はてなキーワード: テレホーダイとは
テレホーダイってやつですね! 懐かしい
おじさん年表
1995年 エイリアンソルジャー 発売
2000年 1月 おじさん17歳の時にトラックにはねられて昏睡状態
IT関連
1999年 Windows2000 発売
ツンデレ関連 (たかふみ役の福山潤さんが、先行上映会で一般に広まったのは釘宮さんではないかと言っていたので釘宮年表も)
1996年 同級生if 発売(おじさんはギャルゲじゃなくてもパッケージがエッチなゲームですらエロだと思われたくて買ってないのでやってないと思われる)
1998年 釘宮理恵 ゲーム『etude prologue ~揺れ動く心のかたち~/SS版』(佐伯悠見役)で声優デビュー
https://pug.5ch.net/test/read.cgi/anime/1657216271/731
異世界おじさん
そもそも女だとバレたら叩かれるというのがない。KYで空気読めないメンヘラを標準にされても困る
エロゲなどがPCで出てたのはWindows95よりもさらに前の話だし
ホームページページビルダーが登場したのもYahoo!がホームページとか検索できるようにしたのもテレホーダイも1995年くらいの話だし
そもそも中学校にも高校にも図書館にも1999年以前からPCがあったのに上記のいずれにも触れる機会がなかったって
1980年代生まれですらなさそう(1970年代生まれなの?)なんだが、
もし1990年以降の平成生まれなら異常に感度低いor知能が低いのでは?ってのが一連のやりとり見てて思うこと
2ちゃんねるで女叩きがあったことは筆者自身見て知っているが、なぜそのような空気感が醸成されたのか?についてはニコニコ動画登場以降にインターネットへ新規参入した筆者にはわからない
便乗して、現時点で四十台の人間の視点からインターネットの文化の変遷について書く。
ごく普通の家庭からインターネットに接続するようになったのは 2000 年を過ぎた頃のことで、それ以前のインターネット参加者は限られていた。
あたりが主。
インターネットを利用するにあたって費用のハードルがどれくらいだったのか。
1990 年台の中頃では平均的なパソコンの値段が 30 万円前後くらいで、ガチなユーザなら 80 万~ 120 万円くらい (周辺機器を含む) は出してた。
回線はダイアルアップだったりするのでそれだけでも通話と同じ料金 (最低で三分十円、アクセスポイントまでの距離次第でもっと高額) がかかる。
バブル経済の残滓がまだ残っている時代ではあったが、普通の家庭でそれだけの額を出そうという人はそんなに多くなかっただろう。
テレホーダイサービスが始まってもそれが全国的なサービスとして提供されるまで少し時間がかかった。
2000 年を過ぎた頃にインターネットが急成長しはじめた。
この頃には田舎でも DSL 回線がまあまあ利用できるようになった。
女性が増えたというよりはインターネット人口そのものが爆発的に増えた。
私にとって「インターネット黎明期」とは 2000 年より前のことを指す。
(私の文章ではこの定義に基づいて「黎明期」と述べていると解していただきたい。)
私が用語を定義するなら 2000 年から 2010 年あたりを (日本における) インターネット成長期とでも呼ぶだろう。
私個人の経験で言うなら、このインターネット急成長前にも女性ユーザはいたが特に厄介だったという記憶はない。
インターネット急成長以後の新参のインターネット参加者は男女関係なくリアルの感覚をインターネットに持ち込んでいた。
ただ、元々の「リアルの感覚」が女性は「話題」ではなく「人」で分けがちなんだと思う。
話したい人には何でも話してあまり話したくない人とはやりとり自体をひかえ、場所ごとに違う話題を取り上げるという感覚が希薄なように見える。
あるスレに馴染んだらそこの人と仲良くなった気分になって別の話題でもよいと思ってしまったんだろう。
そこの人たちと仲良くなろうという意識はあったし、仲良くなるまでは何でも話そうという感じでもなかった。
は?テレホーダイの話してるんでしょ?
