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2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-07

会社を無断欠席していつまでバレないかやってみる

新卒でこの会社入社して、正社員として働き早三年が経った。

しょぼいと思われるかもしれないが、

自分の中で、新卒入社した会社を辞めずに三年続けるというのは、一つの大きな目標だった。

なぜなら、私はいつも、ある一つのことを続けていて、それが上手くいっていると急に台無しにしたてしまいたくなる癖がある。

中学生ときバスケ部に入っていた。毎日早朝と夕方から練習に欠かさず参加していたし、チームメイトの輪を乱すこともしなかった。二年生になれば、ときどき試合に出してもらえるようになるかもしれない、という未来も見え始めていた。

私は一年生の最終学期、突然練習に行かなくなった。退部届を出したかどうかも覚えていないけれど、二年生からは全く部活に行かなかったことだけは確かだ。

そのときのことは、正直昔すぎてあまりよく覚えていない。

単純に、どれだけ地道に頑張っても花形選手にはなれないと気づいていたから、努力するのが面倒になったのかもしれない。

ただ、そんなことは入ったばかりの頃にとっくに気づいていたはずなのに、なぜ一年続けた後で?という疑問は残る。

今でも古い付き合いの友達に「どうしてあんなことしたの?(とてもうまくいってるように見えたのに)」と言われてしま出来事の一つで、一番古いものであるのは間違いない。

それ以前もちらほらと、小学校読書クラブや、公民館児童クラブ友達に借りたゲームカセットで、似たようなことはあった気がするが、全て挙げていればキリがない。

それより象徴的なエピソードは、大学受験ときのものだろう。

私は県外の国公立大が志望で、地元私立大学も併願していた。

二年生から受験のことは意識して勉強していたので、滑り止めの私立にはあっさりと合格して、本命の国公立大学の前期試験に挑んだ。

父親はお前の好きにすればいいと言ってくれたけれど、母親過保護なところがあったので、地元に残って実家から通って欲しいという願望(つまりは、第一志望には受からないで欲しい)が見え隠れしていた。

そんな母に実は気の引けるところがあって、あんなことをしたのだろうかと、ときどき振り返って考えることがある。

だけどそれはおかしい、と同時に思う。

結局私は後期試験で県外の第二志望の国公立大学合格し、結局実家を離れることになったのだから

前期試験あの日、あの一瞬だけ、気持ちが揺らいだのだろうか?

自信はあった。

試験範囲勉強計画通りきちんと終えていたし、模試でもA判定かB判定が安定して取れていた。

今でも思う、あの日あんなことをしなければ、多分50%くらいの確率で、試験には受かっていた。

第一志望と、後期で入った第二志望の大学は、だらちも国公立大学だったけれど、知名度と規模の点で大きく違いがあった。

もし、合格して、入学していたら、大げさでなく人生が変わっていたかもしれない。

就職先も今の会社ではなかったかもしれない。

そうしたら、今日こんな風にズル休みしてこの文章を書いていることもなかったかもしれない。

前期試験の日、私は試験会場の前までたどり着いた。

しかし、私がその正門の内側に入ることはなかった。

受験生に向けて、いろいろなパンフレットや、サークルのチラシを配っている学生大人たちが待ち構えている花道を、私は通らなかった。

大学の正門前最後横断歩道を渡る前で私は立ち尽くし、しばらくそこで考えた後、踵を返して駅に戻った。

駅のトイレでしばらく座ってぼんやりしている内に、試験の着席時間が過ぎていった。

それでも、トイレから出て走って会場に向かえば間に合ったと思うが、私はそうしなかった。

駅のコンビニで、実際遅刻して走って会場に向かう他の受験生を見守って、完全に試験の開始時刻に間に合わなくなった頃に、電車に乗って、ホテルまで引き返した。

県外の大学だったので、受験会場のホテルに前日からまり込むことにしたのだが、家族はついてきていなかった。

好きなアーティストライブを見るために、一人で遠征することには慣れていたのもあって、親の同伴を断ったのだ。

少しだけ後悔している。

きっと母親ホテルに一緒に泊まっていた、会場まで見届けられていたら、流石にあんなことは出来なかっただろうから

私はやってしまった。

ホテルの部屋に帰ってきてから事の重大性に気付いて慌てて、色々な言い訳を考えたが、学校に行くのをサボったわけではないので、試験会場に行かなかったことが、学校にも親にもバレることはなかった。

感想を聞かれたら、「あんまりできなかった。落ちたかも」とだけ繰り返した。

同じ高校で同じ学部を受けた子はいなかったので、試験内容について詳しく聞かれてバレることもなかった。

受験発表の日、ネットで番号がないのを先生確認して、「ああ、落ちちゃったんだね」で終わりだった。

月日が経って、時効かなと思えるようになって、友達にこの話をしたことはあるが、半信半疑だった。

結局、受験していても受かっていたかどうかはわからない。

長い間志望校合格に向けてがんばっていたから、はっきりと不合格の通知を受け取るのが怖くて逃げたのかもしれない。

それくらいしかあんなことをした理由は考えられない。

思い当たることがあるとすればあと一つだけ。

学生の頃、留学資金を貯めるために、半年休学して工場で働いていたことがある。

いわゆる交代制シフトで深夜も稼働している工場で、かなりキツかったが、無遅刻無欠席で頑張っていた。

短期で来る人は流れ者のようなだらしない人も多かったから、班長からも信頼されて、普通社員しか触らない機械の整備もさせてもらったりしていた。

大学辞めてこのまま就職しないか、なんて誘われたりもしていた。

さらさらその気はなく、期間満了までしっかり働いて、爽やかに終われたら、と考えていた。

その最後の週だった。

作業中、絶対に押してはいけないと言われていたボタンがあった。

いわゆる機械の非常停止ボタンだ。

大型の機械には事故防止のための緊急停止ボタンがそこら中に設置されているのだが、中でも、本当に緊急のとき(例えば腕が切断されそうになった、とか)以外は絶対押すなと言われていた、装置全体の非常停止スイッチがあった。

他の停止ボタンと違って、プラスチックカバーで覆われていて、簡単には押せないようになっている。

この手の緊急停止スイッチは、いわゆる強制シャットダウンをするので、再び機械を稼働させる前にメンテナンス必要になり、その間はラインを停止させることになる。

一部だけが停止されるスイッチならば、20〜30分程度で復旧できるが、全体を止めてしまう非常停止スイッチを押してしまうと、一日作業が再開できないこともある。

そうすると、当然のことながら生産に遅延が発生して、多大な損害が生まれる。

これをして頭を抱えるのはお世話になった班長だ。

班長は私には親切にしてくれていたが、短気で気分屋なところがあって、前に契約社員が一部の動きを止める緊急停止スイッチを間違って押してしまったときは、手もつけられないくらい荒れていた。

