はてなキーワード: 無資格とは
一応聞いてやろう
ちなみに具体的にどこらへんが?
事実ベース文化ベース差別ベース既存法律ベース法批判ベース経済ベース人権ベースの各議論のレイヤーを混ぜないで的確に論点を挙げて問題点指摘してな。論点のズレはIQの低さの証
こう聞くと、ムーを根拠に出したり、ただ無知ゆえの誤解まみれで、条文をググっただけ聞き齧っただけの無資格の「自称行政や会計に詳しい素人」の俺のボロボロの謎の持論展開を聞く羽目になるんよな
水にお礼を言うと原子配列が変化するって論文がある!イベルメクチンの効果研究は医学論文にもなっている!みたいなリテラシーから繰り出される大体どうでもいいクソ以下の言説
@kadohara
(1/3)
党幹部の性犯罪の被害者に心よりお見舞い申し上げます。また適切なケアがなされるよう願います。
さてこの件について、ジェンダー問題を絡める人が多いことに違和感を覚えます。性犯罪だろうと、他の犯罪だろうと、犯罪者は厳正に処罰されるべきですし、党は再発防止を図らねばなりません。
@kadohara
(2/3)
一方、法による処罰の対象外とはいえ、パワハラで党内で処分された小池晃書記局長は、自分の過ちについて「私自身の重大な弱点」https://jcp.or.jp/akahata/aik22/2022-11-15/2022111502_02_0.html と話し、組織的な問題ではないとしました。しかし性犯罪に限らず、党幹部による犯罪や破廉恥行為がたびたび繰り返されてきました。
田村政策委員長への言動/小池書記局長 パワハラと認め謝罪/「深刻な反省と自己改革が必要」| 「しんぶん赤旗」
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これは不自然
@kadohara
返信先: @kadoharaさん
(3/3)
個人の品性や資質の問題として解消せず、組織の問題として捉えることが必要ではないか。そうしなければ、また繰り返されると思います。
正攻法は初手保健所とか市・区役所の福祉関係の相談窓口だと思う(増田一人で行っていい)
あとEテレの「きょうの健康」「ハートネットTV」とかでも増田の抱えてるような問題をたまに扱うのでチェックしとくといいかも
自分は「おかしい自覚あるのに10年以上精神科にかかれなかった人」なんだけど
「このまま進行させて死にたい」って泣きながら訴えたら
「うちのメンタル科でちょっと話してみる?」って予約ねじこんでくれて初診に至った
メンタル専門の医療ソーシャルワーカーにもいろいろ助けてもらった
こういうルートもあるよってことで
元気だった知人が調子悪くなりメンクリ行って薬に依存して辛そうなのをリアタイで見ていたから
一応自分は第二種電気工事士を持っては居ます(仕事にはしていない)
同じような壁でも中の構造が違ったりするので外見だけ判断しない。知識がない素人だと尚更。
あとダウンライトも外せる事が多いのでちゃんと構造を調べた上で外して見る。(電気工事の無資格者はやめた方がいいかも知れない)
建物の構造は年代でかなり違うので実際に見ないと危険だし必要な道具も分からない。
構造によってかなり異なる。
基本的に「ジェフコム」とかプロ向けツールメーカーのカタログを見ることをお勧めする。
なのでネットで調べる→使っている道具のメーカーを探す→そのメーカーのカタログを眺めて使用例などを見る
を繰り返す。やっぱりプロ向けメーカーなので様々な状況下で対応できる道具を揃えているので使用例などが参考になる。
やっぱり開けておいた方が色々と楽だし特殊な条件下で使う道具などを減らせるので色々やったけど通線経路上にCD・PF管といった管通ってなければDIYレベルだとこの方がいいかと。
天井の場合、キッチリ開けれるように程よいサイズの脚立・曲尺がないとキツい 特に天井に向いての作業なのとその後天井に入るので高めの方がいいが家財にぶつけるリスクも上がるので程々に。
鋸は自分は最初手動だったが今は電動工具のマルチツールを使ってる。
自分はズボラなので変な大きさで開けて変に苦労することを減らせる。
切れ味の良いカッターナイフも材料によっては便利。(OLFAだと黒刃シリーズ)
一般的な電線(大抵VVF)は二重構造なので取りあえずブレーカー落としてビニールテープ巻いてプロに投げろ。
