真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
まあ実情として、ルールに不自由な思いをする人は少なくないだろう。
社会に帰属しているのだから、これは受けいれなければならない。
また、自由と同じく、多様な価値観を認知することも大事なことだろう。
だが、そんな多種多様な人たちが一つの環境で、それぞれやりたいことをやって社会は成り立つだろうか。
ルールとは、多少の不自由を考慮しても設ける必要があるから存在するのだ。
だから、ルールは人のためにあるのではなく、社会のためにあると考えたほうがいい。
それで誰かが守られたというケースはあるだろうけれど、それは社会を守る機能の一つの側面でしかない。
とはいえ、私が回答したのは「ルール」そのものの必要性で、各ルールに正当性があるかはまた別の話だ。
そして、それらは私が決めることじゃあない。
享受ではなく甘受では? それとも意図的に享受でしょうか?