はてなキーワード: 法主とは
ドライバー=日常的に道路交通法違反(主に速度超過)を意図的に行っている無法者なのに、法律を守って道路を走行している自転車や電動キックボードを危険だの邪魔だの文句つけてるのは何なの
ドライバーと名乗っている時点でおでこに「法律よりも俺ルールを優先する無法者のゴミクズです」と書いているとの同じレベルの恥さらしなのにまるでそれを理解できていない
それに加えてそんなゴミクズの立場で遵法主義者の自転車乗りや電動キックボード乗りに文句をつけるとかもはや救いようのないマキシマム恥さらしなんだよね
ゴミクズの中には道路交通法を根拠に自転車乗りや電動キックボード乗りの乗り方が悪いとか言ってるゴミクズもいるんだけど、いやお前が根拠にしている道路交通法はお前が破ってるものなんだけど
自分が堂々と破ってるルールを他人には押し付けるってなに?それ本気でやってるの?俺の知らない世界の俺の知らないギャグでやってる?
わりと勘違いしている人も多いのだが、
どうも国民性として、生真面目な部分を持っている人が多いので、
日本という国は公明正大でフェアで尊法精神を重視する国だと思っている人が多い。
しかし実際には、バリバリに東アジアの国だから不正も多いし、違法行為も多い。
身近な部分で言えば、労働に関する法律とか平気で破るのが当たり前の国が日本だろ?
そんな国が尊法主義な訳がない。
わかりやすくいうと、かなりどうしようもない国なんだ。
だから、マスコミもグズグズ、未成年者(未成年者だよ?)に手を出す変態ジジィひとりにもひれ伏す奴らだろ?
ただ、どうにもこうにも同調圧力だけは異常に高いから、ワールドカップサッカーの会場で掃除を始めたり、
災害の現場でも略奪が起きないとか、そういうマナー面だけは割りとレベルが高い。
始めて少し経ったら、ぼっちざろっくもはじまったおりしもギターブームになって、飽きずに1年たった。
始めはアコギで、半年したらエレキに手を出して、エフェクターも少しずつそろえたりして、途切れず趣味として続いている。
ギターは挫折が多いとはいうが、どうやら挫折からのサバイバーになったようだ。
はじめて当初は、コードチェンジなんてやれねーよっておもったけれども、何回か練習していけばできるようになって、
それの繰り返しで少しずつやれることが増えてきた。
初心者が弾ける曲が結構youtubeで紹介されているが、そういう曲を主に10曲くらいはリードギターパートを弾けるようになった。アジカンのソラニンとか、パワーコードやオクターブ奏法主体の曲を主に練習してる。
①社会的地位を利用し、断りがたい立場の人に狙いを絞り、お金は38万必要だ
が とてもいい話が聞ける。この様に誘われることすら、得がたいことであ
り、行けば必ず納得してくれるだろうと、教団名、宗教であることを隠して
勧誘する。
②京都へ行けば、2日間にわたり、念仏宗・無量寿寺信者としての(かなり洗
このとき、念仏宗の秘儀というものも教わるが、(太陽を裸眼で見る方法、
化仏、化菩薩を見る方法等で、この秘儀を伝えられたことにより、極楽往生
が決定し菩薩の仲間になったと教え込まれる。) これは普通の生活では経
験していないことを教えるだけで、同じようにすれば、誰でも見える。また
徹底した秘密 主義を誓わせ、たとえ家族のものであれ念仏宗無量寿寺で聞
③釈尊本来の仏教というよりも 浄土系、密教系の複合したもので 開祖、久
世太郎(本名 福井真尚、別称 戸倉貞和)教と呼ぶべきものである。ちな
みに開祖の前歴は占い師で詐欺による訴訟を神戸地方裁判所にて起こされた
こともある。
④念仏宗 無量寿寺の会員(同行という)になると、3人を済度(信者を勧誘
すること)するノルマを与えられる。
⑤学術的文献によれば一般に 「隠し念仏」と呼ばれている。浄土真宗側から
仏教歴史学によれば、秘事法門と呼ばれ、 布団被り、御蔵法門、御杓子講
空也派、天王寺派等、が存在するようだ。念仏宗が、どの派に近いのか、ま
た、混交したものであるのかは不明である。 いづれにしても 善智識と呼
ばれるものを立て、自宗の奥儀として儀式を秘匿し、門外に他言すれば地獄
