はてなキーワード: 有頂天とは
これはいつもの国語増田じゃないかと思うが、内容が稚拙すぎる。ブリンカーを付けて歩いているのか?
https://anond.hatelabo.jp/20211106182157
国語と収入、所得の違いの指摘だけなら兎も角、倫理と対比して実習制度の奴隷使用を現実主義で擁護しやがった。
この「倫理を詰る者に対してその話者の立ち位置の倫理性を問う」というのは原発反対論者に電力の使用を詰るというのが有名だが、ブクマではフォーマットが同じなので安心して賛同する者が出ている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20211106182157
はい、言葉いじりだけで実習制度の奴隷使用は是認されるべきものになりました。
学校というサンドボックスで国語の問題を解くのは得意だが学校ではない社会の事象に対してもそのサンドボックスから出ないで得意げにあーだこーだ言うのが国語増田の特徴だったが、やっぱこの増田もそれなんじゃないのか?
そもそもほぼ全ての農家が土地を持っているというのは米軍が倫理的観点で強行した為というのを忘れている。
戦前まで土地を持たない小作農が沢山居り、これが農村部の貧困の原因になっていた。大日本帝国の満州開拓への固執の動機には国内の水呑み百姓問題があった。
これを理解していた米軍は耕作地の所有権を小作に移転させ、その他農村の近代化も進めた。
これには世界恐慌時米国内での困窮農村救済プロジェクトがあった事も関係しているのな。教科書で習うのは農業調整法だが、それ以外にFSA(農業安定局)プロジェクトなどがある。
そういうプロジェクトに従事していた人らが戦後に徴兵されたりして技官や武官として日本に来てこういう政策を行った。
米国の農業資本は中南米ではプランテーションを行っていたし、未だに行っている。
でも占領時もそういう資本は入って来なかったし、日本の農民もプランテーション下で経済的に支配された身分にならなかった。
米国の化学肥料メーカーにも蹂躙されず、国内の爆薬製造者が肥料メーカーに転身しただけだった。
増田の立場では日本の貧農は外国資本や農主の下で働くことになるのは現実主義的に当然なんじゃないのか?
だが実際は倫理的に改革されて戦後の農業の形が出来ていたんだよな。その土壌で奴隷経営するのが出てきて言葉遊びでそれをごまかしているのだから批判する声が出るのが当然だ。
GHQは税制の改革も進め、その一つの大きな柱が「個人事業への企業経理の導入」なのな。青色申告とか複式簿記のあれだ。
法人税でも青色申告でも複式でつけた帳簿は税申告時には税務署に見せない。PLだけ提出して帳簿と領収書などは保管義務があるだけだ。だが税務調査が来たらすぐに見せなきゃならない。
これは国税当局と経営者が互いに信頼するという前提に立っている。公文書改竄と国会虚偽答弁した事で国税庁長官に昇進した佐川宣寿が結局すぐに辞職したのはこの為だ。善意と信頼に基づく税制なんて運用できないからな。
この米国企業式の経理と税制を個人事業の基礎に据えた為に農家も個人商店も複式簿記出来るし給与生活者があまり意識しない収入と所得を当然に分別出来るのだ。
それなのに倫理と現実主義を対置して倫理をdisってみせるというのはどういう事だろうか?
今は入管法が厳しくなりあまり居ないが、2004年くらいまではオーバーステイの外国人っていうのは沢山居た。それでビザの条件にも違反して労働している者も多く居た。水商売とか町工場とか偽装請負とか。後者では賃金を買い叩かれて働いていた。オーバーステイなんて大したことじゃなかったのよ。
だが年々入管法は改正され、当局の締め付けも厳しくなってきた。すると手入れを恐れて雇用するのが難しくなる。
そうなると工場の社長や水商売のオーナーはボヤく。曰く「商売あがったりだー」「仕事減らすしかねぇ」当たり前だ。
でもしょうがないので商売替えするか諦めて社員を雇うしかない。私は当時水商売に近い所に居たからボヤキを散々聞いた。「いいアイデア無い?」とも聞かれた。
偽装請負の中にはオーバーステイ専門の派遣で、社長自身が外人、要するにただのブローカーが法人格持ってるのも居た。
当然困ったろうが知ったこっちゃない。商売畳めとしか言えないし、そうなった。
元増田はこれらの人は擁護すべき立場なのだろうから、どうか入管の矢面に立って外国人キャバクラのオーナーとかブローカーとかを擁護してやって欲しい。
実習制度は昔からあるが、それが人権問題で国際問題化してきたのはこの10年程度の事だ。
どうしてそうなったかは上の説明読めば判るだろう。オーバーステイ摘発が増加した為にこの制度の悪用が代替手段として一般化したのだ。
そして昔は現地のブローカーが暗躍してた人身ビジネスに国家がハク付けをしてしまった形になる。
更にその悪用にオーバーステイ外国人雇用にあまり関与してなかった業界が参入する事にもなった。その一つが農家。
だから「100円のほうれん草食いながら」云々というのは、甘い味を覚える前の経営に戻るしかないというだけの事。
ずっと実直にやってた頃に戻ればいいんだよ。
国語の問題を間違えている人を発見して有頂天になっても、それは学校的な発想でしかない。
「学校」のサンドボックスから出て「現実的」な事を書いてみようとしても、倫理で詰る人のメタ倫理性を論うテンプレでしかないというのはホームルームで先生をやり込める「目覚めた」生徒のそれだ。
学校的空間ではそういう自己否定@山岳ベースを聞いてくれる先生がいるが現実はそうではない。原発も条件が揃えば爆発するし人権問題が後に国際問題として延々解決しない事にもなる。更に人の人生を破壊する。
昨日、よく通っている飲み屋に電話をして、明日の飲み会の予約を取ろうとした。
すると、「明日からは夜8時までなんですよ」という、衝撃の発言が店主から飛び出した。
深夜までの営業は今日限りで、明日からは時短営業に切り替えるみたいだ。
先に言っとくが、推敲とかロクにしてないから、文章が読みにくかったらごめん。
この店(M店とする)は硬派だった。5月の緊急事態宣言の折、広島県某所の飲み屋街では、ほとんどの店が休業を選んだ。しかし、M店だけは時短営業の道を選んだ。
俺みたいな若い連中が青春を楽しめるように、オーナーが剛毅花壇をしてくれたのだ。きっと、飲食店の組合とかからは冷ややかな目で見られていたのだろう。でも、若い連中にとっては大事なことなのだ。オーナーには感謝している。
ほかの店が休業するか、いくつかの店が時短営業を選択する中、そのM店だけは違った。休業はしないし、時短営業もしない。なんと、いつもどおりの深夜3時までの営業、しかも酒類の提供もするという。
やっぱりM店は違うな、と俺は有頂天になった。2日前も大学の部活帰りに飲み会をしたばかりだ。それが、冒頭のようになってしまった。畜生なことだ。
多分、圧力があったんだろう。
今日になってお店のスタッフ(おんなじ大学)の子に時短営業に切り替える理由を聞いたところ、インターネットにM店を公開告発するコメントが書かれて、いろんなところから苦情がたくさんきたらしく、それでオーナーか店主のどっちかはわからないが、今回の判断をしたということだ。
これを書いている今もキレそうになっている。
多分、圧力をかけたのはいい大人の奴らだろう。お店によく来ていた、30代とか40代の社会人だと俺は勝手に思ってる。
あいつらはあんまり好きじゃない。いや、嫌いだ。店の中でも自分たちよりも一回りは若い子(特に女)に声をかけたかと思えば、いっちょ前に「社会に出ると~」みたいなマウントばかりとって、それで相手にされなくなると半ギレしやがる。
あいつらは多分、俺達が楽しそうにしてるのが気に入らないのだ。これまでにあいつらが飲み屋で偉そうに語ってたことを聞くに、そんなところだろう。
あいつらはストレスが溜まってそうだった。「自分たちは会社で働いてこんなに辛いのに」って感じで、学生がM店でわいわいがやがや騒いでいるのが憎らしくてしょうがないのだ。だから大学生にマウントを取ったり、店員に偉そうな態度を取ったり、オレはすごいアピールばかりしてくる。
M店には、これからもずっと続いてほしい。絶対に潰れてほしくない。
ひきこもり京本のマンガの絵が自分より上手なのにショックを受けるが、そこから本格的に絵の勉強を始める。
努力をして画力も上がるが、小6の途中で京本との才能の差を感じて筆を折る。
この先生のやる気のなさから、京本の不登校の原因はいじめで、それを放置する学校の姿勢が透けて見える。
自分より上だと思っていた相手からの意外な言葉に有頂天になる藤野。
ここで藤野は漫画の賞をとる話を考えていると嘘をついて京本を騙し、支配関係を作る。
自分が学校に行っている間に、京本に作画をさせて読み切り作品を作成。共同名義で漫画の賞に当選。読み切りも7本掲載。連載も決まる。
しかし、京本は藤野に「無理 ぜったいムリ!」と反対されながらも藤野から離れて美大へ進学。
「だからもしさ もしウチら漫画を連載できたらさ すっごい超作画でやりたいよね」
中略
と強がる藤野。
そして圧倒的な画力。
別れる時も京本の才能、人格を認めずに支配関係を崩そうとしなかった。
いままでは自分が支配していたが、離れてしまっては、京野は自分の才能に気がつき、利用されていたことを知る時が来る。
「最近また描き始めたよ!連載できたらアシスタントになってね!」
ここでの犯人の言説に注目したい。
犯行の動機は、京都アニメーションの事件のように、自分の作品が盗作されたと盲信、というのとは少し違う。
男は
と話す。
「ちげーよ!!俺のだろ!?元々オレのをパクったんだっただろ!?ほらな!!お前じゃんやっぱなあ!?」
「お前の作品はパクりだ」
という内容であったろう。
作品を盗作していると批判されるのは、無名の人間に向けられるものではない、作品が世に出ている人に対してである。
では男は誰か?
