んなこと言われたら、タイトルみたいに返すぐらいの(そういう辛口を嫌味なく言える程度の)コミュ力がないから「生きにくい」のであって、別にあんたが理工学部だから生きにくいわけではないです。
なんか足んねえんだよなあ(淫夢)
近頃、一部の夢小説界隈がざわついている。
ことの発端は「腐女子こそ夢小説を書くべき論」という投稿なので、読んだことがない人はご一読をお勧めする。端々に攻撃的な言い方がされているが意図的だろう。
この記事への反応は「わかる」から「わからない」まで様々だが、筆者が気になった反応のひとつに「腐向けと夢界隈は結局相入れないんだから棲み分けるのが大切だよね!」というものがあった。
腐向けと夢界隈は棲みわけられるのだろうか?最初に結論を言うと、不可能である。
腐向けの夢小説作品は男(またはオスなど)主人公が男(またはオスなど)キャラが恋愛関係にあるものを指し、これはBLDと呼ばれている。Boys Love Dreamの略だ。
BLDサーチなども複数存在することから、需要供給は相当数あることが推察できる。
腐向け作品と夢作品の棲みわけ推進派は、そもそもどうやって棲みわけをしようというのだろうか?
発表の場がpixivなどの作品投稿サイトならわかる。それぞれ腐向けタグをつけるなり、夢小説タグをつけるなりすれば作品単位での棲みわけはある程度可能だろう。
しかし個人サイトになるとどうだろうか。個人の作ったコンテンツがまるごとその個人サイトには載っている。ヘテロ恋愛のみを書く者、同性愛のみを書く者は問題ないが、いわゆる雑食者はヘテロ恋愛も同性愛も家族愛も同じページに載せる。
それについてとやかく言うことがナンセンスであることは火を見るよりも明らかだ。
参加するランキングやサーチには、先述したようにBLD専門のサーチがあったりと様々だがそこからサイトに飛べば異性愛を好む者が同性愛作品を目にすることもあるし、その逆もありえる。
夢小説を求めたサイトにBL小説(原作に登場するキャラのみのCP)も置いてあるということも珍しくない。
個人サイトで棲みわけをしたいということ自体が、自分の目的でない作品が目に映るのを許せないとする傲慢ではないだろうか。
話はややズレるが、「夢小説」というジャンルについて、少々誤解しているオタクを散見する。
この定義は間違ってはいない。間違いではないが、果てしなく狭義であると言える。
夢小説はそのまま「夢」という単語を取っても意味が通用するぐらい、幅の広いものだ。
間違ってはいないが、限りなく狭義であることがお分かりいただけるだろう。
日常を描いたものや友情を描いたもの、冒険譚から離婚待った無しのドロドロ不倫ものも存在する。
主人公も思春期の女性に限定することもない。男主人公も動物主人公も、スライムが夢主人公の話もある。
夢小説とは可能性だ、と筆者は感じている。いるかもしれない人物、あるかもしれない展開。その無数のifか夢小説という名前によってまとめられていると。
夢小説には興味がない、原作キャラ同士のCPだけで満足だ。という者も勿論いるだろう。
その上で夢小説を誹る者には少し想像してほしい。ゲーム画面の向こうにいるキャラクターが、「君もおいでよ!」とプレイヤーを誘ったり。遊園地のアトラクションで「今日初めて参加する君たちに、このツアーの主旨を説明するね!」とまるで来園者がその世界の住人であるかのように語りかける。ポケパルレでポケモンがかわいい仕草でハートを飛ばしてくれる。
人の趣味を笑うことはとても恥ずかしいことで、間違っても「#夢小説あるある」タグで夢作品を好きな者を笑ったり、夢小説を誤解したままにしないでいただきたい。自分がどれだけみっともないことをしているのか、少しは自覚したほうが良い。
かつて夢小説を好きで、今は「卒業」したという人。昔以上に夢小説の多様性は広がっているので、男夢主や人外夢主をないことにはしないように(そもそも男・人外が主人公の夢小説は少なくとも10年以上前には存在していたので、見ていた範囲がかなり狭かったことが予測されるか)。