におちると 信者に言い含めるのが特徴としてみられる。
⑥2チャンネルの「念仏宗無量寿寺」掲示板や、「知りたい。。。」掲示板の
元信者、現信者家族の書き込みに寄れば 無量寿寺への入信が原因で、離婚
や、家庭不和、鬱病に悩まされているという報告が数多く寄せられている。
また、念仏宗の幹部、であり、回向相伝を授けられた土屋 悟 氏が(2001
護持費(会費)1口 2000円・・毎月支払い、口数は各信者の自由意志
その他、地方会費(各地区の別院、檀信徒会館、等施設維持のため)として
信者1人当たり1000円 ~5000円/毎月)の支払いがあるようだ。
回向 (先祖供養等) 一体1口 10000円 (1年に先祖1人につき6回必要)
集中回向 一体 100000円
法名 100万円
仏像 一体 100万円
本堂の柱 寄進 1本 1000万円
⑧念仏宗無量寿寺は昭和54年に宗教法人としての認可を監督官庁から受けた。
平成4年に 日本の仏教 第14宗として監督官庁に認可されたと、無量寿寺
の月刊誌に書いてあるそうだが、監督官庁が認可した事実は無い。
⑨開祖の久世太郎は 真言宗第195代 琳真大僧正の6番目の末弟というふれこ
みだが、真言宗に確認してみると そのような事実は無いとの返答であった。
⑩念仏宗・無量寿寺 信者として、六大祭事(初詣、大涅槃会、観音祭、降誕
⑪これまでに5回 世界仏教サミットを開催しているが、これは念仏宗のお手
盛り、宣伝的なイベントであり、 日本の仏教会からは 全く無視されてい
る。
日本の仏教会は、全日本仏教会という組織(日本仏教会の9割以上が参加)
があり、これまでに20回以上も 世界仏教徒会議というものに参加している
を受けるに当たっては 五具足相伝に300万円、回向相伝には1000万の冥加
金を支払わねばならない。
念佛宗では信者が儀式の際に使用した上記のものを死後8時間以内にこれら
を身に付けさせ、蝋燭を燈さなければ輪廻の輪から解脱出来ず、極楽浄土へ
向かう事が出来無いとしている。
胎内にいる間に、仏との縁を結び、無事にこの世に生まれさせていただくと
いう儀式 いわゆる、安産祈願、不退は産まれてくる子が 真実の道、浄土
へ向かう道から外れないという意味を含むようだ。この儀式を受けたあかち
ゃんは臍のおが白いと云われるが、元、念仏宗信者の言によれば、他のあか
開祖の久世氏をはじめとして、法主:宮川氏、善智識:郡氏、清水氏の4名
かと思われる。清水氏は企業セミナーの講師もしているとの情報あり。
⑯念仏宗・無量寿寺 同行となったものは 精進しなければならない。(具体
的には、本山、 別院、檀信徒会館、王堂 関連の 維持、管理、世話等の
仕事が順番に回ってくるらしい。)
彼らの攻撃性と攻撃対象の話
http://anond.hatelabo.jp/20130131090532
法的な話
http://anond.hatelabo.jp/20130131142500
どうも、法的な話をした途端、面白いように食いついてきたようだ。そしていつも通りの「ブーメラン」「詭弁」「藁人形論法」の三種の神器である。
そして、未だに「無断転載を行っていない人間を攻撃対象にする事」については、何一つとしてコメントがない。答えたくないのか、答えられないのかは定かではない。
だが、彼らの最大の問題は、あくまで「無断転載を行っていない人間」であり、「彼らに肯定的ではない遵法主義者」を攻撃対象にし続けている事、ただ一点である。
http://anond.hatelabo.jp/20130131090532でも書かれている事だが、イラストや絵画などの「画像ファイル」の無断転載撲滅が目的であれば、テキストのエゴサーチなど必要はない。
活動の動機があくまで「無断転載の撲滅」であり、「承認欲求の充足」ではないのなら、そもそも「彼らの活動に対する評価」そのものを、定期的に検索する必要性すらないわけだ。
なぜ「法律の話」には即座に食いつくのに(もっとも、その法律知識も穴だらけなのだが)、自身の攻撃性の問題に対しては、何一つとして反応をしないのか?