からストレスが相当あるのだろう。パワハラ と取れるような発言も飛び出して、結局その契約社員は期間満了を待たず仕事を辞めた。

それより更に悪い、全体の非常停止ボタンなど、押していいはずがないのだ。

私はそれを班長そばで、班長の話を聞いて、誰よりも理解していた。

そして、一部停止のボタンを押すこともなく、これまで真面目に勤務してきた。

もうここまで来ればわかるだろうが、私は最後の週にそのボタンを押した。

プラスチックカバーを外し、そのボタンを押すところを、誰にも見られないようにやったつもりだったが、他の作業員に見られていた。

班長は結局、(私がしどろもどろの言い訳をした後で)pわざとやったわけじゃないんだろうと許してくれたが、後でその目撃者に、何であんなことしたんだと尋ねられて、私は答えられなかった。

その日の作業ができなくなって、社員以外は帰されることになり、ロッカールームで着替えている時に、聞かれたのだが、当然答えることができず、無言を貫いた。

その内相手は苛立ち始め、覗き込むように私を見た。

私は残りの着替えもおざなりに、荷物を全て持ってロッカーを出た。

流石に外までは追いかけてこなかった。

そのまま逃げるように家に帰り、次の日から工場には行かなかった。

掛かってきた電話も全て無視して逃げた。

いわゆる「飛び」だった。

最低最悪なことをしてしまった。

その事件の後、私は罪悪感と共に、大きな不安に襲われていた。

それは、「私は本当はすごく悪い人間なのではないか」という不安だった。

理由もなくこんなことをしてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない。

ただの怠惰や、逃避癖を超えた、もっと悪い何かが私の中に根付いていて、一生そのせいで私は周囲に迷惑をかけ続けるのだと思った。

怖かった。

とにかく怖くて怖くて堪らなくて、就職活動中、たくさん適性検査という性格診断のようなものを受けさせられるものから、この検査とやらで、私のその何か悪いものが見破られて、私はどこの企業にも就職することはできないのではないかと思うとさらに怖かった。

実際は、適性検査タイミング不合格となることはほとんどなく、まわりと比べて大した遅くもない時期に無事内定をもらえたのだが、そのとき自分にはそれが奇跡に思えた。

そうして入社したのが今の会社だ。

入社してからは嫌な上司に当たったり、苦労することも多かったが、今は待遇面で満足もしている。

こんな状況下でも収入は安定しているし、今の上司に感じている恩義も深い。

何よりこの会社に入るとき、心に決めていたことがあった。

自分は何か物事がうまくいきかけると、自ら全て台無しにしてしまう癖がある。

きっとこの会社もせっかく入ったのにそんな理由で、最悪の辞め方をしてしまいそうで怖い。

何があっても、三年は絶対に続けよう。そう決めていた。

そして今年の四月で、見事それを達成した。

ああ治ったんだ、と私は思った。

私はもう、大丈夫なんだ。普通の人と同じように、最後まで頑張ることができる。人を裏切ったりもしない。逃げたりしない。もう大丈夫だ。

その自信が私を強くして、責任を持って仕事をできるようになってから毎日が楽しかった。

そうだ、毎日が楽しかった。

今日も、連休前に済ませたい仕事がいくつかあって、それを終えれば長いお盆休みに入れたのだ。

それなのに、私はまたやってしまった。

はいつもより少し早く起きて、サボりがちな朝食も食べる時間があった。

会社に行く用意は前日からしてあって、あとは外に出るだけだった。

私は時間になっても、家の机に座ったままだった。

一人暮らしなので、誰かがそれを指摘することもない。

会社の始業時刻は朝9時だけれど、営業直行直帰が多いのと、フレックスで事前の申請があれば11時までに行けばいいというルールもあるので、9時の段階ではまず誰からも連絡はなかった。

申請は出していないけど出し忘れたと言い訳すればいい。11時までに行こう、と私は思った。

11時を過ぎて、まずい、と思った。

遅刻するだとか、体調不良で休むだとか、連絡をするならこれが最後のチャンスだ。

私は静かに時計の針が回るのを見ていた。

父親就職祝いに買ってくれた時計だ。

それを嵌めて、今日もいつものように出社するつもりだったのだ。

ほんの数時間前までは。

私はじわじわと、これもまた「同じ」なのだ気づき始めていた。

怠惰なのか、逃避なのか、わからないが、自らうまくいっているもの台無しにしてしまう癖。

治っていなかったのだ。

三年が終わったので、気が緩んでいたのだ。

ああこの会社は本当に、私を雇ったのは間違いだった。

この病気は一生治らない。

発達障害だとか、そういう診断をしてくれるクリニックに行ったこともあるが、自分を責めすぎないでと言われて抑うつ剤を出されて終わりだった。

たとえ発達障害が原因だとしても、治療法はないのだから一生この自分の悪癖と付き合っていくしかないのだ。

ああ自分を責めるなと言われても、こんな風に周囲の人の信頼を裏切ることを繰り返してしまうのはやっぱり私が悪い人間である証明ではないか

ああ怖い。

恐ろしい。

いっそ死にたい

会社からはまだ連絡が来ない。

上司は午前中は外出の予定があったから、メールさえ家から送れば、すれ違いだと思われておしまいかもしれない。

明日からお盆休みから休み明けに何食わぬ顔で出社すれば案外バレないものなのかもしれない。

しかし、私がまた「やってしまった」ということに変わりはない。

私が「そういう人間」だということに変わりはない。

私は

私は……

2020-08-01

ニュースコメンテーターで出てる大学教授

大学がどんなレベルなのかさっぱりわからない。

なんとか国際大学とか

なんとか情報大学とか産業大学かばっかり。

国公立大学早稲田慶応教授なら

なるほど、さすがやなとか思えるんだろうけど

平日にテレビに出ちゃえる私立大学教授の言うことなんて

って思っちゃう

東大京大とかそういう日本最高学府の知見が知りたい。

2020-07-10

anond:20200710004700

それが効くのはこいつだけだぞ

人口の2%しか持ってない高IQ(anond:20200706043821)

「あの人メンサ会員なんだって。すごいねー」

と言ったら

人口の2%って結構多いよw」と返す人がたまに居る。日本の難関国公立大学合格者が受験人口の2%ぐらい。当人はそこ入れてないし、交友関係にもそこの出身はいない。同学年に400人いたとして、Top10に入るのってすごいと思うんだが。

例えば42kmのマラソンを走ったこともない人がさ「そのぐらいの距離を走れる人って結構いるよ」って言うのって、あたし、違うと感じてたハッハ〜

 ↓

正直な感想を言っただけやん?

