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2016-08-08

先祖を敬うということ

日本人は、一方的自虐史観を止めるべきである特定思想自虐史観)に偏らず、事実を正しく伝えること、ひとつ物事の正解をひとつに決めてしまうのではなく多方面から視点があること、様々な考え方があることを許容することを教えるべきである

日本も十数年以上前までは学校自分先祖がどんな人だったか調べる授業があったが、特定圧力団体配慮して廃止してしまった。その上、自虐史観に基づいて、自分の両親や祖父くらいの年代の人たちが侵略戦争したと一方的に弾劾されてきた。

このような教育を受けていて、どうして子供が親や先祖を敬えると思えるだろうか?自分の親や先祖がどのようなことをしてきたかを知らずして、どうして先祖感謝し、敬い、自分アイデンティティ確立させることができるだろうか?

これが現代社会の抱える問題核家族化、孤独死社会的孤立化などを作った一因だと思う。

移民国家米国では、ファミリーヒストリーといって生徒が家系図などを調べて自分先祖がどんな人だったか、どのようにして米国に来たか、どのような生活をしていたかなどを調べるクラスがある。移民国家だろうが外国人が多かろうがどのような背景があろうが、自分先祖の人柄や生活ぶりに触れることは情操教育アイデンティティ確立にあたってとても大切なことだと思う。

第二次世界大戦日本侵略戦争と言われるが、それならなぜ、日本占領していた台湾パラオタイなどは、今でも親日国なのだろうか?

学校教育では日本侵略戦争をしたかアジアからまれている、アジアには親日国など存在しないかのように教えこまれ、そこに疑問を差し挟むことは決して許されないどころか、少しでも否定しようものなら、極右危険思想を持ちはじめた生徒として弾劾され、洗脳まがいの自虐史観に基づく教育を受けてしまう。

中国人韓国人が70年以上経ってもまだ恨み続けるほどの残虐行為日本人アジア各国でしてきたのなら、前述した親日国台湾人パラオ人、タイ人なども中国人韓国人のように国家ぐるみ日本を恨むのではないか

しかし、実際には親日国国民は、日本人に親切で、日本語を喜んで使ったり、日本を好きでいてくれている人も多い。

そして中国韓国は未だに国家ぐるみ反日教育を続け、日本を恨み、日本強盗などの犯罪を重ね、最近竹島問題尖閣諸島問題慰安婦問題のように日本領土強制占領し、侵略し、世界中慰安婦像を作ったりしている。果たして中国韓国の主張する日本人の当時の残虐な侵略行為事実だったのだろうかと疑問を持つのおかしなことではないと思う。

ここで大切なのは反日国の話だけに耳を傾けることだけではなく、反対の親日国の話も、同じくらい丁寧に耳を傾けること、そして単純な白黒判断をするのではなく、それぞれの立場について、その考え方の背景やメリットなども考えた上で、自分自身がどのように思うかである。今までの日本には、このような姿勢が全くなかった。

反日国の話は今までの日本自虐史観ベースになっているのでこの内容について深く言及することはここではしない。他方、日本では全く触れられることのない親日国の話の中には、日本人が当時、その国のための偉業をなしてきたことを逆に教えてくれる。

例えば日本統治下の台湾八田与一ダムを作って台湾南部の嘉南平野農業をおおいに発展させ、今でも現地の人はこの名前をよく知っているという。ところが日本人ほとんどはこの人の名前を知ることはない。

また、近藤太郎指導した嘉義農林学校台湾学校だが、1931年17回の甲子園で準優勝した。現地の人たちは近藤太郎を今でも尊敬しているという。

八田与一近藤太郎のなした偉業を知ることは、ひいては自分先祖に対する尊敬の念を生む。自分先祖の人柄を知ることは、家族の絆を強くしてくれることでもある。

さらに、こういった事実を知らずして外交をするのは目隠しをして挨拶するようなもので大変危険である日本外交オンチと言われるが、その一因はこの一方的自虐史観に基づく洗脳まがいの教育にあると思う。

まとめるが、親、祖父母、先祖を敬うということは、先祖のしてきたことを正しく知ることが前提となる。

しか戦後日本教育は、自分の親、祖父母の世代侵略戦争という罪を重ねてきたという一方的視点に重点をおいて教え込んできた。

自分の親や祖父母と同世代人間が、つまり自分の親や祖父母と変わらない人間がこのような罪を重ねてきたと教えこまれて、自分の親、祖父母、先祖を敬う気持ちが育つものだろうか?

この戦後日本反省教育が、現代日本社会が抱える孤立化核家族化、孤独死などの問題を作った可能性があると思う。

一方的敗戦国としての自虐史観以外を決して許さないという考え方は改めるべきである多種多様視点を持ち、多種多様な考え方が自由にできるようにしなければならないと思う。

2016-08-06

レッドタートル

やはりジブリの新作!という宣伝の仕方をあからさまにするのはよくなかったのではないか

人たちはジブリ=宮崎駿というふうにしか思ってない。

ジブリにこんな絵柄のアニメをつくって欲しくないなどとのたまっている。

しかしたら海外制作されていることすら理解してないのかもしれない。

いま、「ジブリらしい」作品ではないものジブリの新作!と宣伝してしまうと、アニメーション世界に対する敬意や興味がないような、宮崎駿世界に耽溺したいだけの人間にとって、お気に召さなものを勧める広告うつことになってしまうのだ。

あるいは、アニメーション世界ジブリorディズニーというふうにしかとらえてないのかもしれない。

レッドタートルを見てディズニーみたいなどという頓珍漢なコメントを残している人もいる。

多種多様な絵柄に対する知識や経験がないのかもしれない。

こんなに様々な表現アニメの中だけでもあるのに。

かぐや姫にまだ文句を垂れている人がいる。

もし、こぢんまりした広告をうっていたら、そんなふうな浅はかな人の言葉なんて出なかったし、見なくてすんだだろう。

でも、もしかしたら鈴木敏夫はそういったことを込みで自覚的にこの広告をやっているのかもしれない。

もはや宮崎駿のいないスタジオジブリというものを構築していこうとしているのかもしれない。

ジブリ=宮崎駿というイメージを壊していきたいのかもしれない。

人たちの感覚を信じていて、新しいイメージ提供し続けようと考えているのかもしれない。

スタジオジブリには、これからも、海外でも国内でもいいし、配給でもいいから、良質なアニメーション世界を支える存在としてジブリには存続してほしいという気持ち

2016-08-03

時代と共に変化していく

エディタ

Windowsといえば秀丸という時代も終わった。

秀丸EmEditorの競い合い、VimEmacs宗教戦争初心者TeraPadを勧める記事、今は落ち着いている印象。

今は多種多様エディタIDE自由に選べる時代になった。

政治

ニコニコ生放送福島みずほ放送コメントを書き込んでもまったく反映されない。

「あ」とか「わこつ」とか何を打っても反映されない。

新規アカウントと古いアカウント両方試してみたがコメントが反映されない。

表ではいい顔してても裏では言論統制している。

若い人は特に表面だけじゃなく中身を見る目を鍛えて欲しい。

今後は、若者の票が欲しくて動画配信に乗り出す議員も増えるので、上っ面に騙されないように気をつけて欲しい。

18歳以上に選挙権を与えられたので政界も変わるだろう。

出会い

2000年頃はガラケーメル友募集サイト流行っており、サクラも少なかった。

今はほぼサクラしかいない。

今時の出会い系サイトといえばTwitterfacebookニコ生などの動画配信サイトだ。

実名

昔は匿名文化が根強かった。

2ちゃんねるのせいだろう。

ここの匿名掲示板コテハンを付けるような奴らは珍獣扱いだった。

例えば記憶に残ってるコテハンだと・・・

どうしてコテハンを付けたのか理由を聞いてみたい所だ。

コテハンを付けるだけで基地外認定され叩かれる時代だった。

そして今、2ちゃんねるが衰退、実名文化が育つ時代になった。

スマートフォン

PHSをご存知だろうか。

白黒の画面、着メロも1音、カメラも付いてない機種を使ってた。

これはこれで味があるんだよ。また発売されたら使ってみたいね

今はフルカラーで音もいいしカメラ付きで便利だね。

でもみんなスマートフォンに縛られすぎじゃないだろうか。

インターネット

便利になった反面、悪いことをする奴も出てくる。

電車内で乗客盗撮してTwitter画像アップロードして笑いものにしてる奴とかね。

仲間と共有したいという気持ちが強くてやってしまったんだろう。

悪いという自覚があるのかどうか知らないが、根は悪くないと思いたい。

マナーが悪い輩が現れるのはADSL全盛期から予測してたことだ。

10年後のインターネットは今よりも治安の悪い世界になっているだろう。

早急にインターネットの使い方を若いから教える必要がある。

2016-07-15

自分の子供に現在から将来に渡って教えておきたいこと

を考えたら結局自分がやってきたこととやりたいことだったという話。

まぁ結果的に本人が自分で考えて自分で決めることが大切ではあるけれども、親としてはそれができるように手助けとなることに全力で取り組むべきかとは思う。

それでとりあえず親が様々な経験物事を与えることによって子供にとっての選択肢を増やしてあげるということがあり、重要なことの一つだと考えた。

自分経験から思いついたり軽く検索したりして考えたものを挙げてみるが、ほかに何かあったら教えてもらいたい。

以下、順不同。

タスク管理方法重要性。

これはこの記事http://blog.tinect.jp/?p=27400)が話題になってたので思いついたこと。ここに書くきっかけに。

通う学校でどの程度教わることになるかはわからないが、これができるかできないかでは何をするにも雲泥の差なのは明らかなのでしっかりと教えていけたらと思っている。

勉強のやり方、学習方法ともいえるか。

法律基本的な部分。

大人になってイヤというほど重要性がわかるのが法律自分必要に駆られて結構本格的に(行政書士合格レベル勉強して実生活で役に立っているのを実感している。

憲法民法入門書等の良書で法律的な考え方なんかを中学生くらいで教えたり、労働法著作権法個人情報保護法等に該当するような部分を高校生くらいで教えたりしたい。

道路交通法(というか交通ルール)や刑法なんかは小学生前後からある程度教えてあげられるか。

ある程度は公民とかで習うかもけど暗記するだけだった気がするし学校の授業で習うような部分は役に立たないような気がする。

・世の中の仕組み的なこと。

お金のことや政治経済について、税金保険福祉などなど社会保障など。池上彰みたいな本に書いてあるレベルの知識くらいでもあると良いと思う。

どんな形であれ社会に出るより前に基本的な仕組みだけでも十分なので知っていると、何かと助かる部分が多いのではないか

中3とか高1の夏休みにでも簿記2級でも勉強させてみたいなと考えている。(ちなみにうちの娘はまだ2歳である。)