無資格者は弄れないという法律もあるが内線規定というのもあり色々規定されてるのでそれに沿って対処しないと不味い。
その規定は事故とかを受け日々改正されてるのでネットの情報だけでは無理だし結局その用途の道具や部材がいる。
あと家が30年以上前の場合で分電盤近くの場合、引っ張ったりして分電盤の変な部分が緩むと電圧が変動して家全体の家電を壊す事もあるので注意
https://jpn.faq.panasonic.com/app/answers/detail/a_id/78813
大手家電量販店のエアコン設置工事の電気工事オプションは安いのを感じる。
30代半ばまでバイトと同人誌で食ってたが病気になってペンを握れなくなったので今はバイトから正社員にしてもらっている。
仕事は無資格の事務職雑用。朝9時~18時、残業なし。役職ノルマ納期なし。祝日、長期休暇なしの完全週休二日制。仕事内容は楽々の楽。Excelポチポチ。暇な時はつべとオモコロ見てる。これで320万ならまあいいかって位の仕事内容ではあるが月の手取り20万一人暮らしではハムスター飼うしか余裕がない。未来は暗い。
会社も正直10年後も存在してるか分からない零細企業だ。漫画のスキルなんて社会では何の役にも立たないので転職は無理。この会社が無くなったら中年無職の完成だ。未来は暗い。
病院は死ぬ訳では無いが一生の投薬が必要なので治療費が嵩む。微妙な金額で高額医療費制度は受けれない。病院に行く交通費もかかる。メンタルもやられて更に治療費がかかるように。未来は暗い。
Aセクなので結婚も子供も望んではいない。1人は気楽だが世間での地位は最下位だ。どんなに望んでいなくても皆には通用しない。誰も理解ある風に今は1人でも生きていけるから大丈夫と言いながら可哀想な人生だと目が言っている。この国に居場所がない。未来は暗い。
貯金は同人誌でためた2000万しかない。貰える年金なんて僅かだろうしこの貯金だっていつ消えるか分からないから使えない。資産運用は怖くて手が出せない。増えも減りもしない通帳残高は虚無だ。未来は暗い。
趣味を作れと言われるが漫画を描き上げ入稿して読者に喜ばれた時のエクスタシー同等を求めてしまうので新しい趣味に出会えない。これでは老害にしかならない。未来は暗い。
新潟、栃木、群馬、茨城、長野、山梨、それぞれの県で下記のワードでindeedで検索
フリーターやニートなどブランクのある方も歓迎いたします!とか、実務未経験・独学可とか入ってるの選ぶとええで
新潟、栃木、群馬、茨城、長野、山梨、それぞれの県で下記のワードでindeedで検索
Python独学で学習しているので簡単なスクリプトならかけますとか言っとけ
なんていうか、全然違うかもしれないけど、全国に50事務所くらい展開している税理士事務所を同一資本で運営している、みたいな感じ。
資格持ちの税理士はその事務所では自分だけで、他にスタッフが数名。
んでさ、辞めて起業すんのよ。すぐ近くで。
クソみたいな会社だからさ、皆クソなことに気づいてどんどん人が辞めてんのね。
高い組織だから、無資格スタッフにとっては居心地良いのかも。そっちは結構人が増えてるイメージ。でも有資格者が辞めちゃう。んで、業務量が過大なのに残業するなとか意味不明なこと言われるから辞める。
競業避止義務の定めとかないから、近くで起業するんだけど、まあヤメハラが凄い。
優良企業としてではないけど、親会社は誰もが知っているグループ企業だからさ、変なことはできないだろうと思ってた。
だから、後任を決める猶予がないと会社も困るだろうなと思って、辞めて起業することを結構早めに上司に伝えてやった。
最初は地域の同業者として仲良くやっていきましょうなんて言われてさ、さすが腐っても規模が大きい企業なだけはあるなと思ったのよ。
ところがどっこい、後任が決まった途端に早く辞めろと退職勧奨ですよ。
遠方への異動かやめるか選べって。
そうするとさ、困る顧客が出るじゃん。
だけどさ、個人情報は抜けないからホームページ作ったのよ。起業予定のお知らせとさ、突然やめてごめんねってのを書いてさ。もうちょっと働きたかったんだけど、会社に認めてるもらえず辞めざるを得ませんでしたってさ。
ヤクザやなぁと。
でも、ラインで連絡来て良かったですよ。電話だと脅迫の証拠残らないじゃん。今後も電話には出ないようにしようと思うわ。
近隣で起業する方が悪いって?