おべっかい使う必要があるシチュエーションだったらなんとか必死言葉を捻り出すけど

そうじゃないシュチュエーションにおいては

『割といるんじゃね』ってだけでも親切な反応じゃね?

リアクション返してる

 ↓

まあお前は間違いなく上2%に入ってない低学歴だろうな。 文を書かせるとそいつ知能指数学歴って大体把握出来る。

 ↓

増田にとってはその2%が重要でも

ワイにとってはその2%は重要ではないのだ

何故ならワイは増田ではないからだ

ワイは本を読むことが年収に繋がるという妄想って常々思っている(anond:20191222122600)

けどやたらコンプレックスあるヤツおるよな

2020-07-06

それでもナンパする矛盾

受け身でいる方がモテるのに、僕はナンパしている。

ナンパってのは押す要素が大切となる場面が多々ある。特に声掛けから数分くらいは。

とは言え国公立大学理系に進学したため、ナンパしないと基本的にかわいくてオシャレな女の子とは出会えない。

文系にはオシャレな子もいるっちゃいるけれど、偏差値高めだとその数は少なくて、みんなオシャレとかあまり関心ない感じ。

高校大学など、自分からコミュニケーション取りに行ったものは大体恋愛として失敗して来た気がする。

なので受け身型のコミュニケーション自分には合っている。

しかナンパしないと良い女との出会いはない。

どうすればいいものか?

ていうかマスクされてると顔が分からないし、声掛けしにくいね

人口の2%しか持ってない高IQ

「あの人メンサ会員なんだって。すごいねー」

と言ったら

人口の2%って結構多いよw」と返す人がたまに居る。日本の難関国公立大学合格者が受験人口の2%ぐらい。当人はそこ入れてないし、交友関係にもそこの出身はいない。同学年に400人いたとして、Top10に入るのってすごいと思うんだが。

例えば42kmのマラソンを走ったこともない人がさ「そのぐらいの距離を走れる人って結構いるよ」って言うのって、あたし、違うと感じてたハッハ〜

2020-07-04

anond:20200704172718

国公立大学でも中学レベル英語数学が怪しい人が無視できない割合入学してくるのに、インテリぶって教養大事」とか言ってる人は地に足ついてないと思う

単純に確率的に考えて、彼らに教養があるのではなく、自分も「できない側」の人間であることを自覚できていないのだと思う

2020-05-30

anond:20200530183306

うそう。

国公立大学教員や公設研究所職員公務員だし

公立小中高校教員公務員だし、

公立病院の医師看護師公務員だし、

公立児童養護施設職員公務員だ。

公務員という敵を叩けば日本は復活するという連中で日本はめちゃくちゃになってしまった。次の産業の種を作る国公立大学や公設研究所職員公務員だということも含めてな。

2020-05-21

anond:20200517050856

書かれてる大学から察するに近畿、広く見積もって関西圏だろ?

じゃあ知らなくても不思議はないな、と思う。関関同立はさすがに知ってるだろうし。

南山西南をほかの地方の人が知らないように(多分元増田も知らんだろう)、

MARCHなんて関西公立にいて聞くこともないだろう。

だってMARCHは知ってたけどICU東京電機大は聞いたこともなかったし、

理科大がどの位置づけにあるのかもわかってなかった。

なぜならそこは「自分が進学する可能性が微塵もない」大学からだ。

公立が基本で、その中で自分レベルに合わせて行くところを検討する、

現役だったら私立は受けもしない、浪人したら自宅から通える関関同立も滑り止めかなぁ、でもそこまで下げたくはないなぁ...

関西公立トップクラスの成績だったらこんな考えの奴はごくごく普通にいる。

ちなみに教室に文理別の国公立大学偏差値一覧が貼ってあったりして

国公立大学レベル感は何となく知っている。下の方もネタとして見ていたりする。

琉球大学北見工大なんだけど、名前だけなので北見工大の場所を示せるやつはいないだろう。

俺は元増田の「諦めたとして」の大学に行ったのでレベルではもっと下だけど、

多分あなた認識はそんなにずれてない。

ただ、大学に入るための知識テクニック仕事(就活)や恋愛結婚(婚活)に使う知識テクニックは違うので

その違いを認識して必要努力をできるかどうか、かな。

周りの東大京大生を見るとこの「必要努力を惜しまない」ことが1つの才能なんだと思う。

2020-05-12

教師の息子(失敗作)です

 