2ちゃんからの転載って百も承知でYoutubeの階段朗読とか視聴してる身なんだけど。
演出上間延びさせる必要があるってことを差し引いても、後日談に長々芸術的wwwな表現を挟んできたり、
自分に酔ったかのような心理状況を長々入れてくるケースが多くてものすごくイライラする。
話そのものは怪談として出来はいいし、そこさらっとまとめてくれればきれいに終わるのにって思うのになんでそういう余計なことするかなって。
なんとかならんかね。
今年30歳になる。
ちょっとした傷でも棘のようにいつまでもちくちくして、いつまでも悲しかった。
自分が傷ついたのではなくても、誰かが悔しい思いをしていたり、寒そうだったり、ひもじそうだったりするとすごくつらかった。
うちは、両親の躾が結構厳しい家庭だった。色々なルールにがんじがらめになって、不自由な思いをすることも多かった。
そのせいで、いらない傷もできたと思う。
しかし、当時はそれが少し誇らしくもあった。
子供ながらに矜持というものがあり、自分はダメな奴だが根本的には正しいのだとよくわからない理由で胸をはっていた。
こちらの言い分もあったのだけど、相手の言うことにも正当性があった。
そのときは、自分が嫌になったし、うまく意思の疎通ができなくて悔しかった。悲しかった。
けれど、一晩寝たらなんとも思わなくなっていた。
そういうことあったな、昨日。そういう感じだ。
となりのトトロで、メイちゃんがトトロを追いかけていって、森の中に入っていって
トトロの隠れ家みたいなところに転がり込むシーンがあったと思うのだけれど、
自分が今感じている感覚は、メイちゃんがぽっかり穴みたいにあいた空を眺めている感じに近い。
例えば、自分が何か膜のようなものに覆われていて、現実はのぞき穴から見ているような。
あるいは、現実から逃げてきて、半透明の無菌室のような場所で浮遊しているような。
そういう感じだ。意味不明だったらすまない。
ストレスで医者にかかったり、死んだりしている人もいるなかで、
この膜をいつのまにか獲得していた自分は幸福なのかもしれない。
しかし、子供の頃の自分の胸をふくらましてくれていたあの誇りは、もうない。
いつのまにか、すごく汚い自分になってしまったような気がする。
悲しい。
でも、明日になったら、この悲しみも、それを吐露したこの文章にも
「そういうことあったな、そういや」
ってなるだけなんだろう。
戸塚ヨットスクールはなかなか面白い題材だと思う。この場合、とにかく体罰、暴力絶対ダメ! という議論になりがちだが、それは戸塚の半面しか見ていない議論だからである。
なぜ半面かといえば、ようするに戸塚は鞭と飴の使い方がある意味上手く、かつて軍隊が一定の成果を挙げた手法を踏襲しているからだ。
この飴部分についても論じなければ、泣いて感謝する卒業生がいることの説明にならない。
アメ部分とはつまり、身体的危機を救ってやったり、クズでも見捨てず面倒みてやったり、能力や人格を認めてやったりなどで、
これにより「恩義」や「構ってもらえた嬉しさ」から反抗心が薄れ、「お前のために厳しくしているんだ」という言葉を受け入れやすくなるのである。
人は飴なしには変わらず、それまで飢えていればいるほど飴は甘くなるのだ。そして一度でも飴を受け取れば、これに返礼する義務を感じ始める。
これは互酬性に基づく「規範や礼儀の成立の瞬間」に、より原始的でダイレクトに触れているとも言える。
軍隊でよくあるパターンとしては、生意気な新兵を憎まれ役の先輩がしごき新兵の鼻っ柱を折る→新兵の心が折れかけると、いつも厳しい教官が助けてくれつつ、厳しさの必要性や目的の大事さを訴える→
成果を出すなどすると、新兵たちの価値を大げさなほど認めてやる、といったような手法だ。
