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はてなキーワード: 異論は認めるとは

2022-04-15

たわわがダメならananダメじゃんに物申したい件

ついでにババアJK広告にすぐキレるのは若さ嫉妬している説にも物申したい件



ずっと違和感があったのでちょうど炎上してるし書いてみようと思う。

たわわの炎上記事のリプ欄を見ると高確率anan画像が貼られていて、ドヤ顔でキレ散らかしている人間がいる。

おそらくこの人たちは、女性は「女性エロ画像NG!」と言う癖に「男性エロ画像OK!」と言う点がダブスタだと言いたいんだと思う。

でも自分そもそも前提が間違っていると思っている。

上記の主張をする人間はたぶんこう思っている。

男性にとって女性はえっちな存在から女性にとっても男性はえっちな存在なはず」

まり男性にとってえっち度は

女性>>>>>男性

で、女性にとってえっち度は

男性>>>>>女性

という主張である

でも実際は「男性にとっても女性にとっても女性の方がえっち男性はあまりえっちではない」が正しいんじゃないだろうか。

まり男性にとってえっち度は

女性>>>>>男性

で、女性にとってもえっち度は

女性>>>>>男性

ということである

JK真逆の例を出そう。

デブで脂汗を浮かべているキモいハゲおっさん想像してみてほしい。

男性だろうが女性だろうがキモいハゲおっさんはあまり好きではないと思う。どう考えてもえっちではない(特殊性癖の人は置いておく)

