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2020-11-11

神代団地の公園

東京都調布市にある神代団地の公園で一歳の子供がうんちした。

団地の公共トイレは男女のトイレ提供されてるのに、障害者用のトイレはいつも鍵がかかってて使えない。

管理人室のようなところに「おむつを替えられる場所はないのか」と聞きにいったらないって言われた。

団地に住んでる人達自分の家に帰ればオムツ替えできるけど、うちは団地に住んでない!

家に帰るには距離があるし、サンディで買い物したいのにって思って死ぬ気で女子トイレオムツ替えをした。

障害者トイレがあるのに解放してないって、オムツ替えができないってなんなの!?!?

女子トイレオムツ替え台をつけてくれ……

子どもと遊べる公園神代団地の中の公園しかないのよ

児童館も利用はコロナで週2回までになってるし

子供公園に連れていくのが怖くなってしまった

トイレオムツ替え台ないのも、当たり前か。子供を産む前はオムツ替え台も多目的トイレ全然興味がなかったから考えもしなかった

神代団地に何があったのかしらないけど、障害者トイレがあるのに鍵がかけっぱなしってなんなんですか?

なんか事件でもありましたか

でも、障害者トイレ解放してくれなきゃ、障害者の人がトイレに行けないでしょう

あとオムツ替えをさせてくれほんとまじで

子供オムツ替えが必要いくらい育ったら解決するけどさー

二子産む気満々よわたし

公園トイレオムツ替えできなかった愚痴でした

2020-11-09

anond:20200728112958

村人が行動せざるをえない情報意図的改ざんして流したのは大きな罪でしょう

(罪の定義が村人が村人の行動に対しての裁量範囲内だったとして)

しろその少年が村人が行動する動作が見たいという欲求を満たすために不必要実態のない情報を使って行動させ

その行動がコストに見合ったリスクとリターンを得るべくして構成されていたのに完全に虚実としてコストのみ消費させる

村に対し損害を成すことであるのにその支払いを求めなかった事は村人たちの善意でしょう

団地の非常ベルを鳴らすと非日常的な状態が展開するので楽しいから押すのは非常ボタンを設置している団地の責任ではないですよね

オオカミ少年問題事実の伴わない物語を口走るいわゆる「嘘」発言することが楽しかったわけではなく

狼がこようがこまいが狼対策で行動をする村人たちの姿 そのコストを浪費する姿を見ることが楽しかたことが問題です


他の何かの行動で問題行動を回避し満足感を得るように行動を制限させるべきは親の仕事で彼の行動を制限したり教育してその警報部分を触らせないようにする必要があったのは監督者の責任ですが

監督者が愉快犯教育していないことが悪いという言い方もおそらくできますが この物語で大切なのはこれを教訓として特定読み手特定の知見を得てもらうためです

それは無邪気に嘘をつくような若年者に おまえに罰がくだるぞという教育方法自分デメリットしか物事価値をはかれない相手に 嘘はよくないという事柄を伝えるためです

監督者の責任で嘘をつくことが 自分を育ててくれて保護してくれてる相手に損害を与え申し訳ない思いをし それは自分自身の損失よりさらに大きい反省をする感受性のある相手にならば監督者の責任を問う物語になっていたでしょう



あと余談ですが「嘘」というのが「ただの言葉の羅列でつかいどころによる何か」みたいな定義にされているでしょうか

現状まだ発生していないことに対するものすべてを嘘といえば嘘になるかと思いますが それは「予定」となにが違うのでしょうか 「約束」は嘘に「まだなっていない」だけで嘘と呼んではいけないのでしょうか

現実になる可能性の低い見込みのものを敢えて または情報を伝達された人がおおよそ予想するであろう事を反映しない結果に至ることをしっていて 情報を伝達することがおおよそ「嘘」の類でしょう

それならば手品も嘘になりますし ぜったい行くといっておいていけない可能性があるけどする約束は嘘になるでしょうか

結果当事者となる人が先に予定していたものと異なる結果になった時点のことを嘘といって その可能性を排除するために事前に失敗の予測を「嘘(の可能性)」として認識するのではないでしょうか

すると今日の夜「狼がきた」という嘘(狼が来るのは明日の夜)でその発生時点から行動して有効対策が打ち終わる時点までにおいて狼が来なかったら「嘘」で行動を終了して撤退するはずです

しかし翌日狼が来たら「誤差1日で予言が的中した」と言えなくはないですが言う意味はありません むしろ対策行動にでるタイミングをずらしたというのはフェイントをかけた形になり意図的侵害行為でしょう

少年が正常な精神状態でなかった場合狼がみえしまっていた可能性があったとしてもその少年を「管理」や「治療」することがなかったことが村人の善意だったのかもしれませんし またその行動を制限しなかったことが「少年が行動したかたことの自由制限した」ことでもないので良心ではあるでしょう

どう考えても少年無知による楽しみとそれが楽しかったとしても支払うべきコストには見合わないことを知らなかったことが問題でしょう

無知は罪だったこと その無知による他者へ行動を要求する傲慢さは支払いをもとめられること この構造理解してもらうために少年という悪が罰を受けるという説明的な物語になるのは合理的でしょう

少年はすこしも救われるべきではないし発言する前からそれが事実とはことなることを情報として発信することには大きく問題があることを知ってもらう必要はあります

少年自分だけは助かるなどという選択肢はありません 一人で生きていけるなら少年は嘘をつく旅に出て一人で暮らしてもいいはずです 少年は村人をつかってあそびたい 村人の中に居て共に生きていくうえで問題行動をしたいという破壊的な問題要素そのもです

嘘をついても反省すれば許されるという許容が村といった自治形成する組織適用されるものか 村とはどんな組織か 教育とは何か を「嘘ついたら死ぬぞ」でしか知見を得られない知識レベルの人に教えることはできません

オオカミ少年は死んで当然でした

嘘が許される社会形成について教育について話を書くのであれば かなう可能性のない自己責任約束を行いそれが守れなかったときに後悔と反省を踏まえ自己犠牲により対象となる包括組織に報いるべきでしょう

そんなのはジャンプヒーロー漫画でしょっちょうやってるので、オオカミ少年を小難しい大人の話にぼかして問題である嘘(ついてる時点ですでに破綻しているので社会的に裁定が下される時点で罪で悪)をなにかしらいい話にフィーチャーする必要もないでしょう

シンプルに「嘘ついたら死ぬストーリーの単純で明快な話を ごちゃごちゃと手を加えて意味の解らない話にするならもうむしろ少年以外でもなんでもいい話です

おそらく元増田が混ぜ込みたい「嘘とは範囲がひろくていいウソわるいウソ(罪とされるされないの差のあるものがある)」は、嘘という名前になっている時点で「嘘(害悪)」です。

根拠がない警報を鳴らし続けることが特訓になるとして、そのコスト無駄に支払わせる決議権がなんの同意もなしに唐突少年などにふりそそぐものでしょうか 社会崩壊してます

嘘は嘘です 失敗した予定は失敗した理由を挙げて次回に反省をして改善をしていくことで 嘘≠失敗 ではない履歴にのこせます

狼がきていないけれども 狼が来たぞと警報をだしてみた もしきてたらすごいことなので というのは 記録して反省してどうすべきか考えれば「狼がきていない時の状態でも緊急体制をとっておく」でしょうか

いつでも対応できることでしょうか そのコストを払えるだけの村の収益を大きくすることでしょうか そんなビジョンの話はまた別です この童話は「当事者責任をとる」がそんな漢字を知らない子供にもわかるようにしたものです

