はてなキーワード: 有頂天とは
僕は焼き肉を食べに行く約束をした前日は夕飯を豆腐と漬け物で済ませます
朝起きたら何も食べないし昼も食べません
焼き肉は18時から予約(1人8000円くらいする高級な焼き肉屋さんです)しているのでお昼過ぎにはジムに行って小一時間筋トレをして小一時間ランニングをして小一時間プールで泳ぎます
この時点で腹ペコなのですが運動して汗を流した後なので食用はそんなにありません
午後16時家に帰るとおもむろにビール(発泡酒350ml)を飲みます
そこですかさず一言「いやー、おれ今日まだ一食も食べてないんだよね!たくさん食べちゃうぞ!」と言うと
えぇぇぇええぇー!ぺぺぺぺ、ペヤングーーー???なになになに何言ってのぉおおおあああ????焼き肉だよぉぉおおあああおお?????腹空かせて来るもんだろ焼き肉はぁあああああ??、なにそれぇえええー??それお前みんなが腹一杯になったところおれがで豚トロとライスを追加したら「おれもう買えないわー。お前よく買うなー」とか言っちゃうやつじゃんんんんんん!!、!更にカルビを追加してご飯を書き込んだ後玉子スープ頼む時に「量が多いからみんなでシェアしようぜ!」って言ったら「おれもういいわー。もうなんも入んない」とか言っちゃうやつじゃぁぁあああん???、!、!?まじぃいいいぃいいー???!、?
若い頃は脱ぐ前提じゃないと顔を誉められたことがなく、そういう感じなので誉めてくれるのはごく一部の男性に限り、大半の男性と全女性からは総スルーされる感じだった。
ところが三十代後半、もういい歳になって顔なんか歳なりにシミシワだらけで、最近坂を転げ落ちるように老け込んできたよな……と自分でしみじみ思ってしまうくらいなのに、急に顔を誉められまくるようになってしまい、怖くなった。誉めて来るのは女性ばかりだ。
しかも誉め方がなんか恐いのだ。めっちゃ目を合わせてガン見されながら「増田さんってほんと美人でいいですよねー、羨ましいですー」などとねちっこく言われる。すごくねちっこく言われるんだ!私なんか悪いことしたのだろうか……。
酷い時なんか数人の前で詰られるように言われる。
「増田さんって美人ですよね!よく美人って言われるでしょ?そんなに美人だもんね!美人って言われるの当たり前過ぎてはいそうですねって感じ?ねぇ!ねぇ!ねぇ!!」
一体、何の恨みがあってそんな……。真に美人の人がそんな誉められ方というか、顔のせいで囲まれて詰られてるとか、イジられてるとか、見たことないけど、私だと何でそうなってしまうのか。
顔に「私って美人でしょー?誉めて誉めてー!」って書いてあるのかなあ、知らないうちに。
家族に言わせれば、
「誉められ慣れていなさそうで、ちょっと言えば有頂天になりそうな程度の顔」
だそうだ。なにそれこわい……。多くの人が同じ事を思って、とりあえず私を見たら顔をイジっとけと思った結果としてやたら顔のことを言われるってことでしょ。こわい……。
今度は日本モンキーセンターね…。
これも大統領選が関係しているのかしていないのか知らないけど、案の定と言うべきかこの時期にまたしでかす様な事をしたのね。
この様な気に入らないモノを何でも女性の権利や子供の権利と言う弱者の権利や人種等の人権問題を盾にして、難癖をつけるから世間から問題視され出しているのにね。
実際、赤十字やJAの一件から世間的にもフェミさんの方のおかしさが認知され始め、現にこのコロナ禍の時期においてもJRの一件や岡村氏の件に難癖をつける等をして、まさに自分達の思想や利益ばかりを優先して、他所や現状がどんな状況であろうがお構いなしと言う事を世間的にも露呈し続けたしね。
保守系、俗に彼等の言う所のネトウヨやネトサポは迷惑ではあるけど、選挙などで自身に有利な結果が出れば、ネットの関係ない所まで煽りに来る程度でリアルな意味では実害はほぼないけど、フェミさんや反差別等のリベラル左翼系に関しては少しでも有利な状況になるとチャンスと思い、すぐに増長しだして、自分の活動に利用しようとしたり、現に過去でも国連やら米国やら海外やらと言う風にまさに強権を元に自身の思惑を迫る虎の威を借る狐みたいな行動をしたり、世間に対してもその女性や子供の権利やら人権やらを盾に条例や法による規制や厳罰化、或いは自主規制の強要をすぐに行おうとしてくるのは事実なんだよね。
その上で今回のコロナ禍において、この手の人達は日本においても上記の様な行動を起こし、スペインではフェミさんのデモでコロナが拡大したと言う記事が出たり、米国においてはそれこそあの黒人デモをこの時期に起こし、尚且つ、人権を盾にディズニー等のアニメ会社等に自主規制を強要する様な行為すら迫ったりした上で、やっとコロナが鈍化傾向が出てきた時にまた事件が起こったと言い、黒人デモをする様な事を平然とする点を見てもまさに周りがどう思おうが知った事ではなく、自分本位の考えで行動に移すと言う点が如実に現れていたからね。
黒人デモに関しては当初はニュース記事でもデモとコロナの関係性が指摘されていたのに彼等に不利になり始めたからか知らないけど、突然、論文だの保険局だの出てきてデモとコロナの相関性はないと言う報道を必死で弁護をし始めるようになったからねぇ…。
こんな時期にデモと言うコロナを拡散させかねない行動こそ問題視されていたのに論点ずらしをしている点は当時読んでいてどうかと思った。
そしてその後も米国でコロナが少しはマシになりかけた頃にそのデモと言う行為こそが問題視されているのにまた同じような行動をする様な事をみてもこの人達自分が悪いとは一切思わないのかなと思う。
そして米国は今や1日10万規模で米国は出ているみたいだしね。
正直この辺のリベラル界隈の行動の習性が世間的にも認知され始めたから、保守系以外の人からも警戒されたのはある。
そしてその大統領選においても今回最低限の報道の中立性の観点や倫理面から見てもその辺の最低限のルールすら投げ捨てたかとしか思えない、余りにも露骨な偏向報道を朝日や毎日、NHKとかは行っていたけど、案の定、有利になるや否や有頂天になっている様も今回見ていて良く判った事だからね。
また今回米国や日本のマスメディアだけでなく、他国もこんな感じの所があったみたいな記事もちらほら見かけたしなぁ…。
その後の報道を見ていてもパリ協定やグレタ氏とか何故か突然話に出てき始めていたのを見ても大方国連関係に関係する人達も暗躍していたのだろうなぁ…と容易に想像ができるのもね。
環境問題についても国連やらこの手の人達が絡んでから本当の意味でおかしな方向に行っているのは事実だからなぁ…。
排出権とかレジ袋有料化とか一般人の利便性を損ね、逆にCO2を増やす等、役に立たないとか様々な問題点を指摘されているのは事実。
何にしても米国の選挙の事で平時でもないのに国内の事を蔑ろにして露骨なまでにマスメディアが世論操作ばかりしてきた事や現にフェミさんや反差別、ポリコレ等のリベラル方面の人々が世間がコロナ禍で大変なのにも関わらず、自分本位な権利等を盾にして、世間に対して抑圧するような行動ばかりしているから、逆にこの人達の行動こそが懸念されるような事になっているのだと思うよ。
今は特に平時ではなく、コロナ禍なのに空気すら読まずにこの様な世間に迷惑をかける行動ばかりしていたら、米国や世界はどうあれ、日本においては自身の信用を失い続ける結果を招く事でしょう。
1 声の出演:名無しさん 04/07/20 21:04 ID:kd4r+Djf
