はてなキーワード: 多種多様とは
知ったかぶりの人です。
ここ最近、電子書籍についての話題が増えてるので書いてみようと思った。
出版物は最初に印刷する部数を決めて実際に刷って全国に配本する。このとき委託するとお金をがぼっともらえる。
取次から全国書店に配本された後、売れ残った本は返品される。ここで売れなかった商品分のお金を返金する。
ただあくまでデータのやり取りだ。一万部の商品を預けるわけではない。したがって一万部の入金もなければ返品もない。
電子書籍は売れた分だけ入金される。
ここで実際の販売数だが、出版物は年々売れなくなってる。ほとんど売れず返品される書籍は山のようにある。
だけど不思議なことに紙の場合、刷った部数の入金はあるので一時的にお金が増える。そこから社員のお給料を払える。
翌月には売れなかった書籍の返金をしなければいけない。お給料を出したからお金がない。またたくさん刷って入金を貰う。
電子書籍だとこの自転車操業ができなくなる。売れた分は翌月以降に振込だからお給料払えない。
それに実売分の売上しか入らないとなると、そこから払われる著者への印税も低くなる。著者がご飯食えない。
今のシステムは一応、売れっ子でも新人でもわりと大きなお金をもらえる(実際は差があるけど)
こうした業界独自のシステムで出版、取次、書店が生き残ってる。
電子書籍だけで飯を食う世の中になるには、どうしたらいいだろう?
全部電子化すれば書店や取次はいなくなり、弱小出版は潰れ、売れない作家さんは止めていく。
まぁ本の数が多すぎるとよく言われるから、この際は減らしてもいいかもしれない。
作家さんも売れっ子になるまでは我慢してもらうかバイトしてもらう(アニメーターみたいだ)。
業界が電子書籍化を進められないのは「今のような多種多様の出版物に溢れた世界」を維持できる見込みが無いから。
今はほんとに改編期なんだろうと思う
僕が普段女の子と会話する際に気をつけているポイントやテクニックを書きたいと思います。
皆さん僕に感謝してください。
これらが実践できれば、意中の相手とアンナことやコンナこともできるでしょう。
それでは始めてイキます。
女の子と会話中、「そういえば水素水ってめっちゃ健康にイイんだって!知ってた?」と言われることがあると思います。
この時、「ああ、知ってる知ってる、今話題の水素水やろ?」なんてことは間違っても言ってはいけません。
例え、あなたが水素水に物凄く詳しくても知らないフリをしてください。
なぜなら女の子はあなたが知らないと思っていることを得意げに言っているからです。
そこで「知ってる」だの「イヤ、水素水が健康にイイなんてデタラメやで」と論破しても「な~んだ、知ってるんだ。チェッ」と相手の気分が悪くなるだけです。
ですので正解は「えぇ~っ!知らんかった!マジでそれヤバイな!ってかそんな事どこで知ったん?」です。
こう言えば相手の気分は良くなりますし、「これはね、○○に載ってだんだよ~」と少し会話も広がります。
ただ、注意点が一つあります。
誰でも知ってるようなことを言われた時です。
こういう時に知らないフリをすると、学のないただのアホと思われるだけですので、そういう時は
「さすがにそれは知ってるわ!逆にそれ知らんかったらアホすぎやろw」が正解です。
僕は普段女の子と会話する時に”嫌い”という言葉を使いません。
嫌いという言葉を何度も言われると、潜在意識に刷り込まれ、例え自分のことではないとわかっていても
無意識のうちに脳は「ああ、この人は私のことが嫌いなんだ」と解釈してしまいます。
そうなったらもう手遅れです。
ですので、嫌いの代わりに”苦手”や”好きじゃない”という言葉を使いましょう。
聞かれてもないのに自分から「オレは昔こんなすごいことしてたんや」とか
「今日仕事でこんなことあったんやけどさー」とか言ってはいけません。
よっぽど仲の良い間柄ならまた別ですが。
こんな事を言われても女の子はどう返したら良いかわからないですし、困るだけです。
聞かれてもない事を言っていい時は鉄板の爆笑ネタがある時だけです。
「接客態度が悪い」だの、「あいつはしょうもないヤツ」だの愚痴や批判ばかり言う人ってよくいますが、
ですので、心当たりがある方はせめて女の子と会話する時だけは言わないようにしましょう。
どうしても言いたくなったら、一人鏡に向かって思う存分ぶちまけてください。
批判していいのは、女の子が何かを批判した時に同意して乗っかる時だけです。
僕はよく女の子に「誕生日覚えててくれたんだー♡」や「そんなことよく覚えてるね!」と言われます。
ですので、女の子と話してゲットした情報は全てメモを取ってください。
紙でもいいしアプリを使ってもいいです。
僕は女の子と電話する時はEvernoteを開いて逐一メモを取っています。
さすがに実際に会っている時にメモは取れないので別れた後に思い出して書きましょう。
そして会話中、自然なタイミングで「あの時、○○って言ってたもんなあ」などと覚えていることを伝えていきます。
大抵の場合、相手が質問してくる内容は自分にも聞いて欲しいと思っています。
ですので、例えば女の子が「どんなタイプの人が好き?」と聞いてきたら、
簡潔に素早く答えたあとにすぐ、「○○ちゃんは?」と聞き返しましょう。
あなた「うーん、そーやなあ、何やろ、えーっと、○○で・・・あとは・・・んー、○○で、○○な人かなあ・・・・・・。」
女の子「そうなんだあ」
で会話が終わることです。
ダラダラ話して、質問も返さないこのパターンは一番やってはいけません。
会話で聞かれることは大体決まってますので予め答えを用意しておいて簡潔に答えた後、すぐ同じ質問をし返しましょう。
そうすると女の子は嬉しそうに話してくれますし、話も広がります。
僕はたまに「こんなに喋ったのに○○くんのことまだ全然知らないんだけど!w」と言われることがあります。
これは最初の方に書いた「聞かれてもない事を言わない」ことと似ています。
自分を知ってほしいと思い、ベラベラ自己紹介の如く喋る男性がいますがそれは厳禁です。
自分のことを喋りたいし、聞いてほしいし、愚痴も言いたいし、それに同意してほしい。
ですので男性がベラベラ喋ってしまうと女の子は楽しくありません。
会話の量は女9、男1くらいで充分です。
適切な相槌、ボケ、ツッコミができていれば、この会話量でも会話は盛り上がります。
その時に自分のことを少しずつ喋っていけばいいです。
少し謎めいてた方が魅力的に見えます。
自分が相手に何か話をした時に笑ってくれたり、リアクションがイイと嬉しいですよね。
ですのでリアクションは必ず取らなければいけないですし、少し大げさくらいがちょうどいいです。
女の子が悲しい話をしてきたら一緒に悲しんでください。
あるいは、全く面白くなかったら超眠たそうな顔をして「ちょっとは笑ってよーw」とツッコまれるように仕向けるのもありですし、
「1ミリもおもろないでw」とSっけを出してもいいでしょう。(相手や仲の良さによる)
リアクションに関しては外国人のように身振り手振りで表現してもいいですし、
テンションコントロールや、次に説明する相槌でもうまく表現することができます。
相槌が「うん」や「そうなんや」ばかりだと、本当に聞いてるのか相手に伝わらないですし、