最初のしごきや人格否定がきついほど、この「認められた感、仲間や目的に貢献してる感」は強烈に働く。特に認められた経験のない者にとっては効く。
はっきり言って洗脳とほぼ同じ手法であるが、それだけこの肉体的危機+落としてから持ち上げる方法は強烈な人格改造に役立つ。
実はこれ、女が暴力夫に依存しちゃうパターンと同じ。「お前のために厳しくしている」と「本気で愛しているから手が出る」は同じやり方。
出会う人を好きになれず困っている。
俺自身、全くモテなかったこともないし、その一方で上手くいかなかった経験もある。
努力せず好きになってもらい振ったこともあるし、自分が頑張って本気で落としにかかったにも関わらずダメだったこともある。
彼女がいたこともあるし、価値観の違いや未来の為(やりたいことのため)に別れたこともある。
そんなことをしているうちにアラサーになっていまった。
彼女がいないので、「紹介してくださいよー」と言ったりすると女性を紹介してくれたりする天使みたいな人もいる。
紹介してくれた人の顔もあるので、その相手を無碍にはできない。
例えば、こんなマトリックスがある時にどう対応するかは考えるのだ。
------- | -------- | -------- |
俺/相手 | アリ | ナシ |
------^ | -------- | -------- |
アリ | A | B |
------- | -------- | -------- |
ナシ | C | D |
------- | -------- | -------- |
Aの時は本気で頑張らなくても上手くいく流れがあるので、まあまあ付き合うところまでいく。こうなる確率はすごく低い。
Bの時は、俺はアリだが、相手はナシ。この場合は俺が努力するのだ。なんとか頑張って落としにかかるし、本気で落としにかかる。こういう経験をすると男としてキャパが広がって、色んな遊び方やお店をしることができるので、悪いことばかりではないと思っている。
Cの時は困る。「俺だけじゃなく他の人も絡めて飲み会を開こう」みたいな発言をすると大抵わかってくれることはある。あんまり相手の心を弄びたいわけではないので、自分の(言葉では言わないが)態度としてはできるだけハッキリさせることにしている。だけど、誘いを明らかに断るのはなかなか難しいのかなと。
Dは楽。お互いにまた会いましょうと言って次がないだけだ。
パターンとして、AやBになることは少ない。
Aは20人に1人、Bは5人に1人、Cは3人に一人、Dは2人に一人くらいの割合になる(当社比)
俺は愛されるより愛したい。
愛されて追いかけられる形になるのがダメで、Bパターンなんかになると全然自分は楽しくない。逆にCパターンは無理だなと分かりつつ楽しいことはある。
追いかけて頑張って相手を満足させて初めて良かったと思えるのだ。もしかしたら、この思考が良くないのかもしれない。
だから、「彼女が欲しい」と思ったことはなく、バイネームで「○○と付き合いたい」とか「○○のことが好き」と思えないと行動できない。なんでもいいからとか誰でもいいからの境地に至ったことはない。
じゃあ、今まで付き合った人を考えるとまずは相手の見た目が好みであるのだ。つまり、AやCパターンに見た目でとりあえず入るパターン。
どんなに話して楽しくて自分と合うと思っても、好みでないとダメなのだ。
見た目はちょっとなーと思いつつ、一緒にお酒飲みながら話をしているとなかなか盛り上がって楽しい。
俺は趣味もあるし仕事も楽しい人間なので、その辺の話もしっかり聴いてくれて、相手もちゃんと話をしてくれるからお互い楽しい話ができて楽しい。
これが理性として正しいのは分かるのだが、本能が許してくれない。「そうじゃなくね?」と言う本能がいるのだ。
結婚がゴールではないし、彼女がいれば万事OKではない。そこは頭では理解しているつもりだ。