当時大学3年生だったオレはGS美神のおキヌちゃんをやってたマリ姉に出会い、
即効でファンになった。元々合コンや女の子とは縁のない生活だったが、
毎日マリ姉の歌を聴き、毎週ラジオも聴き、もちろんハガキも出しまくって
嬉しくて本気で涙が出た。人生で最高の喜びだと有頂天になって、帰り道一人で吼えてた。
地元の役場の事務に就職した後も、それだけが楽しみで生きてきた。
他の事は考えようとしなかった。結婚も、彼女も、友達も、そんなのは関係ない、いらないと思ってた。
そして去年の9月。
目を疑った。絶対ありえない、絶対ありえない。死んでもありえない。
マリ姉と釣り合わない、失礼だ。ふざけんな。ふざけんな。一週間仕事を休んだ。
失意の内に半年が経った。もうラジオも聴いてない。会員番号2ケタ前半のファンクラブも辞めた。
最近になってようやく、俺も自分の幸せを掴もう…そう思えるようになってきた。
だけど俺には何も残ってなかった。20代という多感な時期に何もしなかったんだ。当たり前だ。
マトモに他人と喋ったのはいつだっただろう。女の子とおしゃべりをしたのはいつだっただろう。
恋について、結婚について、そして人生について最後に考えたのはいつだったんだろう。
残ったのはブサイクで汚い30代の中身スッカラカンな男。それだけ。
こんなのが今更どうやって幸せ掴めってんだ。声優のおっかけは何も生み出さなかった。
それに今まで気づかなかった俺は最高にバカだ。
数年前から一次創作が好きで、某サイトで細々と小説を書いている。あまり反応は多くないが、それでも完結したときに貰える感想はとてもありがたかった。コメントしてくれた人の作品を読んでこっちからもコメントする等を繰り返していたら、いつの間にかコミュニティが出来ていた。
はじめは進捗や新作への悩みを載せるツイッターを数人からフォローされたことだ。作品のコメント欄よりもツイッターの方が声をかけやすいのか、そっちでは色々な意見を聞けて面白かった。
最近、一年ほど連載していた小説が完結した。プロットを書き終えてから本編を練るため、進捗やちょっとした悩みを呟いたときに貰える意見を少し参考にしつつ、自分の書きたかったものを満足に書けた。
その作品には結構な反応が来ていて、応援リプや考察ツイートまでしてもらっていたので、「応援してくれていた方々、ありがとうございました」と作品のあとがきだけでなく、ツイッターの方でも書いた。
そうすると、「完結おめでとうございます」や「面白かったです」という社交辞令じみたリプライや、内容に触れつつ感想を述べてくれるリプライが来た。どの作品よりも多い反応が貰えて、私は有頂天だった。
そこで一人から、よければ人物相関図やプロットがあれば見せてほしい、という言葉を頂いた。無論作品を書く前にそういったものは予め作ってあるので、書き込みが多く汚いけどと断りをいれて公開した。
すると、その人物相関図を見せてほしいと言ってきた人とは別の人から、「◯◯と△△ってお互いにこう思ってたんだ!さすが推しカプ」と言われた。(原文ママではないが、まあこういうニュアンス)
ん? ってなった。◯◯と△△はどちらも男。それも、恋愛関係ではなく、ありきたりだが互いに切磋琢磨していける関係に過ぎない。(だが途中で△△の方は死ぬ)
人物相関図にもそのような旨だけが書かれていて、どこにも付き合っているなんて書いてない。カップルじゃない。
ツイッターはほとんど自分からの発信しかしておらず他人の投稿はあまり見ていないため、その人が腐女子だと気付いていなかった。というより、腐女子だという旨がどこにも記載されていなかった。ツイートも遡ったがどこにもそんな雰囲気もなく、作品にもそれらしい表現はなかった。
私は同性愛者への偏見はないが、腐女子は正直に言えば苦手だ。それは確かにツイッターにもサイトのプロフィールにも書いていないが、誰が自分の作品を腐フィルター越しに見られると想像するのだろう。
これからは作品にそういったコメントをしないでください、と言った方がいいのだろうか。腐フィルターを通して作品を読むのはその人の権利なのでそこを責める気はないが、私には伝えないでほしい、と思った。
当時大学3年生だったオレはたまたま配信で見かけたココ姉に出会い、
即効でファンになった。元々合コンや女の子とは縁のない生活だったが、
それからはココ姉の為だけに生きてきたようなモンだ。
毎日ココ姉の歌を聴き、毎週ラジオも聴き、もちろんハガキも出しまくって
ファンやって二年目、スパチャで俺の名前を読み上げてくれてた時には
嬉しくて本気で涙が出た。人生で最高の喜びだと有頂天になって、帰り道一人で吼えてた。
地元の役場の事務に就職した後も、それだけが楽しみで生きてきた。
他の事は考えようとしなかった。結婚も、彼女も、友達も、そんなのは関係ない、いらないと思ってた。
そして去年の9月。
目を疑った。絶対ありえない、絶対ありえない。死んでもありえない。
ココ姉と釣り合わない、失礼だ。ふざけんな。ふざけんな。一週間仕事を休んだ。
失意の内に半年が経った。もうラジオも聴いてない。会員番号2ケタ前半のファンクラブも辞めた。
最近になってようやく、俺も自分の幸せを掴もう…そう思えるようになってきた。
だけど俺には何も残ってなかった。20代という多感な時期に何もしなかったんだ。当たり前だ。
マトモに他人と喋ったのはいつだっただろう。女の子とおしゃべりをしたのはいつだっただろう。
恋について、結婚について、そして人生について最後に考えたのはいつだったんだろう。
残ったのはブサイクで汚い30代の中身スッカラカンな男。それだけ。
こんなのが今更どうやって幸せ掴めってんだ。Vのおっかけは何も生み出さなかった。
それに今まで気づかなかった俺は最高にバカだ。
つらーっと上澄みだけ読んだ結果、凄く良くできた秀作だなあと。下の増田が言うように天才ではないけど、まとめる才能がないとあの構成できないから。間違いなく学習型の才能。つまり秀才。
主人公への出題の仕方がいいんだよ。要するに主人公への問題提起とその乗り越え方を演劇の技術論を通しつつ語ってゆく。片方づつではなく同時にやるのがうまい証拠。並の作者の場合技術論と心象風景が分離する。更にこの原作者には余裕があって、銀河鉄道のメタ発言をキャラの思惑に乗せて、作者が言いたいであろう心情を上手にカモフラしつつ物語のメッセージ性へと昇華している点。その中でキャラの相関と化学反応を上乗せして物語の難読化を図っている。たった1~2巻程度しか登場しない演出家兼脚本家大御所と、その男によって人生を台無しにされた女優の凄絶で深い愛憎なんかもよく言葉少なに語れるもんだと思う。大変うまい。圧倒的経験値。
ただ巧み味走りすぎて誰にも寄り添ってない感じがして、自分は揺さぶられないと言うか。まさに表面上のカメラ写りと演技を知り尽くしたサブヒロインの彼女のような、達観した気持ちで原作者が描いてると思うんだよね。だから自分の才に溺れて有頂天になった結果今回の事件かなと。個人的に「強制」じゃなけりゃ性的交渉は単なる商取引に過ぎないので良いと思ってますが、強制はまあなあ……。
リスカとか自傷する人はよく「かまってちゃん」だと認識されてる。
理由として一番納得できるのが「注目を浴びるため」なんだと思う。
でも実際は多分違う。
誰にでも最高に楽しかった瞬間はあると思う
そういう時、人間は脳の奥からジワジワ喜びが湧いてきて気持ちがよくなる。
最高!ハッピー!なんも考えられない!