いやそりゃ俺だって中小企業で修行させてもらったならこんなことしないよ。
そもそも納得いく待遇なら辞めないし、俺は新卒で入ったわけじゃない。即戦力として貢献してきた。っていうか裁量はなく責任だけ被させられて非主流派のクソみたいなポジションで長年貢献してきた。今までで1番忙しく働いて、会社の客観指標でも俺が1番頑張っていることが明らかなのに、待遇を下げられたらそりゃ辞めるって。食事もロクに取れず、文字通り身を削って働いた結果給料下げられるんだぜ?意味わからんだろ。
一緒に働いていたスタッフは、もちろん引き抜く人もいるんだけど、残る人にも幸せになってほしいと願っているよ。
ただ、前職の俺に関わった管理職や役員は地獄に堕ちろと願うよ。
あ、でも本当に地獄に落ちてクソどもが入れ替わって素晴らしい会社になってしまうと、競合としてつらいので、潰れない程度に苦しみながら生きながらえてほしいわ。
先に独立していった先輩方が、なんでそんなに会社を恨んでいるのかイマイチわからなかったけれど、自分ごとになってはじめてわかった。
でも辞めて良かった。
不遇を受け入れるか、管理職としてこういう非人道的なことをし続けるしか元会社で生き残る道はなかったわけだ。
俺はアトキンソン好きだったのよね。日本は中小企業が多いから非効率ってやつ。
大企業で効率化するのは、全てが明文化されて暗黙のルールとかでグレーゾーンな文化の乏しいアメリカだからよね。
って、本人たちからしたら仕事先で貰ってきた余り物でもう飽きてるけど他の物買う金ないから仕方なく食べてるって位置づけだと思うが
ずっと地元の漁村にいたら、娘はろくな学歴もなく地元で「補助的な仕事をする無資格者の低所得層」になって20くらいで地元の男と結婚するしかない人生になるんだが
20そこそこで遊ぶ暇もなく出産育児、夫がクズだろうが金がないから離婚もできない
娘にそんな人生歩ませたいのか
なんていうか、共感するってわけじゃないけど、自分の生育歴とか今の環境とかで思うことが多く湧いてくる元増田だ。
父とは違う職業についたが、やりたい仕事ではないけれど有資格者としてそれなりに稼げてはいる。
ただ、それなりに稼いでも専業主婦と2人の子供がいて、税金もどんどん上がるのに子供手当も打ち切られて、自分と同等の高等教育を受けさせようと思うと教育費も嵩み、暮らしに余裕は全然ない。
方や地元の同級生とかはどうなのかというと、高卒で漁師になってすぐ結婚して子どもができて、アラフォーで既に子供が就職していたりする。
食卓には刺身が並び、若かりし頃から苦労して育ててくれたということで子供達に慕われていたりする。
俺はさ、彼らが遊びほうけて子作りしまくりの時にも不真面目ながらも都市部の塾まで通ったり、別にやりたい事ではないけれど、学費を出してくれる親の手前もあって進路を選んだり、あまり好きではない仕事をやっているわけですよ。
結果として重税と手当のカット、子どもへの教育投資などで自分自身に使えるお金なんて、地元の彼らの方が多いと思うのよ。
何なんだろうね。
でさ、全く逆方向の話なんだけどさ、仕事は有資格者の高所得層と補助的な仕事をする無資格者の低所得層に分断されているのね。
無資格者の方に入ってきた子でさ、大変美しい子がいたんですよ。
高所得者側の良い奴と幸せになったらいいなと思っていたんだけど、定職のない同級生と結婚しちゃった。
いやね、若いんだから別にいろんなやつと付き合うのはいいと思うんだよ。モテるんだし。でもさー、定職のない人と結婚しちゃいます?んでさ、家庭環境もあまりよろしくないみたいだから、親も認めてるみたいなのよね。結婚は両性の同意に基づくわけだから、突っ走られちゃったらどうしようもないけれど、俺は娘が定職のない男と結婚するなんて絶対認めないよ。親として子どもの幸せを願うのは当たり前じゃん。何でそうなっちゃうかな…
っていうね。
幸せって何なんだろうね。
社会福祉士の実習はクソ!