大学大学院とのんびりと生きてきた。その後シンクタンク就職したが出来ない仕事を振られ精神的に摩耗し精神病を発症

紆余曲折があり「本物の」障害者になった。

最終的に復職できずそのまま解雇され、実家から離れた遠い東京砂漠の片隅で親の経済的支援公的保障で何とか一人暮らししながら食いつないでいる(無職)。

結局自分は失敗作だったんだなと。誰の期待にも応えられていない。親に経済的負担ばかりかけている。

月刊少年ガンガンJOKER』を近所の本屋で買うという禁忌を犯したし、もうだめです。

実家の両親(特に父親)は自分障害者だということを知って内心せせら笑っているだろう。

教師の息子でも失敗作。それが自分

2020-04-20

anond:20200420142332

院生プロ棋士たまご)が通うような道場にタダで通ってるようなものだと思えば、安めの国公立大学学費ぶんくらいの得はしていると思われ。

2020-04-09

最近若い子は豆腐メンタル

パナソニックの子会社の件だが。

なんともやるせないし、新卒指導する可能性がある立場としては面倒な時代だなぁとも思う。

時代の流れに適応すべきなのはオッサンの方で、自殺した子には何ら罪がないと思ってる事は言っておきたい。


内定辞退して欲しくないか連帯感出させるためにやってるはずのSNSで、

参加を強要して、クソしょうもない本の感想文書かせるとかい時代錯誤も甚だしいゴミみたいな課題だしたら、近頃のまともに勉強して来てる大学生は嫌気がさすに決まってる。

その結果として参加をしなくなった学生を責め立てて自殺に追い込んだのは、本末転倒すぎて酷すぎる事件だと思う。

一方で、全く自殺する必要がなさすぎて、死に至った理由が分からない。

「こんなくだらない課題やる意味分からん。こんなんなら内定なんぞ要らんわ。」

位の事を言って、就職しなおしたっていいと思うが、出来なかったんだろうな。



近頃の大学生は、昔と違って真面目で出来がいい子は増えているってのが実感としてはある。

上位の国公立大学出身以外の日東駒専程度の卒業生でも真面目にやってきてる感じで好印象ではあるのだけど

いかんせんメンタル弱すぎて、扱いに困ることがしばしばあるし、割れ物を扱うように新卒指導するのが面倒で中途採用希望したくなる。

研修課題が出来なくて、何が分かってないかも上手く説明できないくらいで、

「何が分からないのかくらい説明できる程度には基本が出来てないと、一か月ではどうにもなんないぞ」

研修中は客だけど、いつまでも優しくはされんよ。これから苦労したくなければ、勉強する習慣をつけろ」

と言おうもんなら、ポロポロと泣き始める。

怒られることに全然慣れてなくて、発破をかける事も躊躇われる事も結構あるので言葉のかけ方から考えないとならん。

そういう意味では、体育会系部活出身上級生や監督に怒鳴られて出来るようになっていく経験のある子は、とても安心する。

「そうか分からないんだね。分かるようになるまで一緒に頑張ってみよう!」

ってアホになって指導する必要がないのは、指導する側としてはやりやすいから、

理系研究開発系の企業であっても、勉強ばっかりの子よりも体育会系が好まれたり

厳しい指導で知られてる研究室の出身者が好かれるのは、自然なのかもしれない。

うちでも同じスペック評価なら、大学まで体育会系部活やってましたって子の方を、温室育ちより優先することになるのは事実だ。

新卒を育てるのは会社としては重要でも、現場で働く個人にとっては片手間の面倒な仕事しかないし、

面倒な仕事をやるならば、価値観が大きく違わない、自分と変わらない指導方法で育ってきた子の方が手間をかけずに知識技術を仕込める。


豆腐メンタル若い子は扱いに困るから要らん、とは言えだ。

オッサンの側も変わらんといかんよなぁ。

氷河期世代直後位の俺の時代は、まだ悪さをしたら近所の大人にすら殴られる事がある位で、親や教師を含めて自分を教える立場大人に恐れと敬意の双方を持って接してたと思うが、近頃は我が子を叩くことすらNGという時代だし、

その流れで扱いに困る子が増えてしまうのは会社としても不可避だが、会社新卒必要とし続けるのも分かってることだし、

厳しくない教育の良し悪しは別の話で自分の子供への教育の仕方も別の話ではあっても、部下となる新卒への接し方を変えるべきなのはオッサンの方なのは間違いない。

笑ってしまうくらい挫折を知らない弱い子が量産される時代の流れは、もう今後は変わらん。厳しく育てるつもりが下手したら殺してしまう事は肝に銘じておきたい。

「そうか分からないんだね。分かるようになるまで一緒に頑張ってみよう!」って児童教育番組のお兄さん方式を、新人教育するならオッサンも出来なくちゃいかんのやな。

ニュースを見て、とりとめなく、そんなことを思った。

2020-02-28

子供を家で育てるのはやめるべきではないか

子供を産んだら20年間365日24時間専用の施設に預けるルールにした方がましではないだろうか?

親が子供に会いたいなら週末にちょっと顔を見にくればいい。

理由は以下だ。

設備投資

・親の育児能力が低い子供の救済

ピークコトロール

・親のキャリア問題

1.設備投資

子供ができた家庭は、おもちゃや小さい滑り台やウレタンマットを購入する。また、机や箪笥の角には頭をぶつけても大丈夫なようにゴムを取り付けている。

子供ができたすべての家庭がこれらをそろえるのは無駄ではないか

ちっちゃい子供が過ごす場所社会として限定すれば、設備投資費が少なくて済む。

家賃問題もある。夫婦二人なら四畳半のボロアパートでつつましく暮らすことも可能だ。しかし、子供が騒ぐと近隣住民迷惑になってしまう。だから子供ができたらそれなりの防音設備のある部屋に引っ越さなければいけない。それが不可能だったら最初から子供を作ることをあきらめてしまう。残念だ。だったら、子供が暮らす部屋と両親が暮らす部屋を完全に分けた方が良いだろう。

地味な問題だが、自宅に救急箱をちゃんと用意していない家庭もあるだろう。子供が転んでけがをするたびにマキロン探しをしている親は多いはずだ。「最後マキロン使ったやつ誰だ!」と。保育園ちゃん備品管理をしているはずなのでそういうことは少ない。こういう些細なことでも、各家庭と育児専用施設設備力の差が感じられる。もはや子供が両親の家に住む合理的理由はないと思う。

2.親の育児能力が低い子供の救済

率直に言って世の中の親の大半は育児が下手だと思っている。

知識技術や体力や精神面でプロ保育士レベルに達していない人が大半だと思う。

だって子供をまともに育てられる気がしない。こんなの素人には不可能だと思う。

だったら24時間プロの元に置いておいた方がましではないか

僕は特別おかしなことを言っているとは思わない。自分の子供がプロ野球選手になれるかもしれないと思ったらリトルリーグに入れてコーチ野球を教えてもらうだろう。名門中学に入れるかもしれないと思ったら専用の塾に入れるだろう。であれば、自分子育てが下手だと自覚している親がいたとして、その親が育児を一切放棄して専用の施設に預けたとして、それは正しい選択だと思う。親にとっても子にとってもそっちの方が良いはずだ。そして、ほとんどすべての親は子育てが下手だと思うのでそうすべきだ。

例えば「叱る」と「怒る」は違うとよく言う。しかし、口で言うほど簡単なことではないだろう。あまり表に出さないだけで、苦しんでいる親はたくさんいると思う。

ついカッとなって子供をキツく罵ってしまったり手を出してしまったりして後悔した経験がある親はたくさんいるはずである

社会制度の方が変わっていかないといけない。親を支えないといけない。

ニュースを見ていると「こんな奴が子供を作るなよ」と思うことは多いだろう。しかし、それを言ったところで子供は救われない。また、そういうことを口に出す人が増えると「自分なんかが子供を作っていいのだろうか」と気後れしてしまう人が増える。それは不本意だ。

問題本質は「子供を作った人が責任をもって子供を育てないといけない」というルールにある。「子供を作っても育てないでいい」というルールにするべきだ。

3.ピークコトロール

核家族ピークコトロールしづらい。もし2人の親に2人の子供がいたとする。これならぎりぎり回る。しかし、突然片方の親が熱を出して寝込んでしまったとする。急に一人で二人の面倒を見ないといけなくなる。詰む。

これが保育施設であれば、(普段からゆとりを持った人員配置ができているなら)保育士さんが一人か二人寝込んだとして、何とか融通可能だろう。

また、夜泣きという問題もある。日中働いている両親が深夜に数時間おきに起きて授乳をして、睡眠不足なまま朝から会社に行くのは、不健康だし非効率だ。施設であればシフトを組んで夜勤を作れる。こっちの方が良い。

