字熟語といえば、やぱり翼さんの『風林火山』。
誰が言ったか『次はアイドル活動とか?』の直後、おそらく客席のほとんどの目は、ピンクい人に注がれていたのだろう。
キャストがそれぞれ、殴っただの殴られただの敵対していただの嫌いだっただの言い合っていて、こういう関係性の変化を積み重ねて楽しめる、長いコンテンツになったんだなと感慨も。
「やっぱり、愛ですよね」のフリに乗り損ねた日笠はおいしすぎてもう。
BDが発売されたときに、しっかり編集点で切られていたらそれはそれでほんとおいしいよなぁ、とよこしまな考えも。
シンフォギアはほんとうに、長く続くコンテンツになった。まだ終わらない。キャストの愛が、スタッフの愛が、適合者の愛が、武道館を満たしていたのを、みんなが感じていた。だから、そこにあるのは笑顔だけで。
G・X!!!!
ストリップを見に行ったら筋少と初音ミクとかまってちゃんが流れて驚いた、という話。
かなり長文です。
初めて触れた「ストリップ」という文化についても色々思うところはあるんだけれども、
ここでは自分の初のストリップで強烈な印象を残した「栗鳥巣」というストリッパーについて書きたい。
その前に、まず当日のショーの流れを説明する。
まぁ、だいたい同じようなもんだろう。
30分のうち、前半15分は音楽に合わせて踊る。いわゆる「ストリップ」のイメージ通りのやつ。
後半15分は写真撮影の時間となっており、お客さんの好きなポーズで、あるいはツーショットで1枚500円。
撮影希望者がいなくなったら最後に軽くもうひと踊りして終わり。
というのを5人が順番にやったら、全員登場のカーテンコール。
これを1セットとして約3時間、日に4セットやって23時ごろに閉幕となる。
ちなみに客は一度入場料を払えば、入退出自由となる。
ここについてはどうやら選曲、振り付け、おそらく衣装もストリッパー自身の裁量に委ねられているらしい。
つまり各人の個性というか、センスが問われるわけで、実際、ストリッパーそれぞれにまったく異なるショーだった。
またある人は「フラメンコステップを踏む妖艶な婦人」を演出し、
それで件の栗鳥巣はなにをしたかというと「サルに扮してのロープ芸」だった。
天井のフックにロープを引っかけてブラブラしたり、なんというかアクロバティックな見世物だった。
bgmはずっとサルに関する曲で、しょっぱな筋少の「おサル音頭」が流れた時は内心苦笑した。
「申年だしね。この人はそういう芸風の人なのね…」くらいにしか、この時は思っていなかった。
さて、一人のストリッパーは日に4回ステージに立つと先に書いたが、
4回とも同じ内容ではなく、2種類のショーを交互にやるということには見ていて気付いた。
そしてショーの中には「あるコンセプト(アイドルとか)のもとひたすら踊る」パターンもあるが、
「ストーリー仕立て」になっているパターンもあることも知った。
これは大変難しいことであると思う。
「音楽と衣装とダンスだけで物語を表現してほしい。15分で。脱ぎも入れて」というのは、
なんの知識も手ほどきもない人に突然できるものではないだろう。
実際、その日のショーでも物語を取り入れたものはいくつかあったが、
話の流れで「服が脱げてゆく」のが自然であったためしはなく、
「そこでなんでおっぱじまっちゃうの」といった突っ込み所満載のものとなっていた。
そして栗鳥巣の2回目のショーが始まった。
まず流れた曲は初音ミクだった。
カクカクとしたダンスは少しずつ有機的になり、熱を帯びていった。
そしてラストに「ロックンロールは鳴り止まないっ」が大音量で流れはじめた。
そのショーは、性行為で「人間らしさ=エロス」の発露を表現するという、
しっかりとした物語になっていた。
整合性があるというと大げさかもしれない。
話としてもベッタベタかもしれない。
ただ、下手すると「脱いどきゃいいんだろ」ともなりかねない世界において、
正直なところちょっと、いやかなり感動した。
この人の舞台は、また見に行きたいと思った。
ただそういったことよりも(そういった部分も含めてだが)
2,5次元舞台、アイドル舞台、小劇場、演劇、歌舞伎、宝塚、ジャニーズ舞台、ミュージカル、海外ミュージカル、海外演劇、能、落語、狂言、文楽、その他古典芸能、劇団四季、ファミリーミュージカル、パフォーマンスショー、アイスショー、ダンス、朗読劇。
バレエやクラシックコンサート、オペラでは、もっとデリケートになってくるのではないでしょうか。
それぞれのジャンルのルールに従いながら、マナーを守って観劇しましょう。
バッグや持ち物は座席の下かひざの上におきましょう。バッグハンガーを前の座席にかけ荷物を吊るすようなことはおやめください。大荷物の場合は、コインロッカーやクロークを活用してくださいね。