それを言い伝えるほうの大人がいい年して情報の扱い方もわからず達成できなかった事象についてなんでも嘘といったり改善できる過去の失敗を嘘といったり語彙が足りないことには嘆かざるをえないでしょう

2020-10-28

Tokyoの平日の公園やべえな

人口密度が!!東京ゆうても23区外の話

平日の2~3時に連日、団地の公園に一歳の子供を連れていったんだけど元気な子供達とママたちがたくさんいて、「えっあれっ?平日だよね。ここ23区じゃないのに!?こんなに公園に人がいるの!?!?」とビックリしまくった

公園で遊ぶような子供達は幼稚園保育園小学校に行ってるような年齢でみんなきゃっきゃしててめっちゃ元気

しゃべれて走れるのが当たり前の子供達ばかりで、赤ちゃんをつれているお母さんは赤ちゃんのために公園に来たのではなくて上のきょうだいを遊ばせるために来たって感じた。まだ歩けないしゃべれない年齢の子供を連れているのは自分だけだったなー

平日なのに人口密度ヤバすぎて…Tokyo

田舎が恋しくなってしまった

東京はとても楽しいけれど田舎特有の静けさがなく喧騒喧騒喧騒ってかんじ

東京もっともっと田舎に行けばもっと静かなのかな?わかんないけど

私は地方出身なんで平日の公園に行っただけで戸惑うわ

2020-10-25

お前ら団地のバランス釜に浸かったことないだろ

そんなんだから甘ったれなんだよ

2020-09-21

anond:20200910120459

個人的なアレなのだろうが、噛むと、口中の芳香から、何でか、団地の中層階だった幼少期の自宅や、やはりマンション暮らしだった祖母の家の、それぞれの街中の夜の景色と夕飯風景が瞬時に脳内に浮かぶ

・・・ツツイヤスタカが「ラベンダーの香料でタイムトリップする」設定にしたのにも理由があるのかもしれん、と思う。

2020-08-31

8月31日

8月の終わりが近づくたびに思い出すことがある

8月31日の朝、ラジオ体操が終わった後に近所の団地の公園に行くとあの子がいる

違うクラス同級生で、笑うと黒目がちになる女の子

普段は話すことも遊ぶこともないけど、いつのから8月31日だけは朝から日が沈むまで二人で遊んだ

近所の駄菓子屋に行ったり、公園の生ぬるい水道で足を冷やしたり、別の公園の滑り台を滑ったりしているうちに

さっきまでは焦がすほど熱かった風が涼しくなり、公園の灯がともり始めるころには、団地の公園に夕餉の匂いが漂い始める

二人で並んでブランコに座って、何を話すでもなく、ただゆっくりと揺れるブランコの上で8月31日が終わることを惜しむ

の子ブランコを降り前に立ち、黒目がちの笑顔で「じゃあね」と言う

続いてブランコを降りながら「うん、またね」と小さく応える

走って帰って行くあの子背中を見ながら、また来年かなと帰路についた

次の日、2学期が始まった学校へ行き、廊下の突き当たりにあるあの子クラスの前を不自然に行き来する

覗き見た教室に姿を見つけられず、どうやら今日はいないようだと戻る廊下で「えみちゃん引っ越したんだってね」と話す声が聞こえた

直感的にあの子だと気づき、初めて知った名前のあの子引っ越したことを知る

どこへ引っ越したのかも、そもそも団地の子だったのかも知らないが、もう会えないと思うと悲しくなった

9月中旬長野県安曇野から手紙が届く

の子からだった

けろけろけろっぴ便箋には、引っ越しの日、最後にどうしても遊びたかったと書いてあった

出発を夜にして欲しいとおかあさんに頼んで、友達見送りもないまま長野へ出発したそうだった

知らない土地から届いた手紙には期待したような言葉はなく、なんて返事を書けばいいのかわからないまま、机の小さな引き出しに忍ばせていたその手紙もどこかへ行ってしまった

数年前の8月31日にfacebook友達申請が届いた

見覚えのない名前に誰だろうと通知をクリックすると、思い出のあの子によく似た子供と映る、あの黒目がちの笑顔があった

2020-08-15

夏の懺悔

終戦の日は、Y君の命日です。

高校時代同級生Y君とは、それほど親しくありませんでした。同級生とは言っても、三年間で同じクラスだったのは一年生の時だけでした。その後は、時折廊下などで会った時に軽く話をし、稀にメールをする程度の仲でした。

Y君は、予備校の友人と二人で海水浴場に行って事故に遭ったそうです。酷く天気の悪い日で、彼らの他に誰も泳いでいなかったと伝え聴いています。それ以上Y君の死の理由は誰も話しません。みな察しがついているからです。

しかし、僕は彼の死の理由と向き合う必要があります。悼むだけでは足りないほどの仕打ちを、僕は彼にしてきました。

Y君と最初に話したのは、高校入学初日です。僕らの高校は、マンモス私立高校で、大概は公立高校受験に失敗した人間が行く学校でした。お世辞にも賢い学校とは言えません。それでも、それなりの生徒を集めて、特進クラスが二クラス編成されます。僕らのクラスはその一つでした。

入学からしばらくは、みな口々にどこの高校に落ちてこの学校に来たのかを話していました。例によってY君も学区一番の難関公立高校に落ちたそうです。最も、僕らの高校の進学クラスの大半は、その高校か、県下トップ公立高校を落ちてきた人間でした。

はじめは出席番号の近い者同士で輪になるものです。彼と僕の出席番号は二番違いでした。ゴールデンウィークに入る頃には友情の再編成が済み、僕らは別々の交友グループに加わって行きました。

から見ていて、グループの中のY君の地位は極めて低かったと記憶しています。彼らのグループはみなテニス部でした。Y君はいつもいじられる役回りを演じていました。自分から話を切り出しても「調子乗るなよ」という言葉を掛けられている様子をよく見かけました。

入学式が終わってすぐに、実力試験を受けさせられます。Y君の試験結果がどうであったか僕は知りません。少なくとも、僕より上ではなかったことは確かです。学年トップ十人は公表され、僕は四位でした。

第一志望でこの高校に進んだ僕は、周囲から奇異の目で見られていました。ただ一人、Y君だけは、周囲と少し違う反応をしていたのでよく覚えています。Y君の同じ中学校で、学区トップ合格間違いなしと言われて落ちた二人を、僕は下しました。そのことをY君は自分のことのように喜んでいました。

「四位なのに、第一志望でこの学校にきたんだね。」

「こういう人も来るくらいの高校なんだから俺も勉強しよう」

その時の僕にはまだ、そんな理由勉強をはじめようと思う理由理解できませんでした。彼にとって高校はどのような意味をもった場なのかと怪訝に思いました。今になって思えば、不本意入学した学校について、明るく思える理由を見つけられた日だったのでしょう。

とは言っても、その後Y君が試験ライバルとなることはありませんでした。二年生からは、進学クラス文系理系とで別れてしまい、一緒になることはありませんでした。英語の授業だけは進学クラスクラス合同で、レベルごとの三グループに別れて開かれていたが、ついに一緒になることはありませんでした。二年間、Y君は成績下位クラスから上がって来ませんでした。

交友グループが完全に別れてからも、僕はたまにY君と話す機会がありました。というのも通学に使う電車の駅が同じだったのです。そうかと言って一緒に通う約束をするような仲でもありませんでした。遭えば多少話をするといった具合でした。Y君はよく話しかけてきましたが、僕から何か話しかけたという記憶はあまりありません。