前回https://anond.hatelabo.jp/20211124223202
インターネットはしばしば酒やタバコやその他の薬物に喩えられる。
無限に時間を吸い込み、人間の脳を麻痺させ、人生を破壊し、それでいて人生に役をなしていると錯覚させる。
ニコニコ動画が産まれた少しあとに「作業用BGMなど存在しない」という言葉が産まれたが、まさにインターネットと作業の関係はコレだ。
飲酒運転をするものが飲酒による客観性の喪失により自分がいつもより上手に運転できていると錯覚するのと、インターネットをやりながら作業をすると捗る気がするのは同じだ。
結論から言おう、インターネットに絡み取られれば人生は全く捗らなくなる。
だがそれは酒屋の店主になるような道だ。
そしてそんな道に進める酒飲みはほとんどおらず、大部分はインターネットを仕事に繋げられることなくただそこで人生を無駄にして管を巻くのだ。
高校2年生、受験シーズンが始まった頃のある日のスケジュールである。
6時半起床
7時 出勤
|
17時 帰宅
親が帰ってくるまでの間に昨日インターネットから落としておいたオカズでオナニー
眠くなったので昼寝
21時 親が帰ってきたので夕飯
22時 風呂
親の気配を感じたら勉強してるフリ
25時 親が寝たのでオナニー
寝る
もちろんオナニーと昼寝の間に消えている。
その間にネットやゲームもしなきゃいけないのでとても忙しくて勉強などしていられない。
そうだ悪いのはネットじゃない。
テレホーダイを親が払っていればあとは無料でエロが見放題なのだ。
他人を嘲笑う下品な笑いや、私が目指していたけどなれなかった「一人で完結したゲームクリエイター」が作ったフリーゲームだって遊びまくれる。
もちろん、大学は落ちた。
その次の年、なんとか滑り止めに受かった。
まだプログラマーという生き方に未練が合った私はそういったことが学べる学部に行くことにした。
ちなみにプログラミング部をやめてからプログラミングに費やした時間は0である。
無理だと思い知ったのではなかったのか。
後悔はつきない。
なんでもいいんだけど例えばAmazonのKindleのコミックのページとか
一瞬で表示されるのが当たり前なわけじゃない?
それがさ夜のネットの混雑時とかになると、えっ!?テレホーダイ?って
感じの遅さになるんだよ。
これって皆そうなってる?
実は接続プロバイダーが強制的に変更になってからネット速度遅くなったとは
思ってたんだけどコロナ禍が始まってからいよいよおかしくなってんだよな。
といいつつ今までまあいいか、と流してきたんだけどいよいよプロバイダーを変えようと思ってる。
たださ、コロナ禍では混むの当たり前になってるからプロバイダを変えても意味ないよ、
という意見があったら教えて欲しい。
自宅のネット回線が驚くほど遅い、夜になるとひどいことになる。
テレホーダイタイム?と疑いたくなるほどの回顧的回線状況となっている。
テレワークの普及以来ネット回線の遅延は囁かれているが、夜に壊滅的状況となるのは別問題だろう。
ベストエフォートとかなんとかそういう理屈はわかるのだが、それにしてもおかしなことになっている。
そういった疑問をネット上の検索だけで、なんとなくでも当たりのついた答えを得ることが非常に難しい。
こういった素朴な疑問、プロバイダを変えると状況は改善されるのかな?てきな簡単なことが「わからなく」なっている、調べても。
別に正しいかどうかではなくて、「わからない」のがずっと昔のネット状況とは違うところなのだ。
なんだか時代というのは進めば進むほど、物事が明快なるものであるというのは間違った認識で、ときに混沌へと進むものなのだ。
高校1年生の1953年に、冷蔵庫、洗濯機、トースターなどがようやく登場する。
32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙に立候補する。
選挙直前の一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死の覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方は仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。
51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。
63歳の2000年に、当時の小渕首相が脳梗塞で倒れる。その3日後に第一次森内閣発足。日本国の長となる。
前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという
64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートでゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。
同2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。
73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。
76歳の2013年に、アルゼンチンのブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。
77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長に就任する。
84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。
森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である。
森が小学2年生のときに第二次世界大戦が終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代の倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。
そのような教育を通して、森は育ったのだ。
日本にインターネットが誕生し、私達がWindows98でテレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。
森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来の性格とみるか?育った時代、教育、環境も影響しているはずだろう。
私達の感覚では、「時代に合わせて感覚をアップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。
特別に森がというより、一般論としての森の世代がである。Twitterが誕生したころには70手前の世代である。
自分の母親や父親、職場の上司に「感覚をアップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代の人間である。学生時代に戦後を経験した世代にである。
PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代の人間は、感覚をアップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚をアップデートすればいいのかわからないのではないのか。
この世代の人達は恐れているのではないか。自分の古くさった感覚をアップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか。
哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である。