逆に言うと可愛くて巨乳JK男性だろうが女性だろうが大好きだし、えっちだと感じるのだ。

たぶん。



では何故えっちJK広告炎上するのか?そして何故突っかかるのが大体おばはんなのか。

これはおそらく個人エロ耐性の問題だと思う。

エロ耐性は多くの場合過去にどれだけえっちコンテンツ摂取たかで決まる。

グロ耐性と同じようなものだと思ってもらえればいいと思う。

おそらくだエロ耐性の強さは大体こうなる。

ほとんどの男性>>>>>>ほとんどの女性>>一部の男性>>>一部の女性

2次元に対するエロ耐性だと少し変わって

オタク男性>>>>>オタク女性>>>非オタ男性>>>>>非オタ女性

みたいな感じになる。

2次元エロコンテンツに対するこれまでの人生摂取量が異なるからだ。

先に述べたように、男性にとっても女性にとっても女性はえっちである

男性男性を見て興奮しないように、女性女性を見てもえっちだと感じないなんてそんなことはない。

そのうえ2次元巨乳JKなんてえっちランキング最高峰と言っても過言ではない存在である異論は認める

グロ画像を見た時にグロ耐性のない人がオエッてなるのと同じように、エロ耐性のない人がいきなりエロ最高峰を浴びたらそりゃあウワッてなるのである

おばはん達はおそらく昭和3次元女性エロコンテンツへの耐性はあるが、令和の2次元女性エロコンテンツへの耐性はない。

若さへの嫉妬などではなくて、単に2次元摂取量があまりに少ないからだ。

以上が、一部のおばはん達が2次元女性えっち表現に噛み付く理由考察である


言いたかたことは大体書いたので、最後にたわわのどこが良くなかったのか自分意見を書いておく。

もう少し考慮した方が良かったのではと感じる点は以下の2点である

・「たわわ」という文字

・左下のアニメ原作宣伝画像

メインのアイちゃんイラスト自体は、普段のたわわからは考えられない程おっぱいの主張が大人しく、作者の配慮を感じられる。

しかし左下の宣伝画像がそれを台無しにした。明らかに巨乳を強調した画像からだ。

加えて「たわわ」の文字である

たわわなんて言葉は今時巨乳比喩くらいにしか使われない。

「たわわに実った果実」という文字列を見て純粋果実想像する人間がどのくらいいるだろう。

大体ロゴからしてぶるんぶるんである

正直これではエロ耐性のない人から文句を言われても仕方ないと思う。

グロ画像で例えると、こんな感じだ。

殺人鬼のような格好をした人間チェーンソーを後ろ手に持って立っているイラストが描かれている。

イラスト自体には特に臓物や血は描かれていないが、タイトルロゴ返り血で真っ赤になっているし、左下の既刊紹介画像には血塗れの臓器や死体の断面がデカデカと映っている。

これでは猟奇的広告だと言われても仕方ない。

実は殺人鬼から民間人を守るヒーロー漫画だったとしてもである


何でもかんでも規制する必要はないと思う。

ないとは思うが、耐性のない人がどこに目を向けるのか、そして耐性のない人にどこまで合わせるのかは慎重に考えた方がいい気がした。

長くなったけど書いてすっきりしたので終わりです。

ちなみにこの記事20代女性が書きました。

2021-12-15

anond:20211215101450

関係あるよ

日本メーカーは、それなりの規模の法人向け大量発注じゃなければ、コンシューマー向けのクソPCしか売ってくれないから、零細IT企業ではビジネスPC自作してたところも多い

BTO自作と変わらんし

最初からデルにしておけばよかったという異論は認める

2021-12-07

anond:20211207170442

ホットクックも面倒だからやらなくなるわけよ

料理で一番イヤなのって洗い物じゃん?(異論は認める

家事能力低い人間にとって食洗機マストなのよ

みじん切り面倒な場合フードプロセッサーお勧め

ちなみに俺は無水カレーヘビロテしてる

2021-12-03

ミスチルピーはいつ?

俺は1996年位の歌が好きなんだ。

ちょうど名もなき詩を出し、アルバム深海を出して、活動休止する1997年までの曲。

あそこらへん、楽曲演奏歌唱も色々と異常。あれがピークなんじゃないかなって思う。

病み期で、闇期なんだが、それがいい。魂から声が出てる感じ。

人間、苦しんでる位の方が良い歌歌えるのではないかって思う。

異論は認める

2021-10-08

anond:20211007234035

ニュアンス的にマジで美しい風景って訳した方がよくね?」

これな。一般人翻訳ができない理由

おまえはたぶんmarverousもtopも全部「マジ」にしちゃうんだな

原文は

one of the most (形容詞)(名詞)s

複数形になっていたはず(まあ単複同じ形の単語もあるが)

まりもっとも美しいとされる風景複数)の一つなんだよ

おなじくらい美しいグループが既に知られてるの

富士山とおなじくらいキラウェア山も「世界一キレイ」のふれこみで有名なの

まり世界一異論は認める)」みたいな感じに訳すのなら合ってる

2021-10-04

恋愛する上では男のほうが楽

金とか知名度があったら不細工だろうがちびだろうがハイスぺ美女とかと結婚できる

男と女では初期ステータスに左右される度合いが違いすぎると思う

女に生まれてたらまともな相手は期待できない見た目してるから、男で良かったと常々思う

異論は認める

2021-10-03

ガチャランキング

1位 世帯年収3000万円以上

都内の一流私立大または医学部に進学できる

2位 世帯年収1000万円以上

都内私立大に自宅から通うことができる

3位 大学一人暮らしで進学できる

奨学金利用を含む

4位 自宅から通える大学もしくは専門学校に進学できる

5位 高卒で働かざるをえない

6位 中絶

そもそもまれてこない

7位 育児放棄

食事もろくに与えられないか自分で用意する

8位 虐待



異論は認める

2021-08-10

anond:20210810132745

自分与党野党が入れ替わる可能性を残していることの方が大事だと考える。

野党経験が少ないからいろいろうまくいかないだろうが、それでも今のまま腐り続けた自民党の船の上で沈むよりいいと思う。

もちろん異論は認めるよ。

どこかで書かれていた野党はまともな人材育てろってのもその通りだと思う。

自分としては政権担当能力がある政党の真っ当な競争がある状態がいいと思っている。

から自民党の自浄能力にも期待しているんだよ。これは本当だよ。

でも自民党支持者が野党批判しかしない現状が残念なんだよ。

2021-07-23

消されたかな?