まず医者看護師とは違い、業務独占ではなく名称独占だから仕方のない話ではあるが、実習先の職員が社会福祉士の資格を持っているとは限らない。
というか病院でもなければ持ってないことの方が多かったり。
そんな下手したらその他の系列のバイトをしていた私よりも経験の浅い無資格に指導(笑)をされる。
よほど施設ガチャに当たるでもなければ、高い金を払った上で奴隷労働をさせられるだけ。カスofカス。
何度もいうが無資格に。
この手の感情労働や汚れ仕事は、自分で妥協ラインを選んで就職し、いつでも辞めたければ辞められる状況で、最低賃金がもらえてギリ耐えられる程度にできている。
選択権がない中、金をむしられ奴隷労働をしながら、毎日毎日長い日誌を書きながら、「辞めたきゃやめれば?」と言われながら、その業界の初心者ができるものだと思うんじゃねえよ死ね。
外国人の技能実習生だけが奴隷労働をしているとでも思ってる人が多そうだが、外国人に対して奴隷労働させる国だぞ。
我々は実習生などいなくてもいいんです、取らなくてもいいんですよというスタンス。
実習生いなきゃ回らない方がやべえんだよな。
でもいい収入源だろ?
断れば評価に直結させればいいもんな??wwwww
社会福祉士なんか選ばなければよかった。
人の役に立ちたいなんて思わなければよかった。
こんな道何で選んだんだろう。
こんな実情だと知っていれば私は選ばなかった。
後悔しかない。なんでなんでなんで。
私が勘違いイキリ野郎なのは事実だしそこは大いにバカにして構わんが、実習制度自体が奴隷制度と化している問題は深刻だからそっちを注目してくれ。
実習がゴミすぎて、結局私含め同期がほとんど一般職を選んでいる状況なんだよ。
でも教員免許と違うのは、子どもをもうけなければもうあっちの業界はあまり接点がないということ。
でもこっちはそうは行かない。
これを見ている人間も歳をとったり、何かの拍子に困窮したら、この手の職種にお世話になる可能性が大いにある。
他人事じゃないんだよ。
名ばかり資格さえない、志もない、流れ着いた人しかつかない状態になったら、また悲惨な事件が起きるよ。
もちろん私かもしれない。
続き書いたよ
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私は最低賃金+40円・手取り9万8千円で働く非正規図書館員です。図書館の今を知り、未来のために署名をいただけませんか?
Twitterでバズってたこれ、読んだらすごくもやもやして、賛同できなかったんだよね。
ちな自分は正規雇用の図書館職員だよ。年収600万くらいかな。
でも非正規雇用はみんなそうだし、法律が決めてることだからね。
まあ、年数だけで雇止めになるのはよくないよね。
でもそれは図書館員に限った話じゃなくて、全ての非正規雇用にあてはまることだよね。
非正規図書館員の勤務時間を仮に7(時間)×18(日)=126(時間)とすると、時間給2000円でひと月に252000円。色々な税金が引かれることを考えると、手取りがおよそ20万。これは一人で自立して生活するための最低ラインだと考えます。
うーん???手取りが約20万貰えることから逆算して最低賃金2,000円?
