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はてなキーワード: タイムリーとは

2021-05-15

アサギロでは沖田が労咳になってるし新九郎奔るでは京都に疫病流行ってるし、嫌な感じにタイムリーだな

2021-04-21

役にたつとはタイムリーな働きかけである

あるいはその準備である

2021-04-13

anond:20210413211919

30秒前にひり出したおれにタイムリー増田。ウイニングコールは「ンンッ!」だった。

2021-04-02

こっちのおいしい給食レビューもいいのに

anond:20191116010409

タイムリーレビューより、2年遅れなレビューのほうが注目された理由はなんだろう

2021-02-24

anond:20210223235037

まるで自分ことみたいで、かつタイムリーだったので反応。

自分語りする相手もいないし、ちょっと聞いてよ。

特定いから具体的なこと書けなくてごめんね。

 

ついさっき、PMごっこみたいな現職に退職届を出してきた。

新卒入社して5年。情報工学の院卒。

発注検収いたちごっこみたいな仕事に嫌気が差して、入社して2年目からちびちびと転職活動をしていた。

  

入社して2年目は転職サイトとか転職エージェントとかを使って、もっと手を動かす仕事が良い!みたいな希望活動した。

何社か応募したけど、採用どころか面接にすら全然届かない。経験も実績もないから、仕様無いと今になっては思う。

でも数少ない面談した企業の方からは「小さくてもいいかWebサービスを作ってみるといい」とか「うちはRails使うことが多いから、Railsわかる人だと嬉しい」みたいな具体的なアドバイスはもらえた。

具体的にフィードバックを貰えると、勉強のやる気も出る。

ちなみにどことは言わないけど、転職エージェントは「年収が下がっていいならすぐに見つかります!」「正社員じゃなくて派遣から始めるのはどうでしょう!?」とか不穏な誘いが多くてすぐに使うのを辞めた。

  

3年目はもらったアドバイスに従って、仕事の合間に小さなWebサービスを作ることにした。(Railsは使わなかったけど)

流行りのフロントエンドフレームワークを使って、PaaSで公開。テストも書いて、CI/CDちゃんと整備した。

フレームワーク言語学習も含めると半年以上かかったけれど、納得のいくものが出来た。

  

4年目。業務転換があり、ベンダ要件狭間ストレス絶頂になった。

この環境から逃げたい、というひどく後ろ向きな理由転職活動を再開した。

幸い3年目の成果物がある。Twitter転職タグとかを使って成果物URLを貼り付けたりすると、5社くらい話を聞いてくれることになった。

いたことに、エンジニア業界では有名な会社とかも声をかけてくれたりして、ちょっと有頂天になったりした。

しかしながら結果は惨敗オンラインコーディング試験技術面接に歯が立たず、ほぼ全てがお祈りとなった。

ある企業面談では、「希望年収の半分くらいなら」と言われたこともあった。この日のことは、未だに忘れられない。

  

4年目の惨敗を受けて、5年目はしょぼくれていた。

面接で出来なかった問題こそAtCoderなりアルゴリズム本なりで勉強していたものの、「こんなに勉強しないといけないなら、もう現職でいいかな」という思いが大半を占めていた。

なんとなくはてブ技術エントリを読んだり、Qiitaとか面白そうなチュートリアルを手慰みにして時間を潰していた。

 

そしてそんな折に、知人経由で大手ITを受けてみないかと声をかけられた。

いやいや無茶でしょう、というような有名企業で、自信を喪失していた自分には恐れ多いとしか言いようがない。

とは言え、落ちるだろうから受けない、というのもあまりに後ろ向きな話。

なので、受けるだけ受けることにした。知人の顔を立てる、というくらいのモチベーションである

 

コロナ渦だったので面接リモート技術面接

内容の詳細は秘密保持関係から記載できないけど、3年目のサービス開発で学んだ知識と、惰性で技術エントリを読んでいた経験が活きた。

それなりに回答できて、手応えはあった(現職で得た知識とかももちろんあるけど)

結果は通過。そこからあれよあれよと面接ラッシュで、すったもんだありながらも最後内定

待遇も満点ではないけど十分な内容で、迷う余地がなかった。強いて言うなら、休みが減るのがちょっとネックかな。

 

元増田に言いたいのは、一回動くと何かが変わるよってこと。

私が結果としていい転職ができたのは2年目の活動の際に「Webサービスとか作ってみるといい」ってアドバイスをもらえたのがきっかけだし。

ベンチャー企業の人から声をかけてもらえたりするくらい頑張ってるなら、胸を借りるくらいの気持ちで話をしてきたらいいんじゃないかな。

人生の分かれ道は意外なところに落ちていたりするよ

  

ちなみに私が内定もらったところは、選考中は年齢(と性別)について一切聞かれなかった

から、急いで奮起する必要はないと思う。もうちょっと暖かくなったら考えてみたら?

2021-02-02

親を生活保護にしてもいいよね?