4.親のキャリア問題

子供を作ると、ハッキリとキャリア毀損する。男女関わらず。

給料を増やしたいなら子供を作らないほうが圧倒的に有利だ。

特に「家で資格試験などの勉強をできるか否か」が大きなポイントだ。これはいくら社会子育て世代に受容的になったり経営者が寛容な制度を作ったって関係ない。

日本子育てしている人に冷たい社会だ」などという言説は(事実かもしれないが)本質を外している。

子供を作ると家で勉強する時間がほぼ取れなくなる。その時点で社会がどう変わろうと無理なものは無理なのだ

だったら、子供を育てる専門の人とそれ以外の子供を育てない人に分けたほうが社会効率が良くなる。

これは、経済学の基礎である比較優位法則」で説明できる。

キャベツを作るのが得意な人とニンジンを作るのが得意な人が、それぞれ別々に5キロずつキャベツニンジンを作るより

片方がキャベツを10キロ、もう片方がニンジンを10キロ作るほうが効率がいいだろうという理論だ。

親は子育て時間を取られるよりも、子供施設に預けて自分キャリアのために時間投資した方が社会全体が豊かになるに決まってる。

いくつか反論があると思うので先回りして答えておこう

1.子供がかわいそうだ

素人の親が子供を育てるほうがよっぽど子供にとってかわいそうだと思う。

小学生にもなってお箸が持てなかったり敬語が使えなかったり虫歯だらけだったりする子供を見たらかわいそうに思う。

有名国公立大学に入れる才能を持っていたのに高卒の両親が上手に伸ばしてあげられなかったりすることがある。残念だ。下層社会再生産になってしまう。

今の育児環境の方がよっぽどかわいそうだ。

補足として個人的感情を言うなら僕は親が嫌いだ。こんな奴が子供作るなよと思っている。

2.親がかわいそう

子供は親のために生きてるのではありません。

少子化観点でいうと「自分で育てれないなら子供を作らない人」と「自分で育てなくていいなら子供を作る人」の量を比べると、どちらも一定数いると思うが、後者の方が多そうだから子供が増えると思う。

親にとっても悪い話だけではないと思う。

親にも親の人生がある。

今の社会子供を作ると人生ほとんどを子供に持っていかれる。

親も自分人生謳歌できるべきだ。

仕事に熱中したり趣味を楽しんだりしていいはずだ。

現代社会では子供を最優先にしない親に対する風当たりが強すぎる。変えていかないといけない。

あと、こう言う意見を言うと「自分にとっては子供が全てだ。自分子供のために全てを捧げている。他の人もそうすべきだ」的なことを言う人が出てきそうだ。

多分そういうことを言うせいでみんな困ってるんだと思う。自覚して欲しい。

大体会社にいる「自分仕事に全てを捧げています」系の人は仕事できてない人が多いので、そういうこと言っちゃう親は子育て下手な親だと思う。

3.地域社会や大きな家族大事

それはそうだが、デメリットも大きい。

ジジババに子供を預けた時に「これはアレルギーから食べさせないでください」といったら、ジジババが「好き嫌いはよくないから」と言って食べさせた結果マーライオンになった。というような話はよく聞く。

周囲も育児素人であるという点は変わらない。

4.ポルポトがー!

それはポルポトが悪いのであって制度が悪いわけではないと思う。

5.今の保育園の現状分かってんのか

親のキャリアのところで触れたが、比較優位法則説明がつく。税金を減らして各家庭で親が育児にかかわる時間を増やすのと、税金を増やして親が育児にかかわる時間を減らすのでは、後者の方が生産性が高い。よって税金を増やせばいい。

今よりはるか資金を投入できる前提で考えるべきだ。

6.施設による虐待リスク

それはそうだと思うが、比較で言えば家庭より安全だと思う。

殺人事件加害者児童に対する性的虐待加害者も身内が一番多い。

知り合いの介護士も、他人介護はできたが自分の親の介護はめちゃくちゃ辛かったといっていた。程よく他人じゃないと感情が入ってしまって逆に辛いんだろう。

2020-02-25

anond:20200225181504

増田で数年ごとに定期はしてるけど

厚労省にいったところで返答はわかってる

厚生労働省医者より高い給料出せないけど普通に公務員試験うけて自然にあつまってきたら採用するつもりはある」「いざとなったら安月給で雇ってる国公立大学医学部教授文科省づたいにちょっとおしえてもらうからいい」

他の役所プロに金を出す気がないからな

2020-02-16

ご当地東工大コピペ

ご当地東工大コピペを作る試み。

東工大コピペ

2ch(現5ch)の著名なコピペの中に「東工大信大コピペ」なるものがある。

お盆に、親父と長野の親戚の家にいった。

伯父(高卒市議)も来ていた。

伯父「○○君も大学生か!小さい頃よくだっこしてやったんだぞ!がっはっはー」

俺 「覚えていますよ」

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「東工大、あっ、東京工業大学です」

伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

親父「無言・・・(瞳が潤んでいた)」

伯父「おい、信大生こっちこい(息子の××を呼ぶ)」

「○○も大学生だ。○○と昔よく遊んだだろ!」

向こうでも大学の話をしていたらしい××が鼻高々でやってきた。

××「(馴れ馴れしく)○○、久しぶりー、元気!」

「あっ、叔父さん、こんにちは、俺、今年から大学生になりました。」

親父「そうか、大きくなったな」

××「信大に行っているんですよー(勝利者宣言)○○君はどこに行ったの?」

俺 「東工大w」

ニヤついている伯父を尻目に、一瞬にして××の顔色が変わった。

伯父「○○に勉強教えてやれよw」

××「(しばし、絶句・・・みっともないからやめてくれよ親父」

伯父「?」

動揺しまくりの××は伯父を速攻連れだした。

以後、伯父親子は、俺達のいるテーブルに加わらなかった。

久しぶりに無口な親父の晴れ晴れとした顔をみた。

帰り際、充血した目をした伯父と目があった。


コピペの大枠としては、

高卒就職した伯父が、大学受験を経験していないためか、高校受験における普通科高校に対する職業科の高校である工業高校と同様と認識(いわゆる普商工農の序列)、あるいは東京工業大学をただの無名工業大学認識していたために、地元の有名進学校松本深志から地元国立大学信州大学工学部)に入った伯父の息子「××」(「俺」のいとこ)の方が優れていると認識(誤認)して話している、というものである

A高(地元トップ校)からB大(地元国立大学)が東工大より優れている、というものであるが、長野以外だとどうなるのか、どういったものがあるのかという発想からこの記事は来ているものである

