以後気をつける
日常の何気ない会話、言葉のコミュニケーションは夫婦間ではとても大事だと思うよ。
何気ない会話を、「相手にしたら不毛な会話」と増田さんが言葉を飲み込んでしまって夫婦間のコミュニケーションが過疎るのは良くないよ。
相手がたとえ、授業聞く気の無い中学生みたいなのでもリードする側が繰り返し言葉を投げかけることで、オットさんも家庭での何てこと無い会話を楽しむ習慣を身に着けていくかもしれないよ。
お子さんは夫婦の会話を見て、コミュ力を身につけるってのもあるし。
増田に来て好き勝手にトラバするような奴らは(私も含め)少なからず独身の苦労知らずなのだから、無責任なトラバやブクマの意見を鵜呑みにして間違った「気をつけ」をしないで欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20130128221907
チラ裏のつもりで書いたのが思わぬ反響を呼んでて正直ビビってる。
えと。
パパ歴もうすぐ1年になるのに。
その時の私の荷物準備と、大荷物を目の当たりにしてるはずなのに。
なのに、一人で動くのと同じ気軽さで、
「ちょっと行って帰ってくりゃいいじゃん」
的に言い放ったのが、なんともいえない脱力感を生んだ。
悪気はないのは分かってる。だからこそタチが悪い。
たぶん、子供がいることで動きが制限されるという感覚が希薄なのかなーと。
自分は仕事帰りに飲みに行ったり遊びに行ったり、前と同じように動けてるから。
ていうか。
あの、この
「北海道行きたいなー」
これを「今すぐ行きたい!」ととらえる人がこんなに多いことにびっくりした。
意図を汲んでくれた人もいたので、救われたけど。
ただ、男の人の思考回路として
「○○したい」と言われれば、具体的解決案を出したくなるんだな。
ってのは、今回改めて実感した。
気をつけてはいるのだけど、雑談だとどうしても女同士と同じつもりで
「北海道行きたいなー」
「だねー。このイクラ丼とか、超おいしそうだよね」
「ねー。あっ、ここおもしろそう!行きたーい!」
「いいねー」
以後気をつける。
あと、
「子連れで動くときはこれだけの装備と時間と下調べが必要です」
っていうことを伝えるつもりの言葉が、「デモデモダッテ」に聞こえるってのも勉強になった。
まあ、臨場感を出しすぎて息詰まる展開になってしまったのは認める。
子供を預けて、っていうのについては、今回の主旨ではないのだけど、
「預けられない(預けるのに相当の労力や忍耐を要する)事情のある家庭」
が存在するのも、理解してほしい。
母子分離が難しいとかね。
それぞれに事情があるんだよ。
事情を知らずに他人が「預ければいいじゃん。はい解決ー」と言える問題じゃないよ。
最後に。
予想外の反応がいっぱい返ってきて、そういうとらえ方もあるのかーと。
また吐き出したいことがあったら愚痴りに来るかもしれない。
その時はよろしくね。
企業の生産関数をY=F(A, K, L)=A・f(L)として期待利潤πe=Pe・Y-rK-wLの最大化を目指すと、
Lで微分してPe・A・f '(L) -w=0 よってf '(L) = w / (Pe・A) となるところまでLを需要する。
f '(L) が単調減少ならw / (Pe・A) が小さい程、需要されるLは大きくなる。
名目賃金wが硬直的で一定である場合、期待物価水準Peや中立的技術水準Aが上昇するほど、需要される労働量Lは増加することになる。
また中立的な技術でなくても、労働の限界生産性を上昇させるのであれば(たとえ資本使用的で労働節約的な技術進歩であっても)、技術水準が上昇するほど需要される労働量Lは増加する。
→たとえば失業率と賃金の関係を考える時には、名目賃金wでも、実質賃金w / Pでも、期待実質賃金w / Peでもなく、最低限でも中立的技術水準Aまで考慮する必要がある。
ケツの穴が小さいと、どうして男らしくないのか。ケツの穴が大きいということは、却ってネコっ気があることに通じるのではないか。
ふとそんな疑問を抱いたんだけど、どうやら語源は洒落から来ているらしい。
どんな洒落か気になる。
溢れんばかりの愛を
http://anond.hatelabo.jp/20130128222709
昼休みにこのエントリを読んで、いつの間にわたしは増田を書いたのだろか、と思った。一人称が違うことに気づき、自分と同じように孤独に苛まれる人間がいることを知った。
いつだって、人とうまく関われなかった。人に関わろうとしては、行き違いを生み、人が離れていく。それを繰り返すうちに、人を避けて生きるようになった。人を避けていれば傷つくこともなく、傷つけることもない。最初からそういうものだと諦めてしまえば、独りでだって生きていけるだろう。そんな風に考えていた。
それは間違いだった。人と関わりたいという想いは簡単に諦められるものではなく、結局は孤独をこじらせるだけだった。
孤独は、いつだってそばにあって、予期しない瞬間に降りてくる。そのたびに叫びだしたくなる、走り出したくなる、どこかから飛び降りたくなる。積もり積もった行き場のない寂しさはマグマのように溢れ出して、そのたびに発狂しそうな自分を抑えこむのに必死だ。いや、こんなにも人とうまく関われないのに温もりを求めている時点で、もう発狂しているのかもしれない。寂しくて苦しくて、もう生きる意味なんて見えない。寂しい。寂しい。何度も繰り返す。寂しい。