昨日もかいたけど、不安なのでまた。

anond:20210201200007

年収7くらいで妻子ありだけど親を扶養したくないので生活保護とってもらおうかなと思ってるけど別に問題ないよね?と言う確認

以下のニュースブコメ見ても「扶養照会は悪!本人の申請で通すべき!」っぽい意見が多いかな~と思うので、たぶん責められるようなことではないよね?(悩んでいるところにタイムリー記事だった!)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210202/k10012844621000.html

生活保護の人を責めるのはおかしいし、自分生活のために親を扶養しない選択をする人もせめられることはないよね?

ほんと不安なので答えてほしい。この確認によって、もし責められることがあっても、「責める奴がおかしいんだ、俺は間違ったことしてない!」と精神を保つことができる。

上の記事ブコメした人がコメントしてくれるとより安心するので、是非ほしい。

2021-01-18

キモいといわれ続けた俺がやっていること・やり続けたこ

はじめに

俺は容姿キモい身長だけは高いものの、頭と顔がデカいうえにガリガリで、身長が180cmと恵まれたのにも関わらず7頭身にも満たない奇形だ。その上髪の毛が剛毛で縮れている特殊な髪質をしていて顔も不細工だ。小学生の頃からキモいと言われ続けて、髪までならず性格まで縮れた。中学生の頃に同級生との雑談に混ぜてもらえて笑っていたら「笑顔キモい」と言われたことがあった。あれは堪えた。「人間第一印象で決まる」という言葉があるが、「容姿キモい俺」は第一印象で「キモい奴」認定されてしまう。「人間中身が大事」っていうがあれは誤りだ。顔がすべてだ。「性格が糞でも容姿が良ければ許せる」と言う人間はまあまあいるが、「容姿が悪くても性格が良ければ許せる」と言う人間は実際には少ない。何故なら不細工はノータイムリーで「キモい認定」されるので、性格を見てもらえるまでの土俵に上がる事が困難だからだ。学生時代理解した事といえば「不細工人権はない」という事。メンタルをやられ低賃金しか働けない低能になってしまったが、人間に近づくために少ない賃金で色々改善してきた結果、そこそこ人間扱いされるようになってきたので、同じような悩みの人間の手助けになればと思う。

手術編

黒子とり

俺の顔面には20個以上の平坦なほくろがあった。学生時代のあだなは「チョコチップメロンパン」だった。自分でもひどくコンプレックスだったので、皮膚科で取ってもらった。3mm以下だと確か1個あたり三千円だった。瞼と唇の上に打った麻酔が痛かった記憶がある。とった後はニキビ跡みたいになるが、2か月ほどで目立たなくなった。顔の印象が良い意味でだいぶ変わったのでお勧め

脱毛

俺は髭自体はそこまで濃くはなかったが、引きこもり気味で色が白かった為青髭が異様に目立った。某クリニックでツルツルになるまでレーザー脱毛を行った。予約とりにくすぎ。あと痛すぎ。笑気ガスと表面麻酔の2つのお世話になったので、麻酔代だけで一回につき6000円かかった。10回超えたあたりで髭が完全になくなったわけではないが口周りに清潔感がだいぶ出てきた。既存の毛根が死ぬだけで、新たに毛根が作られたらそこは生えてくる。永久脱毛だが実際は別の所から毛穴が生成して生えてくるというイタチごっこになるので、RI●Xの光脱毛でもよかったんじゃないか?と時々思う。今でも通ってる。

歯列矯正

俺は歯並びがガチャガチャだった。特に犬歯がわけのわからない方に生えてて、前に出切った前歯で上唇が押されて口が閉じず、いつも唇はガサガサに乾燥していた。歯並びが悪すぎて学生時代あだ名で「ヤク中」とか「プレデター君」とか呼ばれていた。歯列矯正専門医がいる歯科医歯列矯正をした。顎が小さく歯の大きさに由来する歯並びの悪さだったので、親知らず含めて8本抜歯した。親知らず抜歯後は地獄だったが、矯正初めの激痛も地獄だった。歯並びが悪い癖に歯列矯正してるのがバレるのが嫌で裏側矯正をした。トータル200万ちかくかかったが、整形レベルで横顔が変わった。歯並び悪い奴にはマジでおすすめ

眼瞼下垂手術

俺は腫れぼったい眠そうな目をしていた。人間は「大きい目と大きな口」の人間に好感を抱きやすいらしい。俺は不快感しか与えない目をしたせいか、「性犯罪者みたいな目をしている」とクラスメイト女子に陰で言われていた。それを面白おかしく掘り返した男子生徒に「レイパー」というあだ名がつけられた。目を大きくしたかったが、二重手術が怖かったので、眼瞼下垂の手術をした。腫れぼったい印象がだいぶましになった。視界の広がりも感じた。眼瞼下垂の手術をした時点で上記つの手術は済んでいたので、この時点でだいぶまともな顔になった。職場転々としていたが、容姿揶揄されることが無くなった。時々「キモい」という言葉を聞くとビクッとするが、聞き耳を立てると他の人の話でホッとしている。情けない。いつか二重手術を受けたいと思う。