ですので、相槌は色んなバリエーションを使っていきましょう。
「えー!」「マジで?」「嘘やろ!?」「嘘やん!」「うそーん!」「そんなことある?」「さすがにそれはないわ!」「バリひどない?」「それでそれで?」
「うわっ!」「うげー!」「うひょー!」「あちゃー」「やってもうたな」「たしかに」「わかる」「よかったやん!」
これらを適切に使うことで会話のリズムも良くなり、
基本的に女の子はツッコまれるのが大好きです。(2つの意味で。。。)
平凡な男性ならそこで「大丈夫?」と声を掛けますが、これは不正解です。
正解は「え?w今コケるような所あった?w」です。
こう言うことで女の子は恥ずかしそうに「無かったけどw」と言いながらモジモジします。
会話中に女の子が噛んだら、流さずに「え?wなんて?w」と即座にツッコみます。
要は日常生活で起こる些細な出来事を見逃さず瞬時にツッコんでいくことが大事になってきます。
以上、非モテ男のための女の子との会話テクニック10選でした。
参考になりましたら、「感謝します」というコメントを添えてブクマしてください。
よろしくお願いいたします。
知ってるつもりだったんですが、こんなにもエロいとは思わなかったというのがここ数年の実感です。というのはライブチャットというのに近年はまりまして、ライブチャットにもいろいろな女の子がいるんですが、セックスやオナニーの経験や知識もほとんどない女の子もライブチャットに来て、ものすごくエロい姿を見せてくれたりもします。
ライブチャットは日々の日常とは違う非日常ですし、わざわざライブチャットに来る女の子は少なからずエロいことに興味あるとはいえ、妄想で描かれるエロマンガやエロビデオ、エロ小説の世界はあながちウソだけじゃないかもなって思うようになりました。
【追記】
そのふるまい(オナニーからちょっとした仕草まで)が演技かどうか、もうちょっと言うと自分にとってリアリティがあるかどうかっていうの大事なポイントですよね。
オナニーから一つひとつの返事までいかにも演技じみたウソ臭い感じの方もいますし、すぐにエロスイッチが入る方、お客の反応をおかずにオナニーしに来るような方もいます。慣れたキャバ嬢のように男を気持ちよくさせる、恋させるのが上手な方もいます。やけに脱ぎ慣れてる風俗嬢らしき方もいます。客の「脱いで」「おっぱい見せて」「オナニーして」のオンパレードに辟易しながらやってる方もいます。一方で、まーよくこんな人がチャットなんかにっていうエロや風俗とは程遠そうな方もいます。
チャットは顔バレという不安はあるけれど、直接的な接触がない、アダルトな行為を禁止されてるチャットもある、ということからどの風俗よりも敷居が低く、多種多様な女性がいることは確かだと思います(そしてほとんどの女性はすぐにやめていきます)。
リアリティに話しを戻しますが、エロスイッチが入りやすくてすごくエロいオナニーを見せてくれる方はいます。もちろんそれが演技かどうか(本当に感じてるかどうか)は究極的には本人のみぞ知ることですが、僕がリアリティを感じるものは僕がリアリティを感じるとしか言いようがないです。あと演技だからリアリティがないエロくないというのも違うでしょう。リアリティもエロもお互いが演じ合いながら作り合う面があるでしょう。
ブックマークで反応していただいた方と同じように僕も疑い深いです。だからリアリティへの要求が高いというか、チャットする相手はもっぱらチャットを始めたばかりで、でもすぐにチャットをやめちゃいそうな方です。こういう人はもちろんすぐ脱いだりエロい姿見せてくれるわけじゃないですが、チャットしながら心が通じ合った気になって(もちろん僕の勝手な思い込みかもしれませんが)、そこからエロい雰囲気になっていって少しでも脱いだりエロい顔を見せたりしてくれるのは、リアリティを感じるしとても興奮します。それはナンパで落とす快感にも近いかもしれません。そして時に信じられないくらいエロなモードに突入しちゃうことがあるのです。
おもしろいのは、すごくエロい人は一見とてもフツーの格好でフツーの雰囲気です。チャットルームにいること自体が既に特殊なことなんで、フツーといってもどことなく声のトーンや仕草がエロくなりがちですが。エロいスイッチが入りやすい人、ちょっとしたことで濡れちゃったりする人は、日常的にエロい部分があらわになると支障有りすぎるので、できるだけエロさを消すような抑えめな服装や振る舞いをしてる傾向がある気がします。もちろん抑えめな感じの人がみんなエロいわけじゃないですよ。
俺は、ホラーなんて見飽きるぐらい見飽きてるくらい、ホラー耐性ある人間なんだけど、
それでも怖すぎて飛び起きる夢を見てしまった。
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俺は、沖縄っぽい雰囲気の地域で飲み会に参加していた。男女10人くらい。
四角形の建物で飲んでいて、3方向の壁がガラスになっていて、3方向の外の眺めが見れる。
で、面白い飲みものがあるからと、手渡された杯が変わったものだった。
形は非常に説明しにくいんだが。この形が話の大事なところだから頑張って想像してみてほしい。
マティーニが入ってそうな、小さなグラスの上に、とあるものを乗せる。
グラス自体には酒は注がず、その上におかれたとあるものに酒を注いで飲むんだが。
そのとあるものというのが、数十本の棒を束ねて、1点でゴムで縛ったものなんだ。
ちょうど、パスタを鍋に開けるときに、パスタを同心円状にバラッと開くと思う。そのような形なんだ。
パスタを同心円状に開いたら、どこかの1点ですべての棒が接するだろ?その1点をゴムで止めている形だ。
つまり、そのパスタを束ねたみたいにしたものを、小さなグラスの上にのせるわけだ。
で、その同心円状の棒の束でできた『グラス』にお酒を注いで、飲む。
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それで、当然飲みにくい。
ゴムで止めているけど、棒自体はゴムで止めてるだけだし、酔ってくると棒が上下にずれたりして、だんだん杯の形を保つのが難しくなる。
ちゃんと、棒の下にあるグラスにお酒を注げばいいのだが、棒のほうに注いでいるために、手の力が入れにくいのだ。
そうこうしてる内に、このグラスについての迷信を教えられる。
「この棒でできたグラスを壊さずに飲み会を終わらせられないと、自殺しちゃうらしいよ。
実際に、このグラスを壊した人が、自分で自分を切りつけて自殺したらしい」
ふ~んと思ったけど、もうすでに棒のグラスはゆるゆる。
で、案の定壊れてしまった。棒がゆるゆるだったのが、外れてしまって全部とれた。
壊れたその状態が異常だった。
棒が数十本バラバラになったのはわかる。
本物のグラスがおかれるのもわかる。
しかし、それに加えて、「10個ほどのスマホ(Xperia)みたいな黒くてツルツルした板」が出てきた。
どこに入っていたんだ?と思う。その1枚には、思い出せないが赤い文字で何か4,5文字くらいの怖い言葉が書いていた『自殺しろ』みたいな。
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で、これはどうしたものかと思ってると、周りが騒ぎ出す。