でもそれって非正規雇用の人みんなそうだし、正規雇用でも手取り20万貰えない人いるよね。
パートタイムの非正規図書館員は、何十年と図書館に勤めても退職金は一円も貰えません。ですがパートタイムといっても実態は、フルタイム=7時間45分から少し減らされた7時間30分や、7時間で働いています。
でもそれはそういう条件で合意した非正規雇用であって、パートタイムにして柔軟な雇用で満足している人もたくさんいるよ。
非正規職員んである限り、7時間45分働いても時間給清算だし、その15分って重要?
サービス残業や持ち帰り仕事は、それをさせる雇用主が悪いと思うよ。
そういうことをさせない(特に非正規職員には)図書館もいっぱいあると思うよ。
それに対し一銭も報いないというのは、金銭面の不公平はもちろん、何十年をかけて行ってきた仕事を否定されることに他なりません。
いや仮にそうだとしても、時間外労働はそれをさせる雇用主が悪いんだよね。
正規雇用でもブラックなとこは時間外労働に残業代つかないしさ。。
ちょっとよくわからないね。。これまでの話と図書館の仕事って何か関係あった?
非正規雇用みんなにあてはまる話だし、時間外労働させる雇用主が(ry
利用者により良いサービスを提供するためには、図書館員の能力向上が不可欠です。そのために無料で受けられる研修の充実が必要と考えます。
また、無資格でも数十年図書館に勤め、有資格者に劣らぬ知識と経験を持つ方がたくさんいらっしゃいます。経験により一部単位を免除。資格取得の全額補助により、当人の負担が減り、専門的知識を深められます。
まあ資格取得や研修での自己研鑽はみなすべからく大事だけど、うちは非正規職員じゃなくて正規職員が受けるよ。で正規職員が非正規職員を指導する。
正規職員がいないところだと非正規職員が研修を受けるかもしれないけれど、それは同じ館種でも現場によって様々だから、一般化しづらいと思う。
”全国の図書館員の生活”とか主語が大きいよ。図書館員は非正規職員しかいないと思ってる??
あとなんで図書館員に限定するの?今まで書いてあったことは全ての非正規雇用の人間にあてはまることだよね。
図書館員以外の非正規雇用の人間よりも図書館員が優先して待遇改善される理由は何?全ての非正規雇用の待遇改善ではいけないの?
今がどん底。動かなければこれ以上ひどくなるかもしれません。私たちを助けてください。そして一緒に図書館の、子どもたちの未来を守っていきましょう。
このあとすごい長文続いてたけど全然関係ない話だったよ。ただの政治批判。読む時間無駄にしたと思うくらい。
手取り9万8千円は可哀そうだしセンセーショナルだけど、言ってることは自分のやりたい仕事をしながら月給20万貰いたい!じゃないの?
自分は正規雇用の図書館員だけど、正直図書館業務だけで月給20万は貰えないと思うよ。
税金で賄うサービスは警察や消防とか他にもライフラインとして重要なものがいっぱいあって、図書館はどうしても優先順位が低い。
少ないコストでいかに効率的に運営するかが優先されるのは仕方ないことなんだよね。
大学図書館は財源として学費があるからまだマシで、だからきちんと正規雇用されるよね。
そういう図書館でも非正規職員は雇用されていて、それはやっぱり事務補助なんだよ。
事務補助で雇用される非正規職員が正規職員と同等の給与を貰うことは難しいよね。だって同一労働じゃないからね。
そういう具体的な課題を検討していかないと、解決することは難しいし、図書館員だからという根拠はほぼないので、全ての非正規雇用の待遇改善を求めていくのが落としどころじゃないかな。
こうやって、意味の分からない主張をすることは悪影響すらあると思う。自分は読んでてすごくイライラしたし。
それでさ、これは正規雇用の座にありついた人間が言うと酷いことかもしれないけれど、図書館の仕事がしたいからって新卒で非正規職員になるのはほんとやめたほうが良いよ。
誰も幸せになれない。
司書以外にも芸能人や漫画家みたいに、なりたくてもなれない職業は珍しくないよね。
正規雇用の司書はむしろ、ほとんどが公務員試験だからすごく公平に就職機会が与えられている方で、それを掴めなかったなら、すっぱりと諦めることも時には必要だと思う。
自分も正規雇用につくまで必死に努力したし、本当に少ない椅子しかないから。
図書館で働きたいからと非正規職員になって、それでお金が欲しいというのは、生活するために夢をあきらめた人から見たらわがままに見えてしまう。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