ルーチン編

ヘアアイロン&縮毛矯正

俺の髪質は中学時代からひどく縮れてきた。あだ名は「陰毛」「ちんげ」「奈良の大仏」「かた焼きそば」「スチールウール」散々だった。「顔が悪いのは仕方ないけど髪がヤバいのはマジ無理。終わってる。」とクラスメイト女子に言われた。縮毛矯正を覚えてから、2~3か月に一度のペースで縮毛矯正をかけるようになった。しかし、俺みたいなガチで剛毛の縮れ毛のトップクラスレベル人間しかからない話だが、太くてボコボコしている髪を縮毛矯正すると髪の毛が黒光りし妙な光の反射の仕方をして「the 縮毛矯正」の髪質になる。俺はこれに対してさらヘアアイロンをかけて、その上からワックスでセットするというアプローチを行った。これが功を奏してパっとみは人間みたいな髪質になった。10代後半から20代前半までは高頻度で縮毛矯正をかけていたが、最近梅雨の時期だけ縮毛矯正をかけている。ヘアアイロン万年誤魔化してる状態なので、雨の日は怖い。誰かと泊まったり温泉に行くことが決まる近日に縮毛矯正をかけて冷や冷やしながら人間の振りをしたりしている。安いヘアアイロンを買うと縮毛矯正リタッチが困難になるぐらい痛むので、ヘアアイロンは良いものを選ぼう。ヘアケアホホバオイルマジでおすすめ。剛毛縮れ毛にしか参考にならない話だが、触った感触が柔らかくなって感動した。

塩化アルミニウム塗布

俺は手汗がひどい。中学の頃に学年の男子生徒全員に腕相撲を挑むクラスメイトがいた。俺にも挑んできたので腕相撲に応えた。キショガリの俺は秒速で負けた。負けた俺に対して勝者は叫ぶ。「こいつ手汗やっば!!!!!!!!きっしょ!!!」俺に配布されたテストわら半紙は手汗でふやけやぶれ、本もシナシナになり、マウスキーボードもビショビショになる。小学生のころ、クラスメイトの家でゲームをしたときに「手汗が汚いかコントローラーを触らせたくない」という理由で後ろで座ってたことがあった。今思うと俺がコントローラーを持参すればいい話だったので、あれは俺にも非があったとは思うが、友人だと思ってた相手に拒絶されるのは酷く辛かった。手掌多汗症の現時点でのアプローチは大きくわけて3つある。1つはETS手術といって、ざっくりいうと交感神経を切断して手汗を止める方法だ。足汗脇汗も止まることがあるらしい。しかし「代償性発汗」といって今まで汗をかかなかった部位から大量の発汗が起きる副作用がある。これが顔に出ると思うとひどく不安だったので断念した。2つめはイオンフォートレスといって手に電流を流して汗腺を一時的に働かなくさせる方法だ。これは定期的にやらないと効果が続かない上に、皮膚科にそのたびに通う必要がある。さすがに手間すぎる。俺は3つ目の「塩化アルミニウム塗布」を選択した。塩化アルミニウム皮膚科で処方される。寝る前に振りかけて、ビニール手袋で手を覆いそのまま寝るだけだ。そうすることで汗腺に炎症が起こり汗が止まる。定期的に続けていかないと汗腺が復活するのでやり続けなければならないが、週1の頻度で済む。「俺がいれば干ばつ問題解決する」という自負があるぐらい手汗がひどかったが、塩化アルミニウムを使いだしてからハンドクリームのお世話になっている。手汗に悩むより乾燥に悩む方が1000倍マシで、今は仕事他人デスクパソコンを借りる事に抵抗感じず人間のような振る舞いが出来ている。

ジョギング

俺はメンタルが弱い。すぐにへこむし、嫌な記憶堂々巡りする。一時期は身体を強くすれば自身がついてクヨクヨしなくなると思い筋トレを決起したが、苦しい思いするトレーニング雑魚すぎて続かなかった。そんな俺でもジョギングだけは続いた。毎日5kmを30分切るペースで走っていて、時々10km1時間切るペースで走ったりしている。走るのも苦しいが、何も考えず走り続けるとエンドルフィンが分泌され心地よくなってくる。俺はこれがオナニー替わりになっているみたいでポルノ中毒も辞められた。シコる暇があるなら走りたいと思ってる。走れない日が続くと精神的に病むことが多い。メンヘラ界隈の「リストカット」も痛みを抑えるために「エンドルフィン」を分泌させる行為なので、俺の「ジョギング」も「リストカット」みたいなものなのかもしれない。それでも汗を流すのは気持ちいし、気持ちが前向きになれるのでこれからも続けていきたい。