●最初に聞きたいCD(ベストアルバム+元増田の気に入ったマスターピース)
○「GRE@TEST BEST! -THE IDOLM@STER HISTORY-」
○「GRE@TEST BEST! -SWEET&SMILE!-」
○「GRE@TEST BEST! -COOL&BITTER!-」
○「GRE@TEST BEST! -LOVE&PEACE!-」
○「M@STERPIECE」
●次に聞きたいCD(気に入ったアイドル候補生のカバー曲+ベストアルバムに収録されてないぷちます曲とLTP曲+ベストアルバムに収録されてない曲がかなり多い「生っすかSPECIALカーテンコール」)
○気に入ったアイドル候補生のMASTER ARTISTシリーズ(真美、亜美は同じ)
○気に入ったアイドル候補生のMASTER ARTIST2シリーズ(真美、亜美は別)
○気に入ったアイドル候補生のPETIT IDOLM@STER Twelve Seasonsシリーズ(真美、亜美は同じ)
○気に入ったアイドル候補生のLIVE THE@TER PERFORMANCEシリーズ(真と真美のみ同じCDに収録されているので注意)
○「ANIM@TION MASTER 生っすかSPECIAL カーテンコール」(二回目以降はフリー枠として、フィーリングでいくか、後で紹介するシンデレラガールズのCDを借りましょう)
○THE IDOLM@STER MASTER ARTIST FINALE
○THE IDOLM@STER MASTER LIVE 00
○THE IDOLM@STER MASTER LIVE 02
○THE IDOLM@STER ANIM@TION MASTER 生っすかSPECIAL 05
でいきましょう。小鳥さんはCDが少ないのでこれと上記のベストアルバムでコンプのはずです。
●上記を何ループかして、お気に入りのアイドル候補生を抑え終わった後に聞きたい隠れ名曲シリーズ(他のCDに収録されてない「隠れ曲」を中心にピックアップ)
○SHINING STAR ★彡のSHINING STAR ★彡(ゆりしーVer)
○「アイドルマスター ミリオンラジオ!」テーマソングのU・N・M・E・I ライブ
○ラジオdeアイマCHU!!スペシャルCDのMon Chéri
○THE IDOLM@STER BEST OF 765+876=!! VOL.02 のDREAM
○THE IDOLM@STER 2 「SMOKY THRILL」の恋するミカタ
かなあ、とりあえず最初はGRE@TEST BESTを借りておけば問題ない。
かなり最近に出たベストアルバムで最初のHISTORY以外は二枚組だから、全部でCD7枚とかなりのボリューム。
まずはこれを聞いてお気に入りのアイドル候補生を見つけて、次はお気に入りの候補生の個人CDを聞くのがオススメの流れ。
ただ、この流れで抑えられるのは765オールスターと呼ばれる初期メンバーの曲とミリオンガールズと呼ばれる初期メンバーの後輩たちの曲ばかりなので、
モバゲーで配信中のシンデレラガールズたちの「CINDERELLA MASTERシリーズ」や
DSゲームのディアリスターズたちの「DREAM SYMPHONYシリーズ」や
モバゲーで配信中のサイドM勢のジュピターCDなんかも是非聞いてみて欲しい。
また、ラジオCDについてくるカバー曲(歌姫楽園と呼ばれてます)もいいのが多い。
毎週水曜日にニコニコ生放送でやってるラジオ番組「CINDERELLA PARTY!」を聞くのもいいかもしれない。
このラジオは毎週シンデレラ勢の曲を紹介するコーナーとパーソナリティーがアイマス楽曲や関係ない曲をカバーするコーナーと、二つも歌のコーナーがあるからオススメ。
それとアイマスのCDを語る上で欠かせないのが、CDに挿入されてるドラマパート。
だそうだ。赤旗のコラムもかくやはと思われる一方的な決めつけと一部の政治団体の主張を代弁するご熱心さにはあきれるばかり。
昔から、朝日の社説は程度が低かったが、ここまででは無かったはずだ。
なんで、こんな独りよがりなポエムを社説として掲載するのだろう?天声人語ならいざ知らず。いや、コラムにだってこんなん書いたらあきれるけど。
この社説子が読者に感じてほしいことは、
「俺はウージェーヌ・イヨネスコの『禿(はげ)の女歌手』を知っている文化的な人間」
「安倍内閣の暴挙を不条理劇になぞらえる発想力。センスいいでしょ?」
「『カーテンコールの、喝采の代わりに。』どう?詩的でしょ?センス良いでしょ?」
こんなとこか?
