2013-01-27

いわゆる無断転載批判批判へのエール

http://anond.hatelabo.jp/20130126165228

 近頃、カーテンコール氏やチクワ氏を初めとする『いわゆる無断転載批判クラスタ』への懐疑的、反発的な意見がホットだ(少なくとも増田において)

彼らに対して主にその攻撃性や無批判性から懐疑的意見twitterでも散見されていた。

そんな意見を言う人達は『いわゆる無断転載批判クラスタから『無断転載批判批判』と言われている。

この〇〇批判批判や反反〇〇というレッテル張りは意識的にせよ、無意識的にせよ『無断転載批判批判の奴等は著作権の敵だ』という論法に使われて、

まるで正義に仇成す者の様に扱われている……だが、本当にそうだろうか?

例えば、『いわゆる無断転載批判批判』の人達の一部は著作権法著作権者にその全権があるとし、

部外者の批判を批判しているのであって、あくまで著作権法に『穏やかに』従っているのである

まり、冷静になって考えれば両者は著作権を守ると言う同じ軸に居るのではないか

その前提の上で両者を再定義すれば、『いわゆる無断転載批判クラスタ』は『無断転載批判過激派』とでも言うべきだし、

『いわゆる無断転載批判批判者』は『穏健派の著作権保護論者』とでも言うべきだと思うのだ。

左翼だろうが、ムスリムだろうが、過激派は同軸上の穏やかな論者をやっきになって批判する。

自分達こそが本物だと思って居るからだ。

逆に穏健派が過激派を批判するのは、ごくごく自然なことだ。

行き過ぎた攻撃性、その攻撃性自体を正当化されていない集団は『無法者』と区別がつかないからだ。

過激派』は『穏健派』をあらゆる論法でもって批難と私刑を加えるだろうが、もっと『穏健派』には胸を張って欲しいもの

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