彼の家はごく近所でしたが彼の家に遊びに行ったことはありません。詳細な場所も知らず、団地の名前で知っているだけでした。僕は中学卒業後にこの街引っ越してきたので、同じ中学校出身というわけでもありません。彼が普段通学路にしていた道が、僕の部屋の窓から見えますしかし、駅との直線距離上に住んでいる人と思っているだけでした。

Y君はテニス部に入部していました。中学から続けていたと聴いていますしかし、同じクラステニス部から伝え聞くかぎり、部の中での実力ははじめから下位だったそうです。Y君は小柄で、先も細く、よく中学生のようだとからかわれていました。

Y君と同じグループテニス部員は、高校二年にあがるまでに部活を辞めてしまいました。部員の層は厚くないものの、後輩にも実力で追い抜かれ、Y君は引退まで団体戦メンバーに入ることはなかったそうです。

とき一年生の頃にY君と同じ班だったM君は強豪のサッカー部員でした。髪を染めピアスをしていたM君は、Y君に対していつも高圧的な態度をとり、掃除当番を押し付けて、誰よりも早く部活練習に行き、後にレギュラーの座を得ていました。少なくともY君はそのような気概を持ち合わせてはいないように見えました。

僕らの通った高校には、進学クラスを中心とした三泊四日の受験勉強合宿がありました。合宿中は山のように課題を出されました。ホテルに着いて早々、会議室に籠ってひたすらに特別授業を聴かされました。それが終われば翌日までに解いてこいとプリントを大量に渡されました。まともに取り組んで解き切れる量ではなく、教師もその事を知った上で出していた節がありました。それでも僕らは、教師の鼻を明かしてやろうと思って夜を徹して問題を解いていました。

Y君は、ちょっと問題を解いては周りに話しかけていました。「どこまで進んだ?」「この問題どう解くの?」と。そして周囲が邪魔そうな顔をすると自虐的に謝った後、「よし、俺も集中する」と宣言して問題に取り組み、三十分と保たずに振り出しに戻るのでした。

高校二年の頃、しばしば僕はY君のクラスでごく親しい友人と受験勉強ノウハウや、進行状況について情報交換をしていました。そこに、部活休みになってY君が加わったことが何度かあります

Y君が、自分勉強について詳細を語ったことはありませんでした。自分より成績の良い人間発言には同意をし、自分と「同等程度以下」と思っている人間発言にはあまり信用していないような素振りをしていました。しかし、前者が後者発言賛同すると、途端に賛同し出す、風見鶏な態度で話に加わっていました。

僕らはみな自分に合わせて勉強スタイルを組み立てていました。Y君には、そのような節はなく、彼の尊敬する誰かの勉強の仕方を真似しているだけでした。正確には、真似している「つもり」なだけでした。

僕がセンター試験模試で九割をマークした時、Y君が英語勉強内容について尋ねてきました。その頃僕は学校で配られた基礎的な問題集で文法問題毎日大量にこなしていました。ケアレスミスを減らしつつ長文問題に十分な時間を確保するためでした。自宅学習英語の長文に充てられるよう、学校での細切れの時間文法勉強していた方が都合よかったのです。

そのような事情は告げず、学校で配られた問題集を解いているとだけ告げると、Y君は基礎的な問題集にずっと取り組んでいました。かなり後になってから知ったことですが、Y君は毎度の模試では長文問題で大量失点を繰り返していました。長文を読む訓練からはじめるべきだったのに、同じ文法問題集に何周も取り組み続けていたのです。その後も彼は模試の度に取り組んでいる問題集を尋ねに来ましたが、僕は同じ問題集だと答え続けていました。

時を同じくして学年上位の人間が「単語力が足りない。」と言ってハイレベル英単語帳に噛りつくと、Y君はそれを無条件に肯定し、同じ単語帳に取り組み出しました。

学年上位の彼女場合、元から基礎的な語彙力・単語力がしっかりあり、それに支えられて文法問題を解きこなし、身に付けた語彙・文法で長文を読み解き、総合的な英語力を身に着けた後に、日々取り組む実践問題の中で単語力の不足を感じていたのでした。Y君は、そのような事情を知る由もありません。

すべての教科の勉強がこのような具合で、Y君の受験勉強は日々、一貫しないものになっていきました。誰かが「基礎をしっかりしないといけない」と言えば同意をし、しばらく基礎的な勉強を繰り返し、また誰かが「基礎ばかりで実践レベル問題が解けない」と言えば、応用問題を解き始めました。Y君は、自分の実力を冷静にみて勉強する習慣がなかったのです。

試験が終わっても模試が終わっても、Y君はいつも「次で挽回する」とだけ言って答案用紙を二つ折りにして閉まってしまい、自分が何を間違えたのか何が不足しているのか反省をしているようには見えませんでした。僕らは答案を見せ合い、点数をひけらかし合い、同時に何を間違えたのかも見られ、ときには馬鹿にされ、それを恥じ、次には同じ過ちをしまいと心に誓ったのです。そして口々、「次の試験では負けない」と言い合うのでした。

Y君は、ただひたすらに成績上位の級友に勉強方法勉強内容を尋ね、それを真似してみるだけでした。あるいは、それで成績の落ちた級友に反省点を尋ねてみるだけでした。自分の頭を使って、自分必要勉強をして成績を上げようという姿勢が見られませんでした。

高校二年の秋頃から、学年トップ十人の常連の内で、制服に細工をするのが流行りました。理科実験から拝借してきた薬品で五円玉や五十円玉を磨き上げ、ブレザーの左胸にある校章の裏に挟むのです。すると鳥をあしらった校章が後光の差したように見えます。上位三人が五円玉を、残り七人が五十円玉をはさみ模試のたびに奪い合うのです。

事情を知らぬ者が見れば、何のこともない遊びです。どんなにかよく言っても「お洒落」程度のことです。何も知らないでY君がそれを真似して校章に五円玉を挟んでいたのを、僕らは影でクスクスと笑いました。自分の手で掴む喜びを知らないで、努力する苦しみを知らないで、努力した者の成果にだけ憧れるY君の態度を、僕らは気づき、そして内心侮蔑眼差しで見ていました。鈍い色の五円玉が、それを象徴しているように思えたのです。

勉強をしたかテストの結果が伴うのだという自信が、僕らの中にありました。また、勉強していないから全国模試で他校の人間に負けるのだと悔しがっていました。進学クラスの同志とともに学内順位一喜一憂するのは全国模試で泣くほど悔しい思いをした腹癒せであり、本懐はみな志望校への合格でした。

正直に言えば、僕は心底彼を見下していました。大した進学校でもない私立高校の成績上位だけを見て、「◯◯君、勉強できるもんね」と言えてしまうY君の姿勢を、僕は内心唾棄すべき存在だと思うようになっていました。

僕は、努力方向性を間違える人間愚か者だと思っていました。そして努力すらしようとしない人間軽蔑していました。他の何もかも投げ打って練習に取り組むわけでもなく実りのない部活動にただ漫然と時間を費やすY君の姿勢は、まさに軽蔑対象でした。「三年の夏に部活引退したら、本格的に受験勉強をする」というY君の弁に至っては、この時点でもう勝負はついていると僕は思いましたが、哀れな奴だと思うことにして黙っていました。