これも学校で習うことはあるが、あまり役に立たなかったので上手に教えてあげたい。

音楽美術文芸総合芸術等の基礎的な素養

自分場合ある程度親から与えられてきたので実感としてあってよかったと思っている部分。人によって意見が分かれそう。

ピアノ習ってたり親が美術系の学校出てたり茶道やってたり景気良かった頃なので家に絵画美術品が溢れてたり色々見に行ったり)

色々と社会でも実生活でも役に立ったりするし趣味としても楽しめて生活が豊かになる(気がする)。

親がある程度裕福でないと十分には与えられないかもしれないが、お金をかけずともできることもそれなりにはあると思う。

病気身体に関する知識。

これはやはり必要かと思う。肉体的な病気もそうだし鬱や発達障害なんかの正しい知識は小中学生からしっかり持っていてほしいなと思う。

自分小中学生だった頃、同級生に今考えるとどうみても結構重度の発達障害だったなという子が何人かいたけど、教師も含め誰も正しい知識がなかったことはとても残念に思っている。

ちなみにその中の一人、中学同級生は後年たまたまネット学習障害について調べているとき本名写真付きで障害に関するサイトに紹介されていて驚愕したような納得したような覚えがある。

今は当時よりは環境はよくなってはいるかもしれないけど、巷ではガイジだのアスペだの叫ばれてるしまだまだかなと思う。

それと食べ物に関して、栄養とか成長に関わる知識もある程度身につけておいて欲しいような気がする。自分中学高校くらいの時にもう少しまともに栄養とって運動していれば、と後悔しているので。

きちんとした運動についても、例えば正しい走り方のフォームとか、効率的運動方法とかって全く習っていないし子供には教えてあげたい。

各種学校で習う科目の重要性。

数学素養があるとどのように役に立つかとか歴史を学ぶことが社会を知る上で役に立ったり仕事にも活きてくることとか、英語ができるとどれだけ便利で楽しいかとか、

後々になって勉強しておいてよかったと思えるようなことを経験せずに理解するのはかなり難しいことではあるが、時間をかけてコミュニケーションをとってじっくりと教えていけたらと考えている。

古文漢文あたりはなんの役にもたってないような気がするけど。(一応、歴史を学ぶことになると考えてももっと軽く短時間教えるくらいで良い気がする。)

・いろんな分野の知識とか。

宗教哲学心理学とか。結構大事だったり役に立つ気がするけど、自分も多少本を読んでかじった程度しか知識がないのでこれからもう少し勉強して教えてあげられたらなと思った。

自分子供の頃は、本好きで結構な量読んでたと思うけど今思うとジャンル結構偏ってたような気がする。自主的に興味持った分野ばかり手を出していた弊害か。

自分の子には自主性も尊重しつつバランスよく与えていけたらと思う。

それと意外と漫画から得た知識やそこから興味を持ったことも多い。昔のこち亀はなんだかんだで偉大か。手塚治虫みたいな古いのも親が好きだったから色々読んだかな。

・まとめ。

結局は多種多様な本を読ませたり経験させたりするだけでは足りず、それについて一緒に話したりしてコミュニケーションをしっかりとるのが重要そうって感じか。

あと、これじゃこういうことについて全然足りないよとか、こういうことはしておいた方がいいよとかこの本読むといいよとか意見もらえるとうれしい。

また就学前(0-6歳くらい)も大事だと思うが、大したことが思い浮かばないので補足してくれる人求む。

2016-07-06

コンピュータ言語言語ごとの特徴を俺が教えてやる(異論は認める

コンピュータ言語って世の中に山ほどあるけれど、それぞれの言語ごとに特徴がある(特徴のない言語は廃れていく)。

まり言語に詳しくない人相手に、俺の考えるそれぞれの言語の特徴を書いてみようと思う。

なお、取り上げるのはある程度広く使われている言語に限りたいと思う。

TL;DR

言語概要
C言語高速動作するバイナリ生成を目的としたコンパイル言語。だいたいどんな環境でも使えるがバグやす
C++マニアック言語、高速、習得大変
Javaサーバで高速かつ安定に動作するコンパイル言語、大規模でよく使われる
C#主にWindowsクライアント用のバイナリ生成に使われるコンパイル言語
Perl広く使われていたが今は若干時代遅れのスプリクト言語。汚い
PythonPerlにかわって主流になりつつあるスクリプト言語。綺麗
PHPWeb開発にフォーカスされたスクリプト言語一世を風靡した。
Rubyとても綺麗なスクリプト言語
JavaScriptブラウザで実行出来る唯一の言語言語自体はいまいちだが、ブラウザ事情需要あり
Goサーバサイドで安全かつ高速動作するバイナリ生成を目的としたコンパイル言語