終わりに

ここまでくるのに俺は相当なお金時間を費やした。いまだに彼女は出来ないし、これからも出来ることがないだろうし、今でも人間関係が酷く怖い。それでも異性に告白してもらえるぐらいの人権は得ることができた。(生意気なことに俺はそれを断ってしまったが、今でも友人として仲良くしてもらっている)多からずとも友達ができたり、容姿馬鹿にしてくる人もいなくなったりして、学生時代に比べれば快適な生活を送れている。髪質に至っては毛根から変える方法が今の技術ではまだ存在しないので、これからコンプレックスに向き合っていく必要があったり、やはり誰かに容姿馬鹿にされるのが酷く怖い。誰かが馬鹿にされてるのを見るのも酷く嫌な思いをするので、容姿いじりには加担しないようにしている。そして容姿他人判断しないようにしている。もしも俺みたいに容姿に悩んでる人がいたら助ける足掛かりになれば嬉しい。産まれちまったもんはしょうがないので一緒に生きましょう。

2021-01-10

大木隆生氏の「大木提言(ver3)」に誰も反論してない問題

私は新型コロナについての情報を見るにあたっては、

のどれかでなければ話半分未満で聞くようにしている。

数日前に見つけた大木隆生氏の「大木提言(ver3)」は、その基準からすれば傾聴に値しそうだ。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3859177164173859&id=100002448400114

https://jikeisurgery.jp/wp-content/uploads/2021/01/COVID-19ver.3.pdf

(どちらのリンクも同内容)

大木隆生氏は、慈恵医大外科統括責任者・対コロナ院長特別補佐。ベストドクター in NYhttps://nymag.com/bestdoctors/ これ?)に4年連続で選出されているらしい。専門は感染症ではないけど、十分な実績と信任を持つ現場の人と言っていいだろう。

大木提言Facebookでは現時点で2000件以上シェアされており、Twitterでも検索すると多くの人が反応している。反応は「私の実感と一致します!勇気が出ました!」「コロナ脳に読ませたい」と異口同音に絶賛だ。医療関係者も「理路整然とした重要意見。さすが大木先生」といった口調で褒めそやしている。

でも僭越ながら、私はこの提言には論拠の弱さ・論理の飛躍を多く感じた。なのにそういう反対意見SNS上には見当たらなかったので不安になっている。誰もやらないなら私がツッコみます。というわけで慣れない増田を書いてますよろしく

大木提言かいつまめば「1. 感染者数が増えても実害はない」「2. 医療崩壊は起こらない」よって緊急事態宣言意味がないので基本的感染対策のみを行いながら経済を回せ、と言っている。この1,2について私の違和感を述べます

1. 感染者数が増えても実害はない

何故そういえるのかというと、要は欧米と違って日本人にとってはコロナは死亡に繋がらず怖くないからだそうだ。ファクターXってやつですね。それがあるので、欧米経験政策WHO見解日本の参考にはならないとのこと。

新型コロナ欧米においては恐ろしい感染症であるが、様々な理由から日本人にとっては季節性インフルエンザ程度の病気位置づけられる。

それは日本での人口当たりの感染者数も死者数も欧米の約50~100分の一である事やオーバーシュートが一度も起こらなかった事など、過去1年間の経験データをみれば明白。

明白…? そのファクターXが何なのか、そもそもそんなもの存在するのかすら、結論って得られてたんでしたっけ?

大木氏が曖昧に言っている「様々な理由」つまりファクターXの内訳とは具体的には何なのか。調べてみると、2020/5版の提言記述が見つかった。

http://www.japanendovascular.com/covid-19_proposal_Ohki.pdf (P10-11)

この時点では大木氏は、日本人コロナに強い理由の仮説として

BCG接種

②2020/1-2にステルスオーバーシュートが起こり集団免疫が獲得された

を挙げている。

しかし①はこれまでの研究から棄却されているし(と思ってるけど違ったらごめん)、②は第2波・第3波の到来の事実を踏まえると非常に疑わしい。8ヶ月経って情報は大きく増えたが、他に「明白」といえるような根拠が見つかったのだろうか? 私はそういう根拠を知らないし、少なくとも「明白」の一言で済まされるような簡単ものじゃないと思う。そして、日本人特別だという根拠が薄弱なのであれば、世界各国の現状・対策からの学びをあえて捨て去るのはリスキーすぎだと思うんだけど、ベストドクター的には違うんだろうか?

ちなみに大木氏、

上記裏付け事実として日本における2020年の死因別ランキング示唆である2019年の死因ランキング2020年の新型コロナによる死亡者数を挿入すると、新型コロナは第36位(11月末時点)。一方、季節性インフルエンザ2019年31位(図2)。さらに、同様の手法世界米国の死亡原因ランキング作成するといずれも新型コロナは死因第3位にランクインしており、日本人いかに新型コロナ抵抗性を有しているか如実に物語っている(文献4,5)

と言ってるんだけど、

の死者数比較根拠にするのはガバすぎでは…!? さすがにこれは読んだ人の半分くらいはツッコめる部分だと思うんだけど、この感覚おかし!?

2. 医療崩壊は起こらない

要は「欧米英国米国)でも医療崩壊は起きていない。それより数十分の一の規模の日本医療崩壊なんてありえない」という話をしている。

でも「欧米医療崩壊が起こっていない」というのは事実として正しいのか?