当時進学クラスの上位面々にしても、実際には大した学力は持ち合わせていませんでした。勉強すればするほど募る不安を振り払うべく、ビックマウスで自分鼓舞させ、歯を食いしばって受験勉強に打ち込んでいたのです。

みな手の内を知っているから言い合えた言葉がありました。「普通クラスの連中が努力して行くような大学から日東駒専は滑り止め」「明青立法中はセンター利用入試で一学部学部抑えて、あとは試験慣れ」「本命早慶国公立大学

Y君が目指したのも、早慶文系学部でした。折りに触れ志望学部を聞いた時に「受かったらいいなぁ」という言い方をしていたので、どこまで本気で受験していたのか分かりません。また彼が将来どういう職業に就きたくてその大学を目指したのかも知りません。いずれにしても、当時のY君の実力からすれば、合格絶望的なので記念受験だったと思います

日本で双璧をためす有名私立大学どころか、当時のY君は本気で日東駒専第一志望にして対策を組んで然るべき成績でした。それにも関わらず、十分な対策をしていなかったのでしょう。そのレベル大学を「滑り止め」として受験し、行き場がなく浪人が決まりました。

先にテニス部を辞めたある級友は、有名私立大学合格しました。Y君から学業面で「同等程度以下」と思われていましたが、彼は初めからY君より成績は良く、そして努力甲斐あって志望校合格しました。Y君が、センター利用試験で抑えるつもりだったレベル大学です。

高校卒業式で、Y君は自宅浪人をするつもりだと話していました。図書館勉強している方が集中できるからだと本人は話していました。それを聴いて、受験勉強のやり方を根本から間違えているのだから予備校に通わなければY君は同じ失敗するだろうと、僕は思っていました。

僕も浪人が決まっており、同じ境遇の友人らと、どこの予備校に行くか、予備校が始まるまでどう過ごすか情報交換をしていました。しかし、僕は、彼と同じ予備校に通うのは自分精神衛生に悪いと思い、誘いませんでした。

僕は気心が知れた戦友二人と予備校生活を送りました。定期的に他の予備校に通っている元同級生とも食事に繰り出し、情報交換とリフレッシュをしていました。時には勉強会を開き、時には悪い遊びに繰り出し、予備校生活を満喫しました。僕はY君に対して意図的に声をかけませんでした。

Y君が亡くなった後、彼がどのような浪人生活一年目を送ったのか、聴いて回っても誰も知りませんでした。分かっているのは結果だけです。一年後の再戦にY君は敗れました。彼が受かったのは、日東駒専文系学部一つでした。浪人してそんな大学行けないと、二浪することを決めたそうです。Y君と伴に最後までテニス部にいた普通クラス出身者が、予備校生活の後に地元国立大学教育学部合格したのも少なからず影響があったと思います

Y君の二浪目については、僅かながらに噂が流れていました。僕らが通った予備校とは別の大手予備校に通ったと聴いています。そしてそれはY君の両親の望みだったという話です。しかしそれ以上のことは誰も知りませんでした。

Y君は、限りなく記念受験に近いであろう第一志望の早稲田大学に落ちました。それでも、今度は明青立法レベル大学に手応えを感じていたそうです。高校時代担任教師の元には、今度は大丈夫そうだとメールが来たそうです。滑り止めに受けた日東駒専合格は決まっていました。

しかし受かった手応えを感じていた青山学院大学は、不合格だったそうです。その結果が判明した時、既に日東駒専手続き期日は過ぎていたそうです。二浪して予備校に通い、親に負担を掛けたくない気持ちが働いたのでしょう、Y君は日東駒専入学一時金を払わなかったそうです。

かくしてY君は三浪目が決まりました。その頃のことは、Y君の級友何人かが打ち明けられていました。「一浪二浪までは変換できるけど、三浪って、ケータイ変換できないんだね」Y君からある友人に宛てられた最後メールには、そう書かれていたそうです。

苦しさは後に喜びがあると知っているから耐えられるものです。喜びのために経験する苦しさと、苦しさの後にある喜びとは、価値が全く異なります。失敗の先に成功を掴んだ人間けが成功評価できますしか成功を掴めない人間には、そのような言葉は無力です。苦しさの中でも特に失敗は辛く、とても重ねていられるものではありません。

三浪目の夏、Y君は、予備校の友人と二人で海に行き、事故に遭ったことになっています。酷く天気の悪い日で、盆過ぎの海水浴場には彼らの他に誰もいなかったと伝え聴いています

同行したのが同じ予備校の友人であるのかは分かりません。しかしその新聞を調べてみると、天気予報では、県内は午前曇、午後から雨となっていました。海水浴に出かける天気ではありません。実際の天気を調べてみても、前日から曇り、実際に曇のち雨だったようです。

二人は遊泳禁止柵を超えて、外へ外へと泳いでいったそうです。友人はしばらくして怖くなり引き返し、Y君のことを警察通報したそうです。海上保安庁警察が捜索したものの、Y君が発見されたのはそれから二日後のことでした。

沖に流されて生還した人の体験談を、折りに触れ読んでみました。だんだんと手足の感覚が無くなって行き、全身が重く感じられ、乾きと苦しさと絶望のあまりに、自ら沈もうとしても身体は死を受け入れず、数時間に渡って浮かんでいると言います。その間、Y君は何を思ったのでしょう。

暗く塩辛海の底に引きずり込まれるまでの数時間、海に来たことを後悔するのでしょうか。自らの力の無さを恨むのでしょうか。早くから勉強しなかったことを悔やむのでしょうか。時代を恨むのでしょうか。日本社会を恨むのでしょうか。

人生の遠回りを許さな日本空気に、Y君は命を奪われました、一体誰が仇をとってくれるのでしょうか――僕はそう思うことで、Y君の死は、自分責任ではないと思い込もうとして来ました。そんな綺麗事では済みません。彼を死に追いやったのは僕らです。

彼の学業上の相談に乗らなかったのは、彼が気楽に、好きなことをしていたことに対する妬みです。彼が、僕の思う独善的な「努力」をしないことについて、快く思っていなかったからです。「努力」などと呼んでいいものではありません。自分の味わった苦しみを人も味わえばいいという意識は、酷い嫉妬心に過ぎません。

彼が学業面で悪循環に陥っていると知りながら、僕ら「成績上位者」を誤解していることと知りながら、僕らが手の内を明かさなかったのは不当な仕打ちです。Y君は、級友の受験勉強という、励まされる理由にも自信を持つ理由にもならないものを盲信していました。そして、僕らはそのことの具合の悪さに気づいていながら放置し、影で嘲笑っていました。僕らはY君の話を聞ける関係にあったのに、聞かずに見殺しにしました。

こうまで酷い仕打ちをして、どうして彼の死を受け止めて来られなかったのでしょう。

今なお、僕は「僕ら」でないと責任を背負えない弱い人間です。そんな僕にも毎年夏は訪れますしかし、今に自分一人、罪の念を免れたいがために記憶を上塗りし、忘れ去ってしまうことでしょう。あるいは、もうそれは始まっているのかも知れません。

実家にある、かつての僕の部屋からは、一車線しかない県道が望めます。Y君が三年間、高校に通うために歩いた道です。なんの変哲もなく、田んぼと林に囲まれ田舎風景です。僕が彼から奪ってしまったものの一つです。