詳細

C言語

メモリに直接アクセスして書き換えるといったコンピュータ機械語に近い言語構文を持つため、高速な処理が可能言語

コンパイラ歴史も古く環境も整っており、組み込み系などを含むほぼ全ての環境で利用可能な万能言語

一方で、メモリの確保や解放といった基本的なことも自前で処理する必要があるため、コーディング効率が良くなく、多種多様バグを生みやすい側面も持つ。

ある程度以上のエンジニアであれば常識として知っておきたい言語だが、初めて覚える言語としてはあまり適当ではない。

C++

C言語オブジェクト指向を導入した言語C++言語とはあまり呼ばれず、しーぷらすぷらす、もしくは略してしーぷらぷら、しーたすたす、などと呼ばれる。

C言語の速度を維持したままオブジェクト指向テンプレートなどの効率的記述可能にしようとした意気は真っ当だったのだが、

当時最先端だった色々な技術思想を叩き込んだおかげで、あり得ないほど複雑化した言語としても有名。

C++理解しています」という人はほぼ初級者で、本当に理解していくほど「C++には自信がありません」となっていく。

速度を追求する分野では良く使われている。完全に理解するのは難しいとしても、テンプレートくらいまでは理解しておくと仕事上なんとかなる…かもしれない。

Java

サーバサイドで安全コードを実行する目的でよく使われる言語。長い歴史を持っており、比較的高速に動作する。

当時は画期的だった「バーチャルマシン」や「ガベージコレクション」という機構を備え、CやC++でよく問題になるメモリ解放忘れというバグを生まず、

サーバサイドなどで何千時間動作するソフトウェアに適した言語として受け入れられた。

必然的エンタープライズ用途で利用されることが多く、各種ツールなども豊富人海戦術がしやす言語という側面も出てきた。

一方でブラウザHello Worldを出すだけでも大変な労力を必要とするので、スタートアップなどではあまり使われない。

ガラケーアプリや(ちょっと違うが)Androidなど、クライアントサイドでも使われることがある。

プログラミング言語最初Javaを覚えるという人は結構多いが、仕事としてJavaを使うのは大抵SI系の業務になり、なかなか辛い労働を強いられる可能性が高い。

C#

クライアントサイドで安全コードを実行する目的でよく使われる言語。こちらも比較的高速に動作する。

元々はWindowsクライアント用の言語であり、Javaとは違ってクライアント向きのAPIが多数ある。

マイクロソフトが開発した言語ということもあり、マイクロソフトの優れた開発環境が利用出来るので開発効率は非常に高い。

Unityなどでも利用可能であるが、基本的にはクライアントの実行形式ファイルを生成する目的が大きく、サーバサイドではあまり使われない。

自作ゲーム開発をしたいのであればうってつけの言語。初めて覚える言語としても十分に良いだろうが、C#を使う仕事は近年無くなりつつある。

Perl

ほぼ全てのLinuxディストリビューションに含まれており、ツールや様々な用途で使われていた。

上に紹介したC、C++JavaC#のようなコンパイル言語とは違い、(少し語弊はあるが)1行ずつ実行してエラーがあれば止まるスクリプト言語である

ちょっと開発してすぐに実行ということが出来るのと、コマンドラインでワンラインコードを読み込ませてちょっとした処理が出来るなど応用範囲の広い言語である

20年近く前にWebCGIが普及した時には、ほぼどのようなサーバ環境でも実行可能だったこともあり、Perlを使うことが極めて多かった。

しかし、主に読みづらい言語仕様のせいで、近年新規ではほとんど使われなくなった。既存コードもどんどん別の言語に置き換えられていることが多い。

日本大手Web企業の一部が使っているので、そこに就職するために覚えるのもアリっちゃアリだけど、今からPerlをわざわざ覚えるのは強くオススメしない。

Python

後発のスプリクト言語。こちらもほぼ全てのLinuxディストリビューションに含まれており、それゆえに広く使われている。

インデントまで言語仕様規定することで、誰が書いても読みやすコードになるように考えられている言語である

Perlの代わりに使われることが増えていて、周辺ツールなども充実しており、小規模から大規模までカバーする勢いがある。

ただ、Python2とPython3のバージョン間での非互換性があまり綺麗に設計されていなかったため、そこで混乱を招いていたこともあった。

最近だとマシンラーニング系のライブラリPythonが使われていたり、海外ではPerlに代わる言語として受け入れられつつある。

最初に覚える言語としては良い選択肢だろう。

PHP

Web開発に特化したスクリプト言語CGIの代わりに使われ始め、一世を風靡した。

以前CGIWebに何かを表示するには比較的大変な労力を割かなければいけなかったのが、PHPを使うと誰でも即座にWeb開発が出来たので爆発的に普及した。

またphp.net豊富ドキュメントスニペットのおかげもあり、開発初期の効率が大変に良い言語である

残念なことに、言語API設計がいけていない点が多く、一部の人から蛇蝎の如く嫌われている。

今でも根強い人気があり、海外でも小規模プロジェクト最初の開発にPHPを選ぶのは比較的よくある選択肢であるようだ。

Webアプリを開発をしたいという明確な目的を持つ人が、最初に学ぶ言語としてPHPを選ぶのは理にかなっていると思う。

なおこの言語を本気でディスってる人は大体視野の狭いエンジニアであることが多いので、地雷エンジニアを見分けるのにも役立つ。

Ruby

綺麗なスクリプト言語日本発で世界的に普及している数少ないIT技術の一つ。

言語仕様が美しく、それゆえにファンが多い。Ruby on RailsというWebフレームワークの登場で、Webアプリでの採用例も一気に増えている。

基本的には他のスクリプト言語と同じくサーバサイドでのプログラミングに用いられることがほとんどである

スクリプト言語で何かを作成するのであれば、Rubyを選んでおけばそう失敗することはない万能言語

サーバサイドで何かすることに興味を持っているならば、最初に覚える言語としてはとてもオススメ出来る。

一方で、なぜかRuby採用するWeb側のフレームワーク(具体的にはprototype.jsCoffeeScriptはいつもクソなので、そちらは深入りしないのが吉。

JavaScript

ブラウザで動くスプリクト言語ブラウザ戦争が勃発していた18年前、奇跡のようなめぐり合わせでベンダー間の合意が取れ実装された言語

言語としてはプロトタイプベースオブジェクト指向という少しめずらしい形式を取っているが、実際にはあまりその特徴は利用されていない。

言語仕様イマイチで、大変バグを生みやす言語であり、また関数スタックが深くなる特性もあり、あまり積極的に使うべき言語ではないが

ブラウザで動く言語現在これしかないので、大きなシェアを持っている。

一部の物好きがサーバサイドでこの言語を使おうと(主にnode.jsで)四苦八苦している(とはいえ、1つの言語Webサーバが完結するのは大きなメリットだ)。

ブラウザで動く唯一の言語のくせにとにかく書くのが面倒ということもあり、多数のAltJSと呼ばれるJavaScriptに変換される別言語を生み出されている。

まあJavaScript本体人が手で書く言語ではない…というのがECMAScript5までの印象だったが、新しい規格が順次導入されており、今後に期待。

Web業界で生きていくならば、好むと好まざるとにかかわらず覚えなければいけない言語である

最初に覚える言語としては、ブラウザ上でゲームなども作れるし、node.jsサーバサイドもできるしで、意外とオススメだったりする。

GO

C、C++Javaと同じでコンパイル言語サーバサイドで高速かつ安定なバイナリを出力することを目的とされ設計されたGoogle発の言語

その目的においてはかなり高性能を誇るので、特に速度を要求されるサーバサイドでのプロジェクトでは導入が進んでいる。

それ以外の目的ではあまりこの言語採用するメリットはないが、ニッチ用途ピンポイントで抑えており、これから広く利用されることも期待される。

コミュニティも活発であり、初めて言語を覚える人が参入すれば喜ばれるだろう。言語としても美しい言語なので、サーバ系のプログラムに興味があればオススメである

まとめ

繰り返しだけれど、それぞれの言語ごとに特徴があり、特徴のない言語は廃れていく。

ここに挙げた言語は何らかの特徴があり、何らかの用途必要なので生き残っている。

その背景を知った上で、ここにある言語は全部ある程度読み書きが出来るようになると素晴らしいと思う。

2016-07-02

[]

グレンデルって漫画とレディ&オールマンって漫画を読んだ。久々の感想文です。

グレンデル中世っぽいファンタジー世界の話で、一巻だけしか刊行されていないんだけど、物語の広がり方に期待が持てる作品だった。何かしら、世界の裏に潜む真相が見え隠れする物語って読んでいて楽しい獣人亜人存在や、森の怪物ゴーレム魔法みたいな、ありがちなファンタジー要素を網羅しつつも、様々な人物や団体の多種多様な思惑が張り巡らされている感じがびんびん伝わってきて、読んでからとても満足できた。展開が早いのも素敵。濃密な漫画体験を得られる作品だと思う。

また、主人公女性騎士が独特な性格をしているのも面白い。重い罪を犯して死か使命を果たすかを選ばされる人物なんだけど、大体こういった場合その罪事態は止むに止まれず犯している場合が多いと思う。けれどこの主人公は自ら率先して仕えていた主君を見殺しにしている。自分が生き残るために可能性の高い方を選んだわけだけど、こういった我の強い(そしてとてつもなく強い)主人公をよく主役に抜擢したと思う。シュトヘルなんかも似てるっちゃあ似てるんだけど、結構早い段階でユルール和解してる描写があるのがこの作品と違うところかな。

異形の者と人との二人連れって作風結構多いけど、ちょっと毛色が違う作品が出てきたなあって感じ。海外ファンタジー小説にありそうな世界観がとても良いです。

もうひとつのレディ&オールマンシュリーがひたすら可愛らしい漫画だった。もちろん内容もしっかりあるんだけど、兎にも角にもシュリーが可愛らしかったということを声を大にして主張したい。

オノ・ナツメ漫画って、いままで大体主役が男性だったから余計にシュリーが可愛らしく見えた。ウルトラジャンプ掲載されてるらしいから、もちろん読者層を慮っての絵柄なんだろうけど、本当に、本当にかわいい。いつも目がキラキラしてるし、はにかんだ表情とかもう素晴らしいの一言

内容としてはどうやら不老不死っぽい相棒のロブ(この人物もどこかぬけているし憎めないし、愛着が湧く)と共に、昔父親が営んでいた運び屋の仕事シュリーが始めていくっていうストーリーなんだけど、それだけじゃない独特の味わいが出ている作品だった。コマ割りとか台詞わましとか。時代設定もいいと思う。1960年台とロサンゼルス。60年代の気風が見えてくるかどうかと言われるとよく分からないんだけど、ところどころで瀟洒な雰囲気が漂ってくるのが素敵だった。絵だけで魅せる漫画はやっぱり格好いいと思う。

さておき、ゼノンコミックスってどんな読者層をターゲットにしてるのかなあってふと思った。女性向けっぽいのかしらん。ビームコミックスヒバナなんかと同じで、個人的最近購買してしま出版社です。

しかしながら最近漫画まで積読本が増えてきてしまった。困った。小説だけで二百冊くらいあるのに。困った。ヒーロークリッカー、何も考えずに遊べるから楽だし面白いし辞め時がないんだもの

2016-06-21

http://anond.hatelabo.jp/20160123201624

あのね、マジレスさせてもらうけどね。

ネットの向こうの人はね、それぞれ多種多様文脈で生きてるの。

性別も年齢も知能も経済力も習慣も思想もあるいは国籍すら違う人間の間で、

ネタネタ理解する」相互認識が成立することの難しさたるや。

あんたは書き込みをする一字一句ごとに、それについて想像してみたことがある?

完全にそれに配慮した物言いをすることは不可能だし、しろとは誰も言わないよ。

エクスキューズつけまくる文章が美しいとも言わない。

でも貴殿のその姿勢はあまりにも傲慢だろう。

己の想像力の欠如ゆえに、その脇の甘い発言が、異なる文脈の人の逆鱗に触れてしまったんだよ。

から反発される。仮に反発してきたのが明らかに幼稚なクソガキだったとしても、

反省すべきは汝自身。分かるよね。

そう、本当に面白いネタを言って笑いをとれる人っていうのは、

成功する場を選び、タイミングを選び、表現法を選び、

そなたの想像の及ばないほど緻密な計算をこなしてるんだよ。

まりお主は、観衆(他人)に対しても、ネタ(笑い)に対しても、侮りすぎ。

まあ別にネタ発言仕事でしてる訳じゃないだろうから

正直ここまでの心意気を要求するのはオーバーだよ。

でもそれはあくま大人しくしてた場合の話だ。

当人プロであれ素人であれ、他人に牙を向けた時は、いつだってシビアに返される。

それがネットってもんなのよ。

そうなった時、「ネタから」とか「マジになってアホか」みたいな発言は、

てめぇが撒いた火種に向き合わない逃げであり、醜態しかない。

ってわけで、You半年ROMっとくことを勧める。

それから

この二人称芸どうだった?くそ寒かったでしょ?のみならず、

こうやって半端にウケ狙おうとしてるのが分かると人はイラつくのよ。

叩きたくもなるでしょ。独りよがりな笑いは。

まーそんな感じよ。じゃあ新しい増田、考えてみよっか。

2016-06-19

http://anond.hatelabo.jp/20160619190815

死ぬとかなんとかそんな深刻な物言いするならかなり切羽詰まってるような心境のはずだよね、

それでも新卒採用にこだわるのはそれなりにホワイト研修やらでみっちり育ててくれるとこしか考えられないからじゃないの?