おことわり

記事作成者イメージと、実際に地元で思われているイメージとは違うのかもしれませんが、何卒ご容赦ください。

また、大学は、有名な高偏差値であること、よりも何を学びたいか(何をしたいのか)で選ぶものであると思います。勿論、高い偏差値大学学習環境相関関係にあるのかもしれませんが、何処(大学)で、何(学部学科)を、誰(教員ゼミに学ぶのか、その視点をどうか忘れないでください。

コピペでは工学部とあったので、基本的学部工学部しましたが、工学部存在しない大学については理系学部理学部情報学部)にしました。

凡例

有名進学校-地元国公立大学

コメント

地理的に離れている等で、一部の都府県に公立大を入れてあります。)

北海道

札幌南-北海道大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元に留まるなら、悪くなさそう。

東北

弘前-弘前大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!弘高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

盛岡第一-岩手大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

仙台第一-東北大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!一高から東北大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

鳥人間コンテストに参加したい、航空宇宙学を学びたいのかな?

秋田-秋田大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!秋高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

山形東-山形大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山東から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

福島-福島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!福高から福大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」

関東

水戸第一-茨城大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!水戸一高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

土浦第一-筑波大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!土浦一高から筑波大理工学群だぞ!(勝利者宣言)」

宇都宮-宇都宮大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!宇高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

県立前橋-群馬大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!前高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

県立浦和-埼玉大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!浦高から埼大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

千葉-千葉大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県千葉から千葉大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

日比谷-東京大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

(「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!日比谷から東大理一だぞ!(勝利者宣言)」)

※お互いに認め合ってそう。

立川-首都大学東京東京都立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!立高から首都大システムデザイン学部だぞ!(勝利者宣言)」

横浜翠嵐-横浜国立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!翠嵐から国大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

柏陽-横浜市立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!柏陽から大理学部だぞ!(勝利者宣言)」

北陸・甲信】

新潟-新潟大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!県高から新大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

富山中部-富山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?中部から大工学部やぞ!(勝利者宣言)」

※自宅から通えない(一人暮らし許可されない)女子学生だと、頭が良くても富大に行くらしい。

金沢泉丘-金沢大学

「お前と同じ年の息子の××覚えとるやろ?泉から大理工学域やぞ!(勝利者宣言)」

※伯父はマジで誇ってそう。金大生、ああいい響き。息子が松本深志から信大に行って誇る気持ちも良くわかる。

藤島-福井大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!藤島から福大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

甲府南-山梨大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!南高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松本深志-信州大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

東海

岐阜-岐阜大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!岐高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

浜松北-静岡大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から静大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

旭丘-名古屋大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!旭から名大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

トヨタとかトヨタ系列名大出身者が多いみたいなので、トヨタ系に就職なら名大で良いのかも。

四日市-三重大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!四高から三重大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

関西

彦根東-滋賀大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東高から滋賀データサイエンス学部だぞ!(勝利者宣言)」

堀川-京都大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!堀川から京大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

東工大京大も最高の研究環境にあると思う。

北野-大阪大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北野から阪大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

西日本人間なので、東工大より阪大に行きたい。変わらないと思う。

三国ヶ丘-大阪府立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!三国から大工学域だぞ!(勝利者宣言)」

※市大との合併で「大阪公立大学」になるそうですが、相乗効果とやらで神大は越えられそうですか……?(小声)

神戸-神戸大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!神高から神大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

経済経営等、社会科学系が強いイメージなので、理系学部はあまり印象にない。

加古川東-兵庫県立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!かことんから大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※同じ県内関西で別格とされている神戸大がある影響で、肩身の狭い思いをしていそうだけど、地元播磨地区を中心にリスペクトされていそう。

奈良-奈良女子大学

「お前と同じ年の娘の××覚えているだろ!奈良から奈良理学部だぞ!(勝利者宣言)」

奈良県のみ共学の国公立大に理工系学部がなかったので、女性に改変。

桐蔭-和歌山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!桐蔭から和大システム工学部だぞ!(勝利者宣言)」

中国

鳥取西-鳥取大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松江北-島根大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!北高から島大総合理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

岡山朝日-岡山大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!朝日から岡大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元縛りだとそうなりそう。

基町-広島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!基町から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元縛り(ry。でも広島大学地域の基幹大学として研究環境は良好だと思う。

山口-山口大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!山高から山大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

四国

城東-徳島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!城東から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

高松-香川大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!高高から香大創造工学部だぞ!(勝利者宣言)」

松山東-愛媛大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!東から愛大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

高知追手前-高知大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!追手から高知大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

九州沖縄

修猷館-九州大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!修猷から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

地元就職かな? 東工大ぐらいなら、九大でも良いや、って思われる方はどれぐらいいるんだろう。

小倉-北九州市立大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!倉高から北九大環境工学部だぞ!(勝利者宣言)」

佐賀西-佐賀大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から佐賀大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

長崎西-長崎大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!西高から長大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

済々黌-熊本大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!済々黌から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※校地が隣なので、自然の流れで…

大分上野丘-大分大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!上高から大理工学部だぞ!(勝利者宣言)」

宮崎大宮-宮崎大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!大宮から宮大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

鶴丸-鹿児島大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!鶴丸から鹿大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

開邦-琉球大学

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!開邦から大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

その他

一橋大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「一橋大学です」

伯父「そうか、私立大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大経済学部だぞ!(勝利者宣言)」

関東外だと私大と思う人多そう。

名古屋工業大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「名工大、あっ、名古屋工業大学です」

伯父「そうか、工業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!でも浪人しなくてよかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※どっちでも良い希ガス

京都工芸繊維大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「工繊大、あっ、京都工芸繊維大学です」

伯父「そうか、工繊大か!上田と並ぶ繊維の名門じゃないか!よかったな!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

※そうはならんか。

東京農工大学編】

伯父「どこの大学に行っているんだ?」

俺 「農工大、あっ、東京農工大学です」

伯父「そうか、農業大か!高校時代遊びすぎたんだろ!もう大根踊りは踊れるようになったか!」

「お前と同じ年の息子の××覚えているだろ!深志から信大工学部だぞ!(勝利者宣言)」

大根踊り東京農業大学。かの有名な白石さんが勤務していたのが農工大生協東京関東)で就活するなら農工大地元なら信大なのかな。

感想

貴重な休日を潰してまで書くような内容じゃなかった気がする。

お国言葉に改編して、よりリアルご当地東工大コピペを完成させてください。

上記学部学科2020年2月現在のものです。)