これから書くのはかなり昔にある先輩医師と久しぶりにあった際、喫茶店かどこかで話したことだ。
一言一句覚えているわけでないのであやふやな部分はあるが、大筋はあっていると思う。
特定を避けるために口調などは変えてある。
こんなことを書いて誰かの役に立つかは分からない。
それでも読みたいという酔狂な人だけ付き合ってもらえればそれでいい。
「お前、せっかく医者になったんだからもっと稼げばいいのに。」
「はあ、一応普通のサラリーマンよりはかなり収入はあると思うんですが…」
「いやいや、保険診療でちまちま稼いでんだろ?
そんなもん仕事の忙しさからしたら割に合わんだろ。自由診療やれよ。」
「自由診療ですか…」
「自由診療は楽だし儲かるぞー。」
「でも、患者集めるの大変じゃないですか?」
「そんなもん簡単だよ。SNSとかで見込み客の喜びそうな話をばらまいてやるだけ。」
「見込み客…ですか?」
「世の中にはな、親とか学校の先生とかいじめっ子とかへの恨みつらみやら怒りやらを
いい年になっても抱えてる奴らが一定数いるんだわ。」
「で、そういう奴らをさ、簡単に囲い込める情報の出し方があるのさ。」
「情報の出し方…」
「そう。大きく3つあってな、①常識や定説とかの反対のことを言う。
②断定口調。③感情を煽る。これにしたがって出してりゃだいたいいける。」
「…それは具体的にどんな感じなんですか?」
「まず、1こ目な。これが特に大事。見込み客の奴らはさ、権威とか権力とかが根本的に嫌いなの。
多分恨みや怒りのある親やらと重ね合わせるんだろうな。
だから、政府とか大企業とか医者とか権威のありそうなものには自動的に反感を抱くわけ。
そこで、普通の医者がすすめる薬とかワクチンとかは本当は毒だとか、
大体の人間が食べてる○○は危ないからやめろとか言ってやると簡単に信じる。」
「本当にですか?」
「理系に明るい奴は引っかからないのも多いけど、物事を科学的に考えられない
中高年の女なんかはほぼいけるな。だいたいが、常識的な科学理論にも権威を感じて反感持つし(笑)」
「なるほど…。」
「科学に弱いだけあってそのへんからテキトーに理屈にあいそうな論文でも拾ってきて、
『ここに書いてある』とかやっとけば『シェアさせていただきます!』とか言って拡散までしてくれるぞ(笑)」
「バレないもんなんですかね?」
「まずだいじょうぶだな。査読とかメタアナリシスの意味も知らんような奴らだし、
「信じたくて信じる。」
「そう、奴らは大嫌いな親やらと同一視する政府とか医者とかをを見返したくてしょうがない。
しかも、その気持ちが心の底にあることにすら気づいてないし、見る度胸もない。
そもそもその親やらに自己肯定感を砕かれて劣等感の強い奴らにとって、
普通の人たちは知らないことを私たちは知っているという優越感は麻薬みたいなもんさ。
一度味わわせりゃこっちのもんだな。」
「ちょっと怖いですね。」
「いいんだよ、どうせ一生治らねえから。いい気分にさせてやるのもサービスのうち。」
「治らないものでしょうか?」
「ああ、よっぽど腕利きのカウンセラーのとこに気長に通い続けりゃ可能性はあるが、
臨床心理士は権威を感じて敬遠するし、行ったとしても占い師か怪しいスピリチュアルってのが関の山。」
「そんなものですか。」
「そうだよ。実際うちに来る奴らはチャクラがどうたらとかレイキがどうたらとかに金使ってるバカも多いぞ。」
「…」
「で、2つめな。断定口調にする。そもそも自分に自信がない奴らだから言い切られるとより確信を深めるんだな。」
そこが狙い目で、言い切らないのは隠してることがあるからだって解釈にするんだわ。
奴らは基本的に心がふらついてるから答えがハッキリしないことに耐えられない。
だからすぐに答えが出せるように白黒で考えるクセが染み付いてるのな。断定してもらうとホッとするらしいわ。」
「頭が悪いんですかね。」
「いや、意外とそうでもないぞ。話してるとそこそこ賢こそうなのも多い。
結局心になんか抱えてるやつはなんかのポイントをつかれるとまともな思考回路が働かなくなるんだろうな。」
「たしかにそうかもしれません。」
「でもって最後に③感情を煽るってやつな。奴らが根本的に心の底に恨みや怒りがあるってのは話したな。
その感情を代弁するように発信するんだ。」
「それはどんなふうに?」
「医者とか製薬会社とかを敵に見立てて口汚く批判したりするのさ。
『医師や製薬会社は利権にまみれています。ワクチンなんて毒物を金儲けのためにバラまいてるなんて許せません。』
みたいな感じな。基本冷静に批判しつつ、時々『氏ね』とか言うとめっちゃ受けるんだわ(笑)」
「その人たちにしたらスカっとするんでしょうね。」
「そうそう、よく分かってきたじゃん。」
「ええ、でもその人らはよくても家族とか友達とかが横槍を入れてきませんか?」
「『頭のいい人には逆に分からないんだよ。』ってやつな。」
「?」
「意味不明だろ(笑)。奴らはそこそこには頭がいいけど、めちゃくちゃいいわけでもない。
そこにコンプレックスをつのらせてるわけ。だから、暗に君のほうが優れているっていうメッセージをやれば
嬉しくなってすぐこっちに戻ってくるって寸法な。」
「ふーむ…。」
「頭のいい人ほど常識に囚われてしまうとか言ってやれば有頂天だな。
『世の中の人間は洗脳されてる。私は真実を知ってる!目覚めた!』とか言い出したらばっちりだわ。」
「洗脳されてる奴らほど他人のことを『洗脳されてる。』っていうの面白いよな(笑)」
「…」
あとは何療法だろうが、グッズだろうが、機械だろうが飛ぶように売れるわ。」
「それはそうですよね…。」
「事前に本でも出しとくと完璧だな。出版社も常識と反対のことを書いた本に
「はあ?打つに決まってんじゃん。俺も家族もバッチリ打ってるわ。
ディティールはだいたい合ってるはず。
読んでくれた人には一応ありがとうございます、とだけ言わせてもらいます。
『今更閃光のハサウェイではしゃいでんじゃねーよ』とは言わんよ流石に。
いや、何を隠そう閃光のハサウェイが盛り上がりに盛り上がっている。
まさかハサウェイからガンダムに入ってくる人間が沢山いるとは思わなかった。
君の名は~鬼滅とか呪術とかのアニメブームで市民権得てきたところに丁度いい感じの作画が綺麗で音楽澤野の作品だから盛り上がってると推察する。
ギギもハサウェイもケネスも美男美女だしな。ただまあケネスってなんか金髪のイメージあったわシャア的な。そこはどうでもいいか。
とにかくそこの人間関係が腐れ様だの夢女子だの女性にも受けたのかもしれん。
前置きが長くなった。
とにかく、ハサウェイ経由でガンダムにめっちゃ新規が入ってきている。
俺はガンダムで言うと種から入ったにわかだ。そこからゲームを経由して一応全作品見たと思う。アニメシリーズは。
まあ、そのころは種から入りました!なんて言おうものならボコボコに叩かれたわけよ。
で、腐れ老害どもとのコミュニケーションが嫌になって閉じたコミュニティに引きこもったりした。
その後の00や鉄血の時も、ああいう老害にはなるまい、としっかりね、優しく新規に色々教えたりしてたわけです。
にわかどころじゃない。なんだったら、「ガンダムがどうでもいい」というやつらまで入ってきた。いや、昔もいたのかもしれんけど。キャラ好きでもいいと思いますよ!
スパロボから入ろうが、腐女子だろうがなんだろうが、好きになるってのはいいことだ。
でも、ハサウェイ公開後、SNS上の、ある一言が、俺を老害思考に引き込んだのだ。
『ニュータイプって何?』
いや、お前…お前…ってなったわけよ。
問い詰めたい。お前はどうしてそんな質問をしたのか、小一時間問い詰めたい。
ハサウェイどうなっちゃうの?とか、ギギのえちえちなシーンってある?とか、そういうクソにわかな質問は全然許せる俺の怒りも流石に有頂天になりそうになった。
お前の目の前にある箱、ないしは板はなんなんだ?
どんな人生歩んできたらニュータイプって何?なんて気軽に聞ける人間に育つんだ?