医療崩壊の定義は当該診療科医師疲弊しているか否か、すべての患者タイムリー病院受診できるか否かではなく、救える命が救えなくなったか否か

大木氏は書いているので、その定義では少なくとも欧米については医療崩壊は「起きている」という結論になりそうなものだけど。

たとえば各国の状況を検証しているTwitterのツリーこちら。

https://twitter.com/mph_for_doctors/status/1347047822034685952

まあ欧米の状況は置いといて、日本医療崩壊が起きているか?を問われたら、これは正直なところ私にはわからない。毎日医療崩壊のニュースが飛び込んできてるので感覚的にはヤバいと思ってるけど、実際は声の大きい現場の声ばかり聞いてて認識が狂ってるのかもしれないね数字で語れるのは先の話なので保留したい。

大木氏によると、医療リソースを余計に食い潰している原因は第二類感染症指定であり、それを五類に変えると改善するそうだ。これについてもそうかもしれないし、そうでないかもしれない。対立意見としては、高山義浩氏の「自治体によって柔軟に対応カスタマイズできるので2類相当でも問題ない」という話がある。

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=3509866199066862&id=100001305489071

どちらにせよ門外漢なので、慈恵医大の対コロナ院長特別補佐に「医療崩壊は起こってない」と言われたら「ああそうなんですね」と黙るしかないんだけど…でもそもそも論点が違うと思うんだよな。コロナ対策における医療崩壊の危険性について論じるべき点は「現状リソースが足りているか」じゃなく「いずれ感染が広がったときリソースを維持できるか」ではないんでしょうか?

新型コロナ感染者数は指数関数的に増大する。しか医療リソースはそうではない。だから実効再生産数を1未満に抑えないかぎりいずれリソース破綻する。そして重症者・死亡者は3週間の遅行指標であり、その数字が出た時点ではもう手遅れになっている。

新型コロナとの戦いはそういう戦いだというのがすべての前提だと思ってるので、その観点に触れずに大丈夫と言われても全然納得できない。3週間後に何がきっかけで爆発してるかわからない以上、予兆が見えた時点で厳しい対策必要だと思ってるし、大木提言はそこには何も答えられてないと私は思う。

(なお緊急事態宣言が「厳しい対策」として機能するかは別の問題です)

最後

私が一番問題だと思ってるのは、こういう非賛同者の反論ネットじゅう探しても全然見当たらないということ。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の対立みたいな記事が先日話題になったけど、もしかしてこの大木提言も「騒ぎすぎ派」が支持して内々で話題にしてるだけで、「ヤバすぎ派」にはガン無視されており視野にも入っていないんじゃないか。実際ブクマ全然ついてないし。

「ヤバすぎ派」「騒ぎすぎ派」の分断の問題は、それぞれの議論の前提自体が異なっていることだ。お互いの前提を共有して「この点は共有できるよね」「ここが意見の分かれ目だね」と止揚できればいいんだけど、お互いに殻にこもってしまうから議論が深まらない。結果、「コロナ脳」「正常性バイアス」とお互いを揶揄することしかできない。それは健全じゃないと思う。私はみんなが共通認識を持てる議論の土台をなるべく増やしたいし、そのためにはオピニオンリーダーには闊達議論してほしい。

宮沢孝幸とか中野貴志みたいな明らかに専門外の連中ならただ単純に無視すればいいんだけど、大木提言はそれとは質が違う。何も情報がない状態で「この増田大木先生をどっちを信用するか」と言われたら、私だったら実績ある大木先生を信用しちゃうよ。だからもっとちゃんとした専門家大木提言への反応をしてほしいと強く思う。

2020-12-17

anond:20200916031756

スーツくんがほぼ同じ症状で泌尿器科に行ったというタイムリー動画を見て、気が向いたので行くことにした。

ちなみに、スーツくんは、炎症が起きていたらしい。

  

性器露出人生初の泌尿器科に行ってみた!

https://youtu.be/qSEgLMwnOmY

  

いざいったら、尿検査、問診、触診だけされて、玉の周りは管があるからそんなもんだ。尿も特に病気の反応ねーし、ガンじゃねーからとりあえず大丈夫だということ。

スーツくんはエコーとかしてもらったみたいだけどなかった。自分の玉見たかったわー

おかげで1000円ちょっとですんだけど

2020-12-09

新庄

お前ら新庄のことどう思う?

普通に凄くない?少なくとも彼は本気で1年やり切ったってのは伝わったし正直軽く感動したわ

ただ体仕上げてタイムリーまで打って、ここでエンディングが一番きれいに収まるのかなとも思う

万一どこかの球団支配下登録されたとき幸せ引退の道があまり見えない

2020-12-07

ある高IQ者の懺悔

こんな記事がバズっていたので言い訳混じりの懺悔

https://blog.tinect.jp/?p=68019

何言いたいの?

お前誰?