小林賢太郎氏の解任と、わたし責任

8,674

岸田 奈美

2021/07/22 15:29

※身近な読者さんに聞いてほしいだけなので、気が済んだらマガジンに入れて、そのあと消します。

21:26追記

過去ラーメンズを紹介する記事を読んでくださった読者さん、彼らのファンの方々に届いてほしいと書いた文章でしたが、わたし説明の至らなさ、思考の未熟さゆえに、どんどん違う捉え方が広がっており、傷つく人を無闇に増やしてしまっているやもしれないので、22時で非公開にします。すみません

ラーメンズが好きだ。

小林賢太郎氏が好きだ。

父を亡くし、友人を失くし、誰とも笑えない鬱屈とした子どもであったわたしに、笑いという光をくれたのが彼らのコントだった。絶妙にわかりづらく、複雑に絡みあう、壮大な世界観のもとに成り立つそのコントは、誰かと語りたくなる衝動をくれた。天才なんよ。これはわたしの圧なので、異論は認める

父が「お前の友人はこの箱の向こうにもおる」と残してくれたmacキーボードを叩き、ラーメンズの、小林賢太郎氏のコントについて語り合うときわたし孤独であったけれども、孤独でよかったと思えた。

孤独から出会えた笑いで、孤独からつながれた笑いだった。

その小林賢太氏郎が、東京オリンピックパラリンピックの開閉会式のショーディレクターに着任したときわたしの頭では「マジか小林賢太郎…」と「マジか小林賢太郎!」が同時に鳴り響いた。

こう、なんか、ものすんごく無責任オタクとして言うと、彼らのコントはもともと知る人ぞ知る、当時のお笑い界のメインストリームを堂々と外れて宣戦布告しながら飄々と笑い転げるという位置にあったと思うので、一抹の不安があった。しかしその不安をコーナー鋭角でまくってくるのは「オイオイ、これでみんな小林賢太郎の魅力に気づいちまうんじゃねえの〜?まっ、わたし芸能界引退前に舞台で見たけど〜?」というオタク特有の愚かなドヤりである

わたしはドヤりドヤりしながら、孫の七五三を見るような迷惑かつ気色悪い心地で、彼が手がける開閉会式を心から楽しみにしていた。ここまでの前置きがすでに早口気味なのはお察しの通りである。とても気色悪い。

その小林賢太郎氏が、今日をもって当該職を解任された。

実はさっきまでテレビ局での生配信に参加していたので、解任にいたる経緯も、解任された結果も、成り行きを見守ることなくひとまとめにして見知った。

情報の石つぶてに襲われ、小林賢太郎氏の謝罪文最後「先ほど、組織委員会から、ショーディレクター解任のご連絡をいただきました。ここまで、この式典に関わらせていただけたことに感謝いたします」まで読み終え、涙が出た。

京都に向かう新幹線でなければ嗚咽していた。頼む、車掌さん、止めてくれ。三河安城でこの新幹線を止めてくれ。しかのぞみ163号は止まってはくれないので、静かに泣きながらこれを書いている。

解任の理由1998年に彼が演じたコントのなかで、「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」というセリフがあり、肯定する文脈でなくとも、笑いの演出に使われていたからだ。これが人権を著しく侵害しているとされた。

その決定に、わたしは反対しない。

五輪憲章ではあらゆる差別への反対が定められているし、たくさんの人々の命を不当に奪った歴史を、今もなお魂を傷つけられている人々がいる事実侮辱されてはならない。

なのでこの文章は、オタクわたしわたしに宛てた、ただの戒めである

小林賢太郎氏は、責任をとるために、当職を解任された。

というかもう、ここ最近責任をとる人が多すぎてなにがなんだかわからん責任をとっては去り、責任をとっては潜り、責任をとってはキングギドラに車一台で爆走して挑む。

内田樹氏は自著「困難な成熟」で述べた。

責任を取るということは、不可能です。以上、おしまい

シンプルすぎる。

シンプルすぎて二度聞きしたくなるようなこの結論にいたるまで、内田樹氏は懇切丁寧に筆を尽くしておられるので、ここではわたしの雑なあらすじで勘弁していただきたいのだが、

要は

「ごめん、で済む話はない」

ということだ。

人が傷つけたり、人が大切にしているものを傷つけた場合、それを元どおりに復元するということは不可能だ。医学がド発達したとして「いったん殺したけど、きれいに元通りにしといたから、これでチャラね」と殺人犯から言われても、きっと誰も許せん。

体だけじゃない、心だって死ぬのだ。

あってはならないことだけど、学校いじめにあった子ども自殺して「一億円の損害賠償請求した」とニュースで報じられたとしてそれは「一億円払ったら許してやる」というわけではない。相手の一生を台無しにできるくらいの金額を求めて、「わたしはお前らを絶対に許さない」と告げている。