2019-12-08

anond:20191207235232

再分配やセーフティネット国公立大学無償化など良い面がなくなって、悪い面だけ全部やらせるんだろうな。維新や、自民流派や、民主流派新自由主義の連中に委ねたら。

2019-12-07

氷河期正社員にするのではなく、正社員自体を無くしてしまえばいい

正社員(超既得権益)自体いらない。

一度雇ったら定年まで解雇できないとか、スキルアップしなくても昇給とか、年功序列とかバカげている。

正社員公務員解雇規制を緩和

副業禁止禁止

裁量労働制導入

時間給ではなく成果給

リモートワークやフリーランスなど自由な働き方を増やす

こうなると雇用が流動化し、企業無駄コストもなくなる。

人手不足企業は、労働力確保のために非正規中途採用人件費をあげるだろう。

そもそも正社員から生活できない」とか「結婚子育て出来ない」とかそういう常識がいらない。

儲かった企業個人からの税収で、国が再分配し、低所得者や無収入者に給付すればいいだけ。

企業従業員生活保証雇用保証をふる必要はない、国のセーフティネットがあればいい。

低所得でも子育てができるように、国公立大学まで教育費は完全無償化

日本維新の会投票してください。

2019-11-29

anond:20191125125738

「そして過去に頭も画力も足りなくて親に大反対されて美大に行かなかったことを思い出してなおさら死にたくなった。」

ここが惜しいよなぁ。頭も画力も足りない状態でも行ける美大に親を納得させて行っとけば……

国公立大学芸術学部とかだったら、親目線でも国公立大学ということで一定の信頼があるし、学費も安いし、増田美術を学べるし、三方良しで丸く収まったろうに。

千葉大デザイン工学部とか九州大芸術工学部とかだと頭良くないと行けないから難しいけど、新設の秋田公立美術大学とか長岡造形大学だったらセンター微妙かつ画力もそこそこの状態でも受かる可能性高かっただろう。惜しい惜しい…。

2019-11-26

芸大を除く国公立美大ランクについて

公立美大ランクといえば、やはり東京藝大、京都市立芸術大学金沢美術工芸大学愛知県立芸術大学の、名門「四芸大」が最上位として君臨することは広く知られています

では、それ「以外」の国公立美大では、その実力評価は如何なるものか。

近年、日本各地に少しずつではありますが四芸大以外にも国公立美大が増え、かつてはそもそも公立は四芸大しか無かった厳しい時代と比べると、受験生選択肢が増えているのは喜ばしいことです。

芸大比較すると格が落ちるとはいえ、やはり国公立大学として一定の質が保証されており、どの大学一定程度以上の入試倍率を誇ります無名であっても、その難度・経済性・安定性は有象無象Fラン私立美大とは比較になりません。

私立美大はいつの時代学費が高額ゆえに、家庭の経済状況が厳しいが美大へ行きたい学生にとってこういった国公立美大群が存在するということは大変な助けとなっております

また、地方新規才能発掘の受け皿という意味でも意義あるものです。

 

そんな国公立美大群をランキングにするならどういう形になるか、どの大学が四芸大を除いた時にトップとして相応しいか、皆様のご意見を拝聴したいと思います

以下に、評価対象となる大学を挙げていきます

ここには、総合大学芸術学部も含まれます。(勿論、教育美術系を除く)

また、「デザインしかない」大学は、ファイン系が存在しないことで美大定義からは外れると考え除外しています。(デザイン学部のみで大学が成立している長岡造形大学を除く)


秋田公立美術大学

長岡造形大学

富山大学 芸術文化学部

筑波大学 芸術専門学群

静岡文化芸術大学

尾道市立大学 芸術文化学部

広島市立大学 芸術学部

佐賀大学 芸術デザイン学部

沖縄県立芸術大学


以上の大学ランキング形式で並び変えてみてください。

あるいは、「トップ5」とか「トップ3」を選び出すというのでも結構です。


しかし、一覧してみるとやはりまだその数の少なさに驚かされますね。

私立を含めると美大というのは結構な数が存在しますが、学費負担の軽減に大きく貢献する国公立となると急にその数を減らし、たったこれだけの数の大学椅子を、経済的にそれほど富裕でない全国の国公立美大志望生達が一斉に争うのだからそりゃどの大学も倍率が上がるというものです。

個人的には近畿圏京都市芸以外にももう一校くらい国公立美大選択肢があってもいいと感じます

(例えば大阪とか兵庫かに)(京都工芸繊維大学というイレギュラー存在しますが)

2019-11-01

anond:20191101185117

なるほど、分かりやすく書いてくれてありがとう

かに努力自体田舎でも価値があるね。

でも勉強への「努力」は「ガリ勉」という言葉に変換されて馬鹿にされるんだよね。なぜか。

ただ、考えてみたら「都会の」国公立大学である必要はないかもね。

田舎でも勉強努力必要大学では、同じように勉強を頑張ってきた人間が多いはずだから勉強努力を知っている人間がおおいよね。そこに都会、田舎区別必要いかも。

2019-09-28

英語民間試験対応未定大学に"ペナルティー"検討

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO50356620Y9A920C1CZ8000/

> 大学入試センターから民間試験の成績の提供を受けられないようにする措置

これは「ペナルティー」ではないのでは?

「使いたい」と思っているわけではないのだし.

すべての大学国公立大学私立大学)が2020年度の入試民間試験を使わないと宣言したら,

とりあえず2020年度の入試についての問題はだいぶ単純化される.

国語数学記述問題くらい.

あとは2024年から民間資格・検定試験に一本化というのが延長されれば良い.

まりそれだけの選択する権限大学には与えられている.

民間試験を使わなかったので,補助金停止」が後付で来るリスクを選ぶか,

民間試験を使うことにしたので,受験生が減った」となるリスクを選ぶか.

試験を準備する側としても,何人の受験生が受けるのか分からなければ,対応が難しい.

当然の措置のように思う.