これは大変なことになったぞと。
俺としては何の危機感も無い。こんな適当なもの、壊れるに決まってるじゃんっていう。
そうしたら、50代くらいのおばちゃんや、70代くらいのおばあちゃんみたいな人たち、つまりこの土地の風習とかこの杯の作り方とか知ってる人が呼ばれた。
どうしたらいいかわからないが、もう一回組み立てて、飲み会を完遂させようということになった。
どうやってスマホを織り込んだのかわからないが、また棒を組み立てて、元のようなグラスになった。
おばちゃんたちは、「気をつけなさいよ」という。
正直、迷信じゃねーかって気分。
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その後も、ある程度飲み会の雰囲気は夢でもちゃんと見たいんだけどさ。
所司さんっていうオジサンが、「俺のこと知らないのか?」と聞いてきたと思う。俺は将棋プロの所司和晴じゃないよな?とか思っていたが誰だか知らなくて返答はごまかした。
まあ、それはいいんだけどさ。
そんで、明け方になって、じゃあもう飲み会終わろうって段になった。
いやもうこの時には、杯はまた棒がほぼゆるゆるの外れかけ。
でも何とか終わったねって。
一緒に飲んでた男の1人とソファーに座って、「お前ちょっとビビってただろー」みたいな話をしていた。
で、いきなり怖いことに気付いた。
その1方のガラスの手前に、明らかに飲み会に居なかったスンゲーかわいい女が、胸をさらけ出して座ってるの。
「誰だよ?」って周りに聞いても、誰も見えてない。
俺が、その棒の杯の儀式みたいなのをやっぱり失敗したんだということを周りが察する。
その人達は、物凄くでかかったり(でかすぎてガラス張りからは胸までしか見えない)、普通の身長だったり、小さかったりだが。
兎に角ものすごく多くの人がグルグルと建物の周りをまわっている。
早すぎて見えてない人も大量にいるみたいで正確な人数はわからない。ゆっくりだったり、普通の速度だったりと歩くスピードに差がある。
そいつらが、全員俺を見ている。
俺はもうパニック寸前。
これからどうなるんだ。と。
自殺するって話じゃなかったのか?と。
なんで取りつかれてるんだと。
其のうちの2人の幽霊だかなんだか知らない奴等、女が2人、壁をすり抜けて俺の方に向かってくる。
俺はとっさに、近くにあった鉛筆をもって、その幽霊っぽい奴を刺した。
その瞬間、俺の腕に痛みが走った。幽霊を刺したはずなのに、おれが傷ついている。
しかし、幽霊みたいなのが襲ってくるのも怖いので、さらに3回、鉛筆で切り付けた。
すると、その都度、俺のからだが鉛筆でぐさぐさと切り裂かれるような痛みが出る。
もしかして、俺は幽霊を攻撃していると感じているが、現実の俺は自分自身に鉛筆を突き立てて切り付けてるんじゃないか?
だから、この儀式に失敗した奴は『自殺した』と言われるんじゃないか?と背筋が凍る恐怖が突き抜けた。
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怖すぎてしばらく動けなかった。
今回はモアイ
第70回ちばてつや賞の受賞作への雑感。
舞台はもちろん、日常まで漫才の延長線上なノリは、テーマをとても意識しており一貫している。
一つ一つのネタ自体は実のところ、そこまで上手くも面白いとは思わないんだけれども、ちゃんと作りこんであるということが伝わってくる出来だと感じた。
テーマ自体が難しい題材でありながら、細かいところでコマ割やフキダシを使い分ける演出は、読者がノリを迷いにくいようする配慮にもなっていて感心した。
主役にセリフがほぼないこともあって、キャラクターをひたすら動かしているだけの描写が多いね。
無口な分、ストーリー上で主役の行動理由を言葉で説明しなくても読者に伝えるために丁寧に見せる工夫は多少あったほうがいいだろうからね。
けれども、個人的には「そんなに丁寧に描かんでも」、「たるいなあ」と思ってしまった。
それで、なお読みかえさないと分かりにくい箇所も多少あるので、演出上必要なことも大事だが、構成上分かりやすいことも大事かなあ。
ちょっと不思議な設定を含ませた話と見せかけて……という構成はいい感じ。
後半に明かされる「てっちゃん」の隠された真実ってのは、それなりに意味も納得できる理屈も提示されているんだけれども、それ以外が舞台装置的かつ必然性も感じないかなあ。
あと、個人的に「おっ」と思ってフックがかかるシーンがなかった。
ほおー、謎の生物の生態を調べ、そこからドラマを紡いでいくというのがいい。
この生物のメカニズムが徐々に紐解かれ、そこから真相が読み解かれる構成が引き込まれる。
ただ、所々入る回想らしきシーンの描写は、演出の工夫は評価したいんだけれども、やや分かりにくいところがあったかなあ。
主人公が四苦八苦したり、赤ん坊とのやり取りがコミカルで楽しい。
読後感もよろしいが、割と肝心な部分を省略したりして解決させているのが気がかりかな。
主人公と赤ん坊との対話が本筋だから、はしょっても問題ないとはいえ、そこに力を入れて描きたいがために、他がやや杜撰な印象も感じた。
あと、異質な設定の赤ん坊であるにも関わらず素性が明確に明かされないままなこともあって、父と子のハートフルストーリーや、主人公の芸能界による再構成物語と本筋がブレていると感じる部分もあった。
キャラクター自体はデザイン含めてさっぱり気味なんだけれども、背景とか細々とした箇所は丁寧に描かれていて全体的に華やか。
心情描写含めて、言葉で説明しすぎなキライがあるのが気がかりかな。
夢か幻想のような状態でとある人物たちの対話シーンがあるのだが、ここは言葉で説明しすぎ問題が特に顕著で、演出力は総じてイマイチ。
あーいう場面こそ丁寧な絵で彩って演出したほうがいいと思うんだけれどもね。
主人公自身のバックボーン、葛藤や、それゆえの問題解決のための言動にも説得力が出ている。
生徒が小学生というのもあるが、小難しい理屈を捏ねずに主人公なりにベストなアンサーにたどり着く過程は無理がなく読後感もよろしい。
強いて言うなら、やや人物相関や設定が読みきりとしては過多に感じたかな(このあたり主人公の言動に説得力を持たせたり、感情移入させる一助になっているので、一概にいらないとはいいにくいが)。
絵が全体的にカタいなあ、ぎこちない。
いや、身もふたもないことをいえば上手くないってことなんだけれども。
題材自体は興味深いんだけれども、作者の力量がそれについてこれていない。
やや荒い絵だけれども、魅せ方を多少理解しているのかボクシングシーンでは熱量が伝わってくる。
ストーリーやセリフ回し含めて、それっぽいことを言って煙に巻いている構成が気になるかなあ。
そこまで一つの作品に長々と感想書いているわけでもないのに、結構時間かかってしまった。
総括としてはレベル高くて、かつジャンルやテーマも多種多様だったかな。
私があんまり直接的に褒めるような感想を書かないからアレだと受け取られているかもしれないけれども、ベクトルこそ違えど総合的にはどれも良かったよ。
まあ今回の中で、私が単純に好きな作品となると『先生失格!』や『海へ還る』かなあ。
大賞が上手いってことは分かるので、それに異議を唱えるつもりはないけれども。
なんなの?