センス無いよ。はっきり言って。
集団的自衛権に関する憲法の解釈変更について、ついでだから私見を述べておく。
とは言っても、今回の解釈変更についての賛成・反対のことではない。
デモクラシーの担い手たる健全なる社会人なら誰もが知っている「ルール」(社内規則や法律等、もろもろの)についてだ。
憲法は法律であり、法律はルールであり、ルールは守らなくてはならず、ということはルールは守れるものでなくてはならない。
現状を追認すればいいというものではないが、現状に即した適切な条文に随時メンテナンスしなくては、ルールはルールとして機能しなくなる。
守れる訳のないルールを頑迷に変更しないまま金科玉条のように奉っておくと、そのルールはやがて形骸化し、却って何の歯止めにもならなくなるものだ。
守れる訳のないルールの一字一句にこだわるのは、ルールの精神を尊重していない言葉遊びと同じことだ。
そしてその言葉遊びは、ルール自体をゆっくりと間接的に蝕んでいく。
たとえば創業者が決めたけれども時代や社会や新しい法律と整合性がとれなくなって、もはや誰も見向きしていない社内規則とか。
憲法9条は、法律の条文にすぎない。それによって守るべき価値は何か?日本国の平和と安全だろう。
しかし、かつてルールの一字一句を神聖視して、日本国の平和と安全などどうでもいいという人たちがいた。
彼らは「神聖なる憲法9条に奉仕する自分」にうっとりするばかりの、自分をえらく見せたいだけの偽善者たちだった。
言葉遊びを非難するならば、彼らこそが非難されるべきだろう。
彼らは、国際情勢に合わせて憲法の精神を尊重しつつ条文をすこしずつ変えるという民主国家に必要なプロセスをあれやこれやの感情的な屁理屈をもてあそんで邪魔してきたのだ。
そしてその結果として、今回の無理筋の解釈変更が必要になってしまったのだ。
つまり朝日新聞は「言葉遊び」によって憲法を形骸化させた張本人の側でもある。自分たちの言葉遊びの報いを別の言葉遊びで受け取ることになっただけのことだ。
いや、その報いを受けるのは国民全体なのだから憲法の精神を真の意味で尊重してきた人々には迷惑な話だ。
「主権者である私たちは声をあげ続ける。(中略)おかしい、認められないと」
こんなの今時は学生だって恥ずかしくってビラにも書かないような少女趣味のアジテーションだ。
これで横暴な権力に立ち向かう革命の闘士気取りならば、いい気なもんだぜ。としか言えない。
薄ら寒い自己陶酔はご自宅に配達される朝日新聞のチラシの裏でやったらどうか。
朝日新聞は700万部(主催者側発表)発行されているそうだから、この社説のおかげでざっと数万冊のノートを作れるパルプとそれに印刷するインクを無駄にしたことになる。地球温暖化の観点からも問題だ。
カーテンコール(α) @curtain_call1
.@ko_zan プロの、しかも音楽畑の貴方が気にする必要あるのでしょうか。
音楽畑の人間って、アマチュアでもMIDI狩りとか何やらで、著作権の安易な適用により発生する痛みが分かってるよ。
プロなら尚更。
カーテンコール氏が抜けている、と思うのは@ko_zan氏が一貫して言う創作物の置かれている状況の中での法の役割に対しての反論が出来て無い所。
制定法と判例と業界の慣習を無理に線引きしないことは知財の分野を問わずに議論されていることで『真っ当な社会人』なら骨身に染みて居るべきことなんだよ。
分野が違えば確かに無関係に見えるけどさ……無理に騒ぐことで態々、なあなあにしておいた状況が硬直して、隣接分野に波及するリスクが分かんないんですかねえ。
チコラブ氏に限らずだけど、彼らの多くとは、まともに会話が出来るとは思わない。
というよりも、すぐに「人格攻撃」「ネットストーキング」に走る人間に、まともなコミュニケーション能力があるとも思えない。
だからこそ、彼らの攻撃目標が無差別(違法行為を行ったという、明確な証拠を持ってない者まで)に広がっているのだと思う。
ある程度話の通じる穏健派の人たちが、「クラスタ」の主導権を握ってくれて、チコラブ氏やカーテンコール氏などの、急進的な「過激派」とも思える人間を押さえ込んでくれればいいんだろうけど。(少なくとも、彼を批判した人物への、無差別的な攻撃は減ると思う)
ただ現実的には、「それで内ゲバが起きて内部分裂→穏健派自身が攻撃対象」になる事が、多分「穏健派」の人たち自身が最も恐れてるのかなあ・・・とも思えるわけで。
カーテンコール氏が「無断転載してる側や批判批判の方が侮辱的な言葉かますことについては」と仰っている件について。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
初っ端から初対面の人間に(ツイッター上ではあるが)「悪人」と決めつけられ、突然高圧的な態度で迫られ、相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝し挑発行為を行われる。そう言った行為で冷静でいられる人間って、殆どいないと思う。(自分が突然そういう風にされる事を、軽く想像してみればわかるはず。)