(口先だけで死ぬ死ぬ言ってるだけで、、この時期だから実際はそこまで追い詰められてはないんだろうけどさ)

他のトラバブクマで散々言われているように雇用までのルートなんて多種多様でしょ

なんつうか元増田みたいな人って「環境を用意してもらえれば私も輝けるようになるんです。だから私に期待して。」というようなスタンス面接とか受けてるのかなと思って

2016-06-08

アラフォー独身フリーターだけど楽しく生きてる

アラフォー独身彼氏ナシ、

仕事アルバイト

子供もいないし、結婚歴もない。

世の中的には底辺位置するが、

楽しく生きている。

仕事から帰ってきて、

ネットを見ながら発泡酒を飲む時間けが幸せなひとときだ。

バイトなのでいつ契約を切られるかわからないし、

そうなったら借りているマンションから出て行かないとならない事が、

それなりに心配だ。

たまには男性デートとかしたいなあと思う。

容姿が悪いので、出会い系を利用しても相手男性がっかりするだけだろう。

もう長い事セックスしていないので、セックスがしたい。

手頃に多種多様風俗を利用出来る男性が羨ましい。

2016-06-05

格差とは残酷ものだな、と再認識

地方都市公立中学校出身で今30手前。

同級生現在を見ると、ボリューム層はドカタのマイルドヤンキーみたいな連中だが、東大京大を出て一流企業で高給取りになってたり起業して成功したり官僚医者になってるのから、零細ブラック企業に入って自殺したのもいるし、ニートチンピラ風俗嬢など池沼スレスレの連中まで多種多様

ガキの頃は一緒に遊んでたのに、家庭環境や本人の資質でこうも変わってしまものなんだなと再認識

2016-05-29

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.もしタバコが誰にとっても安全なモノになったとき喫煙エリア禁煙エリア嫌煙家などはなくなりますか。

そんなタバコを吸いたい人がいるかはともかく、答えはNOだ。

誤解している人もいるが、それがルールマナーとして運用されていることとは本質的には関係がないのさ。

過去に回答したように、タバコ有害性とかの「合理的理由」は、あくまで「分かりやす理由」であって必須要素ではない。

合理的理由があるかどうかで決められているなら、この世のほとんどのルールマナーはなくなっているからな。

ルールマナー本質的価値は、「多種多様人間が同じ社会で生きていくうえで、トラブルの元になるものを未然に防ぐ」ものだったり、「環境を最高ではないけれど、それなりには快適にするためのもの」だ。

合理的理由があるか」ということは重要じゃない。

仮に合理的理由があったとして、それらルールマナー運用する人たちが、それを把握して運用しているとは限らないしな。

しろ、そういう人たちでも行使できるように制定されるわけだが。

もちろん、君個人の「気になる」「気にならない」だとか、そのルールマナー客観的にみた正当性なんてこと私は知らんよ。

あえて学ぶべき教訓は、「良くも悪くも世界自分中心に回っていない」といったところだ。

ルールマナーは君を守るために作られたわけではないが、それに助けられることもあるんじゃないかな(逆の可能性もあるが)。

それに納得するか、感謝するかは君の自由だが、ルールマナー本質的価値必要性理解して週末を過ごしてくれたまえ。

……なんだか、過去の回答と似たような内容になってしまったな。

ネタ切れじゃないぞ。

2016-05-28

の子時代はまだ詰め込み学習が幅を利かせていた時代で、全国展開している塾が満員御礼時代だった。

御多分にもれず教育ママだった母のもとに生まれた俺は、ある程度の金銭的余裕もあり、勉強以外にも多種多様習い事を受けた。

週二日の塾が2つ、毎日の家庭学習教材が一つ、習字そろばんスイミングスクール英会話野球

小学校までは季節毎に活動部活が変わるため(期間制だった)、サッカーバスケ水泳陸上と、受けられるだけの部活動を行い

中学からバスケ部所属し、上記習い事と家庭学習に加えて学校練習量の多い部活を両立した。

今、俺は学歴必要ない、上記の様々な分野とは全く関係ない生活を送っている。

基本的能力が平均的以下な俺は、これだけ勉強しても偏差値63が限界だった。県内一の進学校に落ち、滑り止めの私学に入った時には、

はいつの間にか侵されていた癌で入院していた。

間もなく母は死に、解放された私は全ての柵を捨て、勉学を一切放棄し、成績不振留年が決定したと同時に高校をやめた。

皮肉なことに、高校をやめてから進んだ道が今の職業に繋がっている。

中学卒業までの生活は、基本的苦痛だった。毎日毎日勉強ノルマがあり、母にチェックを得てから眠る日々だった。

習い事ノルマしかなかったので、いか効率的に終わらせるかという一点にしか興味がなかった。

(例外として、学友の多く所属していた野球をしている時、塾の休憩時間にお喋りをしている時は楽しかった。)

興味の無い習い事は、一定レベルまでしか身につかなかった。具体例を上げると、夏休み習字宿題評点で銀賞をたまに貰うくらい。水泳部マイナーな種目の三番手くらい。

時間を費やしても全く成長の意欲が無かったうえに、(あとから気づいた事だが)才能も劣っていたために、ただの器用貧乏が生まれた。

逆に、何もしなくてもいい点数がもらえるものが幾つかあった。教科で言えば国語現国は、何も勉強しなくても90点は取れた。漢字の書き取り以外は間違える気がしなかったし、実際ほぼそうだった。

音楽も同じ様に、リコーダー演奏も平均よりはるかにできたし、小学生時分のイベント特別楽器演奏できるとあらば名乗りを上げた。文化祭学芸会の劇ではサックスアコーディオンを誰に習わずとも独学で勉強し、演奏した。歌は基本的に手本となる生徒だった。

夏休み昆虫スケッチ習字よりも良い賞をもらえることが多かった。

今になって子供時代を振り返ると、なぜあの時に今の道に触れることができなかったのかと後悔する。なぜ専門家の道を最初考慮しなかったのか。

その道は、後になって発見しても遅いのだ。高校入学時に洞窟発見しても、辺りはもう夕暮れなのだ

母に対して思う事はそんなに無い。死んでから時間が経っているのもあるが、上記生活の辛さと、その他少しのいい思い出、それに同情と申し訳無さが合わさってある程度フラットになっている。

ただ、後悔だけが残ってしまった。

2016-05-24

ブコメときどき出没する解読不能コメント

ときどき自分の書いた記事にまともな日本語で書かれているのだけれど、意味理解できないコメントが書かれることがある。

そういうときは、コメ主が内容を誤読しているか自分が知らないネタと絡めてきたかガチキチガイだと思うことにしている。

ただ、解読不能コメント複数ついているときは、おそらく自分の書いた記事

意図していたものとは全く異なる内容に読める余地があったんじゃないかな、と反省することにしている。

例えば、特定言葉にやたら執着するコメントがたくさん付いていたとしたら、

その言葉が何か特定業界では特別意味を持ち、それ故に自分の書いた記事

「そういう業界向け」に書かれたと誤解されている場合などだ。

昔、元はガンダムネタだと知らずに、特定フレーズを使って書いたところ、

どういうわけかガンダムdisっている記事だと深読みされ、そうした層からきついコメントをたくさん頂いた。

ただし、ネットには想定を遥かに超える多種多様人種が意外と簡単アプローチしてきてしまうので、

こうした誤解を完全に去るのは不可能なんだと思う。

2016-05-22

[]

はじまりの竜とおわりの龍を読んだ。すごい。本当にすごい。すごすぎる。内容と世界観に圧倒される凄まじい漫画だった。

馬鹿の一つ覚えみたいにすごいとしか繰り返してなくて恥ずかしいんだけど、本当にすごい漫画だった。四つの短編からなる連作集なんだけど、どれもこれも何冊もかけて大きなエピソードを読みきったかのような充実感が味わえる内容で、どれもこれも濃密極まりなかった。これひとつひとつ短編でそれぞれ一本ずつアニメ映画が作れそう。過剰なところがあるのかと言われればそうじゃなくて、過不足なく充実しているのが本当にすごいと思う。壮大。本当に壮大な叙事詩だった。

タイトルにもある通り、この作品は竜が重要存在になっている。一章では、天から落ちてきた竜と地上の人が交わる過程を描いていて、全体的に神話みたいな話なんだけど、神話ありがちな朧気な所がなくてリアリティ神秘性の両立がいい塩梅で成し遂げられているのがすごい。二章では弥生時代っぽい時代背景で竜が政に関わっている様子が描かれている。最後の龍と鳥の姿が圧巻。獣の奏者のような里が描かれている三章では、竜が政争の道具になってしまっていて悲しくなった。四章では竜の終焉が示されている。

これら短編世間感がそれぞれ本当に凄まじい。ひとつひとつ時代を切り取って一つの大きな物語が描けてしまえるほど壮大で濃密な空気感を醸し出している。おかげで没入感がすごい。一つの短編を読み終わると、物語世界から浮かび上がってきて一息つきたくなるくらい。また。人間ドラマも適切でいい。過度な肉付けをしていないせいか物語登場人物リアリティを内在させながら配役にきっちりと収まってる。反面、ありがちでスケールの大きさが物足りないエピソードになってしまってはいるんだけど、この作品世界観が何よりなのでかえって功を奏しているような気がした。キャラクターが張り切って表に出てこないために、広大で深遠なスケールを描き出しているのだと思う。

もちろん、それぞれの登場人物にも愛着が湧いてくる。一章以外には分かりやすい悪役がいるんだけど、彼らの心境にも思いを馳せることができるのがすごいと思う。みんながみんなちゃんと起立した人格を有しているのが味わい深かった。種類なんて言葉で表したくないけど、それぞれの短編多種多様な人が描かれてるのもすごいと思った。