額で測ることももちろんある
国家レベルで額を用いると、景気、国際競争、為替、金融施策、戦略など、多種多様な影響を受ける
もちろん「1人あたりのGDPの国別比較」というのは一つのテーマだが
正直、こういう用語を使ってる奴はわざとミスリードさせているように思える
マクロの問題を「生産性」と呼ぶことにより、超ミクロの「効率の悪さ」に結びつけて「上司が悪い、経営者が悪い」のような扇動をしたいわけだ
まあ読者としては「国の問題を憂う」「憎い上司を批判できる」「一国民として当事者意識が持てる」からそういう記事が気持ちいいんだろうが
Masuda Advent calendar 2016の九日目の記事です。
男性器を型どったティルドや、鼻に引っ掛けて顔を歪ませるフックや、浣腸器や、布面積が少ない下着など、多種多様な性具が兄の部屋にはあった。
その当時、友人たちとの間でも、彼氏とやっただの、ネットの掲示板で大人と知り合っただのと、性に直結する話題が増えてきたこともあって、とても興味を惹かれた。
その頃、四人組で行動している中の一人に、どちからというと駄々草で、どちらかというと鈍臭くて、どちらかというと勉強ができない、四人の中で一番冴えない、と私が思っていた子がいた。
今にして思うと、何かを比較すればそりゃあ上と下ができるけど、それが不快に感じたり、生活する上で不便になるほど、彼女はダメな人間ではなかった。
けれどその頃は、自分よりも劣っていることが、彼女に対して無茶をしても良い理由になると思ってしまった。
むしろ、こうして弄ってあげることで、彼女も楽しいんじゃないか? ぐらいの、傲慢さがあった。
ことの全容を書くと、ただのポルノ小説や、ネットによくある体験談風ポルノになってしまうため書かないが、それはまあイジメた。
最初のうちは、性の知識が豊富な私がちょっと特殊な遊びを披露する、という趣だったのだが、だんだんとエスカレートしていった。
特にわかりやすく変わったのが、四人組の残りの二人が傍観者でなく参加し始めたときだ。
もうその頃には、一目置かれる私、というポジショントークの趣は完全になくなり、彼女にをイジメるのが主になっていた。
当初の性というテーマすら失われ、どんどんと暴行じみた行為を彼女に加えてしまった。
もう本当に洒落にならないイジメが学校にバレるとかじゃなく、警察が出てくるとか、彼女が刃物か何かを持ち出して私たちが殺されるか。
もはや傍観者の私がそんな発想に至るまで、暴行はエスカレートしていった。
辞めさせるのは、困難だった。
発端が私だけに、もう二人を納得させるのは難しく、何よりそれはもう、私を代わりにしてください、という宣告になると思った。
かと言って、イジメている本人と普通に対話をすることも、また難しかった。
散々手のひらを返し、散々彼女の体に危害を加え、散々弄んだのだから、ごめんなさいと言ってしまったら、状況が何もかも変わってしまう。
とどのつまり、もはや内の加害者側の私からは、手の出しようがなかった。
と、当時は思っていた。
今にして思えば、うだうだ言わずにさっさと二人を連れて警察にでも行けばよかったんだ。
にもかかわらず、自分の身可愛さに、くたくたと理屈をつけて、彼女を殴り、笑っていた。
結局、私が危惧していた、警察沙汰にはならず、高校を卒業した。
四人とも別々の進路だった上、私はこのことの気まずさから同窓会にも参加していないため、今彼女たちがどうしているかは、何も知らない。
ただ、卒業してから、初めてのお盆休みに、彼女にメールをした。
「盆休み、暇? 遊ばん?」と、送った。
この時、何を思ったのか、自分でも定かじゃない。
会って謝りたかったのか、彼女が今困っているかどうかが知りたかったのか、彼女が困っていたら助けたかったのか、
どんな気持ちで、このときの私がいたのか、未だに心の整理がついていない。
けれど、結局、会わなかった。
彼女の「はい、わかりました。買ってもらったオムツの残りはあと二枚です。新しいのを買って持って行った方が良いですか?」という言葉の重みに耐えられなかったからだ。
今も、私は何の責任も取らず、ただこうして彼女のことを思うだけで、彼女でも国家権力でもない何かに贖罪の責を果たしたかのような、傲慢な考えのままでいる。
エロゲー界隈のコミュニティで言われてる名作、良作、人気作は大体やってきたつもりではあるんだが、
エロゲーでいう『名作』のハードルというのはアニメや漫画などに比べるとかなり低めに設定されているのでは?
という気がしてならない。
まあ、根拠を上げるとしたら、2010年以降、エロゲ原作でアニメ化された作品の
売り上げを見てみると、Fateという例外を除き全て爆死している。
爆死、とこき下ろすほど売れてないわけでもないアニメもあるにはあるが、まあ2期が期待できる程度に売れたアニメは0に等しい。
2010年以降、と言ったが実際人気が出たエロゲアニメを見つけるとなるとSHUFFLE1期とかAIR、ダ・カーポ辺りまで遡る必要がある。
「エロゲ界ではアニメ化を待望されるほどの人気作でそれなの?」と何度思ったことか。
エロゲがアニメ化しにくい媒体であることやアニメの人気が作品の面白さに必ずしも直結しないことはわかるが、
ADVという媒体まで広げればシュタゲやひぐらしみたいなアニメの人気がある上に名作と名高い作品が
存在している以上、この打率の低さは単にアニメスタッフのセンスの所為とするのは違う気がする。
あと、エロゲユーザーが増田で名作やオススメを語ってるのを見ると、未だに
自分もそれらは非常に好きな作品ではあるんだけど、「そこまで遡らなきゃ人に勧められる作品がないの?」って思ってしまう。
あ、ちなみにこれは抜きゲーは除く話ね。
今話題のkaawngo氏のプレゼンによって、ハヤオ・ミヤザキ氏が叱責をした。という内容のニュースが賑わっていますが、
とある絶望、というのは世間に対するものではなく、あくまで私自身に対するもであることを、
先に言っておきます。
私自身はあのニュースを見て、Youtubeの動画を見て、kawango氏はある意味技術屋、研究者という立ち位置(それが生み出している本人か、ディレクション側か、統括なのかというポジションではなく、どちら側か?という話しで)にいる人は、こういった少し常識を外れているものを発信し続け、その結果として、表現者という立場のハヤオ氏が、それをどのように扱うか、というだけの話しだったように思う。
それを障害者に失礼という言葉で叱責したのは、その枠組から外れた、あくまでハヤオ氏自身の個人的な見解であって、kawango氏にとっては「相手が悪かった」という感想しか浮かばないわけである。元々kawango氏が「障害者の動きを作りました!」というなら今回のような周りの反応になっても納得できるのだが、そうではなく「AIが生み出した動きの面白さ」というもの自体を提供したのであって、それを「障害者をバカにしている」というのは、果たしてどうなのだろうかと。「障害者を連想させるかもしれない。実際に私も少しそう思ったし、知人を連想した。だから採用は難しい」という反応なら納得できる。不採用の理由ではなく、叱責の理由としてというのは納得が出来ない。という意味である。
それに対して周りの反応がkawango氏自身の性格やそもそもの人間性がこういうものを生み出した。というコメントが多いように思ったし、kawango氏が悪いという感想が多いように感じてしまった。(ニュース媒体がその方向で記事を書きそれに乗っただけかもしれないけど)