責任をとれという言葉は、「なぜなら、お前には責任をとることはできない」という意味を常に伴っている。めっちゃわかる。

ここまであらすじですけど、このド下手なアレで間違ってないですかね、内田先生。こんなところで引用してごめんなさい。

まさに今。

そんな世界で心穏やかに過ごすには、どうすればいいのか。

ここから内田樹先生がね、答えをくれるんですけど。その答えはどうも、ひとつだけらしくて。

「我々が考えることができるのは、ただひとつ。どうすれば責任をとることを求められるような立場に立たないか

勘違いしてはいけない。

これは、わたしは知らん、わたし関係ない、わたしには責任がない、と言い訳をしスタコラサッサするわけではない。そんな言い訳が平気でまかり通ったら、なんか起きたらすぐさま電気は消えるわ、水道は止まるわの大惨事だ。

それは「わたし責任を持つよ」と、言うことだ。

なんかまずいことが起こったとき責任他人なすりつける社会と、自分の手が届く範囲のことでみんなが「あ、じゃあ責任を持つよ」とさらっと言ってくれる社会なら、後者の方が「誰かが責任をとらんとあかんようなヤバイこと」が起こりにくい。

「誰の責任だ、誰の責任だ!」と犯人探しをしてる間に、最悪の状況に陥るのを、わたしたちは何度もこの目で見てきた。もちろん、例外はあれど。

責任は、誰もとれない。

誰もとれないから、人に押しつけられるものでもない。だが、最初から自分で引き受けることができる。引き受ける人が多いほど、人間幸福に、豊かに安全に生き延びることができる。

だって大切なのは、同じことを未来で二度起こさないためには、どうしたらいいかから

さて。

長くなったので、わたしオタク語りに戻ろう。

小林賢太郎氏が過去発言で解任されたのであれば、その責任は、気持ち悪いオタクわたしにもある。今をもってわたしが引き受ける。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の発言がなされたコントは、わたしも見たことがある。記憶は定かではないが、中学生になったばかりの頃だったと思う。

映像に映っている観客と同じく、わたしは笑った。

ユダヤ人大量惨殺ごっこ」の意味を深く考えることなく「なんか真面目そうな教育番組MC役なのに、やばいこと言ってんのがシュールだな」というふわっとした文脈だけで笑った。未熟なわたしは、笑ってしまったのだ。

小林賢太郎氏がそれを「浅はかに人の気を惹こうとしていた」のであれば、わたしも「浅はかに彼らの笑いを受け取っていた」に過ぎない。

今では、その文脈で笑っていたことが、どれほど罪深く、どれほど愚かなことであったかわたしはわかる。

それは、中学生の後半で、ホロコーストについて学んだから中学生の授業の範囲なんて、教科書での字面だけなので、そこまで深く知ることはできない。本格的に背筋が凍るほどの恐怖がわきあがったのは高校生世界史の授業を受け、終戦のローレライを観て、アンネの日記を読み、作家になって編集者から勧められた「夜と霧」を読んでからである

道徳観は、自然に身につくものではない。

教えてくれる人がいて、咎めてくれる人がいて、対話をしてくれる人がいたからだ。

道徳観が歴史の積み重ねであるならば、わたしたちもまた、人生という歴史を積み重ねながら、ここに生きる人としてあるべき姿を学んでいく。大人になればなるほど、聡くなればなるほど、わたしたちは過去の行いを恥じ、己を正すことができる。

小林賢太郎氏は、彼の頭のなかをのぞける自著「僕がコント演劇のために考えていること」で語る内容をみれば一目瞭然だが、ストイック創作であるストイックすぎて芸能界引退したようなもんだとわたしは思う。

年々、彼の思考作品は、目を見張るようなアップデートを重ねていた。

世間でまだ誰も言葉にしていない「時代感」を読み、言葉パントマイムに落として、笑いに変えるやんごとなき天才であった。近年は特に、誰も傷つけない笑いなんてあるわけがないことを悟りながら、その状態になるべくして茨の道を歩みながら近こうと試行錯誤する、戯曲に取り憑かれた化け物であった。その背中に憧れて、わたしもここへ来た。