「ブーメラン」だの「詭弁」だの「藁人形論法」だの「ありえない法律論」だのといった印象操作・論点外し(の事実上の逃げ)をする前に、一度でいいから真摯に答えて頂きたいものだ。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
この記事を書いた頃に比べると、増田における「無断転載批判クラスタ」への言及に対し、彼らからのレスポンスが減ったように思える。
「もう相手にするな」と箝口令が出たのか、もしくは「彼らに批判的な遵法主義者」に対する、明確な反論を放棄したのか、そのどちらかなのかは定かではない。
しかしそれでも、ツイッター上における「無断転載行為を行ったという、明確な証拠のない批判者」に対する、「索敵→集団ストーカー→人格攻撃」自体は、相変わらず続いているようである。
それを「中世の魔女狩り」と表現した人もいるようだが、まさしくそれに近い気もする。キリスト教を盾に、無実の女性に因縁をふっかけ、挙句処刑し続けたそれだ。
一連の「無断転載批判クラスタ」の行動に関しても、「無実の人物」に対する「法律を盾にした人格攻撃」が、未だに止まらないのも事実である。
ところで、この問題に関して、これまで「法的解釈」については、敢えて避けて来た。偏った法律知識による理論武装(の皮を被った思考停止)相手に、様々な方向からの法律論を投げかけても、恐らく無駄であろうという判断からだ。(事実、これまでの彼らの活動を観察した限りでは、それは事実のようである。一部例外も居るみたいだが)
今回は、敢えて(なるべく、一般的に認知されている範囲での)「法的解釈」について語ってみたいと思う。
私も法律の専門家ではなく、あらゆる法律の細かい部分までは、詳細に知っているわけではない。今回の話は、少なくとも「ニュースや身の回りでわかる範囲での法律の話」である。
http://anond.hatelabo.jp/20130129212319
http://anond.hatelabo.jp/20130129181229
http://anond.hatelabo.jp/20130129161647
こちらの記事も参照していただきたいが、彼らが「自らの批判者」を「遵法主義の敵」として攻撃しているのは事実である。中には「我々(無断転載批判)を批判するのは、奴らが見えないところで無断転載行為を行ってるからだ!」という暴論まで飛び出す始末である。
彼らの言い分を要約すると、「無断転載を批判する我々を批判する人間の多くは、著作権法に対して不満を抱いている=著作権法は無視してもいいと思っている」という事のようだ。
(彼らが著作権法の番人なのかどうかについては、思わず首を捻りたくなるし(公的には「ジャスラック」がその立場にいるようだが)、彼らの活動を批判すること、イコール著作権法に対する不服なのかどうかは甚だ疑問だが)つまり、「遵法運動を批判する」→「法律に不満がある」→「潜在的な違法行為者である」という三段論法が、彼らの理屈であるようなのだ。
「法律そのものや法律判断について、不服を申し立てることが違法行為なのか?」という点について。
どんな凶悪犯罪を起こした人間でも、捜査の方法や裁判の進め方に不満があれば、それに対して不服を申し立てる権利が与えられている。また、下された判決に対して不満があれば、当然高等裁判所に対して控訴することも許されている。(本来なら略式の罰金で済む罪なのに、法廷闘争を望んで、わざわざ逮捕までされるような人物も、世の中には確かに存在するが)確定した判決に対して不服があれば、再審を請求することだって可能である。
もっとも、そのいずれに対しても、「犯罪を犯した者」に対しては、法的機関も世間の目も冷たいのは事実であり、その不服申し立てが実った例は(私が見た限りでは)限りなく少ない(と思う)。だがそれでも、どのような凶悪犯罪を犯した人物であっても、最低限でも以上に掲げたの権利を有しているのは事実である。
また、年末に総選挙があった事が記憶に新しい人もいると思うが、同時に「最高裁判官の国民審査」を行われたのを覚えている人も多いだろう。あれも同様に、国民に与えられた「法律判断」への不服申し立ての一種である。(とはいっても、あそこに名前の入ってる裁判官が、実際にどんな判断を下したのか、それを知る人は殆どいないのかもしれないが)
何を言いたいのかというと、「それがどんな法律や法律的な判断であっても、それに対して不服を申し立てる権利を、日本国民である限り誰でも持っている」という事だ。
先ほどの彼らの「遵法運動を批判する」→「法律に不満がある」→「潜在的な違法行為者である」という理屈について照らし合わせれば、
2:法律(そのものや、その判断)に不満があったら、それに対して意思表示するのは違法行為ではなく、むしろ国民の権利である。
3:彼らの敵(として認定された者)が「潜在的な違法行為者である」というのは、単なる決め付けであり、極端な暴論である
という事になる。
私は、別に法律の専門家ではないので、それ以上の法的解釈は出来ない。法律に詳しい方がご覧になっておられたら、是非ともその解釈についてご教授頂きたくも思う。
ところで、彼ら「無断転載批判クラスタ」の多くは、「我々の活動を批判する人間は、無断転載を行った人間以外にいる筈がない!」とすら決め付けているようである。