つまり苦しいことが忘れられる
自傷はそういうハッピーな状態を手軽に得られちゃう行為なんだよね
でも世の中には生きてるだけで苦しくて、呼吸と同じくらい死にたいと考え続けてる人がいる
そういう人たちが自傷をすると、痛みを打ち消すために脳が出す物質で少しだけ苦しみを忘れられる
だから、自傷っていうのは目立ちたいからするってよりは生きるための麻酔なんだと思う
つまり何が言いたいかっていうと、自傷する人に「かまってちゃん乙!」っていうのはやめといた方がいいよってこと
誰しも自分の人生で精一杯だろうし、わかってあげてとは言わないけど
自傷してる人は既に溺れかけてる人だから、そこに暴言を吐くのは頭を水の中に沈める行為に等しい
やっても後味悪くなるだけで得はなんもない
もし自分の周りに自傷してる人がいて、助けてやりたいって気持ちがある人がこれを読んでるなら
「自傷行為なんてやめて!」って言うことは思いやりじゃないかもしれない
その人から生命線を奪おうとするってことにもなり得るから、まずはその行為を否定せずに話を聞いてあげるのがいいんじゃないかな
世の中、もう少し心の内を話し合って認め合うだけで避けられた悲しみが多い気がするから何となく書いた。
何度も言うけど自傷行為は推奨してない。少しでも苦しい気持ちを吐き出せる人が増えたらいいな。
おわり。
えー、初めまして。年齢はそこそこ。結婚する気はない人種です。
まず最初に、今ある仕事をやめて視野を広げたいと言うので、こちらにきてはどうかと提案しました。彼女は地方で私はどちらかといえば都会の方です。
1回目の面接を落ち、2回目の面接で見事就職が決まりました。さて、住む場所をどうしよう?私は(今となっては最大な誤算であったが)彼女は気配りもでき、年上の私をリスペクト(同じブランドの服を買ったりなど)してくれる子でしたので、彼女を我が家にすまわせる事にしました。
我が家は1LDK、はっきりと言って家賃としては高いです。そして彼女は就職前にこちらへ引越し、無職の間は私が家賃、光熱費等を全て負担いたしました。
ここで引越しの件。もしあなたが自分の愛娘を他所様のお家に預けるとして、一体何をするでしょうか?私であれば菓子折など、もしくは夕飯を御馳走したりなど、少しでも感謝を伝えたいと思います。
そしてそれは一切ありませんでした。彼女は私のベッドで寝て、引越しを手伝った父親は来客用の布団で寝、私はソファーで寝ました。
そして彼女がやっと仕事を始め、家賃として渡されたのは総額の3分の1でした。
それは構わないです。それぞれ給料が違いますから、でも何も相談なしに3分の1はおかしいと思いました。私であれば半分は行かずとも、4割は払いたいと思います。だってすまわせて貰っている状況ですから。
さておき、ここから彼女の態度が一変していきます。まず家に帰れば部屋が真っ暗で寝室を占拠している。
休みは別なので、私は土曜、それこそ家事に勤しみました。掃除機をかけたりトイレ掃除など、しかし共通の休みである日曜日、彼女はまだ寝室を占拠。
彼女曰く、私が10であるならば己は2であるとのこと。納得いかないままも、私は元気が有り余っているので笑 それでいいと承諾しました。
体調が悪い時はポカリなどを買って帰り、簡易湯たんぽなどを作り彼女を解放したこともあります。
逆に私が生理痛で布団に横になっているとき、30分ほど経ってようやく小さな湯たんぽを投げてきました。
そして半年が過ぎ。我が家のヒエラルキーは彼女が握っていました。
私は給料が不安定な職業でしたので、彼女に4割を負担してくれないかと頼みました。そして給料日、彼女が渡してきたのは3割でした。「いや、4割だって言ったよね」と言うと彼女は渋々残りを渡してきました。
そしてその月に私は自分のスニーカーが少しボロボロになっていたので、ネットショッピングで割引になっていたものを注文しました(ナ●キです)
元々厳つめのハイカットが好きな上に、セール価格で買えて有頂天の私に彼女は言いました「増やした家賃で靴を買ったように思える」
いや、それ関係ねーから。そもそも私が多く負担しているの気づいていますでしょうか?水道代、電気代、NHKの支払い。その他もろもろ。
そして体調が安定したのか、彼女は毎晩モンスターをハンターするゲームに夢中でした。私もそれを買っていたため、一緒にやりたいと言っても四人集まっているから無理。まれに参加できても、その防具でよく行こうと思ったね。など、ライトユーザーを無碍にしました。
そうしたら彼女と、共通の友人である二人から責められました。何がしたいのかわからない。
私はただ、これ以上面倒な事になるなら、卒業すればいいと思ったための行動でした。
そして共通の友人(Aとしておきましょう)は酷く怒り、私の弁解を聞く気もなく。Aとは10年の付き合いです。さすがに勿体ない、と思い彼女に仲裁を頼む事にしました。
そして仲裁を実行されたのが彼女がAの家に泊まりに行った時です。どう考えても公平ではない。人間、側にいるものに対してそちら側に夜のは当たり前です。
そうして私は10年友人であったAと切れました。
そして「側にいるもの〜」に対して友人に指摘した時彼女は「私は中立である。そうできている」と言いました。いやいやおかしーだろうがよ笑
これから彼女の行動はエスカレートしていきます。毎日ゲームをし、それこそ大声でボイスチャットです。家主の私は静かにダイニングテーブルでイヤホンを挿し、youtubeなどを聞いて過ごしました。
たまに、同じ趣味であるバラエティを一緒に観よう?と誘ってみてもゲームやるから観ない。とのこと。
そしてようやく彼女が新居を見つけたと言う時、引越し前だと言うのにやはり大声でゲームをしていました。
(余談ですが、彼女の具合が悪い時や寝ている時は部屋を暗くし、イヤホンでゲームなどをしていましたが、逆に私の具合が悪い時、彼女は大声で2時まで電話をしたり明かりをつけっぱなしで遊んでいました)
私はSwitchを買ったと言う距離の離れた友達と、やっとあつ森ができると言うので、ラインで会話をしながら久しぶりだね!などと話していました。そうすると友人は立ち上がり、うるさいと述べ、イヤホンをしろと要求してきました。
友達はそれに遺憾し怒っていましたが、仕方なくイヤホンをし、二人で島生活を楽しみました。
この時点でヒエラルキーの頂点は彼女です。周りは私が優しいばかりに…と慰めてくれました。付け上がらせる要因があったのは仕方ないと思っています。
そして彼女が家を出て行った後。(なぜか大量の燃えるゴミを処分させられたのは言うまでもありませんが、甘えんなよ)
私はふと、家賃で靴を買ったと言うことを他の誰にも言わないように、と思いました。