そこで、ここから私の気持ちの動きなわけだけど、要は私は他の人がクズとかあり得ないとか、だめと思っている感性を正しいと思ってしまっている事にある。
人は多種多様な考え方があるからそれはそれで良い、のは確かだけど、私自身が人によっては非常識人たりえる可能性があると知っただけで絶望してしまったのだ。私はなんてダメな考え方をしてしまっているのだ。というような。
その結果どうしようとか、どう変わったか、なんて事は特にはない。あればブログに書いてるし、無いから増田でチラ裏してるんだけど、
世界と自分との差を感じたような気がした。もちろん悪い意味で。
HPが赤ゲージまで減ることはもちろんないけど、クリティカルヒットの表示は出てしまったのだ。
あぁ、世界よ、こんな私でも生きて良いと受け入れてくれたまえ。
ピリコレ … ピリ辛大好きキッズ御用達の多種多様な唐辛子専門店のこと(現在倒産)。最近ステマだったのでは疑惑がかかっており「通は自家栽培」の迷言が生まれるきっかけになった。
プリコレ … プリキュア10周年企画『プリキュアコレクション』のこと。歴代シリーズのコラボグッズが直営店で販売するなど力を入れていたっぽいが、青神様の邪心化に引きずられる形で大友への訴求力を失った。
ペリコレ … PERIE COLLECTIONのこと。千葉の魅力を伝える企画として地元民に愛されているが、他県民には「お水の通販じゃないの…?」と困惑をもたらす原因となっている。
もう完全に脱・人間の流れが出来ちゃったよね。そのうち一部の人間はロボットになるよ。本当に凄い時代に生まれたもんだ。
どこから話せば良いのか皆目解らないが、まずは生命の進化を考えるのが良いかもしれない。海で産まれた生命体が、陸に上がり、空を舞い、今や宇宙に飛び出している。生命は、時間と共に複雑化して、機能が向上して、時空間的に拡散していくシステムの一部なのだ。拡散して環境が変わる過程で、生命体は、その構造を大きく変えてきた。例えば、海から陸に上がった爬虫類は、魚から見れば驚異のシステムだろう。いま、人間は生命を産んだ地球から飛び出そうとしている。果たして、人間とロボット、どちらが宇宙で暮らすのに適切な形態だろうか。
現状の世界の構造は、原子・分子→《DNA》→細胞→《神経》→脳→《言語》→テクノロジー→《プログラミング》→AI、という多層になっている。基本的には、どんどん繋がって複雑になり階層性と知性が上がっていくシステムだ。知性が高いほど、認識出来る時空間スケールが幅広くなる。最近は重力波とか認識できるようになったので、昔より知性が上がってます。また、知性が高いものは低いものを認識できるが、その逆は難しい。人間は蟻を認識出来るけれどその逆は…。だから知性の高い宇宙人がいても、人間にはわからない。
次のAI・ロボットという階層の出現に備えて、その下にいる人間を含むテクノロジーの階層の調整が始まっている。おそらく昔は周期表以上の原子がいただろうし、もっと複雑な生体分子やDNAもあったはずだ。でも、次の階層の出現と共に淘汰されて消えていったに違いない。新しい階層が出現するときは爆発的・指数的で、一気に多種多様な形式が現れて淘汰されて落ち着く。ビッグバン、カンブリア大爆発などがそうだったし、いまの100億に迫る人間も爆発の1つ。AIに関して言えば、データ量が爆発している。問題は、次の爆発が起こる間隔も指数関数的に縮まっていて、もはや人間の認識出来る時空間スケールを超えてしまうであろうことだ。カーツワイルのいう特異点はすぐそこにある。
人間について言えば、生命体としての進化を諦めている、というか退化している。体を強化せずに、服を着て温調の効いた家で暮らしている。頭を強化せずに、計算機に頼っている。消化の過程も、料理をすることで一部外注している。最近は、体外受精なんて始めちゃってる。体毛は薄くなり、頭はバカになり、親不知が生えなくなり、SEXができなくなった。全部、生命体としての退化に相当する。次の階層が出現するのに備えているのかもしれない。
進化の過程で環境を変えた生命体は、望んでそうした訳ではない。最初に行くのはは冒険者だが、後に行くのは追い出された者達だ。海での生存競争に敗れた者が、陸に登った。陸での生存競争に敗れた者が、空を舞った。そのうち、追い出された者達が宇宙に進出するだろう。新しい環境は地獄だ。だからほとんど生き残れない。ただ、幸運にも生き残った者達は大幅な進化を遂げて、見返すだろう。人間だって、アフリカの森から追い出されたし、アメリカ人だって、ヨーロッパから追い出された人々だ。日本でも、漫画家やオタクがいまの文化を創っている。おそらく今後の社会は、いまは受け入れられない障碍者やLGBTの人達が変えていく可能性がある。AIやロボットと相性が良いので。
先週あたり話題になったよね。NHKのニュースなんか500ブクマだよ。凄い。
でもひどいブコメが多すぎる。これは正さねばなるまい。
まあまずは基本情報としてNHKのやつ(元記事は消えてるのでブクマページ)、大元のWHOニュース、あと報告書のURLが↓ね。
はてなブックマーク - 糖分多い飲料に20%以上課税を 肥満など減らすため _ NHKニュース
http://b.hatena.ne.jp/entry/www3.nhk.or.jp/news/html/20161012/k10010726451000.html
WHO urges global action to curtail consumption and health impacts of sugary drinks
http://www.who.int/mediacentre/news/releases/2016/curtail-sugary-drinks/en/
Fiscal policies for diet and the prevention of noncommunicable diseases
http://apps.who.int/iris/bitstream/10665/250131/1/9789241511247-eng.pdf
20%課税っていう見出しに踊らされたか、まるでWHOにアドバイスするがごときブコメ群。
報告書では健康的な食品に対する減税なり補助金なり考えられてないの?本当に?
それじゃあ報告書の最初も最初、Summaryの2段落目を要約抜粋してみよう。
エビデンスに基づけば:
・砂糖入り飲料(SSBs: Sugar-Sweetened Beverages)の消費量は課税により減少する。特に小売り価格が20%以上増加する場合に顕著である。
がっちり言及している。文中ではより詳しく説明してるし、Conclusionでも当然言及している。
この種のコメント付けた連中は一次ソースも読まずにコメントしてるの?
自分ごとき素人が思いつくこと、専門家が考慮してないとでも思ってたの?
中にはクッソ上から目線のコメントもあったりしてさ(しかも人気コメント上位)。その自己肯定力は何なの?
何なの?
「味が嫌い」というのはさもありなん。でも「健康被害が出る」「身体に悪い」といったコメントも多かったのには驚き。
"人工甘味料で健康被害"なんて典型的なフードファディズムじゃない。リテラシ低くない?
国に認可されている人工甘味料なら、適切に使う限りはどんなに多く見積もっても砂糖以上の危険性はないよ。
そりゃ、多少なりと悪影響はあるさ。フェニルケトン尿症の人にとっちゃアスパルテームは良くないし、ある種の人口甘味料で便がゆるくなることだってある。
でもこれらの影響は砂糖のそれより圧倒的に低い。肥満!糖尿病!その他諸々!