「嘘をついてまで、相手の社会的信用を貶める行為」が、確か何かしらの法律に抵触するような記憶もあるのだが、どうも思い出せない。その点についても、誰かにご教授頂ければ、と思う。
いや、問題はそこじゃなくて。
「遵法主義者」が行き過ぎて、彼らが守るべき創作者様()をも攻撃してしまっている事。
これに対する言い訳は、いつもきまって「長い時間をかけた信頼関係」だの「WinWinによる黙認」だの言い出すんだ。
挙句、「問題の質が違う」とか、「僕は無断転載の問題を語っている、二次創作の問題を語りたければ他でやれ」となる。
「彼らの最大の問題点は、無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事である。」
相変わらず、彼らの論点外しが活発である。曰く「まず「なぜその論法が詭弁なのか」の解説がない」(ショウ @bluescape735氏)曰く「それは単なる被害妄想だ!」(ちくわ@あいぼー&Iriaさん @tikuwa_ore氏)曰く、挙句は「無断転載クラスタなんか存在しない」(zaus 氏)、そしてチコラブ氏の「ブーメラン」である。氏は西城秀樹のファンなのだろうか?
増田や「無断転載批判クラスタオチスレ」等で問題とされているのは、あくまで「無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事。」である。彼らは(おそらく、敢えてそう印象操作をしやすいように、ミスリードしているのだろうが)自分たちが「遵法主義者」である事を公言し、あたかも「あいつらは、遵法意識を完全否定している無法者だ!」と喚き散らしているようだが、誰もそんな事は問題にはしていない。何度でも繰り返すが、問題とされているのは、「無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事。」ただ一点のみである。
彼ら「無断転載批判クラスタ」側から、「無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事。」に対する釈明・意思表示に該当する発言が、未だに現れないのはなぜなのだろうか?真摯に議論に向き合うつもりがあるのであれば、こちら側が最大の論点としている「無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にしている事。」が、最も重要な議題である筈だ。何より、彼らが言う「批判批判者」の殆どが、その一点について疑問を抱いているのだから。
この際、「法律的解釈」や「その手段(エゴサーチ・奇襲攻撃・集団リンチ・ストーカー行為)」については、その「議論」の「議題」から外してもいいと思う。なぜ「無断転載を行っていない「彼ら自身への批判者」を攻撃対象にする必要があるのか?」その点にのみ対して、彼らから明確な回答を頂きたいものである。
まず前提条件として、彼らは「無断転載を行っていない、自らへの批判的な意見を表面した者まで、攻撃対象にしている」という事実がある。というよりも、むしろ増田で度々問題にされているのは、その一点のみであると言っても過言ではない。彼らが「無断転載という違法行為をなくすための運動」が、果たして正当な行動であるのか?という疑問も多少は残るのであろうが、私は法律の専門家ではないし、法的解釈の問題を述べても、彼らはのらりくらりと話をはぐらかす(それ自体も彼らの常套手段であるが)のは目に見えているので、敢えて法的な問題に関しては触れない。
彼らに限らず、ネット上で粘着と人格攻撃を行いがちな人間は、「詭弁のガイドライン」という言葉が大好きである。そして、それを先に提示しておけば、(あくまで彼らの中では)99%議論(落としどころのない、終わりなき人格攻撃である以上、それは議論としての体をなしていないわけだが。いわば「論破オナニー」と言った部類のものだ。同様に彼らが多用しがちな言葉として、「ブーメラン」という単語も存在するが、それがまた別の話)に勝ったと錯覚する程であるらしい。
彼らの論調として特徴的なのは、彼らへの批判者が主張している主題からは、遠く離れたところに論点を起きがちな点である。(彼らと彼らの仲間が、彼らに対する批判を「無断転載を行った人間である」と決め付けている時点で、それは明確である)そして、時には巧妙に、時には強引に、自分たちが望む「議論の方向性」へと持っていこうとする。(それ自体は「無断転載批判クラスタ」に限らず、例えば2ちゃんねるやmixiなどで、辺りかまわず噛み付きがちな人間に、ごくごくありがちな事でもある)
どこでそういった「議論の戦法」を身につけたのかは知らないが、その方法自体が、実は「詭弁のガイドライン」の、いくつかの項目に当てはまる。(むしろ、彼ら自身が、「詭弁のガイドライン」そのものを参考にしているのではないのか?と疑わしくなるほどである)
などがそうだ。
(個人的には「15.新しい概念が全て正しいのだとミスリードする」という項目については、「詭弁のガイドラインを多用する人間」全体をたしなめる為の項目ではないのか?と思ったりもするわけだが、それは考えすぎなのだろうか?)