何分、誰しもそんなことを言われればかなり腹が立ちます。私は言われた時に聞こえていないフリをしましたが、もし他人であれば大喧嘩になること間違いない上に、彼女の質さえ下げない言葉です。
今思えばこの考えは浅はかだったかもしれません。
その旨をラインで送り、帰ってきた言葉は論点がずれている、だの物事を歪曲されて捕らえられるの嫌なの、など。
まずこの時点で私の忠告を聞く気がないのがわかりました。私は冷静に説明をしますが、彼女はバーサーカーモードで一切こちらの話を聞きません。
私の善意はただのお節介だったようで、全く響かず、向こうが先にこんな事に時間を割いてられないと放棄しました。
(ちなみに、心療内科の先生に見せたところ、向こうの論点が外れまくっているとのことでした)
こちらの話も聞かない。忠告を忠告と受け取らない。何か言えば屁理屈で帰ってくる。そもそも会話が成り立たない。
と、言うわけで、私は彼女に最終宣告をしました。お前とは一緒に酒を飲むような仲になっても不快だよ。と
いや〜〜〜すっきりしました。その後Twitterで「人の話を曲解しまくって悲劇ヒロインぶって最後には同族しか残らない」
好意でパスタソースを引越し前に渡したら「私もいらないパスタソースでただのゴミ」といっていたそうです。私はともかく食べ物にゴミはねえだろ。
半年以上、彼女に気を配り少しでも楽になればと手助けしていた私の好意は一瞬で無駄になりました。
はい、と言うわけで、猫被りちゃんが同棲してみたらクソ野郎だった話でした。
(ちなみに、友人からはそれDVだよ。と言われ…これがDVかあ…と、DV処女を卒業した事に気づいたのはそれから少し経ってのことでした笑)
もう記憶があやふやなくらい遠い昔、同じゲームが好きで話すようになった女の子のことをひたすらに大好きだったんです。
その女の子が他の子と遊んでいたらその子達が死ぬほど憎くなるくらい、その女の子がプールの自由時間に一緒に遊んでくれなくてガチ泣きするくらい、それを気に病んで髪をハサミで切るくらいには大好きでした。当時の幼い恋ですから、自分勝手な気持ちです。ただただ彼女が好きというだけで、特段彼女側の視点に想いを馳せない身勝手な恋をしていました。
あの頃を思い返してはっきり仲が良かったと言える子はもうひとりいました。その子に対してはフラットに友情を抱いていたのです。今でも親友、盟友と自負しています。お互いに。だからこそ、初恋の子への想いはくっきりと友情から区別されるものだとわかったのです。
何故この恋が特別だったかというと、これを10年くらい引き摺ったからです。中学が別になったので、彼女と一緒に過ごしたのは2年ぽっちでした。それでも中学の頃はやたら長い電話をかけたり地域のお祭りで会ったりしていましたが、高校生になると私も部活で忙しくなり接点はなくなりました。あの頃はLINEがなく電話とメールしかないし、そうなると連絡は自然と億劫になります。それでも心の奥底で好きだったんです。ずっと。毎日最低一度は彼女の名前を思い出しました。時には彼女の顔や言葉を思い返してきゅんと締まる胸を押さえました。事あるごとに彼女の名前を呟いては思い返していました。今思えば執着みたいなものだったのだろうと思いますが。
人生色んなことがあります。中学の頃は部活の女の先輩が大好きで年中ひっついてましたし、大学生の時は短い期間ながら彼氏がいました。だから初恋は執着に形を変えて心の奥底に寝そべっているような感触であったのです。大きなかたまりの感情はあれど、彼女の名前を毎日思い返せど、それでも終わった恋だと思っていました。
大学何年生だったか、彼氏なる存在と別れてしばらくした頃、ふとLINEの友達を整理していて心臓が飛び出そうな感触を味わいました。電話番号による自動追加か、友達欄に「彼女」の名前があったのです。震える手でメッセージを作りました。なんでもないような感じで、「やっほー!もしかして○○ちゃん?」と。そんな些細なメッセージを作ったはいいが、いざ送るのにはまる1日かけて悩みました。軽いノリで行くべきか丁寧に行くべきか、怪しまれない言い訳をどう盛り込むか、そう考えている時点で下心ありありなのではなどと、様々な思いが去来していました。
ええいままよとLINEの送信ボタンを押した時の手の震えと、返信が来た時の高揚感をまだ覚えています。「彼女」と現状の話をぽつぽつと送り合うたびにときめきが胸を吹き荒れていました。まだ、好きになれたんだなと実感されました。
雑談を続けていたらトントン拍子に「今度の休みに遊ぼう」という話になっていました。しかも向こうからの持ちかけで。もう有頂天でした。色々と忙しい時期だったのですが、テンションMAXで浮かれていました。
遊ぶ日の当日は、めちゃくちゃ服を悩んだりメイクを調整したりと、恋する乙女そのものでした。ハイテンションにこれまでの年月について語らい、私にとってのデートを心から楽しんでいました。私より背の高い彼女を隣から見上げる時の、甘酸っぱいような感覚をまだ忘れていません。
このような浮かれ方をしていたので、まさかその日のうちにこの恋が冷めるとは思ってもみませんでした。2人とも少し歩き疲れ、お茶にしようと喫茶店に入りました。様々な話題をぽつりぽつりと話すうち、人生の話がちらほらと混じり始めました。何故かこの年頃の女性と長く話すと、なりがちな話題です。私は当時学生でしたが、彼女はもう働いていました。かなりハードな職種、悩まされる人間関係、今後の人生の方向性。話を聞いているうちに、恋愛観の話題になりました。「好きな人に男も女も無いんだよね」と彼女が自然に言った時、私は踏み込まれたような気持ちになりました。彼女のことを一方的に好いている自分に後ろめたさを感じるような、そんな感情です。私は彼女の眼中に入らないからこそ、好きでいたのでは?とまで思考が回るほど、私は混乱していました。ただ、彼女は言葉を続けました。「でも女の子は『やりたい』って気持ちになれない。そこが大事だと思うんだよね。だから恋愛では無いかな」と。
ドライアイスが溶けて昇華されるような、心臓の奥にたまっていた愛着の塊が、10年かけて作られた塊がその一言で一瞬のうちに消えました。
自分でも動揺するくらいあっさりと、彼女に対する恋愛的な「好き」の気持ちが消えたのです。
ああ、相手が範疇にないなら、その可能性すらないなら私は色恋として好きにならないのだなと、瞬間的な悟りを得ました。「そうなんだね」とあくまでストレート(用語)のふりをしながら、私は相槌をうっていました。バイの私にとって「恋愛対象の」女の子は全然「やれる」相手であることも、そう彼女を思ってきたことも、ひた隠しにしてただ当たり障りのない会話を続けました。