しかし、人生に色が付くのは恋愛しかない。一人で何かするのはもうそろそろ飽きてきたし、自由な生活は楽で楽しいが、やっぱりないものねだりになる。
とにかく出会いを増やしてAパターンの人と出会うしかないのか。
それとも、自分の判定基準をもっと下げるしかないのか。いや、下げられるならとっくに下げていてそれができないから困っているのだが。
どうなれば幸せなんだろうな。自問自答し続けても答えが出ないのだ。
浮かぶのはしょうがない。ただ、なんでそんな感情を持ったのかを考えてみると良い。
おおかた、自分が同じ目に遭った時の事を考えて、そこから出てくる恐怖感だ。
この分析を怠ったり、上手くできないと、「なんかよくわからんが不快な感情」のままモヤモヤして、とりあえず目の前の人が原因だと安易に結びつける事になる。
これアンガーマネジメントでも出る話よ。
私は調べるの好き
外食では特別な雰囲気の店とか家庭で食べられないような何か変わった美味しいものが食べたいし
気分にあったものが食べたい
この明治から続く洋食屋の名物オムライスは鶏肉ではなく牛肉を使いデミグラスソースとの相性がバッチリとか、このつけ麺屋はもつ煮がふんだんに入り柚子の香りが爽やかなつけ汁が絶品とか
よくこんなにまとめたな偉い偉い(読まない)
2.九条は改正せず、今まで通り解釈改憲で自衛権の保持を認めよう派(九条の解釈は2-1.~2-2.まであるよ)
2-1.狭義の自衛権のみ認めよう派(攻められた場合に反撃はできるよ。先制攻撃、反撃時の敵国土への攻撃はできないよ)
2-1-1.集団的自衛権は認めない派(日本が攻められた場合のみ自衛権は発動できるよ)
2-1-1-1.攻撃への反撃しかみとめない派(日本国土へ侵入してきても敵国の攻撃がなければ反撃できないよ)
2-1-1-2.国土の防衛しかみとめない派(日本国土へ侵入してきた時点で反撃できるよ)
2-1-1-3.国土・国民の防衛ができる派(日本国外の在留邦人のために派兵できるよ)
2-1-1-4.国土・国民・国軍の防衛ができるよ派(自衛隊が国外派兵中でも反撃できるよ)
2-1-2.同盟国との集団的自衛権は限定的に認めよう派(狭義の自衛権のみ認め、同盟国との共同武器開発や同盟国への武器の輸出はできるよ)
2-1-2-1.攻撃への反撃しかみとめない派(日本国土へ侵入してきても敵国の攻撃がなければ反撃できないよ)
2-1-2-2.国土の防衛しかみとめない派(日本国土へ侵入してきた時点で反撃できるよ)
2-1-2-3.国土・国民の防衛ができる派(日本国外の在留邦人のために派兵できるよ)
2-1-2-4.国土・国民・国軍の防衛ができるよ派(自衛隊が国外派兵中でも反撃できるよ)
2-1-3.同盟国との集団的自衛権も認めよう派(日本、または同盟国が責められた場合に反撃はできるよ。先制攻撃、反撃時の敵国土への攻撃はできないよ)
2-1-3-1.攻撃への反撃しかみとめない派(同盟国の国土へ侵入してきても敵国の攻撃がなければ反撃できないよ)
2-1-3-2.国土の防衛しかみとめない派(同盟国の国土へ侵入してきた時点で反撃できるよ)
2-1-3-3.国土・国民の防衛ができる派(同盟国の国外の在留邦人のために派兵できるよ)
2-1-3-4.国土・国民・国軍の防衛ができるよ派(同盟国軍が国外派兵中に攻撃された場合でも反撃できるよ)
2-2.積極的な自衛権を認めよう派(先制攻撃や敵国土への攻撃も自衛のためならできるよ)
2-2-1.集団的自衛権は認めない派
2-2-2.集団的自衛権は認める派(同盟国が攻撃される予兆があれば先制攻撃・敵国土への攻撃だってできるよ)
※改正案は2.を参照
追悼記事のブコメで「この記事を読んでよかった、それに比べてツイッターでみた○○のコメントには怒りを覚えた」
みたいなやつがあったんだけど、親しい人の死に直面した人の感情の吐露に