自助グループとはどういうものかというと、なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
(結論からして、具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思う。
ただ、他の人の経験を聞ける、自分も経験を話せると言う点では自助グループは有意義だとも思う。個人的な感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つが、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。傾聴はするし、お互いの嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
これは(成人して一応社会生活を送れる身としては、)友人を親に置き換えてもほぼ当てはまる。少なくとも私の状況では。
なので、病院やカウンセリングを中心に頼っている今は、友人たちとも親ともかなり良好な関係が築けていると思っている。
友人や親とは一応心配しあってはいるし、お互いの状況や気持ちを聞いて「そりゃきびしいなあ」とか「やったやん」などと言うことはあるが、それで「あれをしてあげた、これをしてあげた」ということはない。
そんな関係を、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居すると、それはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
そのことがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
~~~~~~~~~~
その自助グループに参加してから、混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
その場では参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先だ。
それに、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点でも、医師やカウンセラーと相談して、安心して話せる自助グループを探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。
また、特定の自助グループを非難する意図も、自助グループの存在を非難する意図もありません。
先日、初めてある自助グループに参加した。
私は既婚なのだが、夫婦間での問題が実害として表れ始めたので、相談機関に相談したところ、自助グループに参加することになった。
なにかしらの問題を抱える人が集まり、お互いの経験や現状を話し、つらさなど気持ちを分かち合う場だ。基本的に「言いっぱなし・聞きっぱなし」、すなわち問題や気持ちを吐き出して整理する場所で、傾聴に重点がおかれた形式をとることが多い。
なぜ、傾聴が重視されるかというと、発言に対して正論で責められると吐き出すものも吐き出せず、結局そこでは安心して話せないことになるからだ。
そもそも、正論で片付けられるような状況であればそこまで困っていないというのもある。問題というのは様々なバックボーンや出来事のタイミングなど複雑な要素で成り立っているので、誰かにとっての正論が必ずしも当てはまるものではないということは確かだ。
とりあえず、誰にも言えないことを吐き出せる。そういう場所として自助グループがある。
具体的なアドバイスは医師やカウンセラー等、金銭的対価を払って、ある意味「職業的責任を持ってくれる」人たちに頼ることが良いかと思われる。(個人的感想です。)
私もメンタルの病を持っており、医師やカウンセラーに頼りつつ、同じようにメンタルの問題がある人と繋がったり、信頼できる人を見つけて、お互いに傾聴するような関係を築いたりもしてきた。そういう前提のもと、前述の経緯で、ある自助グループに参加した。
~~~~~~~~~~~
びっくらこいた。
形式上は傾聴だ。まずミーティング的なものがあり、その際は順々に気持ちを吐露していく。これについてその場でアドバイスされることはない。
また、ミーティング中は特定の施設や団体等の名前を出すことは禁止されている。
しかしその後「ご飯行きましょ」という流れがあり、どこの病院がいいとかそういう話はミーティング後にすることになる。正直状況的には藁をも掴む思いなので、参加した。
①全体的に否定される