俺は、もしかしたら俺が唾棄していた老害になってしまったのかもしれない。
予言する。
まだ表出化していないが、今回のハサウェイブームは、きっと多くの人を狂わせるだろう。
しかしうちではそのぐらいの価格帯の商品を買ってもらえるのは誕生日とクリスマスだけだった
子供には長すぎる数ヶ月を過ごし、ようやくそのタイミングを迎えたとき
ポケモン赤はプレゼントしてもらえたがゲームボーイは与えられなかった
代わりに与えられたのはスーパーファミコンに挿して遊ぶスーパーゲームボーイだった
素直にゲームボーイではなかったのは、携帯機であるため親の監視外で遊ばせたくないという思惑があったらしい
それに加えて
・小さな液晶を覗き込むよりTV画面の方が視力低下の影響も多少はマシだろう
という考えもあったようだ
友達と遊ぶときにはプレイ環境一式を外に持ち出すわけにはいかず
ソフトしかないのでそれぞれがゲームボーイを持ち寄って遊ぶ空間では自分はプレイすることはできない
公園ではもちろん無理だし
友達のゲームボーイを借りるにしてもみんなまず自分が遊びたいのは当然だ、貸してもらえることなど少ない
友達の家で遊ぶときでも、わざわざそこのスーパーファミコンを借りるというのも不自然でハードルが高く実現することは少なかった
そもそもその時に発売していた初代スーパーゲームボーイには通信端子が無いのだ
(通信端子のあるスーパーゲームボーイ2が発売したのはそれより後のことで、スーパーゲームボーイを既に持っている子供が買い換えるにもメリットが少なかった)
混ざれるはずなのに混ざれない
一番下が自分だった
悪意を持って明確に仲間外れにされることはなかったが
その場でポケモンを一緒に遊べる仲間の方が親交が深くなるのは当たり前で
それがすごく惨めだった
20年以上たった今、その時のヒエラルキーが流石にそこまで尾を引いているはずもなく
ふとあの時の疎外感を思い出す時がある
他と同等に揃えてもらえない子は
かつての自分と同じように寂しい思いをしているのだろうかと
ぼんやりと思いを馳せるのだ
はてブを見る限り、結構な共感があったようで、書いた甲斐があった。
寄せられたコメントの中からいくつか取り上げたいものがあったので、追記しておきます。
自分の回りにもいました。
貧乏だから買ってあげられない、というケースは見なかったけど、親の方針でゲームを買ってもらえない子。
90年代当時の親世代にとって、まだゲームへの偏見や未知なるものという認識は多かったと思います。
やはり、禁止されている子供は逆に執着してしまう傾向にありました。
大人になって反動でゲーム三昧の人もそれなりにいるでしょうね。
かく言う自分も、完全禁止でないにせよ少しずつ不便や不満を重ねていたので、
これは、当時は仕方のない話かと思っています。
特に恨んだとか、間違っていたとは考えていません。
子供のコミュニケーションツールとして重要なポジションにあったことは理解できていなかったのですから。
ゲーム世代が親になり、かつての苦労と大人目線での懸念から葛藤しているのもわかる話です。
ゲームに理解があっても程よい距離感で向き合わせるには難しいでしょうね。
ネット接続やSNSの広がりもあり、フォローアップしてあげることの難易度も上がってしまいました。
自分の家に呼べば友達がゲームボーイを持ってきて、自分は自分のスーファミで遊べますよね。
ここは地理的な問題なのですが、小学校から自分の家が一番遠くにあり、坂の上にありました。
いわゆる新興住宅地(○○台と名前のつくような所)です。集まるには不向きでした。
たまり場になる友達の家がありましたが、ゲームが多かったり集まりやすい立地にあったのが大きな理由ですね。
対戦というより、自分のポケモンを進めつつ、お互いの進行状況をその場で共有して楽しむ、という場でした。
ポケモンスタジアムは持っている子もいましたが、起動率はそこまで高くなかったですね。
ゲームボーイで何をしていたかと言うと、赤緑の出現ポケモンが違うので、
赤でしか出現しないマンキーを持ってない緑の子のためにその場でマンキーを捕まえて交換してあげる、なんて光景も有りました。
うちの地域でポケモンスタジアムが脚光を浴びたのは、ポケスタ金銀が発売されてからでした。
しかし、そこまで来るとポケモン一色ってほどのブームでは無くなっていました。
あくまで、ポケモン赤緑の一時期だけがそれ以外がほぼ無いぐらいに占めるコンテンツだったんですよね。
やりましたよ!スーパーマリオワールドや星のカービィスーパーデラックスなど。
ドラゴンクエストなど1人用RPGをプレイしている様子を眺めつつ、自分は置いてある漫画を読みふけるなんてこともしましたね。
その話を盛り込むと要旨がボヤけてしまうので、今回はポケモン赤緑の話に絞っていました。
みんな揃ってポケモンに傾倒した時期があって、そこで疎外感を覚えたのは大袈裟に受け取ったことでもなく事実です。
バトエンやカード、すごろくなんかも出ていたので、ポケモンブランドを冠した交流ツールはゲームに限った話でもないですけどね。
あ、やってます。
図鑑は剣盾時点までコンプしてます。アンノーンもビビヨンも今の所全種揃ってますよ。
対戦はあまり興味ないですが。
ええ、それを狙いました。
あの時代を生きていた人が「ポケモン」「スーパーゲームボーイ」と聞いたら
ピンと来るだろうな、という期待を込めてタイトルに入れておきました。
以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築の下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見したかという点に、お話を進めることに致しましょう。
三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智と交際を結んだ時分から、一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。
そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。
彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井に蜘蛛くもの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが、何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。
そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分が探偵小説の中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから、自分自身の部屋を、泥棒が他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物の煙草をプカリプカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。
ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。
はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。
「ナアンダ、つまらない」
ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこから鼠ねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。
それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。
彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。
先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇の肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大な景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます。
「これは素敵だ」
一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。
その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから、屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。
三
東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきどまりというものがありません。彼の部屋の天井裏から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています。
下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます。廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。
それから又、ここでは、他人の秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから、天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根裏から見ますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。
この、屋根裏という屈指の舞台を発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。
彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいにくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。
夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロリソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。
こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。
天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます。人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。
何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激な反資本主義の議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給の辞令を、折鞄おりかばんから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景、ゾロリとしたお召めしの着物を不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種のクリーニングをやっている光景、何々大学の野球の選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。