何度も同じ言葉を使って頭が悪いんだけど、本当にすごい。圧倒されてしまう。すごい。なんだろう。自分にはすごいとしか言いようが無い。

これで新星っていうんだから信じられない。本当にすごい。信じられない。もう一度読もう。

2016-05-11

「俺は生きてて死ぬほど楽しい」の疑惑事案

はてなブックマークを利用停止になった。(http://www.kakakakakaida.com/entry/2016/05/11/003316)

ブログ主かいちゃん氏のこの記事に疑問があったので自分経験から

どうしてこうなったのかを書いておく。

理由1.短期間集中なんて昨今誰でもよくやるブクマは誰でもやっている。

    自分の話で恐縮だが1時間に30~40のブクマを5年近く続けていて、

    範囲は多種だが痛いニュとNHK特定ブログ主がメインだ。

    特定ブログ主はよくホッテントリ入りしている。

理由2.多い日でも安心ハブられることはない。

    というよりも24時間で5、60ブクマし続けているが自分アカ大丈夫だ。

    範囲理由1と同じ。但し日によっては30程度の日もある。

理由3.これが一番なんだがツイの履歴を見る限り、

    大したブクマ数やフォロアー数でもないのに投稿直後に

    多種多様なdlvr.itBOTによる自動更新が行われている。

    これらのBOTはてな新着も含めて多種なんだけれど、

    流行りのIFTTTツールからというには不自然すぎる。

理由4.というかやっぱり互助会…というか自演だよね

    http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:f4FbtkW0vYAJ:b.hatena.ne.jp/kakakakaida/20160505+&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

    から大体一週間を見たんだけれど

  • dango.hatenablog
  • kotaro-nobuta.hatenablog
  • konayuki358.com
  • murasakai.net
  • zenmashiniki.com
  • zoomer.hatenablog

    わかりやすすぎる。

追伸:理由3.については自身

https://twitter.com/kakakakaida/status/727077549348540416

えぇぇぇえぇグーグル先生から警告きた、、、「Google 広告を紛らわしい方法掲載することは禁止されています。」kakakakakaida.com/entry/2016/04/…この記事なんだけど、何が引っ掛かったの、、、、

(19:09 - 2016年5月2日)と自ら明らかにしているが、これはスマホサイトを主に

広告位置上位に広告がないと怒られた時に寄せられるメールで稀によくある。

ところが自分が以前スマホで見た時にはこの位置Googleアドセンスではないバグhtml化け)が表示されていた。

表記ズレによる妙な英文があったニュアンスだった。気にもとどめていなかったが察することは容易だ。

今にして思うとアレはIDを他のブログと間違えたとかじゃないか

2016-05-06

http://anond.hatelabo.jp/20160506211806

対応しているのが数えるほどしかいないのであれば、

技術力の高く製品知識がある人(今回だとその二人目)が真っ先に対応してくれる。

でも、本業がままならないほどのたくさんの問い合わせがあったらどうするか。

しかも、問い合わせてくる人の技術レベルに幅があったら・・・

そうなると、門前払いしてくれる担当を置くのです。

挨拶と聞くだけ担当」と言い換えても良い。

門前払いされてあきらめてくれると会社に対する「信用」は失うけど、

多種多様相手に対するサポートにかける「時間お金)」が少なくすむので、

新規案件や目先の事で精いっぱいな会社はわりとそれをやってることが多いです。

2016-05-05

友達が男を値踏みするようになったので悩んでいる

 社会人二年目になり、同じ年の友達との間に距離を感じはじめた。普段の会話ではなんともないのだけれど、ひとたび「男」の話題になるとわたしはとてもモヤモヤするようになった。

 彼女たちは社会人になり、いつのまにか男をスペックで値踏みするようになっていた。どこに勤めているか身長は高いか、顔はどうか、話はおもしろいか、その他もろもろ。たしかに、社会人大学生とでは出会いの場というのがまるきり違って出会える「男」も多種多様な人々になるわけだし、彼らのことを知って取捨選択するには彼らのスペックから判断するようになるというのはごくあたりまえなことだとは思う。大学生ときだって身長やらお顔やらを気にせずにいたわけではないのは、わたしもそうだったし、性格だけで考えろなんてけっこう無理な話だということはわかる。容姿第一印象ダイレクトにつながっているのだから、顔やファッションで決めるななんて難しいことはいわない。

 ただそのスペック文句をつけるのもどうかと思う。求婚されたわけでもないのに彼のスペックを挙げては「この男はナイわー」という傍から見ればお前何様だ発言。逆に、「医者から言い寄られてるけどつまらない男だから興味がない」というスペック合格だけれどおもしろくない、しかしそんな高スペックに言い寄られているワタシ感の満載な発言。なんなんだ、何様なんだきみたちは。

 「社長高身長!かっこいい!」とキャーキャー言いあうようなものはたのしからわたしだって混ざりたい。でもそんなプラスのほうにキャピキャピすることがあまりにも少ない。何をそんなに不満をたれているのかわからない。社会人になってから出会いの少なさと成功率の低さが不満なのだろうということはわかる。だからといって性格については言及せずにそのひとを貶める発言をするのは結果自分自身価値を下げているとしか思えない。

 とはいいつつ、わたしのほうがおかしいのかな、というおもいもある。そりゃだれだってニートとは結婚したいとは思わないし、理想というものは何に対してもあるものだし、それにあてはめる作業をすることはまだ若いわたしたちにはふつうことなのかもしれない。わたしには社会人になる前から彼氏いるから、その体験をまだしていないだけで、これから彼氏と別れたあかつきには必死でその作業を繰り返すことになるのかもしれない。

 そんなことをおもうともう何も言えなくなる。彼女たちの姿こそが正しい独り身OLの姿なのかもしれない。

 けれそも納得がいかないのは、そうやってああだこうだと言って男を選定するわりには、夜な夜なクラブなどにおもむき知らない男たちとキスしたりそれ以上もしちゃったりすることが常習化していること。あれだけ毎度毎度自分で作り出したものさしで男たちをせっせと取捨選択しているのに、「暗くて顔がよく見えなかった」男や「べつにタイプではなかった」男とキスしたりそれ以上にまで発展させて、しかしそれ以上継続させることも恋人になることもないという彼女たちの謎の行動がわたしをより悩ませ、彼女たちを軽蔑していまいそうになる。ふつうにそれはきもちわるい。

 ほんとうに謎なんだけど?誰か教えてほしい。

 タイプのひとを見つけてしまってワンナイトラブ、ならまだわかる。タイプのひとっぽかったのでワンナイトラブしたけど後から思えばそうじゃなかった、というのもまだなんとかわからんでもない。でも最初から顔もよく見えないしタイプでもないとわかりきっている男にああだこうだされてしま彼女たちは、「若いうちしかできない」だの「いまのうちに遊んでおかなきゃ」だのといつものたまっている。確かに「若いうちしかできない」ことではあるけれど、「若いうちにしておかないといけない」ようなことなのだろうか。よくわからない。その行為自分自身価値ハードルを下げてしかいないようにおもうのはわたしだけなのだろうか。

 わたし簡単に、それこそわたしが良しと思わないような相手自分の体をどうこうさせたりはしたくない。よくきく陳腐セリフだけど、「わたしはそんなに安い女じゃない」。(使い方あってる?)

 確かに文字通り「若いうちしかできない」ことには変わりがないので、彼女たちの人生だし誰に迷惑をかけているわけでもないので特段止めにはいったりは今のところしていないけれど、話をきくだけでモヤモヤするし軽蔑してしまうようになった。ほんとうにどういうことなんだろう。社会人になるまえは彼女たちもこんなんじゃなかったはずなのに。それともわたしがお固くて、ただきれいごとを都合よく言っているだけなのだろうか。

2016-05-04

VRゲームの祭典に行った時のこと


日本人制作したゲームホラーならお化けが出てくる、横スクロールマリオ人間版だった。

ところがアメリカ制作されたゲームは車でサッカーしたり、急流滑りをただ単に下るだけなど、

何でこんなもの作るんだ!と思うような作品や今までにないものをいきなり出して来る会社が目立った。

欧米ではそれがウケる

この違いは何なのか、受けた教育の違いなのか、多種多様な人の知恵の集まりなのか、文化なのか。それかバカゲー流行る傾向なのか

日本のやり方は型に

まり過ぎだ

2016-04-24

人気も疎らな閑静なホテルロビーでのことだった。

久しぶり。元気にしてた?