単なる「そんなの効果ない」的なブコメの他にも、「○○の方に課税しろよ」とか「××な人には無意味」みたいな指摘もけっこうあったね。
今回の報告書での"効果あり"ってのは既存のエビデンスと各国の実施データに基づいて導き出されたものなのよ。
砂糖やら脂肪やら塩やら高カロリー食品何やら、多種多様な品目への課税、規制、助成の影響から、効果を評価したわけ。
だから"砂糖への課税"じゃなくてピンポイントに"SSBsへの課税"なのよ。
これ、報告書ね。既存のエビデンスや実際に試した国でどういう影響が出たか等をまとめて評価した報告書。
WHO勧告が出るのはもっと後。いくつか似たような報告書が出てエビデンスが十分蓄積されて、政策決定用のテンプレができてから。
もちろん報告書の最後にRecommendationはあるけどさ、雑に要約すると
この報告書はエビデンスに基づいて政策の効果を評価しただけであって、"こうしたら、ああなる"という事実だけを述べているのよ。
語尾に"べき"はつかないの。
「課税しろだと!?何様だ!」というようなニュアンスで怒ってる人がけっこういるけど、
"20%課税すると、SSBsの消費が減る(から課税するべき)"って感じで()内を勝手に補完して憤ってるだけなのね。
まあ、WHOも内心では"課税するべき"と考えていそうだし、それが節々から滲み出たりもしてるんだけどさ。
http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20161011/1476129642
これ読んで思ったけど、そもそも英語を勉強する目的は英会話したり英語の文献を翻訳するためじゃないと思う
もちろんそういう目的で英語を勉強する事もあるし、その必要性もあるけれど
そういった仕事は今後AIによって確実に奪われていくし、もう既に和英辞典とかはほとんど必要無くなってる
英語を勉強するっていうのは英語圏の文化を学ぶことに他ならないし
それを通じて日本という閉じた文化圏が全てだと勘違いしないようにすることだと思う
そして同様に日本という閉じた文化圏を守ることが大切だと感じることだとも思う
英語は兄弟をbrotherという単語で表して区別しない文化があるし
日本は一人称や二人称が俺・私・僕・自分,あなた・君・お前といった風に多種多様な文化がある
どれだけ意訳しても文化の違いは吸収できない
昨日電話で「こどもの目が離せない状況だからたばこ買ってきてくれ」というので、すでに酔っ払ってたから気前よく返事をして、コンビニでアメリカンスピリッツを2つ買い、近所にある兄の家に行った。
とりあえず家にあがって世間話をしていると仕事の電話がかかってきて、明日は休みになったので、やったーとか言いつつ姪っ子と遊んでいると明日○○公園に連れてってというのですでに酔っ払ってたから気前よく約束してしまった。
なにがそんなにおもしろいのかわからないがやたら公園は混んでいた。
ブランコに姪を乗せると、隣にはJSが女同士で王様ゲームをやっていたり、ベンチで固まってDSやってる男子がいたり、子供といっても多種多様な人間がごったがえしていた。
滑り台をやってる姪を遠目で見ていると、何やら同年代(4さい)の幼女と仲良くなったようだ。
その後は2時間くらいその娘と一緒に遊んでいた。
「〇〇ちゃんだ~い好き」
などと言い合っていたので、ああなるほどこれがのちの百合であるみたいな話だなと感慨深く見ていた。
二人はとても仲良くなり、日が暮れるころになると
「姪ちゃんとあったことを忘れないように写真とって!」と母親にせがんでいた。
実際何時間も子供の世話って疲れるので、新しい友達と遊んでてこっちは助かっていたので、その子の母親にお礼を言ったりしてると
「姪ちゃんのお父さんも!ほら!こっち!」
などとその娘がぬかし始めたので
「なにがお父さんだ!!おれは叔父さんやぞ!独身弧男の俺が所帯持ちに見えんのか!ぶちころすぞこのくそクソガキ!」
とちょっとだけ思ったけど言わなかった。
「あー。なんか今日新しいおともだちできたみたいで一緒に遊んでたよ~」
といって姪を帰した。
ヒマなので、忘れられない恋人にメッセージとか送ってしまってホントばかみたいです。
30代子なし、かつ、出国するまでそれなりに働いていたひとは、本当にヒマさにびっくりすると思う。
もちろん、現地になじんでブイブイしてる人もいらっしゃるとは思いますが、なんだろう、自分が働いてきた分、結局働いててエライのは夫、と思うと、慎ましやかに暮らす発想にしかならないのですよ。その結果、昔の恋人に連絡したら世話ないですけど。(別に情熱的な内容じゃないから許して、っていう言い訳)
こちらへ来てから、夫との絆とか関係性は向上してると思う一方で、家事に全力をつぎ込んでもありあまる時間にちょっと引き始めているのも事実。長期的視点に立てば、1年程度で帰国してしまって何かしら仕事したほうが良いのでは?と思ったりもします。
クラウドソーシングも覗いたけれど、まあまあの会社で総合職としてゼネラリストとして働いてきた自分には縁遠さしかなかったしなー。
読書と音楽鑑賞だけじゃなかなか身が持たんです。通信制の講座とかも検討したけど、いまいちピンとこない。
そういう意味では、結局人生って壮大なヒマつぶしで、会社に属してればありがたいことに解決してねって課題を与えてもらってて(自分で探しに行ってるつもりになってたけどさ、今は、あー与えてくれてたんだなとしか思わんw)、それをバリバリ解決し(た気になっ)て、承認欲求満たしてもらって、カネまでもらえて、なんて素晴らしい仕組みなんだー!とか思います。社会学者とかフェミとかが、日本社会なんて男のおもちゃ、って言うのを、醒めた感じじゃなく、よーこんな仕組み考えたな!やるやん!という感じで手放しでほめたたえたい気分です。そらリタイアしたおっさんら、病むわ。
あと、こんな感じのことを考えている割に、まったく病める気配のない自分にもある意味腹が立ちます。繊細さを失いすぎ。若さとは心の若さである。繊細さは詩人の心である。
あー、さよなら青春。とりあえず、日本で会った夫の会社の先輩のヨメ(元帯同家族)みたいに、太ってデリカシーのないクソババアにはならないよう、多種多様な価値観を認められる人間でいられるよう、頑張ります。
ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
実直(じっちょく)なんぞと、心得(こころえ)まして。
・電通はデジタル広告を扱う代理店の中では最も先進的な取り組みをやっている
これは一面が正しくて、一面が間違っている。
まず、いわゆる現在主流のWEB広告の分野においては、電通は遅れている。なにしろ本格参入が遅かった。トップクラスの運用能力を持っていたオプトも切り離してしまったこともあり、サイバーエージェントやそのオプトに対して運用分野ではスピード感もクオリティも負けている。そもそも、電通でデジタル広告回してるのは、大量に出稿してきている子会社や提携会社の人。つまり丸投げってことだ。(聞くところによると、トヨタ問題の発端も出向社員だとか。)