決定的な溝を前に恋愛的な「好き」が消え、彼女に対する気持ちにはもう1人の親友とまったく同等の「友情」だけが残っていました。
また遊ぼうと軽く言い交わして別れた後、私は全くフラットになった自分の心のうちに困惑していました。これまでの毎日、本当に、彼女の名前を忘れたことはなかったのです。10年以上執着を持ち続けて凝り固まった感情が、こんなにもあっさりとなくなってしまうとは。このようなことを人生の中に予測したことはありませんでした。たった一言で私の見る世界は一転し、拠り所のないふわふわとした気持ちで、帰路を歩んでいました。
こうして私の初恋は終止符を打たれたのでした。
構ってもらえなくて泣くくらい、LINEの返信を心臓の高鳴り抱えて待つくらい、10年以上その想いを抱え込むくらい大好きだった彼女への恋愛的な「好き」が、一瞬で跡形もなく消え去りました。
未だにその子に対して恋愛感情を持っていた記憶は残っています。未練のようなものではなく、さっぱり消え失せてしまいはしましたが、思春期、青年期にかけて私の心にぽたぽたと垂れ続けて形作られた雨だれが作ったあとが、埋めるものもなくその形が残っています。彼女を愛した記憶ごと、最早私の人生であったわけです。
今後、私が生き続ける限り、彼女を愛した年月は人生の中に占める割合を減らしていくことになります。それでも私を形作るにあたり基礎の部分に混ぜ込まれたことに変わりはありません。石を穿った雨だれはもうなく、ただその跡を残したまま、その上に今後の人生を積み上げてゆくのだろうと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20200629213448
おけパ中島がバズリ
https://twitter.com/sanada_jp/status/1269465337675698176
https://anond.hatelabo.jp/20200706042509(感想屋そのものには誘導したくない)
要約すると、
『とても文章力のある感想書きが界隈を席巻してしまった』という内容の愚痴増田が話題になる
↓
神字書きと字書きを題材にした創作漫画の登場人物『おけけパワー中島』に注目が集まる
↓
有償でポジティブな感想を書きますと言いだした『感想屋さん』を名乗る人物が、サービス内容の不備や文章の稚拙さおよび返金対応への不誠実さなど千々に炎上
ここ一週間ほどの間で、以上のような文脈が発生した。
この結果、感想屋という文言に幾つかの意味合いが発生してしまい混乱を招いたり、炎上したものと似た屋号のサービスへの悪影響が心配されたり、純粋な長文感想書きが誤解から心を痛めたりしている。このあたりは個々に注意されたし。また、有償の『感想屋さん』の問題点については羅列していったらきりがないので、特別に記述はしない。
前置きが長い。
私はオタクである。特に創作はしていない。時折、特に萌えを感じた時に短文を書く程度の人間である。昔長文を書こうとしたが冒頭三千字を書いたあたりで挫折し放置している。その上特に交流もしていないし、感想も書かない。一言で言えば、ROM専である。
それなのに、私には妙な自信があった。それは言葉にするならば、「俺だって本気出せば書ける」。小説はそれなりに読むオタクだから、ちょっとした文章ならば書ける。商業のような文章は無理でも、なろう程度なら。書評は無理でも、紹介文くらいなら。また嫌なことに、学生時分は図書委員会だの新聞委員会だので短文を書いて「本を読む人だから文章がうまい」と言ってもらって有頂天になったりしていた(今自分で思い出して、あれはお世辞だったのだろうと恥じ入っている)。
そんな私が、ここ一週間の流れを追って、何を思ったか。
まず増田を読んで、二次創作するオタクは大変だなあ、と他人事のように思った。
二次を書き、二次を読み、交流し、その動向に一喜一憂する。どうも大変そうだ。ROM専はその点気楽でいい。だが、まあ、感想というのは良くも悪くも人に影響を与えるものなのだな。時には感想を書くのも、善行かもしれない。そのように思った。
次におけパ中島に触れた。
最初は創作物として面白く読み、リツイートした。その後おけパ中島が話題になっていることを知り、もう一度、我が身我が事として考えてみた。私にとっての神とは誰だろう、おけパは誰に当たるだろう。実際に当てはめてみると、ツイッターでつぶやかれている感想は、なるほどもっともと思えるものも多々あった。私の悪いところは、ツイッターにすぐ感化されるところだ。オタクの嘆きに共感し、すぐに自分で考えついたように錯覚する。私は、まるで自分が主人公になったかのように(馬鹿げたことだ)酔いしれ、おけパ中島への薄っぺらい恨み節をツイートしてみたりした。
感想屋が出してきたものは、かなりひどいものだった。界隈のオタクの気持ちを踏みにじるものだったし、何より悪文だった。それは野次馬である私にさえわかるものだった。下手くそで、金を取るような文章ではなかったし、そも人に見せられるような文章ですらなかった。
その程度の文章に、私はひどく動揺した。
何が私に衝撃を与えたかって、それは、その悪文が、私の書くものに途方もなく似通っていたことだ。
いや、あそこまでの悪文ではない。ない、と信じたい。下ネタを好まないゆえにあそこまでの下劣さではない、はずだ。
だが、似ている。文章の構成が、筆の運びが、何より配慮の欠けた思考回路が。私もかつてこういう文を書いて、自信満々に教師に提出したことがなかったか。こういう感想を、臆面もなくファンレターとして出しやしなかっただろうか。その稚拙な文章が他人を傷つけていたかもしれないことを、否定できない。
それは、他人よりも本が好きだという自負だ。小説を読むのが好きなことと、文章を書くのが得意なことを、取り違えて混同した、おぞましい勘違いだ。その上、私が読むのは『他人に比べて』多い程度であって、誇れる程ではない。何一つ、誇れることなどなかったはずだ。眼高手低とはこういう事を言う。
私は自分の文章に向き合ったことがあっただろうか。何度も推敲し、多面的に読み直し、練り上げた文章を書き上げたことなど、一度でもあっただろうか? そう問うてみれば、一度もなかった。この文章だって、ほとんど読み返さず、激情のままに綴っているだけだ。プロットも、描写力も、考えて作ったことなど、一度もない。
私自身が、物事を考えたことはあっただろうか。物語を読んで、薄っぺらい表面的な理解をしてすべてを分かった気になったことは。まるで自分で考えたかのような顔をして、他人の考察を口にしたことは。私は、私自身の無能と向き合った事が、これまでに一回でもあったのか?