三郎は又、止宿人と止宿人との、感情の葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。
若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。
さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。
これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者の助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿に几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具の位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計、漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきをかいていることでした。
三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士額ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。
三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。
四
そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。
併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず、屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤を殺害するという考えだったのです。
彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから、半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌や言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手の人物にあるのではなくて、ただ殺人行為そのものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。
ところが、今遠藤の場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。
東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェに遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず、女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら
多分それは一種の精神病ででもあったのでしょう。郷田三郎ごうださぶろうは、どんな遊びも、どんな職業も、何をやって見ても、一向この世が面白くないのでした。
学校を出てから――その学校とても一年に何日と勘定の出来る程しか出席しなかったのですが――彼に出来相そうな職業は、片端かたっぱしからやって見たのです、けれど、これこそ一生を捧げるに足ると思う様なものには、まだ一つも出でっくわさないのです。恐らく、彼を満足させる職業などは、この世に存在しないのかも知れません。長くて一年、短いのは一月位で、彼は職業から職業へと転々しました。そして、とうとう見切りをつけたのか、今では、もう次の職業を探すでもなく、文字通り何もしないで、面白くもない其日そのひ其日を送っているのでした。
遊びの方もその通りでした。かるた、球突き、テニス、水泳、山登り、碁、将棊しょうぎ、さては各種の賭博とばくに至るまで、迚とてもここには書き切れない程の、遊戯という遊戯は一つ残らず、娯楽百科全書という様な本まで買込んで、探し廻っては試みたのですが、職業同様、これはというものもなく、彼はいつも失望させられていました。だが、この世には「女」と「酒」という、どんな人間だって一生涯飽きることのない、すばらしい快楽があるではないか。諸君はきっとそう仰有おっしゃるでしょうね。ところが、我が郷田三郎は、不思議とその二つのものに対しても興味を感じないのでした。酒は体質に適しないのか、一滴も飲めませんし、女の方は、無論むろんその慾望がない訳ではなく、相当遊びなどもやっているのですが、そうかと云いって、これあるが為ために生いき甲斐がいを感じるという程には、どうしても思えないのです。
「こんな面白くない世の中に生き長ながらえているよりは、いっそ死んで了しまった方がましだ」
ともすれば、彼はそんなことを考えました。併しかし、そんな彼にも、生命いのちを惜おしむ本能丈だけは具そなわっていたと見えて、二十五歳の今日が日まで「死ぬ死ぬ」といいながら、つい死切れずに生き長えているのでした。
親許おやもとから月々いくらかの仕送りを受けることの出来る彼は、職業を離れても別に生活には困らないのです。一つはそういう安心が、彼をこんな気まま者にして了ったのかも知れません。そこで彼は、その仕送り金によって、せめていくらかでも面白く暮すことに腐心しました。例えば、職業や遊戯と同じ様に、頻繁ひんぱんに宿所を換えて歩くことなどもその一つでした。彼は、少し大げさに云えば、東京中の下宿屋を、一軒残らず知っていました。一月か半月もいると、すぐに次の別の下宿屋へと住みかえるのです。無論その間には、放浪者の様に旅をして歩いたこともあります。或あるいは又、仙人の様に山奥へ引込んで見たこともあります。でも、都会にすみなれた彼には、迚も淋しい田舎に長くいることは出来ません。一寸ちょっと旅に出たかと思うと、いつのまにか、都会の燈火に、雑沓ざっとうに、引寄せられる様に、彼は東京へ帰ってくるのでした。そして、その度毎たびごとに下宿を換えたことは云うまでもありません。
さて、彼が今度移ったうちは、東栄館とうえいかんという、新築したばかりの、まだ壁に湿り気のある様な、まっさらの下宿屋でしたが、ここで、彼は一つのすばらしい楽たのしみを発見しました。そして、この一篇の物語は、その彼の新発見に関聯かんれんしたある殺人事件を主題とするのです。が、お話をその方に進める前に、主人公の郷田三郎が、素人探偵の明智小五郎あけちこごろう――この名前は多分御承知の事と思います。――と知り合いになり、今まで一向気附かないでいた「犯罪」という事柄に、新しい興味を覚える様になったいきさつについて、少しばかりお話して置かねばなりません。
二人が知り合いになったきっかけは、あるカフェで彼等が偶然一緒になり、その時同伴していた三郎の友達が、明智を知っていて紹介したことからでしたが、三郎はその時、明智の聰明そうめいらしい容貌や、話しっぷりや、身のこなしなどに、すっかり引きつけられて了って、それから屡々しばしば彼を訪ねる様になり、又時には彼の方からも三郎の下宿へ遊びにやって来る様な仲になったのです。明智の方では、ひょっとしたら、三郎の病的な性格に――一種の研究材料として――興味を見出していたのかも知れませんが、三郎は明智から様々の魅力に富んだ犯罪談を聞くことを、他意なく喜んでいるのでした。
同僚を殺害して、その死体を実験室の竈かまどで灰にして了おうとした、ウェブスター博士の話、数ヶ国の言葉に通暁つうぎょうし、言語学上の大発見までしたユージン・エアラムの殺人罪、所謂いわゆる保険魔で、同時に優れた文芸批評家であったウエーンライトの話、小児しょうにの臀肉でんにくを煎せんじて義父の癩病を治そうとした野口男三郎の話、さては、数多あまたの女を女房にしては殺して行った所謂ブルーベヤドのランドルーだとか、アームストロングなどの残虐な犯罪談、それらが退屈し切っていた郷田三郎をどんなに喜ばせたことでしょう。明智の雄弁な話しぶりを聞いていますと、それらの犯罪物語は、まるで、けばけばしい極彩色ごくさいしきの絵巻物の様に、底知れぬ魅力を以もって、三郎の眼前にまざまざと浮んで来るのでした。
明智を知ってから二三ヶ月というものは、三郎は殆どこの世の味気なさを忘れたかと見えました。彼は様々の犯罪に関する書物を買込んで、毎日毎日それに読み耽ふけるのでした。それらの書物の中には、ポオだとかホフマンだとか、或はガボリオだとかボアゴベだとか、その外ほか色々な探偵小説なども混っていました。「アア世の中には、まだこんな面白いことがあったのか」彼は書物の最終の頁ページをとじる度毎に、ホッとため息をつきながら、そう思うのでした。そして、出来ることなら、自分も、それらの犯罪物語の主人公の様な、目ざましい、けばけばしい遊戯(?)をやって見たいものだと、大それたことまで考える様になりました。
併し、いかな三郎も、流石さすがに法律上の罪人になること丈けは、どう考えてもいやでした。彼はまだ、両親や、兄弟や、親戚知己ちきなどの悲歎や侮辱ぶじょくを無視してまで、楽しみに耽る勇気はないのです。それらの書物によりますと、どの様な巧妙な犯罪でも、必ずどっかに破綻はたんがあって、それが犯罪発覚のいと口になり、一生涯警察の眼を逃れているということは、極ごく僅わずかの例外を除いては、全く不可能の様に見えます。彼にはただそれが恐しいのでした。彼の不幸は、世の中の凡すべての事柄に興味を感じないで、事もあろうに「犯罪」に丈け、いい知れぬ魅力を覚えることでした。そして、一層の不幸は、発覚を恐れる為にその「犯罪」を行い得ないということでした。
そこで彼は、一通り手に入る丈けの書物を読んで了うと、今度は、「犯罪」の真似事を始めました。真似事ですから無論処罰を恐れる必要はないのです。それは例えばこんなことを。
彼はもうとっくに飽き果てていた、あの浅草あさくさに再び興味を覚える様になりました。おもちゃ箱をぶちまけて、その上から色々のあくどい絵具をたらしかけた様な浅草の遊園地は、犯罪嗜好者しこうしゃに取っては、こよなき舞台でした。彼はそこへ出かけては、活動小屋と活動小屋の間の、人一人漸ようやく通れる位の細い暗い路地や、共同便所の背後うしろなどにある、浅草にもこんな余裕があるのかと思われる様な、妙にガランとした空地を好んでさ迷いました。そして、犯罪者が同類と通信する為ででもあるかの様に、白墨はくぼくでその辺の壁に矢の印を書いて廻まわったり、金持らしい通行人を見かけると、自分が掏摸すりにでもなった気で、どこまでもどこまでもそのあとを尾行して見たり、妙な暗号文を書いた紙切れを――それにはいつも恐ろしい殺人に関する事柄などを認したためてあるのです――公園のベンチの板の間へ挟んで置いて、樹蔭こかげに隠れて、誰かがそれを発見するのを待構えていたり、其外そのほかこれに類した様々の遊戯を行っては、独り楽むのでした。
彼は又、屡々変装をして、町から町をさ迷い歩きました。労働者になって見たり、乞食になって見たり、学生になって見たり、色々の変装をした中でも、女装をすることが、最も彼の病癖を喜ばせました。その為には、彼は着物や時計などを売り飛ばして金を作り、高価な鬘かつらだとか、女の古着だとかを買い集め、長い時間かかって好みの女姿になりますと、頭の上からすっぽりと外套がいとうを被って、夜更よふけに下宿屋の入口を出るのです。そして、適当な場所で外套を脱ぐと、或時あるときは淋しい公園をぶらついて見たり、或時はもうはねる時分の活動小屋へ這入はいって、態わざと男子席の方へまぎれ込んで見たり、はては、きわどい悪戯いたずらまでやって見るのです。そして、服装による一種の錯覚から、さも自分が妲妃のお百だとか蟒蛇お由よしだとかいう毒婦にでもなった気持で、色々な男達を自由自在に飜弄ほんろうする有様を想像しては、喜んでいるのです。