ただ、電通が進んでいるのは、プラットフォーム側、つまりGoogleやFacebook、Twitterなど、WEBのメガプラットフォーマーと組んで様々な取り組みや、専売商品を次々作っていること。あるいは、データ分析の分野ではその分野に強い会社と提携してサービスをどんどんリリースしている(電通のニュースリリースを見るといい)。そういった、「次のWEB広告」あるいは「マーケティングのデジタル化」については、サイバーエージェントやオプトよりかなり先を行っている。
これからの電通はWEB広告でもマス広告同様の勝者となる準備が整ってきた。事実、デジタルコンサルを中心業務とする電通デジタルができたばかり。そこにこの問題。電通のエラい人はさぞかし頭を抱えているだろう。(競合としてはざまあみろだ)
マスの広告はカンタンだった。なにしろ効果が明確に測定できない。なので調査をして効果を報告するとか、あるいはそもそも調査なんてしないことだって多かったそうだ。その一方でデジタルは結果が明確に出てしまう。さらにスピード感も圧倒的に早い。にも関わらず、リーチの問題によって金額は圧倒的にマスよりも安い。もちろんデジタル管理して出しているので、マス広告よりも楽に出せる側面はあるけれど、大量に出稿する場合はとんでもない作業量になってしまう。
今までより圧倒的にシビアに結果が出て、さらに毎日トラッキングして、必要があれば文章や画像を差し替えて、それを多種多様なメディアを選んでPDCAを回しながら調整しなければならない。これだけ大変なのに給料は安い。これは電通が悪いとかそういう問題じゃなくて、インターネット広告の値付けの問題だ。俺は毎日思ってる。誰がこの広告枠の値段決めたんだ?って。マス広告に比べてあまりに枠が安すぎる。この問題に大きく関わっているのは、ネット広告に遅れる弱い総合代理店をしり目に価格で勝利してきた、サイバーエージェント、オプトなどのWEB広告代理店。
彼らの安売りにより、給料は安くなり、しかしタスクは減らないので毎日深夜までビルは明るい。てっぺん超えるんなんて当たり前だ。しかも結果がシビアに出てるので、クライアントからのプレッシャーも厳しく精神的にも苦しい。数年で転職、退職する人も多いので、穴埋めのための人事異動が激しく、プロフェッショナルが育ちにくいのも問題だ。
はっきり言おう。同じような問題がポロポロ出てくるだろう(博報堂や、WEB広告代理店がまともなら)。
内部監査をすれば絶対に見つかることは断言する。ネット広告の現場にいれば、ヒューマンエラーが起きないなんて誰も言えないはずだ。なぜ今まで明るみに出なかったか?それは、ネット広告は掲載確認が難しいから。例えば新聞広告なら、その日の新聞を見れば一発で載ってるか載ってないかわかる。しかしネット広告はわからない。アドネットワーク(皆さんが普段何気なく見ているWEBサイトに載っているバナーなどがそれ)はどこに出てるか分かりにくいし、さらにネット広告は年齢や性別、あるいは趣味嗜好までターゲティングするので、自分がそのターゲットに入ってなければそもそも「出ない」。
そりゃみんなちょっと間違っても隠す。何しろバレにくいんだからね。
元増田が書くようにクライアントがデジタルに明るくない場合も多いことが拍車をかけている。ネット広告の世界はマス広告より圧倒的に複雑なので、リテラシーがなかなか育たないのだ。もちろん、電通の今回の問題は、ただ間違ってただけでなく、間違いを理解した上で不正に請求してるのでただの詐欺。論外。とはいえ、多くのWEB広告代理店の数字に関するプレッシャーを見ていたら、自分の会社がやっていないとは正直言えない。忙しすぎて朦朧としている人、あまりのプレッシャーにクライアントを憎んでいる人、上司におびえている人。様々な人がいて、みんな疲弊してる。そんな同僚がミスを隠して不正請求していないと言えるか・・・俺は言えない。
デジタル広告がこんなに不健全なのは、おそらくマス広告も不健全で、不透明だった名残なのだろう。業界の特性だ。皆さんも覚えている通り、運用型広告ではなく、記事広告(ネイティブ広告)の世界ではサイバーエージェントを筆頭に不正が大々的にまかり通っていたこともあった。はてなでは話題になってないが、つい昨日はFacebookが動画視聴時間について多く見積もって報告していたことが分かった。(Facebookの動画広告を売る際に、Facebookでの動画視聴時間の長さが他のSNSに比べて多いと言って打った俺は詐欺師となったわけだ)
業界全体が腐っている。
しかしこうなったからには、業界全体がしっかりと監査していく仕組みを作らなきゃだめだ。
電通さん、デカいんだからさ。旗振りぐらいやってなんとかしてくれよ。
俺は正直、このニュースを見て安心した。やっとこの業界がオカシイことが世に出た。早くなんとかしてくれないと、ほんとにみんなが潰れてしまう。
長くなってすんません。
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追記
続きを書きました。
むかしむかし、君たち人間の考えも及ばない太古の昔、おじいさんとおばあさんはまだ居なかった時代の話だ。
…いや、君たちの概念でいうところの「おじいさん」や「おばあさん」がいない、といった方が正確だろう。
君たちの足元で鞭毛を使って泳いでいる一匹のアメーバ。
そいつが途方もない時間の先に生きる君たちのおじいさんとおばあさんになることになるわけだが、今はそんな話どうだっていいだろう。
こんな昔には桃を実らす樹木もなければ、桃太郎だって生まれてやしない。
考えるのも止めたくなる時間を経た先、君たち人類のおじいさんとおばあさんにあたる生命体が現われることになる。
何千回も繰り返してきた生物たちの進化だが、性別を有する生物というのは失敗だ。
性別、いわゆるオスとメスとに区別されて呼ばれるが、彼らは常にお互いを求めて1つになりたがろうとするきらいがある。
それはもともと一匹の生命体だった頃の、細胞の奥深くに刻まれた太古の記憶なんだろう。
しかしそんな願いも虚しく、彼らはこの先も、そして永遠にお互いを分かり合うことはない。
自分こそがオリジナルだと言わんがばかりに、お互いを否定しあった先に救いはないのだから。
さて、この時代は多種多様の生命に溢れ、むせ返るほど豊かな自然はエデンを彷彿とさせるくらいだ。
苦労が売られ、その苦労の度合いに価値が見出されている時代相だからこそか、おじいさんは山へ芝刈りに行き、おばあさんは川へ洗濯のためだけに家を後にする。
これから川でおばあさんが遭遇することは、あのエピメテウスすら知ることができない、言わば歴史の奇跡ともいうものだ。
おばあさんが川で洗濯をしていると、表面には産毛を生やし、ほんのりと紅く色づいた果物が川上から流れてくる。
人としての貪欲性のためか、あるいは承認欲求が作用したのか、または川に流れる桃に対する猜疑心のない愚かさが故なのか、おばあさんは我を忘れて桃に飛びかかる。
桃はゆっくりと、そして着実におばあさんの手によって岸に運ばれる。
してやったりと言わんばかりの、あのほくそ笑んだ顔を私は忘れることができない。
あんまり特定されないようにしたいので、俺が見てきた人を幾つか紹介したい。
2:クレジットカード、借金などでたくさんのものを買って任意整理中で生活保護
貧困って昔の「おしん」とか「一杯のかけそば」のような、食べるものも我慢して内職してっていうようなイメージなのかもしれない。