これは恐ろしい事だ。誰かにとって恐ろしいのではない。タイムラインのオタクにとって恐ろしいのではなく、創造上の誰かにとって恐ろしいのではなく、私にとって恐ろしい。誰かではない。私の恐怖だ。私の足元が崩れ、私の心が崩れている。他人事ではない。それが、こんなにも恐ろしい。
私は今、パソコンでエディタを開いて、この文を書いている。隣にはもうひとつウインドウが開いていて、そこはまだ新規ファイルのままで、まっさらだ。そこに、小説を書いてみようと、思っている。
私は感想屋にすらなれない。
『なれなかった』と、過去形にしたい。今、切実にそう思う。せめて自分に誇れる自分でありたい。
そして、今度こそ。
自分で読み返してひどいな、これ。
河井夫妻の事件について、元国会議員の豊田真由子さんや、金子恵美さんが地元でのカネ配り(先輩議員に地方議員にカネ配れとアドバイスされた)について発言しているので、地方議員側からの話をします。
もともと、業界には与野党問わず「目配り、気配り、カネ配り」という言葉があって、この3つができる政治家が優秀な政治家だとされていました。
でもそんな話は中選挙区時代(~1993年)であって、今はこの言葉すら死後になっています。
今の話をする前に、すこし中選挙区時代の話をします。カネ配りはこの時代に盛んに行われたので。
中選挙区制は選挙区の人口によって定数が決まっていて、選挙の上位2人~6人くらいが当選します。なので、ひとつの選挙区から同じ政党の候補者が何人も出馬します。たとえば群馬3区では当選議席数が4で、自民党からは3人(福田、中曽根、小渕)が出馬します。
有権者や、地方議員からすると、同じ自民党の候補者なので、3人に基本的に政策に違いがありません。3人の候補者は政策的な差別化が図れないので、「あの道路は俺が作った」みたいな、どれだけ予算を地元に持ってきたか(利益誘導政治)がアピールポイントになります。さらにその先が、直接的なカネ配りだったり、選挙事務所での食事だったりするわけです。とにかく政策では差がないので、政策以外の差が得票になるのです。
旧群馬3区では選挙メシも有名でした。福田料亭、中曽根レストランとwikipediaの「上州戦争」でも書いてありますね。私の選挙区でもオヤジの話を聞くと、昔は選挙事務所で鰻重が出た、なんて聞きます。うなぎ食べたい。
参議院の選挙は都道府県によっていまでも中選挙区制なので、制度的にはこうなりやすいです。現に河井さんの広島も改選2議席で、自民から2人でたからね。しかもアンリさんは新人で実績(利益誘導)をPRできないから。
戦後、そんな選挙がずーっと続いていたのですが、1988年のリクルート事件が発覚して、カネと政治をめぐる事件が立て続けにおこりました。それで、なんでこんな金権政治になるんだろうと考えたところ、中選挙区制が原因じゃろう、となったのです。
派閥の親分が無理してカネを集める→系列の国会議員に配る→地元でカネが飛び交う のが中選挙区制の行きつく先だったのです。
それでついに1993年の選挙で自民党は大敗し、細川護熙内閣が誕生します。細川内閣は、政策も理念も異なる8会派が集まってできた内閣で「8頭立ての馬車」、7政党に大臣ポストを振り分けたので「レインボー内閣」なんて言われました。この内閣の唯一の政策の共通点は「政治改革」で、結果としてこの内閣のもとで中選挙区制をやめて、小選挙区制にします。
このときに行われた政治改革のポイントは2つです。1つは小選挙区制(1つの選挙区に各政党は1人しか公認しない)にすることで、カネではなく、政策で勝負する選挙構造にすること。もう一つは政治献金に大きな規制を設けることで金権政治の元凶であるカネ集めをできなくする、その代わりに税金から政党交付金(約300億円)をつくってこれを各政党に分配するということでした。
この政治改革から約30年、選挙は確実に変わりました。カネ配りも、選挙事務所での豪華メシもなくなりました。石破茂さんも雑誌とかメディアのインタビューで「小選挙区になって、お金は確実にかからなくなった。誰でも議員に挑戦できるようになった」、「中選挙区制だったら私は議員を続けていられなかっただろう」って何度も言っています。そりゃそうだよね、自民党から1人しかでないなら、カネ配んなくても地方議員はその人応援しないといけないもん。
だから、我々自民党の地方議員も、河井夫妻の事件をみてビックリしています。なんて昭和なんだろうって。うちのじいさんのときの話みたい。
んで、本題に入りますが、もちろん、地元の代議士からお金をもらうことはあります。年間10万円くらい。
正確には、党勢拡大のための組織活動費として、自民党選挙区支部(代議士が支部長)→自民党地方総支部(代議士か県会議員が支部長)→自民党市町村第XX支部(増田が支部長)という形でお金がきます。このお金は政治資金規正法に則り、年にいくらもらって、年にいくらつかったかを報告義務があり、その収支報告書はウェブでも公開されています。もちろんお金を受け取ったら領収書を発行します。
地方議員は国会議員と違って、給料以外の集金の手段(政治資金パーティーや政党交付金)を持たないので、基本的に活動はすべて自腹です((野々村竜太郎県議が城崎温泉に行って有名になった、政務活動費という税金が原資の経費があるが、一連のスキャンダルで使途についてチェックがえらく厳しく、文房具か交通費か広報紙くらいにしか使えない。せめて議員として招かれる団体の会合の参加費には使わせてほしい。))。一方で国会議員は給料以外に、文書通信費で1200万、立法事務費で800万、派閥から数百万、党本部から2000万(政党交付金)、パーティーで2000万と、だいたい年間6000万くらい集金できるので、それを原資に活動しています。どこの選挙区でも、与野党問わず、国会議員の支部から地方支部(=地方議員)に組織活動費を出します。代議士は国会が開かれる1~7月、10~12月は永田町に行っていて、週末しか地元にいませんので、その間、地元で党を守り、地域の声を直接聞くのは地方議員ですから。会社組織でいうなれば、本社から支店に補助をだしてるみたいなイメージ。
冒頭の豊田真由子さん、金子恵美さんの発言(先輩議員から地方議員にカネ配れとアドバイスされた)はこの収支に報告義務のある組織活動費の話と、領収書なしの裏金であるアンリさんのお金を混同していて、センスのなさを感じます。きっと、彼女たちはパーティーで集めたお金や、政党交付金を自分1人でガメていて、こうした党勢拡大の組織活動費を地方支部に出さなかったんでしょう。そりゃ落選するわ。