だいぶ昔にMENSA所属していて、MENSAIQテスト大会みたいなので優勝したりして、IQという指標分布見たらかなり端っこにいるヤツ。

記事にある様な行動を取ったりすることもあるので胸が痛くて増田に書こうと思いました。

ちょうど、同じことを社内向けに伝えたばかりなのでタイムリーだったというのもあり。

IQが高い=知的障害者

まず最初に断っておくと、この項目はいわゆる知的障害者への偏見を抜きにして事実だけ読んでほしいです。

MENSA飲み会の中である人が「我々は知的障害者なんだ」と話していたことがとても印象に残っています

どういうことかというと、IQ130(MENSA入会基準)というのはIQ70(知的障害基準の一つ)と同じだけの出現率であること。

そして、知的障害という分類を社会が生み出したのは、コミュニケーション理解度ボリュームゾーンIQ100)と異なることで、社会生活に困難を生むから

大は小を兼ねる的に、高IQからってコミュニケーション困らないでしょ、と思うとそうでもないです。

知的障害の方々の行動や思考の「理解できなさ」を思い浮かべてみてください。

なぜ、あの人はずっと同じことを繰り返しているのだろう。どうして突然関係ないことにこだわり始めるんだろう。

そういう「理解できなさ」をマジョリティに対して感じることがあるわけです。

そうすると、理解できないことを起因として集団からはじき出されながら社会生活に支障をもたらすことがあります

IQの弱点

IQが高いとか頭がいいってどういう意味だと思いますか?

僕はパターン化(抽象化)の能力が高いってことだと考えています

複数物事に触れたときに、それらの共通点差異を見つけてパターン化し、次の事象へ当てはめてみようという意欲の強さと精度の高さです。

少なくとも、その能力だけで僕はMENSA所属し、その中でもIQテスト大会やって優勝するくらいの異端にはなりました。

裏返せば思い込みが激しいんです。

サンプル数の少ない事象直感とも言うべき帰納的なパターンを見いだして、恐れずそれを適用するだけなのですから

そして、その独特なパターンに乗ってない議論視点や考え方への理解はそれほどうまくできなかったりします。

からIQ高い/頭がいい=頭の回転が速いとか計算が速い、記憶力が高い、といった捉えられ方をすると困惑します。


僕が頭の良さでぶん殴っている(ように見える)とき

相手の言っていることが言葉として理解できるけどその思考理解できないとか、こちらが伝えようとしていることが全く伝わらないとか、かなりの頻度でありました。

勉強を教えてほしいと言うので教えると、こちらとしては当然こう考えるべきというレールがあるのに、そこに乗ってくれない。

僕は幼い頃からこんな風に周囲との違いを暗に感じてきました。

そういうことを繰り返して手に入れた結論は「人のことがわかるなんておこがましい」です。

自分は人を見る目がある」と自負する言葉は僕にとって信用ならない言葉だし、「言わなくてもわかるでしょ」はわからないんです。

から、僕はできる限り言語化を試みます

でも、僕自身はやっぱりパターン化して世界と向き合っているので、そこにはある種の自動化とか思考ショートカットが入っていて、それらを言語化するのにすごく時間がかかってしまう。

その中で、自分自身がうまく言葉にできていない部分を連ねていくときには、自分思考トレースしているために、ものすごく直線的な論理展開します。

そんなときには他者意見否定するようないい方をしている場面も自分自身感じています

あなた否定していない

ただ、僕は高圧的に話をして人をやり込めたいとか否定したいのではなくて、必死自分の考えを伝えようとしているだけなんです。

その上で僕の間違っている部分を示してもらって、よい結論へ持って行く議論ができるとうれしい、と思いながら話をしています

そんな思いとは裏腹に、自分の話し方がまずいせいで、どうしても人を威圧したり、意見封殺するような口調になっていることが多いように感じています

理由は上に書いたように、僕が話し始めている時というのはかなり必死状態なんです。

今まで自分と同じ土俵だと思って話して行き違いを何度も何度も経験してきたことが僕の原体験にになっていて

  • できる限り前提を合わせる
  • 一つずつブロックを積み重ねるように考えていることを説明する
  • そしてようやく議論の土台に立てる

みたいなやり方が自分の中に根付いてしまっているから、これをうまく修正できないでいます

意図せず「攻撃者」として認識される側の人たちへ

ここでは性善説に基づいて話をします。

まり、単なるマウンティングのために頭の良さでぶん殴っているわけではなく、立っている土台が違うことでコミュニケーション齟齬を産んでいるケースを想定しています

今僕は、頭の良さっていうのは謙遜も自慢もなく自覚しないとひどい病だと思っています

なぜならそれは、多くの場面で優越感を伴う異常者だからです。

死ぬことこそが救い、俺が愚民救世してやる、とナイフを振り回す異常者、怖いでしょ?