今はまだ、入道雲青空に彩られたこ風景に罪の意識を覚えます

2020-08-14

カーテンも引かずに

もう外はかなり 暗くなった。

今日ゲリラ雷雨もなく、一日中暑かった

まだカーテンも引かず、スマホをいじっている。

空は暗いと薄暗いのあいだほどで、隣の団地のシルエットがレースのカーテン越しに曖昧に見える。団地の廊下の灯りがポツポツ点いている。

外は暑いだろうが、冷房のきいた部屋の中にいると実感がわかない。いや、通勤の行き帰りは確かに暑かったし帰って来たのはついさっきなのだが、冷房の風が直撃するソファ麦茶を飲んで体が冷えてしまえば、あっという間に外の暑さを忘れてしまう。

夕闇は速やかにまり団地の屋根と空の区別がもうつかない。

セミが鳴いている。

昔住んでいた所ではもっとうるさく昼も夜も鳴いていたが、ここではストレスになるまでは鳴かない。一応、夏の記号としてセミもご用意しましたよ、という感じだ。

カーテンはまだ引いていない。わたしが引かなければ夜中まで引かれないだろう。

冷房温度を0.5度高くした。

メンタル不安定になりとにかく歩きまくった

休みの間なにもする気がおきない状態になってしまった。

普段は楽しめていたはずの動画鑑賞、NetflixTwitterゲームなどもすぐに頭がぼんやりしてきて集中が続かない。

人と通話などする機会があるとその時だけは元気で楽しくなれるが、通話を切った後にドーンと虚しい気持ちに襲われる。

なんかやばいかなと思って、でも会える人もいないしとりあえずめっちゃ歩いてみることにした。

熱中症だけは気をつけねばと思い帽子や水は用意して家を出発する。

06:30くらいに家を出た。既に太陽はまぶしくて目につくものがやけにくっきりして見える。

歩きながらいろんなものが見えた。

古い団地のベランダに見える室外機は早朝からうなりをあげていた。

60代くらいだろうか、日焼けしたグラサンおじさんが黙々と走ってる姿は素敵だけど同時に少し切ない気持ちになった。

そんなんでゴールはできないぞと叱られてしょんぼりする少年目線は白い花に向けられていた。

ずいぶん平べったくなった信号機はなんだか威圧感がなくて、もっとごつくていいのではと思った。

乱反射するペットボトル、謎の生き物の鳴き声、遠くで聞こえるなにかの番号を読み上げる声。

様々な現象が周りに溢れかえってるように感じた。俺はなにかキメているんだろうか?妙に明確で華やかだ。

一番良かったのは凸凹の砂利道を歩いた時だった。

舗装された道と違って、歩くことそのものに気を配る必要がある。

それまで歩きながら周囲のいろんなものに気を取られていたのが、足元にフォーカスが移る。

なんとも心地よかった。足の裏で形を感じるのっていいなと思った。

うまく表現できなくてもどかしいのだがコケかけて咄嗟に足が出た時のようなハッとする感覚、あれの小さいのが1歩ずつにあった。

足つぼ的な効果もあったかもしれない。とにかく気分が晴れた。

家に帰ってからも穏やかな気分でいられている。

いつもある焦燥感が薄れているのがわかる。

なにが良かったのかよくわからないが(単に運動するだけではなかなかこうなってくれないので)

もう少し効果を確かめるために条件を変えてまた歩いてみようと思う。

学生時代の友人がよく「時々自然の中にいかないと気が狂いそうになる」と言っていたのを思い出した。

まあそんなもんなのかもしれない。

2020-08-09

anond:20200809130201

最近だったらラストアイドル現実

団地の給水塔が気になってしまうようになった

あと乃木坂の生まれたままでとか?

2020-08-04

団地の子とは遊んではいけないおばさん「帰省しても東京ってだけで遊んではいけないって言われてるなんてショックです……」

2020-07-06

投票行くのめんどくさい……めんどくさくない?行くけど……

民主主義国家から選挙はあるべきだと思うし、選挙権もらってからすっぽかしたのは1回ぐらいなんだけど、でも必要なこととはいえ選挙ほど関心をそそられないものはない。考えるのもあほくさい候補ばっかり出る。

さすがに笑いながらコミック候補に入れられるほどヤケクソにはなれないかしかたなく毎回適当に書いたり、書かなかったりする。白票意味があるのかないのかは知らないけど、選挙に行けとやかましい人に対してもう行きましたからってすました顔できる。行かなかっただけでマウントをとられることにくらべれば白票だって意味がある。

から毎回つまんないけどちゃんと行く。

行くけど、選挙がつまんないのが大きいのかもしれないけど、投票しに出かける行為のもの死ぬほどめんどくさい。

まず日曜日に家を出なきゃいけないのがめんどくさい。あとわたしの住んでるとこの投票所は小学校じゃなくて近所の団地の妙に奥まったとこにある集会所で、戸建に住んでるわたしはそんなところには小学校の100倍行かない。毎回迷う。めんどくささが加速する。

これをカーチャンにぼやくと毎回「じゃあ期日前に行きなよ」と言われる。ほんとそれ。真っ当。でも必要書類が届いてすぐは区役所までわざわざ電車乗り継いで行かないと投票できないし、近所の公民館でできるようになる頃には忘れてるんだよな。これもまためんどくさい。

都民なので今回の都知事選めんどくせぇ……めんどくせぇ……って言いながら選挙公報にはとりあえず目を通したけどあんまり読むとこなかった。なんで都知事選ってこんなアホのバトルロイヤルみたいなんなってしまうん? 最終的にデザインのあら探しして遊んだそれから選挙関連のことは何も頭に入れなかった。

結論を言うと百合子おばさんに入れた。

とにかく投票がめんどくさくてしかたなかった。だからまた任期満了まで何事もなく続けてくれそうな人にした。おじいちゃんでもよかったけど、失礼な言い方をすると任期満了まで保つのかが不安だなと思った。

若さならどこぞの副知事って人がよかったのかな。でもあの人何言ってんだかよくわからなかった。選挙後のコメントもよくわからんかった。太郎は論外。選挙特番で流れた敗戦の弁を聞いて「なんだこのオッサン……こういうとこ嫌いだわ……」と思わず漏らしてしまった。カーチャンが噴いた。

政治の難しいことは、わたしよりもっと人間のできた人が論じればいいと思うし、同時に人間のできた人が政治をやるべきだと思う。少なくとも、百合子おばさんが任期を果たしたことは、わたしに「このおばさんはまともな人なのだ」と思わせるには充分だった。任期満了までやるなんて本当は当たり前なんだろうけど、それをまともにできない人がいたかわたし投票に行かなきゃいけないことになる。

投票めんどくさくてほんとにきらいっていう動機は我ながらアホだけど、ちゃんと続けられる人を選ぶのはまちがってないと思う。どうか2期目も何事もなく最後まで続きますようにと願ってやまない。