http://resistance333.web.fc2.com/newpage8.htmこちらのサイトに詳しいが(2ちゃんねるを閲覧する人間として、このサイトを参照するのは、自分でもどうかしてるとは思うが)少なくとも、「クラスタ側」の人間の中には、明らかに「相手を挑発し、怒らせて醜態をさらけ出させる」目的としか思えない言動を繰り返す人間がいるように思える。どこ誰かさんとは言わないけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
http://anond.hatelabo.jp/20130129092048
http://anond.hatelabo.jp/20130129110701
以上の3つとは別個の話として。
昨夜書いた「「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法を考えてみたい(http://anond.hatelabo.jp/20130128213337)」から一夜明け、所謂「クラスタ側」からの反応が、ボツボツと出てくるようになった。(カーテンコール氏いわく、「リツイートされた件数も、ツイート数に加算される」らしい)
・無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる
↓
・だから我々は、断固として「無断転載行為」に対して、毅然とした態度を取る!
ここまでは、一般論として依存はない。どれだけひねくれている人間であろうと、この理屈に対して反論するつもりはないだろう。私もそう思う。
ただし、問題はこの先である。
・「無断転載批判クラスタに対して」、「無理してでも」懐疑的・批判的な意見を表明する必要性はあるのか?
↓
・我々に対して懐疑的・批判的なツイートをするのは、奴ら自身に後ろめたい部分があるからだ!
↓
どうも、彼らの行動原理そのものは、ここにあるようなのである。(彼らの中には、後半二つの項目を否定する向きもあるようだが、だとすれば、「違法行為を行っていない単なる批判者」に対して執拗な攻撃を続ける根拠について、是非お答え頂きたいところである。)
彼ら「無断転載批判クラスタ」に対して集まってる批判的な意見は、「断固とした遵法啓蒙活動」そのものではなく、「攻撃対象の無差別化と、その攻撃手段」(エゴサーチ→リツイート→ストーカー行為→炎上ないし追跡)に対してである。
※参考
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057
http://anond.hatelabo.jp/20130127175005
度々(主にカーテンコール氏から)「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」という意見が出る。
だが考えて欲しい。彼らの(建前上の)本質が「無断転載撲滅の啓蒙活動」である以上、彼らの活動実績を(少なくともツイッター上では)拡散させる必要がある。その為にも「悪人」(無断転載行為を行った人間)を絶対悪として晒し上げ、二度と同じ行動を起こす人間が現れないように、徹底して「叩き潰す」(←先日、松下響氏が使用した言葉でもある)必要が生じる。もしそうでなければ、「あんたら何のために活動してんの?」って言われても仕方がないであろう。
「拡散」させる以上、「彼らの活動実績」そのものが、詳細に「数多くの不特定多数」の人間に晒される事になる。(彼ら自身がそれを望まないのであれば、それこそ「あんたら何のために」って話になる)
「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」と、彼らは考えているようだ。
その一部始終を目にした人間の、全員が全員、我々に肯定的な感情を抱く筈だし、抱くべきだ!
彼らはそう思っているのだろうか?
彼らの行動原理として
「無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる」
という考えを紹介させていただいた。
「無断転載批判クラスタ」に対し、懐疑的・批判的な感情を抱くこと。そしてそれを表明すること。それ自体を制限する根拠は、一体どこに存在するのだろうか?彼らが「遵法主義の啓蒙活動家」である以上、法律に基づく根拠であるのなら、日本の法律のどこの条項によって定められているのか?前回も書いたが、その正当な根拠があるのだとすれば、後々の為にも是非ご教授頂きたいものである。
余談だが、紅蓮の猫 (@lotusredcat)氏曰く「社会の規範を破っておいて、同じ(ルールは破って良いという)意見の人としか交流しないというのはただの甘え」なのだそうだ。
自らに対する懐疑的な意見の存在を受け入れず、その相手を(違法行為を行ったという明確な証拠がないまま、違法行為を行った人間と同様の罪を持つとして)執拗な攻撃を続けるという行為は、彼らにとっては「甘え」ではないという事なのだろうか?甚だ疑問に思うところである。