記事の同僚がどうかはわからないけど、コミュニケーション上の問題を感じながら論理的であることをやめられないのはそもそも問題意識が周囲と異なるのではないでしょうか。

それ自体が間違っているわけではないし、論理的解決を進めることが社会人類を発展させてきてます

なので人と一緒に働いている中では、自分特性みたいな部分を自覚して、周囲に伝えてみてください。

こういう人と一緒に働いている人へ

その人がどういう人間性なのかを、一面だけで判断しないでほしいです。

もちろん、中にはまさにクズと言っていい性根の人もいるでしょうし、そういう人を無理にかばってくれとも言いません。

しかし、普段問題ないのに議論になると殴られるからいやだな、と思うような相手はもしかしたら問題を抱えている人かもしれません。

そういう人たちとインクルーシブに働ける環境を作っていけたらいいなぁなんて思っています

言い訳ばっかしてないでお前はコミュ力鍛えろよ

わかってるけど、やりきれない部分ってあるんです。

なので、最善とは言わないけど、ここに書いたような文章をチーム向けに伝えて、お互いのギャップを一緒に見つめましょ、って話をさせてもらいました。

コミュニケーションなんだからみんなできて当たり前、たどり着けない部分があるのは甘え(努力していない)って言われるのは怖いなぁ。

2020-11-17

anond:20201115162830

最近ワイもこの増田と似たようなこと考えて実行してたかタイムリー投稿だわ

使い勝手いいのはやっぱスマホアラームアプリだね

無料ダウンロードできるアラームアプリを三つ入れてる

一つは目覚まし用

2つ目はプライベート用で20時にアラームが鳴り「毎日やることリストメモ」の内容を全てやる

3つ目は職場用で決まった時間にする定時業務時間を全てアラームにセットして仕事前にアラームONにする。これで定時業務をする10分前ぐらいに「もうすぐこの時間にこの業務やらなければ」とそわそわする必要が無くなる。アラームが鳴ればやればいいだけだから覚えておく必要がなくなり、脳の使用容量が少し増やせる

2020-11-07

ネットも役に立たず、書籍は滅びかけで知識ってどうやって保存するんだ

ネット検索が役に立たない。

1,2日で炎上していることを調べるといった、タイムリーな状況を知りたいといったのは、役に立っているし、

プログラミングの一部については調べれば出る。

だが、「バ美肉おじさんがボイスチェンジャーで声を変えようとした場合、音の高さを合わせても機械音がするのは、物理的な事象の何に差があるのか」

という疑問を解決できない。

そもそも日本語の声について、情報がありそうでない。

フォルマントピッチを変更しても、思ったようにならないバ美肉オジサンは多かったことだろう。


ネットを調べれば、色んなソフトを試した結果は手に入るわけだが、どれも失敗している。

書籍に関しては声に関していくつか書籍があり、買ってみたが解決には至らなかった。

出版社不況で出せてないのだろうか。


このような体験からネット以前はできていた書籍による知識の保存はできてるのか気になった。

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-09-27

anond:20200927165009

ジョーカーリアル社会背景込みでの評価だろ

フランス黄色ベスト運動アメリカウォールストリートデモのように、

一部の富裕層とそれ以外の経済格差は開く一方の社会で、

暴動テロなどの危険性が高まって、社会の分断が目に見えて大きくなってきている

こういう背景の中で、バットマンを題材に取りつつリアル社会問題とも完全にシンクロさせた手腕がお見事っていう話

アメリカ映画界にはまだまだタイムリーかつ巨大な社会問題を題材に取りつつエンタメとして昇華できる力量があるのが凄い。

日本人は作る方も時代の遅れのバカサヨと、頭からっぽのテレビ屋で、

見てる方も爆発とアイドル見せときゃ喜ぶアホしかいないので、ジョーカーのような映画は作れない

日本映画予算もショボければ映画作りの技術もしょぼい、アメリカ映画界との絶望的なまでの実力差を改めて見せつけられる映画、それがジョーカー

2020-09-13

「お願いなら承ります」とはどういう意味

タイムリーに似たようなキチガイとやり合ったので書く。

そいつも「俺は診断済みのアスペだ」「俺は理性的人間だ」「合理的文章なら分かる」「平易に説明しろ」と主張していた。

実際はちょっと煽られるとすぐキレてスレ荒らし始め、落ち度を指摘されると「その指摘はいくらなんでも無理筋だ」「お前ら(※個と集団区別できていない)の指示を俺が聞けばお前らの独裁制だ。俺には自由がある」「理解ができないことを言うな。説明しろ」「書き込みに中身が無い。意味のあることを書け」とか逆ギレしていた。

指摘側は無理筋でも支離滅裂でも無かった。ただそいつにとって都合が悪いことを言っただけだった(連投すんなとか、ちゃんと読めとか、お前の言ってることはおかしいとか、阿呆は帰れとか、寝言は寝て言えとか)。

そして論理代数における「逆・裏・対偶」が理解できず、「逆は真」「真でないものは全て偽」という仮定を使って頭の中でどんどん命題を短縮し、何でもかんでも都合が悪ければ「嘘」と呼んで否定していた。ミミックの鳴き声としか思えなかった。理性的でも何でもない、魂が欠落した何かだった。

例の旅レポ記事を見て「お願いなら承ります」という表現に強烈な既視感を覚えた。同じだ。こいつは「他人が発する声は、全て俺への『参考情報』であり、命令としての意味は無い」と思っているのだ。