前述の通りミーティング後の食事等でまた状況の話をするわけだが、何を話しても「それは病んでいる」「おかしい、普通じゃない」といった反応がくる。
正直病んでてもともとなのである。
自分の話になるが、物心がついたときから「死にたい」と言って暴れたり、自傷行為に走ったりしてきて、頻繁に家出もしていた。大人になってからやっとの思いでメンタルクリニックにつながり、服薬とカウンセリングでなんとか生きてきたし、今もそうだ。
親との関係がそもそも拗れていたのだが、最近になって親との関係も徐々に清算されてきた。親元はすでに離れているのだが、親も勉強したり考えたりしたようで、こちらも落ち着いて話せる環境になってきた。親には、「心配はするけど、生きたいように生きなさい」と言ってもらえて、荷が下りたような気持ちになったのが、最近のことである。
病みつつ、病んでるなりになんとかやっていっている。
そこに状況の否定が来ると、混乱する。
おかしいと言われれば、たしかにおかしいだろう。病んでいる。そんなことはわかっている。
②繋がりを否定される
まあ、おかしいだとか普通じゃないと否定される分には「世間的にはそうですよね」で片付けられるのだが、決定的にしんどかったことの一つは、自助グループ以外の繋がりを否定されたことだ。
前述のとおり、同じような境遇の友人がそれなりの数居り、お互い「それはつらいね」「そういうとき、私はこうしたよ」など、傾聴を重視した関係を築くことに成功したわけだが、そのことをぽろっと自助グループで話したところ「友人に話すことはあまりよくない」といったことをアドバイスされた。
また、親とも少しずつ和解しており、今では困ったことがあると相談する関係なのだが、そのこともぽろっと話したら「親に相談することも良くない」らしかった。
そして、「自助グループで話すのがいい」という流れになる。相談するなら自助グループの人にしなさいと連絡先を渡された。
友人に話すことには良くない面もある、それは理解できる。
「死にたい」「つらい」「助けて」といったことを頻繁に友人に対して言うのは、友人に心的介護を要求することになる。それは友人にとって良くないのはもちろん、自分にとっても良くない。介護する側と介護される側となると、対等な関係ではなくなるからだ。
しかし、そこは理解した上で、友人とは付き合っている。本当にどうしようもないときは、病院やカウンセリングに頼る。友人にサービスは要求しない。嬉しかったことや悲しかったことを共有こそするが、それは友人関係の範囲でのことだ。逆に、その辺りの意識が共有できない相手に相談することはない。
友人たちとはかなり良好な関係が築けていると思っている。そこを、あまり詳しく話をしていない段階で否定されたことに衝撃を受けた。(今思うとあまり詳しく話をしていない状況だったから否定されたのかもしれない。)
③傾聴が機能していない
また、そもそも傾聴が重視されるはずの自助グループで傾聴が機能していなかったことも衝撃だった。
夫とはクールダウン期間として別居しているのだが、事情を考慮した結果、また同居をするつもりでいる。
その旨を話すと、鬼のように止められた。
たしかに同居にはデメリットもある。心理的に距離が保てない(=自他境界が曖昧な)二人が同居するとそれはそれはトラブルが絶えない。
しかし、「自他境界が曖昧で問題が起こる」ということを自覚した上で、病院やカウンセラーを頼りつつ落としどころを見つけていく、ということはそんなにまずいことなのだろうか。
実際、別居のメリットも十分感じた。
最初はお互い(別居に対する)抵抗感があったが、一回離れてみると見えてくることはたくさんある。自分の生活を律するのは最終的に自分だということ、金銭的にお互いを頼ることはなるべく避けた方が良いこと、べったりと一緒にいなくても生きていけること、たくさん気づくことがあった。
でもその上で、仕事場へのアクセスや金銭的事情、また単純に「適度に自他境界をつくり、一緒にいる楽しさに目を向けられる関係を目指したい」という点で、つまり試行錯誤をするというプロセス上、とりあえず同居してみてもいいのではないかと思っている。
トラブルがあれば、その都度カウンセリングや医療機関を頼る、また一時的に親族の元に身を寄せることもできる体制を構築した。これが保険となり、同居を前向きに考えられるようになった。
細々(こまごま)とした事情を自分の中の天秤にかけた結果が「同居」なのだが、それは自助グループ的にはあり得ない様子なのである。
これがまた結構な人数で説得される。そうなると場としては同調せざるを得なくなってしまい、「確かにそうですね…」と言ってしまった。