その昔、高校時代に彼氏と呼べる存在がいたことがある。その彼氏には2度浮気され終わった。その後もいくつか片想いはしたけど、どれも実ることはなかった。「どれだけ愛したって、愛される価値なんてない人間なんだ」。愛したって愛されない。愛されないから、正しい愛し方がわからない。
ただ、その最低な元彼との間にも楽しい思い出はあって、たとえば一緒にプラネタリウムを見てこっそりキスをしたり、図書館で隣の机で勉強する合間に付箋紙ラブレターを回したり、裸で同じ毛布にくるまって足と指を絡めながら他愛もない話をしたり、そんな温もりが逆に今のわたしの首を絞めている。
夜中にふと目を覚ましたとき、枕元のタブレットに手を伸ばして「レンタル彼氏」「出張ホスト」などという言葉で検索をかけたことが何度かある。メールフォームをタップしようとして、でもその指はいつだって躊躇って止まるのだ。手取り14万の収入から費用を払うのが惜しいからではない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という疑問が浮かび上がったところで、指はメールフォームではなくブラウザの終了ボタンをタップするのだ。とびだせ どうぶつの森をきっかけに買った3DSでやるために中古のゲームを漁っていて、DS版ときめきメモリアル Girl's Sideを衝動買いしたけれど、一度も起動したことはない。「そこにわたしの求める温もりはあるのか?」という問いかけは、二次元に逃げこむことすら許してはくれない。
「恋人がいたって寂しいものは寂しい」「求めてばかりでは何も得られない、与えないと」というアドバイスの類がどうしようもなく正論なのは解っている。だけど、恋人がいれば、自信もなく真っ暗な人生を俯いて歩いているわたしでも、前を向いてどうにか生きていけそうな気がしている。一度諦めてしまったことも、もう一度諦めずに取り組める気がする。人とだってうまく関われる気がする。何だってできる気がする。
与えるなんて正直わかんないよ、だって愛したかった人はいたのに、与えたかったのに、みんな拒絶したじゃん。わたしが愛していたことをいいことに甘えて、好き勝手やりたいことしたじゃん。誰もちゃんと向き合って愛してくれなかったじゃん。愛せるなら愛したいよ、だけど愛し方なんてわかんない。愛され方は、もっとわかんない。それとも、ネットの片隅ですら、愛されたいと嘆くことは許されないのだろうか。
わかんない。わかんないよ。だけど、寂しいよ。愛されたいよ。甘えたいよ。一方的で歪なのはわかってる。それでも、愛されたいよ。膨れ上がった寂しさとねじ曲がった自尊心とで、完全に出口が塞がってしまって見えないんだ。誰か、こんな醜いわたしの寂しさをかき分けて、心と身体に触れてくれないだろうか。
身体だけの温もりじゃない、上辺だけの温もりじゃない。心の通い合った温もりが欲しい。その場限りの温もりじゃ嫌だ。恋人と平凡な日常を共有することで、瞬間瞬間に宿る小さな温もりを丁寧に積み重ねて大きな明かりにして人生を照らし出していくから。
これを書いている今も、寂しさで息が止まりそうに苦しい。こんなに寂しさでおかしくなりそうなのに、明日もまた地下鉄に乗って会社に行き、そつなく仕事だけをこなして、「お疲れさま」なんて言われることもなく愚痴ることもなく、おかしくなりそうな自分をどうにか毎日をやり過ごして生きていくんだろう。それが日常だというのなら、この先の人生はとてつもなく冷たく暗いものになるだろう。それが、わたしにはお似合いなのかもしれないけど。
http://www.youtube.com/watch?v=QZm187HaMzk
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1358943673/
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1353851390/
それは勿論、結婚の話と介護の話が、双方とも同じくらいの量、投降されてるという前提で話してるんだよな?
同じくらいの量、投降されてて、片方しか話題にならないのなら、その質問は尤もだが、介護の記事自体が少ないのなら、お前のただの勘違いにすぎない。
体罰肯定論者の言ってることを極端に単純化すると、「子供の為を思うなら殴ることも時には必要。子供は愛のムチに耐えなければならない」だけど、これって護憲派とそっくりなんだよな。
護憲派は、近年の中国の大量の破壊行為を伴った反日デモや、領海侵犯で、「中国が日本に対して暴れるのは、日本に反省して欲しいから。日本は憲法改正をしてはならないし、騒いでもならない。中国の愛のメッセージを受け取る必要がある」などと、体罰肯定論者とそっくりな事を言う。
大概の夫は、子連れでの外出の大変さぐらい知ってる。
このオットは、休みもロクにとれないぐらい、もしくは休めても体力回復に専念しなければならないぐらい多忙なんだろう。
近所に頼れる人のいない子育て専業主婦と、家に帰るのもままならない夫のすれ違いはどうしようもない。
主婦側は、相手の方が大変だとわかっているので強く言えないのでは。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/boosted/20090627/1246136670
子供が死んだことによって3〜4年前の記事を楽しく読むことができるようになってよかったね!