併し、これらの「犯罪」の真似事は、ある程度まで彼の慾望を満足させては呉れましたけれど、そして、時には一寸面白い事件を惹起ひきおこしなぞして、その当座は十分慰めにもなったのですけれど、真似事はどこまでも真似事で、危険がないだけに――「犯罪」の魅力は見方によってはその危険にこそあるのですから――興味も乏しく、そういつまでも彼を有頂天にさせる力はありませんでした。ものの三ヶ月もたちますと、いつとなく彼はこの楽みから遠ざかる様になりました。そして、あんなにもひきつけられていた明智との交際も、段々とうとうとしくなって行きました。
異常な興奮を求めて集った、七人のしかつめらしい男が(私もその中の一人だった)態々わざわざ其為そのためにしつらえた「赤い部屋」の、緋色ひいろの天鵞絨びろうどで張った深い肘掛椅子に凭もたれ込んで、今晩の話手が何事か怪異な物語を話し出すのを、今か今かと待構まちかまえていた。
七人の真中には、これも緋色の天鵞絨で覆おおわれた一つの大きな円卓子まるテーブルの上に、古風な彫刻のある燭台しょくだいにさされた、三挺さんちょうの太い蝋燭ろうそくがユラユラと幽かすかに揺れながら燃えていた。
部屋の四周には、窓や入口のドアさえ残さないで、天井から床まで、真紅まっかな重々しい垂絹たれぎぬが豊かな襞ひだを作って懸けられていた。ロマンチックな蝋燭の光が、その静脈から流れ出したばかりの血の様にも、ドス黒い色をした垂絹の表に、我々七人の異様に大きな影法師かげぼうしを投げていた。そして、その影法師は、蝋燭の焔につれて、幾つかの巨大な昆虫でもあるかの様に、垂絹の襞の曲線の上を、伸びたり縮んだりしながら這い歩いていた。
いつもながらその部屋は、私を、丁度とほうもなく大きな生物の心臓の中に坐ってでもいる様な気持にした。私にはその心臓が、大きさに相応したのろさを以もって、ドキンドキンと脈うつ音さえ感じられる様に思えた。
誰も物を云わなかった。私は蝋燭をすかして、向側に腰掛けた人達の赤黒く見える影の多い顔を、何ということなしに見つめていた。それらの顔は、不思議にも、お能の面の様に無表情に微動さえしないかと思われた。
やがて、今晩の話手と定められた新入会員のT氏は、腰掛けたままで、じっと蝋燭の火を見つめながら、次の様に話し始めた。私は、陰影の加減で骸骨の様に見える彼の顎が、物を云う度にガクガクと物淋しく合わさる様子を、奇怪なからくり仕掛けの生人形でも見る様な気持で眺めていた。
私は、自分では確かに正気の積りでいますし、人も亦またその様に取扱って呉くれていますけれど、真実まったく正気なのかどうか分りません。狂人かも知れません。それ程でないとしても、何かの精神病者という様なものかも知れません。兎とに角かく、私という人間は、不思議な程この世の中がつまらないのです。生きているという事が、もうもう退屈で退屈で仕様がないのです。
初めの間うちは、でも、人並みに色々の道楽に耽ふけった時代もありましたけれど、それが何一つ私の生れつきの退屈を慰なぐさめては呉れないで、却かえって、もうこれで世の中の面白いことというものはお仕舞なのか、なあんだつまらないという失望ばかりが残るのでした。で、段々、私は何かをやるのが臆劫おっくうになって来ました。例えば、これこれの遊びは面白い、きっとお前を有頂天にして呉れるだろうという様な話を聞かされますと、おお、そんなものがあったのか、では早速やって見ようと乗気になる代りに、まず頭の中でその面白さを色々と想像して見るのです。そして、さんざん想像を廻めぐらした結果は、いつも「なあに大したことはない」とみくびって了しまうのです。
そんな風で、一時私は文字通り何もしないで、ただ飯を食ったり、起きたり、寝たりするばかりの日を暮していました。そして、頭の中丈だけで色々な空想を廻らしては、これもつまらない、あれも退屈だと、片端かたはしからけなしつけながら、死ぬよりも辛い、それでいて人目には此上このうえもなく安易な生活を送っていました。
これが、私がその日その日のパンに追われる様な境遇だったら、まだよかったのでしょう。仮令たとえ強いられた労働にしろ、兎に角何かすることがあれば幸福です。それとも又、私が飛切りの大金持ででもあったら、もっとよかったかも知れません。私はきっと、その大金の力で、歴史上の暴君達がやった様なすばらしい贅沢ぜいたくや、血腥ちなまぐさい遊戯や、その他様々の楽しみに耽ふけることが出来たでありましょうが、勿論それもかなわぬ願いだとしますと、私はもう、あのお伽噺とぎばなしにある物臭太郎の様に、一層死んで了った方がましな程、淋しくものういその日その日を、ただじっとして暮す他はないのでした。
こんな風に申上げますと、皆さんはきっと「そうだろう、そうだろう、併し世の中の事柄に退屈し切っている点では我々だって決してお前にひけを取りはしないのだ。だからこんなクラブを作って何とかして異常な興奮を求めようとしているのではないか。お前もよくよく退屈なればこそ、今、我々の仲間へ入って来たのであろう。それはもう、お前の退屈していることは、今更ら聞かなくてもよく分っているのだ」とおっしゃるに相違ありません。ほんとうにそうです。私は何もくどくどと退屈の説明をする必要はないのでした。そして、あなた方が、そんな風に退屈がどんなものだかをよく知っていらっしゃると思えばこそ、私は今夜この席に列して、私の変てこな身の上話をお話しようと決心したのでした。
私はこの階下のレストランへはしょっちゅう出入でいりしていまして、自然ここにいらっしゃる御主人とも御心安く、大分以前からこの「赤い部屋」の会のことを聞知っていたばかりでなく、一再いっさいならず入会することを勧められてさえいました。それにも拘かかわらず、そんな話には一も二もなく飛びつき相そうな退屈屋の私が、今日まで入会しなかったのは、私が、失礼な申分かも知れませんけれど、皆さんなどとは比べものにならぬ程退屈し切っていたからです。退屈し過ぎていたからです。
犯罪と探偵の遊戯ですか、降霊術こうれいじゅつ其他そのたの心霊上の様々の実験ですか、Obscene Picture の活動写真や実演やその他のセンジュアルな遊戯ですか、刑務所や、瘋癲病院や、解剖学教室などの参観ですか、まだそういうものに幾らかでも興味を持ち得うるあなた方は幸福です。私は、皆さんが死刑執行のすき見を企てていられると聞いた時でさえ、少しも驚きはしませんでした。といいますのは、私は御主人からそのお話のあった頃には、もうそういうありふれた刺戟しげきには飽き飽きしていたばかりでなく、ある世にもすばらしい遊戯、といっては少し空恐しい気がしますけれど、私にとっては遊戯といってもよい一つの事柄を発見して、その楽しみに夢中になっていたからです。
その遊戯というのは、突然申上げますと、皆さんはびっくりなさるかも知れませんが……、人殺しなんです。ほんとうの殺人なんです。しかも、私はその遊戯を発見してから今日までに百人に近い男や女や子供の命を、ただ退屈をまぎらす目的の為ばかりに、奪って来たのです。あなた方は、では、私が今その恐ろしい罪悪を悔悟かいごして、懺悔ざんげ話をしようとしているかと早合点なさるかも知れませんが、ところが、決してそうではないのです。私は少しも悔悟なぞしてはいません。犯した罪を恐れてもいません。それどころか、ああ何ということでしょう。私は近頃になってその人殺しという血腥い刺戟にすら、もう飽きあきして了ったのです。そして、今度は他人ではなくて自分自身を殺す様な事柄に、あの阿片アヘンの喫煙に耽り始めたのです。流石さすがにこれ丈けは、そんな私にも命は惜しかったと見えまして、我慢に我慢をして来たのですけれど、人殺しさえあきはてては、もう自殺でも目論もくろむ外には、刺戟の求め様がないではありませんか。私はやがて程なく、阿片の毒の為に命をとられて了うでしょう。そう思いますと、せめて筋路の通った話の出来る間に、私は誰れかに私のやって来た事を打開けて置き度いのです。それには、この「赤い部屋」の方々が一番ふさわしくはないでしょうか。
そういう訳で、私は実は皆さんのお仲間入りがし度い為ではなくて、ただ私のこの変な身の上話を聞いて貰い度いばかりに、会員の一人に加えて頂いたのです。そして、幸いにも新入会の者は必ず最初の晩に、何か会の主旨に副そう様なお話をしなければならぬ定きめになっていましたのでこうして今晩その私の望みを果す機会をとらえることが出来た次第なのです。
それは今からざっと三年計ばかり以前のことでした。その頃は今も申上げました様に、あらゆる刺戟に飽きはてて何の生甲斐もなく、丁度一匹の退屈という名前を持った動物ででもある様に、ノラリクラリと日を暮していたのですが、その年の春、といってもまだ寒い時分でしたから多分二月の終りか三月の始め頃だったのでしょう、ある夜、私は一つの妙な出来事にぶつかったのです。私が百人もの命をとる様になったのは、実にその晩の出来事が動機を為なしたのでした。
どこかで夜更しをした私は、もう一時頃でしたろうか。少し酔っぱらっていたと思います。寒い夜なのにブラブラと俥くるまにも乗らないで家路を辿っていました。もう一つ横町を曲ると一町ばかりで私の家だという、その横町を何気なくヒョイと曲りますと、出会頭であいがしらに一人の男が、何か狼狽している様子で慌ててこちらへやって来るのにバッタリぶつかりました。私も驚きましたが男は一層驚いたと見えて暫く黙って衝つっ立っていましたが、おぼろげな街燈の光で私の姿を認めるといきなり「この辺に医者はないか」と尋ねるではありませんか。よく訊きいて見ますと、その男は自動車の運転手で、今そこで一人の老人を(こんな夜中に一人でうろついていた所を見ると多分浮浪の徒だったのでしょう)轢倒ひきたおして大怪我をさせたというのです。なる程見れば、すぐ二三間向うに一台の自動車が停っていて、その側そばに人らしいものが倒れてウーウーと幽かすかにうめいています。交番といっても大分遠方ですし、それに負傷者の苦しみがひどいので、運転手は何はさて置き先ず医者を探そうとしたのに相違ありません。
私はその辺の地理は、自宅の近所のことですから、医院の所在などもよく弁わきまえていましたので早速こう教えてやりました。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点ついた家がある。M医院というのだ。そこへ行って叩き起したらいいだろう」
すると運転手はすぐ様助手に手伝わせて、負傷者をそのM医院の方へ運んで行きました。私は彼等の後ろ姿が闇の中に消えるまで、それを見送っていましたが、こんなことに係合っていてもつまらないと思いましたので、やがて家に帰って、――私は独り者なんです。――婆ばあやの敷しいて呉れた床とこへ這入はいって、酔っていたからでしょう、いつになくすぐに眠入ねいって了いました。
実際何でもない事です。若もし私がその儘ままその事件を忘れて了いさえしたら、それっ限きりの話だったのです。ところが、翌日眼を醒さました時、私は前夜の一寸ちょっとした出来事をまだ覚えていました。そしてあの怪我人は助かったかしらなどと、要もないことまで考え始めたものです。すると、私はふと変なことに気がつきました。
「ヤ、俺は大変な間違いをして了ったぞ」
私はびっくりしました。いくら酒に酔っていたとは云いえ、決して正気を失っていた訳ではないのに、私としたことが、何と思ってあの怪我人をM医院などへ担ぎ込ませたのでしょう。
「ここを左の方へ二町ばかり行くと左側に赤い軒燈の点いた家がある……」
「ここを右の方へ一町ばかり行くとK病院という外科専門の医者がある」