でも今は消費者金融やクレジットカードもあるし、貧困に陥る前に沢山使ってものを買っている人って結構いるんだよね。
実際、俺が見た人もすごいたくさんものを持っている人だったけど、貧困だったりした。
それでこういう「消費グセのある貧困者」ってそもそも「買い物依存症」とか、お金の概念が欠けているとか、そもそも貧困になりやすい特性を持っていたりする。
だから例えば今多く行われている「時給1500円に」とか「生活保護を増やせ」っていうことをしても、あればあるだけそういう人はお金を使う。
深い興味はないながらも、やはり同じ日本人が活躍しているのは嬉しいものだ。
加えて、松岡修造の暑苦しいともいえる応援が画面を盛り立てる。
インターネットができて、我々は多種多様な情報を「取りに行ける」ようになった。
ネットはさらに発展し、最近では私が好きなものを「教えてくれる」ようにもなった。
私の冷蔵庫の中のペットボトルのお茶がなくなるタイミングも知っているし、
少年時代を思い返してみる。
教室の中では昨日の夜に放送された「とんねるずのみなさんのおかげです」がどれだけ
楽しかったかを談義し、また週刊少年ジャンプを裏ルートで発売日よりも先に手に入れる事に
大きな価値があった。
オリンピックの話に戻る。
私は水泳の日本代表がメダルを獲得する瞬間を目の当たりにした。
そしてその感動を誰かと共有したいと思った。
そもそもテレビを見ていない人もいれば、テレビは見ているがオリンピックに
興味がない人も多い。(私を含め)
インターネットの切り取られた動画でその瞬間を見た人とは、残念ながら松岡修造の
その時私はどういう行動をとったかというとTwitterやFacebookでオリンピックを
話題にしている人を探し、つぶやきを見たりコメントしたりするのである。
それはそれでまぁ、いいのだが、どちらかというと私は普段から仲の良い
鈴木君や田中君とオリンピックの話題について盛り上がりたかったのだ。
別の視点で考えてみる。
最近大きくなった息子は食事中もスマホを手放さない。彼が最近どんなことに
たまに食事に誘うと喜んでついてきてくれるが、共通の話題は仕事の話くらいだ。
かろうじて彼がダイビングを趣味としている事くらいは知っている。
ここまでの長い前置きで、何が言いたいのかというと
世代、趣味趣向を超えた爆発的コンテンツが社会全体のコミュニケーションの活性化、ひいては
そこには、同じコンテンツを消費するというだけではなく視聴の同時性(同じ時間に見る)という事も含まれる。
同じ時間に同時に見るという形でないと、瞬発的なバイラルが生まれないからだ。
3,000万人くらいが、ほとんど同じタイミングで同じコンテンツを消費するとき、
我々は幸運にもその瞬間を目の当たりにすることができた。
http://anond.hatelabo.jp/touch/20130809115823
上記URLと民主主義における多元論などに影響されいろいろ考えた(考えている)
世の中には様々な「常識」が存在する。その多くは所属するコミュニティによって形成される。
デービッド・R・キャメロンによるとコーポラティズム度が世界的に低い日本は多元主義国家と言っても過言ではない。つまり世界的に見て個人の自由度が高く多種多様なコミュニティ(「常識」)が存在するということだ。
国民の多くは生涯生まれ育ったコミュニティと同じまたは似通ったコミュニティに属するため形成された「常識」が揺るぐことはない。いや、なかった。
現在ではスマホの普及により知ろうと思えば自分がいままで関わることのなかったようなコミュニティにアクセスすることができる。
このような状況のなか未だ人々は「常識」に囚われ時には他人を否定するのだ。
日本では価値観が違って当然、考え方が違って当然であるから、それを肯定する優しい国になってほしい。文明の進歩とはそういうことだ。
僕はいまのいままで人を見下しているクズだった。国を動かす存在になって国を自分の考えでいい方向に導こうと考えていた。しかし自分が考えるいい方向とは必ずしも他人にとっていい方向ではないということを理解した。
そもそも国というシステム自体も必要ないんじゃないかとすら考えている。自らの選択で後悔したとしても勉強が足りなかったという自己責任で生きればいいと思っている。
すべての人々をコミュニティから解放しコミュニティやらなにやらを自由に選択できる社会というのが世にとっていい方向なのではないかと思う。何世紀先になるかわからないが人は分かり合えるようになると信じている。でも結局人は分かり合えないよ!というのがガンダムの作者富野由悠季氏の主張なのかもしれないが文明の進歩はそのためにあると考えたい。そのために僕は少しでも力になれればと思う
だいぶ前に七夕も終わったわけだが、
承太郎…。
多分JOJOファンの父親あたりが強い子になれと願いつけた名前であるのだろう承太郎。
一体何故、どうしてお前は不登校児になってしまったんだ承太郎。
やはり、アニメを見た同級生達からの「おいJOJO〜、スタンド使ってみせろよ〜」という執拗なスタンド攻撃に耐えかねたのか承太郎。(ちなみに苗字の方も若干近かった)
そういう精神的重圧や同調圧力を、お前のスタープラチナで打ち砕く(そういう事言われたら適当に「スタープラチナ!」と叫んでポーズを決め周囲の期待に一応応えてやり過ごす)ほどのお調子者メンタルは持ち得なかったのか承太郎。
そして学校を欠席したお前の空席を見つつ、同級生たちは「承太郎マジJOJOwww」「学校来ないとか原作通り過ぎwww」「アイツきっと家で鉄格子に鍵かけて閉じこもってるんだぜwww」「しかもガクラン着てwww」とか爆笑してるのか承太郎。
そしてさらに心配した担任教師あたりが家庭訪問に来ても、なぜ学校を休むのか?という質問に対してはとても同級生からのスタンド攻撃のせいだとは答えられないから頑なに沈黙を貫き通すのか承太郎。
そしてそのうち担任に命じられて住所の近いクラスメート達が毎朝迎えに来るようになって、「ごめんね〜今日も承太郎、具合悪いみたいで…」とか母親に追い返された後で同級生たちがお前の部屋の窓の外あたりで「出て来いよ承太郎!」「お前のスタープラチナ見せてくれよ承太郎!」「待ってるからな承太郎!」とか声を張り上げて、部屋の中どころかご近所中にまで波及する遠隔型スタンド攻撃を放ってからさっさと学校行ってしまうのか承太郎。
そんな、同級生達からの多種多様なスタンド攻撃のせいでますます学校にも行けず自分の家にこもらざるを得なくなったのか承太郎。
と、そんな承太郎の奇妙な冒険を想像していたところ、承太郎の短冊も発見してしまった。
まあ子のいる親が単独で参拝来る事はあっても短冊まで書くってケースはあまりないので、承太郎の短冊もあるだろうなとは思ってはいたが。
まあ当然か。その理由は配慮にせよ不仲にせよ、子供本人がいる所で本人の登校拒否が治りますようにって書く親が、子供のすぐ近くで短冊結ぶって可能性は低いか。
で。当の承太郎本人は一体どういう願いを持ってるのかね、と興味しんしんで短冊を見たんだが、
どうやら承太郎は登校拒否ライフを満喫していらっしゃるご様子。
ていうか字のぐにゃぐにゃっぷりを周囲の短冊と比較して判断しても、小学校低学年くらいなのかね承太郎。