でもその間に国政選挙はあるんだろうな。てことはまた投票行くのか……クッソめんどくさい……行くけど……

2020-06-23

「人は楽しいから差別する」との言説を読んだ

ネトウヨ高齢者中韓差別などは確かに愉悦差別典型だと思う

だが差別の中には「恐怖」が原動力ものがある

水俣病被害者地域への差別

・「団地の子と遊んではいけない」という差別

男性保育士への差別

コロナ禍での医療従事者への差別

トランス女性へのトイレ更衣室利用拒否という差別

これらは「病気感染すること」「犯罪に巻き込まれること」への恐怖が原因であり差別者は被差別者を「脅威」と感じている

から差別者を「○○を見下すのが楽しいから差別するんだろう、道徳的に間違っている」と押さえつけても全く響かず隠れた差別になるだけだ

恐怖による差別は、教育によって偏見をなくすこと、感染犯罪を防ぐシステムを作ることなどが有効だと思う

それでも感染症や犯罪への恐怖自体がなくなるわけではないか

ある集団を脅威とみなす類いの差別は色々な形で発生し続けると思う

2020-06-16

中学校の近所に中学生男子を部屋に連れ込む女がいた

似た話のニュースホッテントリに上がっているのを見て思い出した話。

おれが通っていた中学には目の前に巨大団地公園があり、自ずとその周辺に中学生が溜まっていた。

中学2年のとき中学生に話しかけてくる変な女がいるという話を友達から聞いた。

団地の下に何人か溜まっていると声をかけてくるという。

教えてくれた友達は数日前に声をかけられたという。

「部屋に入ったの?」と聞くと、笑いながらうなづいた。

その女を待ち伏せていたわけじゃないけれど、翌日か数日後ぐらいに、その友達も入れた数人で団地ゴミ捨て場に溜めてあった瓶を割って遊んでいたところ、「なにしてんの?」と話しかけてくる女がいた。当該の女だった。

髪は染めたばかりのようなきれいな金髪で、少し焼けた肌。下着のようなノースリーブの服にショートパンツを履いていた、ような気がする。

「いや、別に」と噂を教えてくれた友達が答えた。

女はじっとおれたちの顔を見ていったあとに、「うちくる?」と聞いてきた。

友達が「おう」と答えると、ぞろぞろと女についていった。

女の部屋は雑然としていて、床以外のものが置ける場所には、チラシやら人形やら調味料やらが所狭しと積まれていた。

女は冷蔵庫からコーラペットボトルを取り出すと、おれたちに振る舞った。

女の名前を聞いたはずだけれど、覚えていない。テレビ再放送ドラマ福山雅治が出ていた気がする)が流れていて、半分それを見ながら、その映像から連想される芸能話題をポツポツとしゃべった気がする。

女はおそらく一人暮らしで、今から思えばだが、水商売援助交際をして暮らしていたのだと思う。

その日はコーラを飲み終わったあと、誰ともなく「帰るか」と言い出して女の部屋をあとにした。

時間にしたら1時間もいなかったと思う。

それからというもの団地で溜まっていると女の方からしかけてくるということがあった。部屋にも何度となく行った。

自分から一人で行った記憶はないし、友達たちと部屋を訪ねることもしなかった。団地の一階を女が徘徊していて、かちあったときだけ行くのだ。ただ、ほかの友人たちが個別に行っていたかどうかはわからない。

そして、そういう関係にも当然なった。最初にいたメンバーは全員そうだった。

はいつもガリガリで、おそらくヤク中だった。数ヶ月ほどしたら、女の姿を見ることはなくなった。

今思えば不思議なことに、誰も話題にしなかった。部屋に行ってみることもしなかった。記憶も薄れていった。ニュースを見るまで、すっかり忘れていた。

あのころの友人たちとは今でも連絡を取り合うが、たぶんこの話はしないと思う。自分も忘れたい記憶のような気がする。

子どもの頃に食べて、すごく美味しかった干し梅があって、でもパッケージがどんなだったかを忘れてしまった。

また同じものを食べたい一心で、おやつはいつも干し梅を買ってもらっていたんだけど、どれもなんか違った。

記憶にあったのは、種があって、酸っぱめで甘くなかった、ということだけ。

当時は子どもだったので、ネットで調べるだとか、スーパーコンビニはしごするなんてこともできず、ついぞその干し梅に再会することはなかった。

大人になって、その干し梅のことも忘れて、でも干し梅を好きな気持ちは変わらなかった。

ところで最近、家にいる時間がとても増えた。

今までは職場お菓子を食べながら仕事をしていたのが、お菓子支給されなくなってしまったので近所のお菓子屋さんで買い溜めすることにした。

グミクッキーをカゴに入れていると、梅コーナーに目がとまった。

よく買う干し梅の他にも、色んな干し梅が並べてあった。そのうちのひとつをなんとなく手に取りカゴに入れ会計を済ませた。

家に帰って何日か経ち、甘いお菓子に飽きた頃、その干し梅をひと粒食べた。

人生ではじめて、脳に電撃が走るような感覚があった。

あの干し梅だった。

もう20年も忘れていた干し梅を、一瞬で思い出した。あの頃と同じ味だった。

子どもの頃、お母さんとよく近所のダイエーに行っていたこと。お菓子は必ず2個買って、お兄ちゃんと食べていたこと。団地の5階まで荷物を持って帰るのを手伝っていたこと。ホークス優勝セールマグカップを貰った事。お父さんがベランダで爪を切ってくれたこと。おばあちゃんぷよぷよで13連鎖したことピンクランドセルを買ってもらったこと。タニシを飼ってたら、干からびて死んじゃったこと。

ずっと思い出していなかったけど、ぜんぶ頭の中から消えてはいなかった。

ありがとう。ずっと同じ味で、ずっと美味しいままでいてくれてありがとう

たこの干し梅を買います

2020-05-23

まじかぁ そら市営住宅住みでSL63 AMG乗り回しちゃうよな

遊ぶどころか団地住みの奴らに近寄ってもいけないレヴェルだよね

市営住宅なんてヤクザが間に入れば収入なんか関係なく入居できるんだろ

団地の子と遊んじゃいけませんって言ってた親は正しかった

2020-05-21

anond:20190518190638

ブスだしな。育ちも悪いし。団地の子。

幼少期の性被害とその後への影響

幼少期に性被害を受けるとビッチになるとかあるんだろうか。

私は幼稚園小学生と幼い頃に団地のエレベーター痴漢被害にあった。幼稚園の時は同乗してた友達が親に報告して親の知るところとなった。小学生の時は、3回遭遇したけど1回しか報告できなくて、それもあったこと全てを親に言えなくて隠さなきゃいけないような気がしてた。

大学生になってからよく知らない男とも気軽にヤってしまうようになった。それが10年くらい続いたけど今は旦那しかやってない。

単に承認欲求が強いだけかと思ってたけど、幼少期の性被害が影響していた可能性を最近考えてる。心理学はよくわからないけど、あの時被害にあった自分正当化したいため、性行為に重大な価値を持たせたくない、みたいな。

2020-05-10

父亡くなる

私は物忘れがとても酷くて色々忘れちゃうから忘れない様に何度も読み返して記憶に焼き付ける為にメモする

 

末期癌の父をさっき自宅で皆で看取った

昼間訪問した時はまだ反応があったんだけど0時過ぎぐらいから呼吸がちょっとおかしくなったというので、母から2時に電話が来た

 

誰も歩いていない真夜中の静かな町を早歩きで向かう

暗く静かな道でバクバク打つ鼓動が妙に痛い

実家は近いか電話来てすぐに着けた

 

人工肛門にしてからどんどん痩せていって、

徐々にご飯が食べられなくなって、父は骨と皮でゴツゴツになってしまっていた

入れ歯だったからごっそりげっそり頬がこけちゃってねちょっと不憫でね

 

誰も泣き叫ばず静かに看取る真夜中

掌の中で命が消えていく哀しい時間

 

段々目の焦点が合わなくなって、白目が濁るってのかな?瞬きとかの動きが減っていき、亡くなると体温が失われて肌の色が変わっていくんだね知らなかった

 

その時を迎えた父は、寝た様に見えた

ぽかんとクチ開けていつものパジャマ着て酔って寝ちゃったみたいに

だけど、違う

腹膜が1mmも動いてない

それを見て、ああもう呼吸をしてないんだなって痛感した

開いた口と閉じた瞼

苦悶さは一切見えない

モルヒネの力で苦しさはなかったみたいだけど、目頭に残ったこの液体は、たぶん父の最期の涙だ

  

私が電話受けて実家着いてから10分ぐらいで父は逝った

まるで着くの待っててくれたみたいだ

昼間は自力でベッドから起き上がって座る位置直したり動いたりしてたって言ってから、今夜逝こうと決めたのかな?