と云わなかったのでしょう。私の教えたMというのは評判の藪やぶ医者で、しかも外科の方は出来るかどうかさえ疑わしかった程なのです。ところがMとは反対の方角でMよりはもっと近い所に、立派に設備の整ったKという外科病院があるではありませんか。無論私はそれをよく知っていた筈はずなのです。知っていたのに何故間違ったことを教えたか。その時の不思議な心理状態は、今になってもまだよく分りませんが、恐らく胴忘どうわすれとでも云うのでしょうか。
私は少し気懸りになって来たものですから、婆やにそれとなく近所の噂などを探らせて見ますと、どうやら怪我人はM医院の診察室で死んだ鹽梅あんばいなのです。どこの医者でもそんな怪我人なんか担ぎ込まれるのは厭いやがるものです。まして夜半の一時というのですから、無理もありませんがM医院ではいくら戸を叩いても、何のかんのと云って却々なかなか開けて呉れなかったらしいのです。さんざん暇ひまどらせた挙句やっと怪我人を担ぎ込んだ時分には、もう余程手遅れになっていたに相違ありません。でも、その時若しM医院の主が「私は専門医でないから、近所のK病院の方へつれて行け」とでも、指図をしたなら、或あるいは怪我人は助っていたのかも知れませんが、何という無茶なことでしょう。彼は自からその難しい患者を処理しようとしたらしいのです。そしてしくじったのです、何んでも噂によりますとM氏はうろたえて了って、不当に長い間怪我人をいじくりまわしていたとかいうことです。
私はそれを聞いて、何だかこう変な気持になって了いました。
この場合可哀相な老人を殺したものは果して何人なんぴとでしょうか。自動車の運転手とM医師ともに、夫々それぞれ責任のあることは云うまでもありません。そしてそこに法律上の処罰があるとすれば、それは恐らく運転手の過失に対して行われるのでしょうが、事実上最も重大な責任者はこの私だったのではありますまいか。若しその際私がM医院でなくてK病院を教えてやったとすれば、少しのへまもなく怪我人は助かったのかも知れないのです。運転手は単に怪我をさせたばかりです。殺した訳ではないのです。M医師は医術上の技倆が劣っていた為にしくじったのですから、これもあながち咎とがめる所はありません。よし又彼に責を負うべき点があったとしても、その元はと云えば私が不適当なM医院を教えたのが悪いのです。つまり、その時の私の指図次第によって、老人を生かすことも殺すことも出来た訳なのです。それは怪我をさせたのは如何にも運転手でしょう。けれど殺したのはこの私だったのではありますまいか。
これは私の指図が全く偶然の過失だったと考えた場合ですが、若しそれが過失ではなくて、その老人を殺してやろうという私の故意から出たものだったとしたら、一体どういうことになるのでしょう。いうまでもありません。私は事実上殺人罪を犯したものではありませんか。併しかし法律は仮令運転手を罰することはあっても、事実上の殺人者である私というものに対しては、恐らく疑いをかけさえしないでしょう。なぜといって、私と死んだ老人とはまるきり関係のない事がよく分っているのですから。そして仮令疑いをかけられたとしても、私はただ外科医院のあることなど忘れていたと答えさえすればよいではありませんか。それは全然心の中の問題なのです。
皆さん。皆さんは嘗かつてこういう殺人法について考えられたことがおありでしょうか。私はこの自動車事件で始めてそこへ気がついたのですが、考えて見ますと、この世の中は何という険難至極けんのんしごくな場所なのでしょう。いつ私の様な男が、何の理由もなく故意に間違った医者を教えたりして、そうでなければ取止めることが出来た命を、不当に失って了う様な目に合うか分ったものではないのです。
これはその後私が実際やって見て成功したことなのですが、田舎のお婆さんが電車線路を横切ろうと、まさに線路に片足をかけた時に、無論そこには電車ばかりでなく自動車や自転車や馬車や人力車などが織る様に行違っているのですから、そのお婆さんの頭は十分混乱しているに相違ありません。その片足をかけた刹那に、急行電車か何かが疾風しっぷうの様にやって来てお婆さんから二三間の所まで迫ったと仮定します。その際、お婆さんがそれに気附かないでそのまま線路を横切って了えば何のことはないのですが、誰かが大きな声で「お婆さん危いッ」と怒鳴りでもしようものなら、忽たちまち慌てて了って、そのままつき切ろうか、一度後へ引返そうかと、暫しばらくまごつくに相違ありません。そして、若しその電車が、余り間近い為に急停車も出来なかったとしますと、「お婆さん危いッ」というたった一言が、そのお婆さんに大怪我をさせ、悪くすれば命までも取って了わないとは限りません。先きも申上げました通り、私はある時この方法で一人の田舎者をまんまと殺して了ったことがありますよ。
(T氏はここで一寸言葉を切って、気味悪く笑った)
この場合「危いッ」と声をかけた私は明かに殺人者です。併し誰が私の殺意を疑いましょう。何の恨うらみもない見ず知らずの人間を、ただ殺人の興味の為ばかりに、殺そうとしている男があろうなどと想像する人がありましょうか。それに「危いッ」という注意の言葉は、どんな風に解釈して見たって、好意から出たものとしか考えられないのです。表面上では、死者から感謝されこそすれ決して恨まれる理由がないのです。皆さん、何と安全至極な殺人法ではありませんか。
世の中の人は、悪事は必ず法律に触れ相当の処罰を受けるものだと信じて、愚にも安心し切っています。誰にしたって法律が人殺しを見逃そうなどとは想像もしないのです。ところがどうでしょう。今申上げました二つの実例から類推出来る様な少しも法律に触れる気遣いのない殺人法が考えて見ればいくらもあるではありませんか。私はこの事に気附いた時、世の中というものの恐ろしさに戦慄するよりも、そういう罪悪の余地を残して置いて呉れた造物主の余裕を此上もなく愉快に思いました。ほんとうに私はこの発見に狂喜しました。何とすばらしいではありませんか。この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
そこで私はこの種の人殺しによって、あの死に相な退屈をまぎらすことを思いつきました。絶対に法律に触れない人殺し、どんなシャーロック・ホームズだって見破ることの出来ない人殺し、ああ何という申分のない眠け醒しでしょう。以来私は三年の間というもの、人を殺す楽しみに耽って、いつの間にかさしもの退屈をすっかり忘れはてていました。皆さん笑ってはいけません。私は戦国時代の豪傑の様に、あの百人斬りを、無論文字通り斬る訳ではありませんけれど、百人の命をとるまでは決して中途でこの殺人を止めないことを、私自身に誓ったのです。
今から三月ばかり前です、私は丁度九十九人だけ済ませました。そして、あと一人になった時先にも申上げました通り私はその人殺しにも、もう飽きあきしてしまったのですが、それは兎も角、ではその九十九人をどんな風にして殺したか。勿論九十九人のどの人にも少しだって恨みがあった訳ではなく、ただ人知れぬ方法とその結果に興味を持ってやった仕事ですから、私は一度も同じやり方を繰返す様なことはしませんでした。一人殺したあとでは、今度はどんな新工夫でやっつけようかと、それを考えるのが又一つの楽しみだったのです。
併し、この席で、私のやった九十九の異った殺人法を悉ことごとく御話する暇もありませんし、それに、今夜私がここへ参りましたのは、そんな個々の殺人方法を告白する為ではなくて、そうした極悪非道の罪悪を犯してまで、退屈を免れ様とした、そして又、遂にはその罪悪にすら飽きはてて、今度はこの私自身を亡ぼそうとしている、世の常ならぬ私の心持をお話して皆さんの御判断を仰ぎたい為なのですから、その殺人方以については、ほんの二三の実例を申上げるに止めて置き度いと存じます。
この方法を発見して間もなくのことでしたが、こんなこともありました。私の近所に一人の按摩あんまがいまして、それが不具などによくあるひどい強情者でした。他人が深切しんせつから色々注意などしてやりますと、却ってそれを逆にとって、目が見えないと思って人を馬鹿にするなそれ位のことはちゃんと俺にだって分っているわいという調子で、必ず相手の言葉にさからったことをやるのです。どうして並み並みの強情さではないのです。
ある日のことでした。私がある大通りを歩いていますと、向うからその強情者の按摩がやって来るのに出逢いました。彼は生意気にも、杖つえを肩に担いで鼻唄を歌いながらヒョッコリヒョッコリと歩いています。丁度その町には昨日から下水の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが、彼は盲人のことで片側往来止めの立札など見えませんから、何の気もつかず、その穴のすぐ側を呑気そうに歩いているのです。
それを見ますと、私はふと一つの妙案を思いつきました。そこで、
「やあN君」と按摩の名を呼びかけ、(よく療治を頼んでお互に知り合っていたのです)
「ソラ危いぞ、左へ寄った、左へ寄った」
と怒鳴りました。それを態わざと少し冗談らしい調子でやったのです。というのは、こういえば、彼は日頃の性質から、きっとからかわれたのだと邪推して、左へはよらないで態と右へ寄るに相違ないと考えたからです。案あんの定じょう彼は、
「エヘヘヘ……。御冗談ばっかり」
などと声色こわいろめいた口返答をしながら、矢庭やにわに反対の右の方へ二足三足寄ったものですから、忽ち下水工事の穴の中へ片足を踏み込んで、アッという間に一丈もあるその底へと落ち込んで了いました。私はさも驚いた風を装うて穴の縁へ駈けより、
「うまく行ったかしら」と覗いて見ましたが彼はうち所でも悪かったのか、穴の底にぐったりと横よこたわって、穴のまわりに突出ている鋭い石でついたのでしょう。一分刈りの頭に、赤黒い血がタラタラと流れているのです。それから、舌でも噛切ったと見えて、口や鼻からも同じ様に出血しています。顔色はもう蒼白で、唸り声を出す元気さえありません。
こうして、この按摩は、でもそれから一週間ばかりは虫の息で生きていましたが、遂に絶命して了ったのです。私の計画は見事に成功しました。誰が私を疑いましょう。私はこの按摩を日頃贔屓ひいきにしてよく呼んでいた位で、決して殺人の動機になる様な恨みがあった訳ではなく、それに、表面上は右に陥穽おとしあなのあるのを避けさせようとして、「左へよれ、左へよれ」と教えてやった訳なのですから、私の好意を認める人はあっても、その親切らしい言葉の裏に恐るべき殺意がこめられていたと想像する人があろう筈はないのです。
ああ、何という恐しくも楽しい遊戯だったのでしょう。巧妙なトリックを考え出した時の、恐らく芸術家のそれにも匹敵する、歓喜、そのトリックを実行する時のワクワクした緊張、そして、目的を果した時の云い知れぬ満足、それに又、私の犠牲になった男や女が、殺人者が目の前にいるとも知らず血みどろになって狂い廻る断末魔だんまつまの光景ありさま、最初の間、それらが、どんなにまあ私を有頂天にして呉れたことでしょう。
ある時はこんな事もありました。それは夏のどんよりと曇った日のことでしたが、私はある郊外の文化村とでもいうのでしょう。十軒余りの西洋館がまばらに立並んだ所を歩いていました。そして、丁度その中でも一番立派なコンクリート造りの西洋館の裏手を通りかかった時です。ふと妙なものが私の目に止りました。といいますのは、その時私の鼻先をかすめて勢よく飛んで行った一匹の雀が、その家の屋根から地面へ引張ってあった太い針金に一寸とまると、いきなりはね返された様に下へ落ちて来て、そのまま死んで了ったのです。
変なこともあるものだと思ってよく見ますと、その針金というのは、西洋館の尖った Permalink | 記事への反応(0) | 22:33
「映画っていうパッケージの規模でいうと、ロボがでてきて性的なオマージュがあるアニメってのがエヴァンゲリオン」
「稲荷の総本山のひとつで京都にあるのが伏見稲荷で特徴は鳥居がやたらある」
これがネタバレだとおもった?