そういう男であるからこそ、こんな時が迫るまでに、ファンわたしたちは話さなければならなかった。

ユダヤ人大量惨殺ごっこで笑うのは、アカンかったね」と。

彼に直接言うのは叶わなくても、ラーメンズについて語るたびに、記事を書くたびに、言葉にするチャンスはどこにでもあった。あれはアカンのやと。

今もさ、たぶん「いやあれってそこまでダメかな?」って思うファンもいると思う。わかるよ。わかる。でもね、ダメなんだ。気づかないといけなかったんだよ、わたしたちは。彼をいつか、日本の大舞台に送り出すつもりでいるならば。

20数年前のコントをいまさら、なのではない。20数年間、いままで、なにも言わなかっただけなのだ

そして小林賢太郎氏は、そういう社会の奥底に埋もれてしまいそうなわたしたちの言葉を、目ざとく掘り出し、両手ですくいとって、なんらかの形で応えてくれる、いい戯曲のためなら見栄も地位も何を犠牲にしても厭わない、そういう男だと、わたしたちは、知っていた。知っていたのに何もしなかった。

しろ批判されているコントできるかな」は、DVDには収録されていない。ラーメンズがあれだけ太っ腹に公開している動画の中にもない。VHS以降、公式の手で誰にも見せないという選択をとっていた小林賢太郎氏は、わたしたちより先に、気づいていたかもしれない。

時代が未熟すぎるがゆえに許してしまった、愚かな笑いというのは、どこにでもある。

からこそ、今さらなんてなかった。遅すぎることなんてなかった。彼が責任をとれと言われる前に、彼に存分笑わせてもらったわたしたちが、責任をとらなければならなかった。

そうしていれば、明日には、小林賢太郎氏の舞台を、わたしたちは、テレビで、観れたはずなのに。なんでいまわたしは、テレビの前じゃなくて、新幹線で、どこの誰ともわからんサラリーマンが首を65度に曲げなから爆睡している前方座席を見ながら、泣いてるんだ。もうすぐ新幹線はわが京都に着く。

つらい。こんな形で、小林賢太郎氏の名が知れ渡っていくのがつらい。彼のコントを、世界を、観たことがない人も彼のことをボコボコに言うのがつらい。おもしろおかし揶揄されるのがつらい。

しかし、それもまた、気色悪いわたし責任なのである。彼らより、彼女らより、先に、先に語りたかった。

推しは、推せるときに、推せ。

誰が作ったかわからんが、至言だと思う。推せるときに推せ。いいから推せ。ともかく推せ。しかし、時代は変わった。怒りや悲しみが容易に世界へ届くようになった。誰かの笑いは、誰かの悲しみになる。

行き過ぎた悲しみに気づいたときわたしたちは、立ち止まり、振り返り、それを受け止めなければならない。そして語る。

「その世界を作ってしまったのには、わたしたちにも、責任がある」

推し世界に魅了され、推し世界に生きてきたわたしは、いまここで誓う。気色悪いと言われようとも、恩着せがましいと言われようとも、その世界を終わらせないために、人知れず責任をとっていく。

それもまた、推すという行為なのだと、信じて。

そして、なにかが燃えて、燃えて、燃えて、燃え過ぎた焼け野原で、責任をとりながら両足をつける。そこからなにかを芽吹かせていく。作家という仕事に就いたなら、その責任も伴う。

最後に、蛇足だけど、これだけは。

10年、企業広報を務めた立場からえらそうに語ると、重役や有名になればなるほど、謝罪文はすぐに出せない。すぐに書くことはできる。でも関わる人が多すぎて、ありとあらゆるチェックが必要になる。「チェックするための事前チェックに回す前の念のためチェック」みたいなバグった概念普通に存在する。

完ぺきを畏れる社会で、人は、簡単に謝れない。

しか小林賢太郎氏は、解任の連絡があって、すぐにコメント自分で出した。前述のとおり、彼と彼の発言かば余地はないが、なかなかできることではない。

ついていくぞ、どこまでも。

(当初ここに、オリンピックパラリンピックについての表記がありましたが、本文の趣旨には関係ないのと、開催についてはいろんな思いで受け止められている方がいるので、削除しました)

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