それぐらい不思議な早さだった

 

末期がんの診断出て2年

思っていたよりも長く父は生きた

胃がん浸潤大腸切除

その後抗がん剤で髪が抜けてしまって、でも抗がん剤止めたら髪が生えて生命力すごいなーなんて言ってて

末期がんって判ってから仕事辞めて家にいる事になった父は家具作りやスマホ家事料理を始めた

引っ越したばかりの団地の部屋を得意の家具作りであちこち整え、スマホを学んでネット競馬したりLINEyoutube視聴やポケモンGOもしだした

炊き込みご飯を勧めたら気に入ったみたいで美味しいのを作る様になったし、カレーも作った

茶碗蒸しプリンも良く作って食べさせてくれた

庭いじりが好きな父は四季折々庭を整えられて少し楽しみを持ててたみたい

あとめだか飼いだしたけど上手く育てられなくてすぐ死んじゃうから悲しくなって飼うの止めたって聞いてちょっと辛かった

 

今回は自宅で看取れたので良かったと思う

心電図モニタは母の希望でつけなかった

祖父の時は病院心電図モニタありで音が結構辛くてイヤだなって思ってたから今回は無しでいくって聞いてたので良かったと思う

医者さんも看護師もいない自宅だから、逝こうとする父を皆で静かに見守れて良かったと思う

 

コロナで休業期間で家族全員が毎日じっくりゆっくり看取り期間があったから徐々に覚悟が出来た

 

ありがとうありがとう

って母がずっと言っていた

…お父さん

私もありがとうって思ってるよ

 

朝が来た

真っ白な光の風

暗かった闇が潮の満ち引きみたいに引いて朝が来た

父がいなくなってから初めての一日が始まる

しっかり務めるよ

 

 

火葬をしてきたので追記

 

日経ってから実家へ行った

一日後に見た父はダブルスーツ着せてもらえてて安置してもらってた

顔は一日前に見たままだった

胸には花束が載っていた

父が庭で育ててた花で作った花束

ピンクと白の綺麗な花で、ちょうど咲いたんだそうだ

手摘みの花束ってのがとても我が家らしいなと思った

 

もう一度、声をかける

訃報を送ったら、会社の人とか私の周囲の人達が私が父の面白話をちょこちょこしてたからか、話した事すら忘れてた父との小さなエピソードを覚えててくれて、それが嬉しいねーって話をしたり、孫が父に書いた手紙があったりしたのでそれを見せてもらった

 

出棺後はお別れの時間がないよと言うので、僅かだけど二人きりにしてもらった

線香をあげてから、頭を撫でる

暖かかった頭

髪の毛は一日前と同じ柔らかでふわふわだったけど、髪の毛の先、皮膚からはすでにドライアイスでかっちこちの冷え冷えの身体

わっちゃってて、最期に撫でた頭の温もりとのギャップ感がかなり激しかった

 

斎場

斎場は静かで少し薄暗く、涼しかったので落ち着いて過ごせた

 

先に行った私達から遅れて父と母が車で着いた

車はクラウン

ああ、トヨタなんだ

父はレンタカートヨタって決めてるぐらいトヨタ絶対の信頼を置いてたので、ちょっと笑ってしまった

(偶然なのか帰りに捕まえたタクシートヨタ製だった。どこまでトヨタ好きなんだ)

 

白っぽい棺が台車に載せて運ばれてきて、お花を入れてあげてと言われた

ここでも庭から摘んだ花を入れてあげられた

庭いじりが好きで実家も深い山の中の人から、あっちに行ってもきっと珍しい草木を見つけて育ててるだろうねなんて言いながら皆で父を花で埋めていく

注文してた花と育てた花で棺が埋まっていく

ダブルスーツパリッと着て綺麗な花に埋もれた父のその姿は、見ていても不思議と決して不幸な感じはしなかった

 

余談なんだけど、遠い昔、親戚の葬儀に参加した時、棺に釘を打つ作業があった

知らない親戚だったけどあれは二度とやりたくなかったから、この斎場ではそれがなくって良かったなと思った

 

粛々とやる事が進んで、やがて焼き場の扉前に棺が運ばれる

みんなで父にお礼を言った

ありがとう がんばったね ありがとう

泣きながら 泣き崩れない様に支え合いながら 涙そのままに 既に涙が枯れてたり

各々の別れ方だった

 

そして、横、縦と閉まっていく扉

金属製の重い境界の扉

かにかにしめやかに

その時は終わった

 

時間ぐらいして、燃え終えた父が出てきた

乾いた白いバラバラで粉々の崩れたただの物になった身体

それは死んだ珊瑚みたいで骨に見えなかったし、これが父だったんだとはちょっと思えなかった

物を骨壷に入れて、布巻いて、木箱を母が抱える

ようやく終わったなー。そんな感じ

 

真夏の様に暑かった昨日とはうって変わって、とても凉しい皐月らしい午後のお別れだった

 

三週間前ホスピス入院になったけど、何とか実家に戻ってきた父

そこからゆっくりゆっくりかに逝く様に準備をしてたそうだ

整えてなかった実家の不便な所のビフォーアフターを済ませ(DIY好きの父なのであちこち整えてった)、身の回りの物の整理や、搬出搬送やすい様に動線の整理も済ませ、亡くなる3日前、栄養のない点滴に自分意識で切り替えたとも聞いた

吐き気が酷かったんだって

 

二年半、末期がんの父を皆で思い思いに看病をし、逝くまでを皆で見られた事

祖父の時出来なかった事を全て出来たと思う

言い方悪いけど、母の時にまたやる事になるだろうから、その覚悟も出来たと思う

 

私もこんな風に逝けたらいいと思えた葬儀でした

 

コメントありがとうございました

モルヒネ意識が混濁してた父ですが、最期には目があって何度かアイコンタクトを交わせたのですが、その眼差しと動きには心残りや苦痛な感じは一切見受けられなかったので、悔い無かった様に感じられました

2020-03-29

3Pを初めて体験した

概要

この週末、知人女性とその彼氏とで3Pをした。あまりない体験だと思うので、その時のことを書き残しておく。

二人との関係

知人女性彼女中高生だった時からインターネット交流があり、就職を機に二年前から関西居住している。

自分一年から関西を離れてしまったが、前回関西一時的に帰ってきたおり飲みに誘うとそのまま家に泊めてもらった。

その時にも彼女とは性交渉に至りかけたものの、彼氏が帰ってきたので中断した経緯がある。

彼氏はもともと関西に住んでおり、彼女は彼のもとへ行くために故郷を離れ関西引っ越したようだ。

もともと彼と自分とは面識がなかったが、彼の幼馴染とは自分彼女インターネットでの共通の友人だった。

彼は運送業アルバイト生計を立てており、おそらく今も団地の実家に住み、彼女の家との間を行き来しているようだ。

事の経緯

3P自分提案したのではなく、彼女が以前からしたいと言っていたことだった。

一度彼女就職活動のために関西を訪れたおりホテルの同室で宿泊したが、後日なぜあの時抱いてくれなかったのかと打ち明けられたことがあった。(そのとき自分は翌日提出のレポートを朝まで書いていた。)