これがまあまあなダメージで、自助グループに行く度に「同居絶対ダメ」と説得されるのだが、そのあと1~2日はもやもやして寝込んだり泣いたりしてしまった。
もともとメンタルの病で意志薄弱なところがあるのだが、私のことは私で決める、ということが少しずつ出来るようになってきたところだ。
そこに大人数の説得が来て、かなり混乱した。もしバックボーンが違えども混乱するのではないか、と思う。
また付け加えると、ミーティング中の発言に関しても多少の突っ込みを受けた。これでは「言いっぱなし聞きっぱなし」の意味がなく、傾聴とは言えないのではないだろうか。もやもや、もやもや…
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それで混乱したり寝込んだり涙したりしていたわけだが、その自助グループで「確かにそうですよね」等と言っていると、どんどん自助グループへの関与を勧められる。毎日どこかしらでやっているので、ほぼ無限に勧めることが可能なのだ。
それで、その場の流れで「では、~曜日は~でやっている会に参加します」などと言ってしまった(本当は、要らないことは言わなければいいので、ここは私の落ち度と思う。)。
それで参加する宣言をしたわけだが、私の場合、しんどさは大体翌日~翌々日にやってくるので、その場は平気でも後々「あんなことを言ってしまったが、行かなければならないのか…死にたい…」という状態になる。
行く宣言をした自助グループの会を翌々日に控え、「死にた~い…」となっていたとき、前からかかっているカウンセラーの顔が浮かび、カウンセリングで相談したらいいのではないかと考えた。
ここ数ヵ月希死念慮は無かったのに、こんなに死にたいのはまずい状況だ。しかし意志薄弱傾向もあって、「自分で決められない、誰かに相談しないと落ち着かない…誰か背中を押してくれ…でも友達にも親にも話すのはやめた方がいいって言われたし…」等と、くどくど考えていたが、最終的に友人が背中を押してくれたので、すぐカウンセリングに行くことにした。
カウンセラーにつらさを話すと、まずつらさを肯定してくれた。もうこの時点で涙が出るほど安心した。
一通り打ち明けたところ、自助グループの役割や傾聴の意義について説明を受けた。また、傾聴が徹底されている自助グループもたくさんあり、自助グループが全部私の経験したような場所ではないことも教えてくれた。
心の底から、「このカウンセラーさんと繋がっていて良かった…」と思った。
結局、しんどかった自助グループとは距離を置くことにした。今は、カウンセラー、医師と相談しつつ生活を建て直し、また傾聴が機能している他の自助グループに参加してみる方向で動いている。
何故この文章を書いたかというと、「自助グループ しんどい」で検索すると、「自助グループに行きたくないというのは偏見があったり、病識がないからだ」「とりあえず継続して行った方がいい」といった記事が出てくるからだ。
その自助グループや、自助グループというもの自体を否定する気持ちは全く無い。実際、それで助かっている人はたくさんいるからだ。継続して色々な場所の会に通えば、どこかしらで自分と合った環境が見つかることも考えられる。吐き出せる場所が見つかれば、問題を抱えた人にとっては大きな助けになる。
私も、「それはそう、でも私はこうする」という切り分けができれば、多分その(しんどかった)自助グループに通っていたと思う。また、そこはしんどくても、同じグループの他の会を探すとか、しんどくてもご飯の流れだけは断って自衛するとか、そういう手もあった。
でも、傾聴があまりよく機能していない自助グループに、病気持ちで意志薄弱の傾向がある人が行くと、調子を崩すこともある。
場の流れを崩す恐怖が強くて、うまく自衛ができない人もいる。
その場合は、カウンセラーや医師に相談してみてほしい。自助グループは、死にたくなってまで行くものではないと思う。また、そこまで病的に意志薄弱(または意志があってもそれを伝えるのが苦手)なのであれば、まず医療機関等を頼るのが最優先かと考えている。
あと、自助グループはたくさんあるので、「ここしかない」ということもない。その点も、医師やカウンセラーと相談して探してみてほしい。
(カウンセラーについても、無資格のカウンセラーはたくさんいますが、臨床心理士さんのいるカウンセリングルームの方が安定感があるのでおすすめします。ライフハック。
臨床心理士さんが居る相談機関を探せるホームページがあるので、リンクを張っておきます。