一部の「騒ぎたいだけのガキ」に関しては、8.知能障害を起こす を起こしている節もあるのだが、それは割愛する。
拡大解釈をすれば、「無断転載を野放しにし続ければ、やがて著作権法強化に繋がる」という理屈自体が「1.事実に対して仮定を持ち出す 2.ごくまれな反例をとりあげる 3.自分に有利な将来像を予想する」とも言えなくもないし、(参考: http://anond.hatelabo.jp/20130129140859)「遵法主義啓蒙活動を行ってる我々を批判するのは、違法行為を肯定する人間だけだ!」という考え方に至っては、「4.主観で決め付ける 5.資料を示さず持論が支持されていると思わせる」とも言えなくもないわけだが。
もっとも、(彼らに限らず、ネット議論(事実上の論破オナニー)を趣味とする人間の殆どは)、議論を有利に持っていくために「詭弁のガイドライン」を提示しているのだろうとも思う。つまり、先にそれを持ってくれば、相手が「詭弁のガイドライン」を持ち出したとしても、「オウム返しはやめてくださ~い」と逃げることが可能だからだ。ただそれ自体、彼らが「本当の意味での議論」から、常に逃げ続けている証拠である、とも言えるとも思う。
http://anond.hatelabo.jp/20130129135239の要約版
どうも彼らの中には、長い文章を読むのが苦手な人が居るようなので、なるべく短く要約しようと思う。
・彼らの敵は「遵法主義の敵」であり、表現の自由を脅かす、全ての表現者の敵である(という前提でなければ、彼らの活動理由そのものが存在しなくなる)
・「遵法主義」を掲げる人間に対して、懐疑的な感覚を持ってる相手は、全員が「遵法主義の敵である」という考え方を持っている。
・不特定多数の人間に閲覧されることが前提の活動なのに、自分たちに肯定的な意見以外受け入れたくないという感覚を持っている。
・そして、批判的な意見を表明した者は、全員が「遵法主義の敵」であるという考え方を持っている。(その為、攻撃対象が無差別になる)
・現実問題として「違法行為を行った人間」ばかりではなく、「自分たちに批判的な意見を表明した人間」までを、攻撃対象にしているのも事実である。
以上が、彼ら「無断転載批判クラスタ」の最大の問題点であるという事です。
異論反論があれば、増田でもツイッターでもいいので、個別の問題について、きちんと具体的に、「侮辱」以外の言葉を使って意見を表明しましょう。
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337
http://anond.hatelabo.jp/20130129092048
http://anond.hatelabo.jp/20130129110701
以上の3つとは別個の話として。
昨夜書いた「「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法を考えてみたい(http://anond.hatelabo.jp/20130128213337)」から一夜明け、所謂「クラスタ側」からの反応が、ボツボツと出てくるようになった。(カーテンコール氏いわく、「リツイートされた件数も、ツイート数に加算される」らしい)
・無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる
↓
・だから我々は、断固として「無断転載行為」に対して、毅然とした態度を取る!
ここまでは、一般論として依存はない。どれだけひねくれている人間であろうと、この理屈に対して反論するつもりはないだろう。私もそう思う。
ただし、問題はこの先である。
・「無断転載批判クラスタに対して」、「無理してでも」懐疑的・批判的な意見を表明する必要性はあるのか?
↓
・我々に対して懐疑的・批判的なツイートをするのは、奴ら自身に後ろめたい部分があるからだ!