以来彼女とは性的なやりとりをDMですることがあったが、性交渉のものについてはあくま彼氏を交え三人でしたいとのことだった。

自分は性体験もそれほど豊富ではないのと、素性の知れない男と三人で性行為する度胸がなく、これまでにも数回その提案を当日ドタキャンしたことがある。

前回は二人でほぼ性交渉に至りかけたこともあり、今回相手が酔って色気づくタイミングを見計らっていたが、その前に彼氏が帰ってくるとの連絡があった。

行為の流れ

帰ってきた彼氏と三人でしばらく談笑したあと、彼氏が隣の寝室に移動し彼女を連れ込もうとした。

前回はそのまま二人で共寝して自分リビングで眠ったが、今回は酔った彼女自分の手を握り一緒に暗い寝室へ引き込まれた。

彼女の願望を察した彼氏はベッドの上でフェラチオ彼女要求し、その彼女自分が背後から愛撫する形になった。

彼はシラフだったが酩酊した彼女は半ばトランス状態にあり、彼の指示に従って自分彼女のペッティングを受けた。

彼女は何度か姿勢を変えて彼を愛撫しているので、自分はその度に苦しくない姿勢適当な部位を愛撫していた。

途中、彼が騎乗位で彼女に挿入を始めたが、コンドームを着用していなかったので自分は若干うろたえた。

コンドームは隣のリビングに置いてある自分のバッグの中にあり、自分が装着するためには一度その場を立たなければいけない。

何度か後背位が可能体位彼女下半身が来たが、彼氏が生で挿入した陰部に、挿入はもとより口での愛撫もあまりする気にはなれないなと思ってしまった。

そもそも自分は酒を飲んでいたとはいえ頭の中はいたって冷めており、彼女愛撫を受けてもすぐに萎えしまうのだった。

反面、彼氏は挿入時に萎えつつも彼女の口淫で何度かイきそうになっていた。(偶然かもしれないが彼女自分を目の前で手淫している時そう口にすることが多かった。)

また彼はさすがに彼女急所を心得ており、手で数回彼女絶頂に導いていた。(自分女性絶頂を実際に見たことがなかったので、潮って本当に吹くんだと驚いた。)

彼氏は何度か彼女自分を先にイかせようとしたものの、自分がこの調子全然イくまでいかなかったので、彼女手淫をさせながら彼が彼女の上で自ら手淫し、彼女に顔射して終了した。

彼女の寝室には終始何とも言えぬ匂いが漂っていた。気がつけば三時間まりが経過し、カーテンの外はすでに朝を迎えていた。

二人がシャワールームに移動したので、自分リビングに敷かれた布団に横たわった。

服を着替えた彼女仕事に出る彼を駅まで送り届けるために家を出、いろいろ疲れていた自分もやがて眠りに落ちた。

その後何度か目覚めたもの彼女は寝室でぐっすり眠っているらしく、昼を過ぎても起きそうにないので自分は別の予定に向かうためこっそり家を出た。

感想

結局、自分は挿入も射精もしていなかった。ただ二人の性行為を助けていたに過ぎない。

行為の途中、彼氏は「ずっとこういうことしたかったんやろ?」と口にしており、当初からの想定に反して彼氏ともこの話は共有されていたらしい。

彼女もさぞ満足したことだろう。自分けが悶々とした気持ちを抱えながら、関西にひとり取り残されている。

2020-03-17

団地の子で思い出した

公立小学校に来ていた一戸建ての子ゲーム機団地勢にゲーセン扱いされてた

中学私立にいった彼の行方を知る者はいない

anond:20200317203805

言わない。団地の子とかなら言ってそう

2020-02-28

ジャイアン死体を遺棄する夢を見た

真夜中にジャイアンと揉めて、殴ったら死んでしまったので団地の花壇に埋めてしまった。花壇の土は何か植える予定だったのか、とてもふかふかで楽に埋めることができた。冬だから腐臭が漂うことはないと思うけど夏になったらバレるかもと思いビクビクしながら家に帰った。この夢は何を暗示しているんだろう。

2020-02-16

物語しか泣けない

アニメドラマ映画漫画ラノベなどの物語しか泣けない。

姉が自殺したときも至って冷静で、生きていても死んでも迷惑ばかりしかかけないヤツくらいにしか思わなかった。

父も90近く高齢胆管がんを患い、手術は成功したがおそらく数年で死ぬだろう。それでも考えるのは「めんどくさいな・・・」くらいにしかわず・・・

今までに知り合いや友人だった人もなぜか知らんが数人自死で亡くなっているが、その時考えたのは自分の保身だった。

父は自尊心承認欲求が強く、嫌なことがあるごとに「俺を馬鹿にしやがって!!!」と泣き喚き、酒に溺れ子供に物を投げつけ、蹴り上げ、怒鳴り散らすような人だった。おかげでオレは今でも自身には全く無関係理不尽暴力や街なかで聞こえてくる怒号ですら怯えるようになってしまった。子供時代学生時代はよくイジメられた。男なのに情けないって思う。今となっては、オレが大人になり、力もオレのほうが強くなった事もあって、暴力を振るうようなことは無くなったが、泣き喚いたりメンタル的に弱いのは今でも変わらない。

オレが特別優秀だなんて思い上がっていたわけでもないが、姉は料理家事もロクにできず、スポーツができるとか、頭がいいとかもなく、にもかかわらず努力のかけらもするようなことはなく、何をやってもオレより劣り、誇れるようなことは何もないような人で、高校受験に失敗し、本命だったそこそこの公立校ではなく併願受験でなんとか合格していた最底辺私立校へ行ったことで、更にクズ人間になった。クズ人間の不良の友人に処女を奪われ、そいつ結婚するとか言い出したが、両親に拒否され説得され、傷心のまま恋仲になった裕福な彼氏に救われて結婚したものの、結局そいつも父と似たような暴力旦那でDVにさらされ、精神を患い、そんな折2人の子供を産んだが、実家団地の高層階から身を投げ自殺した。本当にどうしようもない自業自得人生で、こんな人が姉だと思いたくない。だからもし姉との思い出は?と聞かれても「どうしようもないクズ人間だった」としか答えられない。

そんなオレの子時代の救いは、優しく強かった母だけだった。だから母だけには、今でもとても感謝しているし、何かあったら助けてあげたいとも思う。それでもそんな家庭から逃げたくて、20になる頃には独り暮らしを始め、今は産まれ育った関西から遠く離れた千葉に住んでいる。

別にオレが死ぬような思いをしたことがないから、辛い人間気持ちがわからないとかそういうのでもないと思う。理不尽暴力は振るわれた本人が心身ともに酷く傷つくし周囲も嫌な思いをするから誰のためにもならない。独り暮らしを始めて少し経った頃、騙されて借金を背負ってロクな食べ物も無く、「死んだら楽になれるかな」なんて思いつめて自暴自棄になったこともある。自己意識喪失が怖くて結局自殺はできなかったが。

たぶん、父が死んでも「やっとめんどくさいやつが死んでくれた」「でも母が独りになるけどどうしたものか」くらいにしか思わないんだろうな。

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