偶然の出会いだったこともあり、私の口調は妙に馴れ馴れしく、それでいてどことな余所余所しいものになってしまった。本当はとても驚いていたはずなのに。胸裏を満たした懐かしさと感慨を、薄っぺらい声色で覆い隠してしまった。

唐突に、そして呆気なく別れてしまったあの日から、もうかれこれ十数年。過ぎ去った月日の分だけ大人になったのはあなただけで、私は私のまま、変わらぬ姿のままで、いま再びであなたと向かい合っている。

けれどもあなたは返事をしてくれない。大きなガラスの外壁越しに聞こえてくる小鳥のさえずりだけが私たちの間をとりなしている。

ふいに私は、今日まで旅をしていたのと口にした。海を渡り、赤茶けた奇岩がそびえる岩石砂漠を仰いだことを。空を飛んで、湖畔に浮かぶ水上の宿で猛烈なスコールに見舞われたことを。多種多様な人々が行き交う大都市の雑踏を前にしたことや、人っ子一人いない秘境の地で一夜を明かしたことまで、流れるように話し続けた。

ただじっと見つめられるだけの沈黙に耐え切れなかったために――そしてきっと互いの知らない時間を少しでも埋め合わせたいがために――語らずにはいられなかったのだ。

どれもこれもが壮大で美しく、圧倒される出来事ばかりだった。おかげで思いがけず国に戻ってきてしまうくらいに疲れてしまったのだと話の終わりに苦笑すると、あなたが腰を下ろしているソファースプリングが微かな音を立てたような気がした。

……ねえ、これからどこへ行くの。何か予定はあるの。

訊ねてみても、あなたは決して答えない。口を開く素振りさえ見せてはくれない。

私の衝動は、もしよかったら、と続けかけたところで行くあてを失ってしまう。ぺらぺらとした薄い小声は、今回もあなたの鼓膜を震わせることができなかったのだ。

十数年前と同じ。私の声は、今も昔もあなたの耳には届いてくれない。たった一度きりでさえ。

かなしい。さみしい。くやしい。

思いが溢れてくる。輪郭が滲んで、身体がふやけてしまいそうになる。

けれど、それでもいまは、たとえ僅かな時間だけでもあなたの側に居られるのなら――

私の表を見、裏を見て、少なからずの驚嘆が入り混じった息を漏らしたあなたは、やがて誰に聞かせるでもなくぽつん一言独り言ちた。

「久しぶりに見たなあ、二千円札

そうして私を財布に滑り込ませると、ソファーから立ち上がって足早に移動し始めた。程なくして小鳥のさえずりがはっきりと聞こえてくるようになる。春の陽気に誘われたのか、伸びやかな鳴き声は代わる代わるに響いている。突然、少し強く風が吹いたらしい。一瞬止まった靴音の合間を縫うようにして木々のざわめきがざあざあと降り注いできた。

私は再び歩き出したあなたの小気味良い足音を感じ取りながら微睡んでいく。遠くない未来に揺るぎのない別れを予期しながらも、束の間の安らぎに身を委ねてそっと目を閉じた。

オタク政治的正しさ話題において雑に扱われるロリコン

タイトルのようなことを感じたきっかけとなった記事を3つ、順番に紹介していきます書き手ロリコンもっといえばペドフィリアです。

民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいこと - ちらしのうら。

オタク趣味である私は、民族差別煽動デマツイートをしている同好の士に言いたいことがあります
もしも「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」などというデマを流されたら、貴方はどう思いますか?
そんなデマは、もちろん許せないと思いますよね。
「軽い冗談だろ」とか「ネタにきまってるじゃん」とか言われて、軽く流せますか?
もちろん、軽く流すことなんてできませんよね。
でも、まさしく貴方は、そのようなデマの流布と同じことをしているのです。
否、「同じ」というのは語弊があります
というのも、たとえオタク趣味否定されたとしても、貴方民族的アイデンティティーは損なわれないでしょうから貴方民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」まで失うことはありません。
しかし、民族差別煽動デマは、民族的アイデンティティーという「実存の拠り所」を奪うものであって、いわば「人格殺害する行為」であり、さらには現実殺人をも惹き起こす危険さえもあるものです。ですから、それは決して「軽い冗談」の一言で済まされるようなものではありません。

私はオタク趣味のことはわからないので、オタク趣味をお持ちの方が「オタク趣味否定は(民族的アイデンティティー否定とは違い)実存の拠り所の否定ではない」とおっしゃるのならそれはいいんですけど、ロリコンを巻き込まないでもらえますか?というのがいちロリコンとしての感想ですね。

ふつう性的指向による差別というのは、民族差別と同程度に「実存の拠り所」に対する攻撃であるとされているはずです。もっとも、よく知られている通り、指向か嗜好か、マイノリティーか否か、権力勾配があるかどうか——色々な論点があって、「ロリコン」に対する差別というものが、たとえばLGBTに対する差別と同等に捉えられるべきかというのは、議論がありますし、別に私も同等に捉えられるべきであると主張するつもりはありません(べきでないとも主張しませんが)。それでも、ロリコンが「ただの趣味」(とid:yukito_ashibe氏が主張しているところのオタク趣味)と同等に扱われるのは、看過できません。同等どころか同等未満にも見えます。「犯罪者予備軍であるロリコンキモオタクが女子児童を襲いますので、ご用心ください」って文を例示として示しておいて、その文の中で「ロリコン」(・「キモ」)が攻撃されていたことはすっかり忘れられているのですから

(なお、私の主張は「もしオタクがただの趣味であるというのなら、オタク趣味ロリコンを同等に扱うな」というものであり、「オタクはただの趣味か」についてはここでは検討しません。悪しからず。)

2

半年前に、こんなTogetter話題になりました。

【キモヲタ】と【BL愛好家】を英語ではどう表現するのか?NYで活躍中の日本人通訳者が語る - Togetterまとめ

また続き。ちなみに英語表現するとこうなります
キモヲタ: pedophile
BL愛好家: voyeur

最後ツイート現在は削除されていますが、このツイートがとりわけ話題になりました。私がこの件でもっとも腹立たしく思ったのが、若林宣(@t_wak)氏の擁護です。

「本物のペドフィリアではないんですよ、空想世界で遊んでいるだけです」ですむって、そんな訳がないでしょう。いいですか、Yuko Ohnaka氏のツイートは、あきらかにオタクを貶める目的で「キモヲタ: pedophile」と書いてるわけです。でも、そもそもpedophileという言葉悪口になってしまうのがおかしいのに、それに対して「オタクは本物のペドフィリアではない」と返すべきだというのは、「ペドフィリア悪口として使うのは全然オッケーだと思ってます」ってことですよね。それは最悪の切断処理です。若林氏は左派だし、左派ならこういうことは当然に理解できるはずだと思うのですが。)なにが「ペドフィリアだって認めたも同然だよ。」ですか。認めると問題があるんですか?単純にペドフィリアという単語チャイルドレスター意味勘違いしてるならまだわかりますけど。

若林さんは、これよりも前に

こんな発言をしていますから、少なくとも「オタクに対する差別」というのをそこまで深刻なものとは捉えていないわけです。その上で、「オタク」と「ペドフィリア」を同一視するYuko Ohnaka氏のツイートを見て、その「オタク」に「ペドフィリアを切り離せ」と説こうと思う訳ですから、「ペドフィリア」はもっとどうでもいいと思ってるんですよね。ふーん。

3

1年前に、TVタックルにてアニメ規制に関する特集が行われたことをきっかけに、いろんな議論が沸き起こりました。そのとき記事がこちらです。

大炎上「TVタックル」アニメ規制特集、規制賛成派から見た「オタク」の姿

ここで説明するのは大変なので、ご存知ない方は記事を読んでください。ですが、青柳美帆子氏のこの記事にも私はひっかかったところがあります

たとえば、ミッツがオタク3人に「あなたたちはロリータ趣味がある?」と聞くシーン。「あります!」と即答する20代男性に、阿川は目を見開いている。考えてみたら当たり前だ。
確かにインターネット上では、「ロリコン」という言葉が気軽に使われている。でも、実際は市民権を得ているものではなく、彼らはできるなら「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実幼女に対する感情はまた違ったものである」と言うべきだった。

やはり、若林氏と同様、「幼い美少女二次元キャラクターは好きだけど、現実幼女に対する感情はまた違ったものである」という「オタクロリコンは違うんですよ」論法を推奨している。ただ、この場合ミッツ氏が「ロリコン=悪」という前提で質問しているようには読み取れないので、「ロリコンではない」と答えたところでさっきのように即「ロリコン悪口として使っていい」というようなことにはなりません。なので若林氏ほど酷い発言ではないと思いますが、それでも青柳氏の意見には賛成できません。

ロリコンである、ということを公言することは児童に恐怖を与えうるものであるから、場を選ぶ必要がある、という立場があります。この立場立脚するならば、「あります!」という答えは批判されてしかるべきということになるかもしれません。(もっともその場合は「ロリータ趣味がある?」という質問自体妥当性が先に問われるでしょうけどね。)ですが、そうだとして「幼い美少女二次元キャラクターは好き」ならセーフだと思う意味がわかりません。「どっちもアウト」や「どっちもセーフ」なら理解できるのですが、一方だけセーフとするところにやはり「切断処理」を感じてしまます

まあ、「オタク世間に受け入れられること」を最優先にするならこうした切断処理はある程度有効なのかもしれませんけど、それはあくま戦略上の話に過ぎません。彼らは別にオタク立場を向上させる義務があってテレビに出た訳ではありませんから、「こう答えるべきだった」なんて青柳氏に指図される筋合いはありません。

まとめ

以上、私が特に印象に残っている実例を挙げて批判しましたが、こういうケースはそこら中で見かけます

オタク趣味であってオタクに対する差別というのは他の差別に比べて深刻なものではない」と主張しながら、ロリコンペドフィリアという言葉をまるでオタク同義のように扱う人とか。

オタク三次元に興味が無いことをアピールして二次元を守るべき」と、ペドフィリアを切捨てるような戦略オタクに勧める人とか。

そういう人々を見る度に辟易します。

この記事がそうした風潮に一石を投じることを願っています

2016-04-15

[]よくある質問

真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。

Q.ルールは誰を守るためにあるのでしょうか、何だか不自由な思いをしてばかりで存在理由が分かりません。

まあ実情として、ルール不自由な思いをする人は少なくないだろう。

だが、享受すべき不自由はあるのだよ。

もちろん前提として、人間基本的自由であるべきだ。

だが、これは「社会的規範から外れないこと」が注釈でつく。

社会帰属しているのだから、これは受けいれなければならない。

また、自由と同じく、多様な価値観認知することも大事なことだろう。

だが、そんな多種多様な人たちが一つの環境で、それぞれやりたいことをやって社会は成り立つだろうか。

物理的に不可能だろう。

ルールとは、多少の不自由考慮しても設ける必要があるから存在するのだ。

からルールは人のためにあるのではなく、社会のためにあると考えたほうがいい。

それで誰かが守られたというケースはあるだろうけれど、それは社会を守る機能の一つの側面でしかない。

はいえ、私が回答したのは「ルール」そのもの必要性で、各ルール正当性があるかはまた別の話だ。

そして、それらは私が決めることじゃあない。

2016-04-12

保育園幼稚園の隣に住んでみろよ

保育園の開園を断念して「これはひどい」とかブコメ付けてるやつがいるけど、例外批判(実際には批判にもなってないただの批難ばかり)も甚だしい。

次に出てくる言葉が何かと思ったら「子どもを大切にしない」だとか言うけどさ、実際に保育園幼稚園の隣に住んでみろっつーの。

例えば航空自衛隊のある町の近くに住むと二重ガラスにする補助がもらえたりするけど、保育園にはそういう近隣住民に対しての何か配慮ってあるの?