↓
どうも、彼らの行動原理そのものは、ここにあるようなのである。(彼らの中には、後半二つの項目を否定する向きもあるようだが、だとすれば、「違法行為を行っていない単なる批判者」に対して執拗な攻撃を続ける根拠について、是非お答え頂きたいところである。)
彼ら「無断転載批判クラスタ」に対して集まってる批判的な意見は、「断固とした遵法啓蒙活動」そのものではなく、「攻撃対象の無差別化と、その攻撃手段」(エゴサーチ→リツイート→ストーカー行為→炎上ないし追跡)に対してである。
※参考
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057
http://anond.hatelabo.jp/20130127175005
度々(主にカーテンコール氏から)「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」という意見が出る。
だが考えて欲しい。彼らの(建前上の)本質が「無断転載撲滅の啓蒙活動」である以上、彼らの活動実績を(少なくともツイッター上では)拡散させる必要がある。その為にも「悪人」(無断転載行為を行った人間)を絶対悪として晒し上げ、二度と同じ行動を起こす人間が現れないように、徹底して「叩き潰す」(←先日、松下響氏が使用した言葉でもある)必要が生じる。もしそうでなければ、「あんたら何のために活動してんの?」って言われても仕方がないであろう。
「拡散」させる以上、「彼らの活動実績」そのものが、詳細に「数多くの不特定多数」の人間に晒される事になる。(彼ら自身がそれを望まないのであれば、それこそ「あんたら何のために」って話になる)
「我々の行動に対して、懐疑的・批判的な意見を表明する必要性があるのか?」と、彼らは考えているようだ。
その一部始終を目にした人間の、全員が全員、我々に肯定的な感情を抱く筈だし、抱くべきだ!
彼らはそう思っているのだろうか?
彼らの行動原理として
「無断転載行為が野放しになると、著作権法の強化によって、これまでの表現の自由が制限されてしまう事になる」
という考えを紹介させていただいた。
「無断転載批判クラスタ」に対し、懐疑的・批判的な感情を抱くこと。そしてそれを表明すること。それ自体を制限する根拠は、一体どこに存在するのだろうか?彼らが「遵法主義の啓蒙活動家」である以上、法律に基づく根拠であるのなら、日本の法律のどこの条項によって定められているのか?前回も書いたが、その正当な根拠があるのだとすれば、後々の為にも是非ご教授頂きたいものである。
余談だが、紅蓮の猫 (@lotusredcat)氏曰く「社会の規範を破っておいて、同じ(ルールは破って良いという)意見の人としか交流しないというのはただの甘え」なのだそうだ。
自らに対する懐疑的な意見の存在を受け入れず、その相手を(違法行為を行ったという明確な証拠がないまま、違法行為を行った人間と同様の罪を持つとして)執拗な攻撃を続けるという行為は、彼らにとっては「甘え」ではないという事なのだろうか?甚だ疑問に思うところである。
昨日書いたhttp://anond.hatelabo.jp/20130128213337の追記。
どうも20件程度ツイートされているようだが、トラックバックされてるわけでもないので、実際どういう反応があるのかまだよく解らない。
2ちゃんねるの「無断転載批判クラスタヲチスレ」(http://uni.2ch.net/test/read.cgi/twwatch/1358512080/l50)でも話題には上がらないようで、ひょっとしたら、丸っきり相手にされていないのかな?とも思う。それならそれでも別にいいのだが・・・
色々調べてみたら、同じように「エゴサーチで見つけた相手に喧嘩を吹っかけ、延々と粘着をし続けるユーザー」は、思いのほか多いらしい。
1日中(曜日や時間帯とかで、ある程度の法則はあるようだが)ツイッターにはりついて、一体何をやってるんだか・・・とも思うのだが。
とは言っても、「エゴサーチ」という手段そのものまでは否定できない。それを、商業的な宣伝活動の一環として行ってる人も、中にはいるからだ。
以前に、とある地方の劇団について言及してみたら、その劇団関係者から「ぜひ見に来てください」という返信が来たこともあった。
「バカとハサミは使いよう」って事なのだろうか。その劇団の公演は実際に見に行ったのだが、思いのほか楽しめたのも事実である。
というわけで、ツイッターで、「「無断転載批判クラスタ」から身を守る方法を考えてみたい」というキーワードで検索してみた。