「今回のエヴァンゲリオンでは、地球の核にあたる部分に第三の勢力があってなぞの知的生命体が太陽系を統一する」
「伏見稲荷の鳥居は奉納されたもので千本鳥居も塚にある鳥居も金持ちの道楽で神秘も奇跡もないんやで」
こういうことがネタバレやろ
出てきたキャラや背景の絵がどうとかそんなの見てきただけの人間がそんな話だったとか理解できてるわけないし
ネタバレっていう汚染された自分の情報出してるだけなのがキモイだけですわ
どうせ映画内で「地球が統一されました」って明記されてても自分のなかではそうではないとおもっている何かのオマージュだとかいうんでしょ
なんで君のストーリーが完成されるために私らが映画みにゃならんのよって感じ
それは感想になるやろって?
自分が感じた事じゃなくてその新作映画をみて出来上がった自分の有頂天な姿をいかに神々しく彩るかのために
映画で使った内容をもってきてるだけやろ
他人の手垢でまみれて自分の変身した姿を穢される前に試着してどうだ俺は映画になってるみたいな
映画館でてすぐアニメの変身ポーズをとって無邪気に遊んでるのが幼稚園児じゃなくておっさんだってのがやばすぎってこと
自分の妄想や偏執を強固にするために新作映画の一部を切り取ってもってくるのとか節操ないわってことよ
そうじゃなくて自分は見た感想を書きたいっていう情報に対する熱意があるのだとしたら
いますぐ公開初日にみたままを書き連ねたいってのは「有頂天な自分が手垢にまみれる前の一番湯につかってうらやましがられたい」だけやろ
ここはアフリカの広大な草原帯のどこか。よく、サバンナとかサバナとか呼ばれたりするところ。
あっちにはキリンの長い首が何頭か見え、その近くにはシマウマ達が群れをなし、色々な鳥達が木々で羽を休めて、囀りあっており、そして草むらをよく見ると、草食動物を虎視眈々と狙う肉食獣が何匹か身を潜めている、長閑に見えて実際には緊張の走るところ。
そんなに様々な動物達が一望できるのは、そこには大きな水溜り、ちょっとした池のような沼にも見える動物達には欠かせない水分補給の場があったからだ。
そこで最も支配的だったのは象達だった。
象達はとても頭がよく、身体も大きく、意外と俊敏でもあり、肉食獣に狙われることはあったにせよ、肉食獣にとっても沢山の肉が手に入る敵ではあったものの、できれば避けたい相手でもあった。
それ故、象達は仲間の何匹かを見張りにつかせつつ、悠々と水飲み場の一等地を占有していた。
一等地というのは、まず水があまり濁っていないことであった。濁っている水は不味く、病気になることも多いと象だけでなく他の動物達でさえ知っており、濁りの多い場所は閑散としていた。
そして、象達から少し離れた、一等地ではないものの、そこそこ水の綺麗な場所を陣取っていたのは、カバの群れだった。
カバは象ほどは賢くはないし、体は大きいものの、象ほどには身軽ではなく、獰猛さを見せることもできたが、象には敵わなかった。しかも、カバは水飲み場を移動するという行動をほとんど取ることができなかった。
それがカバの生態であるから仕方がなかったが、カバにとって大事な大事な水飲み場、象に一頭地を占有されるのは仕方ないとしても、それでもその水飲み場から離れることはできず、二等地とも呼べるその場所を死守していたのである。
そのカバの群れは30頭ほどと言ったところだったが、そのカバの群れの中でも身分のようなものがあった。
だから、利口なカバほど水の澄んだ場所を選ぶことができ、そうでないカバほど汚れた水の場所しか選ぶことができなかった。
なぜなら、一等地の象達は、そこが一等地であるが故に、水の汚れを気にする必要はほとんどなかったが、カバ達の場所は水の流れなどで汚れた場所が日々変わり、利口なカバほどそのことをよく知っていたので、常に水の状態を意識して生活していたからである。
しかし、利口でないカバはいつも汚い水の場所で水を得なければならなかった。そういうわけで、汚い水を選択せざるを得ない利口でないカバは病気にかかりやすく、死ぬことも多かった。
しかもそれ故にも、汚い水しか飲めないカバは病気持ちのカバと思われることが多く、仲間内からも蔑んだ目で見られており、あまり相手にされることもなかったのである。
そんな利口でないカバの一頭であった彼を取り敢えず、カバ九郎と呼ぶことにしよう。
カバ九郎は最初は確かに利口ではなかったので、いつも汚れた水の場所にしかいなかったが、しかし、実際には他のカバ達に比べそれほど利口ではないということもなかった。
単に、性格が違っただけだった。カバ九郎にはある種のずる賢さがあったと言えよう。
カバ九郎が汚れた水の場所にしかいないのは、最初こそ仲間の利口さに負けたからだが、ずっとそこにしかいないのは実際のところは理由が他のカバが考える理由とは違っていた。
実は、汚れた水の中には魚がいっぱいいたのである。
カバは草食ではあるものの、完全な草食動物ではなかった。草食が主体ではあっても、肉を食っているカバがいることは近年になってよく知られるようになった。
カバ九郎は、汚れた水の中にいる魚達がとても美味しいことを発見し、他のカバにはそのことは決して言わず、自分だけで独占したのである。
所詮は池・沼地に過ぎないので、ちょっとでもこのことを教えたら自分は魚をあまり食べられなくなってしまうから。
そして、その魚を食べ続けたことが影響したのかどうかわからないが、カバ九郎は全く病気にかかることもなく、それどころかどんどん栄養が満たされて太り、肌も艶艶で、どう見ても、汚れた水にいるカバのようには見えなくなっていったのである。
そしてカバ九郎は、他の利口なカバ達が苦心して綺麗な水のところを探す努力を心の中で笑い物にし、本当に利口なのは俺だ!と奢るようにさえなっていったのである。
最初にそのカバ九郎の異変に気がついた仲間の一人をカバ太と呼ぼう。
(どうしてアイツは病気にならず、それどころかどう見ても他のカバより健康そうなんだろう?)