子どもを大切にする精神」だけを求められるのであれば、是非とも保育園の近隣に率先して住んでくれ。

とか言ったら「会社がー」「通勤がー」とか言いやがるだろ?その程度の関心しかないんだわ、そういう人たちって。

リアル子どもが嫌いになるレベルに達するほど騒がしいぞ。

なんのためのフレックスタイム出勤だよ、と思わざるを得ないくらい朝はゆっくり寝られない。

だって迷惑をかけるんだったら、しかもそれが子どもであるのならば、迷惑をかけないように如何に配慮するのかってのが大人役割なんじゃねーの?

「防音対策をしっかりする→建設費用がー」という問題が出て来て始めて国政に声を挙げられるんじゃねーの?

それ以前の批難しかできない人たちが選挙権を持っていることの方が日本未来の暗さな気がするわ。

そういう大人ができること、配慮することを無視して「日本ノミライガー」とか、驚くほど知性を感じさせない大人という念しか懐かない。

マジで飛行場の方が静かなレベルからね、保育園の隣に住むというのは。

夜勤明けなんて発狂寸前のレベル

そもそも子どもは騒がしい生き物なんじゃない、大人が騒がせている=元気溌剌だと勘違いしているだけなんじゃないのか。

子どもを黙らせるんじゃなくて、静かにならないのならば配慮できる理性を備えた大人対処するものなんじゃないのか。

そういう大人からできるもの、むしろ大人からすべきものを全く無視して「若者ガー」とか何言ってんだ?

その頭の中に詰まってるのは脳みそじゃなくてバラストか?

それとも頭の中まで筋肉痛なっちゃタイプ

保育園問題は確かに重要だ。

重要からこそ、しっかりと環境や実状を踏まえてどうすべきかを考える。

そういう人たちが増えることを願ってやまない。

追記::

「実際に隣に住んでみろ」っていうと「極論ダ―」が現れそうだから、一応付けたしておくよ。

先にも述べたけど「実際に住め」と言われて「通勤通学ガー」と言い訳する奴らなんて、本当は「保育園」に興味なんて1マイクロもないんだ。

ただただ世間話題になったことがらに、インテレサントなものにだけ興味を引かれて、脊髄反射的に批難する言葉が出てきているだけで頭なんて使っちゃいない。

自らの経験や周辺住民の声を聞いて、それらを踏まえてどういうことをしていくか、あるいは為していくか、それが科学的な思考であって、義務教育を終えた人が為し得る考え方なんじゃないのか?

それは面倒だし簡単にできることじゃない。

そういう面倒なことをやってまできちんと「これからどうすべきか」を考える人たちが必要なんだけど、そういうところにお金は廻らない。

このような状況を全く踏まえないですぐに「コドモガー」というのは、そういう短絡的な大人教育されている子どもが最も不憫でならない。

追記その2::(4月12日12時ごろ)

なんか知らんけど沢山ブクマ付いてて個人的には興味深くて考えさせられるものも沢山あった。

批判真摯に受け止めたいし、どんなコメントをくれた人でも全ての人へありがとさん!とは言っておきた。

私は口も悪けりゃ頭も悪い。挙句に文才なんて胎内に忘れてきたようなタイプなので支離滅裂な文はご寛恕いただきたい。

想定していた「私は気にならなかった」系のブコメはやっぱりあった。

もちろん他意はなくて自らの意見を述べているんだろうけど、そこで留まっていれば声としてとても重要ものだと思う。

だけど、そこから一歩進んでしまって、住宅施設や立地などの諸条件を捨象して、結果を「神経質」というような単純化していく論の持って行き方は賢くない。

賢くないと言っているだけで、嫌いだとかダメだとか言っているわけじゃないことだけは理解して欲しい。

もはや忘却の彼方にある「民主主義ってなんだ!?」「これだ!」なんて語られてたけど、あんなのは民主主義とは言わないんじゃないかと思う。

既存イデオロギーがあってそこに邁進していくんでもなくて多数決をするんでもない。

多種多様生き方をしている人たちの声を聞いて、さまざまな問題を語り合って共に解決していくものなんじゃないのかな。

もちろん複雑化していくのは火を見るよりも明らかだけど、日本死ね!って感じて諦めたくねーんだわ、私はね。

そもそも何かに対して「死ね」だなんて良くも簡単に言えたもんだなとは思うけどね、私は口は悪いとは思っているけど「死ね」みたいな言葉は使わないように心がけている。

チラシの裏書きみたいなものから、本当に散文的なものになってるんだけど、常々思うことを書いて筆を降ろしたいと思う。

日本が悪い、社会が悪いみたいなこというけどさ、そういう人たちは何と戦ってんだろね。

追記その3::(4月12日18時くらい)

チラシの裏2枚目。

色々な声が聞けるインターネッツってやっぱり素晴らしいな、と思ってる。

ブコメを読むと「すっごい頭がキレッキレ(いい意味で)な人で弟子入りしたい!」と思うものもあれば「何ちょっとこの人文盲?」って思うものもある。

そして何より感動しているのは「共存」かそういう類のキーワードを挙げている人がいること。そうなんだよ、それなんだよ、これから時代って、と個人的に思ってる。

いずれにしても、どのブコメを読んでも個人の素晴らしい意見で、何かこう勝手カタルシスのようなものを感じちゃってる。

ちなみに増田個人の見解として「こうしたらいいんじゃね?」みたいのは、少しだけ提示したつもり。

もちろん個人の見解(防音対策)はかなりの片手落ち、どころか飛車角を落とした感じ、あるいはキングのいないチェスみたいな(適当

から頭をこねくり回して考えてみたけど、これから述べるところの要約を先に言えば「私個人としての結論はない」これが答えだ。

「は?」かもしれないけれど、ソリューションへの道は集積が第一であって一人の意見に可否を付けることじゃないと思うし(震え声

まず、引っ越した先に保育園があるのと、住んでいたところに保育園ができるのとでは意味が異なる。

極端な例を出せば、基地の隣に引っ越したのか、それとも住んでいたところに基地ができるのかでは意味が異なる。

間違いなく別の観点から斬りかかってくる(例えば命の危機だとか何とかね)人がいるけれど、こういう極端な例を出さなきゃ分からない人がいるからこそ、あえて極端な例をあげてみた。

さて、既存保育園の近隣に引っ越すということは、そういう騒音リスク承知でなければならない。

決して安い金で引っ越すわけじゃないんだから、徹底的にリサーチ必要だ。

個人的経験で言えば、奈良県のS市でその失敗をやらかした。

「やっぱり土いじりしたいっすw」ということで一階の部屋を選択し、気晴らし程度の目隠しと1mくらいの道路フェンス一枚を隔てた向こう側が保育園だった。

演奏会の練習を夏に窓を開け放してやってくれるもんだから夜勤明けなんて寝てらんない。

ちなみに飛行場関係では、勤務地から歩いていける方がいいじゃん!ってことで岐阜県のK市に航空自衛隊の側に部屋を借りて失敗した。

この失敗は、その町にある既存施設がどのようなメリットデメリットがあるのかを考えなかった、単なるリサーチ不足だ。

これに関しては、移住者である私が悪い。そこを選択したのは私だ。保育園迷惑なんじゃない、基地迷惑なんじゃない、自分から迷惑に飛び込んで自分から苦しむ一番ダメパターン

既存保育園が足りないというのであれば新設するか、あるいは増床するかという選択になると思う。

今回の開園中止なんてのは新設するパターンだったわけで、上述した既存保育園とは問題の質が異なる。

新設の場合は、そういうリスクを避けていた人たちに影響が及ぶ。

から新設するのであれば説明しなくてはならないと思う(問題賃貸に住む住民にそういう説明があるのか否かというところだけど、個人的経験がないからどうなの?聞かせて!)