とまあ、河井夫妻の事件は自民党の地方議員もびっくりしているので、当たり前とは思わないでほしいです。
でも、仮にうちの代議士が、去年の統一選挙直後に「当選祝いです。領収書はいりません」といって、30万持ってきてたら受け取っちゃうよなーとはちょっと思う。
選挙ってそれほどつらくて厳しいもの(ほんとに毎回憂鬱になる。新人候補が思ってたよりつらくて途中でやめるのはよくあること)で、カネもかかるから金銭感覚もマヒしているし(普段なら絶対30万なんて怪しいとおもうけど、選挙で多額の金を突っ込んでるから感覚がマジでマヒしている)、当選の直後なんて超絶な解放感で有頂天だし(4年に1回の選挙、オリンピックでメダルをとった感覚をイメージしてほしい)、単純に「あっ、どうも、気遣いありがとうございます」って感じでご祝儀として受け取っちゃう。受け取ったときに「奥さんの集票のため」なんて思わない。広島の地方議員や首長が軒並み「集票のためとは思わなかった」って見苦しい言い訳してるけど(私ですらそう思うから、一般の人からするとマジで見苦しい言い訳にしか見えないだろう)、当事者だったらマジでそう思ってると思う。
当時大学3年生だったオレはGS美神のおキヌちゃんをやってたマリ姉に出会い、
即効でファンになった。元々合コンや女の子とは縁のない生活だったが、
毎日マリ姉の歌を聴き、毎週ラジオも聴き、もちろんハガキも出しまくって
嬉しくて本気で涙が出た。人生で最高の喜びだと有頂天になって、帰り道一人で吼えてた。
地元の役場の事務に就職した後も、それだけが楽しみで生きてきた。
他の事は考えようとしなかった。結婚も、彼女も、友達も、そんなのは関係ない、いらないと思ってた。
そして去年の9月。
目を疑った。絶対ありえない、絶対ありえない。死んでもありえない。
マリ姉と釣り合わない、失礼だ。ふざけんな。ふざけんな。一週間仕事を休んだ。
失意の内に半年が経った。もうラジオも聴いてない。会員番号2ケタ前半のファンクラブも辞めた。
最近になってようやく、俺も自分の幸せを掴もう…そう思えるようになってきた。
だけど俺には何も残ってなかった。20代という多感な時期に何もしなかったんだ。当たり前だ。
マトモに他人と喋ったのはいつだっただろう。女の子とおしゃべりをしたのはいつだっただろう。
恋について、結婚について、そして人生について最後に考えたのはいつだったんだろう。
残ったのはブサイクで汚い30代の中身スッカラカンな男。それだけ。
こんなのが今更どうやって幸せ掴めってんだ。声優のおっかけは何も生み出さなかった。
それに今まで気づかなかった俺は最高にバカだ。
そして朝っぱらからこんなグチをネットでしかこぼせない俺は最高に惨めだ。
是非俺を笑ってくれ。蔑んでくれ。そして自分の人生をもう一度考えるキッカケにしてくれ…
祝福はする。ただしもうファンは辞める
「付き合えるとでも思ってたのか?」とステレオタイプに煽ってくる奴もいるが、そういうことじゃない
演者もおおっぴらに恋愛ができなくて大変だっただろうが、大なり小なりファンだって何かを犠牲にしてあなたの動向を追ってきた
時間、お金、人生。何1つもう取り戻せはしない。けじめとして、示しとして、ファンは辞める。ファン1人の、ファンとしての人生を終わらせたのは紛れもなく遠藤綾だという示し
痛くも痒くもないだろうが、別にそれに関して何か感じて貰おうなんて思ってやしない
30代後半の友人がいる。
ある時婚活ではなく自然に知り合った人と付き合い出してとても幸せそうだった。
で、半年後ぐらいに偶然にも私の知り合いの知り合いぐらいの女性もその彼と付き合っている事を知った。
事情がどうなっているのかわからず下手な事も言いたくないので、なんとなく友人に連絡してみると有頂天で婚約すると言う。
一時の単なる浮気かもしれないし、友人も結婚した過ぎて見て見ぬふりをしているかもしれない。たまにいる、幸せに水を差す人にもなりたくない。
他の友人に相談して噂にでもなったらまた面倒なので、一人でどうしようか悩んでいるうちに友人は婚約し結納も済ませ式場も予約しマンションまで買ったと言う。
あーあもう言えません。もう言わない。
結局、結婚式の直前に中止になったと連絡があった。やはり彼氏には二股をかけられていて友人は打ちひしがれて何もできず、友人親が彼と女を訴えて、結納金や慰謝料を請求したり、マンションを売ったり大変な事になった。友人は入院し会社も辞めて実家に帰った。
当時学生で、ピアノを専攻していた私は、本業のピアノそっちのけで、徹夜で「マリオ」にハマリまくり(しかし、一度たりともクリアできたことはありません……涙)。
当時やりすぎで、肩凝りはヒドイわ、腱鞘炎になるわ、腕は疲れて上がらなくなるわ……。→ピアノが弾けない、→先生に怒られまくり、と、エライ学生生活になってしまいました。
だから、今回「マリオRPG」を担当という話になったときは、本当に嬉しかったです。
最初から頭にあったのは、従来のマリオシリーズのイメージをこわすことなく、且つ、とらわれることなく、自分自身のマリオワールドをいかに作るかということでした。
そこで、まずマリオシリーズの音楽を聴いてみることから始めました。コレがやっぱり、何度聴いても、すごくええんですわ。
シンプルで無理がなくって、押さえるツボはちゃんと押さえてあって、何よりも素晴らしいのは、聴いてる人を楽しませてくれることです。
ドキドキとワクワクがいっぱいつまってる。いやぁー、素晴らしい。
なーんて感心してる場合じゃないぞ。こりゃ大変だー、エライの引き受けちゃったな―、何か蒼くなってきてしまったりして。
そーだな、音楽の路線を似せてみるとか、単純にアレンジを多用するとか、似たよーな音色使ってみるとか……。
うーん、そんなんじゃないな。なんか、もっと、自然にやりたい。そーそー、理屈じゃないのよね、音楽って。
マリオRPGワールドを楽しんでもらいたい、曲を聴くとなんかちょっぴりシアワセになれるような。
楽しくってドキドキワクワク。あー、そっか、そーなんだー。うんうん。要は私が楽しめればいいんだ。
ハイ、「直情型」の出番です。私が楽しんで作って、私が自分で聴いて、ちょっぴり愉快な気分になれたら、それでいいに違いないっ!(ホンマか?)