こいつの「承る」というのは「俺の気に触らない限り、戯れにやってみるのも一興だとは思うぞ」という意味だ。「お茶を一杯飲んでくれませんか」と言われて、その時に喉が乾いていれば「そんなことをしてほしいんですかあ? 飲んでやりましょう」と「承る」程度の意味だ。「お互いの健康のためにマスクの着用を」と言われて「仕方ねえなあ」と着けるという意味では決してない。

結局のところ、あれは自閉症の症状なんだろう。ある種の高度な論理を扱う機能や、世界を多数の主体存在する空間として捉える機能の発達が遅れて/止まって/失われていて、日本語は解するものの、言語コミュニケーションコミュニティでの共同作業が行える状態にないのだ。

そういう奴はどう扱えば良いんだろうな。規則強制力をセットで与えれば、それが「環境」だと認識して従おうとするが、常に機会を伺っていて、ひね曲がった自分理屈曲解した規則が噛み合う所を探してゴネたり他人に牙を剥いたり、強制力が緩んだ時に規則を破ったりするんだよなぁ。

フランス革命の頃なら焼き殺せば済んだんだろうが…

2020-09-08

ドコモ口座事件菅義偉の正しさが証明されてしまった。地方滅亡しろ

次期総理大臣菅義偉が「地銀は再編すべき」って言ってる矢先に

ドコモ口座の不正用事件が起きてタイムリーすぎる

田舎者どもは「地銀地方のために絶対必要!」「地銀けが地方の味方!」などとイキっていたが

あんセキュリティガバガバ銀行どもは何の役にも勃たねーんだよ土民どもが!ペッペッ!

クズすぎる地銀のおかげで菅の正しさが証明されてしまったし

菅の支持率もアップ間違いなしだし、自民党の優位も確定してしまった

俺たちはこれから本気の地方衰退を目の当たりにするのだ

地方滅亡の分水嶺としてドコモ口座事件歴史に残ると思う

いなかっぺ大将ども、震えて眠れ

2020-09-06

ウンコを食べたら人生が上向いた

注意! この文章の内容は万人に勧めることを目的としたものではない。

よって、この文章で書いてある食糞行為だとか、それに対する健康効果は全て個人の感想であり、君に当てはまるとは限らない。自己責任食糞するように。

ーーー

俺がスカトロ性癖に目覚めたのは小学生の時だった。

スカトロというと異常者の性癖だと思われがちだが、そのきっかけはありふれたものだった。

当時好きだった女の子教室脱糞したのだ。俺はその光景を目に焼き付け、匂いが脳に刻み込んだ。

家に帰ったからもあの光景女の子が泣いているところが忘れられず(こう書くとこの女の子にはかなり申し訳なくなる)、まだ自慰という概念を覚える前から興奮したのを覚えている。

だが中学高校と上るうちに俺はその性癖を理性で押しとどめるようになった。ウンコなんて気持ち悪い、ウンコなんて気持ち悪い、そう言い聞かせて生きてきたのだ。今思えば自分に嘘をついてきたのだ。

やがて大学で知り合った女の子結婚し、普通企業で働くようになった。しかし、だ。俺は今年に入って解雇されることになってしまう。まさにタイムリーで笑えるが、コロナ流行による人員整理ということだ。

俺は鬱病統合失調症を発病した。もともと母親がそういう気質なだけあって、俺だけはそうはならないと思っていたのだが、いざなってみると地獄の日々だった。

妻はおかしくなってベッドで寝る俺のそばに座ると、夜な夜な声を殺して泣いていた。それを見た俺はさら申し訳なくなり俺も泣きまくった。本当に辛かった。

そんな折、俺はウンコを食ってみたいと思った。

失業手当が出ているので相当期間は自由ではあるし、もはやそういった性癖を押しとどめている理性は限界寸前だった。もう、ウンコを食べたくて仕方がなかったんだ。

俺は土下座して妻に頼み込んだ。

「頼む、ウンコを食べさせてくれ。できれば目の前でしてくれ」

こう言った。妻は??????という顔をしていたが、俺が新聞紙を広げてここでしてくれという具体的な話に当たると冗談ではないと分かったようだった。

拒否られて離婚を切り出されることすら覚悟していたが、妻は意外にも乗り気で「それで興奮するなら、いいよ」とのことだった。本当に嬉しかったし、この子結婚して良かったと心から思った。

それからペット用のトイレシート(新聞紙漏れた)のまえで脱糞してもらい、それを食べるのが朝の日課になった。いっておくが、ウンコの味は本当にひどい。ネチャネチャと歯に絡みつくし、後味は数時間続く。だがそれ以上に興奮した。これを書いてる今も興奮している。

不思議なことに食糞を始めてからは持病であるアトピーも驚くほど良くなり始め、精神状態も今まで一番良いぐらいな具合に回復した。職も親父の会社になんとか入れてもらうことでどうにかなりそうで、本当に良かった。

こう書いてみると、食糞とは愛ではないのかと思う。そう、ウンコは愛なのだ。なぜ日本もっと食糞流行らないのか不思議でならない。本当に妻とウンコには感謝している。ありがとう。みんな、これからよろしくな。

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