迷ってるポイントを整理してみよう。
au | SB | |
キャッシュバックは最大で2万円 | 初期費用 | キャッシュバックすごいですよね。4万円とかたまにある。 |
フレッツからauひかりに乗り換えてスマートバリューにすれば夫婦だから月1500円くらい安くなる。 | 維持費用 | |
旅行先の山とか海で心強いよね。でもパケ詰まり問題、あれどうなんすか。 | 電波 | SBのiPadはまあ、電波しょぼい。地下駅間対策済みのはずの路線で全然入らないし。でも耐えられないほどじゃないと思う。 |
ezweb.ne.jpをMMS/IMAPの両刀で運用できるのはいいなあ。MMSならiMessageで見やすいし、IMAPがあるからアーカイブしたりPCから使ったり。 | キャリアメール | softbank.ne.jpがMMSのみで応用しづらいし、プッシュ着信してくれないi.softbank.jp使うくらいならOutlook.comかなんかにします… |
パケ詰まり問題で持ちきりのユーザーコミュニティと問題の存在を認めないキャリア、通信品質そのものより姿勢に疑問を感じますがね。 | 信用というか | 規約改定とかでユーザーを裏切ったり細かい字でミスリードを狙ったりとなんか油断のならない印象。最近炎上は聞いてないですが。 |
キャリアメールそもそも使うのかよ的なとこも突っ込めるとは思うんですけどね。それ以外の選択肢がどうも微妙で。
GMailは専用アプリじゃないとプッシュ受信できないのがなんかひっかかる。ビッグブラザー最近好きくないし。
Outlook.comは絵文字もプッシュ受信もできるけどIMAPがない。意地悪いよね。うーん、自前メールサーバへ転送? 転送は最後の手段にしたい。不要メールの削除とかを転送元と転送先で同期できないのが面倒だから。転送かけてると障害点が増えるし。
Yahoo.co.jpは絵文字もプッシュ配信もIMAPもOKだけど広告メールの配信が必須ってそれ携帯アドレス向けじゃないっすよ。ドメイン名かっこわるいし。
彼らはどうも、「自分たちを批判している人間は、無断転載している人間しかいない!」という方向にミスリードを始めたようだ。
(ヤミ缶@ディアンドル氏(@cannedyami)曰く「無断転載をよくない事と認めるのは怖くな~い」だそうな。)
だが、増田で度々問題とされているのは、「無断転載行為を行っていない人間が、彼らに対して批判的なツイートをした為に、延々と攻撃の対象とされる」問題についてである。
http://anond.hatelabo.jp/20121030074057もそうだし
http://anond.hatelabo.jp/20130127175005もそうだし
http://anond.hatelabo.jp/20130128213337もそうである。
また、天宮ユウキ@灰塵王:瞬破氏(@amamiya1yuuki)は、「彼らは少し柔らかくなる必要がある。」「いきなり色んな人にきつい言い分をしない方がいいよ。」と発言されている。
だが彼らの行動の最大の問題は、「一方的に喧嘩を吹っかけてきて、泥沼に引き込もうとし、逃げ出そうとしたら別垢を駆使してまで追撃しようとする」という点だ。
言ってみれば、先に手を出すのは、必ずと言っていいほど「無断転載批判クラスタ」側」という事だ。
先に手を出(挑発)しておいて、「言い方がきつい」「思考が硬い」と言われても、はっきり言って的外れもいいところである。
そもそも、ここで問題になる殆どの、彼らが絡む争い自体、批判者(被攻撃者)たちが、必ずしも自らすすんで望んだものでは、無いものばかりなのだから。
「北海道行きたいなー」
「お前は行こうと思えばLCCでも使っていつでも日帰りできるじゃん」
「え、いいの?ありがとう!でも一人で一日世話できる?いつが都合いい?」
って展開に持っていけば良かったのでは
彼らはよく、「我々に攻撃されたくなければ、著作権法を守ればいい」という理屈を多用する。
(とは言っても、無断転載をしていない人間まで攻撃しているわけだから、その理屈自体に説得力なんて微塵もないわけだが)
彼らにとって、自らが批判に晒される事は、死んでも嫌なことなのだそうな。
批判されたくなければやるべきこと。それは、彼らが常々多用している理屈と全く同じことだ。
「無断転載を行った人間のみに標的を絞ること。無断転載を行った相手に対しても、人間性を尊重しつつ、一般常識に照らし合わせた最低限の礼儀を払うこと。その二つを守ればいい。」
その二点さえ出来れば、(少なくとも、不特定多数の第三者が、不快な思いをする事さえなくなれば)無用な批判など生じるわけがないのだが。