20件のツイートがあるとは言え、実際に表示されたのは5件だけだった。日記タイトルを外してツイートしている人の方が、むしろ多いのだろう。
その中に、2ちゃんねるの「無断転載批判クラスタヲチスレ」にも度々名前が登場する、チコラブ(not絵師)(@chico_love)という人物のツイートがあった。
前回の日記でも書いた通り、また以前から、増田でも度々指摘されている通り、
1.問題なのは、「直接的な著作権違反行為を行った者」ではなく、「無断転載批判クラスタの手段」そのものを批判している人までが、攻撃対象にされている事
2.「無断転載批判クラスタの攻撃手段」を批判した人間は、「著作権の違反行為」を行っていないということ。
3.その攻撃手段そのものが、ネット上における人格攻撃のテンプレートそのものであるということ。
(徹底した挑発を行い、相手の汚点をできるだけ収集して晒し、より醜く見えるように誇大に宣伝するといった行為)
4.何よりも、その議論(と彼らは言うが、一方的な攻撃行為である事は明確である)そのものが、批判者が自ら望んだモノではないという事。
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057でも言及されていることだが、「俺を煽った親玉が許せない」と言う思いに至った経緯に関しては、私は一定の理解を示す。それが実質的な「人格攻撃を前提とした、単純な挑発行為」であれば、そういう風に思うのも当然だからだ。
彼らの中には、「自分たちを批判する人間=遵法主義に挑戦する人間」という方程式が出来上がっているのだろうか?
「俺たちこそが法律だ!」という、薄ら寒い思考そのものまでが透けて見えてくるわけだが・・・
(「著作権法違反行為を行っていない人間」が、「無断転載批判クラスタ」の「手段」や「方向性」を批判すること自体は、それが名誉毀損罪や侮辱罪に該当しない限り、違法行為ではない。)
もっとも、前回の日記でも言及したとおり、単純に「攻撃対象を求め続けたいだけ」なのだとすれば、そういった面倒くさい前提など必要ないのかもしれないが。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1047553.html
結論から。ジブリとか京アニとか、実力のあるアニメ会社以外はつぶれればいい。アニメ業界なんて崩壊すればいい。
著作権を錦の御旗にしている人間は何なの? 法律が絶対だと思っている遵法主義者? そもそも、インターネットがいったん広がってしまえば、遅かれ早かれ著作権の概念を変える必要があることは当たり前。いつまでもインターネットの無かった時代の枠組みで話していてもダメだと。パラダイムシフトしちゃえよ、製作者側も。
大体、最近のアニメって地方ではやってくれないし、朝とか夕方とか、観やすい時間にやってくれない。というか、そういう時間にあってても、見る価値があるアニメかどうか分からないけれども。時代が変わってしまった。新聞のテレビ欄を観てみろ。観たいアニメがいつ放送されている? そもそもあなたの住んでいる地域で見たいアニメは放送されていますか? んで、一度も見たこと無いアニメに一話2000円(ぐらい)出せますか?(レンタルを利用すれば、最後の問題は解決できるが、見たいアニメが田舎のレンタルショップに入荷するかどうかは未知数)
どうせ、ニコニコユーザーを訴えても現状は変わらない。第二、第三のニコニコがあらわれるだけ。そもそもニコニコユーザーを訴えるほどの労力をつかう気力のあるアニメ会社が存在するのか。
いつからアニメはオタクだけのものになったのか。アニメはもっと自由であるべきだ。ニコニコがなくなればライトオタは消えるだろう。「本当にアニメが好きな人のため」の市場をつくりたいのなら、ニコニコは消えるべきだ。ようつべも消えるべきだ。あらゆる違法行為はなくなるべきだ。しかし、「本当にアニメが好きな人」だけでは市場は成り立たない。映画を観ているのが全員「映画が好きで好きでたまらない人」ではないだろう。マンガだって、ドラマだって同じ。ライトオタを締め出せば、ヘビーオタだけになる。数年はそれでもいいかもしれないが、新しい客層が参入してこないことになる。結果、DVDなどの媒体は売れなくなる。そのときは一体、誰に文句を言えばいい?
この手の話になると最終的な結論はいつも「2,3人をスケープゴートにすればいい」というものである。正論すぎて反論する気もなくなる。また、同時にその結論は机上の空論でもある。いつまでたっても実行されない、ただ議論に勝つため(正論を振りかざすため)だけの結論。