これは良しあれは悪い、みたいに評価するのってどうなんだろうね
(ツイッターの内容は、感情的であったけど、決して故人を貶めるような類のものでなかった)
で、そのツイッターの人がブログで長い言葉で気持ちを述べても尚、
全くもって間違った行為だし、批判されてしかるべき行為だったけれども、実際見たらどうしてもなにかしら忌むべき感情を持ってしまった自分の脳が許せない。
リンク先にもあがっていたChase No Faceについてもそうでその姿を見て衝撃を受けてしまった自分が生きてて恥ずかしい。
○朝食:きしめん、肉団子
○昼食:ナポリタン
○夕食:なし
○調子
はややー。
・ニャヒート:つづき
面白いんだけど、PVや公式サイトで紹介されているポケモンばかりでなの、ちょっと微妙かも……
アローラのすがたじゃない、完全新規の悪タイプが出るのを楽しみにしながら、プレイしていこう。
未プレイ。
ノー課金。
○ポケとる
ログボのみ。
要するにボクは衝撃のラスト、大どんでん返し、良い意味でも悪い意味でもとにかく物語を180度ひっくり返すような、そういう映画が好きなのだ。
何言ってんだこいつ、わけわからん、もうこんな記事閉じよう、ブクマでも見て去ろうと思った諸君、いやいやもう少し待って欲しい。
つまりボクが好きなのは衝撃のラストという衝撃を味わいたいのだ。つまり想定の範囲外。予想を超える体験を味わいたいのだ。
「あーこの後なんか違う展開が来るんだなぁ、まぁ予想はできないけど何か衝撃が起こるンだろうなぁ」
という覚めた目で見てしまうわけだ。
ホラー好きの人なら単にオススメのホラー映画を人から聞けばいいだけなんだが、オススメの衝撃のラストの映画の場合、人から聞いた時点でそもそももう衝撃のラストだってわかっちゃうじゃん問題ってことになるのだ。
またこれと同じ論法で、後味のすごく悪い映画とかも好きなんだけど、それはどっちに転ぶか分からない状態で、最後の最後うわー後味悪ッ、という体験を味わいたいのだ。
もういっそウソでもついてもわらないとどうしようもない。衝撃のラストって言っといて普通に終わる映画とか。爽快なコメディって言っといてめちゃくちゃ後味悪い映画とか。
というわけで誰かこんなボクにオススメの映画紹介してください。
ちなみにボクも一つだけオススメあげるならプレッジって映画が面白いですよ、テーマは重いけど衝撃は無いしハッピーエンドだから見たあと気分爽快で朝日を浴びながらコーヒーでも飲みたい気分になると思います、ぜひ。
チャンネルが始まった頃から衰退の兆しは見えていたけれど、止めをさしたのは2点、
これによって実況者は安心して動画を投稿できなくなった。元々ちょっとしたことでも叩かれていたのに、個人情報を晒される危険が出たんだから「荒れそうな動画はYoutubeで公開しよう」となるのは当然の事だ。
なんでこの問題が発生したのかというと、それはもう嫉妬心に他ならない。
誰が嫉妬したのか。視聴者かもしれないし、個人的には、実況者間で足の引っ張り合いがあったんじゃないかと思ってる。
自分が持っていない物を持っている人、自分と同じ知識がない人、自分と違う意見の人、
そんな彼らの合言葉は「俺達のニコニコ」である。こうなると、どんなサービスやコミュニティも衰退する。
何事も、どれだけ嫌でも、常に新参者を入れていく事でしか維持はできないのだから。
だからこそ、色んなサービスにはある程度フィルタリング機能を持っている。
NG共有の導入も遅かったし、不快を感じる投稿者の非表示機能は未だに導入されていない。
今も時々見るけれど、最近はマイナビウーマンのくだらないニュースを必死に流して「女ってこんなに酷い」というヘイトを溜めている。
少し前はこれが韓国だったのを覚えている人は居るだろうか、同じ手法で女叩きにシフトしたと気づく人は居るのだろうか。
浮いたお金はAmazonプライムに流れて、映画を見るようになった。