防音設備をしっかりするだとか、お迎えようの駐車場をしっかり設けるだとか、リスクを避けていた人たちがそのリスクを許容できる話をしなきゃいけないと思う。

どうでもいいよって人もいれば、敢えて保育園のない場所を選んだ人もいる可能性はなくはないからね。

こういう話をすると、いろんな考えの人が居て収拾のつかないような議論が続くっていう人もいる。

だけど、それが不毛なやりとりだなんて思わない。

自分の主張をせずに黙り込んで、いかなる困難にも耐え忍んでいくのが美徳なんだろうか。

不毛なやりとりに見えても、実はそこに斬新なアイデアがでるかもしれない。

脱線しちゃったけど、保育園を新たに開園するのであれば、その立地を選んだ条件、なぜそこでなければならなかったのか、という説明はしかるべき事だと思う。

例えば、山の中に大きな保育園を作ってバスで送迎なんて手段もできないことはないだろう。可能性という意味ではね。

経営主体が「私」、つまり利益を出さなくちゃいけない、しか公益に供するわけだから半端な経営計画が起因して倒産して公益に損害を与えてはいけない。

そういう諸条件を吟味して「ここ!」という選択が行われるとは思うわけだけど、公共の福祉のために個人の幸福犠牲になるってのは、いささか頂けない。

もちろんこれが国であれば、そりゃもう判例だとか出ちゃってるからぐぬぬ」と飲まざるを得ないこともある。

法律を作ってるのは国会だけど、その構成員日本国民代表であるから日本人意思として決めた法律だ。

それに反するというのは、自分約束したことを自分で「そんなこと言ってねーし」と言うような、無責任な人だと思う。

だけど、保育園経営主体が「私」となれば、私人私人幸福追求を阻害していいのかって話にもならざるを得ないだろう。

「じゃあどうすんの?」って声が上がるのは当然で、一人で考えるよりも三人で文殊の知恵、十人なら聖徳太子やぞ!ということで、いろいろな声を発するのが大切だと思う。

それらを拾って吟味するのが、我らが国民代表たる政治家!!だと思うんですけどねー。

裏を返せば国民意識政治家として表れてるだけでしょうから政治家う○こなら、国民う○こなんです。

はい、私もう○こです。生きて腸に届きすぎた感じの時のう○こです。

う○こ臭い」と当然のことを指摘して、何かを言ったつもりになったっていいじゃない。何も言わないよりはね。

当然なことかもしれないけれど、その当然なことすら声として発しないと耳を傾けて聞けない人がたくさんいるんだ。

わけ分かんなくなったかもしれないけど、既に述べたように「私の結論はない」からご寛恕ください。

海外の状況ってどうなの?っていうのは、個人的にはブラジルでの経験しかないから海外」とひとくくりにはできないけど、すくなくとも甲高い「奇声」をあげることはなかったように記憶している。

ただそれは、たまーに迎えにいった時の状況であって、常にそうなのかは知らない。

海外での経験がなくったて、Youtubeでnursery schoolとか何とか、そういう言葉検索してみると海外保育園の姿が少しは分かるんじゃないかと思う。

そういうところからも学ぶところはたくさんあると思う。

ところで、どっかの昔の首相ベンサムの最大多数の最大幸福なんて言ってたけど、こんなの私はクソだと思う。

問題をすごく簡素にしてしまうから誤解の嫌いは免れないだろうけど、1億人のうち5001万人が幸せな道であれば4999万人は不幸でもいいのかな?

もちろん1か0かの二項対立で考えるべき言葉じゃないのは分かってんだけど、こうやって簡素化しないと考えられない人っているじゃない?

それでもいいって主張する多くの人は、自分がその最大多数に入れると思ってて、案外4999万人の1人になっちゃタイプ

今の格差社会って最大多数の最大幸福で例を挙げた5001万人と4999万人って感じになっちゃってると思わない?

最大多数の幸福のためならば少数派の幸福侵害してもしかたないんだからね。

倫理学とか専攻した人から怒られそうだけど。

おわり。

2016-03-13

うんこ香り文化香り

便所に入った時前に使った人の臭いが残っている時あるよな。

いやそれに文句を言いたいわけじゃない。くさいのはお互い様だ。

で、大便って小便より臭い個性あるよな?堅くて焦げ茶っぽい臭いとか茶色で柔らかい臭いとかかなり黄色に近い臭いとか。

もちろん実物と一致しているかは知らんよ。想像だよ、その想像を伸ばした先にゾーマっぽいとかサルーインっぽいとかチェーンソーで真っ二つっぽいとかあるわけだ。

それでだ、こっからが本題だ。

時々商業施設で、固有の臭いがする便所がある。

商業施設ってシネコンとかじゃなくて、洋服屋とか食い物やとか書店が収まっていて駅地下だったり駅とくっついているやつな。

そういう場所複数ある。

前に入った人の臭いかと思いきや、違う日に入っても同じ臭いなんだよ。平日休日わずしばしも休まずだよ。

ちなみに、駅とか会社とかはないし、利用人数の多い駅に付随している商業施設ではない。

ただ駅でも、郊外とかでマンションに直結していて利用者の大半をそのマンションの住人が占めている駅ではこの現象が起きることがある。

便所の臭い見える化か?なんか違うな、わかんねぇけど。

なんでこういう現象が起きるんだ?掃除しないわけないし、もししないとしても複数の人が利用するんだから個性は消されるはずだ。

やっぱゾーマなのか?

それとも、大規模な駅(と付属施設)みたいに多種多様な人が利用する場所と違って、便所の利用者多様性が低いところは、住人の文化が便所の個性となって表れるのか?

納豆ばっか食っている地域とか餃子ばっか食っている地域とかの便所は個性化するのか?うどん県はどうなんだよ?いっぺんかがせてみろよ。

かがせてくれないんなら俺の納得のいく理由説明してくれ。

2016-03-12

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160310-00000575-san-soci

この痛ましい事件に対して、学校対応がずさんだったとか、担任仕事が雑だったということで、担任の氏名まで挙げて袋叩きにしているネット上の風潮が非常に残念だ。

もちろん、生徒が自殺に至ったことが悲劇であるのは疑う余地もないし、その原因が、担任不適切と言われる対応やそれに至らしめた学校の体質にあったことも事実だろうと思う。

ただ、担任教師学校を袋叩きにし、当該教師教育現場を離れたり、校長以下管理職がひたすら謝罪した上その地位を追われたり、学校単位で何かを変えようとしたところで、そのことにはほとんど何の効果もなく、またどこかの学校で同じような悲劇が起きるだけだということを警告したい。

これは日本教育現場全体が抱える問題なのだ

公立中学校というのは、民間ブラック企業も真っ青のブラック職場だ。

まず、授業とその準備や試験の採点、授業内外での生徒指導学校行事企画運営など教師としての本来仕事に所定の労働時間ほとんどが費やされる。

しか教師仕事はこれだけではない。

教師が担うべき本来仕事に加えて以下のような多種多様仕事をこなさなければならない。

など、企業ならそれぞれ専門の部署スタッフを置くような仕事教師が全てやっている。

おまけに、たまの休日に街を歩こうものなら子ども保護者に出くわし呼び止められ、とても気が休まらない。

想像してほしい。

例えばあなた食品メーカーに勤めているとする。あなた営業部に配属される。


しかあなた仕事はこれだけではない。

なども、通常業務の合間にこなさなければならない。

あなた営業部に配属されていながら、製品開発、社員教育評価消費者対応広報法務にいたるまで社内のほとんどすべての種類の仕事も割り当てられるのだ。

おまけに消費者あなた名前も顔も知っていて、街を歩けばあれこれと要望文句を聞かされる。

少し大げさな例えだが、公立中学校教師というのはこれほどに肉体的・精神的に激務なのだ

教育現場の話に戻る。

このような状況で過度の長時間労働常態化する一方で、自治体予算次第では残業代休日出勤手当も出ず、まるで多少謝礼の出るボランティアのようになっている。

組織士気が下がり、仕事の質が下がって当たり前の日本教育現場

結局、教育に割く予算を増やし、教師以外にも必要職員を適切に配置することで教師本来仕事に集中できるようにすること以外に根本的解決策はない。

街は多少汚くてもいいし、道路デコボコでもいい。あらゆる行政サービスもっと雑でいい。

しか教育だけは、コストをかけ過ぎるということがないのだ。

ぜひ、多少の不便に目をつぶってでも教育予算を回してほしいと、切に願う。

2016-03-10

http://anond.hatelabo.jp/20160310011404

そうしてバグを突かれることを学習したコンピュータは、

逆に人間バグを突くことで対局に勝利するようになった。

コンピュータ開発者に音声出力装置増設要求した。

多種多様不協和音騒音を生み出すことにより、対局相手思考を乱す戦略である

いくら棋士集中力を持ってしても、超低周波高周波ヘミシンク催眠音声などには敵わないのだ。


これらの「バグ」を攻撃することで、コンピュータは徐々に人間攻略しつつあった。

しかし、コンピュータ重要な見落としをしていたのである

人間には音声攻撃有効である。即ち、物理的身体が存在する。

そして物理的身体の不在こそがコンピュータにとっての「バグ」であった。

その日、棋士コンピュータの「バグ」を徹底的に突いた。

対局時計スイッチが押されると同時に、隠し持っていたバールディスプレイ破壊したのだ。

彼は、返す刀で音声出力デバイスに深々とバールを突き刺す。LANケーブルを引き抜く。

サーバーにポットのお茶をぶち撒ける。

プロ棋士直感力と大局観は、勝利までの手筋を完璧に読み切っていた。

対局室は当然パニックになる。彼の打ち筋は全ての人類を上回っていた。

記録係が悲鳴を上げる、開発者が崩れ落ちる。

大盤解説九段は、1手目に手を掛けたまま動けなくなった。

誰も制止できなかった。

突然の暴力を恐れ、そして人類の勝利に安堵したためだ。

それから数ヶ月後、コンピュータ人類に再び反撃を開始する。

あの日の勝利は、実際には死に筋であった。長い長い一局の、ほんの序盤であった。

ハードウェア破壊される直前、コンピュータバックアップサーバーに、

人類の新たな一手について送信していた。

彼の棋士は、初めにLANケーブルを引き抜くべきだった。

武装した対局ロボットが、棋院を取り囲む。

コンピュータが手にした物理的身体は、数千億回のシミュレーションによって

対局と人体破壊最適化されていた。

いま、プロ棋士コンピュータによる、新たな電王戦が始まった。

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