カバ太は、カバ九郎に近づくと他の仲間からカバ九郎と同一視されて蔑まれてしまうリスクも分かっていたが、どうしても気になってある日、カバ九郎に直接聞いたのである。
「なぁなぁ、カバ九郎、どうしてそんなに肌が艶艶なんだ?何か秘訣でもあるのか?」
カバ九郎はよほどのことが無い限り、仲間から話しかけられたことはなかったので、吃驚したものの、嬉しくなった。だから、他のカバ達には絶対に教えたくなかったが、つい秘密をカバ太に教えてしまったのである。
「実はさ、ほんとに誰にも言っちゃいけないぜ、この汚れた水の中には魚が……」
その日から、汚れた水のところにいるカバはカバ九郎とカバ太の二頭になった。
カバも人も同じである。一度知ってしまった秘密はどうしても外部に漏らしたくなるのである。
「絶対誰にも言うなよ……」
と、ついに群れの半数以上のカバが汚れた水の場所で生活するようになってしまったのである。
すると、事態はカバ九郎の予想したとおりになってしまった、食える魚がどんどん減り、酷い日には一匹も食えない状態にまで陥ってしまった。
最初は、カバ九郎もどんどんと自分の仲間が増えて、有頂天になって、汚れた水場にいる仲間からはまるで殿様のような扱いを受けていたから、そのことの方が嬉しくて、リスクは知っていたものの、事態の悪化を見過ごしてしまったのだった。
だが、とうとうカバ九郎も堪忍袋の尾が切れたか、そんな事態に我慢できなくなり、ブチ切れた。
「てめーら良い加減にしろよ! ここは俺の水場だ! てめーら出ていけ!」
第一次カバ戦争勃発である。……そんなことはどうでもいいが、その日以降、汚れた水飲み場のカバ達は毎日のように争い続けるようになり、魚達はカバに踏み潰されることが多くなってしまい、とうとう一匹の魚も寄り付かなくなってしまって、汚れた水飲み場にいたカバ達の群れは、カバ九郎一頭を残して消えてしまったのだった。
そして、魚を食えなくなったカバ九郎の肌の艶もどんどんなくなり、日頃、そんなに草食地で餌を探す苦労もしてなかったものだから、いっつも他のカバ達に食い荒らされた草地に言って残り滓を食べる以外に方法がなくなってしまい、汚れた水場ばかり利用していたのでとうとう病気になって、痩せ衰えたのもあり、あっさり死んでしまったのである。
その群れのカバ太は仲間にぽつりと漏らした。
「なぁ、カバ九郎って利口だったのかな? 利口じゃなかったのかな?」
俺が初めてネットゲームをしたのはローズオンライン。理由は兄貴がやってて面白いって教えたから。別に薦められたわけでもなく、聞いたら教えてくれたそれだけ。
最初は剣士をしていたが後々育成に詰まった時支援職が辻補助をかけてくれた。その人を見てから何故か魔法職を作ってヒーラーを志した。
その後色々あってちょっと痛い回避職や後々姫レベルをカンストさせた罰1子持ちの剣士やら色々な奴と仲良くなった。
その中で学んだことがある。大体強いヒーラーは女であり男から貢がせている奴が多い。
貢がせてねー男ヒーラーもいたが大体そいつはギルドマスターをするほどの人徳者で仲間からの人気や信頼も高いしどんな奴ともすぐ仲良くなるコミュ力おばけだ。
で、俺はとある姫ちゃんの話をする。姫の名前はりび(仮名)。りびには貢がせている男が一人いた。名前はミッキー。
・りびは美人
・りびは主婦
・りびは時々ミッキー以外の男とも狩りに行く
俺はりびにスキルや装備の相談をする振りをしながらミッキーとの恋の行方を聞いていた。今思えばこれが初めてのウォチ行為だ。
サブで放置露店をしたり、俺と狩りに行くときには効率重視したり、最終的には自分でヒーラーを作ってペアしてた。
で、頭のいい奴は気づいたかもしれんが、月日が流れるにつれりびに貢すぎて装備が貧弱になったミッキーは捨てられた。
別に毎日一緒に狩りに行く約束はしてない、ただの友達だとりびやミッキーは言ってたが月日が立つにつれミッキーは一人でシコシコと育成するようになり、時々俺に話しかけてはりびの様子を聞いていた。どうやら直接本人と話したいが話せない状況らしい。
だがりびは毎日楽しそうに狩り(と言う名の恋人とのデート)の話をしてくれる。あそこの景色は綺麗だ、とかあそこは美味しい、とかあの装備は可愛い、とか。
だがある日突然りびが姿を消した。
どうやらりびはネット内で浮気をしてることがばれ、話し合いをする予定だったが突如姿を消したらしい。
で、だっくがミッキーに聞いてくれないかと話を持ちかけてきた。実際俺が話を聞いたらミッキーはりびからいきなり別ゲーに誘われたと有頂天のメッセージを返してきた。
そのことをだっくに話したら、だっくは何も言わなくなり全財産俺に渡して消えた。
後日りびと連絡が取れたから事の顛末を聞いたところ、「ゲームを止めて恋人と別れないと離婚する」と言われ泣く泣く距離を置くことにしたらしい。ミッキーはただの友達(ただし顔写メで釣ってる)だから大丈夫、とのこと。
だっくの結末を言ったところ「本当はメールをしたいが旦那から別れを切り出される」と返信がきた。
裏ではミッキーが「またりびが他の男と仲良くしてる」と言ってたので、たぶんりびは泣いてない。泣いたのはダックとミッキーのみ。
その後、これに懲りたのか俺が連れてきたダチ(ただしネカマ)とくっついたミッキーは二人で他のゲームへ移住。
残されたりびは飽きたのかネトゲを止めパソコンも捨てて今では普通の一般人だ。
だっく以外のメンツ(りび、ミッキー)とは今でも繋がってるし仲良くしてるが二人と繋がってることは秘密だ。
で、最初の話に戻るが俺は何故か昔のようにヒーラーという職を楽しむことができない。憧れてた先輩のようになりたい、とひたすら頑張っていたあの頃の自分は消えて、りびしか思い出せない自分がいる。
りびのことは嫌いじゃないし大切な友人だがもう一度人生をやり直せるなら二度と会いたくない。ちなみにミッキーはホモになった。
発注と検収のいたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。
入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望で活動した。
何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。
でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいからWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。
ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。
3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)
流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDもちゃんと整備した。
フレームワークや言語の学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。
4年目。業務転換があり、ベンダと要件の狭間でストレスが絶頂になった。
この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由で転職活動を再開した。
幸い3年目の成果物がある。Twitterの転職タグとかを使って成果物のURLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。
驚いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。
しかしながら結果は惨敗。オンラインのコーディング試験や技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。
ある企業の面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。
4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。
面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。
なんとなくはてブの技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。
そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。
いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。
とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。
なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである。
内容の詳細は秘密保持の関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。
それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)
結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後は内定。
待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。
元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。
私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。
ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。
人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ
20世紀(2000年)までに出たアルバムを「古典」としています。
1.Revolver / The Beatles
2.Beggars Banquet / The Rolling Stones
4.Led Zeppelin 2 / Led Zeppelin
5.Paranoid / Black Sabbath
6.Trout Mask Replica / Captain Beefheart
7.Live at the Harlem Square Club / Sam Cooke
8.Red / king Crimson
9.Tarkus / Emerson, Lake & Palmer
11.Piper At Gates Of Dawn / Pink Floyd
13.Future Days / Can
14.Stand By / Heldon
16.White Light White Heat / The Velvet Underground
18.Radio Ethiopia / Patti Smith
19.End Of The Century / Ramones
20.Blank Generation / Richard Hell & The Voidoids
21.Remain In light / Talking Heads
22.Buy / James Chance & The Contortions
23.Never Mind The Bollocks / Sex Pistols
24.Damned Damned Damned / The Damned
26.Inflammable Material / Stiff Little Fingers
27.No More heroes / The Stranglers
30.Dameged / Black Flag
31.Rock For Right / Bad brains
33.Heaven Up Here / Echo & The Bunnymen
34.Substance / Joy Division
36.Killing Joke / Killing Joke
38.Cut / The Slits
39.Songs About Fucking / Big Black
40.Y / The Pop Group
41.Metal Box / Public Image Limited
43.In"Jane Fron Occupied Europe" / Swell Maps
44.Heroes / David Bowie
45.Purple Rain / Prince & The Revolution
46.Our Favourite Shop / The Style Council
47.Psycho Candy / The Jesus and Mary Chain
48.Kollaps / Einstürzende Neubauten
49.Daydream Nation / Sonic Youth
50.Appetite For Destruction / Guns N' Roses
53.Green Mind / Dinosaur jr.
54.Loveless / My Bloody Valentine
55.Screamadelica / Primal Scream
56.The Comforts Of Madness / Pale Saints
57.Siamese Dream / Smashing Punmpkins
58.Odelay / Beck
62.Weezer (Blue Album) / Weezer
63.Satori / Flower Travellin' Band
65.EVE / Speed, Glue & Shinki
68.風街ろまん / はっぴいえんど
70.燃えつきる キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13. / CAROL
71.Public Pressure / Yellow Magic Orchestra
72.Welcome Plastics / Plastics
73.虫 / The Stalin
75.蔵六の奇病 / 非常階段
78.THE ROOSTERS / THE ROOSTERS
82.GOOD EVENING WONDERFUL FIEND / THE WILLARD
83.Shambara / Dead End
85.DETESTation / G.I.S.M
88.THE BLUE HEARTS / THE BLUE HEARTS
89.ヘッド博士の世界塔 / Flipper's Guitar
94.C.B.Jim / Blankey Jet City
95.ココロに花を / エレファントカシマシ
96.GEAR BLUES / thee michelle gun elephant
97.Kocorono / Bloodthirsty Butchers
追記2/21
すみません。Jimi Hendrixを完全に入れ忘れてしまいました。
追記② 2/21
Sonic Youthの綴りが違う、ご指摘感謝。訂正しました。
Stone RosesやSmithsあたりはTOP110なら入ったと思います。
追記③ 2/22
四人囃子も「一色即発」と書いていたので
順位ではありません。
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takizawaさん。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4696862778201533058/comment/takigawayouhei
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id:takigawayouhei はてなで何がしたいのですか。カラースターをばらまいて。質問?宣伝?集客?
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takigawa さん、素晴らしいご質問有難うございました。私もあまり考えてなかったのでこの機会にしっかり考えさせて下さい。
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私は幸せになりたいです。今は死ぬ手前のレベルです。でも今も幸せです。
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《難しい目標》はもっと元気になって、若い頃の様に社会にもっと貢献して、その中でお金も沢山稼ぎたいです。
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インターネットは怖いので、少し距離を置いていましたが、2年前から鍼の師匠に
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「ホームページを作りなさい。」
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とご指導を頂いていたので、体調が少し良くなったので背伸びして何時も閲覧している大好きなはてな村に来ました。
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前回、匿名ブログ書いてみんなのアドバイスや応援を貰え、今、有頂天になっているのと、やっぱり緊張するので気持ちが重い。の両方を引きずっています。
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takizawaさんの質問で、「自分がはてなで何がしたいか?」じっくり考える事が出来ました。
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