2019-09-25

anond:20190925132325

http://lib.ouj.ac.jp/use/service.html

相互利用サービス(他大学図書館等の利用)

必要資料が本学図書館にない場合国立国会図書館や他の大学図書館等を利用することができます

直接利用

学生が他の図書館を利用する場合相手図書館必要に応じて、本学附属図書館長の「資料利用依頼状」 ( 紹介状 ) を発行します。利用希望日、資料などを特定した上でカウンターに申し込んでください。

なお、原則として、国公立大学図書館紹介状が無くても利用(閲覧)できます

また、所属する学習センターの近隣の大学図書館を利用(閲覧・貸出)できる場合がありますので、学習センターにご確認ください 。 <申込書[PDF/WORD]> <詳細>

一応問い合わせた方がいいけど、原則的には利用出来る。原則外でも紹介状を出して貰えば出来る。

2019-08-04

年上の方に結婚してもらいたい

そろそろ結婚してもいい年だと思うし子供も欲しいので結婚したい。

でも出会い普段生きている中で全然ないし、

めんどくさがり屋ですごい恋愛したいとかでもないので、

ちょっと上の年代のもう遊ぶのはよくて結婚したいってなってる人に結婚してもらいたい。

一応カタログスペックはこんな感じ(特定されないために少し変えてます。)

年齢 : 二十台半ば

職業 : 一部上場IT企業エンジニア

年収 : 650万ぐらい

貯金 : 今の年収以上はある

学歴 : 関東国公立大学

住居 : 東京都一人暮らし

家族 : 次男、両親は田舎の持ち家にいて、兄弟はみんな結婚してる

趣味 : ゲームとかアニメとか映画とか漫画とか見るぐらい(グッズとかは買わない)

休日 : 大体カフェコード書いたり、本読んでる

性格 : 普通、人見知りだけどコミュ力はあると思う

外見 : おそらく普通付近、壊滅的な感じではない

補足 : お酒たばこギャンブル、夜遊びはしない。ミニマリスト物欲がないのであんまりお金使わない。

ぼちぼちなカタログスペックだと思うんだけど、

だけどこういうのってどこで出会えばいいんだろうか。

ちょっと前にマッチングアプリやったけど、

まだ結婚は考えてない感じの人にしか会えなかった。

結婚相談所行けって言われそうだけどまだ早いかなあと思うし、

そこまで結婚への欲があるかといわれるとまだない。

どうしたらいいか誰か詳しい人教えてください。

2019-08-01

少子化はこうして解決する

一定数以上子供を育てた人を年金制度優遇

結婚一時金100万(初婚のみ)

出産一時金100万

・0歳時から幼児保育完全無償化

国公立大学の完全無償化

2019-06-01

父親が死にそうなので残される母と自分のことを考える

癌で闘病している父がいよいよダメそうだ。

6年前に「次の正月は迎えられない」と宣告されたことを思えば長く生きたと思う。

理由割愛するが、私は父のことが人間として嫌いで、(育ててもらった恩は感じているし、返さなければとは思っていたけど)

父が死ぬとなっても「ああ、死ぬんだな」としか思わなかった。むしろ、残される母と自分のことが気がかりでならない。

父は癌が発覚したのと同じ時期に会社事実上クビになった。1年ほど後にありついた雇われ店長の職は、朝から晩まで店を開ける必要があった。母はパートを辞め、両親揃って朝から晩まで店にいる生活になった。(しか休みは平均月1回)

収入生活に困らないくらいにはあったようだが、私の学費無職期間のまとまった出費、店長になるために本社に払った金などで作られた借金を返せるほどではなかった。

父は闘病しながら働いたが、段々入院している時間の方が長くなって、私は同時期に大学卒業して就職して家を出て、1日14時間以上の拘束時間の店の仕事は母にのしかかっている。

父が死んだ後、母は店をそのまま続けて借金を返すと言っている。

実家は持ち家で残ったローンは父が死ねば無くなる。が、そもそも父の地元に建てた家だ。

村八分があるレベルのクソ田舎で私はともかく母にとっては完全アウェイの地。父がいなくなれば住み続ける理由もない。

そんなところで1人で暮らしながら半日以上を働いて減らない借金を返すなんて馬鹿らしい、もっと人間らしい働き方をしてほしい。

相続放棄してすべて帳消しにすればいい、と母に伝えたが、母が行けるのは海外しかない。

母は結婚を機に日本に来て現在日本国籍を取ったがもともとは外国人である

頼れる親族日本の外にしかいない。

母は私が結婚するまでは帰る場所必要だし、借金を返す、と今の実家に居ようとするが、もう60代に差し掛かるし、今みたいな働き方をしていたら身体がいつまで保つかわからない。

今後母が死んだ後に家を相続したとしても絶対に住まないし今無くなってもいい。

私は新卒2年目に入ったばかりでなんのスキルもないし、自分が細々と生きていくだけは稼げても母が体を壊した時に支えられるほどは稼げない。溜まった借金を抱え込むのもごめんだ。

私が仕事を辞めて実家に帰ればいいのだろうか?

せっかく国公立大学を出てそれなりの給料待遇を得たのにそれを捨てて帰っては、お金もない、

職もないでそれこそ母と共倒れだ。今の会社に居続ければ父と母がやっていた店よりは割りのいい給料がもらえる。

なんてことを堂々巡りしているのだが、私が考える私と母の身の振り方を以下に挙げておく。前提として、借金の方がデカイので相続放棄する。

1.母は故郷に帰る。

→幸いにも母方の親族とは仲が良すぎるくらいなので、衣食住に困らないくらいには面倒を見てもらえるだろう。

母は今のところは働ける程度には元気なので、向こうで細々と暮らしていけるのではないだろうか。(向こうの親族に色々押し付けてる感はあるが)

2.私の職場近くで暮らせるアパートに2人で住む。

現在住んでいるのは借り上げ社宅でギリギリ2人住めるくらいの広さ(規定的にもOK)だが、実家10年飼っている犬が飼えないので新しく部屋を借りることになるだろう。

社宅から引っ越し家賃補助が無くなるのは痛いが、母もパートで助けてくれるだろう。今よりずっと労働時間も短くて済むから、体を壊すリスクは減るだろう。

3.母はどこか住みやすいところに部屋を借り、犬と住む。(私の住んでいるところにできるだけ近いとベター)

→母はとにかく就職したてで満足に稼げない私に負担をかけまいとするので、2の妥協案がこれだ。この場合パートかなにかで最低限暮らす分は稼ぐことになるが。

今書き出してみて、結局私って自分が一番可愛くて、自分に辛いことが降りかからないような選択肢ばかり見ているなって思った。就職で家を出たのも、地元に働き口が無かったの半分、嫌いな父から離れたかったの半分だったな。

母を説得するには、「母に何かあったら私が全てを被ることになる」「そんなに稼げない」とか言えばいいのかな。

お母さんはいつも、私の心配ばかりするから

結局お金があれば解決できることばかりで、貧乏って本当に辛いな。

私より厳しい生活してる人や、明日食べ物に困る人がいるのもわかってるけど、感情はそうはいかないからな。

「親 死んだ後 お金」とかで調べてるけど、世の中の人みんなどうしてるんだろう。こういうことって誰に聞いたら教えてくれるの?私と母が取れる最善の選択肢は何なんだろう。

今日危篤電話が来ないか冷や冷やしながら夜を過ごす。

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