普段、横向きしか見たことのないマリオは、いったいどんなリアクションをするんだろう。
当然、いろいろ町の人や仲間や、ともすればモンスター達ともお話するんだから、性格なんかもわかっちゃうかも。
うん、うー、なんか楽しそ―だぞ。あー、なんか、ワクワクしてきたなー。よし、いっぱい曲作っちゃお。
んで、やっぱし、昔のマリオの曲とか出てくると、「おおぉーっ!」とか思っちゃうんだろうな。うんうん。やっぱり懐かしーだろーなー。
そんな経緯で、今回何曲か、従来のマリオシリーズの音楽をアレンジして使わせていただきました。
なんでここでこの曲が……?とか思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、好きな曲で、雰囲気に合うなー、と思うものを、何曲か選んだだけです。
ごめんなさい。なんの計算もないかも……。アレンジは、原曲の持つ雰囲気をこわさないように、心を込めて行ったつもりです。いかがですか?
なんだか、今回、久しぶりに、自分の音楽の原点に戻ってきたような気がします。
最初、作曲を始めたときは、曲を作るのが楽しくって楽しくって、誰にも聴いてもらえなくてもいろいろ作ってました。
そして、画面に合わせて曲を作り、曲に合わせて画面が動き、自分の音楽をたくさんの人々に聴いてもらえるステージがあることが嬉しくって嬉しくって、有頂天になってました。
全然書けない曲のジャンルにチャレンジして、挫折したり、成功したり……。無謀なまでに、突っ走って、失敗も多かったな(今もかなり無謀かも……)。
そりゃあ、何年も曲作っていると、逃げ出したくなるくらいツライ事とかもあるんです。
あー、もー、ヤメちゃいたいっ、勘弁してーっ、って感じ。
でも、ホント、今まで続けてきて良かったな。これからも、続けていくんだろうな。
いろんな曲を書いて、得意な分野も磨いて、どんな種類の曲を書いても、どこかしら、私の曲だってわかる。そんな音楽屋になりたいな。
そうやって、自分自身を磨いていきたい。これからもずっと、私が曲を書いていたいと思う限り、直情型でいいじゃない、ねっ?
Thanks Mom & Dad, my brother, friends, and loved ones
All "SUPER MARIO RPG Original Sound Version" Staff,
I appreciate all those who provided me a big stage by name of the video-game.
I'm extremely greateful to all of my exciting experiences,
ocean, mountains, the earth, music, MARIO and also you who listen to my sound.
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MAKING OF "SUPER MARIO RPG" PLEASURE MUSIC
(COMPOSER YOKO SHIMOMURA)
●対 クッパ戦
この曲は、割と早い時期に作ったのですが、お気に入りの一つです。
原曲は、"SUPER MARIO BROS. 3"のクッパの曲。
今回は何曲か原曲をアレンジしてますけど、アレンジを織りまぜても上手くいきそうな自信が持てた曲です。
実はマリオ3の曲は結構使ってます。例えば、「Super Pipe House」(マリオの家)、
メロディはお馴染みの曲だけど、バッキングのフレーズはマリオ3から頂いちゃったんだな。
●森のキノコにご用心
この曲は、とても周りの人たちに好評でした。その理由を、サウンドエンジニアの菅原氏が分析してくれました。
「この曲だけ妙に叙情的だから。」 ……そーですか、[妙に]ですか。
だってだって、ここは一番最初は「精霊の森」って名前で、その次は「迷いの森」で、最後には「ハナちゃんの森」だもんなー。
最初は結構、このワールドの中では、異質な神秘さを持っている感じだったんですよー。ま、いっか、気に入ってるし。
●Docaty Mountain Railroad
ある時、会社近くのお好み焼き屋さんで、夕食をかっ食らっていた私は、そこでBGMとして流れていたカントリーに激しく心を奪われてしまった!
もー絶対、これは、トロッコをカントリーにしろ、という神様の思し召しなのだわっっっ!
しかし、そこでかかっていた音楽はすごく古いもので、廃盤だそう。
気持ちが冷めてしまわぬうちにと、勢いで書いてしまった曲は、作曲に要した時間は30分でした。ま、そんなモンかも……。
これも当初のイメージと全然違ったんで、アワ食ったうちのひとつです。
「ブッキーの塔は、遊び好きのブッキーが、塔に来る人と遊ぶため(!?)仕掛けをいっぱいつくった、おもちゃ箱みたいなカンジ」と
聞いていたので、かわいくて賑々しいのを想像してたのですが、開けてビックリ「男のロマン」と言われてしまいました。どひゃー。
企画の人と、グラフィックの人の強い要望で、こういうノリになりましたが、濃ゆくてピッタシ。
これ、自分で言うのもナンなんですけど、ヘンな曲ですよね。後ろで鳴っているのは、もちろん、マルガリータの笑い声です。
サンプリングヴォイスは、サウンドエフェクツ部隊の「ちーちゃん」。普段、全然高飛車ではない彼女に、高飛車になってもらいました。
しかし、ヘンな曲だぁ~。笑い声がなければ、途端に普通になるんだけれど……。
●対 変身好きのカジオー戦
最近のご時世、必ず、ラスボスさんは変身してくださいます。(変身しないでくれたほうが曲数が減って助かるのに……)
今回は変身しない予定だったんですが、やっぱり、最後の最後に変身なさってしまいました。ガックシ。
もーどんな曲にしよーかとブチ切れてしまったので、こ~んな曲になってしまいました。
ちょっとだけ途中に出てくるレゲエノリのところが気に入っています。